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尖閣諸島を巡る騒動について、1週間前に私は「今回の中国側の反応は、少々常軌を逸しているように思えます。」と書きました。今も、中国側の行動は常軌を逸していると思います。ただし、残念ながら日本側の反応も、常軌を逸したものになってきています。たとえばhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100929-00000552-san-pol「中国は変わっていなかった」仙谷氏が甘さを反省仙谷由人官房長官は29日午前の記者会見で、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、中国側が船長の釈放を求めて態度をエスカレートさせてきたことについて、「20年前ならいざ知らず、(中国は)司法権の独立、政治・行政と司法の関係が近代化され、随分変わってきていると認識していたが、あまりお変わりになっていなかった」と述べ、自身の見通しの甘さを反省した。(以下略)--------------見通しが甘かったのはそのとおりです。しかし「中国側が船長の釈放を求めて態度をエスカレートさせ」たことと、「司法権の独立、政治・行政と司法の関係が近代化され」ているか否かは直接の関係がありません。政府はかたくなに認めていませんが、那覇地検が船長を釈放した判断に政府の意向が関係なかったなんて信じている人はいないわけで、こんなエラソーなことが言えるほど、日本の司法権は独立していると言えるのでしょうか。また、先の投稿でも指摘しましたが、軍艦が他国の領海内を航行する場合でさえ、無害航行権というものがあります。まして、領海外(経済水域は領海ではない)で中国の漁業監視船が活動することを禁じる根拠などありません。更に、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100927-00000036-jij-pol中国に原状回復要求=巡視船損傷で、時期明言せず―仙谷官房長官仙谷由人官房長官は27日午前の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で損傷を受けた海上保安庁の巡視船2隻について「原状回復を(中国側に)請求する。当然政府の課題になり得るし、なるべきだ」と述べた。ただ、具体的時期については「現時点で行うか、(日中関係が)クールダウンしてから行うかは別だ」と明言しなかった。(以下略)--------------巡視船を損傷させたんだから、修理費を請求すること自体は正しいと思いますよ、しかし問題はそれを「誰に」請求するか、です。当然、この船長か船主に対して請求するものでしょう。ところが、どうも記事を読むと、中国政府に対して請求するようなニュアンスに読めます(そう明言されているわけではないけれど)。一民間漁船の衝突事故でその国の政府に対して修理費を請求というのは、請求先を間違えているとしか思えません。政府も政府なら、マスコミもマスコミ。私は、この件についての政府の対応は場当たり的で一貫性がなく、長期的視野に欠けていたと思いますが、しかし少なくとも弱腰な態度ではなかったと思います。ところが、夕刊紙の見出しなどを見ると、「弱腰外交」「土下座外交」という勇ましい(?)言葉が並んでいます。そして案の定、出てきたのがこういう行動。http://www.asahi.com/special/senkaku/SEB201009290013.html中国人観光客のバスを妨害 福岡、街宣車が取り囲む29日午後4時ごろ、福岡市中央区の福岡市役所前の路上で、中国人観光客らを乗せた観光バスの周辺に右翼団体の街宣車十数台が集まり、約20分間にわたりバスが足止めされる騒ぎがあった。街宣車から降りた十数人の男らが、バスをけったり、たたいたりして、「降りてこい」などと叫んだという。警察官が現場にかけつけ、バスは無事出発し、けが人はなかった。市などによると、現場には福岡市中心部で買い物などをした外国人観光客が集合し、バスに分乗してクルーズ船の待つ博多港に帰るところだった。ツアーには約1300人が参加しており、大半が中国人客だったという。街宣車はバスの進行を防ぐ形で次々と停車し、拡声機で「尖閣諸島は日本の領土だ」などと叫んだ。さらに、男たちがバスに近づき、罵声(ばせい)を浴びせるなどしたという。(以下略)--------------http://www.asahi.com/special/senkaku/OSK201009280168.html 「尖閣の件、なめるな」神戸の中華同文学校に脅迫相次ぐ華僑の子どもらが通う神戸市中央区の神戸中華同文学校に27、28日、男の声で「尖閣諸島の件、なめたらあかんぞ。殺すぞ」などという脅迫電話が計3度かかったほか、28日には生徒に危害を加えるという内容の脅迫文が郵送されたことが、兵庫県警への取材でわかった。県警は学校周辺の警備を強める方針だ。生田署によると、脅迫文は同校あてで、封筒の中に「生徒にけがをさせるぞ」などと印字された便箋(びんせん)1枚が入っていた。差出人の名前は書かれていなかったという。(以下略)--------------http://www.asahi.com/special/senkaku/SEB201009260061.html中国総領事館近くでぼや騒ぎ バイクの男走り去る 福岡26日午後4時40分ごろ、福岡市中央区地行浜1丁目の中国総領事館東側の歩道で、紙切れが燃えるぼや騒ぎがあった。県警は沖縄県尖閣諸島沖の衝突事件との関連も調べている。中央署によると、領事館の東門近くの歩道に幅約4センチ、長さ約20センチの光沢のあるピンク色の紙片の燃えかすがあった。現場では男が大声で叫びながら何かに火を付け、バイクで走り去る姿が目撃されており、男がバイクで立ち去った後、領事館員が警戒中の警察官に通報したという。--------------こんなバカげた行動がまかり通っているようでは、中国のネット上の「愛国者」憤青の過激な主張や行動のことをまったく笑えません。日本も同じだと言うしかない。私は、尖閣諸島は日本の領土であると思っていますし、その点に関して中国に譲る必要はまったくないと思っています。でも、領有権というのは声高な強硬論だけを叫び続けていれば守れるのか。今の菅政権は中国に対して充分に強硬です(無駄に強硬と言う方が正確かな)。それが「土下座外交」に見えるようでは、じゃあどれだけ強硬な態度を取れば気が済むの?と思います。一切没交渉で反中を叫んでいればいいのか、日中平和友好条約を破棄すればいいのか、国交断絶すればいいのか、戦争でも始めて「尖閣沖海戦」で勝利すれば満足なのか(日中の海軍力の現状から考えれば、日本が勝つのは確実)、その結果中国との経済関係が断絶して、大恐慌となり、強硬論を叫んでいる連中が軒並み失業すれば満足なのか。今の状況は、まるでボール球を1個投げたら「敗北主義」と言われかねないような状況です。バカじゃないの、と思います。最初から150kmの直球をストライクゾーンに投げ続ければ勝てる、というものじゃないでしょうが。
2010.09.30
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http://www.asahi.com/job/news/TKY201009280394.html民間平均給与、過去最大23万円減 09年、406万円民間企業で働く会社員やパート従業員が昨年1年間に受け取った給与の平均は406万円で、前年より23万7千円減っていたことが、国税庁の民間給与実態統計調査でわかった。下落額は1949年に同庁が統計を取りはじめて以来、最大となった。平均給与は、最も高かった1997年の467万円から、2007年を除いて毎年下落している。09年の下落額は、過去最大だった08年(7万6千円減)を大幅に上回った。「デフレ」が宣言された09年の景気の悪化が給与に反映された結果と見られる。年収別だと、400万円以下の人数が前年より4%増え、全体(4506万人)の60%を占めた。一方、1千万円を超える人数は21%減り、全体の4%だった。事業所規模別では、従業員が5千人以上だと492万円だったのに対し、10人未満だと329万円となった。-------------------まあ世界同時不況だし、給与が下がっていること自体は仕方がないのかもしれません。しかし、「最も高かった1997年の467万円から、2007年を除いて毎年下落している。」これはいったいどういうことだ、と思います。97年はまだバブル崩壊後の不況を引きずっていたとして、2002年以降、世界同時不況の発生までは、「いざなみ景気」とかいう記録的な長さの好景気だったはずですが、それが給料に反映されたのが2007年のたった1年だけというのでは、あの「好景気」が実感に乏しかったと言われるのも当然です。結局、企業だけが利益をため込んで、それを一般国民には還元していない、ということです。結局、中国や米国の好景気のおこぼれに預かって日本もちょっと潤ったというだけのことだった、ということでしょう。でも、企業はそれを一般国民には還元しなかったから、内需は全然拡大しなかったわけです。そんな経済構造に安住しつつ「反中」などと叫んだって、そりゃ足元を見られるに決まっています。
2010.09.29
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この一連の問題について私が思うのは尖閣諸島は日本の領土であるという1点については譲る必要はない(譲るべきではない)でも、それ以外のことについては譲らなくてはいけないこと、譲った方がいいことは、いろいろあるんじゃないかなと思います。国士様系の主張を見ていると、一歩でも妥協することは「売国だ」と言わんばかりです。じゃあ、どうするんですか、1回の表から150kmの剛速球一本槍で全部ストライクを投げ続けろとでも言うのでしょうか。さて、今日はこんな記事がありました。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100927-OYT1T01088.htm尖閣沖で中国監視船2隻が活動、政府は中止要請仙谷官房長官は27日午後の記者会見で、尖閣諸島沖の日本領海周辺で中国の漁業監視船2隻が24日夕から活動していることを明らかにした。自国漁船の警護などが目的と見られる。同海域での侵犯行為の既成事実化を図り、日本を揺さぶる狙いがあるとみられ、政府は警戒を強めている。長官によると、監視船は2隻で、日本の領海に隣接する「接続水域」で活動している。海上保安庁が巡視船6隻を派遣して警戒に当たっているほか、外務省がこれまでに計4回、外交ルートを通じて中止を求めているが、27日午前6時の時点でも確認されたという。長官は会見で、「首相官邸を中心として、関係省庁の連携、協調の下で厳正に対応していく」と述べた。ただ、中国政府は監視船の常態化を図る方針とみられ、漁船や監視船による侵犯行為を今後も繰り返すとの懸念が強まりそうだ。------------------問題の監視船は、領海に入ったわけではないようです。仮に領海に入ったとしても、船舶には無害航行権というものがあります。軍艦ですら、無害航行権が認められていますから、監視船が日本の領海に入ったとしても、それをもって直ちに「侵犯」とは言えません。もちろん、「活動」の具体的な内容次第ですけれど。漁船が操業することは「無害航行」ではありません。ただし、この海域は日中漁業協定によって、「暫定措置水域」に指定されています。暫定措置水域とは、いずれの国の漁船も相手国の許可を得ることなく操業することができ,各国は自国の漁船についてのみ取締権限を有する。同水域における操業条件は日中共同漁業委員会が決定する。同水域において相手国漁船の違反を発見した場合は,その漁船・漁民の注意を喚起すると共に,相手国に対して通報することができるというものです。(参考)つまり、海上保安庁の巡視船は、中国漁船に警告を行うことは出来るけれど、取り締まりは中国側の官憲が行う、ということです。暫定措置水域は中国側の経済水域にも設定されていますから、そこで日本漁船が操業する場合も取り締まりができるのは日本の巡視船のみ、ということになります。(日韓間にも同様の取り決め水域がある)問題の事件は経済水域ではなく日本の領海内なので、この暫定措置水域には入っていませんし、「あて逃げ」なのでこの協定の存在によって免罪することは出来ません。しかし、漁業監視船が領海外の経済水域で活動することまで禁止する根拠は何もありません。
2010.09.27
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一昨日(日付の上では昨日の午前0時過ぎ)に尖閣諸島での漁船衝突事件について記事を書いたばかりですが、それから1日も経たずに事態は急転直下、まず中国でゼネコン「フジタ」の日本人社員4人が拘束され、それから問題の漁船船長が処分保留で釈放となりました。この記事に接した第一印象は「えっ、もう釈放しちゃうの、何で?」と思いました。略式起訴→罰金刑で釈放、ただちに送還というコースだろうと思っていましたから。いずれにしても、船長の逮捕容疑は公務執行妨害であり、罰則は3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金と、それほど重いものではありません。常識的に考えると実刑判決はないと思われます。たとえば、不法入国(罰則は公務執行妨害とほとんど同じで、罰金の上限が少し高い)で逮捕されても、まずほとんどの場合執行猶予付判決で送還されるだけです。だから、厳正に法的手続きを行ったとしても、遅かれ早かれ釈放されて送還されることに違いはありませんでした。ただ、今ここで釈放するなら最初から逮捕しなければよかったと思います。あるいはせめて1回目の勾留期限で勾留期間の延長をしなくてもよかった。逆に勾留期限を延長した以上は、勾留期限まで取り調べを行うべきだったのではないでしょうか。(勾留期限まであと5日あったようです)結局、日中双方が相手の反応を読み違えて強硬策に突っ走り、チキンゲームを繰り広げた挙げ句、日本側が先にハンドルを切ってしまった、ということでしょう。ハンドルを切らなければ大惨事ですから、それ自体は仕方がないことですが、そもそもチキンゲームに陥ったこと自体が間違いですし、ハンドルを切るタイミングも適切ではなかったのではないかと思います。要するに対応が中途半端であった、ということです。私は、自他共に認める日中友好を願う者ですけれど、今回の件に関しては中国側の行動を弁護する気はありません。かつて、1978年日中平和友好条約締結時に、トウ小平は記者会見において「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」と言っています。要するにこの問題を棚上げすることで国交回復や平和友好条約締結に漕ぎ着けたわけです。現実的でうまい解決策だったと思います。ところが、残念ながら、それから32年後の今、「次の世代」にトウ小平のような知恵があるとは思えません。それは日本側も同様ですけれど。日中双方とも1978年当時より今の方が経済大国となっていますが、双方とも「愛国心」や「国家意識」ばかりが肥大していく一方で、柔軟さを失っていくばかりのように思えます。日中は隣国同士であり、その条件は今後「日本」「中国」という国と国民が存続する限り未来永劫変わりません。その隣国同士が対立と紛争でエネルギーを消耗するより、友好関係を築くことの方がよほど建設的と思うのですが、分かっていてもそれができないのが人間というものの限界なのかもしれません。※トウ小平のトウの字は、漢字で打つと機種依存文字でエラーになって投稿できません。そのくらい投稿できるようにしてくれ・・・・・・
2010.09.25
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尖閣諸島沖合いで中国漁船の衝突事故をめぐる騒動が激化しています。事件の経緯は、マスコミに散々報じられていますから、今更ここでは繰り返しません。私は、自他共に認める日中友好論者ですし、一部の人からは「反日」だとも思われているようですが(ネットウヨクどもにそう思われるのはむしろ光栄なことですが)、その私から見ても、今回の中国側の反応は、少々常軌を逸しているように思えます。尖閣諸島を自国領だと主張したい中国側の動機は理解できますが、そりゃ無理筋というものであろうと思います。なんと言っても、1970年代に至るまで当の中国自身が尖閣諸島を日本の領土と認めていたという歴史的な事実があります。したがって、「尖閣諸島は日本の領土である」という主張について日本側が譲る必要はないし、問題の中国漁船が報道のとおり巡視船に体当たりを食らわせたのだとするなら(ビデオ撮影されているそうですから、まず間違いはないでしょう)、逮捕された船長に対する処罰も、法に基づいて行われるべきでしょう。その点に妥協の余地はないと思いますが、中国側の反応が常軌を逸しているから、売り言葉に買い言葉で日本側もヒートアップすれば事態が解決するのかと言えば、そんなことはありません。それに、人も住めない絶海の孤島の無人島です。人の命がかかっている問題ならばともかく、無人島のために軍事的に争って人の命が失われるようなことにでもなったら、あまりにむなしい。妥協せずにヒートアップせずに人の命も失わないように、となると、時間が解決するしかありません。しばらく冷却期間をおくしかないのだろうと私は思います。どちらにしても、経済的に切っても切れない関係です。それにしても、事態を厄介にするのは、ネット上で過激論をはき続ける日本のネットウヨクと、中国のネットウヨクこと憤青。数日前にどこかのブログ(いま改めて検索したのですが、発見できません)で中国の2ちゃんねる見たいなところでの書き込みを翻訳した記事がありましたが、日本のネットウヨクもろくでもないけれど、中国の憤青も似たようなものです。この記事によると、「ネットで愛国を訴える人は、ネット利用者の3、4%程度であろう」とのことです。でも、日本のネットウヨクがネット利用者に占める割合はそれより少ないのではないかと思いますが、それでも彼らが傍若無人に振舞った場合の悪影響は、決して無視できないものがあります。そこから類推すれば、ネットユーザーの3、4%が「愛国無罪」で傍若無人な行動に出たら、その影響はかなり大きいでしょう。その中には、「政府は何て弱腰なんだ!!」みたいな、中国政府に対する批判も散見される。それが、中国政府としては怖くて、引くに引けなくなっている側面もあるようです。ところで、http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010092100621尖閣事件で訪中を中止=「やくざと同じ」と批判-石原都知事東京都の石原慎太郎知事は21日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖での中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件で、中国側が閣僚級以上の交流停止などを打ち出したことに関連し「こんな中国に行くつもりはない。向こうから頼まれても行かない」と述べ、検討していた訪中を中止する考えを明らかにした。また「やくざがやっていることと同じ」と述べ、事件に関する中国側の対応を批判した。都庁内で記者団の質問に答えた。石原知事は、10月12、13の両日、世界45都市の首長が参加して都市の持続的発展について話し合う北京市での国際会議に参加する予定だった。----------------------知事の職責は、基本的に海外出張が必須なものではないし、ましてこの人の海外出張は大名旅行で莫大な予算を使っているので、訪中をやめるというならぜひやめてほしいですね。でも、それはそれとして、「やくざがやっていることと同じ」とはねえ。私に言わせれば、今回の件で中国がやっていることは、石原慎太郎がやっていることと同じ、としか思えないのですが。
2010.09.23
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実は、私のホームページの「別館」部分及び「inti-solのページ」を近々閉鎖しなければならなくなりました。私が初めてパソコンを購入し、ホームページを開設したのは1999年2月のことでした。当初は「関東フォルクローレ連盟のページ」としてスタートし、途中から諸般の事情により関東フォルクローレ連盟は別ホームページとして独立させて、元のページは「RYOのフォルクローレと山と歴史」という私個人のページに変更しましたけれど、通算すると11年、私個人のページとして再出発してからでも7年経過しています。当時ニフティーのホームページサービスは容量が10MBしかなくて、音源を入れるとすぐに容量不足になってしまい、途中からニフティーは「本館」として、音源などは「別館」に移しました。別館は、最初は何というホームページサービスだったか、記憶が定かではありませんが、途中で楽天に売却されて今はインフォシークになっています。別館は容量が50MBあったのですが、途中でニフティーの無料ホームページ容量が100MBになったので、今は音源などは再び本館に戻しています。そのインフォシークの無料ホームページサービスが、10月いっぱいで終了だそうです。通知が来ていたのかなあ、全然気がついていなくて、やはりインフォシークを使っている演奏仲間のいしのさんの掲示板でそのことを知りました。有料会員のホームページサービスは引き続き続くようですが、正直言って、別館のアクセス数は開設以来9年間で13000に過ぎません。このアクセス数のために6300円の年会費というのは、正直考えてしまいます。というわけで、近々「別館」のコンテンツは全て「本館」に統合することにしました。実は100MBある本館の容量も目一杯使っているのですが、容量の大半を消費しているのは音源です。最近は大半の曲がYouTubeにもアップしてあるので、Y重複している音源を整理すれば、容量にも余裕がありそうです。本当は、YouTubeよりMP3の音声ファイルの方が音質はずっといいのですが、仕方ありません。inti-solのページも、別館の一角に居候していたので、一緒に引っ越しです。百人斬り裁判の判決文などは固定リンクを貼っている方が少なくないと思いますが、仕方がありません。これまでずっと関わっていたある掲示板も、サービス提供元から終了の告知(だいぶ先の話ではありますが)が出ています。10年一昔と言いますが、私がインターネットを始めた頃、ネット上の媒体はホームページと掲示板しかなかったのですが、その二つとも斜陽になってしまったようですね。一時日の出の勢いだったmixiもかなり下火になってきたようで、今人気なのはやっぱりツィッターでしょうか。しかし、どうもあの「つぶやき」というのは私にはなじめないので、アカウントすらとっていません。mixiは一時はかなり頻繁に日記を書いていましたが、現在はmixiの日記は、一般に公開できないヒミツの内容を書くとき以外は、全部このブログにリンクを貼っているだけです。
2010.09.21
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以前に「世界に冠たる日本!」という記事を書いたことがあります。日本が、世界でも有数の自然の多様性に富んだ地域の一つである、という話です。その理由は、日本が降水量の豊富な地域であること、南北に細長く、かつその実距離以上に南北の温度差が大きいこと、そして氷期にも氷河がそれほど発達しなかったため、寒冷化によって絶滅した植物が少ない(皆無ではないですが)ことが理由だと書きました。一方、ヨーロッパでは、氷期にスカンジナビア半島から西シベリアにかけてと、アルプス山脈に巨大な氷河が発達したため、その間に挟まれた地域(中欧)では、植物が逃げ場を失い、多くの種類が絶滅したため、生物の多様性が失われました。ところで、こう書くと氷河時代というのはとても恐ろしい時代と思えてしまいます。確かに、現在の人間社会で、文明が高度に発達している地域の多くは、ほんの2万年前の最終氷期最盛期には、大陸氷河の下か、さもなくば氷河を目前にした酷寒の荒原だったわけですから、次の氷期が今地球を襲ったとすると、現代文明は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。(もっとも、日本では、札幌でさえ最終氷期に氷河の下敷きにも酷寒の荒原にもなっていません)現在は、後氷期、つまり最終氷期が終わった後の時代とされていますが、より広い意味では現在も氷河期の最中(氷河時代の中では比較的温暖な時期、つまり間氷期)であり、今から1~2万年後には次の氷期が地球を襲う可能性が高いと思われます。もっとも、そのときに現代文明が今の形のままで続いていると言うことは考えにくいですが。しかし、現在の世界の自然が、氷期と間氷期の寒冷化と温暖化の繰り返しによって作り出されたものであることは、否定できない事実です。何故中緯度の日本の山に、北方系のライチョウや高山植物のお花畑があるのかと言えば、氷河時代の寒冷化とともにそれらの動植物が日本まで南下してきたからです。そう考えれば、日本の豊かな自然も、気候の激しい変動なしにはあり得なかったと言えます。現在は、ライチョウや高山植物などの寒帯系の動植物は、高山の山頂近辺でわずかに命脈を保っています。しかし、逆に氷期の最寒冷期には、今の日本でもっとも普遍的な植生である照葉樹林(※)が、太平洋岸でわずかに命脈を保っているだけでした。東京・中野区の江古田で、最終氷期の植物化石が数多く見つかっていますが、そこから復元される最終氷期の東京の自然は、現在で言うと、北海道あるいは北アルプス山中の上高地(海抜1500m)にほぼ近い気候だったと推定されます。東京が北海道並の気温なら、照葉樹林なんて本州からは一掃されて、九州の最南端か下手をすれば沖縄あたりまで後退しても不思議ではありません。少なくとも気温の計算からはそうなります。しかし、実際にはそうはならなかったようです。というのは、氷期が終わった後、温暖化するとあっという間に照葉樹林が日本中で規模を拡大しているからです。その復活速度があまりに早く、しかも東日本でも西日本であまり差がない。もし照葉樹林が九州南部まで後退していたとするなら、西日本の方が九州から近いのだから、東日本より先に照葉樹林が成立していなければなりません。そのことから、照葉樹林は、最終氷期のもっとも寒い時代にも、房総半島や伊豆半島の先端などに、細々と生きながらえていたのだろうと推定されています。このように、自然は決して不変のものではなく、気候や環境の変化にあわせて、絶えずその姿をダイナミックに変えているのです。そして、また極限の環境に細々と生きながらえている動植物は、ひょっとすると前の時代には日本中で隆盛を誇っていたかもしれないし、将来そうなるかもしれません。でも、絶滅してしまったらそこでおしまいです。将来の気候変動の際に自然がダイナミックに変化していくための重要な材料が消滅してしまいます。極限の自然を大事にしていかなければならない理由は、そこにあるのだと私は考えています。※照葉樹林が日本の原風景であることは間違いありませんが、現在の日本で照葉樹林を「普遍的な植生」と言うのは妥当ではないかもしれません。照葉樹林帯はもっとも激しい自然破壊に晒されてきた地域だからです。現在の日本で、照葉樹林の天然林が国土面積の何パーセントを占めているかご存じでしょうか。なんと、たった1%に過ぎないのです。
2010.09.20
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http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20100912-OYT1T00587.htmライチョウ、今年も確認…「遠くから見守って」石川県と環境省は、白山国立公園内の白山で8月3、4日に行った現地調査で、ライチョウを確認したと発表した。昨年6月に白山で70年ぶりに確認され、10月にも姿を見せた雌のライチョウと同一とみられる。同県自然保護課によると、ライチョウは速足で移動しながら、イワツメクサなどを食べ、砂浴びする様子も見られたという。発見から発表まで1か月遅らせたのは「夏山登山シーズンの最盛期だったため、登山者の接近によるライチョウへの悪影響が考えられた」と説明。「発見した場合は、遠くから静かに見守って」と呼びかけている。ライチョウ確認の報に同県の谷本知事は「よく冬を越えてくれたと安心した。今後、県独自でも追跡調査をしていきたい」と述べた。----------------------日本国内のライチョウの生息数は、約3000羽と言われています。内訳は、北アルプスがもっとも多くて約2000羽、その南の乗鞍岳と木曽御嶽山に100羽ずつ、南アルプスに約700羽、新潟の頸城山塊の焼山と火打山に数十羽です。かつては中央アルプスにも分布していたとされますが、1960年代に絶滅しています。(ただし、中央アルプスにはもともと生息しておらず、他の山地からまれに飛来したものが目撃されていただけではないか、という説もあるようです)このほか、八ヶ岳と蓼科山にもかつては分布していたと言われていますが、やはり現在は分布していません。世界的に見ると、ライチョウはスコットランド、アイスランド、スカンジナビア半島からシベリアを経てアラスカ、カナダ北部までの北極圏付近の寒帯に広く分布しています。そんな鳥が何故日本に分布しているかと言えば、氷期に寒冷な気候とともに南に分布を広げた集団が、氷期の終わりとともに南に取り残されて、高山に逃げ込んだからです。ヨーロッパでも、ヨーロッパアルプスとピレネーに、同じようにして母集団から取り残されたライチョウの分布域がありますが、日本はその中でも最南端に位置しています。不思議なのは、日本最大規模の高山帯植生が広がる北海道にはライチョウがいないことです。近縁のエゾライチョウがいますが、こちらは樹林帯の鳥で、高山帯には生息しません。北海道を飛び越えて、もっと北の千島列島やシベリアにはライチョウが分布しています。さて、問題の白山のライチョウですが、もともとは、日本でもっとも古い記録に出てくるライチョウは白山のライチョウと言われます。1200年に「白山(しらやま)にらいの鳥という見る人もまれな鳥がいる」という記録があるそうです。しかし、1920年代以来目撃情報が途絶え、昨年70年ぶりに発見されたわけです。この間人知れず白山の山奥で生きながらえてきたのか、というと、多分そんなことはありません。白山は人気のある山ですから、夏場はかなり多くの登山者がいます。調べたところ、登山者数は年間5万人だそうです。一方、ライチョウは高木がなくて見晴らしのいい高山帯がすみかの鳥です。白山の高山帯の面積がどのくらいか、正確には分かりませんが、環境庁(現環境省)の第4回自然環境基礎調査などから類推すると、高山帯の面積はおそらく5~6平方キロ程度と思われます。どう考えたって、いれば必ず見つかってしまうでしょう。ということは、どこかから飛来したということになります。人間が持ち込んだという可能性もありますが、その可能性はかなり低い。ということは、このライチョウ、最寄りの分布域(多分北アルプス)から飛んできたということになります。そりゃ鳥ですから空は飛びますが、キジや鶏に近い仲間で、あまり飛翔力のある鳥ではありません。それが、北アルプスから白山まで約60km、途中鉄道や国道を越えてを飛んで来たとすると、これはなかなか意外です。このまま白山で定着と願いたいところですが、残念ながらメスがたった1羽のみでは子孫が残せませんから、ちょっと無理ですね。去年から今年までは生きながらえたけれど、来年また元気な姿を見せるかどうかは、何とも言えません。しかし、白山のライチョウがいったんは絶滅してしまった、その理由は何かが気になるところです。1930年代となると、まだ登山者が今ほど多かった時代ではなさそうです。前述のとおり、高山帯の面積が非常に狭いので、もともと生息数はごく少なかったと思われます。何らかの事情でちょっとでもバランスが崩れると、そのまま絶滅まっしぐら、だったのかもしれません。そう考えると、白山より更に標高が低い、おそらく高山帯の面積も小さい頸城山塊にライチョウが生き残っていることは、奇跡的です。白山に限らず、日本のライチョウ、そして高山帯の自然は、規模がごく小さく、後氷期の現在、非常に危ういバランスの中でかろうじて生きながらえてきています。ちょっとした温暖化でも壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。日本の山からライチョウや高山植物が姿を消すとしたら、それは世界に誇る日本の多様な自然が、その多様性を失うということを意味します。そんな未来図は避けたいものです。私自身は、山登りを始めてから最初の7~8年は、運悪くなかなかライチョウに出会うことが出来ませんでした。しかし、ある時期から非常に頻繁にライチョウを見かけるようになりました。やはり北アルプスが多いです。今年も、7月に双六岳で見かけました。南アルプスでは、仙丈岳(南側の大仙丈岳付近)と荒川岳で見たことがあります。↓の写真は荒川岳で撮影して、Wikipediaにアップしたものです。
2010.09.19
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http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100918-OYT1T00612.htm米国の14%が貧困層、過去最多の4360万人米国勢調査局は16日、2009年の米国の貧困層が全人口の14・3%に当たる4360万人に達した、と発表した。前年比380万人の増加で、統計をとり始めた1959年以来、過去最多で、国民の7人に1人が貧困層という計算になる。深刻化する経済危機による雇用不安を反映したものとみられる。米国では、政府が毎年定める基準を下回る世帯を「貧困層」と定義している。09年の基準は、4人家族で年収2万1954ドル(約188万円)。------------------現在の急激な円高によるレートの影響はあるでしょうから、購買力平価では多少割り引いて考える必要はあるでしょう。しかしそれを割り引いて考えるにしても、4人家族で年収188万(月収15万)というのは、貧困層の定義を随分狭く捉えたなという気がします。いずれにしても、貧困層が全人口の14%、4300万、なんとも夢も希望もない数字が並んでいます。ちなみに、米国政府の貧困層の定義は、その年の世帯における食料購入費を試算し、収入がその3倍に満たない層だそうです。一方、OECDの定義による貧困層(相対貧困率)は、所得分布の中央値(平均ではない)の半分以下の収入しかない層、となります。この定義による米国の貧困率は更に高くて、2000年代半ば、つまり今回の不況が始まる以前の段階で17%以上となっています。当然現在ではもっと高いはずです。では、日本はというと、OECDの基準で2007年に15.7%。OECD加盟国の中では、米国、メキシコ、トルコに次ぎワースト4位という不名誉な状態です。いや、購買力平価で考えるとひょっとすると下から4位よりもっと悪いかもしれません。ところで、この記事に関連して検索していたら、池田信夫という人物が「貧困率なんてたいした問題ではない」と叫んでいるブログに行き当たってしまいました。(1年前の記事ですけれど)http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51305601.htmlOECDの発表しているのは相対的貧困率で、これは国内の家計所得の中央値(メディアン)の半分に満たない世帯の比率を示す指標にすぎない。絶対的貧困率でみると、次の図のように、日本の下位20%の人々の所得(紫色の面積)は最大である。(中略)「日本の貧困層は世界でもっとも豊かである。日本の下位20%の人々の所得は、他の地域の最貧層の7倍以上である」。相対的貧困率が高いのは、高齢化によって無収入の老人が増える一方、若年層で非正社員や独身世帯が増えているからだ。------------国ごとに物価水準が天と地ほども違う、というあったりまえの事実を踏まえず、為替レートだけの計算で「日本の貧困層は世界でもっとも豊かである。」とか言うことに、何の意味があるんでしょうか。そんなバカバカしい計算に基づくなら、この2年ほどの間で日本人は全員、何もせずに2割ほども豊かになった計算になてしまいます。だってこの2年間で1ドル100円台から80円を切りそうなところまで、猛烈な円高になりましたからね。
2010.09.18
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http://www.asahi.com/politics/update/0917/TKY201009170228.html総理 菅直人(かん・なおと) 63 衆(10)東京18総務・地域主権推進 片山善博(かたやま・よしひろ) 59 民間法務・拉致 柳田稔(やなぎだ・みのる) 55 参(3)広島外務 前原誠司(まえはら・せいじ) 48 衆(6)京都2財務 野田佳彦(のだ・よしひこ) 53 衆(5)千葉4文部科学 高木義明(たかき・よしあき) 64 衆(7)長崎1厚生労働 細川律夫(ほそかわ・りつお) 67 衆(7)埼玉3農林水産 鹿野道彦(かの・みちひこ) 68 衆(11)山形1経済産業 大畠章宏(おおはた・あきひろ) 62 衆(7)茨城5国土交通、沖縄・北方 馬淵澄夫(まぶち・すみお) 50 衆(3)奈良1環境・防災 松本龍(まつもと・りゅう) 59 衆(7)福岡1防衛 北沢俊美(きたざわ・としみ) 72 参(4)長野官房 仙谷由人(せんごく・よしと) 64 衆(6)徳島1国家公安、消費者・少子化 岡崎トミ子(おかざき・とみこ) 66 参(3)宮城郵政改革・金融 自見庄三郎(じみ・しょうざぶろう) 64 参(1)比=国経済財政・科学技術 海江田万里(かいえだ・ばんり) 61 衆(5)東京1国家戦略・「新しい公共」 玄葉光一郎(げんば・こういちろう) 46 衆(6)福島3行政刷新、公務員制度改革 蓮舫(れんほう) 42 参(2)東京-----------------------うーーーーん、私は前原誠司があまり好きではありません。ただし、国交大臣としての実績は評価しています。特にダム建設見直しを貫き通したことは素晴らしい。民主党の他の政策の多くは腰砕けになっていますが、ダム見直しは腰砕けになっていませんから。だから、そのまま国交大臣だったらよかったのですが、あの新自由主義者、親米派が外務大臣とは、がっくりです。そして、あの北澤が防衛大臣留任、これもがっくり。引き続き親米路線を邁進するというわけです。さて、あと民主党政権に期待できそうなことといったら、選択的夫婦別姓法案と外国地方参政権くらいしかありません。では、新しい法務大臣は誰かというと、柳田稔参議院議員だそうです。すみません、この議員の名を知らなかったので、調べました。旧民社党出身のようですね。調べてみると、毎日新聞の参院選候補者アンケートの回答がありました。残念ながら、選択的夫婦別姓法案も外国地方参政権も無回答となっています。少なくとも、積極賛成ではなさそうです。民社党出身では、基本的には右寄りですから、多くを期待できそうにありません。逆に、国家公安委員長岡崎トミ子はびっくりしました。旧社会党出身の国家公安委員長は史上初めてかと思ったのですが、調べたら細川内閣のときに佐藤観樹(後に秘書給与詐取で逮捕され、実刑判決)の前例がありました。岡崎トミ子は民主党の中ではもっとも私が支持している議員の一人ですから、この人選は素晴らしい、と言いたいところですが、期待すると裏切られそうな気がするので、過大な期待は持たないでおきます。前原の後任の国交大臣は馬淵澄夫。耐震偽装問題のときは大活躍していたので、その当時は(私の中で)好感度が高い政治家でした。でも、高速道路無料化については、ちょっと・・・・・・。(私自身が高速無料化に賛成じゃないので)もし選択的夫婦別姓法案も外国地方参政権だけでも実現できたら、少しだけ民主党を見直しますが、どうも望み薄という気がします。それにしても、ここまで自民党とやることが変わらないのでは、1年前のあの政権交代はいったい何だったのでしょうか・・・・・・。
2010.09.17
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100915-00000003-maip-soci阿久根市 リコール署名提出 11月にも住民投票鹿児島県阿久根市の竹原信一市長の解職請求(リコール)運動を展開する「阿久根市長リコール委員会」(川原慎一委員長)は15日、解職の賛否を問う住民投票実施を求める1万364人分の署名簿を市選管に提出した。署名数は有権者1万9936人(2日現在)の半数を超え、住民投票に必要な有権者の3分の1を大幅に上回った。市選管の審査を経て有効数が確定すれば、11月中にも住民投票が実施される。川原委員長は署名簿提出後「勇気を持って署名してくれた市民の方々に感謝するばかり。身を引き締め、住民投票と市長解職に向けて、努力したい」と報道陣に語った。市選管は20日以内に、署名簿の縦覧(公開)と異議申し出の受け付けを経て署名数を確定。有効署名が有権者数(2日現在1万9936人)の3分の1に当たる6646人以上ならば住民投票実施が決まるが、署名数がこれを超えるのは確実とみられる。住民投票で有効投票の過半数が解職に賛成すれば、竹原市長は失職し、住民投票から50日以内に出直し市長選となる。竹原市長は既に出馬の意向を表明している。リコール委員会は20~40代の若手自営業者らで構成。8月16日に「竹原市長は司法判断を無視し、議会招集を拒否して専決処分を乱発しており、三権分立と議会制民主主義を完全に否定した独裁」などとしてリコール手続きを開始し、10日までに受任者506人が署名を集めた。受任者の一人で同市大川、林業、若松成人さん(74)は「早く竹原市長を失職させ、出直し選で新市長が当選してほしい」と語った。一方、専決処分で副市長に選任された仙波敏郎氏は報道陣に「1万超は予想しておらず、多くの方から厳しいご意見を頂いたと感じている」と述べる一方「1人で3回書いたり市外の人が署名した例もあった、との声も聞いている」とも主張した。-------------------有権者の意志というのは絶対不変ではなく、移ろいやすいものです。だから、郵政解散の自民党大勝利からたった2年で自民党は参議院選で歴史的大敗北を喫し、その2年後には政権から陥落しました。しかし大勝利を収めた民主党も、1年後には大敗北。阿久根のブログ市長こと竹原信一も同様です。私は彼の主張や政策をまったく支持しないけれど、賛否は別にして初当選時に有権者から大きな支持を得たことは間違いありません。彼は、その支持にあぐらをかき、自分が何をやっても支持される(と言っては語弊がありますね。自分が主張したことを貫き通すために何をやっても支持される、という意味です)と勘違いしたのではないかと思います。しかし、そうはいかなかった。いくら主張が正しくても(私は彼の主張が正しいとは思わないですが)、「正しい主張のためなら何をやっても良い」なんて理屈が通るはずもないし、多くの支持も得られるはずがありません。この市長のブログを私は時々見ていますが、文章の書き方、表現の仕方が、読んでいてあまり気持ちの良いものではない。簡単に言えば、いやらしい書き方。非常にネットウヨク的な(主張の中身そのものは、天皇家を批判罵倒するようなものも含まれているので、必ずしも右翼的な主張のみではありませんが)表現、感性であると感じられるのです。というわけで、リコール署名がなんと有権者の過半数を超えてしまった。多少の無効署名はあるかもしれませんが、それを割り引いたって、リコール成立はほぼ確定的です。あとは、出直し選挙で反市長派が分裂するようなことさえなければ、まず間違いなく竹原は市長の座を引きずり下ろされることになるでしょう。
2010.09.15
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先に書いた記事と、多少矛盾しますけれど、菅直人と小沢一郎、どちらにも期待できないけれど、ちょっとだけ小沢「首相」に期待してみようかな、という期がしないでもありません。なぜかと言うと、一つは、普天間基地移設問題。菅直人は辺野古に移設すると言い切ってしまっている。つまり日米合意を見直す気は全くありません。小沢だって、本気で見直すとは思えないのですが、一応は見直すと言っている。ほとんど期待できないけど、それでも10%くらいは期待していいかもしれない。0%対10%なら、低レベルな比較ではあるけれど、10%でも期待できる方がまだ多少マシかもしれないなあというのが一つ。そしてもう一つは、いささか逆説的かつイジワルな視点ですけれど、私は、ある党、ある政治家が政権を取れば、あるいはある政策が実行されれば、全てが解決する的な発想は基本的にダメだと思っています。そんなこと、あり得るはずがない。私は自他共に認める左翼ですけれど、左翼政権になれば理想的な政治が必ず実現できると信じるほどには、楽天主義者じゃない。(念のため、民主党が左翼だなんて、まったく思っていません)ところが、小沢一郎待望論の、全部がそうだとは言いませんが、一部には小沢一郎盲従というか、小沢が政権を取れば何でも解決すると言いたげな論調があります。そんなわけないじゃん、と私は思います。どうしてそこまで小沢一郎が信頼できるのか、分かりません。でも、そこまで言うなら、小沢一郎が政権を取ったら、どこまで素晴らしい理想郷を作り上げてくれるのか、もし全然理想郷じゃない結果になったら、小沢信奉者はどういう反応をするのかちょっと見物だな、と思うのです。ま、こういう理由で「期待する」というのは、普通は「期待する」とは言わないとは思いますが・・・・。まあ、でも多分菅直人が勝つんだろうなと推測しています。
2010.09.13
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昨日は1973年9月11日のチリ・クーデターのことを書きましたが、今日はチリ、そしてサンティアゴの写真など。私はチリには2回行っています。最初は1989年11月。その前年に民政移管の是非を問う国民投票が行われて反軍政派が勝利、そして私が訪れたときはちょうどピノチェトの後任の大統領選のまっただ中でした。このとき、私は1ヶ月間南米に滞在していまして(学生の特権ですね)、ペルーからボリビアへ、そしてボリビアの首都ラパスからチリ最北端の街アリカに向かいました。機内から撮った写真。どこがボリビアでどこがチリで、どこがペルー(アリカはペルーとも国境を接している)かよく分かりませんが、とにかく荒涼とした景色です。この間陸路を行くルートもあるのですが、とんでもない悪路らしいです。アリカの街から車で15分か20分内陸に入ったところにあるオアシス。確か博物館があったんじゃないかと思いますが、何しろ20年以上前のことなので正確には覚えていません。とにかく、樹木と砂漠の対比がなかなかすごかったことを覚えています。砂漠の真ん中なのに池があって、養魚場になっているのです。オアシスだから。オアシスと言っても、わき水ではなくアンデスから流れ下ってくる川の水ですが。アリカの街です。港町で、魚介類が非常においしい。(チリはどこでも魚介類がおいしいですが)でも、街の目の前まで砂漠地帯です。アリカから、首都サンティアゴを目指すバスに乗りました。アリカ-サンティアゴ間の距離は、約1600km。バスは朝7時か8時に出発し、サンティアゴに到着したのは翌日の午後2時頃だったかな。初日の日中は、ひたすらアタカマ砂漠の中を突っ走ります。ところどころアンデスから流れ下ってくる川にぶつかると、そこだけがこんな風に大峡谷になっています。ここまで大峡谷が刻まれるのに、いったい何百万年かかったんでしょう。でも、実は水はほとんどありません。この時期は、川上であるボリビアで雨期が始まったばかりですから。それでも、谷底にはちゃんと水の流れに沿って植物があるんです。乾燥に強い灌木ばかりですけれど。これもアタカマ砂漠。樹木の様子が少し分かりやすいかな。パンナム・ハイウェーは砂漠から谷底に降りて橋を渡り、また谷を登っていきます。この日の夕方、アントファガスタを通過しました。チリとペルー・ボリビアは歴史的に仲が悪く、しかもこのときはまだ軍政下ですから、このバスはこの間2~3回軍の検問所を通過しました。そのたびにバスから降ろされてパスポートチェック。で、延々と走り、翌日になると砂漠も終わって緑の大地になった頃、サンティアゴに到着です。もっとも、緑と言っても、日本と比べればだいぶ乾燥した緑ですが。で、その晩はバスの中で親しくなった老夫婦の家に泊めてもらい、翌日夕方夜行バスで更に南のプエルト・モンを目指しました。サンティアゴから1000km以上南です。3日間で3000km近くをバスで南下した計算です。チロエ島です。プエルトモンからバスで更に1時間くらい南でしょうか。プエルトモンから充分日帰りコースでした。途中、バスごとフェリーに乗ります。北の方の大砂漠とは、とても同じ国とは思えない、ナンキョクブナの深い森に覆われた島でした。着いたところが、チロエ島最北端の街アンクド。何もない街ですが、博物館がありました。あと、適当に入った食堂が、とてもおいしかった。何を食べたかは覚えていませんが、とにかくおいしかったことは覚えています。プエルトモンから、今度は北へ。実は、現地でツアーに申し込んだので、行き先の正確間場所は知らないのですが、とにかくプエルトモンから少し北にバルディビアという街があり、その近くの国立公園でした。ナンキョクブナのうっそうとした森と、緑色の湖。滝、雰囲気的には北海道というか北欧というか、そんな雰囲気でした。これも、同じ国立公園の写真です。この湖の先は、アルゼンチンとの国境、その先にはバリローチェというアルゼンチンのリゾート地もあります。この景色なら、リゾート地として繁盛するのも分かります。夜行バスでサンティアゴに戻ってきました。これが、あの大統領府(通称モネダ宮殿)、アジェンデ大統領が炎の中で生涯を終えた場所です。ちなみに、この写真を撮った時点では、この大統領府の主は、まだピノチェトでした。クーデターの際の弾痕などは全部修復されています。壁が何か汚れたようになっいるのは、修復の跡なんじゃないかと思います。サンティアゴというのは、とにかく世界有数の空気の汚れた街です。実は、アンデスの雪山が目の前にそびえているのですが、全然見えません。(冬場の降雨直後などは空気が澄むので、驚くほど近くにアンデスの山並みが見えるらしいです)市街地を見渡す丘から。これも同じところからの写真です。フォルクローレの路上演奏をしていました。クーデター直後には、軍事政権はビクトル・ハラやキラパジュン、インティ・イリマニなどアジェンデ支持派のヌエバ・カンシオンの音楽家のレコードや楽譜などを「焚書」し、ケーナやチャランゴと言った楽器を禁止する時代すらあったようですが、さすがにこの時期にはもうそんなこともなく、みんなおおっぴらに演奏していましたし、おおっぴらにカセットやCDを売っていました。私のたくさん買い込んできました。(この時期、チリではLPレコードはほぼ絶滅していたようです。)でも、路上演奏の最中、急に聴衆がそわそわし始めるときがあるのです。何だろうかと振り返ってみると、そこには必ずカラビネーロス(治安警察軍)がいる。まもなく軍政が終わるという時期ですが、やっぱり怖いんですね。この写真ではよく分かりませんが、反軍政派の政党の一つPPD(民主主義のための党、チリ社会党右派の流れをくむ)の選挙運動でした。ゲリラ的というか突然人々が群がったかと思うと、バラバラとチラシをまき散らしながら去っていきました。大統領選の投票日は私が帰国した直後でした。反軍政派の統一候補、キリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンが勝ったことは周知のとおりです。2度目のチリに行ったのは1994年2月。このときは、前に勤めていた会社を辞めて現在の勤務先に変わる、その合間に行きました。その間引っ越しはしなくてはならないし、4月から仕事も始まるし、前回ほどの期間旅行に当てることはできませんでしたが、それでも17日間だったか18日間で、やっぱり今じゃ不可能。このときは、日本からアメリカン航空でシアトル-マイアミ乗り換えでサンティアゴに朝着きました。で、前回お世話になった老夫婦のところに遊びに行き、それから太平洋岸の街バルパライソとビーニャ・デル・マールへ、さらにサンティアゴに戻って、アンデスを越えてアルゼンチンのメンドーサまで往復したのですが、実はこの間の写真がほとんどないのですカメラの操作を誤って、撮影に失敗してしまいました。なので、あるのはメンドーサからサンティアゴに戻るとき以降の写真だけです。ビーニャ・デル・マルはチリ有数の海のリゾート、それと隣接するバルパライソはチリ最大の港であり、チリ海軍最大の軍港でもあります。駆逐艦(フリケート艦かな)がたくさん並んでいました。遊覧船に乗ったので、軍艦の写真も撮ったのですが、前述のとおり撮影失敗。やはり魚介類がおいしかったです。とにかくチリは私が行った日本以外の国の中では、一番食べ物のおいしい国ではないかと思います。89年の時と同じ公園から市街地を撮りました。マポチョ川。サンティアゴ市内を縦断する大河です。人口数百万の街中を流れる川ですから、残念ながらきれいではありませんでしたが。都会ということを別にしても、基本的に、日本の川のような「澄んだ水」はアンデスの川には(パタゴニアを除いて)ないようです。緑が少なくて、土砂を多量に含むためでしょう。チリ独立の英雄、オイギンスの像、だと思います。正確な場所は覚えていませんが、サンティアゴ市内のどこか(確か空港から市内に向かうバスを降りたところで撮ったのではないか、と思います)。このあと、私はサンティアゴからボリビアの実質的首都ラパスまで飛行機で飛びました。前回のようにバスで1600kmの大旅行は、さすがに時間がなかったので避けました。で、その先に続くのが、先日公開したhttp://plaza.rakuten.co.jp/intisol/diary/201008250000/この記事の写真になります。
2010.09.12
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9.11と言えば2001年同時多発テロが有名ですが、ラテンアメリカで9.11と言えば1973年のチリクーデターのことです。このクーデターのことについて、私はあちこちで書いています。自分のホームページにも、それから実はWikipediaのチリ・クーデターの項目も半分くらいは私が書いたものです。なので、今更付け加えることはそれほど多くありません。ただし、37年を経過してなお、クーデターを巡る問題はチリにおいて「終わったこと」とはなっていません。ピノチェトの前任の陸軍総司令官(一時期国防相も兼務)カルロス・プラッツ将軍は、「軍は政治的中立を守るべき」との信念から(本心からアジェンデの政策に賛同していたかどうかは分かりませんが)アジェンデ政権に協力しており、そのためクーデターの直後アルゼンチンに亡命を余儀なくされました。しかし、ピノチェトは亡命したプラッツ将軍に対して暗殺部隊を送り込み、クーデターの翌年1974年9月27日、プラッツの車に爆弾を仕掛け、妻共々爆殺しています。このテロを実行したのが、チリの国家情報局DINAだったのですが、実行犯たちは、ピノチェト政権下は言うまでもなく、民政復帰後も罪に問われることはありませんでした。彼らの親玉であるピノチェトは、大統領を退いたあとも引き続き陸軍総司令官の地位にあり、隠然たる影響力を持っていて、チリの司法当局は訴追することが出来なかったのです。その流れが変わったのは、1998年、民政復帰の9年後のことです。ピノチェトはイギリスを訪問して、そこで身柄を拘束されます。スペインのガルソン判事が、チリ在住スペイン人に対する人権侵害事件について、イギリスに対してピノチェトの身柄引き渡し請求を行ったからです。最終的には、イギリスはピノチェトの拘束を解き、チリへの帰国を認めますが、この騒動を契機にチリ国内でピノチェト訴追の動きが活発化します。しかし結局、最終的には「高齢で裁判に耐えられない」との理由で起訴されませんでした。ただし、ピノチェトの子分たちはそうはいかなかった。捜査の過程でピノチェトが莫大な財産不正蓄財した疑惑が浮上し、妻と子が逮捕されます。(最終的には嫌疑不十分で釈放されましたが)そして、カルロス・プラッツ将軍の暗殺犯も罪に問われる日がやってきたのです。2002年、プラッツ将軍暗殺犯たちは訴追され、今年7月に最高裁で判決が出ました。マヌエル・トントラーレスDINA元長官 2件の殺人で懲役17年+他の違法行為への荷担で3年ペドロ・エスピノーサ准将 2件の犯罪で懲役17年+違法行為への荷担で3年ラウル・イトゥリアーガDINA副長官 2件の殺人で懲役15年+違法行為への荷担で100日ホセ・サラ准将 2件の殺人で懲役15年+違法行為への荷担で100日クリストフ・ウィレク准将 2件の殺人で懲役15年+違法行為への荷担で100日ホァン・モラレス・サルガード 2件の殺人で懲役15年+違法行為への荷担で100日マリアナ・カジェハス(DINAのエージェント、民間人) 自由拘束(禁固?)5年などなど。この判決が出た時点でチリの大統領は4代20年続いた中道左派政権から、右派「チリのための同盟」のピニェラ大統領に代わっていましたが、彼は、軍政時代の人権侵害事件責任者たちの赦免を拒否しており、右派ながらピノチェト支持派とは一線を画しているようです。ちなみに、秘密警察DINAが起こした国外でのテロ事件は、これ1件だけではありません。中道政党キリスト教民主党(クーデター時にはピノチェトと協力していたが後に袂を分かち、反軍政派となる)のベルナルド・レイトン元副大統領は、国外追放されて滞在中のイタリアで車爆弾を仕掛けられ、本人は一命を取り留めたものの、妻は亡くなっています。アジェンデ政権で駐米大使と外務大臣を歴任したオルランド・レテリエルは、クーデター後に滞在していた米国の首都ワシントンで、やはり車爆弾で爆殺されています。しかし、いくら何でも米国の首都での車爆弾テロは「やり過ぎ」だったのです。この件でピノチェトは後援者たる米国の不興を買い、最終的に切り捨てられる伏線となります。しかし、今でもチリにはピノチェト信奉者が少なくありません。2006年にピノチェトは死にますが、当時のバチェレ大統領は国葬(チリの大統領経験者が亡くなると、国葬が慣例だったのです。もっとも、当のピノチェト自身は自ら倒したアジェンデ大統領の国葬などやっていないけど)を拒否し、葬儀にも出席していません。何しろ彼女の父は空軍准将ながらアジェンデ支持派で、クーデター時に拷問で責め殺されているし、彼女自身も酷い拷問にあっていますから。しかし、葬儀は陸軍主催で盛大に行われたようです。その場でピノチェトの孫アウグスト・ピノチェト・モリーナ大尉はピノチェトの人権弾圧を賞賛する演説を行い、拍手喝采を浴びたと言われます。ただし、それに対する反応も強烈でした。陸軍は彼を直ちに免官しましたし、葬儀に出席していた一人の青年が、ピノチェトの遺体につばを吐きかけて逮捕されています。彼は、暗殺されたプラッツ将軍の孫でした。Wikipediaスペイン語版のプラッツ将軍の項目に、かなり強烈な写真が掲載されています。(爆殺直後の現場写真)内容が残虐なので、ここに直接は貼らず、リンクだけ貼っておきます。http://es.wikipedia.org/wiki/Archivo:Asesinato_Carlos_Prats1.jpg以前にも紹介しましたが、アジェンデ大統領が反乱軍に包囲された中、最後に行った演説。http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhEチリのグループ、「イジャプ」のVuelvo para vivir (ここで生きるために帰ってきた)http://www.youtube.com/watch?v=u8y_0y-cT5gピノチェトによる帰国禁止を解かれチリに帰国した彼らの「帰国第1曲」。チリで40週間連続ヒットチャート1位という曲です。追記チリ・クーデターと言えばビクトル・ハラ。ビクトル・ハラの代表曲をYouTubeで探してみました。ただ、時期的に生演奏の動画は全て白黒しか残っていないし、録音自体もほとんどモノラルで、ステレオ録音はほとんどないという欠点がありますが。Cuando Voy al Trabajo(仕事に向かうときに) 個人的にはビクトル・ハラの中で一番好きな曲です。クーデターの直前に発表された、つまりほぼ「遺作」に近い曲です。http://www.youtube.com/watch?v=R81UksWfCDYManifiesto(宣言) 上記同様にクーデターの直前に発表された、文字通りビクトル・ハラの「遺言」です。http://www.youtube.com/watch?v=en8yqVxuT-ULa partida(出発) ビクトル・ハラ作曲の器楽曲。この音源のみ、演奏はビクトル・ハラの弟子筋に当たるインティ・イジマニhttp://www.youtube.com/watch?v=6TvCfFvPdWsLa plegaria a un labrador(耕す者への祈り) 多分ビクトル・ハラの代表曲。キラパジュンの伴奏とコーラスをバックに歌っています。http://www.youtube.com/watch?v=U5PFx6DgwWsEl tinku(ティンク) ボリビアの曲です。少しおちゃらけ系、というか、ポトシ系の歌の雰囲気をよく押さえているなと思いますhttp://www.youtube.com/watch?v=fGUOT2swM2Q
2010.09.11
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http://www.shinmai.co.jp/news/20100910/KT100909FTI090004000022.htm槍ケ岳山頂CM撮影で登山者足止め 抗議相次ぎ放送中止日清食品が8月初め、一部の登山者を足止めし、北アルプス槍ケ岳(3180メートル)山頂でテレビコマーシャルの撮影をしていたことが9日、分かった。抗議や批判が相次いだため、同社はホームページに「不快な思いをさせ迷惑をかけた」とするおわびを掲載し、同日から予定していたこのCMの放送を中止した。同社広報部によると、8月3日午前11時ごろから約30分間、山頂にちゃぶ台を置いて男性タレントがカップめん「日清ラ王」を食べるCMをヘリコプターから撮影した。ヘリが飛んで危険なため、山頂へ向かう高さ約100メートルの岩壁の途中で、広告代理店スタッフが山頂に向かう登山者十数人に「できればここで待ってほしい」と依頼。強制ではなく、撮影中に山頂に立った登山者もいたとしている。同社は撮影前に環境省松本自然環境事務所(松本市)に撮影内容を伝え、地元の登山ガイドと相談して登山者が少ない時間帯を選んだとする。だが、同事務所は撮影前に登山者の迷惑にならないよう注意を促していたとして、撮影を問題視。担当者から詳しい事情を聴き、「文書での注意処分などを含め対応を検討している」としている。岩壁の途中で待機させられたという兵庫県内の男性(67)は「待っているうちにガスが上がってきた。山頂に着いたころには思い通りの景色が見られなかった」と憤る。この男性の新聞投書をきっかけに、日清食品への抗議電話やインターネット掲示板などへの批判の書き込みが相次いだ。---------------------基本的に、8月3日という夏休みシーズンまっただ中の時期に、日没後を除けば「登山者の少ない時間帯」なんてないと思います。私は槍ヶ岳に2回、いずれも夏に登っていますが、今写真を引っ張り出してみたらいずれも平日でした。最初は1995年は8月7日月曜。平日でも槍の穂先への登りは長蛇の列でした(午後3時頃)。待ち時間が長くて、登りに30分くらいかかった記憶があります。下りで固まってしまい、動けなくなっている登山者がいたことも渋滞に拍車をかける要因だったようですが。2度目は2000年7月19日水曜。やはり午後3時頃に登ったのですが、このときは登山者がほとんどいませんでした。山頂に着いてみると、登山者は何人かいたのですが、登っている間は一人もいなかった。このときは、山小屋に荷物を全部置いて、首からカメラと手ぬぐいを下げ、ズボンのポケットにケーナを突っ込んだだけという、超軽量装備で穂先を目指したら、途中でポケットに突っ込んだケーナが落ちそうになって(もし落ちても、梯子から手なんか離せないし)、結構ヒヤヒヤしました。もちろん、演奏に使用するメインのケーナではなかったのですが。幸い、落っことすことはなく、このケーナは今でも現役で使っています。このときは、荷物はないし他の登山者もほとんどいなかったので、猛ダッシュで登ったら槍の肩から穂先まで、10分とかからなかった。同じ夏の平日なのにこの差はどこから出てきたのか、多分8月7日は学校が夏休み、一般企業も夏休みを取る人が少なくないのに対して、7月19日は学校はまだ夏休みではなく、一般社会でもまだ夏休み時期には少し早かったから、だと思います。今回の騒動の8月3日というのは、多分8月7日の例と同じくらいの客足があったはずです。基本的に、いくら平日でもこんな日を撮影日に選んだこと自体が間違いで、やるなら海の日の連休前か、9月に入ってからの平日でなければ無理だったと思います。スケジュールの関係もあったんでしょうけど。で、発端となった投書によると、止められた場所というのは、頂上への鉄ばしごの手前だそうです。長い鉄ばしごがあったのは覚えていますが、10年前なのであれがどの辺りにあったのか、正確には覚えていません。かなり穂先の近くだったと思いますが。自分で撮った写真をよく見ましたが、梯子は写っていません。↓2000年。槍の肩から槍の穂先を望む↓1995年。槍の穂先から少し下った辺りから、槍の肩(槍ヶ岳山荘)を望む↓上記よりもうちょっと下ったところから槍ヶ岳山荘を撮影見た目ほどに怖くも危険な場所でもなくて、まあ北アルプスの中では比較的入門コースの山です。とはいえ、こんなところで通せんぼされて「待ってください」なんて言われたら、そりゃ頭に来ますよ。ただし、別に撮影がなくたってガスが湧くときは湧くし、前述のとおり、混む時間なら30分足止めもあり得ますけれどね。だけど、いくら槍の肩からの登山道を止めても、北鎌尾根から来る人がひょっこり山頂に頭を出す事態はどうするつもりだったんだろうか・・・・・・。(屈指の難コースだから、あまり人は来ないですけれど)検索したら、槍の穂先の梯子が写っている動画が二つありました。梯子は何カ所かあるのでどれかは分かりませんが、多分山頂直下のものではないかという気がします。(上の動画にある梯子、下の動画だと0:30あたりから)http://www.youtube.com/watch?v=P4w4gEgbUrohttp://www.youtube.com/watch?v=gTLY2SC9Nts
2010.09.10
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民主党代表選が行われていますが、もちろん私は民主党員でもサポーターでもないので、投票権はありません。もっとも、党員じゃないところにも投票用紙が送られたりしているようですが、少なくとも私のところには来ていません。で、小沢一郎と菅直人と、どちらの方が首相にふさわしいか。さて、これは難しい問題です。はっきり言って、どちらもふさわしくないと思っているから。ただし、そうは言ってもこの2人以外今は選択肢がない、ということも言えます。菅直人は自衛隊高級幹部会同で日米同盟を「わが国の防衛のみならずアジア太平洋地域の安定と繁栄を支える国際的な共有財産」とした上で、「この同盟関係を21世紀にふさわしい形で着実に深め、発展させることが重要だ」と説明した。のだそうです。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100908/plc1009081210006-n1.htmより何というか、この面に関する限り自民党政権とまったく変わりがない。かつて自分自身が批判していたはずの対米追従そのものの態度です。一方小沢一郎は、対等な日米同盟を掲げ、沖縄の海兵隊不要論、普天間基地の辺野古移転見直しを言っています。http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100908ddm002010073000c.htmlよりもし、本当に小沢が辺野古への基地移設を見直し、普天間基地の国外移設を実現するなら、そして沖縄の海兵隊実戦部隊を完全撤退させるなら、小沢に他にどんな危険性と問題点があろうと、私は小沢を支持します。もし、本当にそうなら、です。残念ながら、鳩山内閣は普天間基地移設問題について「できれば国外、最低でも県外」を主張していたにもかかわらず、結局その公約を投げ出して、辺野古移設を認めてしまった前例がありますので、言葉をそのまま額面どおりに受け取る気にはなれません。一連の普天間基地問題に関して重大な責任を負っている閣僚が4人いました。一人は言うまでもなく鳩山首相その人です。あとの3人は、北澤俊美防衛相、岡田克也外相、平野博文官房長官です。このうち、北澤と岡田は菅直人支持ですが、鳩山と平野は小沢支持です。特に平野は小沢擁立の中心人物であると報じられています。名護市長に基地移設反対派が当選したとき、「民意を斟酌しなければならない理由はない」とまで言い放ったあの平野が小沢擁立の中心人物という時点で、小沢の普天間基地国外移設論の本気度が疑われる。それに、笠浩史、松野頼久、原口一博という民主党内保守派(というか極右派)も小沢の推薦人あるいは支持を明確にしています。つまり、この問題について小沢一郎が菅直人よりマシである保障はまったくないのです。であるなら、民主党内で「よりマシな議員」はどちらの陣営により多く付いているのか。旧社会党グループは小沢支持と菅支持の双方の意見があって、統一的な行動は取れないようです。護憲派グループであるリベラルの会も同様です。私が民主党の議員(元議員)の中で、特に高く評価しているのは、岡崎トミ子と、今回落選してしまった千葉景子(若干失望するところもあったけれど)、それに川内博史と馬淵澄夫です。岡崎トミ子は菅直人の推薦人であり、千葉は議員ではなくなったので代表選での動向はあまり注目されていませんが、やはり菅直人を支持しているようです。馬淵澄夫も菅支持、川内だけが小沢の推薦人になっています。政治と金の問題については、どう考えても小沢には大問題があります。菅直人にその種の問題がまったくないかどうかは知りませんが、小沢ほどではない、ということだけは少なくとも言える。そんなこんなで、結局小沢も菅も大差があるようには思えないのです。だから、私は正直言ってどちらでもいい、いや、どちらもダメ。ただし、政治と金の問題は無視せざる大問題です。この点をメインに考えると、やはり小沢はちょっと・・・・・・・・。ただし、もう一つ確かなことがあります。小沢も菅もどちらも支持できないけれど、それでも自民党政権よりは(小沢でも菅でも)マシだということです。まあ五十歩百歩の違いでしかないけれど。
2010.09.09
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先日このブログのアクセス数が10万に達したことをご報告しましたが、今度はYouTubeに公開している「さくら(独唱)」の再生回数が1万回に達しました。(かなり、季節はずれの話題ですね・・・・・・・・)http://www.youtube.com/watch?v=0bCUPRZUDQ8&fmt=18「コンドルは飛んでいく」の再生回数は2つの動画をあわせて13万以上に達していますから、それに比べれば10分の1にも満たない回数ではありますが、それにしてもまさか私の(ケーナやサンポーニャならともかく)フルートを聞いてくれる人が日本中にこんなにいるとは・・・・・。私がYouTubeにアップしている曲には、日本からのアクセスはほとんどなく、外国(チリかアルゼンチンかボリビア)からのアクセスが大半を占めるとう曲も多いのですが、さすがにこの曲は全体の96%が日本からのアクセスでした。この演奏は、動画の説明にも書きましたが、職場の同僚と何度か一緒に練習(私はフルート、同僚はピアノ)していたのですが、去年の3月、私が異動でその部署を離れることになり、せっかくだから最後に何か録音しようと、演奏したのがこの曲でした。実は、30分以上かけて、何度も何度も録音し直して家に持って帰って聞いてみたら、どうも今ひとつ、と思い、2~3日後にもう一度アタックして、やっと者にした録音がこれなのです。2日がかり、延べ1時間以上をこの録音につぎ込んでいます。で、すぐに4月になって、異動先に行ったら仕事内容は激変、ぐしゃぐしゃな日々を送りつつ現在に至っています。そういう意味で、私にとっても非常に思い出深い曲です。本当に録音した場所の窓の外には桜があったし。(ただし、去年の春は非常に寒くて桜の開花が遅れ、録音した3月末の時点でまだほとんど咲いていませんでしたが)それにしても、私はこの曲以外にもフルートで有名曲を何曲かアップしているのですが、なんでこの曲だけがこんなにアクセス数が伸びているんだろうか・・・・・・。同じ「さくら」でも、「第1弾」の方はそれほどのアクセス数ではありません。(何故か、バリバリにネットウヨクの方から絶賛コメントをいただいております。他のことはともかく、音楽については相手が誰だろうと、聞いて喜んでいただければ素直にうれしいです)音楽は国境もイデオロギーも越えるのです。
2010.09.08
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私は民主党の政策にかなり愛想を尽かしていますけれど、だからといって民主党を非難攻撃しているネットウヨク連中の肩を持つ気もありません。民主党は嫌いだけど、自民党とネットウヨクはその百倍嫌いですから。さて、最近のネットウヨクの攻撃対象は、もっぱら民主党の代表選に外国人が参加できることであるようです。ネットウヨク御用達の産経新聞がこんな社説を出しています。【主張】代表選の欠陥 外国人関与なぜ放置する事実上、日本の首相を選ぶ民主党代表選の仕組みはあまりにも杜撰(ずさん)である。問題なのは、投票システムのほか、投票資格を持つ党員・サポーターに在日外国人が含まれている点だ。永住外国人に地方参政権を付与する法案の是非が議論となっているが、民主党代表選は国政そのものに外国人がかかわる点で、さらに深刻な問題をはらんでいる。特定の外国人勢力の意思が首相選出に影響を及ぼす恐れがあるためだ。長尾一紘中央大教授は、「憲法違反」だと断言している。そもそも制度設計がおかしい。党員は年間6千円、サポーターは2千円を支払って投票に参加する。外国人の党費支払いに法的規制はないが、外国人による政党への寄付を禁じる政治資金規正法の趣旨に反しているといえる。民主党の枝野幸男幹事長は8月9日の記者会見で、外国人の投票について、「将来に向かっては、議論が必要なことではないか」と述べている。党幹部もこの問題点に気づいているわけだ。それにもかかわらず、なんの制度改正も図られないままに今回の代表選を迎えたことは、まったく理解に苦しむ。また、小沢一郎前幹事長は5日、「党の問題でしょう。僕が決める話じゃない」と述べた。民主党代表に就任する可能性がある人物として、無責任としか言いようがない。一方、党員・サポーターによる投票は、投票用紙が自宅に郵送され、これに候補者名を書き込んで返送する仕組みだ。これでは、本当に党員・サポーター本人が投票したものかは確認できない。代理投票や特定候補への投票の強要など、さまざまな不正行為も可能ではないか。民主党秋田県連では、小沢氏を支持する衆院議員の事務所が、一部のサポーターに対して、白紙の投票用紙の提出を求めたという疑惑が浮上している。当該衆院議員は「事実無根だ」と否定しており、そうした行為が実際にあったのかは不明だが、そもそもこういう不正が実行可能であるという点に、制度としての脆弱(ぜいじゃく)性がある。投開票日は14日に迫っている。今からでは制度の改善は間に合わない。制度の欠陥を悪用しないことを民主党議員、党員、サポーターに求めたい。---------------------はっきり言ってバカバカしい主張です。そもそも私は外国人地方参政権付与に大賛成の立場ですが、そのことはひとまず措いて、いかに民主党が政権与党だとしても、その代表を選ぶ選挙は公職選挙法の制約を受けません。日本国の首相を選ぶのは、あくまでも国会議員の議決(最終的には衆議院の議決が優先)によるのであって、代表選というのは、極論すればその参考なのであって、何らかの法的根拠に基づくものではありません。実際、民主党は党員参加の代表選を行わずに代表を決めたことだってあります。(鳩山前首相も菅首相も代表選出時はそうでした)民主党は与党だからと言っても、代表選に負けた側が党を割って自民党とくっつくようなことだってあり得ないことではありません。(そういう報道はさかんにされています。もっとも、私はその可能性はあまり高くないだろうと思っていますが)そうなれば、代表選に勝ったって日本国の首相にはなれません。「代理投票や特定候補への投票の強要など、さまざまな不正行為も可能ではないか。」とありますが、はっきり言ってそれはあるでしょう。ただし、それは自民党も同じことです。今回民主党代表選を巡って非難されていることのほとんどは、かつての自民党の総裁選、総裁予備選でも横行していたことです。民主党員やサポーターではない人のところに投票用紙が送られた、という報道がありましたが、かつて自民党の総裁予備選や総裁選でも、投票用紙がデタラメに送付されることは頻繁にありました。2001年に小泉が選出された総裁選でもそんなことがあったし、それ以前、1980年代には社会党の国会議員(元国会議員だったかも)の元にまで投票用紙が送られてきた、なんてことが報じられたこともありました。どういうことかというと、各議員が党員をかき集めてくると、その中には本人の同意を得ないまま、名前を無断で借りて党費は議員が立て替えて払ってしまう幽霊党員が山ほど含まれているのです。参議院の比例代表区が拘束名簿式だった時代、集めてきた党員の数で名簿記載順位が決まりましたから、各議員はそんなことをやって党員数を水増ししていたわけです。だから、自民党の党員数は選挙や総裁選のあるときは大幅に増え、それが終わると大幅に減るというのが常態でした。で、そうやって捏造した「党員」の元に投票用紙が送られればまだいいのですが、それを自陣営で回収してまとめて投票、ということを考える人も、当然いるわけです。今回の小沢陣営がやったと言われる行為と同じです。会社ぐるみで社員に自民党に入党させておきながら、総裁予備選の投票用紙を会社が取り上げてまとめて投票しようとした、と言うような出来事も報じられたことがあります。自民党は外国人を党員として認めてはいませんが、現実問題としてそれだけ幽霊党員を捏造していれば、当然相当数の外国人がその中に混入してくるでしょうし、投票した外国人だっているでしょう。住民票に基づいて名簿を作っているわけではないから、それは避けようがないはずです。要するに、これらの点において、民主党は自民党と同レベルということです。外国人云々の話はともかく、党員ではない人に投票用紙を送ったり、代理投票や投票先の強要は、確かにほめられた話ではない。もしそれが公職選挙法に基づく選挙なら違法です。けれども、自民党の総裁選(かつての総裁予備選)を何も批判しなかった人間が、今になって民主党の代表選批判を始めるのは、はっきり言って片手落ちというか、ためにする議論としか言いようがありません。
2010.09.07
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5ヶ月ほど前の記事で、フルートで「アルルの女」のメヌエットを練習していることを書きました。この曲が吹けるようになれば、フルート初心者卒業だというので、がんばって練習してみたら、とてつもなく難しかったという話です。さて、あれから5ヶ月、来る日も来る日もこの曲を練習(ウソ、いま楽器に触るのは週に3日くらい、そのうちフルートは15分か長くても20分くらい)していたら、なんと、あんなに箸にも棒にもかからないと思っていた、あの「アルルの女」が吹けるようになったのです!!いよいよ、inti-solもフルート初心者卒業か?!さっそく録音してみました。http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/LArlesienne.MP3・・・・・・・・ダメじゃん。つっかえながら何とか最後まで音をたどることが出来ました、というだけで、これを吹けたというのはいささか苦しい。というわけで、まだフルート初心者卒業とはいかないようです。とはいえ、あれほど箸にも棒にもかからないと思えた難曲が、2日に1回、15分か20分の練習(実際には他の曲も吹くので、この曲に割いた時間は1回5分くらいかも)で、つっかえつっかえとは言え、かろうじて吹けるようになるんですね。継続は力なり、です。(と書くのはもう少し上達してからの方がいいかもしれませんが)
2010.09.06
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今日は、神奈川県の某所にて演奏してきました。「キラ・ウィルカ」のケーナ奏者いとうさんの地元自治会の夏まつり。演奏は日が暮れてからだったので、気温はそんなに高くなかったのですが、やけに湿気があって、蒸し風呂の中で演奏しているような感じでした。先週の長野県鹿教湯温泉も真夏の屋外演奏でしたが、日中は暑かったけれど、やはり山の中だけあって日が暮れると涼しく、特に湿気がなくて非常に快適だったのですが、やはり長野の山の中と東京近郊では差が大きいです。正直言って、楽器にあまりよいコンディションとは言えませんが、でもそんなときでも演奏は楽しいものです。さて、しかし今日の東京は朝方は曇り気味でそれほど気温が上がらず、「これはついに涼しくなるか」と一瞬思ったのですが、それもぬか喜びで、10時過ぎからは晴天、気温もうなぎ登りになってしまいました。そして、京都ではなんと気温39.9度が記録されたと報じられています。もう、本当にどうなっちゃっているのか・・・・・・。それに従って、熱中症が各所で問題となっています。高齢者や病人が熱中症の被害にあいやすいことは容易に想像がつくのですが、今年の状況はそういうレベルを超えています。プロ野球オリックス-ソフトバンク戦http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/npb/news/20100905-OHO1T00114.htmオリックス大引選手とソフトバンク山崎選手が熱中症と脱水症状で途中交代(もちろん観客も熱中続出)http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20100904ddlk17040610000c.html陸上自衛隊金沢駐屯地の3等陸曹(44)が戦闘服やヘルメットを着用して1周約2・5キロの山道を2周走る訓練をしていて死亡、死因は熱中症と思われる。プロ野球選手にしろ自衛隊員にしろ、体力は人並み以上のものがあるはずですが、熱中症とは無縁ではいられなかったようです。別報道によると、上記のオリックス-ソフトバンク戦では、途中交代に至ったのは2人だけですが、他の選手も全員「気分が悪い」と言っていたようです。自衛隊の例は、2.5kmを2週ということは、たった5kmのランニングで倒れてしまっているのです。うーーーん、私、昨日の朝6km走っているんですけれど(もちろん、私はヘルメットも戦闘服もありません(爆)し、山道ではなく平坦地という条件の違いはあります)、年齢的にも私より2歳年上なだけですし、私も少し気をつけなくてはいけないなと思ってしまいました。実際、この夏は全然走れていません。8月の月間走行距離はたった25kmです。例年は、夏とだからといって走行距離はまったく減少しないのですが、今年は全然ダメ。この暑さでは仕方がないと思っています。ただ、私の場合平日は夜間走りますが、土日は朝走ることも多いのです。朝と言っても、あまり早起きできないので時半頃走り始めるので、走り終えると8時を回っています。すでに充分暑いです。少し気温が下がってくるまで、朝はランニングを控えた方がいいかな、なんて思ってしまいました。でも、どうにもならないのは仕事。仕事上、自転車で外回りをしなければならないのですが、これは暑いからと言って止めるわけにいきません。(ある程度は調整して減らしていますが)高齢のお客さんに「熱中症に気をつけてくださいね」と、言っている自分が熱中症になりそう。皆様も、熱中症にはくれぐれも気をつけてください。
2010.09.05
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http://mainichi.jp/select/world/news/20100904ddm007030024000c.htmlロシア極東サハリン州の州都ユジノサハリンスクにある郷土史博物館で、45年8月の日ソ戦で使われた旧日本軍の戦車が展示され、市民の関心を集めている。三菱重工製の「95式軽戦車ハ号」で、日ソ戦最大の激戦地となった千島列島最北端の占守(シュムシュ)島に放置されていたものをサハリン州が搬送し、塗装を施して復元。ロシアが「第二次世界大戦終結の日」と定めた9月2日に合わせて展示を始めた。復元を発案・指揮した州政府文化庁顧問の歴史家イーゴリ・サマーリンさん(50)は展示の目的について「戦争の記憶を後世に残すため」と話している。「ハ号」は長さ約4メートル、幅約2メートル、総重量7・1トン。定員3人で最大速度40キロ。占守島では日本の無条件降伏表明後の45年8月18日、旧ソ連軍と日本軍との間で激しい戦闘が行われ、日本側200~300人、ソ連側800人以上が戦死したとされている。-------------------毎日新聞(紙面)でこの記事を見たとき、何よりもこの写真に目が吸い寄せられてしまいました。九五式軽戦車と言えば、吹けば飛ぶような小型戦車だという知識はありましたけど、この写真を見て、いかにちゃちな戦車だったかということを実感として理解できました。なんて言うか、もうミニチュア戦車って感じですね。こんな戦車で世界を相手に戦ったと思うと、何だか情けないというか、戦車兵が実に哀れに思えます。総重量7.1トン、この重さについてはエピソードがありまして、ノモンハン事件の際にソ連軍の野戦重砲が遺棄されているのを発見して、九五式軽戦車が体当たりして乗り上げて、踏みつぶして破壊しようとしてみたんだけれど、車体が軽すぎて潰すことが出来なかったという、それくらい軽い戦車でした。当時日本の主力中戦車であった九七式中戦車は15トン、米軍のM3軽戦車は13トン、M4中戦車は32トン。ソ連のT34中戦車も32トン、ドイツのV号(パンター)中戦車は45トン、ティーガーII重戦車に至っては、なんと70トン(こんなに重い戦車は現在では使われていない)こうやって比較してみると、日本陸軍の戦車がいかに吹けば飛ぶような代物だったか一目瞭然というものです。九七式中戦車だって、九五式軽戦車よりは重いけど、他国の中戦車と比べたら半分の重さもありません。米軍のM3軽戦車は、ヨーロッパ戦線ではドイツ軍の戦車に対してまったく歯が立たなかったけれど、対日戦では無敵、九五式はおろか九七式中戦車に対しても圧倒的に強かったと言われます。記事にある占守島の戦いでは、日本軍の無条件降伏後に攻撃してきたソ連軍を一時押し返した、と言われています。それ自体は事実なのですが、もちろん日本軍の戦車が強力だったから勝ったわけではありません。上陸してきたソ連軍部隊は実は戦車を伴っていなかったようです。こんな豆戦車でも、生身の歩兵に対しては重大な脅威ということでしょうか。ところが、わずかな数の対戦車砲しか持たないソ連軍歩兵に対して、戦車1個連隊約40両の戦車が攻撃をかけて、最後には追い払ったとはいえ、半分以上の戦車を撃破されているのだから、やっぱり相当に弱い戦車と言うしかないでしょう。
2010.09.04
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このブログを開設したのは2008年8月のことですが、それからちょうど2年1ヶ月かかって、10万アクセスに到達しました。最初はアクセス数が非常に少なくて、1日30アクセスもないくらいの状態から出発しましたが、現在は常に1日200アクセス、ちょっと多いときには300アクセスくらいあります。閲覧いただいている皆様、コメントをいただいている皆様に感謝しております。それにしても、9月に入ったというのに一向に暑さが収まりませんね。一昨日の記事で、東京の8月の平均気温が29.6度だったと書きましたが、実は9月に入って、昨日までの3日間、平均気温はずっと30度を超えています。8月26日の平均気温がかろうじて29.9度だったのを最後に、27日から8日間連続して平均気温30度超え。いったいいつまでこの暑さが続くのやら。というわけで、せめてブログの背景だけでも9月らしく、紅葉の涸沢の写真にしてみました。追記そういえば、TouTubeの全動画の合計再生数も、先日20万を超えました。こちらは、このブログよりもっと多く、常時400アクセス以上あります。
2010.09.04
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100902-00000006-maiall-soci<猛暑>統計以来113年、最も暑い夏に 6~8月平均気温気象庁は1日、今夏(6~8月)の全国の平均気温が平年より1.64度高く、1898(明治31)年の統計開始以来最高だったと発表した。特に8月は平年を2.25度も上回った。暑さは9月も続く見通しで、1日も気象庁が観測する921地点中242地点で9月の観測史上最高気温を記録。157地点で35度以上の猛暑日、789地点で30度以上の真夏日となった。気象庁は「異常気象」として3日に専門家などによる分析検討会を開く。全国の平均気温は、都市化の影響が少ない国内17地点の平年との差を平均して算出。過去の夏の平均気温の1位は、94年の平年比プラス1.36度だった。地域別でも、北日本と東日本が過去最高で、西日本も4位。8月の平均気温は、沖縄・奄美を除く全地域で平年を2度以上上回り、過去最高だった。地点別では、全国154カ所の気象台・測候所などのうち、夏の平均気温は55カ所、8月の平均気温は77カ所で過去最高。夏の平均気温が最高だった主な地点は▽札幌市22.0度(平年比プラス2.4度)▽東京都心27.1度(同2.3度)▽名古屋市27.0度(同1.8度)--など。8月の平均気温が最高だった主な地点は▽東京都心29.6度(同2.5度)▽大阪市30.5度(同2.1度)▽福岡市30.3度(同2.7度)--だった。気象庁は高温の原因として▽偏西風の北への蛇行により、勢力の強い太平洋高気圧に覆われた▽オホーツク海高気圧などの影響がほとんどなかった--を挙げる。特に太平洋高気圧については、気象庁が大気に関する詳細なデータを解析し始めた79年以降で、最も勢力が強かったという。気象庁によると、今後も太平洋高気圧の勢力が強い状態は続く。少なくとも向こう1週間は各地で猛暑日が観測される可能性が高く、中旬までは真夏日となる日があるという。-----------------毎日毎日、本当に激烈な暑さだと思ったら、観測史上もっとも暑い夏だそうてす。どうりで・・・・・・・・。ちなみに、東京で8月に熱帯夜(最低気温25度以上)にならなかったのは8月9日の1日だけ、真夏日(最高気温30度以上)にならなかった日も、同じく8月9日だけです。そして、8月の平均気温29.6度は、観測史上最高記録です。ところが、大阪はそれをも上回る8月平均気温30.5度。そして、http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010083100920によると、この夏梅雨明け以降8月末までの熱中症死者が全国で500人弱。ちなみに、別の記事によると、猛暑日(最高気温35度以上)の日数は東京より大阪の方が遙かに多い、つまり大阪の方が東京より暑いのだけれど、同じ気温なら大阪より東京の方が熱中症の死亡率が高いとか。大阪の方が暑いけれど、湿度は東京の方が高いことが原因だと推定されています。(湿度が高い方が熱中症になりやすい)うんざりすることに、9月に入ってもまだまだ暑さが続いており、まだ1週間以上猛暑が続くとの予報です。ところで、これだけ酷暑が続いて、平年よりいったいどれだけ気温が高かったのかというと、6~8月の全国の平均気温は平年より1.64度高く、8月だけだと、平年より2.25度も高かった、とあります。皆さんどうでしょうか、体感する酷暑と、平年より約2度高いという観測結果、イメージ的に一致しますか?地球温暖化問題について、「2度くらいの気温上昇は大した問題ではない」と主張する向きがあります。実際に夏場の平均気温が2度上がってみて、みなさんどうでしょうか、このくらい大した問題ではない、と思いますか?いや、たった2度の上昇でも大変な問題だ、ということが、体感として理解できるのではないかと思います。この猛暑は日本だけの現象ではありません。ロシアでもヨーロッパでも米国でもみんな猛暑。そして、ロシアでは猛暑と干ばつにより小麦が不作で、小麦の国際価格も急騰中です。日本国内産の小麦も同様。温暖化すれば農業生産が増加するという説もありますが、そうそう上手い具合には行かない、ということです。
2010.09.02
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http://www.asahi.com/national/update/0831/TKY201008310506.html食料たっぷり、天気も味方 北ア・16日ぶり生還の女性北アルプスで行方不明になった東京都江東区の女性会社員(61)が30日、無事、発見された。3泊4日の予定で出発、足取りが途絶えてから16日ぶりの救助。その生還は幸運が重なった結果だった。■岩陰、沢歩きの一行が発見「助けて下さい」――。沢を下っていた8人パーティーの先頭を歩いていた東京都杉並区のデザイナーの男性(61)は、岩陰から顔をのぞかせて泣き声で訴える女性を見つけてびっくりした。登山道もないこんな場所に、なぜ女性が1人でいるのか、と。発見された場所は三俣蓮華岳東面標高1700メートル付近の湯俣川の河原。かつて沢沿いに釣り橋や桟道が連続する登山道「伊藤新道」があったが、30年ほど前から通行不能になっている。水量の多いこの時期、沢登りに習熟した人でないと通れない。(中略)発見されると、女性は石に腰かけ、堰(せき)を切ったように自分の行動を話し出した。13日に入山、14日に双六小屋を出て三俣蓮華岳に向かうまき道(迂回〈うかい〉路)をたどり、間もなく迷ってしまった……。余りに日がたっている。デザイナーが念を押したが、女性は「(13日に)間違いありません。お盆前に入山しました。メモしてあります」。道を失ってからは、さまよいながら沢を下った。発見現場近くで水に流されたため、動くのをやめ、岩陰で3日間過ごしたと説明した。(中略)双六小屋から三俣蓮華岳に至る登山道は稜線(りょうせん)伝いのルートと、東面の山腹のまき道がある。女性はまき道を行って湯俣川源流の樅(もみ)沢に迷い込んだ、と木村さんは推測する。幸運にも、迷い込んだ沢は比較的歩きやすい地形だった。好天気も続いた。女性自身、「天気が良かったのでもった。雨に降られたらダメと思った」と語ったという。発見場所から5キロほど下流の晴嵐荘は28日夕、大雨だったというが、局地的な雨で女性もぬれずにすんだようだ。木村さんらは「女性は強いですね。16日間も山中を迷って、なぜあんなに元気なのか」と驚いていた。■動き回らず、消耗防ぐ大町署は31日、松本市内の病院で女性に事情を聴いた。女性は多量の食料を携行していたことや、あまり動き回らず、体力消耗を防いでいたことが分かった。14日、双六小屋でラーメンを食べた後、出発。雨で登山道が水浸しになり迷った。18日、手持ちの水がなくなり、沢に下りて岩陰でビバーク。26日か27日に食料が尽きた。夜は、替えズボンやヤッケ、雨具上下などを着込み、さらに緊急用の保温シートをかぶって寒さをしのいだ。30日朝、うとうとしていると人の声が聞こえ、思わず「助けて」と叫んだ。「軽はずみな行動からご迷惑をかけ、反省しています」と話し、31日昼前、退院し帰京した。【女性が携行した食料】 バナナ2本▽キュウリ1本▽アルファ化米1袋▽袋菓子2▽あめ20個▽パン2個▽イカの薫製1袋▽ミニドーナツ1袋▽みかん1個▽オレンジ1個▽ゼリー5個▽インスタントみそ汁3▽お茶漬けの素▽栄養補助食品------------たまたま、私は7月に双六岳と三俣蓮華岳に登ったのですが、ちょうどその辺りで道に迷って遭難したようです。記事には双六岳と三俣蓮華岳の間には稜線伝いのルートと、東面の山腹のまき道があるとありますが、実際にはもう1本、巻き道から途中で稜線に合流する道(中道)もあります。巻き道は高山植物が豊富なのですが、私が登ったときは、梅雨明け直後でまだ残雪が大量にあり、巻き道はかなりの部分が雪に埋まっていたため、行きは稜線、帰りは中道というコースを取りました。普段は迷うような場所ではないのですが、雪に埋まっているところはルートが分かりにくいと聞きました。8月14日の時点では、海の日の連休ほどの残雪量はなかったはずですが、それでもある程度は残雪はあったでしょう。改めて登山地図を見ると、「残雪期は踏み跡に注意」との記載があります。10年前にこのコースを歩いたことがあるのですが、そのときはそんなに迷いやすい場所という記憶がないのですが、天気が悪かったために視界が利かず、道に迷ったのでしょう。そして、樅沢を下り、廃道となった伊藤新道に入り込んでしまった。たまたま、「山と渓谷」8月号に、この廃道となった伊藤新道の記事があります。水晶小屋・三俣山荘・雲ノ平小屋の3つの山小屋の従業員にとっては、伊藤新道は廃道ではなく現役の登山道なんだそうです。(伊藤新道を作ったのはこの3つの山小屋の経営者である伊藤正一氏)ただし、もちろん誰でも通れる道ではない。上述の記事に写真がありますが、上部の尾根道は今でもよく整備されていて歩きやすいようですが、湯俣川の谷間を通る下部はとんでもない。橋や木道がなくなっているため、沢登りによほど熟達していないと、とても歩けそうにありません。だから、2週間以上の間、誰も通らなかったのでしょう。ただ、「道を失ってからは、さまよいながら沢を下った。」これはいけません。このあたりに、問題の伊藤新道を除いて谷間を下る登山道はありません。(伊藤新道だって、上部は尾根道ですが)登山地図を見ればそんなことは分かるはずで、この場合、道に迷ったと自覚した時点で、少なくとも沢を下ることは止めなければなりません。まあ、でもパニックになっちゃったんでしょうね。ところで、記事にある携行食糧を見ると、「食糧たっぷり」という記事の見出しとは裏腹に、テント山行と比べるとそれほど食糧が多いとは思えません。でも、この程度の食糧でも、水が確保され、悪天候でなければ、2週間以上も保つんですね。ちなみに、さきの山行(3日間)のときの私の食糧は以下のとおりです。インスタントラーメン(サッポロ一番)×2、アルファ米×2、レトルトカレー、レトルト牛丼、インスタントみそ汁、インスタント中華スープ、バター入りロールパン6個入袋、焼き鳥缶詰、チョコレート(明治のブラック、板チョコではなく箱のもの)、揚げおかき。他に、初日の朝食(登山開始前に食べちゃった)として、おにぎり1個、サンドイッチと菓子パン1個。これだけあれば、いざとなれば2週間耐える・・・・・・・、私にはキツイかもしれない。
2010.09.01
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