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先日の法事でお経を間違えてしまいました。普段の朝のお勤めなどではお経を間違えることなどないのですが、何故か法事では間違えることがあります(汗)やはり人前でお経を唱えるというのはプレッシャーがあるのでしょうか?実はプレッシャーに鬼のように弱いです。(汗)精神力が全く鍛えられていないのでしょうか(汗)座禅をすると精神力が鍛えられるとも言いますが・・・真言宗では精神力が弱められる?(汗)そのあと、会席を出されたのですが、「いつも拝んでいただいているお経って全部憶えているんですか?」「え~、う~、あ~・・・」その時、隣の方が「失礼なこと言わないの、そんなのは憶えていらっしゃるに決まっているでしょう!」決まっていない(汗)すかさず、「般若心経の3倍くらいの真言がありましてね、それを完全に憶えないと学校を出れないんですよ」危うく、嘘つきを免れる(汗)実は別の機会にある方から「お経って全部憶えているんですか?」「大体は憶えていますが、経本を読みながらお唱えします」「やはり虎の巻があるんですね」「いえ、そうではなくて、経本を読みながら、唱えるものなんですが・・・」「なるほど、お坊さんも人間なんですね」「いえ、そうではなく、経本を読む時には、意味をとらえながら読む必要があります。ですから・・・」「いやいや、よくわかりました、なかなかお経暗記するの大変ですからね」全く理解されていない(汗)お経の話はさておき、四国遍路の話になりました。四国遍路の話をしていると昔が思い出されます。四国へはじめてやってきたのが平成6年。あれからもう15年!高野山に登り、僧侶になったとき、もう歩いて四国遍路をすることなどないだろうと思いました。四国遍路はあくまで弘法大師にすがって、四国の風土と人々によって助けながら進むもの。私にはもう不要のように思われました。というよりは四国で縁をつないでもらった私にとってはもし必要でもすべきでない。むしろ、縁をつなぐ側になるべきという思いがあったからです。野宿の話をしたときに「若かったからできたんですね」と言われたのがちょっとショック!今でもできるはず?という思いもあります。なんとなくもう一度行ってみたい!先日遍路研究家の方が来られたのもそんな思いに拍車を掛けました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月31日
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ソマリア沖の海賊が問題になっています。日本も給油支援の護衛艦 1隻 補給艦 1隻を派遣していましたが、ようやく重い腰をあげたようです。新法未整備、不安の船出 ソマリア海賊対策~~~~~~以下引用~~~~~政府が28日、海上警備行動発令に向けた準備を海上自衛隊に指示したことで、アフリカ・ソマリア沖への護衛艦派遣が実現に向けようやく動き出した。ただ、海賊行為対処を定める新法が未整備なままでの「つなぎ」派遣で、武器使用は海上での警察活動が任務の海上保安庁と同じ正当防衛などに限られる。本格派遣となったことで保護対象は日本籍船(年間92隻)に加え、日本関係船舶(同約2200隻)などにも拡大した。政府は船団を組み複数船舶をまとめて護送する方針だが、2隻の護衛艦で十分な護送体制を組めるのか定かではない。海自艦は現行の海警行動で派遣されるため、武器使用基準は現行法の枠内となる。警察官職務執行法7条に基づき正当防衛と緊急避難の場合に限られ、海賊側が撃ってくるまで危害射撃は不能だ。海賊はロケット砲などで重武装しており、最初の一撃で海自側に甚大な被害が出ることも予想される。逆に海賊が発砲しなければ、民間船舶に海賊が乗り移るのを待つという事態にもなりかねない。産経ニュース 2009.1.29 01:00~~~~~以上引用~~~~~太平洋戦争時より、シーレーンの防衛は日本の課題。日本の商船団の壊滅による物資の不足が日本を負けに導いた一因です。これまで、海上輸送をどう確保するかが検討されてきていなかったのが大きな問題です。ところで各国の対応を見ても、何故か重武装の軍艦を派遣。たくさん出てくるフリゲートというのは軽駆逐艦。軽とはいえ5000トンクラスで150メートル近くあるかなり大型の船。アメリカなど駆逐艦・巡洋艦・原子力空母???対する海賊はと言うと・・・ダウ船、スキッフ?どう見ても軍艦では重武装過ぎでは???よく判らないのがなぜ各国が重武装の軍艦を派遣するのか?ところで、こんな意見もあります。~~~~~以下引用~~~~~海自ソマリア沖派遣 不安が残る「応急措置」海外への軍事力展開が応急措置でいいのだろうか。背景には海軍を派遣した中国、検討している韓国への対抗意識と、「日本が乗り遅れる」という焦りが見え隠れする。武器使用基準や警護の対象が不明確なままでの海上警備行動の発令は、「見切り発車」と言われても仕方がないだろう。本来、海上交通の安全を確保するのは海上保安庁の任務である。海賊がロケット砲などで重装備しているため、海保は「保安庁の能力では派遣は難しい」という。だが、海保の能力はそんなに劣っているとは思えない。 世界最大の巡視船「しきしま」はヘリコプターを二機搭載し、海自の護衛艦にひけをとらないほどの装備を持っている。かつてプルトニウム運搬船をフランスまで護衛したこともある。海保の派遣について、どこまで本気で検討されたのかどうか、疑問と言わざるを得ない。中国新聞 '09/1/30~~~~~以上引用~~~~~「しきしま」というのはプルトニウム運搬船護衛用に開発された船で構造は巡視船で唯一の軍艦構造で、多数の水密区画に分けられていて、携帯用のミサイルやロケット砲数発程度に耐えられ、兵装は35mm連装機関砲2基とRFS操作式の20mm機関砲2基。大型のヘリを2機搭載。ただ、「海自の護衛艦にひけをとらないほどの装備」は大袈裟すぎです。ちなみに海自の護衛艦はこれくらい強い!(注意してください、音が出ます)海賊を撃沈させるのが目的ではなく、警戒が目的なら確かに「しきしま」の方が適任。現実に自衛隊は海賊を取り締まる訓練なんかしていません。さらに、海賊は小型船で襲ってくることを考えたらつるぎ型巡視船こういう小さい(といっても50メートルぐらいありますが)ほうが40ノット以上出ますから、振り切られることはないでしょう。いかがでしょうか?人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月30日
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法事の後の会席での話です。70代と思われる施主さんが「ところでお尋ねしたいことがあるんですが」「何でしょう」「最近はお大師さんは善通寺で生まれたんでないとかいう人もいるんですがどうなんでしょう」「そちらの説のほうが優勢ではないですか?」「ええ~お大師さんは善通寺で生まれたんではないんですか?」「まあ、信仰的にはともかく史実としてはどうでしょう?」「私はよく善通寺にお参りに行くんですが・・・行くとお大師さんが生まれたところとかいう地下へ入って・・・でも、それは嘘なんですか?」「いや~、嘘というわけではないんですが(汗)」「善通寺でお大師さんは生まれたって聞いたんですが・・・そうではないんですね!」「いや~、まあ実際に見たわけではないんで・・・ただ、高野山大学の教授の説ですから・・・・なんとも」「高野山大学の先生が言われるんなら・・・そしたら、善通寺はお参りしても意味がないということでしょうか?」「いや~、善通寺は信仰上は誕生したといわれる・・・本拠地はあそこにあったはずですし・・・今まで信仰がありましたので・・・いや~善通寺はいいお寺ですね。宿泊者がいなくて一人でも宿坊へ泊めてくれるんですよ」「へえ~そうなんですか」「そうなんです。なんか悪い気がしますけどね」「ありがたいでしょう」「そうです。昔は曼荼羅寺と寺領が接していたとか聞いたことがあります」「へえ~」危ういところを復活?少し前の機会に50代前半と思われる施主さんが「最近の教科書はわれわれの習った歴史と変わってきましたね」「ええ、そうらしいですね」「聖徳太子も厩戸皇子とか言いますね」「聞いたことあります」「足利尊氏とか源頼朝の肖像画が別人とか言いますね」「西郷隆盛もあんな顔ではないとか?」「そうらしいですね」「しかし、違和感がありますね!」「仏教でもそんなのありますか?」「ありますよ。弘法大師の誕生地は畿内とか、奥の院に眠っていないとか」「ええ~そんなのあるんですか?」「30年ぐらい前は高野山外の先生が『お大師さんは火葬された』と本に書いて衝撃的とされたぐらいですけど」「お大師さんは奥の院で眠られているんではないですか」「それが違うようなんです?」「そしたら真言宗の教えが変わってしまうんではないですか?」「いや~、そういう訳ではないですが・・・真言宗はお大師さんが眠っているとかいう信仰ではないですし」「でも、お大師さんが奥の院にいて人々を救ってくれるんではないですか?」「いや~、まあ、お大師さんは高野山にはいらしゃるという・・・」「南無大師遍照金剛とか唱えるのでは・・・」「ええ~、まあ~・・・」「でもお大師さんが奥の院に眠ってないとか言うと、ちょっと違ってくるんでは?」「いや~どうでしょうか?いないというか、いるというか・・・」「そしたら、奥の院にお参りして意味があるんですか?」「いや~、それは信仰上の意味があって・・・ところで、奥の院には大木があるんですが昔は高野山は木を売って維持費にしていたんですよ」「へえ~そうなんですか?」「ええ、山林部というのがあって木を管理していたんですが・・・」「そんなに山があるんですか?」「山林は農地解放で手放していないですからね・・・」再び危ういところを復活?史実を立てれば、信仰から遠ざかる。信仰を立てれば、嘘つき?嘘つき?嘘つき?知らなければ、良いとも言えません、どうしたものでしょう?しかし、武内教授の説はすごく怖いですね(汗)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月29日
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昨日再び訴訟?という話を致しましたが、今日になって別の問題が発生!当院の墓地整備では、整備区画の1200平米の墓地使用者に一旦移動してもらい、無縁墓地の改葬、土葬の掘り起こしを行い、区画整備した上で整備した場所に戻すという、大掛かりなもの。既存の墓地を返還できるかが不安でしたが・・・おおむね返還終了!あと一基を残すのみとなりました。 ところが、返還した墓所のうち三人が、約束が違うと言い出し、なんと墓石の下の台を新しくして欲しいとゴネた模様。さらに恐ろしいことには、墓地の整備を委託していたN社が私にそれを報告しないで、その台を超格安で交換すると勝手に交渉しまとめてしまいました。N社の言い分は、本来ならば問題になる件を穏便にまとめた。いい話ではないのでこちらには報告しなかったというのですが・・・N社には例の如く?怒って怒って怒りまくりました!冷静に考えて、穏便に済ませようと思えば、N社の提案も悪くないのかも知れませんが、他の既存墓地所有者にはそのような条件を提示していませんし、他の所有者とのバランスを考えると無理がある話ではあります。墓石は接着等が終了している上に、完成引渡しの段階。通路も一部完成して工事中の段階。この段階での再工事など無理とは言わないまでも、心情的には全くできるものではありません。工事を担当しているB社も「そのままもう置いといてもらえんかいな?」一旦組み上げたものを壊せとは職人としてはできがたいもので至極当然の感想!それ以上に私としては全精力をつぎ込んで巨額?の投資を行なった大事業。プラモデル完成間近で壊されるような感じで喧嘩を売られているのと同じ!もともと、整備されていない状況よりも通路も水場もでききれいになっているにも関わらず、そんなことを言われても・・・そもそも、組み立ての段階での立ち会いもせずに、完成してしばらくしてから言いがかりをつけられてもというのが私の感想。本来ならば、墓地使用者としてそれ相応の負担をお願いしたいのですが、今回は当院が整備費用を負担しています。それで文句を言われても・・・というのが私の本音です。さすがに有史以来整備されていない墓地。一筋縄ではいきません!三度私は戦う?かも知れない。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月28日
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平成十八年から足掛け三年に渡って整備を行ってきた当院裏の墓地。以前は一部だけ完成した時に日記を書きました。当初の計画では平成二十年七月頃に全面完成予定だったのですが、その後、諸々の事情があり、まだ完成に至っていません(汗)今、超特急工事で二月半ばの完成を目指しています。さすがに百三十年前の住職が計画し、図面を作り埋葬者も調べさて、改葬というところで志半ばにして急逝?という因縁の墓地だからでしょうか、一筋縄ではいきません。大体、測量しようとすると、機械が壊れたり、いたずらされたりで、墓地の測量だけで九か月もかかりました。それを考えると、予定より遅れたとはいえ、僅か三年余りで、しぶとく完成真近まで持ち込んだのは百三十年前の四代前の住職の執念でしょうか?もともと、私がここにやってきた八年前は、その墓地の一部を隣接する土地の持ち主と係争中!六年前に敗訴した土地問題を解決したのが二年前。やっとこ裁判とは離れたと思っていたのですが・・・十一月に無縁墓地を法律に従って改葬したところ、ある墓地の関係者から電話がありました。「もしもし、墓地が無くなっているんですが」「どこですか?」「○○にあったんですが」「それは、お申し出がなかったので、法律に基づいて無縁墓として改葬しました」「ええ~すぐ行きます」やってきた方は話を聞くと、どうやらお墓の持ち主の親類の方。お墓の持ち主の方がやってこないと話はできませんとお話して引き取っていただきました。翌日、お墓の持ち主がやってきました。法律に従って改葬広告を行なったこと。墓石にも縁のある方は申し出いただくようにお知らせのプレートをつけたこと。申し出がなかったので墓石に再度改葬を行なうプレートをつけたこと。徳島市から無縁墓地として改葬許可を受けたこと。それゆえ、お墓を戻す時には未払いの墓地管理料を支払うこと。誓約書を提出すること。お墓を元に戻す費用は自分で出すこと。などをお話してその時は理解して帰られました。ところが、後日やってきたときには、態度が一転します。市役所にも勝手に自分のお墓を撤去されたことを抗議に行ったそうですが、市役所は当然のことながら、見に来て確認した上で改葬許可を出していますので、それは問題があるとは言いません。自分が墓地の所有者でありながら、こちらからのプレートを無視していたことを棚に上げ、こちらが改葬を行なったことに一方的に問題があるような言い方!お寺のすぐ近くに住んでいるのに連絡してくれなったのは問題があると言い出したときには目が点になりさすがに激怒!「それなら、なぜこちらに連絡しなかったんですか?お墓参りに来た時にこちらに申し出ればこちらも改葬しなくて済んだんですよ」と問い詰めたところ「お墓にお参りしていません」「そんなわけないでしょう。すぐ近くではいないですか?」「でも来ていません」「それならお墓なんかいらないでしょう」と言いかかりましたが・・・墓石業者もこちらで紹介し、その業者は私がビックリするような超格安の見積もりを出したにも関わらず、高いと決め付けこちらにも費用を出してくれといいます。本来ならば、改葬費用なども請求したいところです。さすがにこちらが墓地を戻す費用まではできませんが、業者に一番安い形で行なうことを話して納得して帰られました。ところがなかなか話が進みません。とりあえず、そちらは業者に任せていたところ、昨日いきなりやってきて「お墓の件は弁護士の調停に掛けることにしましたのでよろしくお願いします」開いた口がふさがりませんが「判りました、どうぞ」弁護士を交えての法律戦をこの八年で三度も経験しているベテラン?(笑)の私から申し上げれば、どう考えても墓石工事費用(約30万程度)より弁護士の手付け金の方が高そうな気が・・・それに法廷闘争で勝つまでは大変。勝ったところで大変。それ以前に法廷までも大変。現実の取立ては弁護士より、行政書士に頼んだほうがいいでしょうし、その前にこちらは話し合いに応じているわけですから直接話し合いで決着するか、人を間に立てて話したほうが現実的。しかし、戦端を開かれた以上はこちらも戦闘態勢に入らざるを得ません。とりあえず、お骨と墓石の芯石はこちらで押さえていますから無条件では渡せません。預かっている以上はそれ相応の供養料が必要。それ以前に、そのお骨と墓石の持ち主であることを証明してくれという話になります。墓石の撤去費用は当然。石材業者が営業に何度も行っていますので、その営業経費も請求。当然のことながら、法律にしたがって無縁仏として改葬していますので、元の墓所の使用権は当院となります。したがって新たに使用権を購入していただくことになりますが、それ以前に問題を起こしそうな人は当然のことながら当院の墓地管理規定によると墓所の使用を認められません。こちらが本気なら、相当のお金をつぎ込んでいくつもの法廷闘争で勝たなければ、墓地は元通りになりません。それ以前にこんなの勝てます?勝ったところで意味があります?と本人に言いたいところです。とはいえ、事故がありえない場面で起きるのと同じく通常ありえないところから巻き込まれるのが裁判。皆さんもご注意を。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月27日
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先日、将棋の王将戦が徳島で行われました。前夜祭にさくらんぼのハハさんが行かれたそうです。その日記で「ハチワンダイバー」という将棋の真剣師(賭け将棋)を扱った漫画があることを教えてもらいました。真剣師と言えば30年ほど前に活躍した「小池重明」。人から金を借りること多数。そのため詐欺で訴えられたこともあり、夜逃げすること多数くあり。そして身一つで、人妻と駆け落ちし、ヤクザや借金とりにいつも追われている。当然のことながら、普段は将棋の勉強をするわけでなし、酒を飲みながら筋の悪い将棋を指し、いつも敗色濃厚になりながらいつの間にか逆転する。新宿の殺し屋と呼ばれ、プロ棋士相手に勝利すること多数。あまりにも強すぎるためアマチュア棋戦からは締め出される。それゆえ本来なら年齢制限と厳しい規定のあるプロへ特例で入れてはという声もありましたが、あまりにも悪い素行が全国にまで知られていたためほとんどのプロ棋士の猛反対により消滅。将棋界からは消えたと思われた数年後、ブランクがあるにも関わらず久々に登場した企画でアマ強豪を次々連破したが酒の飲み過ぎにより急逝。昭和40年代ぐらいまでは結構真剣師がいたようです。史上最強の真剣師と言われた平畑善介などは、全国の強豪と賭け将棋を指すためにアマ名人戦に毎回出場。早々と本戦で負けては、夜の賭け将棋で全国の代表から金を巻き上げるのを楽しみにしていたそうで、7段以下のプロ棋士なら平手(ハンデなし)で戦う豪語していたそうです。鳥取の超弩級と言われた大田学はもう真剣師では生活できないと63歳でアマの大会に出て全国優勝。68歳の頃には、プロアマ問わず年上には誰にも負けないと豪語していたそうです。その真剣師がいなくなったのには、社会が敗戦直後の生きるのに精いっぱいで裏も表も紙一重の状態から変化して、社会が浄化されてきたこともあるでしょうが、それに伴い自営業・オーナー社長といった小金を持ったタニマチがいなくなったからではないでしょうか?昭和40年代ぐらいまでは、少し金が貯まったら、自分で事業を起こしたり店を持ちたい、それで大きく儲けてやろうという企業精神があったように思います。事実それで結構儲かった。それをパーっと使う人も少なくなかったことでしょう。しかし、時代は変わりました。資本主義が成熟していくにつれて、小さい企業や店は大きな企業に取って代わられました。自分の店や会社を持って不安定な収入ながら人生を生きるよりも、会社に勤めて安定した収入ほうがいいと思われるようになったと思われます。当然のことながら、勤め人は自分の身銭は切らず会社の経費。何にでも思い切って使えるものではありません。それに伴いお金の使い方もチマチマしたものになった。思い切って使うと言っても、無駄銭は切らない。それだからでしょうか社会自体が変わってしまいました。最近の派遣労働者の問題や内定取り消しの問題を見るにつれ自分で何とかしようと思うよりも、他人に何とかしてもらいたい自己責任を棚に上げ、他者に責任を転嫁する。そんな人間が増えたように思います。賭博自体はいいとは思いませんが、お上が管理する賭博しかできなくなっているようですね。何はともあれ、ディープな真剣師の世界を期待していたんですが・・・こんな感じドラマはこんな感じこれが人気があるとは???プロ棋士を打倒するべく元奨励会(プロ棋士の養成機関)出身者で作られた鬼将会を打倒するというストーリーらしい?のですが(まだ連載中)ストーリーの底も薄いような気が・・・確かにプロをアマが負かすというストーリーは面白そうです。たとえばONE OUTSONE OUTSという、一打席勝負でゴロを打ったり三振したら負けという賭け野球で圧倒的な強さを誇るピッチャーがひょんなことからプロ入り。バッターの顔色を見ながら、一見平凡に見えるがボールの回転数を変えた球を投げわけ、微妙な緩急によって打ち取るあたりは、まるでメジャーのマダックスのよう。あるいはイニシャルD一昔前のスポーツカーAE86(トレノ)を駆る主人公が公道を如何に速く走るか?ということで、最新鋭のスポーツカーと公道でレースをしながら戦っていきます。立ちはだかるのはプロのドライバー。どちらも現実には???ではありますが、アマがプロに勝てるか?というテーマですね。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月25日
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たまたま面白い記事を発見しました。大和引き揚げで準備委発足=数年内の実現目指す~~~~~以下引用~~~~~戦艦大和が建造された広島県呉市で22日、地元商工会議所などが中心となり「戦艦大和引き揚げ準備委員会」の初会合が開催された。数年以内の引き揚げを目指したいとしている。 課題は資金の確保で、準備委は可能なら船体全体の引き揚げを目指すとしているが、その場合、数百億円が必要。現実的な数字として数十億円を想定し、個人を中心に全国から募金を集める考えだ。 2009/01/22-17:42 時事通信~~~~~以上引用~~~~~戦艦大和と言えば日本人なら誰でも知っている、超有名軍艦!戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲を備え、防御面でも重要区画では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦でした。世界中のあらゆる軍艦の砲撃をも跳ね返し、どんな軍艦も射程外から砲撃し葬り去る。夢のような超兵器!しかし、時代は皮肉なことに、その超兵器を過去の産物へと押しやります。しかも、押しやったのは皮肉なことに日本海軍!真珠湾攻撃では日本の6隻の空母から発艦した350機の航空機によって、アメリカが誇る真珠湾の戦艦8隻を含む20隻を破壊!マレー沖海戦では、87機の航空機によって、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識をくつがえし、2隻を海の藻屑へと変えました。英首相チャーチルが後に「第二次大戦中最も衝撃を受けた」と書いたのは有名な話です。なんと大和が竣工する時に海戦の主力は航空機、そしてそれを運用する空母へと代わってしまいました。大和型2番艦「武蔵」はシブヤン海海戦において雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という空前絶後の損害を受けて沈没!そして大和も1945年4月7日、沖縄に向かう途中約400機の航空機の攻撃を受け、爆弾10発魚雷17発を受けて沈没します。その大和を引き上げるとなれば壮大な計画!世界が見守る中、ゆっくりと起き上がるように浮上する史上最強の戦艦大和。その姿は70年以上の歳月にさらされながらも、まったく腐食に侵されていない!まさに70年の眠りから今復活する!その雄姿は感動的なイベントになることは間違いありません。(というより勝手に想像にふけっているだけ???)ただ、ひとつ問題が・・・大和を今引き上げてしまったら、2199年に出来上がるはずの「宇宙戦艦大和」が完成できない!地球はガミラスに侵略されるに違いない!呉商工会議所会などはこの問題をいかに解決するのか!公式見解を聞きたいところです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月22日
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昨日のしもやけといえば・・・では、コメントをたくさんいただきありがとうございました。ただ、行で厳しいのは「しもやけ」ではありません。書いているとこんなに寒かったのかと思いますが、体験していると実はそれほどでもありません。本当に厳しいのは、たった一人で山の中にいたことです。このお寺は、境内より上の「行をする場所」を完全に封鎖して誰も上ることのないようにしてくれました。おお~「行」にはいい環境だ!と言いたいところですが・・・もともと、人がほとんど来ないお寺ではあるのですが、夜などは私だけ。何かあっても、1キロ以上全く明かりのない山道を下らないと人がいるところには出ません。お化けが出たら怖い!それ以前に外との連絡も取れないので、行が空ける日になっても降りてこないので、上がっていくとミイラになっていた。という可能性もありうる。(現在は改良されています)おお~こちらの方が「しもやけ」より厳しい?冗談はさておき、たった一人で、過ごすのは結構精神的に苦痛です。やっと行の期間の50分の1が過ぎた、20分の1が過ぎた(二分の一とか三分の一ではない!)と毎日数えて、今日でやめよう、明日でやめよう、と行が空ける3日前までいつやめるか検討していました(苦笑)ちょっと体調を崩しただけでも、私は死ぬかも知れないと考え、止めて下りようか、それとも死んでも構わないのだろうか?と揺れ動く日々。(虚弱体質があだでした)さらに、そこで踏みとどまっても、時間を使ってお金を使って皆は仕事をしている時に、自分は一体何をしているんだろう。と徒労ともいえる苦悩の日々が続きます。ただ、最後はこちらかなりこの修法の功徳はあります。興味のおありの方はぜひどうぞ!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月21日
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今をさかのぼること8年前の12月に私は高野山を降り、香川県の日内山へ虚空蔵菩薩求聞持法を修法するために向かいました。12月の中旬に高野山から降りてきたときは暖かく感じました。しかし、12月の下旬から少し寒くなり、1月になると気温が急降下!お堂の周りにも雪が積もり、水を引き込むパイプも凍りました。山の中腹にあるお堂ではもともと水が少ないのですが、井戸の水位も下がりきって、水を汲めなくなる手前になりましたので、お風呂など夢のまた夢。頼みの綱は、朝の水行ですが外で行ないます。体を拭くまではお堂に入れないので、風が強いと鬼のような寒さ!しかも、水道が凍るため、水を貯めておきますが、その桶に氷が張っています(汗)それを割りながら体に掛けます!書いているだけで寒そうですが、それはまだ序の口です。本番はお堂の中での修法。シンシンと冷え込むお堂の中で、座ったまま数珠を繰って真言をひたすら唱えます。その時間が約6~7時間×2回/一日。手も足もしもやけになってしまいました(苦笑)紫になった手足は2月の末に行を終わった後もしばらく変色したまま(汗)治らないかと思いましたが、めでたく半年ぐらいで治りました!私の出た約3か月後に入ったO師暖かい時期でお風呂も入れてうらやましい!ただ、O師の時期には・・・隣の芝は青くないと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月20日
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このところ、西日本では寒い日が続いています。ここ二か月ぐらいの平均でも、鹿児島を中心に平年より寒いようです。一方で、東日本特に北海道では平年より高い気温です???はたして寒冷化しているのか温暖化しているのか?ちなみに、徳島では3年ぶりに昨日氷点下を記録!私は冬は氷点下に下がるのが当たり前の土地で育ち、高野山では大型のペットボトルが氷の塊になる部屋で窓を開けたまま寝ていたという伝説もありますが、最近めっきり寒さに弱くなりました。そのためではないでしょうが、足がしもやけに(汗)もともと、血行があまり良くないのかしもやけにはよくなります。さらに正座や座禅によって余計なりやすいような気がします。皆さんもご注意を!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月17日
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蜆汁硯海さんのところで見た記事ですが「千の風になって」大ヒットで“逆風”が吹いた業界 「そこに私はいません」~~~~~以下引用~~~~~不景気とは無縁のはずの墓石業界にも不況風が吹いている。背景には景気悪化などの要因もあるが、埋葬に対する日本人の意識の変化も大きい。それに拍車をかけているのが、昨年大みそかの紅白歌合戦でも歌われた、あのヒット曲だという。【ヒット後問い合わせ殺倒「墓の意味あるの?」】 「核家族化などで、寺とのつながりが希薄になり、現代人にとっては墓も縁遠いものとなりました。象徴的だったのが、死者の言葉として『そこ(墓)に私はいません』と歌った『千の風になって』が大ヒットし、多くの人がその死生観を受け入れたことです」「歌詞を妄信する人が多いことに危機感を覚えます」と話すのは、浄土真宗本願寺派の正法寺住職、白川淳敬氏(52)。「故人の遺徳をしのぶなら、墓という形式にこだわる必要はありません。ただ、経済的な理由から歌にかこつけて墓を作るのを避けるのは、非常に低次元な発想です」(白川氏)ZAKZAK 2009/01/13~~~~~以上引用~~~~~現在墓地を整備中の当院としては由々しき問題!という気はしません。確かにこのところ、新規の墓石の建て直しは減ったように思います。核家族化の影響もあるでしょう。ただ、日本人の死生観は長年にわたり形成されてきたもので、お墓を作る習慣なども仏教とほとんど関係ありません。それがたった一曲の歌でそれほど変ったとは思えません。もともと日本人は農耕民族です。代々その土地に定着していました。皆、生まれ育ったところで暮らし、そこで死んでいったのです。それが、この50年位の間に、生まれ育った所を離れ、別の場所で生活し死ぬということが珍しくなくなりました。それゆえ死生観は変らなくても、今までの墓地を中心にした先祖供養とは異なった形の魂の安楽が必要になってくるように思います。>経済的な理由から歌にかこつけて墓を作るのを>避けるのは、非常に低次元な発想です「阿弥陀如来を信じ死んだら極楽浄土に往生できる」という教義を持つ、浄土真宗の僧侶?がこんなことを言うのは違和感がありますね!お墓なんか要らないとはっきりいってもらったほうがすっきりしますが・・・人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月16日
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当院のマスコットのとらねこですが、夏前に行方不明になってから、戻ってきません。行方不明になってもブログに載せると戻ってくるという伝説がありましたが、今回だけは・・・しかし、先日、徳島市内のKホールという葬祭場で、とらねこそっくりの子猫を見つけました。半野良で飼われているようです。その時、もうとらねこは帰ってこないような気がしました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月15日
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以前に知り合いが亡くなった話を書きました。去年も高野山の同級生が亡くなった話を書きましたそしてまた昨日、訃報が届きました。同級生二人が亡くなったそうです。一人は、ほとんど付き合いがありませんでしたが、もう一人は、私の実家の近くの旅館の寮に住んでおり、中学校まではよく遊んだ仲でした。彼はお母さんがいなくて、お父さんは昼間仕事なので、よく、遊びに行って居りました。誰もいないので、やりたい放題でした。小学校のころ、彼の家でドーナッツを作ろうとしてボヤ騒ぎを起こしたこともあります。高校進学の時に別れてしまい、それ以来あったことはありません。私が高野山に登る少し前には、同じ郡内で結婚して元気にやっているという話を行きつけの床屋さんから聞きました。その床屋さんの話では、私が田舎へ戻っているという話をすると懐かしそうにしていたというのですが、会うことはありませんでした。早速発信元の同級生に問い合わせました。「お正月頃、死んだらしいんやけど・・・」「ええ~」「最近見つかったらしい・・・」「・・・」「葬式もあったって後から聞いたんやけど・・・」「・・・」「やつは、離婚して一人で、おったらしいんやけど・・・」「それは気の毒やったな、誰が葬式出したん?お父さんか?」「いや、お父さんはもう亡くなっとるやろ」「前の奥さんか?」「聞いた話では、前に努めとった会社の社長さんがしたらしい」「ええ~」「じゃあ、誰が後見とるんで?」「その社長さんでないの?」「そら、困るやろ」「う~ん、そやな~」「そしたら、私が預かろうか?」「そうけ~」「見る人おらんのやろ、話してくれたら預かってもいいけど」私の近所には4人の同級生がいました。小学生の頃は、近くの空地に集まっては、下級生を集め野球をしていました。その空地に置いてあった中古車がいろいろな道具置き場、近くの八百屋の倉庫から、りんごの木箱やトタンを持ち出してベンチを作ろうとしましたが、鬼のような形相の八百屋さんが木箱やトタンを取りに来てえらく怒られた記憶が・・・あるいは、学校の倉庫から野球の道具を勝手に持ち出して自分たちの備品にしていましたが、それも先生から恐ろしく怒られた記憶が・・・冬に無くなったボールを探そうと、野原の枯草に火をつけたところ、予想外の強風に煽られて、燃え広がりあわや民家炎上!大人を巻き込んで消火活動に当たった記憶が・・・よく銭湯にも行きました。銭湯でゴムボールを使って野球をやっていて、おっさんに取り上げられたり、カップ麺の焼きそばを銭湯のお湯で作って食べたりした記憶が・・・ろくなことしていませんが、さまざまなことが頭に浮かんできます。そのうちの一人は30代で亡くなり、もう一人は「知り合いの死」の主、そして今回の件。平均寿命からすると、人生が5分の3ぐらい終わった歳ですが私一人だけ生き残った様な思いがあります。長生きではないんですが、長生きするのも寂しい様な気がします!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月14日
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今日の午前中の話ですが、本堂で来客を終えて、庫裏へ戻ってくると、なんと室内に黒い野良猫発見!どこから侵入したのでしょうか?私の姿を見ると、すぐに逃げましたので追いかけました。当院は屋根の継ぎ目に穴が開いており、そこから猫が侵入します。寝ていても天井を猫が歩いています。さらに、その天井裏から、庫裏へはタタミ2畳分ぐらいの開口部があります。そう思えば、庫裏へ猫が侵入するのは時間の問題ではあったのですが・・・(苦笑)早速その開口部をふさがないと・・・夕方までかかって、埃だらけになりながら、その開口部を古い雨戸を使いなんとか防ぐことに成功しました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月13日
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一般の方が思う「僧侶」の姿とはどんな感じなんでしょう?教養があって、清貧で、生活作法がしっかりできて、少欲知足で、朝早くから起きて読経して、境内を掃除して、誰にでも微笑みながら、声を掛け、子供や動物とも親しんでともに遊び、争いを好まない。というイメージでしょうか?これに最も近いのが臨済宗!経典を読んだり、座禅したり、念仏を唱えるだけでなく、普段の生活自体が修行であると捉えた宗派です。また、禅宗といえば禅問答のように思われますが、公案という問題を使って禅を行なうのは臨済宗で、「禅ZEN」の主役である道元禅師の開いた曹洞宗は禅問答を行いません。ちなみにこの方はその理想像に近いような気がします。なんぜんたろうさんところで、最近ミクシーに復活しました。ミクシーで臨済宗を開いた、栄西禅師のコミュニティを探したのですがありませんでした。栄西禅師は、もともと天台僧で密教僧でもあり、禅・密教・戒律の兼学を勧めています。それゆえ禅宗の開祖というより密教でも大家!密教系の著作も多く、真言宗でも使う「菩提心論」の注釈者には建仁寺栄西の名前があります!実家の旦那寺は臨済宗で、栄西禅師が開眼法要を勤め、高弟の行勇禅師が初代住職を務めた高野山金剛三昧院にも居候していた私としては見過ごすわけにもいかず勝手に作りました!http://mixi.jp/view_community.pl?id=3969331同じ禅宗とはいえ、表面上は、臨済宗と曹洞宗は教義的には結構違うように見えます。ありとあらゆることを修行と捉える臨済宗に対し、ただ、座るだけ(座禅)の曹洞宗。しかし、その本質はいずれも、人間の仏性を見出すところにあるような気がします。道元禅師にはこんな話があります。夏の炎天下に年老いた典座(食事係)が汗を垂らしながら椎茸を干していました。道元禅師は同情して、典座に年を聞きます。「おいくつですか?」「68歳になる」当時の68歳と言えば、今でいえば90過ぎくらいでしょうか?「老僧そんな仕事は、寺にいる使用人や人足にやらせればいいのではありませんか?何もあなたがされることはないでしょう」「他人は私ではない」「今は炎天下です。もう少し、日が陰ってからにされてはいかがですか?」「何で時を待てようか」この話が私はすごく好きですね!う~ん禅 ZENが見たい!人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月12日
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見たいと思っていたレッドクリフは結局見ることができませんでした(汗)原因は映画館が遠すぎること!(車で25分ぐらい?)そもそも、県庁所在地に一軒の映画館も維持出来んのか?恥を知れ!徳島市民!(私も徳島市民ですが・・・)と思っていたらシネアルテおお~徒歩圏内に映画館復活!ここは、かつては平和劇場として徳島の映画マニアにはひそかに人気がありました。「四回の上映に映画ファン三十六人が詰め掛けた。」むむむ、なんと!一回当たり9人しか入っていない!運営大丈夫ですか???上映作品はマニアックな気がぜひこれを放映してほしい!禅 ZEN禅宗には大きく分けて、臨済宗と曹洞宗があります。その曹洞宗を開いた道元禅師の生涯を描いた作品です。道元禅師については以前にも書いたことがあります。~~~~~~以下引用~~~~~ある禅僧の弟子が毎日座禅をしていました。師僧は聞きました「何のために座禅をしているのだ」「仏になるためです」その答えを聞いた師僧は落ちていた瓦を拾って磨き始めました。弟子はビックリして尋ねました。「何をなさっているんですか」「瓦を磨いて鏡にしようとしている」「瓦を磨いても鏡にはならないと思いますが」「では、座禅をして仏になれるのか」~~~~~以上引用~~~~~この続きの興味がある方は日本仏教の七宗派その11-只管打座をご覧ください。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月10日
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小林よしのり氏の「戦争論2」の中に「戦争になったら誰を殺しますか?」という問いかけがありました。そう問われた自衛隊出身者は「敵の兵隊」と答えたのですが・・・どう思われますか?1980年頃大学の講義で、国際法の専門家の先生が戦争放棄をうたう憲法9条のために、日本では「戦時国際法」が専門的に研究されていないと嘆いておられました。戦時国際法とは戦争当事国間に適用されるのみならず、交戦国と中立国の間にも適用されるので、戦争をしない国家でも必要なのですが・・・ちなみに、戦時の攻撃目標は敵の戦闘員か軍事目標に限られています。戦闘員とは紛争当事国の軍隊であり、軍事目標とは野戦陣地、軍事基地、兵器、軍需物資です。戦争とは言っても敵国を無差別に攻撃することは禁止されており、戦闘員であっても降伏者、捕獲者、負傷者、病者を攻撃することは禁止されており、もちろん民間人や民間施設を攻撃することは戦争犯罪です。当然のことながら、太平洋戦争時の日本空襲や原爆投下などは明らかな国際法違反行為です。戦争といえども、何でもありではありません。ルールはあるのです。長々と書きましたが、イスラエル軍のガザ地区への空爆と地上侵攻は、明らかな戦時国際法違反のように見えます。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月09日
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一昨日の話の続きです。1月6日に祈祷師さんのご自宅を後にしましたが、行く宛てがあるわけではありません。取り急ぎ向かったのは大阪。お正月中ならいざ知らず、大阪に行けば何か仕事があるに違いない!現在の派遣切りの労働者ではありませんが、連絡先はおろか今日寝るところもありません。普通の新聞についているような求人は連絡先も寝泊まりする場所も必要なので×スポーツ新聞を買って、泊まり込みの仕事を探します。Mという工場内作業の派遣をしている会社に面接に行きます。面接は履歴書などろくに見ず。とりあえず合格!「明日10時にここへ来てよ」「今日泊まるとこが無いんですが・・・」「そしたら、近くのうちの寮で寝る?」「お願いします」連れて行かれたのは、雑居ビルのフロアーを仕切っただけの部屋にベットが並んでいるところ、仕切りの新建材を切った屑がそのままに残っているような生々しさ!しかし、とりあえず寝るところを確保。翌日指定された時間に会社に行くと、ワンボックスに数人が押し込められ、現場の工場に向かいます。連れて行かれたのは、Sハウスの工場。ちょうど運良くか悪くか、阪神大震災直後で工場フル稼働。朝7時半から、午前様まで(最長は午前2時半)という労働基準法を全く無視した労働時間!土日も関係なしで稼働していました。さすがに3日務めただけで全身が筋肉痛!工場内にある寮は、4畳半を二人で使うシステムしかも、同室のおっさんはお風呂へ入らないのに、毎日酒を飲むという恐ろしい習慣!そのため匂いが鬼のよう!それで寮費まで取られるのは、ほとんど地獄に落ちてます!しばらくは我慢していましたが、いつまでもは無理です!1か月ぐらいたってから、部屋を替えてほしいと再三申し出を行いやっと変えてもらいました。しかし、その寮はまだましで、同じ工場の敷地にあるスーパーハウス(工事用のプレハブ)は暑さ寒さが厳しいとか?朝は、ご飯に卵だけ、昼は仕出し、夜はほか弁という全く栄養の考えられていない食事!それを食べようが食べまいが、給料から食事代として引かれます!当たり前かも知れませんが、とりあえず頭数がそろえばよい?という方針でしょうか?どう見ても普通の会社では勤まらないのでは?という人間が多数在籍していました。遅刻は普通、無断欠勤は当たり前?朝寝ているので放っておくと、昼には荷物をまとめて姿を消していることがありました。新しい人が来てはやめ、新しい人が来てはやめの繰り返し。週一では休みをもらいましたが、それでも長時間労働が幸いして?食費・寮費など天引きされても、月収50万超!僅か3ヶ月で150万あまりの貯金ができました。そこで長く勤めている人は、派遣慣れ?しているのか目一杯働かず、適当に休んだり、早びけしたりで体を適当に休めていたようです。ラインの管理を任せられるまでになりましたが、3か月で辞めました。長く勤めても時給が上がらないことに文句を言うベテランもいましたが、所詮、頭数さえいれば務まるような仕事です。長く務めたからと言ってキャリアがものをいうような仕事ではありませんでした。それ以上にこれ以上続けていると体を壊すような気がしました。約一年後、もう一度同じ派遣のMに戻ってきました。また、貯金をしようと思ったのですが・・・その頃はすでに、阪神大震災バブルはもはやなく、週休二日制で残業なし!手取りが15万ぐらい?もろもろ引かれると・・・確かに、いつでもやめられる、当座の生活には困らないという気楽さはありますが・・・逆にそのような会社は、労働者などいくらでも代わりがいると思っています。今回打ち切りをされた派遣労働者はかわいそうかと思います。派遣労働の連鎖から抜け出すのは容易ではありません。そんなに貯金ができるわけでなし、生活の拠点ができなければ、次も寮付の派遣労働へ移動せざるを得ません。しかし、世の中には仕事がたくさんあります。すぐには生活が苦しくてもキャリアを積んで行けば生活できるような仕事はたくさんあります。若い人にはそちらを選んでほしいと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月06日
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このところ、世間では急激な景気の悪化に伴う派遣労働者の解雇が問題になっています。そのため年を越せない労働者のために年越し派遣村などもあったようです。現実に年を越す場所がないというのはつらいもの。今をさかのぼること、13年前、私は四国を遍路していました。事情あって家には帰れません。途中、愛媛県の椿堂というお寺で3か月余り居候していたものの、正月までいるわけにはいかず年末の12月20日頃になると、出ることになりました。そこで、椿堂を出て再び遍路に出て12月30日に結願して遍路を終え、31日に高野山へ向かいました。高野山には20センチの雪が積もっていました。その雪の中を奥の院に向かいました。寒い中、奥の院でお勤めを終えましたが、行く場所がなく途方にくれました。その時に思いついたのが、遍路の時期に徳島の鯖大師で同宿した祈祷師さんの言葉です。「気が向いたら訪ねてきなさい」超思い切ってその祈祷師さんに電話を掛けました。「もしもし、遍路の途中で出会った三人文殊ですが・・・」「誰かな???」「鯖大師でご一緒したのですが・・・」「ああ~思い出した、何の用?」「大変申し上げ難いのですが、これから御伺いしても よろしいですか?」「何時頃来れる?」「よろしいんですか?」「0時過ぎから、般若心経の100巻行をしますからそれに間に合うようにおいでなさい」「わかりました」高野山から、南海電鉄・近鉄特急を乗り継いで名古屋まで行き、そして祈祷師さんの自宅で般若心経の100巻経に参加しました。終わった後、祈祷師さんが言われました。「ところで、あなた行くとこあるの?」「いえ、それが、無いんですが・・・」「では少し、正月の間だけ、手伝いなさい」行く所が無いのを見抜かれていたのでしょうが有り難い申し出でした。1月6日まで滞在させてもらい、そこを後にしました。その時に占っていただいたのですが、「もう一度四国遍路に行きなさい」と言われました。その後四国で不思議な縁があって、高野山に上り私は僧侶になりました。ただ、残念なことは、その祈祷師さんとの縁が切れてしまったことです。私が高野山に上る頃までは、音信があったのですが、いつしか、年賀状の返信もなくなり、電話もつながらなくなりました。一度、ご自宅に訪ねたこともあるのですが、不在で誰も住んでいないような感じでした。歳越しに苦労する労働者を見てそんなことを思い出しました。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月05日
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明けましておめでとうございます。長らく更新を休んでおりましたが、改めてよろしくお願いします。体調についても、ご心配いただきましたが、おかげさまでよくなりました。ありがとうございました。現在当院では墓地の整備を行っておりますが、昨年の10月・11月の二か月にわたって工事が止まり11月初旬完成予定の工事が、年末になっても完成しない恐れが出てきてピンチ!(汗)年内に完成しないならまだしも、永久に完成しない恐れも出てきて・・・オ~マイブッダ!奔走しておりました。なんとか、現在は1月中の完成に向けて工事が進んでいます。ということで、バタバタしてのですが・・・12月初旬に頭を鴨居にぶつけたのがしばらく痛いため病院にいってCTを撮ったところ・・・「脳梗塞があります」「え~」「いえ、これは小さい梗塞なので大丈夫です。」と言われたものの、心配になり、MRIで精密検査をお願いしました。脳梗塞と言われれば思い当たる節が・・・以前も、近くのコンビニへ自転車で行き、歩いて帰ってきたことを忘れて自転車が盗まれたと思い騒いだ話をいたしましたが・・・それ以外にも、郵便局とか、近くのお菓子屋さんとか歩いていける距離に自転車で行くと、自転車を忘れてしばらく気づかない(汗)最近、人の名前が思い出せなくなってきました(汗)なんか手足がしびれているように重くなっています(汗)脳梗塞に違いない。それだけではありません。12月18日に托鉢に行きましたが、体が重い。12月19日には月例の四国巡拝に行きましたが・・・途中で体が倒れるかと思うぐらいしんどいです。キツネでもとりついているのでは?あるいは、お墓をいじったために恐ろしい霊が取り付いた?私もあと3か月の命・・・そう思ってしまいました!とりあえず、護摩を焚いて、悪霊退散を!12月22日に護摩を焚きましたが、いまひとつです。12月25日にMRIで精密検査をしました。結果は・・・「脳梗塞はありません」「最近物忘れがひどいんですが・・・」「別に脳は問題ありません」「以前診察していただいた時に、握力が落ちていたような気がするんですが・・・」「それは筋力低下では?」「別の病院でCTを撮ってもらった時は脳梗塞があるといわれたんですが・・・」「いえ、ありませんね」なんとなく安心したようなできないような(汗)そんなこともあり、年賀状は12月25日まで手付かず・・・では、今日パソコンで宛名書きして発送予定ところが・・・パソコンが不調ではがきに印刷できません(汗)オ~マイブッダ!この忙しい時に手書き???予定枚数を大幅にカットしましたが、新年まで食い込んでしまいました(汗)年末年始は体調も元に戻り、護摩焚きと修法を無事勤めました。なんとか復活しました。またよろしくお願いします。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2009年01月04日
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