『福島の歴史物語」

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2024.11.01
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平賀源内の各地の美術展②

 『源内の指導』とはどのようなことを言うのかは不明ですが、源内が指導して三彩の交趾(こうち)風の陶器を開発したことが明らかにされはじめているそうです。交趾とは安南・サイゴン地方で、いまのベトナムのことですが、一般に交趾焼と称しているものは、中国南部の広東などで焼かれたもので、土は柔らかく暗色を帯び、緑・黄・紫色のいわゆる『三彩の交趾釉』がほどこされています。源内焼の特徴的意匠のひとつは地図皿です。日本で初めて地図を意匠に取り入れた焼き物で、ユーラシア・アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、日本列島のものなどもあります。日本地図の皿はとても精緻で、幅広い階層の知識欲を満たしてくれるものでした。ただ箱書きなどから、これらが天明2年(1782年)以前から存在していたことが推定されています。ちなみに現在、香川県さぬき市志度の平賀源内記念館には、テレビの『なんでも鑑定団』の中島誠之助さんが、「1,000万円の価値がある!」と判定されたのが、南北アメリカ大陸を描いた『二彩万国地図皿』です。この絵皿には南北アメリカ大陸がドンと描かれていますが、大陸の上には「亜墨利加」などの様々な漢字が半島の先まで細かい漢字で、また太平洋の波も細かく浮き出ています。「お皿を見て楽しんでもらう」ために源内は源内焼を考案したと言われています。その他の器種としては、硯のそばに立てて塵やほこりなどを防ぐ小さな衝立(ついたて)である硯屏(けんびょう)鉢・蓋付き碗・銚子・盃・水滴・香炉・鈴などが見られます皿や鉢などに比べて目立って少ないのが香炉であり、この少ない香炉の中のひとつが、『三春駒の香炉』だったのです。

 当時、源内が天草代官に提出した陳情書、『陶器工夫書』によれば、オランダにはじまる東インド会社のアジア進出で開かれた航路によって、中国製の珍しい陶磁器がヨーロッパに向けて盛んに運ばれていたのですが、その中国の清が、1757年、制限貿易を開始したのです。当時、清には大量の銀が存在していました。乾隆帝は制限貿易によって銀の国外流出を防ごうとし、貿易港を広州一港に限定し、さらに公行と呼ばれる特権商人を設置し、貿易を特権商人たちに独占させました。銀の国外流出を防ぐとともに 貿易による利益を清朝が独占したのです。そのため中国での陶磁器の生産が減り、代わりに日本へ中国写しの陶器の注文がもたらされたのです。それを知った源内は、陶土を産出する天草の土に着目し、「日本での製陶の技術向上をはかり、陶工を増やして器の形、模様の指図をする人さえ得られれば、日本刀や蒔絵のように万国に勝る立派な陶器が出来る。それによって輸出が増え、外国産の陶器に日本人が大金を使う必要もなく、永代に亘って我が国の国益に貢献する。」と話していたそうです。

 源内の陶器は技術的に優れていたこともあって、その見事な陶器で、幕府老中の田沼意次をはじめ、諸国の大名たちや豪商を魅了したと伝えられています。このようなこともあって、源内焼の作品には、寒山寺図や山水図、蓬莱山図・遊船図など中国を意識したものが多いのですが、日本の『三彩・天ノ橋立図』などの長皿や鉢なども残されています。このような源内の弟子のひとりに、自身の甥である堺屋源吾がいました。特に源吾の手に成る陶器が多く残されており、それらには『志度舜民』『舜民』『民』などの銘の物があります。また判明しているもうひとりの弟子は、やはり志度浦生まれの赤松光信で、源内に交趾焼を学んで大阪や長崎などでその製品を販売し、好評を得ています。彼はのちに志度浦に戻り、志度焼を起こしています。

 安永2年(1773年)、源内が45歳の春、いまの埼玉県秩父市の中津川村の付近で金の採掘に挑戦し、その後、その山での、鉄山の開発願が幕府代官の前沢藤十郎あてに差し出しています。中津川の集落には、源内自身が設計したという非公開ですが、『源内居』という建物が残されています。ところでその年の7月、源内は、鉱山採掘の技術指導のために秋田の角館を訪れていますが、そのとき、小田野直武と会っています。一説には、宿の屏風絵に感心した源内が、作者である直武を呼んで会い、西洋画の陰影法や遠近法を教えたというのです。その後源内は、小田野直武を江戸に呼び寄せました。そしてその縁によって、小田野直武は、杉田玄白や前野良沢の解体新書の挿絵を任されています。直武は源内に西洋画を学んだのちに、秋田蘭画と呼ばれる一派を形成しています。蘭画とはオランダの絵のことです。また源内の薬品展示会で親しくなった蘭学者・杉田玄白は、彼の著書の『蘭学事始』の中で、源内を『天性の才人』と讃えています。この『解体新書』の出版は、日本国内に蘭学が広まる大きなきっかけとなったのです。

 前述の五島美術館で開かれた『源内焼〜平賀源内のまなざし展』での図録『源内焼』によると、『この三春駒の香炉は個人蔵』とあり、これと『同じものでやや小型のものが他に1点ある』とありました。掲載されていた三春駒の写真の胸には『奥州・三春大明神・子育之馬』とあり、腹部には『安永3年(1846年)正月元旦・平賀鳩溪・謹摹造』とありました。さらに調べていたら、令和元年、兵庫県宝塚市の鉄斎美術館で『富岡鉄斎と平賀源内展』が開かれており、そのパンフレットには、こうあったのです。
『富岡鉄斎(とみおか てっさい、1837年1月25日(天保7年12月19日)〜1924年(大正13年)12月31日)は、明治・大正期の文人画家、儒学者で日本最後の文人と謳われる。鉄斎美術館は、近代文人画の巨匠・富岡鉄斎と交友を結んだ清荒神(きよしこうじん)清澄寺(せいちょうじ)の第37世法主・坂本光浄の『宗美一体』の理念とその遺志を継承して、約1世紀にわたって蒐集されてきた鉄斎作品を広く公開展示しています。鉄斎が愛蔵していた品に、色あざやかな三彩を施した源内焼の『子育馬香炉』があります。源内焼は江戸時代中期、発明家・平賀源内(鳩渓)の指導によって讃岐国志度(香川県さぬき市)で製作されました。胸部に「三春大明神」と彫られていることから、福島県三春地方に伝わる三春駒を象ったものであることがわかります。はじめ平賀源内が製作し、のちに工芸品として普及したようです。使用した形跡があるので、富岡家でも使われていたのでしょうか。鉄斎による箱書きも遺っています。』

 鉄斎をも魅了した『三春駒の香炉』。私は時を経ずして、これがヤフオクに出品されているのを知りました。しかしそう安い物ではありません。買うかどうか迷いました。そこで私は、三春歴史民俗資料館に、もし源内焼の『三春駒の香炉』の所蔵がなかったら、買って寄付をしたいとメールをしたのです。ところが資料館から、『実はすでにそれを所蔵している』との返事があったのです。寄付をしようとした気持はしぼみましたが、逆にどうしても欲しくなりました。そこで、意を決っしてヤフオクで落札をしたのです。





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最終更新日  2024.11.01 07:30:10
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