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図書館で『80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックの人口問題特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●爆発する世界の人口医療の発達で子どもの死亡率が低下し、平均寿命が長くなるに伴って、世界の人口は半世紀もしないうちに2倍に増加した。だが、食料などの資源の不足や気候変動といった要因によっては、この傾向が反転する可能性があると、専門家たちは考えている。●減る中国一人っ子政策と出生率の急落によって人口が減少に転じたこの国で、人々は新しい生き方を模索している。●超高齢社会の日本人口の3割近くを65歳以上が占める日本。高齢化対策で世界をリードし、お手本になれるのだろうか?<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの人口問題特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakuten80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)超高齢社会・日本の現状を、見てみましょう。(文:サラ・ラブマン)p86~96<日本が切り開く未来> 高齢の女性が一人、戸口から顔を出して、木造建築が立ち並ぶ目抜通りをのぞいた。別の女性も路地の奥から通りに向かう。数分後、2代の軽トラックが通りに止まった。 途端に辺りが活気づいた。5人のスタッフが、先に到着したトラックから生鮮食品を運び出し始めた。すると、2台目のトラックはあっという間に、棚や赤い日よけテントを備えた小さな店舗に姿を変えた。荷台の左側は冷蔵庫になっていて、魚や肉、ヨーグルト、卵などが入っている。野菜や果物は右側、菓子類は後部に並んでいる。5、6人の買い物客が時折足を止めながら、トラックの周りを歩いて商品を見て回る。全員、高齢の女性だ。 その一人、河上美和子は87歳。近くの寺の裏手の家に一人で住んでいる。スタッフに杖を持ってもらって、小さな買い物かごを手にした。以前はこの地区にもたくさんの店があったが、5年ほど前に次々と閉店したのだという。買い物を終えると、通りを渡り、近所の86歳の女性と合流した。その女性は買った食材を運ぶのを手伝おうと、迎えに来てくれたのだ。 ここ富山市岩瀬地区では過疎が進む。若者は町を出てゆき、残った住民は年を取る一方だ。こうした現象は今、日本中で起きている。日本ではここ数十年、出生率が下がり続けている。人口は2010年に1億2800万人でピークに達し、現在は1億2500万人足らず。今後40年、減り続けると予測されている。 その一方で、日本人の平均寿命は延び続け、女性は87.57歳、男性は81.47歳に達した。ミニ国家のモナコを除けば、日本は最も高齢化が進んだ国だ。 こうした人口動態が生活にどんな影響をもたらすかは、数字を見ただけではわからない。高齢者がどんどん増えて、若年層がどんどん減っている。 その結果、町の景観から社会政策、企業の経営から個人の住宅まで、二品人の生活のあらゆる側面に変化の波が押し寄せている。高齢者のために設計された7,高齢者が多数を占める国。日本はそんな国になろうとしている。 日本がたどる道は世界の多くの地域がやがてたどる道でもある。中国、韓国、イタリア、ドイツでも同様の変化が起きているし、米国も比較的緩やかなペースながら同じ推移をたどっている。世界は5年前に将来を悲観させるような指標に達した。人類史上初めて、65歳以上の数が5歳未満の数を上回ったのである。 日本の現状が参考になるとすれば、高齢化はわかりやすい形だけでなく気づきにくい形でも社会構造を変えるとみていい。高齢化は国家財政に大きな負担を与え、対応は一筋縄ではいかないが、極端に高齢化が進んでも、社会必ずしも衰退に向かうわけではない。 日本はその得意技である細部への目配りやデザインへのこだわりを生かし、高齢化に対応している。その経験が物語るのは、超高齢社会に突入しても、イノベーションの時代を迎えることは可能だ、ということである。 日本の厚生労働省は2020年、介護ロボットの開発。普及のプラットフォーム構築事業の一環として、生活空間で介護ロボットの効果を検証するため、全国に8ヵ所の「リビングラボ」を設置した。 この国では今、企業や大学、研究機関、さらには全国各地の自治体がおびただしい数の実験を進めている。その目的は高齢者ができるだけ長く健康を保ち、要介護者を支える社会的費用をできるだけ抑えることだ。<ふくらむ介護費用>(前略) 日本の国民は人にもよるがほかの先進国と比べ、納めた税金や保険料より大きな便益を享受していて、高齢者の介護費用は、所得に応じて7割から10割が公的資金でまかなわれている。介護保険制度が2000年に導入される以前は、衰弱した高齢者は病院で亡くなることが多かったが、今では多くの人が自宅で亡くなる。 だがこの制度は逼迫している。すでに介護現場は人手不足に直面しているが、政府の推計では2040年までに70万人の増員が必要になる。介護職の給与引き上げ、退職者やボランティアの活用、介護職の専門職化と社会的地位の向上、ロボットの活用など、さまざまな解決策が提案されている。 そのなかで現状では最後の手段であり、今後もそうであると考えられるのは、外国人労働者の受け入れ拡大だ。ベトナム人やフィリピン人など外国人が介護施設で働いているが、熟練労働者であっても、就労ビザの発給は厳しく制限されている。日本は島国で閉鎖的なことに加え、日本語習得の難しさもあって、介護職不足を外国人で穴埋めするのはそう簡単ではない。 一方で、コストは上昇の一途をたどっている。公的負担による医療費、介護費用、年金などの社会保障費は1990年から2022年の間に3倍に増え、その不足分は国債でまかなわれている。制度を維持するには、受益と負担のバランスを回復しなければならないと、岸田首相の秘書官を務める宇波弘貴は話す。『80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)』1:中国の人口政策
2023.07.31
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図書館で『ワイルドサイドをほっつき歩け』という本を、手にしたのです。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というドキュメンタリーを読んで以来、著者のファンでおます。【ワイルドサイドをほっつき歩け】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>よりEU離脱、競争激化社会、緊縮財政などの大問題に立ち上がり、人生という長い旅路を行く中高年への祝福に満ちたエッセイ21編。第2章は、現代英国の世代、階級、酒事情についての著者解説編。<読む前の大使寸評>『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というドキュメンタリーを読んで以来、著者のファンでおます。rakutenワイルドサイドをほっつき歩けプロセッコ酒の話が語られているので、見てみましょう。p240~243 <最後はだいじな酒の話>② いま英国で売り上げ急上昇の酒とは? 実際、いま英国で売り上げが急上昇している酒が、じつはスパークリングワインなのである。スパークリングワインとは、いわゆる「バブリー」とも言われる酒で、シャンパン、カヴァ、プロセッコなどを含む発泡性葡萄酒のことである。 英国人といえばパブでビールを飲んでピーナッツを食べていた時代は終わり、優雅にシャンパングラスでスパークリングワインを楽しむ時代へと変わったのだ。むかしからの英国好きにはちょっと複雑な気分になる人も少なくないだろう。 2018年には英国史上最高の1億6400万本のスパークリングワインの売り上げ本数を記録したそうで、そのうち4分の1はクリスマスやニューイヤーズ・イヴのパーティーで消費されているらしい。金額で言えば、2018年のスパークリングワインの売り上げは22億ポンドになり、これは5年前の2013年の2倍以上になっている。特にイタリア産のプロセッコの人気が高く、2015年にはシャンパンを抜いて英国で最も売れるスパークリングワインの座を獲得した。 たとえば、ダニー・ダイアのような労働者階級を代表するコックニー俳優までもが、休みの日の最高の過ごし方はNetflixで映画を見ながらプロセッコを飲むこと、なんて言っているのを見ると隔世の感がある。 英国での近年のプロセッコの浸透率は凄まじいものがあるのだ。シャンパンに比べると値段がぐっと安いこともあるが、いまや労働者階級の町でもご近所へのお礼とか挨拶とかでプレゼントし合うのはプロセッコである。(中略) まあ何にせよ、パイントでビールを飲みまくってトイレに行きまくる、そして最後の締めはインド料理店のカレーかテイクアウトのケバブ。みたいなマッチョな飲み方をする英国人はもはやそんなに多くないということであり、20年前には想像もつかなかったが、かなり階層の下のほうまで、安い発泡葡萄酒が普及するというエレガントな飲酒事情になっているのだ。③ ビール離れは続くよ、どこまでも がんがんビールを飲む世代だった中高齢者たちが、肝臓疾患や癌を恐れてビールを飲まなくなると、それでなくともあまり酒を飲まない若い層にどうやってアピールするかを考えなければアルコール業界に生き残るすべはない。 ミレニアル世代はパブに行くより、スポーツジムで汗を流してスムージーを飲むヘルシーなライフスタイルを好む。(中略)こうしたビジネス的な危機に焦りを感じたアルコール企業は、まったく飲まない人やあまり飲まない人が夜の外出で楽しめる飲料の開発・売り出しに乗り出した。「Low & No(低アルコール & ノー・アルコール)」と呼ばれる一連の飲料がそれである。『ワイルドサイドをほっつき歩け』5:酒の話『ワイルドサイドをほっつき歩け』4:悲しくてやりきれない『ワイルドサイドをほっつき歩け』3:ウーバーとブラックキャブ『ワイルドサイドをほっつき歩け』2:英国での中国人レイシズム 『ワイルドサイドをほっつき歩け』1:はじめに
2023.07.31
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図書館で『科学で大切なことは本と映画で学んだ』という本を、手にしたのです。どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。【科学で大切なことは本と映画で学んだ】渡辺政隆著、みすず書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より本から映画、映画から本へ縦横自在に往き来して科学を語る。ハメット、ヴォネガットからダーウィン、「時をかける少女」に「アナと雪の女王」、寺田寅彦、中谷宇吉郎、グールドにドーキンス、憧れのS.コネリー、「ひょっこりひょうたん島」、「崖の上のポニョ」、ビッグヒストリー、ダイアモンド、ハラリ…芸術も科学も文化、科学の知識があれば人生はさらに楽しい。心おどる科学研究の最先端はもちろん、科学のわき道・回り道、科学と科学者のいかにも人間味ある営みを捉えて随一の書き手の物する無類のサイエンスライティング。挿絵・山本美希。<読む前の大使寸評>どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。rakuten科学で大切なことは本と映画で学んだ「8 拝啓ダーウィンさま」から恐竜絶滅などの話を、見てみましょう。p145~148<プレイ・イット・アゲイン> 今を去る五億年あまり前に突如として出現した奇妙奇天烈な生物の多くは、子孫を残さずに消滅した。歴史を巻き戻し、その時代からやり直したとしたら、今の地球はどうなっていたか? 人類は、はたして登場していたかどうか? 誰にもわからないというのがその答。もちろん、人生をやり直そうと決意したジョージのその後も予測はつかない。まあだからこそ、人生も映画も面白いのかも。辛いこともあれば、素晴らしいこともあるのだから。 いや、もっと気になるのは、恐竜が絶滅していなかったとしたら、地球はどうなっていたのか? コナン・ドイルといえばシャーロック・ホームズ。しかしじつは『失われた世界』というSF小説も書いている。その映画化の初代作品が「ロスト・ワールド」。 物語は、アマゾンの奥地に太古の世界がそのまま残っていると主張するチャレンジャー教授一行の冒険である。切り立った崖で下界から孤立した高地に、化石でしか知られていない恐竜や翼竜が生き残っていたというのだ。 そのモデルとなった場所が、独自の進化を遂げた生きものの生息地として知られる実在の地、ギアナ高地であることでも有名な作品である。原作は1912年。その30年ほど前に報告された、世界初のギアナ高地探検に触発されて書いたといわれている。 1925年制作の映画は無声映画である。後続の恐竜映画、あるいは怪獣映画の原点がこれだ。 それにしても登場する巨大な恐竜はどうやって撮影したのか。CGなどなかった時代である。着ぐるみでもない。小さな模型を作り、それを少しずつ動かしながら一コマずつ撮影したのだ。この技法をストップモーション・アニメという。ローテクながらすごい。なにしろ細部まで異様なこだわり様なのだ。撮影にはなんと7年もかかったといわれている。 登場する恐竜は、どこかおどろおどろしくて、それが奇妙な迫力を生んでいる。しかしそのペースは恐竜の古いイメージにある。 現代恐竜学が書き換えた大きな修正点の一つは、恐竜のしっぽだった。この映画に登場する雷竜ことプロントサウルスも、大型肉食恐竜アロサウルスも、長い尾をだらりと地面に垂らしている。 しかしこれでは敏速な動きができない。だいいち、プロントサウルスの長い首とバランスが取れない。新しい恐竜像に基づいてスピルバーグが制作した「ジュラシック・パーク」と比べればよくわかる。 おっとそれともう一つ、プロントサウルスという名の恐竜は一時的に存在しなくなったものの、また復活したという噂を聞く。別々に命名されたアパトサウルスと同じ種類ということで、後者の名に統一されることでいったんは消滅したのだが、最近になり、両者は別属であるという説が出たらしい。最新の情報によって改定されてゆくのが科学なのだ。 チャレンジャー教授一行は、プロントサウルスを捕獲してロンドンに連れ帰る。しかし港で檻から逃げ出した恐竜は、街を破壊したあげく、タワーブリッジから落下する。そしてネス湖の恐竜よろしくテムズ川を泳ぎ下ってゆく。ゴジラが東京湾に出現するのは、その29年後のことだ。恐竜絶滅の新たなシナリオが恐竜超世界2 後編~恐竜絶滅の“新たなシナリオ”~で見られます。『科学で大切なことは本と映画で学んだ』2:iPS細胞とかクローン人間などの話『科学で大切なことは本と映画で学んだ』1:はじめに
2023.07.30
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図書館で『ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックのウクライナ特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●わが愛しき祖国ウクライナ人によるプロジェクトが記録した、戦いの前の美しい祖国。●原生の自然を探して手つかずの自然とは何か。その答えを見つけたいと、原生自然地域になっている米国ニューメキシコ州のヒラの森を訪れた。●宇宙から来た金属製鉄技術が誕生する以前、古代の人々は空から落ちてきた隕石に含まれる鉄を使って、貴重な装飾品や武器を作っていた。<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックのウクライナ特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakutenウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)隕鉄製の短剣空の金属(隕鉄)が語られているので、見てみましょう。(文:ジェイ・ベネット)p121~124<宇宙から落ちてきた金属> 石灰岩の壁には、人類最古級の文字体系であるヒエログリフの象形文字(ハゲワシやフクロウ、目や足、ヘビや半円形など)が、整然と縦書きで刻まれている。 私が探していたのは、水を入れたボウルをかたどったような文字だ。私たちがいる前室は床から蛍光灯で照らされたいて、歩き回る観光客やガイドの影が古代文字の刻まれた壁面に映える。天井を見上げると、五つの角をもつ星がたくさん刻まれていた。 エジプト学者のビクトリア・アルマンサ=ビラトーロは、2本の指をまっすぐ伸ばし、ヒエログラフを丁寧にたどりながら観ていた。彼女は古王国時代の文書を専門とする学者で、米ハーバード大学のフェローでもある。今回、彼女の協力で、カイロから約25キロ南にあるサッカラ遺跡の墓所を取材することができた。 ここは、紀元前24世紀の第5王朝最後の王、ウナスの墓だ。壁面に刻まれているのは、亡き王が危険な冥界を通り抜けられるようにと導く文言で、エジプト学では「呪文」と呼ばれている。この種の文書は「ピラミッド・テキスト」と総称され、このウナスの王墓のものが最古だ。 ウナス王の石棺へと続く通路の横に記された象形文字の上で、アルマンサ=ビラトーロの指がぴたりと止まった。「ありましたよ」。U字形の文字を指さしながら、彼女はうれしそうに小さな声で言った。 彼女の研究によると、その文字は「鉄」を意味しているという。この時代にエジプト人が鉄について記しているというのは注目に値する。人類が鉄の精錬技術を習得するのは、まだ1000年ほど先のことだからだ。だが、鉄を手に入れる道はもう1つ存在した。隕石からだ。 この10年ほどの遺物研究により、製鉄が始まる以前のじだい、一部の文明では鉄隕石(隕鉄)を使ってさまざまな物が作られていたことが明らかになってきた。5200年ほど前とされるナイル川沿いのゲルゼ遺跡の墓地からは、隕鉄製のビーズが9個出土した。 3300年ほど前に封印されたツタンカーメンの王墓からは、美しく、切れ味も鋭い短剣をはじめとする隕鉄製の副葬品が見つかっている。 隕鉄で作られた宝飾品や武器は、エジプト以外でも見つかっていて、北米ではビーズが、中国では斧類が、トルコでは短剣が発見された。 それらの文化において人々が隕石の起源を理解していたかは、ほとんどわかっていない。ただ、ウナス王墓の葬礼文書には、空の金属についての話が出てくる。つまりエジプトでは、空から鉄が降ってくると認識されていただけでなく、そのことが彼らの神秘主義的な信仰の一部に取り込まれていた可能性がある。(中略) そして、このピラミッド・テキストには、王が来世にたどり着くためには、その天界を船で渡らなければならないとも書かれている。 後代の王たちの墓にも、空や星、鉄の扉や卵といった言葉を含む難解な文言が見られる。「鉄には、宇宙において創造や復活を暗示するような意味が色濃く感じられます」とアルマンサ=ビラトーロは話す。『ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)』1:過酷なウクライナの現状
2023.07.30
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図書館で『ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックのウクライナ特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●わが愛しき祖国ウクライナ人によるプロジェクトが記録した、戦いの前の美しい祖国。●原生の自然を探して手つかずの自然とは何か。その答えを見つけたいと、原生自然地域になっている米国ニューメキシコ州のヒラの森を訪れた。●宇宙から来た金属製鉄技術が誕生する以前、古代の人々は空から落ちてきた隕石に含まれる鉄を使って、貴重な装飾品や武器を作っていた。<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックのウクライナ特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakutenウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)過酷なウクライナの現状を、見てみましょう。(写真・文:渋谷敦志)p37~48<若者たちが描く未来> ロシア軍がウクライナに全面侵攻をしかけた2022年2月24日から1年3ヵ月余りが過ぎた。ウクライナは国の存亡をかけて抵抗を続けている。ロシアは国際社会で孤立を深めているが、軍事攻撃をやめる気配はない。むしろ、ウラジミール・プーチン大統領は、「ウクライナは歴史的にロシアの一部だ」と侵略行為を正当化する強弁を繰り返し、ウクライナという国家、民族の制服をももくろんでいるかに見える。 相手を服従させるには、恐怖を与えればいい。そうすれば幸福は時間の問題だと、ロシアの戦争責任者は考えたのだろう。しかし、その狙いは外れたばかりか、逆に、不屈の闘志と民族の矜持をウクライナ人にもたらした。ロシアがウクライナを手に入れようとすればするほど、ウクライナは遠く離れていく。この1年余りの取材で得て実感だ。 2022年8月、ウクライナ取材はブチャから始まった。路上に放置されたおびただしい数の遺体、後ろ手に縛られたまま殺害された人々・・・。首都キーウにほど近い町で起きた大量虐殺を記録した映像に衝撃を受けた。ロシア軍による約1ヶ月間の占領下で殺害された市民は420人以上。 犠牲者は戦闘とは無関係の民間人ばかりだった。ウクライナで起きている紛争はただの二国間の戦争ではない。ロシアによる侵略戦争であり、人道に対する重大な犯罪行為である可能性が極めて高い。そのことを何よりまず肌身に感じなければと、取材の端緒をブチャに求めたのは自然な流れだった。 ブチャで生まれ育ち、隣のイルピニの市役所に勤務するアナスタシア・フライバーグさん(24)は、虐殺を生き延びた一人だ。「2月24日の朝、爆発音で目が覚めた。最初は隣人がドアを閉めた音かと思ったが、まもなく友人が電話で『戦争が始まった』と伝えてきた。21世紀にもなってまさか戦争なんてするはずがないと思ったが、27日には砲撃の音は地面を震わすほど激しくなって、3月3日には町はロシア軍に完全に占領された」 アナスタシアさんは両親と妹、祖父母の6人と地下室に身を潜めた。4日以降、電気やガス、水道や通信も止まる。逃げるべきか、とどまるべきか。どちらに生き延びる見込みががあるのか判断は難しく、「ここで死ぬかもしれないと思い、心の中で人生にお別れをした」。 命綱になったのが、祖父が持っていた古いラジオだった。必死に耳を傾け、市民を避難させる「人道回廊」が設置されると知る。そして3月10日、決死の覚悟で自宅を派なら、なんとかキーウに逃れることができた。 ブチャの解放後、避難せずに自宅にとどまった祖父母から、「10日に5人のロシア兵が家に来て、家族写真を見て『孫の女はどこだ?楽しませろ』と銃を突きつけられて尋問された」と聞かされた。あと1日避難が遅かったら、彼女は生存できたかどうか。「なぜ攻撃されるのか、なぜ殺されるのか、私にはわからない。はっきりしているのは、戦わなければ、私たちには悲しい未来が待っているということ。国のためにファシストと戦う人を支えて、未来を変える。それが今の私の目標」といい、避難生活を終えてブチャに戻ったアナスタシアさんは変わり果てた故郷の町並みに静かに目をやった。「これまではあらゆるレベルでロシアが上、ウクライナが下とみなされてきた。ウクライナ人は田舎者で、ウクライナ語はカッコ悪い方言だという考えがあったし、私の中にもあったが、その考えはこの戦争で一変した」 そう語るのは、大学生のナディア・チュベンコさん(21)だ。親からの避難の求めに応じず、自らの意思でキーウに残り、市内のカフェを拠点に前線に近い町に救援物資を送るボランティア活動をした。時おり、ウクライナの歌を歌ったり、ウクライナの国民的詩人タラス・シェフチェンコの詩を読んだりするチャリティーイベントを開く中で、「ウクライナ的なもの」への関心が高まったという。 2014年に東部のドネツィク州とルハンシク州で戦争が起きて以来、政府は「ウクライナ化」を推し進めてきたが、ナディアさんの場合、その変化は自発的に起きたものだった。「見下されてきた言語も文化も、元々は私たちの奥底で眠っていたもの。ロシアの『非ウクライナ化』でも失われなかったもの。それらを私たちの世代であるべき形に戻して、再生していけばいい」 隣で話を聞いていた双子の姉妹のアナスタシアさんは、にわかにウクライナ国民としてのアイデンティティーが強まっていることに同意しつつ、それ以上にウクライナの若者の中で変わったのは、自由への意識ではないかと主張する。ウン ウクライナの立ち直りを取り上げたナショジオのスタンスがいいではないか♪このテーマとは関係ないが、ナショジオが取り上げた『シルクロード(ナショナルジオグラフィック)』が、ええので紹介します。
2023.07.29
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図書館に予約していた『老人初心者の覚悟』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。既視感のある本なので調べてみたら以前に借りていたことがわかったのです(またか)。【老人初心者の覚悟】阿川佐和子著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より老人若葉マークの踏んだり蹴ったり…だからなんだ!「高齢者」の仲間入りをしたアガワが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。<読む前の大使寸評>既視感のある本なので調べてみたら以前に借りていたことがわかったのです(またか)。<図書館予約:(7/18予約、副本1、予約0)>rakuten老人初心者の覚悟パワハラの最たる事例ビッグモーターであるが、国交省や金融庁の監督はどうなっていたんだ、もう。このクソ暑い時期ではあるが・・・ニッポンのシステムこそ劣化が進んでいるのではないか。・・・ということで、アガワが説く「梅干しの夏」を、見てみましょう。p115~119<梅干しの夏 日本の夏> こう暑いと身体の動きが鈍るだけでなく、頭の回転も悪くなる。はて、今回は何を書けばいいのか。ちっともひらめかない。連日のように最高気温が体温よりたかいのである。いったいこの地球はどこまで熱せられていくのだろう。 日本はまもなくハワイか東南アジアのような熱帯の国になるんだよ、夏は皆、アロハかムームーを着て、街路樹はすべて椰子の木に変わるのさと、冗談めかして語る人がときおりいるけれど、どうもそんな生易しい話ではない気がする。もしかして火星だけでなく太陽とも急接近しているのではないか。 先日も都内ホテルの玄関前にて、ベルボーイ君が頬を真っ赤に火照らして、「熱いですねえ」と声をかけてくれたので、他人を気遣っている場合ではないでしょう、仕事とはいえ、この玄関前(そりゃもう尋常と思えぬ灼熱の空気に包まれている)に日がな一日立ち尽くし、客に向かってニコニコ愛嬌を振りまいているあなたのほうがよほど心配ですよと思い、「大丈夫ですか?」と訊ねたら、風呂上がりのような顔に朦朧たる笑顔を浮かべ、「大丈夫です。今、ここの温度計、39.5度です」と答えていたけれど、こりゃ早晩、倒れますなと思いましたよ、私は。 テレビから得たミニ知識である。たくさん麦茶を飲んでいた人が熱中症で倒れたという事例を挙げ、じゅうぶんに水分を取っていたのにどうしたことかと検証した結果、「水分と同時に塩分を補給しなければいけないのです」 専門家が唱えていたのをたまたま耳にして以来、バッグに梅干しを入れて持ち歩くことにした。梅干しの効能を深く知っているわけではないが、今、梅干しについて頭を巡らせただけで口内にツバが出てくるということは、梅干しの威力がどれほど絶大であるかを何より証明していると言っていいだろう。 あの天下一品の酸っぱさと塩辛さが古来日本人の健康保持、疲労回復、食中毒回避の支えとなって受け継がれてきたのだ。四の五の言わず、信ずる者は救われる。舐めるがよいぞ。と、宣言してはみるものの、街中で突如、歩きながら梅干しを舐め始めるのも憚られる。外で食事中、おもむろに梅干しを皿の上に出したら怪訝に思われるにちがいない。それこそ飴とは違い、どのタイミングでバッグから梅干しを取り出すか、迷うところだ。そこでひらめいた。 そうだ、お茶に入れよう。 たとえばどこかを訪問し、「どうぞ」と日本茶を差し出されたとする。「恐れ入ります」とこちらが殊勝に頭を下げる際、運んでくださった方もたいていお盆を手に伏し目がち、かつ楚々とした所作でその場を静かに立ち去る。客がお茶を飲むまでじっと見届けてやろうじゃないのといった圧力はかけないのが暗黙のもてなしマナーというものだ。 つまりこちらは見られていない。その隙を狙い、素早く茶碗にポトンと梅干しを落とし込む。入れてしまえばこっちのものだ。中を検閲されることはないだろう。 梅干し茶はおいしい。茶の香ばしさと梅の酸味が相まって、なんともいえぬ安堵感が口から胃へ流れ落ちる。それをよく味わうには、多少時間をかける必要がある。お茶の中で梅干しがほどよくふやけ、中のエキスがお茶全体に行き渡るまでしばらく待つ。その塩梅を知るため、梅干し茶を飲むときはおのずと茶碗の中をたびたび観察し、ときに茶碗を手で揺らし、ふやけた梅干しのエキスをお茶と融合させるべく工夫する。その動作を他人が見たら、なんとお茶に対する愛が深いかと思うだろう。好感度も上がる。 ただ一つ、問題が残る。茶を飲み終わり、梅肉もすっかり舐め切ったあと、種を茶碗の底に残して帰っていいものか。自宅ならいざ知らず、他人様のお宅、あるいは訪問先の会社だった場合、客の飲み終わった茶碗をかたづけようとした方が、ふと茶碗の底へ目をやると、「やだ、なんでこんなところに梅干しの種があるの?」 不気味に思われるであろう。そのリスクを回避するためには、種を茶碗からそっと取り出し、こっそりティッシュなどに包むことだ。しかしその頃には、もはやお茶を供されたときとは違い、なぜか他人の目が鋭い。こっそり敢行するのは不可能に近い環境となっている。そういうとき、私はお茶を飲み干すふりをして、梅干しの種も同時に口へ放り込む。それを頬の片隅に追いやって、「いやはやごちそうさまでした。ではそろそろ・・・」 こうすれば証拠を残さずに去ることができる。いやはや、果たしてアガワは頭脳明晰なのか、アホなのか・・・関西風に言えば、アホなんでしょうね♪『老人初心者の覚悟』3:味噌煮込みうどん『老人初心者の覚悟』2:ウーバー・ナウ『老人初心者の覚悟』1:新任高齢者のツイート
2023.07.29
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図書館に予約していた『老人初心者の覚悟』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。既視感のある本なので調べてみたら以前に借りていたことがわかったのです(またか)。【老人初心者の覚悟】阿川佐和子著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より老人若葉マークの踏んだり蹴ったり…だからなんだ!「高齢者」の仲間入りをしたアガワが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。<読む前の大使寸評>既視感のある本なので調べてみたら以前に借りていたことがわかったのです(またか)。<図書館予約:(7/18予約、副本1、予約0)>rakuten老人初心者の覚悟名古屋の名物「味噌煮込みうどん」を、見てみましょう。p98~101<ときどき無性に> 生まれて初めて味噌煮込みうどんというものを食べた。 名古屋で仕事があり、目的地までのそぞろ道中、昼食として「食べてみませんか?」と当地の方に誘われた。うーん、味噌煮込みうどんねえ・・・。正直に申し上げてさほど食指が動かない。でも、たしかに一度トライする価値はあろうと前々から気になっていたので、「では、是非!」 案内されたのは駅ビルの中にある味噌煮込みうどん専門店である。店に向かって歩く間、いくつかの注意事項を伝授された。「人気店でしてね。開店前から店の前に行列ができるので、急ぎましょう」「先に申し上げておきますが、あの硬さが味噌煮込みうどんの特徴ですので、驚かないでください」「うどんは少なめにしてくれと注文することもできます。ただし値段は変わりませんが」 それらのアドバイスを事前に聞かされていたおかげで、ほどほどの覚悟と余裕をもってテーブル席に着くことができた。 メニューを開くと、なんと種類の豊富なことか。でもすべて、味噌煮込みうどん。当たり前か。専門店だもんね。違いと言えば、生卵とネギとかまぼこだけの標準タイプから、親子入り(かしわと生卵)、名古屋コーチン入り(ふつうのかしわより少々値段が高い)、海老の天ぷら入り、豚ロース入り、さらには油揚げとネギ入りという、きつねうどんの味噌煮込み版とおぼしき種類もある。「うーん、どれにしようかな」 しばし迷ってみたものの、写真を見ただけでお腹がいっぱいになりそうなほどのボリューム感に溢れていて、圧倒される。心の奥底でかすかに、普通の澄まし出汁のきつねうどんが食べたいなあと思ったが、そんなことは口に出せない。 連れてきてくださった方に失礼であろう。もとより関西風きつねうどんの選択肢はないのだから。味噌煮込みうどん専門店だもんね。「とりあえず名古屋コーチン入りをオススメしますよ」 ここは当地の方の意見に従うのがいちばんだ。しかも私の戸惑いを素早く見抜かれたか、うどんの量をあらかじめ「少なめに」と注文してくださった。 まもなく、というより待つ間もなく、ぐつぐつ煮立つ音も軽やかに、蓋付き土鍋に入ったうどんが運ばれてきた。同時に紙エプロンが配られる。すかさず当地、味噌煮込みうどん推薦人の声が飛んできた。「うどんの汁が飛びますからね。しっかりエプロンしてください。で、それから口に運んでください。そうしないと熱いから口の中、火傷しますよ」 こころなしか消防訓練を受けているような緊張感が走る。味噌煮込みうどんに立ち向かうにはさまざまな危険が伴うとみた。私は心を平静に保つため、一度大きな深呼吸をしてから箸を握り、いざ土鍋に対峙した。 まず、赤味噌の池にどっぷり浸かった太めのうどんを1本、箸で持ち上げて、仰せの通りに土鍋の蓋に取り置く。それから、味噌が飛び散らぬよう細心の注意を払いつつ、その1本を再び箸で挟み、口を近づける。噛む。硬い。たしかに硬い。でも生茹でかと思うほどの理不尽な硬さではなかった。しかし、1本食べただけでお腹にずっしりくる。 続いてかまぼこをひと噛み。それから赤味噌の奥に埋もれているはずの名古屋コーチンを捜す。これか? これだな? うどんもネギも鶏肉も、すべて味噌に染まり切っているから容易にいるから容易に区別がつかない。唯一、味噌の池の真ん中に浮かぶ生卵の黄身だけが、「私は孤高!」とばかりにオレンジ色に光っている。 これを潰してしまうと、味噌に紛れて卵の味がわからなくなりそうだ。そこで私は卵を食べるのを後回しにし、うどんの熱でほどよく蒸されて半熟程度になったとき、卵に取りかかる決意を固める。そうとなればあとはひたすら味噌色をしたうどんと、味噌色をしたネギと、味噌色をした名古屋コーチンに、交互に食らいつくしかない。うーん、すさまじいではないか。でも、私も「ときどき無性に」あの硬い味噌煮込みうどんが食べたくなるのです。『老人初心者の覚悟』2:ウーバー・ナウ『老人初心者の覚悟』1:新任高齢者のツイート
2023.07.28
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図書館で『80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)』という雑誌を、手にしたのです。おお ナショナルジオグラフィックの人口問題特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪【80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●爆発する世界の人口医療の発達で子どもの死亡率が低下し、平均寿命が長くなるに伴って、世界の人口は半世紀もしないうちに2倍に増加した。だが、食料などの資源の不足や気候変動といった要因によっては、この傾向が反転する可能性があると、専門家たちは考えている。●減る中国一人っ子政策と出生率の急落によって人口が減少に転じたこの国で、人々は新しい生き方を模索している。●超高齢社会の日本人口の3割近くを65歳以上が占める日本。高齢化対策で世界をリードし、お手本になれるのだろうか?<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの人口問題特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakuten80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)混迷を深める中国の人口政策を、見てみましょう。(文:ブルック・ラーマー)p82~83<人口統計学者はさらに疑問を投げかける。一人っ子政策は果たして必要だったのか?> 一人っ子政策は果たして必要だったのか? ちゅうごくの出生率を振り返ると、1970年には女性一人当たり6人近かったが、製作が実施された1980年にはすでに3人を切っていた。「一人っ子政策を導入する前から、中国の出生率は75%近く減少していたのです」と、米カルフォルニア大学アーバイン校の王豊は話す。 それに中国は、開放路線に転換すれば経済が大躍進する素地が整っていた。毛沢東時代のベビーブームのおかげで若い労働力は無尽蔵にあり、わずか1世代の間に「世界の工場」になった。たとえ一人っ子政策がなかったとしても、経済は発展し、人口は減少していただろう。その場合、現象の速度は緩やかで制御しやすく、今日の危機を深刻化させている男女数の不均衡も起こらなかったはずだと王は考える。しかし中国の指導部は、危険信号が点滅し始めた後も一人っ子政策に固執した。「1990年代初頭には、出生率はすでに人口置換水準を下回っていました。そして数十年がたち、事態は悪化したのです」と、王は話す。 2016年に政府はようやく一人っ子政策を撤廃した。これまで抑圧されてきた反動から大家族志向が一気に解放され、ベビーブームが起こると期待された。しかし、思惑は外れて、出生数はわずかに増加した後に再び急落した。新型コロナウイルスのまん延による都市封鎖と経済の停滞も追い打ちをかけた。 2021年の人口調査の最新結果で、出生率がさらに減少したことが明らかになると、数週間後、政府は新しい方針を発表した。「三人っ子政策始まる! あなたも子どもを産みましょう」と国営メディアは呼びかけた。 だが、国営の新華社通信が行ったオンラインの世論調査の結果は厳しいものだった。回答した3万500人のうち2万8000人が、子どもを3人持つことは「まったく考えていない」と答えたという。この調査結果はすぐにウェブサイトから削除された。 オーストラリアのビクトリア大学で人口統計を研究するバン秀建は問いかける。「子どもを1人、あるいは2人育てるのも厳しいのに、どうやったら3人目をもてるというのでしょうか?」<高騰する子育て費用> スカーレット・蔡と夫は、次のベビーブームの中心になる年齢だ。だが上海の高級マンションに暮らす裕福な二人には、すでに家族がいる。それは溺愛する3匹の猫だ。子どもの問題は先延ばしにしている。 蔡は36歳だが、母親から長年にわたって、DINKs(ディンクス)と呼ばれる共働きで子どものいない夫婦が、後で子どもをもとうと思っても遅過ぎると繰り返し注意されてきた。前回お説教されたとき、蔡は「私の人生は子どもを産むためだけにあるんじゃないのよ!」と怒りを爆発させた。 もちろん蔡と夫も、子どもをもつことのメリットとデメリットについて熟考してきた。二の足を踏む要因の一つが教育費で、子どもが競争社会を勝ち抜くために親が投じる費用は膨らむ一方だ。 2019年の試算では、子ども1人を育てる費用は、中国の国民1人当たりのGDPの7倍に当たる約1000万円だった。上海ではさらにその倍はかかる。金銭面の心配はない蔡だが、気になるのは子育てに時間と労力を割かれ、自由がなくなることだ。「今の生活空間にもう1人加わることは考えられません」 蔡は以前から、子どもをもたない選択は、女性が自由を得るための闘いだと考えてきた。早くに結婚して仕事を辞め、子育てと家事に追われて自分を見失う女性はあまりに多い。
2023.07.28
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水村美苗さんがパリ留学の思い出を語るというエントリーを見つけたので、復刻して読み直してみよう♪*********************************************************図書館に予約していた『日本語で読むということ』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。かつて『日本語が亡びるとき』を読んで以来、気になる作家である。【日本語で読むということ】水村美苗著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ『日本語が亡びるとき』は書かれることになったのか?そんな関心と興味にもおのずから応える、ここ二十年の間折にふれて書きつづられたエッセイ&批評文集。<読む前の大使寸評>かつて『日本語が亡びるとき』を読んで以来、気になる作家である。rakuten日本語で読むということ「Ⅱ章」でパリ留学のお話しを見てみましょう。p116~119<街物語パリ> フランスからの手紙であった。 小母さんの字ではない。差出人の名も長女になっている。封を切れば、小母さんの訃報であった。 そのころ私はついに日本に戻っていた。外国がすべて急速に遠のき、自分がアメリカで育ったというのさえ、夢のようであった。小母さんからも細かい字で一通、二通と手紙がくるが、クリスマスに返事を書こうと放っておく。それが、次は年が明けてからにしようということになる。そうこうしているうちに受け取った訃報であった。 昔、パリに留学した私は、セーヌ川の西に白い一軒家を構える家にあずけられた。女主人が頼まれて引き受けてくれたのである。彼女が「小母さん」であった。 20歳の時である。「ああ、青春は美しい!」 学校へ行く支度をして階段をおりると、小母さんが両手を広げて歌うように言う。私の顔を見ると出てくる、彼女の口癖だった。 最初はお互いに戸惑った。 小母さんの方は、東洋人なのにアメリカ育ちだというので、洋行三昧のタイのお姫様のようなものを想像したらしい。魂消るほどものものしい扱いであった。やがて私の拙いフランス語で色々聞くうちに普通の家の娘だとわかり、安心したようであった。それでも最後まで少し遠慮が残った。 私は一方では有頂天であった。心楽しませてくれるものが山とある。美しい家。おいしい料理。優しい人々。だが一方では、何かが違うという思いがあった。 何しろ家の中に本というものがなかったのである。着いて案内されて客間にない。寝る前に案内された各々の寝室にもない。小父さんの仕事部屋にすらなかった。 本とは無縁の生活であった。「オー・ラ・ラー!ミナエがまた読んでる!」 小説を読んでいると、小母さんが感嘆した声をあげた。 本と無縁なだけではない。芝居も観に行かない。家で音楽を聴くということもない。食卓の会話も抽象的なところはない。サルトルもボーヴォワールもない。 でも暮らしは豊かであった。(中略) 夫婦とも海に面したブルターニュ地方の出身である。小母さんはお菓子屋の娘であった。小父さんは貧しかったらしい。婚約時代、小母さんは店を手伝い、小父さんはパリで苦学をした。当時の小母さんの写真を見ると、豊かな黒髪で大輪の花のようである。小柄でがっしりした小父さんは、意志の人であった。週末になると、パリから丸1日かけて自転車で小母さんに会いに通ったという。どんなに心躍る逢瀬だったであろうか。やがて結婚し、勤勉で頭の良い小父さんは学歴は高くなかったが、とんとん拍子に出世した。 私が家族に加わったころは、丁度豊かになった時分である。小母さんは自分の福を分けるのに大忙しであった。田舎に残っている母親や、すでにパリに出てきている係累の面倒を実によく見た。毎日曜日、昼餐に人が集まった。 そして突然登場した私に対しても、小母さんは当然のようにその福を分けてくれたのだった。母親でもないのに、ゆすぎの足らないセーターを干しておけば、知らぬ間に洗い直しておいてくれた。私の家族が来た時も、食事の世話以外に、枕カバー、シーツ、ナプキン――出したり入れたり洗ったりと休む間もなかったのに、いつも、今や肉のついた大柄の身体を揺すって、大声で笑っていた。『日本語で読むということ』1
2023.07.27
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図書館で『科学で大切なことは本と映画で学んだ』という本を、手にしたのです。どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。【科学で大切なことは本と映画で学んだ】渡辺政隆著、みすず書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より本から映画、映画から本へ縦横自在に往き来して科学を語る。ハメット、ヴォネガットからダーウィン、「時をかける少女」に「アナと雪の女王」、寺田寅彦、中谷宇吉郎、グールドにドーキンス、憧れのS.コネリー、「ひょっこりひょうたん島」、「崖の上のポニョ」、ビッグヒストリー、ダイアモンド、ハラリ…芸術も科学も文化、科学の知識があれば人生はさらに楽しい。心おどる科学研究の最先端はもちろん、科学のわき道・回り道、科学と科学者のいかにも人間味ある営みを捉えて随一の書き手の物する無類のサイエンスライティング。挿絵・山本美希。<読む前の大使寸評>どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。rakuten科学で大切なことは本と映画で学んだ「7 生と死と愛と」からiPS細胞とかクローン人間などの話を、見てみましょう。p130~133<ノーベル賞効果> 山中伸弥さんのノーベル賞受賞理由となったヒトiPS細胞の作成が報じられたのは2007年11月21日。ちょうどその頃、科学技術に対する国民の意識を問う世論調査が実施されていた。 調査結果で目を引いたのが「科学のニュースに関心がありますか」に対する回答。「ある」という答の割合が、3年前の調査から8.4ポイント増の61.1パーセントに増えていたのだ。 ぼくはこれを「山中効果」と呼んでいる。調査が実施されていた頃、テレビのワイドショーでは連日、明日にでも臓器再生ができるかのような報道がなされていた。それが効いたと思っているからだ。 クローン羊ドリー誕生のニュースが世界を駆け抜けたのは、そのちょうど10年前。このときは、教祖のクローンが生まれたと発表したカルト教団まで出たほどの大騒ぎになった。一笑に付したい嘘だが、ドリーによってヒトクローン作成が現実味を帯びたのだ。 ドリーが投じた波紋は、日系イギリス人でノーベル賞作家のカズオ・イシグロによってみごとな文芸作品に昇華させられた。2005年に発表され、その後映画化された「わたしを離さないで」である。 主人公は謎めいた寄宿舎で育ったキャシー・H。そこの子どもたちの名字はなぜかイニシャルだけで身寄りのない子ばかり。生徒たちは自分の境遇や生く末に様々な想像をめぐらすのだが、確実な答は見つからない。 それでも16歳で卒業する頃までには、自分たちが特別な存在であることに気付くようになる。彼らは、もう一人の自分に臓器移植の必要性が生じる日に備えて待機しているクローン人間なのだ。 寄宿舎をそつぎょうした生徒たちは、介護人となり、臓器提供したクローン人間の世話をする。彼らはそんな残酷な現実を淡々と受け入れる。切ない青春だ。 分身とは対等でないクローン人間の存在。自分がそんなクローン人間の側だとしたらどんな気持ちだろう。この作品に触れるまで、そんな視点は思いつきもしなかった。 iPS細胞が登場した今、臓器提供用クローン人間という設定はかつて以上に現実味を失った。次はiPS細胞をテーマにした作品が登場するのかと思いきや、科学はその先を行ってしまった。 新たに登場した技術は、DNA配列の特定部位を切り取って効率的に書き換えられるゲノム編集技術CRISPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)である(2020年ノーベル医学・生理学賞の受賞対象となった)。 ハーヴァード大学のジョージ・チャーチは、遺伝子操作技術の開発とその応用分野で、常に存在感を発揮してきた。クリスパーという魔法のはさみが手に入った今、彼は何をしているのか。その迫真のレポートが、ベン・メズリックの『マンモスを再生せよ』である。こともあろうに、3000年前に絶滅したケナガマンモス復活計画を主導しているのだ。 マンモス復活計画は過去にもあった。永久凍土に埋まっている死体から細胞をとり、ゾウを代理母にしてクローンを作ろうという目論見だった。ただし、未だに実現していない。技術的に困難なのだ。しかしゾウの遺伝子を自由に書き換えられれば、マンモス化することも不可能ではない。ゲノム編集技術により、それが夢ではなくなったのだ。「わたしを離さないで」は『福岡ハカセの本棚』で、ハカセも取り上げています。『科学で大切なことは本と映画で学んだ』1:はじめに
2023.07.27
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図書館で『科学で大切なことは本と映画で学んだ』という本を、手にしたのです。どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。【科学で大切なことは本と映画で学んだ】渡辺政隆著、みすず書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より本から映画、映画から本へ縦横自在に往き来して科学を語る。ハメット、ヴォネガットからダーウィン、「時をかける少女」に「アナと雪の女王」、寺田寅彦、中谷宇吉郎、グールドにドーキンス、憧れのS.コネリー、「ひょっこりひょうたん島」、「崖の上のポニョ」、ビッグヒストリー、ダイアモンド、ハラリ…芸術も科学も文化、科学の知識があれば人生はさらに楽しい。心おどる科学研究の最先端はもちろん、科学のわき道・回り道、科学と科学者のいかにも人間味ある営みを捉えて随一の書き手の物する無類のサイエンスライティング。挿絵・山本美希。<読む前の大使寸評>どこを開いても、面白くてウンチクに溢れているが・・・さすが、サイエンスライターにして翻訳家という略歴は伊達ではないようです。rakuten科学で大切なことは本と映画で学んだまず「はじめに」から、見てゆきましょう。p5~10<タフでなければ> 出会いはなんでもそうだが、ほんとの出会いにも絶妙なタイミングがある。レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』との出会いがまさにそうだった。大学を卒業し、大学院での研究生活を開始した当初のことだった。 優しきタフガイ、フィリップ・マーローは、好むと好まざるとにかかわらずトラブルに巻き込まれてゆく。「トラブル・イズ・マイ・ビジネス」「タフでなければ生きてゆけない、優しくなければ生きている資格がない」とつぶやきながら。 モラトリアム状態にあった自分とは対照的なヒーローがまぶしかった。これを機に、海外のハードボイルド小説に耽溺した。 設立されたばかりのハードボイルド小説ファンクラブ「マルタの鷹協会」にも、友人の誘いで入会した。当時はちょうど、ロバート・B・パーカーやジェイムズ・クラムリーらの新作が刊行されていた時期で、ネオ・ハードボイルドの全盛期だった。 ただしパーカーのスペンサーシリーズは、日本語の語り口と、主人公スペンサーがマッチョすぎて、今一つ感情移入できなかった。それに対してクラムリーの『さらば甘き口づけ』は探偵の酔いどれぶり、ビールを飲むブルドッグなどのキャラクターが絶妙で、チャンドラーの再来との誉れが高く、個のみだった。 もっとも、その点に関して、訳者の小泉喜美子さんの参道は得られなかった。二日酔いの朝はチャンドラーを読み返すと公言するほどのチャンドラーファンだった小泉さんにすれば、マーローに匹敵するヒーローはいなかったのだろう。 チャンドラー作品に関しては、最近になって、新訳の村上春樹版も登場した。今や古典ともいえる清水俊二訳とは一長一短だが、ことタイトルに関しては、旧訳に軍配を上げたい。 マルタの鷹協会を通じて、小泉喜美子さんや小鷹信光さん、木村二郎さんなど何人かの作家や翻訳家の方とも知り合いになった。そして自分自身、商業誌へのデビューを果たした。小説ではない。光文社の「EQ」誌1982年9月号に「マルタの鷹を探せ」と題したエッセイを寄稿したのだ。 タイトルは、もちろんダシール・ハメットの『マルタの鷹』に由来する。影の主役ともいうべき黄金の鷹像のモデルとなった「鷹」の種類を推理するという趣向である。モデルはあっけなく特定できてしまうため、話の展開に苦労した覚えがある。小説の原題はThe Maltese Falconであり、文字どおり、鷹ではなくハヤブサの像なのだ。ハヤブサとなると、地中海地方には一種しかいないのだ。 チャンドラーよりもハメットのほうが、文体も生きざまもハードボイルド度が強い。実人生のパートナーだった劇作家リリアン・ヘルマン原作の自伝的映画「ジュリア」にはハメットも登場する。ジェイソン・ロバーズ演じるハメットが、ぼくにとってのヒーローとなった。ハメットが創造したサム・スペードでも、それを演じたハンフリー・ボガートでもなく、ハメット自身が。<人生なんてそういうものだ> SFに初めて心を揺さぶられたのはスタニラフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』だった。正確に言えば、それを原作としたタルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」を観たのが先である。SFが、架空の舞台設定を借りて人間の本質をえぐる文学たりえることを知った。 レムの重厚なスタイルに比べると、カート・ヴォネガットは軽妙洒脱である。ぼくはレムでSFに本格的に入門し、ヴォネガットに進級した。 ヴォネガットの作品は、もはやSFというジャンルに収まらない。ファンタジーに越境していると同時に純文学でもある。 ただしその作品は、軽妙ではあるが決して明るくはない。それには彼自身の戦争体験が反映している。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に従軍し、ドイツ軍捕虜としてドレスデン爆撃を体験しているのだ。 連合軍による1945年2月13-15日のドレスデン爆撃は、同じく焼夷弾を多用した1945年3月10日の東京大空襲の10万人をも上回る14万人の死者を出したといわれている。 その地獄を生き抜いた作家として、ヴォネガットにとって避けて通れないテーマを扱ったのが『スローターハウス5』だった。ただしその語り口は、時空を奔放に移動する主人公を配した、いかにもヴォネガット流のひねりの利いたものだ。 そこには、味方による大量殺戮を目の当たりにし、人生に諦観した作家ならではの諧謔が込められている。作品中では「そういうものだ(so it goes)」という決まり文句が繰り返される。人知ではいかんともしがたい事態に関して発せられるつぶやきだ。ヴォネガットの作品では、この種の寸言のリフレインが通奏低音として効果的に発せられる。 軽妙だが深刻、おかしいが悲しい、荒唐無稽っぽいが妙にリアル。ヴォネガットの小説は、複雑にして単純な人間の姿をみごとに描き出してきた。エッセイにしてもまたしかり。カート・ヴォネガット『国のない男』1がお奨めです。
2023.07.26
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図書館に予約していた『韓国むかしの味』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。【韓国むかしの味】平松洋子著、新潮社、2011年刊<ブログのレビュー>より韓国全土を30年近く旅した著者の、むかしの味の記録。ガイドブックには載っていない、華やかではない、それでいて味わい深い庶民の味が紹介されています。それは大都市ソウルでも。「食べる旅は人に出会う旅でもある」との著者の言葉のとおり、出会った料理の作り手たちの、引き継がれた味、歴史、想いは、料理の味わいに深い感慨を与えています。<読む前の大使寸評>カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。<図書館予約:(7/05予約、副本3、予約0)>rakuten韓国むかしの味">仁寺洞 智異山の家庭式韓定食(二人前)韓国料理で意外だったのは、生野菜やナムルが美味しかったことです。そのナムルが気になるので、求禮の「ドンウォン食堂」を見てみましょう。p38~40野生であればあるほどナムルはおいしい 「とびきりナムルがおいしい」と韓国全土に名を馳せる土地、それが全羅南道・求禮(クレ)だ。毎月3と8のつく日に開かれる求禮の五日市には、霊峰・智異山のふもとで採れた野草がいっせいに集まると聞き、市の立つ日に合わせて一路求禮に向かった。 早朝、市に入るなり目を見張った。トゥルプ(タラの芽)、コサリ(わらび)、コグマスン(さつまいもの茎)、カジュク(ニワウルシ)・・・露店にあふれている葉っぱ、野草、山菜は切り口まできりっと立って新鮮そのもの、豊富な量にも圧倒される。 長年、おなじ場所で露店を出しているソンさんに頼んで、うっすら霧の残る翌朝、自分の摘み場所に案内してもらった。市で偶然知りあったソンさんだが 「わたしの大学生の息子も調査研修で日本に行ったとき、ずいぶんお世話になったから」と、こころよく案内を引き受けてくれた。 ソンさんは63歳、夫のキムさんは65歳。智異山のふもとに代々譲り受けた土地があり、農薬も肥料も使わず、夫婦で野草(ナムル)を何十種類も栽培している。市場へ売りに行くのは妻のソンさんの役目だ。 「ナムルは野生であればあるほどおいしい。野菜も人も、たっぷり陽を浴びて自然のなかで育ったものに勝るものはないから。農薬や肥料を使うと確実に育つけれど、からだによくないし、味もおちる。子どものころから土といっしょに育ちながら学んできました」 土地の手入れを引き受ける夫のキムさんが言う。 「苦いものこそからだにいいから、ナムルも毎日かならず食べなくちゃいけないよ」 青空の下で味わった智異山のナムルはえぐみ、ほろ苦さ、噛めば噛むほどいろんな味わいが滲み出てくる。その求禮の「ドンウォン食堂」(現在は閉店)にとびきりの「ナムル名人」のハルモニがいると小耳にはさんだ。イ・ナムドクさん、68歳。もともとイさんは20年にわたって求禮一と評判を取った食堂の女主人だった。 名士や政治家までイさんの味を求めてやってくるうち、イさんの手は「ミウォンの手」つまり「味の素の手」と呼ばれ始めた。「おいしさが湧き出る」、そんな特別の手というわけである。『韓国むかしの味』2:生野菜やナムル『韓国むかしの味』1:普州式ピビムパプ
2023.07.26
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「ナショナルジオグラフィック」でしょうか♪(なお、「老人初心者の覚悟」は7/26受取予定です)<市立図書館>・ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)・80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)・科学で大切なことは本と映画で学んだ・老人初心者の覚悟<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【ウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●わが愛しき祖国ウクライナ人によるプロジェクトが記録した、戦いの前の美しい祖国。●原生の自然を探して手つかずの自然とは何か。その答えを見つけたいと、原生自然地域になっている米国ニューメキシコ州のヒラの森を訪れた。●宇宙から来た金属製鉄技術が誕生する以前、古代の人々は空から落ちてきた隕石に含まれる鉄を使って、貴重な装飾品や武器を作っていた。<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックのウクライナ特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakutenウクライナ(ナショナルジオグラフィック2023年6月号)【80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)】雑誌、日経BPマーケティング、2023年刊<商品の説明>より【特集】●爆発する世界の人口医療の発達で子どもの死亡率が低下し、平均寿命が長くなるに伴って、世界の人口は半世紀もしないうちに2倍に増加した。だが、食料などの資源の不足や気候変動といった要因によっては、この傾向が反転する可能性があると、専門家たちは考えている。●減る中国一人っ子政策と出生率の急落によって人口が減少に転じたこの国で、人々は新しい生き方を模索している。●超高齢社会の日本人口の3割近くを65歳以上が占める日本。高齢化対策で世界をリードし、お手本になれるのだろうか?<読む前の大使寸評>おお ナショナルジオグラフィックの人口問題特集ではないか、これは借りるしかないでえ♪rakuten80億人(ナショナルジオグラフィック2023年4月号)【科学で大切なことは本と映画で学んだ】渡辺政隆著、みすず書房、2021年刊<「BOOK」データベース>より本から映画、映画から本へ縦横自在に往き来して科学を語る。ハメット、ヴォネガットからダーウィン、「時をかける少女」に「アナと雪の女王」、寺田寅彦、中谷宇吉郎、グールドにドーキンス、憧れのS.コネリー、「ひょっこりひょうたん島」、「崖の上のポニョ」、ビッグヒストリー、ダイアモンド、ハラリ…芸術も科学も文化、科学の知識があれば人生はさらに楽しい。心おどる科学研究の最先端はもちろん、科学のわき道・回り道、科学と科学者のいかにも人間味ある営みを捉えて随一の書き手の物する無類のサイエンスライティング。挿絵・山本美希。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten科学で大切なことは本と映画で学んだ【老人初心者の覚悟】阿川佐和子著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より老人若葉マークの踏んだり蹴ったり…だからなんだ!「高齢者」の仲間入りをしたアガワが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。<読む前の大使寸評>帰って調べてみると、この本は以前にも借りた本でした。<図書館予約:(7/18予約、副本1、予約0)>rakuten老人初心者の覚悟図書館大好き601
2023.07.25
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在74位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在6位・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、入荷待ち)現在54位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在26位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在18位・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、副本3、予約7)現在3位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在50位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・宮脇淳子『満州国の真実』・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・多和田葉子『白鶴亮翅』<予約分受取:6/03以降> ・砂漠と異人たち(2/25予約、6/03受取)・鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』(10/27予約、6/07受取)・『小川さゆり、宗教2世』(4/06予約、6/10受取)・和田秀樹『70歳の正解』(9/14予約、6/13受取)・言葉の周圏分布考 (8/15予約、6/13受取)・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取)・阿川佐和子『 老人初心者の覚悟』(7/18予約、7/26受取予定)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/10予約、入荷待ち)>rakutenくもをさがす【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【綿の帝国】スヴェン・ベッカート著、紀伊國屋書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より奴隷制、植民地主義、強制労働…社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料をもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追究した、バンクロフト賞受賞作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本3、予約7)>rakuten綿の帝国【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.07.25
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図書館で『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』という本を、手にしたのです。日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。【デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?】 渡部恒雄, 長島純著、 日経BP、2022年刊<「BOOK」データベース>より国際政治・軍事・テクノロジー・世界経済・欧州地政学の視点から解くウクライナ戦争。【目次】「はじめに」に代えて ミハイロ・フェドロフウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー「戦時下でもデジタル政府化は加速する」/第1部 ウクライナ戦争への米国の戦略観と国際秩序の行方/第2部 ウクライナ戦争は「メタマゲドン(Metamageddon)」の幕開けとなるのか/第3部 デジタル国家ウクライナの全貌/第4部 ウクライナ戦争の経済的帰結/第5部 地政学から予想される欧州の変貌<読む前の大使寸評>日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。rakutenデジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?第5章で、ロシア・中国・北朝鮮という日本を敵視する覇権国家に対して如何なる戦略を立てるべきかを、見てみましょう。p76~78<ハイブリッド戦争の実体>■犠牲者無き戦争「背演奏とは他の手段をもってする政治の継続である」と指摘したのは、19世紀の軍事戦略家であるクラウゼヴィッツであったが、第二次世界大戦以降、核兵器の登場もあって、大国間の軍事力による戦争は国家間の問題を解決する手段とすることは避けられる傾向にあった。事実、戦争による犠牲者数は、紛争、テロ、内戦などの戦争以外の原因によって発生した数値を下回り続けている。 そこには、近現代社会の特徴として、グローバルな相互依存に加え、「犠牲者無き戦争(Post-Heroic Warfare)」と言われる軍事的犠牲を許さない非寛容な政治・社会環境の中で、直接的な軍事作戦に踏み切ることの政治的リスクが強く意識されていることが背景にある。 その代わりに、サイバー攻撃、欺瞞、妨害行為、偽情報の流布等の非軍事的攻撃と物理的な軍事攻撃を組み合わせたハイブリッド戦争に注目が集まる。そこには、対象国の情勢を不安定化し、社会全体を脆弱化させた上で、軍事作戦を、短期的かつ低コストで収束させようという為政者の意図がうかがわれる。 事実、ハイブリッド戦争を通じて、ロシア軍は、ジョージア紛争(2008年)では直接的な戦闘行動を5日間という短期間で、またクリミア併合(2014年)でも4日間で終えることに成功している。 そして、ジョージア侵攻の際には、国内治安が不安定化する中で、ジョージア国防省などを含む政府機関への大規模なサイバー攻撃が行われ、それとほぼ同時にロシア軍による戦車や軍用機による軍事侵攻が開始されるという電撃的な作戦が展開され、その後のクリミア併合の際にも、核兵器による威嚇を含むより高度化されたハイブリッド戦争が繰り広げられた。現在も、急速な技術の進歩とグローバルな相互依存の進化に伴って、ハイブリッド脅威の速度、規模、強度が増大しつつある。■ロシアによる古典的な戦争の背景 今回、ロシアのハイブリッド戦争が停滞を余儀なくされ、ウクライナ東南部での第二段階に入ったとされる軍事作戦においても、ロシアが古典的な戦争を続けようとしているのはなぜだろうか。そして現在、世界は、ロシアがハイブリッド戦争を行った事実と、それが期待される効果を上げなかったという二つの事実を目にしている。 今回のロシアによる軍事侵攻の前から、ハイブリッド戦争の初期段階に見られるサイバー攻撃は、ウクライナの政府、金融、防衛、航空部門に対する大規模なDDos(分散型サービス拒否)攻撃、破壊的なマルウェア送付、Webサイト改竄などの形で続けられ、2月24日のウクライナへの侵攻直後には、民間衛星通信会社Viasat社のKA‐SATブロードバンド衛星もサイバー攻撃の対象となり、軍民の通信や電力が被害や影響を受けることになった。 しかし、その後は、西側の予想に反して、ロシアによるサイバー攻撃は低調となり、ウクライナ国内における情報通信システムは広く機能し、最低限の市民生活が維持された状況が続いている。『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』3:今後想定されるシナリオ『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』2:ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー(続き)『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』1:ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー
2023.07.24
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図書館で『驚きの世界史』という本を、手にしたのです。このところ、覇権主義が顕わになった露・中であるが・・・その歴史を知りたいではないか、と思うのです。【驚きの世界史】尾登雄平著、KADOKAWA、2019年刊<「BOOK」データベース>より欧米、アジアだけでなく、アフリカ、南米さらにはミクロネーションまで!世界を網羅する今までになかった『世界史』読本、ついに完成!この1冊で「世界史の本」数十冊分の知識が一気に学べる!<読む前の大使寸評>このところ、覇権主義が顕わになった露・中であるが・・・その歴史を知りたいではないか、と思うのです。amazon驚きの世界史近世の中華帝国ともいえる明帝国の衰退、それと鄭和の大遠征などを、見てみましょう。p164~166<21 「内向き」で陰湿な独裁国家だった明帝国>■永楽帝による派遣国家復活への試み 物乞いから皇帝にのしあがった英傑・太祖洪武帝が1398年に死去。第二代皇帝には、長男の息子の建文帝が帝位に即きました。太祖は地方の統治を任せている自分の息子たちに、若い建文帝を守り立てるように頼んで死んだのですが、叔父さんたちは利権やポストを求めて若く実力のない建文帝を突き上げてくる。建文帝は自分よりも一枚も二枚も実力が上の叔父さんへの対応に困り果ててしまいました。 建文帝は自分の権力を確かなものにするため、叔父さんたちの利権の取り潰しにかかろうとします。しかしこれに北京を治めていた太祖の四男・テイが反発。軍勢を起こして南京を落とし、都を北京に移行して1402年に三代目皇帝に即位しました。これがいわゆるセイナンの変です。 甥っ子を倒して皇位についた永楽帝は、太祖が定めた海禁政策のさらなる推進を宣言。海上の監視体制を強化し、朝貢使節をこれまで以上に積極的に各地に派遣し、明帝国の海上秩序と貿易体制を再生しようとしました。しかしなかなか目に見える効果が上がってこない。 永楽帝は大明帝国の威厳を「実体験をもって」周辺各国政府や人々に知らしめる必要がある、と考えました。その結果実施されたのが有名な「鄭和の大遠征」だったわけです。 鄭和の大遠征は1405年から1433年まで合計七回実施され、一度に派遣された船の数は大小合わせて200隻以上。訪問国数は三十数ヵ国にものぼり、遠くは東アフリカ沿岸にまで達しました。 この大遠征の目的は、経済的な目的より多分に政治的で、大帝国・明の威厳を周辺各国に示し、訪れた国々を明の国際秩序である朝貢体制に組み込むことにありました。そのためには抵抗する国への武力行使も厭わず、例えば第三回遠征ではセイロン島のライガマ王国を攻撃して王国を崩壊させているし、第四回遠征ではスマトラ島西部のサムドラ・パサイ王国の国王を捕らえて親明派の国王へ置き換えています。 このような武力を伴った明王朝の大船団の出現は、周辺の王国の明王朝への基準を促し、また海の無法者たちの乱暴狼藉も沈静化していきました。周辺各国も、明王朝との朝貢貿易は莫大な利益を生む美味しい取引であると知り、積極的に華夷秩序の中に入っていきました。 永楽帝は不倶戴天の敵であるモンゴルにも攻撃を加えて破壊的なダメージをもたらしました。当時のモンゴル高原ではフビライ家やオゴタイ家、アリクブケ家の影響力が低下し、オイラト部が急速に力をつけていました。永楽帝の死後、オイラト部は明王朝との交易で経済基盤と軍事力を強化しますが、モンゴルの勃興を恐れた明王朝は交易回数を制限したため、反発したオイラト部のエセン・ハーンが華北に侵攻。これに対し、六代皇帝英宋が親征を行うも、エセン・ハーンの軍隊に大敗し、皇帝自身捕虜となるなど(土木の変)、北方の脅威が急速に高まっていきました。 北方への対応のため、緊縮財政・対外消極策が採られ、国家統制の下での朝貢貿易はストップしました。 拡大した経済が急速に緊縮化したことで、国内では基軸通貨である銀が不足し始めました。すると、当時世界最大の銀産出国であった日本の銀を求めて違法に海に漕ぎ出す私貿易者が続出するようになります。これがいわゆる、後期倭寇です。 明王朝は密貿易者の取り締まりを強化しますが、軍事予算が限られる中での取り締まりは非常に厳しく、16世紀には明王朝は私貿易を許可するようになり、「国家主導の交易システムと国際秩序の構築・維持」は破綻しました。 ちなみに、朝貢貿易の破綻と後期倭寇による密貿易の拡大は、国際的にも大きなインパクトをもたらしました。東南アジアでは、朝貢貿易を一手に握っていたマジャパヒト王国が衰退。私貿易者と積極的に交易を行ったマラッカ王国が勃興することになります。 同じように朝貢貿易によって栄えた琉球王国も、明王朝の私貿易の解禁で相対的に重要性が低くなって国力が衰え、1609年に薩摩藩の軍事侵攻を受けて江戸幕府と薩摩藩の支配下に置かれることになります。
2023.07.24
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ宇宙や占星術の記事を見たり、書いたりしているが『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。しかしまあ、今年の夏は晴れたら熱中症が心配されるほど暑く、降れば土砂崩れが心配されるほどであり・・・偏西風が蛇行しているためともいわれるが、たまらんでー。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は七十二候でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、大暑のあたりを見てみましょう。和暦p19<大暑>暑い日々、雨乞いの神事が行われた水枯れの候「大暑」は、現行の暦で7月23日ころに初日を迎え、立秋の前日までがその期間である。 快晴がつづくなか気温は上がり続ける。『暦便覧』では「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されている。「小暑」の期間から始まっている「土用」は、立秋の前日までがその期間となっている。 旧暦で暮らした時代は、田植えが終わり梅雨も明けると、「大暑」の期間は快晴が続くため、「水路の涸れ」が最大の関心事だった。そのため、かつては「雨乞い」の神事が産土神の鎮座する神社でおこなわれていたようだ。雨乞いの神事では、古式豊かな作法が厳格に守られ、雨乞いだけでなく、安産や家族の幸福などが祈られたという。 さらに失われつつある風物詩は、「打ち水」。かつては夕方になると一斉に、道路や庭に水を撒き、埃を鎮めたり涼を求めたりしたものだが、空調の導入や住環境の変化で、やはり少しずつ廃れていった習慣のひとつである。 大暑の期間の七十二候は以下の通り。 初候「桐始結花」(きりはじめてはなをむすぶ)桐の実が成り始める。 次候「土潤辱暑」(つちうるおいてむしあつし)土が湿ってむし暑くなる。 末候「大雨時行」(たいうときどきおこなう)時として大雨が降る。 水を求め、水に悩ませるということだろうか。 また西洋占星術では、大暑の初日が獅子宮(しし座)の始まりとなっている。また、土用の丑の日も年4回あるが、ウナギを賞味する風習は夏に限定されている。なお、夏の土用の丑の日は、2023年は7月30日となります。二十四節季の小暑に注目(復刻)二十四節季の夏至に注目(復刻)
2023.07.23
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民放テレビが、時として宮崎駿のアニメを放映するので・・・ありがたく拝見しているのです。・・・ということで、『ミヤザキワールド』を復刻してみようと思ったのです。*********************************************************図書館に予約していた『ミヤザキワールド』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。 ハードカバーでぶ厚くて重たい本であるが、冒頭に16ページものカラー画像を配するサービスがええでぇ♪取りあげた題材が宮崎駿のアニメとあれば、これは読破できるような気がします。【ミヤザキワールド】スーザン・ネイピア著、筑摩書房、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界を魅了しつづける巨匠の秘密とは?中・韓・ロシア・アラビア語版も刊行される決定版「宮崎駿論」。30世紀の有毒の森、神々が疲れを癒す湯屋、赤毛のさかなの女の子、ふわふわの森の精―これらに共通する要素とは?“アニメ・クイーン”の異名をとる米タフツ大学教授が、アニメーション作家・宮崎駿(1941‐)が手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)から『風立ちぬ』(2013)まで11の長編映画と、漫画版『風の谷のナウシカ』(1982~94)を徹底解剖。その人生と芸術との知られざる関わりを解き明かす。映像作品はもとより、膨大な日本語・欧文文献を8年がかりで渉猟、宮崎監督本人とスタジオジブリ関係者への直接インタビュー、大学で教える宮崎駿ゼミでの知見も踏まえ、「闇と光」がせめぎ合う「ミヤザキワールド」の魅力に迫る。日本版オリジナルの序文を収録。<読む前の大使寸評>ハードカバーでぶ厚くて重たい本であるが、冒頭に16ページものカラー画像を配するサービスがええでぇ♪取りあげた題材が宮崎駿のアニメとあれば、これは読破できるような気がします。<図書館予約:(10/25予約、11/01受取)>amazonミヤザキワールド『天空の城ラピュタ』はファンタジーでもあるが、SF的でもあり大使のつぼが疼くわけで、そのあたりを見てみましょう。p166~169<第6章 大空の孤児たち『天空の城ラピュタ』> 『コナン』の舞台となった大災厄後の世界の大半が海中に没しているのと異なり、シータとパズーが住む世界は19世紀のヨーロッパに似て活気にあふれている。 『ラピュタ』の文化的起源がヨーロッパにあることは火を見るよりも明らかだ。「空に浮ぶ城」という幻想的なイメージは、蜃気楼を描写した中世ヨーロッパの記録に基いている。それは遠くの建物が地平線の上に浮んで見える一種の気象光学現象に過ぎない。しかし、本章のエピグラフが示唆しているように、この現象は人々の心に脅威と畏怖の念を呼び起こしたのである。 宮崎はイギリス文学の古典からもヒントを得ている。科学技術の力で空を飛ぶラピュタという島のイメージは、宮崎が子供の時に読んだジョナサン・スウィフトの風刺小説『ガリヴァー旅行記』から借りたものである。監督自身は、小説の内容はうろ覚えだったため、妻に百科事典で調べてもらったと主張している。だが、スウィフトと宮崎のどちらの物語も、ラピュタを空に浮かべるテクノロジーに関しては複雑な見方をしている点が共通している。 その一方で、宮崎は作品に諷刺を持ち込むことを避け、ともに愛読していた19世紀スコットランドの作家ロバート・ルイス・スティーブンソンの『宝島』のようなスリル満点の古典的冒険小説と、フランスのSF小説家ジュール・ヴェルヌの作品に特徴的な胸躍るセンス・オブ・ワンダーを合わせたような物語を創作した。『宝島』と同様、『ラピュタ』には勇敢な孤児の主人公、息を呑むような追跡シーン、海賊の一団、そして宮崎作品には珍しく、映画のクライマックスに至るまでついに改心しない心底邪悪な悪役などが次々に登場して観客の興奮を誘う。ヴェルヌの影響が見られる映像表現はかなり特徴的で、今日では「スチームパンク」と呼ばれる回顧趣味的なSFの一ジャンルを髣髴とさせる。 宮崎によれば、この種のSF作品は「機械がまだ機械の楽しさを持つ時代」を舞台にしているという。本作には風変わりな飛行機械が次々に登場いて、観客を楽しませてくれる。例えば、スズメバチとバイクを合体させたような外形で、それにぴったりの騒音を出す羽ばたき式飛行機のフラップターもその一つで、宮崎はそのデザインに多くの愛情と労力を注ぎ込んだ。 他にも、軍が使用するゴリアテという名の不気味な大型飛行戦艦も登場する。中でも最も目を惹くのが、魔法と先進的な科学技術を合体させたラピュタそのものの「飛行メカニズム」である。だが、この優れたテクノロジーには、実は恐るべき破壊力を持つ兵器になり得るという暗い秘密があった。『ミヤザキワールド』5:もののけ姫『ミヤザキワールド』4:となりのトトロ『ミヤザキワールド』3:『天空の城ラピュタ』『ミヤザキワールド』2:「訳者あとがき」と「日本の読者へ:スーザン・ネイピア」『ミヤザキワールド』1:『千と千尋の神隠し』
2023.07.23
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図書館で『バースデイ・ガール』という本を、手にしたのです。とにかく、表紙や挿絵が赤く統一されている装丁で・・・内容はさておき、おしゃれである。【バースデイ・ガール】村上春樹著、 新潮社、 2017年刊<「BOOK」データベース>より二十歳の誕生日の夜、ささやかな乾杯のあとで、彼女の人生に何が起こったのか。一年に一度の「特別な日」に贈りたいあなた自身が答えを見つける物語。中学校教科書にも採用された名短篇を、鮮烈なイラストレーションで彩るアートブック第四弾!<読む前の大使寸評>とにかく、表紙や挿絵が赤く統一されている装丁で・・・内容はさておき、おしゃれである。rakutenバースデイ・ガール1枚目の挿絵3枚目の挿絵辺りの語り口を、見てみましょう。p12~18*********************************************************「オーナーはお店のあるビルの6階に、自分の部屋を持っていたの。自宅だか事務所だかを」と彼女は言う。 僕と彼女はふとしたきっかけで、それぞれの二十歳の誕生日について話を始めた。それがどんな1日であったかというようなことについて。たいていの人は自分の二十歳の誕生日のことをよく覚えている。彼女が二十歳の誕生日を迎えたのはもう十年以上昔のことだ。「でもオーナーはどういうわけか、絶対にお店に顔を出さなかった。オーナーに会うことができるのはフロア・マネージャーだけで、そこに食事を届けるのも彼の仕事だったわけ。だから私たち下働きの従業員は、誰ひとりオーナーの顔を見たことがなかったの」「つまり、そのオーナーは自分の店から毎日出前を取っていたんだね?」「そういうこと」と彼女は言う。「毎晩8時に、マネージャーは食事をオーナーの部屋まで運ぶことになっていた。店にとってはいちばん忙しい時間で、そんなときにマネージャーがいなくなっちゃうのはやっぱり困るんだけど、昔からそう決まってることだから仕方ない。 料理はホテルのルームサービスで使っているようなワゴンに載せられ、マネージャーが神妙な顔つきでそれを押してエレベーターに乗り込んで、15分ばかりあとに手ぶらで戻ってくる。1時間後にマネージャーはまた上に行って、空っぽになった皿とグラスを載せたワゴンを下げてくる。判で押したみたいに毎日がその繰り返し。最初にそれを見たときにはすごく不思議な感じがしたわ。まるで宗教的な儀式みたいでしょう?そのうち見慣れて、なんとも思わなくなったけど」 オーナーが食べるのは常にチキンだった。調理法とつけあわせの野菜はその日によって多少変化したが、メイン料理はチキンと決まっている。若いコックがそっと教えてくれたところによれば、ためしに同じローストチキンを1週間続けて出してみたのだが、苦情は一切こなかったということだ。 しかし料理人としては何かしら工夫をしたいと考えるものだし、歴代のシェフはそれぞれに手を替え品を替え、ありとあらゆるチキン料理に挑んだ。凝ったソースも作った。鶏肉の仕入れ先もあちこちを試してみた。しかしそんな努力も、まるで虚無の穴に小石を放り込むようなものだった。 反応は一切返ってこない。そしてどのシェフも最後にはあきらめて、日々ごく当たり前のチキン料理を作って出すようになった。チキンであること、それが料理人に求められていることのすべてなのだ。 彼女の二十歳の誕生日である11月17日も、仕事はいつもと同じように始まった。昼過ぎからぱらぱらと雨が降り出し、夕方にはひどい降りになっていた。5時に従業員が集められ、マネージャーからその日の特別メニューについての説明がある。ウェイターとウェイトレスはそれを一字一句そのまま記憶しなくてはならない。カンニング・ペーパーはなし。ミラノ風子牛料理、イワシトキャベツのパスタ、栗のムース。 場合によってはマネージャーが客のふりをして何かを質問し、従業員はそれに答えなくてはならない。そのあとで従業員用の食事が出る。いわゆるまかない飯だ。テーブルで客にメニューの説明をしながらお腹が鳴るような事態だけは避けなくてはならない。
2023.07.23
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図書館で『藤田嗣治パリを歩く』という本を、手にしたのです。先日『パリの日々』という本を読んだところだが、その勢いでチョイスしたわけです。【藤田嗣治パリを歩く】清水敏男著、東京書籍、2021年刊<「BOOK」データベース>よりフジタの足跡をたどる「エコール・ド・パリ」15日間の旅ー。ピカソやモディリアニなどとともに時代のど真ん中で活躍した画家・藤田嗣治。藤田の足跡を追ってパリを追体験し、作品の背景や込められたさまざまな物語を読み解く。当時の面影が強く残るパリの美しい街並みの写真も多数掲載。パリへの慕情も募る、もう一歩深く楽しめるガイド。<読む前の大使寸評>先日『パリの日々』という本を読んだところだが、その勢いでチョイスしたわけです。rakuten藤田嗣治パリを歩くパリのエトランジェが語られているので、見てみましょう。p131~135<第9日:カンパーニュ・プルミエール街23番地 14区> 23番地の藤田のアトリエはカンパーニュ・プルミエール街から直角に延びるパッサージュ・ダンフェール(訳せば地獄の通り道)側にあったようだ。写真で見るとかなり広い。とくに天井が高いので最初からアーティスト用のつくりになっていたのだろう。藤田研究家の夏堀全弘の著書によると最初は借家だったが1952年に購入、住居とアトリエの壁をぶち抜いた、とある。 住人ではないので入ることはできないが下から見上げると大きなガラス窓がはめ込まれたフロアが三層ある。1952年に藤田を訪れた阿部徹雄のスケッチによれば藤田が絵を描いていた机はカンパーニュ・プルミエール街側ではなくパッサージュ・ダンフェール側に面した大きなガラス窓の下に置かれていた。阿部の写真によればカンパーニュ・プルミエール街側は壁で、今はパリ市立近代美術館に収蔵されている『ジュイ布のある裸婦』が吹き抜けの壁の上の方に掛けられていた。『ジュイ布のある裸婦』 1950年代から60年代初めにかけての藤田の絵はそのアトリエで生まれた。 この時期は藤田の生活も大きく変化した時期だ。年代を追ってみよう。 1954年にユキと正式に離婚。修正の妻となった君代夫人と入籍した。翌1955年には夫婦でフランス国籍を得た。日本国籍は抹消、芸術院会員を自体。フランスに住むには名声だけでは足りない。まずは国籍を得なくてはならない。1957年にレジオン・ドヌール勲章を受章。1958年ベルギー王立アカデミー会員。1959年10月カトリックに改宗した。場所は歴代のフランス国王が洗礼を受けた地であるランスだ。藤田のフランス化の仕上げである。 しかし藤田がパリのエトランジェ(異邦人)であることは変わらなかったのではないか。 それには二重の意味がある。まず日本人である、ということ。日本人はフランス社会において永遠にフランス人になれない。説明は難しいがフランス人はフランス人でなくてはならない、とパリに住むとつくづく思う。アメリカ合衆国のように新しい移民たちが集団を作ってアメリカ人を名乗れるようにはいかない。 そして藤田がアーティストであることだ。エトランジェであることはアーティストの宿命なのだ。いやそうであることが求められている。アーティストは宗教や国家が求心力を失ったこの世界で現実を超越した存在としての「芸術」を司るものであり、現実世界から離れた存在でなくてはならない。 藤田はコスモポリタンである。つまり藤田は、国際的なアーティストとして地球規模に拡散した「芸術」という共同体に連なる存在ではあるが、芸術以外の如何なる共同体にも属さないというポジティブな意味でエトランジェなのだ。 『藤田嗣治パリを歩く』3:パリのエトランジェ『藤田嗣治パリを歩く』2:パリ国際大学都市 『藤田嗣治パリを歩く』1:リュクサンブール公園
2023.07.22
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図書館で『朝鮮で見た〈日本〉』という本を、手にしたのです。北朝鮮の取材内容をざっと見てみると・・・よくこれだけの取材が許可されたものだと驚いた次第です。【朝鮮で見た〈日本〉】伊藤孝司著、岩波書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦後の混乱で朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に残された日本人、里帰りを果たせぬ日本人妻、植民地支配の傷跡の数々-。いまだ国交のない隣国との関係を、日本政府は歴史の清算もせず、断絶するかの方向に舵を切って来た。しかし、両国には切ることのできない絆がある。40回におよぶ訪朝取材をもとに、貴重な写真とルポで、朝鮮に残る“日本”を照射する。困難な朝鮮での取材の裏側なども報告。<読む前の大使寸評>北朝鮮の取材内容をざっと見てみると・・・よくこれだけの取材が許可されたものだと驚いた次第です。rakuten朝鮮で見た〈日本〉「第2章 支援した食糧は「軍事利用」?」で取材状況を、見てみましょう。p45~50<市場に並ぶWFPの穀物袋> 平壌空港のすぐ近くの川東里にある順安共同農場へ行ってみた。ちょうどコンバインを使って稲刈りをしている。車を止めてもらい、近くまで行って撮影をする。収穫された籾は、すぐ横の舗装道路に広げて乾燥させている。朝鮮の農村地帯では、天日で乾燥させるために屋根などへ広げられたトウモロコシの黄色やトウガラシの赤色をよく目にする。 農民たちは道路での乾燥が終わった籾を、朝鮮語で「サル(米)」と大きく書かれた韓国からの穀物袋に詰めている。農場のリャン・セシク管理委員長に、外国製の穀物袋を使っている理由を聞くと大笑いされてしまった。「どうしてそんなことを聞くのか?」 そしてその場から、一つの作業班の精米所へ案内された。建物はかなり老朽化していて中は薄暗い。その中には相当古い精米機と、米がすでに入った穀物袋が並んでいる。その米は、統一通り市場で見たのと同じ黒っぽいものだ。 それらの袋にはWFPのマークとともに、オーストラリアから送ったことが記されたり、EUのマークが描かれたりしている。畳んだまま積まれた袋にも、同じものがたくさんある。WFPや外国政府からの食糧支援で使われた穀物袋が、日常的に反復使用されていることは明らかだ。(中略) WFPがすべての郡で活動していない理由は、軍事施設があるなどの理由で立ち入りが認められていない地域があるからだ。そうしたモニタリングができない郡では、配給を実施していない。「私たちはモニタリングによって、支援物資は住民たちへ確実に渡っているとはっきり言えます」 ラガン代表はこのように断言した。 韓国や中国などが以前に実施していたWFPを通さない直接支援では、厳密なモニタリングは行われなかった。だが、日本や米国・EU諸国などによるWFPを通した食糧は、確実に人々へ届いている。<撮影できるまで帰国しない> ここまでの取材はまずまず順調だが、まだ重要な部分が残っている。日本からの支援食糧の地方都市への輸送と、人々に配給されるようすをどうしても撮影したいのだ。水害対策委員会には直訴もしたし、対文協は洪善玉副委員長まで動いて交渉してくれている。できる限りのことはやってもらったが、いまだに許可がでない。「半年前であれば、伊藤さんが希望する取材は可能でした。食糧事情が好転し、各政府機関から水害対策委員会へ出向していた職員は、元の部署へ戻りつつあります。誰がこの取材に対応するのか決まらない状態なのですよ」 案内員がそう説明してくれる。水害対策委員会は、いまさら外国人ジャーナリストの取材に協力する意味がないと思っているのだろう。「20日の便で帰国したらどうでしょうか」 案内員が控えめな口調で言う。つまり対文協も、私に帰ってほしいのだ。しかしここまでの取材で雑誌の記事を書くことができても、テレビの特集番組にまとめるのには映像素材が不十分である。「希望する撮影ができるまで帰国しません!」 私はそのように宣言した。「・・・」 案内員は苦悩の表情を見せ、黙り込んでしまった。対文協の多くのスタッフが私のために奔走してくれていることには大変感謝しているが、ここで妥協したら絶対に後悔することになる。 私はホテルの部屋に籠った。今回の取材は困難が予想されたため、帰国便を予約せずに来ている。こうなれば持久戦だ。 泊っている普通江ホテルは、建物は古いものの天井が高くて快適である。窓の外には緑が広がり、その先に主体思想塔やビル群が見える。また、このホテルのレストランには和食がある。和食を出す店は平壌駅前の総連食堂など他にもあるが、ここのレストランは値段が高いものの料理のグレードはかなり高い。 せっかくそうしたホテルに泊まっているにもかかわらず、ストレスからか下痢が続いて食事が摂れない。長年にわたって1日も休まず飲んでいる酒を、体がまったく受けつけない。こういう時のために持ってきた粉末のスポーツドリンクを、お湯で溶いて飲む。机の前にある鏡には、疲れ切った顔をした男の顔が映っている。肉体はボロボロだが、気力はそれほど落ちていない。 そうした中で、月刊誌の編集部から原稿を督促するメールが届く。次号にこの取材の記事を掲載することになっており、締め切りがギリギリなのだ。ビデオカメラで撮影したインタビューの、文字起こしもしなければならない。気力を振り絞って原稿を書き上げて何とか送ると、編集部から「良い原稿だ」との連絡がある。苦労した甲斐があった。急に力が湧いてくる。『朝鮮で見た〈日本〉』1:終戦時の悲劇
2023.07.22
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図書館で『朝鮮で見た〈日本〉』という本を、手にしたのです。北朝鮮の取材内容をざっと見てみると・・・よくこれだけの取材が許可されたものだと驚いた次第です。【朝鮮で見た〈日本〉】伊藤孝司著、岩波書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦後の混乱で朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に残された日本人、里帰りを果たせぬ日本人妻、植民地支配の傷跡の数々-。いまだ国交のない隣国との関係を、日本政府は歴史の清算もせず、断絶するかの方向に舵を切って来た。しかし、両国には切ることのできない絆がある。40回におよぶ訪朝取材をもとに、貴重な写真とルポで、朝鮮に残る“日本”を照射する。困難な朝鮮での取材の裏側なども報告。<読む前の大使寸評>北朝鮮の取材内容をざっと見てみると・・・よくこれだけの取材が許可されたものだと驚いた次第です。rakuten朝鮮で見た〈日本〉「第8章 最後の朝鮮残留日本人で」で終戦時の悲劇を、見てみましょう。p175~177<英男との突然の別れ> 商人とのたちが路上に並んで物を売っている場所へ行ってみた。するとそこで、ソ連兵がヒマワリの種を食べているのを目にする。たくさんの種を一度に口に入れ、殻だけを器用に次々と吐き出しているのだ。そのようすがあまりにも面白くて見入っていると、誰かが後ろから突いた。振り返ると英男さんだった。偶然にも弟と再会することができたのだ。「『早く一緒に移行』と英男は言いました。『もうすぐ汽車が出発スルノデ、リンゴが売れてなくても早く連れて来なさい』と継母が入っていると・・・。でも私は『リンゴを全部売るので先に行きなさい』と言い張ったんです」 これが、琉璃子さんが英男さんを見た最後となった。リンゴを売り終えて旅館へ戻ると、誰もいなかったのである。「汽車が出発してしまったんだと思いました」 日本人たちが北緯三八度線を越えるのは次第に困難になっていた。だが過酷な収容生活から逃れるため、危険を冒して帰国しようとする集団が続出していた。「南へと向かう汽車があれば、何としてでもそれに乗らなければここで死ぬことになる・・・」 琉璃子さんを捜す余裕もなく、継母や旅館の収容者たちは出発したのだろう。それまで淡々とした口調だった琉璃子さんが、涙を流しながら一気に語り始めた。「私は、追い払うようにして英男と別れたんです。英男は涙を流し、何度も振り返りながら消えて行きました。それが、私が覚えている英男の顔なんです。思い出すとすごく悲しくなるので、個の話は誰にもしたことがありません」 後になって日本との手紙のやり取りでわかったのだが、姉を捜しに出たために英男さんも汽車に乗り遅れてしまったのだ。10歳の英男は誰にも頼れず、物乞いで飢えをしのぎながら三八度線を越えて帰国した。「大変な思いをした英男は、私をどれほど恨んだことか・・・」 と琉璃子さんは涙を流しながら語る。 リンゴを売ることにこだわったため汽車に乗り遅れてい、大混乱が続く朝鮮へ置き去りになった琉璃子さん。まだ12歳だった。この出来事で、自分の人生が大きく変わるなどとは思いもしなかった。<「リ・ユグム」として生きる>「私の足が自然に向いたのは、ソ連兵がヒマワリの種の殻を口から飛ばしていた場所でした。そこにずっと立っていたら、家に泊めてくれた朝鮮人のおじさんと出会うことができたんです」 男性は琉璃子さんを心配して捜しにきたのだ。「何も食べていないのだろう」とパンを買ってくれた。 そして食べ終わるのを待ち、「私の家へ戻ろう」と言った。琉璃子さんは、その言葉に素直に従った。英男さんの消息は気になるが、生母はすでに亡くなり父親の生死はわからない・・・。日本でくらしたことのない琉璃子さんは、「祖国・日本」を何としてでも目指そうという気持ちにならなかったのだろう。何よりも、日本から主権を取り戻して勢いのある朝鮮人社会にいきなり放り出されたのだ。日本人少女には、他の選択肢はなかった。 琉璃子さんは朝鮮語をわずか2カ月で習得し、「リ・ユグム」としてたくましく生き始める。「荒井琉璃子」の名を使うことは、この時からまったくなかった。 ところが数ヶ月したころ、世話になっている男性の一家が故郷へ戻らなければならなくなる。「一緒に行かないか」と言われたが、琉璃子さんは弟と別れたイ興を離れたくなかった。「ここにいれば再会できるかもしれない」と思い、頑強に拒む。
2023.07.21
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図書館で『サボテンの花』という本を、手にしたのです。安西水丸さんは気鋭のイラストレーターとして知っていたのだが、エッセイスト、作家としても活躍していたようですね。おそれいりました。【サボテンの花】安西水丸著、 実業之日本社、2002年刊<「BOOK」データベース>よりほんのひととき、愛を確かめあう男と女。安西水丸が描く切なくもエロティックな恋愛小説集。【目次】ソファ/友だち/国境/サボテンの花/ブルー・レイン/空中ぶらんこ/耳/初雪/蓮<読む前の大使寸評>安西水丸さんは気鋭のイラストレーターとして知っていたのだが、エッセイスト、作家としても活躍していたようですね。おそれいりました。rakutenサボテンの花「第2話 友だち」の冒頭を、見てみましょう。<第2話 友だち>p36~38 盂蘭盆の盂蘭というのは梵語からきており、地獄での逆さ吊りの苦しみを意味しているのだという。その苦しみから救済するための仏事を盂蘭盆と言うらしい。 吉木保彦は友人に手紙を書いている時、たまたま開いた辞書のページでそれを知った。盂蘭盆の前には「うらぶれる」という言葉があった。今の自分だなと彼は自嘲した。 5年後に定年を控えた吉木が、長年勤めあげた会社をリストラされたのは昨年の4月だった。彼のいたムラセ工務店は、建設業界ではそこそこの位置にあったのだが、バブル崩壊の煽りを受け、ここ数年、業績ががた落ちしていた。そのことを逸早く感じていたのが、ずっと経理畑を歩んできた吉木だった。 社長が会長兼顧問といった飾りものに退き、まだ四十代の息子が社長に就任したのだが、状態はひたすら悪化の一途を辿った。リストラが次々に発令されたが、まさかここまで会社一筋にやってきた自分にそれがまわってくるとは思ってもみなかった。生真面目な吉木だったが、彼はこの歳にしてはじめて自棄になった。吉木には大学に入ったばかりの娘と病気がちの妻がおり、自宅のローンもかなりの額が残っていた。「ブルースカイでパートの求人広告が出ていたんで言ってみようかしら」「どうなのかな?」「行くだけ行って、ないようのこと訊いてみようと思って」「仕事、大へんだろう」 妻の妙美は心臓に欠陥を持っており、あまり無理のできない身体だった。 吉木はあれこれ仕事を探して歩いたが、年齢のこともあってか、なかなか思うようにいかなかった。 夏の終わり、彼の仕事さがしの帰り、新宿西口にあるKデパートの屋上のビアガーデンに立ち寄った。9月に入っており、ビアガーデンは閑散としていた。数組のカップルと、中年男一人がテーブルにいた。運ばれてきた生ビールのグラスを手にした時、一人でいる中年男と目が合った。吉木はすぐに男から目をそらあしビールを飲んだ。ほろ苦いビールのつめたさが身体にしみた。 中年男が立ち上がると、吉木の方へずかずかと近づいてきた。五分刈り頭にはちらほらと白いものが混じっている。「間違ってたらごめんなさいよ。吉木さんじゃないですか? 俺、健三ですよ。勝又ジムにいた山本健三」 吉木はおもわず目を見張った。「健ちゃんか、いやあ、久しぶりというか、どこでどうしてたのさ」 吉木は立ち上がって男の手を握った。 彼が山本健三にはじめて会ったのは大学三年の時だった。当時吉木は大学のある高田馬場の書店でアルバイトをしていた。彼が棚を整理していると、若い男が太田という店員と揉み合いをはじめた。瞬間万引きが見つかったのだなと思った。若い男はいかにもといったチンピラ風で、店員の手を振り切ろうとしている。吉木は何か悪い予感がして太田店員の肩をたたいた。「太田さん、彼、ぼくの友だちの弟なんですよ。お金はぼくが払いますから、ここは何とか」 吉木は若い男にも聞こえる声で太田に言った。「ふざけんじゃねえぞ!」 若い男は青ざめた顔で叫ぶと、万引きした本が入っていると思われる紙袋を持ったままその場から消えた。気味悪い男だと吉木は思った。それにしても自分でもどうして男を庇ったのかわからなかった。 翌日、吉木は店長に呼ばれ、アルバイトを馘首になった。あの時の状態では、男がどんな行動に出るのかわからなかったし、それを防ぐための吉木の処置だったのに、店員の太田は悪い方に撮ったらしい。店長の判断は吉木には不良仲間がいるということになったのだ。その助けた男・山本健三が1ヶ月ほど後にお礼のために吉木を訪ねてくるのです。そして山本健三のツテでソープランドの経理に職を得たのだが・・・仕事柄、目にするシーンがエロっぽいこと♪
2023.07.21
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朝からセミが鳴いてうるさいが、まだ梅雨明け宣言も出ていないのに、まったく。(*) ここでさわやかなエピソードをひとつ♪ 我が地域の小さな公園の東屋で休むことがあるのだが・・・ ここで11時前後の時間帯に、チュチュチュと舌打ちするとオスの地域ネコが登場することがあるのです。 どうして地域ネコなのかだって?、それは彼の片方の耳に避妊処置済みを示す切り欠きが見えるからです。こんな手間をかけて彼を遇した猫好きが、我が地域にいることは確かです。 ゆったりと歩をすすめる姿を見ると。猫好きの私には、とにかくうれしいのです。そして、どこで見張っていたのか、聞き耳をたてていたのか分からないが、彼は私の存在を認識しているのです。 食い物を持っていない私に、彼が好意を示すのは・・・ 食い物や水を準備して、彼をてなづけた猫好きおばさんがいたからで、私はその友達仲間に加わったからです。 おばさんが言うには「足音を聞きつけて、寄ってくる」かも知れないのだそうです。 この歳になっても茶飲み友達ができない私だが、地域ネコを介して友達仲間ができたのは嬉しいかぎりでおます。 まったく、くそ暑い昨今であるが、体調をくずさないようにして頑張ってください、お互いに。在りし日のフータロー(*):この記事を書いた後に、近畿の梅雨明けが宣言されました。
2023.07.20
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ベン・シャーンの線描画が好きなので、以下のとおり復刻してみようと思うのです。「花はどこへ行った」「ウィ・シャル・オーヴァーカム」をつくり歌ったピート・シーガーや、第五福竜丸とも関係のあったベン・シャーンは忘れがたい人でもあるのです。*********************************************************図書館に予約していた『ベン・シャーンを追いかけて』という本をゲットしたのです。大使としては、ベン・シャーンの個性的な線描に惹かれているのだが・・・ベン・シャーンが、ことのほか日本と韓国で愛されていることに驚いた次第です。【ベン・シャーンを追いかけて】永田浩三著、大月書店、2014年刊<「BOOK」データベース>より 1898年に生まれ、1969年に亡くなったベン・シャーン。激動の二〇世紀を疾走したこの画家は、絵画だけでなく、壁画、写真、レコードジャケット、ポスター、舞台芸術で大きな業績を残し、さまざまな社会問題も描いた。『W・P・A・サンデー』『幼かりし日の自画像』『解放』『寓意』『ラッキードラゴン』『美しきものすべて』…。これらの作品に、わたしたちは物語を呼び起こされ、そして自分の人生を重ね合わせる。ベン・シャーンの絵は、なぜわたしたちをひきつけてやまないのか。その答えを探しに、ゆかりの地を訪ね歩いた。【目次】第1章 故郷リトアニア、そしてアウシュビッツ第2章 ヨーロッパで見つけたもの第3章 アメリカのアート・ジャーナリスト第4章 世の不公正にあらがう第5章 ベン・シャーンとヒロシマ第6章 抵抗の画家と韓国を結ぶもの第7章 ベン・シャーンを愛する国、日本<大使寸評>大使としては、ベン・シャーンの個性的な線描に惹かれているのだが・・・ベン・シャーンが、ことのほか日本と韓国で愛されていることに驚いた次第です。<図書館予約:(8/17予約、8/22受取)>rakutenベン・シャーンを追いかけて線描画に注目して、この本を借りたのであるが、この本は読みどころが多いので(その3)として、読み進めたのです。ベン・シャーンの社会性とかクロスメディアについて見てみましょう。<オキュパイ運動があったウォール街>p154~158 ウォール街のトリニティ教会の前の通りが、2011年にオキュパイ運動がおこなわれたところだ。 ウォール街は、アメリカ経済を守るため、壁(ウォール)をつくったことが、その語源になったいる。いまは、民衆の結集を許さないための警護の壁が築かれている。その広い空白のエリアを、中国やインドの観光客が大勢訪れる。インドのひとたちに聞いてみる。すると、格差があるのは当たり前だという答が返ってきた。中国の旅行者には、英語はまったく通じなかった。警備のひとに尋ねる。いちばん多かったときは、2000人が通りを占拠していたそうだ。ひとりのおじさんが、フルートで「アメイジング・グレース」を奏でている。箱に観光客が小銭を入れていく。(中略) ウォール街を占拠するオキュパイ運動は、いまの政治や社会がごく一部のひとによって牛耳られ、ほとんどのひとは置いてきぼりにされる状況に異を唱えるものだ。アメリカだけでなく、新自由主義が大手をふるう世界中で、その声は高まっている。 ベン・シャーンは、芸術家としては珍しく、政治に積極的に参加した。ローズヴェルト市の市会議員を務めたほか、ヘンリー・ウォレスの選挙応援に2回関わった。(中略) ウォレスは、朝鮮戦争にアメリカが加担するのは侵略だと言った。かれは熱心なクリスチャンだったが、ユダヤ人の悲劇についても積極的に発言した。しかし、そうした言動は、ほかの政治家の反発を生み、共産主義者、神秘主義者のレッテルを貼られることになる。 ベン・シャーンイは、そんなウォレスへの攻撃を知りつつあえて支持し、大統領選挙の応援に動いたのだった。 2013年、忘れられた政治家ヘンリー・ウォレスに、ふたたび光があたる出来事があった。NHKのBSドキュメンタリーで『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』の10回シリーズが放送された、大きな反響を呼んだのだ。そこでは、ウォレスの理念が高く評価されていた。オリバー・ストーンは、もしウォレスがローズヴェルトの後継者であったら、米ソが平和的に共存し、市民が過度な競争にさらされることがない、もうひとつのアメリカ、もうひとつの世界があったかもしれないと語った。<広島の被曝者・富子さん>p158~160 5月27日。前の職場時代にいっしょに仕事をした浜野あづささんと合流する。浜野さんは、ニューヨーク大学の大学院に留学中、大学で日本語・日本文化を教える富子森本ウェストさんにお世話になっていた。ニューヨーク郊外ラグレンジヒルに住む富子さんの自宅を訪ねる。 富子さんは、1945年8月、広島で原爆に遭遇した。13歳のときだった。ガラスの破片が全身に突き刺さる祖父を、防空壕で看病したが、20日後、祖父は息を引き取った。荼毘にふすのは、富子さんの役割だった。人間を骨にするのはとんでもない時間がかかることを知った。彼女はいま、原発反対の運動を積極的におこなっている。原点にあるのは自身の広島での体験だ。 アメリカ人の多くは、原爆投下になんの痛みも感じないと言われてきた。しかし、彼女は、それは違うということを体験のなかで知った。彼女のまわりのほとんどのひとは、彼女がヒバクシャであることに深く同情する。そして、原爆投下はまさにジェノサイド、虐殺だと語る。例外は、退役した兵士たち、原爆が多くのひとを戦死から救ったと信じていると、富子さんは話してくれた。 富子さんが選んだベン・シャーンの絵は、「ラッキードラゴン」シリーズのなかの久保山愛吉さん、《ラッキードラゴン》(1960年)だった。足が細くなった姿が強烈だと言った。 富子さんには、近所にこころを許す友人がいた。ピート・シーガーさんである。富子さんとピートさんはニューヨーク郊外、ハドソン川沿いの老朽化した原発の稼動反対を叫びつづけた。 ピート・シーガーは伝説のフォークシンガー。「サッコとヴァンゼッティのバラード」「花はどこへ行った」「ウィ・シャル・オーヴァーカム」「天使のハンマー」といった曲は、たくさんのひとにカバーされ、ヴェトナム反戦運動や軍縮運動、公民権運動の先頭に立った。ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーは、ピートの背中を見ながらビッグなアーティストになっていった。ピートさんの歌はいまも、日本の脱原発運動や、沖縄の辺野古基地新設反対運動でうたわれている。 ピートさんのアルバムは多いが、初期のLPジャケットの多くをシャーンがデザインしている。(中略) 富子さんに会ったとき、ピートさんは最愛の妻トシコさんを亡くしたばかりで、自宅を訪ねることはかなわなかった。 ピートさんがうたった歌には、サッコとヴァンゼッティ、ヘンリー・ウォレス、キング牧師が登場する。絵の世界のシャーンと歌の世界のピートさんは、価値を共有していたように思う。 2014年1月、ピートさんは亡くなった。94歳だった。生前のピートさんに会うことができなかったことは残念でならない。wikipediaピート・シーガーよりピート・シーガー(1919年5月3日 - 2014年1月27日)はアメリカ合衆国のフォーク歌手である。20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物の一人である。第二次世界大戦前の1940年代から全国放送のラジオで活躍し、1950年代はじめにはウィーバーズ (The Weavers) の一員として一連のヒット作を出した。1960年代にはプロテストソングのパイオニアとして公の場に再登場し、国際的な軍縮、公民権運動を推進した。ソングライターとしては「花はどこへ行った」、「天使のハンマー」、「ターン・ターン・ターン 」などの代表作を生み出した。スピリチュアル(霊歌)「ウィ・シャル・オーバーカム 」を1960年代の公民権運動を象徴する歌にした立役者でもある。近年では環境問題について訴える活動を続けていた。物語る絵とか線描画、そして、ピート・シーガー、さらに石田徹也、アーサー・ビナードと大使のツボを突きまくるベン・シャーンであった♪ラッキードラゴン・線描画の達人たちより・ベン・シャーンを追いかけて3・ベン・シャーンを追いかけて2・ベン・シャーンを追いかけて1
2023.07.20
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<老人力あれこれR4>赤瀬川原平著『老人力』のインパクトは大きかったわけで…その後、相次いで老人絡みの本が刊行されたのです。で、大使が読んだ類書を集めてみました。・老人初心者の覚悟:阿川佐和子(2019年刊)・老人のライセンス:村松友視(2018年刊)・九十歳。何がめでたい:佐藤愛子(2016年刊)・オレって老人?:南伸坊(2013年刊)・魔がさす年頃:嵐山光三郎(2012年刊)・老年力:三浦朱門(2012年刊)・働くアンナの一人っ子介護:荻野アンナ(2009年刊)・完全無敵の老人学:和田×大月(2001年刊)・老人力自慢:赤瀬川原平(1999年刊)・日本ジジババ列伝:清水義範(1995年刊)R4:『老人初心者の覚悟』を追記*****************************************************************************【老人初心者の覚悟】阿川佐和子著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より老人若葉マークの踏んだり蹴ったり…だからなんだ!「高齢者」の仲間入りをしたアガワが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/18予約、副本1、予約0)>rakuten老人初心者の覚悟*****************************************************************************【老人のライセンス】村松友視著、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より老成を極めた人間力にせまる66篇。【目次】第1章 老人って何?(老人って何?/「若返り」対「老成」の構図 ほか)/第2章 老猿に道をゆずるの巻(老猿に道をゆずるの巻/蓮っ葉な女の読書に翻弄される ほか)/第3章 理想ではないが、妻である(文鎮の安心と重みよ、今いずこ/右と左に泣き別れる老人の心もよう ほか)/第4章 何しろ、人間の舌は器用なもんでしてね(何しろ、人間の舌は器用なもんでしてね/鮨ネタの栄枯盛衰 ほか)/第5章 今日は、絶好の雨日和(黒鉄ヒロシという謎の生命体/病んだヨーロッパ人、伊丹十三 ほか)/第6章 涙をさそう唐辛子の焼香(極め付きの無表情/上り坂と下り坂はどっちが多い? ほか)<読む前の大使寸評>かつて赤瀬川原平が老人力を提唱した頃は微笑ましい感じだったが・・・今「老人のライセンス」と聞くと、なにやら恐れ入るのである。rakuten老人のライセンス『老人のライセンス』1*****************************************************************************【九十歳。何がめでたい 】佐藤愛子著、小学館、2016年刊<「BOOK」データベース>より御年92歳、もはや満身創痍。ヘトヘトでしぼり出した怒りの書。全28編。【目次】こみ上げる憤怒の孤独/来るか?日本人総アホ時代/老いの夢/人生相談回答者失格/二つの誕生日/ソバプンの話/我ながら不気味な話/過ぎたるは及ばざるが如し/子供のキモチは/心配性の述懐〔ほか〕<読む前の大使寸評>図書館に予約して、待つこと11ヶ月でようやくゲットできました♪ この手の売れ筋の本は購入すべきだったのかも?<図書館予約:(12/14予約、11/07受取)>rakuten九十歳。何がめでたい 『九十歳。何がめでたい』1 byドングリ*****************************************************************************【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版 (2013年刊)<カスタマーレビュー>より南伸坊のエッセイ集で、連載中のみやび出版『myb』の「日々のシンボー」と毎日新聞『本の時間』の「じじの時間」を軸に、『文藝春秋スペシャル』『うえの』『室内』の各誌に注文されて執筆した文を集めています。そのさい、年寄りがよくする懐旧談、自分が老化に直面したことについての文章を選んだという。<読む前の大使寸評>『仙人の壷』という南さんの(マンガ)本を読んで良かったので、その勢いで予約していたのです。<図書館予約:(11/20予約、11/25受取)>amazonオレって老人?『オレって老人?』3 :肺ガンの危機p194~198『オレって老人?』2 :近頃のツバメp22~25『オレって老人?』1 :アノホラ検索p38~40『仙人の壷』1*****************************************************************************【魔がさす年頃】嵐山光三郎著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より著者の人生、いつも「つい魔がさしたとき」が次のステップになった。「不良定年」その後の人生全開的日々実録。【目次】序章 魔がさす年頃/第1章 魔がさす気配/第2章 いらいら/第3章 自律神経出張中/第4章 蝉時雨<読む前の大使寸評>魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪rakuten魔がさす年頃『魔がさす年頃』2 byドングリ*****************************************************************************【老年力】三浦朱門著、海竜社、2012年刊<「BOOK」データベース>より人間はおおよそ八十年はもつようになっている。自分の本当にやりたいことをやりながら生きてほしい。【目次】はじめに 人間はおおよそ八十年はもつようになっている/第1章 充実した第二の人生を生きようー歩ける体力/第2章 第二の人生に備えて何をしたらいいのか?-頼らずに生きる力/第3章 親を看取るー一人で生きる力/第4章 人生は二度あるー過去を活かし創造する力/第5章 第二の人生では自分が主体になるーささやかな自立力/おわりに 第二の人生の生き甲斐は与える喜び<読む前の大使寸評>追って記入rakuten老年力*****************************************************************************【働くアンナの一人っ子介護】荻野アンナ著、グラフ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より現在、父94歳、母85歳、二人とも要介護4。「嫁入り前」の働く一人っ子はテェーヘンです。【目次】1 船乗りパパとお絵描きママ/2 あっぱれアンリ闘病記/3 働くアンナのドンブラコ半生/4 不死身アンリの人生は続く/5 パワフルママも老いる/6 アンナ流・介護のコツ<大使寸評>船乗りパパとお絵描きママの介護に明け暮れたアンナさんには、逆境を笑い飛ばすような精神的なバネがあるわけで・・・・落ち込んだときに読むと、いいようです♪rakuten働くアンナの一人っ子介護*****************************************************************************【完全無敵の老人学】和田秀樹×大月隆寛著、講談社、2001年刊<「BOOK」データベース>より気鋭の老年内科・精神科医と民俗学者が、それぞれ気魄に満ちた論稿を執筆、その論稿をもとにさらに対談を重ねた異色の「生き方」「老い方」「死に方」研究。<読む前の大使寸評>おお 精神科医と民俗学者との対談ってか・・・・かなり異色の企画がいいではないか♪amazon完全無敵の老人学『完全無敵の老人学』3byドングリ*****************************************************************************【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。【目次】老人力エッセイ(老人力の波紋/無償の勉強をするチャンス ほか)/老人力インタビュー(老人力とは何か?/老人力は腹の力)/読者からの便り(私の老人力自慢)/老人力座談会 のんびり元気術(赤瀬川原平/南伸坊/渡辺和博)/老人力インポジウム 老人力VS.不良中年(赤瀬川原平/嵐山光三郎/ねじめ正一/南伸坊)<大使寸評>赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪rakuten老人力自慢老人力自慢byドングリ*****************************************************************************【日本ジジババ列伝】清水義範著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりしみじみおかしい長生き百態。孫に片思いのお祖母ちゃん、夜な夜な洋食屋に出没するホラ吹き爺さん、海外旅行の達人の老女―。不安や悲哀を抱えつつもどこかたくましい老人達を、ユーモラスに描く12編。<大使寸評>図書館で『日本ジジババ列伝』という本を手にしたのです。おお、清水義範のジジババ列伝なら、例のドタバタが期待できるでぇ♪ということで借りたのだが、読み進めると、まっとうな老人小説なので拍子抜けの感もあったのです。少子高齢化の話題で盛り上がる前に、ちょっと先走りして刊行されているのだが・・・この老人列伝が、いい味出しているだけに、この路線で押して行けば良かったのにと思ったのである。今からでも遅くないので、シリーズ第二弾を期待したいものです。Amazon日本ジジババ列伝
2023.07.19
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今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・朝鮮で見た〈日本〉・バースデイ・ガール・サボテンの花<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【朝鮮で見た〈日本〉】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より<読む前の大使寸評>追って記入rakuten朝鮮で見た〈日本〉【バースデイ・ガール】村上春樹著、 新潮社、 2017年刊<「BOOK」データベース>より二十歳の誕生日の夜、ささやかな乾杯のあとで、彼女の人生に何が起こったのか。一年に一度の「特別な日」に贈りたいあなた自身が答えを見つける物語。中学校教科書にも採用された名短篇を、鮮烈なイラストレーションで彩るアートブック第四弾!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenバースデイ・ガール【サボテンの花】安西水丸著、 実業之日本社、2002年刊<「BOOK」データベース>よりほんのひととき、愛を確かめあう男と女。安西水丸が描く切なくもエロティックな恋愛小説集。【目次】ソファ/友だち/国境/サボテンの花/ブルー・レイン/空中ぶらんこ/耳/初雪/蓮<読む前の大使寸評>追って記入rakutenサボテンの花図書館大好き600
2023.07.19
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在75位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在6位・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、入荷待ち)現在62位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在28位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在18位・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、副本3、予約7)現在5位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在51位・阿川佐和子『 老人初心者の覚悟』(7/18予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・宮脇淳子『満州国の真実』・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・多和田葉子『白鶴亮翅』<予約分受取:5/28以降> ・『語学の天才まで1億光年』(10/18予約、5/28受取)・砂漠と異人たち(2/25予約、6/03受取)・鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』(10/27予約、6/07受取)・『小川さゆり、宗教2世』(4/06予約、6/10受取)・和田秀樹『70歳の正解』(9/14予約、6/13受取)・言葉の周圏分布考 (8/15予約、6/13受取)・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/10予約、入荷待ち)>rakutenくもをさがす【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【綿の帝国】スヴェン・ベッカート著、紀伊國屋書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より奴隷制、植民地主義、強制労働…社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料をもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追究した、バンクロフト賞受賞作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本3、予約7)>rakuten綿の帝国【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【老人初心者の覚悟】阿川佐和子著、中央公論新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より老人若葉マークの踏んだり蹴ったり…だからなんだ!「高齢者」の仲間入りをしたアガワが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/18予約、副本1、予約0)>rakuten老人初心者の覚悟【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.07.18
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図書館で『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』という本を、手にしたのです。日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。【デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?】 渡部恒雄, 長島純著、 日経BP、2022年刊<「BOOK」データベース>より国際政治・軍事・テクノロジー・世界経済・欧州地政学の視点から解くウクライナ戦争。【目次】「はじめに」に代えて ミハイロ・フェドロフウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー「戦時下でもデジタル政府化は加速する」/第1部 ウクライナ戦争への米国の戦略観と国際秩序の行方/第2部 ウクライナ戦争は「メタマゲドン(Metamageddon)」の幕開けとなるのか/第3部 デジタル国家ウクライナの全貌/第4部 ウクライナ戦争の経済的帰結/第5部 地政学から予想される欧州の変貌<読む前の大使寸評>日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。rakutenデジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?第3章で、ロシア・ウクライナ戦争の今後想定されるシナリオを、見てみましょう。p60~63<今後の国際秩序の行方として想定されるシナリオ> ロシア・ウクライナ戦争がどのように決着するかは、現時点ではまったく予断を許さない。しかし、一つだけ言えることは、この戦争においてウクライナが西側の支援を受けて、ロシアからの侵攻から独立を守れるかどうかの成否が今後の国際秩序の在り方に大きな影響を与えるということである。 もし、ロシアの「19世紀型の侵略戦争」を、ウクライナが、本来であればロシアの得意技と思われていた「ハイブリッド戦争」で撃退できたとすれば、今後の戦争の在り方も、国際秩序の在り方も変えることになる。 ウクライナの「ハイブリッド戦争」とは、欧米から供与される対戦車ミサイルや榴弾砲などの旧来の武器に加えて、自爆型も含む高性能のドローンというゲームチェンジャーとなる新しい武器と、ロシアのサイバー攻撃のダメージを最小にしたサイバー空間の防衛能力、米国およびウクライナ民間人の情報提供によるロシアの軍事作戦の精緻な把握、そして世界の共感と協力を集めるグローバルな情報発信から成る。 国際秩序に「新しいモデル」が生まれるとすれば、小国が大国から侵攻されたとしても、価値を共有する西側社会と連携し、グローバルな聴衆に訴えかけることで、強靭な抵抗を示すことができるということだ。 そうなれば、ロシアのような軍事大国といえども、軍事侵攻には相当な覚悟が必要だという前例を示すことになる。当然のことながら、これは他国、特に中国の一方的な台湾併合のハードルを上げることになるはずだ。 現時点でウクライナの戦況の着地点は予断を許さないが、二つの両極のシナリオを想定しておけば、その中間に落ち着くであろう現実のシナリオを想定しやすい。一つの極は、ロシアのウクライナ支配の成功シナリオであり、おそらくプーチン大統領が当初想定していたウクライナのゼレンスキー政権の崩壊と、ウクライナにおける親ロ政権の成立である。 このシナリオは、西側の軍事支援に支えられたウクライナの抵抗力が高まる中で可能性としては低くなっているとはいえ、もしロシアが成功すれば、国際秩序も流動化して、19世紀型の弱肉強食の大国間競争の復活に繋がるかもしれない。 対極は、ロシアのウクライナ侵攻の意図が撃退され、ロシアの国力と国際的影響力が大きく弱体化するシナリオだ。そうなれば、既存のルールに基ずく国際秩序が維持・強化されることになるだろう。 ただし、ロシアは大量の核兵器を保有しており、中国という、ロシア以上に、軍事と経済において米国と西側の秩序に挑戦する意図を持つ存在を考えれば、このような帰結も可能性としては高くなさそうだ。この両極の間で複数のシナリオを想定するのが現実的だろう。本稿では、モデルを単純化して、「大国間競争2.0」と「パクス・アメリカーナ2.0」を、あり得る国際秩序のケースとして想定する。「大国間競争2.0」は、ウクライナにおける親ロシア勢力とロシア軍が一定の力を維持したまま内戦状況が続き、西側以外の国家が、中国を筆頭にロシアの経済を支え、米欧を中心とする西側と中露との競争関係が継続するシナリオだ。中露や西側以外の国家が、既存の国際ルールに縛られない行動を取る頻度が増え、ルールに基ずく国際秩序は弱体化していく。「パクス・アメリカーナ2.0」は、ウクライナ政府が、ドンバス地方の一部とクリミア半島からのロシアの排除はできないが、それ以外の地域での自国の主権を維持できるケースだ。ドンバス地方へのロシアの介入の開始とクリミア併合の2014年以前には戻れないが、2022年の2月24日のロシアの本格的なウクライナ侵攻以前に戻る状況となる。 国際秩序においては、ウクライナの抵抗を支えた米国の軍事、インテリジェンス、サイバー協力の価値が認識され、経済制裁とロシア除外による西側のロシア制裁も一定の成果を上げ、その結果、中国の一方的な台湾統一のような大国による国際ルールを無視した行動のハードルが上がり、既存のルールに基ずく秩序が、ある程度維持されることになる。『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』2:ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー(続き)『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』1:ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー
2023.07.18
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図書館で『写真で見る満州全史』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・まさにタイトルにあるとおり写真が満載のビジュアル本となっているのが、ええでぇ♪【写真で見る満州全史】太平洋戦争研究会, 平塚柾緒著、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は大陸で何をしようとしたのか?…「幻の帝国」の前史から崩壊後まで!満鉄・関東軍・満州事変・満州国誕生・日本人街・開拓移民団・帝国崩壊・シベリア抑留・負の遺産…私たち日本人が今知るべき歴史!【目次】消えた帝国を歩くー現在も姿をとどめる「満州」残影/第1章 満鉄と関東軍/第2章 満州事変/第3章 関東軍の満州支配/第4章 日本人が住んだ街/第5章 満州帝国の繁栄と崩壊<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・まさにタイトルにあるとおり写真が満載のビジュアル本となっているのが、ええでぇ♪rakuten写真で見る満州全史柳条湖付近の爆破地点でのリットン調査団一行「第1章 満鉄と関東軍」から関東軍の登場について、見てみましょう。<満州駐屯「関東軍」の登場>p26~27■関東州と満鉄の半永久所有 日露講和条約が締結されて間もない明治38年9月26日、天皇直隷の関東総督が新設され、総督府をかつての激戦地・遼陽において南満州の経営にあたることになった。総督には陸軍大将大島義昌が任命され、租借地と満鉄付属地の軍政がスタートする。そして総督の下には二個師団、約1万の兵力が駐留して関東州の守備を行うことになった。 ところが清国は、日本の総督府による軍政は、ロシアに数倍する悪政だと不信感をつのらせ、あからさまに軍政非難を強めてきた。そこで明治39年5月22日、日韓併合によって初代韓国統監に就任した伊藤博文が中心になって、「満州問題に関する協議会」が首相官邸で開かれた。 その結果、関東州の軍政制度を見直し、政府の監督下で軍事と行政を分離する平時組織に改めることになった。そして同年9月1日、名称も関東総督府から関東都督府(旅順)と変え、行政は行政は外相の監督下に入り、軍事は都督府の陸軍部が管轄することになった。この陸軍部が、のちの関東軍司令部の前身になるのである。 総督府から都督府に変わったことで、駐箚=駐屯兵力も二個師団から一個師団に縮小された。ただし、満鉄=南満州鉄道沿線に分散駐屯し、居留民の保護と鉄道警備にあたる独立守備六個大隊が新設さらた。予備・後備役の志願兵で編成された守備隊司令部は、公主嶺に置かれた。 駐箚師団は遼陽に司令部を置き、内地の師団と二年交替で駐屯することになった。しかし駐箚師団と独立守備歩兵大隊を合わせた常備兵力は約1万4百名と少なかった。(中略) 兵力はわずかでも、ともかく満州に地歩を築いた日本軍は、密かに勢力圏の拡大を狙っていた。そこに起こったのが、明治44年(1911)の辛亥革命である。満州を父祖の地とする清朝を倒し、漢民族の国家をつくろうという「倒満復漢」を旗印にした革命軍は、中国各地に兵を起こし、その勢力は次第に北上してきた。 日本の軍部、ことに陸軍は革命の混乱に乗じ、鉄道の保護という名目で華北と満州にそれぞれ一個師団ずつを派遣して、満州増兵の既成事実をつくろうと画策した。もちろん関東都督府は大賛成であったが、日露戦争で被った経済的打撃から立ち直れないでいる政府の賛成は得られず、部隊増派は実現できなかった。 ところが大正3年(1914)7月に第一次世界大戦が勃発し、欧米列強の目を満州から逸らしてくれたと同時に、中国大陸(万里の長城内)進出を狙っていた日本に絶好のチャンスを与えた。ドイツに宣戦布告したイギリスは、日英同盟のよしみから8月7日に、日本に対して援助を要請してきた。イギリスの通商破壊をしているドイツの仮装巡洋艦(武装商船)を撃破してほしいというのだ。 欧米列強に先駆けて中国・満州に確固とした地位を築いてしまおうと考えていた日本には、渡りに船だった。日本はイギリスの申し出を快諾し、早くも36時間後には大戦への参戦を決定し、ただちに出兵準備に入った。そして8月23日、ドイツに宣戦布告をするや、ドイツが租借している中国の膠州湾の軍港・青島攻略を開始した。わずか千六百名の正規兵に、アジア各地からかき集めた在郷軍人を加えたドイツ軍は、しょせん日本軍(第18師団)の敵ではなかった。 11月7日、青島のドイツ守備隊は降伏し、日本軍は膠州湾と青島はもちろんのこと、青島と済南間を走る膠済鉄道全線を押さえて青島守備軍を編成、長期駐留の構えをとった。中国政府はただちに日本軍の即時撤退を要求したが、中国進出を狙う日本はにべもなく拒絶し、いわゆる「二十一ヶ条」の要求を逆に中国側に突きつけたのである。『写真で見る満州全史』1:ラストエンペラー・溥儀について
2023.07.17
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図書館で『写真で見る満州全史』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・まさにタイトルにあるとおり写真が満載のビジュアル本となっているのが、ええでぇ♪【写真で見る満州全史】太平洋戦争研究会, 平塚柾緒著、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は大陸で何をしようとしたのか?…「幻の帝国」の前史から崩壊後まで!満鉄・関東軍・満州事変・満州国誕生・日本人街・開拓移民団・帝国崩壊・シベリア抑留・負の遺産…私たち日本人が今知るべき歴史!【目次】消えた帝国を歩くー現在も姿をとどめる「満州」残影/第1章 満鉄と関東軍/第2章 満州事変/第3章 関東軍の満州支配/第4章 日本人が住んだ街/第5章 満州帝国の繁栄と崩壊<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・まさにタイトルにあるとおり写真が満載のビジュアル本となっているのが、ええでぇ♪rakuten写真で見る満州全史柳条湖付近の爆破地点でのリットン調査団一行「第3章 関東軍の満州支配」からラストエンペラー・溥儀について、見てみましょう。<皇帝・溥儀と満州帝国>p102~103■国の運命を決した建国5日後の密約 昭和7年3月1日、世界の視線が上海事変に引き寄せられている間隙を縫って、「五族協和」「王道楽土」を掲げて「満州国」は誕生した。しかし満州国の運命は、早くも建国式が行われた数日後には決定されてしまった。 昭和7年3月9日の執政就任式を前に、溥儀は一通の書簡に署名している(3月6日)。これは関東軍司令官と交わした重大な密約であった。 内容は次のようなものであった。一、満州国の治安維持および国防は日本軍に委ねる。一、国防上必要な鉄道、港湾、水路、航空路の管理、ならびに新設はすべて日本に委ねる。一、日本人を満州国参事に任じ、中央、地方の官署にも、日本人を任用する。その選任、解任は関東軍司令官の同意を必要とする。 このように満州国は、最初から骨抜き状態で誕生した見せかけの“独立国家”だったのである。ところが、この密約は鄭考胥が勝手に結んだもので、自分は5カ月後になった初めて知らされたと溥儀は『わが半生』に記している。しかし、これは偽りであろう。彼は将来の皇帝就任という確約と引きかえに、新国家の重要な諸権利を引き渡したのである。 昭和7年9月15日、日本政府は正式に満州国を承認、両国の間に「日満議定書」が結ばれる。公表された「議定書」の本文には、「日本の既得権の尊重」「日満の共同防衛」、この二ヶ条しか見られない。しかし、付属協定として先の密約も認め合っていたのだ。それが世人の前に明らかにされたのは、戦後のことである。 後世に売国奴のそしりをまぬがれないと怖れたのだろうか、議定書調印式の満州国代表・鄭考胥総理は、挨拶をうながされても「いたずらに口をもぐもぐさせ、顔面神経をぴりぴり動かし泣かんばかりの」表情を見せるだけで、ひと言も発しなかったという。 ■「五族協和」のスローガンも虚しく 満州国では執政・溥儀を元首とし、国務院という組織が行政の中心とされた。国務院のトップが、すなわち首相である。清朝時代から溥儀の側近ナンバーワンである鄭考胥が、初代の国務総理に任命されていた。 しかし鄭は乗り気ではなく、何回も「辞職したい」と申し出ている。「日満議定書」調印日の6日前にも「今度こそ」と突然いいだし、自宅に閉じこもって登庁しなくなった。あわてた関東軍は、岡村寧次参謀副長を新京に向かわせ、何とか翻意させるというドタバタ劇を演じる。「駒井徳三総務長官の横暴ぶりにがまんできない」ことに、その辞意は発していた。国務総理とは言っても“飾り物”にすぎず、政府の実験は日本人の総務長官が握っていたのだ。ことに駒井は二月に馬占山を帰順させるなど、自らの政治手腕に酔い、大変な高飛車ぶりだった。 駒井について溥儀はこう記している。「当時日本の雑誌『改造』は、公然と彼を『満州国総務総理』『新国家の内閣総理大臣』と呼んだ。駒井は元『満鉄』につとめていた男で、(略)東京の軍務と財閥の目にとまり、『中国通』とみなされたのだということだった」「彼の目から見た最高の上司はもちろん関東軍司令官であり、私という名目上の執政ではなかった」満州国についてはNHKの『プレミアムA「満州 アヘンでできた“理想郷”」がお奨めです。
2023.07.17
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朝日新聞デジタルの有料会員になって以来、気になった記事をスクラップしているのです。それらの記事の一覧を以下に紹介します。(個人的なメモなので、テキストデータになりますが)*********************************************************■満州 アヘンでできた“理想郷”2023/7/11 (2023年7月16日登録)満州帝国と国策によるアヘン製造・販売がよくわかるのです。■29歳で獄死した反戦川柳作家・鶴彬 故郷で碑前祭2022年9月15日 (2023年7月6日登録)反戦作家といえば・・・この人を外すわけにはいけないのだろう。■英語信仰は「壮大なムダ」、言語学者の危惧 「日本語こそ国際語」2023年6月12日 (2023年6月14日登録)ウン ええこと言ってるがな♪■書店ゼロ自治体、全国で26% ネットでの無料配送規制の議論も2023年3月29日 (2023年6月10日登録)書店の減少といえば、本の物流的側面や、図書館との住み分けが気になるのです。■強まるエルドアン氏への働きかけ スウェーデンのNATO加盟めぐり2023年6月5日 (2023年6月5日登録)プーチンからもウクライナからも支持されるエルドアン氏は、バランス感の長けた政治家であるが・・・要注意なんでしょうね■台風2号、あすにかけ広範囲で警報級大雨の恐れ 高知県では激しい雨2023年6月2日 (2023年6月2日登録)西日本一帯に避難警報が出ている模様です。■事故から12年後に里帰りした元町職員 未練断ち切った「けれど…」2023年5月31日 (2023年5月31日登録)被災の原因は地震、津波にあるとしても、政府や東電の無慈悲という人災でもあったようですね。■ウクライナはなぜF16を求めたのか? カギを握る総合力と戦い方2023年5月30日 (2023年5月31日登録)「ロシア領内を攻撃したい」という誘惑にかられる可能性もあるようですね。■週刊朝日、独自路線貫き101年で幕 30日発売で最終号 2023年5月28日 (2023年5月30日登録)これは惜しまれるので、買っておくか。■トルコ大統領、続投のエルドアン氏 「カリスマ」が直面する難題とは2023年5月29日 (2023年5月29日登録)やはりエルドアン氏の続投となるのか・・・クルド人やスウェーデンはがっかりしたのでは。■異例の閣僚謝罪ラッシュ マイナンバーカード、顕在化した「ひずみ」2023年5月27日 (2023年5月27日登録)試運転期間を長くとり「ひずみ」が出尽くしたあとにカード取得がいいかも■マイナ保険証、またもミス相次ぐ 対策はトラブル把握から3カ月後2023年5月23日 (2023年5月24日登録)マイナ保険証なんか持つメリットがないではないか。■ロシア首相が中国訪問 米の制裁受ける企業家らも同行 G7に対抗2023年5月24日 (2023年5月24日登録)思い過ごしかもしれないが・・・第3次世界大戦の危機かと思ったりする。■ゼレンスキー大統領、G7で得た外交成果とは 東野篤子教授の視点2023年5月22日(2023年5月22日登録)日本のメディア(世界のメディアも)は、こぞってゼレンスキー大統領の動向を追っていたもんね。■AIが心を読む? 脳内の思考を文章化する「解読機」を開発、米研究2023年5月14日 (2023年5月14日登録)いやはや、チャットGPTの進化は凄まじいばかりで・・・怖いでぇ。■本当に面白い本って何だ 名物書店員、「売れる本を売る」からの脱却2023年5月10日 (2023年5月11日登録)図書館に入り浸っている私は、本を買わなくなってしまったが・・・ 本屋がなくなっては困るのだ。■山あいをシリコンバレーに 起業家よ育て、高専が19年ぶり開校2023年5月8日(2023年5月8日登録)学費無償化のために協賛企業名を冠した奨学金が出るそうです♪■【速報中】ゼレンスキー氏、ドローン攻撃否定「自国の領土内で戦う」2023年5月4日 (2023年5月4日登録)プーチンの「やらせ」だったのではないか?■岸田首相、5月7日から訪韓で調整 18年の安倍氏以来5年ぶり2023年4月29日 (2023年4月29日登録)双方歩み寄って、日韓関係が好転しつつあるようですね♪■暴言を重ねても…明石市長選、泉氏の「後継」が大勝 市民の本音は2023年4月27日 (2023年4月28日登録)泉氏の暴言はかなり異質ではあったが・・・ ドングリ国周辺では泉市政はおおむね好評であったと思う。■HAKUTO-R、26日未明に月面へ 「着陸の難しさ例えると…」2023年4月24日 (2023年4月26日登録)着陸に失敗したが、一発勝負の難しさなんだろう。■米軍、「迅速かつ巧み」なスーダン退避 ヘリ3機と米兵100人動員2023年4月23日 (2023年4月24日登録)我が自衛隊は如何に対処するか■(インタビュー)戦前3文書から考える 歴史学者・加藤陽子さん 2023年4月7日 (2023年4月7日登録)安全保障政策の大転換が語られているが、国会ではない場で決定されたとのことで要注意である。■三島由紀夫を抑えて1位だった大江健三郎 60年後の今こそ輝く価値2023年4月6日 (2023年4月7日登録)一時期、大江さんに入れ込んでいて・・・彼の全集をそろえて読んでいたものです。■坂本龍一さんが語った死生観 がんで号泣…痛みに弱いから行動できた2023年4月3日 (2023年4月4日登録)胃を全摘した大使にとって、坂本龍一さんが語った死生観には切実なものがあるのです。(中略、全文はここ)■増える宅配、事故が怖い 荷物200個、小2はねた運転手「焦り」 2022年10月15日 (2023年2月26日登録)この記事を見て、『潜入ルポ アマゾン帝国の闇』という本の借り出しを予約したのです。■(文芸時評)「多和田語」の世界 境界も〈私〉も解き放つ星々 小野正嗣 2020年5月27日 (2023年3月15日登録)パンスカとは多和田語ともいえるのだが・・・その多和田語にはツボが疼くのです。■商業捕鯨、初年は97%捕獲 漁場探し、地元は手応え2019年10月5日 (2023年5月22日登録)2019年の捕獲は97%だったのか・・・鯨食文化は健闘しとるがな♪■「ロスジェネ女性は路上で発泡酒」雨宮処凛さん窮状訴え2019年5月2日 (2023年5月3日登録)世代とジェンダーという二重のハンディが語られています。*********************************************************<スクラップ機能や使い方について> 気に入った記事、あとで読みたい記事をスクラップして、保存しておくことができます。最大5000件まで、記事閲覧期限を過ぎても、保存可能です。 また、新聞記事検索で検索した記事の新聞切り抜き画像もスクラップして保存できます。 スクラップした記事にメモや最大10件のタグ(分類名)を付けることもできます。保存した記事は、記事の本文や見出し、メモ、タグに入力した文字で検索することができます。 スクラップ記事とメモ・タグは、ネット上の保管庫(クラウドサーバー)に保存され、通信環境があれば、ブラウザー版でもアプリ版でも共有して閲覧できます。<新聞記事検索で検索した切り抜きイメージ画像をスクラップする>1. 新聞記事検索で表示された検索結果一覧の記事の右にある「新聞切り抜き」のアイコンの下の「スクラップ」ボタンをクリックしてください。「スクラップをしました」と表示されるとスクラップ完了です。記事の新聞切り抜き画像がスクラップブックからご覧いただけます。 2. 新聞切り抜き画像が表示された画面でも、左上の「スクラップ」ボタンをクリックすると、スクラップできます。*********************************************************『朝日新聞デジタルのスクラップブック 5『朝日新聞デジタルのスクラップブック 4『朝日新聞デジタルのスクラップブック 3『朝日新聞デジタルのスクラップブック 2R』『朝日新聞デジタルのスクラップブック 1』
2023.07.16
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2カ月に一度放映されるNHKの大相撲であるが・・・暇なのでよく観ているのです。今場所は横綱や貴景勝が休場となったが、三関脇の大関昇進とか錦木の快進撃もあったりで・・・みどころも多いのです。取組の決め方が分かりにくいので、2021年11月22日「NHK SPORTS」から、見てみましょう。大相撲の取組 どうやって決めるの?より本場所では関取は15日間、幕下以下は7日間土俵に上がって勝敗を争います。その取組はどうやって決まるのでしょうか。改めて見てみましょう。■取組は誰がどうやって決めるのか本場所が始まる2日前の金曜日に国技館や地方場所の会場にある審判部の部屋で取組編成会議が開かれます。そして初日と2日目の取組を決めます。会議には審判部長や副部長、審判委員の親方や担当の行司が出席します。■取組内容は行司の部屋で毎日記録取組編成会議が終わると、行司が「割り場」といわれる対戦相手を読み合わせて確認し記録する作業場で、全力士の台帳に力士名のハンコを押して対戦相手を記録していきます。■取組編成は歴史に残る名勝負を作り出すこともある13日目の取組では幕下、三段目、序二段、序ノ口の各段で6戦全勝同士の力士が対戦するように配慮されます。そして7戦全勝の力士が1人になったら、その段の優勝が決まります。7戦全勝の力士が2人以上残った場合には、千秋楽に優勝決定戦を行います。幕内では9月の秋場所で前頭10枚目の妙義龍が好調で、13日目に貴景勝戦、14日目に正代戦と大関戦が続けて組まれました。前頭10枚目の力士が大関と対戦することは、普通はありませんが、優勝争いを面白くするために「割りを崩す」といわれる本来は対戦しない特別な取組が作られたのです。 妙義龍はその期待に応えて大関2人を破って千秋楽まで照ノ富士と優勝を争い、技能賞を受賞しました。取組編成は歴史に残る名勝負を作り出すこともあるのです。15時過ぎの十両あたりは、あまり知った力士がいないので、観るまでもなくネット巡りなどしていることも多いけど。それにしても休場者の多いことはなんだ! 悲喜劇のようなエピソードのオンパレードである。体重が戦力になるのもわかるが、自分の体重を支えきれないのではスポーツとしてはどうかと思うのだが。
2023.07.16
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図書館で『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』という本を、手にしたのです。日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。【デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?】 渡部恒雄, 長島純著、 日経BP、2022年刊<「BOOK」データベース>より国際政治・軍事・テクノロジー・世界経済・欧州地政学の視点から解くウクライナ戦争。【目次】「はじめに」に代えて ミハイロ・フェドロフウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー「戦時下でもデジタル政府化は加速する」/第1部 ウクライナ戦争への米国の戦略観と国際秩序の行方/第2部 ウクライナ戦争は「メタマゲドン(Metamageddon)」の幕開けとなるのか/第3部 デジタル国家ウクライナの全貌/第4部 ウクライナ戦争の経済的帰結/第5部 地政学から予想される欧州の変貌<読む前の大使寸評>日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。rakutenデジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?ウクライナのデジタル変革大臣インタビューの続きを、見てみましょう。p12~14<ミハイロ・フェドロフ・ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー>■一問一答Q:大臣は広告会社を経営しており、ビジネスで成功しています。どうして政治の関わることになったのですか。大臣のような若い人が大臣に任命された経緯を教えてください。フェドロフ大臣:大臣になった後も、それまでにやってきたことをより大きなスケールで、ビジネスだけでなく国全体を変革していこうと思いました。私にとって政治への転身、つまり新しいステージ、つまりこの国で起きていることを刺激し、活気づけ、徹底的に変えていく領域への移行は、理にかなったことでした。移行でした。 私のビジネス経験は、デジタル変革省で体系的なプロセスを構築し、2年間で多くのデジタル改革を実行するのに役立ちました。 デジタル変革省のチームは、最新のビジネスアプローチを使っています。明確な構造、目標、パフォーマンス指標があります。省の設立以来、われわれは4つの具体的な戦略目標を設定しました。 デジタル国家はテクノロジーだけでなく、システム管理も重要です。すべての目標は、効果的なマネジメントシステムあってこそ実現するものです。(中略)Q:ウクライナにはIT軍と呼ばれるサイバー軍があります。ウクライナ国家としてサイバー攻撃を行っているユニットは他にありますか?フェドロフ大臣:今、われわれはロシアと世界初のサイバー戦争を闘っています。そして、われわれは必ず勝利する。サイバー戦線での戦争は、ロシアの戦車がウクライナを離れるまで続きます。 本格的な侵略が始まる前から、ロシアはわれわれの国家資源、ウェブサイト、銀行システム、メディアを常に攻撃していました。ロシアによるサイバー攻撃を撃退し、サイバーセキュリティを強化しました。 しかし、戦争が始まると、われわれは自分自身を守るだけでなく、敵と戦うウクライナのサイバー部隊を作り始めました。ウクライナのIT軍は、ウクライナと国際的なIT専門家を結集して、サイバー戦線でのロシアの攻撃と戦っています。プロジェクトへの彼らの参加は自主的なものです。 サイバー戦線での戦争が始まって以来、われわれのIT軍は、ロシアの政府機関や政府機関のサイト、宣伝メディアのサイト、人気のある銀行サービスなど、数百のサイトを「ダウン」させてきました。 IT軍には3つの重要な要素があります。以前はインフラや顧客の保護にのみ焦点を当ててきたIT企業ですが、何をすべきかを理解しています。次に、サイバーポリティクスとサイバーボランティアなど、いくつかのサイバーグループがあります。 また、個人のIT専門家やこの分野に参入したばかりの人が、たとえばDDos攻撃などの攻撃ベクトルの技術をすぐに習得し、積極的に支援しています。IT軍のサイトで見ることができる公式の目的と非公式の目的があります。サイトやデータベースへの攻撃だけでなく、実際に戦闘地域で何が起こっているか、真実を広めることも非公式の目的です。『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』1:ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー
2023.07.15
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図書館で『半藤一利の昭和史』というムック本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。【半藤一利の昭和史】ムック、 文藝春秋、2021年刊<商品レビュー>より妻が亡くなられた半藤一利氏のファンだったので、ムック化された本品を購入してプレゼントしました。とても喜んでくれました。半藤氏の昭和に関する研究・著作は大変勉強になるもので、これを機に夫婦で再勉強したいと思います。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。rakuten半藤一利の昭和史PART 2「私たちはこの時、戦争への道へと足を踏み入れた」で三国同盟が語られているので、見てみましょう。p68~70<三国同盟締結>■そこにいたる道筋で 南京陥落直後の昭和13年1月16日に近衛文麿首相は、「国民政府を相手にせず」との声明を発表します。 つまり国民政府総統の蒋介石と和平交渉なんてしないということです。かわりに蒋介石と反目している汪兆銘という人物を擁して傀儡政権をつくり、これと国交を樹立することで戦争終結を目指したのですが、これが愚の骨頂でした。 日本は蒋介石軍との和平の機会を失い、徹底的に相手を打倒するまで戦闘を続けねばならなくなりました。さらに中国の後ろにはイギリス、アメリカがついていましたから、やがてそれらと正面衝突して世界的な戦争になる恐れがでてきました。 昭和15年5月1日、ナチスドイツが西部戦線に大攻撃をしかけて第二次世界大戦が本格的にはじまります。ドイツは電撃作戦により、それまで世界史上に例のないほど見事な戦果をあげます。5月15日にオランダが降伏、17日にはベルギーの首都ブリュッセルが陥落、つづいてフランスの最大の防衛線マジノラインを突破したドイツが英仏連合軍をドーバー海峡まで追い詰めると、英国軍はほうほうの体で撤退し、本国に逃げ帰りました。 6月14日にはパリを無血占領。こうしてヨーロッパは完全にドイツに席捲されました。連戦連勝のドイツがヨーロッパ新秩序をつくるなら、これにならって日本もアジア新秩序をつくるべきだ、今こそ「バスに乗り遅れるな」と日本中が浮かれに浮かれました。 こうした世界情勢下において日独伊三国同盟の政策が大いに叫ばれ、この国の人びとは、覚醒からますます遠ざかっていくのです。 ■ドイツの快進撃を横目に見て 昭和15年7月22日にヨーロッパ戦争に不関与の方針をとっていた米内光政内閣が倒れます。そして誕生したのが第二次近衛内閣でした。 外務大臣に就任したのは強硬な反英米派の松岡洋右です。この人は日独伊にソ連を加えて四国協定で臨めば英米と対等にやりあえる、という強烈な意見の持ち主。松下はたった一人で政府を引っかき回し、なかば強引に三国同盟を成立させてしまいました。この同盟を結ぶことは、イギリスはもちろんのこと、それを応援しているアメリカをも敵とすることになる、非常に重大にして危険な決定でした。 かつて米内光政、山本五十六、井上成美の海軍トリオが陸軍と戦争する覚悟で反対した三国同盟を、一年たつかたたないうちに海軍も事実上賛成してしまったのです。 海軍の翻意の理由はいくつかありますが、これに同意することで、予算増額を陸軍に認めさせる裏取引をやれると考えたことが大きかった。予算獲得のために海軍はその魂を売ったと言ってもいいでしょう。 三国同盟を結べばアメリカの経済制裁がきびしいものになるのは目に見えています。石油やくず鉄の禁輸となれば戦艦や戦闘機の増産にストップがかかる、その対策の検討もされぬまま、いいかげんな決定がなされてしまったのは、あまりにドイツが強いのでドイツと組んだ方が有利だという単純な理屈があったからです。日本からは、明日にでもドイツ軍の英本土上陸作戦がはじまらんばかりに見えていたのです。 ところが歴史は皮肉なものでした。9月15日、日本海軍の首脳が三国同盟を決めたまさにその日、ドイツ空軍がロンドン上空で大打撃を受けていたのです。戦況の潮目が変わっていました。さらにもうひとつの皮肉も付け加えておきましょう。 9月19日に御前会議が開かれ、三国同盟は国策として決定されるのですが、その二日前の9月17日、ヒトラーが重大決定をしていました。英本土上陸作戦を完全に放棄し、ソビエト侵攻に方向転換の決定をしていたのです。「日独伊ソの四国協定によって英米に対抗する」という甘い夢が、露と消えたことを日本人はまだ知るよしもありません。『半藤一利の昭和史』2:東京大空襲『半藤一利の昭和史』1:戦争文学としての『いちばん長い日』
2023.07.15
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図書館で『デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?』という本を、手にしたのです。日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイクに負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。【デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?】 渡部恒雄, 長島純著、 日経BP、2022年刊<「BOOK」データベース>より国際政治・軍事・テクノロジー・世界経済・欧州地政学の視点から解くウクライナ戦争。【目次】「はじめに」に代えて ミハイロ・フェドロフウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー「戦時下でもデジタル政府化は加速する」/第1部 ウクライナ戦争への米国の戦略観と国際秩序の行方/第2部 ウクライナ戦争は「メタマゲドン(Metamageddon)」の幕開けとなるのか/第3部 デジタル国家ウクライナの全貌/第4部 ウクライナ戦争の経済的帰結/第5部 地政学から予想される欧州の変貌<読む前の大使寸評>日本では、河野大臣率いるデジタル庁の評判がさっぱりであるが・・・一方でウクライナのデジタル政府は、ロシアのフェイク情報に負けていません。その強靭さの秘密が知りたいではないか。rakutenデジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?マイナンバーカードの返納が相次ぐ我が国のデジタル化の状況であるが・・・まず、ウクライナのデジタル変革大臣インタビューを、見てみましょう。p3~6<ミハイロ・フェドロフ・ウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー>■一問一答Q:いまのウクライナが直面しているロシアとの戦争では、ウクライナのデジタル政府化が「レジリエンス(強靭さ)」の一つになっているように見えます。それについて、どう考えていますか。ウクライナのデジタル政府化はいつ頃から本格化したのでしょうか。フェドロフ大臣: ウクライナのデジタル変革は、2019年に国の歴史上初めてデジタル変革省が創設されたときいに始まりました。 デジタル変革省の活動が始まって以来、われわれの野心的な目標は、サービス提供の面で世界で最もユーザーフレンドリーな国になることでした。 われわれのグローバルな目標は、2024年までに達成すべき4つの戦略目標に分けられています。(1) サービスの100%オンライン化(2) 交通インフラと集落の95%をブロードバンドでカバーする(3) ウクライナ人600万人がデジタルスキル開発のプログラムに登録する(4) GDPに占めるITの割合を10%に引き上げる デジタル・プロジェクトを実装するため、政府チームは独自の国家体制を構築しました。2020年3月、すべての国家機関に最高デジタル変革責任者(CDTO)職が創設されました。ウクライナは、このようなアプローチを世界に先駆けて実装しました。 2年半で、われわれは多くの目標を達成しました。法律で物理的な文書と同等とされた世界初のデジタルパスポートを始めました。世界最速の事業登録、納税、子どもの登録をスタートしました。バーチャル・アクティビティの合法化、テクノロジー企業向けにヨーロッパで最高の税制である「Diia.City」を立ち上げました。 本格的な戦争が始まってからも、われわれはその使命を放棄せず、デジタル国家づくりに邁進しています。戦時下で平時よりも迅速かつ効果的な解決策が求められている現在、開発のペースはさらに数倍加速しています。 国のデジタル化が始まって2年間で、デジタル変革省のチームはサービスの立ち上げやデジタル化に必要なノウハウを獲得しました。多くのウクライナ人は、スマホアプリの「Diia」ポータルを使っています。 われわれには、確立されたシステム管理チームがあります。このチームのおかげで、戦争が始まって以来、われわれは仕事を迅速に再編成し、新しい優先順位を決め、その実行に24時間年中無休で取り組むことが可能になっています。 われわれはつねに「臨戦態勢」です。戦争が始まって以来、軍事支援、周辺国へ書類なしで家を出た人のためのeドキュメント、政府への現金支援申請、敵の動きをウクライナ軍に知らせるチャットボットである「Vorog(「敵がいる」という意味)」、周辺国の遭難した国民向けインターネットテレビ、ラジオも始めました。 さらに被災した家屋などの復旧のための損害賠償請求の申請受け付けを開始しました。われわれは常に新しい社会サービスを立ち上げています。 しかし、省の設立以来のわれわれの主な任務である公共サービスの100%デジタル化という目標は変わっていません。政府とのやり取りを数クリックで可能にするという目標です。戦時下にある今、すべてのウクライナ人にとって政府サービスへのアクセスがいかに必要であるかを目の当たりにしています。
2023.07.14
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図書館で『コロンブスの図書館』という本を、手にしたのです。先日『図書館超活用術』を読んだばっかりで、この本のタイトルに反応したわけです。【コロンブスの図書館】エドワード ウィルソン リー著、柏書房、2020年刊<「BOOK」データベース>より1539年、スペイン・セビーリャー世界最高の図書館をつくりあげたのはコロンブスの息子だった。あらゆる分野におよぶ蔵書は、ヨーロッパ一の規模を誇り、さらにその図書館には驚くべき“仕掛け”があったー。持ち主の名はエルナンド・コロン、コロンブスの私生児である。15世紀半ばのグーテンベルクの印刷革命から100年足らず、ルネサンス、宗教改革、大航海時代の最前線で世界のありとあらゆる情報を集めて目録化しようと試みた書物狂の知られざる物語。<読む前の大使寸評>先日『図書館超活用術』を読んだばっかりで、この本のタイトルに反応したわけです。rakutenコロンブスの図書館第2部「絵であらわされる言語」を、見てみましょう。p141~142<第2部第6章 靴と船と封蝋> 新世界を離れて5年後の1509年8月15日、エルナンドはふたたびエスパニョ-ラ島のサント・ドミンゴにいて、この島で最初にできた通りにある総督公邸の一室で21歳の誕生日を祝っていた。オマサ川を臨む砦から、公館が次々に建造されているエリアまでをつなぐフォルタレサ通りに建つこの公邸は、エルナンドと父がジャマイカでの苦しい体験から立ち直るために滞在したまさにその場所だった。 サント・ドミンゴに最初につくられた建造物の多くは消滅し、スペインによる支配が強固になるにつれて石造りの堂々たる建物に取って代わられたが、エルナンドの部屋は、すべてをリスト化したいという彼のやむにやまれぬ衝動により、琥珀に閉じ込められた蝿のようにそのまま残されていた。 誕生日のあとまもなく、彼は自分の部屋を見回し、最も貴重な所有物から金銭的価値は高くないがこの環境で生きのびるのに必要な品にいたるまで、新世界での生活のために持ってきた品物をすべて網羅した目録をつくった。 こうして挙げられた、エルナンドの部屋にある品々を見ると、過去に類を見ない品揃えだ。この時代の目録は遺言書の形で残っているものがほとんどで、故人が譲るに値すると思った財産のみが挙げられており、当然ながら、この世で手に入れた物の大部分が除外される。だがここでもまた、エルナンドの目は大抵の人が取るに足らないと考える品々をみごとなまでに見過ごさず、それらを目録にまとめることで、植民地時代初期のカリブ海地域と、彼がそこで送ろうとしていた生活の手がかりにあふれた静物画を我々に残してくれたのである。 目録の下のほうには、エルナンドの几帳面な細かい筆跡で次のようなものが書き込まれている。弾丸をつくる鋳型、帆布製の靴八足、柄と鞘のあるナイフが数本、顔当て付き兜がひと頭、白と薄茶色の糸、鍵が二つある南京錠一つ、大量の釘、そして工具がいくつか。紳士の所有物にこういった工具類が混じっているのは不思議に思えるが、エルナンドは前回の初航海で金物のありがたみを学んだのだろう。フナクイムシに食われた船を放棄する前に、父コロンブスが釘さえも取っておこうとするのを見ていたのだ。 新世界を訪れるスペイン人は柔らかで混じり気のない黄金を見つけることしか頭になかったが、カリブ海で生死を分けたのは、じつは彼らが携行した加工鉄だった。このように目録の終りのほうからは、困難や危険、そして新天地で一から築く生活に備えようとしているイメージが伝わってくるが、リストの上のほうに目を転じると印象が変わり、より洗練された道具類が並んでいる。 たとえば、羽ペン4ダース、小さなリンゴほどの大きさの樹脂細工の魚、クラヴィコードの弦、絵を描くための硫黄やその他の顔料の塊、弓の弦など。この弓の弦が身を守るためのものだったのか、それとも少しは狩りをしてみようと思ったのかは定かでない。しかし、彼が新世界において植物を育てたり利益を出したりするだけではなく自分自身の芸術的才能をも養おうとしていたのは、他の道具を見れば明らかだ。『コロンブスの図書館』4:シパンゴ(日本)への到着『コロンブスの図書館』3:コロンブスとスペイン王室の関係『コロンブスの図書館』2:エルナンド・コロンの幼少期『コロンブスの図書館』1:プロローグ()
2023.07.14
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図書館に予約していた『満洲国から見た近現代史の真実』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実「第六章 日本はなぜ満洲国を建国したのか」でこの本の勘所を、見てみましょう。p161~163<日本はなぜ満洲国をつくらなければならなかったのか> そもそも関東軍が1919年に独立の在満軍事機関として発足したのは、1917年のロシア革命と社会主義への脅威からだったということは、いまでは忘れ去られています。かれらの任務は、日露戦争で勝ち取った日本の権益を守るための、満蒙の治安維持でした。 朝鮮と満蒙にはすでに共産主義運動が広まっており、1928年から始まったソ連の第一次5ヵ年計画では、西部シベリアが開発され、特別極東軍も整備されつつありました。張学良が東支鉄道(かつての東清鉄道)を強行回収したことに端を発する1929年の中ソ紛争では、ソ連が新設したばかりの特別極東軍が、装備の近代化をすすめていた張学良軍を圧倒しました。 このとき「もしも日本が満蒙になんらの勢力を有していなかったならば、ロシア軍は恐らくいささかの躊躇もなく、北満一帯はおろか南満洲の武力占領もあえて辞さなかった」だろうと板垣征四郎は述べました。かれはさらに「満蒙の赤化は直ちに朝鮮の治安を乱し、朝鮮の治安が乱れれば日本内地の治安に影響する」と考えたのです。 中国は依然として軍閥割拠がつづいており、南京の国民政府は実質的に満蒙を支配する実力がありません。中国全体の治安も悪く、また、日露戦争で日本が勝利しなければ、満蒙はロシア領になっていたはずで、この戦争に中国政府は何一つ貢献していません。それにもかかわらず、いまになって国権回復といって「十万の英霊、二十億の国帑(国庫金)」を費やして日本が得た正当な権益を攻撃し、日本人が長年にわたって開拓したものを無償で返せというのは許せない、と軍人だけでなく当時のふつうの日本人も考えたのです。 一方、有名な石原莞爾の満蒙領有論は、「日米開戦は避けることのできない世界史上の必然であり、支那問題、満蒙問題は対支問題に非ずして対米問題である。世界最終戦としての日米戦争を闘うつもりがないのなら、満蒙も必要でなく、軍備も放棄してしまったほうが、小手先で戦争回避の手段を弄するよりはるかに日本のためである」というものでした。 石原はまた、このようにも言っています。「支那人がはたして近代国家をつくることができるかどうかはすこぶる疑問で、むしろわが国の治安維持のもとで、漢民族の自然的発展を期待するほうがかれらのために幸福であることは間違いない。満蒙は満洲人とモンゴル人のものであって、彼らは漢民族よりもむしろ大和民族に近い。日本の努力が減れば満蒙も中国と同じ混沌状態におちいるだろう」 満蒙は、革命の総本山ソ連に対峙する最前線でした。対ソ戦の観点から見れば、これまで日本が特殊権益を持つ南満洲、東部内蒙古にとどまらず、北満洲からソ連を追い払うことが必要である。この考えが、満洲国建国の原動力となりました。 関東軍ははじめ、満蒙領有計画を持っていましたが、満洲事変勃発からわずか四日後には、独立国家案へと後退しました。それは、陸軍参謀本部の反対が思いのほか強かったからです。そこで石原は、国防を日本に委任し、鉄道・通信を日本の管理に委ねることを条件として、日本の保護下に満蒙を独立国家とするという解決策を出し、結局それが採用されることになったわけです。石原莞爾の深慮遠謀が「戦争不拡大・反東条」を主張したカリスマ軍人・石原莞爾はなぜ“満州事変”を計画したのかに出ています。『満洲国から見た近現代史の真実』2:明朝時代のモンゴル『満洲国から見た近現代史の真実』1:現代中国がタブー視している満洲
2023.07.13
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<方言あれこれR4>『やっとかめ!大名古屋語辞典』という本がどえりゃあ面白かったので、この際、大使が気になる方言をあれこれ集めてみました。・ぼっけえ きょうてえ:岡山弁・ロンドンの方言・幡多の方言・『笑説 大名古屋辞典』:名古屋弁・『やっとかめ!大名古屋語辞典』:名古屋弁・『でーれーガールズ』:岡山弁・『ラジ&ピース』:群馬弁・播磨気質:播州弁・関西弁基礎講座:関西弁・関西人の話法R4:『ぼっけえ きょうてえ』を見直し・ぼっけえ きょうてえ・美の巨人たち 甲斐庄楠音 「横櫛」:ぼっけえ きょうてえ『ブロークン・ブリテンに聞け』4:英国英語はしちめんどうくさい・『笑説 大名古屋辞典』・『やっとかめ!大名古屋語辞典』2・『でーれーガールズ』・『ラジ&ピース』・播磨気質・関西弁基礎講座 INDEX・関西人の話法<ぼっけえ きょうてえ >東京のテレビでレギュラー出演もあるらしいけど(関西では見えないのだ)その存在自体が、ぼっけえ きょうてえ岩井志麻子が気になるのです。なんでや?韓国の若い子との悲恋から覚めやらぬ(笑)大使としては・・・・「ぼっけえ きょうてえ」をまだ読んでいないけど、韓国の若いツバメに入れあげているこの作家が気になるのです。それと、岩井志麻子と西原理恵子がお友達らしく(実態は未確認ですが)、よくメディアの企画で取材旅行など行っているようです。思うに・・・・このふたりとの同行を命じられた若い男性スタッフの気持ちを察するに・・・ぼっけえ きょうてえ・・・ですね。このおふたり、別名「オバハン喜び組」には拉致されてみたいという気がしないでもないが(オイ オイ)・・・やっぱりチョット怖い。ということで・・・怖いものが見たいひとは岩井志麻子オフィシャルサイトに、どうぞ。「ぼっけえ きょうてえ」という岡山弁は、学生時代に耳にしたが・・・類推不能のあるいみ完璧な方言として印象に残っているが、強烈な名古屋弁に次ぐものではないだろうか?(やはり名古屋弁は無敵だ!)とはいえ、岡山弁はおえりゃーせんの~。<ロンドンの方言>『ブロークン・ブリテンに聞け』という本にロンドンの方言にふれている個所があるので、紹介します。【ブロークン・ブリテンに聞け】ブレイディみかこ著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より EU離脱、広がる格差と分断、そしてコロナ禍ー。政治、経済、思想、テレビ、映画、英語、パブなど英国社会のさまざまな断片から、激動と混沌の現在を描く傑作時事エッセイ集。<読む前の大使寸評>2020年刊10月刊行の本なので、当然として新型コロナに対するイギリスの対応が載っているので興味深いのです。<図書館予約:(12/9予約、1/30受取)>rakutenブロークン・ブリテンに聞け連合王国イギリスの英語が興味深いので、見てみましょう。p44~49<英国英語はしちめんどうくさい> おもしろいことに、「Same Same But Different」のサイトを主宰するカップル自身が、海外で英語を教えるようにると、これまで喋っていた英語ではわかってもらえないのでスタンダードな英語を喋るようになったと書いている。つまり、外国人が周囲に増えると、言語は地域性や階級性を失い、単純化される宿命を負っているのだ。 ならばこれから英国英語はどんどんシンプルになって、めんどくささを失うはずである。 が、その結論に達するのはまだ早い。というか、事態は真逆な方向に進んでいる。 外国人が増えているロンドン東部で、いわゆるコックニーと呼ばれる下町英語が消滅寸前の代わりに、ニューコックニーとも呼ばれる新たな言葉が誕生している。MLE(マルチカルチュラル・ロンドン・イングリッシュ)というこの英語は、ジャファイカン(ジャマイカ出身者を真似た若者たちの英語)を基盤とし、西インド諸島出身、アジア南部出身の移民の英語、コックニー、河口域英語の影響を混ぜたハイブリッドな方言だそうです。<幡多の方言>大使の故郷・幡多には思いのほか、京都なまりが残っているので、それらを思い出してみます。そんな言葉が残っている訳は・・・言ってみれば「遠流(おんる)の地」だったからでしょうね。・おおきに(ありがとう)・ほたえる(たわむれる)・まろぶ(ころぶ)・ざまに(すごい、すごく)・~ちや(~だって)・~けん(~だから)・へんしも(すぐに、急いで)・がいな(乱暴な)・づつない(とても悲しい)・えっころ(相当)京都新聞に「遠流(おんる)の地」が報じられていたので、見てみましょう。2020/5/15土佐への遠流、京とのゆかり 石畑匡基氏より 新型コロナウイルス感染の流行はいつまで続くのだろうか。高知県立歴史民俗資料館(高知県南国市)の企画展「遠流(おんる)の地 土佐」では、3月10日までの会期を全うすることなく、3月5日で閉幕した。 企画展の準備をしたものの、全く開館することなく閉幕を迎える博物館が増えている現状からすれば、会期のほとんどを終えることができ、幸いであったのかもしれない。この企画展では、古代から日本で行われた刑罰である流罪をテーマに取り上げた。流罪には、罪の軽重によって「近流(こんる)」「中流(ちゅうる)」「遠流」があった。土佐(高知県)はその中でも最も重い「遠流」に規定されていたことに因んだものである。 京都からも、多くの人々が土佐へ流されている。その一人が土御門上皇である。父の後鳥羽上皇と弟の順徳天皇が、1221(承久3)年に鎌倉幕府打倒を画策して「承久の乱」を起こしたことが影響し、土佐へ配流(はいる)となった。その後、土佐は遠すぎるという理由で阿波(徳島県)へ移され、同地で亡くなった。 展示で特別協力をいただいた冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)は、土御門上皇が配流中に土佐で詠んだ和歌が載る「土御門院御集」と、上皇の女官が記した「土御門院女房(日記)」を所蔵している。それらを四国で初めて公開できた。 作品返却に訪問した際には「このように取り上げられて土御門上皇も喜んでいらっしゃるだろう」と言われ、改めて開催の意義を実感した。 ところで、土御門上皇のように、配流地で無念のまま亡くなった人がいた一方、罪を許され土佐での観光を楽しんで帰京した人もいる。その一人が江戸時代の公家である滋野井実光だ。ディープな幡多弁が遅咲きのヒマワリより遅咲きで振り返る四万十「幡多弁」で見られます。名古屋弁を、見ていきましょう。p65~68<がや> 名古屋語としてあまりにも有名な「ぎゃあ」と同じ。「…だがや」等と断定するときに使われることが多い。三河地区では「がや」、名古屋地区では「ぎゃあ」が使われることが多いが、どちらも名古屋語として公認されており、意味は通じるのであまり神経質になる必要はない。 それにしても、最近、名古屋のことを駄我屋などと言う東京人が増えた。はっきり言って、不愉快である。<かん> 本来は「いかん」(いけない)「あかん」(だめだ)なのだが「い」や「あ」が省略されるか、ほとんど発音されないので他国人には「かん」と聞こえる。この種の省略は他の言葉にも見られるので注意が必要である。→いかん「今年のドラゴンズ、かんなあ」(今年のドラゴンズ、だめだなあ)「応援、かんとかんなあ」(応援に、行かなければいけないなあ)『やっとかめ!大名古屋語辞典』で、名古屋弁の一例を見てみましょう。p33 <えりゃあ> 普通ではないことを表すきわめて使い道の広い言葉。「疲れる」「大変な」「ものすごい」そして「偉い」等、様々な意味をもち、発音もまったく同じなので理解するのがきわめてむずかしい。 「えりゃ」と短縮形で使われることもある。「えりゃあを笑う者は、えりゃあに泣く」という格言があるほどで、名古屋語をマスターするためにはどうしても越えなければならない関門である。なお、英語と同様比較変化をし、比較級は「どえりゃあ」、最上級は「どえらけねゃあ」となる。これが名古屋独特の圧縮技術により「どえりゃあ」→「でりゃあ」→「でら」となると、もう名古屋人以外には理解不可能。東海地方限定ビールの「でらうま」が「どえりゃあうみゃあ」の圧縮形であることを理解できた東京人は皆無と言っていいだろう。 なお、一部地域では、「ど」ではなく「も」がついて、「もえりゃあ」「もえらけねゃあ」となることがあるが、意味は同じである。(例)「今日、学校で先生に、えりゃあってほめられたがや」「そりゃえらかった。何でほめられたん?」「遊んでて窓ガラス割ってまったら、どえりゃあことしてくれたって」『ラジ&ピース』という小説から、群馬弁を見てみましょう。p54~57 毎週火曜日のこの時間は、「なっから群馬弁」。 初心者の私、相馬野枝に、皆さんの群馬弁を伝授していただくコーナーです。FAXは027-3・・・メールアドレスはwww.joshn-fm・・・ケータイはスラッシュkをつけてください。 先週いただいた「ガショーキ」つまり乱暴とか粗雑って意味なんですけれど、わかんねーよ、使わねーよ、という声多数いただきました。「ガショーキ」は東毛の方の言葉なんですね。高崎、前橋では使わないようです。 さて、今週もたくさんいただいています。ラジオネーム恐妻センター前橋さんのなっから群馬弁。 (嶋野がBGMを切ると同時にあらかじめ録音していた音源を流す。エコーをかけた間島の声が流れる) 「チョットイッテミラァ」 「ハアキャア?」 (BGMをスタートさせる) これは、「帰るよ」「もう帰るのかい?」という意味だそうです。「もう」が「ハア」なんですね。なるほどー。帰るときでも、行ってみらぁなんですんね。「ハア、ケエラア」「ハア、ケエルンベ」になると、もっと帰る意思が強いっていう解説をいただいたんですが、これはすごい。恋人同士で使ったりもするんでしょうか? それからこちらは、えーと藤岡市のバイアス33さんからいただきました。 (嶋野、BGMを切り、音源を流す) 「ミンナンチのカタログ持ってきてクンナイ」 (BGMスタート) この場合「ミンナンチ」っていうのは、「あなたの会社」だそうです。これもびっくりですね。私が藤岡へ行ったら、「ミンナンチの番組いつも聞いてるよ」って言われるのかな、なんだかかわいい言葉ですね。 えーっと、もう1枚行けますね。こちらは高崎市の不眠鳥さん。 (BGMを切る。ここは野枝がメッセージを読む) 「野枝さん、ナカラとオーカとマッサカの使い分けってわかりますか?全部すごくという意味なんですが、ニュアンスが違います。オーカはどっちかというと否定的なニュアンス、マッサカは予想と違う驚きのニュアンスです。これをマスターしたら野枝さんも群馬人ですよ」 (BGMスタート) はい、英語で言うとveryということですよね。ナカラはわかりますが、あとの二つは全然わからないです。そっかー、副詞を聞いただけで意味合いがわかるんですね。奥が深いなあ。 今日採用された方にはステッカーお送りします。「なっから群馬弁」のコーナーでした。 (嶋野、CDを流す。野枝、天気予報が原稿と変わっていないかどうか確認のため、ブースを出て行く) (野枝、ミネラルウォーターを持ってブースに戻ってくる) 「あと十秒です」 (CDが終わり、サイレントとなる)
2023.07.13
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図書館で『翻訳のさじかげん』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・翻訳の蘊蓄というか、翻訳がかすっているヨタ話とでもいうんでしょうか?なんか既視感のある本だが、まあいいかと借りたのだが・・・帰って調べると、やはり以前借りたことのある本でした。【翻訳のさじかげん】 金原瑞人著、ポプラ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より料理に骨董、三味線に歌舞伎…翻訳しているヒマがない?人気翻訳家の最新エッセイ集。三浦しをん氏との「文楽対談」も収録。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・翻訳の蘊蓄というか、翻訳がかすっているヨタ話とでもいうんでしょうか?rakuten翻訳のさじかげん「3 翻訳のさじかげん」から英語習得について、見てみましょう。<暗殺の前に必要なもの>p158~163 HHK出版から『英語をめぐる冒険』というエッセイが出た。とてもおもしろい。著者はHHKラジオ「徹底トレーニング英会話」の講師、岩村圭南さん。 岩村さんはクリント・イーストウッドにあこがれて英語に興味を持ってから、その思いは募る一方で、浅草の仲見世にきていたアメリカ人観光客のあとを尾行して英語をきいたこともあったらしい。いい話だなと思う。それに、この人の英語道は、そのまま一編の青春小説のようなのだ。 その英語の達人がたどりついた境地はというと、「何ごとにおいても上達するには、不断の努力が必要なのです」。 あたりまえじゃん、とかいってはいけない。 ここを読んだとき、思わず、膝を叩いた。もうこれしかないのだ。これに尽きるのだ! いままで数えきれないほどの英語の達人が口がすっぱくなるほどいってきたではないか。 たとえば、斎藤兆史さんの『これが正しい! 英語学習法』でも、まず、第一章にこう書かれている。そもそも、毎日1時間、6年間英語の授業を受けつづけただけで英語が何不自由なく使えるようになった人の話など、聞いたこともありません。語学学習は、それだけむずかしいということです。 語学の専門家がこれほど口をすっぱくして「語学に王道なし」と繰り返しいっているのに、なぜか学生にはこれがわからない。彼らはおしなべて、「努力しないで語学の達人になる方法」があると錯覚しているふしがある。だから、安易な英会話教室の宣伝文句にやすやすと引っかかってしまう。 たとえば、「英米の子どもが覚えるように英語を覚えよう」とかいう宣伝文句をみると、「そうか、いままでがむしゃらに勉強しようと思っていたからだめだったんだ。よし、子どもが覚えるように・・・」などと思ってしまう。 しかし、これも語学の専門家が口をすっぱくしていっているけど、子どもは語学の天才なのだ。単語の五十や百、すぐに覚えてしまう。単語の記憶力に関していえば、大学生なんてはっきりいって、バカだ。いうまでもなく、大学生を教えている教師はもっともっとバカなのだ。だから、「子どもみたいに覚える」というのは、「宮本武蔵みたいに剣道をやってみよう」というのに等しい。 だが、絶望するにはおよばない。大人には大人なりの覚え方というものがあるのだから。たとえば、単語についての印象的なエピソードを読むとか。 このあいだ、翻訳の講座で“assasin”という単語が出てきた。「暗殺者・刺客・殺し屋」というふうな意味だ。『リーダーズ英和辞典』には「イスラム京イスマーイール派の一派ニザール派の一員」という説明がある。また『ジーニアス英和大辞典』には「アラビア語 hassas(大麻常用者)、大麻の効能を借り暗殺を企てたことから」とある。このあたりの詳しい解説は省くが、大麻で気持ちを高揚させ、恐怖心をなくして、暗殺を試みたということだろう。ネットをのぞいても、この手の照会がほとんどだ。 しかし、これには強い反論がある。 そもそも、大麻で気持ちは高揚しないという。ぼんやりしていい気持ちになるらしい。そういう意味では酒に似ている。じゃあ酒をたっぷり飲んで暗殺に向かうか・・・というと、そりゃどうかな、と思ってしまう。大麻や酒は一般に「ダウナー」と呼ばれている。ダウナーの女王はいうまでもなく「阿片」。(中略) というわけで、大麻を吸って暗殺にいくというのは、編ではないかという指摘が昔からある。そういう場合には、アッパーを使うのが普通だというのだ。 アッパーというのはダウナーの反対で、コカインなどがその代表格。そして覚醒剤も、読んで字のごとく、シャキッと目が冴えるアッパー。暗殺にいく前に使うなら、もちろん、これ。 実際、第二次世界大戦中、日本軍も覚醒剤を大量につくっていて、重労働のときの疲労回復や眠気ざましに使ったり、突撃前の特攻兵に使っていたのは有名な話。そしてこれが戦後、「ヒロポン」として一般に出回る。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』でも、坊や哲が中毒になる。当時はヒロポンは違法な薬物ではなかったらしい。 ちなみに、語源だが、「疲労がポンと飛ぶ」から「ヒロポン」という説もあれば、ギリシャ語からという説もあってよくわからない。一方、「シャブ」というのは、「骨までしゃぶられるから」らしい。それはともかく、ヒロポンについて、『日本国語大辞典』には次のように書かれている。覚醒剤、塩酸メタンフェタミンの日本での商品名。大脳に対する強い興奮作用がある。乱用すると、不眠・興奮・幻覚などの中毒症状が現れる。(中略) というわけで、“assasin”という単語にまつわるエピソードを紹介してみた。どうだろう、このくらい読めば、さすがに、この単語は確実に覚えてしまったのではないだろうか。最強の覚え方である。 ただもんだいは、単語ひとつひとつについて興味深いエピソードが必要なこと。これもまた効率的ではない。『翻訳のさじかげん』1:ヘボン式ローマ字
2023.07.12
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図書館に予約していた『満洲国から見た近現代史の真実』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実「第二章 満州とはどういうところか」で明朝時代のモンゴルを、見てみましょう。p47~51 北京に行ったことがある方はわかると思いますが、八達嶺にしろ司馬台にしろ、万里の長城はどちらの方向にも、北京市街から日帰りで遊びにいく距離にあります。万里の長城から北は漢人は住んでいなかった。つまり、モンゴル人の土地だったということです。明代は北京からあれほど近い場所がモンゴルだったのです。 明はモンゴルに負けに負けました。明の記録では、モンゴル高原の遊牧民を「蒙古(モンゴル)」と呼ばずに「韃靼(タタル)」と呼び替えています。シナの正統史観では、明は元から天命を受け継いだ王朝でなくてはなりません。ですから、言葉の上だけ、彼らが元朝の後裔であることを否定したのです。<モンゴルと女直との交易で発展した瀋陽と遼陽> モンゴルにはまったく歯が立たなかった明も、満州では戦果をあげました。元軍を撃退し、現地の狩猟民を手なづけることに成功します。ここに住んでいたのが女直(女真)です。遼、金、元、明の史料で「女直」、宋と朝鮮の史料では「女真」と漢字が異なりますが、同じ民族です。モンゴル語で「ジェルチト」、女真語では「ジュシェン」と呼ばれました。 万里の長城の北側で、大興安嶺山脈を境に肩を並べる形で接するモンゴル人と女直人は、地形と気候の差によって、遊牧民と狩猟民という民族性の違いになりました。先に述べたように、大興安嶺山脈の西側のモンゴル高原は年間降水量が200ミリ程度しかなく、農耕には向かない土地です。古くから五畜と呼ばれるヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダを放牧しながら移動式住居の天幕で暮らす遊牧民の地でした。 これに対して、東の満州平野(中国東北平原)は年間降水量が500~600ミリあり、森林とまではいかないまでも、灌木地帯ができる。すると、放牧は難しくなります。ですから、満州の狩猟民は歩いて移動します。森に入って獣を捕り、朝鮮人参を掘り、木の実を拾ったり、淡水産の真珠を採って、それを交易に行って暮らしていました。この辺りでは昔から豚も飼っていました。 騎馬民族のモンゴル人と狩猟民族の女直人は、大興安嶺山脈の東側で接触し、古くから交流していました。お互いに必要なものを物々交換する交易の町として栄えたのが、瀋陽や遼陽です。のちに、これら遼東の主要都市を鉄道でつないだのが満鉄です。日本人は遼東というと、旅順や大連など遼東半島だけをイメージしてしまいますが、そうではなくて、遼河の東、つまり半島から北の内陸部にかけての地域を指しました。 遼河の西は遼西といって、ここはモンゴル人が住む地域でした。沼地が多くて農業には不向きな土地で、主として遊牧が行われていました。大興安嶺山脈の東の裾野に当たるところまでがモンゴル草原で、かつての満州帝国興安省、いまは中国内モンゴル自治区になっています。 この土地は清朝時代にはモンゴル人だけが住む場所でしたが、ちょうど日清、日露戦争の頃から漢人農民が入ってくるようになり、漢化が激しくなっていきました。『満洲国から見た近現代史の真実』1:現代中国がタブー視している満洲
2023.07.12
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図書館に予約していた『満洲国から見た近現代史の真実』という本を、待つこと8日ほどゲットしたのです。このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>このところ、覇権スタンスを隠そうとしない中国を見るにつけ・・・やや右寄り(と思われる)の宮脇さんのご意見を見てみたいと思うのです。<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実「第二章 満州とはどういうところか」で満州の基礎情報を、見てみましょう。p33~40<現代中国がタブー視している満洲> いまの中華人民共和国では、「満洲」ということばはタブーになっています。清朝の支配階級だった満洲人の後裔たちはいまも1000万人以上いるのですが、かれらは満洲人とは呼ばれず、満族と呼ばれます。歴史的なことでどうしても満洲ということばを使わなければならないときは、かならず「偽満洲」と、偽という字を上につけなければなりません。それは、日本がかつて傀儡の満洲国をつくった歴史を、すべて悪いものと考えることにしようという、現代中国の固い決意なのです。 現代中国の言う「歴史」はすべて政治ですから、この本ではそんなことは気にせずに、かつてあったことを説明するために満洲ということばをおおっぴらに使います。私が別の本で詳しく書いたように(『世界史のなかの満洲帝国』PHP新書)、「満洲」という漢字の使い方は史実ではなくて誤っていますから、あくまでも「満洲」と、さんずいをつけた洲の字を使いましょう。 さて、満洲(英語でManchuria マンチュリア)と呼ばれる土地がどのようなところなのかを最初に説明します。<遊牧民と狩猟民の住地であった満洲の地理> かつての満洲には、いま、北から黒竜江省、吉林省、遼寧省の中国の東北三省がありますが、省は、1912年に中華民国という、はじめて中国という国家が誕生する前にもシナ内地に置かれていた行政区でした。省という地方行政区の起源は、モンゴル人がシナに建てた元朝時代に、中書省の出先機関という意味で地方に置いた行中書省を縮めた行省にあります。 満洲に清の東三省が置かれたのは、日露戦争のあとの1907年でした。あとで詳しく述べますが、それまでは満洲はシナ内地とは別の土地と考えられていたのです。 この東三省は、合計123万平方キロメートルあります。いまの日本の面積が約38万平方キロメートルですから、およそ三倍です。その真ん中に、むかし満洲平野と呼んだ東北平原があります。南北に長くて、面積は35万平方キロメートルです。ちょうど日本の面積くらいです。 北は黒龍江(ロシア語ではアムール河)がロシアとの国境になっていますが、黒龍江は、支流の烏蘇里(ウスリー)江が南から流れ込むところで、中ロ国境を離れて北上し、間宮海峡(韃靼海峡)の北端の樺太(サハリン)の対岸で、オホーツク海に注ぎ込んでいます。ウスリー江から東側は、ロシアの沿海州です。 満洲平野を流れるもっとも大きな河は松花江で、北流して黒竜江に注ぎ込みます。その次に大きい遼河は、打ちモンゴルの草原から流れ出して、渤海に注ぎ込みます。北朝鮮との国境は、東は図メン江(朝鮮では豆満江と呼びます)が日本海に注ぎ込み、西は鴨緑江が黄海に注ぎ込んでいます。 満洲北部は日本の北海道よりも緯度が高く、しかも内陸性気候で寒暖の差が大きいです。黒龍江や松花江は半年間も氷結し、鴨緑江や遼河でも冬季3ヶ月間は氷で閉ざされます。(中略) 満洲北部に入植した日本人は冬の寒さに苦労しました。ロシアとの国境警備のために黒龍江に派遣された関東軍の日本人兵士は、まつげもおしっこも凍った、と書いています。 ところが、シベリアから南下してきたロシア人にとっては、アムール河沿岸は夢のようによいところだったというのです。穀物がとれ、家畜も多く、森林には貴重な毛皮獣が住み、河には魚類がまるで河岸に自分からよじ登ってくるほどたくさんいた、と書いてあります。(中略)<モンゴル帝国がのちの満洲を征服する> 複雑な近現代史をひも解く前に、13世紀にさかのぼって満洲の歴史を見ておきましょう。モンゴル人の建てた元朝は、清朝にも、いまの中国にも大きく影響を与えているからです。 いまの中国東北地方は、13世紀にはモンゴル帝国の支配下にありました。かつて「満蒙」という言葉が使われていたように、満洲とモンゴルは歴史的に深いつながりがあります。 12世紀後半、モンゴル部族から出たテムジン、のちのチンギス・ハーンは、はじめ金の同盟部族となって、ほかの遊牧部族を征服していきました。金はのちに満洲族と名前を変える女直(女真)が建国した国です。そして、1206年、ケンテイ山脈のオノン河の源にモンゴル高原の全遊牧部族の代表を招集し、この会議の席上で盟主に選挙されて、チンギス・ハーンという称号を採用しました。これがモンゴル帝国の建国です。 チンギス・ハーン率いるモンゴル軍は、東方で金を討ち、西方では中央アジアに遠征しました。チンギス・ハーン自身は、南の西夏王国を攻撃している1227年に他界しましたが、息子たちや将軍たちはその遺志を受け継いで攻撃と拡大を続け、東は日本海沿岸から西はロシア草原までがモンゴル帝国の領土になりました。
2023.07.11
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図書館で『半藤一利の昭和史』というムック本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。【半藤一利の昭和史】ムック、 文藝春秋、2021年刊<商品レビュー>より妻が亡くなられた半藤一利氏のファンだったので、ムック化された本品を購入してプレゼントしました。とても喜んでくれました。半藤氏の昭和に関する研究・著作は大変勉強になるもので、これを機に夫婦で再勉強したいと思います。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。rakuten半藤一利の昭和史PART 1「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」で東京大空襲が語られているので、見てみましょう。p20~22<命からがら、東京大空襲の夜> いま考えると、私が初めて歴史と正面から向き合ったのがその時でした。つまり、昭和史“探偵”の原点がそこにある。昭和20年3月10日・・・。まずはその前の晩のことからお話ししましょう。 9日の夜、東京に警戒警報が鳴ったのは、午後10時半頃でした。この警戒警報というものにすでに慣れっこになってしまっていましたから、この日もさほど驚らかなかった。 軍需工業じゃなければ爆弾は落とされない、さすがにあの頃はもうそんなことを考える人は誰一人いませんでしたが、逆に言えば、どこにいようが当たってしまえばもうそれまで、と覚悟を決めていたところもあったんですね。ですから、あの晩も警戒警報が鳴ったにもかかわらず、おやじと二人、呑気に寝ていたんですよ。 東京で米軍のB29による空襲が始まったのは、前年の昭和19年11月24日のことです。11月1日からB29が東京上空に飛来して、警戒警報が発令されることがしばしばありましたが、それはせいぜい一機か二機、偵察に飛んで来るだけで、いわゆる空襲ではありませんでした。 しかも空襲が始まったといっても、最初のうちは中島飛行機があった武蔵野地区が標的でしたので、私が住んでいた向島(墨田区)あたりはB29はただ素通りして行くだけ。それも攻撃は昼間と決まっていましたから、澄みきって青々とした冬空を、B29の編隊がキラキラ輝きながら、飛行機雲をひっぱって飛んで行く姿がきれいでしてね。 向島あたりではみんな物見高くて、空襲だといってもまるで他人事のように見物しているような有り様だったんです。なんとものんびりしたものでした。 私が勤労動員で働いていた工場でも、B29が来ると、作業を停止して防空壕に退避するんですが、誰も中に入りゃしない。自分の身に降りかかってこない間は、映画なんか観ているよりよっぽど面白い。坂口安吾さんが書いたように「正規の見せ物」ですからねえ(笑)。 19年の暮れ頃までは、まだ我が周辺には空襲による死者もそれほど出ていなかったし、時には日本の戦闘機がB29に食らいついて撃墜することもありましたから、「日本もまだまだよく戦っているわい」なんて思いもみんなのどこかにあったんでしょう。 年が明けて、戦略爆撃機の専門家としてヨーロッパ戦線で名を馳せた、カーチス・ルメイが、テニアン、サイパン、グアムを基地とする第20空軍の指揮をとるようになる。 ルメイはそれまでの高高度からの照準爆撃じゃ効果が少ないことに苛立って、攻撃法を変えろと命じました。だいたい日本の家屋は紙と木でできている、爆弾ではなく焼夷弾の方が有効だ、しかも、編隊ではなく単機で、昼間に超低空で攻撃せよ、と。 このカーチス・ルメイに日本の政府は勲一等の勲章をあげるんです(昭和39年)。いくらなんでもそれはないんじゃないの、とガックリしました。 このルメイの作戦変更による第一回の夜間無差別大空襲こそが、この3月10日夜の東京大空襲だったのです。 母親と弟、妹たちは茨城県に疎開してしまっていましたから、向島の我が家にいたのは、おやじと私だけ、昭和5年5月生まれで私は満で14歳、中学2年生でした。『半藤一利の昭和史』1:戦争文学としての『いちばん長い日』
2023.07.11
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図書館で『半藤一利の昭和史』というムック本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。【半藤一利の昭和史】ムック、 文藝春秋、2021年刊<商品レビュー>より妻が亡くなられた半藤一利氏のファンだったので、ムック化された本品を購入してプレゼントしました。とても喜んでくれました。半藤氏の昭和に関する研究・著作は大変勉強になるもので、これを機に夫婦で再勉強したいと思います。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると・・・半藤さんが精査した新聞秘蔵写真なるものによって、リアルな皇国シーンが見えるのです。rakuten半藤一利の昭和史多くの人から「半藤さんから受け取ったもの」が語られているので、見てみましょう。<戦争文学としての『いちばん長い日』:加藤陽子>p148 1月12日に長逝された半藤一利さんの仕事について、この2週間ばかり、振り返り、読み返しなどして考えていた。半藤さんの仕事を再定義することは、共に歴史を語り合った者の負うべき役目だろう。まず、作品群を三つの画期に分けて考えてゆくのはどうだろう。 文藝春秋社の屋台骨を担った編集部次長・編集長時代、昭和戦前期の一次資料の解題や注釈づけに奔走した産婆役時代、編集者として仕えた作家・坂口安吾のことば「歴史探偵学」にちなみ、「歴史探偵」と称して健筆を振るった作家時代、の三期となろうか。その上で、『昭和天皇独白録』(文藝春秋)は第二期だな、『昭和史』(平凡社)は第二期だな、などと頭を整理してゆく。 だが何を措いても、第1期の代表作『日本のいちばん長い日』(文藝春秋)[以下『長い日』と略す]が大事だろう。改めて読み直してきちんとした評価を下したい。全ての創作者にとって最初の作品には、作家の特徴の全てが内包されているという。『長い日』にもこれは当てはまる。 本作を書いたときの半藤は35歳、『文藝春秋』編集部次長の重職にあった。夏の刊行に合わせるため、春から毎朝4時起きで机に向かった若き日の思いを半藤は、日1日と夜明けが早まってゆくのがわかった、と決定版「あとがき」に記す。執筆の進捗具合を瑞々しく捉えたこの感性は、本文中にも随所に見られる。史劇の後半で、クーデター失敗が確実になってくるあたりから、夏の朝の日差しの描写が印象的に増やされてゆく。 今回読み直し、『長い日』の各章タイトルが、凝った作りになっているのに初めて気づいた。1945年8月14日正午から15日正午までの24時間を描いたものだが、1時間ずつの進展を24の章で構成し、しかも各副題はといえば、その時間帯の主人公の口にする短い「台詞」で表現していて、唸らされる。一例を挙げれば、クーデター計画の失敗が明らかになる章、「午前6時‐7時」の副題は「“”天皇はいわれた」との、印象深いものとなっている。 『長い日』は、軍隊に敗戦の事実を認めさせつつ無条件降伏するという難題を実行した人々を多面的に描いた。ポツダム宣言受諾による終戦がいかに紙一重の真剣刃渡りであったか、これを半藤は、執筆の2年前に自ら企画した30名の大座談会出席者を始めとする80余人への聞き取りや新出史料で描いた。蹶起将校の側の論理を説得的に描き、天皇が二度の聖断を下した際の言葉を最も信頼できる典拠で再現した、歴史作品としての不動の評価は揺るがない。 だが私は『長い日』をあえて、戦争文学の傑作として位置づけてみたい。歴史科文学かという二分法に陥りたいのではない、まして、歴史学の立場から本作品に対し、これは歴史ではなく文学だと言いたいのでは全くない。 そうではなく、近代日本の戦争文学が達成できなかった観点を、『長い日』が易々とクリアしてしまった点に注目したいのだ。『石の来歴』の作者奥泉光は、日本の戦争文学に関する座談会でこう述べていた。いわく、従来の戦争文学は二つの型に篏まっていた、その一つは、個にとっての軍隊を単なる狂気、非合理として描くもの。もう一つの描き方は、個を軍隊という組織の中に埋没させて描くものだった。 だが人間は、具体的な集団の中に子として存在しており、実生活の重要な部分は、集団と個の関係で推移しているにもかかわらず、日本の近代文学はこれまで集団のレヴェルを描くことができなかったのではないかと。『長い日』は違った。 半藤が各章で主語として設定した人物、ある時は阿南陸相、ある時は昭和天皇、これらの個は陸軍省の中において、あるいは宮内省や御前会議の場において、いとも天然自然に「生きて」動いていた。戦争の最終盤における人間を『長い日』は見事に描いていた。(中略) 半藤は、三つの画期を通じて、過去を描いてきた人だ。小林秀雄がこんなことを述べていた。多くの作品が過去を描きながらも、あるものは未来を創りだす力があり、あるものにはそれがない。その差を小林は「天才の刻印」と命名していた。『長い日』に限らず半藤の作品は未来を創り出せる。半藤は「万能の天才児」だったのだろう。大人の身体に健全な「児」を宿していた人だった。
2023.07.10
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今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「昭和史」でしょうか♪<市立図書館>・満洲国から見た近現代史の真実・半藤一利の昭和史・写真で見る満州全史・デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実【半藤一利の昭和史】ムック、 文藝春秋、2021年刊<商品レビュー>より妻が亡くなられた半藤一利氏のファンだったので、ムック化された本品を購入してプレゼントしました。とても喜んでくれました。半藤氏の昭和に関する研究・著作は大変勉強になるもので、これを機に夫婦で再勉強したいと思います。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten半藤一利の昭和史【写真で見る満州全史】太平洋戦争研究会, 平塚柾緒著、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は大陸で何をしようとしたのか?…「幻の帝国」の前史から崩壊後まで!満鉄・関東軍・満州事変・満州国誕生・日本人街・開拓移民団・帝国崩壊・シベリア抑留・負の遺産…私たち日本人が今知るべき歴史!【目次】消えた帝国を歩くー現在も姿をとどめる「満州」残影/第1章 満鉄と関東軍/第2章 満州事変/第3章 関東軍の満州支配/第4章 日本人が住んだ街/第5章 満州帝国の繁栄と崩壊<読む前の大使寸評>追って記入rakuten写真で見る満州全史【デジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?】 渡部恒雄, 長島純著、 日経BP、2022年刊<「BOOK」データベース>より国際政治・軍事・テクノロジー・世界経済・欧州地政学の視点から解くウクライナ戦争。【目次】「はじめに」に代えて ミハイロ・フェドロフウクライナ副首相兼デジタル変革大臣インタビュー「戦時下でもデジタル政府化は加速する」/第1部 ウクライナ戦争への米国の戦略観と国際秩序の行方/第2部 ウクライナ戦争は「メタマゲドン(Metamageddon)」の幕開けとなるのか/第3部 デジタル国家ウクライナの全貌/第4部 ウクライナ戦争の経済的帰結/第5部 地政学から予想される欧州の変貌<読む前の大使寸評>追って記入rakutenデジタル国家ウクライナはロシアに勝利するか?図書館大好き599
2023.07.10
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・小川哲『地図と拳』(2/01予約、副本6、予約196)現在84位・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、副本1、予約15)現在7位・西加奈子『くもをさがす』(5/10予約、入荷待ち)現在72位・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、入荷待ち)現在28位・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、副本1、予約26)現在22位・スヴェン・ベッカート『綿の帝国』(6/14予約、副本3、予約7)現在6位・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在51位・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・養老孟司『形を読む』・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・菊間晴子「犠牲の森で」・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・宮脇淳子『満州国の真実』・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・多和田葉子『白鶴亮翅』<予約分受取:5/28以降> ・『語学の天才まで1億光年』(10/18予約、5/28受取)・砂漠と異人たち(2/25予約、6/03受取)・鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』(10/27予約、6/07受取)・『小川さゆり、宗教2世』(4/06予約、6/10受取)・和田秀樹『70歳の正解』(9/14予約、6/13受取)・言葉の周圏分布考 (8/15予約、6/13受取)・『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』(6/09予約、6/16受取)・山本佳典『羊と日本人』(6/17予約、6/22受取) ・宮脇淳子『 満洲国から見た近現代史の真実』(7/01予約、7/09受取予定)**********************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳【ジンセイハ、オンガクデアル】ブレイディみかこ著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より貧困層の子どもたちが集まるいわゆる「底辺託児所」保育士時代の珠玉のエッセイ。ゴシック文学的言葉を唱え人形を壊すレオ。「人生は一片のクソ」とつぶやくルーク。一言でわたしの心を蹴破ったアリス。貧窮、移民差別、DV。社会の歪みの中で育つ、破天荒で忘れがたい子どもたち。パンクスピリット溢れる初期作品。『アナキズム・イン・ザ・UK』の一部に大幅増補。映画・アルバム評、書評を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/10予約、副本1、予約15)>rakutenジンセイハ、オンガクデアル【くもをさがす】西加奈子著、河出書房新社、2023年刊<商品説明>よりカナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/10予約、入荷待ち)>rakutenくもをさがす【ユーチューバー】村上龍著、幻冬舎、2023年刊<出版社>より20代半ばにしてデビューをした作家・矢崎健介、70歳になった。「世界一もてない男」を自称するユーチューバーが、矢崎をユーチューブに誘う。承諾した矢崎が語り出したのは、自由である人間について。自由な人間は滅多にいないのだと言った。自由であるということは、唯一の希望を生む。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/20予約、入荷待ち)>rakutenユーチューバー【千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話】済東鉄腸著、左右社、2023年刊<「BOOK」データベース>より日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語ールーマニア人3000人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りつけ、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。千葉の片隅から、魂の故郷・ルーマニアへの愛を叫ぶー。本、映画、音楽…ルーマニアックのための巻末資料も収録!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/23予約、副本1、予約26)>rakuten千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話【綿の帝国】スヴェン・ベッカート著、紀伊國屋書店、2022年刊<「BOOK」データベース>より奴隷制、植民地主義、強制労働…社会的・経済的不平等や差別は資本主義の歴史の例外ではなく、その核心だった。膨大な資料をもとに5000年、5大陸にわたる綿とそれにかかわる人々の歩んだ道をたどり、現代世界の成り立ちを追究した、バンクロフト賞受賞作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本3、予約7)>rakuten綿の帝国【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【満洲国から見た近現代史の真実】宮脇淳子著、徳間書店、2019年刊<「BOOK」データベース>より五族にとって満洲国とはどのような国であったか?歴史を政治の道具にする中国・韓国に、日本は歴史の事実を武器に反撃せよ!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/01予約、副本1、予約0)>rakuten満洲国から見た近現代史の真実【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2023.07.09
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朝日新聞デジタルの有料会員になって以来、気になった記事をスクラップしているのです。それらの記事の一覧を以下に紹介します。(個人的なメモなので、テキストデータになりますが)*********************************************************■29歳で獄死した反戦川柳作家・鶴彬 故郷で碑前祭2022年9月15日 (2023年7月6日登録)反戦作家といえば・・・この人を外すわけにはいけないのだろう。■英語信仰は「壮大なムダ」、言語学者の危惧 「日本語こそ国際語」2023年6月12日 (2023年6月14日登録)ウン ええこと言ってるがな♪■書店ゼロ自治体、全国で26% ネットでの無料配送規制の議論も2023年3月29日 (2023年6月10日登録)書店の減少といえば、本の物流的側面や、図書館との住み分けが気になるのです。■強まるエルドアン氏への働きかけ スウェーデンのNATO加盟めぐり2023年6月5日 (2023年6月5日登録)プーチンからもウクライナからも支持されるエルドアン氏は、バランス感の長けた政治家であるが・・・要注意なんでしょうね■台風2号、あすにかけ広範囲で警報級大雨の恐れ 高知県では激しい雨2023年6月2日 (2023年6月2日登録)西日本一帯に避難警報が出ている模様です。■事故から12年後に里帰りした元町職員 未練断ち切った「けれど…」2023年5月31日 (2023年5月31日登録)被災の原因は地震、津波にあるとしても、政府や東電の無慈悲という人災でもあったようですね。■ウクライナはなぜF16を求めたのか? カギを握る総合力と戦い方2023年5月30日 (2023年5月31日登録)「ロシア領内を攻撃したい」という誘惑にかられる可能性もあるようですね。■週刊朝日、独自路線貫き101年で幕 30日発売で最終号 2023年5月28日 (2023年5月30日登録)これは惜しまれるので、買っておくか。■トルコ大統領、続投のエルドアン氏 「カリスマ」が直面する難題とは2023年5月29日 (2023年5月29日登録)やはりエルドアン氏の続投となるのか・・・クルド人やスウェーデンはがっかりしたのでは。■異例の閣僚謝罪ラッシュ マイナンバーカード、顕在化した「ひずみ」2023年5月27日 (2023年5月27日登録)試運転期間を長くとり「ひずみ」が出尽くしたあとにカード取得がいいかも■マイナ保険証、またもミス相次ぐ 対策はトラブル把握から3カ月後2023年5月23日 (2023年5月24日登録)マイナ保険証なんか持つメリットがないではないか。■ロシア首相が中国訪問 米の制裁受ける企業家らも同行 G7に対抗2023年5月24日 (2023年5月24日登録)思い過ごしかもしれないが・・・第3次世界大戦の危機かと思ったりする。■ゼレンスキー大統領、G7で得た外交成果とは 東野篤子教授の視点2023年5月22日(2023年5月22日登録)日本のメディア(世界のメディアも)は、こぞってゼレンスキー大統領の動向を追っていたもんね。■AIが心を読む? 脳内の思考を文章化する「解読機」を開発、米研究2023年5月14日 (2023年5月14日登録)いやはや、チャットGPTの進化は凄まじいばかりで・・・怖いでぇ。■本当に面白い本って何だ 名物書店員、「売れる本を売る」からの脱却2023年5月10日 (2023年5月11日登録)図書館に入り浸っている私は、本を買わなくなってしまったが・・・ 本屋がなくなっては困るのだ。■山あいをシリコンバレーに 起業家よ育て、高専が19年ぶり開校2023年5月8日(2023年5月8日登録)学費無償化のために協賛企業名を冠した奨学金が出るそうです♪■【速報中】ゼレンスキー氏、ドローン攻撃否定「自国の領土内で戦う」2023年5月4日 (2023年5月4日登録)プーチンの「やらせ」だったのではないか?■岸田首相、5月7日から訪韓で調整 18年の安倍氏以来5年ぶり2023年4月29日 (2023年4月29日登録)双方歩み寄って、日韓関係が好転しつつあるようですね♪■暴言を重ねても…明石市長選、泉氏の「後継」が大勝 市民の本音は2023年4月27日 (2023年4月28日登録)泉氏の暴言はかなり異質ではあったが・・・ ドングリ国周辺では泉市政はおおむね好評であったと思う。■HAKUTO-R、26日未明に月面へ 「着陸の難しさ例えると…」2023年4月24日 (2023年4月26日登録)着陸に失敗したが、一発勝負の難しさなんだろう。■米軍、「迅速かつ巧み」なスーダン退避 ヘリ3機と米兵100人動員2023年4月23日 (2023年4月24日登録)我が自衛隊は如何に対処するか■(インタビュー)戦前3文書から考える 歴史学者・加藤陽子さん 2023年4月7日 (2023年4月7日登録)安全保障政策の大転換が語られているが、国会ではない場で決定されたとのことで要注意である。■三島由紀夫を抑えて1位だった大江健三郎 60年後の今こそ輝く価値2023年4月6日 (2023年4月7日登録)一時期、大江さんに入れ込んでいて・・・彼の全集をそろえて読んでいたものです。■坂本龍一さんが語った死生観 がんで号泣…痛みに弱いから行動できた2023年4月3日 (2023年4月4日登録)胃を全摘した大使にとって、坂本龍一さんが語った死生観には切実なものがあるのです。■偽装離婚した私から次世代のあなたへ 社会変えるバトンを渡していく2023年4月1日 (2023年4月1日登録)吉岡桂子委員の「多事奏論」は今回で終了するとのことなんで、スクラップ帖に留めておきます。10年に亘ってご苦労様でした。■量子コンピューター国産機が始動 かつて最先端、遅れた今もチャンス2023年3月27日 (2023年3月27日登録)日本の研究水準は世界の最先端に肩を並べていた時期もあったが、今は米中の後塵を拝しているようですね。(中略、全文はここ)■増える宅配、事故が怖い 荷物200個、小2はねた運転手「焦り」 2022年10月15日 (2023年2月26日登録)この記事を見て、『潜入ルポ アマゾン帝国の闇』という本の借り出しを予約したのです。■(文芸時評)「多和田語」の世界 境界も〈私〉も解き放つ星々 小野正嗣 2020年5月27日 (2023年3月15日登録)パンスカとは多和田語ともいえるのだが・・・その多和田語にはツボが疼くのです。■商業捕鯨、初年は97%捕獲 漁場探し、地元は手応え2019年10月5日 (2023年5月22日登録)2019年の捕獲は97%だったのか・・・鯨食文化は健闘しとるがな♪■「ロスジェネ女性は路上で発泡酒」雨宮処凛さん窮状訴え2019年5月2日 (2023年5月3日登録)世代とジェンダーという二重のハンディが語られています。*********************************************************<スクラップ機能や使い方について> 気に入った記事、あとで読みたい記事をスクラップして、保存しておくことができます。最大5000件まで、記事閲覧期限を過ぎても、保存可能です。 また、新聞記事検索で検索した記事の新聞切り抜き画像もスクラップして保存できます。 スクラップした記事にメモや最大10件のタグ(分類名)を付けることもできます。保存した記事は、記事の本文や見出し、メモ、タグに入力した文字で検索することができます。 スクラップ記事とメモ・タグは、ネット上の保管庫(クラウドサーバー)に保存され、通信環境があれば、ブラウザー版でもアプリ版でも共有して閲覧できます。<新聞記事検索で検索した切り抜きイメージ画像をスクラップする>1. 新聞記事検索で表示された検索結果一覧の記事の右にある「新聞切り抜き」のアイコンの下の「スクラップ」ボタンをクリックしてください。「スクラップをしました」と表示されるとスクラップ完了です。記事の新聞切り抜き画像がスクラップブックからご覧いただけます。 2. 新聞切り抜き画像が表示された画面でも、左上の「スクラップ」ボタンをクリックすると、スクラップできます。*********************************************************『朝日新聞デジタルのスクラップブック 4『朝日新聞デジタルのスクラップブック 3『朝日新聞デジタルのスクラップブック 2R』『朝日新聞デジタルのスクラップブック 1』
2023.07.09
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図書館で『不謹慎な旅』という本を、手にしたのです。副題が「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」となっているのだが・・・ぱらぱらとめくると、戦中から戦後にかけての不幸なエピソードが並んでいて、ついチョイスしたのです。【不謹慎な旅】木村聡著、弦書房、2022年刊<「BOOK」データベース>よりそこを訪ねてみなければわからないことがある。忘れてはならない戦跡や被災地、公害・差別・事故現場で耳を澄ませる。現地の人々の声を写真とともに伝える渾身のルポ!!<読む前の大使寸評>副題が「負の記憶を巡る「ダークツーリズム」」となっているのだが・・・ぱらぱらとめくると、戦中から戦後にかけての不幸なエピソードが並んでいて、ついチョイスしたのです。rakuten不謹慎な旅戦前の川柳家・鶴彬が語られているので、見てみましょう。<葬れなかった一七音>p160~127■川柳家・鶴彬 そこには旧日本陸軍の軍人を専門に収容する監獄があった。場所は大阪城公園の南側。訪れても往時の「大阪衛戍監獄」(後に「大坂陸軍刑務所」と改称)の痕跡はなにひとつ見当たらない。代わって、その獄につながれていた青年の句が、大きな菰野石に刻まれ置かれている。 〈暁をいだいて闇にゐる蕾〉 世に発表されたのは監獄から出た後だが、服従しているとき作られ、作者が獄中での自身の姿を投影した句とされる。 彼の罪は制定されて(1925年)からまだ間もない「治安維持法」の違反。1年8ヵ月に渡る孤独な牢獄生活の“闇”の中で、22歳の青年、鶴彬が抱き続けた“暁”とはいったいどんなものだったのだろう。■反骨を吐く川柳家「理不尽なものへの正義感。なにか強い光だったんでしょうなぁ」 話すのは、鶴彬を慕う大阪の川柳人らでつくる「あかつき川柳会」会長の岩佐ダン吉さんだ。会の名称はもちろん鶴の句からとったもの。大阪城公園に建つ句碑「鶴彬顕彰碑」も彼らの手による。 石川県高松町(現かほく市)で鶴が生まれたのは1908年末とされる。29歳で彼が没するまでの日本は、満州事変を経て日中戦争、太平洋戦争へと向かう時代だった。後世の人たちは鶴彬を「反戦川柳家」と呼ぶ。ほかでもない、それは彼が吐いた数々の句による。〈高粱の実りへ戦車と靴の鋲〉〈ざん壕で読む妹を売る手紙〉〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉 鶴の句の魅力について岩佐さんは言う。「(自衛隊が派遣された)スーダンなんて、“手と足をもいだ”になってもおかしくなかった。彼の句は昔話じゃない。だから風化しない」 鶴は21歳のときに徴兵される。直後に非合法書物の所持で軍法会議にかけられ、金沢の連隊から大阪衛戍監獄へ収監される。景気を終え、除隊した後に上京。川柳界に復帰することになるのだが、「ここから鶴彬が真の鶴彬に変容していきます。彼は権力に押しつぶされる人のため力を尽くした。川柳で主張し続けた。『反戦』だけにすると価値が半分です」 そう評したのは、鶴の著作もある川柳家の尾藤川柳さん。尾藤さんは特徴的だとする鶴の句をひとつ挙げてくれた。〈弾丸の来ぬところで 〇〇の 詩が出来た〉 このころになって突如、鶴は旧来の形式を破った三行詩を書き始めていた。表現方法の革新に目を向けたのも、「定型」という権威、権力に対しての反逆だったのではないかと尾藤さんは考える。〈蟻食ひの糞殺された蟻ばかり〉〈貞操を為替に組んでふるさとへ〉〈胎内の動きを知るころ骨がつき〉 文芸表現の先鋭化とともに、内容も思想的過激さを増す。鶴の句は時局からいっそう葬りたい存在になっていった。28歳、再び治安維持法違反で検挙となり、東京の野方警察署(中野区)に留置される。翌年、拘留中に赤痢に罹り病院へ移されるも、ベッドの上で体を縄で縛られたまま帰らぬ人となった。■弱者の中で磨かれた川柳〈エノケンの笑ひにつづく暗い明日〉 鶴が世を去る前年(1937年)の句だ。この4年後、東京の本法寺(台東区)には「はなし塚」が建てられた。酒や廓、間男などが登場する落語53席が時局にそぐわないと禁演になり、それらを葬る塚だった。「笑ひにつづく」先に鶴が予見した「暗い明日」とは、すぐ目前の未来だったのである。『不謹慎な旅』2:麻薬大国ニッポン『不謹慎な旅』1:吉野川の防災資源
2023.07.08
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図書館で『老いてますます明るい不良』という本を、手にしたのです。嵐山光三郎さんといえば、かつてNHK番組「100分de名著・徒然草」でその不良ぶりを拝見しているので・・・この本も期待できそうである♪帰って調べたら、この本を借りるのは2度目であることが判明しました(またか)・・・で、この記事を(その4、5、6、7)としています。【老いてますます明るい不良】嵐山光三郎著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より今が一番という「老いる」技術。勝手に生きなきゃ自分の人生、もったいない!笑いの隠し味に人生哲学満載。<読む前の大使寸評>嵐山光三郎さんといえば、かつてNHK番組「100分de名著・徒然草」でその不良ぶりを拝見しているので・・・この本も期待できそうである♪rakuten老いてますます明るい不良嵐山さんの母の長寿祝金を、見てみましょう。p161~164<めでたい長寿祝金> 市報くにたちを読んでいた老母ヨシ子さんが、長寿祝金の記事を切りぬいて冷蔵庫のドアに磁石でとめて、「これ読んだ?」という。市報によると今年度中に百歳の節目を迎える人に長寿祝金(1万円)を贈り、市長が直接自宅まできて手渡すと書いてあった。 さあ大変。市長さんが家まで長寿祝金を持ってきて下さるんだよ。佐藤一夫市長は二期めに入り、誠実で一本気な純情熱血漢として広く親しまれている。 ヨシ子さんは父と昭和15(1940)年に結婚し、東京都中野区の一軒家を借りて住んでいた。父の実家が中野にあったので近くに住んだ。私の本籍は長らく中野区高根町であった。結婚して半年後に父に赤紙がきて、青山連隊に入りヨシ子さんは実家の浜松市中ノ町へ疎開して私を産んだ。 生後1ヵ月の赤ん坊(私)を連れて中野の借家へ戻ったが、父が戦場に召集されたためふたたび浜松市中ノ町へ帰り、東京大空襲により中野の家は焼失した。 昭和20(1945)年8月、日本は無条件降伏をして、敗戦国となった。浜松市も激しい攻撃にさらされ、多くの死者を出した。中ノ町の家は天龍川近くの旧東海道沿いにあって、荷車に乗せられた血まみれの死体がゴロゴロと運ばれていった。 祖父は庭に防空壕を造り、空襲のサイレンが鳴るたびにみんなで逃げこんだ。天龍川の橋をめがけて、米軍の艦砲射撃があり、家の屋根すれすれに戦闘機の機銃掃射がつづき、白壁の蔵に銃痕が残った。 ヨシ子さんは、米軍が上陸したときに闘うために竹槍を突く訓練を受けた。B29が白煙をあげて上空を飛び、私は祖父と畑へ出て焼夷弾の破片を拾い集めて裏の穴へ捨てた。ヨシ子さんは「終戦があと1週間遅れれば、中ノ町の家もやられていた」と述懐している。 父が復員してから、藤沢の貧相な借家に移った。オンボロ借家の裏の壁を指でほじくっているうちに小さな穴があいて、大家さんくるたびに折り畳み式の卓袱台で隠した。 藤沢の家で二人の弟が生れた。壁の穴から外を見ると一面のれんげ畑と菜の花畑があり、それをもとに『ピッキーとポッキー』という絵本(安西水丸絵、福音館書店)を作った。 国立へ引っ越したのは昭和25(1950)年で、新聞協会が持っていた土地に、朝毎読の新聞社員用住宅を建てた。 電気は通じていたが水道がない住宅で、一面がすすきの原っぱだった。プレスタウンというカタカナの名がついた貧民街であった。 ヨシ子さんは、赤ん坊だった下の弟を背中におぶって、バケツを二つ持って百メートル離れた井戸まで汲みにいった。三歳の弟もついていった。隣りのおばさんは、天秤棒を担ぐのがうまかったが、赤ん坊をおぶっているヨシ子さんは手で持つしかなかった。プレスタウンは農業用水が流れる湿地帯跡で、雨が降ると道がぐしゃぐしゃになった。(中略) ヨシ子さんの友だちはどんどん他界していった。プレスタウン婦人会、小学校父母会の仲間、俳句の同人たち、老人会の友人、どこへ行ってもヨシ子さんが一番年上になった。 9月24日、午後1時に佐藤市長と市役所の人が来られた。この日は午前10時から、主治医の定期往診、11時からヘルパーさんがきて、いそがしい。 私は玄関へ出て市長御一行を居間へ案内した。ヨシ子さんはうやうやしく挨拶して、市長から嬉しそうに長寿祝金を拝受した。秋晴れの木洩れ日が庭にさしこんでいる。庭を見ていた市長が「ガマが出そうですな」と言った。『老いてますます明るい不良』6:71歳の不良なる日々p141~143『老いてますます明るい不良』5:いつ死んだってよくないp136~139『老いてますます明るい不良』4:「私、7歳でグレて70年」の続きp10~13『老いてますます明るい不良』3:嵐山さんの交友関係p47~49『老いてますます明るい不良』2:美人という不幸p31~34『老いてますます明るい不良』1:私、7歳でグレて70年p4~7
2023.07.08
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図書館で『米中ソに翻弄されたアジア史』という新書を、手にしたのです。中国のような全体主義国家に世界を征服されていいのか?という通底論調に裏打ちされた本なのでチョイスしたのです。【米中ソに翻弄されたアジア史】江崎道朗, 福島香織著、 扶桑社、2022年刊<「BOOK」データベース>より今なお続く、中共による各国への“共産主義浸透工作”。それは、日本にとって決して他人事ではない!カンボジアをはじめ、東南アジアすべてにおいて「中共の革命輸出」はどのようになされたのか?3人の気鋭の著者による画期的な“真実のインドシナ史”。<読む前の大使寸評>中国のような全体主義国家に世界を征服されていいのか?という通底論調に裏打ちされた本なのでチョイスしたのです。rakuten米中ソに翻弄されたアジア史「第四章 鼎談」の続きが語られているので、見てみましょう。鼎談「中共の暴虐とインドシナの命運」>p263~266■中華思想はコンプレックスの裏返し福島:米中対立が先鋭化して、香港の問題などが起きてくると、私自身も、ネット上やメールなどで非常に変な輩にからまれたりするのです。明らかに中国人なんだけど、日本人をよそおっていたりしていて。日本人を名乗っているから、日本国籍を取っている華人、いわゆる「ネット紅衛兵」「小粉紅(ピンクちゃん)」と呼ばれる新華人、あるいは中国人留学生かもしれません。 世界中にこうした、中華民族意識の強い、若い、比較的教育レベルの高い新華人が増えていて、忠実に中共の代弁者のふるまいをします。彼らは、昔の華人たちが中共に利用されて捨てられたり裏切られたりした経験や歴史を知らずに、今の中共政権の繁栄だけを見ている世代なので、華人としての自意識が高い。その一方で、外国に行くと何とも言えない差別や排斥にあう。そういうアイデンティティの微妙なところをついて、うまく洗脳され、「習近平はいい皇帝だ」みたいなことを本気かどうかは知りませんが叫び出して、中国に有利になるようにSNS上で世論誘導したり、反対意見を攻撃したりしています。宮脇:中国の先兵になって働いているのですね。福島:中国が「偉大」になっていることに対する、民族としての微妙な誇り、虚栄心を持っているのに、アメリカなどではすごく差別されている。 でも、だからこそ、中共は過去に、そういう華人たちを使って、何をしてきたかというのを、もう一度見直すことに意義があると思って、第三章を書きました。カンボジアの悲劇、ポル・ポトの悲劇などにも、明らかに、華人が使われていたのです。 今も、「香港のデモ参加者はアメリカの操り人形だ」とか、「本当は香港の若者たちが市民を虐殺しているんだ」などと言ってみたり、あるいは、アメリカで起きているBLMの反人種差別デモの暴動化を扇動したりとか、中共の指示に従ってそういうことをしている華人はいます。 トランプ政権が2020年7月22日にいきなりヒューストンの中国総領事館の閉鎖を命じましたが、この総領事館は華人留学生・研究者に対して、新型コロナワクチン開発の機密を盗んだり、スパイ工作にあたらせる「スパイ・センター」であったと、デビッド・スティルウェル国務次官補が指摘しています。1950~70年代のカンボジアなど東南アジアでの華人特務員も、中国の在外公館がセンターでしたから、同じことをやっているんですね。(中略) 普通の華人なんだけれども、うまくコントロールされているのですよね。コントロールされているうちに本当の特務員になる人もいると思うのだけれども、彼らに信念や忠誠心があるわけではない。 中国共産党のほうも、だんだんと才能のある人間を選別していくのです。今、私たちに絡んできている中国人というのは、特務とかそういうレベルではなく、単に民族のプライドとコンプレックス、あるいは望郷心を刺激されて、うまく乗せられて動いているだけかと。世論を意図的に誘導しているのではなく、誘導されている側かもしれません。宮脇:それは、江崎先生がいつも言われている、ソ連共産主義がやったことと重なるわけで、本当のスパイではなくて、知らないうちに動かされてしまう人が、いっぱいいるわけですね。江崎:共産党に騙されて利用される人たちのことを専門用語で「デュープス」といいます。宮脇:だから、19世紀末からは、そういう時代なんですよ。人口が増えて大衆社会になると、アジテーション、扇動がうまいグループが政治的に優位に立つのですが、それをやるのが上手なのが左なのですよね。福島:デュープスというのは、いかにも“おバカさん”みたいなイメージですが、非常にみんな有能なのです。有能だから使われるのです。知識人が。『米中ソに翻弄されたアジア史』2:新書化にあたってのあとがき『米中ソに翻弄されたアジア史』1:鼎談「中共の暴虐とインドシナの命運」
2023.07.07
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