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第78回選抜高校野球大会の出場校が決定した。都大会を制した早稲田実業高校が18年ぶりに甲子園に帰ってくる。春・夏合わせて43回の甲子園出場回数を持つ伝統校。コンバットマーチの応援に純白のユニフォームにエンジ色のワセダのマークが生える。早稲田贔屓の僕だが、やはり、今春は子供をつれて応援に行きたいと思っている。(できれば娘も連れて行って、吹奏楽部の応援を見せてやりたい。)早実も、今では、古豪ではあるが、いわゆる野球の強豪チームではなくなったようだ。それでも、早稲田の弟分として、東京都の代表として、思う存分甲子園で戦って欲しいと思う。がんばれ早実!追記:今日は、日帰りで北九州に出張だった。帰りに明太子、ラーメン、福岡限定のスナック菓子を手土産にして帰宅した。娘が、早速、スナック菓子を「美味しい」といって食べている。あまり、手土産など買って帰ることはないのだが、駅のお土産屋さんを覗いていると、お店の方が上手に薦めるので思わず買ってしまった。ラーメンは週末に食べようと思う。
2006年01月31日
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今日は、僕が所属するチームの練習日。朝から、娘は部活に、家内は料理教室に出かけ、僕は息子を連れて英会話の後、ラグビーのチーム練習に参加した。練習に集まったメンバーは大よそ25人程度。僕の会社のメンバーの出席は数名だったので、本当に集まりがよくてビックリした。今日から参加された方々も数名おられ、自己紹介の後、練習が始まった。ランパス、ストレッチ、グリッド練習して身体を解し、キックダッシュ、軽くコンタクト(当たりとタックル)、そして最後はコンビネーションで終了した。時間は1時間30分程度だったが、しんどいながらも、皆、結構楽しんでいたように感じた。初心者の方々もどんどん練習に加わり、良い雰囲気になってきたように思う。口コミも含めて、チームに集まったメンバーは40~50人くらいになっただろうか。ラグビーがそれほど盛んでない我々の地域に、36歳以上でラグビーをやりたい連中がこんなにいるのかと思う。思えば、我々の世代はラグビー人気が絶頂の頃にプレーしていたので、それが要因かもしれない。主務の方と相談し、次回以降の地元の試合は短い時間で数を増やすようにして、できるだけ多くの参加者に楽しんでもらえるように設定することにした。2月上旬に今年最初のゲームが予定されている。今日練習した感触では、右肩の状態はあまりよくない。それでも、庇えば、コンタクトも何とかなりそうだった。もう少し暖かくなるまで無理はしないほうがよさそうだが、1本くらいは試合にでれるように走っておこうと思う。追記:★トップチャレンジ1は、コカコーラWJが近鉄を15対12で下し、トップリーグ昇格、日本選手権出場を決めた。今日、タマリバも北海道バーバリアンズを10対3で下した。日本選手権はコカコーラWJ対関東学院大、タマリバクラブ対早稲田大学で1回戦が行われる。近鉄は入れ替え戦でサニックスと対戦する。ラストチャンスをものにして欲しい。★マイクロソフトカップ準決勝は、東芝府中がNECを23対10で、サントリーがクボタを44対25で破り決勝進出を決めた。
2006年01月29日
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先日、何年ぶりかでラグビーマガジン(雑誌)を購入した。数年前までは、いつもNumberは購入していたのだが、ラグビーを取り上げる特集が少なくなり、ここ数年は図書館で読むようになっていた。今年は、僕が応援した伏見工業と早稲田大学が同時に優勝したこともあって、本社出張の帰りに立ち寄った本屋さんで買うことにした。現役時代は、単純に結果や選手のインタビュー、戦術の解説などに目がいっていたが、今回はむしろ、監督やコーチ、リーダーの発言や意識、チーム作りのプロセスなどに関する記事が興味をひいた。その中で、伏見工業高校の高崎利明監督の記事を紹介したい。高崎氏は、伏見工業の独自性の中に、日本ラグビーの方向性を提示している。つまり、「小さなチームはボールを出すところに集中しないと継続できない。分業制でFWを残していく、最初からラインで待っている、あのスタイルは自分達より弱い相手には圧倒的に優位です。凄く強い。でもイーブンになったら絶対不利。いきなり崩壊する。接点で負けますから。1対1で勝てないのに、あれを始めたら、数を余らすラグビーはできない。これはジャパンも同じですね。」と。ディフェンスにおいては、FW、BKは役割通りに動き、1対1の接点で低く、確実に倒す。マークマークの意識を徹底させ、厳しく前に出て低く仕掛けることが大切だと解説し、「日本人は待つディフェンスは無理だ」と断言している。また、アタックにおいても、スペースを見つけて大きく動かし、タックルされる接点をずらしてボールを継続する練習をしてきたようだ。高崎監督は、どんどん大型化する日本ラグビーの方向性に一石を投じた。『全国制覇・日本一』の目標は絶対に崩さない。高崎監督の「指導者が志を持たないといけない。そうでないと彼らも志をもてなくなってしまう。日本一という結果だけでなく過程が大切なんです」の言葉に、リーダーのあるべき姿の一端を感じた。夢を語り、目標を持ち、具体的方策を示して結果を出す。このプロセスは、ビジネスや研究開発の世界でも、チーム力、組織力を高め、組織が一丸となって成長発展していくチーム作りにおいて、リーダーに求められるマネジメントの姿だと思う。追記:全日本クラブ選手権決勝が今日秩父宮ラグビー場で開催される。タマリバクラブ対北海道バーバリアンズ。勝者が日本選手権で早稲田大学と対戦する。できれば、タマリバ対早稲田の再戦を見てみたいが、北海道地区からの日本選手権出場にも注目している。関東、関西大学クラブ選手権や、東西対抗学生クラブ交流試合など大学のクラブラグビーも活性化している。僕が所属していたころに発足し、交流していたチームなんかもかなりの強豪チームになっているようだ。全国地区対抗では、朝日大が初出場初優勝を果たし、複数の国立大学が全国大会に駒を進めた。こんな記事をみるにつれ、ラグビー人口が減少しているとはいえ、ラグビーを活性化させるシステムはかなり充実してきているように思う。今シーズンもいよいよ終盤、MSカップ、日本選手権と楽しみたい。
2006年01月29日
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先週から本格的にラグビースクールの練習が始まった。僕の担当する学年は、先週は8割の生徒が参加したが、今日の出席率は5割だった。おまけに、ダッシュの練習で1名が、コンタクトの基本練習で1名がリタイヤ。それでも、モールやミニコンビを中心に出席したメンバーには割合密度の濃い基本練習ができたと思う。この冬は、コンタクトの基本練習、アタックディフェンスでのフォローコースの理解、タックル、そして走りこみに重点を置こうと考えている。最上級生になると、地域行事や塾通いなどで、夏休みくらいまでは中々メンバーが揃わなくなる。一方で、子供達はこの時期からラグビーの個人的なスキルだけでなく、チームプレーを理解し、ゲームを楽しめるようになってくる。したがって、この冬場に、意思統一させるための基本練習やチーム練習を徹底しておくことが重要であると考えている。もうすぐ、地域の冬季リーグ戦が開幕する。秋の大会で出番の少なかったメンバーを中心にチームを構成しようと思うが、このリーグ戦を通じて、12月以降練習しているチームプレーを実践で試して欲しいと思っている。追記:娘がインフルエンザのような症状(といっても熱は出ていない)で、学校を休んでいる。それでも、今日は、さっきまで、吉本を見て笑いながら昼食をとっていたので、かなり回復してきているのだろう。早く元気になって、普通の生活に戻って欲しいものだ。
2006年01月28日
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フィギュアスケート男子代表の高橋大輔選手(19)が所属する関西大学(大阪・吹田市)が「フィギュア王国」の構築を目指しているという記事が昨日のスポーツ新聞に掲載されていた。関西大学は高槻キャンパスに、この7月に国際競技規格の「アイスアリーナ」を完成させる予定だ。03年度から、学生文化の活性化促進を目的としたスポーツ・フロンティア入学試験を導入し、フィギュアスケートを強化してきた結果、高橋大輔選手(トリノ五輪代表)、織田信成選手(世界選手権代表)などを輩出した。 次回バンクーバー五輪の星として注目される浅田真央選手(15=グランプリ東海ク)らへのスカウティングにも着手する。フィギュア強化に力を入れる河田悌一学長は「高橋、織田両選手に続く選手の育成も目指したい。女子選手では浅田真央さんが関大に来てくれればいいんですが」とコメントしている。浅田真央ちゃんがくれば、関西スポーツ界は更に盛り上がるだろう。関西大学のスカウティングに期待したい。追記:久しぶりに実家に帰った。両親は、元気に、そして気丈に一日一日を暮している。それでも、兄のことを話すと、いろんな事を思い出して涙を流す。母が「私達は大丈夫や。自分の家族の方がもっと大事なんやから、ちゃんとしいや。」と言って、送り出してくれた。
2006年01月28日
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今日、地元で開催されたある国際会議に出席した。この学会には、数年前から参加させてもらっている。関西で開催されるとあって、僕が所属する学会の先生方やメンバーも参加するので、比較的参加しやすい。今年も、欧州やアジアの先生方の招待講演や、国内の著名な先生の展望講演、ホットな話題提供があり、興味深い内容が多かった。しかし、質疑応答は、例年に比べて少し活気がないように感じた。初日ということもあり、招待講演などが多かったことも要因かもしれないが、質問されている方々の多くは、会を主催される先生方と欧米から招待した先生方だけのように感じた。若手の研究者からの質問は、極端に少なかった。新しい分野なので、若手の研究者からの活発な討論を楽しみにしていたのだが。。。(という僕も若手の部類に属するのだが、新参者なので気後れしてしまう。)懇親会は、アットホームな雰囲気で、参加者が積極的に会話を楽しんで、情報交換しているようだった。僕も、この研究会で知り合った方々や、所属する学会の先生方と近況や研究内容について情報交換した。少なくともお会いしてお話したい先生方とはコンタクトすることができてひとつの目的は果たせたと思っている。明日は、オーラルのプレゼンに加えてポスターセッションがあるのだが、あいにく会議で午前中しか参加できない。それでも、時間が許す限り発表を聞いてから、本社の会議に移動しようと考えている。追記:今朝のスポーツ新聞で、オリックスと吉本興業の提携に関する記事があり、清原選手と中村選手が「ソースとマヨネーズ」としてお笑いグランプリにでたら面白いだろうという記事が載っていた。昨年も、吉本新喜劇に故仰木監督や北川選手らが生出演し、名演技に関西の吉本ファン(僕も含めて)は大いに盛り上がった。中村選手はすでに出演を約束しているようで、清原選手とともにお茶の間を沸かせば、ますます盛り上がる。2人が漫才をしたら、やはりボケは清原選手で、突っ込みが中村選手になるのだろうか?こんなことを書いていたら、真の野球ファンに叱られるかもしれないが、僕は、結構楽しみにしている。
2006年01月26日
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年明けに受診した診断結果が返ってきた。精密検査や要観察事項が複数あり、かなりショックな結果であった。家内からは、「外食の内容を改めないとダメ」と厳しい一言。いつも、12月~1月にかけて、忘年会等で飲食する機会が極端に増えるのも要因の一つだろうが、普段会社で受診している健康診断に比べて、きちんと検査してくれるだけに厳しい結果が判明してガックリ。これを真摯に受け止めて、外食時の内容を改善していこうと思う。何をするにも、健康が一番。早い段階でわかったので良かったと思うことにする。今日から、3日間出張するが、食生活に注意しよう。追記:昨日の出張帰りに兄のお見舞いに行った。昨日は、僕の語りかけに結構反応してくれた。ただ、手足はかなり痩せこけてきており、皮膚のしわが目立ってきていた。昨日は母もお見舞いに来ていたようだ。兄が倒れてから半年が過ぎた。友人の話では、奇跡に近いそうだ。少しでも長い時間、兄と語りあえればと思う。
2006年01月25日
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米大リーグ、前マリナーズの長谷川滋利投手が現役引退を表明した。「日米数球団からお誘いいただいたが、プロとして精神的にも肉体的にも完ぺきな状態でプレーできない限り、チームに迷惑がかかると思い引退を決断した。マウンド上での自分のモチベーションを保つことができなくなった。」とのコメントを発表している。 長谷川投手は東洋大姫路高校、立命館大学を経て1990年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブに入団。プロ1年目の1991年には12勝をマークし最優秀新人賞を獲得するなど、オリックスの先発投手の柱として活躍し1995年、1996年のリーグ優勝・日本一に貢献した。1997年に大リーグアナハイム・エンゼルスに移籍。大リーグではセットアッパー(中継ぎ投手)として起用され好成績を残して自らの地位を獲得した。2001年にシアトル・マリナーズへ移籍し、イチローと再会。2003年は佐々木主浩の故障を受けクローザー(抑え投手)としても起用されて好結果を残し、オールスターゲーム出場を果たした。 通算成績は日本が142試合登板、57勝45敗4セーブ、大リーグでは517試合登板、45勝43敗33セーブ。30歳を過ぎてから、ウェイトトレーニングによって球速が5キロ伸びた。長谷川氏がメジャー移籍時に流暢な英語で入団会見をしたのはあまりにも有名な話。知性、スキル、人間性どれをとっても魅力的なプロ野球選手として注目してきた。彼の著書やテレビでの会見、トークなどから、その生き方に惹かれた選手だった。引退後もアメリカに永住するという話だ。まだまだ、十分通用すると思うので残念であるが、これからの活躍に期待したい。追記:日本ハム・岩本勉投手も現役引退を発表した。岩本投手は現役続行を希望していたが、移籍先が見つからず、ユニホームを脱ぐことを決意したそうだ。岩本投手は1990年に大阪・阪南大高からドラフト2位で日本ハムに入団した。1999年には自己最多の13勝を挙げ、通算239試合で63勝79敗3セーブをマークした。2人の個性的な関西出身のプロ野球選手の引退は少し残念な気がする。
2006年01月24日
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一昨日、スカイマークスタジアムで仰木彬前監督のお別れ会が行われた。球界、関西財界、ファンなど合わせて約5000人が別れを惜しんだ。参加者の主なコメントが書かれていたので、記しておきたい。清原和博氏「思いが一杯で、凄く頭の中が真っ白です。身が引き締まって、さあこれからやるぞという気持ちになりました。野球界の大先輩であり、男の生き様として本当に心を打たれて尊敬する人でした。」中村紀洋氏「恩返しできると思っていたんですが。一緒に戦えませんが、気持ちは残っているので、1年良い形で終われるようにがんばりたい。」野茂英雄氏「何と言ったらよいのかわからないので勘弁してください。」田口壮氏「人生の師であり父のような存在でした。」谷佳知氏「一言だけありがとうございましたと伝えました。これから、まだまだ成長していく過程、天国で見守って欲しいです。」吉井理人氏「今も現役でいられるのは仰木さんのおかげ。感謝している。最後のプレゼントだと思う。できるだけ長く現役でいれるようにがんばりたい。」梨田昌孝氏「人として細かいことは言わない、後に引きずらないなど、教えてもらったことは沢山あります。」西本幸雄氏「僕にとってすばらしいコーチだった。サードコーチだったら日本一だったよ。いつか監督になるだろうと、じっくり待てよと言った事を覚えています。」山田久志氏「外で伝わっている豪快さと違って、すごい緻密なことを大事にする人だった。」中村勝弘氏「昨年の大阪ドーム最終戦に仰木監督から呼ばれ、『無理だから、後は任せた』といわれました。それをきっかけに、今はこの立場にいさせてもらっており、その遺志に背かないようにやりたいと思います。」宮内義彦氏「『中村GMに託すのがいい』といいまして。仰木さんの遺言ですね。それで私は決めました。」「無理を聞いてもらったと個人的には非常に申し訳ないと思っています。ただ、本人が喜びを感じていたと聞いて、少し安堵しています。」岡田彰布氏「ぼくから言えば、師匠みないなもの。お世話になった。仰木さんによって方向性は決められた。」「2軍の指導者として、原点に返った。若い子の指導やチーム作りを学んだり。。。野球界をがんばって引っ張っていきます。」矢田立郎神戸市長「95年の優勝、翌年の日本一は神戸にとって忘れることはない。神戸大使になっていただき凄くいい方という思いです。」近鉄のファンだった僕にとっても、本当に印象的な監督だった。今年のオリックスバファローズの飛躍に期待したい。追記:マイクロソフトカップ1回戦で、神戸製鋼は東芝府中に7対38で敗れた。「久しぶりに東芝府中と対戦し、やはり強いなと感じた。特にFWは高さ、プレッシャー、スキルのどれもが素晴らしい。(神戸製鋼としては)もう少しできると思ったが、完敗だった」とは増保監督の弁。東芝は次のNEC戦が山場だろう。
2006年01月23日
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今年からセンター試験に導入された英語のリスニングテストでICプレーヤーの故障などで425名の受験生が、再テストとなったニュースが流れていた。再テストを受けるために、12時間もの間試験会場に留まったそうだ。それでなくても、受験生にとっては大切な2日間で、ナーバスになっているもの。イライラや不安感など、再試験を受けることを余儀なくされた受験生の心中を考えると気の毒に感じる。全ての会場で全ての機械の作動試験を事前に確認したり、故障が起こった場合のリスク対策などが事前に説明されていたのだろうか。425名の受験生には気の毒だが、あと一日、めげずにがんばって欲しいと感じるニュースだった。追記:トップチャレンジ1でコカコーラWJが日本IBMを21対17で破った。日本IBMはボーナスポイント1を追加しトップリーグ昇格を決めた。これで、近鉄の自動昇格は、4トライ以上とって、IBMを3トライ以下に抑えて下す以外になくなった。
2006年01月22日
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今日は、午後から異業種交流会に参加した。僕は2年前にこの会に参加したのだが、約半年間、4日/月のペースで行われる勉強会で、結構ハードなカリキュラムだった。グループワークでは、一つのテーマについて毎回深夜まで議論し、報告書に纏め上げていくので、同期のメンバーとは自然と同士(戦友)のような関係になる。また、マネジメントに関するテーマが複数取り上げられるので、より幅広い知識や情報、方法論や考え方に触れることができ、本当に為になる会だったと思っている。今日も、商品開発の戦略や人材育成について、興味深い発表が多く、大いに刺激を受けた。特に、リーダーシップに関する講演で、「我々ミドルは機能別のポジションでリーダーシップを発揮し社内外のキーパーソンとのネットワークを構築し、トップやパートナーの理解を得て業務やプロジェクトを牽引することが重要な役割である」という内容には、大いに共感した。交流会の後の懇親会で、先生方や、参加者の方々とお話する機会も楽しいひと時となった。懇親会後に、お世話になった先生と一緒に駅まで移動した。別れ際に、先生から、「また、上京することがあれば、連絡してください。ゆっくり話しをしましょう。」と心温まる言葉をかけて頂き、有難い気持ちで一杯になった。一所懸命に活動した結果、得られる信頼関係や達成感がある。帰りの電車の中で、2年前の活動を思い出し、「結果なんか気にせずに、精一杯楽しみ、そしてチャレンジしよう」と思った。
2006年01月21日
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先日、技術士仲間として数年来お付き合いしていた方からメールが届いた。メールには、学会関係の仕事の依頼が記されていた。ただ、今回の依頼は、定期的な活動に参加する内容であり、社内の承認が必要であった。とりあえず、依頼の業務の内容について確認のやり取りをした後、上司に、依頼を受諾し、活動に参加したい旨を提案した。上司は、「自分自身の勉強の為に頑張ってください。」と快諾してくださった。さっそく依頼者の方に、受諾の連絡をしたら、直後に電話が鳴った。久しぶりだったので、直接話をして御礼が言いたかったそうだ。その方と直接お話するのは、2年ぶりくらいだっただろうか。地方都市に転勤されたため、後任を探していたとのことだった。出会ってから5年以上が経つ。お互い40代中盤に差し掛かり、中々お会いして話す機会も少なくなってきていた。「是非再会して情報交換しましょう」と約束して電話を切った。異業種交流の場で知り合った方が同じ分野のエンジニアだったことがきっかけで、こんな話が舞い込んできた。人間の縁やネットワークというものを考える出来事だった。追記:今日は、僕が3年前に参加していた異業種交流会が開催される。先生方とは年末の忘年会でお会いしているが、それでも、先生方や参加されている異業種の方々との出会いがあるので楽しみだ。
2006年01月21日
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今朝のNHKのニュースで、マイクロバブルの利用技術が紹介されていました。マイクロバブルは、以前にもNHKの「サイエンスZERO」にも取り上げられ最近色んな方面で注目されている技術で、直径わずか1/100mmの気泡のことです。マイクロバブル技術は、徳山工業高等専門学校土木建築工学科の大成博文氏によって、国内外において初めて開発され、最近では、水質浄化やがんの診断・治療に応用が可能だとして大きな注目を集めています。 通常、水の中で出来る気泡の大きさは直径数ミリ程度、しかしマイクロバブルはその泡の100分の1以下。極端に小さいため水の中をゆっくりと浮上し、微小なゴミを吸着して水面に浮上させる性質をもっていて、カキの養殖など海産物の洗浄に使われているほか、池や湖、湾の水質浄化にも応用が始まっている技術です。 今日のニュースでは、マイクロバブルを使うとかきの血流が増大するデータが紹介されていました。また、直径3マイクロメートルのマイクロバブルを人間の血管に注入し、超音波をあてることで、がん細胞を迅速に画像化しようという研究も紹介されていました。また、マイクロバブル発生装置を取り付ける温泉も登場し、インタビューにこたえていた老人は、「身体がポッカポッカになる」とコメントしていました。 つまり、血流が増大する現象と何らかの関係があることを立証する応用分野の技術の紹介でした。 マイクロバブル発生装置は、コンパクトで、そんなに高価なものではありません。自宅の風呂につけてみようかと思うようなニュースだったので日記に記してみました。追記:入来投手がメッツと、藪投手はロッキーズと契約を結んだそうです。日本人投手がどんどんメジャーに挑戦するのに対し、野手のほうはあまり増えませんね。入来投手が通用するのか楽しみですね。
2006年01月20日
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早大の大型FB五郎丸君が先日の東西対抗で顎を骨折したそうだ。全治1ヶ月だが、清宮監督は「短くて(完治に)1カ月。奇跡の復活をさせますよ」とコメントしている。日本選手権を控えたチームからの選出には疑問を感じる。ただ、トップチームのメンバーがいない東西対抗も興ざめがするのも事実だ。やはり時期に問題があるといわざるを得ない。ただ、早稲田の層は厚く、FBには平尾プロジェクト出身の高橋銀太郎選手も控えている。五郎丸君の完治を祈りつつも、現有戦力での清宮監督のマネジメントに期待したい。追記:いよいよマイクロソフトカップが始まる。1回戦注目のカードは神戸製鋼対東芝府中、神戸が東芝FWをどうやって止めるかがポイントだろう。
2006年01月19日
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家内も娘も、ようやく復活したようだ。彼女達のひいた風邪の症状は、・のどが痛み声がでない・咳がでる・身体が異様にだるく動けない・熱はそれほど高くないというものだった。特に、身体がだるくて動けないので、ひたすら寝ている日が数日続いた。今日は、息子も弁当持参でスケート教室にいくそうで、家内も朝から3人分のお弁当を準備してくれている。娘も、朝練に行くといって慌しく準備している。ようやく普通の生活が戻ってきた。追記:関西運動記者クラブが選ぶ「関西スポーツ賞」の団体部門で全国高校大会で優勝した野洲高校サッカー部と伏見工業高校ラグビー部が、特別部門で阪神タイガースとガンバ大阪が選ばれた。今年度の関西の団体スポーツは素晴らしい結果を残し、スポーツファンを大いに喜ばせてくれた。来シーズンに活躍にも期待したい。
2006年01月18日
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1995年1月17日、阪神大震災が発生した日から11年が経った。娘の誕生がきっかけで、激震地区から田舎町に引っ越して3年が経とうとしていた。家内のお腹には息子の命が宿っていた。僕達の地域の震度は5。ただ、マンション住まいだったので、揺れはもっと激しかった。会社からは、自宅待機の指示が出され、僕はテレビで次々と映し出される惨状をただ見つめるしかなかった。町まで出ると、いつもと変わりない風景で、震災の街とは大違いだった。数日後、出社許可が出て、4時間かけて会社に行った。電気もガスも通っていない地域を、瓦礫のなかを10キロ近く歩いた。飛び散る受験参考書をみて、「ここのお子さんはどうなったのだろうか?」、焼け焦げた家の前で「・・・は無事です、△△にいます。」と記されているボードを見ては「ここのご家族は無事だったんだな。」と感じながら数時間歩きつづけた。知人の家族も亡くなられた。激震地区に住んでいた同僚達は、その表情から疲れ果てている様子が伝わってきた。それでも、会社の体育館や施設を利用して炊き出しをし、我々は物資を持ち寄って助け合った。会社の若者たちは、上司に「ボランティアに行きたい」と提案し、地域の復興に協力した。あのような状況で、「何をすべきか、何ができるか。」を真剣に考えて一日一日を過ごしていたように思う。今では神戸を代表とする阪神・淡路の町は復興し活気も戻ったが、おそらく、震災を経験した方々の心から、あの日、あの時期の記憶は永遠になくならないだろう。NHKのインタビューに応じていたご婦人が言っていた。「人は支えあって生きていかなければならない。」と。
2006年01月17日
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どうも、家内が年明けに引いた風邪が、娘にうつり中々治らないようだ。先週末からひどくなり、咳がひどくて声がでない。おそらく、今日も休まざるを得ないだろう。おまけに、息子も昨夜腹痛を訴え始めた。当初お腹をさすってやりながら寝付くのを待ったが、痛みで寝付けなかったので、事情を聞くと、便が出ていないとのこと。そこで、浣腸してやると、痛みも治まりすっきりして寝付くことができたようだ。今朝も、大丈夫そうで一安心。残るは僕だけだが、先週少しのどの痛みがあったものの、あまり問題ない。このまま、何もないことを祈るばかりだ。追記:サッカーの全日本大学選手権女子で早稲田が2対1で東京女子体育大学を破り日本一になった。早稲田に女子サッカー部ができたことを全く知らなかった。
2006年01月16日
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フィギュアスケートの元日本代表選手だった井上玲奈さんが、ジョンボルドウィンさんとのペアで、全米フィギュアに出場し、逆転で優勝して全米代表としてトリノオリンピック出場を決めたニュースが流れた。SP4位で迎えたフリーの演技で、大技のスロートリプルアクセルを決め、完璧な演技で滑りきり、演技が終了した直後に逆転優勝を確信した2人は、熱烈なキスでその嬉しさを表現し、観衆はスタンディングオベーションで称えた。井上選手といえば、アルベールビルはペアで、リレハンメルはシングルの日本代表としてオリンピックに出場した経験を持つ。早稲田大学に在籍した長野大会には日本代表選考からもれ、その後米国に渡って活動を続けた苦労人だ。渡米直後に肺癌を患い、完全な復帰をしていない頃に、現在のパートナーであるジョンボルドウィンさんからペアの申し出があったと今朝の新聞で紹介されていた。それにしても、リレハンメル大会以降、12年もの間、家族や自分の病気を乗り越え、モチベーションを持ち続けて異国の地ででチャレンジした精神力には感服する。そういえば、あの堀江陽子(ヨウコゼッターランド)さんも、同じ早稲田出身で、米国籍でオリンピックを目指し、見事全米代表に選ばれてバルセロナ五輪で銅メダルを獲得した。早稲田出身の女性アスリートは凄い選手が一杯いると感じるニュースだった。女子フィギュアの日本代表選手とあわせて、楽しみがまた一つ増えた。追記:トップリーグ昇格をかけたトップチャレンジマッチで、近鉄は日本IBMに0対39で敗れた。これで、近鉄はコカコーラWJ戦に勝つ以外に昇格の道はなさそうだ。悲願の復活に向けてがんばって欲しい。
2006年01月15日
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昨日の夜はスクールの新年会だった。昨年最後の練習日に、首脳陣から新年会の企画を依頼されて、僕と、もう一人のコーチと2人で場所の手配、参加者の人数確認を手分けして準備し、開催の運びとなった。今は、インターネットがあるので、人数確認ははかどるだろうと思っていたが、電話確認やFAX送信しなければならないことも多く、結構苦労した。40人ほどの会になるので、ドタキャンがあると参加者に迷惑がかかることもあり、当日まで不安があったが、最終確定の参加者が全員予定時刻までに来場してくれて、盛大な新年会となった。校長挨拶、副校長乾杯の発声でスタートし、食事も飲み物もいき渡ったころから、各学年コーチやご父兄の方々に一言づつ一年間の感想や今年の抱負を語っていただいた。昨年は、当スクールに参加して初めて地域の大きな大会で勝ち越しを決めたとあって、どの学年も今年は更に上を目指したいという声が多かった。首脳陣の方々からも、連盟の他スクールの方々から、「随分良いチームになってきている」と声をかけていただいているらしく、田舎チームが中央のチームに、その存在を認めてもらえるようになってきたことを実感されているようだった。僕がスクール活動に参加した当初は、対外試合は全くしないチームだった。試合はぶっつけ本番の公式戦だけで、朝早くから移動して出発しても昼過ぎには全学年が負けて帰るという状況だった。僕が始めて2年目の年、僕の学年のご父兄の方々が「対外試合をしたい」と申し出てくださった。当時の主任コーチも副校長を説得してくださり、初めての対外試合を実現させた。それ以来、毎年少しづつ対外試合の機会を作るようにし、子供達だけでなくコーチ達の勝負に拘る思いや、ラグビーに取り組む姿勢に変化が現れてきた。数年前から、近隣の市町にラグビースクールチームが出来、交流が活発化し始めてからは、中央のチームとの交流も増え始め、1~2試合/月のペースで交流試合ができるようになってきた。交流試合を開始して10年が経つ。交流試合を通して子供達は練習の成果を存分に発揮し、ゲームを通じてラグビーの楽しさ、勝負の厳しさを体感できるようなってきたし、我々コーチも他のチームコーチとの交流からより効果的な練習方法を学ぶことができる。当時の僕の疑問は、「なぜ試合をしないのか、試合をしなければラグビーの楽しさも自分の実力も知ることができないではないか?」というものだった。僕は、ボーイスリーグで野球をしていたので、毎週、練習試合や紅白戦が行われた。1軍も2軍も同じように試合をし、レギュラーメンバーと自分との違いを目の当たりにし、それでも、レギュラーになって公式戦に出場したくて、チビでも、下手でも懸命に野球の練習をした。試合を通して、ミスして怒られるのも、良いプレーをしてほめられるのも、自分自身で感じ取った。試合前の緊張感や、初めてのヒットなどは今だに覚えている。僕は、「スポーツを楽しむ」最良の方法が「試合をする」ことではないかと思っている。その中で、自分やチームの長所、欠点を把握し、メンバーの個性や特徴を理解し、より強いチームになるために練習するということを子供達やご父兄に理解してもらう ということを基本的な考えとしている。その一方で、勝負に拘るあまり、個性をつぶしてはいけないとも思う。ある方が言っていた。「低学年時代は、全てのポジションを経験し、勝敗に拘らずに選手達に基本プレーを徹底して教える。高学年になって、チームプレーを教える段階になった時点で、個性を生かしたチーム作りをし、勝敗にも拘わり、負けることの悔しさ、自分達の弱さを知り、克服して勝つ喜びを感じさせるように指導すればよい。」と。我々コーチは、全員ボランティアである。ラグビーに対するバックグランドも違うし、未経験でコーチになってくださった方もおられる。ただ、共通していることは、・「ラグビー」というスポーツを通じて、「健全な子供達の育成を支援する」・「ラグビー」というスポーツの素晴らしさを知ってもらいたい、好きになってもらいたいということに情熱をもっていることだ。昨日の新年会での参加者の声を聞いていて、素晴らしいスクールになってきたと感じた。新年会は、副校長の一本締めで締めくくりお開きとなった。また、今年一年、スクール活動に参加するコーチや選手、ご父兄の方々と一緒に、沢山の思い出を作りたいと思う。追記:先週から、家内、娘と立て続けに風邪をひいた。娘は本当にしんどそうだ。僕と息子はまだ兆候も出ていないが、来週あたりが心配だ。
2006年01月15日
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今日は、スクールの初練習の日だった。しかし、外は生憎の雨。参加する生徒も少ないだろうと思いながら行ってみたが・・・やはり少なかった。それでも、40人くらいは出席してくれたと思う。練習前にコーチ陣が新年の挨拶と今後のスケジュールを確認し、練習開始。スクール校長の挨拶の中で、中学選抜として全国大会で活躍した選手の紹介があった。花園の晴れ舞台でバックスとして活躍した彼の姿は、子供達にはどのように写ったのだろうか?我々のチームに所属する子供達も、中学に進学すると所属する学校の部活動が中心となるため、中々中学部のメンバーが集まらなかった。それでも、彼の代以降、毎年数人ずつ中学部でもラグビーを続ける選手が集まってきて、ここ数年はチームとして活動できるレベルになってきた。彼に続く第2、第3の代表選手が現れることを期待したい。今日の練習は、グランドではなく小さな研修室を借り、ストレッチや軽い体操をして学年別でミーティングをして終了となった。僕達は、上級生の参加者に黒板を使ってキックオフのポジショニングについて説明した。また新しい一年が始まった。スクールを引っ張ってきた6年生には、ぜひ3月のフライアップを目標にラグビーを楽しんでもらいたいと感じた。追記:今日はラグビースクール関係者の新年会だ。12月の後半から取りまとめをしてきたが、40名近くの方々が参加してくださることになった。いつもはコーチ陣だけなのだが、今年はご父兄の代表の方々にも声をかけた。親睦を深める良い機会となればと思っている。
2006年01月14日
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ようやく、松瀬学さんの『「日本を思い、イラクを翔けた」ラガー外交官・奥克彦の生涯』を入手し、読破した。ご存知のとおり、奥克彦氏は2003年11月29日に、イラクにおいて井ノ上正盛氏とともに何者かから襲撃を受け殉死した外交官である。奥克彦氏は、1958年兵庫県に生まれ、兵庫県立伊丹高校からラグビーを始め、1975年に神戸高校を破り全国大会に出場、1977年に早稲田大学政治経済学部に入学し、早稲田大学ラグビー部に所属して一本目を目指した。しかし、外交官を目指し、2年の夏の菅平合宿で退部を決意し、1980年に外務省公務員採用上級試験に合格した、異色のラガー外交官だ。1982年には、オックスフォード大学に留学し、日本人として始めて1軍選手として公式戦に出場しトライをあげる活躍をし、僕が学生時代のラグビーマガジンでも「日本人初のブルーを目指して」という記事で紹介された人物である。清宮・早稲田のスローガン「アルティメット・クラッシュ」の発案者としての有名である。本文での奥氏の言葉と終章で記されている奥氏の遺志の中で語る同期入省の上村氏の言葉が心に残った。「俺達一本目がしょって立つんだ。年数が上がってくると、堅い仕事ばかりやろうとする。でも、一軍を張るやつはそうじゃないんだ。ちっこくまとまったらあかんで。」「僕にとって、あいつの志は簡単です。それぞれの人がその職責を果たすこと、それを後世に伝えることです。一本目としてやるべきことをやることです。」「生き残った私の義務は、何も言わずに仕事で見せること、良い部下を育てることに尽きます。運命の定めが決めるその時まで、どんな陰口をたたかれても、粛々と責任を果たします。役人としてのみならず、この世代を支える一人の日本人としての責任があります。」「一本目」とは、一軍のことである。すなわち、早稲田のラグビー部なら公式戦に出場できる15人に選ばれた選手のことだ。おそらく、彼は、選ばれし代表選手としてのプライドを持ち、イラク復興に懸けたのだろうと思う。この本は、「この世に生きる」ということ、ラグビースピリッツである「One for all,all for one」、そして、「自分自身の今後の生き様」「人間の資質や能力」について、改めて考えるきっかけを与えてくれた。僕自身は、今の環境(仕事、家庭、地域社会との関わり)などに焼きなおして、自分自身がやるべきことを整理し、一本目という自覚を持って職責を果たすことが重要であると感じた。怠惰な自分を叱責し、奥氏が語る「何をなすべきかを判断し、チャレンジし、そして技術や経験を後輩達に伝承していく」ことが求められているように感じた。ご訪問していただいた方々にも、ぜひ一読していただければと思う一冊である。追記:今日、出張帰りに兄の見舞いに行った。兄は、前よりも頬がこけているように感じた。記録から、僕が見舞う数時間前に母が来ていたようだ。今日はいつもよりも反応が少なかった。いつものように、兄に色んな出来事を語りかけた。会社のこと、家族のこと、両親の思い、そして将来のことなど。。。語りかけているうちに、自然と涙が溢れてきた。兄のやさしさを思い出すと、感謝の念で一杯になる。訪問したときには手が熱っぽかったのだが、帰る頃には平熱に戻っていた。そして別れ際に彼の手の膏を頬ずりすると反応して返してくれた。きっと、兄にも僕の気持ちが伝わっているのだろうと思った。
2006年01月12日
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いつもは、正月休みは父の田舎に集合して、近くの神社に初詣にいくのだが、今年は、兄の家(僕の実家)で正月を過ごしたので、初詣に行くことができなかった。今日、家内と駅前まで行く用事があったので、夕方に一人で近くの神社に初詣にでかけた。流石に成人式の日とあって、晴れやかな着物を着た新成人の若者達で駅前はにぎわっていた。神社で、お賽銭をいれて新年の挨拶とお祈りをし、おみくじを引いた。結果は控えておくが、「人を慈しみ、世のために為せばいよいよ運盛に他所は嵐吹きても自分のところに何事もなく幸い多し」とあった。「自分のことよりも、人のために尽くす」ということを肝に銘じて、仕事、家庭、ボランティアに励もうと思った。神社に行く途中で、成人式を迎えたであろうお嬢さんを、お父さんらしき人が写真撮影していた。うちの娘も後6年で成人式を迎える。2人の微笑ましい雰囲気から、娘もあんなふうに、写真を撮らせてくれるだろうかと感じた。今日で、子供達の冬休みも終わる。娘は残った宿題と冬休み明けの試験に備えて勉強しているようだ。息子は宿題を終えて、手元に届いたゲームソフトを楽しんでいる。僕も、いよいよ明日から仕事が本格化する。気持ちを切り替えて、一年間、人事を尽くそうと思う。追記:トップリーグは、神戸製鋼がリコーを39対17で破り勝ち点5を獲得したが、トヨタがヤマハを37対27で下して4位を確定させた。NECは20対5で東芝府中を破り3位を確定させ日本選手権出場を決めた。これで神戸は、マイクロソフトカップは優勝するしか日本選手権出場への切符を手にすることができなくなった。非常に厳しい状況だが、後半戦は厳しいゲームをものにしており、群雄割拠の状況であるので、神戸にも十分にチャンスがあると思う。健闘に期待したい。
2006年01月09日
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2005年度の全国大学ラグビー選手権大会の決勝は、早稲田大学が関東学院大学から5トライをあげ41対5で快勝した。早稲田大学の連覇は31年ぶりで、通算優勝回数は明大の12回を抜き、歴代単独1位となった。試合は、前半、早大がゴール前まで攻め込むが、ラインアウトが安定せず、逆に関東の堅いディフェンスからターンオーバーされる場面が目立ち、中々トライが奪えなかった。FW戦に固執していたがゴールラインを割れず、前半15分のPGを選択。五郎丸君のPGで先制した。24分に、自陣で関東ボールをターンオーバーから左に展開、マークマークの場面で、CTBが相手をひきつけて内に返し、ハリーパスで首藤君に渡り、首藤君が相手FB有賀君をステップでかわして50メートルを快走して初トライ。ラインアウトも獲得率があがり、段々とテンポよい流れになってきた。29分には、敵陣ゴール前のラックから曽我部君がDGを決め、34分にも、相手ボールのターンオーバーから敵陣に攻め込み、曽我部君がタックルをジャンプしてかわしてトライをあげ、20対0で折り返す。後半に入ると、早大が接点でのボールを支配する時間が増え、素早いバックス展開から3トライを加え、関東学院大の反撃を1トライに抑えて、終わってみれば41対5でノーサイドとなった。見せ場は、後半25分からのゴール前の攻防。早大は徹底してFW戦を挑むが、関東FWは意地でこの攻撃を阻止。結局、PGから矢富君-五郎丸君とわたり早大が得点を重ねた。37分にあげたFL松本君のトライは、フォローのぶ厚さを感じるトライだった。関東学院にしてみれば、FB有賀君を基点としたライン参加やダミーのサインプレーを早大の分厚い防御網に寸断され、FW戦でも接点でのブレイクダウンへのよりが一歩遅く、得意のジャッカルからのターンオーバーを阻止されボールを支配する時間が極端に少なかったことが勝負のポイントとなったように感じた。試合後のインタビューでの早稲田大学・清宮監督、佐々木主将のインタビューでの涙が印象に残った。特に清宮監督の涙は、全国の早稲田ラグビーファンに、『早稲田の伝統と歴史』を感じさせる熱いものであった。---共同通信社の記事より抜粋---清宮克幸・早大監督の話「ずっと早稲田史上最強チームと言い続けて、選手たちがそれを証明してくれた。この1年間はずっと、関東学院と決勝で戦うイメージで練習した。」佐々木隆道・早大主将の話「今は何も考えられない。試合に出られない4年生が支えてくれて、僕はこの試合で死んでもいいとさえ思った。」春口広・関東学院大監督の話「残念、力いっぱい戦ったが…。清宮監督、早大に心からおめでとうと言いたい。早大は強い。それが点差にも出た。われわれは継続した攻撃ができなかった。早大のまとまりは強固で、入り込むすきがなかった。こちらは作戦も何もなかった。」有賀主将は「完敗。やることはやってきたんで悔いはない」-----------------早稲田大学と関東学院大学、素晴らしいライバル関係となった。清宮監督は、就任直後の春に春口監督を訪問して練習試合を申し込んだことは有名な話である。早稲田再建を委ねられたニューリーダーは、その年、大学選手権決勝まで勝ち上がり、関東学院大学をあと一歩まで追い詰めた。そして、翌年は待望の大学日本一奪冠。今では、春の交流戦やジュニア選手権など、Aチームだけでなく、ジュニアや、C、Dチームなど全てのクラスで厳しい試合を通じて交流し、お互いをライバルと認め合う関係である。今年の勝負で、3勝2敗と清宮監督に軍配があがった。春口監督は、清宮監督のことを「彼の指導力には言葉もない。もういっぺん、やり直したい。」と語り、逆に再建を熱く語った。これからも、両チームの熱い戦いに期待したい。追記:試合前の校歌斉唱、何だかテストマッチの雰囲気がした。一度生で見てみたいものだ。
2006年01月08日
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第85回全国高校ラグビー大会決勝、伏見工業高校(京都)対桐蔭学園高校(神奈川)は、前後半ともに、堅実なディフェンスとバックスの早い展開ラグビーで終始攻め続けた伏見工業が5T4G1PGの36点をあげ、桐蔭学園の反撃を後半の2T1Gの12点に抑えて36対12で完勝し、5年ぶり4度目の日本一に輝いた。伏見工業は、前半12分、敵陣22m付近のスクラムから、センター横に絶妙のタイミングでFBインし、そのままWTBにパスがとおり先制トライ。18分にも、敵陣ゴール前からブラインドサイドをSHがつき、SO、WTBとつないでトライ。28分にもオープン攻撃からトライをあげて24対0で折り返した。続く後半、桐蔭学園は風上に回り、伏見陣を攻め続けゴール前ラインアウトからのモール攻撃で2トライをあげるものの、終始、伏見工業の厳しく堅実なディフェンスの前にオープン攻撃が寸断された。伏見は、風下ではあったが、FW、BKが接点でのボールを確実にキャリアし、13分に敵陣22m付近ラックサイドからFWが、30分にもスクラムから、素早い展開でFBインからWTBが右中間に飛び込み、ゴールも決まってノーサイドとなった。杉本勇二主将が「みんなが勝利を信じ抜いて勝てたゲーム。」と語っていたように、仲間を信じ、自分達の力を信じて、厳しい防御で相手のミスを誘い、バックスが得意の展開ラグビーで得点を重ねるという、完璧な試合運びだった。ノーサイド直後の杉本選手の涙から彼の「この試合に賭ける決意」と彼が背負ってきた「伝統の重さ」が伝わってきた。今朝のスポーツ新聞には、杉本選手は既に同志社大学・文化情報学部に一般推薦入試で合格しており、ビジネスリーダーを目指してラグビーを引退すると伝えられていた。今朝も書いたが、25年前の栗林彰氏も同じように、「この試合を最後にジャージを脱ぐ」と決意して決勝戦に臨み、大学進学後は地方大学リーグでラグビーを楽しみながら、一級建築士の夢を実現させた。『文武両道』、その二兎を追いかけて両者を実現させることは、今の高校スポーツ界、大学受験制度の中では極めて難しく、納得できる結果を手繰り寄せる高校生はほんの一握りだろうと思う。杉本君はその道にチャレンジし夢の1兎を手繰り寄せた。ぜひ、残りの1兎も自らのものにできるようチャレンジし続けて欲しいと思う。追記:明日の大学選手権決勝の早稲田のメンバーが発表となった。先の準決勝と同じ顔ぶれだ。昨日は早大D対E、そして今日は早大B対Cの内ゲバがあったようだ。早大Bの百合君、久木元君、小吹君、そしてCからBに昇格した伊藤君らをはじめ、部内マッチに出場した4年生達は、それぞれの思いをこめて戦ったのだろうと思う。明日は総力戦。こちらも楽しみな一戦だ。
2006年01月07日
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今朝、人間ドックを受診してきた。気象情報では、今朝から近畿地方の南部も積雪になると予想されていたので、6時20分に起床、早速外を見るとまだ雪らしきものは全く降った形跡がなかった。それでも、子供達の朝食と昼食の準備をして7時発のバスで駅前まで移動、バスを乗り継いで病院に到着したのは8時前だった。予約は2番目。8時前に、事務局の方から、手続き上の諸注意を受けて検診が始まった。会社の健康診断に加えて、腹部エコー、胃検診での食道検査、肺機能検査、眼科などが加わった程度のものだった。僕は、頭部CTをオプションで追加しておいた。検診はスムースに進み、10時半ごろには全ての検査が完了した。一日ドックとなっていたので、拍子抜けした感じだった。検診の待ち時間の合間に病院にあったスポーツ新聞を読んでいると、面白い記事が掲載されていた。桐蔭学園FBの仲宗根健太選手は、昭和55年度の高校ラグビーで、歴史に残る名勝負を演じた伏見工業対大阪工大高の試合に大工大高FBとして出場していた仲宗根弘明氏(現在、専修大学ラグビー部監督)のご子息であることが紹介されていた。僕は、同じ年になるので、ラグビーを始めて、「落ちこぼれ軍団の奇跡」を読んで、仲宗根氏が関東大学リーグ戦グループで活躍していることを知った。あの名勝負で花園のピッチに立っていた選手で、関東大学対抗戦やリーグ戦グループで活躍した選手は多い。あの試合をビデオで観戦したが3対3の同点から、スクラムからこぼれたボールを伏見工業西口選手が拾ってサイドを割り、SH高崎(現・伏見工業監督)⇒CTB細田⇒WTB栗林(だったと思う)とわたり、劇的な決勝トライをあげた場面はあまりにも有名である。このとき、最初に西口選手にタックルにいったのは大工大CTB東田選手(後の日本代表)、栗林選手に最終防御としてタックルにいったのが仲宗根選手とカバーディフェンスでもどっていた東田選手だった。スクールウォーズの原作となった「落ちこぼれ軍団の奇跡」を読み、伏見工業のファンになったのも事実だ。栗林選手の逸話(秀才で、現役で国立千葉大学に進学、一級建築士)なども印象的だった。仲宗根氏のご子息はまだ一年生ながら、レギュラーポジションを獲得。そして、20年以上の歳月を経て、同じ花園のピッチに立ち、伏見工業と決勝戦を戦う。何という因縁だろう。山口良治先生も「親の敵という気持ちで来られたら怖い」とコメントしていた。もうすぐ決勝戦が始まる。人間ドックが早く終わったので、生中継で観戦できるのが嬉しい。FWと組織的ディフェンスの桐蔭学園か、魂のタックルと展開力の伏見工業か、今からワクワクしているのは僕だけではないだろう。追記:人間ドックの結果は2週間後にわかる。お正月休みで3キロほど太った。がんばって少しずつ絞ろうと思う。
2006年01月07日
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今日、久しぶりに英会話学校に行った。流石に、年始で、それも平日の昼間とあって、人数もまばらで、学生と主婦層が多かった。最初のレッスンでは、「怒っている人への対応」に関する内容だった。先生が、「最近怒っている人を見たことがあるか?」と聞くので、僕を含めた3人(僕以外は50代、60代の主婦の方)が口をそろえて、「ある」と返答。いずれも、夫婦喧嘩での相手(つまり僕の場合は家内、彼女達はご主人達)について具体例が紹介された。このブログを家内も覗くので、これ以上は控えておくが、僕の話には、先生を含めて皆、爆笑していた。この話題だけで、レッスンの半分が過ぎ、具体的に教材を使ったレッスンは予定の半分程度しか消化できなかったようだ。それでも、本当に楽しい時間だった。続く2時間目は、「相手を△△へ誘う」が課題だった。こちらも、女性2人を相手に、例えば、「ラグビー観戦に誘う」「映画に誘う」というような内容でロールプレーをした。日本語でも、女性をデートに誘うことなどしないのに、英語で誘うのは、現実的ではなく、結構照れる内容だった。久しぶりの英会話だったが、楽しいスタートとなった。今年は、もう少しまじめに受講して、1ランクアップにチャレンジしたい。英会話の後は、整体の先生にお世話になった。年始の挨拶をしたあとで、マッサージをしてもらったが、途中から完全に爆睡状態になった。終盤に目を覚まし、肩の状態が芳しくないことを伝えると、最後は、右肩を重点的に解してくださった。怪我していたときに比べてよくなっているが、前腕の深部を痛めていて、もう少し完治するには時間がかかりそうとのことだった。「ラグビーできないと寂しい?」と聞かれたので、「もちろん寂しいですよ。」と即答。2月初旬に1発目の試合があるので、少しリハビリをしようと思っている。整体からの帰る途中で、息子が欲しがっているゲームソフトを探しに行った。午前中も近所のゲームソフト店に行ったのだが在庫がなくて、ガックリと肩を落としていた。3件回ったが、やはりなかった。帰宅後そのことを伝えると、シュンとするので、「気長に探そう。でも、自分の思い通りにならないことを受け入れるのも鍛錬やで。」と言って一応慰めておいた。追記:帰宅すると、娘と息子で、「掃除と洗濯」をしてくれたようだ。家内が、実家に帰っているので、本当に助かる。子供達の冬休みもいよいよ終盤、一応宿題はほとんど終わっているようだ。
2006年01月06日
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今日は有給休暇をとったので、4連休初日だ。といっても、家内が実家に再び帰省したので、今日は、子供達の食事などの対応と英会話、整体、明日は人間ドックの受診があるので、ゆっくりできるわけではない。明日の高校ラグビーの決勝戦も録画で見ることになる。しかし、今年は、高校、大学ラグビー、サッカー等の決勝戦が中継で観戦できるとあって、楽しみな連休になりそうだ。深夜の高校ラグビーハイライトで熊野高校ラグビー部監督・清水晃行氏が年末に亡くなられたことを知った。51歳だった。清水監督は熊野に赴任して20年、熊野高校ラグビー部を花園の常連校に育てた。和歌山といえは、一昔前までは和歌山工業高校が常連校であった。10年かけて和工の牙城を撃破して97年に34年ぶりの出場を果たした。ここ数年は熊野高校が県大会を連覇している。「花園で1勝」を合言葉にのぞんだ今大会も、1回戦で岐阜工業と対戦で前半リードしながら、後半逆転され7対13で惜敗した。清水監督は、熊野の敗戦を知った後に息をひきとられたと伝えていた。ご冥福をお祈りするとともに、熊野高校ラグビー部の「悲願の1勝」へのチャレンジに期待したい。
2006年01月06日
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全国高校ラグビーは準決勝2試合が行われた。桐蔭学園(神奈川)12対10大工大高(大阪第2)伏見工業(京都) 15対10東海大仰星(大阪第3) 以下、MBS~KOBELCOスポーツスペシャルを参考に記載する。 第一試合の桐蔭学園対大工大高の試合は劇的な逆転勝利だったようだ。前半は大工大高が1T1PGで10対0で折り返す。桐蔭学園は風上に回った後半、1Tをあげて5点差とし、そのままロスタイムに入る。中央付近のスクラムから左サイドをSHが抜け、WTBが同点のトライ。ゴールも決まって大逆点勝利を納めた。 第二試合の伏見工業対東海大仰星の試合も、1Tを争う好ゲームだったようだ。前半風上の伏見は、バックスの展開力で2T1G1PG、仰星も終了間際に1Tを返し15対5と伏見リードで折り返す。後半、仰星はFWがラインアウトからモールで押し込み5点差に迫り、試合終了間際まで伏見ゴール前に攻め続けるが、伏見必死のディフェンスで守りきり、15対10でノーサイドとなった。 桐蔭学園は初の決勝進出で、神奈川勢としては第74回大会を制した相模台工(現神奈川総合産)以来11大会ぶり。伏見工は優勝した第80回大会以来5大会ぶり5度目の決勝。 僕の戦前の予想は、大工大高対東海大仰星で決勝と睨んでいた。いずれも5点差以内のゲームで、チーム力は拮抗していたということだろう。桐蔭学園、伏見工業ともにディフェンス、アタックともにバランスの取れた好チームだが、ベスト8を観戦した印象では、桐蔭学園FWの圧力を伏見工業のディフェンスがどこまで凌げるかがポイントと見る。僕としては、伏見の勝利を信じたいが、若干桐蔭学園リードの感は否めない。伝統の力に期待したい。追記:明後日、人間ドックを受診する。毎年、春、秋の2回、定期健診を受診しているのだが、ドッグにいくのは初めてだ。この際、しっかり診てもらっておこうと思う。
2006年01月05日
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昨日、ラグビースクールで最初に指導した学年の生徒から年賀状が届いた。彼とは、毎年年始の挨拶を交わしている。現在、大学受験に備えて勉強中だが、僕が今までに指導した選手の中で最も印象に残っている。彼からの手紙の内容に心を打たれた。「僕はタックルが苦手だった。全速で走ってくる相手が怖くて、自分からよく逃げてコーチからしかられました。今でも忘れられませんが、夏合宿のときに泣きながら出来るようになるまでタックルの練習をさせられました。本当に悔しかったですが、その後の紅白戦でタックルを決めて褒められたときの感動はいまでも覚えています。ありがとうございました。」僕の中での彼の印象は、4年生まではラン、ハンドリング、コンタクトプレーでアタックに関わるプレーは彼の学年では並の選手以下だった。ただ、一つ、タックルだけは誰にも負けないくらい激しく力強かった。僕は、彼のタックルを徹底して褒め、タックル練習が始まると、一番強いプレヤーとのガチンコを皆の前でやらせて見せた。その度に、一発で相手を止めるタックルを実践してくれた。身体は小さいがハートがあり、タックルが好きで、喜んでグリッドゲームをやりたいと提案してくる。身体の大きい選手達も彼とは段々と対面勝負をしたがらなくなった。彼は、タックルで、自分の存在価値をチームの仲間に認めさせレギュラーポジションを獲得した、そんな選手だった。彼がタックルが苦手だった印象は全く残っていない。むしろ、タックルを自分の武器にして、ラグビーの楽しさの一部を知ってからは、どんどん苦手なプレーにも積極的になり、上達していった選手だ。僕は、彼の成長を目の当たりにして、ラグビーというスポーツの素晴らしさを再認識し、子供の指導の楽しさを知った。地域の大会の2回戦、強豪チームに敗戦したものの、彼は思い切りよく激しいタックルで一回も自分の対面を抜かせなかった。リザーブの選手達が「ナイスタックル。」という言葉を連発し、その激しさに感心していたのを見て、立派なレギュラーになったことを実感したものだ。 子供は一つのことがきっかけで化けるケースがある。だから、決して型にはめずに、あの手この手でそのきっかけを探り、作ってやることがコーチングでは重要である。 彼の年賀状は、改めてそのことを思い出させてくれた。本当に嬉しい内容だった。追記:昨日は仕事はじめだった。トップの念頭のお話を拝聴して、身の引き締まる思いがした。一年、体調にも気を使いながら、精一杯チャレンジしたい。
2006年01月05日
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今日は、花園で高校ラグビーの準々決勝全4試合を観戦した。東花園駅は高架のために工事中で、出口が例年と違っていた。9時過ぎに実家を出発し、花園ラグビー場に到着したのは10時過ぎだった。この時点では、メインスタンドも、バックスタンドも中央付近が埋まっていただけだった。僕は、バックスタンド中央の最上段近くの席を確保し、スポーツ新聞を読みながら試合開始まで待つことにした。場内には、「ノーサイド」の曲が流れていた。天候は曇り時々晴れ。生駒おろしの風がきつく、寒いコンディションでのゲームとなった。各試合のポイントをメモしていたので、振り返りたい。ラグビーのスコアブックは10年以上つけていなかったので、試合を追いかけながらスコアをつけるのが結構むつかしかった。第一試合:桐蔭学園(神奈川)27-8茗渓学園(茨城) 試合は、前半12分、茗渓は敵陣ゴール前のPGを狙わずタッチからラインアウトを選択し、ボールキャリアして茗渓FBが絶妙のパントをWTBが抑えてトライし逆転。しかし、桐蔭も18分に相手ゴール前のペナルティからFWが突っ込み、ブラインドサイドを展開してトライ。28分にも中盤付近のラックをSHが抜け出し、ゴール前まで前進、茗渓ターンオーバーするものの痛恨のノットリリース。ペナルティーからFWが仕掛けSH-CTBと展開してトライ。 後半は14分過ぎまで茗渓が攻め続けるが、桐蔭が粘り強くディフェンスし、中盤で相手パントをチャージしSHが相手ディフェンスの裏に絶妙のパントをFBが抑えてトライ。25分にもゴール前スクラムからモールで押し込みとどめのトライを上げ試合を決定付けた。 茗渓はテンポよく攻め続けたが、桐蔭の重量FWと粘り強いディフェンスに屈した印象だ。第二試合:大工大高(大阪第2)29対12啓光学園(大阪第1) 大阪決戦とあって、この時点で3万人程度にまで観客が増えた。超満員とまではいかないが、かなり入っている。 試合は開始早々から、大工大高がFW、BKともに分厚い攻撃と厳しい防御で主導権を握る。前半4分、啓光が敵陣を攻めるがミスが多く攻めきれない。逆に工大が相手SOのパントをチャージされ左に展開、WTB中浜がトライ。13分、工大自陣10m付近のラインアウトから、バックスに展開。SOから飛ばしパスしてCTBが縦に切り込み、再びSOをリターン。SO-WTBとわたり、1対1をスワーブでかわし中浜が2本目のトライ。23分、自陣10付近のスクラムからブラインドWTB直で持ち込み、ショートパントを自ら拾い中浜3つ目のトライ。啓光は29分にラックを連取し、SOがタテで勝負してそのままトライ。工大17対7啓光で前半を終了。 後半3分工大は敵陣ゴール前のペナルティーを狙わず、タッチからラインアウトを選択。モールを押し込みそのままトライ。その後、啓光が継続して自陣から攻め続けるが、工大の堅いディフェンスにミスを連発。19分、啓光の攻撃をターンオーバーし、ゴール前まで持ち込み、ラックからSOが再びディフェンスの裏にパントし、WTB中浜が抑えて4つめのトライを上げ試合を決定付けた。啓光は終了間際に意地のトライをあげたが時既に遅し。 ストップザ啓光を掲げた大工大高が完勝。啓光は、ミスが多く、自分達のラグビーができないまま5連覇の夢は消えた。第三試合:伏見工業(京都)24対20長崎北陽台(長崎) 僕が最も注目した試合。長崎のテンポ良いラグビーが実力校の伏工にどれだけ通用するのかを注目していた。 前半、伏見は長崎ゴール前のペナルティーから攻め続け、9分にスクラムサイドのアタックからFL辻井がトライ。しかし15分、長崎はゴール前ラインアウトのモールを力で押し込みトライ。難しいゴールも決めて同点。20分伏見は、敵陣22m付近のラインアウトから1CTB横にFB清島がライン参加。そのまま相手を振り切りトライ。ゴール成功し伏見14対7。23分、ゴール前のペナルティーで長崎がPGを成功。30分にも長崎がPGを狙うがこれは失敗し、伏見14対10で前半を終了。後半、先制したのは伏見。5分に敵陣10m付近のハイパントから伏見WTBが拾ってそのままトライ。(19対10)しかし、長崎も、継続ラグビーで敵陣に攻め込み、14分伏見ゴール前ラインアウトからモールを押し込みトライ。ゴール成功して19対17と2点差になる。さらに、19分にPGを決めて19対20と長崎が逆転に成功する。残り10分から、伏見は自陣から果敢に攻め続ける。長崎は、ゴール前でペナルティーを得るが、PGを選択せずタッチからの攻撃を選択。しかし、伏見がこのラインアウトをターンオーバーし、ここから攻める。そして、30分、SO文字が22m付近中央でドロップゴールを狙うがチャージされる。このボールを伏見がキープしCTB南がタテを抜けてWTB長谷川が劇的な逆転トライ。ゴール不成功で試合終了。 この試合、長崎北陽台は、接点でのポイント形成が早くて上手で、テンポ良い展開ラグビーを披露してくれた。両チームともに厳しいディフェンスで非常に面白いゲームだった。第四試合:東海大仰星(大阪第3)55対7大分舞鶴(大分) 仰星は前半開始直後から、キックオフのボールを獲得して連続攻撃を仕掛けCTB野上がトライ。その後も、10分、16分とラインアウトモールを基点に、立て続けにトライ。29分にもラインアウトからオープン攻撃でWTB野上がトライし、前半を24対0で折り返す。後半も仰星が主導権を握り続け、5つのトライを重ねた。舞鶴は、終了間際に意地のトライをあげるも、55対7で仰星の完勝。大分舞鶴の打倒関西勢は無残に散る結果となった。試合終了後に、抽選会が行われ、準決勝のカードが決まった。桐蔭学園(神奈川)対大工大高(大阪第2)伏見工業(京都)対東海大仰星(大阪第3)会社で生中継は見れないが、いずれも楽しみなカードだ。追記:ひさしぶりの花園を十分満喫した。帰りに近くのラグビーショップで息子にスパイクとパンツをお年玉代わりに買った。帰りに家族と近くの駅で待ち合わせて、一緒に移動した。子供達も義父母の家でも十分楽しんだようだ。帰りの電車では、息子がぐっすり眠っていた。僕は、家族を途中まで送り、途中下車して友人と食事に行った。約1年ぶりの再会だったが、近況などを報告し、約2時間楽しい時間を持つことが出来た。明日は仕事はじめだ。そろそろ切り替えようと思う。
2006年01月03日
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昨日のサッカー全国高校選手権2回戦の麻布大淵野辺対高松商業戦で、大岩真由美さんが、女性では選手権史上初の主審を務めたとの記事が掲載されていた。大岩さんは、2年前に1級審判員の認定を受けている、インターハイなどでも主審を務めており、「最高ですね」とコメントしていた。ちなみに、彼女のプロフィールを調べてみた。----------------------------------おおいわまゆみ 1972年、北海道生まれ。FIFA(国際サッカー連盟)公認の国際女子主審。高校卒業後、少年サッカーとの出会いをきっかけに審判活動を始める。02年、U-19女子世界選手権の開幕戦で主審を務め、FIFA主催の大会で日本人女子として初めて笛を吹く。現在、平日はOLとして働き、週末はLリーグ(日本人女子サッカートップリーグ)や各種男子の試合で主審として活躍。「選手に自由にプレーさせてあげたい」との思いで、日々ピッチに立つ。 ----------------------------------彼女自身は19歳になるまでサッカーの経験がなかったようだ。だが、19歳から少年サッカーのコーチをはじめると同時に、審判の資格も順次取得していったようだ。CARINAVIの「この人かっこいい」のコーナーに彼女のインタビューの記事が掲載されていた。その中の彼女のコメントが素晴しい。「いろんなスポーツがある中で、たまたまサッカーに出会ったかもしれません。ですが、ここまで夢中になったのは、フィールドに入ったら、選手は自由だということにあると思います。手は使えないかもしれませんが、自分の判断で動けます。ゴールを目指すために、仲間と協力もできます。自分の技術を試すことだってできます。ピッチの上では、誰もが全てのものから『自由』になれるんです」 「ボール1つあれば、何時でも、何処でも、誰とでもプレーができるということです。特別な階級の人間でなくとも、どんなに貧しい人達でもボールの代わりになるものさえあればサッカーはできるんですよ。そういったすごく『フェア』で『平等』なところが魅力ですね。サッカーを好きになれば、世界中何処へ行っても、大人でも子供でも打解け合うことができます。友達にもなれるんです」 「やりたいことが見つからない人というのは確かにいますよね。でも、『何もやりたいことが見つからない』と思い込み過ぎているのではないでしょうか。何かを見つける前に、自分自身をよく知ることが大切です。興味を持っていることというのは個人個人無数にあると思います。小さい頃からのことを思い出せる限り、思い返してみて欲しい。自分がこれまで興味を持ったものの中で、共通点を見つけられるかもしれません。仮に共通点がなくとも、その中で今も興味があるものに、少しずつでも近づいていったらよいのではないでしょうか」 「私自身、将来の夢は少しずつ変わっていきました。変わっていいのだと思います。いろんな状況を経て、様々な体験を潜り抜けていく中で、自分にあったものを見つけていけばいい。『これだ』と決め付けてしまうから苦しくなる。視野が狭くなってしまうんです。ある程度の広い見方は必要だと思いますね。私にしてみても、もしかしたら審判以外にもっと適しているものがあるかもしれません。それくらい広い視点で自分を見ていきたいということです」 世の中には、すごい人がいるもんだとつくづく感じた記事だった。追記:昨夜は、両親とゆっくり話をする時間があった。2人とも、定年まで仕事をやり遂げ、定年後も働き続ける父、精力的にボランティア活動と絵画を楽しむ母である。人生の先輩として、重みがあるアドバイスを送ってくれた。
2006年01月03日
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今日は、小雨の中、大学選手権準決勝2試合が行われた。僕は、実家のスカパーで、昼食をとりながら観戦した。第一試合の同志社対関東学院は、両チームの実力が拮抗し、中味の濃いナイスゲームだった。前半、幸先よく、同志社が関東陣に攻め込み、連取したラックから左オープンに展開し、素晴しい判断で飛ばしパスでWTBが左スミにトライし先制。しかし、関東学院が粘り強くディフェンスし、接点でのボールを連取して3本のトライを上げ、17対8で折り返した。同志社としては、前半最後のPGをはずしたのが悔やまれる。後半は同志社が開始直後から、怒涛のFW戦を挑み、最後は右オープンからのサインプレーでトライをあげて反撃を開始。ゴールも決めて17対15とした。しかし、その直後のキックオフのポイントから、SOの内側にFB有賀君が入るスペシャルプレーでトライを返し24対13とした。これで同志社に傾きかけていた流れがとまる。しかし、その後も両者の激しい攻防が続いた。とどめは、後半30過ぎくらいだっただろうか。関東学院が中盤の左スクラムサイドから左に展開しダメ押しのトライ。これで勝負あった。結局31対15で同志社を振り切った。しかし、同志社は、関東学院に一歩も引けをとらない素晴しいファイトだった。復活の日は近い。続く第二試合、早稲田は、前半からFW戦で圧勝。何度も相手ラックをターンオーバーし、バックス、フォワードでトライをとり続ける。前半はスクラムトライを含めて5トライ。33対5で折り返す。後半も、攻撃の手はまったく緩まず、4トライを上げ、終わってみれば61対5の完勝だった。これで、関東学院対早稲田の9年連続の決勝戦となった。関東学院・春口監督は「早大と決勝で戦うのを目標にここまで来た」と語ったのに対し、早稲田・清宮監督は「セットプレーから最初の仕掛けを意識する。先手を取れるかどうか」と話す。清宮早稲田対春口関東学院は2勝2敗。清宮監督の「わたし自身、勝ち越しにこだわりたい」とのコメントが力強い。2005年度のシーズンもいよいよ最終章。今年は休日にあるので、テレビ中継で観戦できる。見逃せない一戦だ。追記:大学選手権を見た後で、家族で記念写真を撮った。いつもは、兄が、両親を交えた家族写真を撮ってくれるのだが、今年は僕と母が交互に写真係を担当した。その後、子供たちと一緒に家内の実家へ移動。すでに、義兄の家族も来られていて、義父・義母に挨拶した後で、食事をしながら、子供の教育や仕事の話になった。いつもは、そのまま泊まらせてもらうのだが、今年は兄の見舞いに行くので、途中で僕だけ退散することになった。家内の実家を後にして、兄のお見舞いに行った。兄は、また少し痩せた様子だった。皮膚のしわも目立ってきた。それでも、手を握り、語りかけると元気に反応してくれた。新年の挨拶、近況などを耳元で話しかけると、何度も反応しているようだった。10日後にくることを約束して病室を出た。頑張れ兄貴。
2006年01月02日
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高校ラグビーの全国大会は、昨日3回戦8試合が行われ、ベスト8が出揃った。僕が注目した、伏見工業対報徳学園は、ダブルスクラムハーフの伏見工業が終始報徳学園を攻め続け、48対0で完封。長崎北陽台も、黒沢尻北を34対7で退けベスト8進出を決めた。野澤さんのブログにもコメントされていたが、長崎北陽台のラグビーが面白い。FWのポイント形成が早く、接点でのボールの獲得率が高い上に、バックスが多彩なパターンでの仕掛けと仕上げを持っていて、見ていて面白い。ベスト8では伏見工業と対戦する。ぜひ見たい一戦だ。高校ラグビーハイライトでは、伏見工業と大分舞鶴が取り上げられていた。大分舞鶴高校は今年の九州チャンピョン。昨日の佐賀工業との一戦でも、40対21とその意地を見せ付ける、破壊力抜群の試合内容だった。九州チャンピョンのプライドをかけ、関西勢の尖兵、東海大仰星に挑む。ベスト8に残ったのは、関西勢4、九州勢2、関東勢2。今年も西高東低の構図は変わらない。ストップザ啓光なるか、いよいよ面白くなってきた。<昨日の近畿勢>大工大高43対7秋田工業伏見工業48対0報徳学園東海大仰星38対7国学院久我山啓光学園39対7高鍋<準々決勝:1/3>茗渓学園(茨城) 対 桐蔭学園(神奈川)大工大高(大阪第2) 対 啓光学園(大阪第1)長崎北陽台(長崎) 対 伏見工(京都)大分舞鶴(大分) 対 東海大仰星(大阪第3)追記:昨日の夜に、兄の部屋の納戸を開けると、僕が学生時代(1982~1988年)に使っていた教科書や保管していたスポーツ新聞、雑誌などが出てきた。母が残してくれていたようだ。スポーツ新聞は阪神の優勝、早稲田ラグビー部日本一の記事を中心に残していたようだ。主な記事の見出しを列記する。<1985,10,16 阪神5対5ヤクルト 神宮>・阪神Tigers万歳、21年ぶり優勝、B砲52号・掛布39号:1985,10,17(スポニチ)・阪神優勝、"自力栄光"吉田舞う、ドドーン祝砲真弓(33号)がB砲(52号)が、掛布回生39号:1985,10,17(日刊) 下宿のテレビで優勝の瞬間を観戦。その翌日から名古屋の学会だったが、なんと、研究室の恩師は、当日のチケットをドンピシャで購入。夕方から不在と思っていたら、生でその瞬間を味わったそうだ。その後、何事もなかったかのように研究室に戻り、仕事をして、翌日名古屋に移動したとのことだった。 <1985,10,26 阪神3対0西武 西武>・池田完封、でっかい先勝や、V3ラン決めたバース:1985,10,27(サンスポ) 前売り券を東伏見のチケット売り場に徹夜で並んで入手。(1,2、7戦)西武球場のレフトスタンドで生で観戦した。阪神・池田、西武・松沼博の息詰まる投手戦だったが、8回表にバースがレフトスタンドに勝利を決定付ける3ランを放ち完封勝ち。その翌日も、生観戦し、同じくバースがレフとスタンドに2日続けて決勝打を放ち2対1で勝利した。<1985,11,2 阪神9対3西武 西武>・阪神日本一、猛打有終万歳:1985,11,3(サンスポ) 研究室で観戦(だったと思う)。先発は阪神・ゲイル、西武はあの高橋直樹投手。この試合、長崎の満塁弾、真弓、掛布もホームランを放ち、この年を象徴するかのような打撃で西武を玉砕、日本一に輝いた。<1987,12,6 国立 早稲田10対7明治 >・早大優勝、明大撃破だ5年ぶり、耐えた!最後の7分間:1987,12,7(日刊)・ワセダ熱涙V、早明戦史上初の”雪中激闘”重爆スクラム耐えた:1987,12,7(スポニチ) 国立で観戦。明け方まで降った雪を朝から対抗戦グループ所属の学生たちが雪かきして試合に備えた。試合は、早大篠原がラインアウトから飛び込み先制するが、直後に明治はWTB吉田義人がキックされたボールを走りこんで抑えて同点。前半は7対7で折り返す。後半、早稲田は1PGを今泉が決め10対7とリードしそのまま終盤へ。残り10分となり、早稲田がゴール前に釘付けにされる。明大主将の大西がPGを狙わずトライにこだわり、怒涛の攻撃を仕掛けるが、早稲田の硬いディフェンスにゴールを割ることができずそのままノーサイド。試合の熱気と興奮で、寒さなど忘れる一戦であった。<1988,1,10 早稲田19対10同志社 国立>・やった!11年ぶり奪冠ワセダ、桑島激走3T:1988,1,11(サンスポ)・ワセダ熱涙、感動の輪!「荒ぶる」大合唱、絶えてしのんで・・・11年ぶり学生王者:1988,1,11(スポニチ) 国立で生で観戦。同志社は、中尾、武藤、宮本、弘津、山川、小松、細川ら後に社会人でも大活躍するスター軍団。このスター軍団を、今駒、藤掛のCTBを軸に伝統のアタックルで、同志社の分厚いライン攻撃を封じ込め、桑島が3Tをあげて11年ぶり学生王者を奪冠した。<1988,1,15 早稲田22対16東芝府中 国立>・悲願日本一!!ワセダ無敵14連勝!逆転フィナーレ:1988,1,16(スポニチ)・早大日本一!!、今泉5発4PG1G、蹴撃血しぶき14点:1988,1,16(日刊)・日本一(16年ぶり4度目)ワセダ、『国立』に都の西北こだま・・・、血染今泉激走!激蹴!!:1988,1,16(サンスポ) この試合、開始早々のコンタクトで今泉が口の中を切り出血退場。治療後戻ってきた姿に、観衆は愕然とした。なんと、上唇を庇うようにテーピングでぐるぐる巻きにして再びピッチに登場した。試合は、速いテンポで仕掛ける早稲田に東芝がたびたび反則を取られる展開で、早稲田が2T1G4PGで逃げ切り16年ぶりの日本一に輝いた。1985年は研究室に配属された年で、研究の傍ら、野球ファンの先輩、恩師とともに何度もチケットを入手して阪神の試合を観戦した。バース、掛布、岡田、真弓のダイナマイト打線が爆発したシーズンだった。1987年度のシーズンは、僕が大学院2年の年。この年は、何度も秩父宮、国立に足を運び、試合観戦のあとは、クラブの仲間が集う店で祝杯をあげた。
2006年01月02日
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昨日の午後、家族で兄の実家に移動した。いつもなら、お盆とお正月は父の実家(父のふるさと)に集まるのだが、今年は、兄の家でお正月をおくることになった。自宅からはバスと電車を都合4回乗り継いで、約3時間かけての大移動だ。駅で、スポーツ新聞と飲み物、お菓子を少し買い、ボックス席を陣取って出発した。さすがにお正月とあって、人が少ない。僕たちの席には、最後まで誰も座りにこなかったので、比較的ゆったりとできた。息子はゲーム、娘は読書をして時間を潰していた。乗り継ぎもスムースにいったので、予定していたよりも早めに到着した。駅から家までは徒歩10分かかるのだが、小学校~予備校時代まで育ったところなので、子供たちにいろいろ説明しながら帰った。子供たちは恐らく5年ぶりくらいだろうか。娘は前に訪れたことを覚えていたが、息子は覚えていなかったようだ。家に入ると、両親が歓迎してくれた。夕食は、「かにすき」だった。昔ながらの「おとそ」を久しぶりに味わい、かにすき、お刺身、雑炊を皆で平らげた。食事の途中で、子供たちの通知表を回覧し、僕たちから両親へ、そして両親から子供たちへ、それぞれ「お年玉」を贈った。母から「あんたら頑張ってるから、これはおじちゃんの分も含めてあげるからね。」と手渡されたお年玉袋の中身を、息子が早速確認しようとしたので、「そういうことは、もらった人の前でしたらあかんよ。」と教えてあげた。2人とも沢山もらってご機嫌だった。夜は、僕と息子は「筋肉バトル」を、娘は「インターネット」をしていたのだが、気がつくと両親が寝ていた。父も母も、兄のお見舞い、父の実家の片付けなどで疲れがたまっていたのだろう。お酒も入り、気分よく寝入ったようだった。子供たちを寝かしつけて、一人でテレビを見てすごし、高校ラグビーハイライトを見て眠りについた。いつもなら、その時間から兄と映画を1、2本見て、4時ごろに寝入る。その間、仕事の話や昔の思い出話、映画の内容など、色んなことを語り合うのだが、今年は、いやこれから毎年そんな時間はもつことはできない。昨日は、そんなことを思い、本当に寂しい気持ちになった。おそらく、父も母も、僕以上にそんな寂しさを感じながら、このお正月を迎えたのだろうと思う。今日、子供たちを家内の実家に送っていく。今年は、義父さん義母さんに年始の挨拶をしてから、兄に挨拶をして、この家で過ごそうと思っている。兄と心の中で語り合いたい。きっと兄も喜ぶだろう。
2006年01月02日
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ご訪問いただきました皆様へ:新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨日の紅白は白組優勝で終わりましたね。オオトリは、赤組・天童よしみの「川のながれのように」に対し、白組・SMAPの「Triangle」。僕は少し違和感を感じました。でも、中々の盛り上がりでしたね。我が家は、朝8時過ぎまでの寝正月でした。実家のように、おせち料理を準備することもなく、年賀状を確認し、簡単なお雑煮を食べて実家に移動するのが、ここ数年の恒例となっています。今朝も、年賀状のチェックまでは各人終了。家内は新聞と広告を熟読、息子はゲーム、娘は年賀状書き、そして僕はブログと、それぞれの一年が始まりました。できれば、去年よりは良い一年にできればと思っています。そのためのキーワードは、「忍耐」と「チャレンジ」。「忍耐」:いろんな状況の中で、我慢強く、粘り強く対応していける精神力を身につけるように努力したいと思います。「チャレンジ」:仕事やボランティアを問わず、積極的にチャレンジしていく姿勢を追求したいと思います。ともかく、新たな一年の始まりです。一年後に、「今年はいい年だった」といえるように、前向きに精進していきたいと思います。追記:明日は大学選手権準決勝、早稲田は、WTBの勝田君に代わり首藤君が出場する。明日の試合に向けて、昨日、今日と内ゲバを決行し、メンバーの士気を高めているようだ。
2006年01月01日
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