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★「米国の腐りきった金融業界は、世界中に何の価値もない証券を売りまくった。人類史上これに匹敵するひどい詐欺があっただろうか。」とエマニュエル・トッド氏はいう。(朝日 30日「今や米国は問題をもたらす」)まったく同感である。 サブプライムローンは「カネの無い層にだまして家を買わす」方法であったし、それを証券化して売りまくったのは、ネズミ講のようなもので、やがて破綻するのは分かっていた。分かっていて儲けた大詐欺師の集団がいたのだ。 詐欺師の集団は罰せられるべきだし、影響を受けて被害を出すところには手をすけてもいいが、詐欺師の集団や、それに載せられて損失を出した連中を税金で救うということはない。★自民党と公明党は、この経済危機を利用して、国民の税金を使って、カネをばら撒き、有権者の大買収を公然とやろうとしている。金券を配るというのなどは余りにも露骨である。それ以外にも各界各層買収のばら撒きがやまづみだ。 税収は5兆円超減収、赤字国債をまたまた30兆円超も発行するというのだから、ばら撒きによる大買収のつけをやがて国民が払わなければならないのははっきりしている。 これも一種の大がかりな詐欺である。★さまざまな問題はあったが、社会主義国の存在が資本主義の暴走を規制していた。今起こっているのは資本主義の暴走だろう。 現状をみると、反対勢力の存在が不可欠であるということがわかる。資本主義に対抗する勢力が。政治においても、アメリカの民主と共和、日本の自公と民主のように、ほとんど変わらない政党が並立する関係は腐敗を生む。それに対抗する政党がどうしても必要である。 そうでなければ国民は政治的詐欺にあう可能性がある。★「危機に対して各国政府が無力だったのは、ウルトラリベラリズムの発想しかなく政治が経済に対して受身だったからだ。事態を予告する経済学者もいたが無視された。解決策は複雑ではない。だが、ほかのプロのエコノミストたちがそれを考えようとしなかったのは、考えないことで給料をもらっていたからだ。今回の危機で、そんな連中の高慢さも最初に破壊された。」(エマニュエル・トッド 同文)★考えないことで給料をもらっているのは、御用学者やプロのエコノミストだけではない。テレビや新聞などもマスメディアの連中も同じである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★麻生首相の大邸宅を見に行こうとして公務執行を「でっちあげ」され逮捕された事件についての報道もひどかった。 公安が記者クラブで発表したそのままを記事にして、記者は当事者へのなんの取材もしなかったようだ。 麻生氏とマスコミについての批判、および被害者救援などについては志葉玲さんのブログの「友人が拉致られました」を参照してほしい。→ここ 首相が秋葉原で若者によびかける一方で、首相の家を見に行こうとした若者達が弾圧され逮捕されるとは、権力も詐欺をやっているようなものだ。
2008/10/30
麻生首相の大邸宅をみにゆこうとして、警察に阻止された上逮捕までされた事件について更に明らかになってきた。それをみると明らかに警察のでっちあげだ。 マガジン9条の雨宮処凛さんの報告(ここ)を読んでも、参加者は警察のさまざまな嫌がらせにもよく堪え、素直に従っている。逮捕も参加者がぞろぞろ歩き始めたとたん警察が突然参加者に仕掛けて逮捕している。明らかに警察のでっちあげである。 次の映像を見るともっとよくわかる。→ここ 警察は集まりの現場で十分に準備した上で参加者に突然叫びながら襲い掛かっている。「よし」「公妨だ」「公妨だ」と叫んでいたが映像でもよくわかるが、なんら公務執行妨害に当たる行為はしていない。 警察が公務執行妨害だといえば、そうであり、犯罪だといえば犯罪となる。逮捕するのも「自由」という警察の現在のあり方の一端がここにはっきりと出ている。 こうして民主主義の国日本の自由は、少しずつ少しずつ狭められているのである。 デモに届けと許可が要り、歩き方から、持ち物までいちいち指図される市民の示威行動など、自由の国のものとも思えない。この場合は、ただ歩くのに、指示に従わされ、その上逮捕である。 雨宮さんは、「貧乏人は道路も歩けないのか!」と書いているが、「許可がないと道路も歩けないのか!」と私はいいたい。 このような自由の抑圧を、小さいことだからと見逃していれば、いずれ身動きとれなくなるだろう。
2008/10/29
麻生首相の大邸宅をみにゆこう、という企画で道路を歩いていたら、無届デモだということで逮捕者も出たという。→ここ 道路をぞろぞろ歩いていて無届デモとは恐れ入る。警察としては、首相の家に押しかけられるのをどうしても避けたかったのかも知れないが、警察が恣意的に法律を運用するのでは困る。警察がみなせば、ただ歩いていてもデモでは困る。 そういうことが通れば、警察はなんでもできる。ビラ配布で相次いだ言論弾圧には、警察の行き過ぎが目立った。 この事件とは関係ないが、デモにいちいち届けなどいらないのではないかとも思う。主権者が自分たちの意思を表示するのは、表現の自由として保障されていることである。 交通の妨げになるということも考えられるが、そのくらいの迷惑や不自由は、ガマンしてもいいのではないかと思う。なによりも主権者の意思表示の自由を大切にすべきではないかと思う。 欧米などに比べてみると、日本の不自由さがよくわかる。欧米では、よく市民が街頭に繰り出してデモなどの示威行動をする。彼らはよく道路いっぱいになって歩いている。どのデモにもいちいち届けたり許可を得たりしているわけではなかろう。 そう考えると、今回の警察の取った行為の異常さがよくわかる。日本は決して自由溢れる国ではないのである。 それにしても、首相の家を見に行くのになんの不都合があるのだろう。
2008/10/28
本田由紀さんが、「市場主義の波 家族・教育にも」という文章を書いている。(27日 朝日)そのなかの、「個人を守る社会モデル構築を」という章でこんなことを書いている。 社会モデルを作りかえる必要がある。労働条件面で企業と交渉する企業横断的なユニオンや団体である。「自由競争のもとでは、劣悪な労働条件を飲むしか仕事が提供されない力が働く。それに抵抗するのは簡単ではないがセーフティーネットの拡充とともに、働くものすべてが声と力を持つことが不可欠だ。」 「教育で格差を温存すると、社会階層が世帯間で引き継がれる基盤になる。可能な限り学力などの格差を無くすのが教育領域の責任だ。日本では、家庭の経済的、文化的な資源と、次世代の教育による成果(学力や学歴)が密接に関連している。それを断つ方向にもっていくことが必要だ。少なくとも、公教育は可能なかぎり家計に依存しないようにしなければならない。」 この文章を読んで、一昨日の日記に書いた橋下知事と高校生との議論を思い浮かべた。格差は格差を生む。家庭の文化的、経済的資源は教育の成果に密接に関連している。教育領域は、できるかぎりこれを断つことが必要だという本田さんの意見と橋下知事の意見の距離の大きさを思った。 高校生はそもそも私学助成を減額しないでほしいということで、本田さんが書いたことと同じことをいっていたのだ。私学高校は現在では、公教育を補完し、公立高校とほぼ同じ役割を果たしている。教育領域を担う知事は家庭の文化的、経済的資源が成果に直接反映することのないようにしてほしいといっていたのだ。 橋下知事はそれがわからなかった。分かっていたかもしれないが、その要求を否定した。日本は自己責任の国だといい、それがいやなら、国を変えるか、国を出て行けといった。彼はそこで知事としての責任を放棄し、政府や自治体の役割を否定したのである。 本田さんは「近年、若者には「自己責任」の考え方が蔓延している。どんなに劣悪な環境に置かれても、マクロな社会構造として把握せず、「自分のせい」と思いがちだ。それは何の解決にもならないどころか、問題を温存するだけだ。今の状況を見極めて、趨勢にあらがうことでしか、個々人と、この社会、さらには世界を、存続させるすべはない。」とも書いている。 あの話し合いで、橋下知事は「自己責任」を繰り返した。彼としては本田さんの指摘する若者の考え方の弱みをついたつもりかもしれない。だが、 高校生は、状況を見極めて、解決を求め、社会の問題として、自らと、社会を存続させるために、橋下知事との話し合いの場を求めたのだ。橋下知事には、そのことが分からなかった。 だから、「自己責任」を繰り返した末に、「国から出て行け」といったのである。橋下知事は、高校生と話し合いの場の持つ意味が分からなかった。それだけでなく、話し合うということがどういうことであるかが、分からなかった。 橋下知事は自分の意見や立場に反するものは排除していいといったのだ。橋下知事は、この時点で民主主義も憲法もみごとに否定してみせたことになる。 この橋下知事は26日「大阪の教育を考える府民討論会」にも参加して自論を展開したという。(朝日27日)紹介されているかぎりでは、暴論の連発だが、その中でも次の発言がすごい。 「9割の先生は一生懸命やっている。地域でチェックして、1割のどうしようもない先生を排除してください。」 ここでも排除の論理である。いかにも、いやなら国を出て行けという知事らしい。だが、知事という公人が排除を呼びかけていいはずがない。1割に何の根拠も定義も意味づけもないのである。これでは、市民に恣意的に「先生」の排除をよびかけていることになる。これでは、教育の否定である。 昔も今も、排除の論理が多くの悲劇を生んできた。一つの見方や立場や体制や権力をのみ正当とみとめ、他を排除する論理である。橋下知事の「排除の論理」が認められてはならない。それは多様であるのが本質である、人間の否定である。
2008/10/27
朝からどんよりとした曇り空である。外気はひんやりとして肌寒い。 乗松雅休について日記として短文をメモしたが、後であれこれ検索していたら年号関係に誤りや不確かな部分があるようなので、全文削除した。 植民地前後や植民地時代に朝鮮の人たちのために尽力した松山出身の牧師乗松雅休や大洲出身の教師上甲米太郎は、今でも地元韓国では尊崇されているという。 乗松雅休についても、上甲米太郎についても、インタネットで検索すると詳しく分かるので一度読んで欲しい人たちである。 普通の人たちのこのような交流の流れがあったことは嬉しいことである。 今は、しとしとと秋雨が降っているが、このような人たちのことを思うと心温まる。
2008/10/26
大阪府が視学助成金28億円を削除するということで、これに反対する高校生と橋下知事が話しあった。→ここ ため息のでるような「議論」だった。 高校生が家計が苦しいなどと事情を訴えるのに対し、橋下知事は「なぜ公立にいかなかったの」「私立を選んだんでしょ」といかにも自己責任だという発言をした。 私立にはお金持ちの行く高校もたくさんあるが、多くは貧しい家庭の子どもが多い。カネのない家庭や事情のある家庭が教育にかける時間的余裕も資本も乏しく、その結果、お金のよけいにかかる私学に通わねばならないという事情は大阪でもかわらないのではないか。それを自己責任のようにいうのはどうか。 橋下知事は、「壁」という言葉を繰り返し、それを肯定した。壁とは競争ということのようだ。競争社会であるのは事実だが、それを積極的に、あるいは、仕方がないものとしても、肯定するのはどうか。 今の競争社会は決して、公平なものではない。おなじ出発点に立っているのではないからだ。そんな社会はおかしいといったら、橋下知事は「あなたが政治家になって変えなさい」といった。これもおかしい。 この文章で知事知事と繰り返しているが、まさに彼の発言は知事のしての発言でテレビタレントのヨタ発言とは違うからだ。 「あなたが政治家になって」という発言は、現在の政治制度に対する無理解からきている。現在の政治制度は、ほとんどが代議制度をとっているのであり、知事の場合でも選挙という制度により託され、立場としては全体を代表する。とすれば、知事も含めた政治家は主権を持つ人びとの声におなじように応えるべきである。 たとえ少数意見であろうと、立場が逆であろうと、その意見を掬い上げようとするのが、あるいは、その声に誠実に耳を傾けようとするべきである。この話し合いの場合、高校生に「あなたが政治家になって」などというべきではなかった。 橋下知事は、競争社会と自己責任を全面肯定しているようである。だが、自己責任という人たちや組織、政治家、経済人、大企業、銀行、官僚、その他が自己責任を引き受けているかというとそうではない。庶民には自己責任といいながら、彼らは、いざというときには、国民の税金に依存したり、するりとかわしているではないか。 自己責任というのは、そういう意味で欺瞞である。それともう一つ、自己責任ということで政府を始めとして上に掲げたような存在が自身の責任を逃れるための免罪符にしている。橋下知事も「自己責任」を繰り返すことにより、「知事」としての責任を逃れようとしているのである。 だが、いずれにしてもすべてが「自己責任」ということになれば、政府も大阪府をはじめ地方自治体も不用ということになる。 最後に橋下知事が言ってはならなかった言葉、非常に怖い言葉がある。それは「この国は自己責任、だれも救ってくれない。それがいやなら、国を変えるか。国を出るかしかない。」 「いやなら国を出て行け」、この言葉は別の形でよく使われる。いやなら、家を出て行け、いやなら学校を変われ、嫌なら学校をやめよ、嫌なら会社を変われ、いやなら会社をやめよ。 いたるところでどれほど聞かされたか。これは権力者の使う言葉だ。それも反論できない相手を選んで使う。かつては、非国民などともいわれた。言論を封じ、排除し、抑圧する言葉だ。 橋下知事がこういったとき、明らかに彼は高校生に超越する自らの権力を感じながら、おまえたい黙れ!といったのである。 社会にも教育にも無知であるからいえた言葉である。
2008/10/25
自民党がエサをばら撒き始めた。それにまぎれて、銀行などを公的資金で救済する制度を準備するらしい。世界的なギャンブルの始末をまた税金で。 アメリカでは、公的資金投入に反対の声が強かったらしい。マイケル・ムーアは、週刊金曜日10月24日号でこういっている。 「何らかの支出をする前に、議会は責任を持って、我が国の経済の略奪に少しでも関わった者を刑事犯として起訴することを決議すべきである。即ち、インサイダー取り引き、証券詐欺その他今回の崩壊に何らかの寄与をしたものは投獄されるべきである。」 日本も先のバブル崩壊の時に、こうすべきだった。だが、誰も責任を取ることなく、景気が回復したら多額の報酬と退職金を手に入れてのうのうとしている。銀行そのものも、免税してもらうなど優遇措置をうけもうけほうだいである。 今回は厳しく行くかと思えば、「責任は問わない」のだという。こうしておいて庶民が困窮すれば「自己責任」だという。 マイケル・ムーアはこうもいっている。 救済措置は富裕者、株取引への課税、大企業の負担増、など「救済措置は富裕者が自ら負担すべきである。」 なるほど、アメリカのバブルが崩壊するまでに儲けに儲けた連中がいるはずである。マイケル・ムーアは、彼らの負担で救済措置ができることを具体的数字を挙げて指摘している。 考えてみれば、日本の場合もゼロ金利で300兆円以上の庶民から収奪し、銀行への免税措置、株取引への減税措置などで、大いにたくわえがあるはずである。アメリカの金融破綻の直後、アメリカの金融機関を買収した会社もあったではないか。 こう考えれば、日本の金融機関への救済措置など甘やかしに過ぎないと思える。 もし、そうしなければ、庶民に被害が生じるというのなら、すべてを明らかにした上で、厳しく経営責任を問うべきだろう。 ギャンブルをして、世界に迷惑をかけておいて、自分の利益はそっと確保したまま、救済とは虫がよすぎる。
2008/10/24
「同盟関係」という言葉を使って大騒ぎになったのが、1981年の鈴木善幸首相。いまでは「日米同盟」という言葉はあたりまえになった。 「同盟」といえば聞こえがよいが、日本はアメリカの世界一国支配の使い走りとして組み込まれてしまった。小泉、安倍、福田、麻生と各内閣がアメリカ政府に忠誠を誓い、憲法に違反してアフガンやイラク戦争に「参戦」している。 小泉首相は、アメリカ政府に無条件に従い、安倍、福田首相は、テロ特措法の関係で首相の座を投げ出した。民主党は、方向転換して新テロ特措法を容認している。これほどに「日米同盟」は強力なのである。 アーミテージがあるときオーストラリアでこんな演説をしたという。 「(同盟とは)オーストラリア人のみなさんの息子さんや娘さんが……米国の防衛のために喜んで死ぬような関係です。それが同盟という意味なのです。」 なるほど日本の首相が首をかけてまでアメリカ政府に忠誠を誓うわけがわかるではないか。 「同盟」「同盟」と安易に認めてはならないのである。 (注)アーミテージの演説の引用はガバン・マコーマック『属国 米国の抱擁とアジアでの孤立』(凱風社)に引用の 「シドニー・モーニング・ヘラルド」 2001・9・18の記事による。
2008/10/23
橋下大阪府知事が、全国学力テストの結果公開について圧力をかけまくっている。橋下氏の知事選でのキャッチコピーが「こどもが笑う」だったとか。学力テスト結果公開とどう関連するのだろう。 「学力テスト」は、全国の児童の学力の実態を把握するというのが目的であったはずだ。実態を把握して、悪名高い文科省や地方教育委員会の教育を改めるというのではなかったのか。 それなら、学力テストを全国の全校で実施する必要がないという意見が当時からあった。あんのじょう、橋下氏のような知事が現れた。橋下氏は、テスト結果を全開することにより、児童、教師の尻をたたいて競争させようというのであろう。それが「こどもが笑う」ことなのか。 ちらちらと聞くところでは、橋下知事のもと、大阪の教育界は混乱と沈滞の渦中にあるらしい。教師が疲れ果て、やる気を失い、こどもがわらうどころか、こどもから笑顔が消えるようでは、教育の場とはいえまい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 橋下氏のやっていることを新聞やテレビでちらほらと聞く範囲では、文化というものにほとんど興味も関心もないように見える。 大阪府の財政が困難な事情にあるのはわかる。だが、その困難を作った府議会議員やそれと癒着した関連業界や団体への責任を問い、メスをいれるという話を聞かない。 そういうよりも急ぐことがあるのかもしれないが、大阪の文化の灯を消すようなことを優先事項にするようなことはどうかと思う。 メスのいれどころがどこか違うのではないか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 裁判に負けた。判決で厳しく批判された。テレビに出てすみませんと頭を下げたが、すぐに控訴した。控訴するのなら頭を下げることはない。 それに関連して朝日が社説を書いた。じゃらじゃらした社説で、もっとはぎれよくはっきりと書くべきと思うような社説ではあったが、それに噛み付いた。 テレビで多数の視聴者によびかけたのだから、新聞が社説で批判したからといって怒ることでもあるまい。視聴率からいって相当数の相手にかっていいほうだいを自分もいっているのだから、自分だけが批判をまぬかれるというわけにはいくまい。 橋下氏は、攻撃するのは好きだが、攻撃されるのは苦手らしい。案外小心なのかもしれない。ぬらりくらりと言い逃れをし、逃げ道を準備しておくことが多いようだ。 弁護士や裁判官や検事といった仕事をしている人には、あきれるほどに常識に欠ける人がいる。橋下氏にも当然、弁護士として知っていなければならないことを知らずに批判されたことがあったが、同じように見受けられる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 橋下氏の一番いけないのは、権力をかさに視野の狭い思い付きを強制することだ。そしてそれが反対されたり批判されるときれまくることだ。 大阪を横目でちらちら見ながら、そんなことをチラッと思った。あんなやり方が知事の間で広がってほしくないなと感じながら。
2008/10/22
海自で自衛官が死亡した事件で、調査委員会の報告が出された。新聞の報道でしるのみで詳細は分からないが、不審な点がおおい。 15対1での格闘が訓練だというもいい、送別のためのはなむけの伝統儀式だともいっているが、どちらも真実とは思えない。 訓練だとして、特別な場合に、特別な相手にしか行われていないようであるのは、なぜだろう。訓練だとしたら、全員が交代で1対15の格闘を繰り返すのであろうか。そんな形跡はないし、そんなことはまず身体的に無理だろう。 送別のための伝統儀式というのはどうだろう。伝統というが、海自そのものが戦後数年たって作られたものであり、当該の部隊はごく最近作られてものである。伝統というにはあまりに浅い。 それに1対15という形は送別の儀式というにはあまりにむごい。特殊な場面で特別な相手のみに行う暴力が伝統儀式であるというのは受け入れがたい。 ここで浮かぶのは、彼らが先の戦争で降伏するまでの海軍と一体のものとしてそう感じそう思っているかもしれないということである。 海軍のいじめのすごさは、体験記などでよく知られている。陸軍の内務班でいじめは映画などになっているが、海軍のそれは陸軍以上であったらしい。 現在の海自もいじめがすごいと当事者から聞いたことがある。今回の行為が「訓練」であり、「伝統儀式」であるとするなら、かつての海軍のいじめの伝統が形を変えて生き残っているということであろう。 人を殺すことを任務とする軍隊は、人を殺すことを受け入れさせるためにいじめが生じる。今回の海自自衛官の死も、どういいのがれようと、いじめとしか思えない。そして、そのいじめが海外に派兵されたりして、軍隊としての機能を一段と高めている事情と別のものだとは思えない。
2008/10/21
昨日のニュースで民主党の菅氏が演説しているようすが写っていた。菅氏は「自民党が官僚に支配されている」としきりに批判していた。だが、どこか違うのではないか。 菅氏が批判すべきは、自民党公明党の政策、政治行動そのものではないか。「官僚のいうまま」などというのは第一に批判する必要などない。 民主党はその反面、たとえばトヨタの雇用のあり方を批判しない。キャノンについても批判しない。経済界については、批判を避けている。トヨタやキャノンの批判を避けていて、非正規雇用や貧困の問題について厳しく追及することはできない。 民主党は、問題の多い補正予算を通し、新テロ特措法延長を通してしまった。まだ、会期はあるが、通すといってしまっている。通すと約束してなんの議論ができるのだろう。だから委員会や総会での議論は茶番だというのだ。 国民が今本当に議論してほしいこと、それと民主党のあり方とは相当にずれている。自公のレベルの低さは言うまでもないが、民主党も同類である。 双方が馴れ合っている間に、双方ともに議員の不祥事があいついで明らかになっている。それについても双方が馴れ合ってまともな追及もしない。 今、国民を不安にしている政治課題は山ほどある。議論が沸騰しているのが本当なのに、国会はなれあいの問答をくりかえすだけで、いたって静かである。腐敗もきわまったといわざるをえまい。
2008/10/20
子どもの頃、米を食べるから日本人は頭が悪い、というようなことが盛んに言われていた。学校でも生活改善運動でも、メディアでも、あらゆる機会に宣伝されていた。それがアメリカの食糧輸出戦略の一環であり、そのため食生活を根本から変えようとしたということをその後知った。 昨日のNHKスペシャルはそのことにも触れていたが、エルサルバドルでは、アメリカの米を食べさせるため、米がいかにすぐれた食物か教育し宣伝していた。日本でやったことと正反対である。日本食生活改変戦略は成功し、肉やパンをよくたべる食生活が普通になった。 番組では今中国で、肉をたくさん食べる食生活に変える運動をアメリカが進めており、相当に食生活が変わっていることが報告されていた。 アメリカの三大食物メジャーが、政府と一体になって、中国の食生活を変えているのである。いや、番組では中国があげられていたが、世界の農業生産と食生活を支配しようとしているのである。 三大食物メジャーやアメリカの農民は、それで巨利を得ているようである。だが、利益だけを目指した食糧戦略は、やがて破綻するに違いない。伸びていく食糧需要に応えきれるだけの食糧生産が向上するとは思えないからである。 アメリカ農業とアメリカ食糧メジャーの一極支配は、行き詰まる。そして行き詰まった時には、世界全体の食生活を破壊し、飢餓が広がるだろう。サブプライムローンと同じ愚かな行動をとろうとしているのである。 アメリカの農業と食糧戦略は、世界の食生活とそれを支えた土地の自然にあった伝統農法を破壊する。アメリカが行き詰まった時、それに代るものがなくなっているだろう。するとどうなるか。 アメリカ農業も水の問題、災害の問題、作物の単一化からくる病虫害など、危機に陥る要素に事欠かない。その前に、たとえば中国やインドの食生活を変えて、爆発的な食料需要が生じたときに、それに応えられるか。応えた場合に世界のより貧しい国が飢える可能性はないか。 利益だけを追求し、世界を変えるなどという大それたことをしているアメリカの食糧三大メジャーと農民およびアメリカ政府は、またまた世界を混乱に陥れる可能性が大きい。 そんな時、日本の食糧はどうなるか。これもまた不安だらけである。
2008/10/19
アメリカの民主党と共和党の大統領候補者選びについて、宮前ゆかりという人が面白いルポを書いている。(世界11月号「アメリカの夢、行方知れず」)その中で二大政党制について私たちにも参考になる指摘があった。 「二大政党制が確立して久しい現在のアメリカ政治構想では、大企業やロビイストの圧倒的影響力を排し、第三勢力の民意を反映する機会はほとんどない。」 つまり少数意見は無視され、捨て去られてしまうということである。それだけでなく、大企業や大金持ちや多数を組織する団体などの影響を強力に直接的にうけるようになるということである。日本の場合も経済界などの思うままな政治が行われ、少数弱者の意見の反映の場がなくなることは容易に予想される。 「民主党と共和党の二大政党が政治プラットフォームを独占して久しい現在のアメリカでは、国民総人口の約半数が大統領選挙の投票に参加していない。二大政党の癒着が大きな原因で、第三勢力による代替政策の選択肢が与えられていないからだ。つまり、どちらの候補が勝利しても、民意は25%弱しか反映されない。」 アメリカの二大政党は癒着しており、ほとんど相違がない。アメリカを牛耳る巨大企業や大金持ちはどちらにころんでも安心しておれる。日本の場合も、一度は破綻したが大連立に見られるように民主と自民はほとんど相違がない。その結果はどうなるか。 今こそ、政権奪取などといって相違点を出そうとしているが、違いを出すのに苦労しているのが現状である。そして、政策の基本ではほとんど差がない。小さな違いや、相手の失点で争っているだけである。 これが、晴れてアメリカのようになれば、癒着どころではなくなるだろう。その時、民意の反映はどうなるか。圧倒的勝利と言われた小泉選挙でも自公を支持したのは有権者の4分の1程度だった。投票しない人も多く、選挙制度のマジックの結果だったのである。日本の場合、将来は更に暗いものになる可能性も考えられる。 「ASC,NBC,CNN,FOXなどの主流メディアは、第三勢力の市民の掲げる疑問や抗議、提案についてほとんど取材しない。ワシントンの政治環境に癒着した「専門家たちの意見」を四六時中繰り返し、客観性を欠く怠慢な姿勢が目立つ。」 これは、今の日本では、すでに現実のものになっている。日本の中央大手メディアは、このとおりである。市民運動や労働運動などはまず報道しない。報道するのは自公か民主だけである。他の政党や市民運動や労働運動、平和運動などは大手メディアを見る限りでは存在しないのと同じである。 その結果アメリカはどうなっているか。 「「怒れる神」による「世界の終焉」を待ち望む過激な宗教アジェンダを掲げる人物が、大手を振って副大統領候補として登場するアメリカ。科学的・論理的思考が衰退し、反知性主義の世論が蔓延するアメリカ。「黒人」対「女性」の対決構図に国民が翻弄されるアメリカ。巨大多国籍企業により民主主義議会制度が支配されるアメリカ。金融危機の真っ最中に巨大軍事予算が議会で通過するアメリカ。「次の標的」イラン攻撃の準備を進め、自国民にも矛先を向けるアメリカ。」 部分的には違え、あるいは表現は違え基本的には同じようになるに違いない。 おりしも日本の国会では、新テロ特措法にあれほど反対していた民主党が、通すといい、何日に通すと予定した上で、衆院での論議を始めている。茶番である。この茶番の裏に、民主と自公の癒着をみずにはおれない。 国民の目の前で、公然とこれほどのことをやるのだ。将来を思うと暗然となる。
2008/10/18
アメリカ発金融危機をうけて、世界経済は大混乱に陥っている。混乱のなかで救済のなんのという声は高いが、不思議と責任についてはあまり聞かない。 そんな中ドイツでは不動産金融のヒポ・レアルエステーと社が資金難に陥り、政府が7兆円の救済策を決定した際、メルケル首相はこういったという。 「政府は救済を行うが、このような無責任な商売をする人物は、納税者に申し開きできないので責任をとってもらう。」 また、ケーラー大統領は、「市場にはモラルが必要だ。経済界のエリートたちは自己満足とシニシズムにとらわれ、自己批判にかけている。」「わたし自身も怪物退治にもっとはげむべきであった。」「経済界は無から金塊が得られると信じた」「この軽業師どもは経済実体に別れを告げて、利回りの増大だけを考えた。経済の基本倫理に決別し、多数社会との掛け金が外れて転落した。」と述べたという。 発言だけにしても実に厳しい。そして、発言だけにしてもその言葉のレベルが高い。日本政府や日本銀行は、さまざまな政策をやるそうだが、アメリカに対してはもちろん、日本の企業に対しても何の言葉もきかない。 いっているのは空疎なばら撒き宣言だけである。モラルに欠ける人物にモラルが語れるわけがないということかもしれない。 日本には前にもバブル崩壊があった。政府は「公的資金」という税金を湯水のように投入した。その際、ドイツの首相や大統領のような厳しい言葉はまったく聴かれなかった。 むしろ、国民生活が崩壊するからと銀行などを免罪し、逆に庶民をおどすような発言が多かった。それは上は首相から、下はメディアまでそうだった。 結果として、銀行を始め関係者はだれも責任をとらなかった。銀行などは今でも税金をまけてもらい、ゼロ金利で庶民から収奪し、その金で海外投資に走っている。そして高利益を得ては、自分たちで分け合って一銭も還元しないのである。今は、アメリカへの投資で多額の損失をだしているようだが、これは知らぬ顔だ。 政府にも金融界にも大企業にも関係者にもモラルというものが欠けている。ドイツの首相と大統領の言葉を読んで、せめて言葉でだけでも、責任を問う政治家は関係者はいないものかとこれはないものねだりをした。
2008/10/17
今日、補正予算が通過した。続いて新テロ特措法も通過する予定だ。あれほど反対していた民主党がよくもあれほど簡単に妥協したものだ。これが、二大政党制の本当のねらいかもしれない。今は過渡期であるが将来は大連立も予定しているのであろう。小沢氏をはじめ支配層の狙い通りに。 小沢氏にしろ民主党にしろ基本的にはアメリカ従属の姿勢はかわらない。民主党は国連決議云々をいうが、その政策は自公以上に自衛隊を直接アフガニスタンの戦場に投入しようとする案である。新テロ特措法に反対をしてみせたのはパフォーマンスにすぎない。 だが、パフォーマンスにしろもっと粘るはずだった。それが急転したのにはなにかわけがありそうである。あれこれ言っても納得できない、そんな時、こんなものを読んだ。 ブッシュ(父)がパナマのノリエガ将軍を捕らえてアメリカで裁判し懲役40年の刑に処した事件があった。20年も前のことである。このときノリエガ将軍が意外なことを白状したという。以下その部分。 「ノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作が創価学会の金をパナマで運用し、ノリエガ将軍の麻薬取り引きの資金繰りにも使わせていたことと、このあがりから、池田氏が小沢氏へ相当な額を常時渡していたという。このことは私もブッシュ氏の側近に確認した。ブッシュ氏はこの自白の証拠書類もがっちり手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作するムチとして使っていたという。もちろん、アマコスト前駐日大使は、このムチを必要に応じて直接使用した中心人物であったということだった。」(霍見芳浩『ジャやパンズ・ヌネサンス』講談社 2000年) アメリカが日本政府にアフガニスタン参戦について強力な圧力をかけていただけに、わかりやすい。著者はこのことをCIA筋にも確認したということだが、池田氏にしろ小沢氏にしろ、アメリカ側に膨大なファイルがあってあたりまえだろう。ごうをにやしたアメリカ側が一押ししたと考えられないこともない。 それにしても、民主党はいつもそうだ。議場でもみ合いをしてみせたり、欠席してみせたり、それを戦術だというが、ほんとうは、審議を避けて自公を助けているとしか思えない。どんな「戦術」をとるにしても最後にはするっと姿を消し、法案は通ってしまう。 ほとんど差のない「二大政党」の弊害である。
2008/10/16
選挙が近づいて与党はばら撒き政策を予算化して、民主もそれに賛成した。そこには目先をごまかそうとする政治家たちのウソが見えている。特に小泉「構造改革」が作り出した大罪をごまかして隠そうとしていることに注意が必要である。 経済学者の金子勝さんは、「世界」11月号の「経済崩壊か、新しい成長軌道か」という論文で、小泉構造改革(小泉・竹中路線)の五つの大罪をあげている。大幅に簡略化して紹介してみよう。 ・小泉「構造改革」は市場に任せることでヒトやカネが低生産部門から高生産部門に向かい、新しい成長部門を生み出すはずであったが、新しい成長部門を生み出さなかった。国際競争力も落ちている。それなのにまだ政府は「金融立国」などといっていい、竹中氏を中心に景気向上のため規制緩和をさらにすすめよといっている。 ・小泉の財政金融政策は、ひたすら輸出に依存する脆弱な経済体質を作ってしまった。ゼロ金利で円安を誘導し輸出を伸ばす政策は、グローバル同時不況がくればひとたまりもない輸出依存の脆弱な体質をつくってしまった。 ・小泉「構造改革」は、労働市場の規制緩和でおびただしい数の非正規社員を生み出し、医療・年金・介護などの社会保障を破壊し格差を拡大してしまった。また「三位一体」改革も地方交付税削減政策にすりかえられ地域間格差が深刻になった。このため、日本経済は内需が低迷しますます輸出依存になっている。このままでは生きることもできず将来も見えない人々が増え、社会全体がもたなくなる。 ・小泉・竹中路線は「増税なき財政再建路線」のなのもとに、500兆円台だった財政赤字を800兆円台の巨額に膨らませてしまった。この膨大な財政赤字をつづけるには、ゼロ金利を続けるほかなく、グローバル同時不況に対処する手段を奪ってしまった。 ・環境エネルギー路線でもブッシュ政権に追従したため世界をリードする地位を失ってしまった。また原発に依存する誤った政策を続けている。農業政策でも、失敗している。 小泉・竹中「構造改革」路線の罪はこれだけではないだろう。大きなものを五つあげればこれだというのである。 新しい成長産業が出て新しい膨大な雇用を生み出すといったのは、小泉・竹中「構造改革」だった。村上ファンドやグッドウィルは出来たが、新たな成長産業も、雇用も生み出さなかった。生み出したのは派遣の全面自由化による大量の非正規労働者だった。 小泉・竹中「構造改革」路線は社会保障部門を徹底して削減した。地方交付税も大幅に削減した。人々の生活は破壊され、格差と貧困が大きな問題となった。大企業はゼロ金利でボロ儲けし、庶民はその分、収奪された。 環境政策や農業政策での失敗はもちろん、庶民の生活のあらゆる部門で破壊が起こった。大企業を中心にやりほうだいが行われ、財政赤字は500兆円だいから800兆円台へと大幅に増えた。それらのカネがどこに回されたか。もちろん大企業中心の経済政策に注入されたのである。 ゼロ金利で300兆円の収奪、国に300兆円借金させての成長、これだけで600兆円になる。その他にも大企業金持ち優遇政策はあれこれとある。 これが自公政権が小泉内閣の間にやったことであり、これからもやろうとしていることである。小泉「構造改革」に拍手し、竹中をもてはやしたのは誤りだったともう気付いてもいいだろう。 目先をごまかそうとする政治家のウソに騙されてはならない。
2008/10/15
アメリカの格差と貧困のもうれつさはよく知られているが、ここにこんな数字がある。 ブッシュ政権の財務長官ボールソンはゴールドマンサックス社のCEOを務めていた。その7年間の報酬が約147億5862万円。財務長官就任のため同社を辞めたときには、同社規約により同氏がもっていた同社の株323万株を同社に売却、約511億6320万円を得た。 金融危機で破綻したリーマンブラザースのCEOチャード・ファルドの報酬は、1993年~2007年で約526億円で、2007年だけでは47億4860円だった。 他の大手企業の幹部の場合、似たような高報酬を得ているようであり、アメリカ社会のひずみがこれだけでもよくわかる。 サブプライム破綻に関連する企業幹部ももちろん高報酬を得ており、社員もそれなりの高報酬を得ていたようである。 このような大金持ちを国民の税金投入ですくうのは納得できないが、金融危機、企業破綻の直接的被害は庶民が受けるわけだからなんともいいようがない。 儲けは自由、儲けは自分のもの。被害は国に、被害は庶民に負担してもらう。これがノーベル経済賞受賞者を何人もだした、新自由主義経済の本質であるようだ。 日本でも小泉・竹中コンビはよ「頑張るものが報われる社会を」と繰り返し、財界幹部も口を合わせたが、その真実は、日本の企業幹部などがアメリカのCEO並みの報酬を、日本の企業幹部の報酬をもっと高くということであったのであろう。 日本の社長やCEOはアメリカほどではないが、それでも日本としては高報酬を得ており、退職金も高額であり、一般社員との差は、拡大する一方である。非正規社員の場合とは比べるのも愚かというほどの差である。 アメリカももちろんだが、日本の場合も利益を社会に労働者に還元し、格差はできるだけすくなくすべきであろう。 一方で年俸が億から数十億得られるものがおり、一方に餓死者や自殺者や貧困にあえぐ膨大な人たちがいる社会は正常とはいえまい。 (参考)このホームページを参考にしました。→ここ
2008/10/14
アメリカで始まったマネーゲームによる一攫千金を得るのが、経済活動であるかのような風潮は、世界大恐慌を思わせる状況を生み出している。ゲームは停止しているが、その結果はまだ終っていない。 あらゆる規制を外してマネーゲームのプレーヤーが自由勝手に活動できるようにしたのは、アメリカ政府であり、アメリカ政府を動かした勢力だった。 彼らは、経済の新自由主義をいい、市場原理主義をいい、政府の規制を排除することを要求した。その結果が今の状況を生んだ。今の状況は、一時もてはやされた新自由主義の敗北でもある。 日本でも新自由主義がもてはやされ、規制緩和が言われ、「金融立国」が言われた。だが、結局は、物を地道に生産することが経済の基本であるということが証明された。 世界は大恐慌も近いかのような状況に陥っている。この状況を生み出したのはマネーゲームに励んだプレーヤーたちであった。当然現状に対する責任は彼らにある。そのプレーヤーたちとは具体的にはどういう組織、どういう人たちであったのか。 G7は公的資金の注入を約束したらしい、日本代表は、日本のバブル崩壊の際の公的資金注入の経験を生かすよう主張するといっていた。だが、公的資金とは税金のことである。マネーゲームのプレーヤーがまず責任を取ることなしに、関係のない国民の税金を注入することが果たしていいことなのかどうか。 また、主にアメリカ発の金融危機でありながら、世界に責任を負わせるのはどうか。 マネーゲームのプレーヤーにまず責任を取らすべきではなかろうか。日本でも銀行はまったく責任をとらず、国民の税金を注入してもらい、状況が回復したら、国民に利益を還元することなしに、自分たちで利益を分け、マネーゲームに走ったのであった。ああいうことを今回は許してはなるまい。その点、G7は、まったく何のやくにもたたなかったが。 今回のアメリカ発の金融危機は更に大恐慌に発展するかもしれない。これでアメリカのまねをした「金融立国」論も破綻した。それでも日本政府はなおアメリカ経済のまねをしようとしているが直ちに本筋に返すべきである。 最後に、もう一度。 マネーゲームで大損をした人や組織もあろうが、大もうけしてうまく逃げた人や組織もあろう。だが、この状況の結果は、関係のないわれわれ庶民の生活に直結する。マネーゲームのプレーヤーとそれを許した政府他関係者関係組織の責任を見逃してはならない。
2008/10/12
某世襲大臣がG7に出席してなにやらぼそぼそいっている。大酒飲みの噂の、ネオコンの、世襲お坊ちゃん議員が、枢要な大臣を二つも兼務して大丈夫だろうか。世界大恐慌がいわれるこのときにである。 大臣は、国会答弁でも国際会議でも、おつきの官僚の書いたペーパーを読むだけらしい。記者会見も同じ。記者会見では事前に記者クラブを通じて質問をださせておいて、選らんだ質問だけに答える、これもペーパーによるらしい。 だから、〇〇でも大臣は務まるのである。もっとも大臣という職を演技することが務まるわけであるが。 だからよけいに、現在のような状況では心配になる。つまり、肝心の背後で支える官僚が解決の道筋をつけえるほどの能力を持っているとは思えないからである。政治家も財界人も言論人も学者も官僚も、アメリカ経済にしがみつき、猿真似をすることしかしてこなかった。 また、アメリカの証券や金融の世界には、アメリカの優秀な頭脳が集まっているという。その優秀な頭脳が素人でもわかるような(もっとも分からなかった素人もおおいのだが)バカげたことをしてしまった。学校で優秀な頭脳というものが案外信頼できないものであることが今回はっきりとわかったからである。 困るのは、世襲大臣にしろ官僚にしろ頭脳エリートにしろ彼らがやることやったことのツケを払うのは私たち庶民であるということである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ところで政治家に世襲がなぜおおいのだろう。大臣も世襲議員が多い。 つらくてしんどくて見入りも少ない、つまりうま味のない「職業」なら、世襲などさせないに違いない。もっとも議員以外の世襲にはまた違った意味があるが、議員はなにかよほどのうま味があるのだろう。 それを世襲させるというのは、「可愛い息子や娘」に、競争をさせたくないからだろう。地盤を受け継がせれば、それだけ政治家になるための苦労をしなくてすむ。自由競争の苦しみをあじわわなくてすむ。利権もすんなりと守られる。 市場原理主義、自由競争、規制緩和をいう議員が子どもを世襲させることが多いということは、だから、きわめて矛盾したことになる。 なんのかのと他人には押し付けながら自分たちは、安全な場所におり、スタートの位置から違うのである。 こう考えると小泉元首相が息子に世襲させることは、彼のいうこととまったく矛盾する。遡れば彼自身が世襲三代目なのがおかしい。 こう考えてくると多くの政治家のいうことの多くが信頼の置けないことが納得できる。
2008/10/11
アメリカが1942年(昭和17年)の段階で、日本の敗戦を予定し、その際天皇をどう利用するかを検討していた、ということは何人かの学者が明らかにしている。 この本は、敗戦後、天皇を利用しようとするアメリカとアメリカに取り入ることで天皇制を死守使用とする天皇とのやりとりを天皇とマッカーサーの11回の会見記録を通して論じている。私が特に印象にとどめたのは以下のことである。 ・天皇は天皇制を死守するという目的、アメリカは天皇を日本支配に利用しようという目的から、互いに利用しあい、ある意味では共同戦線をはったと見られること。 ・天皇は天皇制の死守、そのための自らの免罪のために、ダブルスタンダードをとった。一つは天皇は自らは政治に関与できず、しなかったという表の言説、もう一つは戦争の全責任は自らにあるとする裏の言説。このふたつを巧に使い分けたということ。 ・天皇を守るというアメリカの立場と天皇制を死守するという共同の利益から憲法の天皇条項が入れられたこと。 ・天皇は東条らに戦争責任をおしつけ、自らと天皇制の免罪をはかったということ。これにマッカーサーは同調したということ。(これについては別の学者は終戦前からのアメリカの既定路線であったとしている。) ・天皇は第11回の会見でマッカーサーに「東京裁判」があのような形、すなわち天皇の免罪と東条をはじめとする一部軍国主義者の処罰という形で終ったことに感謝の言葉をのべていること。 ・天皇は、「東京裁判」を評価する立場から、東京裁判を全面的に受け入れるとする講和条約を高く評価したこと。 ・天皇は、内乱、侵略による天皇制の崩壊をおそれ、アメリカに長期の駐留、アメリカによる日本の保守、そのための条約の必要、日本へ基地をおくこと、沖縄の長期にわたる占有などについてマッカーサーに進言したこと。 ・天皇は、東京裁判、講和条約を評価する立場から、靖国神社への参拝をA級戦犯合祀後は行わなかったこと。 ・天皇は、なによりも天皇制が超越する価値があると信じていたらしいこと。 などなど。 以上思いつくままに印象に残ったことを書いたが、私の読み取りのあやまりもあるかもしれない。 だが、いずれにせよ。昭和天皇は、「自主性」に富んだ人物であり、記憶力抜群、頭の回転のすこぶる速い人物であったようだ。 岩波現代文庫(1000円+税)240ページ。論証の過程がすばらしく、示唆と発見に富むわくわくするような一冊であった。
2008/10/10
世界はアメリカ発の大恐慌の様相をていしている。不安な国日本の民はますます不安にならざるをえない。そんな時、アメリカはアフガニスタンの戦線を拡大し、日本はそれについていくらしい。 アメリカ発の大恐慌でこうむった損失は、何百兆円になるかわらないという。そんな時、アメリカはアフガニスタン軍増強のため日本を中心に1兆7000億円の軍事費負担を要求しているという。イラク戦争での累積戦費もすでに100兆円を越えている。これとは別に軍事予算として世界最大の巨費をとうじているのである。 戦争などやめてアメリカの起こした恐慌対策に専念してほしいものである。 アフガニスタンは面積が日本の約1・7倍。人口約2400万人。14歳以下の子どもと65歳以上の老人で約人口の半分。のこり1200万人の半分は女性。つまり子どもと女性と老人の国なのである。 GDPを調べてみるとさまざまな統計があるが50億ドルから200億ドルの範囲である。つまり正確な数字はわからない。いずれにしてもきわめて貧しい国であることは確かである。 ごく貧しい国、子どもと女性と老人の国を、世界の39の国が参加して攻撃している。もっとも中核は6ヶ国で、その6ヶ国が軍隊のほとんどの約6万人を投じている。 とても貧しい、子どもと女性と老人の国、荒廃した国を、最新鋭の武器で、国のほんとうに低いGDPの何倍もの金を投じて攻撃し、国土を更に荒廃させ罪のない人々を更に殺す理由がどこにあるのだろう。 、これではまるで猫が鼠をもてあそぶような、命をもてあそぶのと同じ行為ではないか。 日本の議会は、自民、公明、民主、国民新党の多数で新テロ特措法改正案を承認した。これからも、アフガニスタンの戦争に加担し続けるのだという。 自公は、それが国益だというが、国益のために他国の罪のない人々を殺傷することに加担していいのだろうか。 自公はそれが国際貢献だというが、「国際貢献」などという名目で、罪のない人々を殺傷していいのだろうか。 民主党は、いままでさんざん新テロ特措法延長に抵抗してきた。それが、早期解散をうながすために承認にまわったのだという。早期解散を促すなとというつまらぬ戦術のために、罪のない人々を殺すことに加担することを承認していいのだろうか。あれだけ、抵抗しておきながら、あんなに簡単にコロッと変身していいのだろうか。 アメリカがアフガニスタンを侵略し、攻撃を加える口実はすでに失われている。オバマもマケインもアフガニスタンに攻撃の重点を移すというが、これ以上、人の命をもてあそぶことは罪の上に罪を重ねることである。
2008/10/09
前の国会であれほど紛糾した補正予算案、新テロ特措法延長についた民主は容認するという。新テロ特措法延長などは、衆院本会議審議まではずすという。いままでの民主党の態度はあれはなにだったのだろう。→ここ 民主党としては、新テロ特措法延長、補正予算案を呑むことで早く解散においこみたいということらしい。 なるほど、安倍、福田、麻生と国民の審判をえずに首相となり、内閣を構成し、行政をおこなうことには道理がない。早期に解散すべきである。だが、解散と取り引きする形で審議をつくさず容認することは、なれ合いでしかないのではないか。 解散をするのならよけいに臨時国会で、山積する課題について取り上げ、激しく深い論戦を展開し、国民のまえに争点をはっきりと示すべきではないか。 国民が知りたいことはたくさんある。政党のそれぞれがどういう考えをもち、どういう方向を打ち出そうとしているか具体的に知りたいことも多い。 このまま解散すれば、すべてがあいまいなままに、作文したマニフェストや口から出まかせのプロパガンダが広がることだろう。 あまりにもなれ合い的な民主党の態度には賛成できない。
2008/10/08
ほそぼそと続く並木のした、落ち葉を踏みながらあるいていると一軒の家にであう。家の住人と目が合う。住人は旅人を呼びとめる。家の前で椅子に腰を下ろして、旅人はいっぱいの茶をよばれる。のどかなアフガンの秋である。 遠くの山々は銀色に光っている。草原の向こうに流れが見える。静かに流れる時間は、アフガンの長い歴史のながれを感じさせる。 この平和であったアフガンに、最初ソビエト軍が侵略した。ソビエト軍が引き揚げると軍閥たちが内戦を始めた。ソビエト軍がいた頃、ソビエト軍と戦うためにアメリカによって支援された軍閥たちだった。アメリカが育てたのは、軍閥だけではなかった。タリバン、アルカイダなどもそうだ。 内戦が終りかけた頃、アメリカ軍がタリバンやアルカイダを口実に侵略した。 こうしてアフガンの美しい四季は、自然と文化は、メチャクチャに破壊された。何十万という死傷者、何百万という難民、破壊され尽くした村村。 他国を侵略し、破壊し、殺し、傷つけるどんな口実もウソである。そのウソで今もなんのわけもなく、人びとが殺され傷つけられ続けている。 あのおちついた美しく豊かであったアフガンはどこへいったのか。 アフガン侵略を支援するのが国際社会への責務だなどと嘘八百をいいつのる政治家の集団が日本にはいる。
2008/10/07
「戦争は一人の人間から、一人の人間として死ぬ自由をうばい、死者を「祖国のための死者」として抽象化し、祀りすてる。その戦争の死者を、大戦後の「平和」は慰霊碑や記念碑といったモニュメントによって抽象化し、もう一ど祀りすてる。戦争による、一個のl死体として死ぬ一個の人間のイメージの消去。」(長田弘『われらの星からの贈物』みすず書房の「死体について」の一節から) 印象深い一章だが、特にここでどきっとした。「祀りすてる」。本質をずばりといいあてている。靖国にしろ、国立慰霊施設にしろ、全国にあまねくある記念碑や慰霊碑にしろ、「一個の死体として死ぬ一個の人間のイメージが消去されてしまう。 人は抽象体としてでもなく、祖国のための死者としてでもなく、あくまでも一人の人間として死ぬ自由を贈らねばならない。 抽象的慰霊によって祀ることは、まさに「祀りすてる」ことである。 「祀りすてる」国家は一人一人の死者を忘れ、再び、一人一人の人を中傷的な数、物量として戦場に投げ込むに違いない。
2008/10/06
「かしこくも御名御璽をいただき」という時代錯誤のことばで演説をはじめた首相は「もうしあげます。日本は強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります。 日本は、明るくなければなりません。幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほえむ国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。」と続けた。 マンガしか読まないと自ら言う人物だから、いずれ代筆だろうが、いくつもおかしいところがある。幕末にやってきた外国人が「決して豊かでないにもかかわらず」などと書いたか。幕末に日本国民などというものが存在したかなどなど。 だが、一番気にかかるのは強く明るくなければならないという日本という国とはなにかということであり、日本人とはなにかということである。それは多分、以下に引用するようなものではない。 「そうした国家と国はちがうんだという発見から、戦後の時代がはじまったのだとかんがえるんですが、そうした国家によって国を独りじめさせることはできないというおもいを、今日という時代はずいぶんと失くしてしまってるんじゃないか、とおもうんです。」(長田弘『一人称で語る権利』の「平和という言葉」から) 「歴史の主語が、国家という主語を自分にもったひとりひとりが、戦争の体験をとおして、じぶんという孤独な主語しかもたない市民のひとりひとりへとかえされねばならなかった」(同書の「ヒロシマと広島のあいだ」から) 演説にいう日本という国とは、国を独りじめにした国家であり、国家という主語をそれぞれに持たされた国ではないだろうか。いいかえれば、国民から超越し、国民を統合し支配し自由に左右する国家である。 国民とは、その支配にすなおにほほえみながら従う民である。 そう考えれば、首相の演説に述べる日本国と日本国民についてのさまざまな美辞麗句もすべて空疎なものでしかない。 それではどうするのか、具体的中身はどうなのか。それに対する応えは聞えてこない。 首相のいわゆる「所表明演説」とその後の言動を見聞きしながら、その中身のなさを痛感する。首相にあるのは、ひとりよがりな演技とやくざなものいいだけである。
2008/10/05
道路で遊べた頃があった。もちろん、舗装などはなかった。自動車はたまにしか通らなかった。こどもにとっていたるところが遊び場だった。 その後、すこしずつ自動車が増え、舗装が増えた。その頃、ミニ公園があちこちに出来た。子どもはそこへ少しずつ追いやられた。それでも道路でキャッチボールをしたり、ボールを蹴るよゆうがあった。 自動車は増え続けた。あらゆる道路が舗装され、自動車は通れる幅があれば、どこへでも侵入した。子どもは完全に道路から追い払われた。子どもだけでなく、歩く人は自動車に追い払われた。 その頃ミニ公園に、アブナイ、〇〇禁止という札が溢れるようになった。 子どもの遊ぶ場所はどこにもなくなった。土、大地、自然、空、風、草、木々、虫、鳥、そういったものから、切り離された。子どもは家の中の空間に閉じ込められた。 そういう環境に生まれ育った子ども達はそれが普通の当たり前だとなんの不自然も感じないのではなかろうか。 だが、私たち大人の世代が大切なものを子ども達から奪ってしまったように思えてならない。かわりに、子ども達は、あるいは、私たちはなにを得たのだろう。 政権担当能力云々の国会の茶番劇を見ながら、そんなことをふと思った。
2008/10/04
週刊金曜日10月3日号に霍見芳治さんの「CIA極秘ファイルの破壊力」という面白い文章が掲載されている。 麻生首相の誕生は新しい「ブッシュのポチ」の誕生だとアメリカ側からは見られている。小泉のブッシュ追従が日本破綻を加速した。 岸の政界復帰工作からはじまって自民党の代々の首相や派閥のボスはCIAの機密費を受け取ってきた。一方CIAは自民党の首相や派閥のボスについて詳細な「人物と信用調査ファイル」を作成している。と書いたあと以下のように書く。 ★「私の聞いたところでは(ブッシュにごく近い筋から)小泉ファイルを土台にした心理分析でブッシュと似た性格で、おだてと脅しの使い分けで自由に操作できるとの人物八卦だった。万一の場合、脅しの種としていくつかのメニューがあったとされる。私がCIA筋から聞いた話では、小泉が慶應義塾大学四年生の春に起こしたデートについての不行跡、そしてロンドンへ逃避(留学名目)した事情がある。」 その結果、小泉政権は、ブッシュの振り付けどおり日本の大改悪をした。以下詳細に「構造改革」「規制緩和」の名のもとに行ったことが数十項目羅列されるが、それは周知のことゆえ省略しよう。 では、麻生首相はどうか。 ★「麻生太郎の極秘ファイルには、これまでの政治暦と腹黒い寝技が記されているのは間違いない。そして、秋葉原オタク好みの本人の浅慮と無教養。これは歴代の自民党首相の特徴だから別に驚くに値しない。」 こう書いたあと霍見さんは、ご自身が直接麻生氏と会って確認した事実についてのべる。麻生氏が英語がほとんどできないこと。マンガしか読まないと本人がいったことなど。 そしてこうも書く。 ★「もちろん、CIAは英国のMI6諜報機関と協力して麻生太郎の英国留学中の言動に加えて、太平洋戦争中の麻生炭坑での英、米、加、オーストラリア兵捕虜や中国人、朝鮮人連行の強制虐待労働の実態も調べている。また、麻生自身がアフリカのザンビアのダイヤモンド採掘の監督人として麻生鉱山から一年半派遣されており、この間にダイヤモンドをめぐるザンビア人虐待の血なまぐさい話もある。」 以下略すが、小泉、安倍、福田、麻生、いずれにせよ、本人がアメリカと政治も経済も安全保障もなにもかも一体になったほうがよいと考えているに違いない。その背後には日本の政官財の支えがある。 もちろん、それだけでなく、アメリカからの強要あるいは要請がある。これは公然とやられている。 それだけではく、霍見さんが書いてある「極秘ファイル」も当然あるだろう。何しろ自国の政治家の盗聴ファイルがある国である。小泉ファイルも麻生ファイルも詳細なものがあるだろう。 情けないのは、公開されたら命取りになるようなスキャンダルをそれぞれの首相、あるいは首相候補が抱えていること。そして首相になった人物がたぶん確実に、要所要所でそれとなくほのめかされ、素直に従って「よく吠えるポチ」になっているだろうことである。 この文章をよんで思ったのは、政治を日本人のものに、そして、日本の主権者のものにとりもどさねばならないということである。 (注)霍見芳浩(つるみよしひろ)さんはニューヨーク市立大学教授
2008/10/03
自民党の麻生首相が30日、記者会見で「日清、日露と、いわゆる大東亜戦争、第二次世界大戦は種類が違う」といったという。 その大東亜戦争発言に関連して、自民党の河村官房長官は同じ30日、「首相は~中略~教育勅語をそらんじることができる我々同じ世代の唯一の国会議員だ」と弁明したという。 ちなみに麻生氏は1940年生まれ、河村氏は1942年生まれである。どう考えても受けたのは戦後の民主教育。というより教師達が模索してさまざまな試みをした、今からみればすばらしい一時期であった。 河村氏は錯覚をしているのか、出まかせをいっているのかたぶん後者であろう。だが、それにしても、大東亜戦争といい、教育勅語をすらすらといい、この程度の知識しかもたない、教養ともいえない人物が一党の幹部を務め、一国を代表しているかと思うとなんともうすら寒い感じがする。 彼らに政治を任せていて、大丈夫だろうか。たぶん大丈夫ではないだろう。
2008/10/02
国会の議席を10%削減する、これが民主党のマニフェストだという。愛媛新聞によると民主党のマニフェストの原案が分かった、その中にある。 議席を減らせばいいという声はよく耳にする。だが、議席を減らすということは、有権者の声がそれだけ聞えにくくなることである。 いや議席を減らせば、無駄なカネを使わなくて済む、だいたいクズみたいな議員が多すぎるとまでいうひとがいる。同感だが、それは、そういう議員を選ぶ側にも問題がある。 今の現状で10%減らすということは何を意味するだろう。それは自民党や公明党や民主党の議員にはあまり影響しないだろう。影響をもろに受けるのは、少数政党である。 国会には有権者のさまざまな声が反映するほうがよい。ということは、少数政党も必要であり、さまざまな声を反映する多数の政党があるほうがよい。 10%削減すれば、小数政党は更に数を減らすか、あるいは消滅するだろう。それは国民の中にある少数派の声を消滅させるということである。 今、自民と民主の二大政党が言われている。この二大政党は、小さな違いを強調して対立する政党を演出しているが、ほぼ同一の保守政党、支配層の政党である。議席を10%削減するということは有権者の選択肢がなくなるに等しい。 そもそもこういう案がマニフェストとして民主党から出されるところに、互いに補完しあっている二大保守政党というものの本質がくっきりと浮かんでみえる。 追記、公明党は民主、自民に関わらずそれを補完する保守政党である。
2008/10/01
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