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「思考と直覚」時間と霊魂67 ビッグバン直後の、宇宙の非常に初期、「初期宇宙」での加速膨張期(インフレーション)による重力波は、マイクロ背景放射の中に識別可能な渦巻きパターンを残しています。時間が存在すると仮定して、其れはビッグバン以前、ラムネのビー玉コアの生成、其の生成には我々の観測可能宇宙は誕生した1兆かける1兆かける1兆分の1秒後、超高速膨張を経て、無限小の点からビー玉ほどの大きさになったことを提唱しています。注意することは、空間は光より速く膨張しうるが、その中にあるいかなるものも光より速くは運動しないことです。宇宙インフレーション理論の第一人者の一人である米国のアラン・グーズはインフレーションを「ビッグバン(Big Bang)の中の衝撃(bang)のようなもの」と表現している。宇宙インフレーション理論は佐藤勝彦東大名誉教授と米マサチューセッツ工科大のアラン・グース(Alan Harvey Guth、1947年- )教授が1980年代初めに、夫夫(それぞれ)が独自に提唱した理論であり、発表は1981年に佐藤勝彦、次いでアラン・グースによって提唱されたのが事実です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月31日
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「思考と直覚」時間と霊魂66 幼いころから数に興味を持ち、5歳の時には遊びで30桁同しの数の掛け算をして見せ、小学生で微積分をマスターするなどの神童ぶりを顕した米国の1963年に出生したニューヨーク子ブライアン・グリーンはハーバード大学卒業、オックスフォード大学を経て博士号を取りコロンビア大学教授となります。彼は其の肩書に似ず最もポピュラーな一般向けの物理解説者として知られ、著書「隠れていた宇宙」にても弦理論から始まり宇宙のインフレーション(cosmic inflation)、初期の宇宙が指数関数的な急膨張を引き起こしたという、初期宇宙の進化モデルで、 ビッグバン理論のいくつかの問題を一挙に解決しようと試みます。彼のビッグバン理論では、我々人間の観測可能な大宇宙の始まりは、驚く程小さく驚く程密度の大きな空間が、おそらくは何らかの量子的経緯(プロセス)の中から膨張し生まれたとします。此のことは、 各人の価値づけや評価をする場合の基準であるレベルによって判断に相違が生まれるが、宇宙で最も古い光、あの有名な宇宙マイクロ背景放射に関する我々の研究が、この出来事は138.2億年前に起こったことを示しすとします。此の思考を空想的だと断言する人々もいようが、米国の天文学者エドウィン、パウエル・ハッブル(Edwin Powell Hubble,/1889年-1953年)は銀河が互いに遠ざかっており、その速度は遠くの銀河ほどより速いことを示した。この「動画」を巻き戻して見れば、過去には全てのものが互いにより近付ていく。然し現代においても、此の最も初期の瞬間、コア(核)の生成と爆発を物理学は記述することも理解することもより困難だと告白しています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月30日
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「思考と直覚」時間と霊魂65 物理学理論の「量子論」の量子力学は宇宙発生の最初の素粒子「重力子」との関係が、重力の弱さが原因で、量子力学の領域である原子や素粒子などの小さなスケールでは記述が困難であるため、これらの統合は非常に困難なことで知られています。此処から、素粒子は一次元の弦で出来ていると主張する弦理論、即ち、重力・電磁気力・そして核力という自然界のすべての既知の力を同時に記述することができる説が登場します。然し乍ら、弦理論を数学的に扱うには、少なくとも10の物理的次元を必要とするとします。我々には4つの次元、即ち、高さ、幅、奥行きとしての空間次元と時間次元しか観測できないため、もし理論が正しいのなら、余剰次元は何らかの形で隠されてなければならないことになります。我々の大きな4次元内の各点毎に、識別出来ない6つの方向が本当に存在しているのであろうかどうか。弦理論を確定するには余剰次元は見えないほど小さく丸まって「コンパクト化」されていないといけないということです。ところが、此の「6つのコンパクト化」は理論的に異なる物理法則を持つ宇宙を生み出すことになります。此の対応に活躍したのが、弦理論の発展に大きく貢献した物理学者であり、且つ一般向けの物理解説者でもあるブライアン・グリーン(Brian Greene/1963年2月9日- )です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月29日
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「思考と直覚」時間と霊魂64 閉じた箱、其れも2分の一の確率で酸素が無くなる箱、まして防音のの中に放り込まれた奇妙な生き物として表現される猫、シュレーディンガーの猫(Schrodinger's cat )の思考実験は聞いたことがあるもしれない。観測する人がいない限り箱の中の猫の状態は確定してないから、 誰かが観測するまで生きている猫と死んでいる猫はどっちも存在していないってこと。次いで、誰かが観測すると死んでいる或いは生きている猫の存在が確定するってこと。箱を開けるという行為が、生きているか死んでいるかという猫の可能な未来の一方に我々を導く。これが有り得ないことのように思える理由は、単純に我々の人間的直感がそれに馴染みないからです。此れが現代物理科学の最先端をゆく「量子論」の、量子力学の我々には奇妙な法則によれば、これは全く可能な事柄なのだと云うのです。数学的には、量子力学的状態はすべての可能な状態の和、若しくは重ね合わせであり、シュレーディンガーの猫の仮相実験は、これは「死んでいる」状態と「生きている」状態の重ね合わせとなる。箱の中身を開けるまでは量子力学的には可能性世界の未来が、量子力学の奇妙な法則によれば、これは全く可能な事柄なのだということです。シュレーディンガーの猫の場合によれば、「死んでいる」状態と「生きている」状態の重ね合わせとなる世界が重なり合い観測者が出現し、初めて「客観的な真実の」状態のみを我々は観測することになるという現実的な考え方、逆に、すべての可能な状態を真実であると受け止め、それぞれが多宇宙の中の異なる宇宙に存在していると考える思考的想定としての物理学理論が「量子論」の骨子です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月28日
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「思考と直覚」時間と霊魂63 平行宇宙と聞くと「ドキュメンタリー」に取り上げられても、其の存在はSienceictFionを自負する作家が、若干の現代理論物理学科学を自説に取り込み生成した内容と捉えられること屡々です。但し、そうは云っても、世界SF界のビッグスリ3と認容された技術士官(航空工学)として海軍に復帰したロバート・アンスン・ハインライン(Robert Anson Heinlein、1907年-1988年)、米国のアイザック・アシモフは生化学者でSF作家、ロンドン大学のキングス・カレッジに入学し、物理学と数学を専攻然し、豊富な科学的知識に裏打ちされた近未来を舞台にしたリアルなハードSF作品群と仏教思想に共鳴した作品を世に出しナイトの称号を得た科学評論家として名を成します。何れにしてもSienceictFionの作家を自負するにはファンタジーとは異なり科学的裏付けが必要であったことは時代の要請です。其れとても今は昔、現代はまさに、我々人間の生存する大宇宙其のものはが並行宇宙によって構成される「多宇宙」それも無限であるとする考察が、現代物理科学者の注目する思考の的(まと)になり、理論の構築が進み、今はもはや、其の検証の正誤を判断する段階に踏み込んでいます。宇宙構造を解析すれば、此の銀河系を含む宇宙はおそらく無限にたくさんある宇宙の一つであるという発想です、量子力学や弦理論などの現在の理論から導かれるものなのです。並行宇宙どころか無限の多宇宙理論が今は浮上します。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月27日
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「思考と直覚」時間と霊魂62 時間の進行には向きはないのであろうかとの疑問も当然に浮上します。時間が一つの方向に流れる意味合いは、記録が保存され、出来事が観察されることを可能にするということです。然るに、流れる方向が逆になると人間の精神上の時間の流れは観察どころか観相することさえすることはでき得ない。したがって、今現在に生きる人間には時間は二つの方向のどちらにも流れ得ることなど想像でき得ない。若しくは、物理科学理論の同時に両方へ流れている可能性もあるとする並行時間は理論を目にしても疑問のみが残ります。あらゆる観察者にとって、時間を経験するということは、時間が未来へ向かって流れている場合にのみ可能と思考するのは当然の成り行きです。但し、此の論法は我々人間が経験認識する時間は、或る一つの決まった方向にしか流れないが、現代物理学からすれば、時間をtとし「t」から「マイナスt」という方向の時間反転操作を行っても、元の方程式は其の姿形を変えない、あるいはその方程式が表わす運動が実際に存在する時に、その方程式は可逆、時間反転対称性があるともいわれ成立します。ニュートン力学や相対性理論の基本公式は、時間の正負を逆転しても成立する時間反転対称性を持つのです。並行宇宙論を認めればエントロピーを減少させる出来事を観想することは不可能事ではないがが、それを「系の中から観察する」のは不可能というジレンマが待ち構えます。我々が存在する時系列ではエントロピー増大の世界にいるため、そのような逆エントロピーの世界を自ら観察することは決して出来得ないともしますが、可能になればタイムマシンは製造されるでしょう。おそらくは、タイムラインの克服は平行宇宙が鍵を握ります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月26日
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「思考と直覚」時間と霊魂61 時間の進行を速め・遅速させ・停止させるという仮想は、今現在に始まったことではありません。例えば、ウラシマ効果、英語ではRip van Winkle Effectとなりますが、此れは専らサイエンス・フィクションの世界だけではなく、物理科学的には原則理論では光速度に近い速度で運動している系の時間の進み方は、静止している観測者に比べて遅くなり、亦、光速度の99パーセントで進む宇宙船内の時計は静止系の約1/7の速さで進むために、宇宙旅行から帰ってくると地球上では驚くなかれ約7倍の時間が流れている。名称はこの現象を浦島太郎の説話になぞらえたもので「ウラシマ効果」と呼ばれることになります。其の西洋版とも云えるワシントン・アーヴィング作の寓話リップ・ヴァン・ウィンクルも旅先で出会った小人に酒をご馳走になります。あまりに美味しいお酒なので、飲み過ぎて寝てしまい、目覚めると数十年経ってしまっていた、中国では邯鄲の夢は其の逆バージョンでしょう。事程左様に「場」による時間の経過の相違」は語られる寓話でしたが、現代では物理科学の技術が向上すれば、理論的には何ら不可思議ではなく定説となります。往年に放映されたアメリカン・ヒーローのスーパーマンや日本のTVの少年ジェットは時間を操(あやつ)ります。時間観想は人間に夢や幻滅を付与する「何かしらの」ちからを秘めています。人間の内世界には肉体以上に精神内の世界に眠る霊魂が時間を求めて止みません。外世界では時間の流れが運動量の変化であろうとなかろうと、別段のことはありません。然し乍ら、人間は未来から来たりて現在を経て過去に流れる時間。過去から現代を経て未来へと移動する時間なしでは持続した自己意識さえ持てるかどうかは確証できません。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月25日
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「思考と直覚」時間と霊魂60 古典物理学における時間論では、解釈的には連続体であり且つ実数で表せるとします。連続線上の時間はいくらでも細分化が可能なものとも思考出来得ます。詰まるところ、時間は限りなく細かく分割可能にして極限に近付ける。此のことから、物質の最小単位としての原子や素粒子があるように、時間にも最小単位があるのではないかとも考えられます。時間に関して時間子なるものが発見されれば此の疑問は解決します。逆に言えば、此のことから帰結するのは、時間にも最小単位があり、映画フィルムのように一コマ以下の一コマとしての時間は存在しないとする思考です。物理学なかでも量子力学ではこの最小時間間隔をプランク時間と呼ぶ「物理世界の最小単位。量子力学の基本量であるプランク定数hと、真空中の光速c、重力定数Gの3つの定数で決まる。プランク時間は5.391×10の-44乗秒。プランク長さは、その時間に光が進む距離1.616×10の-35乗m。この尺度では、重力も量子力学の影響を強く受ける。たとえば、時間の精度が高いため、不確定性原理でエネルギーが大きくゆらぎ、時空を曲げて強い重力場を生むとしていますが如何(いかが)なものでしょう。量子力学は物理世界観測問題の解決のための理論的なひとつの仮説である多世界解釈を分岐時間の考えを使っています。時間が木のように枝分かれするという時間観。分岐後は複数の異なる歴史の世界が同時進行しているのだが、これらの同時進行する世界同士を互いに並行宇宙または並行世界(パラレルワールド)であると云う仮設ですが時間其のものの本元が未だに発見されておらず全くの不明です。飛躍した仮説では並行宇宙または並行世界(パラレルワールド)は我々の宇宙の逆行する時間の流れを持つとも主張されます。即ち、老人は時間の流れに従って若返り母体の子宮に入る異世界時間が同時進行しているとの主張です。かってはアイザック・アシモフ(Isaac Asimov、1920年?1992年)やサイエンス・フィクションの巨匠サー・アーサー・チャールズ・クラ-ク(A・C・クラーク/Sir Arthur Charles Clarke、1917年-2008年)が科学に先行して先導する形でしたが、今現在では先進物理学理論はサイエンス・フィクションを超えています。現実がフィクションに先んじている環境が訪れているのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月24日
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「思考と直覚」時間と霊魂59< 人間霊魂の発生に関わる「有」としての絶対存在・絶対意思・絶対意識の存在の背景には時間が関与していることには疑いを挟み得ないとの言もありますが、始まりがあり終わりがある人生の身体の終末を齎すのは、時間に拘束されな特異点「有」としての絶対存在・絶対意思・絶対意識の存在の「理(ことわり)」から生じているのです。其のこと所以に神の非創造物であり理性において人間が絶対意思・絶対意識の存在の様態の延長とするならば始まりがあり終わりがある人生の身体の終末を超えた精神存在への参加が許容される可能性はあります。此の場合には人間が転生するのではなく「有存在」への帰還若しくは一体化です。人間が「絶対存在である有」に一体化するとも云えますが我をもって参入することは絶対存在が勿論のこと許容しません。人間霊魂は敢くまで「有存在」の絶対意思・絶対意識の受動態として働くのであり、逆の方向は有り得ない一方通行道路に過ぎません。世界時間は大乗の時間観とは相違し、絶対存在の時間は時間線上をただ一点を別にすれば世界時間には表示仕切れません。其の時間線上のただ一点の特異点とは神の永遠にして瞬間の現在只今の寸断されない体験する時間の瞬間に人間精神が感応すれば「瞬間」は永遠的に変貌し絶対時間に同化します。大乗の時間観とは微妙に思考が離れてはいますが、西洋的認識では大乗の祖「龍樹(ナーガール・ジュナ)」の過去・現在・未来を否定する現在時が「神の絶対時間」との接点です。人間がベルグソンが説く持続時間を超えた思考精神に恵まれ時間の物理的流れから解放され寸断・連続が可能となれば人間も「永遠の瞬間」に相まみえることも不可能事ではありません。生前に其れを得度した人物を著者はシッダールタを除いては知りません。イエス・キリストも人間の霊魂と身体を授けられている以上、時間の流れからは逸脱あい叶わぬ制約がありました。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月23日
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「思考と直覚」時間と霊魂58 1983年にスティーブン・ホーキングとジェームズ・ハートルは、時間的に大宇宙の始まりが「端」即ち「先端」を持たない宇宙モデルを提案します。簡略化すれば、時間を普通に現実存在としての世界の一般数である実数としてではなく、其の世界に「無境界仮説」としての「虚数時間」を持ち込めば、大宇宙の初(はじ)まりという基準が適用できない「特異点(Singularity)」滑らかでない点・針の先など、譬えば 1/x のグラフは x=0 に特異点を持つなどと捉えられますが、宇宙論などの文脈では、あらゆる物理量が無限大になってしまう点、果てのない大宇宙も特異点を指すことになります。ロジャー・ペンローズとスティーヴン・ホーキングはブラックホールには必ず特異点があるという「特異点定理」を理論的に証明しますが、数学的には認識されるものの物理科学では今だに其の証明には及んでいません。此れを受け入れれば今までとがっていた先端が,おわんのように丸くなめらかになって,どこが端だかわからなくなってしまう「はじまりを含めてすべての点で,宇宙の状態がなめらかである」この条件によって宇宙の状態が限定されれば、ビッグ・バンの「コア(核)」なる見えざる源(みなもと)を求めることも、ビッグ・バンの重力の海から派生した時間の至元を求めることからも解放され、「有」としての絶対背存在・絶対意思・絶対意識の存在問題は形而上の課題としては残るにせよ、時間間隔等々の始まりと終わりからは解放されることになります。此の「虚数時間」を持ち込んだ「無境界仮説」としての条件によって宇宙の状態を限定することが成し得たならば宇宙誕生の経緯を説明できる可能性を秘めています。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月22日
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「思考と直覚」時間と霊魂57 二十世紀最大のイギリスの車椅子の天才理論物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking)、大英帝国勲章(CBE)受勲、FRS(王立協会フェロー)、FRA(ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツフェロー)等々に見られる輝かしい履歴を誇ります。彼は一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知ら占めます。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、続く1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、現在の量子宇宙論という分野を形成。現代宇宙論に多大な影響を与えている人物ですが「時間」に関して1983年に発表した無境界仮説において、複素数にまで拡張した時間を計算に使用し「虚数時間」を導入し宇宙の始まりでビッグバン以前の時間が虚数であれば時間的特異点が解消されると主張しています。尚、此処で取り上げている「虚数時間」とは類似言語である相対性理論の時間軸としての虚数表現 ict(i は虚数単位、c は光速、t は時刻)としての「虚時間」があります。しかし、ホーキングの云う「虚数時間」は「無境界仮説」としての引用であり、「虚時間」の特殊相対性理論を虚時間を使って記述すると、数学的取り扱いが容易になるのとは異なります。。たとえば、ミンコフスキー時空は4次元ユークリッド空間となり、ローレンツ変換は回転となる。数学的便宜で用いられる「虚時間」と「無境界仮説」としてのホーキングの云う「虚数時間」は意味合いが異なるにも関わらず同様の使いまわしが行われているために両者を混同されているのは問題です哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月21日
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「思考と直覚」時間と霊魂56 ギリシァの三哲が「造物主たる神」を超えた「絶対存在」を持ち出し、「神」を「創造者」から「造物手(主)としての匠」に貶(おとし)めたとしたともとれる思考に対して、聖者アウグスティヌスは、世界は何かしらのカオス(混沌)から造られたものではなく、神は「造物者ではなく絶対的存在としての意思と精神と意識をもって世界を全くの無から創造されたものであり、世界の秩序や形相、即ち、重力は勿論、光や時間、大宇宙のありとあらゆる物質と其の運動、人間生命を頂点とする生命体系、其の精神である神の様体の延長としての「霊魂」までをも「全くの無」から創り出したと反論します。此処で或る疑問が浮上します。仮にアウグスティヌスの主張を認めるにしても、世界は何故(なぜ)に其れ以前には創造されなかったのか。神が世界外存在だとすれば、時間は全くの「永遠」或いは「瞬間」であったのかどうか。そもそもが、世界なくして神の存在がありうるのかどうかの疑問です。時間に関しては、アウグスティヌスは時間というものは世界が創造されたときに創造されたのだと主張します。何故(なぜ)なら、神は内世界の時間を超越した存在であり、神にとっては永遠の現在があるばかりだからです。将又、神は世界や時間を創造する前から存在していたわけではない。そうだとすれば、神は時間の流れの中にいることになってしまう。そうではなく、神は時間の流れの外側に立っているのだとも説きます。時間は一般的に人間が観想するような客観的なものではない。確実に存在した過去とか、絶対に訪れるべき未来とかについて、我々人間は、それらがあたかも客観的な存在であるように考えているが、それは実は意識の錯覚に過ぎないのだと断定します。此のことから帰結されるのは、真に存在するものは過去でも未来でもなく、只々、今現在だけである。然し乍ら、過去や未来は人間の意識の中に確固とした存在性をもっている。過去や未来は人間の意識の中に確固とした存在性をもっている。過去はあったのであるし、未来はやってくるに違いないと観相しているが仮想だとします。大乗の祖「龍樹」の「中論」の19章「時の考察」の言通りの「先(過去)」とか「後(現在・未来)」は独立した別々の存在でもなく、また、同一存在の単なる別名でもない。それらは依存関係(縁起)をしめす。先後関係そのものの「時間」も、事象に依存している。だから、事象がなければ時間もない。時間が依存しているところの事象さえも、それ自体では成立しているのではなく他に依存している。このように、時間はさまざまなレベルによって成立していることをアウグスティヌスは八宗の祖と同様に「神」を以って説明します。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月20日
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「思考と直覚」時間と霊魂55 キリスト教の世界創造観と対称的ともいえるギリシァの神話的創造神話は、宇宙の根源にはカオスのような物質が充満していて、それに神あるいはプラトンの「ディマイオス」に登場する世界のギリシア語では「職人・工匠」デミウルゴス(Demiurge)即ち造物主が秩序を与えて今日のような世界を作り上げた。宇宙の根源にはカオスのような物質が充満していて、それに神あるいはデミウルゴス、ギリシァに云う造物者としての「匠、技工」が秩序を与えて今日のような世界を作り上げたと観想しています。プラトンが宇宙創造を頭に描いているときにも彼に批判的な思想はあり、初源的な物質には神が形相を付与したのだということを酒ょうしますが如何なものでしょう。プラトンの著「ソクラテスの弁明プラトンはプラトン些(いささか)か其れを批判しているかのようにも取れます。アリストテレスにおいても同様とする向きもありますが、かなりの疑問の余地を残します。然し、彼らギリシァ人にとっては、神というものは絶対創造主であるというより、技工として即ち「匠(たくみ)のようなものだと捉えており、神々の争いによる相互の滅びが其れを証明しています。シッダールタの死すべき神の存在を彷彿とさせてくれます。此処にソクラテスからプラトンへを経てアリストテレスへと続く「絶対存在」が神を超えた存在が浮上します。 哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月19日
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「思考と直覚」時間と霊魂54 キリスト教神学なかでも初期キリスト教の西方教会最大の教父で、正統的信仰教義の完成者アウグスティヌスは聖書を深く読み解き、そこに書かれたことを己の論証のよりどころとした最初の人、釈尊の教えの言質(げんち)其のものではなく論証のよりどころを追求した人物であり、彼なくしては現代にキリスト教が支配的であることは望むべくして望み得ない事態に陥っていたかもしれません。勿論、彼の思想に不合理な部分ないとはいえません。然し乍ら、中には近代以降の思想にも通じる普遍的なものもあります。アウグスティヌスの哲学的な思弁の中でもっとも興味深いのは、世界の創造と時間を巡る自説でしょう。彼はそれを「告白」の第11章で展開。現在世界は神によって無から創造されたとする聖書の言い伝えを擁護しています。此の無からの創造ということについては、当時のギリシァ人にとっては理解できないものです。多かれ少なかれギリシャ思想に染まっていた同時代人にとっても、似たような事情だったに違いないと察せられます。同じキリスト教徒の中においてさえ、神が世界の外側にあって、無からそれを作り出したとする聖書の記述には、疑問を投じられることになります。世界外存在の認識は神が無から世界を創造したことに関しては合点がいきますが、創造後の世界への干渉には疑問符が付きます。何故なら神が良しとする世界は完璧であり世界の創造以降に関しても結果を見据えており完璧だからです。但し、神が絶えず世界に干渉しているとする説も有力です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月18日
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「思考と直覚」時間と霊魂53 ニュートン力学における時間は、始まりもなく終わりもない無限の過去から無限の未来へ続く直線であり、これは数直線と同型である。また相対性理論においては一人の観測者が感応する時間、即ちひとつの「質点」幾何学的に理想化して顕された物体の点状表示、質量だけあって大いさをなくして、位置だけを占めると仮想します。物体が運動の範囲に比べてきわめて小さい場合、あるいは回転を考えなくてもよい場合には、どんな物体も質点とみなすことができ得る。更にアインシュタインの特殊相対性理論によれば,互いに等速度運動している座標系では時間の進み方が異なる。物体が静止しているようにみえる座標系、つまりは物体に固定された座標系で測った時間間隔をその物体の固有時は、数直線と同型である。これは、時間の原点が意味を持たないことから来る現象で時間論には非常に有力ですが、時間が無限の過去から無限の未来へ続くのではなく、始まりと終わりのある有限なものという、言い換えれば人類が存在する世界を創造という原点を持ち終末という直線的な時間を説くキリスト教的な時間、ニュートンの時間が無限の過去から無限の未来へ続くのではなく、始まりと終わりのある有限なものという考え、加えて時間の流れの存在を簡明に述べるのがアウグスティヌスの時間論です。時間は神によって創造されたものであり、始まりを持つものである。これは世界や宇宙の始まりと終わりを考えることと同じことになる。此のことにより新たな世界創造としてのイエス・キリストが治める「復活世界」を描くなどの一方向の直線的時間論です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月17日
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「思考と直覚」時間と霊魂52 時間の有限や無限の観想は人間世界観にどの様に影響を齎すのか。古来、西方世界に根付いた時間観は、古代北アフリカのエジプトの宗教、ユダヤ教の世界、古ゲルマンの世界観では時間は円環して無限に続いているとする考え方が主流であり、キリスト教に至って時間は直線的で有限、福音通り神の審判を受け入れる時に「時間」は神の世界の「永遠の時間」に再生するという報償論が説かれます。神話の世界では、どの地域世界においても世界の始まりの因を説きます。さて置き、近代の物理学においては、20世紀でもっとも重要な天文学的発見とされる膨張宇宙の証拠を初めて発表したのは、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルだとされています。其のこと故に、宇宙の膨張の仕方は「ハッブルの法則」、 膨張率を表わす数字は「ハッブル数」と呼称されます。 さらに、宇宙を探る最高性能の宇宙望遠鏡であうハッブル宇宙望遠鏡HSTにはその名が刻まれています。ところが、ハッブルが宇宙膨張の論拠を発表する2年前、1927年に、ハッブルと同じデータを使い、同じ結果を出して発表していた人物がいたのです。それが、ベルギーの聖職者ジョルジュ・ルメートルです。彼はハッブルが自分と同じ結果を出したことを知って、自分の結果が正しかったことに充たされ、興味はもう次の研究テーマに移ってます。 今なら、壮絶な「発見の先取権」争いが起きてもおかしくないでしょうが、ルメートルはそんな俗っぽい顕示欲とは無縁だったようです。 ルメートルは宇宙創生の理論であるビッグバン理論の提唱者と目されていま。彼自身は自らの宇宙の起源に関する説を 「hypothesis of the primeval atom(原始的原子の仮説)」、宇宙は primeval atom(原始的原子)の爆発から始まった」とする説(ビッグバン仮説)を発表しています。時間が円環的ならば人間の霊魂の不滅と再生は全くの茶番とは言えません。時間が無限の過去から無限の未来へ続くのではなく、始まりと終わりのある有限なものという考えるキリスト教的視点から見れば、信教上の「神」存在の介入無くしては人間霊魂は復活能わざることになります。此処に、インドのカースト制に悶え苦しみ、人間転生に怯え苦しみ輪廻のもといを断ち切りたいとする時間線上の対立が西洋的時間観と東アジアの時間観に類似性を生じさせます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月16日
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「思考と直覚」時間と霊魂51 人間思考の時間の長短・緩急を慮(おもんばか)れば、人間夫々の人生観、延いて(ひいて)は世界観とも深く関わってくることに驚かされます。時間の長さは個々の人間の外感覚や内精神と結びつき個々別々の感性と結びつき時間の流れの長短・緩急は人(ひと)其れ其れです。例えば、紫式部の源氏物語の時代背景の時間の流れは現代人の時間感覚とは相違し緩慢であったでしょう。情報量の増大は人間思考の究明する能力を高めますが、世界というものを、自己の肉眼で感じないものも含めて意識するか、世界と現世の関係をどの様に捉えるか、自分が肉眼で感じているものだけに世界を限定してしまうかによって人間の内精神にとっての時間の流れは緩急交々の状態に陥ります。小学生の遠足や修学旅行の当日までの期待感から来る時間の流れの遅さを想像すれば、紫式部の源氏物語の時代背景の時間の流れが、現代の情報量の増大が如何に現代人に生涯年齢の長命と引き換えに時間間隔を縮めているのかは納得できるでしょう。今から1200年前の「平安時代」の平均寿命は現代人の半分以下でしたが、時間的生存感覚は現代人の二倍乃至それ以上だとも云えわれ、精進料理や薬膳・節制からの効果で高齢の僧侶が尊敬されるのは年齢の嵩みが尋常でないことも一因です。時間という概念は事程左様に人間精神に深く浸透しているものであり、人間精神の内奥で人間世界観を左右します。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月15日
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「思考と直覚」時間と霊魂50 時間は人間の居住世界や人間の精神内の世界、将又、人間が関与出来得ない世界である不可視である「世界外の存在」を思考上、或いは信教上顕現化するにもまして、時間は「真相を実体化する」のに何かしらを関連付けさせるパワー(ちから)を秘めています。人間にとって時間は人生の基底であり霊魂の持続は其れに依存し、人間が具象化し得ない不可視なる存在、究極の瞬間であって永遠なるもの「見得ざる手」との接点に成り得る可能性を持っているからです。時間は人間の霊魂の「可能性としての力(ポテンシャル)」として作用します。其の意味では時間は物理的であろうと人間の観想であろうと、永遠・瞬間のポテンシャル(潜在力)として働きます。仮相並びに現実を問わず時間の流れの無い世界は時間線上の特異点、絶対存在の絶対意識の内にあるのです。更には、場所により時間の流れる速さは異なるということは相対性理論を持ち出すまでもなく古代から言われ続けています。偽経にして仏教を哲学化した「大乗」では、仏の一日は「下天」の「娑婆(しゃば、さば、梵:サハー)、釈迦が衆生を教化するこの世界」とは人間には想像外永きに亘っており、其の時間の流れる速さが娑婆とは異なるとします。現実にも地球上の時間の進み方は重力ポテンシャルが異なり移動速度が異なる人工衛星での時間の進み方・時間の流れる速さが異なる故に、現在では度々見聞するGPS、地図アプリでのナビからポケモンGOにいたるまで、何かと便利な位置情報で時刻の補正を行って位置を測定していることからも、ニュートンの時間の等速・等質は精密には成り立たないのが「時間の流れ」の真相です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月14日
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「思考と直覚」時間と霊魂49 現代の児童が修学する自然科学では、当然のようにニュートンの時間の等質運動・変化を受け入れています。此のことから成人しても安易に「時間は常に一定の速さで過ぎるものでそれに合わせて様々な現象の進行速度や周期の長さが計れる」などと考えてしまう傾向に陥りがちです。但し、一般的には其の観相で生活全般に矛盾を齎すことはまずありえません。ある種の周期的な現象、例えば夜空に煌く太陽や月、その他諸々の星の天体の周期運動、人間が時を刻んでいるのを観相するための振り子の往復運動としての揺れ、水晶子の振動、電磁波の振動などの繰り返しの回数等々は、其々の位置を他の現象と比較しているだけであり、理的な時間の定義を示すもであるかどうかは実は定かではありません。何か絶対的な時間そのものの歩みを計っているものなどは、アインシュタインの相対性理論を持ちます出すまでもなく、ニュートン時間の等質・均一的の世界時間論にしても時間の「持続や断絶」を見極め切れないからです。時間は実は独立した物理学的なものであるかどうかも定かではないことから来る矛盾です。光子が時間に関与しているにせよ「時間子」たるものはいまだに発見されておらず、現代の自然科学を習得し、其の枠内で思考している人間は、つい軽く甚だ「時間は常に一定の速さで過ぎるものでそれに合わせて様々な現象の進行速度や周期の長さが計れる」などと捉えがちですが、絶対的な時間そのものの歩みを計っているかどうかは甚だ疑問なのです。「時間」を常に一定の速さで過ぎる時間とした理論を発表したガリレオ・ガリレイによる「振り子の等時性の発見」とその後の「機械式時計」の発達以降の近代において時間の等速性が優勢になってきたとも言われますが、其れ以前の時間観、古代における人間生活は当然に太陽に支配されているので、太陽の出入の時点を基準として昼夜を区別し,其の昼夜各々の時間を等分することによって時刻を定めたとされます。此のことから定めた時間は季節によって異なるばかりではなく、1日でも昼夜でその長さが異なっていた「不定時法」も考慮されていたことも物理的時間と人間の時間観想の差異を認識することもは時間を観想するには必要です。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月13日
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「思考と直覚」時間と霊魂48 「時間」は物理学上の客観的時間と生物及び精神学から見た主観的な時間に大きく分けて考慮する必要性が、人間霊魂の不生不死や転遷転生を思考する上では極めて重要な位置を占めます。主観的な時間とは何も人間に限ったものではなく生態系に組み込まれた凡そ汎ゆるもの、認識には隔たりがあるとも個々の生体に応じて異相、即ち、個々の生体の時間の速さは異なると推し量れます。例えば、空中でのホバリング(停滞飛行)によって空中の一点にとどまることも、飛びながら後退することも自在である位置停止が出来得る南北アメリカ大陸と西インド諸島に分布するハチドリは並の心拍数ではなく、全動物中で最も活発な代謝をおこなっている。 心拍数は毎分1260回に届き、アオノドハチドリの測定では、安静時でも呼吸数が毎分250回に及ぶ。 ハチドリの飛行中における筋組織の酸素の消費量は、人間の優秀なアスリートのそれの約10倍にも匹敵します。 高エネルギーを必要とするホバリング飛行の為に、摂取した糖を燃料に活用するハチドリの能力は、脊椎動物の中でもまれで、摂取した糖によって代謝を100%増強することができる。対して、有力アスリートでも代謝率は30%にしか達しない。生物種間の時間感覚・体感時間は人間の何百倍の速度でしょうが、ハチドリの主観意識は其れが時間の常態であり絶対時間ととなります。子牛を丸呑みし半年は動かず寝て暮らす9メートル級のニシキヘビともなれば人間寿命を超えた長生きと脈拍のスローダウンが見られます。彼自体に認識があるとしてニシキヘビの主観からすれば其れは其れで常態です。ベルクソンならずとも、時間を観想することに疑問を持つことは生物及び精神学から見た主観的な時間からは当然のことです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月12日
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「思考と直覚」時間と霊魂47 人間が論理的に分析する変化量としての時間、ニュートン的な等質・均一的時間はさて置き、人間自体が感じる時間は気分や年齢等により変化するのは、時間の緩急を経験することは中高年者であれば誰しも経験しています。例えば同じ曲を流しても、安静にしていたり寝ぼけている時は時の経つのが速く聴こえたり、激しい運動・活動の後では遅く時の経つのが聴こえる事実。年齢を重ねれば重ねる程に、一日なり一年が過ぎるのが速くなってきているという感覚は中高年齢層の共通観念だと断定出来得ます。年を重ね自分の動作や思考の速さや時間当たりの作業量が低下すると、相対的に時間が速く過ぎるように感じる。若い時に10分で歩けた道を歩くのに20分かかるようになったり、1日で片付けられた仕事に丸2日もかかるようになったりすると、時間が2倍程度速く過ぎるように感じることになる訳です。且つ又、人間は其れ迄生きてきた経験の量の比率のようなもので時間を感じているとも云われます。人間精神の特異性は此処に顕れます。8歳の子供にとっての1年が人生の8分の1であるのに対して、80歳の老齢者にとっての1年が人生の80分の1であることからも説明ができるのは、人間精神の心理的な時間は、其々様々な要因によって影響を受け伸長収縮する。実はその影響の度合いは大人に対し子供の方がずっと影響を受けます。大人は心理的な時間の伸縮に左右される出来事があっても「短く感じられるが実はこのくらいだろう」と心理的時間を補正でき得るが、子供は出来ない。大人はこの「時計時間」に支配されるが、子供は「出来事時間」に支配されることから来る現象です。時間の流れは人間に限っても受動的には緩慢・緩急が曖昧で体内時間や精神内の感応時間及び物理時間には大きな隔たりがあることを認識した上で時間を観想してみることも人間霊魂の実相を究明する鍵となりそうです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月11日
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「思考と直覚」時間と霊魂46 時間概念は現実生活のみならず人間の深奥に噛み入る重要要素として人生とは切っては離れ得ない問題です。「哲学上の絶対存在としての神」「宗教上の絶対存在としての神」も人間思考の観点からは「神の瞬間としての永遠」が浮上します。仮に、此れを全面否定すれば大森荘蔵の世界観に従うと「現時の今」以外には外世界は人間の記憶には在るものの、外世界に実相的には仮空であり夢想的なもの今現在い以外は皆無なものとして人間の記憶だけに存在し続けます。大森荘蔵は人が過去を思い出すとき「過去の写し」を再現しているのだ」と考えがちなことに注目する。大森はそのような「写しとしての過去」という理解は錯覚であるという。そのような過去のモデルでは、まず写される対象としての正しい過去が存在し、人間の時間観想に限ったことではあるが劣化コピーとしての過去が記憶の中に存在するという。過去の記憶が正しかったかどうか考えるとき、想起という様式から離れて記憶の正誤を判定する過去は存在しない。想起同士の比較ができるのみであるとしますが、IT先端時代の現代ではコンピューターが過去其のものの再現可能性を秘めていることから鑑みて過去時間其のものが消滅するとは考慮の余地を残します。大森荘蔵には増して未来は現実味を帯びていないことは断定できるでしょう。過去・現在・未来の連続性を断ち切られてしまい、人間霊魂の転回や転生、絶対存在の創造した其の限りにおいての絶対世界は連続性が断ち切られ、神の様態としての霊魂は瞬間瞬間で消滅し断絶転回します。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月10日
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「思考と直覚」時間と霊魂45 大森荘蔵は、人が過去を思い出すときには「過去の写し」を再現しているのだと考えがちなことに焦点を当てます。大森自身は人間認識として其のような「写しとしての過去」という理解は錯覚だと断定します。人間の過去の想起は写される対象としての正しい過去が存在した事実が在り、其のことを描写した劣化に変した写しとしての過去が記憶の中に存在するという。過去は「想起という様式」で振り返られる中にのみ存在すると思考しています。過去の記憶が正しかったかどうかを考えるとき、想起という様式から離れて記憶の正誤を判定する過去は存在しないし想起同士の比較が出来得るのみであるとも主張します。世界五分前仮説、哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、アリストテレス以来最大の論理学者の1人として、其の業績は、従来の体系における時間パラドックスの発見、つまり世界は5分前に出来たのではない、引いては過去というものが存在すると示す事が不可能なため、「知識とはいったい何なのか」という根源的な問いへと繋がっていくとした第3代ラッセル伯爵。「5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。」と主張するバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russel/1872年-1970年)、1950年にノーベル文学賞を受賞しているラッセルを大森は其の言を否定します。大森の世界存在には今現在のみが在り、過去の次元は現在にはなく人間の想起にのみ存在するとしたものであり、過去世界は今はなき世界と説きます。察すれば「時間」には過去のみならず未来時間もあり得ません。絶えず「瞬間」の現在が移動するのみです。此処には、霊魂の侵入や再来、絶対存在・意思・精神・意識は否定され、神存在其のものが否定されそうですが「時間」を絶対時間と、相対時間とに区分けすれば一応の矛盾からは逃れ得られます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月09日
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「思考と直覚」時間と霊魂44 西洋のみならず極東の日本でも時間存在と其の時間意識を取り上げた哲学者は西田幾多郎(にしだきたろう)のみならず多くを数えます。なかでも東京帝国大学理学部物理学科物理学を専攻したのち哲学に転身し、アメリカ留学後には論理実証主義、なかでも分析哲学の紹介者として日本の哲学界に科学的哲学の立場をとるグループを形成し、第二次世界大戦前から続く実存主義、マルクス主義などとは異なる哲学い新たな局面を開いた大森荘蔵(おおもりしょうぞう/1921-1997)には、彼の独自思考の時間観念が溢れています。1990年代に入っ、矢継ぎ早に「時間と自我」「時間と存在」「時は流れず」という、いずれも時間論と他我の問題を主題とした著作を次々と顕しています。ここで大森は、「現在」が経験されるのは「知覚経験」を通したうえであるのに対比して、「過去」が経験されるのは「想起経験」を通してであると捉えたうえで、カントの我々人間の周辺に広がる世界は、従来思われてきたように物のあるがままに現れているものではなくて、感性の先天的形式「空間・時間」を通して外から与えられた物が、理念の能力である理性とは異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力である悟性の先天的形式「範疇(はんちゅう)」によって総合的に構成された論理的な思考を行う能力・知力である。「悟性」を既に「空間・時間」という主観の形式を経由したものであるから、我々人間の感覚を刺激する外なるものをそのあるがままには認識することができないとし、それをカントは「物自体」と表現、彼の哲学の要石(かなめいし)・基底とするのですが、此の思考体系に論及して大森荘蔵は自らの時間観を対比させて語ります。過去の実在としての「過去自体」についての「素朴実在論」をば否定し、言語的制作物としての過去を描いて喩えてます。且つまた、他我の意味は私が経験する命題のネットワークから制作されるとも論じています。現象主義的立場を徹底することにより、現象の理解を、それを制作する行為の場面に定位させようとする境地に至ったともいえましょう。時間は心の迷いであり外世界には独立した「時間経緯」は存在しない。時間は何らかに依存性を持つか、アリストテレスの運動並びに変化量を表わす人間思考の精神の感受性からくる妄想だと言いたいのでしょう。瞬間を一切の過去的なも、未来的なものをもたぬ現在的なもの其のものと捉えていることになり、外世界は時間の連続性を断ち切られ、変化量の変動世界に踏み込みます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月08日
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「思考と直覚」時間と霊魂43 現代物理学の最先端をゆくIT技術を駆使して、世界創造の原理に踏み込む理論物理学では、世界創造の起因其のものである{素因}は、未だに解明されないまでにしても、現象理論的には解析物理学が世界創造のコアの発生(はっしょう)から以降の其の経緯が理論的には解明されつつあります。「時間の発生は」空間、重量子からの空間経緯による重力の海なくしては発生しなかったことは一般認識化されつつあります。但し、時間を可逆化させるという技は今だに「夢(空想)の時間」に留まっています。時間の流れが「不可逆現象」とされているからです。此の時間の流れの「不可逆現象」は、頓(とみ)にビデオ映像や映画フィルムの逆回しで説明されることが多いのは御存知の通りです。自然界においては不可逆な現象は、可逆な現象よりもむしろ「覆水盆に返らず」などの諺どおり定型的なものです。然し乍ら、ビデオの逆回しという考えからは、人間は時間の方向を一方向にしか認識出来ていなする思考上の問題だけではないかという解釈も出来る。例えば、時間とは変化を認識する事で初めて知覚する現象であり、ビデオの中の登場人物は何回巻き戻しを実行しても結局は同じ行動を繰り返すため、巻き戻しという逆方向の変化を認識出来得ない。つまり、ビデオの中での世界の人物其のものは時間の逆行に気づく事が出来てはいない。しかし、ビデオの中での世界の人物には時間の逆行は何回も起きているのであり、此の変化はビデオとは異なる外世界から観測しなければ、其の変化を認識する事が出来得ないパラドックスに陥ります。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月06日
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「思考と直覚」時間と霊魂42 時間である其のものの本体に仮に運動性があると想定したならば、現在から過去に転じた時間は世界内に残存且つ存在するのであろうか。時間が空間に準ずるのであるならば時間は連続性を持つとも考えられます。但し、時間を空間や運動・変化から切り離した場合、おそらくには、人間精神は時々刻々の進捗を求める術(すべ)に困難を極める筈です。人間が過去を想起するときには、眠っているときの夢であれ、時間観念は持ち込まれていますが、其の夢には空間観想が持ち込まれている筈です。時間の流れの急速・緩慢の違いは覚醒時とは違(たが)えども空間を夢想しています。アンリ・ベルクソンの人間が今まさに体験している時間に瞬間的停止側面は見い出されない。人間生活に必須とされる時計は「時」即ち「今」を刻んでいるのではなく、一定の間隔の動きを示すのみの存在であり、其処に時間の要素は立ち入らない。人間が経験している時間というのは人間が思考上組み入れた概念であって「空間化された時間」ではないと指摘、外世界の時間そのものを否定的に扱っています。時間が物理世界から切り離され、存在根拠を失うと解釈される危険性を孕んでいます。仮に「時間子」なるものが存在しないにしても、人間精神に時間意識を植え付ける要因が外世界には存在する筈なのです。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月05日
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「思考と直覚」時間と霊魂41 ニュートン的な時間とは無限大とした大宇宙の空間は原点としての中心点を何処に求めるかは任意的適用が可能であり,n次元の運動群の作用する等質空間を想定しています。ニュートンは「時間」は過去から未来へと何(いず)れの場所でも常に等しく進むもので、空間と共に現象が起きる固定された舞台のように想定しています。ま此の等質的に固定された世界における空間を「絶対空間」と彼は呼び、等質的な時間を「絶対時間」と呼称します。ニュートン力学では、空間座標と時間座標は独立であるとしたため、時間座標(時刻)は空間座標(位置)の媒介変数(parameter)とした論にアンリ・ベルクソンのみならず、フランスの哲学者にして科学に重きを置き科学的知識の獲得の方法についても考察したガストン・バシュラール(Gaston Bachelard/1884-1962年)も亦、アンリ・ベルクソンと同様に異論を唱えます。然し乍ら、アンリ・ベルクソンが一般的に受け入れ思考されるニュートン的な時間を彼独自の思想「純粋持続」として捉えたのに対して「瞬間の連続」だと説く、する人間精神が感じ観相する精神の時間経緯の観想に重点を置くアンリ・ベルクソンとは相違、人間精神が感じ取る時間現象は常に現在の「今」であり、厳密には「瞬間」だとし、其の瞬間が頭脳に記憶をせしめ次の瞬間に移るときに比較相対され時間が流れとなる。此のことから「瞬間瞬間をより高く深く生きる事が、よりよく時間を過ごす事となる」とするガストン・バシュラールの時間論が浮上します。然し乍ら、語彙的に「瞬間」に流れである運動の「幅」を持たせていることから、瞬間とは幅も大いさも何もない「点」、ユークリッド幾何学からはかけ離れ、瞬間を連続すれば線分に転化する理屈になり疑問点も生じます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月04日
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「思考と直覚」時間と霊魂40 人間精神において、時間と空間の一体どちらが根源的な認識様式であるかという問いに関しては、どちらかといえば時間であるという見解がカントの純粋理性批判には見出されます。西洋の伝統的な思考では、世界事象は空間的且つ視覚的に捉えられる事が多いのが一般的な事実とはカントの思考は経験主義からは遠のいています。其のものの実相が見えない以上、「時間」其のものを純粋に実体経験することがあり得ないからです。時間を視覚的に見た人間がいないことからも当然の帰結です。アンリ・ベルクソンは一般に思考されるニュートン的な時間の観相は、空間化された時間観想に基づくものであり図式化された四次元グラフのように線分化出来るものでもないし、人間が今まさに体験している時間に瞬間的停止側面は見い出し得ない。人間生活に必須とされる時計は「時」即ち「今」を刻んでいるのではなく、一定の間隔の動きを示すのみの存在であり、其処に時間の要素は時計は立ち入らない。人間が経験している時間というのは人間が思考上組み入れた概念であって「空間化された時間」ではないと指摘します。ベルクソンは時間を「純粋持続」であるとします。とはいえ、「純粋持続」とは人間観想から見た立ち位置であり、物理科学的には問題を醸(かも)し出しています。何故なら、時間が空間観想やエネルギー現象から離れて人間精神に要素を置くことになるからです。現代物理学では時間が時間子のあるの有無に拘(かか)わらず変化の重要な素子として働く重要な位置を占めます。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月03日
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「思考と直覚」時間と霊魂39 何ゆえに「時間」が人間にとって此れ程までに重要視されるのでしょう。人類が史上に記されるように成った有史以来、人間は生と死、老齢を見続け、其の解答を求めているのは事実です。人間の立ち位置からすれば空間より時間観念が生理的にも精神的にも優先します。時間こそが人間の根本的な認知方式のひとつと看做されていることにより時間は人間の概念を暗示的に表現する。時間の暗示的に表現するメタファーは、単に言語の問題に留まらず、更に根源的で、空間の中における3D的身体と空間変換要因を持って生きている人間が世界を把握しようとする時に避けることのできないカテゴリーとしての時間の把握の作用原理なのです。極論すれば人間は空間観想なしにでも時間を観想できることは夢で時間を観想することが可能なことからも出来得ます。然し乍ら、オーストリアの精神科医で、催眠による治療を始める精神分析の創始者ジークムント・フロイト(Sigmund Freud/1856―1939)父はユダヤ人で羊毛の商人。異母兄が2人いるが、8人兄弟の長子をフロイト持ち出すまでもなく「夢の時間感覚」は其の人物の精神的体験の時間経緯から引き起こされる事象であり空間とは独立した事象です。とはいえ、ベルグソンの云う純粋持続とは掛け離れています。夢想の時間経緯が事実ならば外世界には時間経緯は存在せず「空間変移」と「運動変化」のみが存在すると云わざるを得ません。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月02日
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「思考と直覚」時間と霊魂38 ニュートン力学をイマヌエル・カントは力学の体系を学び育てたケーニヒスベルク大学で哲学教授となり、自らの手で其の大学(Albertus-Universit?t K?nigsberg)で講義しています。特に「時間」概念にあっては、自らの理性が齎す理性的判断においての直観・直覚が象多種多様な認識すると思考します。経験的哲学を基底に置くカントにとっては「時間及び空間」の直観形式は、経験や体験を通して、人間の観想としては、所謂、外的なものからの刺激を感覚器官によって得たものを、精神が空間的に受け取り内的要因なものとての時間観念として受け取る精神を直覚として捉えます。其の直覚に純粋悟性概念を適用することによって時間概念は成立するものとします。空間は外感覚によって直観され、時間は内感覚的な要因によって直観される。此処で問題に浮上するのが、時間が空間の直覚を喚起させるのか、或いは将又、空間が時間を直覚を喚起させるのかは、カントの理論の解釈はさておき、時間と空間の一体どちらが根源的な認識様式であるかという問いは重要で世界を観相するにおいての重要な意味を持ちます。カントの「純粋理性批判」では時間、即ち、事象を空間的、視覚的に優先して捉えることから鑑(かんが)みれば「時間」を空間の暗喩(メタファー)として捉える見方が浮上します。単に言語の問題にとどまるというよりも、もっと根源的で、「時間」を空間の中に身体を持って生きている人間が世界を把握しようとする時に避けることのできないカテゴリー把握の作用原理として考えます。西洋の伝統では、事象は空間的及び視覚的に捉えられる事が多いことからの帰結です。空間なしには時間は存在しない、逆に、時間なしには空間は存在しないことを慮(おもんばか)れば「時間」の真相に一歩近付けそうだと問います。哲学・思想 ブログランキングへ
2017年12月01日
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