全8件 (8件中 1-8件目)
1
二年ぶりにセンター試験をやってみました。前回はこちら国語134点、現代社会48点さて、今回は日本史からやってみました。高校時代日本史を履修していない私がどれだけできるのか?おお~結構解るぞ!日本史 66点 (*^^)v結構取れるやないか!その勢いで、世界史・現代社会にも挑戦。難しい(;一_一)しかし・・・世界史 73点現代社会 73点 (*^^)vおお~この勢いなら、国語が前回の134点ぐらいできれば社会・国語で270点。数学・理科は気合いを入れれば300点ぐらいいけそう?英語が30点でも・・・おお~6割近く行くではないか!(*^^)v国公立大でも入れる大学がある(@_@;)しかし、取らぬ狸の皮算用でした。国語で打ちのめされた(;一_一)戦慄の80点(200点満点)前回から50点以上急降下した原因は古典の源氏物語でほぼ全滅(;一_一)ちなみに平均点も12点下がっています。かくなる上は、理数系に挑戦。前回と違って多少できそうな気がする(*^^)vできそうな部分だけやってみた数学 26点物理 30点化学 32点理数系も壊滅(;一_一)試しに高校では履修したけど、大学入学試験では受けたことが無い生物の問題も開いてみたけど・・・1問も判らない(;一_一)結局310点台(;一_一)ちなみに英語の上積み分は4点(;一_一)数問解いただけでリタイヤ(;一_一)なかなか難しいわ(*^_^*)
2014年01月21日
コメント(12)
「永遠のゼロ」宣伝しすぎ!本屋に「百田 尚樹」の本が入口に平積みにされています。その中で、一冊しか残っていないこの本を手に取ってみました。「黄金のバンタム」と言われたエデル・ジョフレは、軽量級としては異常なKO率で、バンタム級史上最強のチャンピオン。バンタム級で引退した後、フェザー級にクラスを上げて40歳近くまで戦い続けた。 生涯成績72勝(50KO)4分け2敗 多くのボクサーがグローブを置く直前で黒星を積み重ねるなか、二階級で世界チャンピオンになりながら、キャリアの最晩年でも黒星がつくことはなく、タイトルを保持したまま引退。 引退する間際に、一人の男と戦うことを望んだ。 キャリアの中で完璧なレコードに泥を塗るように、二つの黒星をつけた男。 「ファイティング原田」とである。 ファイティング原田は今の若い人はあまり知らないかもしれません。私も現役時代は知りませんが、かつてアメリカのボクシング雑誌が世界のボクサーのベストランキングを選んだときに、日本から唯一ランキング入りしたボクサーです。日本人が考えている以上に海外で評価が高い理由の一つがエデル・ジョフレに二つの黒星をつけたことがあげられますが実質的にフライ・バンタム・フェザーの三階級制覇を行ったことも上げられます。「永遠のゼロ」は駄作だったけど、なかなかこちらは良かった。 ただ、この人のスタイルなんだろうか? どこかで読んだような本が文章が並んでいます。それがちょっと残念というか勿体ないというか・・・ 一方で、高度成長期の日本で「ファイティング原田」が果たした役割の大きさに切りこみを入れたのは面白いです。白井義男・矢尾板貞雄・海老原博幸・青木勝利・西条正三ジョーメデル・ポーンキングピッチ・・・日本の高度成長期と呼応するように発展した日本のボクシング界のスター選手と、その選手たちに彩りを添えた海外の有名選手。当時のボクシング選手は高度成長期に日本の発展のために馬車馬のように働いた無名の人々を代表しているように見える。つらい練習に耐え、わずかなファイトマネーでリングに上がりそして貧乏から這い上がる。その期待を一身に背負ってボクサーたちは戦った。そして、いつしか日本は豊かになった。それと反比例するようにボクシングも急速に輝きを失った。そんな気がしますね(*^_^*)
2014年01月12日
コメント(2)
昨日の続きです。他にも気になることがあります。近年は就職活動が激化していると言われるが、中高一貫校の学生を取らなくなっているという。中学から大学に焦点を絞って受験のテクニックで難関大学に入った学生よりも、公立中学で様々な生徒の中で揉まれながら勉強を続け、高校受験を経て大学へ進学した学生のほうが生きていくために必要な能力を多く持ち視野が広いような気がしないだろうか?実を言えば、城ノ内高校を進学校化するというのはただの教育委員会の思いつきにすぎないのではないかと思っている。2004年から城ノ内高校は中高一貫教育の学校として中学生の募集を開始した。中高一貫教育校ということで人気が高まり、城ノ内中学の受験に生徒が殺到し高倍率になった。それに伴って、それ以前は優秀な生徒の進学先であった、鳴門教育大学付属中学→徳島市立高校理数科徳島文理中学→徳島文理高校(私立)という二つのルートから生徒が分散してしまい城ノ内に流れた。結果として徳島市立高校理数科・徳島文理高校という国立大学医学部に20人以上を送り込んできた二校の進学校の地盤沈下が起こった。実はこの地盤沈下は徳島市内だけでは無い。徳島南部の阿南市の進学校である富岡西高校に対抗して富岡東高校を中高一貫教育にしたために、こちらも優秀な生徒が分散してしまった。さて、二つの進学コースから流れた城ノ内高校はどうなったか?恐るべきことに、各大学の合格者数を公表していない。したがって難関大学へどれだけ入ったかは不明である。徳島では進学を重視している普通科高校はいずれも大学合格者数を公表しているので、一般に考えられているより大学合格実績が悪いのではないかと思われる。これが問題となり今回の思いつきにつながったのではないか?つまり、鳴り物入りで作られた城ノ内高校が振るわず、徳島市立高校、徳島文理高校の二つの進学校も難関大学の合格者数を大きく落としてしまった。そこで、城ノ内高校を進学校にしてみよう???こんな思いつきの政策が成功するのかどうか?現在最も徳島の公立高校で進学実績が優れているのは城東高校である。徳島 城東高校 岡山大14名 徳島大 65名 脇町高校 岡山大 8名 徳島大 39名 城南高校 岡山大 6名 徳島大 49名城東高校の進学に力を入れ、東大京大だけでなくまず関西で一流大学と言われる関関同立の進学者数を上げることを目標にしてはどうか?城東高校が立命館に32名、関西大に27名で合格しているのが情けないことに徳島ではトップである。徳島 城東高校 立命館32名 関西大 27名 脇町高校 立命館24名 関西大 13名 城南高校 立命館21名 関西学院15名四国の他県と比較すると香川 高松高校 立命館90名 同志社 82名 丸亀高校 立命館55名 関西大 46名愛媛 松山東高校 立命館68名 同志社 44名 今治西高校 立命館45名 関西大 36名高知 土佐高校 立命館76名 関西学院 49名 高知学芸高校 立命館49名 関西学院31名明らかに一ランク下のレベルなのは一目瞭然。せめて他府県と比べても遜色ないレベルまでは引き上げたいところです。東大京大進学者数で36名、公立校でトップテンを目指すというような、非現実的な目標はやめて、関関同立の進学者数で倍を目指すぐらいの現実的な目標で徳島の教育の底上げを図って欲しいものです。いかがでしょう?
2014年01月10日
コメント(4)
徳島の教育事情はどんどん悪くなっています。昨年度の東大合格者数は6名、京大合格者数はは12名ちなみに四国の他県の合格状況を見ると香川 東大23名 京大 28名愛媛 東大40名 京大 25名高知 東大15名 京大 18名香川・愛媛は徳島より人口が多いが、人口比以上に差がある。また、ほぼ人口が同じ高知にも水を開けられている。ちなみに徳島より人口が少ない島根・鳥取ではどうか?島根 東大9名 京大 10名鳥取 東大7名 京大 16名かろうじて、島根の京大合格者を上回っただけ(;一_一)さて、さすがに徳島の教育界も気にしたのか、中高一貫校である城ノ内高校を進学校化するという。先日の徳島新聞に、その目標が掲げられていた。英語・数学・理科の3教科で指導力に優れた教員を城ノ内高校に優先配置して、進学実績をトップにする。城ノ内高校の東大京大進学者数を「去年の徳島県の倍にして」全国の公立校のトップ10を狙い、それで徳島の高校の底上げを図ろうというのだが・・・去年の倍なら東大12名、京大24名(@_@;)ちなみに調べてみたら、この数字をクリアーしている公立高校は愛知の旭丘高校(東大29名、京大36名)しかない(@_@;)さらに旭丘高校は定員が城ノ内高校の240名の1.5倍あまりにも野心的すぎる?東大京大の合計合格者数でも36名以上入れている公立校は埼玉の浦和、東京の西、愛知の岡崎、岐阜の岐阜滋賀の膳所、京都の堀川、大阪の北野・天王寺・大手前の9校しかない。つまり、愛知の旭丘高校を入れて10校。この中へ割って入るとはなかなか目標が高い(*^^)vと言いたいところですけどね・・・関東の二校からは東大へ通えます。関西の五校からは京大へ通えます。下宿が必要な距離の高校で東大京大に36名以上入れている高校は愛知岐阜の三校だけ。しかも、この三校は名古屋という日本第三位の都市圏の進学校で城ノ内高校の定員の1.5倍。冷静に考えたら、絶対無理(*^_^*)しかも、強化する科目が英語・数学・理科の三教科。あまりにも安易すぎる。比較的狙いやすい?理系学部に焦点を当てているのがアリアリ(*^_^*)本当に実力を持った生徒を養成するのが目的であればまず国語に力を入れるべき。すべての教科の基礎のなる国語に力を入れてこそ難関大学の進学者が増えるのではないか?また、国際化の元に、外国語教育に傾きつつある今だからこそ余計に国語教育に力を入れるべきではないか?ちなみに灘高校を超進学校に持ち上げたのは国語教師の橋本武である。続きます。
2014年01月09日
コメント(2)
「永遠のゼロ」について書こうと思って、いろいろ戦史物の本を引っ張り出してきました。真珠湾攻撃について、ちょっと書きたいと思います。真珠湾攻撃は、1、日本が米国に対して無謀な戦争を仕掛けたその端緒と切り捨てられるか2、航空主兵を決定づけた画期的な作戦と持ち上げられるかどちらかです(*^_^*)映画などで取り上げられる時も、あまりまともに取り上げられたことはないです。昭和16年12月8日、日本海軍は真珠湾の米海軍基地を攻撃して、太平洋戦争の戦端を開きます。十二月七日(アメリカ)午前6時、183機の第1攻撃隊は一機の事故機もなくわずか15分で全機が飛び立ちます。そして約1時間後167機の第二攻撃隊が出撃。日本の6隻の空母から発艦した350機の航空機によって、アメリカが誇る真珠湾の戦艦8隻を含む20隻、航空機350機を破壊!アメリカが誇る真珠湾は一日にして壊滅しました。予想を遥かに超え、世界を震撼させた大勝利でした。この真珠湾攻撃に関してはもっと勝てたのではないかという見方が少なくなりません。真珠湾攻撃の後、日本海軍はそのまま引き揚げます。しかし、「第二次攻撃を行って、真珠湾の港湾設備を徹底的に 破壊すべきだった」「この海域に留まって、米空母の撃沈を目指すべきであった」という意見があります。真珠湾の港湾設備を破壊すれば、米太平洋艦隊は、しばらく行動できない。また、米空母を撃沈しても同様で、史実のようにミッドウェーでの大敗はなく、しばらく日本海軍が太平洋を支配出来たということです。これが可能かどうか?「永遠のゼロ」の著者も第二次攻撃をなぜ行わなかったか?と疑問を投げかけています。ただ、お忘れではありませんか?真珠湾攻撃はかなり無理な攻撃なんですね。1、真珠湾は浅くて通常の魚雷攻撃が出来ない。2、そのため日本軍は特殊な攻撃方法と特殊な爆弾を開発したが 日本から出発した時点では、雷撃機に取りつけられなかった。3、日本の軍艦は近海で行動することを前提に設計されているので 真珠湾までの航行能力には問題があった。4、真珠湾近海は荒れやす空母からの発進が難しい。まさに薄氷を踏むようにギリギリの危ない橋を渡った作戦なんですね。真珠湾を攻撃し終えた攻撃機が帰還したのは、午後一時ころ当時の日本の軍用機は精度が悪く、整備しなければ発進できません。したがって、第二次攻撃を行えば日没に掛る恐れもありました。しかも、攻撃に参加した350機のうち、29機が未帰還、74機が損傷していますので、第二次攻撃に参加できるのは200機程度。当然のことながら、第一次攻撃より激しい抵抗も予想されます。もうひとつ、真珠湾にいない空母の動向も気になります。第二次攻撃中に米空母の艦載機の攻撃を受けたら、ミッドウェーより酷い負け方をしたことは間違いありません。そう考えたら、第二次攻撃を行わないで引き揚げたのは当然と私は考えます。一方でこの海域に留まって米空母の撃沈を目指すのは?空母を捜索することは難しく、一方で真珠湾からの攻撃も警戒しなければいけません。補給に問題がある以上、この作戦も難しいでしょう。「第二次攻撃を行って、真珠湾の港湾設備を徹底的に 破壊すべきだった」「この海域に留まって、米空母の撃沈を目指すべきであった」後から考えれば可能かもしれませんが、現実には無理でしょう。一方で、仮にどちらかの作戦を採用したとしてどうなったか?日本は開戦当初は破竹の快進撃をしていますが、その勝利を生かして講和することが出来なかった。普通は戦争を始めた時点で、あらゆる可能性を検討しどうやって戦争を終わらせるか考えなければいけません。「負けるまで戦う」などということはあってはいけません。しかし、残念ながら日本にはその戦争計画が無かった。それを考えれば、最大で半年ほど米国の反撃の時期が遅れただけで史実の通りか、むしろ日本の攻勢点が広がっている分だけ酷い結果に終わったのではないでしょうか?その意味で、これだけ綿密な計画の上に、かなり危ない橋を渡って実行した作戦が戦争終結を考えずに行われたという点は信じがたい事実です。皆さんいかがでしょう?
2014年01月07日
コメント(4)
「永遠のゼロ」について、3本目の記事です。たかが一小説に、ここまで熱くなるのはいかがなものか?そんな方も少なくないでしょう。しかし、なぜそこまでこだわるかと言えば、この本や映画が物凄く評価が高いからである。筆者は日本はもう少しまともに戦えたはずと強調する。戦闘機乗りは優秀だった。ゼロ戦も優秀だった。でも、指揮官・将校がよく無かったそれに、人命を軽視し過ぎた。さらに、日本を動かしている官僚制度がよく無かった。もうひとつ、戦争はマスコミが煽った。その中で、特攻という非人道的な戦術が生み出され多くの若者が犠牲になった。しかし、官僚は責任を取らず、生き残った。マスコミも皮を被り直しただけで生き残った。筆者が延々と戦争の生き残りに語らせていることは簡単にいえばこれだけであろう。>指揮官・将校がよく無かった>それに、人命を軽視し過ぎた。>さらに、日本を動かしている官僚制度がよくなかった。>その中で、特攻という非人道的な戦術が生み出され>多くの若者が犠牲になった。>官僚は責任を取らず、生き残った。この部分は従来の反戦主義者の主張と変わらない。>戦闘機乗りは優秀だった。>ゼロ戦も優秀だった。>戦争はマスコミが煽った。>マスコミは皮を被り直しただけで生き残った。こちらがこれまであまり語られなかった主張である。戦闘機乗りやゼロ戦を称賛すると「軍国主義者」のレッテルを張られかねない最近の風潮からすると、なかなか勇気ある内容であり、保守派からは歓迎されているし、もっと書いて欲しいとも思う。ただ、ここまで書いておきながら、筆者は戦争の問題の本質に全く触れていない。筆者は真珠湾攻撃は外務省の手落ちで交渉打ち切りの文書の手渡しが遅れ「だまし打ち」と思われたと語る。真珠湾攻撃30分前に手渡す文書が、その1時間後になってしまった。これは、真珠湾攻撃が語られるときに必ずセットで語られる。本当にそうなのか?実はイギリス領のマレーへ日本軍が進出したのは真珠湾より1時間20分前。時間通り手渡したとしてもフライングである。時間通りに最終通牒を攻撃30分前に手渡したとしてもやはり、「だまし打ち」は免れない。「だまし打ち」と言われたくなければ、何日か前に最終通牒を送るべきではないか?実はこれには海軍が反対した。現実に日露戦争も日本海軍の奇襲戦で戦端を開いている。また、アメリカ太平洋艦隊のキンメル提督は真珠湾攻撃で被害を出した責任を問われて解任されている。つまり「だまし打ち」というのは、当時は反戦の米国世論向けの宣伝であって、最終通牒が間にあったとしても「最終通牒を渡すと同時に攻めて来た」卑怯な日本軍という宣伝がなされたに違いない。ちなみに英国はマレー攻撃に対して「だまし打ち」とは言っていない。また、当時は日米開戦前に中国と戦っていた日中戦争は「戦争」とはよんでいなかった。しかし、戦闘状態にあったのは事実で日本は昭和12年からの戦いで37万人を超える戦死者を出している。両国が宣戦布告をしないまま戦闘状態にあったのだが、英米ソは中国を援護していた。第二次大戦がはじまり欧州戦線で戦闘状態に入った英ソは援助が難しくなったがアメリカは、継続を続け、あろうことか、「アメリカ合衆国義勇軍」の名で米国陸海軍パイロットを送り込んだ。「軍退役後は全メンバーに一時金500ドルを支給」「中国での軍務の終了後、元の階級での空軍復帰を約束」「毎月600ドルを全てのパイロットに支給」「月支給プラス敵機を1機撃墜するごとに500ドルを支給」ちなみに500ドルは現在の日本円なら200万~300万ぐらいであろうか?この計画を後ろ盾していたのは、当然ことながら大統領のルーズベルト。とにかく破格の待遇で陸海軍のパイロットを引き抜き「義勇軍」の名で中国戦線に参戦しようとしていたのである。この計画が始まったのが、昭和15年夏。これでも真珠湾攻撃は「だまし打ち」なんだろうか?当然、こんな話は筆者は知っているはずである。知っているにもかかわらず、外務省だけに責任を押し付ける。確かに大事な書類を遅延させた外務省の責任は重い。しかし、それだけが「だまし打ち」の原因ではない。日米開戦前のいきさつを語らずに、「だまし打ち」を語るのはフェアでは無い。「何故戦争が起きたのか?」「どうして途中で戦争を止められなかったのか?」実はこの部分が最も重要な点ではないか?延々と600ページも書き続けて、この点には全く触れられていない。さらに筆者は現代日本と当時の日本の問題点が同じところにあると書いている。それなら、なおさら日米開戦前の背景も書くべきではないか?それを書かずに>戦闘機乗りは優秀だった。>ゼロ戦も優秀だった。>でも、指揮官・将校がよく無かった>それに、人命を軽視し過ぎた。>さらに特攻という非人道的な戦術が生み出され>多くの若者が犠牲になった。この部分だけ強調して書くのはいかがなものか?結局この本や映画を見て感動して絶賛する人たちは戦争そのものについて深く考えてくれないのだろう。そう思うと、ものすごく残念だし悲しいそれに、情けない(;一_一)
2014年01月05日
コメント(8)
「戦争は『単なる』殺し合いではない」と書きました。これについてはこんな話があります。小林よしのり氏の「戦争論」にこんな話があります。『戦争になったら誰を殺しますか?』ある会社で、何人かが休み時間に戦争になったら誰を殺しますか?という雑談をしていたそうです。たまたまその会社には自衛隊出身者がいました。その自衛隊出身者に、話をしていた一人が「○○さんは戦争になったら誰を殺しますか?」と尋ねた。自衛隊出身者は「敵の兵隊だ」と答える。小林氏はそう答える以外ないのだが・・・と書き尋ねた方は怪訝そうな顔をしたと書いている。※さて、これはどういう意味か判りますか?戦争だからといって何をしても良いわけではない。戦争でも攻撃して良い人・物は決められている。基本的に軍事施設や軍人(それも戦闘員)以外を攻撃してはいけない。それ以外は戦時国際法違反で犯罪なのだ。現実に日露戦争では休戦日が設けられ、その日には双方の軍隊は戦場に倒れている自国の兵隊の死体を回収している。そういう意味でも、永遠のゼロの主人公が撃墜した敵機から落下傘で降下する敵兵を撃ち「熟練したパイロットだから、殺そうと思った」というのは許される行為ではない。まして、「我々が撃つのは戦闘機ではなく人間なのだ」と語るに至ってはあきれる他はない。現代の感覚で、何が何でも勝てばよいという観点からはこれは正しいかもしれない。しかし、戦争時の対応としてはどうなんだろう?一方で主人公は「妻のために生きて戦争から帰りたい」と極力生き延びることを狙う。そのために臆病者とまで呼ばれる。あるいはそう思われていた。その人物が「自分だけは生き延びて、相手には戦闘後でも死んでもらう」これはどうなんだろう?さて、筆者は特攻の非人道さについて何度も語っている。その点については私も同意見である。「特攻という九死に一生も無い、十死ゼロ生の戦術」こんなものは戦術でもなんでもない。主人公が特攻に反対したのは当然だと思う。さらに主人公は「特攻に選ばれたら不時着すればいい」とまで言っている。しかし、その主人公が「何故か」最後は特攻で死ぬ。特攻を援護して、迎撃されて死ぬのではない。特攻隊に選ばれて不時着しようとして失敗して死ぬのでもない。なんと、爆弾を抱いたまま、神業的な飛行技術で敵艦に突っ込む。ご丁寧に、敵軍人はその姿に敬意を表する。筆者は何を考えているのであろう?筆者は、旧日本軍の体質を批判し、特攻という戦術の問題点をあぶり出し、「特攻が如何に悲劇であったか」を、特攻隊員の心情を十分に考慮して書ききった。それは評価する。しかし、最後の最後で特攻を賛美する。その理由も判る。この本の前半八割ぐらいは、日米戦争に関して、「戦争しなければよかった」「最初から勝てない戦いであった」などと戦争に対して考えることをやめてしまった人間に対して、「実は日本はそれなりに戦える能力があった」という弁明であるが、最後の二割ぐらいで別のストーリーが差し込まれている。このストーリーはネタばれになるので書かない。筆者はそのストーリーがあるから主人公の特攻が成立すると考えて挿入したようだが、これが、お互いの関係性をぶち壊してしまった。特攻を賛美するのは私には納得できない。でも心情的には、自分が死んで犠牲になるという考えは理解できなくもない。筆者が特攻を賛美するのなら、前半八割を別のストーリーにすべきだし、特攻に反対の立場でストーリーを描くなら主人公に特攻させるべきではない。不時着に失敗するのでも、特攻機を庇おうとして、撃たれて死ぬのでもよかったのではないか?そう考えると、この作品はあまりにも中途半端ではないか?続きます。
2014年01月04日
コメント(4)
年末にある方から「永遠のゼロ」の本をお借りしました。買ってまでは読みたい本では無かったのですが、その方に勧められましたので読んでみました。とはいえ、映画化もされて大ヒット中の話題の作品の原作とはどんなものなのだろうか?「ゼロ」が「ゼロ戦」を現すぐらいは知っていましたので日本最高の戦闘機がどんな描かれたかをしているか?在野の素人戦争評論家?としては興味はなくはない(*^_^*)読み始めて気付いたことは二つ。1、異常に速いペースで読める2、なんとも言えない違和感が漂う異常に速いペースで読める理由は、一つには結構面白いからである。しかし、内容が面白いからということだけでは速く読み進めるわけでは無い。失礼ながら「内容が薄い」「私の知っている知識が元になっている」と推測される。戦争体験談と太平洋戦史の戦略を、インタビューの形で証言者が語っているのですが、あまり内容が珍しくないのでどんどん読み進めてしまう。一方で、80過ぎた現在は一般人である海軍航空関係者が一度に何十ページも自分の過去について語り、さらには戦争の戦略の是非まで語ることはありえません(*^_^*)実は証言の形を取りながら作者の想いを仮託しているんですが文章の長さだけでなく何か違和感がある。その違和感が何なのか最初は判らなかった。しかし、その違和感がだんだんと明らかになってくる。「特攻は9.11と同じテロ」「その当時の日本人は洗脳されていた」筆者はそう語る「朝日新聞」を指すと思われる新聞記者を証言者の声を借りて思いっきり批判する。「特攻は民間人ではなく、敵国軍人を攻撃したもので、 無差別なテロでは無い」「洗脳されていたのではなく、自国を守るためにやむを得ず戦った」一方で筆者は特攻を批判する。「帰還の可能性が無い攻撃などすべきではない」さらに人命を軽視し、無能な作戦とおごりで若者を死に追いやった軍上層部を批判する。この本の主人公とも言うべき人間はそういう戦時体制を批判するために筆者によって作られたと言ってもよい。「階級社会の軍隊で、下の者に対しても敬語を使い 物腰柔らかく控えめに接する」「天才的な戦闘機乗りでありながら、戦うことを避け、臆病と言われながら生き残ることを選択し続けた」「いかなる時も感情に流されず冷静に合理的な判断を行う」「一方で特攻に関しては、一貫して反対する」こんな人間が軍隊にもいたんだろうか?多分、現在人が当時の軍隊に入ったとしたらこんな感じかもしれない。さらに疑問は続く。この主人公は撃墜した敵機から落下傘で降下する敵兵を撃つ。その理由は驚くべきものである。「この敵兵は熟練したパイロットだ、だから、殺そうと思った」ちょっと待ってくれ。「戦争は『単なる』殺し合いではない」えっ?戦争は殺し合いではないの???日本人の多く疑問を持つかもしれない。だから、「日本人は『戦争について』全く考えていない」と私は思う。実は戦争は殺しあいとは違うのだ。これについてはまた書きたいと思いますが、一つだけ簡単な例を上げる。通常の軍隊の小銃と警察の拳銃、どちらが殺傷力が大きいか?普通の人なら軍用小銃と思うでしょうが違う。軍用小銃は、玉の先がコーティングされていて、玉が身体の内部に留まらないようになっている。一方、警察の拳銃は玉が身体の内部で変形して留まり、より大きい損傷を与えるようになっている。軍用小銃は「撃たれた相手に必要以上に苦痛を与えないように」作られ、警察の銃は「殺してでも容疑者の動きを止める」様な設計になっています。ちなみに、警察で使っているような玉は、戦場では「必要以上に苦痛を与える」として使えない。戦争ではルールが決められている。ルールなしの戦闘は戦争では無くテロなのだ。だから、私は非戦闘状態の人を殺そうとするこの主人公には嫌悪感がわいた。続きます。
2014年01月03日
コメント(2)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()
