『福島の歴史物語」

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2015.07.04
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 奥州三春の田村氏がその領地を失って会津領に編入されたのは、豊臣秀吉の『奥州仕置』によるものであった。そしてその会津九十二万石を受け継いだのは、蒲生飛騨守氏郷である。氏郷は受洗名をレオと称する切支丹大名であった。ところが寛永四(一六二七)年、氏郷の孫の下野守忠郷が、疱瘡のため二十五歳の若さで亡くなった。そのため幕府は出羽上ノ山四万石に封じられていた弟の中務大輔忠知に蒲生の名跡を継がせると同時に伊豫松山二十四万石に転じさせ、その松山城主であった加藤左馬頭嘉明に会津への国替えを命じた。

 『賤ヶ岳七本槍』の一人として名を馳せておりながらすでに老齢となっていた加藤左馬頭嘉明は、松山城下近くの和気村にある四国第五十三番札所・真言宗智山派圓明寺に切支丹灯籠を匿名で寄進していた。しかしその切支丹灯籠のこともあってか、「整備が終わったばかりの松山城を手放したくない」との理由をつけて松山から離れることを拒んだが、それは許されなかった。

 やむを得ず灯籠をそのままにして会津に入った嘉明は、三男の加藤民部大輔明利を新しく会津領となった三春三万石に、また娘婿で下野烏山(栃木県)二万石の城主であった松下石見守重綱を同じく会津領となった二本松五万石に任じた。当時すでに三春藩は参勤の礼を執っており、将軍家への公役を負うなどして会津とは別の一国と認められていた。ところが重綱は、下野烏山から二本松に移されて僅かに数ヶ月後、病気のため急死してしまったのである。そのため嘉明は三春に入れたばかりの明利を急遽二本松に移し、重綱の嫡子の松下佐助長綱を二本松から三春に入れ替えたのである。

 寛永6(1629)年、キリスト教を禁じた幕府は、切支丹を見つけ出すため踏み絵を開始した。この踏み絵は切支丹独特の信仰への態度、つまり自分の命を棄ててでも自分の信仰を守っていくということを知っている、いわゆる転び切支丹よりの提案であったと考えられている。

 長綱は、母方の祖父である嘉明から切支丹の信仰を引き継いだようで、幕府による禁制以後は、隠れ切支丹となっていたようである。(三春町史)そのためもあってか、長綱は、旧領である二本松にあった先代の廟所・州傳寺を三春へ移した。それには父・重綱の墓碑の戒名の上の切支丹の印を隠す意図があったものと思われる。そしてもう一つ、自分の墓所として常陸(いまの茨城県水海道市飯沼)の浄土宗の壽亀山弘経寺を本山として、新たに光岩寺を三春へ勧請した。このことにも、何らかの作為が感じられる。

 寛永8年、会津藩主である嘉明は、病気のため江戸の屋敷で亡くなり、その長男であり、また長綱の義兄にあたる加藤式部少輔明成が、会津藩を継いだ。その明成が、会津で四十二人の切支丹を処刑した。また、白河の丹羽加賀守長重も十三人の切支丹の処刑をするなど、周辺の各藩でも切支丹の処刑が実施されていた。

 寛永十二年、会津藩主の明成は再び切支丹の大弾圧を実行した。捕らえられた中心人物の横沢丹波と切支丹伴天連など信者の六十余名が拷問を受け、薬師堂河原で一斉に火あぶりの刑に処せられたのである。

 寛永十七年、幕府は四千石の旗本、井上筑後守政重に六千石を与えて下総高岡藩(千葉県下総町)を立藩させ、その上で切支丹取締まりの総元締である大目付とした。宗門改めを兼ねることになった政重は、高岡藩下屋敷(文京区茗荷谷)に被疑者を収容し、過酷な取り調べをはじめた。江戸の人々はこの屋敷を切支丹屋敷と呼び、恐れていた。

 寛永二十(一六四三)年、会津藩主となっていた明成は、ある問題で将軍家光から厳しく叱責され、会津領四十二万石が収公された。またそれと同時期に二本松五万石の明利が病没したため、それを機に嫡子孫三郎明勝も収公され、改めて三千石が与えられた。この間、長綱は加藤の姻戚でありながら、何の処分も受けることがなかった。

 三春町史に、『陸奥国二本松城主松下岩見守重綱が嫡子左助長綱幼稚たれば』と『乱心』を示唆する記述がある。これは長綱十九歳の時であるから、決して幼稚などと言われる年ではなかったはずである。これは何を意味するものであろうか。ところが寛永二十一年三月七日、長綱は収公された明勝を江戸の屋敷に見舞ったのであるが、その帰りがけに、あろうことか加藤屋敷の門番を手討ちにしてしまったのである。

 正保元(一六四四)年四月九日、幕府に対して加藤家より、『門番の斬殺』は乱心によるものとして届出られ、その結果、翌十日に長綱に対して領知返上の沙汰が下されたのである。この返上の沙汰にともない、この年の四月十四日、幕府は三春城請取の役を寺社奉行であり高崎藩主である安藤右京進重長に命じた。返上とは御家取潰、すなわち藩の解体を意味していた。乱心との理由で、長綱は四国・高知の山内家に預けられた。

 その一方の三春では、州傳寺に葬られた松下家先代の墓地が荒らされ、墓碑に記された法名『州傳院長厳長洋大居士』の文字は、読むに耐えられないほど深く大きく削り取られていた。理由は何であれ、藩主であった人の墓碑が削り取られるということは、尋常なことではない。しかし後世、その墓石を削られたのは、この墓石の粉が精神病の特効薬であると領民に信じられたことによるとされているが、藩の解体により碌を失った者の恨みからではないか、とも噂されている。

 ちなみに、いまは耕地整理の工事のため紛失したが、三春町齋藤字里山に隠れ切支丹の墓があったという。また岩手県一関市の山中に、ダビデの星のついた墓が数多くあると知らされた。彼によると、鉄鉱石を掘る人夫が不足したため、切支丹であることには目をつぶって重労働を課した結果だという。そうであるとすると、一関に行く途中のこのあたりで、「ここまで来れば、もういいか」と思った人たちが住んだ、とも考えられる。




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最終更新日  2015.07.05 04:53:38
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