カテゴリ未分類 0
タイ・ラオス旅2020年8月 0
全17件 (17件中 1-17件目)
1
2013年3月21日木曜日 ー憎くき蚊めー ホーパケオ寺院 適当に歩いていて見つけた ホーパケオ寺院 ホーパケオ寺院 なかなか立派な寺です ホーパケオ寺院 迎賓館 歩行者用の信号は青にならない 車優先の信号 車の信号が青になったら 人も横断する でも すぐ横を車が通る 偶然見つけた店 お粥がめちゃくちゃうまい お粥を食べた店のメニュー ホットコーヒー4000キープ(48円) アイスコーヒー10000キープ(120円) ここのお粥は絶品でした 市場のすぐの店 市場を歩いていると楽しい 川魚を醗酵させてた物 焼いたり 煮たりする カオニャー(もち米を蒸した物)とこれらを おかずにして食べる 賑やかな通り 東京たいやき 売れているんですかね 晩飯 生春巻き これを注文するのに従業員に気を使いました 汁なし麺 甘めのたれを絡めて食べる おいしく食べました 店内もお客で混雑 持ち帰りも出来る 人気店のようだ 首都ビエンチャンでも停電は当たり前のようだ。ホテルで寝ている時に突然停電になる、暑いのも困るが、蚊に刺されるのも辛い。扇風機が回っている間は蚊も私の肌には止まれない。停電になるといつの間にか刺されている。まぁ、憎たらしいと言ったらありゃしない。刺されまいと、無理して暑いのを我慢して毛布に包まれば頭を刺される。蚊の好きな場所は足の踝から下、隠すと手を刺しに来る。指など刺されたら痒くて痒くてたまらない。手のひらを刺されると、頭にくるくらい痒い。皆さんも経験はありませんか、あの、痒さ。 蚊の次は、レラストランや食堂で注文するまで張り付いて離れない従業員の話。これも、勘弁してほしい。性格が優しく出来ている竹ちゃん、急いで注文してあげなければと焦って、よく考えないで注文してしまう事がある。注文してからよくよくメニューを見ると、あぁ、こっちを頼めばよかったと後悔する。日本の料理店でも色々と考えて注文するのに、知らない国ではなおさらだ。メニューには英語も併記されていて、知らない料理だと色々と想像するのだが、でもよく分からない。従業員は私の顔を見て早くしてよ!と冷たい目で見ている、はい、はい、分かりましたよ、ビールとこの料理と指さして注文完了。知らない国で当てずっぽうに頼むのもいい。どんな料理なのか、出てくるまで分からないのも面白い。もちろん、言葉が通じるのなら、最初にビールを注文して、料理は後で注文する、と言っておくのが一番だ。 明日はクアラルンプールに向かう。 2013年3月21日木曜日 ー明日はいよいよ帰国日ー エアアジアの航空券 スーパーのレジ用紙と同じだ ビエンチャン空港内 なんと 夢庵がラオスの空港にありました ざるそば 20000 キープ(240円) 思ったよりも高くない のり巻き お稲荷さん 240円 世界の夢庵です ギネスビール うまいね! クアラルンプールのホテルの近くの居酒屋 つまみはありません 私より5歳年上の67歳 言葉は分からないが なんとなく打解けた 漢方酒一杯(150円)ご馳走になる 焼きそば 上にポークが載っている 黄色い中華麺 見た目はしつこそうだが あっさりした味だった 今回宿泊する バックパッカーズ 以前 Oさんと部屋を見て設備も揃っていないので宿泊しなかったホテル 1350円の安ホテル 本日は、クアラルンプールで1泊して、明日は、いよいよ帰国の日だ。42日間は長いようで、あっという間に過ぎた。正直、もう少し旅を続けたい気持ちもあるが、どこかで、区切りをつけなければ永遠の旅人、寅さんになってしまう。 ちょうど帰る頃には、桜が見ごろのようで嬉しい。生まれが青森なので、雪深い季節が12月~3まで続いた後の、春はとても待ちどうしかった記憶がある。 雪の無い地方の方から見ると「だから何だ」というかも知れないが、 長い雪が続いて いる雪国の人々、私も小さいながらも春を待ちわびていた。 観桜会の日には、ご馳走を持って家族、親戚一同集って賑やかに、楽しく1日過ごすのだ。なんだか、昔の1コマ1コマが目に浮かんでくる。 明日、帰国する。3月22日は昨年ユーラシア大陸横断に出発した日だ。 2013年3月23日土曜日 ー無事帰国ー 「エアアジア」は14時45分定刻にクアラルンプールを飛立つ。飛行機は偏西風に乗り、羽田には45分早い22時15分の到着。これだったら、自宅到着は午前0時を回ることはないと微笑んだが、パスポートコントロールがすごい混雑で、入国スタンプをもらうのに50分かかった。中国からの帰国便が1時間遅れて、クアラルンプール便と一緒の時間なったのが原因のようだ。 それでも、自宅には午前0時30分に帰れた。 2013年3月25日月曜日 ー東南アジア6ヶ国の旅で使ったお金ー 「東南アジア6ヶ国の旅ー42日間」で使ったお金を計算した。 2013年2月9日~3月22日 航空券 63,005 円 交通費 27,520円 食事代 38,730円 ホテル代 39,720円 その他 10,445 円 合計 179,420円 計算上は、表のような数字だが、実際に持っていたお金とアジアの国で自分の口座から引落した金額の合計は190,000円。その差10,580円、1日当たりにすれば252円、おそらく食事の時に飲んだビール代と、町を歩いている時に飲んだコーヒー・ジュース代、それとコンビニで買った飲料水など が少なく計算されていたようだ。 旅費の半分近くを交通費(航空券・列車・バス)47%が占めている。今回は、航空券全てを『エアアジア』で手配した。もし、既存の航空会社で手配したならば、航空券代だけで17万円は下らなかったと思う。 62歳になるいい男が、ホテル代を値切り、さらにバイクタクシーの男と値段交渉で1ドル、2ドルを値切るなど、けち臭い旅をしたメモ書きを、今回も、たくさんの方にご覧いただきまして有難うございました。 次回は、『ブータンの旅』(4月15日~5月10日)をブログに掲載したいと考えていますが、ブータンもネパールもトレッキングスタイルの旅になるので、ブログを更新出来るか自信がありません。
2020.06.12
コメント(0)
ラオスのバスには亀裂が入っていて雨が車内に入ってくる 2013年3月17日日曜日 ー真っ赤な嘘だったー 朝6時 ホテルの5階の部屋からの眺め ベトナム国境のイミグレーション ラオス国境 手際の悪いラオスのイミグレーション 昼飯 ラオスの国境からすぐの食堂 テーブルの上にハエ取り紙 フエからサワナンケート行きバスチケット 竹ちゃんは20ドルで手配したが 270000ドン(約15ドル) ホテルは5ドル上乗せしていた ラオス国境近く まだ青いバナナ 夕食は立教大と国学院大の学生2名と一緒にラオビールを飲む 国学院大学2年生のO君と760円の部屋に泊まる 1人380円 今旅最安値 ただ寝るだけ 扇風機 ホットシャーは使える これで十分だ wifiの電波が弱く、苦労して更新する。上手く更新できないかも知れない。 サワンナケートまで6時間、午後の2時には着く、とホテルの男は言い切った。それは真っ赤な嘘だった。昨日、ホテルのフロントでサワンナケート行きのバスチケットを予約した。言い値は25ドル、2~3割りは手数料が上乗せされているのが普通だ。高いと言うと、22ドルになったが、まだ高いので町中の旅行会社で安いチケットを探すからと言うと、安いバスは冷房も効かない、時間もかかるので、内緒で20ドルにするから、誰にも言うな。そんなもんだろうと思い20ドルで了解した。それでも結果的には5ドル高かった。 朝7時出発のバスは、なんと、4時間遅い夜の6時少し過ぎてサワンナケートに到着する。休憩はあったものの11時間のバス移動だ。 今回もなんか知らないがやたらに疲れた。ベトナム出国も、ラオス入国も係官がまるでやる気がないものだから、時間ばっかりかかる。おまけに、団体客の添乗員がバスポートを40~50通を事務所の入り口から入り、係りの前にお金(賄賂)と一緒に置く、そうすると並んでいる外国人なんかは、全然無視して団体客のパスポートを処理するのだ。ベトナムもラオスもイミグレーションの係官は腐ている。いくら頭にきてもどうにもならない。 本日のホテルは、バスで一緒になった国学院大の学生O君と一緒の部屋に泊まる。一部屋60000キープ(760円)、一人当たり380円、今回の旅最安値のホテルだ。ちなみに、O君は25ドルでバスチケットを買わされていた。話すると悔しがっていたが、これも勉強だ。 2013年3月17日日曜日 ー寂れた町サワンナケートー 一部屋を二人で泊まれば宿泊代は二分の一 サワンナケートのバスステーション バスが発着する間は営業する食堂 朝飯を食べました 左が国学院生のO君 立教大のI君 トクトクに三人で乗る O君 カトリック教会 本日は日曜日 ミサが行われていた ラオスは仏教国 それでもカトリック信者はいる フランス植民地時代の建物 時代を感じます メコン川 対岸はタイ メコンの魚 塩焼き おいしそうだ メコン川側の屋台 ご飯を入れるかご 今回の旅も、シンさんに3回も【繭の里】で記事にして頂いた。有難うございました。 【繭の里】 2013年3月15日 (金) No1905 竹ちゃんの東南アジア旅行を追う(クリックして下さい) わが友竹ちゃんが、東南アジア6カ国旅行に旅立ったのが2月9日である。この欄でも何度か取り上げているが、今日ヴェトナムのフエに入るらしい。先日も仲間と話し合ったのだが、彼の旅行は、羨望とともにわが仲間内の格好の話題である。(つづく) 上の〔竹ちゃんの東南アジアを追う〕をクリックして下さい。上手くいかない場合は、【繭の里】アクセスしてご覧下さい。 サワンナケートは何もない町。サワンナケートは、ビエンチャンに次いで第2の都市、8万人くらいの小さな町だ。タイ-ラオス-ベトナムを結ぶ交通の要衝で、最近タイのムクダハンと友好橋が、日本のODAで建設され、陸路、タイと繋がったので、船で行き来する人はいなくなった。町一番の繁華街も寂れて昔の面影はない。 本日は、昨日知り合った学生2人と教会を見学して、メコン川を眺めたら、あとは見る所がない。それにしてもラオスは暑い、35度以上ある。 明日は、ビエンチャンに向かう。 2013年3月19日火曜日 ーバス車内に雨が降るー 写真が貼り付いていない。 ビエンチャン行きのバスは7時30分ジャストに出発。バスはサワンナケートの街中をゆっくり、ゆっくりと走行しながら客を拾っていく。1時間も走り、大きな町のバス発着所に到着すると、物売りがバス目掛けて駆けてくる。炭焼きした鶏、とうもろこし、飲物、お菓子、果物をバスの乗客に熱心に売り込む。 ここのバス発着所でバスは満席だ。席に座れない乗客はスチール椅子に座る。 9時少し過ぎに雨が降り出したので、急いで窓を閉める。これで、雨が車内に入り込むことはない。それは甘かった。雨が強くなり、私の座っている上から雨水が流れ出してきた。ここはアジア、運転手や助手に文句言ってもはじまらない。出来るだけ濡れない様に窓際から離れたが、亀裂の隙間からどんどん雨水が流れて来る。カーテンに雨水を吸わせて、出来るだけ濡れないように頑張ったが、窓際に近い右半分はずぶ濡れだ。もちろん私だけが被害をこうむったわけではない。でも、皆さん慣れているのか、濡れても平気なんだ。 30分もすると雨も上がり、再び陽が射し、生暖かい風で衣類はすぐに乾く。 このバスは、相当にオンボロだ。車内は汚く、色々な部品は壊れているし、窓の脇には亀裂が走ってる。スピードを出して走ると車体が震えて、全てのパーツがバラバラになりそうだ。道路も悪く、時々ジャンプして地面に叩きつけられた時には、腰もそうだが胃袋に響く。ビエンチャン到着時にはヘロヘロだ。 今回も11時間のバス移動。もう長距離バスには乗りたくない。 2013年3月19日火曜日 ー(新)バス車内に雨が降るー 昨日の写真を貼り付けた。 竹細工の店 右が国学院大O君 メコンに沈む夕日 三人で食べた夕食 右が立教大のI君 朝飯 サワンナケートからビエンチャン行きバス 相当古い ボロボロの車体 サワンナケートのバスチケット売り場 バスが停まると物売りが 駆け出してくる スチールの椅子 なんか のんびりしています 私が座った窓際 亀裂が走っている いつ外れてしまうか分からない 途中のバス発着所 薬になる木と葉 何の骨だか分かりません 薬になるんだと思う この亀裂から雨水が流れ出した もち米を蒸したもの 餅そっくり 味は甘い この椅子に10時間 ご苦労様です すれ違った故障したバス バス車内 満席状態でビエンチャンまで10時間 本日のホテル シングル40000キープ(480円) 夕食 メコンの魚を食べる 味は鯛そっくり 2013年3月20日水曜日 ービエンチャン市内を散策ー ベットがあるだけの部屋 トイレ シャワーは共同 1泊480円 ドミトリーよりはいい タートダム ドラえもん ビエンチャンでもで人気です てっちゃんねっと 日本が建てた パソコンを習う学校 パートゥーサイ パリの凱旋門をモデルに建てられた戦没者記念塔 パートゥーサイ内の天井 パートゥーサイ 私が見ただけでも10台以上ありまた ここ日本? 都バス バス発着所 ここからタイに行く国際バスもある 宿泊しているホテルの付近 ホテルの1階はBAR メコン川沿いの屋台 皆さん学生 一緒に夕日を眺めながらビールを飲む メコンに沈む夕日 写真はうまくありません 本当は実に綺麗なんです メコン川 今は乾季 水量が少ない 電灯に集る蛾 ビエンチャンは5回目の訪問。特に観光する所ろはないが、時間があるので、パトゥーサイ とワット・シーサケートに行ってみることにした。パトゥーサイはパリの凱旋門をモデルに建てられた戦没者記念塔。 ワト・シーサケート は、ビエンチャンの繁華街からからほんの少し行ったところにある寺院。 次にタラート・サオに行く。ビエンチャン最大のマーケットで、みやげ物、日用品、食料品、服飾、宝石、電化製品など、あらゆるものが所狭しと並べられている。場内をぶらぶら歩いて観ているだけでも、ビエンチャン市民の生活の一端が見えて楽しい所だ。 昨日もそうだが、ラオスの首都ビエンチャンにしても停電が2回ほどあった。今日は、21時45分から 22時50分まで停電。ブログ更新中だったが、wifiも停電のために繋がらない。それに、部屋の中は蒸し風呂状態で、暑くてどうしょうもなかった。 wifiの電波が弱く、昨日は写真が貼り付いていなかった。それに、wifiの速度が極端に遅いので、ブログ更新にえらく時間を使った。
2020.06.11
コメント(0)
アオザイの可愛い女性たちと記念撮影 旅をしていると一緒に写真を撮ってもいいですかとよく言われる そのついでに私のスマートフォンで一枚撮ってもらうのだ 2013年3月14日木曜日 ー涙が出そうな昼飯ー レンガに彫刻して、はめ込んだのではなく 建物を建てたあとに彫刻を施している ミーソン遺跡群 ミーソン遺跡群 雨風による風化が進んでいる ミーソン遺跡群 ミーソン遺跡群は遺跡公園として整備されている 8世紀ころに建設された建物 ミーソン遺跡群 建物を建てたあとに彫刻を施している 女性だけ男性のシンボルに触れた 子宝に恵まれると ガイドが説明 ツアー参加者 大爆笑 ミーソン遺跡群 建物の窓 ミーソン遺跡群 草に覆われている 自然の風化などで傷んでいる ミーソン遺跡群 爆撃で頭がない 左が英語ガイド まだ風化せず形がくっきりのこる彫られ たダンスをしている像 ダンスをしている像 腕が8本 足の指は数えられないくらい彫られている 不発弾を処理したもの これでは遺跡は壊れますよね ユネスコの基金で修復作業している ツアー代金に含まれていた昼食 涙が出るほどまずかった ご飯の上に申し訳なさそうに しなびた野菜が載っている 入場券 10万ドン(500円) ホテルの前に8時過ぎにミーソン行きのバスが来た。てっきり、ミーソン遺跡の入り口まで行って各人が勝手に見学するものだと思っていた。それがなんと、英語ガイド付きのツアーだった。45名ほど乗込んでいるが、日本人は私1人だ。言葉を心配したが、ベトナム人ガイドの英語は、はっきりとした発音でゆっくりと区切って話してくれるので私にも半分くらいは理解出来た。やれやれた゛。 帰りは船でホイアンに戻る。写真でも解ってもらえると思うが、全然食欲のわかない昼飯だった。はっきり言ってまずい、ご飯がまずい、おかずといえるのか疑問なしなびた野菜の炒め物、涙が出そうになる。それでも、我慢して半分は食べた。 この旅で初めてご飯を残す。 ★上手くミーソン遺跡について説明できないので、ガイドの説明とインターネットで調べた内容を作文した。 チャンパ王国の聖地ミーソン遺跡はユネスコの世界遺産に登録されている。ミーソンは2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部にかけて栄えたチャンパ王朝の建造物。ミーソン聖域は、4世紀後半に、シヴァ神を祀る堂を建てたことに始まる。レンガづくりの寺院・神殿はセメントンなどの接着剤は使わずに築かれた。レンガの塔が草むらのあちこち建っている。 文化的にはヒンドゥー教を主体に仏教や土着信仰が入り混ざった独特の文化をつくりあげた。ベトナム戦争で、ミーソンに多くの兵士が隠れたために、何回か爆撃を受け、貴重な建築群が所々崩壊した。それでも、貴重な建築や煉瓦に彫られた像がいまも多数現存している。 明日はフエに向かう。 2013年3月15日金曜日 ーバイクタクシーとの駆け引きー フランスパンサンドを買い 隣の豆乳屋で低い椅子に座り朝飯 ここの店には竹ゃんみたいな人しか来ません ホイアンからフエのバス 寝台バスだ 途中のバスステーション 身が厚いスルメ すぐ側は海 3人部屋 クーラー 扇風機 温水シャワー付だ 15ドルを12ドルに値切る 広いトイレ兼シャワー室 王宮 高さ6.6m 全長2.2キロメートルの城壁に囲まれ 外は濠がめぐらせれている 当時の大砲 王宮 王宮 黄色い屋根が太和殿 城壁 城壁と濠 遅い昼飯 海鮮麺 モヤシとパクチーをたくさん入れて食べる ホイアンからフエへ向かうバスは、青々とした稲が絨毯のような田圃の中を走り、峠を越え、海岸線沿いを走る。それを何回か繰り返して、4時間でフエに到着。ここでも、バイクタクシーの男がバスに群がる。 本日、バイクタクシーの男と大体次のような会話になった。 (バ:バイクタクシーの男 竹:竹ちゃん) バ: どこに行いく ホテルは 竹: 10ドルくらいのホテルをしっているか バ: もちろん知っている 問題ない 竹:- ホテルまでバイク代はいくら バ: 6万ドン(300円) 竹: 高い 、ホテルまで何キロある バ: ベリー遠い 竹: だから何キロあるんだ バ: 3キロ 竹: 2万ドンだ バ: それはないよ(そのような顔をする) 3万ドン 竹: あんた、俺を連れて行ったらホテルからキックバック貰えるんだろう バ: ん‥‥、 しょうがない 分かった 以上のような簡単なアジア英語で何とかなる。そして、ホテルに着いて、部屋を見せてもらい、値段交渉しなければならない事態になったら、バイクタクシーの男にここのホテルは10ドルと言われてつれて来られた。と言うと大体の場合安くしてもらえる。これは奥の手です。 2013年3月15日金曜日 ーグエン朝王宮ー 牛門 王宮の正門 黄色の瓦屋根 太和殿 重要な儀式が行われた アオザイの美女に囲まれて 王宮内部 太和殿 太和殿の中 見学している人の奥に皇帝の椅子がある 写真撮影禁止でした 椅子に近づいて撮影しようとしたら係りに注意された 王宮 王宮 王宮 楼内 王宮の中は広い 王宮 中庭 城壁と濠 王宮 東南門 ベトナム戦争当時の戦車などが野原に展示されている 東南門 フォン川ほとりの喫茶店 とても涼しかった フォン川 川幅250メートルはある これは問題ですよ 昼休みに 小学生相手にお菓子なんか売っている 学校では注意しないんですかね 市場 魚売りの女性 牛門をくぐり、王宮内に入る。王宮の周りは4つの川が取り囲んで自然の濠となっている。城郭は6.6メートルの高さ、全長 2.2キロメートルの城壁に囲まれている。1802年にグエン朝のザーロン帝がベトナム全土を統一し、フエを首都として、城郭都市の建設に着手した。ザーロン帝がベトナムを統一したのはフランスの援助も小さくなかった。その影響もあり城郭の構造はヨーロッパの築城方法を採用している。さらに、古くから中国に脅かされてきた事実があり、中国文化を受け入れることで独立を守ってきた。太和殿は、中国清の紫禁城をまねて規模は大きくないが建築された。第2代のミンマン帝の時代には「紫禁城」と改名されている。1933年に世界遺産に登録された。 王宮内のほとんどの建物がベトナム戦争中の1968年に破壊されて、牛門、太和殿などを残すのみとなった。今現在、少しずつ修復作業が進んでいる。 見学した感想は、全体としてほとんどが中国、中国風だった。 明日は、ラオスのサワンナケートに移動する。
2020.06.10
コメント(0)
16世紀に築かれた来遠橋(日本橋) 2013年3月12日火曜日 ー世界遺産の街ホイアンー 朝6時35分 コーヒーを飲む 朝が早いので客は少ない 低い木の椅子 私は何時間も座れません ケツが痛くなる ホイアン行きバス ローカルバスだ 天秤棒をかついで野菜を売り歩く女性も乗っている バイクも運びます ホイアンに着いて 朝飯 名前はわかりません 昔の家がそのまま残っている ホイアンと海を結ぶトゥボン川 ホイアン旧市街 日本橋に祀られる犬 の神様 雷神が祭られている 航海の安全を祈願した 16世紀に築かれた来遠橋(日本橋) 日本人街と中国人街を結ぶ橋だった ホイアンの旧家 中国様式のお寺 昔の町並み 日本橋は屋根は中国風 中は木造 橋の中央 雷神が祀られている 遠い異国から来た人達から 来遠橋として親しまれた 川の右側に日本人が住んでいた 廣肇会館 華僑の集会所 廣肇会館の内庭 中国商人の家 朝7時のホイアン行きのローカルバスに乗込む。ツーリストバスと違ってローカル色豊かなバスだ。これから、天秤棒をかついで売り歩く女性が乗っていたり、バイクも堂々と乗っかっている。何回か停車する、すると人間も乗り降りするのだが、荷物も大量に積み込まれる。外の景色もそうだが、次々にバスの中が変わるので飽きることがない。 ホイアン市内から離れたバス停で降ろされる。早速来ましたね、バスめがけてバイクタクシーの男達が群がる。その1人に10ドル程度のホテルを知っているか聞くと、ノープログラムというのでついて行く。1軒目は20ドルなのでパス、次のホテルを15ドルから13ドルに値切って2泊することにする。 ホテルの受付で次のように予約した。明日のミーソン遺跡までの往復交通費14ドル、14日のフエまでのバス代12ドル、ホテル代26ドルを足すと、合計で52ドルなのに46ドルだというので、そのまま払った。私は小心者に出来ているのだろうか、受付を通るたびに何かいわれはしないかと、ドキドキだ。 ホイアンはかつて国際的な貿易港として栄えた。17世紀には日本の貿易商も行き来して、日本人街がつくられた。ホイアンは歴史的建造物が立ち並び、1999年に街並み自体が世界遺産に登録された。 日本人街と川を隔てた中国人街との間に、流通と友好のために日本の商人が橋を架けたのが日本橋だ。17世紀といえば、徳川幕府の頃ですよね。そんな頃に、ベトナムに日本人街が‥、なかなか想像できませんね。 2013年3月13日水曜日 ー世界遺産の街ホイアンー 18世紀ころの 中国商人の家 中国商人の家内部の祭壇 重厚な建物内部 中国商人の家 喫茶店になっている 歴史を感じさせるタイルが敷き詰められている ホイアンの街並み バナナを売っている女性 福建会館 福建会館 福建会館 福建会館 福建会館内部 祭壇が安置されている クアン・コン寺の龍をモチーフにした扉 クアン・コン寺 ホイアン市場の屋根を修復している ホイアンの市場 トゥボン川 ホテルの隣の居酒屋 私もビール1本飲みました 昼飯 鶏のスープで炊いたご飯に チキンとポークに野菜がたくさんのっている 旅もあと10日間になった。計画では、ビエンチャンからバンコクに出て列車かバスでクアラルンプールに南下する予定だったが、時間が足りないので、『エアアジア』でビエンチャン⇒クアラルンプールの航空券を3月21日で予約した。 今後の予定は、14日・15日はフエ、16日・17日 はラオスのサバナケット、18~ 20日はビエンチャン、21日はビエンチャン⇒クアラルンプール、22日クアラルンプ ール⇒羽田、42日間の旅は終わる。 2013年3月13日水曜日 ー夜の古都ホイアンー 夜の散歩がてら、ホイアンの旧市街に行ってみた。三脚も何もないので上手く写っていないが、少しでもホイアンの夜の町の様子をつかんでもらえたら有難い。写真説明は全部はしていません。 2泊するホテル 左隣が居酒屋 日本橋 昔からの漢方屋さん 夜の街の様子 あまりきれいでない店だがが 麺はおいしい 麺は稲庭風 腰がありおいしく食べました スープもあっさり味 私好みでした 4.2%のビール 2本飲んでも あまり酔いません
2020.06.09
コメント(0)
2013年3月11日月曜日 ー自分の汗臭さにむせるー 15時間が2時間遅れて 17時間かけてやっとダナンに到着 疲れました 朝飯 途中の駅で買った もち米を蒸している 赤飯みたいでとてもおいしい 朝10時に食堂車でビールを飲む 隣のおじさんにご馳走になりました 朝ごはんの車内販売 エプロンしている女性に 写真を撮るなと怒られる ダナン駅 昼飯 小魚の佃煮とビーフの佃煮風 ベトナムで初めて飲むビールです ダナンのビール あとでわかった とりあえず洗濯 自分でも汗臭いのがわかるので 全部洗濯する クーラーに扇風機 冷蔵庫付き もちろん暖かいシャワーも使える 部屋も掃除が行き届いている こぎれいなトイレ兼シャワー室 熟睡することなく朝を向かえる。列車は田圃の中をただひた走る。昨日から列車は2時間に3回の割合で途中駅に停車する。停車する町はそれなりに大きな町だ。乗り降りする人は誰もが大きな荷物を抱えている。なんだか、この列車は、昔の上野と青森を結ぶ急行列車に似ていると、ふっと思った。なんか懐かしい匂いがした‥。 近くにいる74歳のおじさんに、ビールは好きかと聞かれるので、大好きですと答えたら、一緒に食堂車に行こうと誘われる。おじさんは流暢な英語を話す。日本はすばらしい国だ、国民は皆頭がいい、と褒めてもらい、さらにビール代までは払ってもらう。 ダナンの町は皆目見当がつかない。駅前にたむろしているバイクタクシーに20万ドン(950円)くらいのホテルに案内できるか聞くと、大丈夫だというのでついて行く。当たりもあれば外れもあるのが普通だが、玄関を見ただけで当たりと直感する。部屋を見せてもらい、料金を聞くと25万ドン(1250円)だ。2泊するので40万ドンにして、というと22万ドン(1050円)にしてくれる。設備もそれなりで快適なホテルに宿泊できる。 朝、列車のトイレに行って手を洗いズボンからハンカチを出したら、汗臭いのでむせた。よく考えたら2日間洗わずに使っていた。シャワーを浴びながら半ズボンからバック、パンツ、靴下、半袖シャツと全て足で踏んで洗濯する。 2013年3月12日火曜日 ーベトナム風居酒屋ー ハン・マーケット 豆腐 厚揚げが売られている ハン・マーケット内部 コーヒーを飲む 氷と濃い目のコーヒー 35円ほど なんとも 涼しげな樹木ではありませんか ハン川 左が建設中の建物 ダナンも建築ラッシュのようだ 街のフォーの店 ダナン大聖堂 ピンクのダナン大聖堂 イワシの煮付け 厚揚げとポークの煮付け これで100円だ 昼飯を食べた店 ベトナムの居酒屋 こんな感じで飲んでいます ツマミはタニシとパイナップル パイナップルはビールにとてもよくあう こんな酒屋大好きです タニシの差し入れがあった ビールにパイナップルは抜群にうまい トイレ 用を足すと水が流れる 水洗トイレだ 地元の人だけが飲む店 どこの国にも居酒屋はあります 東南アジアの町を歩いていると「おはよう、バイク」、「こんにちは、バイク」と頻繁にバイクタクシーの男に声掛けられる。中には、後ろからバイクで近づき「バイク」と一言いうやつもいる。うるさくて街も歩けない。 ホテルから2、3分歩けば街一番の「ハン・マーケット」だ。ホーチミンのベンタイン市場に比べると規模は大きくない。それでも、日用品は何でも揃っているようだ。当然、街の台所だけあって鮮魚に新鮮な野菜がたくさん並べられている。 川幅の広い「ハン川」にぶつかる。 ハン川と並行に走る通り沿いには、高級ホテルや、外人さんが好みそうなレストラン、カフェが 並ぶ。 遠くにピンク色が美しい教会が見えてくる。街の中に忽然と現れる感じで、街と の違和感が感じられない訳でもないが、なんか新鮮な感覚だ。あとで調べると「ダナン大聖堂」でフランス植民地時代の1923年に建てられたカトリック教会だった。 夜は、昨日顔を出したベトナム風居酒屋に行く。1人の男に日本のコインがあったら譲ってくれと頼まれていた。5円と10円をあげたら、ピンポン玉くらいのタニシを差し入れされる。ここはベトナム人オンリーの店で外国人は入ってこないので、皆さんに注目される。1人のバイクタクシーの男が、お互い片言の英語だが、私が話した内容を周りの人に聞かせると、皆さん私の顔を見てなんか解らないがニコニコしてくれる。たわいもない話に大笑いしながら飲む酒は、実に愉快で楽しいね。 明日はホイアンに向かう。
2020.06.08
コメント(0)
カエルがきれいに皮をはがされて売られている なんだか、筋肉マンみたいだ 2013年3月8日金曜日 ーホーチミンに到着ー 肉まん 朝飯です バス 河を渡る 渡し舟の中で虫の佃煮を売っていました 何人か買い求めていました 間抜けな顔していますが 虫を食べているところです 虫売りのおばさんに味見させてもらいました ベトナムの国境 バスを降りて手続きする ホーチミン市内 バイクが多い ベンタイン市場 ここは観光客が多いので商品は高い ベンタイン市場の周り 私の行きつけの店です なす焼き イカのトマト煮 モツ刺し ご飯 スープ なかなかの繁盛店で何を食べてもおいしい ベトナムの333ビール 食べたいものを指さすだけでOK その数30種類以上のおかずがある いつも込み合っている ベンタイン市場前 バスは2時間近く走るとフェリーに乗込む。たかだか7分足らずの乗船だが、物 売りがたくさんいる。頭に虫の佃煮が入ったかごを載せた女性がいる。珍しいので写真を撮らせてもらった。私に買わないかといっているが、首を横に振る。そうするとつまんでみろというので蜂を食べた。さらに、写真では解りにくいと思うがイナゴを食べた。味は両方とも油で炒って醤油?、砂糖などで味付けしているようだ。日本でも伊那谷地方などでお土産に売っているものとほとんど同じだね。 ホーチミンの安宿が集まるファングーラオ通りにやって来た。世界のバックパッカーが集まるだけあって、小洒落たレストランや旅行会社が狭い地域に集中している。本日の宿は、1階が旅行会社で2階から上が客室になっているホテルに宿泊する。早速、ダナンまでの交通手段を旅行会社に聞いた。一番早いのは飛行機で1時間と少し、次に鉄道で15時間、バスは28時間もかかるようだ。バスに28時間、考えただけでうんざりだ。飛行機は値段が高いので鉄道で行くことにする。9日の21時出発の切符を手配した。 晩飯はホーチミンに来たら必ず顔を出す食堂に行く。作り置きのおかずが30種類以上が並んでいる。どれもおいしそうなので、選ぶのに迷ってしまう。地元の家族がバイクで食べに来るだけあって、どの料理も当たり外れがない。それに安いのだ。 写真の料理とビール2本飲んで540円だ。旅は私にとってダイエットになるのだが、マレーシアからベトナムまで何を食べてもおいしく、体重は少し増えているかもしれない。 2013年3月9日土曜日 ー道路を渡るのは命がけー ホーチミン像 後ろが人民委員会 サイゴン教会 サイゴン教会内部 中央郵便局 サイゴン教会 中央郵便局内部 上に同じ 市民劇場前で 皆さん卒業証書?を手に持っている サイゴン川 ホテル・マ ジャステック ベトナム戦争の取材で開高健が泊まったホテル ドンコイ通り 高級店が並ぶ 切り絵 すごく細かい模様です ドンコイ通りの オメガ専門店 日本円で17~35万円の値札が付いていました本物なんでしょうね? 市民劇場 ATMはたくさん見かけます 町の両替屋よりも自分のお金を引き出すほうが断然お得です 昼飯 ベンタイン市場で フォーを食べたお店のお母さん 信号がない所を 勇気を出して渡ります ゆっくり、ゆっくり渡ります 東南アジアの道路を渡るのは命がけです デタム通りの目印のBAR バッファローが目立ちます 30年くらいも前になるが、バンコクで東京行きのバングラデッシュ航空の1年オープンチケットを買ったことがある。メリットは、たしか12000バーツ(35000円)と格安だったのと、バンコクから成田に行き、半券は成田からバンコクに戻るチケットで、1年以内ならいつでも予約さいすればOKなのだ。日本はGWや夏休み、年末の航空券は馬鹿高くなるが、バンコク発券の航空券は繁忙期、閑散期に左右されないので、格安だった。随分とお世話になったが、成田空港の使用料金が高いのかどうかわからないが、バングラデッシュ航空は日本に乗り入れしなくなった。 次に利用したのがベトナム航空で、バンコク⇔成田間は行きも帰りもホーチミンで乗り継いだ。でも、東京からバンコクに行く時に、ホーチミンでストップオーバー(ホーチミンで何泊かする)出来るおまけがあった。そう言う訳でホーチミンには7回以上訪問している。市内の主だった所だったら地図なしで歩けるほどだ。 オメガの話で、私の聞き間違いがあったようだ。プノンペンの市場でオメガをメイ ドイン・カンボジア、と聞いたらうんと答えたのでそう思っていたが、ベンタイン市場でロレックスを見て、どこで作った時計か聞くと、中国がほとんどで韓国からも20%くらい入っているとの話だ。中国の偽時計をスーパーコピーといっていた。ロレックスは80ドル、韓国物は50ドルの定価だ。カンボジアで買ったオメガも中国か韓国の物だろう。カンボジア人は、そんな悪いことはしませんよね。でも、解って偽物を売ているんだから同じか。 東南アジアで車やバイクが引切りなしに行き来している道路を横断するのには勇気がいる。車もバイクも遠慮なく飛ばしてくる合間合間をぬって、ゆっくり、ゆっくりと 進んでいく。けして引き返さない、走らない、止まらないのがコツだ。 それでも前後10~20cmのところをビュンビュンとバイクや車が走り抜けて行く時なんかは、生きた心地がしない。まさに命がけですよ。 昨日、地球の歩き方「東南アジア」をなくした。ブックオフで105円で買った97~99年版で、内容は別として町の地図が必要だった。ラオスの町の地図は大体頭にあるが、ダナン・ホイアン・フエは団体旅行で1回行ったきりで、町の地図は全然わからない。 明日は夜行列車でダナンに向かう。 2013年3月11日月曜日 ーその態度が気に入らないー 朝飯 フランスパンにハムやポークにたくさんの野菜が挟まっている ホテルから近い町中の市場 カエル 上のカエルがきれいに皮をはがされました なんだか、筋肉マンみたいだ 今回2泊したホテル 1階は旅行会社 2階から上がホテルになっている チョロン市場 ベンタンイ市場よりも庶民的な市場 値段も2~3割安いようだ チョロン市場内 たくさんの店が商いしている 帽子専門街 女性に人気のスイーツ 挑戦してみました 缶詰のミックス果物とかち割り氷 これからの夏にお勧め 簡単に作れる 子供には絶対に喜ばれると思う 夏の飲み物 食べ物にいいと思います どうですかこの積載オーバーのバイク 発泡スチロールの弁当箱 晩飯 イカのカレー 魚の煮付け アオザイの女性が改札している むさ苦しい男よりよっぽど気が利いている ホーチミンからハノイ行き夜行列車 遅い朝飯を食べて、気ままに歩いていると小さな市に出くわす。きれいに皮をはがされたカエルが行儀よく並んでいる。なんか、人間の筋肉マンに見えませんか。でも、から揚げは鶏肉よりもサッパリしておいしんです。なかなか見る機会がありませんので、カメラを構えてしまいました。 一旦ホテルに戻り、チェックアウトして、チョロン市場に行く。観光客がたくさん訪 れるベンタイン市場より、庶民的で値段も2割程度安いと思う。ただ、観光客がお土産にする品物は少ない。私は昨年の暮れ、剣先するめの大きいやつを10枚買い求めた。身が厚くてやわらかく、正月の酒のつまみに最高でした。 深夜列車に乗り込むためにホームを歩いていると、女性車掌に声かけられ、切符を見せろというので、渡すと見たとたんに「寝台の客じゃない」、「座席指定の客か」、「この貧乏人」が、という態度で犬でも追い払うように、あっち、あっちと指示される。外人さんは全員が寝台とは限らないでしょう、その態度が気に入らないね、頭にきたね、120%頭にきた,。お前は中国人か!と毒づいてやった。まぁ日本語ですが。さらに、暗がりでにらんでやったが全然効き目なしだ。
2020.06.07
コメント(0)
トゥール・スレーン博物館 拷問され殺された人たちの頭蓋骨 2013年3月5日火曜日 ーアジア旅は何でもありー ドライブインで昼飯 鶏とキノコのスープ 酸味が利いて食欲をそそう ドライブインでは外人さんは食事しません 衛生的なことだと思う シェムリアップからプノンペン行きバス なかなか快適な6時間のドライブだった 冷房送風口 ビニールで塞いでしまいました プノンペン セントラルマーケット ルビーなどの宝石を扱う店がたくさん並んでいる これが宝石なのかただのガラスなのか全然わかりません ただの石にしか見えません マーケットの周りは野菜や果物、魚を売っている 市場があれば必ず屋台があり 安く食べられます セントラルマーケットはプノンペン市街の中心にある 生ビール 注文したらビッチャーで出てくる 大瓶2.5本分ある だんだん生ぬるくなるので氷を入れて飲む 海鮮サラダ イカ、エビ、小魚など ヌクマム(魚醤油)で和えた一品 ビヤホール 会社帰りのサラリーマンなのか 何組も楽しそうに飲んでいます 朝7時30分発のプノンペン行きバスは定刻に出発する。バスの中は朝からギンギンに冷やされている。冷房の 吹き出し口が壊れているので冷風を止める事が出来ない。しばらく我慢したが、寒い、寒気がする。羽織るものも持っていない、このまま我慢するか‥、どうするか、竹ちゃん考えました送風口を塞いでしまえばいいと、さて何で塞ぐか、バックの中を探すとビニール袋があった。早速塞いでみる、見事に冷風をシャットアウトだ。隣の外人さんニヤリ、右手で左腕をさすりながら、「グッドアイダィア」と親指を立てる。外人さんも我慢していたんだね。それだったら外人さん、あんたもなんか考えてよ‥、と思ったがまぁいいか。 東南アジアの旅は、その場その場に合わせて臨機応変に対応するしかないんですね。我慢していたら損ですよ、送風口が壊れても相手が悪いんですから。アジア旅は何でもありです。 2013年3月6日水曜日 ー狂気の沙汰とは思えないー 何もない部屋 尋問室だ!拷問室! 拷問に使われた器具などもそのまま残っている 一棟の全教室におびただしい数の犠牲者の写真 犠牲になった人の頭蓋骨の写真 言葉もありません 教室を独房に改造 畳半分しかない ここで鎖につながれ監禁された 教室を各独房に区切った ケースに頭蓋骨 左の絵は当時 どの様に拷問したかわかる このような絵がたくさん展示されている 東南アジアはどこも車が歩道に乗り上げている 人は車道を歩くことになる 氷いっぱいのアイスコーヒー 飲み終わったら 左のお茶を入れて飲む シジミの塩漬け 一つつまんでみました シジミの醤油漬けと同じです ただ、この炎天下ですから‥ 巨大クモの佃煮 下にも色々な昆虫の佃煮 コオロギ(バッタ)の佃煮 セントラル・マーケット内の屋台 缶ビールと麺(春雨) 2ドル 昨日はシングル部屋の空きがなく15ドルの部屋に泊まった 本日はシングルに移る 鍵を渡された 23にしか見えない 23の部屋は鍵がかかっていないので、あけると 中にカップルが寝ているではありませんか アイ・アム・ソーリー それにしても無用心ですね 鍵は28でした。 トゥール・スレーン博物館は市街地のど真ん中にある。前は学校だった建物をポル・ポト政権は監獄として使った。 過去の残る監獄は、写真が無言で語り、あまりにも悲惨すぎて多くを語ることは、私には出来ない。 30数年前、日本はバブル経済によって絶頂期を迎えようとしている頃に、我々の知らない世界で公然と行われていた悲惨な事実なんだ。独裁社会の恐ろしさ、悲惨さ‥、人間はこんなにも残酷になれるものなのか? 恐ろしい! 人々は全て残虐な方法で殺されていった。その数約2万人、子供も2千人含まれているそうだ。狂気の沙汰とは思えない。 2013年3月7日木曜日 ーオメガを買うー 町の両替屋 隣国のお金は大体両替できる 9時のセントラルマーケット 右の警備員は新聞を読んでいますね 宝石と時計を売ってる メイドインカンボジアのオメガ 40ドルを18ドルで買った 金属ベルトを詰めてもらっているところ ワット・プノン寺院 ワット・プノン寺院 ライオン・トラの口に豚肉を食べさせている 参道入り口には頭が七つの蛇 トンレサップ川 左奥にカンボジア日本友好橋 トンレサップ川を見下ろせるレストランで一休み 18ドルのオメガ トクトク 後ろに「白い恋人」の看板 寺院 名前? 王宮 本日は休み 国立博物館入り口 カメラは持ち込み禁止 路上で蜂蜜を売っていた ソリア・ショッピングセンターのなか ここのショッピングセンターでもメイドインカンボジアの腕時計を売っていた ロレックスで50ドル 値切れば半額で買えると思う ショッピングセンターの中の食堂 ワット・プノン寺院に行く途中セントラル・マーケットに立ち寄った。やはり、警備員は緊張感がない。新聞を読んでいたりお茶を飲んで世間話に花を咲かせいている。それでも、警備員がいるのだからそれなりの宝石類なんだろうか‥。 ケースを覗くとロレックスやオメガが目に留まる、オメガは40ドルと言っている。 別に買うつもりもなかったので、15ドルと言ったら20ドルになった。15ドルでは1ド ルも儲けがないので18ドルがラストプライスと言っている。なんだか分からないうちに、結局18ドルで買う羽目になった。見た目は本物だ、よく出来ている。 ソリア・ショッピングセンターの腕時計売り場で、同じようなロレックスが50ドルで 売っている。結構まっとうなショッピングセンターでも堂々とメイドインカンボジア のロレックスやオメガが売られている。 話は変わる、昨年末にホーチミンに行って聞いた話だが、グッチやルイヴィトンを扱う専門店が偽物を扱って摘発されたそうだ。皆さんも専門店だからといって騙されないようにしましょうね。海外、特に東南アジアで有名ブランド商品が安いとばかりに買いあさる人がいますが‥、一番は買わないことです。私は有名ブランド商品にはまったく興味がありませんので、騙される心配はありません。今回みたいに偽物だとわかって買うことはありますが。 着る物でもブランド商品は私には必要ない。東南アジアを旅するのなら、ユニク ロの汗速乾性に優れた素材のシャツが最適だと思うんですが、値段も安価なのがいい。ユニクロ専属のモデルに雇ってくれませんかね‥。 7日はホーチミンに向かう。
2020.06.05
コメント(0)
アンコールワット 2013年3月3日日曜日 ー当てが外れるー シェムリアップの繁華街 路上に作り置き料理がある 指さしすれば食べられます 不衛生といったら何も食べられません 朝飯兼昼飯 麺はインスタントだ でも、スープがおいしい 市場 お土産がたくさん並んでいます 川の魚、貝 少し海の魚も売られている 皆さん真剣な目で魚を選んで買っています ちくわ、はんぺん、練り物を揚げた物、さつま揚げにそっくりです 果物屋さん 女性に人気のスイーツ 香料屋さん 腸づめにしているハム 薄く切ってフライパンで炒るとビールのつまみに最高です バイクタクシー カンボジアの生ビール ピーマンとポーク炒め ひき肉のオムレツ風 生ビール3本 合計380円 ひき肉と色々な野菜が炒めてあります ポークとピーマン炒め 街を歩くときの目印にしました タイのバンコクセンターで、wifiに1日繋げると535バーツ(1650円)もする。馬鹿馬鹿しいのでブログを更新しなかった。 今日は、夕方の4時過ぎからアンコール遺跡に出かけるつもりだ。なぜなら、16時30分以降は無料で入場出来るとの情報をキャッチしたからだ。 朝はゆっくり起きて、ブログを更新して、遅い朝飯兼昼飯に出かける。 外は35度以上ありそうで、太陽の陽射しが肌を刺す。とても長時間歩いていられない。ホテルのフロントに16時にバイクタクシーを予約して昼寝する。 16時少し前に玄関に行くとバイクタクシーが待っている。5ドルでアンコール遺跡の行ける所まで行ってほしいというと、現在は、入り口付近にも入れないらしい。フロントも知らなかったようだ。当てが外れた‥。 前にもアンコール遺跡は見学しているので今回はパスしようかとも考えたが、せっかくここまで来てアンコール遺跡を見学しないのはもったいない、明日の8時から見学することにして、バイクタクシーを予約する。 2013年3月4日月曜日 ーアンコール・ワットー 8時出発 小雨が降っている 朝方雷をともなう激しい雨が降った アンコール・ワットに行く途中の参道 カメラ片手にお坊さんも見学に来ています アンコール・ワットの手前 名前は分かりません アンコールワット 緻密なレリーフ 回廊 中の壁にはレリーフ 緻密で豪華絢爛なレリーフ 圧巻です 悪魔軍と神々の戦い 七年前は木製の階段がなかった 石の階段で滑って死んだ人もいる 悪魔軍と神々の戦い アンコール・ワット内部の仏様 崩れ落ちた仏像などを展示している 荘重な建物でいて美しい ★詳しいガイドブックもありませんし、専門家でもでありませんので写真の説明は十分でありません。 旅に出て初めての雨が夜中に雷をともない激しく降った。出発時には小雨になる。道路に水を撒いたように土埃がない。空気も昨日とは全然違うようだ。 『アンコール・ワット』は、12世紀に建立された。シヴァ神と並ぶヒンドゥー教の最 高神ヴィシュヌ神にささげられた寺院。寺院を囲む濠と参道、3つの回廊、中心部の5基の塔からなり、周囲5.4キロメートルの環濠がめぐらされている。悪魔軍と神々の戦いを描いたレリーフは200mもあり見ごたえ十分だ。 昨日帰国したOさん、エアアジアは羽田到着が23時なので、山の手線は別として池袋からの西武線に間に合うか心配していたが、30分早く到着したので無事自宅に帰れたとのメールが届いた。 2013年3月4日月曜日 ーアンコール・トムー 悪魔軍と神々の戦い アンコール・ワット レリーフ前で アンコール・ワットをバックに1枚 アンコール・ワット アンコール・トム 四面仏 上に同じ アンコール・トム内部の仏像 アンコール・トム 壁にも見事なレリーフ バイヨン寺院の上からの参道 見事な彫り物です タ・プローム 自然の力はすごい 建物に木の根がしっかりと張っている 建物を飲み込んでいるようだ タ・プローム内部の仏様 時の流れを感じます 『アンコール・トム』は、12世紀末頃に建てられた周囲12キロメートルの環濠、高さ8mの外壁、5つの城門を備えた都城。内部に仏教寺院が建立されている。50以上の塔 があり、すべてに観世音菩薩の四面仏が彫られている。菩薩の顔に囲まれると壮観で、なんとなく信心深い気持ちにさせられるのが不思議だ。 『タ・プローム』は、12世紀中期にジャヤヴァルマン7世が母を弔うために建立された。現在も発見された当時のまま残っている。カジュマルの木が建物にしっかりと根を張っている。目の前に立つと、永い時の流れを感じずにはいられない。 明日はプノンペンに向かう。
2020.06.04
コメント(0)
カンボジアの国境 2013年3月2日土曜日 ーバンコクに到着ー マンダレー国際空港 搭乗券はペラペラな紙だ エアアジア 空港からファランポーン駅まで 座席は木 運賃を支払わずに乗車しました 何回も宿泊したバンコクセンターホテル 部屋の中はきれいに改装されている 前はどこかくたびれていましたが 見違えるようです 私の行きつけの食堂 魚がとてもおいしい チャイナータウンの中華料理店 ここの料理は少し高めだが味は最高です くらげの酢の物、海鮮焼きそば、えびと野菜炒め 夕方から屋台が出来て 大勢の人です 昔 何回か安時計を買った店 今でも挨拶する仲です バンコクセンターホテル正面 元気の出る薬用酒 部屋飲み ホテルから空港までの距離は40キロ少し離れている。交通手段はタクシーしかない。昨日、ホテルに予約していたので、係りの人が20分前に部屋に向かいに来る。運ちゃんはボリュームいっぱいに音楽をかけて、ぶっ飛ばす。1時間のところを,20分も早く空港に到着。 マンダレーを定刻に出発、旧ドムアン国際空港に15時到着。何回も利用した国際空港だ。本来ならタクシーで市内を目指すのだが、鉄道を使ってみた。昔の事を思い出しながら鉄道駅に向かっていると、列車が入 ってきた。急ぎ飛び乗りファランポーン駅まで乗車。当然切符は買っていない。車掌が来るものとばっかり思っていたが、終点まで車掌は来ない。10バーツ(30円)払わずにすんだ。 Oさんが、終点近くなってから、ホテル代を出すから「バンコクセンターホテル」に泊まろうと言い出す。ネットで予約出来るサイトでは4900円ほどだ。飛び込みで行ったら7~8000円すると思ったが、フロントに行くと1800バーツ(5400円)で泊まれてしまった。 夕飯は、勝手を知っているチャイナータウンに出かけ、一軒目は、魚の蒸し焼きを食べさす店だ。色々な魚が並んでいる中からカサゴに似た魚を注文する。これにタイの代表的なビールシンハーを飲む。たまりませんね! 次に中華料理店『和成豊魚翅』に行く。日本の三分の一ほどで本格中華料理が食べられる店。フカヒレは小で500バーツする。大人数で行ったときにしか頼めない。別にフカヒレやアワビ料理を食べなくとも飲茶やチャーハンなども一流の味です。写真の料理はどれもおいしく食べました。ちなみにビール3本と料理で840バーツ(2500円ほど)。 2013年3月2日土曜日 ーバンコク市内でのんびりするー シーロム駅側 おなじみの看板がたくさん見れる 伊勢丹の6階に紀伊国屋書店が入っている 青森りんごが並んでいます 値段は一個600円します 市バスでファランポーン駅に帰る Oさんと約20日間一緒に旅した 私よりも10歳年上ですが元気そのものです エビとイカ焼きにムール貝?を蒸したもの 時間が早いので客は少ない 7時過ぎには大混雑になる かれこれ、バンコクには20回以上来ているので、特に行くところもないが、紀伊国屋書店が入っている伊勢丹に行くことにする。 途中でシーロム駅で乗り換えたので、外の様子が少し見える。シーロムはタイのビジネス界の中心地。この界隈に日本企業の支店も多く、日本語の看板がズラリと並ぶ。夜になると露店がひしめき合い、ゴーゴー バーの客引きが多くなり喧騒なところだ。皆さんも1回は雑誌や映像で見た方もおられると思うが、店の中にはステージがあり、その上で水着姿やノーブラ・ノー〇〇の女の子がダンスをしている所で、お客はコーラやビールを飲みながら可愛い女の子のダンスを眺めることが出来る所だそうだ。ここの通りは別名『タニヤ通り』も言われている。竹ちゃんずいぶん詳しいと思われては困りますので、念のために出入りした事はありませんから。 私のホームグランドはチャイナータウン、活気と喧噪に満ちて独特の雰囲気が好きだからだ。 明日は、Oさんはバンコク~クアラルンプール~羽田で日本に帰国する。私は、朝の5時55分の鈍行でカンボジアを目指す。 2013年3月2日土曜日 ー12時間の大移動ー ァランポーンからアランヤプラテート行き鈍行列車 朝の5時35分の駅構内 まだ暗い 結構込み合っていた 通勤時間なんだろう 木製のベンチ ケツが痛く、シビレ出した カンボジアの国境 ビザ代20ドル プラス100バーツの賄賂を要求されるが 当然断りましたが別に問題なし バイクタクシー、後ろが4人がけになってる 東南アジアは色々な乗物がある 夕食 停電 カンボジアも電気事情は良くないようだ カンボジアのアンコルビールを飲む 広い部屋です扇風機、ホットシャワー付きで10ドル 3泊する ホットシャワーにトイレ なかなかきれいです 朝、5時55分の鈍行列車でカンボジアを目指す。木製のベンチで、冷房はもちろんありません。窓を全開にし、朝の内は涼しい、だんだん生暖かい風を浴びながらの長時間乗車はケツが痛くなり、それを通り越して痺れてくるではありませんか、6時間のちょっとした苦行でした。 アラヤンプラテートには30分遅れの12時15分に到着。すぐに乗合バスで国境に向かう。 タイの出国手続きに40分、カンボジアのビザと入国に1時間かかる。係りの男に100バーツの賄賂をよこせと言われるが、何回も断った。最後に男はあきらめてパスポートを渡してくれる。シェムリアップ行きのバスに乗込んだのが14時40分、到着が18時少し前。ここからさらに、バイクタクシーと交渉してホテルに向かう。たかだか3ドルを1ドルに値切る。 目星をつけたタケオG.Hに無事宿泊できる。とりあえず、カンボジアのお金が必要だ、ホテルでタイのお金1200バーツを両替する。32ドルになるようだ、1ドルが4000リエルなので128000リエルになるはずが、ホテルの男は100000リエルしか渡してくれない。文句を言うともう一度計算して、28000リエルを渡してくれる。油断も隙もあったもんでない。 本日から一人旅が始まった。
2020.06.03
コメント(0)
「サンダムニ・パヤー」 境内には1774の小仏塔が並ぶ 小高い山には「マンダレーヒル」 2013年2月25日月曜日 ー寺院・仏塔を見て回るー 朝食 コーヒーが本物だ、やはりうまいですね 今まですべてインスタントコーヒーだった クドードォ・パヤーの石版に 刻まれた経典 小仏塔の中に石版が納められている 半端な数ではない729もある 壮観です 花を売る少女 顔のタナカがかわいい 世界最大の経典 昨年7月生まれの 私の孫娘に似ている サンダムニ・パヤーからマンダレーヒルを望む 境内には1774の小仏塔が林立している 中には仏典が納められている 35歳のサイカーの男 チャウットーヂー・パヤーの大理石の仏像 肌が艶かしいので有名です チャウットーヂー・パヤー マンダレーヒルの仏像 マンダレーヒルの中間に日本人慰霊碑がある 花をあげ線香焚いた ウズラの仏塔 皆さん熱心にお祈りしています マンダレーヒルの頂上 モザイクの装飾がきらびやかです 装飾が本当にきらびやか マンダレーヒルの上から撮る 標高236m wifi速度がそこそこなので、何とか昨日までの出来事を更新することが出来た。 本日は、昨日予約したサイカーに乗りマンダレーの仏塔を見て回る。『クドードォ・パヤー』は、仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ石版が小仏塔の中に729納められている。その規模は世界最大だ。空の青と木々の緑に白の仏塔が眩しい。 『サンダムニ・パヤー』の境内にも1774の小仏塔が林立し、中に仏典を刻んだ石版が納められている。こんなに数多い小仏塔は圧巻だ。 『マンダレーヒル』は標高236mにある。丘全体が寺院となっている。入り口を入ると両脇にお土産屋が並び、日本の門前前に良く似ている。日本そうだが、参道に並ぶお土産屋の衣類などは垢抜けない、ミャンマーも誰が着るのか不思議なデザインのシャツやドレスなどが陳列されている。 第二次世界大戦で亡くなられた方々の慰碑に花を供え線香を焚く。ここ数ヶ月は誰も慰霊碑を訪れた様子は見られない。ここの墓守は評判がよろしくない。日本人が来ると目ざとく墓の周りを掃除したり、線香を持ってきて、後から金を要求するようだ。われわれは、途中で花を買求めたが、最後にお金を30円払えばよさそうだ。墓守が慰霊碑の回りを掃きだした。さらに線香を焚いてわれわれに渡してくれる。先ほどの花屋で30円と言われたので、花代にローソクに線香代、掃除代で30円を渡す、不服のような顔をするが無視して立ち去る。30円は安いです、でもね‥。 見学を11時15分に切上げて、昼飯にビールを飲んで昼寝だ。 2013年2月26日火曜日 ー金箔工房をビジネスで訪れるー ビヤホールでこの一杯がうまい! 鶏手羽 魚のミンチを揚げたもの ポテト シュエナンドー僧院 建物全体に彫刻が施されている 精緻な装飾が施され 見事です 正面 本当に見事な彫刻です アップで撮りました 見事な彫刻が見応えがあります 旧王宮 再現されたものです らせん階段で上がる監視塔 旧王宮内部 美しく再現されている 二人で記念撮影 城壁 門の上の建物はかなり古いので趣があります 外壁はそのまま残っている 一辺が3キロ、高さ8メートル 外堀に写っている門 金箔工場 すべて手作業だ 重労働だ ホテルの前で客待ちしている、サイカーの男に声かけられる。とりあえず、建物の外壁や内側に見事な彫刻が施されている『シュエナンドー僧院』まで乗せてもらったが、帰りのこともあるので『旧王宮』と『金箔工房』に行ってもらうことにする。もちろん、ホテルまで戻る料金を入れて80000チャット(800円)だ。ただ、昨日のサ イカーの男と比べるとパワーがない。同じ35歳なのに、走るスピードが全然違う、ノー・パワーな男だ。こちが、かわいそうになり、slowly More slowlyと声をかけるしまつだ。 『シュエナンドー僧院』は、建物全体が精緻な彫刻で覆われている。彫刻の芸術作品だ。 『旧王宮』は、正方形の敷地で一辺が3キロ、とてつもなく広い。残念なことに、1885年にイギリスが占領し、財宝のほとんどを奪い、ロンドンの美術館に展示している。また、1942年には日本軍に占領され、その後英印連合軍と戦闘になり、王宮は焼失してしまった。当時のまま残っているのは、城壁だけ。今現在は、美しく再現された壮麗な旧王宮を見ることが出来る。 これで、マンダレーの見所はほとんど見学したことになる。 『金箔工房』は、落ちないゴールドロックの真下でひらめいた、今後のビジネスのために訪れてみた。(2/17 受験生の代わりに祈ります)作業は重労働で、竹の皮を3年間水に漬けて、柔らかくして乾燥させ、金粉を包み、ハンマーで何回も叩いて、金箔にする。3センチ四方の金箔10枚で7000チャット(700円)。これを仕入れて金箔の裏に『〇〇合格祈願』と書いたものをゴールドロックに貼れば、合格間違えなしだ! だんだん、やる気になってきました‥。 また、どうしようもないひらめきだとtakakoさんに怒られるかな‥。 2013年2月27日水曜日 ーミャンマー最後の日ー 上が氷、溶けて冷たい水になる 氷水を売っている いろいろな商売があるもんですね 朝の旧王宮 排気ガスでよどんでいる 空気が相当悪い マンダレーの駅 列車は荷物を運ぶのがほとんどだ 色々な荷物 駅の側の麺屋さん スープがおいしそうでした 果物は中国産が多い 特にりんご 猫もミャンマー風です のんびりしています 昼飯 ブロッコリー炒め 鶏肉と野菜のサラダ これでビール3本飲みました 床屋さん 長期の旅行では必ず散髪する 100円 かなり短くしてもらいました どうですか、いい男ではありませんか ミャンマー最後の日は、遅い朝食を食べて、街をぶらぶらする。東南アジアはどこも、市場は大変な喧騒だ。ここ、マンダレーは中国に近いので中国人が多い。ホテルやレストランは中国人の経営が非常に多い。中国から色々な物資が流れ込んでいる。果物は中国産が特に目立つ。街中を歩いて立派な家は大体中国人・インド人の家だ。ミャンマー政府の官僚たちは中国政府や企業から賄賂や献金をもらって贅沢な暮らしをしていると、サイカーの男は言っていた。一般の市民は中国人は大嫌いだと言っていた。 ともあれ、明日はバンコクに飛ぶ。大雑把にミャンマー旅費は、ホテル代約18000円(13ドル×14泊)、食事代と交通費に仏塔見学代約29000円で、トータル47000円だ。これに、航空券54000円を足すと約10万円、2週間旅して格安だとは思いませんか。
2020.06.02
コメント(0)
若い尼さんがが托鉢しています 朝から晩まで一日中托鉢している 2013年2月24日日曜日 ー本日はのんびりと過ごすー コブのある牛 エーヤワーディー河 乾季で水量も川幅もない 写真では分かりませんが 船のバッテリーの充電のために家に運んでいる 相当の重量だ 首が強い 見事なバランスだ 豚さんも何かのんびりしているようだ 三人の女の子 頭に野菜などを載せて売り歩いている ミャンマーの古い家 日本の昔の駄菓子屋風だ 鶏肉にハエがいっぱいだ 黒いのがハエ そんなこと誰も気にしまません 壷や瓶の焼き物 乗合トラックバス 30人は乗っている 我々が4泊したホテル(一部屋1300円) ホテルから10分足らずで、エーヤワディー河に行くことが出来る。写真では分からないが、相当の川幅のある河だが、今は乾季で半分ほどが砂地となっている。ここから船でマンダレーに行くことも出来る。 河に近づくと船からバッテリーを外して、頭の上に持ち上げた。そうとな重量だと思うが軽々と頭に載せて歩き始める。全然バランスを崩さないですたすた歩くのだ。見ていて惚れ惚れしてしまいました。 本日は、市場見学や町をぶらついてのんびりと過ごす。 2013年2月24日日曜日 ーバガンの仏教建築物見学ー 本日は、馬車でオールドバガンを回る シュエズィーゴォン・パヤー シュエズィーゴォン・パヤ シュエズィーゴォン・パヤ 名前は分かりませんが、赤茶けた仏塔 ティーローミィンロー寺院 傘の王寺院 仏像 仏像 仏像 優しい顔です 仏塔の周りは作物が植えられている 仏教遺跡と人間の営みが一体化 大小さまざまな仏塔が林立する スラマニ寺院 記念に一枚 仏塔が並ぶバガンの平原 見応えがある 白の仏塔 ミャンマーは毎日30~32度ある。ただ、日陰に入り風があれば涼しい。湿気がないのがいい。7~10度の東京の家族や友達に申し訳ないが、この時期の東南アジアは、乾季で暑さもきつくなく過ごしやすい。 本日は優雅に馬車を半日チャーターして、オールドバガンの遺跡を見て回る。約40キロへホーメートルのエリアに、大小さまざまな仏塔や寺院が林立している。今現在残っているのは、11~13世紀の建造物だ。 ミャンマー最大の見所で、貴重な仏教遺跡が見ることが出来る。広い平原に数千ともいわれる仏教建築物が点在している。写真でもわかってもらえると思うが、平原に立ち仏教建築物を眺めると、神秘的で幻想的な気持ちが湧き上がってくるのが不思議だ。 2013年2月25日月曜日 ーマンダレーに到着ー 昼食 ミャンマーの代表「モヒンガー」米麺 辛い 道端の水道もない掘っ立て小屋で食べました味は悪くなかった マンダレーのホテル エアコン、ホットシャワー、トイレ、朝飯付き30ドル(二人分) 清潔な部屋です それなりの設備は完備 ホットシャワーが使えます マンダレーの中心 時計台 尼さん 中学生から高校生くらい 店の前で托鉢している尼さん 店の人はお金を渡していた 遅い昼飯 インド料理 カレーにチャパティ 夕食 飯がうまい 日本の炊き方だ 本日は、バガンからマンダレーまで6時間かけて移動だ。今回は生活道路を走るので、20~30分おきにそれなりの町を通過する。小さな市場やバイクタクシーの男たちがたむろしている様子がうかがえる。ミャンマーでは携帯電話は10人に1人の割りあいで、バスで通過する町の道路端に貸し 電話屋を何件も見ることが出来る。でも、あと数年もすれば相当の数の携帯電話が普及するのではないだろうか。 マンダレーの市内からバスステーションは10キロ以上離れているので、ホテルまで行ってくれるタクシーを探す。運ちゃんの言い値は800 円、それを600円にしたが、それでもやや高いと思ったが、知らない土地で荷物もあり宿探しに時間を取られるのも消耗なのでタクシーで行くことにする。私1人だったら絶対に乗合バスで行きますが。 ホテルは、それなりの設備が揃いきれいに掃除されているので4泊することにする。 とりあえず、ATMでミャンマーのお金を引き出さなければならない、ホテルの人に聞きATMを探す。しかし、VISAカードや国際カードに対応しているATMはなかなか見つからない。40分も人に聞き探すが見つからない。 喉も渇きビールでも飲んで考えようと入った店にATMを聞くと、サイカー(自転車の横に2人乗りの座席を取り付けている)の男をわれわれの前に連れてきた。そこそこの英語を話すので、ATMまでの道を聞く。親切に教えてくれたので好感を持ち、ATMまで連れて行ってもらうことにする。ついでなのでそのままホテルまで送ってもらう。 さらに、明日の観光も半日800円で頼むことにする。サイカーの男は得をしました。人には親切にすれば良い事があるということですね。
2020.06.01
コメント(0)
ミャンマーの人たちはタナカを顔に塗って 日焼け止めしている 2013年2月23日土曜日 ー新手の詐欺かー チャイプーン・パヤーの仏像 高さ30mの太い柱4面に座仏が造られている 寝仏の足の裏 モザイク装飾が見事だ シュエモードー・パヤーの 過去の地震で崩れ落ちた先端部分 バゴー最大の見所 第二次世界大戦で亡くなった 日本人の慰霊碑 バゴーの市場 市場で色々な豆を売っている 川魚の干し物 バゴーの市場 活気があります いろいろな色の野菜が売られている お父さんに無理言って、ズボンの内側に隠し袋を作ってもらっているところ 食堂の調理場 燃料はまき ★wifi事情が悪く、なかなか更新できませんでした。今日、マンダレーのホテルから更新できました。しかし、wifiの速度が遅くて時間がかかります。 暑くならない午前中にバイクタクシーでバゴーの仏塔を見てまわる。「チャイプーン・パヤー」は、高さ30mの太い柱4面に座仏が造られている。建立は1476年。次にバゴーで有名な全長55mの「シュエターリャウン寝仏」は、寝仏の足裏や枕のモザイク装飾が見事だ。続いて、バゴーの最大な見所「シュエモードー・パヤー」は、仏陀の遺髪2本を納めている。最初の塔は23 m、その後何度も改築されて1385年に84m、1796年には91mと高くなったが、1912年、1917年、1931年に立続けに地震の被害を受けて塔が崩れ落ちてしまった。今現在の塔は、1954年に建立され114mの高さになった。 昨日、ATMでお金を引出しのさい、引出し金額明細書が出て突然停電だ、現金が出てこない。連絡用の電話も係りの人も いない、あせった。機械を叩いてみたり、さすったり、なだめたり、馬鹿・間抜けと機械に怒ってみても全然反応してくれない。これは外国人をだます新手の詐欺かと思ってしまった。明日、銀行が開いてから文句を言ってやろうと考えていたら、ガードマンが現れて、停電なので少し待て、再チャレンジしろと言っている。 引出し金額明細書を見せると、ノープロブレム(問題ない)といっているが、約1万円を損するのではないかと心配になる。停電も解消され、10万チャット(1万円)を引出す、やれやれだ。ミャンマーは電気事情がかなり悪く、日中も夜中も何回も停電する。 2013年2月24日日曜日 ー門前の小僧習わぬ経を読むー 三輪バイクで高速道路のバス停まで行く 三輪バイク 日本の中古トラックは乗合バスになり活躍しています 三輪バイクから撮る 朝の通勤風景 ドライブインで昼飯 魚カレー ポークカレー がんばろう! 日本 ドライブインの噛みタバコを売る女性 噛みタバコ 台湾のビンロー覚醒剤? 興奮剤 噛むと痺れるそうです 夕飯 豆腐刺身80円 日本の豆腐と変わりません 豆腐と野菜の和え物 朝7時30分に三輪バイクに乗り、のどかな山村風景の中を走り、約1時間でバガン行きバス停に到着。高速道路がヤンゴンらマンダレーまで開通しているので、ヤンゴンから2時間ほどの途中のバス停だ。バス停といっても何もない、道端で、5歳くらいの女の子と母親が水とゆで卵を並べているだけだ。すぐ側で、若者がタイ製造のホンダの新車バイクを解体している。話を聞くと、部品とりで、故障したバイクの修理に使うとの話だ。いろいろな商売があるんですね。 高速道路を走る日本の中古バスは時速100~120キロのスピードで、周りに何もない森の中、高原、丘陵をひたすら走り続ける。バスには「がんばろう日本」と書かれている。それを指さしてミャンマーの人に「ファイト ジャパン」といったらうなずいてくれた。あんまり意味ないか‥。 16時少し過ぎにバガンの町に到着。さっそく、バイクタクシーや馬車の男に40000チャット(400円)でホテルまで行くと勧誘される。冗談じゃない、歩いて1キロもない距離だ。無視して歩いて目指すホテルまで行く。部屋は広く朝食付き、水シャワーとトイレが付いて25ドル。 ここのホテルのスタッフの1人は日本語を流暢に話す。日本語をどこで習ったかと訊ねると、「門前の小僧習わぬ経を読む」ですと返ってきた。朝は、「早起きは三文の徳」などと色々なことわざも知っている。全部独学で、宿泊する日本人と話して覚えたのだ。門前の小僧と言われても今の若い人はピーンときますかね?恐れ入りました。 2013年2月24日日曜日 ーポッパ山の寺院に行くー ビルマのフルコース 大きい皿はカレー5品 小さい皿副菜12品 ご飯にスープ 腹いっぱいで半分も食べられませんでした とても全部食べられません 乗合トラックバス 20名以上と屋根にたくさんの荷物 この女性から途中でイチゴをもらう ポッパ山 山頂の仏塔内部 山頂からの眺め サルがたくさんいました 宗派が違うんでしょうか‥踊り、太鼓や笛が大きな音を出していて騒々しい 忽然とそびえるタウン・カラッ 昼飯 米麺にゴマやひき肉に甘いたれを 絡めて食べる 大変おいしく頂きました ちなみに30円 安い! 市場は名前の分からない川魚がたくさんいた 空き缶捨てません 色々と工夫して生活に 役立たせます 昨日の夕食はすごかった。初めから解って注文した訳ではない、写真のように大小の皿にカレーや副菜が並ぶ。ミャンマー料理の店に入ってメニューを見て、3種類のカレーを注文しようと係りの女性に、言葉がわからないがどんな料理かと聞いていると、男が現れて何か言って引上げた。少し すると次から次と料理が運ばれてくる。いまさら、注文していないと言ってもしょうがないので、大して高くもないと思い食べ始める。ご飯に少しずつカレーと副菜を乗せて食べる、味は悪くないのだが一向に減らない。おそらく残したカレーは捨てないで鍋に戻すのかな‥、カレーも副菜も火を通せば日持ちするものばかりだ。ビール3本と料理で1200円、あまりの安さにビックリだ。 本日は、乗合バスで2時間かけてナッ神が宿る伝説の山、ポッパ山に行って来た。 乗合バスの乗客は我々2名を含めた外人5名に地元の人18名ほど乗っている。さらに果物や野菜などが屋根の上に積まれている。地元の人と『旅の指さし会話帳』で話をしながら進む。途中で60歳の女性がとうもろこしを買い、私にくれる。ありがたく頂戴した。帰りは、姉妹にイチゴを頂く。 旅先では、どんな場合でも私は断りませんし、せっかく頂いたのですから、喜んでおいしく食べる。それは相手への感謝の気持なんです。 ポッパ山には、古くパガン王朝の時代よりミャンマーの土着宗教である ナッ信仰の聖地とされてきた。標高737mの高さに寺院がある。頂に神々しくそびえ立っている。ここは1年中さわやかな気候で、花、鳥、蝶などの観察が楽しめるところだそうだ。
2020.05.31
コメント(0)
ゴルデンロック 2013年2月18日月曜日 ー茶葉と納豆を食べるー バスの乗客相手の物売り ミャンマーのバスは日本の中古車がたくさん走っている 西武バスや滋賀交通など まるで日本国内の感覚です マンダレービル 赤ラベルはアルコール度数7% ブールは5%でマイルド 本日のホテルのあるキンプンの町並み 夕食 茶葉を漬けたものがスープに入っている 少しすっぱいがあっさりとした味だ (左上)大豆?を醗酵させたもの、納豆の油いため 食堂の従業員 左の子はやり手だ 強引に店に引張られる 顔にタナカをつけている 本日は、3時間30分でキンプンの町に到着する。ここからさらに2時間進めば、落ちそうで落ちない大岩が見られる。朝食付きで30ドルのホテルに決めて、さっそく昼飯に出かける。魚カレーにマトンカレー、鳥カレーの小皿を注文するとご飯にスープが出てくる。ご飯はおいしくない、やはり日本の米は最高だとつくづく思う。 ここまでのミャンマーの印象は、皆さん物静かで、大声で話している人はいないので、食堂でも町を歩いていても騒々しいことはない。車のクラクションもほとんど聞くことはない。ミャンマーの面積は日本の1.8倍、人口は6500万人、85%は仏教徒だ。まだ数日しか経っていないが、ミャンマーの人々は心穏やかな人が多いように見受けられた。 夕食に入った店では、珍しいものをサービスしてくれた。茶葉を漬込んで醗酵させ、その葉をスープにしたのと、おそらく大豆だと思うが、ねばねばはないが日本の納豆そっくりな食べ物が出てきた。本で読んだことがある食べ物で、ようするに保存食。大豆を蒸して、醗酵させ、料理の調味料などとして使われる。今回出されたものは、納豆を油で炒ったものだった。ビールのつまみには最高です! 2013年2月18日月曜日 ー受験生の代わりに祈りますー 政府運営のトラックバス 横に6人、縦に7列 1人250円の運賃だ まーあ、すごいと言うしかありませんね このトラックバスで40分の上り 九十九折 日光のいろは坂みたいだ クッションなんてありません 4人でかつぐ人力かごで上を目指します 乗っかっている人、本当に楽なんですかね? なんかつらそうに見えますよね 足裏の幅だけ進みます ゴルデンロック でも不思議ですね 落ちそうで落ちない大岩 少し押せば転がり落ちそうです 押してみましたが、ビクともしませんでした 記念に1枚 お年寄り、足腰の弱い人には助かります 昼飯 魚カレー、たけのこ炒め 鳥カレー 道路に面してスピーカーで何か言っている 大きなタライにお金を入れてもらっている 貧しい村の人たちが寄付を募っているのかも? 町から離れた所に立つ家 政府運営のトラックバスに、横に6人、縦に7列の42人、さらにトラックの後ろに6名が立ち総勢48人が乗っている。進むにつれて九十九折の上りになり、身体が左右に大きく揺れたり、縦にジャンプしながらぐんぐんと上っていく。人を乗せているというよりも荷物や、豚や鶏でも運ぶように詰め込まれた人間が、文句も言わずにおとなしく耐えている。よくもこんなトラックバス を考えたものだと感心してしまう。ちなみにトラックは日本の中古だけあって馬力があり、エンストすることがなく40分で上りきった。日本で廃車にされてもミャンマーでは息を吹き返して活躍しているのだ。涙ぐましいですね。 トラックバスを降りて15分も歩けば、ゴルデンロックの真下だ。近くで見ると今にも転がり落ちそうだ。でも、けして転がり落ちることはありません。 そこで、ひらめきました。私だったらここに受験の神様だといって一儲けしちゃいますけどね‥。受験生の代わりに金箔を貼って祈って、1万円で請けよいます。絶対に落ちることないんですから、安いもんです。先着100名限定で来年から商売にするぞ!! 話を戻して、皆さん大岩に金箔を貼り付けて、熱心に祈っているのが印象的だ。参道にはお土産屋が並び、日本の二昔前の垢抜けない衣類や粗雑な子供の玩具が並んでいる。店の男に声をかけられて、振り返ると山羊(野生のカモシカ?)の首が私をにらんでいる。男は、黒い何かの乾燥した物を買えといっている。言葉は理解できないが、山羊の内臓を干したもので、日本だったら熊の胆嚢だ。おそらく薬の効用があるのだろう。もちろん、買ったりはしていません。 2013年2月21日木曜日 ー wifi繋がりませんー 現在、バガンにいます。こちらの電気事情が最悪でブログ更新できません。 停電は日に4~6回あり、そのつどwifiも切れてしまいます。繋がったかと思うと次の画面に切り替るまでチョー遅くブログ更新どころでありません。 メールチェックも出来ませんので、ブログにコメントいただいている方や、直接メールいただいている方には大変申し訳ありませんが、wifi事情が改善されましたら返事します。 23日にマンダレーに移動します。
2020.05.30
コメント(0)
寝仏 2013年2月15日金曜日 ー憧れのミャンマーに降立つー 搭乗手続きは、自動航空券発券機でしなければならない 慣れないので時間がかかる 空港から市内に向かう 日本の中古車が目立つ 乗合トラックバス すごい混雑だ 朝飯 三種類のカレーを食べる スープと生野菜が付く 生ビール 一杯60円 冷えていてウマイ! 本屋通り 新刊本の店も数件ある 古本は外で売られている 日本の神田神保町みたいだ wifiの繋がるところがなくて、本日やっとブログを更新しました。これからも、ブログ更新がなくとも心配しないで下さい。出来るだけwifiが繋がるところを見つけて更新します。 2時間のフライトで、ヤンゴン国際航空に8時15分に到着。日本との時差は-2時間30分。 通勤ラッシュの影響だろうか、途中何箇所かで渋滞に巻き込まれて、市内まで30分のところ、1時間以上かかる。トラックバスに詰められるだけ詰められた人たちが乗っている。何台も市内を目指して走っている。乗用車もバスもトラックも中古の日本車が目立つ。国際興業の赤羽と書かれたま まの黄色のタクシーが客を乗せて走っている。ミャンマーなのか、東京都内なのかよく分からなくなる。 昼飯は、魚カレー、ウインナーカレーに酸味の利いた野菜炒めの三種類のおかずに、ご飯とスープに生の玉ねぎが付いて、勘定をすると550円とべらぼうに安い。そうだ、コーヒー代も入っているんだ。 夕飯は、生ビール6ハイ飲んで(私が4ハイ)、フライドポテト、米の細麺と海鮮炒め物、豚の耳の炒め物を食べて勘定は950円だ。生ビールは60円、黒生ビールは65円と少し高い。マレーシアでは大瓶550円と高かったが、ミャンマーは酒飲みには天国ではありませんか‥。 2013年2月15日金曜日 ーヤンゴン市内散策ー 露天市場 えびの干し物 煮干? ヤンゴン川の魚たち なまずが結構多かった 唐辛子 肉屋さん 新鮮です 酒屋さん 洋酒のビンにミャンマーのウイスキーが入っている ボータタウン・バヤーの仏塔 タナカをぬっている男の子 日焼けクリーム 仏様 スーレー・バヤー 米の細めん チキンと臓物が入っている あっさり味でいくらでも食べられる おいしい寿司 すし屋の店内 にぎりセット 250円 そこそこの味です てんぷらセット 200円 車えび2本と野菜 町のモツ屋さん くしに刺して熱い汁に入れて食べていた ビールがあれば挑戦したのに? 夕方 たくさんの人で混雑している 食べ物の屋台 衣料品を売る屋台 小麦粉と野菜と小魚のお好み焼き スーレー・バヤー 朝8時から『ボータタウン・パヤー』に出かける。2500年以上前に、8人の僧がインドから仏陀の遺品を持帰り安置した。その仏塔は第二次世界大戦の爆撃を受け崩れ落ちた。改修工事の最中に宝物が発見され、そのなかに仏陀の遺髪や聖歯と思われるものも含まれていた。仏塔は金ぴかでまぶしい。ミャンマーでは生まれた曜日が大事で、私は水曜日生まれなので牙像だ。仏塔の周りに月曜から日曜日までの神様がいて、自分の神様に熱心に祈っている。 『スーレー・パヤー』太陽の光を浴びて、金色に輝いている。ここにも、仏陀の遺髪が納められている。ヤンゴン市内の中心にあるので、朝の出勤前や仕事帰り、買い物の途中に気軽に立ち寄り、お祈りをする。誕生曜日の守護神に熱心に水をかけ、花を供え、ローソクや線香を立て熱心にお祈りしている。ミャンマーの人々にとって仏教がいかに大切で、生活に溶け込んでいるかがよくわかる。 晩飯は、おいしい寿司に出かけた。日本のびっくり寿司で修行した仲間で始めた店だ。残念なことにアルコール類は置いていない。寿司には酒、酒がない寿司は食えるかと念じたら通じました。店のオーナーが酒屋からビールを買ってきましょうか、といってくれるので、すぐにお願いした。当然買いに行った女性には1000チャート(100円)のチップを渡した。 2013年2月18日月曜日 ーミャンマー1番の見所ー 寝仏 どうですか、なんとも優雅ではありませんか こんな顔の人見たことありませんか? 目がパッチリ まつ毛がカールしています 昼飯 米の細麺 あんかけ風 上にゴマと豚のひき肉 味は甘辛 まばゆい黄金の仏塔 皆さん熱心に祈っている 大きな鐘 国内外から参拝に来るのが分かりますね 境内 仏様 光輝いている 電気で光っている 仏様の前で食事しています 記念に1枚撮りました wifiの電波が弱くて、ブログ更新に時間がかかりいらいらしました。 朝8時にホテルを出て、寝仏が祀られている『チャウッターヂー・パヤー』に行く。全長70メートル、高さ17メートの巨大な寝仏が優美な表情で出迎えてくれる。目がパッチリとまつ毛が長くカールして現代的な顔をしていると思いませんか? 次に、ミャンマー最大の聖地『シュエダゴォン・パヤー』に行く。仏塔は参道から金色に輝き、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている。その聖なる力に誘われて、国内外から毎日大勢の人々がお参りにやってくる。 ここの仏塔は、今から2500年以上もさかのぼる。ここにも仏陀の遺髪が8本納められている。ひんしゅくを買うことを覚悟して言っちゃいますが、仏塔のあるところに必ず仏陀の遺髪が納められていますが、そんなに仏陀の髪の毛はふさふさだったですかね? すみません、馬鹿な話で‥。 日曜日なのかもしれないが、広い境内のあちこちで弁当を食べている家族を見ることが出来る。ミャンマーの人々に仏教がいかに浸透して生活に溶け込んでいるかがよくわかりました。
2020.05.29
コメント(0)
2013年2月12日火曜日 ークアラ・ルンプールに移動ー マラッカからクアラ・ルンプール行きバス 横3列でゆったりとしている マラッカのバスターミナル クアラ・ルンプールのチャイナタウンの古い建物 ブラジルビール 飲み慣れていないビールの味だ 少し苦味がある それでもビールはうまいね! 値段が安ければ言うこと無いんですがね マレーシアは大瓶600円する 中華料理店で正月料理を食べる 豚肉と野菜いっぱいの薬膳料理みたいだ 豚肉がやわらかくとてもおいしい 夜の屋台 夜市 屋台がたくさん出ている 人もたくさん とても混雑して喧騒だ 毎日が夜店なんだそうだ なんとも楽しいではありませんか 一晩眠ると夜中飛行の疲れが取れて、今朝は快調だ。朝飯はタイ風の細麺を食べる。スープが辛くて身体がシャキとする。 昨日の同宿だった年配の話、66歳で脳梗塞で2回倒れても旅をしているのにはたまげた。言葉が言語障害の影響で聞きづらいが、言っていることは70%位は理解できる。60歳で家業を息子に譲り、寒い冬は東南アジアで6ヶ月間過ごすそうだ。寒いのが病気に良くないので、暖かな東南アジアは金もかからず過ごせるので毎年の行事になっているようだ。ここ、マラッカには今日で2週間泊まっている。一泊650円のベットがあるだけの狭い部屋だ。それでも1缶270円する缶ビール2~3本は飲むそうだ。1日1500円で1月45000円程度でロングステイ出来ちゃんですね。でも、退屈そうでしたよ。 話し始めたら止まらない、いつまでも話されるので、適当に話を切り上げるのに苦労しました。 本日のホテルは、1軒目は広めのダブルベットの部屋だったが、男同士で1つのベットは慣れていないので、慣れていたら気持ちが悪いですよね。 私は、そっちの気はありませんから、念のために。2件目のホテルは窓がないが、ベットが2つ、トイレとシャワー付の部屋で、それなりにきれいなので宿泊することにする。ちなみに、1軒目は1700円。宿泊するホテルは3000円、いずれも2人分の料金。 初めて「トラベラーズロッジ」で会ったのが「トクさん」だった。トクさんは2018年1月にペナン島で脳出血で倒れて帰らない人となった。彼とはそれから何回も旅先で会い、食事をしたり酒を飲んだり一緒に旅をした。 ★トクさんのHPを何回も私のブログで紹介しましたが、昨年から削除されているのでアクセスは出来ませんのでご了承下さい。 2013年2月12日火曜日 ークアラ・ルンプール散策ー 中国寺院 上のうずまきは線香 天井から吊るされている線香 何時間持つんですかね 朝早くから皆さんお祈りしています ヒンドゥー寺院 派手派手です 朝飯 ご飯に自分でおかずを載せる これで150円 9時でたくさんの人が食事しています 朝飯なんでしょうね スルタン・アブドゥル・サマド・ビル Oさん若いですね、私の10歳上 昨年のインドの時は55キロ、今は61キロ 日本に帰るときには何キロになっているんでしょうね 昼飯に黒ビールとワンタン麺 私は黒ビールが大好きです 中国人3世 マレーシアのカップル 同じテーブルになった、中国人3世のおじさん、マレーシアのカップルと、片言の英語と筆談で会話して仲良くなる。なかなか羽振りのよさそうな中国のおじさんに、黒ビールをご馳走になる。 電車の中でも、マレーシアの若い女性に親切にしてもらったり、道を歩いていると挨拶されたりして、とても感じがいい。マレーシア人に好感を持ってしまいました。特に若い女性にです‥。 本日は、空港で夜を明かして6時55分フライトだ。キツイのも今日まで、ミャンマーに入ったら同じホテルに2~4泊しながら次に移動するので、身体は楽になるはずだ。
2020.05.28
コメント(0)
2013年2月8日金曜日 ー旅の荷物は3.2キロー ノートPCと電源プラグA・C・BF の三種類 今回のザック 荷物を入れて量ってみると3..2キロ 今までの東南アジアの旅は、2キロ弱の荷物で10日~2週間くらい旅してきた。今回は、パソコンを入れて3.2キロ、42日間の荷物としては軽い、これなら楽勝だ。 今回の持物は、パスポート、航空券(Eチケット)、お金(700ドル、日本円3万円)、国際キャッシュカード、ビザ用写真、パソコン一式、カメラ、短パン、パンツ2枚、半袖シャツ2枚、靴下2足、洗面具(歯磨きセット、ひげそり、タオル)、筆記用具、その他に家から空港までの服装、足りないものは現地調達だ。 2013年2月9日土曜日 ー「東南アジア六カ国の旅」の予算ー ジーンズの内側に隠し貴重品入れ パスポート、カード、お金を入れる 数年前に神保町の古本祭りで300円で買い求めた これでコミュニケーションばっちりだね! 本日は、関東在住の青森県平内町出身者が40名集まる『東京平内町ふるさと会』の総会・懇親会が、『ホテルグランドヒル市ヶ谷』で開催される日だ。この会の事務局を仰せつかっているので、総会の準備もそうだが、司会進行も私の仕事だ。当然二次会も予定されているので、途中から抜けられ ないと思う。なるべく早く帰宅して、荷物をチェックして池袋でOさんと20時30分に待合せて、羽田に向かう。出発は23:55分だ。 前回の『ユーラシア横断』で使ったお金は、予算100万円に対して73.8万円だった。帳簿上26.2万円残金がある。ただ、昨年の10月に出版業界の仲間6名と大連旅行で5万円ほど使った。それと、12月26日~29日にホーチミンに行ってきた。こちらは、私の所属している山岳会のS先輩が飛行機代とホテル代を気前よくポンと出してくれたので1万円位しか使っていない。それでも、20万円は残っている計算だ。 話は先の事になるが、4/15~5/10の期間、山岳会のS先輩とブータンツアーとネパールでトレッキングして、さらにアンコルワットを見学する計画がある。もちろん、『エアアジア』で羽田⇒クアラルンプール⇒カトマンズ⇒バンコク⇒クアラルンプール⇒羽田の航空券を87,000円で手配した。ブータンツアーは、カトマンズの旅行会社に四泊五日で169,000円で手配した。トータルで256,000円だ。 日本の某旅行会社に、ブータンツアー9日間を依頼すると、基本料金35万円+燃油サーチャージ代4万円で40万円近くする。この旅行もS先輩が私の旅行代金の6割負担してくれる。それでなければ、行けませんよね。話を戻して、大雑把な42日間の予算は次の通りだ。 航空券代(すでに購入済み) 56,285円 ホテル代1日1,000円×41日間=41000円 食事代1日1,000円×42日間=42,000円 交通費1日1,000円×42日間=42,000円 トータル=181,285円 計算では、18万円そこそこで行って帰ってこれそうだが、果たしてどうなりますやら…。 2013年2月11日月曜日 ーマラッカの町を散策ー 空港からバスで移動してエアアジアに乗込む 既存航空会社の飛行機は83cm、エアアジアは78cm 座席は狭いがそんなに気にならない エアアジアでは機内安全説明は乗務員が説明するんですね 朝飯 マカロニスープ、ジャコのだしが効いている 鶏肉とひき肉がやわらかくてうまい サンチャンゴ砦 1511年に造られた大砲 オランダとの戦いに備えた 派手派手な客を乗せる自転車の乗り物 大きな樹木に圧倒される セント・ポール教会 今回一緒のOさん チャイナタウン 正月のために店は閉まっている 教会 マラッカ川のクルーズ また、旅が始まりました 夕食 鶏肉と牛肉のぶっ掛けご飯 これで150円 ホテルで16%のビールを飲むキツイ イスラムの国なので缶ビール270円もする 2/10 交通費700円 ホテル1320 円 食事1650円 その他90円 今回、初めて『エアアジア』を利用した。座席は前も横も狭く出来ている。 横に3、3、3の9人が座る。既存の航空会社の飛行機は、2、4、2で8人が座るのだが1人多い。数えはしなかったが縦もぎりぎり詰めて、1人でも多く乗せようとしているのが見え見栄だ。それにトイレの数が少ないのだ、機内食を出さないから人間もトイレに行く回数が少なくてすむという計算か‥。 空港から2時間30分でマラッカに到着。ムラカ(マラッカ)15世紀初頭に築かれた港町。季節風を利用して東西の貿易船が訪れ、シルクロードに匹敵する海上の道として発展した。世に知れたマラッカ海峡である。16世紀初めにポルトガルを始めオランダ、イギリスなどの侵略を受け、数世紀にわたり支配された。町は、当時の面影を残した町並みを見ることが出来る。なかなか情緒があり気に入りました。 今回は、元会社のOさんと一緒にミャンマーを旅する。
2020.05.27
コメント(2)
昨日、やっと「アベノマスク」が届いた。 真ん中がアベノマスク、左が手作りのひとまり大きいマスク、右は耳掛けの部分を取り外せるマスク。これもアマゾンでゴムと一緒に買い求め手作りした。それにしても「アベノマスク」は小さいね。 2013年2月4日月曜日 ユーラシア大陸横断旅行から4ヵ月しか経っていないのに、また、旅の虫が騒いだのだ。今回は、以前から訪れたかった「ミャンマー」に行く。 ★旅のルートは、下記の通り。 マレーシア(クアラルンプール、マラッカ) ミャンマー(ヤンゴン、バゴー、インレー湖、バガン、マンダレー) タイ(バンコク、スコータイ) カンボジア(アンコールワット、プノンペン) ベトナム(ホーチミン、ホイアン、ダナン、フエ) ラオス(サワンナケート、ビエンチャン) 行き当たりばったりの旅なので、計画通りには行かない。それが楽しいのだが‥。行きと帰りは決まっている。 42日間(2/9~3/22)の予定。 2013年2月5日火曜日 ーパスポートの余白が無いー 2005年発行のパスポートは、あと見開きで1頁しか残っていないカンボジアでビザを取れば、余白は無くなる帰ったら40頁増やす ミャンマーに入国するには、ビザ(入国推薦証)が必要だ。個人旅行は何から何まで自分でしなければならない。北品川にあるミャンマー連邦共和国大使館で1月17日に申請して、23日に受取った。申請日も受取った日にも、旅行者や会社関係の人で混雑していた。日本とミャンマーを結ぶ直行便が昨年の10 月に12年ぶりに復活したのも影響しているのかもしれない。 新聞やテレビのニュースによれば、民主化によって欧米の制裁が緩和され、各国の企業の関係者が次々とミャンマー入りしているようだ。もちろん、日本も乗り遅れまいと視察団の訪問が相次いでいる。麻生副総理も先月訪問している。これからは、タイやベトナムに代わってミャンマーに企業が続々と進出すると予想される。もちろん、ミャンマー側も企業を誘致している。 本当なら数年前に訪れたかったのだが‥。 2013年2月6日水曜日 ーバックパッカーの強い味方エアアジア航空ー クアラルンプールからヤンゴンEチケット マンダレーからバンコクEチケット 羽田からクアラルンプールの往復Eチケット 旅費で航空券の高い安いは重要だ。物価の安い東南アジアで2000 円もあれば、ビール2本飲めて、3食食べられて、さらに1泊出来てしまう。 金はないが暇がある竹ちゃん、何とか安く旅は出来ないかと、目を皿にして調べると、貧乏旅行者の強い味方、LCC(ローコストキャリア・格安航空会社)にたどり着いた。航空券はインターネットでしか買うことが出来ない。少し前までは『エアアジア』のホームページは英語だったのが、最近は日本語に対応している。なによりも運賃が安く、すべての路線が片道で買うことが出来る。これはすごい事で、日本で購入する航空券は、往復航空券がほとんどで、安いチケットは期間が短く設定されてい る。下手して片道チケットを買うと往復チケットと同程度の値段になったりする。 格安航空会社の航空券は、預け荷物も8キロを超えると有料になり、座席指定、食事も有料だ。しかし、おにぎりや飲物は機内に持ち込みが出来るようだ。なんだか、日本の高速バスに乗り込むノリだね! 私が、ビザの手配と航空券の手配を終えてから、元会社のOさんと一杯飲んだ席で、今回の旅の計画を話をしたら、Oさんもエアアジアのホームページから航空券を買った。今回は、Oさんとはミャンマーの旅を2週間ほど一緒に行動して、Oさんはバンコクからクアラルンプール経由で羽田に帰 る予定だ。 2013年2月7日木曜日 ーバカは年を取らないー エアアジアのホームページ 昨日、覗いてみると羽田⇒クアラルンプール33000円 私は、1/11に購入 20000円だった エアアジアのチケット購入画面 クレジットカード決済だけ 名前、住所、電話、パスポート番号などを間違えないで入力する ビザ用の写真は昔に撮影したものだ 本来6カ月以内だが バカは年を取らないと言うではありませんか(笑) 格安航空会社の航空券価格は、日々変わる。安くなる事はなくフライトが近づくにつれて少しずつ高くなるようだ。私が、1月11日に購入した羽田⇒クアラルンプールは20,420円が、2月6日には33,000円で62%も高い。 今回は、『エアアジア』を利用して東南アジア6ヶ国を旅する。 2/9 羽田⇒クアラルンプール (20,420円) 2/13 クアラルンプール⇒ヤンゴン (7,388円) 2/27 マンダレー⇒バンコク (8,057円) 3/22 クアラルンプール⇒羽田 (20,420円) 合計で56,285円、全て燃油サーチャージ込の値段だ。 他の航空会社で格安航空券を調べてみると『チャイナエアライン』で、成田⇒台北⇒ヤンゴン往復は、基本料金86,300円+空港税3,680円+燃油サーチャージ23,600円+旅行会社の手数料1,050円、トータルで114,630円で『エアアジア』の2倍以上する。直行便を飛ばしていANA(全日空)は、265,000円もする。まーぁ、こんな高いんじゃ貧乏旅行者は利用できないよね。たとえば、『エアアジア』で成田⇔沖縄往復6,960円で行けちゃう。皆さんも一度、覗いてみて下さい。価格破壊だね!今まで何と高い金払って飛行機に乗ったかと思いますよ…。
2020.05.26
コメント(0)
全17件 (17件中 1-17件目)
1