まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.05.27
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青天の富士鼻唄は茶摘唄 次郎長も観し富士の山新茶の香 夏場所へ新緑薫富士を背に 立春来る緑鮮やか富士山も 高座より富士より高い新茶かな ツアー初日の楽屋あいさつ新茶の香 新茶汲む所作ぎこちなき左利き 母の日に贈る新茶を母と飲む
5月23日のプレバト俳句。
お題は「新茶」。



丘みどり。
青天の富士 鼻唄は茶摘唄


これは山梨じゃなくて静岡側だよね。
茶畑も見えてる気がします。



坂東彌十郎。
次郎長も観し富士の山 新茶の香
次郎長も愛でし富士山 ふじやま 新茶の香
(添削後)

梅沢も、先生も、


わたしは浪曲のことはよく知りませんが、
♪ 旅行けば 駿河の国に 茶の香り…

ってのが「清水次郎長伝」の名文句なのね。

博徒・次郎長の尽力によって、
清水港が輸出拠点となり、富士裾野に茶園が造成され、
近代の茶生産の中心が宇治から静岡へ移ったらしい。



豊ノ島大樹。
夏場所へ 新緑薫 かおる 富士を背に
夏場所へ高ぶる心 富士堂々
(添削後)

これは「夏場所」と「新緑」の季重なり。

原句の「薫る」は送り仮名が欠落してますが、
おそらく直喩&倒置法で、
(茶畑の)
という一句一章なのでしょうね。

中七を「茶畑薫る」とすれば、
とりあえず季重なりは回避できますが、
ちょっと無理のある直喩というべきだし、
添削では茶畑の情報をカットしてます。



清水アナ。
母の日に贈る新茶を母と飲む
母の日の母への新茶母と飲む
(添削後)

なにやら添削句は、
《人民の人民による人民のための政治》
…みたいですね(笑)。

これも季重なりですが、
「母の日」は映像をもたないので、
主たる季語は「新茶」といえるでしょうか。




コウメ太夫。
立春来る 緑鮮やか 富士山も
立春を眠る茶畑 富士白し
(添削後)
立春を眠る茶畑 富士青し (添削後)

そもそも「立春」とは「春立つ=春来る」ことなので、
上五の「立春が来る」は「頭痛が痛い」と同じような重複。
(→ 百歩譲って「立春日が来る」という意味なら許容できるのかもしれませんが)


作者の話によると、
中七・下五は「富士山も緑鮮やか」の倒置じゃなく、
(→ ネットで調べると「緑色の富士山」ってのもなくはないようですが)

「茶畑も緑鮮やか。富士山も絶景」という意図らしい。
なので、三段切れです。

新茶を意識して作った春の句だそうですが、
そもそも、お題の「新茶」は初夏の季語。

新茶の収穫は4~5月なので、
現代の感覚でいうなら春ですが、
俳句的には「立夏」の前後なので、
作者が「立春」の句にしたのは明らかな事実誤認。

だとすれば、
添削は「立夏」の句に直すべきだと思うけど、
先生はあくまで「立春」の句として直したのね(笑)。

とはいえ、この添削句では、
「富士」が主役で「茶畑」が脇役に見えるし、
結果として、季語もいまいち立ってない。

せめて語順を逆にして、
茶畑の眠る立春 富士青し

としたほうが季語は立つんじゃないかしら?



蝶花楼桃花。
高座より富士より高い新茶かな
高座より富士より高値なる新茶
(添削後)

原句は、
比喩を使って物価高を嘆いた時事川柳。
落語家がやりがちな失策です。

とはいえ、これはあくまで、
比高や標高と値段とを掛けた比喩なのだから、
添削のように「高値」と明言してしまうのも、
それはそれで妙な感じがします。



アインシュタイン河井。
ツアー初日の楽屋あいさつ 新茶の香


7・7・5の字余り。
梅沢は「詰め込みすぎ」と批判しましたが、
先生は逆にそれを「丁寧」と評価しました。

わたしは梅沢と同意見ですね。
「ツアー」「初日」「楽屋」「挨拶」
この4つの要素がすべて必要なのかどうか。
とくに「ツアー」「初日」「楽屋」は、
いずれも興行にかんする情報なので、やや重なる。

たとえば句またがりで、
初日の挨拶 新茶の香の楽屋

のような17音にすることも可能でしょう。



梅沢富美男。
新茶汲む所作ぎこちなき左利き
新茶汲む急須 生憎左利き
(添削後)

原句は、
左利きの人の滑稽味を描いた一物仕立て。
季語の「新茶」は、そのダシに使われてる感じ。

せめて語順を逆にして、
ぎこちなき左利きの手が注ぐ つぐ 新茶
ぎこちなき左利きの注ぐ新茶かな

のようにすれば、中八ではあるものの、
季語の「新茶」を主役にした一物仕立てになる。

添削句のほうも、
内容的には一物仕立てなのですが、
新茶を汲む優雅さと、左利きのぎこちなさが、
まるで二物衝撃のように取り合わされて、
いわばオチをつけた滑稽句のようになってます。



余談ですが、
「汲む」というのは、ちょっと謎の動詞です。
柄杓や器ですくう、というのが第一義ですが、
「茶汲み」といえば客などに茶を供することで、
「茶を汲む」といえば器に注いで飲むことになる。
最後の用法は「酒を酌む」という場合に似てます。

つまり、
すくったり、淹れて出したり、
注いで飲んだりすることまで、
すべての動作を全般的に「汲む」と言うのですね。

でも、
急須から茶碗へ注ぐ動作だけに限定するなら、
やはり「茶を注ぐ」と言うほうが明瞭だし、
違和感も少ないかなあ…と個人的には思います。


▽過去の記事はこちら
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12




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最終更新日  2024.05.30 09:48:26


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