『福島の歴史物語」

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2015.11.16
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     日本神話の萌芽と残滓

 日本の後期旧石器時代は、約三万五千年前に始まって約二万年間続き、多くの遺跡が確認されています。これに続く縄文時代は約一万四千年続き、その後の邪馬台国女王 卑弥呼の死が3世紀中頃とされていますから、これらを足すと、気の遠くなるような長い年月です。この長い年月の間に受けた自然の恵み、そしてその猛威にさいなまれたこともまた多かったと思われます。それらはストレートに、あるいは昇華されることで、その時代時代の人たちに語り継がれて来たであろうことは容易に想像することができます。そしてこれらの出来事や自然現象が、『神』という超自然的力により起こされたものと考えたであろうこともまた想像することができます。

 日本神話のほとんどは、『古事記』や『日本書紀』および各地の『風土記』の記述によるものです。その成立年度は古事記が和銅五年(712)、日本書紀が養老四年(720)となっています。古事記は語り部によって言い伝えられた『皇位継承』の伝承を忠実にほぼそのまま記述したもので、要は、天皇家が歴代統治してゆくことの正当性を述べようとしたものです。また日本書紀は白村江の大敗により失われた我が国の主体性を再構築するため、中国風の史書を作ることを目的としたものです。そのため王権にとって都合の悪いことを隠そうとして、意図的な取捨・改竄が随所に行われているといわれます。しかし神話はこの時代に創造されたものではなく、それまでに起きてきた何かの事実を基礎に編まれたものではなかったのかと想像しています。例えば、口伝えされてきた現実の話から作られたと想像する理由に、次のようなことが挙げられると思います。

1:神々の行動が現実の国土と密着する形で物語られることが多いこと。
2:神々の系譜が単に神々の世界に留まらず、現実の世界にのめり込んでいること。

     神世
 世界の初めに高天原(たかまがはら)で神世七代と言われる神々が誕生、これらの神々の最後に生まれてきた神が伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)で、神武天皇の7代前の先祖となります。ただここで気になるのは、多くの国の神話が『神は人間を自分に似せて作った』としているのに対し、日本では『神が人間に変化』していったことです。

     国生み
 この伊邪那岐命と伊邪那美命は、自らがつくった淤能碁呂島(おのころじま)に降り、結婚して大八洲(おおやしま)と呼ばれる日本列島の島々を次々と生み出します。日本書紀は、大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま・本州)、伊予(四国)、筑紫(九州)、隠岐、佐渡、越(新潟)、大洲(おおしま・山口県屋代島か?)、吉備子洲(きびのこじま・岡山県児島半島)の8島をあげていますが、古事記では越以下を欠き、加えて淡路、対馬、壱岐の8島としています。

     天の岩戸
 皇室の祖神である天照大神(アマテラスオオミカミ)は、弟 素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒々しい所業に怒り、岩屋に隠れてしまいました。このため世の中は真っ暗になるのですが、八百万(ヤオヨロズ)の神々の機転により、天照大神は『天の岩戸』を開けて岩屋から出たので天地に光が戻ります。素戔嗚尊は高天原から追放されました。この『天の岩戸』の話もさることながら、この姉弟の関係が魏志倭人伝に言う卑弥呼とその弟との関係に酷似しており、女性神である天照大神は女王 卑弥呼がモデルではないか、と指摘されています。

     因幡(いなば・鳥取県)の白兎
 『因幡の白兎』は、『淤岐島(おきのしま)』から『稻羽』に渡ろうとした兎が、『和邇(わに)』を並べてその背を数えながら渡ったというものですが、その和邇に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大国主神に助けられるという話です。しかし和邇は鰐ではなく、鮫との説もあります。ところが鰐説を裏付けるかのように、昭和三十九年(1964)、大阪府豊中市待兼山に化石の採取に来ていた高校生、人見功と大原健二が、脊椎動物の肋骨破片を発見しました。その後の発掘調査で頭骨を含むほぼ完全な骨格化石が採集され、マチカネワニと名付けられたのです。このこともあり、何らかの鰐に関する事実がこの神話に反映したもの、と思われます。

     天孫降臨
 天照大神の孫(天孫)の邇邇芸命(ニニギノミコト)は、高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに・日本)を統治するため、筑紫の高千穂に天下りました。ここで木之花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)を妻とし三人の子をもうけました。この子供たちの二人が海幸彦(ウミサチヒコ)と山幸彦(ヤマサチヒコ)です。この山幸彦と豊玉毘売(トヨタマヒメ)との間に生まれた子が、天津日高日子波限達鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタリウガヤフキアエズノミコト)と言う神ですが、成人して豊玉毘売の妹(つまり叔母)である玉依毘売(タマヨリヒメ)と夫婦になります。この二人の間に生まれた子供たちが、五瀬命(イツセノミコト)や神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)でした。神倭伊波礼毘古命という神は、のちの神武天皇です。

     神武東征
 神倭伊波礼毘古命が倭を支配しようと攻めて来たので、倭の先住者たちは果敢に抵抗しました。しかし先住者たちは、敗れてしまいました。神倭伊波礼毘古命は、畝傍(うねび・橿原市)の橿原宮で即位します。この神倭伊波礼毘古命が『高天原の神(天津神)の子』であり、初代の神武天皇です、この東征神話は、神武天皇がいかに立派であったかを説明するための話とされています。しかしこの東征神話は、邪馬台国の卑弥呼の話ではないかとの説もあります。なぜなら稲作文化がこの時代に九州に渡来していることから、東征が神武天皇の武力による侵攻ではなく、実際は卑弥呼による稲作文化の伝播と考えられるからではないでしょうか。東征神話によると、神武天皇は、宇佐(大分県)を経て岡田宮(福岡県)で1年、多祁理宮(たけりのみや・広島県)で7年、高島宮(岡山県)で8年も滞在しているのです。これらの年数は稲作技術指導のための期間であったのではないか、と思えるのです。このことから、邪馬台国が九州と畿内の両方に関係していたと考えてもいいのではないかと思われます。いずれにせよ高天原の神々による葦原中国の平定があり、出雲の神々は国譲りによって天津神に服属します。そして筑紫の神々は天孫降臨によって『天津神の子』である神武天皇に統合されてゆくという政治性が、強く打ち出されていくのです。
 神武天皇は東征において、三脚烏の八咫烏(やたがらす)に導かれています。もともと三脚カラスは中国神話に登場する烏で太陽に住むとされ、高句麗では古墳の壁画にも描かれています。ただし太陽にいるのは金鶏(きんけい)であるとの神話もあります。これらのことは、神武天皇の東征の際、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦(ナガスネヒコ)の軍を眩ませたという話と重なり、またす。三脚カラスが太陽に住むという中国の神話は、天皇は太陽の子であるとする日本人にとって受け入れやすい話であったのかも知れません。朝鮮から、『稲作と一緒に三脚カラスも渡来した』、とも考えられます。

日本神話の残滓
 金鵄勲章(きんしくんしょう)というものがありました。これは大日本帝国陸海軍の軍人軍属を対象に、明治二十三年(1890)の紀元節(二月十一日)に制定されたものです。金鵄は、日本の軍人を彩る鳥となっていきました。そして日本は神の国であり、国民は神の子(天皇)の赤子(せきし)と教育されてゆくのです。そのため天皇は現人神(あらひとがみ)であるという考えが国民の間に根付いていきました。ちなみに八咫烏は、サッカーチームのシンボルマークとして、現代の日本によみがえりました。
 昭和十四年(1939)、早稲田大学文学部教授で東京帝国大学法学部講師(東洋政治思想史)を兼任していた津田左右吉博士が、日本書紀に於ける聖徳太子関連記述についてその実在性を含めて批判的に考察した『神代史の研究』などの本が、翌昭和十五年、発禁とされました。まさにこの年は、皇紀2600年の祝典が挙行された年でもあったのです。この神話の時代を国史(日本史)とした学校教育の終わりは、昭和天皇が『人間宣言』をした第二次大戦の終結まで、待たなければならなかったのです。



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最終更新日  2015.11.20 09:30:32
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