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はやぶさが、六月の地球帰還に向けて最終段階に入った。今月、自分はプラネタリウムにて、その偉業のCG再現を見る機会があった。本当に胸に迫るものがある。何とか無事にミッションを終えて欲しいが、帰還できるのは回収カプセルのみ。そのほとんどは大気圏突入の際に燃え尽きてしまう。 大空に命は燃えて 尽きるとも 示せはやぶさ科学の威力
2010年03月27日
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私がかかわっている障害者の中には、視覚障害の人も数名いる。障害者スポーツセンターなどに行くと、ボーリングはいつも人気である。ただし、このボーリングはガーターが無いように溝をガードしてくれる機構が備わっている。最近は一般のボーリング場でも、この仕組みが備わっていると聞いたが、ガーターの無いボーリングはボーリングでなくて別のスポーツ、ゲームである。それはそれとしていいのだが、私は別な見方をしている。即ち、視覚障害者がプールで水泳ができ、上級者になるとロープに触れずにコースの端から端まで行けるのなら、ボーリングも視覚障害者ができないはずは無い。ガーター・ガードはあたら可能性をスポイルしているのではないか、と思うのである。水泳(プールのコースで泳ぐもの)と、ボーリングはほとんど同じスポーツ・ゲームである。水泳は、ある一連の動作を行った後、同じ動作を繰り返したい、というゲームである。ボーリングも同じで、ストライクが出た、その同じ動作を総てのフレームで行いたいゲームである。スペアが欲しいときは、何番と何番のピンが残った時は、この動作、この投げ方と決めて行えば同じことだ。視覚の健常なものは、ずれた姿勢を視覚情報によって少しずつ修正しながら、動作を行っているが、障害者はそれができない。しかし、水泳で見せた人間の可能性は必ずや、他のスポーツでも示されると信ずる。
2010年03月21日
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死ぬまで生きたら それで十分だ。身はこの世にありながら魂 すでに朽ち求めるものを目前にして 心ここに在らず自ら省みること無く他に求めるこの世に無間地獄を見ながら形相さらに険しく欲に追われて一生悲惨
2010年03月20日
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オセロゲーム(リバーシ)というゲームがある。最近、オンラインゲームでこれをやっている。このゲームは相手の悪手を誘うゲームである。悪手を待つと言ったほうがいいかも知れない。そう考えると、なにやら人生を映すようにも見えてくる。何か持つ。持ったはいいが持ったら持ったで負担が増え、思わぬ出費を強いられる。そこに自分が駒を置いたがために、思いがけず不利になる。状況によってはそこにしか置けない場面もある。人生でも。ゲームでも。でもそれは、自分が駒を置いてきた、その、結果である。
2010年03月16日
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アガサ・クリスティーの戯曲「ブラック・コーヒー」を小説仕立てにしたものである。実際の執筆はチャールズ・オズボーン。読み出してすぐに、これが舞台ならここはこう、この場面は観客にこう見える・・と想起しつつ読むことになった。やっぱり戯曲で読みたい一品。ただし、執筆者・訳出者ともアガサ・クリスティーの雰囲気を損なわぬよう注意を払っているのは分かる気がする。実は職場で「コーヒーはブラックでした?」と聞かれたので、アマゾンで見たこの作品を思い出し、ある書店に寄った際に探したら、棚の一番上にあった。階段になっている踏み台を使って取ったのがこの作品。早川書房 クリスティー文庫 (560円+税) クリスティー財団の公認マークを受けている。
2010年03月06日
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他人に依存して何かしようとすると、困る。その他人に完全を求めると、ますます困る。その時、自分にできることは困ることだけ。できるだけ少ない労力で、何かしようとすると、本来の苦労より別に自分を消耗してしまう。他人に依存していることを気づかないでいると、さびしい人になる。己は安全なところにいて、手柄は自分というのは成立しない。困りの人に同情や援助しようものなら、こっちが困る。
2010年03月04日
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北朝鮮と暴力団は同じだ。私は支持する。
2010年03月03日
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