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知人がトウモロコシを送ってくれた。小さな菜園をしているので、お手製かと思ったが、農家が作ったトウモロコシだという。早速、皮を剥いて、茹でて、かじりついた。水分たっぷりで甘い。トウモロコシだ(←当たり前)。トウモロコシをかじると、毎年父母を思い出す。亡母は、トウモロコシを、トウキビと言っていた。トウモロコシを漢字で書くと、「玉蜀黍」。黍(きび)が付くので、そう呼んでいたのかとも思ったが、方言なのかもしれない。そして、亡父は、トウモロコシは焼いて食べるものだ・・・と言って、茹でたトウモロコシは食べさせて貰えなかった。なので、子供の頃、友だちが茹でたトウモロコシを食べるているのが羨ましかった。七輪に乗せて、トウモロコシを焼いたのだが、七輪の幅よりトウモロコシの方が長いので、下の方と上の方を、移動させながら焼いたことを思い出す。また、亡父は、トウモロコシはかじるな、きちんと指で外して食べるように、とも言っていた。今では、焼くより茹でる(蒸す)方が断然早いので、茹でているが、そうすると、指で外して食べられないので、かじりつくことになる。この歳になると、消化の悪い粒の根元は食べたくないので、かじった方がいいと思うが、かなり汚い食べカス芯になる。特に今回頂いたトウモロコシは柔らかいので、指で外したくても外れない。つぶれるだけだった。亡父が見たら、何と言うだろう?
2021.06.27
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数年前・・・7年ほど前になるか・・・義母の米寿の祝いをした折り、記念品として、孫から、クマ束が贈られた。 クマ束とは、クマの小さなぬいぐるみを、花束のように仕立てたもの。単なる花束より長持ちするし、ユニークなので、私が選んだ(孫ではないが)。義母も喜んで受け取ってくれた。義母は、2年ほど前に老人ホームに入ったので、このクマ束はそのままになっていたのだが、このほど、我が家のさっちゃんが、クマだけを取り出して、シャンプーして、籠に入れた。ん、なかなか可愛い。小さなぬいぐるみが団体になると、可愛らしさを増す。これを義母のいるホームに持って行くこともアリだと思うが、ホームは面会お断りが続いている。郵送すると、開封して消毒をするのかも知れないので、余計な手間をホームのスタッフに掛けたくない。いつまでコロナが続くのか・・・・
2021.04.01
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義母の家から、位牌などを持ち帰った。いくら何でも、位牌までは処分できないからで、仏像や軸なども一緒に持ち帰って、小さな家具の上に安置した。こんな感じでいいとは思ったのだが、小さな仏壇を購入した。1万円もしないコンパクトな仏壇だ。大仏様も軸も納まる。ただ、鈴(リン)も以前の物なので、大きさが不釣り合いではある。位牌などは、我が家のさっちゃんに属する物なので、口出しはしないが、ミニ仏壇は、私が支払をすることにした。私の家に来たのだから、(安いものだけど)歓迎の意思を表したのだ。そして、この仏壇・・・・何年後かには、誰かが、同じ事をするようになるだろう。墓終いと同じように、仏壇終いも考えた方がいいのかもしれない。
2019.10.30
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車で数分のところに、農協の直売所がある。米や、野菜、果物、切り花、卵など、新鮮な品を売っている。たいがい買うのは、米と切り花。この季節だと、ブドウや桃だ。そんな直売所だが、数日前に行ったら、お盆用品が店外に並んでいた。私の母が茨城から、我が家近くのマンションに引っ越してきた時には、茄子の馬を自作して、亡父が迷わずにマンションへ来られるように、したのだが、本来は、画像のようなものを門口に立てて、お墓まで迎えに行くようだ。郊外の家では、このような飾り物を見ることがある。出しっ放しというか、かたづけないというか、半分朽ちたものが門口にあったりする。いつでも帰って来て下さい、ということなのだろうか?私の父母の位牌は弟に託し、墓地も弟に相続して貰った。だから、お盆は関係が無い、というのではない。このよう盆の飾り物を見ると、父母に帰っておいで、と願いたくなる。・・・・こうして書いていると・・・ウルウルしてくる。涙もろくなったものである。
2019.08.03
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私の母は、トウモロコシをトウキビと言っていた。トウキビは方言でなく、「唐黍」と書く。ポルトガル人が日本に持ち込んで、唐のモロコシに似ていたので、トウモロコシとなった、ようだ。そのトウモロコシだが、我が家のさっちゃんは、3本も茹でた。我が家は老人2人。1杯の掛け蕎麦ではないが、1本のトウモロコシで十分だ。なぜ、3本も・・・と思ったら、1本は、老人ホームに入った義母に届けるからだという。90歳を過ぎた義母に、この量のトウモロコシは多いと思うが、半分にして持って行くのは気が退けるから、1本を持って行くという。そこまでするか・・・と思ったが・・・私の母が老人ホームに居た時にも、私も同じ様なことをしていたと思い直した。あの時、こうして上げれば良かった・・・・と思うことが無いように、出来るだけのことはして上げたいと思うのは、誰しもであろう。
2019.07.10
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義母が入る老人ホームを探していた。 スタッフが明るいこと 建物内が明るいこと 費用が安いこと 駅から近いことなどなど、いろいろな条件があったのだが、空きのある施設にしか入れないのだから、多くを言わず、妥協して決めた。我が家から車で20分程、バスもあるが、バス停からちと距離がある。入居金一時金はゼロだが、毎月の費用はその分高い。空いていた部屋は、南向きで、以前の入居者が置いていった(寄付した)TVと冷蔵庫が備わっている。という、介護付き老人ホームだ。義母の年金では毎月の支払はまかなえないが、義母の預金を取り崩していけば、数年は、支払に困らないだろうという計算もできた。画像は、その食堂。グランドピアノが置かれていて、音楽療法や演奏会があるという。我が家のさっちゃんは・・・入れてよかったんだよね・・・と、少しさみしそう。
2019.05.13
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安い老人ホームにはそれなりの理由があるのだが、現地を訪問しなければそれは分からない。なので、可能な限り、見て回ることにした。とはいえ、空きがあるホームは少ないので、この点はいい、この点は良くない、と多くを言っていたらタイミングを失う。なので、決めるつもりで、見て回った。その結果、感じたことは、 入居者が50人程度の規模 デイサービスを併設していないところ 施設長や責任者に明るさがあることという点。規模が小さいと食事もトイレも同じスタッフが担当することもあり、部屋の掃除まで手が回らなかったりする。デイサービスを併設していると、スタッフの手がそっちに向きがちになる。当然、責任者に笑顔がないと、スタッフも入居者も暗くなる。埼玉じゅうの老人ホームを見て回ることはできないから、どこかで折り合いを付けなければならない。
2019.04.22
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介護付き老人ホームのパンフレットで、月額料金、入居一時金、立地などをチェックし、ここならいいか、と思えるところに電話を入れた。「現在空きがありますか?」と聞くためだ。が、ほとんどのところから、「2人待ち」とか「空き待ちの予約は受けない」という答が返ってくる。高齢化社会と言われるが、正にそうなんだと実感させられた。そうと分かれば、多くは望めない。先ずは立地の条件から広げることにした。駅近でなくてもいい、毎日行くわけではないからタクシー利用でもいい、としたのだ。そのような中、我が家からの徒歩圏に、空きのあるホームがあるとの情報が入った。しかも、月額料金も入居一時金も安い。ビルの谷間の傾いた建物か・・・などと思いながら、見に行った。が、予想に反して、しっかりした建物で、日当たりも良い。なぜ他のホームより安いのかと、当然に質問した。その答は、社員寮だった建物を改修したから、だという。なので、各個室にはトイレがなく、風呂はタイル張り、各個室は板張りでなく、ビニール張りとなっている。また、エレベーターが狭いので、食事の搬送やストレッチャー利用に制限がありそうで、安く改修した結果が見えていた。 (ストレッチャー ・・・ 棺桶の場合の方が多いかも!)
2019.04.17
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いわゆる老人ホームの入居金は、月額7万円から25万円ほど。安いのは、特養や老健だが、数が少ないために10~20人という順番待ちになっている。なので、義母をかかえて何年も待つことはできない。介護有料老人ホームは、月額30万円を超すところもあり、入居一時金は数百万円から2千万円というのが相場のようだ。そして、月額料金が安いところは入居一時金が高く、入居一時金が安いところは月額料金が高いという関係にある。入居一時金は入居年数で逓減し、5~6年でゼロになる。義母は93歳だが身体的には元気だ。月額料金と一時金の逓減額をシミュレーションしたくなるが、義母の余命を測る術はない。そして、選択肢で重要なのは立地だ。できるだけ我が家に近い方がいいが、我が家のさっちゃんは車の運転ができないので、駅近が望ましい。が、当然に、駅近は高い。義母の年金ではまにあわない。駅近で安いのは、JRから私鉄に乗り換えて数十分の遠方。往復に何時間も掛かるのでは、我が家のさっちゃんの拘束時間が長くなる。そして、最大の問題は、現在空きがあるかということ。
2019.04.15
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私の母が老人ホームへ入ったのは、13年ほど前。あの時は、多くを考えず、病院から老人ホームへ送り込むことができたのだが、今回、義母のホームを探すことになって、老人ホームの種類の多さに驚いた。住宅メーカーが運営する高齢者向けの住宅も「老人ホーム」の扱いになっていたりする。食事が出るのか、入浴やトイレの介助はあるのか、医者は?施設名だけでは分からないところがある。ホームページを見て、パンフレットを取り寄せ、ケアマネージャーの意見を聞き、いくつかの老人ホームを見て回った。が、当の本人、義母がその気にならなければ、先に進まない。先ずは、デイサービス、次いでショートステイ、と考えたのだが、義母は「そんなところには行かない」と言い張る。しかし、日増しに義母は衰えていく。トイレも危うくなり、室内での転倒の危険も増してきた。どうにかデイサービスに送り込んだら、風呂に入れてくれ、体を洗ってくれた。食べ物が美味しかった、との感想。それなら、今がチャンス、ということで、老人ホーム探しを加速させた。
2019.04.13
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2年ほど前、義母が転倒して大腿骨を骨折した。義母は現在93歳。手術の結果歩けるようにはなったのだが、買物などの外出しなくなり、引きこもりがちになっていたのだが、しだいに、我が家のさっちゃんと周波数が合わなくなってきた。実の母子なので、お互いに言いたいことを言い合う結果だと思うのだが、痴呆が出てきた義母は遠慮なしに有ることない事を言うようで、我が家のさっちゃんのイライラが強くなってきていた。そんなにイライラしているとガンになるよ。そろそろ老人ホームを考えたらどう、と言い続けてきたのだが、我が家のさっちゃんは、ホームに入れる考えはない、私が介護を放棄するワケにはいかない、と頑張ってきた。が、ここへ来て、義母に色々な不都合が出てきて、ようやく、老人ホームを探す気になってきた。ということで少し前から、ネットで情報収集を始めたのだが、ネットの画面には老人ホームの広告が一気に増えた。
2019.04.10
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10月、11月は、父母の命日の月。なので、茨城へ墓参りに行ってきた。そんな話を知人に(電話で)話したら、「その体で大丈夫なのか?」と心配された。私の説明が十分でないのだろうが・・・重篤な病のように思われているようだ。で、父母の墓には、句碑と歌碑がある。俳句は父が、短歌は母が作ったもので、私と娘と弟が、碑の文字を書いた。 春うらゝ蝶を前後の警らかな警察官をしていた父が、昔の長閑な警邏を振り返って作った句で、、「春うらゝ」と「蝶」の季重ねになっているが、父の自慢の句だったので、これを碑にした。父母の墓までは、片道120Kmほど。簡単に日帰り出来る距離だが、どうせ暇ん爺なので、大洗で一泊することにした。
2018.10.18
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狭庭の曼珠沙華が咲いた。これは、何年か前に、父母の住んでいた茨城の家から掘ってきたもの。タイトルには、色々な名を並べたが、全部、曼珠沙華のこと。一番なじみが深いのが、彼岸花だろうか。律義に、秋の彼岸の時に花を開く。曼珠沙華を初めて見た時、不気味な花だと思った。何がそう思わせたのか分からないが、今では、好きな花の一つとなっていて、曼珠沙華が咲くのを心待ちにするようになっている。茨城の父母の家は処分したので、今はない。父母の命日は10月と11月。墓参りを忘れるなよ、と、彼岸に花を開いているように思える。父は、71歳で他界している。その71歳に、私もなった。そんな歳なんだな、と思わずにはいられない。
2018.09.25
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この歳になると、ボケ、痴呆、介護、認知、などの言葉や音声に敏感になる。自分のこと、何らかの情報があるのか、と思うからのようだ。で、先日、駅のホームで、「ボケ」の文字が目に入った。向こう側のホームだ。こんな若い子に「ボケ」と言われたくないな・・・なんと無神経な広告なのだろうと思った。が、よく見ると、0¥とある。サラ金の広告だ。なぜ、サラ金が「ボケ」なんだ!「ボケ」には貸さないのか・・・とまでは思わなかったが、一時、???だった。よく見たら、「ボケ」でなく「ボク」で、「ボクにピッタリ」の金融システム・・・ということのようだ。これが「ボケ」と読めてしまうのは、やはり、ボケの始まりなのだろう。そのうち、「ボケはボク」と読むようになるのだろう・・・・追加・・・・ ボケ ボクこの看板の「ク」の上が長すぎるのが、原因か・・・
2016.02.15
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亡母の成年後見人をしていた。2009年から、母が亡くなるまでの2年半だ。被後見人が亡くなると、成年後見人の任務は終了する。終了して、3年以上が過ぎたので、関係書類を処分することにした。戸籍やら、預金通帳のコピーやら、診断書やら、他人様には見られたくないものがたくさん有るからだし、いつかどこかで処分しないと、私の子ども達に余分なゴミ処分を頼むことにもなるからだ。我が家には、シュレッダーが無い。手で、数枚ずつ、破いた。手首を痛めるといけないので、2~3枚ずつ破いた。で、書類破棄の後遺症が出なかった・・・・と思った矢先、2日後に、左手の手首が痛くなった。夜、眠れないほどの痛さだ。穏やかに破いたつもりだが、体が弱っているようだ。
2015.04.16
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母が他界して3年。法事をすることになった。いわゆる三回忌だが、世間では、2年目の法要を三回忌という。1年目は一回忌なのに、2年目からは初回算入となって、ひとつ大きくなる。で、これが誕生日となると、初回算入はない。当然ながら、3歳になった年の誕生日は、3回目の誕生日だ。誰が決めたのか、回忌の数え方は変だ。ということで、母の三回忌に、母が映っているビデオを編集して、兄弟に配ることにした。ビデオは数年前にDVD化したのだが、何も考えずに、片っ端からDVDに移したために、中味や日付がばらばら。映っていそうなDVDを全部見ることになった。母親の思い出だから、時系列に並べた方が見やすいのだが、ビデオ画面に日付が入っていないので、簡単に並べることが難しい。同じDVDに数年違う映像が入っていたりする。手がかりは、子どもたち(母の孫)と、当時乗っていた車と、母の腰の曲がり具合。今のビデオは、別チャンネルで日付などのデータを記録してくれるが、昔の機械にはこの機能がない。画面に出てくる日付は邪魔だが、入れておくべきだったと、反省中!
2014.07.13
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私の母の納骨をして、ほぼ半年。その間、何回か墓参りをした。もちろん、墓参りは始めての出来事ではない。父も同じ墓に眠っているし、義父の墓参も欠かしたことはない。だが、母の墓(父の墓でもある)へ行くと、これまで感じたことのない思いを抱く。それは、ここに母が眠っているんだな・・・ここで母が待っているんだな・・・という思いだ。父は何年も前に永眠しているが、そのような思いを抱いたことは一度もなかった。「千の風になって」では、「私はそこにいません」、と歌っているが、そうではない、母はそこにいる、と感じる。母親っ子ではなかったのに、不思議だ。亡くなる前の10年を、近くで過ごしたからかもしれないし、60年も生きてきた歳がそう感じさせるのかもしれない。
2012.05.10
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日本老年医療学会が、高齢者の終末期における「最善の医療およびケア」について、「必ずしも最新もしくは高度の医療やケアの技術すべてを注ぎこむことを意味するものではない」との立場表明をした、との報道があった。医者の使命として「最善の医療」をする医者もいるし、金儲けとして「最善の医療」をする医者もいるのも現実だ。そのような中、私は母の延命措置を断ってきた。それは姉弟の完全一致の意見ではなかったが、老人ホームへ母を入居させた責任者として、「入院等の判断は慎重にしてほしい」と、ホームの責任者に頼んでいた。母は老衰まっしぐらで、晩年は、自分の手で食事を摂ることができず、目はほとんど見えず、耳も辛うじて聞こえる状態の連続だった。数年前から、セガレたる私の認識も薄くなり、当然に、母としての言動はなくなっていた。老人ホームへ行っても「母はいない」・・・そのような気持が強くなっていた。母に会いに行くのではなく、義務のような、ホームに対する見栄のような何かがあって、母のいる老人ホームに通っていた。と、過去形で書いたのは・・・・・母が他界したからだ。去年の秋のことだった。記憶が薄れないうちに、母の死に関することを書いておこうと思う。
2012.02.18
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句会に新しいメンバーが加わった。田中かなた(たなかかなた)さんだ。これは、本名ではなく俳号である。この名を聞いた時、すぐに俳号の意味が分かった。上から読んでも、下から読んでも、だと。で、句会のメンバーの一人(77歳)に、上から読んでも・・・ですよ~~、と言ったのだが、分からない様子だった。なので、「田中」の反対は?と聞くと、「中田」という答が返ってきた。そうでなく、ひらがなで読むと、と聞き直すと・・・「か・・な・・・」と、明瞭さに欠ける様子。同じことを、義母(86歳)に聞いてみると、「か・・・」と言うだけで、話を変えてしまった。どうやら、固有名詞などを反対から読んでもらうと、惚け度合いのチェックになるようだ。これは大発見とばかりに、機会あるごとに、当人でない別の人の名を、逆さまに言ってもらう楽しみを覚えた。単刀直入に尋ねては失礼だし、構えられてしまうので、話の流れで、それとなく出すのがコツだ。お暇な方は、お試しを!
2011.11.10
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老人ホームにいる母は食が細っている。三度の食事も数口しか食べていないようで、スタッフさん達が、プリンやヨーグルトを食べさせてくれている。なので、私も、母が食べやすいものを持って会いに行く。先日は、フルーツゼリーがいいだろうと考え、幾つか買って行った。で、ホームに着いてフルーツゼリーを見たら、「カロリーゼロ」、「カロリー控え目」と書いてあった。ふだん、自分ではフルーツゼリーなる物を買ったことがなかったので、カロリーゼロがあるとは思ってもいなかった。食が細って、栄養摂取とカロリー摂取が不足している母に、カロリーゼロはない。栄養摂取とカロリー摂取を考えるなら、しっかりとしたアイスクリームがいいのだろうが・・・老衰期の老人の体を冷やすことになってもいけない。溶けたアイスクリームを飲ませようか・・・
2011.10.18
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老人ホームにいる母は89歳。日増しに・・・と言っても、毎日ホームに通っているわけではないが・・・行く度に、衰えてきている。寝ていることも多くなり、このままいくと「老衰」という死因になるのが分かる感じだ。で、寝ている時間が多くなったということは、決められた食事の時間に食事ができない、ということでもある。若い人なら、起こして食べさせることもできるのだろうが、老衰期の年寄りは、起こしても直ぐに寝てしまうので、それができない。なので、食事が冷えてしまうので、介護用のレトルト食品の出番となっている。機嫌良く目覚めている時に食べさせようという配慮で、老人ホームのこのような配慮には頭が下がる思いである。だが、このレトルト食品の代金の請求が月を増すごとに増えてきた。レトルト食が月に数食なら理解できるが、毎日のようになると、本来の給食費でまかなうべきものではないかと思えてくる。老人ホームにこのことを言うべきか否か、いつものことながら悩んでいる。母という人質がいるので、多少のことは言わない方がいいのではないか、言えばお互いが気まずくなる、と思うからだ。とはいえ、老人ホームの基本姿勢は再確認する必要がある、とも思うのである。
2011.08.31
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母のいる老人ホームで、施設長と話をした。地震の様子とその後のことなどを。多くの入居者は、地震のことはとうに忘れていて、後遺症(PTSD)のようなものはなく、全員幸せそうです、という。そして、停電が一番の障害だという。老人ホームの夜は早いので、夜の停電は大して苦にはならないのだが、特に夕食時間を挟んだ夕方の停電に対応するのが大変だという。食事は、1階の調理室で調理して、各人別の料理を盛りつけてお盆に乗せ、軽自動車のワンボックスのようなワゴンに入れ、エレベータで階上に運ぶのだが、停電でエレベーターが動かないので、鍋ごと、釜ごと、階段で運んで、階上の食堂で盛りつけをしなければならないと言う。大きなガス炊飯器の釜、寸胴の味噌汁の鍋は重くて熱があり、階段で運ぶのはとても大変だと言う。「私に手伝わせて下さい」この話を聞いて、即答した。「夕方が停電の日には、ボランティアに来ます」母がお世話になっていることへの、せめてものお返しができたら、と思う。停電のグループ分けを聞いて、予定を入れることにした。で・・・きょう29日の計画停電はないとういう。
2011.03.29
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これは、老人ホームの母の部屋のカーテン。カーテンがレールから外れて、だらしなくなっている。これは、母がカーテンをつかんで立ち上がろうとした結果だ。自力で上手く立ち上がれるなら、このようなことにはならないと思われるが、全体重を掛けてつかまったり、転倒したりすれば、こうなるだろう。そのそも、このカーテンレールはデザイン優先で老人ホーム向きではない。太い木目の棒に、木製の輪っか状の吊り具。その吊り具に小さな木ねじでカーテンを吊っているので、老人といえども、すがりつけば、木ねじが引き抜けるのだ。母のいる老人ホームは、設立10年ほど。色々な経験を積んで、よりよいホームを作っていくべきなのだろうが、「カーテンレールは頑丈なのがいい」という、現場の声が管理者や設計者に届いていないようだ。現場の声を活かせない企業は淘汰されるに違いない。
2011.01.26
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母のいる老人ホームでは、1年に1度、経営陣と家族との懇談会がある。入居している老人ホームの状況や、経営母体の財務状況などを説明するのが主目的だ。このような説明会を開くことが法律で定められているのかどうか分からないが、財務内容を突っ込んで聞くと、「株主の個人情報との関係もあるので、これ以上は答えられない」と逃げる。それじゃ・・・ということで、「ワタミの介護」について質問した。母のいる老人ホームは、ワタミとはまったく関係ないのだが、ワタミが掲げる おむつ-0(ゼロ)、 特殊浴-0(ゼロ)、 経管食-0(ゼロ)、 車椅子-0(ゼロ)、を目指す“4大ゼロ”の取り組みについてどう考えるか、と質問した。「答えは、端的、簡単でいいですから」、と言ったのだが、ぐだぐだと模範的な答えが返ってきた。私としては・・・ それは知っていますが、理想であって、実際は無理です・・・と言って欲しかったのだが、現場が分かっていない経営陣には、無理な質問だったようだ。
2011.01.20
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老人ホームに入居している母について、要介護度の変更通知があった。それは、要介護度を、「3」がら「5」に引き上げるという通知だ。「4」を飛び越して、いきなりの「5」だ。通信簿なら、「3」から「5」になれば嬉しくて飛び上がるのだが、要介護度となると、通信簿が「3」から「1」になったようなショックだ。母の様子からして、周囲の老人の介護認定度からして、母の「要介護3」は適切ではないと思ってはいたが、いざ、そう通知されると・・・しばらくは憂鬱だった。老人ホームがそれで十分な介護ができると判断した「3」なのであろうと理解していたので、「4」を通り越して「5」になるとは思っていなかった。「要介護3」と「要介護5」とで、私自身の立場がどうこうなるわけではないが、これ以上の痴呆はない・・・という答えを突きつけられたような感じだ。要介護「3」と「5」とでは、老人ホームの対応がどう違うのか?この辺のことがよく分からない。利用者負担が増える、という程度の知識しかない。介護保険は分からないことが多い。
2010.10.27
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3番目の眼科医に、「目薬は2種類で、2つの薬は同時に差さないこと。5分以上間を開けること」と言われた。「混ざると変質が起きるんですか?」と尋ねると、「そんなことはない、目から溢れるだけだからだよ」と言う。なるほど、そう言われたら、納得だ。2番目の医者は、そのようなことは、何も言ってくれなかった。そして、「目薬は冷蔵庫で保管すること」とも言う。それこそ、夏のこの時期に常温にさらしておくと変質するのだという。こんな話を聞いて、母のいる老人ホームを思った。母のいる老人ホームを訪ねると、目薬を差す時間になることがあるのだ。スタッフさんは冷蔵庫から目薬を出して、上を向けない母の目に正面から目薬を差す。あっぱれという手際だ。しかし、2本目の目薬を続けて差す。上を向いていない目だから、目薬は溢れるだけ。スタッフさんはティッシュで溢れた薬を拭き取って終わり。何十人もいる入居者に、5分以上の間隔は開けていられないのだろう。老人ホームとは、そういうところだと理解するしかない。
2010.07.15
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きのう、母のいる老人ホームに行った。色々なことがあって、老人ホームには1ヶ月ぶりとなってしまった。私を歓迎してくれたのは・・・ホームのスタッフさんたち。「お久しぶり~~」「待ってましたよ~~」と、大歓迎。これは、いつものことで、母が私を待っていたことを代弁してくれるのだ。で、肝心の母は・・・「○○」と、自分の弟の名を呼ぶ。セガレも弟も、区別が付かなくなっている。「この人ダアレ?」とスタッフさんが母に声を掛けるのだが、母の返事は「知らない人じゃない」。確かに知らない人ではないのだが、本当に分かっているのか分からないのか、どこまで分かっているのか・・・・である。耳は聞こえているようだが、目はどの程度見えているのか・・・・米寿を越して、衰えがすすんでいる。
2010.05.20
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「医療と介護の両方のサービスを利用している世帯の負担を軽減する制度が始まりました」と題した文書が、老人ホームに入っている母宛に届いた。差出人は、地元の「市」。そして、「記入例」をご覧になって「高額介護合算療養費等支給申請書兼自己負担証明書交付申請書」をご記入いただき、同封の返信用封筒で送付して下さい。とある。何の事やらさっぱり分からない。何がどうなって、どうしたから、この書類を出せば、これこれの金額を支給する、と書いてあれば、何となく分かるのだろうが、どこをどう読んでも、分からない。振込詐偽の原因を作っているのは、ここだと思った。分からない書類が届けば、なんとか助けを貰って書こうとするのが年寄だ。こんな場面で電話が来れば、私でも、欺されてしまうと思う。いやいや、そんな事ではない。要介護の年寄りにこんな訳の分からない書類を送りつけてきて、何をしろというのだ。要介護者に金銭的補助をするというなら、介護料を支払う段階でコントロールすれば済む話だし、それ以前に、介護料金を引き下げれば済むことだ。どう考えても、役人のすることは分からない。
2010.03.11
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東京だよおっ母さん 久しぶりに手をひいて 親子で歩ける うれしさに 小さい頃が 浮かんで来ますよ おっ母さん ここがここが二重橋 記念の写真をとりましょうね 小学生の頃、都内に住んでいた。家族で二重橋を見に行って、記念写真を写したこともあった。数年前、母が元気で歩けていたころ、東京に住んでいた時の家を見に行こう、と誘ったことがある。こんな所だったんだよ、変わったね。裏路地は変わらないね・・・などと、見て歩こうと思ったのだ。だが、急に痴呆が進み、老人ホームで車椅子となってしまった。親孝行には“賞味期限”があることを知ったのだった。で・・・・カラオケで、先日、東京だよおっかさんを聞いた。二重橋での記念写真や都内の家を思い出し、母孝行できないことに涙してしまった。涙もろくなったものである。
2010.02.09
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紙風船とカルメ焼きを見つけた。懐かしい~~~。直ぐに浮かんだのは、母の顔。老人ホームにいる母にこれらを持っていったら、喜ぶだろうと思った。だが母は、これらを見ても、表情を変えなかった。欲しい、と手を伸ばすこともしなかった。母の記憶の回路には結び付かなかったようだ。カルメ焼きを半分に割って、母に渡すと、口に運んだ。食べ物であることは分かっていたようだ。紙風船にはまったくの反応なし。膨らましても、ポンポン突いて見せても、母に持たそうとしても、反応を示さなかった。懐かしいと思ったのは、私だけだった。
2009.08.24
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トウモロコシを食べると、思い出すことがある。それは、亡父の言葉だ。 「トウモロコシは焼いて食べるものだ」 「茹でたトウモロコシは歯ごたえがない」そして、 「トウモロコシを囓るな。一粒ずつはずして食べろ」という頑固オヤジの見本のような持論だ。母も父の言葉に従ったから、成人するまでは茹でたトウモロコシを食べたことがなかったし、トウモロコシを囓って食べたこともなかった。この画像のトウモロコシは茹でたもの。茹でたトウモロコシは囓るに限るが、時として、このように一粒ずつはずして食べてみたくなる。最初の一列をはずせば、後は簡単だ。トウモロコシをきれいにはずして食べると、気持ちが良いものである。・・・これが、親譲りというヤツか・・・
2009.08.15
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母の成年後見開始申立の際、裁判所の指示に従って、郵便切手を、 500円を6枚 80円を20枚 10円を15枚提出していた。この切手の使い方については、 先のブログで書いた ところだが、この程、手続きが終了したという理由で、余った切手2千数百円(・・・正確な金額を書くと、個人が特定されるので、概数)を返却してきた。なぜ切手が余ったのかという理由は書いてない。余るなら、最初から要求するなと言いたい。そして、声を大きくして言いたい。それは、返却してきた切手の中に、500円切手が2枚もあったことだ。普通の市民生活では500円切手は使わない、どうしろと言うのだろう?この、やればいいだろう、というのが、役人の考えなのだろう。典型的なお役所仕事だ。
2009.05.27
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きのう、母のいる老人ホームに行った。相変わらずの痴呆具合で、私を見た母は・・・「少し大きくなったみたいだね」と言う。可愛いというか、何というか・・・ここまでになると、哀れのようなものを感じる。そのような中・・・・・・姉弟の悪口は言いたくないのだが・・・・何を考えているんだ、と言いたいことがあった。それは、母の部屋のカレンダーが2月のままだったこと。姉弟の一人が、先週の日曜日に母の老人ホームを尋ねているのに、カレンダーが3月になっていないのだ。小さな母の部屋には、装飾と気分転換を目的にした、カレンダーが3本掛けてある。なのに、いずれも、3月になっていないのだ。母を訪ねたら、母の部屋を見たら、 分かるだろう 気づくだろうと、言いたい。世間はこれを、「温度差」と言うようだが・・・・理解しがたい温度差である。
2009.03.15
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昨日の続き。特別送達で、後見開始、後見人選任の「審判」が届いたのだが・・・なんと、母宛にも同じ書類が届いた。(ただし、普通郵便)母が呆けて、どうしようもなくなったので、成年後見の申立をしたのだから、母宛に書類を郵送しても意味をなさないのは、当の裁判所が一番知っているはず。なのに、郵送してくるとは・・・お役所仕事そのものだ。当の裁判所が、私を後見人に選任したのだから、同じ書類を郵送したいなら、私宛の書類に母宛の書類を同封すべきだろう。本当にお役所仕事というのは融通がきかないものだ。この先、銀行などの手続きで、同じようなことが起きる予感がする。
2009.03.12
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母の成年後見人申立の審判があった。審判があったと言っても、通知書が届いただけで、裁判所に出向いたのではない。一通の書類が届いただけ。書類には、母の「後見を開始する」、「後見人には○○を選任する」とある。その書類は、特別送達で届いた。封書には、500円切手が2枚、10円切手が10枚貼られている。100円切手があるだろうに、なぜ、10円切手が10枚なのか?お役所仕事というのは、分からない。この切手は、後見人申立の際に、指示どおりに提出したもの。10円切手を10枚貼るために、15枚を要求したのか?本当に、お役所仕事は分からない。
2009.03.11
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GFと書いて Ground Force (陸軍) Ground Floor (一階) ではない。GFと書いて、Girl Friendつまり、90歳のガールフレンド。90歳では Girl と言わないかもしれないが・・・母のいる老人ホームにいるGFだ。昨日のバレンタインデーに、チョコレートを送ってくれた。何とも粋なご老人だ。90歳で、バレンタインデーにチョコレートを贈るという若さがすごい。90歳まであと数年ある私の母には、「バレンタイン」も「チョコ」もなくなっている。呆けない秘訣は、この精神なのだろう。私も頑張ろうと思う(←何を?)
2009.02.15
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母の成年後見人申立をしているのだが、先日、申立人兼後見人候補者(私)の面接があった。面接とは言っても、その実際は「事情聴取」だ。事情聴取するのは、裁判官や書記官でなく、嘱託と思われるご婦人。名は名乗ったが、身分を言わないので、実際は分からないが、調停委員なのかも知れない。顔の皺の谷間にファンデーションを塗り込んで、真っ赤な口紅を引いているのは、いかにも、老後をお国のために働いています、という感じだ。申立人兼後見人候補者(私)には財産があるのか、社会的な常識を備えているか、 ・・・つまり、被後見人(母)の財産を使い込むことはないか、私の姉弟(すなわち、推定相続人)の仲は良好か、相続争いの予兆はあるか、などを、遠回し、近回しで聞かれる。そして、最長でも1年に一度、母の財産の異動を裁判所に報告しなければならないという。今回の申立に際しても、登記簿謄本やら残高証明を取りそろえ、書類に記入するのに、かなりの時間を要したのに、これを毎年するという。「うへ~」という感じだ。成年後見人を疑うのなら・・・選任方法や制度に問題がある、と言いたい。人を信じなければ、世の中は回らない。
2009.02.09
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成年後見人の申立をするには、14項目、22種の書類を揃えなければならない。どの書類にどれだけの有効期間があるのか、詳しくは分からないが、のんびりと書類を揃えていたら、先に用意した書類の有効期間が過ぎてしまう恐れがある。最初に、医者に、診断書をお願いした。後見が必要な状態なのか否かを、(基本は)医者が判断することになっており、医者が「後見必要なし」と診断すれば、そこで、手続きは終わりだからだ。要後見の目安は、「自分で買い物ができるかどうか」。母は買い物ができない。いや、店に行くこともできない。だが、これをどう、医者が診察するのか?「初めてのお買いもの」みたいに、行かせるのだろうか?第三者による痴呆の判断は、難しいものと思う。
2009.01.13
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空き家になっている母の家を修理しなければならない、などの理由から、成年後見の申立をすることになった。ネットで下調べをし、地元の家庭裁判所に書類をもらいに行った。書類を貰うだけだったが、銀行の窓口にあるような番号札を引いて、待つこと30分。「成年後見はどういうことかお分かりですか?」窓口嬢は初っぱなこう聞いてきた。「基本的なことは分かっているつもりですが・・・」「財産をきちんと区別して管理しなければならないんですよ」「当然だと思いますが・・・」ジーンズの上下を着たヤクザなオッサンと見たのだろうか、あまりにも高姿勢な態度に切れそうになったが、じっと、我慢した。おそらく、書類を貰う段階でメゲてしまう人がいることだろう。うがった見方をすれば「どういうことか分からないです」と答え、「財産の区分はどうするんですか」と質問したら、「弁護士を紹介しましょうか」と言うつもりだったのかもしれない。
2009.01.07
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母のいる老人ホームで、責任者に声を掛けられた。「最近のお母さんは、スプーンで食事を掬うのが、上手くできなくなってきた。 なので、エッジのある皿に変えたいと思うが、どうでしょう?」と。確かに、私自身でも、平たい皿に盛られたカレーライスは、最後の一口分が掬いづらいから、高齢者はなおのことであろう。「使いやすいモノに変えて下さい。お願いします」と言ったところ、「それでは、買わせていただきます」との返事が返ってきた。『ちょっと待ってよ。 食器はホームの備品でしょうが。 要介護の老人が自分で食事ができるような食器を供えるのがホームの責任でしょう。 なぜ、それが、個人負担になるんですか?』と、聞きたかったが、堪えた。最近の母は、ホームの中を徘徊しているようで、かなり迷惑を掛けているようだし、数百円数千円のことだからだ。とはいえ、いつかは、ホームの姿勢を正さなければならないと思っている。
2009.01.03
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七福神ならぬ、七福猫をいただいた。そっか~ 今年は猫年か~と、思ったが、違うようだ。7つの福などと欲張らずに、平凡でも元気に過ごせる1年であってほしいと思う。ただ・・・母のいる老人ホームから、いつ何時「呼び出し」が掛かるかも知れないので、 飲んだくれていたり、 旅行で家をあけたりするのが、・・・難しくなるような気がする。
2009.01.02
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母のいる老人ホームに行った。痴呆真っ只中の母は変わりがないが、エアコンの様子がおかしい。動いていることは動いているのだが、風が来ない。エアコンのカバーを外してみると、フィルターが埃でびっしり!よくぞこれまで溜めたもだ、というほど、詰まっていた。黒いフィルターが真っ白だ。どうしようかと思ったが、掃除機を借りて自分で掃除することにした。ホームのヘルパーさんは「私たちがします」と言ったが、自分でする方が早いので、掃除機を借りた。フィルターの様子はこれ。なにも写真を写すことはないのだが、何かの時のために、写した。手前の方は、掃除機で掃除したもの。まかせっきりは、難しい世界である。
2008.09.24
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老人ホームにいる母の衰えが進んでいる。思考も体も、衰えてきている。私が老人ホームに行くと、「あなたは何処にいるの?」と聞かれる。老人ホーム全体が自分の家だと思って、私がどの部屋いるのか、との質問だ。この質問に、「近くにいるんじゃないの」と答えた人がいるようで、ホーム内の個室を勝手に開けて、探し歩いているようだ。私はここにいないから、探さないで。探してもだめ、私はここにはいないから。と、「千の風になって」のようなことを唱えてくる。私としては、母が他の入居者に迷惑をかけるのがいちばん辛いのだが、話しても分からなくなっている。
2008.05.03
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老人ホームにいる母の部屋に、こんなモノがあった。なんだろう??・・・・と思った。メガネだ。母のメガネだ。どうするとこのように曲がるのだろうか?私の力では、元の形に戻せない。レンズは両方ともない。最近の母はメガネを必要としていない。本も読まない、TVも見ない、からだ。だからなのか、老人ホームからは何らのコメントもない。「こんなことまで一々報告していられない」のかもしれないが、この尋常でない壊れ方については、報告があっていいと思うのだが。
2008.04.12
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老人ホームいる母に変化が出ている。「お金が欲しい」の次は、「いつまでいるの?」。最近は、「いつまで、このホームにいればいいのか」と質問してくる。「いつまで閉じこめておくのか」と言うこともある。実は、母は納得して老人ホームに入ったのではない。手術で1ヶ月ほど入院した間に、心身が急激に衰えたために、退院する時、自宅だと偽って老人ホームに入れたのだった。その時、母は、自宅に戻ったと信じていた。それほどに“痴呆”が進んでしまっていたのだ。以後、自宅ではないことが分かり、 病院でもないことが分かり、 老人ホームであることがわかってきた。だが、自宅に戻るのは不可能だ。一人では、トイレも風呂も、何もできない。しかし・・・・母が納得して入居したのではないことを思うと、「いつまでいればいいの?」と聞かれると、返事に詰まる。話題を変えても、数分後には「いつまで・・・」と聞かれる。何度も、なんども、「いつまで・・」と聞かれると、終いには「近いうち」と答えたくなってくる。このような母の“追及”にさえ堪えられなくなってくるのだから・・・長時間の取り調べの結果、やりもしない事を“自白”するという冤罪事件が生じるであろう事は、容易に想像できる。
2008.03.06
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老人ホームにいる母が変化している。空を飛ぶようになった・・・のではないが、違ってきている。ひとつは、「お金がほしい」と言い出したこと。姉弟から(つまり、母の子どもたちから)千円づつ集めて欲しい、という。老人ホームでは現金はいらない。私費の全ては、別会計で請求がくる。入居して約2年。どうして、今になって、お金が欲しいと思うようになってきたのだろう。しかし、現金を用意して行くと、「お金」のことはすっかり忘れている。そして、渡さないで帰ると、その次ぎに行った時に、お金が欲しいと言われる。何が、母に「お金」を思い出させたのか・・・言動に波があるのは“認知症”の特徴だが、なぜ思い出したのか、不思議だ。実は、母の財布の中には、小銭が数百円あるのだが、母は、500円硬貨を出して、「これは日本のお金じゃない」と言う。そんな母が、なぜ、「お金」なのか、不思議だ。食欲、物欲、金欲が衰えていないということか・・・・?
2008.03.05
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去年、母のいる老人ホームに行ったのは、37回。約10日に一度の訪問だった。これを出席率というのは適切ではないが、出席するような感覚がある。仕事を辞めたので、出席しやすくなったのだが、ノーネクタイで出席すると、 「仕事はどうしたの? 辞めて生活できるの?」と聞かれそうなので、ネクタイをした日に出席してきたため、出席率が下がった。ちなみに、私の姉弟の平均出席率は、100分の1程度である。「何を考えているんだ・・・」と、母が言っていた。
2008.01.05
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地元の神社の酉の市があった。駅前の旧街道を通行止めにしての酉の市だ。これまでは、「この年末に通行止めなんかして、どうにかしてるぜ。なんで働いている者が遠回りしなければならないんだ」と思っていたのだが、今年は、明るいうちから、ホコテンの街道の屋台を覗き廻った。昔懐かしい綿アメ屋もあった。甘い匂いが漂っていた。そうだ! これだ!綿アメを、老人ホームにいる母に届けよう、と、直感した。ビールでイカ焼き・・・が美味しそうだったが、じっと我慢して、綿アメを買って帰った。そして、その足で、老人ホームに行った。久しぶりに、母が、嬉しそうに食べる笑顔を見た。私も、数十年ぶりに、綿アメを食べた。
2007.12.16
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実は、「一輪挿し」以外にも、問題があった。それは、一週間程前に書いた、母の部屋の掃除だ。何点か、掃除のお願いをして、即、対応して貰ったのだが、帰りがけに、ふと天井を見たら、換気扇の通気口が目詰まりしていた。事務方に「換気扇の掃除もお願いします」と言って帰った。そして、一週間後、換気扇を見たら、そのままだった。先の事務方嬢に「やってないじゃないか」と、抗議をしたら、「担当に言いました」と、個人的な言い訳。「言っただけじゃダメじゃないか」と言うも、「○○に言いました」、と強調する。これで、私は切れた。責任者を呼び出した。そして、強めに、少し大きめな声で、抗議した。「すみません。今すぐ、私が掃除します」とホームの最高責任者は言った。「そういう問題じゃない」私はさらに声を強めた。これが老人ホームの“レベル”なのだろう。
2007.11.24
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結局、一輪挿しを配ったのは、当の老人ホームだったことが分かった。敬老の日の記念品だという。記念品で配ったのであれば、一輪挿しの“所有権”は母にある。それが、私の抗議によって、片づけられてしまった。処分したのか、保管したのか、説明がない。「小さな事だけど、そこが基本でしょう。花瓶が欲しいのではない、私物の扱いの基本を聞きたいんです」と質問すると、答が返ってこない。私のように抗議する「保護者」はいないのだろうか?「一輪挿しを配ればいい。倒れたのなら引き上げればいい」という安易な考えはおかしい。私の抗議によって、改善されればいいのだが・・・人質(母)を預けている身としては、抗議に限度がある。ちと、言い過ぎたか、との思いもある。
2007.11.23
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