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幸せに なりたかったら 直ちに笑え
2009年09月30日
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旧国鉄やJRに限ったことではない。危機管理とは、危機を認識しないこと、危機を指摘するやつを片っ端から論駁し、目の前の議論には勝つ。それが危機管理と言わんばかりの輩が組織の上に居ると、もう救いが無い。そんなやつらにとっては、事故が起こるまでが安全で、事故が実際に起こっていないからいいんだと言う。そして、一旦事故となるや、実際にはもっと危険なやり方を選択し、そのやり方で「次の事故まで」安全を確保する。やつらの安全は危険と隣りあわせで、一旦有事となるや自らの責任回避にまい進する。
2009年09月29日
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成功する人というのは、さまざまで、それこそ「え、そんなことで」とかいうことでうまく行ったりする。意外な成功の道があったんだなーと。と、同時に、相当の努力をしている。それは言うまでも無いことで、そこははずせない。それと逆に、失敗するやつはたいがい分かる。そんなことしてたら仕舞にえらい目に逢うで・・そして、やっぱりあかんよーになる。こーいう人たちからは、離れるのが自分の流儀。どーぞ、好きなだけ没落してください。止めません。今がどんなに良かろうとも、先は見えてます。節穴、ぼんくらの目にもそれははっきりと見える。
2009年09月20日
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まず、学校≠教育である。守るべきは教育であり、児童生徒である。ましてや、先生の就職とか、生活は二の次にしてもらいたい。教育が機能し、その中に学校という機能、機関が自立し、まともなことをやっていれば、おのずと先生は地位も名誉も収入も確保できるので、問題ない。このシリーズの目玉は以下の通り。一 教育に自由と公開を持ち込むべし一 教育に到達度認定制度を持ち込むべし大きくはこの二つである。これにより、不登校者の道を開き、現在の学校制度の上に胡坐をかく暢気者を排除する。学校は史上初めて真の競争にさらされる。そして何より、いじめ自殺による犠牲者を一人でも救う道である。次回からはより具体的に、私案を羅列していく。
2009年09月19日
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最近更新できてないけど、ひとえに歯の治療のためです。でも、ようやく山は越えたので、気を取り直し、今後の更新予定など書いておくことにします。自分は「教育問題」というくくりで考えていたけど、それは実は違うことに気が付いた。自分の書こうとするテーマのことですよ。正しくは、「学校制度について」です。そもそも、いじめというテーマは自分のライフワークであり、一旦発言の後はそれについて訂正、説明、解説を行うつもりは無い。自分は当事者の一人、生き残りの証言者として、部外者の顔色を伺う気などは無い。学校制度問題も、当然そのテーマの延長、派生として考えるものであり、感情むき出しになることは当然である。ただ、私は人の意見や、「お前の言葉で俺は傷ついた」という人の意見は聞く。削除はしない。そして、言うだろう。「傷つくのはあなたの自由である」と。(そのこと自体についても、すでに書いているが、改めて書くことになるはずである。)
2009年09月14日
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まだソビエト連邦という国があったころ、ある心理学者は言った。「もし、我々の道具が金槌だけだったら、すべての問題は釘に見えることだろう。」「ターミネーター」という、有名なシリーズがあるが、その第一作に登場するシュワちゃん扮するところのロボットは、あるシュチエーションでわずか数種類のフレーズの中から、「うるさい、あっちへ行け。」(だったか、それに類する言葉を選ぶ。)それを初めて見たときは、「こんな思考法は人間らしくない。」と思ったものだが、今は違う。我々は、実はあんまり考えていない。知っている単語の中から、あるいは、刷り込まれたフレーズの中から、気に入ったものを使いたくてうずうずしており、状況や、環境がそれらしきものであったら、てきとーに頭の中で人を、物を、時間を、履歴を、歴史をいい様に解釈して自分の使えるものを使う。さしずめ、テロに戦争で立ち向かうというのも、その文脈でしかない。バスケットボールがどうして野球に勝てるのか。いずれは、誰かが総括してくれんだろうけど、「いったい誰が何のために始めたのか、わからない数千年も前から続く戦争」が、この先ないという保証は無い。幸い、私はこの世に居ないが。
2009年09月06日
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守るべきは学校であって先生の生活ではない守るべきは教育であって学校ではない守るべきは学童・生徒・学生たちであって教育ではない今日、すでに学校は終わった。終わった学校に替わり、教育そのものを打ち立てなければならない。今の学校制度、分けても義務教育と称する欺瞞は、多くの犠牲者と国費の無駄を生み続けている。これ以上、尊い命と大切な税金を無駄にしてはならない。酒鬼薔薇事件を思い出していただきたい。サカキバラは、事件を起こした後に、「卒業証書」を交付され、無事、義務教育を全うしたことになっている。在学中に彼がしたことは、義務教育といかなる関係を持ち、彼はどういう教育の成果を持って卒業に至ったのか。私は、ここに、私案としての教育の姿を提案する。本日はそのプロローグとして、ここに私の興奮を記す。
2009年09月04日
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雑誌やスポーツ紙・テレビの番組見出しなど見ると、「○○と●●が熱愛」とか激愛とか何とか、それにちょっ泣いたら号泣。涙をこらえているような泣き方でも号泣。普通の恋愛、通常恋愛とかはありませんか。「○本×子、■田◇男と普通愛発覚」「ごく普通に好きな状態」とか、ありませんか。ちなみに私は、家では、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌とっていません。貧乏なので。
2009年09月02日
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