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【高齢者の役割】一昨日の9月15日は敬老の日であった。昭和17年生まれの小生もいよいよ72歳となり、残念ながらどこから見ても立派にその仲間入りである。久しぶりに晴天に恵まれ、昼前から子どもや孫が自宅に押し寄せて来た。賑やかな笑い声が屋根裏まで満ち、そのため蜘蛛は巣を震わされ、さぞかし驚いていたことだろう。さて、朝から新聞やテレビニュ-スを見ていると、関連の報道も多かった。一様に表向きは高齢の方々を敬っているように見えるが、最終的には高齢化が進みすぎた日本の実態に警告を発していた。「自分はいつまでも長生きしたいが、皆が一様に長生きしてしまうと社会的負担が増えて困る」といっているように小生には感じられた。まずはその見事な実態を詳細に見てみよう。1. 100歳以上の高齢者が54397人(人口比0.04%)2. 80歳以上964万人(人口比7.6%)3. 75歳以上1590万人(人口比12.5%)4. 70歳以上2383万人(人口比18.7%)5. 65歳以上3296万人(人口比25.9%)具体的には、4人に1人が65歳以上で、8人に1人が75歳以上ということである。急激に高齢者が増えたのは、団塊の時代の1949年生まれの方が65歳に到達したこと。ちなみに65歳以上の男女比では、男性1421万人(男性人口の23%)。女性1875万人(女性人口の28.7%)。世帯でみると、高齢者の居る世帯が2086万世帯、問題は単身で暮らす高齢者が552万世帯あることである。高齢になると、正直に捉えると社会的には大きな厄介者である。まず、高齢者には年金を支給して生活を支える必要がある。続いて病気がちになるから医療費負担が急増することである。年々医療科学が進み、そのため再生医療技術は進歩し、また生かすだけの医療技術も進化する一方である。その結果平均寿命は延び続ける。しかし、ソロバンを弾けば、弾が直ぐに足りなくなってしまう。さてさて、こんな状態が長く続くはずはない。ではどうすれば良いだろうか?答えは簡単である。まず高齢者は健康に留意して、できるだけ病気にならないこと。年金の範囲で、できるだけ健康管理に力を入れ、そのために金を使うこと。といって、茶飲み話をするために、病院通いをするなど言語道断である。心無い一部の老人のために、無駄な医療費が若者の大きな負担になっていることをもっと認識すべきである。そして少しでも社会のために働くことである。町内会などボランティアの範囲で活躍している人も多いが、それでは余りにももったいない。出来たらもう一段ギアを入れ直して、もう一度現役に戻り、もっともっとこれからは楽しく働くことである。少子化時代に突入し、近々日本は労働力不足に陥るだろう。それを埋めるのは高齢者の力である。政府は女子の力を使おうとしているが、それに頼りすぎると、良き日本の家庭が崩壊するだろう。日本を沈没させるのも、浮揚させるのも高齢者次第ということである。すべての鍵が、実は高齢者の心の中にあると私は思う。働く場所がない。冗談じゃない。周りを見渡せば、兎追いしかのふるさと休耕田は、ススキやブタクサで埋もれている。水清き山河は、雑木で荒れ果てている。例えば鎌を取り、鍬を握れば美しき故郷は蘇り、生きるための米や野菜などの糧は、いくらでも湧いてくる。これからも、我々高齢者の肩に日本の未来は懸かっている訳である。
2014年09月17日
「統合と分裂」その果てに待つもの?遠い昔、人類はアフリカで進化して誕生したという。そして地球上に広がり、様々な経験が人類独自の多様な進化と文明発展を遂げることとなった。そしてその流れは今もこれからも休むことなく続いていくだろう。近代、特に20世紀に入り、おおよそ地表面を征服尽くし行き先を失った人類は、互いに角を突きあう争いを激化し始めた。最初は小規模の戦いから、勝者が敗者を征服・服従させ、その集団は次第に大規模なものとなっていった。小から大へ、統合への方向である。そのために、それこそ数えきれない戦いが繰り広げられ、その果てに現在の人類の世界があるといってよいだろう。しかし、残念ながら今ある比較的平和な様相をしている世界情勢も、その果てしない人類生存競争の途中に過ぎないわけである。現在の世界諸国は、大衆の意向がより反映される体制がとられている。その方法として、選挙により国家の運営者を選出し、その代表者による議会制度である。第二次世界大戦を経て、世界は共産主義国と民主主義国の2極に分かれた。そして、冷戦を経て世界は新たな方向に進もうとしている。「統合から分裂」の方向である。ソ連が崩壊して冷戦が終焉、EUも誕生し、一時は米国の資本民主主義が世界を征服したかに見えた。中東ではシリアに見られるような、部族間の争いが激化し、ウクライナもしかり、そのための銃による紛争が激化している。英国ですらスコットランドが、独立を主張、スペインでもカタル-ニャ州が独立を主張する民衆運動が激化してきた。英国やスペインの場合、現時点では流石に銃による硝煙の争いには至っておらず、大規模な民主的デモ程度であるが、所詮人間のすることである。いつまた生臭い方向に向かうかもしれない。その場合、科学的、文化的、精神的に進化したと思われる英国やスペインの方がより危険だと私は思う。なぜなら高度な武器や通信手段等殺戮の手段を持っていたり、または手に入れやすいからである。アフリカの民族間の闘争や、イスラムの紛争などは使用する武器がせいぜい小型のロケット弾程度までである。西欧の文化人は教育レベルが違うから、いざ紛争になったとき理性が働くから大丈夫だと大多数の人は思っている。それは、都合の良い、とんでもない勘違いである。反ってその知性人たちが、一度切れたら誰も止めれなくなることは、ドイツ帝国のヒットラ-の行動を顧みれば分かりうことである。ところで、残念なのは、現在の国家分離独立の主義主張である旗印が、みな一様に利己的なところにあることである。いずれも、民族独立とか歴史上の正当性を主張しているが、スコットランドの場合は、海底石油の利権を独り占めしたいからであり、スペインも豊かな貿易や観光による収入源を独り占めしたいからである。日本国で同じことを考えたとしたら、東京に人口が集中しており、すなわち主に稼んでいるのだから、東京が独立しようと云っているようなものである。わかりやすく言うと、「自分たち東京の人間が稼いだ分で、田舎の道路や橋を修理されていることは自分たちには関係なく、自分たちには損な行為である。いっそ地方を切り捨てて東京都を東京国にしよう」。という理屈である。役に立たない尾っぽは切り捨てて分離すれば、自分たちの取り分が多くなり生活が楽になる。そんな実に利己的な発想から始まっているのである。分裂が故に争いが絶えないとして、第二次大戦以降ようやく西欧諸国は統合の道を選んだ筈だ。少し戦が収まり平和が50年ほど続くと、そのおひざ元から再び争いの芽が伸び出してきた。どうしてこのように人間という動物は、自分勝手で争い好きなのだろうか?全く成長していないどころか、退化してさえいる。一方、武器だけは進化の歩を止めていないどころか、加速度的に進化している。少なくとも人類は、核兵器というとてつもなく巨大な武器を手にした今こそ、今までで一番危険な立場にいることを、もっともっと自覚しないといけない。そもそも仮に他人より優れた頭脳や才能を持っっていたとしても、それは誰のものなのであろうか?身体に不都合を持って生まれてきたのと同じではないだろうか?そこをどう捉えるかだけの問題に過ぎないことである。一生を、豊かな才能を独り占めにして、他人を見下して過ごすか、それを分かち合って皆で微笑んで過ごすかの差である。その結果は、硝煙の中でくすぶる灰色の空を見て逝くか、豊かな夕暮れの中、雲間に渡り鳥の姿を捉えながら逝くかの差である。富んで豊かな人ほど、優しくあるべきであると思う。そして、もっともっと人は優しくあるべきであると思う。そして、そう必ずなれると、私は思う。
2014年09月16日
「そこのけ、そこのけ、スマホが通る!?」近頃の乗り物、特に電車の車内は変である。ドアの入口近くに人がギュウギュウ集まった、まさに団子状態である。そんな車内でも、少し奥の通路側は大概楽に立てるくらいに空いている。その原因の第一としては、キャリ-を引っ張る乗客や、大きなリックを背負った乗客が、降りる際の都合を考へ出口近くに陣取るからだ。そして第二の原因は、携帯電話やスマ-トホンを操作する人達の一団のためである。数年前までは、新聞や本を読む人達がこれらの一因を作っていたのだが、今は一変した訳だ。またそれに係る年代や性別も様変わりしている。以前は大半がオジサン族かサラリ-マンで占められていたが、現在の主流は若いサラリ-マンや学生、それに女性たちである。以前は利己主義のオジサンが新聞を大きく広げて、その影響を受けた人々が迷惑を被っていた。新聞の端で顔を擦られたり、ページをめくる音がうるさかく嫌な顔をじっと耐えていた若い女性達。でそれが今では完全に逆転である。お気の毒なことに、オジ様たちは新聞を広げるスペ-スもなく、運よくなんとか新聞を読めるスペ-スを確保した者も、ハンカチのように小さく新聞を畳んで、背を丸めて見ている状態である。おまけにオジ様たちは大概電子機器には弱いときている。過去の仇を一気に取ったようなものである。しかし困ったことに、その一方、スマ-トホンや携帯電話を持つ女性を含めた若い世代は、電車に乗った瞬間から、画面を見てほとんどそこを動こうとしないことだ。後ろに老人や子どもいようが、妊婦さんが居ようが気にもかけていない。気にかけていないのではなく、気が付かなくなっているといった表現が妥当だろう。そればかりでない、電車から降りてくる女性を含めた若者たちは、地上に第一歩が届く前から携帯の画面を覗いるか、スイッチを入れ始めている。前の人、後ろの人のことなど何も考えていない。階段を降りる際も、のぼる際も、歩く際すら、携帯の画面を覗きこみ、さらにしきりに操作さえしている。「よくまあ、つまずいて転ばないなあ?」と感心してしまうことすらある。まさに神業である。でもつまずいて、その巻き添えを食って転んだ人は多いことだろう。オジ様族の一員である小生は、近々までそんなにでもしてやるのだから、さぞかし急ぎで重要な情報交換をしているのだと思っていた。でもよく横目で画面を観察してみると、非常にがっかりした。その内容が、ほとんどが実に幼稚な事柄なのである。女性の場合は、たいがい家族か友人等へのメールである。一部は電子本や漫画、テレビ場面をみている。そして男性の場合は、圧倒的にゲ-ムである。総じて、緊急性のものなどほとんど皆無である。近頃まで、JRはじめ運輸業界は、携帯電話の車内使用を弱者が電波障害を起こす恐れから禁止か使用制約をしていた。メ-ルなど一連のものも同じ周波数であるはずで、通話とどう違うのか説明もなくおかしな話である。また、都内では咥えたばこの禁止や、近頃多発している自転車事故に対しての対策やパトロ-ルは、警察や区、および町会まで総動員して対処している。しかし、携帯やスマホについては対策はゼロに等しい。どちらが事故や様々な社会問題の根になっているのか、分析するか一歩下がってみれば良くわかる。幼少期をテレビゲ-ムで過ごし、成人となってもその物語のまま現実を生きると、何人かに一人くらいは、人を殺して解剖したくなったり、盲導犬に刃物を刺してみたり、あるいは障害者の足をいきなり蹴って逃げる輩などは、必ず出てきてもしかたないことだろう。そこで提案である。「歩いているとき、スマホ禁止!」。「乗り物の車内入口近辺は、スマホ禁止」。「15歳以下、スマホ規制」。「違反者は直ちにスマホ没収、および××万円の罰金」。どうだろうか?それと、もうひとこと。云うまでもなく三輪車から車まで、あらゆる乗り物の運転中は、厳禁が当たり前のことである。「そこのけ、そこのけスマホが通る!?」世の中ではなく、「そこのけ、そこのけ人様が通る!」の当たり前の世の中に、是非戻したいものである。でも、再びオジ様族のはびこる世の中に戻すわけでは決してありません。
2014年09月11日
【試練は裏切らない!】「香川選手に見る試練」ブラジルワ-ルドカップ日本代表選手の中で、一番光らなかったのは香川選手だったろう。その悔しさは彼が一番知っている筈である。また、所属クラブのマンUに帰った後も、出場機会がなかなか無く、ようやく先日の試合に先発出場したと思ったら、直後に負傷退場となってしまった。近頃の彼は、なんとついてない男であろうか!日本のサッカ-界では一番ついていない、或いは乗っていない、選手である。しかし、その彼にようやく光があたり出したようだ。古巣ドイツのドルトムントから移籍の話が進んでいるらしい。ドルトムントは彼の大活躍で飛躍したチ-ムであり、彼もその活躍が評価されて現在の位置を獲得した選手である。彼がセレッツ大阪からドルトムントに入団したドルトムント時代の2011年と2012年には、ドルトムントはドイツリーグで2連覇を達成した。その立役者は、誰が見ても香川といって間違いないだろう。その香川が、古巣ドルトムントに帰れば、きっと大活躍するであろう。人は試練が多いほど、実りも多い筈である。また、試練は決して裏切らない!何故なら、不思議なことに、歴史は皆そう証明しているからである。「頑張れ香川!へこたれるな香川!」(2014・9・30)今朝のスポ-ツニュ-スで、ワールドカップで苦しんだ本田選手が待望のゴ-ルを決め、チ-ムも勝利したことが大きく報道されていた。また海外組の若手選手、柿谷や大迫の活躍も報道されていた。そんな中、今朝(9・1)の新聞には、香川のドルトムントへの移籍も小さく載っていた。これで良い、これで良い訳だ。いよいよ香川が、誰より光り輝く機会が巡ってきた。そして小生には、4年後の次のロシア・ワ-ルドカップが今から楽しみである。彼はその時29歳となり、脂の乗り切った選手になっている筈であり、必ず期待に答えてくれるであろう。「香川頑張れ!輝け香川!」
2014年09月01日
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