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「川崎病に警戒警報発令?」 【梅の咲きだす頃】 川崎病患者が増え続けているという。 川崎病とは、おもに乳幼児にかかる急性熱性発疹性疾患(小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群)である。 1961年日赤の小児科医川崎富作先生が発見したので命名されたもので、神奈川県の川崎市や、その周辺から発生した、大気公害による喘息とは一切関係ない。 日本の患者数は年々増加しており、2010年の患者数は12755人に上り、世界的にもこの疾病は増加傾向にあるという。 わが国の累積患者数は相当な数になるであろう。 統計から試算すると、成人青年10人にひとりがこの病気に罹っていることになるという。 この病気の症状は、まずカゼと良く似た症状が出る。 ところが風邪の対処療法ではなかなか改善されず、そのうち舌や皮膚に発疹が出て、首周りのリンパが腫れだしてくる。 川崎病の最も恐ろしいのは後遺症である。 血管が充血しコブがあちこちに生ずるが、心臓動脈血管にも出来てしまうからである。 そのコブが破裂したり、詰まってしまうと重大な心臓病を誘発し、死に至る場合も多い。 発症から10日以内に適切な治療がされないと、かなりの確率でその後遺症が残るといわれている。 そうなれば、一生涯観察や治療を続けなくてはならないという。 原因は未だに確定されていない。 治療方法としては、免疫グロブリン(血液製剤)がある。 しかし、その治療を施してもコブが残る場合もあるという。 現在は免疫ブロブリンにステロイド(ホルモン剤)療法を合わせて行うと、コブの出る率が減少するといわれている。 また、血漿交換療法といって血漿を入れ替えることにより良い結果が出ているという。 最良の方法は、兎に角早期発見と適切な治療であるという。 これだけ医療が発達してきても未だ原因の分からない病気が沢山ある。 川崎病はその一例に過ぎない。 皮膚血管に炎症ができ、舌が発疹で膨らみ、目などは兎のように赤くなる。 それが乳幼児に起こるのだから、本人ばかりか周囲も大変辛い。 そしてリンパ節が腫れるのだから、たぶん何者かの仕業な筈であるが、感染しないために、その病原菌やウイルスは見つかっていないという。 しかし、血液製剤やステロイドが効果を挙げており、さらに血漿交換療法も高い効果を挙げている状況からして、必ず犯人は血漿や血球中に存在すると考えられる。 僭越であるが、暗視野顕微鏡に広がる血液の世界を見ていると、近代生物学のウイルス定義や、血液は無菌で一切生命体は存在しないという近代医学の常識が、如何に中途半端で危ういものかが垣間見られる。 縁あれば、川崎病患者さんの血液像を是非診たいものである。 そして、その時が訪れた際には、新たな改善策も既に手中にあるのかも知れない。 旅人よ、その門に鍵はかかっていない。 叩けば開かけん! 叩かなければ、永久に開くすべもなし! 願わくば、縁というこれも目に見えない小さなつむじ風の来訪である。 そのつむじ風は、梅が咲き始めるころ良く吹くという。
2012年02月21日
【ゆがんでいる日本農政】(4) 「農政官僚のための農政」 これ以外に、農地整理事業や、水利のためのダム・河川事業、道路事業など日本の農業につぎ込んできた資金は実に膨大なものがある。 その結果は、小中零細農家は減少し、現在では世界でも上位規模の農業国になったのは確かである。 しかし、多くの棚田は石垣が崩れ、平地の一等地でさえ、ススキや萱が茂っているところが多い。 余剰米は倉庫に溢れ、低温保存のため高い管理費は消費者米価を上げ、カビに侵された有毒な古々米が悪徳業者の懐を温めた事件すら過去に発生した。 これも農家の一方的なエゴを、政治家が後押した結果である。 しかし、それだけではない。 ここまで衰退してしまった日本の農政には、さらに実権を握って来た農政官僚のずる賢い思惑があったからに他ならない。 国民に占める農家の割合が高く、貧しかった頃は、農林水産省や県の農政課の役割も大きかった。 それに伴う研究機関や企業も多かった。 しかし現在では農家はかなり効率化され、構造改革されて、結果として農家の所得も増え豊かになった。 過去の多くの農業問題は殆んど解決したのである。 しかし「農業問題がなくなった」と言ってしまうと、そこで働く官僚達が一番困ってしまうのである。 農水省の仕事はなくなり、予算も削減されてしまう。 老後を豊かに暮らせる横滑り先や、天下り先もなくなってしまう。 例えば要員比較をすると、米国の農務省の人員は、農家600人に一人である。 日本の場合は、農水省職員一人当たりの農家数はたったの7人である。 単純に官僚数をとれば100倍多いということである。 その他、多数創り上げて来た外部団体への天下りや、農協や農業関連企業、食品業界らへの横滑りなど、農政省も他の省と変らないどころか、むしろ大規模なものである。 頭が良い人は、逆にとると悪知恵も働く。 頭の良い人、切れる人を暇にしておくとロクなことにならない。 こうして造り上げられてきたのが、「カロリ-ベ-スの食料自給率」であり、厳しすぎる「賞味期限」であり「古々米倉庫」ある。 本来もっと美しい棚田や田園には、石垣や土手が崩れ、ススキや萱があちこちで茂り、コンビのごみ箱は賞味期限切れの弁当で溢れ、山合いの廃棄物埋め立て場は、食料廃棄物の悪臭で埋まる。 食料廃棄物についてもう少し触れておきたい。 2007年の日本の食品廃棄物総量は1135万2千トンだったという。 わが国の食料生産量5000トンの比較では2割強となる。 この廃棄量は、世界一食料消費国である米国を上回り、断トツの世界一である。 一方、同年の発展途上国への世界食料援助総量は、740万トンで日本の食品廃棄物量は、これを遥かに上回っている。 もし日本の食品廃棄物1135万2千トンを全量援助に回せたとすると、年間3000万人分の量に相当するという。 さらにこれを貧しい途上国の人に援助できたとすると、5000万人を救えた量だったという。 世界は今この時にさえ、1億人が飢えに苦しんでいるという。 その約半分の人の食料を、日本がマザマザト廃棄してしまったことになる。 この世界に恥ずべき数字を造り上げているのが、厳しすぎる賞味期限である。 では賞味期限とは、一体何だろうか? アフリカの飢えている人や、日本においてすらつい最近まで、賞味期限など腐っていない限りあるはずもなかった言葉である。 確かに食の安全は大切である。 が、厳しすぎるとこのように無駄になるばかりか、その保持のために余分な食料添加物などを混ぜている。 その添加物が、ガンなど多くの疾病の原因だとする研究報告も数多く出されている。 こうなれば賞味期限こそ藪蛇である。 私欲のために甘やかせ、そのために故意に無駄を造り、山河を傷つけ、行きつく果ては国を滅ぼす。 光圀翁がこれを知ったら何といわれるであろうか? さらに灼熱のジャングルで、日の丸の為に戦い、子孫のために戦い、餓死して逝った多くの御霊達・・・。 いまいちど、それを思うべし! そこにこそ帰るべき時である。
2012年02月20日
【ゆがんでいる日本農政】(3) 「農政官僚のための農政」 1. 日本の食料自給率40%は嘘である。 日本政府の食料自給率は、1968年来から生産額ベ-スによるものであった。 農業物貿易自由化交渉の頃から突如「カロリ-ベ-ス」による食料自給率が出て来て、これが列記されていた。 ところが突然理由もなく1995年には「生産額ベ-ス」は削除され、「カロリ-ベ-ス」のみで表示されだした。 ここに隠された重大な理由がある筈である。 その理由を探ってみる。 そもそも農水省の目的は、農業の健全な復興をうたいながら、実は食料供給のために創られた組織である。 農水省は明治時代から、独占的な食糧輸入商社の機能であった。 法の保護の基、実態は輸入した食糧を右から左に動かすだけで大きな利益を生んでいたのである。 それが自由化交渉により独占権益が失われる可能性が出て来たため、突如「カロリ-ベ-ス」を主張し出したのではなかろうか? 1995年には今まで30年以上列記されてきた「生産額ベ-ス」は完全に消去されてしまい、国民に広報されているのは「カロリ-ベ-ス」だけである。 どうしてそんなことをしたのだろう。 「カロリ-ベ-ス」とは食料をカロリ-に換算して算出する方法である。 分母は国民一人当たりの供給カロリ-、すなわち、国産に輸入を加えた消費仕向(供給)量を品目別に熱量換算して人口数で割る。 注目は分母の「供給カロリ-」とは実際に我々が摂取しているカロリ-ではない。 厚生労働省の採用している「供給カロリ-」とは、「摂取しているカロリ-」と「廃棄処分されている食品カロリ-」も合わせたものなのである。 廃棄処分とは食品工場や、コンビニ、ホテル、レストラン、飲食店、一般家庭での食べ残しも入っているのである。 分母が大きくなれば当然自給率は下がるのである。 こんな計算をしている国は世界で日本だけである。 さらに主要各国の自給率も農水省の官僚が国連統計から導き出して勝手に計算して発表している。 これらはすべて、日本の農政官僚による自作自演のものといえるのである。 そして、実は奥の手もある。 厳し過ぎる賞味期限を設け、どんどん貴重な食品を廃棄処分させれば自給率を下げるのは簡単である。 日本の主食はコメである。 食料自給率が40%を切ると騒がれると、多くの国民はその米作りを何とか続けて欲しいと思う。 ところが日本のコメは質の良さや味などを考慮しなければ、世界水準より数倍も高価なのである。 従って、政府は米価を一定にすることによって日本のコメ農家を一貫して保護してきたのである。 すべての基本原理の競争をさせるのではなく、過剰保護してしまったのである。 戦後、本来農業国であった日本は、多くの政治家にとってみると農業従事者の票は、自らの首を繋ぐ黄金の票田でもあった訳だ。 そして近代化された日本人の庶民の嗜好は、時代とともにパンやうどんやスパゲティ-など多様化していき、コメは益々余剰となり、その傾向は年々強まってきてしまった。 そこから出た愚策が休耕地補助政策である。 保守政党から反対勢力までの全政治家が皆賛成するため、奇妙な農政がまかり通ってきたのである。 本来豊かなコメが獲れる水田の青狩りや、休耕をすると一定の補助金が出るなど、一般人には到底訳のわからない政策を進めて来たのである。 (つづく)
2012年02月18日
【ゆがんでいる日本農政】(2) 「日本は世界的に誇れる農業国である!」 1. 実は日本は農業大国である。 1-1)日本の農業規模は小さくない。 2005年の農産物生産量は5千万トンもある。 1960年には4700万トンだったのが、300万トンも増加したのだ。 この間農家数は六分の一にまで減少したので、大きな構造転換がなされ、日本の農家規模はもはや小さくなく、国際的にも誇れる近代農業国である。 1-2)「農業GDP」でも高位であり、生産性も高い。 2010年の国際的な判断となる「農業GPD」では5位、農家一人当たりのGPDも6位と世界に誇れる高位である。 1-3)高い農業技術 特に品種改良技術は世界でもトップクラスで、イチゴを例に挙げると、世界に約600種ある登録種の中で日本は180種以上保有で世界一。 農業に関する研究も盛んで、各県に農業試験場や農業学校、国立大学にも農学部がある。 世界の農業研究開発に占める日本の予算額は約30%も占めている。 1-4)農業所得も高く、裕福である。 日本の平均所得を百とすると、農業所得は百二十とかなり高い。 近年、農家が貧しいという声は聞かないし、実質経済的にも農家は豊かなのである。 それに更に日本の農家は兼業が多い。 食料は自前で獲れて、さらにサラリ-でも稼ぐ。 兼業農家は一般のサラリ-マンより数段、裕福な農家も多いのである。 (つづく)
2012年02月17日
【ゆがんでいる日本農政】(1) 「日本の農業は貧弱か?」 過日、農業関係者達が大騒ぎしたTPP個別交渉がいよいよ始まった。 「日本の食料自給率は大変低いから、有事の時は大変である。 これをかさ上げして自給率をもっと向上させ、そのための援助施策も重要視しよう」 戦後の農業施策は、主に米農家を保護するためにひたすら上記の旗印を基に執られてきたといえよう。 しかし実際のところは、一体どうなのであろうか? 歴史と実績があり、さらにベ-ルに包まれている分野はなかなか部外者には見えないものである。 昨年の福島の原発事故も、そんなところから発生してしまったともいえる。 専門家の偉い先生方が安全だと云うのだから、超一流の立派な会社が取り組んでいるのだから、さらに政府では安全を管理する委員会まであり、政府も全面的に協力しているのだから・・・・。 そして起こった事故は、想定外では済まされない大事態となって、被災地に生活基盤を置く多くの方々の生活ばかりか、人生全てさえ翻弄してしまったのである。 今後事故の終息までには30年以上の年月と、復興事業には膨大な要員と血税を必要としているのである。 さて、TPP問題で、先頭に立って大騒ぎしていたのは農業団体であった。 この業界も歴史があり、政治や行政にまで影響があるが、一般人にはなかなか分かりにくい世界のひとつである。 その意味では原子力業界と似ている。 食料自給率が40%を割ったとマスコミでは大騒ぎしているが、電車に乗れば、田園の中に雑草の茂る休耕田があちこちに見える。 別の日にマスコミは、森林が伐採され耕作地に造りかえられているのが地球温暖化原因の一因である。 世界は人口増加に従い、耕作地が不足し重大な食料危機が目前に迫っているともいう。 矛盾だらけで、頭の悪い小生にはなんだかさっぱり分かりにくい。 「もったいないな!」思わず頭いっぱいにこの言葉が満ちる。 戦後の食料不足で、サツマイモやカボチャの茎まで食した経験のある小生には、休耕田の雑草の茂る風景は心に刺さる棘のようだ。 農業技術通信社の浅川芳裕氏が某雑誌に「本当はこんなに強かった日本の農業」という勇気あるレポ-トが寄せられていた。 そこにはその道の専門家が、日本の農業に鋭く迫ることにより浮き出された驚くべき実体が描かれている。 その概略を紹介しながら、農業政策に焦点を当てて見ることにしよう。 (つづく)
2012年02月16日
「先人の絆の上にいる我ら日本人」(2) 【ありがたや!】 西岡夫妻の任地はブ-タン北部の標高2400メ-トルに位置し、農業には不向きな土地であった。 その上農家はどこの国でも慎重・封建的で、従来の農法を変えようとせず、さらに監督者はインド指導者により行なわれていた。 苦悩した西岡さんの結論は、こうなれば自ら試験農場を開いて栽培して見せるしかないと考えた。 そして当局にかけあい、小さいが試験場を確保することが出来た。 西岡さんは現地の十代前半の少年3名を実習生に迎え、日本から持参した籾と野菜を播いた。 夏をむかえると野菜が見事に成長し、ブ-タンでは8カ月かかるとされるイネモ5月半ばには実り、第一歩はまずまずの成績を収めた。 西岡試験場の野菜は政治家の目にも止まり、種を持ちかえるまでになって行った。 やがて国王の耳にも西岡さんの努力は届き、パロで農園の土地を与えるよう指示が出た。 昭和41年、パロから6キロ下流に広がる斜面を選択し、本格的な日本式農業のモデルファ-ム「パロ農場」の誕生である。 日本から農業機械や種子が援助され、優秀な現地少年達も集まった。 まず西岡さんは稲作に、日本の並木植えを取り入れた。 従来のブ-タン式の田植えは、苗の間隔が不揃いで、除草機も使えず、そのため機械化もできないでいた。 結果は、40%も上回る増収となり、パロ盆地の農家は並木植えに変わって行った。 昭和47年先代の国王が亡くなり、即位された新国王からブ-タン南部のシュムガン地方の総合開発を依頼された。 ここは険しい山と峡谷に囲まれた、生産性の低い焼き畑農業に頼るしかない地域だったが、西岡さんの実績に新国王が期待したのである。 この地域は、車が通る道もない秘境で、収穫も不安定で、村人も定住できず、むろん診療所もなかった。 まず西岡さんは水田を造り、農民の安住を第一に考えた。 幾度も調査を行った後、昭和51年開発に着手した。 村人は開発が村を取り上げられると勘ぐり、強い拒否反応を示し、非協力的であったという。 村人の協力を得るための話し合いが、何と延べ800回にも達したといわれている。 ブ-タン政府も特別予算を組み、日本からもブルト-ザ-などが贈られ、開発は進んで行った。 こうして完成した水路は366本、道路は300キロにおよび、水田面積は60ヘクタ-ルに達し、ついに村人の安住生活が実現した。 昭和55年開発が完了し、その結果、生産性は飛躍的に上がり、村には診療所と学校が建設されるまでになった。 こうした西岡さん夫妻の貢献に対してブ-ダンは、「ダショ-」と呼ばれる最高の爵位を授与した。 西岡さんはその後も農業指導に活躍したが、平成4年現地で59歳の若さで生涯を閉じた。 この時ブ-ダンは西岡さんの恩義に報いるため、外国人には異例の国葬をもって応えた。 ダショ-・ニシオカ、 この日本人の名を、ブ-タン国民で知らぬ人はいないといわれている。 西岡さん以外でも昔から沢山の日本人が、世界中に技術や生活指導などで活躍して下さっている。 今この時でさえ、自己の利益を越えて、海外援助活動に日夜邁進していてくれている。 今や日本人の優しい手が届かない国はないであろう。 このように、戦前、戦後を問わず同胞である日本人の行動が、さまざまな国の人々に愛と友情、そして優しさと与えて続けて来てくれたのである。 その結晶が、この度の大災害に世界中が見せてくれた優しさなのである。 日本の海外技術援助には、大掛かりなダムや橋、道路などを建設する土木工事など莫大な資金を要するものと、西岡さんの行なったような地道な技術援助のものがある。 大きな資金の要するものには、大抵両国の為政者や大企業・商社が複雑に絡み合い、彼らが巧みに動いて陰で甘い蜜を吸っている場合が多い。 そして現地ではメンテナンスが上手く出来ないため、折角の施設も、数年で錆つき放置されてしまっているダムや、給水施設なども多いと聞く。 これから日本のやるべき海外援助は、物資援助に偏らず、西岡さんのような息の長い援助に舵をとるべきである。 さて、人の世は、与えてこそ、与えられる。 待ちぼうけしていたのでは、絆は決して生まれない。 この度の大災害に対して、世界中から温かい手が差し伸べられたのも、先人が与える行動をしていてくれたからである。 先人と日夜精進してくれている多くの人々に心から感謝しつつ、今生きる我々も、後から続く者達のために、この絆の糸を切らさないよう、たとえ少しでも紡ぎ続けなくてはならないと思う。 今は、この絆の糸をつぐんで下さった先人に、改めて「ありがとう!」と言いたい。
2012年02月12日
「先人の絆の上にいる我ら日本人」 【ありがたや!】 昨年東北・関東地方を襲い、大被害を被った3.11からもうすぐ1年を迎えようとしている。 余りにも、特に津波の規模が大き過ぎたために、被災地では2万人に迫る犠牲者を出したばかりか、生活の基盤である住居や学校、役場や公共施設、道路、港湾設備や社屋、工場、店舗と、すべてを根ごそぎ失ってしまった。 それに加え、福島原発のメルトダウンによる放射線災害は、未だに先行きが見えないまさに想定外の災害であった。 復興は、まるで春を待つ立春のいまどきの季節のような、状態といってよいだろう。 さて、災害後、実に沢山の国から、心温まるお悔やみに添え、沢山の援助物質が届けられた。 その中に災害に毅然と向かい合う被災者の姿に、感動を込めた賞賛の言葉も添えられていた。 互いに利害関係が強い友好国米国や西欧各国なら理解できるが、台湾やバングラディッシュ、ブ-タンなど意外な国から、相当額の援助物質が送られてきたという。 これらの国の援助額は、全体で見ればたしたことはないように思うか、その国の国民総所得から計算すると、先進国の数倍、数十倍にも匹敵する高額なものである。 どうして自分達の生活をも犠牲にする程思いやり、そこまで応援してくれるのだろう。 ありがたくて、頭を垂れ、手を合す以外ない。 感謝!感謝!である。 さて、しかし、そこには確たる理由があるのだ。 昨年秋、ヒマラヤの東端にあるブ-タンから若き国王ご夫妻が来日し、国会での演説や、被災地訪問など実に心にしみる行動をとられた。 そして、ブ-タンは日本と違う人生の価値観があると、マスコミをはじめ多くの方が感銘したのであった。 しかし、国王ご夫妻がそんな行動を起こしたのは、理由があった。 その絆を創ったのは、日本の永年に亘り続けて来た海外援助行動であり、そこには志をもった日本人がいたのである。 1964年コロンボ計画の農業専門家として、日本人西岡京治さん夫妻がブ-ダンに派遣された。 西岡さんは昭和8年朝鮮半島のソウルに生まれた。 20年11月に日本に引き揚げ、大阪府八尾市に帰還した。 西岡さんは大阪府立大農学部卒業ご大学院に進み、大阪府立園芸学校の教師となり結婚した。 その後、大阪市立大学川喜田助教授率いる西北ネパ-ル探検隊に参加してヒマラヤ地方の調査を体験した。 そして同大学の恩師、中尾佐助先生を隊長とする東北ネパ-ル学術探検隊が編成され、西岡さんは副隊長として加わった。 中尾先生は以前マナスル登山を成功させた、日本山岳会マナスル登山隊のメンバ-であった。 ブ-タンとの関係は中尾先生がすでに持っていて、西岡夫妻がブ-タンとのきっかけをつくってくれた。 中尾先生が接触した当時のブ-タンは鎖国中で、近代化が遅れていたが、昭和33年にブ-タンに招かれ半年ほど調査を行うことができた。 その時、中尾先生はブ-タン首相から農業の専門家に来てもらって、ブータン農業の改革の要請があった。 そして昭和26年発足した、南方アジアの開発援助のための「コロンボ計画」に、日本も昭和30年に援助国として参加した。 その時設けられたのが、海外技術協力事業団、現在の国際協力機構である。 中尾先生の推薦で西岡夫妻が派遣されたのが昭和39年4月のことであった。 (つづく)
2012年02月10日
【店頭からヨ-グルトが消えた】(6) 「ウイルスとは?」(5) <ウイルスは何モノだろう?> その定義は、専門の高尚な学者先生に任すとして、暗視野顕微鏡から観察してきた私の今時点のウイルスに対する見解などを述べてみたい。 暗視野顕微鏡で見られる世界の倍率度はマックス1万倍程度である。 これは、電子顕微鏡の倍率より100倍程度落ちる。 しかし、血液に焦点を合わせて見れば、赤血球や白血球は画面上にしっかり捉えられ、特に白血球の好酸球やリンパ球、血小板等の構造やその動きさえも捉える事が出来る。 そして、一番の特長といえば、血漿(血清)の内部にさまよう様々なものも捉えることもできるのである。 光学顕微鏡や、電子顕微鏡では決して見えない生きた世界が見えるのである。 そしてバクテリアや細菌のレベルなら、殆んどはっきりした形や動きまでも確認できる。 この顕微鏡で見えている世界は、ミクロの世界は十分観察できるし、100ナノの世界もかすかに血漿(血清)の中で揺らぐのも見える。 高精度の光学顕微鏡や電子顕微鏡さえこの揺らぎは決して見ることができない。 まさしくその先のDNAや分子の世界はその揺らぎの世界に存在する訳である。 その世界こそ、水を媒体に原子や分子やアミノ酸、DNA、タンパク質、糖類や脂質、無機類(ミネラル)らが、混ざり合い、紡ぎ合い、うごめく合う最小生命体発祥の世界でもある。 そして暗視野顕微鏡には、ガストンネサンがいうソマッチドやエンダ-レインのいうスパ-ミットが、夜空の美しい星のように輝き躍動する姿を捉えることができる。 ここからウイルスを想像・推測すると、もしかすると、その大きさからソマチッドやスパ-ミッドの最小のモノが、それに類するものかも知れないと思うことすらある。 未知なる世界を想像するのは楽しい。 私の思考では、生命の発生は、まずウイルスのような規則正しい構造体を持つ物質が、物理的・化学的作用により原子、分子から創られる。 次にそれが、水という優れた特性を持つ物質の環境下で、その中でも特に水の電気的双極性により、エネルギ-(光・温度・音など波動ネネルギ-)の自由な伝達性を得て、最初で最小の生命体が誕生する。 また、水は、生命にとって有毒といわれる高レベル放射線の影響すら遮断できる。 従って、水のないところには生命は恐らく誕生したり、存在はできないだろう。 次にそれが周囲の環境(光や振動エネルギ-・温度・圧力・湿度・PHなど)により様々な方向へ発達し、更にいくつかの最小生命体が多数集合し合い、やがて核ができて行く。 最初で最小の細胞である。 これはたぶん、ペシャンやエンダ-レインもその優れた思考の中で、すでに想像していたことと思う。 そして環境に順応するよう様々な生命体が誕生し、さらに環境に対応するため細胞は集合し合って新しい生命体を造って行く。 進化とはまさにこのような生命同士の共生から起こって行く。 共生によってのみ、さらなる進化が達成される訳だ。 人類としての今の私の体は、生命の進化の創造物であり、沢山の共生微生物が創り上げ生きている最端の現場でもある。 宇宙で星が誕生する世界と、極小の生物の誕生の世界は異なる様で、まるで瓜二つの様ではなかろうか? 分子が集まって物質やDNAなどを造って行く。 その極小の生きた世界を見るためには、今の暗視野顕微鏡の精度の100倍は欲しい。 そうである、電子顕微鏡レベルの暗視野顕微鏡である。 しかし、光の周波数では限界である。 X線レベルの周波数の世界で、生きた世界を観察出来れば、物質ができ、DNAができ、ウイルスができ、やがて生命が誕生して行く様を見ることができるだろう。 宇宙の果てはビックバ-ンから137億年でまだ膨張しているという。 では微小の世界の探求はどこまでいっているのだろうか。 電子、中性子、陽子、そして、クォ-クの世界に挑戦し出している。 そして宇宙開発始め、量子の世界の探求等には大勢の科学者と巨額の費用が注ぎ込まれている。 しかし、大きな目で捉えると、人類は宇宙に進出できたと云っても、せいぜい月レベルである。 一方、深刻なのは人間自身を構築している生命の世界である。 生物学・医学の分野では、DNA技術を利用して作物の新種改良をして、まずは金儲けができる方向には、人材や資金を惜しむことなくつぎ込んでいる。 しかし、細胞の仕組みを解析して、細胞を作り出すなどの技術分野には、人材や資金は極めて少なく、関心も極めて乏しい限りではなかろうか。 暗視野顕微鏡で垣間見える、DNAと細胞の間の陽炎のようにゆらぐ世界にこそ、生命の本当の謎を解く鍵が隠されていると私は推測している。 そしてそこにこそ、病気の原因を解くカギや、豊かな一生を健康で楽しく長生きする為の部屋の鍵も、必ずや隠されている筈である。 (完)
2012年02月09日
【店頭からヨ-グルトが消えた】(5) 「ウイルスとは?」(4) <ウイルスの定義?> ウイルスを定義するのは難しい。 ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。 もし生命の定義を「自己複製するもの」としたなら、ウイルスはまぎれもなく生命体である。 ウイルスが細胞に取りつき、乗っ取り自らを増殖させていく様相は、寄生虫となんら変わらない。 しかしウイルスの粒子単体を見れば、無機質で、硬質の機械的な構造物に過ぎず、そこには生命の律動は一切ない。 ウイルスの定義について論争の決着はいまだについていない。 そもそもそれ以前にウイルスはどのような条件で発生したのか? その議論については、ほとんどされて来ていない。 炭素や酸素、窒素などの原子や分子から、タンパク質や糖、脂肪などが合成されていく。 これらの反応を引起すためには、一定の環境条件が不可欠である。 そしてこれらの反応は、化学反応として解析することが可能である。 さて、それより高度なウイルスの発生にも必須条件がきっとあるはずであると思う。 大気中の何処か、水中や地中の何処かで、必ずその反応は行なわれている筈である。 私的に思考を加えて行くと、例えばインフルエンザウイルスなどは、高湿度に弱い特性がある。 これは逆に、誕生のいきさつが乾燥していた場所を意味していると捉えてもいいだろう。 すると、この類のウイルスは常時乾燥している地域、例えば砂漠などで発生したか、今でも発生している可能性があると推測される。 大抵のインフルエンザは冬季に大流行するが、日本を例にとると、大陸の乾燥した台地を駆け抜けた偏西風の時期と一致する。 インフルエンザウイルスの故郷は、インド、中国、モンゴル、あるいは中東の砂漠周辺ではなかろうか? いずれにせよ、節分を過ぎたとはいえ日本列島は、これから黄砂が舞う季節である。 インフルエンザのウイルスが、その中に潜んで集団で夜毎襲ってくることに、一層の注意が必要である。 (つづく)
2012年02月07日
【店頭からヨ-グルトが消えた】(4) 「ウイルスとは?」(3) <ウイルスの正体?> ウイルスを見ることが出来るようになったのは1930年代以降、すなわち電子顕微鏡が開発された以降のことである。 野口は1928年、アフリカで黄熱病により客死しており、ウイルスの存在を知るよしもなかった。 電子顕微鏡で捉えたウイルスは、今までの病原体と違った非情に整った幾何学的な風貌をしていた。 あるものは正二十面体のような多角立方体で、あるものは繭状のラセン状の構造物。 そこには大小や個性といった偏差がなく、限りなく物質的であった。 またウイルスは、栄養を摂取することもなく、呼吸もしない。 従って、ニ酸化炭素や老廃物も排泄せず、一切の代謝を行なっていないのである。 ウイルスを精製して特殊の条件で濃縮すると「結晶化」もできる。 この特性は、ウエットで不定形の細胞ではまったく考えられないことである。 なぜなら、結晶は同じ構造をもつ単位が規則正しく充填されていて初めて生成するからである。 この点でウイルスは鉱物に似た物質といえる。 ウイルスの幾何学性は、タンパク質が規則正しく配置された甲殻に由来しているという。 しかし、ウイルスは単なる物質と一線を画している特性がある。 それは、ウイルスは自らを増やせる、つまり自己複製能力を持っているということである。 この能力は、タンパク質の甲殻の内部に鎮座する単一の分子に担保されているのだ。 これがDNA(=核酸)もしくはRNAである。 ただウイスルは単独では何もできない。 ウイルスが複製を始められるのは、細胞に寄生することが条件なのである。 ウイルスが増えるプロセスは、細胞の表面に付着した場合、まず内部に向かって自身のDNAを注入する。 宿主細胞は何も知らず、その外来DNAを自分の一部と勘違いして複製を次々に行なって行く。 やがてウイルスで一杯になった細胞膜は破裂して、ウイルスの塊は一斉に外へ飛び出していく。 (つづく)
2012年02月06日
【店頭からヨ-グルトが消えた】(3) 「ウイルスとは?」(2) <ウイルスの発見> ウイルスが発見されたきっかけは、1890年代のことで、ロシアの研究者デイミトリ・イワノスキ-が、タバコモザイク病から病原菌を見つけようと実験した時であった。 イワノスキ-はタバコモザイク病に罹った病葉をすりつぶし、素焼きの陶板で濾過してこの病原菌の正体を見ようとした。 通常の病原菌は素焼きの陶板の細かい穴を通過できない。 例えば大腸菌や赤痢菌のような単細胞は、どんなに小さくても直径1~数マイクロメ-トルで、素焼きの穴はこの五分の一か十分の一以下であるから通過できない筈だ。 ところが濾過水を健康なタバコの葉に擦りつけると、タバコモザイク病が発現したのである。 単細胞生物の十分の一以下では、光学顕微鏡の解明度では捉えることが出来ない。 そこで実験を繰り返したイワノスキ-は、小さな細菌の存在を想定するしかなかったのである。 その後しばらくして、オランダのマルティヌス・ペイエリンクがタバコモザイク病の研究を再検討して、濾過水の中に「生気をもった感染性の液体が存在する」と主張した。 これが細菌とは異なる微小な感染粒子の存在を初めて提言したもので、ウイルスの発見の瞬間だった。 今日ではウイルスの最初の発見者はイワノスキ-となっていて、ペイエリンクの名は余り知られていない。 (つづく)
2012年02月05日
【店頭からヨ-グルトが消えた】(2) 「ウイルスとは?」(1) 今年のインフルエンザは、4年ぶりに香港A型だという。 これはインフルエンザを引起すウイルスのタイプが、香港A型ということである。 冬期に気温が下がり、湿度が低下した時期に、インフルエンザウイルスは活性化して、これに侵された動物が発熱、頭痛などの症状に襲われる。 主に免疫力に問題のある老人や子供に感染が広がるばかりか、成人でも運が悪ければ死亡することもある感染病である。 近年になって特に恐ろしがられているのは、動物間の感染が非常に少なかったインフルエンザ感染がその常識を越えて、感染して来る現象である。 致死量が60%以上といわれる鳥インフルエンザ問題で、世界中が大騒ぎしたのもつい最近である。 さて、このウイルスの発見も実は20世紀前半の1930年代以降のことで、これも歴史から見れば最近のことといえる。 ウイスルは電子顕微鏡が発明された1930年代以降のことである。 生物に異常を起こす病原体は非常に小さい。 人間が肉眼で捉える事ができる最小粒子の大きさは、目の良い人でおよそ直径0.2ミリメ-トル(200マイクロメ-トル)程である。 病気を引起す病原微生物はたいがい球形をしているが、その直径は0.001ミリメ-トル(1マイクロメ-トル)程度である。 そのため肉眼では見えなかったために、多くの感染症に人は近年まで恐れ慄いてきた。 しかし1590年頃に光学顕微鏡が発明され、徐々に病原菌の正体を突き止められるようになったのである。 1590年頃イギリスのロバ-ト・クックはコルクの細胞を発見。 1674年にはオランダのレ-ウェン・クックが200倍率の顕微鏡を造って水の中の微生物を発見した。 1882年には医師であったロベルト・コッホが、600倍程度の顕微鏡で当時人類を苦しめていた犯人である結核菌やコレラ菌を発見した。 1889年には、ドイツでコッホの下で研究していた日本人医師、北里柴三郎が破傷風菌を発見、純粋培養にも成功し、それに伴い治療法も開発した。 また北里は、当時香港で流行していたペストに着目、現地で研究の結果、ペスト菌を発見した。 1897年には志賀潔が、北里が日本で開設した「伝染病研究所」において、赤痢菌を発見した。 そして日本人の細菌研究者としての極めつけは、千円札にも印刷されている、世界的英雄とされている野口英世である。 彼は、アメリカのロックフェラ-医学研究所のサイモン・フレクスナ-の下で、次々と新たな細菌を発見した。 梅毒、ポリオ、狂犬病、トラコ-マ、そして黄熱病と一時はノ-ベル賞候補に噂される程であった。 1928年、野口は西アフリカで実験対象の黄熱病に罹って客死してしまった。 じつは、1930年代電子顕微鏡が発明された以降、野口の発見した狂犬病や黄熱病など多くは、病原菌ではなく、ウイルスであることが分かった。 ウイルスの大きさは20~970ナノメ-ロル(nm){=0.02~0.97マイクロメ-トリ(μm)}と余りにも小さい。 病原菌をサッカ-ボウルとすると、ウイルスはピンポン玉位なものである。 野口の見ていたものは、実は違っていたのである。 そのため、近年においてはアメリカはじめ世界から見た野口への評価は、非常に低いのである。 野口が不幸であったのは、当時の顕微鏡では対象の犯人が見えない世界であり、その顕微鏡で見えた世界も、ウイルスにより影響を受けた異様な世界であったのではなかろうかと推測する。 野口はウイルスにより命を落とし、ウイルスによりその偉大な名声まで奪われてしまった、ウイルスの最大の犠牲者ともいえるのではなかろうか? (つづく)
2012年02月04日
【店頭からヨ-グルトが消えた】 「真冬の珍事?」 「不況だ!」 「増税が必要だ!」 「大きな地震が来るぞ!」 「すごい寒波だ!」 「太陽の活動が、どうもおかしい?」 マフラ-で出来るだけ耳をふさぎ、サングラスで出来るだけ視界を絞り、口に大きめなマスクをして、出来るだけそっと歩いても、近頃五感に届いてくる情報は、実に暗いものばかりである。 出来ることなら、いま夏真っ盛りのオ-ストラリアの海辺にでも行って、思い切り陽を浴び、風を感じながら深呼吸したいものである。 しかし財布を見なくても、それは小生には当然無理である。 また、99.999999%の日本人も私と同じ境遇であろう。 しかしそんな中、今年一番の良報が全国を早馬のように、駆け巡っていった。 一番目の早馬は「インフルエンザに罹らない方法があるぞ!」と言っていたようだ? 続いて二番手の早馬からは、「ヨーグルトが効く!」と確かに言って過ぎ去った。 続いて来た三番目の早馬からは、「それはR-1だ!」。 はて? これは、一体何のことなのだろうか? 早速、インタ-ネットに飛びつきで検索すると、既に皆さん承知のような、おおよそ次のようなことである。 R-1とは、某メ-カ-(=明治乳業)が、数あるヨ-グルト菌の中から、選択したもので、今回のものはブルガリア菌ヨ-グルト株(1073R-1菌)から抜粋したものである。 「R-1」とは1073R-1菌の略称ということである。 大騒ぎになった原因は、九州のある町の保健の先生が、R-1ヨ-グルトのインフルエンザに効果があるという効能に注目して、メーカ-の援助を受けながら、このR-1を3カ月間小学生に摂取させたという。 その結果、周辺の小学生に比べて、インフルエンザに罹った確率が十分の一程度に止まったというのだ。 どうしてそんな効果があったのかという理由について、学術的にはまだ証明されていないようであるが、どうやら免疫細胞の一つであるNKキラ-細胞を活性化するということらしい。 ヨ-グルトは牛乳を発酵させたもので、平たくいうと一定条件でカビ化させたものである。 西欧の多くの地方は牧畜の文化圏では、古くから乳製品を保存のためカビを活用して加工してきた。 チ-ズやヨ-グルトはその代表製品である。 特にブルガニアは世界でも長寿の国として有名で、近年になってその理由の一つがヨ-グルト等乳製品にあるという結果が証明されてきている。 ヨ-グルト菌は発酵により、多くの多糖類を産出する。 この多糖類が、体内の免疫力を上げる効果があると既に確認されている。 おそらく、NKキラ-細胞など人体防衛の免疫細胞が、多糖類が大好きで、これを食すると元気百倍になるということである。 私共男性が、元気を出そうとすると、餃子を食べたり、ニンニクを食べたり、近頃では直接ニンニクのエキスを体内に注射する者さえいる。 NKキラ-細胞の好物は、多糖類なのである。(ニンニクにも多少は入っているかも?) R-1は特にNKキラ-細胞が大好きな多糖類を多く含むということらしいのだ。 {貴方もニンニク注射に走るのも良いが、たまにはNKキラ-細胞のことも考えて見て下さいな? なにしろ、風邪をひいたら元も甲も有りませんからね。 それに、R-1は、ニンニク注射より数段安上がりですよ!} さて、NKキラ-細胞の役目は、ウイルスを食べる(殺す)ことである。 特にR-1は、インフルエンザウイルスが得意らしいのである。 ヨ-グルトにはLG-21という種類もある。(ここで断わっておくが、明治乳業からは一銭も頂いておりません。) この製品は胃潰瘍や十二指腸潰瘍、胃がんや十二指腸がんの原因となるピロリ菌に効果があるといわれている。 多くの疾病の原因は、細菌かウイルスといわれてきた。 がんすらウイルスという研究者もいる。 細菌は光学顕微鏡で見えるが、ウイルスは見えない。 この実に厄介者を退治してくれるとは、R-1とはすごい奴である。 では、問題のこのウイルスとは一体何なのであろう? 分かっているようで実は分かっていない? 直ぐに効果を実験したい性格の小生は、早速スタッフにR-1の注文を依頼した。 すると、R-1は何と在庫切れで、10日以上待ってほしいという。 これが2週間前のことであったが、最近ではあらゆるヨ-グルトが、メ-カ-を問わず商品棚から消え出したという。 まさしく、真冬の珍事である。 小さい子を持つ親や、受験生、老人、成人に至るまで、インフルエンザは怖い疾病である。 一歩間違うと死ぬ場合すらある。 1億2千万人が、一斉にヨ-グルト棚を目指したとしても分かるというものである。 明治やヤクルとの株式を持つ勝ち組の資産家は、今期の配当が多いに楽しみであろうが、負け組・貧乏組の小生には、せいぜいR-1の到着を待つ間しかない。 その間暇だから、このウイルスとかいうものの正体を少し追っかけて見ようと思う! (つづく)
2012年02月03日
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