< 承前 >
小野小町塚から1kmばかり南に行った処、名神高速道路彦根ICの近くにあるのが原八幡神社。
この神社の境内には、芭蕉の句碑がある。
ご覧のように二つ並んでいますが、右が芭蕉の句碑で、ひるね塚。左が祇川居士という人の句碑で、白髪塚。
祇川居士については、蕉門四世(陸奥の人)とあるが、初めて聞く名前、如何なる御仁か存じ上げませぬ。
ひるがほに昼寐せうもの床の山 (芭蕉)
恥ながら残す白髪や秋の風 (祇川居士)
上の芭蕉の句は「東武吟行のころ、美濃路より李由が許へ文のをとづれに」という詞書きが添えられて居り、大津から岐阜に向かう途中、立ち寄らずに過ぎることを李由に言い送った句である。李由 (りゆう)
とは彦根の蕉門俳人で光明遍照寺十四世住職の亮隅のこと。「床の山にちなみ、そちらの昼顔をめでながら昼寝でもしたい処なんだが・・」というほどの挨拶の一句。
で、不肖、筆蕪蕉も一句。
昼顔に不精髭かな床の山 (筆蕪蕉)
(注)この裏に蕉門十哲の一人、森川許六の句碑もあったが、写真が失敗。
本番のサイクリングの折に撮り直します。
ところで、床 (とこ)
の山については、既に7月29日の下見記事で説明済みですが話の展開上、再度取り上げることとします。
万葉集に2首「とこの山」が登場する歌がある。
近江路
の
鳥籠
の山なる
不知哉川
日
のこの頃は 恋ひつつもあらむ
(万葉集巻4-487)
犬上の 鳥籠の山なる 不知哉川
いさとを聞こせ 我が名のらすな
(万葉集巻11-2710)
古来から「鳥籠の山」は歌枕となって来たが、その所在については諸説あり、何処とも定まらない。
1.正法寺の山説
2.小野付近の山説
3.大堀山(鞍掛山)説
4.佐和山・里根山説
5.鍋尻山説
壬申の乱では、この付近に於いても戦闘が繰り広げられたようで、犬上川や鳥籠山の名が日本書紀に見える。
<参考>日本書紀・天武天皇上、元年7月の条
時に近江、 山部王 、 蘇賀臣果安 、 巨勢臣比等 に 命 せて、 数万 の 衆 を率て、不破を襲はむとして、 犬上川 の 浜 に 軍 す。山部王、蘇賀臣果安、巨勢臣比等の為に殺されぬ。是の 乱 に由りて、 軍 進まず。乃ち蘇賀臣果安、犬上より返りて、 頸 を刺して 死 す。(7月2日)
戊戌 に、 男依 等、近江の 将 秦友足 を 鳥籠山 に討ちて斬りつ。(7月9日)
ここには日本一大きな太鼓があるようです。
先の下見では、昼食の用意をせずに中山道に入ってしまい、コンビニ弁当で遅い昼食としましたが、今回は、昼食の店の無いことは折り込み済み。近江牛弁当を買い込んでやって来ました。で、この太鼓収納庫の陰でお弁当タイムとした次第。原八幡だけに腹八分目で。
芹川に出る手前に聖徳太子ゆかりという地蔵がありました。
ようやく芹川に到着。
上の万葉歌の「不知哉川」も諸説あるのだが、この芹川だという説もある。他には、犬上川説や矢倉川説、矢倉川の支流である小野川説などがある。
芹川に架かる橋が大堀橋。橋を渡って振り返ると鳥籠山の有力候補の一つ、大堀山がよく見える。
ここにも芭蕉の句が刻まれていました。
余りに暑いので、橋の前にあったコンビニで「ガリガリくん」を買って、それを齧りながら走りました。
芹川沿いの道を池州橋まで走り、彦根城へと向かいます。
が、本日はここまで。続きは次回とします。( つづく
)
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