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熊本地震の報道をめぐっては、すでに多くの報道がなされている。しかしそれだけ迷惑な報道でありながら、その報道には「障害者の様子」を映した物は殆ど見られない。というか、自分は見たことがない。避難所には、障害者は居ないのだ。いられる訳もない。現在の介護の方向性というのは、その人の障害に合わせて環境の方を整えようということである。それは勿論間違っていない。ただし、それだけでいい訳ではない。災害時を特に言うまでもなく、社会参加とは、その人の社会への適応を促すということである。そのような適応能力を付けてもらう、というである。しかるに、一旦障害者と名が付けば、ほとんど教育のチャンスは無く、障害者サマサマの事業者に飯の種にされているだけの存在だ。勿論、あの避難所にいられる能力、我慢強さを身につけさせるというのは無理であろう。しかし、普段の支援の方向性は「社会への適応」「訓練」であっても、バチは当たるまい。
2016年04月24日
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能力はあるのに、何でこの人がこんなところでこんな仕事をしているのか、という人がいる。そんな人は普通にやれるところでわざとぞんざいに仕上げをしているということがある。そして、当の本人はそれに気がついていない。できるだけ手荒くやればかっこいいとか、早いとか思っているのであろうか。十分に余裕があり、時間もある時にそれをやってしまう。実に惜しい。普通にやるというのは、丁寧とか、いい加減とか、ぞんざいとかよりも楽であることが多い。結局、いいところで大成出来ないなと思いますね。そういう人は。
2016年04月23日
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この度「最悪」という声も聞かれる難民船沈没が報告されている。ここで自分が不思議に思うのは、関係国が各々勝手な都合を言い合っている中、国連の調整能力のなさと言うか、その意志すら見えないことであり、ましてや国連が主導して問題解決に当たろうという意志など全く見えないことである。一体何のための機関なのか。毎年莫大な負担金を上納している国々はちょっとぐらい文句の一つも言っているのか。日本の首相は一言ぐらい、言ってもらいたいものだ。
2016年04月21日
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自分はグループホームで働いているが、こんな職場では、一生懸命仕事を覚えて早く戦力になろうと務めている。だが、本当はそうであってはならないと考えている。つまり、福祉の仕事というのは、「今日初めてボランティアで来た高校生でも一定の仕事ができる」という程の物でなくてはならないと思うのである。この度、九州地方を大規模な災害が襲った。当然、障害者も被災している。そんなところに、高度に訓練された者だけが関われるという今の体制でいいはずはない。そのことに、もうとっくに気がついているはずなのに、なんとか現状を切り抜けようという努力だけが重要視され、その経験にもとづいて、普段から「介護」「支援」をどうしておくべきかという事についてはほとんど無視されている。例えば夕食作りとか、服薬支援とか、おむつ・排便排尿支援とか個々の動作そのものはそれぞれ大してむづかしいものではない。災害時には初めて関わる人でも、どうしたらいいかを示す「視覚に訴える図や写真」でカバー出来る。そして、そうでなければならない。なぜならば、もし、その人(たち)でなければならないという支援が支援ならば、その人達は、自分の親兄弟、家族、恋人を差し置いて支援に向かわねばならないからだ。そんなことは、たとえ出来ても一時的であろう。介護は、生活であって「サービス」ではない。そのことがはっきりするのは災害などに見舞われた時である。
2016年04月18日
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そもそも、それが普通に有って、主婦はパートにでられて当然なんですか。保育所って福祉です。福祉。福祉が当然として受けられるのは障害者でしょう。自分たちは障害者なんですか。子供を育てるのは親の義務ですし、それをどうやって行くのかは親たるものが自分の力の範囲でやるべきことです。両親がまず、第一義的に義務者であることは当然で、福祉の恩恵が当然として受けられ、それを前提として考えるというたぐいのものではないはず。同じ税を負担しながら、その恩恵を受けない、受けられない人達がいる以上(つまり「子供が無い」「子供を保育所に行かせないと選択した」人たち)、たまたま抽選にもれたからといって大人気なく喚いては見苦しいだけです。ただし、行政の方もちょっといいことばかり言い過ぎで、受益者の側が「じゃあちゃんと用意してね」というのも、当然と言えば当然。政府・行政は現実をはっきり国民・市民に知らしめるべし。
2016年04月11日
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四日間の施設内での勤務が終わった。明日は休みで、土日とほとんどぶっつけ本番のグループホーム勤務がある。こういう形で勤務をさせるというのは、事業所がそれぞれの事業をどう考えているか、それを映す鏡でもある。とにかく、切り抜けた。事故はなかった。それだけで、満点の出来である。自分は仕事にランクを付ける。1自分も他人もともに一定以上の満足・評価2自分は満足3事故がなければ、それで良し今回はその3にあたる。めでたしめでたし。
2016年04月07日
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これまで、「今週の道家」とか「月例ブログ」とか書いていました。それは一定の成果を産みましたので、ここらでやめにします。後から見返す時に何を書いていたのかわからなくなり、幾つかのものには最近副題を追加しています。一定の成果というのは「書く習慣をつける」ということで、今週のーーと書くことで、書かなきゃあと思えたものです。これはよかったと思います。それから今日、マイナンバーカードを申請しました。やっと証明証写真を撮ったので申請書を郵送できたということです。かく申す私儀、実は「フォトマスター検定准一級」に合格しておりまして、ここは是が非でも自分で写真を撮りたい。間違っても箱に入って数百円~千円を支払うような事はしたくない。朝食後三脚を立て、印刷はインクジェットでなくサーマルを使用してやったわけです。その達成のお祝いと言ってはなんですが、スーパーに行ってケーキを買ってきました。
2016年04月03日
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最近「ゲス不倫」とか大流行。で。人の過ちを過度に言い立ててそれこそがゲスのやること、とかいろいいろ言っている人たちが大流行。で。私としては、言っていることとやっていることが一致していない事が問題なのに、そのことはあまり、というか全くと言っていいほど取り上げられない、という事を言いたい。不倫した相手が五人とか、いや、実は数十人とか・・この人の問題はさわやかな好青年、障害に負けない強さとか明るさが売り、だった事が問題で、初めから「目指すは千人斬り」とか、「平成の性豪」とかでやっていればそれはそれで問題なかった。まあ、なかったことは無かったかも知れないが、別の問題であった。はず。要するにこれは「騙した」とか「嘘ついていた」とか、「詐欺的行為」という問題で、やったことがそれ自体不道徳かどうかという問題ではなかったであろう。事実、そういう事を「どうだすごいだろう」と売りにしている人たちもいる。政治資金のごまかしと、ある意味「同列」。であるから、私の目からは、民進党の誰かとか、佐村河内守とか、桂文枝とか、あ、それから在特会の元の会長とかと同列に映る。在特会の前の会長の櫻井さんて、「在日」ですよね。まあそれはいいですが、特権を廃止するのと、特権を傘に来ていいように私腹を肥やすのを黙認するのと、子供の授業を妨害するのと、どういう関係があるのか。特権が問題ならそれらを与えている法とか議会とか議員とか、役所のやり方とか問題にすべきでしょう。子供に罪は無いんですよ。
2016年04月02日
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惨めな人々の真実の惨めさというのは、惨めでないと生きていけないという状況にある。そしてその状況下に置かれることに慣れ、支援を受けてそこに留まる。支援者というのはその状況を改善しようとはするが、彼らをそこから別な所へ、別な状況下へと移行させようとはしない。そして支援者自身の居場所も確保する。こうして惨め産業は成り立っていく。そこでは真の支援者や、努力してそこから抜け出ようとする人たちは異端で、敵であり差別者である。有権者や納税者は本来自分たちの老後や、子どもたちのための福祉予算を削られ、真に福祉を必要とする人たちには十分な予算は回ってこない。そこに立ち上がった人がいて、議員とかになったとしてもいつしか自分が私腹を肥やしそれがバレて消えていく。評論家やコメンテーターがそこに群がってまともらしい事を言いながら人々の記憶から消えていくのを待つ。
2016年04月01日
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