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何かを得んとするとき、失うものがあるのは当然である。しかし凡人の悲しさ、何かうまい手でもあって、無償で得られると思っているのが現在の我々である。いやいや、代償なら払いますよ。ただし、自分が負担に思うことは別ですが。とまあ、その程度の話である。現在の日本は、あらゆる場面で無償化が発生し、デフレの要因となっている。無料にできるところを無料にする工夫というのは立派なことではあったが、無料を教授する側が、ならば別の物も、別の業者もと拡大・敷衍して考えてしまうというのは甘い。
2010年05月30日
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日本の消費者原則社会において、普通のことを普通にやって普通に暮すということはあたかもつまらない、くだらないことどころか、それは罪、であるかのごとくに見える。即ち、提供者側は消費者に対して「楽しくなければ」、義務を果たしたとは言えず、消費者の側にしても、何かを要求したいときはつまらなそうにしていたらいいとでも思っているかの如くである。普通は消えた。とにかく楽しまなければ、というプレッシャーは相当なものである。そして、余計なことをして失敗、事故につながり、それを補填・補償するための仕組みもまた本来の役目の上にプラスアルファを要求されている。いったいなぜ自分たちが失敗し続けているのか、気づいている人たちは居るのだろうか。居るに違いないのだが、彼らは発言できない。なぜなら彼らこそ正しいからだ。正しいことをひとたび口にしたとたん、排斥・いじめが待っている。人々はうまくいくのがいやなのであって、ずっと困っていたいのである。その困った自分を癒してくれるもの、ちょっと得した、人よりいいもの、対価を超えるのを提供されようと四苦八苦し、めくじらたてて今日も楽しんでいる。その楽しみのために心とからだを病んでは、いい治療を求めている。ただし、何がいいのか分かっている人は居ない。
2010年05月21日
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自分が理解できない、知らない、だからといって、その対象である物や人を「おかしなもの」「奇人・変人」扱いして済ませようという人たちが居る。そのような人たちに対して、彼ら自身のこととか、彼らが大切に思っているようなものを少しでも軽んずるような発言をしたらどうなるか。些細なことでも烈火のごとく怒りを露にするのは勿論、よほどひどいことを言われた、されたと大騒ぎだ。他人のことは、彼らは何と表現するか、そのことは彼らには「まとも」なのに。
2010年05月12日
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いつの間にか、自分が収集したもので苦労している現実がある。文章や、物言いも然りで余計なことに気を使い、やらなくてもいいことをやって自分も他人も余計な手間をかけることになる。解決策ははっきりしていて、「やめる」こと、だ。
2010年05月10日
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自分は「プール・ボランティア」という活動に参加している。で、その理事長から、服装についてクレームをつけられた。「もう、ホームレスは卒業せよ」ということであるが、ポロシャツとかチノパンとかを着用しなさいということだそうだ。まあ、自分の意に沿わないことをするというのは、悪いことではないと思う。それも幅を広げるチャンスでもあるだろう。しかし、ふぁっあしょんね。どうなることやらね。金が要ることだけは間違いない。
2010年05月05日
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