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仏事の表書きはなんと書いたらいいでしょう。良く聞かれる質問です。「お布施」と書いてください。と答えています。表書きにはいろいろあります。「寸志」「薄謝」「お礼」などは一般にお礼に使われますが、仏事には適当ではありません。「回向料」「お経料」は適当なようですが、お経や回向の対価として受け取るわけではありませんので、少し違うようです。布施というのは相手に施しをすることです。僧侶は法を施し、信者は財物を施すのです。托鉢は乞食と同じようですが、相手に施しの機会を与えるものとされています。また、盆参りの時は「お中元」と書くことがあります。中元(7月15日)というのは中国で冥界の官が死者の善悪を定めるという習慣に、仏教の盂蘭盆・施餓鬼が結びついたもので、先祖供養を行う日とされていました。先祖供養のために本家に贈り物をしていたのが後に贈答一般を中元と呼ぶようにようです。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月31日
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「17歳バトン」なるものが回ってきました。ぜひ「とっていわくさん」の17歳の頃を少しだけ、見せてください!という依頼がありましたので、書いてみたいと思います。★17歳の時何してた?? 高校生です。★17歳の時何考えていた? 目的も無く生きていたような。★17歳のイベントといえば・・・ ???★17歳で、やり残したことは? 特にありません★17歳にもどれたら、何をする?? もう一度同じ人生かな?★17歳に戻っていただきたい人は… ???楽しみにしてます。よろしくお願いします。m(__)mということでしたが、もう17歳は遥か昔の話です。忘れてしまいました(笑)仏教は縁の世界です。「もし」があったとしても同じような人生になると思います。面白くない答えでごめんなさい。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月31日
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本葬当日はまず納棺します。地方の習慣あるいは事情により前日にする場合も多いです。四国巡拝をしたときのおいずる、杖、数珠、輪げさなどを持たせます。わらじ、六文銭、弁当などは葬儀社に頼んだ時は用意してもらえますので、故人が希望していたものを入れてあげましょう。こまごましたことは手伝いの人に任せ、喪主は会葬者に挨拶します。段取りについて葬儀社、手伝いの人から聞かれることも多いので、なるべく体を開けておきましょう。葬儀の少し前になったら僧侶を迎えます。僧侶は檀那寺の本尊様の代理ですから本来は迎えを出すのが作法です。葬儀が始まったら喪主の仕事はおおむね終わったといえます。後は流れに任せて出棺します。出棺の挨拶を喪主がする場合もありますので、その場合は用意しておきます。良い文章よりも、気持ちが伝わればよいので、あまり心配することはありません。火葬場へいく場合には必ず火葬許可証を忘れないようにしてください。忘れると火葬できません。火葬場まではかつては行列を組んでいましたが、最近はそのようなこともほとんどなくったようです。火葬場では火葬の後、骨壷にお骨を収めます。注意したいのは故人の遺言などで宗派の本山、菩提寺などに分骨を希望している場合には申し出ておくことです。そうすると、分骨用により分けてもらえます。お骨を上げて戻ってから骨上げの法事があります。最後にお世話になった方の労をねぎらう意味でお斎を出します。ここで喪主はお礼の挨拶をして遺族と共に接待します。これで葬儀は終了です。ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月30日
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今日の法事での出来事です。法事を終えて話をしていると「お寺さんは高野派(高野山真言宗)ですか」と聞かれました。「いえ大覚寺派(真言宗大覚寺派)です。」と答えました。すると「うちのお寺さんは仁和寺(真言宗御室派)だからお経が違う」と言われてしまいました。お経は真言宗の場合「理趣経」と決まっていますので、違うはずがありませんが、組み立てが違うということでしょう。法事は次第というものがありませんので、各人が作って行っています。よいをやり方を考えるのも、坊さんの腕しだい?法事は読経重視の人と、法話重視の人がいます。聞いたところでは読経10分、法話30分という法事があったそうです。読経にしても僧侶が一人で行う人と、皆で勤行次第を唱和する人があります。最近は参加型の皆で唱和するほうが増加傾向にあるようです。読経もお経を唱えることに重点を置いて組み立てる人と、修法を簡略化して行う人があります。後者の場合には印を結んだり、真言を唱えたりしますので、読経を重視する場合と異なった感じがすると思われます。どちらがいいとはいえません。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月29日
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最近のお葬式は自宅でなく、葬祭場で行うことが多くなりました。葬祭場では椅子に座って行いますので、足がしびれることはありません。ところが、椅子に座って読経するとなんとなく腹筋に異常に力が要るようですごく違和感があります。何故か畳で正座したほうがしっくりきます。その後考えてしまいました。同じようなことですが禅定は半か座(座禅する形)でしないとこれまた違和感があって正座ではどうもいけません。その禅定の時ですが半眼といって目を閉じるでもなくかといって開けた状態でもない。薄目の状態でします。目をあけた状態でも閉じた状態でも気が散ってしまいます。仏教は実践してこそ分かることがあるようです。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月28日
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とらねこが天を見上げています。来世は天界に生まれることを望んでいるのでしょうか?ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月27日
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昨日玄関に放置された人形の話を書きましたら、たくさんのご意見いただきました。ありがとうございます。ところでその中に「古いお札をどうしたら良いか?」という質問がありましたのでお答えします。1、お札・お守り お札・お守りについては貰った寺社にお返しするのが基本です。私もお出ししますが、いらなくなったら必ず当院に戻してくださいといいます。自分が出すお札・お守りは修法した上で魂いれをしていますので、いわば自分の魂分けをしているようなものです。粗末に扱うことなどできません。きちんと処分されるかどうかはとても重要なことです。ですから自らの手で処分を行うのは当然なのです。お渡しするだけでその後知らないというようなお札・お守りにははっきりいって価値がありません。どうしても出したところに返すことができない場合は信用できる寺社に相談されることをおすすめしますが、その場合は供養料が必要です。お札・お守りを出す側に問題がありますが、できるだけ安易に貰わないことが大切です。2、仏事に使ったもの仏事に使ったもの掛け軸・仏壇・位牌などは魂抜きを僧侶に依頼したうえで仏壇は業者に処分を依頼します。掛け軸・位牌については僧侶と相談してください。お葬式に使った飾りつけ、灯籠、檀、骨壷などは現在では焼いたりできなくなっていますので、市町村のごみに出すより他はありません。また、魂を入れていませんので魂抜きは必要ありません。3、人形などこれが問題です。魂が入っているものは捨てにくいという事でしょう。実は仏像などもそうですが、燃やせないもの持って来られても困る場合が多いのです。魂抜きはできるのですが、その後ごみに出さざるを得ません。といってもごみの収集日に半透明のゴミ袋に入れて出すのも気が引けます。預かりたくないので「他所へ持っていってください」とも言えません。昨日の人形が気になってしまいます。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月26日
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昨日の夕方お通夜があり、外から帰ってくると玄関に何か大きな箱のようなものが置いてあります。なんだろうとみて見ると「何度呼んでも出て来ないので供養してください。」と書いた紙切れと共にガラスケースに入った人形がおいてありました。供養?何のために?事情が分かりませんのでどうしようもありません。連絡先も名前も書いてありません。捨てたとしか理解しようがありません。この人形を持っていた人はそれなりに理由があって所持したはずです。最後まで責任を持って処分する義務があると思いますがどうでしょうか? コウユウ人気blogランキングへ
2006年01月25日
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本格的に仏教が葬式と結びついたのは、江戸時代です。キリシタンの取り締まりの目的で檀家制度を設けました。それによって仏教による葬式が一般化しました。ではそれまでは誰が葬式をしていたのでしょう?本家の主・氏族の長が中心になってムラによって行っていたといわれています。現代では家族兄弟が離れ離れになって住んでいるのが珍しくない、というよりも一族が同じ家で住んでいることのほうがまれでしょう。しかし江戸時代まではそのようなことはほとんどありません。ですから、可能だったわけです。それによって葬送儀礼も継承されていました。江戸時代に入って僧侶が葬式を担当するようになってからも仏教的な色彩を帯びながら古くからの慣習は残されていきます。以前として主催者はムラ人であり僧侶は仏教による引導を行うだけでした。ところが最近になってその慣習が崩れ始めました。葬式がムラによって行われなくなってきたのです。ムラ自体が崩れてしまったからです。それによって長い間伝えられてきた儀礼に断絶が起こっています。葬送儀礼は僧侶まして葬儀社に聞くべきものではありません。先祖より伝えられるものです。それが伝えられなくなっているのです。日本の民族信仰によって行われる葬式は元々その地域によってかなりの特色を持っていましたが、平均化されつつあります。今、葬式という民族信仰の原点を守る立場にあるのは、葬式仏教といわれる現代仏教でありお寺です。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月24日
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元々文化として取り入れられた仏教ですが、国家安泰を祈願するものとして為政者によって保護されていきます。さらに、為政者にとって最大の脅威である怨霊の鎮魂に用いられるようになりました。怨霊というと現代では馬鹿にされそうですが、今でも死んだ人の悪口を言ってはいけないといいますし、交通事故や自殺があった場所では幽霊を見たという話が絶えません。科学万能と思われている今ですらそうなのですから、古代ではどれほど恐れられたか?ここで仏教が日本の民族信仰と接点を持ちます。回忌法要の発生です。定期的に修法を行うことによって死者の魂を鎮めていくのです。同時にお葬式も行うようになりました。鎌倉時代の書物で「吉事次第」というものがあります。「吉事」というのはそのままの意味でなく実は「凶事」すなわち葬送のやり方を書いたものです。その中に僧侶も出てきます。しかし一般的ではありません。まだ一部の天皇貴族に留まっています。まだ続きます 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月23日
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いよいよ通夜です。通夜の準備は地方によって風習が異なりますので、手伝いの人または業者に頼みます。分からないことは檀那寺に確認します。通夜は本来亡くなった方の死の確認をするためのものでした。現代においてもどの時点において死んだかについては議論があります。かつては通夜・葬儀の途中に生き返るということもあったようです。死の確認が目的ですから、お坊さんはいらないのですが、枕経を一緒に行うことが多いので、身内だけで通夜を行う場合を除いて読経を頼むことが多いようです。また地方によっては本葬にこれない人が通夜に来ることがあり、むしろ本葬より通夜の会葬者のほうが多いということもありますので、会葬の受付を用意する必要があります。喪主は忙しく立ち回ることが多いのですが、喪主がいないと通夜がはじまりませんので、数珠を持って輪袈裟をかけて座ります。数珠と輪袈裟は用意しておきましょう。通夜が終わったら通夜ぶるまいを行い、身内はその後残って故人の守をして線香灯明を絶やさないようにします。本葬前日の夜に用意しておくものがあります。翌日の本葬の前に納棺があります。お棺の中に入れられるものは規制があります。燃えないものや燃えにくいもの爆発するものなどは入れられません。確認して用意しておきましょう。霊柩車の運転手、火葬場の職員への心付けなども必ず必要なものではありませんが、慣習となっていることが前日の夜に用意しておきます。故人の守をしながら少しでも休んでおくことも大切です。そして本葬当日がやってきます。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月22日
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今日明日の2日間徳島市寺島本町のヨンデンプラザ徳島でがん告知を受けた書道家の「佐藤真治郎さん」の書道展が行われています。詳しくはこちら 午後から時間が空いたので行って来ました。小さいギャラリーですが来訪者も思ったより多かったようです。1月19日付けの徳島新聞でも紹介されています。時間に余裕がある方はどうぞ。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月21日
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昨日たまたまあるブログを拝見したところ、仏教に対する批判が多く書かれていました。私は時折「仏教」でブログを検索しては他のブログを訪問しています。今こちらのサイトに訪問していただいている何人かの方々もそうして見つけました。興味がある場合には書き込みします。仏教に対する批判などを見つけますと立場上(笑)書き込みすることが多いです。何故か返事が帰ってこないこともしばしばです。(笑)よくある批判の一つに現代の仏教は「本来ある仏教の姿から離れており、仏教とは関係のない葬式・法事を行って金儲けをしている。」(葬式仏教)というのがあります。私もかつてはそう考えていました。ところが私の師匠は「そうではない、現在の寺があるから日本の宗教は維持されている。」というのです。その当時はその意味が分かりませんでした。その後高野山に登り専修学院の能化さん(先生)から「僧侶が葬式を理解してきちんとしなければいけない」と言われても「何を言っているんだろう」位にしか考えていませんでした。実際に葬式に携わるようになってやっと意味が分かりました。現代の仏教は日本の民族信仰を代行しているだけなのです。もともと仏教は538年百済からの貢献物として仏像・経典・荘厳具(本堂の飾りつけ)などが伝えられました。最初は建築を中心として文化を輸入するようなものだったと考えられています。当時は茅ぶきの屋根が一般的な日本に、現代のお寺とほぼ変わりない仏教寺院の伽藍が出現したのです。瓦と白壁でできた巨大な建物を設計する技術、そして仏像を作る鋳物技術と同時にすずり、紙、筆、織物、絵画、さらに楽器まで新しいものが取り入れられました。この時点では仏教が葬式に関わることなど想像もできません。では何故葬式に僧侶が関わるようになったか?続きはまた後日です。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月20日
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とらねこも合掌しました。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月20日
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昨日マスクMさんより、四国遍路が土佐(高知)を外して三角参りをしていたという話がありましたので、それについてお話します。江戸時代になって諸国の道路が整備され、また真念法師によって四国遍路が紹介されることにより、当時としては爆発的な高まりを見せました。ところが土佐は藩の財政が苦しく農民には質素勤勉をしいて、年貢も重かったといわれています。そのため、他国の風習や情報を知らせたくない状況にあった様です。そのため藩は遍路に厳しい規制をしました。1、遍路は各霊場をつなぐ指定の道以外のわき道に入ってはいけない。2、通常の往来手形以外に土佐の「添え手形」が必要。3、滞留の制限4、霊場以外に参拝を認めない。5、宿は指定場所のみ許可。土佐では川留め(大雨により川が渡れない)になってもいちいち許可を取らねばならず、病気になっても宿も自由に借りられないのでした。「土佐は鬼国、宿がない」と言われ、いつしか土佐16カ寺を除いて廻る3カ国参り、あるいは伊予南部の4カ寺と土佐16カ寺を除いた3カ国参りが行われるようになったといわれています。ちなみに現在は土佐もお遍路さん大歓迎です。 素光参考文献 四国遍路の民衆史 新人物往来社 山本佳代子ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月19日
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四十九日の法要でのことです。法要に入る前に「四十九日は何のためにあるんですか?」といきなり聞かれてしまいました。その場に何人かいらっしゃいましたが、皆ご存知ありませんでした。四十九日は満中陰とも言います。生まれた時が生有。生まれてから死ぬまでが本有。死ぬ時が死有。死んでから次の生を受けるまでの間が中有(中陰)といいます。中陰が満期になるので満中陰といいます。つまり、四十九日で天、人、修羅、餓鬼、畜生、地獄のいずれかに生まれ変わるのです。あの世についてはこちらをご覧ください。天と地獄についてはキリスト教にも同じような考え方があるようですが、決定的に違うのは天界、地獄界にも寿命があることです。ですから天界、地獄界での行いによっては天界から地獄、地獄から天界ということもあります。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月18日
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前回の記事にさくらんぼのハハさんより貴重な体験談をいただきましたので転載させていただきます。{以下引用文}喪服、バック、くつ、髪留、ネクタイ、靴下、ストッキング等はひとまとめに置いておくとあわてなくていいです。子供の服は、よそゆきの黒っぽいのがないと苦労します。黒っぽい制服があればいいんですけどね。 うちは2年前に義母が亡くなった折りに、娘の服を買いに走りましたよ~。死に化粧用の化粧品も買ったっけ。家に飾る菊の花や、樒も。 告別式の受付、あいさつは誰に頼むか、なども頭痛いですね^^;;お通夜から、遠方の方の宿泊の手配、食事の手配。あとあと、銀行口座や生命保険なんかも把握しきれてないとね~。勤め先に提出する書類とか、年金とか、あれやこれや。お世話になった病院への挨拶とか、支払いとか。あ、仏壇・墓石も買ったんですよ。49日までに。 とにかく喪家はいろいろ大変ですよね~。なにがなんだかよくわからないうちに終わったっていうのが感想です。{以上引用文}以上のように喪主として行うことはとても多いです。火葬は死後24時間後から可能です。火葬場所と時間を決めないと火葬許可が下りません。このあたりの法的な手続きも面倒なところです。神棚には白紙をはり、封をします。これは神様に死の穢れが移らない様にするためのものです。枕返し(北枕にする)枕飾り(死者の守護のための飾りつけ)については葬祭業者がやってくれることもありますが、お寺さんに聞きましょう。喪主は通夜までの間、親戚、近所の方などの対応に追われ、またいろいろ通夜・葬儀の準備について聞かれることも多く何もできないまま時間が過ぎていくことが多いです。そして通夜を迎えます。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月17日
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今日の七日毎の法要の席での話しです。(葬儀が終わってから)七日毎の法要は「いつからするようになった?」という質問があったようです。その人によれば、「昔はしていなかったが、最近するようになった」ということです。法要が始まってしまったので、それっきりになってしまいました。後から他の人から聞かれたので「平安時代位からでは・・・」と言い掛けたら「いえ、昔といっても質問した人(70~80歳)が知ってる時代です。」と言われ「戦後の物の無い時代の話では?」と答えると「15年くらい前でもしなかったそうです。」と言われてしまいました。質問した人の親類には何人か僧籍の方もいますのでそんなはずはないだろうと思い、いくつかの本を調べました。最近は簡略化されて七日毎の法要は初七日、五七日(三十五日)四十九日にしているところも多いとありますが、昔はしていなかったが、最近はするようになったとは書いてありません。「???」よく分かりませんでした。{以下追加}私は徳島に来て五年余りです。徳島の四十九日までの法要についての事情を良く知りません。{以上追加}ご存知の方がいらしゃいましたらお知らせください。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月16日
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最近では弘法大師の道を歩くというような企画もあり、遍路道に対する関心が高まっています。先日も道に迷ってあらぬ方向へ歩いていたお遍路さんを車でわかりやすい場所まで送っていったことがあります。そのときもその人が「お大師さんの歩いた道を歩くんです」といっていました。しかし残念ながら弘法大師の歩いた道はほとんど分かりません。何故ならば、記録がないからです。江戸時代初めの「四国遍路道指南」の遍路道が記録に出てくる最初のものです。現在の遍路道といわれているところとかなりかけ離れていることがよく分かります。では現在の遍路道といわれるところはいつできたか?せいぜい昭和初期遡っても明治くらいでしょう。何故そんなことが言えるのか?そもそも遍路道とは何か?現在は遍路道と呼んでいますが、もともとは生活道路です。江戸時代初めから社会が安定するのにつれて道路が整備されていきました。「道指南」より34年前の「澄禅の遍路日記」と比べても道が違っていることがわかります。さらに、明治に入り、徒歩ではなく荷駄などが通れるよう道が整備され、大正から昭和にかけて車が通れる道へと変わっていきます。最近は特に自動車が大量に通行できる道路へと転換しつつありますので、歩いて巡拝する方にはきびしい状況になりつつあります。全長2キロという歩くにはあまりにも恐ろしい長さのトンネルもあります。また、山肌を削っているため、真夏などは日差しと照り返しの2重苦に悩まされます。一方山道を通る場合にも問題があります。本来使わなくなった道路は自然に帰すのが本筋です。地球は人間のためだけのものではありません。現在遍路道の復興と称して新たな遍路道を切り開いたり整備していますがこれが新たな自然破壊につながり問題になっています。全部を歩くのではなく公共交通機関を併用しながらお参りするのがベストと私は考えますがいかがでしょうか? 素光 ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月15日
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先日また出奔したとらねこですが、ブログに書いたら戻ってきました。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月14日
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親類縁者が集まったら、そこでお葬式の打ち合わせです。昔は兄弟も多く親戚も多かったのですが、今は親類縁者が離れていたり、そのために疎遠になっていたりで、打ち合わせは喪主と配偶者のみで行う場合があります。まず檀那寺の都合を聞いて、通夜、葬儀の日程を決めます。できれば親類と共に檀那寺に出向いて打ち合わせするのが作法です。檀那寺との打ち合わせができたら、葬儀社または手伝いの人との打ち合わせです。葬儀社との打ち合わせは、身内の死とその後の忙しさで、舞い上がってしまい、いちいち値段を見ながら落ち着いて打ち合わせするという訳にはいきません。後からあれもこれも不要だったと後悔することにもなりかねません。あらかじめ打ち合わせしておいたほうが、後々のトラブルを防げます。特に食事などは何人の親戚がやってくるか、手伝いの人がどれ位かによって変わってきます。ある程度予想しておくことが必要です。またこちらは、葬儀の見積もりから追加料金となりますので、(予測できないので当たり前ですが)気をつけましょう。葬儀までには時間があるようでも喪主は忙しくて動き回る余裕はありません。誰かに頼んで済むことは、お願いしましょう。法律的な手続きもお願いしたほうがいいでしょう。葬儀の際にどうしても必要なものは故人の写真です。本来は必要ありませんが、皆の前でうちは使いません。というのは勇気が要ります。バタバタ探し回るよりは、準備しておく必要があります。最近では車社会になっていますので、駐車場の確保も大変です。またこまごまとしたお金も要りますので、早い段階である程度のお金を用意しておくことも必要です。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月13日
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マスクMさんは2007年10月28日の国民文化祭IN阿波で5000人規模の集会を計画されています。私のところにもわざわざおいでいただきました。古事記の伝説は阿波から始まったというお話を2時間に渡ってお伺いしました。非常に面白い話でした。「波は阿波から」なみがしら 国民文化祭 気になる方はマスクMさんのページをご覧ください。 コウユウ追伸とらねこが再び行方不明です。とらねこの姿・形は「ゆうきくんの癒しの部屋」でご確認ください。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月12日
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以前から不思議に思っていたことがあります。年回忌は命日より前にすればよいが命日を過ぎてからではいけないというものです。本来年回忌は命日に行います。お釈迦様の命日は2月15日、お大師さんの命日は3月21日となっており、その日に行うのが基本です。都合によって多少前後することもあるようですが、そんなに前倒しにすることはありません。ご先祖様の命日もその日に行うのが最も良いのです。では何故、前にしたほうが良いという誤解が生まれたか?法事は十王経というお経に基づいてされています。その十王経には亡くなった方は冥土の王様に裁かれるということが書いてあります。その裁きの日が実は回忌法要の当たり日です。ですから、その裁きの日までに故人を供養してその功徳を故人に振り向ける(裁きに有利な状況証拠を提出する)ことが必要になってくるのです。それ故に遅くなってはいけないが早ければよいという誤解が生まれたのでしょう。しかし、早めにするのならもう葬式の時に全部まとめてやってしまったほうが良いということになりかねません。(現実にそう主張する高名な仏教家の方もいます)でも私はきちんと回忌ごとにやったほうが良いと考えています。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月12日
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13番札所大日寺は大日寺というのに、本尊が十一面観音というのは不思議です(本来は大日如来のはず)。江戸時代は一宮が本札所でありこの十一面観音は隣の神社の本尊といわれています。ですから、隣の神社もお参りします。ここから、17番札所の井戸寺までは札所がつながっている(札所間の距離はせいぜい1~2キロ程度)ので徳島ではかつて5ヶ所参りというものがあり、13番から17番までを一日でお参りする習慣があったといいます。16番札所辺りから徳島の町らしくなってきます。遍路に出るときあれもこれもと荷物をたくさん持っていく人がいますが、むしろ手ぶらでやってきて、必要なものは現地で購入するというやり方のほうがいいようです。不必要なものを送り返すお遍路さんの多いこと。頭で考えるほど必要なものはありません。この辺りまで歩いて来て、必要と思ったものは徳島市内で買えます。ある人から遍路の白装束でえらい街中を歩いたので恥ずかしかったという話を聞いたことがあります。その町は多分徳島です。四国の県庁所在地の中で最も中心部を歩くのが徳島でしょう。他の3都市は中心を避けるようにして端を沿うように歩いていきます。都市は野宿をする人にとっても危険な場所です。野宿は避けて宿に泊まりましょう。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月11日
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まず身内が亡くなったらどうするか?ほとんどの場合冷静に対処することができません。まず落ち着いて檀那寺に電話しましょう。田舎で近所の人が集まって葬儀をしてくれるようなところに住んでいる場合は別ですが、そうでない場合にはまず連絡していろいろ尋ねてみる事です。葬儀社との付き合いは生涯でも多くて数度です。しかし檀那寺とは毎年付き合いがあるはずです。葬儀の際のトラブルを防ぐ意味でも、檀那寺とは日頃からきちんとした付き合いをしておくべきです。そうすればいざというとき、必ずや味方になってくれるでしょう。檀那寺が無い場合はこちらを見て檀那寺を捜しましょう。病院で亡くなった場合、まず亡くなった方を自宅に連れて行かなければなりません。自分の車でつれて帰ることもできますが、多くの場合ここで葬儀社に頼むことになります。葬儀社はあらかじめ選んでおいたほうが良いです。選び方はバシ9119さんのところで勉強しましょう。連れて帰った時のために、新しい布団を一組用意しておく事も必要です。故人を連れて帰って落ち着いてから、親類縁者に連絡しましょう。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月10日
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最近葬儀・法事の後のお膳の時に思うことがあります。上座と下座は無くなったのでしょうか?結婚式などでは、上座下座がまだはっきりしています。会社などでもあるでしょう。ところが、法事・葬儀の後のお膳に着くときは、ほとんど無い様に思われます。親類同士で気兼ねして言わないのでしょうか?成人でもない中学生、高校生が上座に座っていることもしばしばです。これには席を設けるお店の側にも問題があります。上座、下座が分からないような席の設け方をしている場合があります。今はすべての人間が平等である。上座・下座と言うような考え方は封建的で現代にはそぐわない。このような考え方もありますが(そう言われたことがあります。)私はそう思いません。私は、お客さんを迎える時、基本的に下座でお迎えします。時に上座を勧められ上座に座ることもありますが、原則は下座です。何故ならばそれが相手をもてなす作法だと思うからです。わざわざ、来ていただいたお客さんをもてなすのに上座で迎えるのは失礼ではないかと思っています。上座・下座はお互いを尊重しあい、お互いに敬意を払うことによって、自然にできるもののように思われます。ちょっとだけ気になった独り言でした。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月09日
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お葬式は人生の中で重要なイベントにも関わらず、一般的にあまり考えられていません。お葬式に関するトラブルも近年増えており、それに伴って葬儀に対する関心も高まっていますが十分とはいえません。何故でしょう?一つには日本は言霊の国ということが考えられます。70歳以上の親に対して亡くなった後のことを不安に思い子供が「葬式について考えましょう。」と言ったとしたら確実に「死ぬのを待っている」と思われ人でなしと誤解されることは間違いありません。もし、すぐに親が死のうものなら「お前のせい」と言われかねません。しかし何も考えないままに葬式を取り仕切る立場になったとしたら、パニックにおちいる事は確実です。もし、「弘法大師(空海)の秘宝を追え」を思い出して何か教えてもらおうと掲示板にコメントを入れたとしてもすぐに回答が来ることはまずありません。(笑)そうならないために次回からお葬式をシミュレートしてみましょう。もし次回までにお葬式が入ったらごめんなさい。なお、急ぎの方は質問受け付けます。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月08日
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焼山寺から下って13番札所大日寺までは約30キロほどあります。これまでの最長区間で、足にマメを作るのもこの頃です。まず少し下ったところに杖杉庵があります。ここは遍路の元祖といわれる衛門三郎の最後の地であります。衛門三郎の伝説についてはこちらをご覧ください。さらに下ると上一ノ宮大粟神社があります。ここは13番札所の隣の一宮神社の旧社といわれていますので、お参りしたほうがいいでしょう。途中で私は不思議な体験をしています。以前ブログに書きましたので興味のある方はどうぞ。また、さらに下って徳島市に入ります。右の山手に少し登ると13番奥の院といわれる建治寺があります。ここは弘法大師の修行場と言われ滝行場があります。いかにもそれらしい雰囲気を漂わせています。また江戸期のミニ八十八カ所がありますので、興味のある方には外せない場所です。建治寺から下りてくると13番札所大日寺です。お泊りの宿は親切なかどやでどうぞ。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月07日
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あの世について質問がありましたのでお答えします。あの世については、日本は独自の死生観を持っています。その死生観も含めてお話すると問題が複雑になりますので、仏教における「あの世」に限定して説明します。日本の死生観についてはこちら慶次さんのブログを参照ください。伝統的な仏教におけるあの世とは、六道の世界です。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界(天国ではない)があります。詳しくはこちら(最近手抜きを覚えたのですいません)人間は亡くなってから49日にこのどこかへ生まれ変わるといわれています。どこへ生まれ変わっても寿命があり、また死んで49日目にどこかへ生まれ変わる。これが延々と繰り返される。これが輪廻です。地獄、餓鬼は言うに及ばず快楽があるとされる天界さえも最後には苦しまなければなりません。この苦しみの連鎖から抜け出す(これを解脱といいます)にはどうしたらよいか?この答えを出したのがお釈迦さんです。お釈迦さんの教えについてはこちらをご覧ください。ところがこの方法はとても困難ということで、説かれたのが浄土へ生まれ変わる方法(往生)です。浄土には弥勒菩薩(未来の仏様)のいると都史多天(都史多浄土)、薬師如来の瑠璃光浄土などがありますが、最もポピュラーなのが阿弥陀如来の極楽浄土です。浄土信仰についてはフリーページの「法然の哀しみを読んで」(やっと自前のページを使える)を参照ください。これらの浄土はここで修行して仏になる(すなわち解脱)ということですから遊んでいないで修行しなければなりません。生きているうちに修行するか、生まれ変わってから修行するか?皆さんどちらを選びますか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月06日
コメント(10)
ご心配おかけいたしました。とらねこは無事戻りました。ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月06日
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今年(去年から)は四国へやってきて一番の寒さです。住んでいるところは築250年のクラッシックな館ですので、隙間風が寒くて仕方ありません。子供の頃住んでいた飛騨では、200メートル位離れた銭湯から、タオルをぶら下げてくると、帰ったときには逆さにすると立っていました。しかし今ほど暖房を入れていた記憶がありません。どうやって寒さをしのいでいたのでしょうか?ところで、いつもこの時期になると、本堂の掃除が億劫になってしまいます。今日も本堂の華の水代えを予定していましたが、雪が舞うようでは止むを得ず?中止です。現代でもこんなに寒いのに、その昔高野山などではどうしていたのだろうと考えます。高野山には土室と呼ばれる土壁で囲われた部屋があります。そこに囲炉裏を切って寒さをしのいでいたといわれています。今でも寒いので廊下の水ぶきはなし(凍るためです)です。東北、上信越、北陸は大雪です。雪かきは大変ですね。いつまでも寒いわけではありません。半年もたったらまた暑い夏がやってきます。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月05日
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今日七日に行って来ました。終わった後で施主さんが、「今日は35日ですね。すると地蔵菩薩さんですか、ところで地蔵菩薩さんはどなたですか?」と掛けてある十三仏の軸を指して質問されました。この方です。と説明しましたら、来週はどなたですか?と聞かれちょっと焦ってしまいました。いきなり言われると仏さんの名前がわからない(汗)。とりあえず分かる方から、教えていく。お不動さんと、大日さんは一見して分かる。文殊さんも乗り物で分かる。弥勒さんと虚空蔵さんと薬師さんはは持ち物で分かる。お釈迦さんと阿弥陀さんは手印で大体?分かる。残ったうちで観音さんは持ち物で分かる。乗り物に乗っているのが、普賢さんだろう?残ったのが勢至さん。よし、全部わかったぞ!でもひとり足りない。あ、アシュクさんだ。ということで全部分かりました。十三仏さんを坊さんに聞くのは止めましょう(笑) コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月04日
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祈祷について質問がありましたのでお答えします。以下質問文です「祈祷」もちろん、良く聞く言葉で、調べたら「神仏の加護を願い、言葉によって除災増福を祈ること。また、その儀礼」とありました。漠然としていて、いまいち、よく分かりません。もう少し、具体的に教えていただけませんか?-----以上質問文祈祷とは漢和辞典で引くと祈も祷もいのることです。祈祷師と呼ばれる人たちの中には、何か見えないものに対して直接働きかけをする人たちもいます。真言宗の祈祷は神仏(これも見えないものですが)に対してお花をあげたり、香を上げたり、ご飯をあげたりして供養します。その結果として、神仏の力、行者(拝む人)の力、そして宇宙の力をあわせて、すべての存在するものに対して利益を与える与えていきます。では具体的に何をするかというと、座って手印を結び(仏様の形をする)、真言を唱え(仏様の言葉を話す)、観想する(仏様と同じことを考える)だけです。つまり仏様の真似をする=仏様のなる?ということです。ちなみに傍から見ていてもただ座っているだけで面白くもなんともありません。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月03日
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今日まで3日間新年祈祷の護摩を焚きました。護摩に入る前には水行をします。南国徳島とはいえさすがに冷たいです。しかし考えるほど冷たくないのも事実です。水行には思い出があります。かつて高野山で加行(僧侶のなるための修行)をしていた時のことです。水行は希望者のみが行っていました。最初は70人の同期生のうち30人ぐらいが水行をしていますが、1週間経つと15人1ヶ月経つと10人というように減っていきます。季節も9月から始まりますがだんだん寒くなって、12月にもなると氷が張るような季節になって行きます。また、虚空蔵菩薩求聞持法を行った時は、桶に水を張って水行をしていましたが、1月からはじめましたので、時折氷が張っているのを割って水を被りました。外で行いますので風が吹いた時は寒いどころではありませんでした。体調が悪い時もありますが、不思議と水行をしても病気になることはありませんでした。天台宗の荒行者として有名な箱崎文応阿闍梨は90歳を過ぎても滝行を欠かさなかったといわれていますが、毎日やっていたらいけるのかも知れません。ちなみに、私にお経を教えてくれた老僧は70過ぎまで水行を欠かさなかったそうです。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月03日
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とらねこが行方不明です。どなたかご存知の方お知らせください。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月02日
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正月は新年の祈祷をしています。昨日の夕方に理趣経法を行い今朝護摩を焚きました。私が高野山の専修学院を卒業する時に、来賓で真別所(専修学院と並ぶ真言僧の養成所)の和尚さんがやってきていました。その和尚さんの話で今も頭に残っているのが修法を1000座せよ、という話です。和尚さんはやってみればわかるということを言われたかったのでしょう、したらどうなるかという内容の話はありませんでした。今日の夕方までで理趣経法が707座になりました(言われたことで理趣教法は数えていました)。今年一年で1000座に届く可能性があるというところまで来ました。護摩その他の修法を合わせれば150座ぐらいしていますので、今年一年順調ならば通算1000座に届きそうです。真言宗の教えは足し算のような積み重ねではなく質的なものですから、昨日僧侶のなったばかりの人が60年修行している人よりすぐれているということもありえる世界です。私自身最初の頃から、何か変わったというわけでもありません。何かを得るためには最低5~6時間は修法をしなければならなりません。だから、平均すると2日に一度1~2時間ぐらいの修法では、さほど期待できる効果があるわけではありません。また1000座といっても別に珍しいほどのものではありません。しかし、僧侶として修法した時間は失われるわけではありません。これから先どれだけの修法ができるかわかりませんが、自分自身の区切りにはなるような気がします。もう一つ、四国遍路も今年中に7回目が終わりそうです。四国遍路を7回廻ると何かが起きる。そう言われたのは10年も前のことです。今年は私自身の節目の年になりそうです。本年もよろしくお願いします。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年01月01日
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