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本日を起点にして、明日の講演を迎えるのに最終の講演原稿が決定できたのは昨日の晩にメール添付で届いた相手先チェック済みのものだった。まさにもう少しで間一髪の状況だった。この一週間で2回の”直し”だった。 公共の施設での講演会で主催者側が権威ある団体なので世間的に見て指弾されることがあってはならないとの思いからチェックがなされたのである。 これが結構疲れた。 聴衆が成人であることを予定して、しかも募集人数が比較的少ないこともあって、タカを括って執筆した原稿がそんな方面からの思いで手直しされるとは思わなかった。
2013年10月30日
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悲しい記憶を忘れないでそれをしっかり受け止めることで次の災害発生時に対処すべきで他の災害原因のように例えば~地震のように勝手の伊勢湾台風、室戸台風のように地名でも良いから特定できる名称をつけるべきだと思うが如何だろうか。
2013年10月29日
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今年の夏、気象庁は特別警報なるものを設定したが広範囲が対象で今回の台風26号の伊豆大島の土砂災害のようにいわばピンポイントの範囲の災害には役に立たなかった。 取り削ぎ拙速であっても新しい警報を設定すべきだろう。 忌まわしい記憶は早々に忘れ去りたいのがこの国民の特質である。 しかし現行の災害のそれも台風の名称が発生順を示すだけのナンバーを付けただけのそれでは無味乾燥であり、特に意識しなければそれから学ぶ教訓と言ったモノは得られない。
2013年10月28日
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目の前で起きていることに茫然自失となりただただ為す術がないまま災害にまけてしまうことになる。語り継ぐと言うことができていればそれが軽減されることだろう。語り継ぐ経験がない場合は防災教育でまさに他山の石これをもって学ぶべしなのである。 これだけ様々な種類の災害が起きる国は世界でも珍しい国であろう。 それならすでに確固たる防災教育が確立され、それを通じて自然から被る災害に対して対処する方法を身につけさせるようになっていなければならなかったがずである。
2013年10月27日
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今年に入って幾つかの台風が日本列島に大きな爪痕と心の疵を残すことになった。 その規模の範囲の小ささと被害が起きるまでの時間の短さが特徴的である。 誤解を恐れず言うとこの国は何かに祟られているかのようである。 災害の日本史なる本を繙くと周期的に大きな災害に見舞われているのがこの国だ。 とは言え大きな災害で多くの人の命が展に召される。 諺に「災害は忘れた頃にやってくる」のだそうだ。 過去の経験を忘れた頃に来るからその経験が生かせない。それでどう対処して良いか分からない
2013年10月26日
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やられた経験があるからやり返すという論理、昨今のテレビドラマの流行語の「倍返し」を国際政治状況の中に持ち込んでならない。 「倍返し」の応酬はドラマの中だけで楽しみたい。儒教の教えで「修身斉家平天下」というのがある。 一個人が大人(たいじん)になるべく人生について学び自身の中で理想の人物ととなるべく努力しそれが達成され、他の人から理想のの人物と評価されるのが最初で、そうした人がまず家すなわち自分の周囲を立派に整え、さらに大きな組織を理想の状態に構築できる人になれという身と私は解釈している。
2013年10月25日
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ヘイトドウの存在はまことしやかに状況を正当化する動きとして映る。 権益と言う欲望故に産み出されてきたとも言えるヘイトドウはありもしなかった状況、あるいは歴史の狭間に取り残された未解決の問題を取り上げ、さらに大きな釣果を得ようとする動きに見える。 それは今から100年少し前の状況に後戻りすることに他ならない。視点を変えて青少年期にいじめられた経験を持つ人は力を得た際にそのことを思い出し、そのほとんどがいじめる側に回るということになるという経験則があるというのを読んだことがある。
2013年10月24日
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で、急遽、それまでにそのテーマにあった、書きためていたものをそれ用に仕立て上げた。実を言うと5回分の骨子を含むあらすじめいたA4サイズの各回当て一枚の文章を作成して欲しいと言うのが先の電話の内容で2週間経ったら電話してくると言うものだった。だから寝耳に水なのだ。 とは言え繰り返しになるが先方との間に2人が入っている。しかもその一人は私の支援者であり初めて講義を受けてくれた人なのである。 本来の私の生き方であればその時点で断ると言うのが定番だった。 そこで時間が経っているが電話したらそんな状態だった。
2013年10月23日
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それが然として行われているとする考え方があると上に述べた。推測の域を出ない憶説と呼ばれるものかも知れないがある面では的を射ているかも知れない。 そういうアヤウイ行為をヘイトドウ(Hate do)と呼ぶことを提唱したい。ヘイトスピーチはする側もされる側も痛みを伴う。 しかるにヘイトドウは行う仕掛けも広がりもヘイトスピーチの比ではない。 この概念は多くの人々の思索により深化されるべきものであると思う。 国際政治状況のアヤウイ均衡の上に戦前のような衝突は未だない。
2013年10月23日
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日本と同じように帝国主義に邁進し、世界分割競争に参加した国々はその果実である植民地と呼ばれる地域の支配を未だに放そうとしていない。 世界地図を詳細に見てゆくと何々領何とか島とか何とか地域という名称が苦もなく見つけられるだろう。最近の例で言えば新しい日本記録を打ち立てた本塁打の外国人選手の出身地がそれに当たる。 それはともかくヘイトスピーチを行う背景には様々な理由が考えられるがその一つに歴史を十分に理解しているからだろうか日本を悪の権化に仕立ててその基盤の悪さを強化するという行為である。
2013年10月22日
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長い文章になったが少しくそれについて述べてみると、その4日後、二週間後に又電話するからと言う電話が先方からあった。この時結果的に聞き落としたことがあったらしい。 それから三週間を過ぎても電話がなかったので間に入ってくれている人もあり、放置しておくことはできないから先方に電話したらその担当者はお休みだと言う。それで伝言を頼み、翌日には電話が欲しいとお願いした。次の日、電話があり、2回分の講演原稿できましたかと行ってきた。「へっ」と寝耳に水状態だった。 芸能人ばりに言えば、「聞いてないよ~」と言うことになる。
2013年10月21日
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自己の存立の基盤が弱いため過去の歴史を受難のそれと決めつけ、それを絶対悪として強調し、それ以外の思考を認めないで決めつける勢力があるとヘイトスピーチを行ってきた人々の思考の底にはあるのである。 戦前の日本の様に独善的とも言える弱い思考方法が支配し、冷徹に世界の政治状況の分析ができないで無謀とも言える戦争を行うという行為をを気分というか空気という曖昧な判断で遂行した。 その後も判断の誤りを繰り返し自滅の道を歩まされたのが日本という国である。
2013年10月21日
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ここ半月ほどは焦燥とやや落魄の日々だった。2時間ちょっとで6000字の原稿を書き上げ、講演依頼先にその原稿を見てもらうことができたのが4日後だった。講演日まで20日を切っているのにこの日数しかないのだ。 経験してみると解るが学者ではない私にとってそんなに余裕のある日々ではない。 その上別の講演依頼のためのプレゼンの文章作成もしなければならなかった。後者は初めてその依頼があり、押っ取り刀で依頼先訪問をなし、その席上でそれが決まるかどうか分からないと言う相手先の言い分にとまどいを隠せない感情を有しながらの日々でもあった。
2013年10月20日
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平らかに言うと、そうされる方が悪いとという言う歪んだものだ。 ここら辺が理解できないとヘイトスピーチを行う行為がどんな背景から来るのかわからないと思う。 この国に生まれ生活しているのにいつの間にか日本籍を剥奪され、昨日(過去) まで同じ文化を共有していた、あるいは共有している人達がそこにいるのが悪だと決めつけられ批難されるのがヘイトスピーチである。 国際政治状況が変化する度にそれが行われた様だ。 しかるにその政治状況を変化させる勢力がある。
2013年10月20日
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関西市民ならずとも日本国民はかって深刻だった公害問題をほぼ克服したとの認識があると言う意味での先進国民である。その自信と飽くなき技術の追求をしていけばこの未曾有の災害を頻発させる地球温暖化阻止に対する技術力のアップと思考力の向上が望めるものとなり、世界に貢献できると思う。 日本人は古来より歴史に学ぶことはなかったと言われる。 その反省を踏まえしっかり歴史、しかも日本歴史を含む世界史をよく学び反省を加えてゆく必要がある。これは上に掲げた思考力の向上の中に含まれるものとする。
2013年10月19日
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それは一つの潮流とはなっていた。 それを掲げた元首もいて一定の見識を示した。 しかるにその国の政策はそれを実現しようとは動かなかった。 帝国主義の論理すなわち弱肉強食と言う世界の政治状況は政治力の弱い国を併呑し、自国の勢力圏の拡大、あるいはある国の中での権益の取得、拡大に邁進することが是とされ、その侵略を受ける市民の悲しみを感じようとはしないものだった。 侵略する側の論理は侵略される側がそうなるべく状況を自ら現出してきたか世界の政治状況の動きに対応できなかったことに起因するというまことに乱暴なものであった。
2013年10月19日
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先日、ヘイトスピーチに関する地方裁判所の判決が出て、それを行ってはならないとの判断が示された。今流行の国際基準とでも訳すことができそうなグローバルスタンダードの趨勢がそうなっているからそれに倣ったというのが明白なモノである。このグローバルスタンダードというのは歴史の時代の変遷によっても変化してゆくから厄介なモノという側面もある。今から100年少し前と言えば帝国主義の頂点に立っていた時代である。今にして思えば当時では理想主義であった民族自決主義も頭角を現していた。
2013年10月18日
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神戸港を核として隆盛を誇っていたこの地域は港湾設備の更新の遅れにより、その世界に冠たる地位を失ったばかりか、それ以前に大問題だった公害問題の対処の行き過ぎと言う当時の市長の誤った政策により、当時阪神工業地帯と言われていたゾーンの崩壊をも招いた。二大製鉄所や造船所の縮小・事業の撤退がその中心である。それに加え神戸沖の関西新空港設置案にも抵抗し、泉州沖へ設置を余儀なくされた。 これは人の行為による人災と言う名の災害である。 嘆いてばかりでは始まらない。地球温暖化は着実に進行していると信じられ、恰もそのように喧伝され、事実進行している。
2013年10月18日
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さてこの文章は過去の記憶もあるが、その意味を考えたいのである。さて地球温暖化によるとされる気象変化の激変に伴う気象庁のこの度の新しい警報の導入、運用は遅ればせながらそれに対応使用とする策であると言える。 随分前から災害に度々襲われる国として国土の強靱化が唱えられてきた。その例が当時喫緊の課題として東海地方に東海大地震が想定されるとして膨大な国費がその地方特に静岡県域の投入されたことは未だ記憶に新しい。 ところが大地震が実際に起きたのはそれから遙かに西の阪神地方だった。
2013年10月17日
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両手の内、2本指での入力だから自己評価だが早いと思っている。本日その原稿を知人の読んでもらったら概ね好評を受けた。お追従かもわからないけど本人は些かうれしい。 慢心はいけないが自身をつけてもらえるのは可であろう。 自己流の文章修行だけどあわせて他の人が書いた文章上達法の本も読んでいる。そのすべてを取り入れようとは思わないができるだけ分かり易い、簡潔な文章を書きたいと思っている。 その道は未だ半ばにも達していないのは自覚している。今後ともよろしくおつきあい願いたいと思う。
2013年10月17日
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尤(もっと)も、運転するとき以外にあるモノについて思考を続けていることもあるからキーボードに向かったときにはすでに書きたいことが自然に整理されていてあとはそれをアウトプットするだけの時もあるがそれに加えるべき話題が浮かんで来ることもあるのである。 これを書くと格好良いことを言ってと思われるむきもあろうが現実だからというほかない。 さて150分で6000字だから1分あたり全角で40字となる。2本指での入力だから自己評価だが早いと思っている。
2013年10月16日
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その衝撃に近いのは私はその時生まれていないから判らないが先の大戦による無差別の都市爆撃であろうかと思う。 その体験は繰り返しその体験者である両親から聴かされ、疑似体験化し、体にすり込まれている。 だから神戸市須磨区・長田区境付近のJR鷹取駅からその東の駅である新長田駅にかけての地震後数時間後に発生した火災がこの地域を焼き尽くし、海岸から何キロも離れていない地域で消火に使える水が寸断されたため消火活動が不十分だったと言われる。 しばらくして国の消防庁の発想の転換により消防のポンプ車の各車をホースで繋げることにより消防水の確保をしたがほぼ鎮火寸前だったとも言う。
2013年10月16日
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講和条約締結で表面上の国際復帰は果たしたものの、それは国としてで有って国民の生活はまだまだ苦しく、この前の数年間に当時東洋の奇跡とまで言われた高い経済成長を遂げようやく庶民にまでその恩恵が廻って来たという経過を持つ。 雲一つなく晴天の気候の中、日本選手は女子バレーボールや体操競技、お家芸である柔道などで活躍したことも国民に元気と自身を取り戻させたものでもある。開基は15日間と短いもので有ったがその後のパラリンピックともどもその開催を経たことは国民にとっても意義があったと言って良い。ちなみに10月10日はそれまでの気象統計上晴れの確率が一番高かった為選ばれたと言われている。
2013年10月15日
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だから内容のない短い文章を機会で入力し発信ばかりしていてはそれが実現できない。その一つの手段として人生の大事な時期に、吸収力がピークの時期にその思索力の構築に必要な知識なり、人生のあり方に影響を与える作品を読んでおく必要がある。頻繁なメールを打ち、そのパケット料金を親に負担させ電話会社を太らせるより、その代金で将来の自分へ投資し、自分磨きを青少年諸君はしてはどうだろうか。そうすればスマホ歩きでがちの人生を送るよりは自己の中身をどんどん充実していって前向きの意見が言える堂々たる人生が送れるようにしたらどうだろうか。
2013年10月15日
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赤のブレザーを着込んだ日本選手団がメインスタジアムを行進し始めた時には万感の思いがした。 白黒画面だから赤く見えないがその終了後に編集された市川崑監督の映画ではそうなっている。ちなみに画面はカラーである。戦後20年にかかろうとする年に世界のイベントが日本で開催されることは国民にとって一つの記念碑的存在以上にこれで本当に国際社会に復帰したのだという実感を持たせたものである。それまで敗戦国の汚名を被り、さらには国史上初めて異民族の支配下に置かれるという屈辱を甘受せざるを得なかったのである。
2013年10月14日
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たまに会うことで人間関係の継続が保てる。 寂しさを補完するために希薄な関係の相手に頻繁にメールしても何の意味もない。会ったときにできるだけ密度のある話をする方が良い。 どうしても話したいことがあればペンを取って長文の手紙を認めるのがよい。 そしてその一字一字に魂を込め、心の交流となれればこの上ないだろう。もちろんそうなるまでには本来の意味での大人になる必要がある。 内容のある上手い手紙を書くためにには裏打ちされた深い教養がいる。 だから内容のない短い文章を機会で入力し発信ばかりしていてはそれが実現できない。
2013年10月13日
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テレビと言えば私が初めて観たのは現天皇陛下ご夫妻のご成婚のパレードだった。それも親戚の家の前の人の家で見せてもらったのが初めての経験だった。 それこそ14インチのテレビに10数人が目を凝らして観ていたのをまざまざと思い出す。お茶こそ出なかったが見せてもらえただけでも有難かったと母は言う。 その後しばらくはテレビは繁華街近くにある大きな公園に高い設置台に置かれた数台のそれの内の一台を大勢の群衆とともに観るか、喫茶店でコーヒーを注文しそこのテレビを観ることになる。だから自宅で世紀のイベントを家族水入らずで楽しめることは望外の喜びだったのである。
2013年10月12日
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1995年の神戸地方を中心とする兵庫県南部を襲ったいわゆる阪神淡路大地震もそれは2年半前の東日本大地震が発生するまで今の日本に生きる人々にとっては記憶の隅にある大災害だった。 それは経験したものでない人には幾ら語っても、映像で見せても、現に体験したものでなければ感じられない経験であることは疑いない。茫然自失と言う言葉では表現しきれない衝撃だった。今の朝ドラの「あまちゃん」の登場人物の若い女性「ユイ」ちゃんをはじめとする「北三陸」地域に代表される東「東北」地域の人々の体験の先取り体験だった。
2013年10月12日
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そうそう来場者のどなただっただろうか、かって播磨国等4カ国を支配した栄光を持つ大赤松家とその幕下に入ったであろう黒田官兵衛の知謀の発揮する時期が重なっていれば信長、秀吉の時代はなく、無論、徳川幕府もなく、播磨を地盤とした全国政権がその後の封建時代を支配したであろうと夢想するのも楽しいと思う。もちろん歴史には”もしも...”はないのであるが。と言っていた。 なお、同じ兵庫県の施設である旧姫路城趾にある県立歴史博物館で当館の展覧会に引き続き大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送がある明年にそれに関する展覧会を企画していると仄聞している。その性格上、文献をフルに使った展覧会になることは予想するとは容易である。 そんなことを想像しながらそれを待つのもワクワクする思いである。
2013年10月11日
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相手も直ぐにはその返信をしてくることはない。 仕事中だったりする場合もあるから休憩時間を利用してそれが来ることがある。それで人間関係が損なわれることはない。 このSMSというのはこうしてみるとまことに便利なモノだとおもう。時間の制約がないのだ。 携帯をマナーモードにしていると受信時に本体のランプなり、低くて鈍い音がなるものの周囲を気にするほどではない。 上のようなあうんの呼吸のような暗黙のルールを理解しているといわゆるチェーンメールとなることはない。多くても2往復あればたいていの用件は処理できる。
2013年10月10日
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1964年(昭和39)10月10日と言えば当時ものごころついた人ならピンと来る日である。リアルタイムで日本で開かれた最初のオリンピック東京大会の開会式をテレビ観戦ながら見た記憶がある。それも自宅のテレビで。当時カラーテレビ放送は始まっていたが庶民が購入できるシロモノではなかった。モノクロ(白黒)テレビだってやっとの思いで月賦という購入手段を使ってその3年前に家庭に導入することができたものだった。テレビ以前に庶民の娯楽の王様だった映画も総天然色と呼ばれたものが定着してゆく頃でその後数年間が日本における映画の最後の黄金時代だった。
2013年10月10日
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自ずからその姿勢は前のめりになり、勢い、前を見ながら歩けていない。 必然事故の可能性が高まる。 基(もとい)、そしてその反応がなければ、返信メールがあるまで打ち続けるとか。 その相手するも大変だと思う。 それでいてその相互の関係は希薄そのもので費用対効果、つまりコストパフォーマンスはほとんど望めないモノだという。 私も携帯電話(以下携帯)にメールをうけることがある。 思い出した様に携帯の画面を見るのが多い。それでそれを確認にするとやおら返信メールとしてショートメッセージ(SMS)を利用して行う。
2013年10月09日
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3歳になってもお襁褓(オムツ)がとれない幼児が増えていると今朝のテレビが報じていた。 それこそ”どーゆこと”と訝(いぶ)りたい。 事実その体格に合わせた大きい紙オムツを開発し発売しているのだそうだ。 そこで筆者は考えた。 物質的にはその子達はオムツがとれない。しかし街を歩く青少年達を視てみるとスマホという精神的なオムツがとれないではないかと。 刹那的ばつながりを求めて短い言葉を重ねる長いメールをうつ。そして時間の節約からか歩きながら画面を見ている。
2013年10月08日
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今の現代人の普通の感覚であれば花咲じいさんの物語に登場する欲張りじいさんのように”がらくた”に見える破片も歴史というフィルターを通して見ると花咲じいさんの得た”たからもの”に勝るものになりうる。この展覧会を企画し、展示遺物を吟味された学芸員さん達には頭が下がる思いがするのは私だけでないだろう。 そう感じるのはこれまでに蓄積された経験と学識が展示物を通して私たちに伝わって来るからに違いない。 そんなことを思いながら館を後にした。 至福の思いである。(つづく)
2013年10月08日
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展示会場にはいるといきなり国宝級の龍泉窯(中国)の優美な長頸壺が置かれている。目利きのできる人には垂涎のものとなるだろう。 最高級の品質を持つこの種の青磁は全国で4つしかないとか。他の3つは持ち主の家柄が高いことが多分に影響して国宝なり重要文化財になっている。それは摂関家だったり大名だったりである。 品質は同等なのにその差が出るのは違和感を生ずる思いがする。先に挙げた兵庫県中西部以西の遺物の他、京の室町幕府のあったところからで発掘された遺物は破片になっているが完形(元の完全な形)であれば間違いなく国宝になろうものも参考に展示されている。
2013年10月07日
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文献資料は2点しかない。(絵画資料は数点ある)ちなみにその一点は国宝だ。 黒田官兵衛が最初に仕えた御着城主小寺家の本家筋とも言われるの遠祖赤松円心(則村)の勃興からその終焉までのその拠点の各城址と播磨や但馬に侵入してきた勢力の残した遺物と黒田官兵衛の主君の小寺政職の御着城の址から発掘された官兵衛と同時代の遺物をして歴史を語らしめる手法は兵庫県立考古博物館ならではと言えるだろう。 先年の但馬の戦国大名の先駆であり11カ国を領し、「六分の一殿」と呼ばれた山名氏の展覧会で好評を博した経験のなせる技かも知れない。
2013年10月06日
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本日(平成25年10月5日(土))初日の来年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田官兵衛も登場する一足早い展覧会に出掛けてきた。 場所はJR神戸線土山駅から西へ(歴史と)出会いのと名付けられた遊歩道をランダムに置かれた西暦の数字の意味を楽しみながら15分ほど歩いたところにある。 人により歴史への誘いを楽しめるニクイ仕掛けといえる。さて、モロの文献の時代と言える南北朝から戦国時代末期の播磨地域の武士の動向を通じて歴史を垣間見る博物館の催しなのだ。 それを考古遺物で語るというのだからオドロキを隠せないというのはこのことだと思う。
2013年10月05日
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その経験を踏まえて以来キーボードが筆記用具と化している。 思考の友としてワープロは元来のアナログ人間であった私をしてデジタル思考ができるようにしてくれた。ちなみに私が今なお使い続けているワープロソフトは思考をさらに促進させる様々な機能を有している。それを理解し使いこなすことで思考が楽になってきた。 手先を使う作業は初め大変だと思ったがそのタッチする感覚の快さを次第に感じるようになってきた。 それと同時に複数のことについての思考が可能になってきたように思う。
2013年10月04日
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誤字脱字、言い回しとかの推敲を行う必要はある。 たかだか六千字のモノだが午前5時には校了していた。 人により批判もあろうが私自身はその作成時間は比較的早いほうだと思う。タッチメソッドに則って両手でキーボードを敲くことはできないので大方の人と同じ左右1本ずつで入力してゆくのが私の流儀である。筆記用具を使い原稿用紙のマス目を埋めてゆく作業はここ30年来行っていない。1980年代からパソコンの日本語入力ソフト(以下ワープロという)を使ってきている。 少し前に日本語タイプライタに纏(まつ)わる話題を取り上げた。
2013年10月03日
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明日からそれに倣(なら)うとオクトーバーである。 今朝というか夜中と言うか微妙な時間2時30分頃目覚めてしまった。 秋に季節が入ろうとして少し気温は下がったが気分は残暑のそれを引きずっている。 夜中といえどもまだま温かいのが実情である。それで再び寝ようと努力するがそれもままならない。それではということで近日講演予定の原稿の一部でも書こうかという気になった。 千字ほどでよいと思ったがやり始めるとのめり込むのが私のならいである。その時同時に文章の神様が降りてきた。それが手伝ってくれてできてしまったのが今時の原稿である。
2013年10月02日
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その経験をへて東京局の作品は概して内容の暗い作品が多い、大阪局の作品は明るいものがその大半を占めると感じるようになり、その年の後半の作品しか視ないように為っていた。 時折話題になった東京局の作品は世の中についてゆく為に視たものもある。「おしん」などがそれに当たる。 さて劇中の挿入歌で12月を英単語に置き換えたものがあった。明日からそれに倣(なら)うとオクトーバーである。 今朝というか夜中と言うか微妙な時間2時30分頃目覚めてしまった。 秋に季節が入ろうとして少し気温は下がったが気分は残暑のそれを引きずっている。
2013年10月01日
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