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これまでの人生で最大の汚点といえるのが、Tという女とデートしたことだ。話は20年ほど前にさかのぼる。Tと知り合ったのは友人が主催したジャズコンサートの打ち上げの席。偶然、Tは右隣に座った。その右隣には、知性の面では言うまでもなく容姿の面でもわたしの足下にも及ばない、今でいえば太ったアキバ系の医者の卵が座った。要するに、20代後半のそこそこ魅力的に見えなくもない女性の両側に、だいたい同世代の対照的な男二人がいたわけだ。「これは不戦勝だ」とわたしは思ったが、そんな不遜さはおくびにも出さず、紳士的に後日のデートを約した。この女のアタマの中がどうなっていたかは、いま思っても不思議だ。結婚相手を探していたのだろう。趣味が同じ相手を探すのに、コンサートの打ち上げの席というのは悪くない選択だ。だから、完全なバカではない。むしろ悪賢いといえる。この女は、男性と知り合うと、「社長さんですか」と聞く。いいえと答えると「お医者さんですか」と聞く。「いいえ」と答えると別のテーブルに去っていく(笑)医者か社長と結婚したがっていた女だということだ。この女がバカだと思うのは、医者や社長が高給とりだと思っていることだ。というか、金持ちは医者や社長しかいないと思いこんでいることだ。医者や経営者に高額所得者が多いのは事実だ。しかし生涯給与で比べれば、勤務医はさほど多くない。大企業の部長職はもちろん、高校教師よりも少ない場合が多い。しかも、1970年代をピークにずっと下がっているのが医者の所得。もちろん、安定はしているし、かなりのヤブでも食いっぱぐれることはないのはたしかだ。僻地の診療所に7~8年も勤めれば、1億くらいの預金はできる。そのカネで都会に家を買って舞い戻ってくる、そういう医者は多い。結果から言えば、この女は太ったアキバ系医者と結婚したようだ。10年後くらいに、つまらなそうな顔をしてカップルで歩いているのを偶然見かけたからだ。知性や容姿ではなく、収入で選び、収入で結ばれた(笑)夫婦の人生がどのような展開を見せるかは興味深い。この女とのデートは、他人の収入にしか関心のない女がどういう内面世界を持っているかを知る貴重な機会であったとだけ言っておこう。文化人類学的興味がなければ耐えられない数時間だった。Tとはデートの数年後、東京のホテルでばったり会ったことがある。東京に何をしに来たのか聞いたら、「東京ドームを見に来た」という。東京ドームで行われている何かではなく、東京ドームそのものを見に来たというのだ。治るバカも多いが、こういうバカは死んでも治らない。
April 18, 2006
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C型肝炎ウィルスキャリアの知人がいる。交通事故でケガをしたときの輸血が原因で感染。感染がわかったのが10年前。3年ほどは発症の恐怖から暗澹としていたそうだが、幸い、今のところ発症はしていない。肝炎ウィルスのキャリアなのに、かなり酒を飲む。徹夜などの無茶もやる。それを注意すると、「細く長くよりも、太く短く生きる方がいい」と言って耳を貸さない。健康を気にして長生きするよりは、短命でも好き勝手に生きた方がいいというのは、それなりの見識ではある。しかし、人生には、細く長く生きるか、太く短く生きるかの二つの選択しかないのだろうか。そんなことはない。この使い古された言い方をあえて借りるならば、「できるだけ太く、かつ長く」つまり長さを損なわない範囲ぎりぎりまで「太く」生きることを目指すのが合理的だしベストのはずだ。そんなことは少しアタマを冷やして考えればわかることなのに、なぜかこの二項を対立させて人生にはその二つの生き方しかないと思いこんでいる人は多い。○×式の入試問題じゃあるまいし、人生に二者択一なんてありえない。その中間にさまざまなグラデーションは存在するし、角度を変えるとまったく別の思いがけない解答が見つかることだってザラだ。他に長所も多い知人をバカ呼ばわりするのはしのびないが、人生は太く短くか細く長くかの二者択一しかないと思いこんでいる知人は、やはりバカというほかない。実際の人生では、二者択一を迫られることは決して少なくない。好きな女性が二人(以上)いても二人と結婚することはできないし、受験日が同じ合格確実なレベルの低い学校と難関だがレベルの高い学校を同時には受験できない。どちらかを選ばなければならない。しかし、いろいろな選択肢があり得る事柄まで、二者択一で決める必要はさらさらない。日本人は、玉砕か自決かという「二者択一」スローガンでひどい目に遭わされたばかりではないか。
April 7, 2006
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10年ほど前。官官接待のようなある宴会で、タバコの健康被害についての話になった。酒もタバコも健康には関係ないとしきりに力説する男がいた。訝しく思ってその理由をきくと、酒もタバコもやらないキリスト教の牧師だった叔父が肺癌で亡くなったのだという。そのことから、肺癌とタバコの間には何の因果関係もないと結論し力説するのだった。この手のバカを何と呼んだらいいのか。塩分をとらない人は胃癌にはならないが、タバコをやらない人も肺癌になる。しかしタバコを吸う人は吸わない人に比べて5倍から20倍、肺癌になる率が高まる。こんなことは10年前でさえ常識だった。身近な例を普遍的な例と思いこむのはよくあることで、そういった偏見から完全に自由な人間はほとんどいない。高校生のころフランシス・ベーコンの哲学を勉強したこのわたしでさえ、自信がない。それが人間というものだ。しかしそれにしても、タバコを吸わないのに肺癌になったからタバコと肺癌の間には何の関係もないと決めつける論理の飛躍には開いた口がふさがらなかった。ベーコンは、こうした論理の飛躍をもたらす偏見を心の幻影(イドラ)と呼んだ。この場合の偏見は、ベーコンの分類に従えば、洞窟のイドラといえる。洞窟のイドラとは、狭い洞窟の中から世界を見ているかのように、個人の性癖、習慣、教育によって生じる誤りのことである。世間知らずの意もある。 知識を深め、見聞を広めることを怠けるならば、人間は見えない洞窟の中で一生を過ごすことになり、しかも肺癌になる。
April 6, 2006
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呉智英の「バカにつける薬」は痛快な本だが、その中に「折々のバカ」という一章があった(はず)。ああいうことを書いてみたいと長年、思っていた。ある程度ネタがたまってから書こうと思っていたが、忘れてしまうといけないので(笑)折に触れ書いておくことにした。子どものころから、自分はどこかおかしいのではないかと思っていた。なぜなら、ふつうに話をしているつもりなのに、相手にまったく話が通じないことがよくあったからだ。自分は変わっているのではないか、特殊なのではないかと恐れて、内向的な性格になってしまったほどだ(笑)しかし、あるときそれは自分に責任があるのではなく、相手がバカだったからだということに気がついてしまったのである。「バカにつける薬」のような本を読んで、ますます自信を深めた。季節はずれの大雪が降った数日前、タクシーに乗ったときの会話。「冬は運転が大変でしょう。札幌は住みいい街だけど、雪の量が半分で、冬の長さが半分ならいいのにね」とぼく。「いやあお客さん、雪が降るから季節のメリハリがあっていいんですよ」と運転手。またか、と思う。冬にタクシーに乗るたび、こういう会話をするのだが、素直に「ほんとそうですね」という返事が返ってきたことは一度もない。ぼくが問題にしているのは雪の量と冬の長さであり、雪が降らない方がいいと主張しているわけでない。しかし全員が、「雪がない方がいい」と主張していると取り違えて、「雪がある方がいい」と反論してくるのである。論点というか概念をきちんと識別し分別できないのだ。イソップ童話の「すっぱいぶどう」を思い出す。ちょうど、あれの逆の心理に陥っているように思う。雪の多い地域で生きていかなくてはならない彼らは、雪の多さに不満を持つと自分がみじめになる。だから雪の多さを素晴らしいことと合理化していくのではないか。自分にウソをついているうちに本心からそう思っているというふうになってしまうというのもあるだろう。アンクル・トムの奴隷根性と同じだ。タクシー・ドライバーというのは、比較的、自由で自立した考え方の持ち主が多いが、タクシー・ドライバーにおいてさえこうなのだから、ほかは推して知るべしだろう。部分的批判を全面的な否定と受け取るのが、日本人一般の特徴のような気もする。株で儲けた話をすると必ず「不労所得はあぶく銭だから悪で害」、買い物はクレジットカードでするべきと言うと必ず「使いすぎるから買い物は現金がいちばん」と反論してくる人がいる。これも論点のすりかえだ。さてこれからどんなバカが現れるか、楽しみだ。わたしを直接知る人は、ここにそのバカぶりを書かれないよう、言動に気をつけるがよい(笑)
April 3, 2006
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過労死した高卒タタキアゲの椿山課長。人違いで殺されたヤクザの親分。交通事故で死んだ6歳の男の子。極楽浄土に行くのを嫌がったこの3人が、3日間だけ現世に帰ってくるというお話。浅田次郎の本は「初等ヤクザの犯罪学教室」しか読んだことはなかった。あの本でも、軽快なリズムと唖然とするほど語り口のうまい文章に引き込まれたが、この小説も浅田節全開。フィナーレのテンポがフルトヴェングラーばりに速すぎるのを除けば、笑わせて泣かせて、ストーリー展開のおもしろさにうならせる、第一級の娯楽小説だと思う。椿山課長は絶世の美女の体になって現世に舞い戻ったりと、死をテーマにしながら決して重くない。短編小説をつなぎ合わせたような構成も読みやすさの素。この小説のテーマは家族の絆というか家族の絆の欠落であり、その回復。「誰かのため、何かのため」といったことがなければ生きられない人間の本質を描くこと、それを読者に納得させることに成功している。美女に変身した椿山課長が自分の子とキャッチボールをするシーンは、「フィールド・オブ・ドリームス」のパロディだろうか。そうしたケレンもまた浅田小説の魅力だろうか。英訳して外国で出版してみたらどうだろうかなどと思った。
April 2, 2006
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