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教科書は終わったので、ワークブックと復習。いろんなことを習った割には応用がきかず。まだまだ練習の余地あり。口語のテストだけあるので、ひとりひとり別室に呼ばれて行く。その間にみんなで写真を撮ったり、住所を交換したり。最後っぽい。昼に約束をしていた友達とまたうまく会えず。戻ったらケータイが壊れたとネットで連絡が。ソウルで待ち合わせるのは本当に大変。ここ数日で思う。
2006年03月31日
授業はさくさく進み。今日はこの一ヶ月で最後のところを勉強する。昼を食べて、安重根祈念館へ行った。地球の歩き方を見ると地下鉄の駅を降りたら徒歩12分らしい。降りたものの、道がよくわからず隣の駅のソウル駅まで行ってしまった。東京駅を模して作られたという旧駅舎を初めて真ん前から見る。迷ってよかった。駅舎の前では何か大規模なデモが行われていた。警察の人もちらほら。道を戻って、祈念館を探す。道が大きく交差しているところの坂を登って、丘の上へ。ソウルタワーの麓の公園にあるらしい。徒歩12分とあるけれど自分の足では20分くらいかかって、そのほとんどが急な上り坂と階段。登山だな。上の方の公園では年配の人がテニスをしたり、アスレチックみたいなもので運動している。みんな運動が好きだな。辿り着いた祈念館からソウルタワーが見える。けど徒歩で来る場所ではないな、ここ。ひとりで良かった。友達とだったらちょっと申し訳ない距離。安重根は韓国では英雄になっている。自分は、伊藤博文を暗殺したのは知っているけれど、どんな人なのかは基本的に知らない。チケットを買ったら係員の人に映像の部屋を勧められる。日本語バージョンもあるらしい。20人くらい入れる部屋で、ひとりでそのビデオを見る。貸し切り。生い立ちやどんな思想を持っていたか、どんな裁判だったかなどなど。日本からすると真逆に近い立ち位置から見るので、奇妙な気持ち。人を殺すことで讃えられるというのが生理的に違和感。韓国の科挙に合格した父親がいて、伝統的な儒教に沿っていたのが途中からクリスチャンになる。布教活動をしていたけれど独立運動に参加するようになる。クリスチャンになったときフランス人の宣教師の影響を受けていたらしいけれど、「外国語を学ぶとその国の奴隷になってしまう」「韓国が覇権を握れば世界中の人が韓国語を学ぼうとするだろう」という考えから、外国語の勉強をやめてしまったらしい。それを聞いて、あの時代の人はどの国でも同じような考え方を持っていたのかなと思った。大日本帝国も同じだし、韓国の人も自分の国を強くしたかったし、そのために武力闘争も辞さない。たまたま日本が力を持って韓国を植民地にしたけど、もし韓国が勝っていたならたぶん日本と同じことをしたんだろうなあと想像した。あのとき負けたから、今こういう文脈で言えるのだろうと。闘争のときに日本軍の50人を殺して、10人を捕虜にしたという。かなり誇らしげな口調でそう言われると、やっぱり「人を殺したのに?」というのが先に来る。10人を国際法に則って釈放したら、その日本人が彼らの居場所を密告して、そのせいで壊滅に近い打撃を受けたらしい。「彼らが密告しなければもっと戦果を上げていただろう」というけれど、戦争ってそういうものじゃないかとも思う。だからしたらいけないとも思うし。伊藤博文を殺すことで韓国が他国に取り込まれていく流れをストップさせたかった。その義挙(韓国ではそうだよな)は中国なども勇気づけた。でも裁判はロシア管轄地で韓国人が起こした事件なのに日本の法律で日本人裁判官、日本人弁護士のもとで行われた不当裁判だった。それは確かにそうかもしれない。裁判をする前から極刑が決まっていた。まあそうだと思う。その点は公平ではないなと思う。彼の左手の薬指は第一関節から上がない。前にも彼の書いた書と手形を見たことがあった。指がないのはてっきり日本から受けた拷問とかそういうものだったのかと思っていたら、独立運動をしているときに断指同盟を作って、みんなで指を落として誓い合ったらしい。その血で血判書を作ったり。そうだったのか。先入観はいけないや。係員の人に聞いたら、ビデオは韓国語版と日本語版があって、中国語と英語は字幕で説明をしているらしい。日本人もよく来るという。ただの暗殺者としか習っていないし、それ以上を知ろうとしたことがなかったのと、韓国ではどんなふうに扱われているのかを実際に目で見て帰ってきたので、それは勉強になった。戻って夕ご飯を食べる。アジュンマと写真を撮ったり。チムチルバンに行ってのんびり。戻ってきて友達に電話したり。明日試験なんだけど。
2006年03月30日
そういえば昨日は雪が舞っていた。最低気温が零下すれすれなのに、ソウルの人は一回着始めた春物を替えたりしない。コートの人もいるけど、だいたいみんな春物の薄手コートだったり、スカートを穿いていたり。気温だけ見たら立派に日本の冬だよ。ソウルの人は寒くないのか。今日は休み。午前中に銀行で両替。2万円が163000ウォンくらい。ひと頃よりはよくなっているのかなあ。下宿に郵便局のEMSの人が来てくれたので、段ボールで2つ荷物を送る。その人が言っている韓国語がよく聞き取れなくて、わかればとても簡単なことだと知るのだけど、それすらわかっていないことにショック。まあ仕方ない。午後は、クラスのスイス人の友達と観光地巡り。待ち合わせがまたうまく行かなくて、駅で30分以上待つことになった。出口の横の風よけできる場所で立っていたら、道を聞かれる。見て日本人だってわからないのかな。市場に行けば何も話さなくても一発で日本人だとばれて、思いっきり日本語で話しかけられるのに。一人目は韓国のおばちゃん。「3番出口はどこか」という質問がわかって、なおかつそれが自分がさっきまで立っていた場所だったのでわかった。でもどう説明していいかわからないので、言葉が出てこずに手だけで「真っ直ぐ行って右」とジェスチャー。おばさんはそれでわかったらしくて、お礼を行って去っていった。道を聞かれて初めて役に立った!!二人目は西洋だけど英語圏ではないファミリー。若いお母さんらしき人が「インサドンはどこ」と聞いてきたのはわかった。それなら6番出口だ。韓国語で「6番出口」としか言えなかった。6番出口はどこか聞かれたけれど、説明できない。うう。「わたしもわかりませんー」と答える。三人目は韓国のおじさん。50代くらい。どこに行きたいのかぱっと聞き取れなかったので「わたしもわかりませんー」と言ってもまだ何か続けたそうな感じ。大体の人はこういうと発音を聞いて外国人だとわかって離れていくのだけど。なので「日本人なんです」と付け加えたら、おじさんが日本語で「日本の方ですか」と続けてきた。旅行ですか、と聞かれて勉強で来てますと答える。3ヶ月勉強したとか、もうすぐ帰るとか。「じゃああなたの韓国語はこどもですね」と言われて「えっ」と聞き返したら「あなたの韓国語は素人ですね」と言われる。その通りなだけに何ともいえない……。「韓国語がわかりますか」と韓国語で聞かれて「ちょっと」と答える。「ここで寒くないですか」と韓国語で言われて「友達を待って……」と言いよどんだら、正しい韓国語で「友達を待っているんですね」と言われる。そう言うのか。なるほど。おじさんは「すいませんでした」と言って去っていった。日本語で道を聞いてくれてもわかったかもしれないのに。友達が来て、宮を2つ回る。ひとつはガイドと一緒に回るところ。時間によって韓国語、日本語、中国語、英語のガイドがあるらしい。自分たちはたまたま韓国語ガイドが始まる時間に入ったので、韓国語。さっぱりわからないけど。途中、日本語ガイドグループと遭遇したので、そっちに混ざったり、自分たちで歩いてみたり。友達とは本当に初歩の韓国語で交流するしかない。でも文法めちゃくちゃでも、何となく言いたいことがわかる。初心者の七不思議だ。カメラが好きで、デジカメでもいろんな機能を使いこなしている。ちょっと教えてもらったりして。連写がついているのを初めて知る。もっとたくさん使えばよかったー。自転車専用道路、と言いたかったけれど韓国語がわからない。友達が「スペシャル・ちゃじょんご・ロード」と言う。それでわかった。言ったあとに「konglishあんでよー」と笑っていたけれど意味が通じるからすごいよな。初心者の韓国語って本当にこんな感じ(もちろんもっと上手い人はたくさんいるけど)。お兄さんから電話があったりして、そのときはドイツ語を話している。イタリア語を勉強していて、韓国語も勉強していて、すでに英語とフランス語とスイスードイツ語はできるらしい。ドイツ語とスイスードイツ語はちょっと違うので難しいと言っていた。いや、もう充分だと思います。ミョンドンでコーヒー。今まで撮った写真を見せてもらう。カメラを楽しんでるなあ。自分もこのカメラでもっといろいろできたなあ。地下鉄で戻る。友達から電話が来ていたのでかけ直してしばらく話す。たぶん韓国はまた来ると思うので、会えると思うんだよね。これから宿題をやらないと。
2006年03月29日
最終日にテストがあるらしい。筆記はなくて会話だけ。でも最近習ったものは前に語幹がつくのか、変化させたやつがつくのかいまいちわかっていないので、どこかで復習しないと。昼は、前のクラスで一緒だった中国人のクラスメートとお昼を食べることに。同じクラスだった日本人の友達も一緒に。中国人の友達は今違う大学で勉強をしている。そっちのほうへ行くことにした。4番線の「ふぃひょん」という駅だと思っていたら「ふぇふぁ」駅だった。約束した4番出口に立ってお互い電話して「どこ? 見えないよ!」。そりゃそうだ。人と待ち合わせるときは本当に難しい。3人でチゲを食べて、共通語は韓国語になるので初歩韓国語で何とか話す。日本人の友達は先に戻ったので、中国人の友達とコーヒーを飲みながら話す。韓国は喫茶店がいっぱいあって助かる。いろいろ韓国に来た経緯を聞くと、苦労している感じ。それと、今まで日本に対して良い感情を持っていなかったけれど、韓国に来てみて外から中国や世界を見ると違って見えてきたらしい。自分もそうだった。中国に行かなかったら絶対韓国に来ていない。4時間くらい話して、夕ご飯も一緒に食べてお開き。友達は韓国の人と結婚したのでずっと韓国にいる。上達していくんだろうな。
2006年03月28日
授業が終わってから、3級の人たちと昼を食べる。3級は今日クラス会みたいなのがあって、先生も一緒にカラオケに行くらしい。スイスの人とウズベキスタンの人も一緒にお昼を食べた。英語がわからないので、韓国語で話すしかない。それでも簡単ながら意思の疎通ができると嬉しい。全然違う国の人と交流するのは面白い。英語ができるといろんな場所でこういう実感があるんだろうな。戻って昼寝。そろそろ帰国が近いので、いろんな人に電話をしまくる。釜山の友達はこないだ卒業したけれどまだ仕事を探しているらしい。中国語はクラスで一番できるほうだったので今でも危なげがない。貿易の仕事に就きたいので英語を勉強しているらしい。週末はTOEICを受けたらしい。どのくらい取れそうか聞いたら「300点」と言っていた。自分とあんまり変わらない……。でも続けて勉強してどこかで結果を出す人なので、きっと大丈夫だろう。
2006年03月27日
オンニと一緒にミョンドンへ行く。昨日の写真を受け取る。メガネをかけて行ったのでお店に入っても気づかれなくて「予約はしましたか」と聞かれる。昨日撮影した者です、と答えていたら、お客さんで来ていた日本人のおじさんに「お金払ったらもう顔なんて覚えてないんだよ」と声をかけられる。その人はおばさんの撮影に付き添いで来ている感じだった。靴を探しながら歩く。途中、お茶を飲みに喫茶店へ。オンニに教科書でわからないところや、微妙なニュアンスを聞いてみたりする。急に、オンニのお兄さんの家へ行くことになった。下宿の友達と合流していくはずだったのが、待ち合わせがうまく行かなくて結局自分だけ行くことになる。待っている間に靴を1足買った。15000ウォン。安いや。サムギョプサルは3段腹だけど、オギョプサル(=5段腹)をごちそうになる。そのあと、お兄さんの家にお邪魔する。年が離れているお兄さんなので、もう小学生の息子さん2人と奥さんと、犬1匹。普通の家庭にお邪魔するのは初めて。オンドルの床にペタンと座る方式なんだなあ、居間が。不思議な感じ。畳でないところにペタリと座るのが。お兄さんは政府機関で働いていて、日本に出張することも多いらしい。韓国語の東京観光地図を見せてもらう。日本人は日本の観光地図なんて見ないからな。面白かった。仕事をしながら日本語を勉強しているらしく、片言だけれど話せていた。仕事両立するのがすごい。帰りは地下鉄。でも少し遠い場所だったので終電になってしまった。「最後」の意味の韓国語を聞き取れたのでよかった。最寄りの駅の1つ手前が終点で、結局そこから歩いた。まだ人影がある。賑やかな場所でよかった。それから宿題をやって寝たら3時過ぎだった。
2006年03月26日
今日は、写真スタジオで写真を撮った。いろんな衣装を着てメイクもちゃんとやるやつ。中国にいたときもやったみたかったけれどできなかったので、今回は気合いを入れて行ってみた。同じ下宿の友達も見学についてきてくれるという。ネットから予約して行ったお店は普通に日本語を使える。でも旅行じゃなくて勉強でソウルにいる話をしたら、韓国語で話をしてくれるようになった。友達も自分も1級を終えただけのレベルなのでわからない部分が多い。自分がメイクをしている間、友達はお茶を飲みながら待機。店員さんも「日本語禁止、韓国語だけね~」と冗談半分で言っているのが聞こえる。自分はどんどんファンデーションを重ねられて白くなっていく。湿ったスポンジでとんとん叩いて馴染ませている。へえ。眉毛も自分が描いたことがない形に描かれている。へえ。つけまつげもつけた。へえ。メイクのお姉さんは黙々と仕事をしている。日本語は話せないらしい。隣の会話に参加したりしている。間が持たないので、衣装を選ぶときに「疲れてるんですか」と聞いてみたら「どうして」と聞かれて「ちょっと怖いので」と言ったら笑ってくれた。そこから韓国語でいろいろ話をしてくれるようになった。チマチョゴリとアオザイとチャイナドレスにした。がちがちのマネキンみたいにポーズを決められたけれど、顔の向きや目の向けかたは今まで自分でやったことのない角度だったので、こうすれば写りがよくなるのかと感心しつつバチバチ撮られる。他に2人くらい日本人のお客さんがいて、その人はチマチョゴリ3着コースでお姫様みたいな格好になってた。あれも楽しそうだ。ウエディングドレスやパーティードレスのコースを選んだ人もいた。友達は待っている間にその人たちと話をしてる。店員さんとも韓国語で世間話をしたり。それが聞こえてくると結構面白いので、カメラマンの女性に「笑って~」と言われたときに自然に笑える。一緒に来てもらってよかった。メイクのお姉さんは在中国の韓国人と5年文通をしているらしい。会ったことがあるのか聞いたらお金がないので飛行機チケットが買えなくて、写真だけだという。あとドイツ語を勉強しているとか。日本の大学はいつに始まって夏休みはいつかとか。日本語のひらがなは形が似ていてよくわからないとか。逆に自分は漢字の中に意味があるからわかりやすいと思っているとか伝えたり。そういうのを簡単な言葉だけれど直接その人と話せるというのは嬉しい。で、もっとうまくなりたいと思う。撮ったあとは選ぶ。自分は最初一番安いコースで少なくするつもりだったのが、今までやったことのないメイクと服装がだんだん勿体なくなってきて、アルバムとCDーROMをつけることにした。大奮発だけど中国の分も足したと思えば。明日できるらしい。旅行の人だとホテルまで届けてくれるらしいけれど、住んでいる人はもう一度。でもミョンドンだからまた来る。昼はミョンドンマントウのお店でカルグクスとマントウ。友達が春のコートを買いたいので、お店を見て回る。ミョンドンで服を買うために真剣にお店を見たことがなかったな。だんだん韓国のセンスに慣れてきている。それに日本の今の流行もわからない。ミョンドンの端っこにある教会にも足を伸ばす。韓国最古の煉瓦建築らしい。これは日本に壊されなくてすんだのかな。教会に初めて入った。天井が高くて荘厳で、神様がいるところだけ明るく照らされている。毎週通ったらキリストが特別な存在だと思うようになるよなあ、これは。でも自分はどうも「よその神様」感が強くて、お祈りをしたりする気持ちにはなれなかった。お祈りしても届かないような気がして。日本の神社仏閣だと、ちょっと手を合わせようという気持ちになるのだけど。キリストと自分は繋がっていない感じ。コーヒーを飲んでひと休み。また服を探しに歩く。友達がコートを買ったお店で自分もニットとTシャツを買う。Tシャツが2枚で12800ウォン、1500円足らず。お買い得。地下鉄で戻る。今日は近所の映画館で、「天国の階段」のクォン・サンウが映画「青春漫画」のために舞台挨拶に来るらしい。友達がそれを聞いて、朝、写真屋さんに行く前に映画館でチケットを押さえていた。夜2回、挨拶があるらしいのであとのほうを選ぶ。日本の留学生で彼を見に行く人が何人もいた。というか、ドラマの名前は知っていたけれど俳優さんの名前を知らなかったし、顔も知らなかった自分が行ってよかったのか。映画館は日本語が飛び交っていて、ファンの年齢層はかなり高め。たぶんこれに合わせて旅行で来たんだろうなあ。一番気分が高揚しているときだと思うので、結構にぎやか。ちょっと恥ずかしい。近くに座った韓国人が「日本語だらけ」みたいなことを言っていたのが聞こえた。挨拶するときは通路まで日本人が前に出て行く。立ち上がる人がいるので、韓国の人が「あんじゅせよ~(座って下さい)」と声をかけるのだけど、たぶん聞こえてないだろう。挨拶は3分くらいだったけれど、フラッシュはすごいし、花束を渡しに行く人もいるし、みんな熱心。挨拶のあとに映画を見るのだけど、挨拶が終わったら帰ってしまう人もたくさんいた。何だかなあ。もう見たのかもしれないけど。映画はもちろん字幕なし。コメディ系ラブストーリー。でも所々で台詞がわかって、それは面白かった。字幕が付いている映画を何度も繰り返してみたら覚えられそうな気がしてきた。画面上で何かがあると大ウケするエリアがあるので、そこは韓国人が見ているのだろう。静かな場所はたぶん日本人。どうしてウケているのかはやっぱり最後までわからなかった。そしてエンドロールでみんな席を立ってしまう。映画が終わって10時半。週末なので酔った人も多い。友達と話して歩いていたら、後ろでカップルの男のほうが盛んに「タケシマ、タケシマ」とこちらの気をわざと引くように言うのが聞こえる。彼女に「前にいるのは日本人」みたいなことを言っている。そこでそういうことを言ってどうしたいんだろう。そういう韓国の人がいるとやっぱり腹が立つ。話し合い以前の問題で。明日も休み。ゆっくり寝よう。
2006年03月25日
朝、体の調子が悪くてよっぽど休もうかと思ったけれど、教科書を見たら語尾の「じょ」があったので、これは休めないと思い、少し遅めに出発。地下鉄に乗ると全然余裕で到着。2級の文法はすべての基礎だと思う。ひとつでも落とすとあとが大変。といいつつ、前の日にやったことをすっかり忘れていたりして、授業に出たら出たで成果はあるものの、それを生かせるかどうかは自分次第なのだった。お昼を食べて、帰り道、また前のクラスで一緒だったフランスのクラスメートと再会。下宿がこのそばらしいので、同じような場所でよく会う。大学で勉強を始めていて、日本人がやっぱり多いという。お互い拙い韓国語で交流しつつ。交わす言葉は短いけれど何となく気が合う人っている。午後は部屋に戻って昼寝。しんどいけれど寝たら少し楽になる。夜は中国でお世話になったオンニとミョンドンでご飯。カルグクス(韓国風うどん)が有名なお店で、隣に座った人が日本人だった。オンニ曰く、茶碗を置いてご飯を食べていたら韓国人、掻き込んでいたら中国人、持って口から離して箸でご飯を運んでいたら日本人だという。合っていると思う。あと、日本の人はスプーンの存在を忘れがちですべて箸ですまそうとする。隣で話している日本語が全部わかって、でもオンニとは中国語と韓国語ちゃんぽんで話していて、実は隣の人が何を話しているのか逐一通訳してみたりして、ちょっと面白かった。緊張したけど。そのあとコーヒーを飲みながら日本や韓国や中国の話をいろいろ。韓国語のわからないところやこんなとき何を言っているのか、聞き取れないところを教えてもらったり、有意義だった。もうちょっと頻繁にやり取りしていればよかったなあ。
2006年03月24日
速度は相変わらず速いけど、習っていることは間違いなく大事なことばかりで。独学でやっていたらきっとわけわからなかっただろうなということが多い。2級は特に。すべての基本はここからという感じ。それを後半残して日本に戻るので、力を入れて自分で勉強しないと。スイス人と日本人のクラスメートとお昼を食べる。スイスは生まれたらパスポートが発行されて、4年ごとに更新して、大人になったら10年有効になるらしい。へえ。友達はここで韓国語を勉強しつつ、学校の勉強(イタリア語)とかもやっているらしい。大変だ。部屋に戻ってくる。春めいているけれど風が強い。宿題がないけど、何かやろうか。
2006年03月23日
そんなに遅く寝たつもりはないのに、11時くらいまでずっと寝ていた。疲れているのかな。同じ下宿の友達が自分の語学学校にマンツーマンで習いに行くという。自分もちょうど教科書を買っておきたかったので、一緒について行く。そこのパソコンで、うちのパソコンではできないことをやってくる。韓国語のサイトを使うとき、マックではどうにもならないことが結構多い。帰り道、近所のグランドマートで食料品を買い込む。あともう少しで帰るのだなあ。午後はしばらくイデの教科書のCDを聞いてみる。そんなに集中して聞いていたわけではなくて、何度も何度も流していただけだけど、夕ご飯の時にアジュンマや他の人たちが話していることが前よりも聞き取れた。耳を慣らすのは本当に大事。夜になって残っていた宿題を始めたらずいぶんかかった。なんだかんだで2時過ぎ。3時頃うとうとしていたら釜山の友達から電話。別にお酒を飲んだりしているわけではないらしいけれど。自分もうとうと対応していたのでよく覚えていないや。
2006年03月22日
日本が占領していた時代を伝える建物として、歴史館になっている。日本人3人で行って、自分ともうひとりは中国留学を経験していてハルピンの731部隊の施設にも行ったことがある。入り口は日本が建てた当時の壁が残っていて、ハルピンの施設と煉瓦の積み方や印象が似ている。1500ウォンで入場できる。韓国語と英語の説明は大体についていて、日本語の説明も数カ所を除いてはついている。韓国の独立のために運動をした愛国烈士たちが紹介されている。その人たちがどんな訴状で刑務所に入ることになったのかも資料が並んでいる。刑務所の独房を模した中に人形があって、ずっと「万歳(マンセー)」を叫んでいたり。実際に収容された人は拷問や仕打ちに対抗して、独房の中からも独立を叫んでいたらしい。日本が独立運動家たちを痛めつけるためにどんな方法を採ったか、どんな拷問をしたか、どんな非人道的な場所に閉じこめたか、等身大の人形や再現モデルで展示してある。ツアーで来ているらしい韓国のおばあちゃんたちに囲まれたときはちょっと怖かった。日本語を話せなかった。友達から離れて見ていたけれど、友達はおばちゃんの中のひとりに「何人死んだと思ってるんだ」みたいなことを、今さっき言われたらしい。そう言われたら何も言えない。おばちゃんたちは子細に見るわけではなく、結構スルーしているので「そんなものか」とも思ったけれど、実際に体験している世代だと思うので今さらつらいことを思い出したくないのかもしれない。壁には韓国語で日本に対する罵詈雑言がたくさん落書きされている。不当な裁判でその場で死刑にされてしまう体験ができる場所や、爪にダメージを与える拷問や、電気ショックを与える場面なんかも人形で再現されている。女性が痛めつけられている場面もある。いろんな台詞や悲鳴がテープで流れている。言葉がわかったらもっと気持ちが沈んだと思う。実際の死刑場も残されている。地球の歩き方には「誇張気味に再現」とあったけれど、実際に自分が感じたのは「たぶんもっと残酷でひどいことをしていただろう」ということ。それでも国が無くなってしまうことに比べればまだ耐えうると考えて、抵抗を続けていた韓国の人がたくさんいる。国が無くなるという感覚は、日本で生まれ育っていると本当に実感がない。力のあらん限り「マンセー」を叫び続けている人形を見ると、そのときの韓国の必死な状態が前よりもわかるような気がした。731とはまた違う印象だった。重かった。人を苦しめる目的で作った施設だったせいかもしれない。友達と「なんで同じ人間なのに、どうすれば苦しむとかどうすれば痛いと思うかとか考えるんだろうね」と話をした。日本人だからというよりも、戦争や国と国が争うような状況下では人間が変質していってしまうんじゃないかという話になった。重いまま、近所のインサドンに行き。そこで国営のおみやげ屋さんに入ってモノを買う。お姉さんが日本語ペラペラな人で、包装してくれているときに話を聞けた。友達は自分よりヒアリングができるので、それを後ろからついていって聞いている感じだったけれど。お姉さんは留学したこともないし本を買ったこともないけど、日本のドラマが好きでずっと見ていたのだという。でもそれだけでこんなに話せるのか。それと自分のヒアリングのなさを痛感。ここで勉強はしているけれど、実際に触れて交流する時間が少なかったのは確か。中国語のほうが出番が多かった。日本に戻ってもたくさん聞き続けることはやらないと。刑務所で重たい気持ちになったけれど、明るいお姉さんに会えたのでよかった。
2006年03月21日
昨日から電話が繋がらない韓国の友達がいて、待ち受けの曲が昨日は普通の曲だったのに、今日は韓国の応援歌になっていた。出るのを待つために30秒くらい聞き続けなければいけない。電話に出ないイライラと、韓国の応援歌を延々聞かされるイライラがまざって思わず「ケンカ売ってんのかー」と電話に叫んでしまった。韓国人はすでに臨戦態勢なのか。それまでは日韓野球もあまり興味がなくて、映画館なら空いているのかなくらいに思っていたのに、その応援歌を聞いてから急に大和魂に火がついて、リアルタイムで試合を見たくなった。日本にいたら別に興味がないままかもしれない。でもソウルの駅とか、大画面で中継が映されていてみんな集まって見ていたりする。テレビもずっとその話題ばっかり。周りが韓国を応援する人たちばかりだと「ちょっと待って」と言いたくなる。下宿で仲の良い友達と見ようと思って部屋に行く。よく考えたら友達は在日なので、「どっちを応援する?」と聞いたら「韓国」と返ってきた。友達曰く「すごい韓国が好きな友達(日本人)がいるから、その人に聞いてみたら、応援するのはやっぱり日本なんだって聞いて不思議だった」と言われる。まあ、自分も在日の人は日本で暮らしているのだから日本かな、と予想したりしたのが外れたので、不思議なのは同じかもしれない。小さい頃から、いつの間にか韓国を応援していたらしい。こっちを応援しなさいとかしようとか意識したことなくそうだったらしい。お父さんお母さんも韓国人だけど、そういう影響以外に、いつの間にかという感じらしい。日本が何かファインプレーがあると「ちょっと日本ーー!!」と叫んでいたりするらしい。結局友達の部屋で観戦。友達はそんなに興味がないらしく、勉強しながら。7回で点が入って「よっしゃー」と思わず声が出てしまう。そこから韓国の守りが甘くなってきて、日本としてはいい感じ。雨で中断したときに部屋に戻る。違うチャンネルで、本当のリアルタイム、中断後の試合をやっているのを発見。それでリアルタイムで勝ちを確認。そして、今日は韓国の友達の電話はやめておこうと思う。たぶん取らない。東大門市場に行って買い物。春物の服を買う。あと2週間なので残高とも相談しながら。
2006年03月19日
昼間、行ってみた。値段は変わらず5000ウォン。ロッカーがかなり埋まっている割には、サウナの場所には人が少なかった。最近は単語を持ち込んだりしないでただ寝ころんでいる。湿気が少ないせいか、熱い中でも寝ていられるようになった。たぶん日本に戻ってもたまに行きたくなるんだろうな。数日前、銀行で大コケしたためにお尻に大きな痣があるのを発見。青あざではなくて黒に変色している。直径が5センチ以上ある。痛いはずだ。でもこの肉が守ってくれたおかげで骨とか大丈夫だったんだろう。それにしてもちょっと。
2006年03月18日
雨がしとしと降って、雪ではないもののやっぱり肌寒い。授業は普通に進んで、まあ何となく先生も前よりは書き留めてくれるようになった。すべての人に質問を回さないで次に行ってしまったり、生徒の話に興味がなさそうな感じは直っていないけれど、それはもうこの先生の性格なんだろうな。お昼は近所の駅地下にあるフードコートへ。帰る方向と逆のほうにあったので、教えてもらわないとわからなかった。食べ終わったあともお茶を飲みながら日本人4人で話をしていたけれど、いつのまにやらお客さんが集まってくる。日本対韓国の野球があったのだった。みんな熱心にテレビに見入っていて、自分はそこで見ていても平気な感じだったけれど、友達は「居づらい」と言って外に出ることになった。自分があまり野球に興味がないから平気だったのかもしれない。韓国の人は国を挙げたゲームがあると、熱心に応援する。その盛り上がり方は少し羨ましい。日本だと結構醒めている。盛り上がっている中に混ざっていると高揚した気分もおすそ分けしてもらえる気がして、嫌いではない。自分たちが退席して30分もしないうちに、韓国が勝ったらしいのをニュースで知った。繰り返し野球のニュースを流していて、その中でイチローが吠える様子なんかも出ている。悔しそうだ。自分たちの国でも、勝ったらこういう報道の仕方だろうから、それは別にいいやと思う。早めに寝る。
2006年03月16日
学校は休みなので、クラスメートと景福宮へ行った。朝鮮王朝の歴代の王たちが生活していた場所。京都御所みたいな感じ? 地下鉄の駅を出るとすぐに大きな門が見える。今回は日本語の音声案内も借りてみる。歴史とかを知らないからな。いくつもの門がある。王が即位式をする一番厳かな場所や、王が生活した場所、会議をした場所、お后や子供が住んだ場所。ハングルを作り出すときに研究を重ねた場所。お客さんが来たときに宴会をする池の中の建物などなど。建物ごとにも説明書きがあって、韓国語と英語、中国語、日本語の説明がある。実際見学に来ている人も日本人や中国人が多かった。説明を見ると、大体の建物が「文禄・慶長の役のとき焼失」、1800年代後半に再建しても「日帝時代に焼失」「日帝時代に撤去」の憂き目に遭っている。1990年代に景福宮を再現するプロジェクトが始まって、民間交流や政府間の交流で日本が持っていた元の資材なんかを受け渡したり、新しく造ったりして今の景福宮がある。旧朝鮮総督府があった場所。そういえば総督府の建物を撤去するときニュースになっていたな。友達の彼氏は韓国人で、歴史的なものを奪われてしまったことに対してはやっぱり恨みがあるという。もし、京都御所がアメリカによって焼かれたり、ニューヨークに移転されたりしたらたぶん自分も腹が立つ。過去から連綿と続いていた自分の国の歴史をなくされてしまうわけだから。とても大きくてきれいな建物だけれど、それがほとんど1995年以降に再現されたもの。2009年に全部の復元が終わるらしい。守衛の交代式を見ることができたり、付属の民族博物館で衣装を見たり、住宅の様子を見たりして面白かったけれど、日本人としては「そうだったのか」と思うこともいろいろあって、考えさせられた。その足でインサドンへ行く。お土産を探すのにとても良い場所。そこを抜けて銀行で両替。何だか態度が悪くてイヤな気持ちになったのに、階段で足を滑らせて尻を打つという失態もやらかしてますます早く帰りたくなる。部屋に戻って大人しく宿題。月曜日に、ずっと見続けていた83年版「大奥」が終わってしまった。ちょっと気が抜けたなあと思ったら、昨日から03年版の「大奥」が始まって、つい見てしまった。今日は少し眠いので見れないかもしれない。
2006年03月15日
授業の宿題は自分のふるさとを紹介するということだったのだけれど、そのときにどうも気になる。ひとりが話しているときに先生は真ん中に立って「そう、そう」と聞いているだけで、その中に他の人が知らなそうな単語が出てきても書き出すこともなく、紹介の内容に踏み込んで話を盛り上げるでもなく、次の人に「じゃあ、どうぞ」という感じ。立っているだけならわかりづらい単語を書いてくれれば理解の助けになるのに。文の重要な要素である動詞や名詞は学生の発音で聞いただけではわからないこともあるし、人の発表の間に「それって何ですか」と口を挟むわけにもいかない。でも先生ひとりが「ああ、そう」と納得して、他の人は他の人の答えががわからないまま進んでいたりする。韓国人の先生なのだから2級の学生に難しそうな単語に注釈をつけることはできるはずなのに、全然動かない。授業の進み方が速くて、質問があるか聞かれても、質問を考える時間もない。先生は質問がないならみんながわかったと思ってどんどん進んでしまう。唯一の同期だったベルギー人のクラスメートは今日からひとつ下の班へ移ってしまった。前の先生だとそのクラスメートがつっかえていても何か助けになる言葉を教えたり、調べている言葉を一緒に見たり、とりあえず「わかろう」という姿勢があったのに、今の先生は溜息をつきながらただ苛ついた感じで待っているだけ。クラスの中でも「速くてわからない」という人と、「遅い生徒に合わせられるとしんどいから今のやり方がいいと思う」という人がいて、それぞれ。授業が終わったあとで、拙い韓国語で「ひとりひとり話しているときにみんなが知らない単語があるはずだから、書き出してほしい。書き出せば自分で調べられる」と言ったら「みんな程度が違うのだから、誰が何を知らないのかがわからないので書けない」とか「みんな書き出していたら時間がない」とか言われる。そういうことではなくて。語学力がないので直接的なことしか言えず「今までの先生は違った。前の先生のほうがよかった」と言ったら、先生の顔が赤くなってきた。頭に血が昇った様子。でも昇ってくれるくらいでちょうどいい。話を聞いている間も「まだ話すの」という態度がみえみえでイヤだったから、感情の反応があるならしめたもの。血が昇ったあとに先生が「じゃあ、そういうことなら院長先生に直接話しますか」と言われる。おう。結構冷静でいられたので、せっかくの機会だし、韓国語の練習にもなるし、そうしてもらうことにした。こういうことは中国にいたときにだって経験している。先生が出ていったあとに、荷物をまとめながら一緒に話を聞いていた日本人の友達と「自分はこういうことを言いたいんだけど」みたいな話をしていたら、前の先生がたまたまなのか話を聞いてきたのか、教室に来てくれて「大丈夫?」と声をかけてくれた。事務室の前まで行くと女性の院長先生が「昼ご飯を食べているので少し待って」というので、前の先生と座りながらちょっと話す。その先生にも最初の頃に「もっと書き出して下さい」という話をして、ていねいな言葉を習っていなかったときだったので今思えば失礼な物言いでいったのだけれど、それでも先生は「あのときはびっくりしたけど言いたいことはわかった」と言ってくれた。その言葉がものすごくありがたかった。今の先生はコミュニケーション自体を拒否してしまう感じ。語学の先生という仕事をするのならそれはちょっといけないだろ。院長先生が来て個室で話をする。どんな問題があるのか話してみて、と言われたので、とりあえず自分が言える範囲で、言いたいことを言った。今まで自分はいろんな先生を見てきて、みんながいいと判断する先生はこういうやり方だったし、こうした方がいいと思う、みたいな。院長先生が「わかりました」と言ってくれる部分もあったし、「こういう事情もあるからこうもあり得る」と反論されたこともあったけれど、自分が伝えたかったところでは「わかった」と引き取ってもらえたので、よかった。自分ができることはやった。これで次の授業に変化があるならいいし、ないならそういう先生なんだと思って、あとで自分がうまく理解できるように授業を聞くなり、家で工夫するしかない。前の先生はちょくちょく今の教室に顔を出して「どう?」と持ち上がりで2級にいる人たちを気にしてくれる。教え方は1級の前半の先生が上手かったけれど、そうやって学生に関わろうとしてくれる姿勢がとても嬉しい。遅めに家に帰る途中、前のクラスで一緒だった在仏韓国人の友達とばったり出会う。お互いに「あーー!」と言って手を取り合い、でも言葉を知らないので「うぉぉ」と声にならない声を出す。韓国人の彼氏も一緒だった。友達は別の大学で勉強を始めているはず。これからフランス語の家庭教師のバイトに出かけるところだったらしい。友達は英語とフランス語が話せる。自分は日本語と中国語。共通語がお互いに拙い韓国語しかない。勉強しよう……。一足先に帰った日本人のクラスメートとお昼を食べる。その足で延世大のグローバルラウンジに行って、コーヒーを飲みつつ、どんな授業がいいのかいろいろ語る。その友達とは少し意見が違っていたのだけれど、今の先生には踏み込みが足りないんじゃないかという話では一致した。友達の彼氏は延世大の人なので、挨拶をする。彼氏は日本語を独学で勉強したらしく、外国人発音だけれど会話に問題はない。みんなすごいよ。部屋に一度戻って、地下鉄に乗って、一緒に夕飯を食べる約束をしていた中国人の元クラスメートに会いに行く。彼女の旦那さんがまた韓国人。今日はこれで3組目だ。そういえばホワイトデーだ。彼女たちは中国留学中に出会ったらしいので旦那さんは中国語が話せる。3人で久しぶりに中国語。完全ではないにしても、言いたいことを言うときは中国語の方がまだまだ便利だと思う。焼肉とビール。地下鉄に乗って帰る。明日は休み。
2006年03月14日
昨日の夜、遠出から戻ってきたら、部屋からネットができなくなっていた。今までは差し込むだけですぐつながってくれたのに、パスワードだかユーザー番号みたいなものを入れないとダメみたいなことをいわれる。今までも急につながらなくなって(まるで回線を繋いでいないかのようなつながらなさ)、でも次の日はよくなっていたりしたので、今回もそのくちかもしれない。そんなわけで今は学校から打ってます。この先直らなかったら外から更新する事になりそうです。面倒だ~~。ソウルは一週間前なら13度とか12度の春めいた天気だったのに、今日はマイナスの天気で雪が舞っている。冬物大活躍。家でおとなしくしています。宿題と復習やらないと。***家に戻って試してみたら、普通に繋がった。昨日今日は何だったんだ?でも宿題と復習はやらないと駄目です。
2006年03月13日
3日ほどお休みします~。
2006年03月10日
授業はつつがなく終わり。前の先生たちに比べると、やっぱり少し流れ作業的な部分もあり。生徒も先生もサバサバやっているのは大学にない特徴かもしれない。3級の友達と同じクラスの友達と4人で、弘大の近くのトンカツ屋さんでお昼を食べた。美術系の学校の周りだけあってお洒落な感じの店が多い。トンカツも柔らかくておいしい。世間話もはずんで、お勘定もすんで、道を歩いていたら。お店の人が追いかけてきたので、てっきりお勘定を間違えたのかと思った。ら、友達のうちのひとりにキレイに結んだメモを渡して頭を下げて戻っていった。友達がメモを開いたら、英語で「もう一度会いたいので、ぜひ連絡を下さい」と書いてある。おおお、ラブレター。友達は可愛い人なので、それもありだと思う。でもそういう現場を初めて見た気がする。世間話ではその友達の彼氏が韓国の人なので、結婚はどうするんだとか、さんざん盛り上がっていた(日本語で)。その間もずっと気にしていたのかなあ。その手紙の是非はともかく、直接そういうものを手渡せる勇気はすごいと思う。他の友達も、タッカルビ屋のお兄さんとご飯を食べる約束をしたら、いつの間にやら家に呼ばれて家族に紹介されたりしていたらしい。日本男子とは何か違うものさしが働いている感じ。何かピピピッと来たら真っ直ぐなんだろうな。
2006年03月09日
スイス人のクラスメートと待ち合わせて、東大門市場へ春物の服を買いに行った。お互い韓国語が入門者レベルなので、韓国語でやり取りするものの、表情の読み合いの方が重要だったかもしれない。両替が必要ということで、東大門駅近くのショッピングビルで両替。生まれて初めてスイスのお金とパスポートを見た。ユーロじゃないんだ。へえ。うろうろしながら、自分は着るもの、友達はカバンと靴を見る。安いカバンを見つけて2万ウォンと言われて、自分はもっと値切れると思ってお店の人に言おうと思ったら、友達は「大丈夫大丈夫」と言ってそのままの言い値で買っていた。お国の違いなのか、友達が若いせいか、お金を持っている人の感覚なのか。友達は89年生まれ。自分はうろうろして迷ったりする時間が長いのだけど、友達はぱっと欲しいものを見つけて、ぱっと買っていく。買い物がうまいなあ。お店の人も、友達は韓国人とのハーフなのでちょっと西洋風な顔立ちなのと、ばりばり東洋系の自分の顔を見て、何語で話しかけていいのか迷っている感じ。英語で話せば友達が反応して、日本語で話すと自分が反応する。韓国語は簡単なのだったらみんなで共有できる。お店の人に「友達にこう伝えて」と言われるけれど、英語ができない自分は無理。友達曰く、スイスは英語とフランス語が必須で、スイス語を家で話しているらしい。英語は2年学校で勉強して話せるようになったという。羨ましい。なので10年勉強してなぜ話せないのか、心の底から不思議そうな顔で聞かれる。こちらも心の底から不思議な顔で返すしかない。ちなみにスイスではドイツ語を選択して勉強することも可能らしい。クラスのハンガリーの人も「ヨーロッパの人は3つ4つ話せても普通」みたいなことを英語でばばばと言っていた。日本語だけで一生行ける日本人にはちょっと不思議。春用の羽織るものとニットを買って帰ってくる。英語の必要性を痛感した一日。韓国語の次だな。いつになるかわからないけど。
2006年03月08日
学校に行く途中、前のクラスの先生にばったり会う。すでに懐かしい気持ち。4日しか経ってないけど。クラスは日替わりで席を替えていいらしく、今日は英語圏のど真ん中に席を取ってしまった。というか自分が座った周りに英語を話す人が後からたくさん座ったのだけど。簡単なことは何とか聞き取れるけれど返事が韓国語(それも文法と単語が怪しさ満点の)。でもその席のおかげで、明日スイス人の女の子と服を買いに行くことになった。春に着るものがない。彼女はおばさんが韓国人で、スイスから来たお兄さんも一緒に住んでいるらしい。お兄さんはドイツ語を話すらしい。でも家では英語ばっかり話しているらしい。自分も下宿にいると日本語だけの生活になってしまうので、彼女と無理矢理にでも韓国語を使う状態にいたほうがよさそう。お互い通じなくてもどかしいと思うけど。最初はみんなこうだし。お昼は通学途中にあるトースト屋さんで。ベーコンハムトースト。コーンを入れ込んだ卵焼きと、はちみつも入っている。独特の甘みでおいしい。疲れているときに効きそう。部屋にちょっと戻って荷物を置いて、近所の映画館へ。平日なのでかなりガラガラ。チケット売り場も人が並んでいない。「淫乱書生」の韓国語読み「うむらんそせ」を1枚、と言ったら「2時半からのですか」と言われて「はいー」と答えてホッとしていたら、わからないことをババババっと言われて「すみませんわかりませんー」と答える。1人か2人か聞かれて1人と答えたら、チケットが手に入る。7000ウォン。地下のスクリーンだった。400以上の座席があるらしい。でも埋まっていたのは4分の1くらい。休日はすごいんだろうな。この映画はこのシネコン内で3カ所かかっているのだから。興行収入が2週連続1位だったらしい。流行りの映画を現地で見られるのはやっぱり楽しい。映画が始まる。韓国語なのでほぼわからない。たまに本当に簡単な言葉がわかってちょっと嬉しかったり。内容は、ハン・ソッキュが演じる昔の官僚階級の士人が、官能小説に出会って自分で書き始めたことから巻き起こるいろいろ。コメディ。言葉がわからなくても俳優さんの仕草の間や表情が面白いし、何を言っているのか大体想像がつくので結構笑えた。大の大人が頭付き合わせて、真面目な顔しながらどうしようもない相談をしていたり。あの時代の韓服は格好いいなあと思う。布を贅沢に使って男の人の衣装でもふんわりしていて。映画の中の衣装は中間色の落ち着いた色が多かったので好印象。ハン・ソッキュは「真面目だけど、どこかとぼけた感じ」を出すのがうまくて、それを見ただけでも今回は行った甲斐があった。前半はコミカルな状態が多かったけど、後半は愛情が絡んでちょっと重い感じ。最後はいいのかあのオチで。真面目な顔をすればするほどおかしみが。というか本人は大真面目なんだろうな。こういうの大好きだけど。日本でも公開されたら見たい。何を言っているのか知りたい……。
2006年03月07日
また新しいクラス。回転が速い。持ち上がって勉強するのは5人。新しく来た人が5人。日本人が6人、在日韓国人が1人、ベルギー1人、ハンガリー1人、スイス1人。英語を話せる人が5人。休み時間はやはり英語圏。中国語を話す人がいなくてちょっと寂しい。先生も替わった。キレイな人だけど字が小さい。もっと大きく書いてほしいといったら「席を替える」とか「もっと前に来れば」みたいな話になるのだけどそうではなくて。黒板で仕事をする人にしては罪作りなほど小さい。大きく書くと疲れるといわれるけれど、それは先生の仕事の範疇なので頑張ってやって下さい。先生の会話が急にグレードアップした。というか、今まで習ったことをふまえて話すのではなくて、本当にナチュラルなスピードで自由に話している感じ。これが本当の話し言葉だろうから慣れた方がいいんだろうな。隣のハンガリーの人は自分よりあきらかに年上。英語が話せないと言って韓国語で対応しているのに、ナチュラルスピードの英語で話される。わかるときもあればまったくわからないときもある。英語が話せる日本の人に助けてもらったりして。でもその人の韓国語はクラスの中で一番流暢だと思う。なんで使わないのかなあ。1級の初っ端に比べると、先生にお任せではなくて自分である程度準備をしたり復習をしたり、新しいことを仕入れたりしないといけない感じ。級が上がるに連れてこういう傾向になりそうな気がする。お昼はクラスの日本の人と、偶然会った3級の人と、下宿の人とでタッカルビ炒飯を食べる。3級も1級も、後半のクラスは2人とか3人らしい。いいなあ。前半のクラスはどこも混んでいる様子。その足で映画館に行って、ハン・ソッキュの映画「淫乱書生」(書くとすごいタイトルだけど一応コメディ)の上映時間を確かめる。観客動員数が先週1位だったらしく、その映画館もスクリーンが9個あるうち3つでかけている。1時間ごとにどこかでその映画が始まっている計算。韓国語がわからなくても笑えるという情報があったのでそれを信じて明日行ってみよう。途中、アイスクリームを買って部屋へ。急に暖かくなった。釜山に行く前に春物を買わないと着るものがない……。CDで今日の復習をする。イデの教科書もちょっと見る。
2006年03月06日
下宿の友達は在日の人で、日本人と結婚する予定だけれど、そのままだと国際結婚で子供とも苗字が違う状態になってしまうらしい。そんな諸々がいやなので結婚を機に帰化(という単語も変な感じがする)をするつもりらしい。友達は三世で学校も日本の学校に通っていて、国籍以外は本当に日本人と同じ。でも帰化するためには裁判所に行って手続きが要る。いろんな条件をそろえて、それでも時間がかかるという。日本人と結婚、なおかつ日本で教育を受けているなら簡単だと思ったのだけれど「結婚は理由としてまあまあ有利な方」程度らしい。家族全部が帰化、とかならまだ認められやすいけれど、ひとりだけというのはしづらいことらしい。いろんな世界があるよな。イデの教科書で勉強して、昼寝して、チムチルバンへ。そこでその教科書のダイアログを日本語に書き直したのを持ち込んで、ひとりで寝そべって韓国語の文章をぶつぶつつぶやく。覚えていると思っても曖昧な場所があったり。急に春めいた陽気になったせいかチムチルバンは空いていて、のんびりできた。アカスリのタオルを持っていって磨く。一週間に一度くらいは行きたい場所。湯船につかるとやっぱり気持ちがいい。心地よい疲れで家路に。
2006年03月05日
午前中はイデの教科書で勉強して、ちょっと昼寝。友達から電話があって来週の釜山のためにキップは押さえておいた方がいいという話をされて、ソウルへ帰りの電車の予約をしにいく。乗り換えて1号線に乗るのだけれどストのせいなのか本数が少なくなっていて、ホームに人がごった返している。久しぶりに超満員電車に乗る。ソウル駅は思ったほど混乱していなくて、窓口もいつもより人が少なくてあっという間にキップは買えた。確認で3階の改札口まで行ってみる。みんな電車を使わないで行くことにしたのか、混乱はない。ただし掲示板を見ると1時間に2本くらいしか運行してなかった。でも行こうと思えばどうにか手段がありそうだと思って一安心。お盆の羽田みたいにもっとすごいことになってるのかと思った。夕方から、前同じ下宿にいたけれど1ヶ月の東南アジア旅に出て帰ってきた友達とお茶。今の下宿の友達も一緒に。アジアで韓国の人に出会う確率は結構高いらしく、そこで韓国語が話せるとちょっと優待してもらえたりしてよかったらしい。昨日新しく下宿に到着した人とも合流して近くでネンミョン。その人は自分たちの親世代。というか自分と同い年の娘さんがいるらしい、アジュンマ。在日の人で韓国にも親戚がいるので今までも年に数回韓国を訪れる機会があったらしい。でも韓国語はできない。旦那さんも在日の人で、旦那さんは韓国語が話せるらしい。激動の韓国を体験している人なのでいろんな話を聞く。その人の親世代はがっちり日本からの独立運動にも関わっていて、大変だったらしい。友達は韓国生活も長くて精通しているのでその話に乗っていってちゃんとやり取りができているのだけど、自分はどこからどう話に参加していいのかよくわからなくて、しばらく聞いていた。光州事件とか、何となく名前は知っていても事情は知らないし。戻ってネットで「光州事件」を調べてみる。ウィキペディアに大韓民国の歴史が乗っていて、読み始めたらこんがらがってきて、結局ノートを広げてまとめてみる。日本が関わる近現代は何となく流れがわかっているけれど、45年以降の韓国を知らない。映画を見ていてもクーデターや当時の状況が背景として描かれていることがあるのに、知識がないのでそのまま流していた。ウィキで知ったこと。今の大統領が第16代であること、憲法の改正に合わせて歴史学的に第一共和国から第六共和国まで区分けができること。大統領選は間接投票になったり直接投票になったりしていること。北朝鮮のように国民が異を唱えられずにお互い疑心暗鬼でいなければいけなかった時代が長かったこと。軍政や独裁で何度か政府による弾圧や虐殺を経験していること。日本の現代史も総理大臣がコロコロ変わって覚えづらいなと思っていたけれど、韓国もこの数十年の間にいろんなことがあったのだと初めて知る。その辺を歩いているおじさんおばさんはみんなこれを経験してるのだなあと思うと少し見る目が変わる。自分が知っている韓国はソウルオリンピックより後だからなあ。第六共和国まで見終わって朝。寝る。
2006年03月04日
新しい学期は月曜日からで、急に金曜日がお休みになる。というか元から休みだったのを急に知ったというのが正しいのか。中国人の友達とソウル大公園にある動物園に行った。大公園というだけあって、本当に広い。冬季で平日なのでがらがら。半額の1500ウォンで入れた。パンダはいなかったけれど、象やキリンやライオンはちゃんといたし、いるかのショーもあるらしい。マップを見ながらくまなく辿る。ふかふかした動物の毛並みを見るのも楽しいし、珍しい動物を見るのも面白いけれど、一番面白いのはその檻の中にいる動物同士の関係を想像すること。同じ虎でもずっとべたべたしている組があると思えばすごーく離れたところで眠っている組もあるし。生まれたばかりの子供だけを管理している棟があって、小さい虎がじゃれ合っているのを見たり。一匹、他の虎の顔を叩くのが大好きなのがいて、叩かれた方も何かイヤな顔をするのだけどずっと離れずに絡まっていたり。お昼前に待ち合わせをして5時間ぐらいずっと回っていた。その間ずっと中国語を話していた。たまにわからないけれど何とか。そういえば朝ご飯の時に中国語も話せるアジュンマに「自分の中国語は韓国語の級で言ったらどれくらいか」と聞いたら「4級」と言われた。妥当だ。5級になりきれないところにいる気がする。5級と言われたかったけど、その割にはわからないことが多いからなあ。仕方ない。夕方、下宿の友達と喫茶店で4時間くらい話して帰ってくる。一杯5000ウォンだけど、ケーキも付いて長話をしていたら2回も紅茶ポットをサービスしてくれた。のでかなりお得なお店だと思う。ほどよくお客さんが少ないし。戻ってネットをして、今日は寝る。
2006年03月03日
級の最後の授業の日なので成績表が出た。テストの問題と復習をしたあとで、ひとりひとり小部屋に呼ばれて受け取る。先生のコメント付き。欠席もなかったし読み書きはまあ問題がなかったけれど、発音はやっぱり日本人的な発音になってしまうらしい。パッチムの音とか。「ありがとう」の「かむさはむにだ」はひらがなで表すとこうなってしまうけれど、実際の音は「む」は子音だけで実際に「む」と言っているわけではない。でも日本人は音を子音で止める習慣がないので母音まで言ってしまう。日本人が話す外国語を真似られるとき、この音が強く発音される。聞いていて「何か変」と思うので、自分の発音もこうなんだろうな。写真などを撮り合って、終わり。クラスの半分はもう違う学校へ行ったり自分の用事を済ませるために次の学期は来ない。回転が速いなー。戻って昼寝して、また買ってきた教科書を広げてみる。中国語と違って、韓国語の場合は繰り返し聞いた文章が耳に残りやすい。くり返したあとは、ニュースや会話の中で比較的簡単に勉強した音を見つけ出すことができる。歌詞を辿りながら音楽を聴いたり、教科書の長めのダイアログを聞いたり、意味と音を繋ぐ練習をすると効果大。やればやっただけ、わかるようになると言っても過言ではないかも。だから面白い。すぐ効果が現れると楽しい。出てきた文章も暗記してしまえば結構そのまま使えそう。全部を使わなくても語の繋げ方の法則が何となく体に染み込む。開拓する場所がとても広いので、その分すぐ「新しいことをやった!」感があってお得。
2006年03月02日
午後から、クラスの中国人の友達と本屋へ買い物に行った。違う学校の教科書を見る。偶然3級の日本人友達と会ってどこに教科書があるかとか教えてもらう。友達とは普通に待ち合わせて、普通に行く。ちゃんと中国語で意思伝達できてるなあ。3月1日なので市庁の前では何か催し物が。「てーはみんぐ!」と言いながら踊っているのでサッカー関係かな。その他にも国旗を掲げてのデモをいくつも見た。独立運動の記念日だけど、それとは関係なさそうなデモもありそうだった。日本人がうろうろしていても平気な雰囲気の。教科書はいろいろあって、でもCDを手に入れて本が足りないから買う1冊と、文法の本だけにしておく。小学校で使う普通の国語や算数の教科書も売られていて、自分たちが使う教科書の10分の1の値段だった。それにしても子供連れでにぎわっている。出生率が日本と同じくらい低いらしいけれど、子供を見かけたり集まっている状態を日本よりたくさん見る。日本より子供が多いような気がする。近くの喫茶店でお茶をして、友達が3月から通う大学の下見をして、ビビンバを食べて帰ってくる。中国の人なので主語がない話し方に慣れないらしい。一度、電話で「家へ行く」と言われて急いで部屋の掃除をして待っていたら、友達の部屋ではなくてその電話主が自分の家に帰るだけだったとか、その手の失敗はいろいろあるらしい。中国にいたときよりも中国語を話す時間の最高新記録を作った気がする。友達は中国語で吐き出す機会が少なかったらしく、マシンガントーク。たまにわからなかったけれど、でも何とかこなせてる。へえ。来週末にまた釜山に行くつもりで周りの友達に「行くよ」と知らせていたけれど、今韓国の鉄道がストに入って危ないかもみたいな連絡を受ける。えー。でも10日近くあるから収拾をつけてほしい。他の友達に連絡したらその友達は「たぶん大丈夫」という。そう信じつつ。買ってきた教科書とCDで1つめのダイアログを勉強してみる。自分よりは高度な文法と連結の仕方をしていて、知らない単語もいっぱいある。でも普段使えそうな表現がいくつも入っているので暗記してくり返すだけでもよさそう。そういう意味でやる気になれる教材だった。当たり。会話を暗記してみたら、中国語より結構楽に感じた。声調を気にしなくていいせいかもしれない。中国語の声調は今でもあやふやで、今日も友達に「4声だよ」とか「2声が連続だよ」とか教えてもらう。こっちがまだまだだ。
2006年03月01日
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