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今月に入ってから「人が通る時に反応して点灯する電球を購入する」という話しをしたことがある。話した週末に、すぐ買いに行った。最初にその電球を手に取った時、結構高いんだなぁ~という感想である。日頃普通の電球しか買わないので、値段にびっくりする。それでも必要なものだから買うことにした。それと同時に蛍光シールも買った。蛍光備蓄シールというのも有ったが、光が備蓄できるような階段ではないので、それを買う意味はない。普通の蛍光シールで充分である。その中で、ちょっと模様が入っているものを購入した。角度によって光が拡散するので、プラスの効果が得られる。メーター売りをしていたので、13段の階段に見合うだけ買った。それを階段の両端を多少残して、5分の4程度貼っていった。この効果も大きくて、階段の段違いの場所がはっきりと分かる。元々は弟のために行なった作業だが、結果的に自分にとってプラスとなったことは言うまでもない。というか、私のほうにメリットが大きかった。電球で一つ難をいうならば、時々人をどう察知しているんだろうかと思うことだ。というのも、階段の上で点く電気に問題はないのだが、階段を下から上がっていく時に、点灯する場所がまちまちだからである。暗さが違うので反応に違いが出てくるのだろうけれど、中々点かないと、階段真上の電気もつけることがある。そうすると今度は明る過ぎて、階段真上の電気を消し忘れることがあるのだ。まぁ、危ない思いをすることに比べたら、取るに足りないことなので、そこは目をつむることにした。間違いが無いところで、今は心配することもなく、とても快適であるということだ。
2015年04月30日
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日曜朝、テレビで「ゲンキの時間」を見ていて、間違った対処法をしていると教えてもらった。それは首のコリについてであった。首こりとは、血行不良で首の筋肉が硬くなった状態のことである。筋肉が硬くなると、血管を圧迫して血流量を低下させる。すると筋肉が酸素不足となり、疲労物質が蓄積していき痛みが発生する。首が痛い‥首が疲れた‥といって、首をグルグル回したり首の後ろを揉んだりしないだろうか?私は少なくとも、首の後ろを揉んだりしてしまっている。首をグルグル回すのは駄目だというのだが、きっと早く何度も回してしまうのが駄目なのではないかと思う。ゆっくり丁寧に1,2度回すのは、良い気がする。首の後ろの揉みは逆効果になってしまうというから驚いた。ほぐしているつもりが、悪化してしまうとしたら、なんてバカなことをしてしまっているのだろうか。そもそも頭は重いものである。何もしなくても頭があるだけで、首に負荷がかかっている。どうやら4~6キロもの重さのようだ。普通に真っ直ぐ立っているだけでこの重さである。では15度頭を前に傾けたとしたら、その頭の重さはどう変わってくるだろうか?実は15度で12キロ、30度で18キロ、45度で22キロ、60度で27キロという重さになるらしい。この60度の角度は、概ねスマホを操作している角度のようだ。だから私たちは知らぬ間に首のコリを誘発しているのである。そりゃぁ、首が疲れるはずである。そして、ついつい痛みの感じる首の後ろの部分を揉んでしまう。でも実は首が凝ったら、首の前の部分を温めると良いらしい。後ろでなく前である。実際実験をやっていて、後ろを温めても全身に血流が良くなるわけでなく、首の前を温めると、血行が良くなり全身が温かくなるのである。考えてみれば首の前のほうに太い血管があるわけで、その血管の流れをよくするためには、温めることである。確かに‥首の前だ。だから、首こりを揉んでほぐすのも前になる。鎖骨の先端から耳の下まで伸びる筋をマッサージすると良いらしい。「胸鎖乳突筋」というらしいから、調べてその周りをほぐすと首こりが改善されるようである。まずは首の前を温めて、首こりを減らしたいと思った。んっ?あれっ??‥いや違う、姿勢を正すほうが先だぁ~。(^_^;)
2015年04月28日
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前回書いた「筋肉を増やして体温を上げ免疫力をアップする」ことに繋がるのだが、テレビ番組の中で、筋肉量の約70%は下半身に集中していると聞いた。確かに、足が衰えて歩けなくなると寝たきりになるわけで、足の衰えが、即座に自分の生活様式に跳ね返ってくる。生前母が心筋梗塞で1ヶ月集中治療室に居たことがある。それから一般病棟に移ったがすぐに歩けるはずもなく、かなり長い期間寝たきりになったことがある。そこから歩けるまでには、随分と時間がかかった。足は手よりも筋肉がなくなっていて、かすかに骨に皮がついているような状況だった。足は体全体を支えなければならないわけで、その仕事量はかなりのものになるだろう。だから回復させるまでに、多くの時間と労力を要したのである。そのことから考えても、下半身を鍛えることが一番であると分かる。今のベットや洋式の便座は、年配者に優しい。畳に敷く布団や和式の便器は、先達が農作業をしていた年配者だったからこそ、使いこなしていたように思う。今の私は、西洋文化の輸入が有り難い。運動嫌いの事務職には、必要なものばかりである。ただ今ベットでないので、筋力の衰えがすぐさま見てとれる。前は普通に足だけで起き上っていたのに、今は手を支えに起き上る。こういうところでも、筋力が衰えていることがよく分かる。スクワットが一番効果的だというが、中々実行できない。膝を心配してしまうのである。ただテレビでは、膝を痛めないようにと、お尻を下ろす角度を45度と言っていた。そして、膝はつま先より前に出さないようにとも‥。運動を避けてきた私の大きな課題が、今、目の前に山積みになっている。会社を辞めてからやろうと、本格的な運動を避けてきたのだが、それでは遅すぎる課題であると、最近ヒシヒシと感じている。
2015年04月26日
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私はちょっと勘違いをしていたところがあって、免疫力をアップすること即ち、体内の健康と考えていたところがある。有り難いことに私は(現代)レイキをやっているので、深部体温が高い。だからある程度の雑菌は繁殖させないだろうと思う。でも体温は普通か普通以下なので、手足を触ると熱いわけではない。下手をすると普通の人より下がっている時もある。それでも深部体温は高いので、今の時期もう夏蒲団で寝ている。私が間違っていたと思ったのは、表面の体温を上げるのも免疫力アップに繋がるという事実である。その免疫力を作っているのが、筋肉になる。筋肉量を増やすことが体温を上げ、免疫力アップを促す。筋肉をつけると、体が熱を作りだしやすくなるわけで、結局エネルギーを作りやすい体にさせることができる。脂肪を効率よく燃焼させる体作りとなるわけだ。いわゆるダイエットに効果有りという認識であるが、実際はそれだけでなく、これも健康作りの一旦には違いない。私は筋力低下は、生活に支障が出てくるので向上させたいと思ってきた。若い頃、すーっと立ち上がっていたはずの動作が、今はワンテンポズレている立ち上がり方になっている。地球の重力が増えたと考えたいのだが(笑)そんな都合の良い考えであるはずもなく、単に筋力の衰えで、動作が遅くなっているのである。一番最初に筋力低下を感じたのが、東京までの夜行バスだった。名古屋から東京まで7時間の旅となる。東京まで7時間もかかるはずはないのだが、朝あまりに早く現地に着いても仕方がないので、バス会社が時間調整をしている。その結果7時間の乗車時間となってしまうのだが、それが多少苦痛になってきたのである。前は窓側でも平気だったのだが、今は通路側を指定している。体位を小まめに変更できるほうを選んでいるのだ。ずっと同じ姿勢でいると、体に圧力がかかる場所が一緒なわけで、それが辛くなってきているのだ。「免疫力アップは深部体温だけにあらず」筋肉量を増やして表面温度も上げ、体全体で免疫力を上げていきたい。
2015年04月23日
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会社の帰りに大治町のスポーツセンターへ行く事がある。そこに行くには、いつものバス停より一つ前で降りなければならない。時々ぼーっとしていると、降りるのを忘れる。忘れてしまえば、その日は運動するのを止めてしまう。なので、もしかしたら行きたくない思いで、時々ぼーっとして通り過ごしてしまうのかもしれない。全く、自分に甘い人間だ。(+o+)その日は雨の日だった。途中の道で、横から二人の男の子が傘をさして出てきた。小学校低学年の子供というところだろうか。前を歩いていた男の子が「こんにちは」と話しかけ、間伐入れずにもう一人の男の子も「こんにちは」と挨拶してきた。いつもの道でないので、全く知らない男の子である。私は最初びっくりしたのだが「こんにちは」と挨拶を返した。そして「雨なのに元気だね」と続けた。「うん、元気」「元気だよ」二人の男の子は、同時に答える。「どうしてそんなに元気なの?」と聞くと、「充電しているからさっ」と答えがくる。「何から充電しているの?」と問いかけると、「太陽だよ~」と答えてくる。「えっ?雨だよ、太陽は出ていないよ?」と聞き返すと、「太陽と雲の間違いだった」と返事をしてくれた。「へぇ~、雲からも充電できるの?」ともう一度聞く。「うん、できるさ~。電気をいっぱいもらうんだ~」と元気に応える。「電気?ビリビリしない?怖くないの?」と言ったら、「ぜんぜ~ん、怖くないよ」「平気だよ~」と二人で答えてきた。そして「じゃぁね~」と言って、二人の男の子はコンビニに入っていった。発想が面白い。理論的でないのも気にいった。二人の男の子から元気をもらい、心も軽く運動をしに行った日だった。
2015年04月21日
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学びはどこにでもある。特に人間関係の学びは、仕事に行っていれば毎日遭遇する。立場の違いは、即座に言葉や行動に反映される。何の制限も無い友達同士のようには、いかないからだ。会社には、色々な波長を持った人間が集まっているわけで、そこには学べる関係が目白押しである。趣味の仲間はどうだろうか?趣味という括りを考えると、上手くいく気もするのだが、そこにも先輩、後輩という関係もあるし、年齢も関係する。他に実力の優劣もあるわけで、それが色々な感情を呼んでしまう。そうすると、別の人間関係が見えてきたりする。だからこれも厄介である。初めて仲間に入った場合、そこのルールが分からないわけで、自分の望まない方向に、事が運んでしまう場合も起きてくる。「こんなはずではなかったのに‥」「純粋に趣味を楽しむつもりだけだったのに‥」人間関係が上手くいかなくて、やむなく辞めざるを得ない事態に陥って、その場を去らなければならなくなるなんて、とても残念な辞めかたである。ただただ楽しみたいだけなのに‥。世の中色々な考え方をする人たちがいることで、摩擦が生じてしまうのである。傍から見ていると大したことでなくても、当事者たちには大事に感じてしまう。人間関係は楽しくもあり残酷でもある。仲間だったはずの人が、次の日には冷たい目で見られることもある。何らかのスイッチが入って、前日と同じ関係ではいられなくなる。悲しいけれど、そんな現実になることもある。間違ってスイッチを入れてしまったのが自分かもしれない。或いはそこにこちら側の非がなかったとしても、原因の一因を作った可能性もある。そのスイッチは、大したことのない言葉使いかもしれない。だから修復不能になる前に、自分の言葉と態度を点検してみると良い。これが集団生活をする人間の、学びだからである。
2015年04月19日
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仕事でいうホウレンソウは、ホウ(報告)レン(連絡)ソウ(相談)であることは、サラリーマンを長くやっていれば知っていることである。これらをしっかりしておかないと、仕事が上手く回っていかない。部下から上司への必要な義務である。でも心理学的には、ホウレンソウの本来の使い方というのは、上司から部下への義務だと言う。その理由が上司と部下の関係は、上司が言う言葉への反論が、友達同士のように拘り無くできる関係ではないことにある。上司が今の状況を部下に話して、部下はそれを受けて考えて行動する。それが理想だというが、中々そうはいかない。今の日本のサラリーマン事情を考えたら、どうしたって部下がホウレンソウをする状況にある。ならばその通りにするべきであって、それを怠れば上司の監督不行き届きという結果になってしまい、上司の責任が問われてしまうのである。上司も聞いていないということになれば、万が一のことが有った場合、対処の仕様が無い。知らなかった‥という言い訳は、上司として出来ない立場に有る。部下はホウレンソウをすることで、万が一間違った方向性の場合、その方向を正してもらうことができるし、適切なアドバイスを受けることもできる。また、その責任も上司の承諾済みということで、大事にならずに、ある程度回避できるかもしれない。独断性がなく個性の無い人間になってしまう可能性は否めないが、日本の組織で働いている以上は、それもやむを得ないことである。納得いかない部分もあるが、プラスの面も有るのだから、感謝する姿勢でサラリーマン生活を充実させていきたい。
2015年04月16日
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4月になって新学期を迎えると、初めてバス通学する人やバス通勤する人が現れる。まだ何分のバスに乗るのが良いか、分からない状態である。そして雨、雨のため自転車組がバス移動に切り替わる。なので乗車率が半端なく多い。4月になって10日以上たったから、そろそろ落ち着くのでは?と思っていたのだが、これが甘かった。実はバスの発着時刻も4月に入って変更されている。3月までより2分早い状態である。市バスは通勤、通学のラッシュ時になると5分間隔になる。だから5分の中の2分のズレは、2分早く家を出るか3分遅く家を出るかという選択肢になる。私は早く出る方を選択したのだが、果たしてこれで良いのかどうか‥毎日のラッシュでへこんでいる。思うに‥どうも5分前に乗っていた人たちが遅い選択をして、一緒に乗っていた人たちが早い選択をしたのでは?その結果、一挙にこのバスに集中しているのではないだろうか?そう思われるほど、私の選択したバスの乗車率が高いのである。被害妄想‥じゃないと思ってるけど‥。いやぁ~どうしようか?もう少し様子を見るべきか、それとも遅いほうの選択に切り替えるべきか‥。或いは5月の連休過ぎに、変化があるかも?それを待つか‥。通勤は毎日のことなので、少しでもストレスを減らしたいところである。例年なら、もうとっくに落ち着いている頃なのだが‥。今日も思案して終わりそうである。
2015年04月14日
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この話しは殆どの人が知っているだろうが、働き者のアリと、自由に生きているキリギリスとのお話しである。これを思い出したのが、ヤフーの話題提供の記事で、年収が一緒なのに、「お金を貯められる人と貯められない人」という記事だった。お金を貯められないのは、必ずしも低所得者ではないという話し。高収入の人が、収入が増えても増えただけ使う人が多い‥と書いていた。高収入の人は、いつでも手元にお金が有ると思ってしまう。また、稼げる自信があるから、使ってしまうという。この話‥、たばこも一緒だと思い当たる。たばこを吸うのを何年か止めた人が、もう一度吸い始めた時に言う言葉が、「いつでも止められる」である。一度付いた自信が逆に邪魔をしてしまい、結局たばこを止められない。「その気になればいつだって止められるさっ」という変な自信。その気持ちが邪魔になってしまっている。たばこをいつでも止められる、という自信を持っている人。そういう人が一番厄介だという医者も居る。お金も毎月入ってくるのだから、今月分は使ってしまっても問題無い。来月になればまた入ってくるから、少しも残す必要が無いと考える。いやいや‥何があるか分からないではないか!どちらかというとアリ所属だと思う私は、結構慎重に考える。不安を持つべきではないのだが「備えあれば憂いなし」と考える。だから私はアリ族だと思っている。キリギリスのように、冬になったら食糧が無い!と慌てふためく生き方が、私には出来ない。「では何が楽しいの?」と言われると、あまり反論ができないでいる。それでもアリは、ずーっとアリの考え方しかできない。結局は自分に沿った方法でしか、生きていけないのかもしれない。アリの生き方が良いのか、キリギリスの生き方が良いのか‥。考えるに自分に合った生き方が、一番問題なく生きられるだろう。でも、心のどこかでキリギリスに憧れている私が居る。それでも憧れを現実にしてしまうと、きっと後悔するだろうことも、私は分かっている。
2015年04月12日
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私は小学校の頃、少し白髪が有った。小学生で白髪?そんなに目立つほどのことはなかったのだが、有ったことは確かである。私は来月で60歳を迎えるが、その私の髪には少し白いものが混じっている。でもだからといって、さほど目立つほどのことではない。髪を染めている同級生が大半の中、これはちょっと誇っても良さそうである。多分面倒臭がりの私に、髪を染めるなんて出来そうにないから、それを神様が配慮してくれたのではないかと、勝手に良いほうに解釈している。では何故小学生の頃に白髪が有ったのかというと、随分神経質な子供だったからだと思う。そんなに周りばかりを気にしていたら、神経がすり減ってしまうだろうと、今の自分なら分かる。自分の周り全ての人たちに、気を使って生きてきた。不必要なまでに気を使い、人目を気にして生きていたのである。だから肩凝りも酷かった。母によく揉んでもらったものである‥って、普通は逆だろう!親に肩もみをしてもらう小学生なんて、聞いて呆れてしまう。私のところに占いに来た人の中で、随分若いのに髪を染めて、小さな円形脱毛を起こしていた人が、鑑定に来られた事がある。この人も小学生の頃の私と同じである。だから、ストレスを発散させ考え方を変えたことで、円形脱毛症が消えていき、髪も黒く変わっていった。実は今週の「ナニコレ珍百景」を見て、このことを思い出したのである。ナニコレでは、犬の毛並みが何と!真っ黒から真っ白へと変化。変化したのは、犬を随分可愛がっていたご主人が亡くなってからである。そのご主人が亡くなった後、犬の毛の色が黒から白へと変わっていったという。全身が変化していく様子を、その都度家族が写真に撮っていたから、随分リアルに確認できた。そして、最後その犬が亡くなる時には、その逆の現象が起きたという。真っ白から真っ黒へ‥最初のその犬の毛並みに変化していき、そしてその犬は亡くなった。まるで天国では生前の姿で遊んで貰おうと考えたように‥。私はこれらも心のストレスだと考える。心が体に影響を及ぼす結果が、招いたものだと思うのだ。だからストレスを作らない心を、そして穏やかな心を持つことを目標に、生きていきたいと思っている。
2015年04月10日
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夜中に凄い音がして飛び起きた。揺れて無いので地震でない。「何があったの?」慌てて部屋から飛び出す。弟が部屋に居ない。階段の電気をつけて下まで降りると、そこに頭を押さえた弟が居た。どうやら階段を踏み外したらしい。助かったのは階段の一番下が、90度角度が変わっているので、そのまま反動で下まで落ちていかないことである。角度を変えて打ちつけてしまうことにはなるが、落ちる速度を減らすことができる。私はこういう時に冷静な対処ができない。何をどうすればよいかが、頭にすぐには浮かんでこないのだ。傷とか内服薬とか‥薬に縁遠い私は、咄嗟にはどうしてよいのか考えがつかないのだ。私はただただおろおろして、救急箱を弟のところに持っていくだけで精一杯である。実際は階段から落ちた本人のほうが冷静で、自分でテキパキと処置していた。頭と足を打ったらしいが、足に少しうっ血がある程度で、取りあえずは大事には至らないようだった。ただ頭を打っているのが心配で、念のため次の日に医者へ行ってもらったのだが、それも問題なかったので、ホッと一安心している。なにが問題だったか‥電気を私が付けたので、本人は夜中にも関わらず、付けずに階段を降りたことにある。夜中なのに階段を降りる時どうして電気を付けないのか‥、私には理解ができない。こんなことをいつもやっていたのだろうか?こんなことが又起こるかと思うと気がきではない。私の寿命が縮まってしまう。そこで対策を取ることにした。人が通る時に反応して点灯する電球を購入する事にしたのだ。買いに行くのは今週末になってしまうが、自動で電気が付いてくれるのは有難い。不安材料は一つでも減らしていくほうが、ストレスにならなくて良いわけで、これを機会に家全部の電球について、考えることにした。
2015年04月08日
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昨日は思いがけず晴れて驚いた。夕方にかけて雲行きは怪しくなり、なんとか雨は降らなかったが曇っていった。雨の予報だったから、まさか晴れるとは思わなかった。良い意味で予報は外れてくれたわけである。雨が曇りになることはあるだろうし、それほど驚くことではないのだが、朝、太陽を見た時は「本当に??」と目を疑った。そして太陽を見た瞬間、自分の動きが活発になった。不思議なんだよねぇ‥。別に出かけるつもりもなく、家のことをやろうとしていただけだから、晴れようが雨が降ろうが同じはずなんだけど、自分の動くスピードが変わるのは意外だった。結果的に外仕事をしたわけでないから、天候に左右されることではない。でも、自分の動きには影響があったのである。太陽のもたらすエネルギーの仕業なのだろうか?心の軽やかさが体の軽やかさに繋がっている。心が軽い??心に重さなんて無いよね?でもあきらかに軽いと感じるのである。ずーっと雨の予報だった。梅雨でも無いのに雨が続くのか?それが憂鬱だったから‥、それが思いがけず晴れたから‥。良い意味で私の心を裏切ってくれたのだ。長く続くはずの雨予報の中で、束の間の晴れである。心が軽くなって、自分の行動範囲は大幅に増えた。昨日を振り返ってみると、当初考えていたよりも、1.5倍のことが片付いた結果になった。太陽が心も体も軽くしてくれたのである。私たちは、自分が考えているより遥かに多くのことを、太陽から受けとっているのかもしれない。感謝☆
2015年04月05日
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私の会社の前には「桜通り」という名前の通りが有る。でも、名前に反して銀杏の木が多い気がする。そんな中でも会社のビルを出てすぐの交差点には、桜の木が何本か有るので、この時期会社に居ながらにしてお花見ができる。アッという間に暖かくなってしまったので、桜が開花するまでの過程を楽しむこともなく、満開の桜と対面する事になる。でも休みを待っていたらお花見とならなかったし、この週末にかけて雨なので、ゆっくり座って鑑賞ということもできない。だからこの桜通りの大きな交差点にあるこの桜の木は、私にとっては、とても有り難い存在である。考えてみれば春に桜、秋に銀杏と、季節感のある通りに面して、会社の入っているビルが有ることになる。これも中々出掛けない私への配慮なのか?なぁ~んて、個人的なことが関係するはずはないのだが‥。最近のお花見は、外国の人たちが増えているようで、テレビのインタビューも、外国の人たち向けで行っているシーンが多い。桜の花見をメインで訪れる観光客もいるようで、天候に左右されるお花見に焦点を合わせて来るなんて、結構無謀に感じるのだが‥。多分、駄目になったらなったで楽しめる人たちなのだろう。臨機応変に対処できれば、どんな旅行も楽しいだろうと思う。「花の命は短くて‥」どこかで聞いた歌詞だが、短いからこそ美しいと感じるのかもしれない。「美人薄命」‥全く私に縁の無い四文字熟語である。(+o+)
2015年04月02日
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