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「六条を好きではない」と言いながら、思いがけず長文になってしまったことに、我ながら驚いています。 六条の心に添いながら書いていくとき、私にとっては共感できない部分が多々あるのですが、六条という女人が自分の「思い」にとても正直であり、良くも悪しくもこれほどまでに人の心を動かす力があるのだ、ということを実感しました。 これは取りも直さず作者が力と情熱を込めて書き上げた証拠ではないか、と私は思うのです。 上品で身分も高く、教養もあり好き趣味人でもある六条御息所というパーソナリティーに、その設定とは正反対の嫉妬・執念深さという、愛欲にかかわる業の深さを与えたところに「物語」の面白みがあり、作者の筆力の凄みがあるように思います。 「紫の上」の思いには矛盾がなく、私はすんなり気持ちを理解し共感することができました。しかし六条においては、その自己矛盾とも思える性格や行動を捉えることに戸惑いを覚え、幾たびも悩むことになりました。 今振り返って考えると、その「割り切れなさ」が六条の持つ愛欲の業なのかもしれません。
July 31, 2008
この「(いと)難き事」の「難し(がたし)」を「岩波古語辞典」では、「・・・する必要があっても、なかなか出来ない。」あるいは「・・・したくてもなかなかむつかしい。」とあって、「有難い」という意味はありません。また現代語訳でも、おしなべて「困難な事」と表現しています。 中で唯一「岩波古典文学大系(校注者・山岸徳平)」では、「世にも有り得ない程有難い(感謝すべき)事は源氏の御志でござりまする。「難き事」は「有難い事」の意。「困難」の難ではない。」と記しています。 私は、源氏が斎宮の後見を快諾してくれたことへの六条の謝意の中に「お志はたいへん有難く存知まするが、あなた様が斎宮に、好き心をお持ちにならないのは困難なことと、私にはお見受けしますので」という意味を込めて、いわば掛詞のようにして訴えたのではないかと、そんなふうに感じるのです。 死の床にある六条は、まるで憑き物が落ちたように、あるいは燃え尽きたように源氏への恨みから解放され、母親として我亡き後の娘の行く末を案じ、幸せを願う気持ちを切々と訴えています。 そこには母親として正直な心情の吐露はあっても、田辺源氏の言うように「源氏に対するひそかな『怨嗟』のひびき」というものを、私は感じられないのです。母親が怨みを感じる男性に、自分の大事な娘をむざむざ預けたりしないと、私は思うからです。 六条のおん眼にはもはや情念の炎はなく、その眼差しには澄んだ水のようなすずやかさがあったのではないでしょうか。
July 30, 2008
源氏の大臣は、「あなたさまから頼まれるまでもなく、姫宮をお見捨て申すことはございませんものを、まして私にできますことは何事も後見して差し上げたいと存じます。この上はもう、ご心配召されますな。」と、御息所をお慰めになるのでした。 すると御息所は、こうおっしゃいます。 「いと難き事。まことにうち頼むべきおやなどにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いと、あはれなる事にこそ侍るめれ。まして、おもほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうちまじり、人に、心もおかれん給はん。うたてある思ひやりごとなれど、かけて、さやうの、世づいたるすじにおぼしよるな。憂き身をつみ侍るにも、女は、思ひのほかにて、物思ひを添ふるものになん侍りければ、「いかで、さる方をもて離れて、見たてまつらんと思う給ふる」 「それはたいそう難しいことでもございましょう。ほんに斎宮は、父も母もないかわいそうな姫宮におなりでございますれば、まして血縁でもないあなたさまなれば、決して、お思い人のようにお扱いになるなど、してくださいますな。私の情けない取り越し苦労ではございましょうが、心に掛けてそのような色めいた筋にお考えくだされませぬよう。不運なわが身を振り返るにつけましても、女は男によって思いもかけない物思いをするものでありますれば、斎宮にだけは私のような思いをさせたくないと思うのでございます。」 要訳しますと、こういったところでしょうか。
July 29, 2008
時が流れ、御世が代わり、斎宮も母御息所とともに伊勢から京にお帰りになりました。ところが御息所はにわかにご病気になられたものですから、何かと心細くお思いになって、尼になっておしまいなのでした。 それがあまりに急なことでしたので、源氏の大臣は驚いて六条邸をおとないますと、以前にもまして優雅で上品に棲みなしていらっしゃいます。今ではもう、あだめいたお気持ちなどなく、ただ斎宮の姫宮がどんなにお美しくご成長されたかと気がかりなのですが、そんなそぶりはお見せにならず、 「たえぬ心ざしの程は、みえたてまつらでや」 以前と同様、今も絶えておりませぬあなたへの私の心ざしのほどを、あなたは見届けてくださらずに終わるのかと思いますと口惜しくて・・・と、ひどくお泣きになります。 御息所はすっかり衰弱なさっていらっしゃいましたが、 「かくまでも、おぼしとゞめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御事をぞ、きこえ給ふ」 源氏の大臣が、わざわざお見舞いにいらしてくださった上、このようにお泣きになるほど私に思いを留めていてくだすったかとお思いになりますと、今までのすべての事がしみじみと嬉しくお思いになって、御息所亡き後の斎宮のおん事をお願いなさるのでした。
July 28, 2008
源氏の大将は、御息所を気がかりにお思いになりながらも「月日が隔たりぬるに」、おん下向も今日か明日かという九月の七日ばかりのころ、進まないお気を奮い立たせて、六条御息所がいらっしゃる野の宮にお出かけになります。 はるけき嵯峨野の野辺に分け入ると、あたりは浅茅の枯れ野原です。松風や途切れ途切れの虫の音に混じって、野の宮の方からは、かすかに楽器の音色が聞こえてきて、何ともいえない趣のある風情なのです。源氏の大将は「今までどうして足しげく通わなかったのであろう。こんなに風情のあるところなのに」と、口惜しくお思いになるのでした。 一方御息所は「物ごしばかりの対面はと人知れず、まち聞こえ給ひけり」物越しでのご対面ならば構わないであろうと、心ひそかに源氏のご訪問をお待ち申し上げるのでした・・・。 私にはもう、このあたりになると辟易した気分になり、つまらなく感じて筆が進まなくなってくるのです。 この「くだくだしさ」が、私にはなじめないのですが、しかし和泉式部日記にも同じような「くだくだしさ」がありますから、それがこの時代の恋愛作法だったのかもしれません。
July 27, 2008
斎宮の御下り、近うなり行くまゝに、御息所、もの心ぼそく思ほす。 斎宮が伊勢にお下りになる日が近づくにしたがって、御息所はもの心ぼそくお思いになります。 身分が高く、気の置ける存在とお思いだった葵の上が亡くなられたからには、「生霊となって葵の上を苦しめたこと」があったとはいえ、今度は御息所が正妻におなりあそばすであろうと世間の人も申し上げ、御息所の御殿の人々も、心ときめかせ期待していたのですが、その後ふっつりとご訪問が途絶えてしまい、御息所には呆れるほど疎遠なお扱いをなさいます。 御息所は「やはりあのおん事以来、私を疎ましく思っておいでなのだ」と、源氏の御心の底を知り抜いたようなお気持ちがして、いっそのこともう、源氏へのすべての思いを振り捨てて、伊勢へ下向してしまおうと一途にお思いになるのです。 ~~~~~~~~~~ 私は「やれやれ、やっと決心したか。」と、思うのです。
July 26, 2008
「聞こえぬ程は、おぼししるらんや。 人の世をあはれときくも露けきにおくるゝ袖を思ひこそやれ たゞいまの空に、思ひ給へあまりてなむ」とあり。「常よりも、優にも書い給へるかな」と、さすがに、置き難う見給ふものから、「つれなの御とぶらひや」と、心憂し。さりとて、かき絶え、音なう聞こえざらんも、いとほしく、人の御名の、朽ちぬべき事を、おぼし乱る。 「今までご消息をさしあげずにおりました私の心のほどを、お察しいただけますでしょうか。 かの人が亡くなられたことを聞くにつけましても悲しく思われますのに、まして後にお残りになられたあなたさまは、さぞかし涙で袖をお濡らしになったことでしょう 只今の哀れな空の気色を眺めるにつけましても、悲しさが思いあまりますので」と、あります。 「いつもより優雅にお書きになったものかな」と、さすがに棄て難くご覧になるのですが、「生霊となって葵の上を殺しておきながら、今更お見舞いでもなかろう。白々しい。」と、心憂くお感じになります。さりとて、このままふっつりとご縁をたち切り、消息もなさらないというものお気の毒ですし、御息所のご名誉もきっと地に落ちることであろうと、源氏はさまざまにお思いになるのです。 ここでの御息所は、7歳年下の源氏の心を動かすに充分な演出をほどこした御文を、タイミングを逃さずよこすなど、なかなかしたたかな恋の手練という感じがするのですが、「聞こえぬ程は、おぼししるらんや。」とありますから、単なる執着心のなせる業なのかもしれません。
July 25, 2008
ご出産の後、葵の上が急に亡くなられましたのは、源氏の大将も父左大臣も秋の司召で参内し、御傍に人少なの時でした。父大臣や母大宮はもちろん、源氏のお嘆きはいうまでもありません。 源氏の大将は、葵の上に憑依した六条御息所の姿をまざまざと見てしまった日から、その人を疎ましくお感じになっておいでです。ましてや今は服喪中でもあり、ご消息もさしあげずにいらっしゃいましたところ、秋が深くなったころ、菊の花の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙のお手紙をつけたものを置いていった使いがありました。 「しゃれたことをするものよ」と、お思いになってご覧になると御息所の御手なのです。 このあたりの六条の執念深さ、未練がましさに、私はうんざりしてしまいます。
July 24, 2008
「あやしう、われにもあらぬ御心地を、思し続くるに、御衣なども、たゞ芥子の香に、しみかへりたり。あやしさに、御ゆする参り、御衣着かへなどし給ひて、心見給へど、なほ、同じやうにのみあれば、わが身ながらだに、うとましう思さるゝに、まして、人の、言ひ思はむことなど、人にの給ふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに、いとゞ、御心がはりも、まさりゆく。」 御息所は、わが身にもあらず迷い出たような御心地をたどって参りますと、不思議なことに、僧侶が祈祷の際に焚く護摩の香りが、御衣に染みこんでいるではありませんか。 まさかご自分が葵の上の枕もとに迷って行ったのだろうかと、不気味に思いながらも御髪を洗い、お召し物をお着替えなどして、いろいろお試しになるのですが、やっぱり芥子の香りは深く染みこんでいて消えないのです。 御息所はお胸もつぶれる思いがして、わが身ながら哀しく疎ましくお思いになります。もちろん人におっしゃることではありませんし、ましてやすでに噂になっていることでもあり、人はこれをどのように取りざたすることだろうと、ご自分の心ひとつに嘆きを思いこめていらっしゃいますので、だんだんと御心変わりも勝っていくのでした。 ここは源氏物語の中でも非常に有名かつ印象的な場面ですが、「ああ、やはり私だったのだ・・・」と、愕然とするかわいそうな姿が眼に浮かぶようで、六条を好きではないにしろ、私は同情を覚えてしまうのです。
July 23, 2008
葵の上がお生みなさいましたのは男児でいらっしゃいますれば、夜毎の祝賀や産養いのお作法などが賑わしくめでたく行われます。それにつけても 「かの御息所は、かゝる御有様を聞き給ひても、たゞならず、『かねては、いと危ふく聞こえしを、たひらかにも、はた』と、うち思しけり」 かの御息所はこのようなおめでたいご様子をお聞きになるにつけましても、お気持ちは平らかではなく、「かねてはお命もたいそう危ないとのお噂でしたのに、ご安産召されたとは、また何ということ・・・!」とお思いになるのでした。 「人を悪しかれと思ふ心もなけれど」とありながら、母子ともに安産だったなんて「死ねばよかったものを」と言わんばかりの表現で、実に禍々しくおぞましく描かれていると思います。
July 22, 2008
さて、お産を控えられた葵の上にはおん物の怪が現れて、ご容態がよくありませんでした。大殿ではさかんに加持祈祷をおさせになります。 御息所はその物の怪が、ご自分の生霊であるとか、故父大臣の御霊だなどという噂を耳にするにつけ、よくお考えになってみるのですが、わが身の嘆きよりほかに「人を悪しかれと思ふ心もなけれど」、葵の上を苦しめてやろうなどと思う心など全くないのです。けれども、物を思うと魂が身から浮かれ出て、人にとりつくこともあるといいますので、はっとして、思い当たるふしがおありなのです。 あの御禊の日の車争いで、今まで味わったことのない屈辱感を鎮めることができなかったからでしょうか、少しでもまどろみなどなさいますと、 「かの、姫君と思しき人の、いと清らにてある所に行きて、とかく、ひきまさぐり、うつゝにも似ず、たけく巌(いか)きひたぶる心いできて、うちかなぐるなど見給ふ事、度かさなりけり」 あの姫君と覚しき人の、たいそう美しくしていらっしゃる所に行って、正気では考えられないほど猛々しく激しい怨み心が出てきて、葵の上を引っ張り回したり、打ちのめしたりする夢をたびたびご覧になるのです。 御息所はそんなご自分を罪深く、疎ましくお感じになります。 そして「『すべてつれなき人に、いかで、心もかけ聞こえじ』と思しかへせど、『思ふも物を』なり」 薄情な源氏には何も申し上げす、きっぱり諦めてしまおうとお思いになるのですが、それもすでに「物を思うこと」には違いないのです。 作者は六条のジレンマを、これでもかこれでもかと情熱的に書いています。
July 21, 2008
源氏の大将殿は、六条御息所が姫君とともに伊勢へお下りになりますことを、強いてお止め申し上げることもなさいません。 そのくせ「私など数のうちに入らない身でしょうから、見るのもお嫌とお捨てになるのも道理でしょうが、今となっては不甲斐ない者であっても、一生連れ添うてくださいますのが、浅からぬ情愛の縁というものでしょう」などと、持って回った訳の分からないことをおっしゃいますので、御息所はますます決心がお付きにならないのです。 六条が源氏に振り回されているうえに、女としての矜持に欠けることが、私には実に口惜しく、腹立たしく思えるのです。
July 20, 2008
御息所はあの車争いがあった日から、物思いにふけることがいっそう多くなりました。 薄情なお人であると源氏からの愛は諦めていらっしゃるのではありますが、かといって「もう、これ限り」として源氏を振り切って、伊勢にお下りになるのもたいそう心細いことであろうし、京から逃げたようで世間体も外聞も悪く、人からは棄てられた女とみなされて、物笑いの種にされることだろうとも思ったりするのでした。 さりとて京に留まったとしても、車争いの日のように、世間の人から見下げられ侮られているのでは、心安いはずがありません。 ご自分でご自分のお気持ちを決めることもできず、寝ても覚めても「釣りする海士の浮き」のように思い煩ったせいでしょうか。御心地も浮いたようにお思いなされて、病人のようになってしまうのでした。 ~~~~~~~~~~ 私が好きになれない理由の一つは、「ぐちゃぐちゃ(本当はこんな表現を使いたくないのですが)」ともいえる混沌とした六条の、この決断力のなさにあります。 歯を喰いしばっても、自らの決断によって源氏との関係を断ち切るところにこそ、「前の東宮妃としてのプライド」があろうというものですが、六条の心の中にあるのは「体裁」や「面子」、「見栄」や「執着心」ばかりと、私には思われるからです。
July 19, 2008
その上御息所の御車も壊され、その辺の見知らぬ車に打ちかけられているのも体裁が悪く、 「『なにに来つらん』と思ふに、かひなし。『物も見で帰らむ』とし給へど、通り出でん隙もなきに、『ことなりぬ』といへば、さすがに、つらき人の御前わたりの待たるゝも、心よわしや。」 せっかく物思いの慰めにと思って来たのにこんな目に会って、何のために出てきたのだろうと思うのですが、その甲斐もありません。「もう、行列など見ずに帰ってしまおう」とお思いになるのですが、身動きできるだけの隙間さえありません。そのうちに「行列が来た」と言う声がするものですから、さすがに気もそぞろになって、愛しくも薄情な方のお通りを待たずにはいられないのも、恋する心の弱さでしょうか。 作者は、凛とした貴婦人であるはずの六条の、それとは正反対であまりに世俗的な心の有様を、徹底して書き立てているように思います。
July 18, 2008
作者は、このときの御息所の屈辱感を 「心やましきをば、さるものにて、かゝるやつれを、それと知られぬるが、いみじく妬き事、限りなし」 腹立たしさは当然ですが、このように忍んで源氏を見物に来ているところを、我と知られたことが何にも増して限りなくいまいましくお思いになるのですと、書いています。 つまり、元の東宮妃としての面子を潰され、体面を傷つけられたことが心外であり、何より悔しいというのですが、恋しい源氏の晴れ姿を一目見たいという抑制の利かない自らの行動が招いた結果なのであって、「(伊勢に)下りやしなまし」と思っている人のするべき行動ではなく、ましてプライドの高い御息所が、こんな雑踏の中へやってこなければ避けられたこと、と私などは思ってしまうのです。
July 17, 2008
源氏の北の方でいらっしゃる葵の上は、ご懐妊のためご気分のすぐれない日々でしたが、お傍の女房たちや母の大宮にも促され、ようよう日が高く昇った時分に、ご見物にお出かけになりました。 ところがもう、割り込む余地もないほど物見車が立ち並んでいます。そこで雑人などのいない隙間を見定め、そのあたりの車をみな立ち退かせたのですが、奥ゆかしく上品な気配の網代車が二つ、「これは、更にさやうに、さしのけなどすべき御車にもあらず」と、どうしても動こうとしないのです。 「斎宮の母御息所、『物思し乱るる慰めにもや』と、忍びていで給へるなりけり」 これは薄情な源氏への物思いに乱れる六条御息所が、心の慰めにもなろうかと、忍んでおいでになった御車だったのです。 葵の上の共人どもはそれを知っていながら、酒に酔った勢いもあって、小競り合いになってしまいました。挙句、無理やり御車を立て連ねたものですから、御息所の御車は、物も見えない奥のほうに押しやられてしまったのです。
July 16, 2008
その頃、加茂の斎院もお代わりになり、斎王には弘徽殿后腹の女三宮がお立ちになりました。 この姫宮は帝や母后のご寵愛が深く、御禊(ごけい)の日は供奉(ぐぶ)する上達部(かんだちめ)も風采の優れた人ばかりを選りすぐり、衣装の色や紋、馬や鞍までも豪華に美々しく調えるのでした。今回は特別な勅令により、源氏の大将も供奉なさいます。 人々はこの壮麗な行列を一目見ようと一条の大路に隙間なくつめかけ、ものすごいまでの賑わいとなりました。ところどころの御桟敷では、思い思いに趣向を凝らして飾り立て、桟敷の御簾の外には女房たちが出す袖口までが美しく、それはそれはみごとな見ものとなっています。
July 15, 2008
桐壺帝が退位なさいましたので、伊勢の斎宮、加茂の斎院がお代わりになります。新しい斎宮には、六条御息所の姫宮がお立ちになりました。 「大将の御心ばへも、いと頼もしげなきを、『をさなき御有様の後めたさにことづけて、下りやしなまし』と、かねてより思しけり」 六条御息所は、源氏のお気持ちもはっきりせず、全く当てにはなりませんし、幼い斎宮をお一人だけ、遠く伊勢におやりになりますのも気がかりですので、このことにかこつけて、いっそ伊勢に下って、源氏との苦しい関係にも終止符を打ってしまおうかと、思っておいでなのです。
July 14, 2008
六条御息所には前(さき)の東宮との間に、姫宮(後の秋好む中宮)がおひとりおいででしたが、東宮はすでに他界されていらっしゃいました。けれど、御息所はご教養も高く、趣味がよく、お住まいは洗練され、お庭は手入れが行き届いて風情があり、何につけても若い貴公子たちの憧れの的でした。もちろん若い源氏が、気を惹かれないはずがありません。 御息所は源氏よりも7才お年上でいらっしゃいますから、自然若い源氏のお気持ちが本気なのか否かもお分かりになりますし、高貴なご身分で、教養もプライドもおありですから、ご自分の心が年下の若い貴公子に囚われるなど耐えられないと、感じておいでした。
July 13, 2008
源氏物語の女君を語るとき、避けて通れないのが紫の上と六条御息所なのですが、私は六条をどのように捉えたらいいのか、正直なところ悩んでいます。というのも、私は六条を好きになれないからです。 私は六条のように年下の男性に夢中になる気持ちが理解できませんし、嫉妬に身を焦がすといった経験もありません。 嫉妬は、いわば人間の心の中で、最も強烈で自己抑制の効かない、私にとっては醜悪とさえ思える感情です。その嫉妬に身をゆだねてしまうことなど、私には非常に無防備に感じてしまい、筆が進まないのです。 それでも、書いていくうちに私の六条御息所像も変化し、違ってくるのではないかと思い、始めることにしました。
July 12, 2008
私たちはかなり歩いて疲れ果てながら、小樽駅に近いお蕎麦屋さんにたどり着きました。 ここもどこか古民家を意識した造りになってはいましたが、窓からは雑草が生い茂る中に、白いバラの花が一本だけ残されたようなお隣の庭が見えて、眺めはあまり良いとは言えず、そのせいか窓ガラスにはすだれがかけてありました。このお店も土曜、日曜となるとそれこそ「行列のできる」お蕎麦屋さんのようでしたが、平日の午後3時すぎともなれば閑散としていました。 小樽はオルゴール堂から運河までが観光地としての賑わいがあるのですが、街中は閑散としているため、反って寂しい印象がしました。 しかし、古民家や海運で賑わった時代の古く懐かしい建物や調度品、道具類を大事にしていて、それを現代の住まいに生かしているところに郷愁と調和の美を感じさせ、人々を惹きつけているように思います。
July 11, 2008
私たちは観光客らの人ごみの中を、海に沿った「堺町通り」の左右に立ち並ぶガラス器やお香のお店、それに古民家を改装したような趣のある骨董品のお店などをのぞきながら歩きました。 友人はなんどか来たことがあるようで、前回は入れなかったという古民家風の喫茶店で一休みすることにしました。 運河に近いこの建物は、民家というより古い事務所を改装したようなつくりでしたが、よく手入れされて気持ちがよく、店の内部には下に4個の車のついた堂々たる金庫が、扉をひらいた状態で陳列されていました。入り口付近の大きな甕には、きれいな水色の房のついた花がたくさん生けられていました。それに、レトロな雰囲気を大事にしているからでしょうか、大きな冷暖房器には木製の囲いが施されてありました。 懐かしかったのは、ガラス戸にはめられていたガラスです。一見普通のガラスなのですが、よく見るとところどころに気泡が入っていたり、魚の目のような、渦のようなものがあって、子供の頃それを指でなぞったことを思い出しました。現代のガラスは均一ですが、昔は小さな泡が入っていたり、厚さが一定でないため、ゆがんで見えたりしたものです。 友人が「まだまだ歩くよ」というので、ここでは二人とも甘いぜんざいを注文しました。大きめの深皿には8分目ほどのあずき、その上には直径2センチほどの白玉のおだんごが5個載っていて、これに少量のお煎茶がつきます。あずきの量にくらべてお茶の量が少ないのが、ちょっと残念でした。
July 10, 2008
友人と二人で、小樽を散策してきました。 札幌から快速電車で30分ほど、小樽のひとつ手前の南小樽で下車し、左手の坂を下りていきますと、メルヘン交差点に出ます。 交差点の角には「小樽オルゴール堂」があって、1階には小さなかわいらしいオルゴールがたくさん陳列・販売されています。二階の奥にはアンティークのオルゴールが陳列されていて、こちらは販売どころか触ることもできません。しかし白い手袋をはめた係りの女性がついていて、お願いすると音を聞かせてもらうことができます。 私たちは横に長い箱型で、ドラム型のオルゴールを聞かせてもらいました。すると中国人らしきたくさんの旅行者が集まってきて大声で話し出し、繊細な音楽が聞こえなくなってしまいました。 そこでツアー客がいなくなったころを見計らって、今度は高さ2メートルを越える立派な木製の箱に入った、円盤型のオルゴールを聞かせてもらうことにしました。 係りの女性の説明では、この大型のオルゴールは19世紀の「ジューク・ボックス」のようなものだったそうで、コインを入れると自動的に動き出して音楽を奏でる装置だったとか。メロディーも当時流行だったものだそうで、今ではなじみのない音楽のようでした。その後「蓄音機」の発明によって、オルゴールは衰退し、今ではもう製作した会社も消失してしまったといいます。 しかし、アップライト・オルゴールといったでしょうか、この大型のはさすがに華やかで音も大きく響き、まるで当時はこのオルゴールの回りで踊ったのではないかと思われるほど、明るくリズミカルな音楽でした。 そしてなにより驚いたのは、響鳴装置など全く用いずとも、箱を形成する木の厚みと箱内部の空間によって、大きな響きをうみだしているということでした。
July 9, 2008
紫の上を失った後の源氏は、魂も抜けたような毎日を送ります。 中将の君という女房は、生前紫の上がかわいがっていた女房です。 「中将の君の、ひんがし面(おもて)にうたたねしたるを、あゆみおはして、見給へば」 中将の君が東面の自分の局でうたたねをしていました。そこへ源氏がいらしたのですが、たいそう細く小柄でかわいらしい格好をして、「起きあがりたり」起き上がりました。 「つらつき、花やかに匂ひたる顔を、もてかくして、すこしふくだみたる髪のかかりなど、いと、をかしげなり」 寝起きなものですから、頬のあたりが花やかに赤みを帯びてつやつやしていますのを扇で隠していますが、髪が乱れてふくらんで、肩にかかっているのもたいそううつくしく愛らしいのです。 この時、中将の君はまだ喪服を着ているのですが、その「裳・唐衣もぬぎすべしたりけるを、とかく、ひきかけなどするに」腰に着ける裳や、一番上に着る唐衣の脱ぎすべらせているのを、慌てて腰や肩にひきかけようとしている、というのです。 小柄でかわいらしい女房が着衣の紐をゆるめたり、身体から脱ぎ滑らせたりしてくつろぎながら「うたたね」しているのですが、紫の上が亡くなったあとにひょいと出てくるこの場面は、のどかでユーモラスで、なにかとてもほっとするものを感じさせます。
July 6, 2008
「それにしても、おかしなことに」と、花散里がおっしゃいます。 「院(源氏)は、ご自身の好色の御癖はさて置き、あなたが少しでも浮気めいているとご覧になると、『さあ、大変!』とばかりに思されて、諫めをおっしゃったり、陰口にまでもとやかく申されますことは『賢人、身の上知らず』のように思いますよ。」 これに対して夕霧は、「わが意を得たり」とばかりに言います。 「さなん、常に、この道をしも、いましめ仰せらるる。さるは、かしこき御教へならでも、いと、よく、をさめて侍る心を」 「そう、そう、母上のおっしゃるとおりなんですよ!」と、膝を乗り出す夕霧が見えるようです。 「父上はいつも女性関係については、私に戒めをおっしゃるのです。そのような畏れ多いご教訓をくださらなくても、結構。ちゃんと自己抑制しておりますとも。」 花散里の適確なひと言に、夕霧は頼もしい理解者を得たとばかりに「だいたい父上はいつも大きなお世話なんですよ」と訴えている、母と息子の楽しい場面です。
July 4, 2008
すると花散里は、 「人のお噂だけかと思っておりましたが、そうでしたか・・・。男の人にとってそのようなことは世の常ではありましょうが、のんびりと暮らしていらしった雲居の雁の姫君のお気持ちを思いますと、お気の毒ですわ。」と、おっしゃいます。 夕霧は「姫君」ということばに、鋭く反応して、 「らうたげにも、のたまはす『姫君』かな。いと、鬼しう侍るさがなものを。」 「『姫君』などと、これはまた、ずいぶんかわいらしげにおっしゃるものですね。だが、とんでもない。まるで鬼かと思うほど性悪でございますのに。」と、揶揄します。 雲井の雁と夕霧の間には、この時もうすでにたくさんのお子が生れておいでなのですが、いつまでも少女っぽさが残っていらして、嫉妬したり、怒ったり、すねてみたり感情をストレートに表現する無邪気なかわいらしさがあって、奇しくも花散里がおっしゃった「姫君」がぴったりなのです。
July 3, 2008
夕霧が養母でいらっしゃる花散里に、ある女性のことで父・源氏に対して執り成しを願うくだりは、二人の会話がかっちりとかみ合って、とても小気味よいものがあります。 問題の女性は、いとこでもあり親友でもあった故柏木の正妻・女二の宮(落葉の宮)です。この宮は源氏へ降嫁なさった女三宮の姉宮でいらっしゃいますれば、夫柏木にも母の御息所にも先立たれましたので、夕霧がお世話申し上げているのですが、それが噂となり、源氏も困ったことだと思っていらっしゃいます。 夕霧が六条院の花散里のところへお渡りになりますと、母君はたいそうおっとりとお尋ねになります。 「落葉の宮様をお引取りになられましたとやら、そんなお噂を耳にいたしましたが」 夕霧は事実であることを正直に認めながらも、生前の柏木との友情もあり、また宮様の母御息所からも後見を頼まれたことなどを言い訳にして、 「院(父である源氏)がお渡りになられました折、事のついでがございましたら、このように、私が決してやましい気持ちからではないことを、お話し申してくださいませ」と、頼むのです。
July 2, 2008
野分がひどく吹き過ぎた翌日、源氏は花散里のところへもお見舞いにいらっしゃいます。 すると野分の朝の寒さに冬支度を思い立ったのでしょうか、花散里のおん前では、老女房たちがお裁縫をしたり、若い女房たちは細長い箱のようなものに真綿を引っ掛けて伸ばしたりしています。傍らには、たいそう美しい朽ち葉色の薄地や、流行の紅色で、よく光沢を出した薄地の織物が引き散らしてあります。 源氏は 「中将(夕霧)の下襲ねですか。せっかく用意していらっしゃるけれど、この野分の後では、すっかり吹き散らされて、御前での壷前栽の宴も、きっと中止になることでしょうね。」とおっしゃいながら、「さまざまなるものゝ色どもの、いと、清らかなれば『かやうなるかたは、みなみの上にも、おとらずかし』とおぼす」のです。 様々な絹織物の色彩が、たいそう上品で美しいので「このような染色の技術は、紫の上にも劣らないほどみごとだ」と、お思いになります。 国語学者の大野晋先生は、「清ら」を「第一級の美」であるとしています。作者は紫の上と花散里を、ここでも等分に褒めていることになりましょう。 さらに、摘み取った青花や紅花で、淡くほんのりと染め出された二藍などは「いと、あらまほしき色したり」、この上もなく好ましい色に染め上げられているのです。 源氏は花散里の、色に対する趣味のよさに、大きな期待と魅力を感じていたのでしょう。
July 1, 2008
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