『福島の歴史物語」

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2008.03.07
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 ともかく、私の手元にある熊田文儀の資料は限られていた。『福島県史』『郷土乃歴史』それに『熊田家の墓碑銘が二点』の四点と熊田氏から頂いたもののみである。そこで私は、まず『熊田文儀の墓碑銘』から当たり直すことを決めた。本来はその『墓碑銘』の全文をここに掲げるべきであろうが、余りにも膨大なので、病気と年号に関する部分のみをここに抽出する。

  享和三(一八〇三)年 麻疹流行少壮皆病不済医療死者無算
  文政七(一八二四)年 守屋村疫毒騁□人多斃
  文政八(一八二五)年 麻疹果行竟施薬者数万民頼只安
  天保五(一八三四)年 関佐荒饑奥羽殊甚如以癘疫 

 この文章の享和三年と文政八年については、麻疹つまり『はしか』と明確に記してあるのでこの調査から外したが、文政七年の疫毒については病名がはっきりしていない。ただし年代が天保五年より十年も前なので、特に検討しなくてもよい、と考えた。
 最大の問題は、あの墓碑銘の丁度中程に書いてあった『天保五年関佐荒饑奥羽殊甚如以癘疫』という文章である。意味としては『天保五年、関佐地方は凶作であり、奥羽は凶作に加えて、癘疫が殊の外甚だしい』と書いてある、と判断していた。私は、この『天保五年』という年度と『癘疫』という病名が気になっていた。『天保五年』はあの福島県史に記載されている年度と同じ年度であり、『癘疫』が疱瘡(天然痘)と確認できれば、福島県史と合致するからであった。
 また図書館に行った。何冊にも分割されている膨大な大漢和辞典で調べてみると、『癘』と『疫』について次のように書かれていた。『癘疫』という単語そのものでは、載っていなかったのである。

   癘 (れい)・・頼病。或曰悪瘡   (大漢和辞典)
   疫 (えき)・・伝染病       (  〃  )
   悪瘡(おそ)・・質の悪いはれもの  (日本国語大辞典)

 私は癘と言う単語の、『或曰悪瘡』という意味の発見に気を高ぶらせていた。と言うのは、『悪瘡』とはどう考えても『質の悪いはれもの』、つまり『悪性の吹出物』を意味していると思われたからである。するとやはり『悪性の吹出物』とは、『疱瘡』を指していると思えた。
 私は『疱瘡』の病状を医学書で調べてみた。

   初 期 悪寒、頭痛、嘔吐をともなう高熱(摂氏三九~四〇度)
       ではじまり、うわごと、日中の意識混濁を示す状態が
       続く。この間に発疹があらわれるが消える。
   発疹期 熱が下がるとともに発疹する。その発疹は次第に『扁
       豆大かつ暗赤色』になり、先端が円錐形になる。
   水泡期 発疹の中央に小水泡が生まれ、次第に全体に拡がって
       中央部がへこむ。
   化膿期 水泡に白血球が入って混濁しはじめ、膿様になったあ
       と、その周囲に浮腫が生ずる。おかげで組織の緊張が
       高まるので患者は激しい疼痛に襲われ、体温は再び上
       昇して脳の興奮状態を招き、不眠、意識混濁、うわご
       と、躁凶状態を誘うことがある。またとくに気管支の
       膿疹化膿菌が血液に流入して敗血症を招き、死亡する
       場合がある。
   乾燥期 膿疱が乾燥しはじめ、次いで退色し痂皮となる。浮腫、
       疼痛も消え、体温も下がる。
   脱落期 痂皮が脱落しはじめる。いわば回復期である。
   『化膿期から乾燥期』にかけての死亡率が高く(二〇~四〇%)
    また融合性痘瘡、痘瘡性紫斑病、膿疱性出血性痘瘡など致命
    的悪性のものも存在する。
   『融合性痘瘡』は、皮疹が密生して融合するものである。
   『痘瘡性紫斑病』は、初期から出血性で数日以内に死亡する。
   『膿疱性出血性痘瘡』は、水泡または膿疱中に出血し、膿疱は
    暗青色ないし黒色になる。普通は、第二病週に死亡すること
    が多い。

 ──なるほど、たしかにこれでは悪瘡と言われてもおかしくない病状だ。するとこの墓碑銘から天保四年に、熊田文儀が種痘を実施したことが証明できるのではないか。
 私は確信に近いものを感じていた。
 しかしこれだけで熊田文儀が種痘を実施した、と決定づける訳には行かなかった。それもさることながら気がつくと、『それでは熊田文儀が、どこでこの種痘の方法を学んだのか?』という新たな問題が立ちはだかっていた。それにその重要なことが、あの墓碑銘に具体的には書かれていなかったのである。
 そこで年度を再確認してみると、熊田文儀が下守屋村で種痘を実施したとされる天保四(一八三三)年は、シーボルトが日本人に接種したが不成功に終わった文政六(一八二三)年と、モーニケが成功した嘉永二(一八四九)年の間の年になっている。つまり文儀が種痘を実施した時点で、シーボルトは長崎で成功していないのである。
 ──熊田文儀は、このような時期に、しかも誰に種痘法を習ったのであろうか? それとも、自分で発見したのであろうか? 
 そうは思ったがもし自分で発見したとしたら、あのジェンナーと並び称されなければならないことになる。それにもし、仮にそうだとしたら、何らかの痕跡が日本の歴史、もしくは医学史の上に残されていなければならない筈、ところがそれがまったくないのである。
 ──これは大変なことになった! もしこの私がこのことを解明できたら、日本の医学史に一石を投じることになるのではあるまいか。
 私は、大きな夢に浸っていた。







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最終更新日  2008.03.07 12:50:31
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