午前中から鬱が苦しく昨日から引き続き布団の中で縮こまって休む.
頭も体も重い.
灰色の靄が立ち込めている.
それでも, ただただ休むという行為は鬱を確実に回復させてくれるのであって, 午後から少しずつ頭がはっきりしてくる.
今回の鬱についてあらためて振り返り, 自分なりに穏やかに着地させることができたようで夕方に布団から起きることができた.
シャワーを浴びて夕食をとる.
冷凍してあった鰤を塩焼きにしたもの, 納豆とご飯と白菜漬け.
読書と絵と数学も少しやった.
本はエレノア・ルーズベルト (Eleanor Roosevelt) と夫のフランクリン・ルーズベルト (Franklin Roosevelt) の章. エレノアが気高いまでに高潔で誠実・良心のひとだったのはなぜなのか, という出だしから入って心理学における "highly sensitivity: 高度の繊細さ" という概念の話.
絵は色を塗ろうと思ったが, 構図の一部が歪んでいたのを見つけたのでそこを鉛筆で直した.
数学は射圏 (arrow category) における始対象が何かということに対する解答を TeX で清書する.
圏 $\mathscr{C}$ の射 $i : I \rightarrow J$ が $\mathscr{C}$ の射圏 $\mathscr{C}^{\,\rightarrow}$ における始対象になるのは $I$, $J$ が $\mathscr{C}$ における始対象であるとき, そしてそのときに限るという結果になった.
終対象についても同様に考察してから見直すつもり.
以下はあまり後味の良くない話.
自分自身の現在の体調の確認のために書き残す.
おととい作業療法に行って絵を描いた.
この日はアトリエが空いていたせいか, 自分が描いている最中にスタッフさんが話し掛けてきた.
今は工場の絵を描いていることとか絵の具の使い心地とか, そんなような, 多分ごく普通の話をした.
その際, 自分はスタッフさんの話が何度か理解できず聴き返した.
また, スタッフさんの顔を見て話すことができないため, 床や自分の絵に視線をやって会話をしていた.
途中でそのことに気付き, スタッフさんに, ごめんなさい会話の時にてんぱってしまって内容が理解できないことがあるんです相手の目とか顔を見て話をすることが怖くてできないのですすみません, というようなことを畳み掛けるように喋って伝えた.
確かスタッフさんは普通に, 大丈夫ですよ, とか答えてそのまま会話に戻ったように思う.
それだけの話.
帰宅途中から, このことが奇妙に心に引っ掛かりだした.
忙しい中, せっかく自分に声を掛けてきたスタッフさんに, 突然会話を遮って自分の病のことを話す.
いきなり何を言い出すんだと思ったのではないだろうか.
しかも, 相手の話した内容を何度も聴き返したり, 目を合わせずに会話をしたりする様は, スタッフさんから見たら, そっぽを向いてろくに自分の話を聞いていないように受け取られるだろう.
なぜ誠実に会話の本筋に向き合おうとしないのか.
なぜ自分のことだけしか考えないのか
なぜ自分の言い訳に終始するのか.
まるで, 自分は心の病で苦しんでいるので特別扱いしてくださいと言わんばかりではないか.
アトリエに来ている他のメンバーだって心の病や身体的な不自由がある中で, それぞれの仕方で自己と向き合っているのだ.
スタッフにしがみついてあたふたしているのは自分だけだ.
こういう時に本来の人間性が出るのだ.
何という自分勝手な態度.
相手に迷惑極まりない不愉快な思いをさせたのだ.
貴重な時間を奪って.
しかも卑屈で小狡い.
非常に醜い.
今, 落ち着いた状態でこの時の感情・思考の流れを振り返ると明らかにおかしくなっている.
著しく偏った考えをしている.
あえて言うならば, 正常ではない.
いずれにせよ, どういう筋道を辿ったのか上のような状態に陥った.
それが呼び水となって過去の類似の記憶の断片が連続して浮かび上がってきて収集が付かなくなってしまった.
パニック状態に陥り, その結果として帰宅直後に布団に倒れ込むことになったのだ.
きのう, そして今日の午前中まで布団の中で背中を丸めて縮こまっていたのだ.
頭がはっきりしてきた今日の午後に考えたこと:
まず, スタッフさんにとっては今回自分がとったような行動は作業療法のアトリエではよくあることで, 何ら特別な対応を要する出来事ではない.
自分の行動は単にその中の一つに過ぎないだろう.
こういった事態や状況に対応を行うことができるひとだから作業療法のアトリエを支える仕事をしているのだ.
それから, 自分にしてみれば, 会話の際の問題について伝えたことは, これが情報としてスタッフさんに伝わったことで完結している.
それで終わっている内容なのだ.
最後に会話の本筋, と言うか自分が描いていた絵についての会話は普通に進んで普通に終わった.
これのどこにも問題は無い.
今後も時折こういう状態に陥ることはあるだろう. その時は次のようにすればいいだろう.
まずひたすら休むこと.
回復したら何が起こったのかをよく見直すこと (考えてみたら「よく見直すこと」は認知療法の一つのステップだ).
これで解決すると思う.
2017年01月29日
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数学は修士課程まで進みました. 解析学 (変分問題) と数論 (代数関数論) のどちらにするか迷った結果数論にしたのですが, 私には難しかったようです. 学費のこともありましたし, コンピューターの会社に入る道を選びました.
数学で行き詰まっていた頃, 気分転換で「形式言語学」の講義を取りました. そこで関数プログラミング (入門的なコースでした) に興味を持てたことや, 入った会社で UNIX と C 言語を学べたことは幸運でした. 大学院では数学で挫折したのですが, 今になってみると各々が深いところで繋がっているのも自分なりにわかってきて楽しいです.
以前のマスギーク様のカレッジでの教育の現場の話はいろいろと考えさせられました. 日本の事情はどうなんでしょうね.
現在は体調が万全では無いせいなのか, プログラミングができません. アルゴリズム的な思考がどうにもできないのです.
時間が回復に導いてくれることを願って, 焦らず各駅停車で行くことにします.
わたしも、昨日は一日中寝てました。前日に、色々いっぺんにやりすぎくたびれました。調子がちょっと良いと、いつものぶん、 m取り戻さないと思い、張り切りすぎてしまいます。
ところで、先週から始めた、「Yin Yoga」すごく良くて、続けるつもりです。うちのヨガ教室では、ホットヨガだけでなく、フローヨガやら、陰ヨガ(Yin Yoga) もあります。一度、YouTube で観て、やって観てください。呼吸に注意を向けてやると、より効果的です。
底彦さんは、数学は、博士課程まで進まれたのでしょうか? 私は、数学で修士課程を卒業し、そのあとは、教育法を数科目、博士課程で修了し、大学で教えましたが、新米教師は、一番レベルの低いクラスしか教えさせてくれないので、学生の出来の悪さに腰が抜け、耳鳴りがしました(笑笑) 分数の計算ができないのです。もちろん、一次関数の傾きを認める事も、困難で、ドン引きしました。
お互い、ぼちぼち、各駅停車でいきましょう。各駅停車ならではの、人生の景色が見えるはずです。