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【どうした韓国?どこへ行くのか韓国!】韓国でフェリ-の事故が発生して72時間を過ぎた。フェリ-の名は「セウォル号」と云い、日本から買い上げて改造を加えた船歴を持つ。降雨と強風に加え、霧が発生していた悪天候の15日夜半、珍島に向かっていた同船は、韓国南西部沖で沈没した。原因は荷崩れや、急な操縦などが考えられているが、未だ定かでない。この船には476人が乗っており、179人が救助されただけで、29人の死亡が確認された。今なお、6割近い約273名が未だに行方不明である。おそらく、ほとんどの乗員は船内に閉じ込められていると推測される。驚いたのは、事故の後乗務員が、乗客に向かって「安全のためその場を離ないよう」船内放送をしたという。そのため多くの乗員はその指示に従って客室に待機してしまった。一方、危険を感じた船長以下乗務員は、驚くことに乗客を残したまま我先に、脱出してしまったという。今日のニュ-スでは船長、3等航海士、操舵士の3人が逮捕されたという。日本政府も直ぐに救助の申し入れを打診したが、韓国側はこれを拒否したという。なんとも失礼な返答である。テレビでは、海流が速い海域のため、救助隊は手も足も出ない状態の中、船が次第に沈没して行く何とも云い難い情景を映し出していた。近頃の隣人・韓国はどこかおかしい。前李大統領が竹島に上陸したのをきっかけに、日韓関係は悪い方に悪い方に向かってしまった。そのひとつが在米韓国人団体に従軍慰安婦像を米国都市にまで建造する運動である。次に、昨年には朴大統領が訪中した際、中国の習近平国家主席に中国に、初代韓国統監伊藤博文の暗殺者安重根の記念館開設を依頼したという。それを受けて中国は、暗殺のあった中国ハルビン駅に記念館を開設してしまった。どうみても余りにもヒステリックな異常行動である。ならば今回のフェリ-の沈没でも、中国の応援を受ければよかったではないか!更に韓国の暴走はもう一つある。この23日から25日迄、日本国は米国のオバマ大統領を国賓としてお迎えする段取りであった。これに韓国が、またまた乗っかって、訪韓を米政府に割り込み依頼したという。仕方なく米国は、訪日日程予定の後半、1日半を訪韓に回してしまった。仕方なく日本は米国に、一日前倒しの22日の来日を依頼・調整しているという。国際的にみても、何とも無知・無礼な行動である。そういえば、過去の日韓ワ-ルドカップサッカ-でも同じことが行われた。歴史を見てもこの国は、常に周辺の顔色を見ては、コロコロと方針を変更しながら要領よく、実に上手に生きて来た国である。船長が先頭に逃げ出した今回の事件、きっとやその関係者だけを吊るしあげて、早々に幕引きをしてしまうのだろう。結局、魂の奥深くまで染みついたものは、永遠に消し去ることはできないのかもしれない。これでは将来、「韓国が北朝鮮に統合されてしまう可能性」について、完全には否定できないだろう。「残念・無念である!」
2014年04月19日
「大和撫子の底力」【でかした! STAP細胞の発見】(その4)研究仲間や恩師、理化学研究所、日本中のその分野の専門家、あるいは世論まで、殆んどを敵に回して、たった一人受けて立った大和撫子がいる。その人の名は、STAP細胞の発見者で、世界中からその真偽が問われている渦中の人、小保方晴子博士である。私には卑弥呼の姿をそこに見た気がする。世間の殆んどの批判を一身に受け、凛として立つ神々しい姿に大きな感動を覚えた。自分の犯した初歩的なミスと、それにより迷惑をかけた関係者や国民に深く頭を垂れて詫び、しかしSTPT細胞の実態については、長年の実験から得た真実から、頑として譲らない。それに反して、周りの高学歴研究者達は、自分達が証明できなかったことを理由に一段となって塊を造って彼女を攻撃する。まるで、いじめがはびこる日本の子供の世界そのままを、映し出している。どうしようもなく醜くて、へどが出てくる。もし、小保方博士の証言通りにSTAP細胞が出来た時には、野依理事長はじめ全ての批判した研究者達は、今までに勝ち得た功績と、博士号等を直ちに返却し、職を辞すべきである。さらに、全員髪をそり、丸坊主になるべきである。そして今回の馬鹿げた騒動により、これでまた優秀な科学者達が、日本を捨ててアメリカなど海外に移住してしまうことを、小生はそれを一番懸念する。優れた研究者とは、立派な学歴を持ち、理路整然と理屈を捏ねたり、ノート等に正確に記録を残す人ではない。豊かな閃きを持つ人である。閃きが無く、旧とした理論に囚われている地位の高いだけの学者達にあるのは、唯一、誇り(埃)だけである。「小保方博士」貴女は凄い!「頑張れ!」
2014年04月09日
「桜満開の中で・・・」一昨日、桜満開の東京浜松町で、丸善学院時代の同窓会が行われた。50年以上たった今でも青春時代の懐かしい面々が、20数名集まった。禿げや白髪の小集団だが、素敵な笑顔と声の大きさでは周囲の団体より遥に勝っていた。途中、気の効く幹事が無言で一枚の用紙を配った。そこには母校の顧問で当時有名であった哲学者石丸梧平先生の「人生回顧の詩」が刷られていた。それを見た瞬間、一瞬酔いが醒めた。紹介しよう。【人生回顧の詩】石丸梧平青年よ二十歳にして哲人たれ 青春人生、描きつぶしを許さず四十歳よ、迷いが始まる 両頭倶に裁断せよ 捨と得とは別物ではない七十歳よ、人生初めて楽し 名聞を求めず 食も性も清らかに 死も恐ろしからず 生きること自由自在全員71~72歳に到達!全員、歯→目→マラを通り過ぎて又良し!すべて世にことはなし! 謝・謝
2014年04月04日
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