プロメテウスが天界から火を盗み人間に与えたことを怒ったゼウスは人間に災いをもたらすため「女性」を作るよう神々に命じる。泥から作られた女性パンドーラには様々な能力が与えられる(男を苦悩させる魅力もその一つ)。最後に絶対に開けてはならないという箱を持たせて、人間世界へと彼女は送り出され、プロメテウスの弟のエピメテウスと結婚し子供をもうける。或る日、好奇心から、彼女は箱を開けてしまう。すると、箱からは病苦、嫉妬、貪欲、猜疑、憎悪、悲嘆、飢餓、犯罪などあらゆる災いが飛び出すが、最後に残ったのがエルピス(希望)であった。
「パンドラの匣」は、太宰治の小説であるが、これは、太宰治のファンであった木村庄助という青年の病床日記が底本で、彼の遺言により日記の寄贈を受けた太宰がこれを小説に仕立てたのである。
この木村庄助が療養していたのが、
生駒山西麓の東大阪市日下町の日下新池畔にあった「孔舎衙健康道場」という結核療養施設で、昭和12年~17年秋頃まで、運営されていたとのこと。木村庄助はこの道場で健康を回復し退院するのであるが、後に病気が再発、病苦から22歳2カ月の若さで服毒自殺している。
小説では、下記のように書かれていて、東大阪市日下町を思わせる記述はなく、何処か他の架空の土地になっている。
「きょうはお約束どおり、僕のいまいるこの健康道場の様子をお知らせしましょう。E市からバスに乗って約一時間、小梅橋というところで降りて、そこから他のバスに乗りかえるのだが、でも、その小梅橋からはもう道場までいくらも無いんだ。乗りかえのバスを待っているより、歩いたほうが早い。ほんの十丁くらいのものなのだ。道場へ来る人は、たいていそこからもう歩いてしまう。つまり、小梅橋から、山々を右手に見ながらアスファルトの県道を南へ約十丁ほど行くと、山裾に石の小さい門があって、そこから松並木が山腹までつづき、その松並木の尽きるあたりに、二棟の建物の屋根が見える。それがいま、僕の世話になっている「健康道場」と称するまことに風変りな結核療養所なのだ。」
この場所が「パンドラの匣」の「健康道場」のあった場所だということを発見されたのは京都在住の医師で太宰治研究家でもある、浅田高明氏とのこと。
<参考> 大正時代の日下遊園地
-日常旅行日記-
木村庄助
・Wikipedia
「河内文化のおもちゃ箱」掲載文
-「太宰治『パンドラの匣』の舞台は孔舎衙健康道場だった」-
この発見を機に、現在は、この日下新池畔の丘を「パンドラの丘」と名付けて、地元の方々によって毎年2月に植樹会が行われている。
小生がこの「パンドラの丘」という名を知ったのは、先月28日の健人会の新年会( 2013年1月29日の日記参照
)で神戸市ご在住の田◎氏から頂戴した「まんぽけい(No.145)2013年1月号 文学・歴史ウォーク(90)」というパンフレットからでありました。地元にいながら「パンドラの丘」のことを神戸の方から教えて戴くとは、まだまだ精進が足りませんですな。
この日下新池の畔にはヒトモトススキの碑が建っています。
(ヒトモトススキの碑<但し、写真は2012年5月撮影のもの。>)
ヒトモトススキは海岸べりに生えるススキ科の植物で、この付近まで海であったことを示す証拠として、東大阪市の天然記念物に指定されているが、近頃は余り見掛けない。
パンドラの丘を歩いていると「弁天堂160m」という小さな標識。矢印の示す方向に行ってみることに。細い九十九折の山道を登って行く。
(弁天堂)
由緒などは知らぬが、小さなお堂が山中にひっそりとありました。日下新池には何度も来ているが、この弁天堂は多分初対面だと思う。
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