『福島の歴史物語」

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2010.04.05
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          お 家 再 興 の こ と

 孫七郎宗顕様はその住み家を、伊達の領内に求めざるを得ませんでした。しかし政宗様に対して不信の姿勢を明らかにしてしまった今、追われるときのことも考えておられました。そのために伯母の御東様のご実家の相馬に近い、金山(宮城県伊具郡)の里に身を落ち着けられたのでございます。また御東様も、ご実家領の相馬郡堤谷に居を求められました。立場こそ違い、田村という後ろ盾を失ったお二人にとって、そのこともまた辛いことでございましたでしょう。
 孫七郎宗顕様にとって自立することの意義は、田村家を続けるという意志でございました。とは申されましても、愛姫様にお子が生まれないかぎり、どうしようもないことでもございました。
「亡き伯父上、私はどうしたらよいのでしょうか? 私は田村家や姉上様のため、価値ある何かを残すことができたでしょうか?」
 そう言って自分を責めておられました。
 文禄四(一五九五)年、伏見桃山の伊達屋敷から届けられた『愛姫様に女子ご誕生』とのご注進に、孫七郎様は飛び上がりました。朗報がもたらされたのでございます。
「五郎八姫(いろはひめ)様か・・・」
 政宗様が男子の名のみをお考えになられていたため、急遽、姫の読みに変えられたと聞かされた孫七郎宗顕様は、愛姫様のお気持ちを推察しながらも、庶長子である兵五郎様と五六八姫様との関わりがどうなるのかを心配なされておられました。
「姉上様、次はなんとしても男子を願いまする。私は田村家存続のため、ひいては姉上様への想いのためのみにこの世に生きて参ったのです。もし女子のみでは、伊達家の家督はもとより、わが田村家の将来もおぼつきませぬ」
 幼いころに母の微笑みを失っていた孫七郎宗顕様は、それでも赤子を抱く愛姫様の微笑みを想っておられたのでございます。
 一方で政宗様は、関白秀吉様との関係の強化を考えておられました。そこで政宗様は兵五郎様を、関白秀吉様の猶子(ゆうし)となされたのでございます。関白秀吉様は兵五郎様に秀の一字を与えられ、秀宗様となされたのでございます。
 それを知られた孫七郎宗顕様は、「今後は、どういうことになるのであろうか?」とその先行きを考えておられました。関白秀吉様に認められた兵五郎秀宗様が、次の伊達藩主になられるのではないかと思うと、胸が張り裂けんばかりであったのでございます。
 慶長二(一五九七)年、関白秀吉様は再び朝鮮出兵を命じられました。慶長の役と申しました。ところがその翌年、関白秀吉様が亡くなられたため、これを機に朝鮮から兵を退き、ようやく戦いが終わったのでございます。
 五郎八姫様誕生から四年後、待ちに待った知らせが、孫七郎宗顕様の元に届いたのでございます。
「愛姫様に、男子誕生!」
「おお! 姉上様でかされた! これで兵五郎様を出し抜かれましたぞ。次にまたお一人、今度こそ田村家の跡継ぎをお願い致しまする」
 孫七郎宗顕様は手の舞い、足の踏むところを知らぬほどの喜びであったのでございます。そのお子の名は、虎菊丸様と申されたのでございます。
 慶長五(一六〇〇)年、政宗様のご三男の権八郎様が、吉岡の局を母としてお生まれになり、さらには翌年には、塙団衛門の娘を母として四男の愛松丸様が相次いでお生まれになったのでございます。それなのに・・・。孫七郎宗顕様は、その後愛姫様には次の子ができないことが気になっておられました。
 慶長七(一六〇二)年五月、仙台城が完成し政宗様は岩出山城から移られました。それはそれは、堅固で立派なものでございました。そして翌年、徳川家康様が征夷大将軍となられて江戸幕府が作られるとともに、政宗様は六十二万石の大々名となられたのでございます。世は泰平に向かって、一気に進んでいたのでございます。
 この年、愛姫様に待ちに待った男子が誕生なされました。それは政宗様の五男とは申されても、正室愛姫様のご長男の虎菊丸様より二年後、愛姫様のご次男であったのでございます。卯松丸様と申されました。
「これで名門、田村家の名跡が継ぐお子が出来申しました。姉上様、ありがとうございまする。これで亡き伯父上も草葉の陰で喜んでおられることでございましょう」
 孫七郎宗顕様は、生きることの目的がようやく成就しようとしているのが分かってきたような気がしていたのでございます。
 その春、私は福聚寺の境内で精一杯の花を咲かせました。その流れ落ちるような紅枝垂れ桜の美しさに、町の人たちは大層喜んだのでございます。
 ところがこの同じ年、柴田氏の娘に六男の吉松丸が生まれました。側室たちに次々とお子たちが生まれるにもかかわらず、孫七郎宗顕様は安心をなされておりました。虎菊丸様が兵五郎様にその地位を奪われるのではないかという不安がないこともなかったのでございますが、逆にこの多く生まれる男児のため、卯松丸様が田村家を再興する可能性が更に高まる、と考えておられたからでございました。 
「なんと申しても兵五郎様は、すでに豊臣の時代に関白秀吉様の猶子となられ、秀宗様となられておる。しかし徳川の世と変わったいまの時代に、兵五郎様が伊達の本家を継承する訳はあるべくもないこと・・・」
 そう思って、自らを安んじられておられたのでございます。しかし会津領とされてしまった田村の地が、そのまま卯松丸様に戻されるものであろうかという危惧の念は、拭い去れないでいたのでございます。


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最終更新日  2010.04.05 09:36:36
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