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カテゴリ: 街 こおりやま
  阿武隈川

 阿武隈川は福島県の中央部を東西に分けて北上、宮城県岩沼市周辺で東に流れを変え、太平洋に注ぐ東北第二の大河です。この大河が、どのような過程を経て阿武隈川という名になったのでしょうか。

 宝亀元年(770)、田村麻呂の父の坂上苅田麻呂は陸奥鎮守将軍に任じられましたが、実際に多賀城に赴任したかどうかは、不明です。しかし次のような伝説があります。

 苅田麻呂が大きな熊に乗ってこの川を渡り、屯田(みやけだ)(田村町御代田)へ行ったので大熊(おおくま)川、合曲(あうくま)川、さらに逢隈(おおくま)川、阿武隈川になったというのです。

 この川の名が最初に出てくる文献は吾妻鏡で、文治五年(1189)七月十七の条に逢隈河と記されています。このことから、この川を最初に統一した名称は、逢隈川であったと思われます。

 阿武隈川の名を想像させる文献の一つに、応徳三年(1066)に作られた後拾遺和歌集があります。その中にある『武隈(たけくま)の松(岩沼市)』という記述から、竹駒神社の語源ともされていますが、これにより、『武隈』という文字が吾妻鏡の逢隈河より120年も前に使われていたことが分かります。

 宮城県出身の知人が、「『この武隈の松』の近くに『阿武(あぶ)の松』があった」と教えてくれました。すると阿武隈の三字が揃うことになり、この二本の松が存在する位置から考えて、阿武隈川左岸の住民は『阿武隈川』、右岸の住民は『逢隈川』と呼んでいたと推測できるのではないでしょうか。

 この逢隈という名は、阿武隈川最上流の甲子温泉の近くにある逢隈橋、国道288号の逢隈橋、旧田村郡逢隈村、松川町と飯野町を結ぶ逢隈橋、宮城県亘理町(旧逢隈村)と逢隈橋、そして亘理町のJR常磐線に逢隈駅があるのです。これらの名は、阿武隈という川の名が定着していく中で、逢隈という古い記憶から付けられた可能性が高いと思っています。

 このように、川などの固有名詞の中には、1つとは限らない場合があるのです。例えば、会津から新潟県に流れ、日本海に注ぐ川がありますが、この川を福島県側では『阿賀川』と呼び、新潟県では『阿賀野川』と呼んでいるのです。



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最終更新日  2017.01.01 13:45:06
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