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京都の西と東の雄とも呼べる秦氏と賀茂氏。
一体、秦一族と賀茂一族の間にはどのような関係があったのでしょうか。
で、「長さん」は、2004年に共同通信社を辞められたわけですが、その後長宗我部家17代目の当主として『長宗我部』という本を出版しました。
その本の巻頭に「長宗我部氏系図」が掲載されていますが、長宗我部氏は何と秦始皇帝の末裔だというのですね。
秦始皇帝の五世~十世孫・孝武王の孫である弓月王の直系であると書かれています。かつて日本の首相を務めた羽田孜氏も秦氏の子孫だとされており、「神皇紀(宮下文書)」の取材で「日本徐福会」の会合を取材したとき、会場でお会いしたことがあります。
さて、そのように古代から日本の政治の中枢とも深い関係があった名門の一族である秦氏が、なぜタケツノミを秦一族であるかのように伝えたのか、という問題に戻りましょう。
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