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先日、中山吉成団地内のロータリーを探訪したが、その際に、中山や吉成の団地開発の経緯や中山(なかやま)道のことを考えていた。そこで思わず幹線通り沿いにある「狼石」を探そうと思った。中山を下りて根白石方面に向かうバス通り、東北縦貫道をアンダーパスして北中山小学校付近の反対側に、それはあるはずだ。何度も通る道だが、はっきり意識してここだと感じたことはない。いざ向かってみると、意外にも看板がハッキリ指し示していた。何ともわかりやすい。ただ単に道路を移動空間と思って走っているとわからないものだ。■関連する過去の記事(中山吉成のロータリー交差点) 仙台のロータリー(その12)中山吉成(その2)(2011年1月11日) 仙台のロータリー(その11)中山吉成(その1)(2011年1月10日)■関連する過去の記事(中山道) 中山道を考える(再び)(09年11月23日) 忘れられた宿場町 根白石(09年11月4日)(奥州街道について) 中山(なかやま)道を考える(09年3月25日) 中山道のむかし(09年3月23日)
2011.01.13
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突然ですが、仙台で1から10までの数字をfindするように、ある人から命じられました。早速考えてみると...一本杉町二の森三居沢四郎丸五橋六郷、六丁の目七北田八木山とスンナリ出るのですが、「九」がどうしても出ません。東九番町は、ちょっとズルイと思うのでそれ以外で一生懸命考えたのですが、まだ思いつきません。
2011.01.12
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もう1か所のロータリーです。北側(正しくは北西)にあります。中山吉成団地内の2つのロータリーを探訪いたしました。昨日も記したように、旧宮城町の吉成山地区の造成では、吉成何丁目とともに、パイオニア的な団地でしょう。全然関係ないのですが、昔は伊勢吉成とか中山吉成とか聞くと、人の名前のような感じがしたものです。そう言う意味では、いつぞや新設された「中野栄」駅もそうでした。確実にどこかにいるでしょうね。■関連する過去の記事(仙台のロータリー交差点) 仙台のロータリー(その11)中山吉成(その1)(2011年1月10日) 仙台のロータリー(その10)桜ヶ丘ロータリー(2011年1月9日) 仙台のロータリー(その9)葛岡墓園正門前(2011年1月2日) 仙台のロータリー(その8)名取市相互台東(桜坂)(2010年12月4日) 仙台のロータリー(その7)名取市相互台(2010年12月3日) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■調査成果の地図です。
2011.01.11
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地図で見つけていたロータリー。探訪してまいりました。北環状から少しだけ外側に入り、焼肉店のある場所が団地の角になります。団地内を縦貫する道に、2か所ロータリーがあります。画像は南側(仙台市内や北環状に近い側)のロータリー。中山吉成は、現在では南中山や中山台、吉成台などと面的に連続した団地のように見えるが、かつては、伊勢吉成団地(現在の吉成何丁目)とともに、まだ北環状も観音様もいなかった宮城町の山を開発した団地だったはずだ。特に、中山吉成団地は、往時の中山道沿いの寂しい場所だったろう。このロータリーは団地のアクセントとして設けられたのだと思うが、今見ると、ちょっと寂しさも感じます。せめて植栽でも。■関連する過去の記事(中山道) 中山道を考える(再び)(09年11月23日) 忘れられた宿場町 根白石(09年11月4日)(奥州街道について) 中山(なかやま)道を考える(09年3月25日) 中山道のむかし(09年3月23日)■関連する過去の記事(仙台のロータリー交差点) 仙台のロータリー(その10)桜ヶ丘ロータリー(2011年1月9日) 仙台のロータリー(その9)葛岡墓園正門前(2011年1月2日) 仙台のロータリー(その8)名取市相互台東(桜坂)(2010年12月4日) 仙台のロータリー(その7)名取市相互台(2010年12月3日) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■調査成果の地図です。
2011.01.10
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久しぶりにお会いできました。うっすら雪化粧の朝。普段から近くはバンバン通っているのに最近はなかなかお目に掛かっていない、あの有名なロータリーです。このシリーズを続ける以上は、ご挨拶しておくのが儀礼でしょう。団地の幹線道を北上すると現れるのですが、もう20年以上も前でしょうが、もっともっと大きいロータリーだったように記憶していたので、意外でした。そういえば、団地内バス通りも随分狭く感じます。五丁目の交番のある角では、市営バスが大回りして反対車線も塞ぐようにグルリと左折していました。道路幅も狭いのでしょう。今となっては。団地の東の方には、仙台市内からパークタウンに抜ける広い道路があります。現在工事中の地下部分も完成すれば、一段とアクセスは向上するでしょう。桜ヶ丘団地は昭和50年前後からの分譲だと思いますが、宮城学院と桜丘中学校の間をすり抜けていくこの都市計画道路は、昭和60年代には団地部分(南は生協の角から北は宮城学院まで)は既に出来ていたと記憶しております(北環状につながるのは平成に入ってからでしょう)。気になって昭和50年代の地図を広げてみました。都市計画道路はまだ通っていませんが、予定地には地番が振っておらず、団地造成時点から予定されていたのだろうと思われます。(気になった理由は、折角のマイホームを手放すことになった方がいたのかどうか、との点です。最近では南光台などで街路が延伸する分だけ、住家が移転しているはずなので。)余談。団地を西に抜けて(明成高校前)、更に北に折れて進むと、三叉路があって、左に進むと、川平団地の間を北環状に出る。この三叉路(桜ヶ丘6丁目交差点というらしい)、その昔は夜に屋台のラーメン屋さんがいて、何度かお世話になった。そんなことも思い出す冬の朝でした。■関連する過去の記事(仙台のロータリー交差点) 仙台のロータリー(その9)葛岡墓園正門前(2011年1月2日) 仙台のロータリー(その8)名取市相互台東(桜坂)(2010年12月4日) 仙台のロータリー(その7)名取市相互台(2010年12月3日) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■調査成果の地図です。
2011.01.09
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昨日、勝山企業のことを書いたが、実は以前からずっと気になっていた。私が仙台に来た1980年代には、例えば、第三勝山団地とか、伊勢吉成団地とか、長命ヶ丘ネオポリスなど、おそらくは開発業者の名称を冠したり、斬新な愛称を考案したと思われる宅地開発が進行していたように思う。いわゆる団地名が現在の町名になっている訳ではないから、開発途上あるいは分譲段階での名称が、今では消えてしまった例が多いと思う。仙台圏の宅地(団地)開発について、開発や分譲時点の名称(愛称)とデベロッパーの名称、そして、各団地の特徴など、一覧的に整理してみたいと、かねがね思っていた。おそらくフルタプランニングにでもきけばわかるのだろうが、そのうち、当ジャーナルの微力をもって整理してみたいと、思う。皆さん、乞うご期待。
2011.01.05
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仕事で上杉通りを歩いてたが、ふと目に留まって撮った。以前から何度も見ていたはずだが、改めて正月の陽を受けてたたずむ丸形ポストと軒に掲げられた郵便マークの看板に、歴史を感じてしまった。北五番丁通り角の勝山酒造の隅にある。そういえば、勝山企業はこの北五番丁通りと北六番丁通りに挟まれた区画(外記丁通りと愛宕上杉通りの間)を住友不動産に売却するという。現在西友スーパーが入っていたりするボウリング場の建物、北側のちょっと前までソーセージなどを売っていた店舗で現在居酒屋の建物、それにスケート場跡地の広大な駐車場などをマンション開発などのために一式売却するそうだ。もっとも、このポストのある勝山酒造の施設だけは残すという。これは、1989年に仙台市都市景観賞をも受賞した、勝山酒造旧店舗なのだそうだ。勝山と言えば、公園や団地などの名称としても馴染んでいる。テレビ局や調理師学校などの経営でも仙台の社会経済を支えている名門企業だろう。たぶん創業の地を手放すことになるのだろうが、すばらしい高層住宅として変貌を遂げるのが時代の流れだとしても、何か寂しい気もする。ともあれ、ポストは旧店舗とともに残っていくのだろう。
2011.01.04
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以前Noriyukiさんにコメントいただいておりました。葛岡霊園の葛岡駅側入口にもあるよね、と。そうです。あのロータリー交差点も、市民にとって馴染み深いと言えるかも知れません。正月の今日2日、国道48号を通る用事があり、ふと思い出して車で立ち寄ってみました。堂々としたロータリーですね。ついでに、葛岡駅の駅前ロータリーも撮りました。この駅は未だに利用したことはありません。足かけ2年のこの企画(仙台のロータリー・シリーズ)は、一応交差点を対象としておりまして、駅前ロータリーは対象外なのですが、場所も近いものですから、今回は一緒にご紹介させていただきます。さて、今のところ頭にあるのは、桜ヶ丘と中山吉成。とりあえず近いうちに写真を撮って、仙台のロータリー交差点シリーズの画像集を完成させたいと考えております。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その8)名取市相互台東(桜坂)(2010年12月4日) 仙台のロータリー(その7)名取市相互台(2010年12月3日) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■調査成果の地図です。
2011.01.02
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散歩していたら10歳の子が指摘。あれなんて読むの。耀け!!ベガルタ仙台。「かがやけ」だろうけど、当て字みたいだね。普通の 輝け! ではないぞ。あれは、コクヨウセキのヨウだ、いや違うか、などと親も不安。おなじみ、泉中央駅からユアスタに至る道。泉図書館の向かいです。■シリーズ 仙台百景(こんな企画で100まで続くでしょうか) 太白トンネル(シリーズ仙台百景 32)(2010年11月23日) 富士宮やきそば(シリーズ仙台百景 31)(2010年10月17日) フェンスのメッセージ(シリーズ仙台百景 30)(2010年2月28日) 宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日) 松森焔硝蔵跡(シリーズ仙台百景 28)(08年8月31日) 十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)(07年10月23日) 陸奥国分寺薬師堂(シリーズ仙台百景 26)(07年10月17日) 県民の森 鶴ケ丘口(シリーズ仙台百景 25)(07年8月26日) 一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) 風の環(シリーズ仙台百景 23)(07年7月7日) 冷やし中華の龍亭(シリーズ仙台百景 22)(07年6月29日) 県民の森(シリーズ仙台百景 21)(07年4月8日) 数字の練習ボード?(シリーズ仙台百景 20)(07年3月25日) 半田屋一番町に進出!(シリーズ仙台百景 19)(07年3月1日) 仙台百景画像散歩(その18 撮影成功!霊気のトンネル)(07年2月6日) 仙台百景画像散歩(その17 変な漢字の看板)(07年1月28日) 仙台百景画像散歩(その16 駅前東宝ビル)(07年1月13日) 仙台百景画像散歩(その15 空から見た仙台)(06年12月29日) 仙台百景画像散歩(その14 光のページェント)(06年12月13日) 仙台百景画像散歩(その13 東京スター銀行)(06年11月30日) 仙台百景画像散歩(その12 建設ラッシュ再来?)(06年11月10日) 仙台百景画像散歩(その11 E721系電車)(06年7月25日) 仙台百景画像散歩(その10 ワンコイン端末)(06年7月7日) 仙台百景画像散歩(その9 ヤギさんの看板)(06年6月19日) 仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) 仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) 仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) 仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) 仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) 仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) 仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2010.12.26
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先日NHKのTVニュースでも取り上げていたのだが、河北ウイークリーにも出ていた。鉄道旅行の楽しみである駅弁にスポットを当てた企画展「シリーズ・旅の脇役たちno.1 駅弁の今昔」と題して、東北福祉大駅そばステーションキャンパスにある鉄道交流ステーションで展示されている。入場無料。なかなか面白そう。ところで、何で福祉大で鉄道交流ステーションなのか。興味深いホームページもあります。企画展はこれで12回目という。企画運営の体制がしっかりとしているようです。
2010.12.24
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現在道路交通は車は左、人は右と規定される。歩行者を車と対面させて双方に注意を促す趣旨だろうが、実はこれは昭和35年(1960)の道路交通法によるもので、それ以前の我が国は明治以来、車馬も人も左、だったという。もっとも、駅構内や地下街、歩行者専用の商店街などの場合はどうだろうか。JRの駅によっては、構内通路の左側通行を案内しているそうだ。仙台駅ではたぶん明確な表示やアナウンスはないと思うのだが、各駅によっては改札口と券売機の配置の関係によってそう案内することがあるそうだ。ある実験(加藤孝義氏)によると、人間は壁が右側にあると歩きにくく、左に壁を見て歩く方が安定する感じがするのだそうだ。右利きの手の側を自由にしておくという心理が働くのかも知れない。車の乗り入れがない歩行者専用の商店街の場合は、6:4または7:3で概ね左側通行だそうだ。仙台、京都、大坂、鹿児島など、アーケード街はどこも同じだという。また、八重洲、JR大阪駅前、天神などの地下街もやはり左側。さて、エスカレータの立ち位置はどうか。よく東西の差が取り上げられる話題であり、大阪は右立ち、東京は左立ちとされる。その理由として大阪人は右手に風呂敷を持つから、とも言われるが、昭和45年の大阪万博で阪急電鉄梅田駅が混雑回避のために、パリやロンドンを参考に、エスカレータの左空けを案内したのが始まりとするのが有力説である。東京は大阪から遅れて90年代に左立ちが定着した。風呂敷の大阪人に対抗してか武士の習慣という俗説もあるが、上述のように駅の構内が左側通行であることの自然な延長と見られている。世界標準ともいうべき右立ちは、実は日本では大阪など少数派。京都は、市営地下鉄は左立ちが多いが、地下鉄京都駅やJR京都駅は左右混在だそうだ。都道府県庁所在地で左空け(右立ち)に統一されているのは、大阪、神戸、奈良、和歌山の4か所だけだという(横田耕治氏)。とすると、東京をはじめ東日本はすべて左立ちとなりそうだが、なんと仙台では市営地下鉄の駅が右立ちだ。仙台市交通局によると、交通局が右立ちを案内したことは開業以来一切ない。多くの客が自然に右に立っている、とのことで、その理由は交通局でもわからないそうだ。■小沢康甫『暮らしのなかの左右学』東京堂出版、2009年 を参考とした仙台のエスカレータは、JRは左立ち、地下鉄は右立ち、デパート等の建物はたぶん右が多い、ような気がする。統一されないのも不思議だが、駅の場合は、エスカレータを終えてから向かう方向とも関係しているのかも知れない。エスパルやロフトなど仙台駅周辺では左に立ち、藤崎や三越では右に立つ、と解説してくれる人もいる。そこまで割り切れているとは思えないが。■関連する過去の記事 仙台のエスカレーター作法を考える(2010年4月9日)
2010.12.21
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仙台の冬の風物詩、光のページェントは、今、火事のため中止となっている。今夜も定禅寺通りを歩いてみたが、やっぱり冬の風景としては物足りない。実行委員会では20日から再開するというが、点検作業の遅れは快勝されていないという報道だ。楽しみにしている市民にとっては、残念ではあるが、しかし、こんな時こそ考えてみても良い。ページェントの無かった25年前の仙台を。木々の枝に揺らめく明かりは、確かに美しく賑やかだが、それがなくても仙台は明るい町だったではないか。光のページェントは全国にも誇って良い市民の財産だと思う。しかし、やっぱり器械であり、電気だ。故障もして当然だ。たまには休みたいのかも知れない。良いではないか。大目に見てやればいい。光が消えても、人々の心に幸せを灯そうとした人々の善意の輝きが、失せることはないだろう。
2010.12.17
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特に珍しくもなく、今さら大騒ぎはしないが、やはり残念だ。たまたま私も6日の記事(潜在看護師さんて、いったい誰ですか)に書いていた山形大学医学部の医師看護師確保に関するニュースを、今朝の河北新報で取り上げていたが、見出しに、堂々と「看護婦」。思い切りやってしまった。その記事「医師・看護婦を確保へ 山形大医学部が県と連携協定」(早晩リンクも切れるでしょう。)どういう校閲体制になっているのか。あるいは、そもそも社員の資質や常識の問題か。それにしても間違いは誰にでもあるとして、訂正や自己省察の姿勢があまり見られないのも河北新報の特徴だと、私は以前から指摘してきた。もともと新聞には、権力の批判、社会の木鐸として十全に機能を果たしてもらえば良いのであって、新聞社や記者が人格円満だったり一般人の前にへりくだることは全く必要ない、と私は思っている。記者が人間として尊敬できなくても、記事を通じた新聞の果たす社会的役割は別だ、と。しかし、記事の誤りや偏向は、少なくとも自分が認めるのならできるだけ訂正をしっかりと報じて欲しい。どうでも良い小さな事をつまみ上げてわざわざ大げさに書きたてて居るようだが、若い自分に何度か質問をして、返事ももらえなかった新聞社なので、どうしても私は敏感に反応してしまうのだ。東北をどこよりも深く考えている、と自認する新聞社であるだけに、できれば一段と素晴らしい新聞であって欲しいと、応援しているのだ。民主主義を支え社会の鏡となる新聞。その存立基盤は、政治や行政に拠るのではなく、健全な市民の賛同的あるいは批判的な意識にあるべきだ。しかし、このことは同時に、特定の新聞社の存立を保障するものではなく、本来はそれこそフリーマーケット論に基づいて、言論主体も新陳代謝していいはずなのだ。存立自体にこだわったり、あるいは永続を前提に物事を考えることは、市民の期待することではない。やはり競合者の不存在がよどみを作るのか。仙台の気風そのものを象徴しているのか。私はいつか「河北新報論」を定式化して発表するのではないだろうか、と我ながら思っている。
2010.12.08
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前回の相互台に続いて、そのお隣で、相互台東(桜坂)団地です。ロータリーは比較的早期の住宅団地に多くて最近は好まれないような気がすると、前に書きましたが、そうでもないですね。ここは最近の開発です。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その7)名取市相互台(2010年12月3日) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■調査成果を地図に落としてみました
2010.12.04
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地図で見つけたので行ってみました。ところが、後でガックリ。よく地図を見るともう1つロータリーがあったのでした。画像の2つのほかに、さらに北にもう1つです。団地内の直線のメイン道路に串だんごのように。R286から相互台に上がった地点から、メイン道路の南側部分だけを往復してしまったのでした。反省。そして残念。とりあえず、2つを画像でご紹介します。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その6)日本平(2010年12月2日) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)
2010.12.03
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今度はこちら。近くに宅配ピザ屋さんがあって、店舗に戻る配達用バイクが、ロータリーをぐるりとUターンする光景を、子どもと一緒に眺めました。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その5)ひより台(2010年11月27日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)
2010.12.02
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旧286号からひより台を目指して道を登る。上野山小学校入口、月ヶ丘を過ぎて坂を上がっていくと、ひより台団地に出る(仙台市サイトの地図)。最初に出会ったのは、小さい方のロータリー。画像では見にくいが、杉の木が植えられていたように思う。もう一つはバス通りの真ん中に堂々としたロータリー。車もバスも、周回していた。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■関連する過去の記事(ひより団地の周辺道路など) 太白トンネル(シリーズ仙台百景 32)(2010年11月23日)
2010.11.27
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またまたロータリーの話題。東仙台5丁目の案内公民館付近です。造成時期からすると、仙台で一番古いのではないでしょうか(未確認)。県道仙台松島線を、松岡町の信号から案内公園側に登っていくと程なく到達します(地図)。■関連する過去の記事(仙台のロータリー) 仙台のロータリー(その3)永和台(2010年11月22日) 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)■関連する過去の記事(案内公園) 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日)(06年当時は、案内の名の付くものを2つしか探せなかった。今なら、堂々と「ねすと案内集会所」を挙げます。)
2010.11.26
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太白トンネルの続きで、秋保電鉄の遺構。茂庭浄水場の下をくぐっている「さかのしたトンネル」です。往時は、この付近(西側に出た辺り)に萩ノ台駅があったそうだ。■以前の記事 山田自由ヶ丘のバス専用道(2010年11月24日) 太白トンネル(シリーズ仙台百景 23)(2010年10月23日)■参考(秋保電鉄関係) 秋保電鉄 宮城の旅 秋保電鉄 廃線探索-秋保電気鉄道(いずれも素晴らしいレポートで敬服いたします。) 秋保電鉄と沿線の歴史を探る(仙台市教育委員会教材映像アーカイブ)
2010.11.25
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珍百景にも出そうな道路の真ん中の電柱。外側はバス専用の車道になっている。山田自由ヶ丘の宮城交通バス車庫付近の光景です。■関連する過去の記事 太白トンネル(シリーズ仙台百景 32)(2010年11月23日)■参考(秋保電鉄関係) 秋保電鉄 宮城の旅 秋保電鉄(いずれも素晴らしいレポートで敬服いたします。) 秋保電鉄と沿線の歴史を探る(仙台市教育委員会教材映像アーカイブ)
2010.11.24
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旧秋保電鉄の太白トンネル(旗立トンネル)である。勤労感謝の休日、編集長と公設第二秘書(2番目の娘)は探険に出かけた。以前から聞いていたが実際に見たことはない、あのトンネルを訪ねて。本降りとは言えないまでも、冷たい雨は気持ちまで湿らすようだ。太白山も息苦しいように煙っていた。山田自由ヶ丘の宮城交通バス車庫の手前。ちょうど東北自動車道をくぐるところだ。ここに登ってくるまでの旧秋保電鉄の軌道は、現在の旧国道286号の山田市民センター付近交差点からこの団地に向かう通り(この日記では山田自由ヶ丘・太白団地線とします)に沿っていたようだ。思うに、この山田自由ヶ丘団地に向かう道(山田自由ヶ丘・太白団地線)(おそらく旧電鉄軌道)が旧286と交差している所から、ほんの数軒ほど旧286を長町寄りに行くと、今度は西多賀病院や上野山団地・ひより台団地に登る別の道(この日記ではひより台線とします)が分岐している交差点がある。これらの2筋の登り道は、並行して走っているような関係にある。たぶん、開発史的に言えば、主要車道としてはひより台線が先行し、その後に太白団地(宮城県住宅供給公社だと思う)の開発などと併せて、旧電鉄路線沿いの山田自由ヶ丘・太白団地線が開かれたのではないか、と推察する。違うかも知れないが。全然関係ないのだが、今日太白団地を久々に訪れた。もう30年近くも前だが私の自動車教習コースだったはずだ。大きなスーパーがあったのは記憶にあるが、今はかなり古びていた。あのときのコースは、旧286から山田自由ヶ丘・太白団地線に折れて、途中から同線を別れて太白団地に向かう道路に入る。団地の中で、たぶんこのスーパーを見ながら周回して元の道をもどって旧286に戻り、今度は新道(286バイパス)に出たようなルートだったと思う。今回はひより台線をのぼって、ひより台・太白団地から山田自由ヶ丘に出て、冒頭のトンネル地点にたどり着いた。旧286から山田自由ヶ丘・太白団地線を登ってくれば、さらに昔の記憶を掘り起こせるのかも知れない。話を戻して、旧電鉄のトンネルだ。山田自由ヶ丘の太白トンネル入口に立ちつくした編集長と秘書だが、やはり中に入る勇気は、なかった。一応反対側も見たいと思い、来た道路(旧電鉄の路盤がバス専用道路になっている珍しい区間)を引き返し、今度は人来田(仙台南ニュータウン)から団地西側を降りて高速道をくぐり抜けて茂庭浄水場の側に出る。高速道沿いにしばらく北に行くと、林道でこれ以上立入禁止という看板がある辺りに、おそらく太白トンネルの出口から続いて東北道の西側に出ていると思われる小径があった(冒頭の画像)。旧秋保電鉄の路盤なのだろう。■参考(秋保電鉄関係) 秋保電鉄 宮城の旅 秋保電鉄(いずれも素晴らしいレポートで敬服いたします。) 秋保電鉄と沿線の歴史を探る(仙台市教育委員会教材映像アーカイブ)■シリーズ仙台百景 以前の記事です。こんな企画で100枚まで続けるのが目標です。 ○富士宮やきそば(シリーズ仙台百景 31)(2010年10月17日) ○フェンスのメッセージ(シリーズ仙台百景 30)(2010年2月28日) ○宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日) ○松森焔硝蔵跡(シリーズ仙台百景 28)(08年8月31日) ○十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)(07年10月23日) ○陸奥国分寺薬師堂(シリーズ仙台百景 26)(07年10月17日) ○県民の森 鶴ケ丘口(シリーズ仙台百景 25)(07年8月26日) ○一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) ○風の環(シリーズ仙台百景 23)(07年7月7日) ○冷やし中華の龍亭(シリーズ仙台百景 22)(07年6月29日) ○県民の森(シリーズ仙台百景 21)(07年4月8日) ○数字の練習ボード?(シリーズ仙台百景 20)(07年3月25日) ○半田屋一番町に進出!(シリーズ仙台百景 19)(07年3月1日) ○仙台百景画像散歩(その18 撮影成功!霊気のトンネル)(07年2月6日) ○仙台百景画像散歩(その17 変な漢字の看板)(07年1月28日) ○仙台百景画像散歩(その16 駅前東宝ビル)(07年1月13日) ○仙台百景画像散歩(その15 空から見た仙台)(06年12月29日) ○仙台百景画像散歩(その14 光のページェント)(06年12月13日) ○仙台百景画像散歩(その13 東京スター銀行)(06年11月30日) ○仙台百景画像散歩(その12 建設ラッシュ再来?)(06年11月10日) ○仙台百景画像散歩(その11 E721系電車)(06年7月25日) ○仙台百景画像散歩(その10 ワンコイン端末)(06年7月7日) ○仙台百景画像散歩(その9 ヤギさんの看板)(06年6月19日) ○仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) ○仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2010.11.23
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すっかりロータリー好きになった訳ではないのですが、今日も近くを通ったので寄ってみました。永和台団地の小さなロータリー。県道仙台三本木線を国道4号バイパスから少し進んでいくと、東北学院大学を過ぎてすぐに、永和台入口の信号のある交差点がある。これが団地の入り口。これを登っていくと、このロータリーを通ることになります。県道側に降りてゆく斜面に設けられているため、北と西には木々が豊かに色づき、南には学院大学の建物が見えました。このロータリーをさらに東に登っていくと松陵団地に出る。県道仙台三本木線から松陵団地に出たことは何度かありますが、実はいつも永和台入口より1つ先の信号(山の寺3)から登っていたはずです。向陽台中学校を右手にしながら登るこの方が、道も広く傾斜も緩やか。したがって、わたしは今日初めてこのロータリーに出会ったのだと思います。ところで、県道を挟んだ北西側の丘陵には、あの向陽台の大ロータリーがあります。前回撮影したもの以外にも、やや西側にやはり大きなロータリーがある(向陽台保育所付近)。また、富谷町分の東向陽台団地には鉄塔を囲むサークルの形のものが2つほどある。高圧電線の鉄塔があった事情が大きいとは思いますが、まるでミステリーサークルのようにボコボコと多数あります。おそらく仙台では随一でしょう。そして、ミステリーゾーンを降りて向かいの永和台団地には、この小さいながらも美しいロータリー。赤い花が印象的。この交差点を南に向かうと、松森団地(歩坂町)に出て、市名坂のヤマダ電機の辺りに降りるようです。かなり交通量もありました。(地図)■関連する過去の記事 仙台のロータリー(続)(2010年11月22日) 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)(向陽台ロータリー)
2010.11.22
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地図を眺めて探した。桜ヶ丘、向陽台、永和台、日本平のほかには...やっと見つけたのは、中山吉成の団地内に2か所。よくヨーロッパの大都市などで、自動車がグルグル回っている巨大なラウンドアバウトがみられる。日本では、他の都市は知らないが仙台に関して言えば、比較的早期の団地開発で、団地内の交通結節点に、シンボル的な意味も添えて設けられているように感じる。現在ならば、直交にして信号を設けるのが好まれるのだろうが。あとでまた探してみます。■関連する過去の記事 仙台のロータリー交差点を考える(2010年11月21日)
2010.11.22
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地図を眺めていた。向陽台団地のロータリー。不思議だが、なぜか懐かしい感慨におそわれる。国道4号から坂を登って団地に入り、セブンイレブン(たぶん30年近く続いていると思う)の角を折れて平らで大きな道路に出る。ずっと進むとロータリーがある。たしか送電線の鉄塔があったようにも記憶している。よく見たら、地図ではこのロータリーが、ミッキーマウスの耳のように、ギリギリで富谷町(東向陽台)の領分となっている。ところで、交差点をロータリーにするのは、おそらく交通計画上の検討を経て決めているのだろうけれど、最近の団地には少ないような気がする。思いつくのでは、向陽台の外には、桜ヶ丘団地のど真ん中にある。また、太白区の日本平にも、かなり小振りだがロータリーがあったと思う。泉区の地図(ゼンリンのmi-ru-to)を眺め渡すと、向陽台の近く、永和台団地の入口から登ったところにもそれらしいものが見える。追記。この画像は今日の午後に撮影したので埋め込んだ。地図を見て向陽台のロータリーを思い出したのは朝のことで、その後昼の仕事がたまたま付近だったので、ちょいと寄り道して久々に「再会」を果たした。傾きかけた夕陽を浴びながら、何も言わず(当たり前です)、ゆっくりと周回する車たちの渦の中にがんばって存在していた。
2010.11.21
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宮城県第二女子高校を前身に今年からスタートした。かねてから当ジャーナルで指摘してきた仙台・宮城の高校教育の沈滞を打ち破るリーダーとなって欲しい。今月上旬の秋晴れの休日に、荒町や連坊を散策した。二女高というと連坊小路で仙台一高の近くという思いこみのイメージがあったが、歩いてみたら新寺通りにもすぐ出られ、仙台駅にも歩いて10分足らずだろう。お寺がたたずむ文化の香り高いエリアに、関東以北の高校で例がないという7階建ての校舎。県立初の仙台での中高一貫でもある。恵まれた教育環境を得て、大きく踏み出す、その第一歩が今なのだ。しばらく宮城の教育関係の論評から遠ざかっていた。そろそろ再開しなければならないのだが。
2010.11.19
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真新しい仙台二華中高の校舎のお隣に、静かに佇んでいる。推定樹齢千年の白樫だ。仙台の保存樹木(仙台市サイト説明)。栽松院は伊達政宗の祖母(久保姫)の位牌寺。お墓は根白石の白石城にある(仙台市サイト白石城跡 根白石 白石城と栽松院)。政宗を守り育て、政宗もまた深く敬愛した。昭和62年のあの大河ドラマでは誰が演じたのだろうか。調べてみたら、谷口香さんだったとのことだ。
2010.11.17
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ピンボケだが、荒町通り(旧奥州街道)からちょっと入った泰心院さんの山門だ。伊達の藩校養賢堂の正門を移築した。仙台市有形文化財(解説)。ところで、久々にこの辺りに来て驚いたのだが、仙台箪笥伝承館付近で荒町通りに交差する幅の広い道路を工事している。連坊小路から東北本線を跨いで(新幹線高架下を)つながってくるようだ。とすると、国道45号からここまでストンと南北の直結路ができるのだろう。この都市計画道路は、荒町通りを横切り更に南下して、舟丁橋まで届くようだ。そして、舟丁橋の辺りで、国道286号根岸交差点から広瀬川を渡って(宮沢橋に新橋を架ける)若林区役所やウルスラの南に既に出来ている幅の広い道路まで、ちょうど七郷堀沿いに東西に通るであろう街路と交差するのだ。(仙台市の都市計画インターネット情報が便利)仙台の街も変わるんだべな。
2010.11.16
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一番町の金港堂さんで、100周年記念のブックフェアをやっている。すばらしい企画で早速今月初めに足を運んだのだが、本を買ってカレンダーをもらった。もう年末なのかとビックリしたが、開いてみると仙台の地図になっていて、眺めていたらあることに気が付いた。七北田川の付近で、大字の上谷刈、野村、古内が、七北田川の流域沿いで複雑に絡み合っている。特に、上谷刈の飛び地が野村や古内の中に何か所も入り込んでいるのだ。大字別に色を分けているからハッキリわかる。今まで気が付かなかった。それにしても、随分と複雑だ。気になったので、最近泉区内に全戸配布したゼンリンの地図情報マガジンmi-ru-to(泉区)で確認した。この冊子は、さすがゼンリンだけあって、ベースとなる地図情報も非常によく出来ていて、地図好きには持ってこいだ。大字も色分けされているし、小字も点線でエリアを表示している。上谷刈は七北田川の以南だと漠然と思っていたが、例えば、野村小学校の南側に、野村に囲まれた形で飛び地で存在し、また、パークタウン入口交差点(古内大橋の北)周辺は、野村と上谷刈が実に複雑に入り組んでいる。総じて言えば、野村は七北田川の北岸だが、上谷刈が野村の中に虫食いで随所に入っているという感じだ。念のため、我が研究所の仙台地図ライブラリー(3つしかないのですが)の1991年版を開いてみる。大字の色分けはあるが、最新のmi-ru-toとは様相が違う。91年の地図が大字を精確に色分けしていないのかも知れないのだが、それだけではない。線引きがまったく異なる場所もあるのだ。例を上げると、北河原公園のあるエリアは、現在は上谷刈だが、91年の地図では野村としてカラーリングされている。また、加茂団地(町名表示は加茂2丁目)に隣接する北側は、長命橋を越えて七北田川の反対岸(野村小学校近く)までが、91年地図では古内とされているのだが、現在は、七北田川以南は上谷刈、さらには川の北側も上記のように野村小学校南に飛び地の上谷刈が存在する。こんな風に文章で書いても、わかりにくい。一体何でこんなに複雑になっているのか。また、ここ10年や20年で様相が変わるのか。考えられるのは、昔なら区域外の人のための神社や耕作地などだろうか。それにしても、近時複雑に変動するのはなぜか。研究課題とします。
2010.11.15
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仙台開府以来、まちを潤し産業を支えた七郷堀・六郷堀の起点、愛宕堰周辺を散策した。(県政だより11月号の表紙にも出ていたが。)広瀬川の越路側の河岸は、歩道が整備されているが、土樋側は切り立った崖の上に、鬱蒼とした森の雰囲気だ。愛宕橋のたもと、真福寺向かいの墓地脇を人ひとりがやっと通れる通路を進んでいくと、民家やアパートの中の路地につながる。しばらく歩いて、静寂の世界から一旦国道4号に出てしまったが、石垣町の信号のある交差点から再び広瀬川をめざして横丁に入る。すると、ほどなくして左手に変電所施設を見ながら、道は下りながら、広瀬川から別れてきたばかりの七郷堀を渡る小さな橋につながるのだ。橋を渡り、右方向に少しだけ歩くと、広瀬川本流から堀に流れ入る樋門の案内標識がある。ここは、本流と堀にはさまれた地点で、再び静寂の世界から、広瀬川を望んで急に空間が開けた感じだ。堀はここから、分岐しながらの城下を潤す水の旅に出て行くのだ。引き返して今度は七郷堀沿いに歩を進めていくと、急患センター付近で国道4号をクロスし、舟丁、南材木町、南染師町と続いていく。水の流れと歴史の流れを感じながらの散策だった。
2010.11.13
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収監されていたのではなく、矯正展を訪れてきました。チョイと散歩がてらに出かけてみたのですが、秋晴れの若林城は人の波で賑わっていました。出店や音楽などで、まさしくお祭りです。人気の刑務所の食事の試食コーナーに並んで、頂きました。実際のメニューの一部を味わう体験で、麦ご飯に漬け物、汁物という感じです。素朴ですが美味しいと思いました。我が子も完食。妻は、出店で食べ物や花をおみやげに買っていました。受刑者の作ったタンスやバッグなどの展示コーナーも人気。北海道や東北などの各刑務所毎のブースになっています。所内の見学コースもあったのですが、時間の関係もあり今回は断念しました。塀の中を見たことはないし、中に入る予定のも今のところないものですから、来年は見学ツアーに入って見たいと思います。■関連する過去の記事 宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日)
2010.11.06
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南町通りを歩いていて、あれこんな石碑があっただろうか。思わず写真を撮った。彫った感じが真新しいし、据え付けた歩道のブロックも新鮮だ。そしたら、翌日(4日)の朝刊に偶然その碑が写真で出ていたのでまた驚いた。10月28日に除幕式をしたという。一番町二丁目の仙建ビルの敷地だ。記事によると、かつて学院中高のあった一番町一丁目にも今年度中に碑を建てるという。明治19年(1886年)木町通と北六番丁の角に仙台神学校が誕生。明治24年(1891年)には南町通に面した当地に、赤煉瓦造り、方形5層の塔と円錐屋根のゴシック風の典雅な校舎が完成。名を東北学院と改称した。碑の台座に近い部分には、「地の塩・世の光」とあり、月浦利雄の名がある。戦後に中学校高校の校長をされた先生とのことだ。思い出したのだが、荒町通り(旧奥州街道)を散歩していて、この姓の表札のお宅に気づいたことがある。あまり多いお名前ではないと思うが、ゆかりの方の邸宅なのだろうか。■関連する過去の記事 東北学院大学の明日(08年3月3日)
2010.11.05
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仙台駅東口のロッテのビル(ロッテ商事東北支店、新寺一丁目)。休日で閉まっているが、小さいながらちゃんと出ていた。皆様のご声援をお願いします、と。今季のロッテは終盤の猛追はすばらしかった。勢いを駆って日本シリーズ進出。昨夜は惜しくも延長で敗れたが、パシフィックの意地を示してくれ。頑張れロッテ。
2010.11.04
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仙台の市街地のど真ん中。五橋交差点に接し、市立病院のあるブロックの東七番丁側にある。東北電力株式会社五ッ橋変電所(門のプレートの表記)。変電所とはいっても、でかいトランスがぼこぼこ見えているのではない。おそらく地下化している部分もあると思うが、地上部分はきれいにキューブ状に覆われていて、それ以外はすべて契約制駐車場にしているようだ。連絡先は太白区郡山と書かれているから、施設は無人で管理されているようだ。変電所を挟んだ東七番丁の東側には、仙台電気工事組合会館。また変電所から東七番丁の同じ西側を数軒南に歩くと福與電気株式会社。この一帯は昔から電気にゆかりがあるようだ。
2010.11.03
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台風近づく鉛色の空の下、仙台港夢メッセで開催のお茶の見本市を訪れた。何に連れて行かれるのかと疑心暗鬼の子ども達も、やがて様々の味の紅茶、ご当地の名産をアレンジした風味などに、多少は関心を持ったようだ。子ども達に一番ウケたのは、大麦からつくるイタリアのorzoで、実は私も何杯も飲んだ。豆乳のような優しい味で飲みやすい。カフェインもなく、食物繊維は十分というから、子ども達にも安心だ。これだけは買って帰った。商品には「オルヅォ」と表記されていたが、主催会社の登録商標かも知れない。普通名詞として表現するつもりで横文字で書いたが、「オルゾ」にしてもあまり日本では一般に知られていないように思う。イタリア通(?)の私も知らなかった。コーヒーが広まるよりずっと昔、古代から飲用されていたというが。
2010.10.31
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一応定職はあるのですが、たまにアルバイト雑誌を眺めて、こんな仕事をしてみたいと妄想することがあります。学生時代は、貧乏なこともあって、仕事は数十種類やりましたし。今回目に付いたのは、やはり飲食関係。学生時代の感覚でこの店で食べることができれば、の単なる延長なのが我ながら情けないのですが、やはり興味を持ってしまいます。1 半田屋 7時から22時 時給700円 食事補助2 きらら寿司 9時から翌2時(シフト制) 月給18~25万円 食事補助、海外研修制度(連絡先は「きらら寿司」とあるが、電話番号も半田屋と同一)2 びっくりドンキー(1) 24時間のうち実働8時間のシフト制 月給18万円から(2) 10時から翌2時 時給730円から(連絡先は半田屋)3 お好み焼きの千房 平日17時から23時 土日12時から23時 時給750円から900円 食事補助4 餃子の王将 実働8時間シフト制 月給18万円から 食事補助、海外研修制度有り(問い合わせ先は株式会社半田屋)結局は大衆食堂系に目がいくのでありました。
2010.10.30
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TBCのニュースでやっていた。21日午後11時半頃、青葉区本町3丁目勾当台公園東側の歩道で、帰宅途中の県職員男性が、2人組の男に棒のようなもので頭を殴られました。2人組は定期券などが入ったショルダーバッグを奪い県庁方面に逃走。男性は右手中指を骨折する重傷という。場所は県庁のド真ん前、公園と合同庁舎に挟まれた道路だろう。たしかに夜の11時代は人通りも少ない。おそらく公園側からヌーッと現れたのだろう。ところで、このニュースだが、仙台放送とKHBのサイトでも出ている。しかし、ビックリするのは、「22日午後11時35分頃...」となっていること。それは、今夜、しかも今から先の時刻なのだが。よりによって2局も一緒に間違うものだろうか。それにしても夜道の強盗犯とは怖い。警察本部の目の前でもあるのだが。
2010.10.22
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利府街道が4号バイパスと立体交差する山崎交差点の付近。やや仙台市内寄りにある小さな店舗です。富士宮やきそば。B-1の優勝と華々しく表現されています。店舗とのぼりには「やきそば」で、黄色い看板には「焼そば」とあります。気になって今月上旬に石巻で大々的に開催された「東北4大やきそばフェスティバルinいしのまき」のチラシを確認してみました。 石巻(茶色い)焼きそば 横手やきそば 黒石つゆやきそば なみえ焼そば表記もさまざま。少なくとも3通りはあるようだ。富士宮の場合は、オレンジののぼりがたぶん統一表記のように思われます。まあ、どうでも良いのですけれども。(画像は車運転中に撮ったのではありませんので。念のため。)■シリーズ仙台百景 以前の記事です。こんな企画で100枚まで続けるのが目標です。 ○フェンスのメッセージ(シリーズ仙台百景 30)(2010年2月28日) ○宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日) ○松森焔硝蔵跡(シリーズ仙台百景 28)(08年8月31日) ○十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)(07年10月23日) ○陸奥国分寺薬師堂(シリーズ仙台百景 26)(07年10月17日) ○県民の森 鶴ケ丘口(シリーズ仙台百景 25)(07年8月26日) ○一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) ○風の環(シリーズ仙台百景 23)(07年7月7日) ○冷やし中華の龍亭(シリーズ仙台百景 22)(07年6月29日) ○県民の森(シリーズ仙台百景 21)(07年4月8日) ○数字の練習ボード?(シリーズ仙台百景 20)(07年3月25日) ○半田屋一番町に進出!(シリーズ仙台百景 19)(07年3月1日) ○仙台百景画像散歩(その18 撮影成功!霊気のトンネル)(07年2月6日) ○仙台百景画像散歩(その17 変な漢字の看板)(07年1月28日) ○仙台百景画像散歩(その16 駅前東宝ビル)(07年1月13日) ○仙台百景画像散歩(その15 空から見た仙台)(06年12月29日) ○仙台百景画像散歩(その14 光のページェント)(06年12月13日) ○仙台百景画像散歩(その13 東京スター銀行)(06年11月30日) ○仙台百景画像散歩(その12 建設ラッシュ再来?)(06年11月10日) ○仙台百景画像散歩(その11 E721系電車)(06年7月25日) ○仙台百景画像散歩(その10 ワンコイン端末)(06年7月7日) ○仙台百景画像散歩(その9 ヤギさんの看板)(06年6月19日) ○仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) ○仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2010.10.17
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昔むかし、将軍様の前で南部、津軽、佐竹、伊達の殿様方がお国自慢をはじめた。南部公は、我が城の真西に見える岩手山は南部富士として美しく国のどこからでも見える山でござる、という。じょっぱりの津軽公は、津軽富士なる岩木山の頂上に立てばエゾまで見るから、南部富士は目の下という訳ですな、とヒゲをなでた。佐竹公は、津軽富士はエゾまでしか見えませぬ。我が出羽富士鳥海山はエゾばかりかオロシヤまでも見えますぞ。津軽公も江戸に来るときご覧になられたはずじゃ、と津軽公をたしなめる。だまって自慢話を聞いていた伊達政宗公は、笑いながら、我が国には伊達富士とよぶ大きな山はござらぬが、青葉城の真西に面白い形の山がござる。海のどこからでも見えるので漁船の目印となり、山の色やかかる雲の様子で農民の仕事運びの目当てになるそうじゃ。エゾやオロシヤは見えるが領民全部に親しまれ頼りにされているこの山が、伊達藩自慢の山でござる、と静かに話した。城下ではこの山を太白山と呼び、名取の人たちは名取富士、おどが森と名付けて、政宗公のやさしさを語り伝えた。また、昔むかし、おいでにオトワという娘が居た。ある晩外で用を足していると、地鳴りがして目の前の森がむっくりとおがって(盛り上がって)、ついにはトンガリ山になっていく。オトワが大声を上げるとピタリと止まった。これを聞いた人たちは、もしオトワに見られなかったら富士山よりも高い山になったべな、と悔しがり、オトアモリと呼んだ。そこから、オドガモリ(生出森)と呼ばれるようになった。この山の頂上には、ゴロゴロした岩石で、むかし大男が腰掛けたという大きな一枚岩がある。大男は、岩に腰を下ろして、右足を高館の吉田の田に入れ、手を太平洋に伸ばして魚介を取って食っていた。ときどき村に出てきて、百姓の仕事を助けたが、秋の忙しいときには何百人分の稲束を運んだそうだ。■せんだいむかしばなし編集委員会『せんだいむかしばなし』宝文堂、1989年 (小野和子さんの執筆部分から)
2010.10.09
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賃貸の情報誌を見ていたら、若林区の住環境の良いところに、それがあった。あんまり最近のマンションやアパート事情は知らないのだが、この物件は、4階建ての建物で区割りがメゾネットタイプ。1階が専用駐車場脇の玄関と洋間。2階はLDKで3階は洋間と和室と納戸。4階が洋間。面積は115m2というから、それこそ一戸建てに匹敵する。それにしても、4フロア連続のメゾネットとは、私が田舎者だからかも知れないが、存在を知らなかった。この記事には、ルームシェア相談、事務所相談、とある。たしかに、通常の住居として家族が使うには、不便な気がする。階段で適度に区切りをつけたルームシェアの利用は考えられる。また、1階と2階を事務所、というのも良かろう。ちなみに、家賃は11万円。
2010.10.01
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青葉区本町2丁目、錦町公園南側に、六叉路とでも言うべき道路が放射状に集結した地点がある。実は私はここで迷ったことがある。付近は専門学校、予備校、家具屋さんなどが建ち並ぶが、往来の激しい幹線道から立ち入った場所にあり、ゆるやかな傾斜もみられる。都心地でありながら静寂さえ感じるようなスポットだ。大仏前(おぼとけまえ)だ。昔は錦町公園(旧レジャーセンター)側にも町並みがあった。天和3年(1683年)、町奉行の下の同心衆が配置されたので、大仏前の一角を同心町といった。その名残で、この六叉路から北三番丁に抜ける道は、同心町通、大仏前の西には同心町仲丁の名があった。仲丁は、永山質屋のある道をさすようだ。大仏前の名は、藩主綱宗の信心で、現在の錦町公園にあった等覚院に延寿堂が立てられ大仏が安置された。その門前が同心町とは別に大仏前と呼ばれ、次第に町の名も大仏前に一本化された。現在は近くの満願寺に鎮座している。大仏堂が昭和まであったのだが、戦災で失われて、その後にレジャーセンターが建てられたのである。(参考:河北新報出版センター『忘れかけの街・仙台~昭和40年頃、そして今~』2005年)
2010.09.18
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城下町に多い屈折道路。穀町の南端もその典型で、南材木町から北上して来ると、カギ型に屈折して再び北に向かい穀町通りとなる。そばの三百人町に足軽を配置し、城下南端の貴重な防衛基地だった。穀町の名は、米穀売買の特権を得た穀物問屋が置かれたことに由来する。そして、西には船着き場として栄えた舟丁があった。七郷堀の水運を利用し、七郷周辺の米の取引で活気があった。穀町通りは国道4号が通るまでは幹線道路であった。北から、荒町、南鍛冶町、穀町、南材木町を通って河原町に抜けた。私は、穀町や舟丁には、若気の至りで一つの思い出がある。昭和60年代のことだ。仙台を出ることになった私は、向山のアパートに置いていた机を、新たに仙台に来た音楽仲間の後輩に譲ることにした。トラックなど持っているはずもない。早朝に歩いて運ぼう、と。半分冗談だったが、半分は自然に、それが実現してしまった。向山の狭いバス通りを、たぶん車道を歩いたと思うが、広瀬川はおそらく旧愛宕橋を渡っただろう。春まだ浅い4月の朝のことだ。腕がしびれるほど疲れたが、何とか運び込んだ。先輩には、本当にやったのか、と驚かれた。この後輩はほどなく仙台を離れ、今では本当に有名なプロの演奏家として活躍している。七郷堀の借家だった。机を運び込んだ後で、何やら将来を語り合ったのだろうか。20年以上も過ぎたから、立派にその将来を迎えてしまっている。彼も、私も、そして町にも、等しく時代が流れた。
2010.09.16
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仙台市民としてズバリ言えるか。私は自信がない。七ケ宿の7つの宿場、七ヶ浜の7つの浜、そして北九州市誕生の際の5市はスラスラ言えるのだが。恥ずかしいので調べて記します。■七郷(旧七郷村) 南小泉村、六丁目村、伊在村、蒲町村、荒井村、長喜城村、霞ノ目村、荒浜■六郷(旧六郷村) 二木村、沖野村、飯田村、日辺村、今泉村、種次村、井戸浜、藤塚浜それぞれ、浜の集落をカウントしていないことになるようだ。なお、旧七郷村は宮城郡、旧六郷村は名取郡に属していた。現在の南小泉中学校周辺は完全に市街地の一部だが、付近がかつて七郷村を構成していたとすると、七郷村は、現在の国道4号バイパスの内側を含み、城下から荒浜の海岸まで東西に長いエリアだったということになる。これに対して六郷村は、おおよそバイパスの東側なのだろう。ここで気になったのは広瀬川の南側の「飯田団地」。上飯田や下飯田などの六郷地区とは川を挟んでいるのに、なぜ「飯田団地」なのだろう。現在では、東郡山というのが町名のようだ。おそらく、広瀬川の流路が移動した関係だろう。20年ほど前の地図を見ると、若林区側の飯田とつながる形で河の両岸が「飯田」の大字となっている。太白区側の飯田団地が早期に造成されたためだろう。なお、地図では、飯田団地の近くには飯田保育所もある。ちなみに、現在の大字と中学校の学区は以下のとおり。旧村名の残る部分、また、六郷中、七郷中の学区となる部分を中心に拾った。■若林区 荒井(七郷中、蒲町中) 荒浜(七郷中) 飯田(七郷中) 伊在(七郷中、蒲町中) 井戸(六郷中) 今泉(六郷中) 沖野、沖野n丁目(沖野中) 卸町東n丁目(七郷中) 霞目、霞目n丁目(蒲町中) 蒲町(蒲町中、七郷中) 上飯田n丁目(沖野中、六郷中) 三本塚(六郷中) 下飯田(六郷中) 種次(六郷中) 長喜城(七郷中) 中倉n丁目(蒲町中) 日辺(六郷中) 藤塚(六郷中) 南小泉(蒲町中、七郷中) 南小泉n丁目(南小泉中) 六丁目(七郷中、蒲町中)■関連する過去の記事 仙台と競馬の歴史(2006年10月1日)(飯田団地と市営競馬)
2010.09.10
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昭和40年にはまだ清水沼なる沼が、実在した。沼を中心として、清水沼、清水沼上、清水沼中、清水沼北、清水沼南と地名が並んでいた。既に家はかなり建っていたが、昔ながらの湿地帯。掘ると水が湧き、澄んでいて質も良い。隣町には水を利用して、キリンビールや稲ノ花酒造も立地していた。住宅地であり、工場地帯でもあるのがこの周辺の特徴であった。藩政時代から大正初期まで、沼は清水を湛え、その昔は涼(すず)沼とも呼ばれていた。広さ1万5千m2あったとも記録されている。豊臣時代には、伊達政宗がほとりで軍容を整えたこともあったという。明治10年、西南の役で傷ついた半田長九郎が、帰って沼を整備。鴨が何百羽も浮かび、フナやエビがたくさんとれた。ほとりには料理屋も建って、沼の産物が食膳を飾り、酔客が舟を浮かべた。戦時中は兵隊のいこいの場。台原演習場への途中だったため、鉄砲を立てて水面を眺める兵隊がみられた。しかし、住宅が立つと汚水が流れ込みエビもフナも姿を消した。戦後は、すっかり沼はさびれた。昭和40年頃は埋め立てて公園にする工事が着々と進められた。数年後には清水沼公園となった。(以上は、河北新報出版センター『忘れかけの街・仙台~昭和40年頃、そして今~』2005年 から。)国道45号の安田病院の角から、緩い坂の道を降りて北に向かうと、梅田川までの地区が現在の町名で清水沼(1~3丁目)とされている。ここを通過してどこかに向かうと言うことはない。いってみれば連続する市街地の中でも、エアポケットのような一帯だ。実際、私はほとんど足を踏み入れたことがない。仙台に住んでいても、清水沼の名は知っていても、行ったことはないという人は、たぶん少なくはないと思う。ちょっと不思議な場所だ。
2010.09.08
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日本鉄道株式会社によって仙台まで鉄道が開通したのは1887年(明治20年)の年の瀬だ。はじめ、路線計画としては長町から直線コースで北上し、仙台駅は宮城野原の東北端を予定した。その頃、鉄道建設に当たっては各地で反対運動が起き、市街地も農地も拒まれた。しかし、仙台市の場合は、それと反対に、宮城野原では市街地から離れたことから町の発展に寄与しないとして、中央部の商店街から誘致運動が起こった。県知事を中心に誘致の声は高まり、工事費の補填のため寄附を募った。寄付者十傑の上位は、1 木村久兵衛 600円2 藤崎三郎助 550円3 角田林兵衛 350円4 大倉定七郎 350円5 佐々木重兵衛 300円6 小谷薬屋 300円など。(田村昭『仙台の珍談奇談』宝文堂、1984年)■関連する過去の記事 仙台駅の位置について(その6)(09年10月21日) 仙台駅の位置について(再び)(09年3月10日) 仙台駅の位置について(その4)(07年8月16日) 仙台駅の位置について・続々(06年7月15日) 仙台駅のはなし・続(06年7月11日) 仙台駅のはなし(06年7月10日)
2010.09.06
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仙台駅前の丸光デパート増床改築完成記念として設置されたものだ。ミュージックサイレンは、10音階のキーがある。100万円もする上に、1都市に1台と限定された。全国に25台しかなかったが、斬新なアイディアが好きだった丸光の創始者佐々木光男社長が東北で初めて導入。昭和28年10月21日の増床改築完成を記念して設置された。曲目には、仙台に相応しい「荒城の月」が選定された。12月11日の午前9時。吹鳴式に参席した岡崎市長と佐々木社長がスイッチを入れた。演奏は、午前9時、正午、午後5時の3回行われた。その後、午後3時と午後9時が追加されて、一日5回の「荒城の月」の演奏となった。さらに、警察から青少年の健全育成・非行防止に活用して欲しいとの要請を受けて、午後9時のミュージックサイレンは、帰宅を促す「この道」に替えられた。昭和62年7月15日の故障を契機にミュージックサイレンは取り外され、解体された。修理部品がなかったのが理由だそうだ。以上は、せんだいCM特捜隊(スタジオM77)『懐かしのせんだいCM大百科』(2007年)による。CDとセットの冊子だ。CD収録の音源は昭和43年のものだそうで、後半には仙台駅を出発するであろうSLの汽笛の音が入っている。若い日の私は、もちろん市内でも聴いたが、向山に住んでいて、夜9時になると何やら機械の起動音が立ち上がるのが聞こえ、次いで「この道」の吹鳴。曲が終わると、再び起動音が終息する。そんな記憶がある。市の中心部ならば、曲は聞こえても、雑踏に紛れて起動音は聞こえないだろう。駅前のネオンを望みながら、夜9時の空を響いてくる機械音がハッキリ聞こえたものだ。その時期とは、ミュージックサイレンの歴史からすれば、ほんの最後の一コマだった。昭和28年から仙台の街に時を知らせてきたのだから。
2010.09.05
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いつまで続くこの猛暑。9月3日にもなって、仙台は今年一番の暑さを記録。35.5度だ。名取市36度と塩竈市35.7度は、いずれも観測史上最高だという。すごいの一言だ。仙台管区気象台のリリースによると、仙台では、猛暑日と最低気温25度以上の、それぞれ最も遅い記録を更新した。従来の記録は、猛暑日(1961年以降)については1985年の9月1日で36.0度。また、今年の猛暑日数は2日となった。年間猛暑日数の第一位は、1990年の3日。また、真夏日は44日となり、1931年以降で年間日数は第一位である。ところで、仙台の最高気温の記録は、2007年8月15日の37.2度である。そうだ。山形市がついに日本一の座を明け渡した、あの暑い夏だ(同年8月16日のこと)。
2010.09.04
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明治15年(1882年)の宮城県のコレラの大流行は亘理郡荒浜から発生し、仙台で920人を超す患者を出し、410人が死亡した。医学が進歩していない当時は、各地で大混乱が起きた。村落の入口では不寝番を置いて通行者を尋問し、患者が発生した地域からの者は追い返した。小鶴の街道脇では、番所小屋に人が鳶口や刺股を持って構えていたため、通れない人は田んぼの中を迂回したという記録もある。死亡者は、人里離れた山中で火葬された。水の森4丁目のスケート場脇の火葬場では、267人が火葬され、叢塚(くさむらづか)が建てられた。コレラの流行は、明治11年、18年、28年にもあった。台原や薬師堂附近に急ごしらえの隔離病棟が建てられ患者は急いで収容されたが、流行が止むと建物は焼却処分された。明治28年の流行の際には榴ヶ岡と新寺小路の中間に避病院が建てられ、以後は法定伝染病患者の収容施設となって、長年にわたり伝染病防疫に役割を果たした。昭和55年に建物は撤去された。(以上、田村昭『仙台の珍談奇談』宝文堂、1984年 から)この避病院の位置だが、現在の仙台サンプラザの場所である。孝勝寺裏の伊達家の土地に病院が建設され、最初は仙台避病院と称したが、市立伝染病院と改め、さらに市立榴岡病院と改称して、昭和55年に仙台市立病院に統合される形で廃止されるまで、伝染病患者の収容施設として続いた。(当時の地図(せんだいメディアテーク))
2010.09.03
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大年寺山、愛宕山、宗禅寺、茂ヶ崎、二ッ沢の各横穴墓群の総称。南北約1.5kmの間に約百基の横穴墓が確認されており、造営は6世紀末頃から8世紀前半。これら一大墓域を形成したのは、政治経済活動をともにした集団と考えられ、郡山遺跡との関係が注目される。愛宕山の中腹から裾部付近の標高30メートル前後の崖面に愛宕山横穴古墳が築造されている。その一つ、愛宕山装飾横穴古墳は、昭和51年の都市計画街路工事中に偶然に発見された。現在では、宅地や道路の造成により地下に位置している。玄室、玄門、羨道部からなり、玄室立面形は両袖式家形宝形造で、アーチ形が一般的なほかの横穴とは構造を異にしている。玄室奥壁には、ベンガラの赤色顔料で装飾が施されている。被葬者と考えられる人骨4体分などが出土した。(以上、木村孝文『太白の散歩手帖』宝文堂、2001年 から)仙台市のサイトの説明(愛宕山横穴墓群、宗禅寺横穴墓群)に解説がある。
2010.08.31
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仙台市の6月議会で議員定数を60から55にする条例が可決された。来春の統一選挙から適用される。記名投票か無記名投票かで会派の意見が対立したが、無記名投票により、賛成31、反対24だった。また、共産党市議団を除く6会派の代表者から、政務調査費の領収書添付を現行の1万円超から1円以上にする条例改正案を提出し、これも賛成多数で可決。なお、共産は今年度から適用とした独自の条例改正案を提出し、否決された。共産党市議団の主張は、こういうことだろう。■議員定数を減らすだけが議会改革ではないはずだ。市民と議会のパイプは重要で60でも多いとは言えない。■デタラメな使途の政務調査費、海外視察制度、一日5千円の費用弁償などの問題こそ早急に改革すべき。共産党は改善を提案してきたのに、先送りされてきたでないか。よく市役所一家と称され、最近は河北新報が奥山市政1周年を機に、市民の視線重視ではなく市役所内の論理に埋没しそうでないかという論調で、市長のスタンスや仙台市政全般を批評している。市長や市役所だけではなく、市議会も「一家」だったと感じることが少なくない。もっと言えば、経済界も含めて、仙台全体が、大藩を気取りながら進取の風に欠け、足を引っ張りこそするが、皆で議論したり、改革や改善に立ち向かう雰囲気のうすい。明るさや開放性に欠け、何かよどんだ「一家」でないか。それが証左に、昨年の市長選挙もあれだけ前市長を批判しておきながら、多数会派は市役所出身の奥山擁立でまとまっていたのは、不思議と言えば不思議だ。国政も県政も、ねじれたり交替したりとダイナミックな中で、ひとり仙台市政だけは、結局市政与党の立場でいたいという市議会の本音が守られてきた、ぬるま湯市政でないか。共産党の姿勢は、明確で一貫している面もあるとは評しているが、ただ、言わせてもらえば、昨年の市長選挙の姿勢はどうだったのだろうか。定数問題について、上記の共産党市議団の主張は、たしかにそのとおりである。是正すべき調査費等こそ改革すべきで、数を減らせばいいというものではない。特に、少数会派にとっては深刻な問題でもあろう。私は、55が適正かどうかは結局有権者の判断に委ねるしかないと思うが、単にムードで減らすだけが改革だという一面的で一方的な見方は、たしかに戒めるべきだ。市民も、実はそれはわかっていると思う。あえて言えば、60人は要らないでしょうね、という感覚では無かろうか。極論だが、各区に1人や2人となると、市民もそこまでヨシとはしないだろう。そもそも、定数の面で考える市議会のあり方とはどんなものか。私は、市議会は、市民の意見をある程度多様に反映しつつ、議論と政治的妥協により合意を試みる場に本質があると思う。議会改革というと、首長と同格の二元代表制だとか、条例案の議員提案が大事だとか言うが、そんなことが本質ではない。首長のチェックと住民の意見の反映が、期待されている役割だ。そして、多様な住民の意見を反映しつつ政治的妥協をする場だから、一定のマスは必要だ。誤解を恐れずに言えば、議員個人や会派の条例提案が期待されているのではない。首長が2人いては困る。いったん信任された首長を市民の目でチェックし、政治的決定の市民の意見の合意形成を図ることが期待されている。議会の活発化という意味では条例提案も良かろうが、その程度だ。国会の役割とは本質的に違う。この辺が、地方議会の議員の立場から説かれる「議会改革」の問題点だ。(詳細はいずれ論じる機会があろう。)定数の話に戻るが、県議会などは、大都市部以外では1人区も多く、既に県議選の段階で少数意見を捨てていることになるが、仙台市のような大都市の場合は、地域による政治的意見の差は少ないから、多数代表の原則によって多様な代表者を選んだ上で、議会の場で議論と妥協をする方が良かろう。
2010.08.26
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今年の夏は史上最高の暑さを記録しそうだ。NHKニュース(24日)は、6月以降の仙台の真夏日数が35日で、統計を取りはじめた昭和6年以降、3か月間の真夏日数としては平成6年に並んで最多。河北新報(24日夕刊)では、年間を通じた真夏日の日数も、平成6年の40日、昭和36年の37日に次いで歴代3位だという。まさに記録的な猛暑。7月には連続真夏日の11日間という話題もあった。連続記録は、やはり平成6年の16日間だそうだ。平成6年というと、名取市の集中豪雨がまず思い出される。調べると、これは9月22日のことだった。このため、水であふれたイメージが私にとっては強いのだが、実はこの年の夏は異常渇水であった。7月から8月まで連続干天49日間を記録し、栗駒ダムが貯水ゼロになるなど、用水確保問題が生じた夏だった。ここ数日は、夜の湿度が高くて寝苦しいですね。皆さん、いずれ冬は必ず来ます。そう思って、乗り切りましょう。
2010.08.25
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