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政府の少子化対策は疑わしい。たしかに、少子化対策をいい、担当大臣をおいているが、やっていることがまったく逆だからだ。 政府は、非正規雇用を増やし、低所得層を増やしている。正社員、非正規社員を越えて長時間労働を野放しにし、結婚の機会を奪っている。そもそも結婚そのものが出来ない状況を放置あるいは強める政策を進めておいて、少子化対策とは恐れ入る。 結婚しても出産の前に難関が待ち構えている。産科医院はつぎつぎと廃業している。地域の中核病院でも産科が休止中のところが増加しているという。 医師も「何度当直しても勤務時間にカウントされない。夜中にタクシーでかけつけても交通費すらでない。過労死しても労災認定されない。」「それで患者に何かあれば医師が悪かったんじゃないかとなるので無理はできない。」(週刊金曜日 8月29日号 なぜ「大野病院事件」に世間の注目が集まったのか) そういうこともあって新たに産科医になる人は減る一方だという。 これでは、安心して子供を産めない。 こういう政策を進めているのは、厚労省であり、政府である。少子化対策をいいながら、結婚も出来ない、結婚しても安心して子供が産めないのでは、どうにもならない。 その上、無事子どもが埋めても、子育てに不安がいっぱいというのが現実である。 世界の人口がやがて90億になろうかという時代である。先進国という少数の国が世界の富のほとんどを消費している現状である。先進国の少子化はそんなに悪いことではないかもしれない。 だが、結婚を希望するものが結婚でき、子どもを欲しい人が安心して子どもを産むことができ、育てることができる環境づくりこそ政府、厚労省が第一にすべきことである。それなしの少子化対策などは、口先だけのごまかしにすぎない。
2008/08/31
民主党議員の離党さわぎがあった。ひとりの議員は離党届をだしたが、すぐに引っ込めた。こんな騒ぎは当然予想されることである。 自民党と民主党の違いは、自由民主党と自由・民主党の違いでしかない。もともと両党は元の自民党の二大派閥のようなものである。二大派閥が二大政党を名乗っていると考えれば、すべてがわかりやすい。 今回離党した議員も派閥を離れるくらいの意識しかなかったのであろう。だから機をみてもうひとつの派閥である自民党に鞍替えするのに何の抵抗もなかった。民主党の議員として選挙民から信託されたという意識は乏しかった。 自民党と民主党の議員が連携した各種の会が花盛りなのも納得できる。民主党が自民党を追い詰める絶好の機会が訪れる度に、すっと身をかわすのも、そう考えればすんなりと分かる。追い詰めて国民に知られてはならぬ真実を明らかにしたくないからである。 巨大資本というスポンサーの代理人、あるいはその仲間としての自民と民主とでは、議場で対立のパフォーマンスはしてみせても、本当の対立は出来ない。 両党が実は仲間同士であってみれば、気軽に離党し、あるいは自民党と提携するのにも何の抵抗もないに違いない。 二大政党、二大政党といいことのようにいう勢力もいるが、国民にとっては不幸なことである。
2008/08/30
政府は、金持ち減税を考えているらしい。→ここ トリクルダウン(一部の先進企業が潤えば、その影響で庶民も潤う)などといって庶民に「痛み」をガマンせよなどといって、結局得た利益は、大企業と富裕層が独占してしまった。彼らは長期にわたって好景気だといい、利益を享受しつづけた。 ところが最近景気が悪くなったとたん、政府がすることは、彼ら大企業、富裕層に有利な減税である。 いったい庶民で500万円以下でも株式譲渡益を得る人がどれだけいるか、百万円以下の配当金を得られるだけの株式を所有する人たちがどれだけいるか。 わずかな年金だけで生活する人たち、貯蓄を持たない人たちが相当数いるのに、そういう人たちには負担増を押し付けながら、ゆとりのありそうな層に減税するのは納得できない。 政府がどちらを向いているかこれでますますはっきりした。
2008/08/29
ペシャワール会の伊藤和也さんが拉致され、殺された。残念でならない。伊藤さんはペシャワール会の農業部門を担当し、地元の信頼も厚かったという。ペシャワール会自体、医療活動から出発し、医療活動だけだは、アフガンのほとんどを占める農民を救うことにはならないと、灌漑設備の建設、農業指導などを積極的に行い、地元の住民から感謝されていた。 ペシャワール会の活動がかなりの成功を収めたのには、会自体の献身的活動はもちろんだったが、自身アフガンでの活動の経験を持つ伊勢崎賢治さんの言葉でいえば、日本は武力で介入していないという「美しい誤解」があったからでもあるという。 それも、安倍氏が政権を投げ出すことでまた、その後の新テロ特措法騒動で日本が深く関わっている事実をアフガンの人たちに知らせてしまった。伊勢崎さんは、そこから生じるリスクを指摘している。事実新テロ特措法について知られるようになってから、アフガンの人たちの日本人への対応に変化が見られたという。 その上、最近では、アメリカ軍のアフガンの人たちの殺戮が目立つようになった。アフガン政府は破綻しており、アフガンの治安は最悪の状態になっているという。 その中で、ペシャワール会はよく健闘してきた。それだけに米軍が日本政府がアフガン政府が自体を悪化させ続けたことが残念でならない。中村哲さんもいうとおり、治安に対する見通しが甘かったのは事実であろう。だが、治安の悪化をもたらしたものはなにかということも忘れてはなるまい。 政府は(町村官房長官談話)、伊藤さんの死に関連して、「テロとの戦い」を強める旨の発言をしている。新テロ特措法による参戦を継続するということであろう。一度出して取り消したが、地上部隊の派兵も暗にもくろんでいるのかもしれない。 民主党の前原氏は27日、日本外国特派員協会で講演し、伊藤さんの拉致を踏まえたうえで「相当程度の警護のための自衛隊員を出さないと、民生支援を丸腰で出すというのはきわめて危険だ」と述べたという。軍隊に守られながら支援活動をおこなうPRTを念頭に置いた発言かもしれないが、自衛隊員を派兵すること事態が直接戦闘を前提としたものであり、まさに武力による介入である。だからPRT自体地元から嫌われている。 アメリカの民主党は、イラクから撤退し、アフガンに戦力を集中させるといっている。共和党は日本のアフガンへの更なる加担を要求している。どちらの政権になっても日本への要求は強まるだろう。 そんな時に、政府がテロとの戦いの強化をいい、民主党の前原氏が自衛隊員の派兵をいうようでは、すでに滅びつつある「美しい誤解」は壊滅するだろう。 伊藤さんを殺したのはどういう連中であるかわからない。だが、こういう情勢の流れのなかで殺されたということだけはいえるのではないだろうか。 最後に伊藤和也さんのご冥福をお祈りします。
2008/08/28
星野監督へのバッシングがあるようだ。今日の「週刊朝日」の広告には、「あえていう 星野仙一 もう辞めよ」という大見出しがあった。だが、考えてみれば星野ジャパンが金メダルを取るといったにしても、それは単なる目標にすぎなかった。むしろテレビや新聞が勝手に金メダル確実と騒いだのではなかったろうか。 男女バレーボールにせよ、男子サッカーにせよ、日本のテレビや新聞が持ち上げただけで、世界のレベルから冷静に判断すれば、結果は予想された。テレビや新聞が営業上の必要から勝手に騒いでいただけではないだろうか。 オリンピックの放送などでも、日本の選手ばかり放送して、世界トップクラスの演技の放送が少なかったが、あのような姿勢が安易な日本持ち上げにつながっているように思う。世界に目を閉じて夜郎自大になっているのである。 星野ジャパンにしても勝手な思い込みがさくそうしていたのではないだろうか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 勝手ということでもうひとつ テレビをつけると、画面の右隅に「アナログ」と表示される。早くテレビを買い換えなさいという「親切な」表示である。これなどは、勝手も最高レベルである。 デジタルテレビにすると、映りがよくなる、双方向でなんとか、などというが、そんなものは必要ではない。今のテレビで十分である。それを勝手にアナログを停止してデジタルにする。 アナログの放送施設はあるのだから、それを生かしてデジタル、アナログ両方の放送をながせばよい。 デジタル化は企業側からすれば大いにもうけるビジネスチャンスであろうが、視聴者の側からいえば、無用な負担増で苦しむことである。また、大量の廃棄物は、環境問題をも生み出すだろう。視聴者の側からいえば、ほとんどメリットはないのだ。 それをテレビと政府と大企業が一体となってすすめる。これほど勝手なことはない。
2008/08/27
「見えざる市場の手は、見えざる鉄拳なしには機能しない。マクドナルドは、F15戦闘機を設計したマクダネル・ダグラスなしに繁栄しない。シリコンバレーのハイテク技術が栄えるような世界、それを安全に保つ見えざる鉄拳は、アメリカの陸、空、海軍、海兵隊なのだ。」 (トーマス・フリードマン 1995年2月28日 ニュウヨーク・タイムス・マガジン) あけすけにいったものである。アメリカ経済の利益を守るために、アメリカの陸、空、海軍、海兵隊、アメリカの軍隊はあるというのである。アメリカ経済学の大物であり、現在の政府の政策にその系列の人たちが深くかかわっている人物のいうことだから、その意味は大きい。 アフガンの石油輸送ライン、イラクの石油、そして世界の多くの国への干渉が、アメリカの大企業をはじめとする利益集団のために行われたということは、いまでは明らかになっている。チリでのクーデタ、中南米諸国への傀儡政権の樹立と経済的収奪などなど、数え切れないくらい。 それらが見えざる市場の手を機能させるための鉄拳であったといわれれば、そのまますんなりとよくわかる。 アメリカ経済のグローバリズムと世界的な米軍再編とが密接に関係していることも。 日本の経済界などがしきりの憲法改正をいい、米軍とともに「自由に」行動できる自衛隊を切望するのも、実際にふるえる「鉄拳」がほしいからであろう。これもよくわかる。 だが、よくわかるということは、是認するということではない。市場原理主義者が、新自由主義をいう者が、実は軍事力をつよく要請しているというところを改めて意識しておく必要がある。 (注)引用は『狂気の核武装大国アメリカ』からの孫引き
2008/08/26
小泉元首相がボウリングに興じる姿がテレビのニュースで放映されていた。嬉々とした彼の一投、一投にさかんな拍手が沸いていた。それにしてもなぜこんなものがニュースになるのだろう。 そのわけが分かった。13.14日と自民党ボウリング振興議員連盟(武部勤会長、54人)がボウリング大会を開催。 13日には、NHKと民放キー局5局の選抜チームと、14日には新聞各社選抜チームと試合。終了後深夜まで懇親会を開いたのだという。 テレビで小泉元首相のプレーに盛んな拍手を送っていたのは、自民党議員とテレビ、新聞各社のメンバーだったのだ。 新聞やテレビの関係者は政党と距離を保つべきである。大手新聞社の幹部が首相や与党幹部と飲食を共にすることもよくあるらしいが、これでは、マスコミと政府、与党は癒着してしまっていると見られても仕方がないだろう。 小泉元首相の息子だから登場させたとしか思えないゴマすりもちらほらあるが、恥知らずなことである。 大手新聞、テレビキー局がどんどん権力側によりそいつつある姿を改めて確認した気がした出来事であった。
2008/08/25
なんだかんだといいながら、オリンピックの競技をみてしまった。きたえられたすぐれたスポーツ選手の体もプレーも美しい。 すぐれた選手の陰には、優秀なコーチがいる。井村雅代さんもその一人である。井村さんは長く日本チームのヘッドコーチを務め、すぐれたチーム、選手を育て上げてきた。今回は中国チームのコーチとなり、チームを立派に育て上げた。 この井村さんを批判する向きが一部にあるという。だが、どの競技でもコーチが他国に出向いて競技人口を増やし、競技のレベルを上げるのは普通のことであって、批判されるべきことではない。 かつては、日本のバレー、柔道などの優秀なコーチが他国に出向いてすぐれた選手やチームを育て、競技を育てた。逆に日本だって、外国のコーチを招いている。サッカーなどそのよい例である。 コーチだけではない。選手も交流が盛んである。中には中国の卓球選手のように他国に出向き、その国の国籍を取ってその国の選手として活躍する場合もある。日本の卓球チームにも、トルコの卓球チームにも中国人の選手がいた。日本の男子サッカーチームにだって日本に帰化した選手がいる。選手もコーチも大いに交流し、切磋琢磨すれば、それでいいのである。 井村さんの場合も、日本のシンクロコーチの技術が高く評価されたのであり、それはそれでいいことだ。聞くことろによるとスペインチームにも日本人コーチがいるそうである。スペインの目覚しい活躍ぶりは光った。 もし、井村さんがいなくなったら日本チームのレベルがうんと下がるというのであればそれこそ問題である。一人のコーチにすべてが負わされていたことになり、日本水連はなにをしていたかということになる。 前にも書いたが、井村さんが日本チームのコーチをしていた時、第一にすることは練習プールの確保だったという。あれほどメダル、メダルといいながら、専用プールさえないのだという。今もそうなのだろうか。 スケート競技などもフィギュアなどは、スケート場がつぎつぎ廃業しており、練習場の確保に困っているとも聞いた。 そんななかで、ほとんどまるでボランティアのように頑張っているコーチにはご苦労さんとしかいいようがない。(一部の恵まれた競技団体は除いて。)
2008/08/24
アメリカが世界にミサイルディッフェンス網をはりめぐらそうとしている。日本はすでにそれに参加している。アメリカの軍産複合体をよろこばすだの計画のようだが、もしミサイルでミサイルを打ち落とすなどということが実現出来ても実は地球自体のとってきわめて危険なことになる。 1978年、ロシアの原子炉を積んだ人工衛星コスモス954号がカナダの北西準州に衝突した。かなりの大きさの放射性物質の破片が、グレートスプレイ湖からベイカー湖にいたる直線距離600キロの地帯に散乱した。その結果12万4000平方キロにわたって、発がん性を持つ放射性物質の粒子が、呼吸器から吸入されるか、食物連鎖を通じて消化器から吸収され、地域住民に深刻な危険をもたらした。 1964年、SNAPプルトニューム発電システムを積んだ人工衛星トランジット5BN3が爆発した。その結果1キロほどのプルトニューム238が世界中にばらまかれた。ある研究によると世界中で肺ガンの発生率が増加した。 2002年の段階で、ロシアは30個以上の宇宙用原子炉を打ち上げており、アメリカはプルトニュウム238を用いた発電装置を装備した宇宙船を25基打ち上げたという。 原子炉は原子力を用いた発電装置の事故でさえ先に述べたような重大な結果をもたらしている。これがミサイルディッフェンスになるともっと怖いことになる。 ミサイル攻撃をする国があるとして、そのミサイルには当然核弾頭が装備されている。ミサイルをミサイルで撃墜することが可能であったとして、何発もの核弾頭が破砕されたなら、プルトニュームを始めとする放射性物質が世界をつよく汚染することになる。世界の人びとは深刻な危険にさらされる。 空飛ぶ原子炉でさえ危険なのにそれ以上に危険なのが、ミサイルディッフェンスである。 それ以前に、ミサイルディッフェンス網の建設は、世界に無用な緊張を増大させ、核拡大をもたらすことになるだろう。アメリカが進めているミサイルディッフェンス網が広がればアメリカが世界に今以上に攻撃的になることも考えられる。 こう考えると、日本政府のアメリカ一辺倒のあり方はあまりにも危険すぎるのである。 追記、ほとんど、ヘレン・カルディコット『狂気の核武装大国アメリカ』(集英社新書)からまとめたものを使って書いている。この本は、アメリカの核武装の現状と危険を知る上で役に立つ。この日記では部分的にしか触れなかったが、宇宙を支配することで世界を支配しようとするアメリカの野望などよくわかる。日本が「宇宙基本法」を成立させたこともこのアメリカの野望との関係で捉えるべきではないかと思う。
2008/08/23
食の安全対策について「消費者がやかましいから」と太田農水相が失言した。それを麻生幹事長が「やかましい」とは、西日本では、「よく知っているという意味だ」とかばったという。麻生幹事長は、西日本の方言について詳しいようだ。 麻生幹事長は福岡出身だから、福岡あたりの方言かもしれないが、よほど珍しいものであろう。最大の国語辞典である「日本国語大辞典」(全20巻)の「やかましい」の方言の部分にもそんな意味はない。麻生幹事長はよほどの物知りである。 だが、私も西日本の片隅に住んでいるが、そんな意味はないように思う。麻生幹事長がそのような方言をしっているとして、西日本ではというと誤りである。例によって麻生氏の出まかせで、太田農水相をかばうことにもなっていない。 太田農水相の発言が問題視されるのは、福田内閣が、消費者行政を専門に担当する役所をつくってそれを売りものにしているのに、底の見える発言をしたからであろう。麻生氏の発言が問題なのはその場その場で出まかせをいって済むと思っている政治姿勢が誤っているからだろう。 政治家に、それも閣僚や幹部に、言葉を粗末に扱い、事実に基づき、きちんとして発言をしないでも済むと思っている人たちが見受けられる。政治における言葉の持つ意味は重要なのであって、言葉を通して政策は語られ、公約は出され、国民との意思のやりとりがなされるのだから、言葉をいい加減に扱うことは政治家には許されないのである。 私たちも政治家の言葉は厳密に吟味する必要がある。言葉でだまされたり、言葉で都合よく操作されてはならない。 太田農水相と麻生幹事長の発言は、その意味であまりにも幼稚かつ国民をバカにしたものである。
2008/08/22
民主党がまたまた審議拒否をするという。社民党などにも呼びかけ、社民党はそれに応じるようすだ。審議拒否は、自・公のあいだにくさびを打つのがねらいとも伝えられるが、政策論議抜きに政争にあけくれるという印象が強い。 審議拒否など、主権者を馬鹿にしたやり口である。数々の法案を厳しく論議して主権者のまえに政府・与党の真相をあきらかにする。法案のねらい、法案のプラスとマイナスをくっきりと浮かび上がらせる。それこそ政治を担うもののすべきことではないか。 民主党は前の国会でも審議拒否をした。そのために政府・与党の姿を明らかにし、あれこれの法案について深く掘り下げ、主権者の前に明らかにするチャンスを自ら放棄した。主権者である国民にとってそれがどれだけの損失であったかはかりしれない。 前の国会の場合、民主党は対案を出していた。その対案について審議することさえ放棄したのであった。 審議拒否で得をするのは、だれか。 審議拒否をしても、法案は通ってしまう。どんな悪法であっても、それが明らかにされ主権者に知らされることなく、施行されてしまう。 得をするのは、政府・与党であり、その法により利益を得る側である。 民主党は、審議拒否をすることで、悪法の成立、それによって利益を得る側に奉仕しているのである。 民主党はそれにより与党を揺さぶり、主権者である国民の支持を拡大するというが、それは違う。審議拒否を繰り返せば、、逆に主権者である国民の支持を得られないであろう。 私などは、審議拒否は政府・与党が困った時のたすけ舟、民主と政府・与党との出来レースとまで思ってしまう。 新テロ特措法を審議なしに強行採決した場合、喜ぶのはだれだろう。
2008/08/21
日銀も内閣府も、景気が停滞していると報告した。当然であろう。かつてなく長期間好景気が続いたといわれたが、その間も庶民は、そんな実感ではなかった。 一部大企業は輸出を中心に膨大な利益を上げたかもしれない。投資家は世界的な株価好況を受けて大いに儲けたかもしれない。だが、その利益は庶民の処へはまわってこなかった。 庶民は逆の社会保障費や税の高負担にあえぎ、賃金の低下をはじめとする収入の低下にあえいでいた。 サブプライムローンを引き金とする世界的な景気の悪化の影響を受けて、輸出が不調、投資益の低迷、原料費高騰による利益率の低下などで、景気が停滞していると言われても、いまさらという感じである。 いずれ大企業や投資家は、その影響を庶民に付回すに違いない。消費税増税、法人税減税、投資益への優遇策などがすでに各方面から声高に叫ばれている。原料費高騰はいずれ物価に転嫁される。 庶民はこのままならさらなる物価高騰と負担増、収入減により苦しむことになる。内需増は望めないから、国内需要が中心の多くの企業はさらなる停滞に陥るだろう。こうして多くの庶民は、景気悪化と不況とのスパイラルに苦しめられる。 こうした状況に無策というより、大企業や投資家、つまり資本のための政治を進める政府、与党に、庶民はノーといいつづける必要がある。
2008/08/20
戦後すでに63年。戦争の記憶を持つ人は日に日に少なくなっていく。戦争の記憶自体も失われ、あるいは故意に消され、捏造されつつある。戦争の記憶が失われると言うことは何を意味するのであろう。 人間の記憶は海馬という部位が担当している。この海馬が破壊されると記憶が失われる。過去の記憶が失われると、未来を具体的に想像できなくなる。海馬は未来予測のために重要な部位であり、記憶がなくなれば未来予測ができなくなる。これは最近脳研究により明らかになったことだという。(池谷裕二『ゆらぐ脳』文芸春秋) 未来は過去にある。とか、過去の記憶が未来を確かに見つめるためには欠かせないなどと言われるが、それが、脳研究でも明らかにされたのである。 戦争の記憶が失われていくということは、だから、私たちの未来にとって重大なことなのである。 戦争の記憶が失われたり、ねじまげられたり、捏造されたりすれば、私たちの未来に、再び愚かな戦争を引き起こさないとも限らない。戦争の記憶が失われれば、戦争は具体性を失い、言葉によって操作される抽象的な出来事として合理化される可能性がある。 戦争の記憶を、どれだけ、具体的に、どれだけ正確に、どれだけ多くの若い人たちに伝えていくかが問われている。
2008/08/15
ずいぶん前になるが、安東(アンドン)で、マッコリを飲んだことがある。夕方、宿から見下ろすと、小さな店のバケツの中でマッコリが流しっぱなしの水道水のなかで気もちよさそうにしていた。それを買って、夜、飲んだ。 翌朝、飲んだ全員が程度の違いはあれ、下痢をした。マッコリは朝店に出て、夕方までには飲まないとこういうことがあるらしかった。生ものは腐りやすい。 豆腐も昔はそうだった。朝作って店に出す。豆腐は出しっぱなしの水道水の中で気もちよさそうにしているが、夕方までには食べてしまう。それが普通だった。 それが今では一週間も持つ豆腐が出来ている。あらゆる生ものがその日に消費されるのではなく、何日も持つ。生物でなければ、一ヶ月、一年と持つ食品も多い。添加物によって長期に保存できるようになったからだ。 添加物によって長期に保存できるようになった。それで食糧の販路は広がり、食糧産業は利益を増すことができた。 だが、それで長期に保存できるようになったということは、添加物という化学物質を多量に摂取するようになったということでもある。便利さと引き換えに、添加物の化学物質が私たちは体に及ぼす作用を手に入れた。 ここのところ猛暑が続いている。冷やしそうめんとか、冷奴とかを食べたいなと思う。そんなことを思いながら、ついつい、こんなことを考えるのであった。 便利さとか利益とかと引き換えに失ったものは大きい。
2008/08/14
平成14年、通常・緊急逮捕飢状請求合計数146490件(請求後に撤回された685件を差し引いた数)のうち、却下されたのはわずか63件(0・04%)。 日本では刑事裁判の有罪率が非常に高く、99・9%が有罪判決を受けている。 検察により被告人にされるとほぼ自動的に有罪となるのだという。 イギリスの場合、刑事法院(刑事事件の第一審と上訴審を担当)で毎年97000件の刑事事件が裁判される。大半の被告は立憲内容を認め、証拠調べを経ずに有罪になるが、無罪の主張をして審理を受ける何件2万人ほどのうち約64%に無罪判決が出される(1999年)。 アメリカ合衆国では、連邦地裁で審理される刑事事件約83000人のうち12・8%が無罪になる(1999年)。という。 これは、ある本に引用されていた数字だが、日本は警察・検察が有能なのだろうか。 私が気にかかるのは、裁判官が安易に逮捕状を出し、有罪判決を量産しているのではないかということである。 自衛隊官舎にビラを配布した、トイレに反戦と落書きした、マンションにビラを入れた、そんなことで簡単に逮捕状が出され、長期の拘留が許可され、裁判をすれば裁判官は、簡単に有罪判決を出す。そんなことが逮捕状請求がほとんど却下されず、起訴されたら99・9%が有罪となるという現象を生み出しているのではないか。 最高裁判所をはじめとする裁判所が政府よりの判決を出すのが目立つことと関連させて考えると恐るべき数字だと思う。
2008/08/13
人権擁護法案などというものが、まだうごめいているらしい。人権擁護法案のうさんくささは、政府や権力の側の人権侵害を許容する内容になっているという点である。なぜそうなるのか。 8月12日の朝日の「私の視点」という投書欄に同志社大学法科大学院教授コリン・P・A・ジョーンズという人の「日本型人権 国籍が保障の条件とは不思議」という文章が掲載されている。これが参考になる。 コリンさんはいう。最高裁が国籍法の一部を違憲としたニュースを見て、最高裁のホームページから判決文を入手して読んで驚いた。 「しかし、目を通して、仰天する言葉遣いを発見した。すなわち、「日本国籍の取得が、(中略)我が国において基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持つ…」と。一箇所だけではない。最高裁の大法廷(15人の裁判官)が出したこの判決の構成は複雑で、多数意見、複数の補足意見と、反対意見まで含まれているが、傍論とはいえ、基本的人権の保障と日本国籍を結びつけることにおいては共通しているようだ。」 「私の漠然とした英米法的な理解では、「人権」とは、人間であるというだけ保障されているものだ。従って国籍を条件に保障されているものは基本的人権とはいえないはずだ。しかし、司法の頂点が上記のように違う理解を示している以上、日本における人権は違う、という結論を禁じえない。」 「実は、だいぶ前から、法務省などのお役所が「人権擁護」のキャンペーンをしていることに、かなり違和を感じていた。英米法的な観点では、人権を侵害できる主体は、お役所以外にはあまりない。だからお役所みずから人権擁護を主張するのは、どうしても怪しく映る。」 「日本における人権は「民」対「官」の権利ではなく、「官」から授かる「民」対「民」的なものに変換されている、という印象が強い。 人権は政府が国民に与えるものとするならば、それを選挙権のある日本国籍者とその子供に優先的に与えることには合理性がある。」 ここに二つの重要な点が指摘されている。 一つは、基本的人権が人間であるというだけで基本的に保障されるものであるはずなのに、日本政府や最高裁判所という司法は、そう考えていないということである。つまり、基本的人権は日本国籍所有者に限る。 二つは、人権というものが、人が生得的に所有するものであるのに、日本政府や最高裁判所は、そうは考えていないらしいということである。それは官が民に授けるもの、与えるものという考えである。 ここから、人権の保障に専念すべき政府権力や司法に、政府や司法は人権を制限することができるという考えが生じるのではないか。ジョーンズさんの文章を参考にして私が考えたのはそういうことである。 最近司法が基本的人権ことに言論の自由、表現の自由を狭める判決を続発しているのも、政府が人権擁護といい人権擁護法案を提出しながら、実は人権侵害を法制化しようとしているのも、人権に対する政府権力や司法の逆転した論理にある。私はそう考えた。 最後にジョーンズさんの意見についていえば、もちろん基本的人権は国籍によって左右されるべきではない。
2008/08/12
日本に駐留する米兵の犯罪に関して日本側が優先的に裁判を行う権利の大部分を放棄するよう指示した1953年の通達などを収録した法務省資料「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料」が発見され、各紙で報道されたが、国会図書館にあるこの資料が6月下旬から閲覧禁止になったという。 資料発見後の五月下旬国会図書館に政府から「非公開にする旨の発行者の公的な決定」が通知され、国会図書館では審議の上、閲覧禁止にし、同時に、インタネット資料検索システムからも削除したという。 発行者の公的な決定なるものがどういうものかよくわからないが、政府が透明性を持つことはきわめて重要なことである。政府が密約を持つこと自体が問題なのに、すでに新聞等で公にされた資料を政府の圧力で閲覧禁止にするのはこそくにすぎる。 政府は沖縄の核密約でもアメリカの公文書館の公開文書で密約が明らかになっているのに、それを存在しないと隠し続けようとしている。 政府が多くの秘密を持ち、主権者の知る権利を侵害し続けることは、民主政治とはいえず、政治への信頼を損なうものである。政府各省の主権者に対する秘密主義も含めて直ちに改めるべきである。 米兵犯罪の裁判権放棄文書については以前に書いた。→ここ
2008/08/11
漁民が怒っている。燃料高騰が直接の原因だが、背景にはさまざまな要因があるらしい。 世界では、魚食傾向がたいへんな勢いで増えている。それに伴い、世界の漁業資源の枯渇が心配されている。日本でも節度のない漁業により普通の魚資源の枯渇の心配さえある。 そのような状況で漁業を担う漁民の現状はどうか。 水産物の自給率はかつての100%から現在は50%に低下している。明治43年6000万人の人口で300万人いた漁業者が現在たった22万人。22万人のうち約半分の10万人が60歳以上の高齢者だ。漁船の数、中でも新造船の数は極端に減っている。新たに漁業に従事する人の数もきわめてすくない。 ところが、政府はその漁業および漁業者に対する政策らしい政策を行ってこなかった。日本の水産予算と称するものも、約2600~2700億円のうち、漁港等基盤整備事業、つまり公共事業に1547億円(59%)も使われ、漁船以外に899億円(34%)使われ、かんじんの漁船関係には176億円(7%)しか使われていない。 水産予算ということで、業業にこれだけ出しているというが、直接漁民を助ける予算はないに等しい。漁港等のなかには、使われずに無駄になっているものも多いという。漁業と漁民は捨てられているのである。 燃料高騰で漁民があれほど怒った背景には、こうしたことがあったのである。 日本の漁業には改善すべき点も多いというが、これも政府の無策が大きい。 日本人の食の魚離れが言われているが、世界の趨勢は逆に魚の消費増に向かっている。日本にとってもまだまだ魚食は重要だ。それなのに漁業はほとんど壊滅寸前の状態にある。 漁民の怒りの深さを思い、漁民にもっともっと怒っていいといいたい。 追記、 ・農民ももっと怒っていい。漁民とにたりよったりの状況だからだ。農協の自民党支持の堕落した幹部にいつまでも任せておいてはいけない。 ・数字は、小松正之『これから食えなくなる魚』幻冬舎新書より
2008/08/10
またリストラだと言い始めた。私たちには実感できなかった、長期の好景気が終わり、景気低落が始まったからだという。トヨタは派遣社員、契約社員を数百名解雇するのだという。テレビはこれからリストラが始まるとの予想を伝えた。 ○○景気以来の長期の好景気のおかげをこうむった企業はどうなのだろう。トヨタなど大企業は大いに儲けたはずだ。それなのに、株主と会社幹部には大金を支払った以外、社会に一銭も還元せずに溜め込んでいる。 リストラをする。その始めとしてまず派遣社員、契約社員を首切る。それは、不景気でも利益を確保するためだろう。だが、ここで、今まで溜め込んだ利益を吐き出し、あるいはこれからの利益を少なくしてでも雇用の確保は出来ないものだろうか。それだけの社会的責任はあると思うのだが。 バブルがはじけた後、リストラと称して大量の首切りを行った。その後も雇用の規制緩和により大幅な非正規化をを強行し、それによって巨額の利益を確保した。 それによって、多数の労働者が苦しみ、泣き、社会保障制度をはじめ税収入その他、多額の負担が一般庶民に押し付けられ、年金、医療、介護を始め社会のセーフティーネットは破壊的打撃を受けた。それによっても大企業は多額の利益を得たのである。 その大企業をはじめとする企業が、景気が悪化するから、またリストラだという。あまりに無責任ではないか。景気の悪化というが、その責任のかなりの部分は自分達にもあるはずである。 またリストラという名目で、首切りをすれば、好景気、好景気と言われながら生活苦に苦しんできた庶民は、さらに苦しくなる。社会全体の受ける影響も大きい。さらに、輸出型企業のみの好景気といわれてきた経済は、消費が落ち込むことで更に悪化することであろう。 「好景気」と規制緩和で高利益を得てきた大企業が、景気が悪化するからといって、また、安易にリストラという首切りをすることは許されない。リストラの本来の意味である企業自体の改善の努力はどこへいったのか。
2008/08/09
先日、気象情報をみようとテレビをつけたら全国ニュースをやっていた。NHKは定時のニュースを繰り上げ、気象情報と地方ニュースをカットしてオリンピックの中継をしていたのである。 朝から高校野球の中継をしていたのだから、一日ほとんどスポーツ放送で占められていたわけだ。さっそく、NHKに電話したら、「放送してほしいという声もありますからねえ」ということだった。なるほど、そういう人もいることだろうが、ほとんど8月いっぱい、こういう状態なのはうんざりだ。 新聞をみると高校野球、プロ野球、オリンピックと広告でほとんどを占め、記事らしい記事だけにしたら、数ページになりそうだ。 テレビも新聞もどうしてあれほど高校野球とオリンピックに熱をあげるのだろう。高校野球だって、オリンピックだって、ばらばらにされた日本人にかりそめの一体感を感じさせる。いわば国民統合の意識を幻想させるからかもしれない。 オリンピックは、当然そうだ。メダル、メダル、ニッポン、ニッポン、日の丸を背負って、君が代に涙して、と幻想の共同体意識に一時酔わせるというわけだ。国威発揚、国家意識の絶好の場というわけだ。 とはいえ、実際のスポーツは人間の売り買いの場であり、商業主義の場である。それを熱狂を煽ることで隠しながら、国民の目を大切なことからそらし、一つの方向に誘導しようと新聞やテレビはしているのかもしれない。 もっとも、ジャーナリズムでない新聞やテレビがジャーナリズムとして振舞うしんどさからしばらく離れて、気楽に振舞えるので新聞やテレビの製作者には好都合なのかもしれない。一挙両得、一石二鳥。広告料も増えるし、しんどい記事は書かなくていいし、国威発揚でいきあがるし、重要な政治課題からは目をそらせるし。 連日最高気温は34度か35度、最低気温は、26度か27度。異常な猛暑で頭が煮えているようである。こんなことをいいながらも、たまには、テレビのオリンピックも見ることだろう。批判はするが、実は優れたアスリート(特に陸上競技)のすばらしい技をみるのは好きなのである。 追記、 ・商業主義なしにオリンピックも高校野球もなりたたない。偽善はやめよう。 ・それを認めたうえで優れたアスリートの技を楽しめばよい。国威発揚などばかげた仕掛けはやめよう。 ・スポーツの祭典が警官隊50万人に守られる異常さも、国威発揚と関わっている。
2008/08/08
広島の秋葉市長は平和宣言のなかでこういった。「我が国政府には、その憲法を遵守し「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働きかけるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果たすことを求めます」と。福田首相は、首相あいさつのなかで「改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭にたっていくことをお誓い申し上げます」といった。秋葉市長の真摯な熱情に打たれるが、福田首相のことばはソラゾラしい。 福田首相のいう非核三原則堅持はすでに一部破られているといわれている。日本政府が核廃絶のために国際社会の先頭にたっているとはとても思えない。与党内部や閣僚経験者のなかには、日本核武装論者さえいる。だからこそ、秋葉市長は平和宣言の中で、「主導的な役割を果たすことを求めます」と強調したのである。 現在世界の核保有国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、パキスタン、インド、北朝鮮、イスラエルの国々で、総数は正確なことはわからず、数万発といわれている。これらの国に日本政府は、積極的に核廃絶を求めて行動したであろうか。 世界最大の核保有国であるアメリカが、自国の核廃絶はいっさい言わず、むしろ新しい核兵器の開発にまいしんしている。 また、世界最大の核保有国であるアメリカが自国の核廃絶をいっさいいわないで、たとえばイランの核疑惑についてだけ威嚇的である。それは、アメリカの「国益」のためであろう。 北朝鮮の核保有に私は賛成しないが、アメリカがあれほど北朝鮮の核保有で大騒ぎしながら、インドの核保有は認め、パキスタンについても黙認している。また、イスラエルに核兵器を提供し、その保有を認めている。 いずれも核廃絶からは許されないことである。現実の世界は核廃絶から遠い。 もちろんアメリカだけでなく、すべての核保有国は核の廃棄を行うべきである。そしてアメリカが特にそうだが、ダブルスタンダード、トリプルスタンダードを使い分けるべきではない。 そして再び日本政府に戻れば、日本政府は前に上げたことがらに厳しく対処すべきである。また、政府はアメリカに核廃絶をつよく求めるべきである。もちろんアメリカだけというわけではなく、すべての核保有国につよく廃絶を求めるべきである。アメリカについづいし、「配慮」しているようでは、それも不可能ではあるが。
2008/08/07
消費税を含む税制抜本改革。これが、経団連の「新内閣に望む」という要望書の第一である。具体的にいえば、「1、消費税を含む税制抜本改革、社会保障改革、少子化対策を一体的に実行し、国民に将来への安心感を与える。」である。 この要求はあこぎというか、なんとも強欲である。なぜ、そういうか。いくつかその根拠をあげてみよう。 ・バブルがはじけた後、構造改革をおしすすめた。国民は「イタミ」に堪えよといわれ続けた。トリクルダウン効果で、国民も潤うと言われ続けた。その結果は、潤ったのは一部大企業だけだった。国民の大多数は犠牲になった。 ・家計から企業への巨額の所得転移が行われた。ゼロ金利・超低金利で家計が本来受け取るべき利息額330兆円(2002年まで)が失われた。破綻銀行への公的資金数十兆円とともに企業に移されたのだ。 ・労働市場の規制緩和で非正規雇用が三人に一人にもなった。これで企業は大いに儲けた。 ・民営化、社会保障をはじめ国民へのサービスは切り詰められた。これによって企業はまた大いに利益をあげたのである。 ・こうした利益を得たのは企業の中でも大企業であった。財界の中核、経団連を代表するような大企業が大いに恩恵を受けたのである。 ・特にトヨタ、ソニー、キャノンなど上位30社程度のグローバルな多国籍企業がそうである。それなのに、彼らは税金の安い海外の富を蓄積し、利益を日本国内に還流させない。 ・その彼らが法人税減税他の企業減税によってさらに利益を得ているのである。 ちょっと調べただけでもこれだけの利益を得ている。国の借金の大きな原因もかなりの部分はかれらにあろう。 経団連を中心とする財界は、しつように法人税減税、消費税増税を主張している。晋内閣発足に当たって、さっそく、「消費税を含む税制抜本改革」をいうのは恥知らずというものである。経済界のモラル喪失は、ここまでひどい。 (注)8月5日愛媛新聞掲載、内橋克人さんの「不均衡国家もはや限界 共同体回復最優先に」を参考にしました。
2008/08/06
アメリカ兵が我が物顔に振る舞い。米兵の起こした事件は野放しになっていた長い歴史がある。それは、今でも十分に正されたとはいえない。その背景には、こんな事実があったのである。 共同通信=愛媛新聞によると、日本に駐留する米兵の事件をめぐり、1953年に法務局刑事局が「実質的に重要と認められる事件にみに裁判権を行使する」との通達を全国の地検など関係当局に送付、事実上裁判権を放棄するよう指示していたことが分かった。この内部資料は法務省刑事局と警察庁刑事局が54年から72年にかけて作成した「外国軍隊等に対する刑事裁判関係」などの実務資料に納められているという。 通達の骨子は以下のとおりである。 ・米兵の事件処理では、軍隊の地位や国際先例にかんがみ、特に慎重な考慮が必要。 ・実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する。 ・裁判権を行使しない場合、裁判権不行使とするのではなく、起訴猶予などとする。 ・米兵が公務中だったと証明する米軍側書類は、「公務中」との記載だけで十分。 ・将校の行動はいかなる場合も公務中。 なんと卑屈な通達であろう。「裁判権放棄」を「裁判権不行使」などといい、さらに「起訴猶予」という形にせよとは。アメリカ兵が公務中といえば、公務中となり日本側の司法権は及ばさないのであろう。 いままでも犯罪を犯した米兵が逮捕されず、起訴されず、当然裁判もされず、アメリカに帰国し、自由に暮らしているということが多々あったようだ。それも、これも、ここに背景があった。 これでは、対等でない、不平等だと問題になっている日米地位協定の改定など、できるはずがない。沖縄で女子中学生が米兵の犠牲になったとき、沖縄の人たちの強い要求があったが、日本政府は動かなかった。こんな指示をしているのだから、地位協定改定などできるはずがなかったのだ。 愛国心、愛国心、靖国参拝とやかましい、政府や保守政治家たちの、これが素顔なのである。
2008/08/05
コロン(コロンブス)がアメリカを「発見」して帰還した時、人ごみの中からそれを眺めていた少年がいた。ラス・カサスである。少年は成長して新大陸にわたり、後に有名な『インディアスの破壊についての簡潔な報告』などの著書で新大陸でのスペイン人などの暴虐を批判し続け、先住民を擁護しつづけた。この本は司教ラス・カサスの足跡をたどり、ラス・カサスの希望がどのように実現しているかをたどった書物である。 ラス・カサスが、そのような立場に立つまでにはかなりの年月と経験が必要だった。ラス・カサスが先住民の立場に立つ司教になるまでには、従軍牧師として、奴隷肯定論者として行動するという誤りもあった。だが、それを乗り越えたあとは、先住民の幸せの実現へむかって一筋にひたすらにまい進した。 ラス・カサスの告発は辛らつである。たとえば、 「キリスト教徒たちは、村々におしいり、子どもや老人ばかりでなく、妊婦や産後間もない女性までもその標的とし、手当たり次第腹を引き裂き身体を切り刻んだ。それは囲い場にいれられた羊の群を襲うのとなんらかわるところはなかった。このとき彼らは、インディオを一刀両断したり、一撃で首をはねるかと思えば内臓を露出させたりして腕を競いあい、それを賭け事として楽しんだ。母親の乳房にしがみついている赤ん坊をつかまえて引きはがし、岩にその頭をたたきつけるものもいた。また、げらげら笑いながら面白半分に赤ん坊を仰向けに河につき落としておいて、水に浮かんでいる格好をみて、「こん畜生、まだピクピク動いていやがる」とうそぶくものもいたかと思えば、幼児を母親もろとも剣で突き殺すものもいた。かれらの目にいるものはすべて、このような運命をまぬかれなかったのである。」 国家事業として新大陸への侵攻と富と人の強奪を進めていた国とカソリックへのそれは、反逆ともいえた。異端審問の吹き荒れていた時代に、よくぞ生き延び告発を続けられたものである。 この本は、そうしたラス・カサスの苦難の道をラス・カサスの訪れた土地を再訪しながら、確認していく。ラス・カサスという人間にいたる「ラス・カサスへの道」である。 ラス・カサスをたどることは、ラス・カサスの希望がどのように実現したかをたどることでもある。この本では、中南米の各地をたどりながら、その土地の歴史と現状に触れる。そして、そこでの先住民の置かれた状況と闘いに触れる。これが、もう一つの「ラス・カサスへの道」である。 ペルーでの日本大使館人質事件とフジモリ大統領について詳細に触れるのも、それがあるからである。 フジモリは武力を行使しようとしなかった先住民ゲリラを皆殺しにした。フジモリは日本大使館突入により国際法規を公然と無視した。フジモリは自分の悪が暴かれるや日本国籍を持ち出して逃亡した。日本政府はそれを庇護した。 だが、殺されたゲリラの一少女に触れながら、上野さんはいう。「そう、少女に革命の大義なんて、おそらくなかったことだろう。そのことをとらえ、日本の一部マスメディアは嘲笑的に報道した。だが、生を受けたときから「貧困」を強いられ、子どもらしい自由もなく、家事手伝い、野良仕事を強いられた子たちの大義とは、すこし豊かになることでしかないだろう。」と。 ペルーでのフジモリの下で、先住民はやはり苦難の道をあゆんでいた。 上野さんがラス・カサスの足跡をおいながら、リゴベルタ・メンチュウ(グアテマラの先住民でノーベル平和賞受賞者)やサパティスタや、解放の神学の下、暗殺され、あるいは暗殺の脅威にさらされながら先住民のために活動をやめない人たちについて触れる。もちろん、そうした状況を生み出す各地の政治状況についても。 ラス・カサスは暗殺の危険のなかを生きながらえた。「生き抜くことは、それだけで雄弁だ。信念を曲げず、生きて発言しつづけることはテロリズムを対極にあるものだ。」と上野さんはいう。先住民のために生きて抜いて、発言し続ける人たちがいるということは、希望である。 ラス・カサスは晩年スペインに帰るが、先住民のための戦いはやめない。「学識を鎧兜とした、剣を持たない護国主義者の戦士がたくさんいた」その戦士をあいてに一歩も引かなかった。 では、その戦士たちとの戦いの結果はどうであったか。「結論を言えば、~その後の歴史をみればラス・カサスの負けである。無残至極の大負けである。国益が優先する社会において、ラス・カサスの正論は丁重に扱われても、施行されるべき地で無視された。〈新世界〉の状況は根本的に変わらなかった。500年を経た今日も、いかほど変わったといえようか…。」 こうして上野さんは、もう一つのラス・カサスへの道、つまり先住民の幸せが実現する道は今だはるかに遠いと結ぶのであった。 上野さんの『ラス・カサスへの道』は、新大陸植民初期の状況を知ることでも、ラス・カサス自身について知る上でも、中南米の政治と社会の歴史と現状を知る上でも、そして先住民の歴史と現状を知る上でも、興味尽きない一冊である。 上野さんは、この本を書くためにスペインから中南米を旅する。そうした旅の記録としてもとても面白い。日本への鋭いまなざしも見逃せない。 複雑で豊かで濃い、構成と中身のおすすめの一冊である。 (注)・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』は岩波文庫で読める。とてもうすい文庫である。 ・上野清士『ラス・カサスへの道』新泉社
2008/08/04
日雇い派遣の禁止がいま政治課題になっている。それについて朝日の「耕論」に川崎二郎氏と鎌田慧氏と八代尚宏氏の三者の意見が掲載されていた。ここでは、元厚労相の川崎氏の意見はおいて、鎌田氏と八代氏の意見を紹介してみよう。非常に興味深い事実がわかるからだ。 鎌田慧氏は、自身の自動車工場での期間工としての経験を描いた『自動車絶望工場』を紹介して、こういう。 「ところが、日雇い派遣で働くいまの若い人たちが私の本を読むと、好待遇と感じるという。」「戦後労働者がこれほど絶望的な気もちを抱いた時代は初めてだろう。」 「底抜けの状況を生み出したのが、86年に施行された労働者派遣法だ。これにより、ヤミ世界の存在だった労働者の派遣が合法化された。使い捨て自由の安価で便利な労働力の誕生だ。その後も経済界の要請に応えて派遣できる対象は次々に拡大された。労働者は存在ぎりぎりのところまで追い詰められていった。」 「政府や与党が、いまになって日雇い派遣を禁止しようというのはあまりに遅い。」「専門的な25業務以外は禁止しなければならない。派遣法を99年改正前の段階にもどすのだ。」 八代尚宏氏の意見はこうである。 「日雇い派遣の禁止は労働者のためといわれているが、疑わしい。本人が自分の意思で行っている働き方について選択肢を狭めることが、労働者のためなのか。」 八代氏は07年厚労省が日雇いで働く698人を対象に行った調査を引いて、やむを得ず短期派遣で働く人は3割程度で、「残り7割の人は禁止されたら迷惑をこうむる。」といい、以下、派遣労働の違法行為が問題になっていることについていろいろと理由をあげて結局次のようにいう。 「派遣が悪い働き方だから禁止、ではなく、派遣をよりよい働き方にしていくことが問題の解決につながる。日雇い派遣禁止に反対するのは企業のためと思われがちだが、働く人のためにこそ必要だ。」 鎌田氏は、ジャーナリストとして働く人の現場に立って調査し発言してきた方である。鎌田氏は、その労働者の立場から、派遣労働法の非を指摘し、それが労働者を追いつめていることを指摘する。私は鎌田氏の指摘が事実に立っていると思う。 八代氏は、派遣という働き方が労働者のためであり、日雇いは派遣禁止反対は労働者のためだという。厚労省の調査がどのようなものか詳細は分からないが実情と乖離していると思われる。八代氏は都合のいい調査を利用しているだけではないか。働く選択肢うんぬんも一時さかんに宣伝されたが、そうでないことを事実が証明している。 鎌田氏がいうように、日雇い派遣は禁止すべきであり、派遣法は99年改正前に戻すべきだと思う。八代氏は日雇い派遣禁止に反対するのは企業のためではないというが、まさに企業のためである。派遣法が制限なく拡大されたのは、八代氏も参加する委員会などで企業の要求に応えて強引に実現を進めたからである。八代氏は、労働者の労働条件の規制緩和、派遣の規制緩和の先頭にたった人物である。反対するのは企業のためではないというのは、語るに落ちるということである。 このお二人の意見を読み合わせると興味深い点は他にもある。それは、御用学者というものと本当のジャーナリストというものの違いがくっきりと見えるということである。 八代氏は、現在は国際基督教大学教授だが、元は経済企画庁のエリート官僚であり、大学教授になってからは、経済財政諮問会議を始めさまざまな政府の重要な委員会、会議の委員を務めている。民間委員ということだが、氏の発言を追ってみると、財界の要求に忠実に応え、政府の側に立っていることがわかる。例のホワイトカラーエグゼンプションの際にも、労働者のためだという根拠付けをしてそれを進める先頭に立った。 朝日は三者三論でバランスを取ったのだろうが、鎌田氏の本当に労働者の立場に立つ姿勢と、労働者のためだとウソをいって企業の立場を代弁する八代氏の姿勢との対照が、思わぬ真実を浮かびあがらせた。御用学者というものは、口先さんずん、詭弁を弄して、無残なことを平然というものである。 追記、 ・鎌田氏はこうもいっている。「情けないのは民主党の姿勢だ。ほかの野党が専門業務以外の登録型派遣も廃止すべきだと主張しているのに、この点に踏み込めずにいる。これまでどおりの主張を続ければ国民に見放されるだろう。」 一部報道によると、民主党が派遣労働法の改正についてきちんとした対応ができないのは、「政権担当能力」について疑問を持たれることへのおそれがあるらしい。労働者や庶民などの有権者は疑問を持たないだろうから、それは、経団連などの財界ということになろう。 これまでも対案を提出しながら、肝心のところで審議拒否などをして逃げることがたびたびあった。これも思うに、財界から「政権維持能力」について文句がでることえの恐れからではないか。 ・八代尚宏氏の厚労省統計の引用の欺瞞性についてはここが詳しい。→ここ
2008/08/03
トヨタの奥田氏、キャノンの御手洗氏と歴代の経団連会長は、おおもうけ大企業の会長が勤めてきた。彼らはともに、企業減税と消費税増税を要求してきた。自分たちは減税、庶民は大増税というわけである。 7月31日、日本外国特派員協会での「日本経済の現状と課題」という講演でも御手洗会長はおなじ要求をしている。 同講演で、御手洗会長は、経済の状況に触れ、危険な状況にあるが、日本経済のファンダメンタルズは眼に見えて強化されているから大丈夫だと述べている。その一方で、日本は中長期的に見て「存亡の危機」にあるとし、特に重要な課題として税制抜本改革をあげている。 御手洗会長は、税制抜本改革は、経団連の最重要課題だという。第一は社会保障制度の持続可能性の確保のため、安定財源が必要である。第二に財政再建の必要性があり、具体的な歳入改革が早急に必要である。第三に成長力の強化であるというのである。 では具体的にはどういう税制にするのか。御手洗会長は「やはり、消費税の拡充という結論に行き着かざるを得ません」という。所得税や法人税は税収が不安定なのだという。日本の税体系はこれら(法人税、所得税)も偏りすぎているのだという。ようするに、経済界や富裕層は所得税や法人税増税ということはお断りしますよ。消費税拡充(範囲を広げ、税率をあげる)を要求しますよ、ということである。 以上は言い換えれば、日本の財政再建にも、社会保障にも、経済界は富裕層は金を出さない、逆に成長力の強化には国民のカネを出してもらう。社会保障や財政再建には庶民から消費税をたっぷりと取るということである。なんと虫のいいことであろうか。 その一方では法人税は減税を要求するのだという。現在大企業や富裕層は、法人税や所得税減税や特別優遇税制で巨額の利益を得ている。それなのに、さらに、法人税減税とは。御手洗会長は「欧州諸国では、法人減税による産業競争力の強化が国の発展に結びついております。日本も遅れをとるわけにはまいりません。」というのである。 だが、考えてみよう、日本が大借金を抱えたのは、無駄な大公共事業をあいついでやったことが大きい、これに財界は責任はないのか、富裕層はそれで潤ったのではないのか。社会保障に企業の負担の責任はないのか。 「今、最も緊急に行われなければならないのは、安心・安全な国民生活、それを可能とする財源の確保であるということを強調しておきたい」と御手洗会長はいうが、庶民からふんだくって、自分たちは減税・優遇を要求。なにが安心・安全な国民生活。なにがそれを可能にする財源の確保だ。御手洗会長のいうとおりにすれば、国民生活の安心・安全などはふっとぶだろう。安心・安全なのは、大企業と富裕層だけである。 追記、経済界、自民党、中央紙が同じ論調なのが要注意だ。
2008/08/02
とうとう暑さの三重苦の時期がくる。連日の猛暑日、高校野球、オリンピックの暑苦しさ三重苦である。どうして三重苦か。 まず甲子園での高校野球。普通ならスポーツ禁止の条件下での競技が暑苦しい。それだけならまだガマンができる。だが、新聞やテレビが美談、美談の連続で、青春の華と褒め称えたり、郷土の英雄化したりし始めるととたんに暑苦しさ倍増になる。 高校野球の裏側のドロドロした世界を間接的にではあるが、かなり知っているからである。おびただしい犠牲者と一部の英雄。カネが飛び交う選手市場。 オリンピックは、ニッポン、ニッポン、メダル、メダルと合唱しはじめると暑苦しくなる。日の丸を背負ってなどということばが飛び交うとよけいだ。 オリンピックの世界も、高校野球とおなじで裏にはドロドロとしてものがある。それを無視しても、ニッポンとメダルと日の丸の大合唱は暑苦しい。 わたしは鍛えた体とすばらしい技を見るのは好きである。だが、オリンピックや高校野球が裏にある商業主義やドロドロした部分を十分承知しながら、美化し、国威発揚の場となると途端にイヤになる。それが、暑苦しさとなるのである。 猛暑日が続いている。毎日が34度か、35度である。最低気温は26度か27度。こんな暑い日が続くのに、甲子園の高校野球とオリンピックで暑さの三重苦となりそうだ。 柔道の山口香さんが、今週の週刊金曜日で、オリンピックの選手選考を中心にインタビューに応じている。山口さんの発言はいちいちもっともである。そして、その発言の姿勢はとてもすがすがしい。 山口さんのインタビューの終わりの言葉はとくに爽やかである。 「発言しちゃいけないのかなと思っている方はたくさんいると思います。モノをいわない流れが、そのことが戦争になってしまったり、独裁者をつくったりします。そう考えると、発言しないことは罪なんです。」
2008/08/01
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