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傍から見ていると、そんなことしてたらうまく行くはず無いだろ、という行動パターンの人はいるものだ。彼らは絶対うまくいかない。そして困る。困ることで生活しているのか、とすら思えてしまう。たいていの場合、人を動かすことが成功の鍵だとでも思っているかの如くだ。無理も無い。世間では、「人を動かすには、まず自分が変わらなければ・・」などとあたかも謙虚に言い放つのが優しい人たちのお説教科目になっている。それだけではない。まず、自分と相手の立場とか、ものの言い方とかを明確にする、即ち、お前は俺より下だよと分からせてやろうと試みるトリックを知っている輩までいる。だが、いつでもそれが有効だとは限らない。そう、そういう余計なことが、思いがけず自分に不利に働いてしまう。その、思いがけずというところが、傍目から見ると、至極当然、そんなことをして自分の首を絞めている、としか見えないのだ。それで、困った困った、ああ困った。もう、お笑いだよ。
2010年02月26日
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ある知事が、「禿同」という言葉を禿ははげ同士、がんばろうという意味と勘違いしたことを告白したとか。しかし、もし、百人の人がいて、九十人までそれが正しいと思っているような中で、ほかの人たちがどの程度抵抗できるかは疑問である。たとえば、われわれは「子供を折檻する」などと言うがそれができた故事から言うとおかしいし、また、独壇場などとも言うが、これは元々は独せん場。この「せん」という字は「占」ではなくて壇によく似た難しい字である。そしていつしか間違いが正解となったわけである。まー、禿ははげ同士、がんばりましょう。でも、いいのではないかい。
2010年02月21日
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悪いことがあっても、人のせいにしないというのは、自立への当然のステップであり、それ自体悪いことではない。最近の三十代の人たちの中に総て自分が悪いと抱え込み、助けを求められなくて行き詰っている人たちが増え、問題になっているとテレビで放映されていた。私はテレビを持っていないのだが、それをある人の所で見た。私が奇異に感じたのは、問題のありかが、「助けを求められない」という点にあるとこの番組では捕らえている点である。そもそも、そのような人たちを助けられるとでも思っているのか。誰が。自分が悪いから、そうなった。その境遇を招いたのはほかならぬ自分だ。彼らが困っているのは、自分のどの行動がいけなかったのか、把握できていないことにある。職場で無理な課題を押し付けられ、それをこなせないのは、当然だ。であるから、そこから去るのは当然だ。だからそれは、悪くない。むしろ自分にとっていいことでもあろう。そこで一気にホームレスに転落する、そこに問題がある。それを社会のせいだと、この番組は言っているように見えた。無茶な論理だと思った。職を失った時にどうするか、次の仕事をどうするかで、あるいは、転職というステップで躓いた。個人の潜在能力や、希望にそぐわない仕事に就くとき、どうするか。問題はこれだと思う。
2010年02月16日
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勝つ戦争勝つゲームそして痛くない けんか と自分中心の恋愛物語 今日も正義のために兵士は市民を殺す
2010年02月14日
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過去日記「ブロードバンド仕様」の予告に基づき、以下に記します。何かを為す、行うということは、何かそこに利益を求めるが故である。メリットがあるからやる。ところが、それと同時に何がしか失うものは必ずあるものだ。代価を支払わずに得るものなど無い。あるいは思いがけずその得るはずの利益そのものが少なかったり、あるいはその行為が思いもよらない不利を呼んだりすることもある。さて、そのような不幸に見舞われた人に対して、心優しい人たちは、「あなたは何も悪くない」というメッセージを添えて、救済の手を差し伸べる。あるいは、逆に「させてもらっている」という態度で接する。そうして失敗者は失敗を繰り返し、優しい人は優しさを発揮する場を何度でも得る。
2010年02月10日
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過去日記「ブロードバンド仕様」の予告に基づき、以下に記します。「大器晩成」とは、「たいきばんせい」を変換すれば一発で「大器晩成」と表示できる。ところが最近になって、この「晩成」を「免成」に作るテキストが現れた。なるほど言われてみれば、大器は結局成ることは無いのだ、とはその前後の文章の気分とよく一致する。私こと平成の道家の立場をこの際改めて書いておくと、一 老子とは道家が作り上げた想像上の人物である一 ただし、民間伝承等によりすでに人物像としての「老子」はあった一 それを「道家の」老子という権威を欲しがった道家たちが老子を「老子」たらしめた一 書物としての「老子」は「淮南子」の成立と無関係ではない一 原型としての書物「老子」があったとしても「淮南子」と同時に「老子」は完成したと、いうところかな。それとやはり、「孫子」と「老子」の気分は多分に共通するし、かの「孟子」すら「老子」と通ずるものがある。戦争が常態化する世の中というものを無視しては思想も人も考えることはできない。
2010年02月09日
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