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3週に渡って上映されている蠍座の企画「昭和の名男優・喜劇な人びと」に選ばれた6作のうちの1作。東宝の「駅前」シリーズ24作のうちの16作目で、16作の脚本を書いた長瀬喜伴の最後の作品。佐伯幸三監督ともこれが最後のコンビになった。1966年の作。大学を出たばかりの若者(フランキー堺)が老舗旅館の番頭見習いとして就職する。世慣れていないマジメな若者が、ボンボンで女好きで遊び人の支配人、やきもちやきのおかみ、実直だが頑固な番頭の3人に翻弄されながらも成長していくというお話。喜劇色が強いのは前半。登場人物それぞれの類型が定着するまでがおもしろい。やはり、昭和の時代にはこういう人がいたとか、こういう場合にはこういう対応をしたという、ある種の懐かしさも思い出させる。一方、後半はよくある人情話になってしまう。フランキー堺以外の出演者を列挙すると、森繁久彌、伴淳三郎、淡島千景、大空真弓、池内淳子、中村メイコ、松山英太郎、北あけみ、赤木春恵、宮地晴子、三木のり平、水上竜子など。ほかに漫才のリーガル秀才・天才が少しだけ出ていて懐かしい。感心したのは、森繁久彌の演技。あまりに若いので、最初は誰だかわからなかったほどだが、女好きの支配人役をイヤミなく演じている。ほんとうにこういう人がいそうなリアリティがあって、さすがの大物俳優という気がする。大空真弓や池内淳子、喫茶店のママ役の宮地晴子も、どこか清楚でいまの女性にはない気品がある。水上竜子は初めて見た気がする。この作品ではアメリカ人のダンサー役で登場するが、たしかに日本人離れした美人。映画だけでなく、ウルトラセブンなどテレビドラマでも活躍した人らしい。だから何度も観たことがあるはずだし、これだけの美人ならもっと話題になってもよかったはずだが、当時の日本人には現実離れした美人だったのか、その後の消息を聞かないのが不思議だ。森繁久彌は、この映画のような役柄を基本に、哀愁をも漂わせる芸風を身につけていき、フェリーニやミハルコフのような監督と出会い作品に恵まれていたら、日本のマルチェロ・マストロヤンニといわれるような存在になったと思う。よくある人情話で終わってしまうが、それが悪いわけではない。この程度の人情さえ、今の日本では失われてしまっているから、この映画は作られた当時よりも存在意義と価値を増している。そして登場人物たちの純情なこと。1966年といえば昭和41年だが、このころにはまだ戦後日本の初心が生きていたということだ。
August 31, 2010
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3週に渡って上映されている蠍座の企画「昭和の名男優・喜劇な人びと」に選ばれた6作のうちの1作。三木のり平の数少ない主演作のひとつ。前田陽一監督による1970年作品。三木のり平以外の主な出演者を列挙すると、倍賞美津子、由利徹、ケーシー高峰、森光子、古今亭志ん朝、藤村俊二、穂積隆信、加藤和夫、矢島美智子、高松しげお・・・ある年齢以上の人たちなら、顔と名前は一致しなくても、白黒テレビの画面で見たことのある俳優ばかり。しばらくぶりに会うことのできた親戚のような懐かしさに、映画の内容とは別にノスタルジーを感じた。三木のり平の、定年間近のサラリーマンという役柄がはまり役で独特なペーソスを感じさせるのを除けば、たいした映画ではない。今となってはあまりに素朴すぎる仕掛けは、笑いに誘われるというより苦笑してしまう部分もある。しかし、高度成長期の日本人はこんなふうだったとか、街の風景にしても居間や食卓を撮したシーンにしても、つい最近まで日本にもあった風景が懐かしく、いとおしい気がする。たしかにこんなふうに人と人との距離は精神的にも物理的にも近かったと思い出す。喜劇だからあたりまえだが、みな妙に明るい。この屈折したところのない明るさは、きのうよりきょう、きょうよりあしたが豊かになっていくと信じられたあの時代特有のものであり、懐かしさを超えて感動さえおぼえたほど。
August 29, 2010
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高橋お伝は、日本で最後に斬首刑にされた女性として名前だけは知っていた。後世に書かれた小説などでは、何人も殺したことになっているが、実際はひとりの古物商を殺しただけ。それも同情の余地がなくはない事情があったのではないかと推察される。新東宝を代表する名匠、中川信夫監督による1958年のこの映画では、病気の夫や前夫との間にできた娘にたいしての情愛の深い、優しい女性の一面がきちんと描かれている。これが実際に近いのではないかと思う。主役の若杉嘉津子(1926年生まれで存命している)にすっかり魅了されてしまった。同時に、妖艶さや堕ちてゆく女の弱さを格調高く描いた監督の手腕にも感心させられる。冒頭の人力車のシーンなど、実にうまいカメラワークであり構成だ。若杉嘉津子はこの監督を終生の師を仰いでいるらしい。この監督とこの女優の出ている映画を全部観たい、そう思わせる一作だった。
August 23, 2010
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このところ、自分が生まれたころ、あるいは子どもだったころの日本映画を観たいと思うようになった。というのは、まだ映画館に行くような年齢ではなかったので、この時代の映画というのはほとんど知らないからだ。たまたま、DVD化されていない渡辺祐介監督の1964年作品「二匹の牝犬」が上映されるというので観てきた。小川真由美扮するマジメすぎるトルコ嬢とトルコ嬢の姉を頼って上京してきた緑魔子扮するあっけらかんとした妹、杉浦直樹扮するやり手だが自堕落な証券マンの3人の転落人生を描いた映画である。おもしろいのは、それぞれがマジメすぎたり、あっけらかんとしていたり、自堕落だったりする、まさにその理由で転落をしていく点。人生の教訓話としてもなかなか優れているが、印象に残るのは俳優たちの演技力。たとえば、小川真由美がタバコをくわえながらお札を数えたりするような一連の動作が実になめらかで、下品なようでいて上品なのである。いまの時代は、ただ下品になるか、うそっぽく上品になるかのどちらかしかできない女優しかいないと思う。イケメンという設定の杉浦直樹も、貧しい生まれ育ちを告白する場面など、同情にかられるほど真に迫っている。あんな演技のできる「イケメン」俳優は、いまはいないだろう。好き嫌いは別にして、緑魔子も含めて、名俳優たちの演技に感服させられた1本。
August 22, 2010
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原題はthe visitor。2007年のアメリカ映画。妻を亡くした孤独な大学教授が、久しぶりにニューヨークの別邸に戻ると、そこには不法移民のカップルが無断で住んでいた。そのカップル騙されたことを知った教授は滞在を許すが、パーカッショニストであるシリア移民の男は逮捕され施設に収容されてしまう。そこで何とか彼を助けようと奔走する中で、それまで心を閉ざしていた教授が変わっていく、というお話。これは、どちらかというとニューヨーク・テロ以降、アラブ系住民に排他的になったアメリカ社会を批判し告発した映画である。孤独な中年男が、移民の若者を助けることで心を開いてゆく、というもうひとつのテーマの方は、あまり心に残らない。ただ、アメリカ社会に対する批判も強烈ではなく、どっちつかずの映画になってしまった。だからこの映画を観たことは数年後には忘れてしまっているだろう。しかし、映画館のリーフレットにも書いてあるが、たくさん人が死にクルマや建物が火を吹いて壊れる映画ばかりのアメリカ映画界にあっても、こうしたシリアスな問題に目を向け、ひとりの人間の人生をかけがえのないものとして描いている映画もあり、映画監督もいるのだということは、知っておく価値がある。
August 19, 2010
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わたしの夢のひとつはドキュメンタリー映画専門の映画館をつくることだった。だからたくさんのドキュメンタリー映画を観たが、人間を扱うドキュメンタリー映画で印象に残っているのは、対象となる人物が個性的だった場合が多い。逆に言えば、個性的な、おもしろい人間を見つけることができれば、そのドキュメンタリー映画の成功は約束されたも同然だ。ピンクのビキニを着た反戦アート集団「桃色ゲリラ」のリーダー、増山麗奈を追いかけたこの映画は、この破天荒な女性を見つけた時点で成功した。ドキュメンタリー映画として不満な部分がないわけではないが、何せこの増山麗奈という女性の、気取りも気負いもないキャラクター、路上パフォーマンスや新しいことに軽やかにチャレンジして実現してしまうエネルギッシュな行動力といった魅力の前では、そんな不満もかすんでしまう。後生おそるべしという。明るかった1960年代ならともかく、いまの時代にこんな女性がいるというのは、何だか嬉しくなるし心が軽くなる。残念なのは、初日に行かなかったこと。増山玲奈本人が劇場あいさつをしたらしいのだ。まさかそんなことがあるとは思いもよらなかったので、せっかくの機会を逃してしまった。
August 18, 2010
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東京及び大阪周辺のそれぞれ5~6軒の、風営法改正(1985年)以前の、いまとなってはやや老朽化を感じるラブホテルの外観と客室を、登場人物なしで撮した2時間弱のドキュメンタリー。東日本編と西日本編の二部からなる。映画館で発行しているリーフレットには、「これはじつにまじめな意図をもってつくられたドキュメンタリーだった」と紹介されているが、その通りだった。見おわるころには、「世界昭和遺産」としてのラブホテルは国の文化財として保護すべきだ、とまで思った。ただ、映像だけだとつまらなかったと思う。この映画(DVD版)では、この映画を作った監督と都築響一の二人が、画面を見ながら対話しコメントを(画面には現れずに)続けていくのだが、この二人の会話の内容が実におもしろく、しかもためになるのだ。文化論になるかと思えば、何でこんなもん作ったんでしょうねと苦笑したりとユーモアがあり、啓発されると同時に笑いにも誘われる。啓発される最大のポイントは、風営法改正以前のラブホテルの内装には、ものすごい手間と技術とお金がかけられていたが、いまやその技術をもった職人がいなくなってしまったという点。経営者が高齢化したり建物が老朽化して廃業してしまったら、それらは永遠に失われてしまうという。こういう日陰の部分にスポットをあてて掘り下げた映画は記録としても重要であり、そう遠くない将来、建築やデザインの教材としても注目されそうな映画だ。続編が制作されたらぜひ見たい。それにしても、この二人のように知的でユーモアと洞察に満ちた、活気と慧眼の両方のある会話ができるようになるのがおとなというものではないだろうか。
August 15, 2010
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蛇口をひねれば水はおろかお湯が出る。このことをあたりまえに思い、その便利さに感謝する心を持っていない人間を、わたしは友人にしないことにしている。都市インフラのうち最も重要なのが水道のシステムであり、古代ローマが偉大であるゆえんだ。20世紀初頭、日本の水道普及率は数%だったらしいが、わたしが生まれた1957年でもまだ30%程度だった。日本人の3人にひとりしか、水道の恩恵にあずかってはいなかったのだ。1960年になって普及率は50%を超えてくる。しかしそれでも、90%を超えるのは1980年代を待たなければならない。現在50歳以上の人の半数は、産湯は水道水ではなかったということになる。新千歳空港は世界で最も乗降客の多い空港として知られている。それ以前も、米軍が駐屯していたり、空港の騒音対策などもあって、昭和30年代の千歳は日本で最も生活インフラが整っていた都市のひとつだったと思う。その証拠に、上水道だけでなく、都市ガスさえひかれていた。ちなみに、札幌ではまだ都市ガスの敷設されていない地域がたくさんある。50年前の千歳より遅れているのだ。水道も札幌は遅れていた。1968年にいまの場所に移り住んだとき、水道はなく、地下水を汲み上げて使っていた。最初は手動のポンプ、すぐに電動のポンプを使うようになったが、いちいち外に水を汲みに行くわずらわしさは今思い出してもうんざりする。上水道が来たのは1970年代なかば、下水道が来たのは1980年ごろだったように記憶している。千歳の水道水は「名水百選」に選ばれているナイベツ川の水である。この川は湧水が集まってできた川で、ダム湖などの水とはまったくちがう。真夏でも冷たい水が蛇口からあふれるので、「水道水とは冷たいもの」とずっと思っていた。それに比べると札幌の水道水は冬冷たく、夏は生温く、味も少し落ちると感じた。いまの家で汲み上げていたのは泥炭地の地下水なので、金属臭がしてお世辞にもおいしい水とはいえなかったが、温度は一定していた。冬は暖かく、夏は冷たく感じた。新品のタオルがすぐ褐色になったので、植物性モール泉のような水質だったのではと思う。風呂用の水としてはなかなかよかったかもしれない。たしかに、水道水でわかす風呂というのは肌触りが悪く、湯冷めしやすい。千歳の家は小さな公園のすぐそばだったので、夏の暑い日などは、のどのかわいた子どもが水をもらいに行列を作った。ブリキのコップで何十杯もの水をふるまったものだった。いろいろな水を飲み比べるようになって思ったのは、温度が同じであれば、硬度の低い水ほどおいしく感じるということだ。いちばん顕著なのはお茶を入れたり、みそ汁やお吸い物を作るときで、硬度の低い水だとまろやかな味になる。調べてみると千歳の水道水の硬度は23、札幌は39なので実感にほぼ近い。水道水でも硬度が100を超えるような、中硬水レベルのものもある一方、バラエティ番組でソムリエらが日本一に選んだ鳴子の水は硬度20以下、浄水場によっては11というのもあるようだ。1年ちょっと住んだことのある愛知県も水道水のおいしいところだった。調べてみると、県別の平均硬度では最下位、つまり最も硬度の低い水が多い地域らしい。水道水や地下水以外の水で、最もおいしいと感じたのは利尻山登山口に湧出する通称「甘露水」である。甘露水に限らず、おいしさが鮮烈な記憶となっている水は、羅臼岳頂上直下にある羅臼平の石清水、夕張岳の冷水沢の水など高山の湧水が多い。それが登山の途中で手つかずの自然の中で味わうからおいしく感じるのか、ほんとうにおいしい水なのかどうかは下界に持って降りてみないとわからない。ただ、たぶんこれらの水はすべて硬度の低い水だと思う。しかし最もおいしかった水は、もう飲むことはできない。それは千歳市あずさに1990年代初めまであった通称「わきみず」である。ある年代以上の千歳市民なら、知らない者はいない。原野の中に数メートルの段差があり、木が生い茂る崖の底から大量の水が湧き出ていて直径10メートルくらいの天然の池になっていた。千歳は樽前山の火山灰が降り注いだので、土地はやせていた。しかしその「わきみず」のあたりは植物が生い茂り、明るくも神秘的な、ちょうど砂漠のオアシスのようなスポットになっていた。しかしそれも周辺の宅地化によって水は涸れ、わきみずのあった場所は武道場になってしまった。あんなに美しい場所は、もう世界のどこにも残っていないのではないか。そんな場所が、家からわずか2キロ足らずのところにあったというのに、訪れたのは夏の暑い日、たった数回だったから悔やまれるし、環境よく保存しておけば一大観光スポットになったと思う。また、もう飲むことも、その水でわかした風呂に入ることもできないが、紅葉の名所として知られる銀泉台にあったヒュッテの水もすばらしくおいしかった。森林限界近くの湧水だったと思うが、その水でわかした風呂に入ると角質がポロポロととれるのだ。強アルカリ性の水ということであり、石鹸など不必要なくらいだった。手に入りやすい水で最も硬度が高いのはコントレックスである。鎖骨を骨折したとき、口に入る水すべてをコントレックスにしたが、あの水は泣きたくなるほどまずかった。しかしそんなコントレックスも、ウィスキーに使うといけた。料理に人一倍関心はあるが、まだ料理によって水を使い分けるところまではいかない。しゃぶしゃぶには硬水を使うといいと聞いたことがあるが、まだ試したことはない。沖縄、九州、関東の水道水は硬度が高く、東北や北海道、山陰などは低い。硬度の高い水は肌や髪に悪いことが知られている。化粧品や化粧水に凝っても水に無頓着な人が多いのは不思議だ。沖縄や九州に行くと肌の荒れた人が目につくのは気候のせいと思っていたが、水も関係しているのかもしれない。
August 7, 2010
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