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昨日は前半戦だけ見ていたのですが、風邪でフラフラだったため、後半戦は諦めて寝てしまいました。前半戦だけを見た感想では、日本も頑張っていたけど終始パラグアイが押しているな、ということ。日本代表はよく頑張ったと思いますよ。私はここでパラグアイを応援すると公言していましたが、正直言っていざ見始めると、どちらに勝って欲しいか、非常に微妙なところがありました。何となく、このまま0-0で延長を終わってPK戦がいいかな、なんて思ってたいたら、本当にそうなってしまいました。さて、これでベスト8がそろったわけですが、南米強いですねー。南米同士の対戦となったブラジル-チリ戦でチリが負けた以外は、全チームベスト8に進出しました。(個人的にはチリを一番応援していたのですが)で、とりあえず4強に進むのはウルグアイ・ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ、決勝はブラジル対アルゼンチン、そして因縁の南米対決の勝者はアルゼンチン!!チリが消えてしまった以上、私の願望としては優勝はアルゼンチン!以上、私の願望と妄想に基づく根拠なしワールドカップ予想でした。現実には、パラグアイがスペインに勝つのは至難の業でしょうし、ドイツ対イングランドの試合を見ていると、ドイツ強いなーと思います、アルゼンチンが勝てるかどうかは何とも・・・・・・。でも、きっと勝つに違いない。
2010.06.30
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昨日の記事で、ボリビアのチャカルタヤ山(5395m)に登った話を書きました。そこでもちょっと書いたのですが、この山は、おそらく世界で最も簡単に登れる5000m峰だと思われます。何しろ5300m付近まで自動車道が来ています。標高差たった100mを登ればいいだけ。その登山道も、非常になだらかで、ジョッギングシューズでも登れます。ただし、5000mは5000m。寒いです。私が登ったのは12月中旬、南半球なので、北半球で言えば6月に相当します。初夏の時期ですが、気温はおそらく氷点下だったはずです。山頂には気象観測機が設置されていたのですが、その周囲の金網には「エビの尻尾」が沢山張り付いていましたから。エビの尻尾というのは、常時京風に晒されている場所で、樹木などの風下側に貼り付いた氷が、エビの尻尾のような形状に発達したものです。そして、もう一つは、昨日の記事にも書いたように空気が薄い。高山病の危険があります。(私は大丈夫だったけど)そもそも何でこんな5300mのところまで自動車道が来ているかというと、まずここに天文台がある。そしてもう一つ、ボリビアで唯一のスキー場がある。いや、あったという方が正確かもしれませんが。というのは、温暖化の影響でチャカルタヤの氷河は消失してしまったのです。ボリビアは冬が乾期、夏が雨期です。冬は寒いけど、降水量は少ない。夏なら高い山は雪が降る、というわけで、チャカルタヤのスキーシーズンは夏である12月から2月頃なのです。ところが、夏に雪ではなく雨が降るようになってしまったわけです。ま、そういうわけでチャカルタヤ山の写真など。(2001年12月の撮影です、古くてごめんなさい)ラパスのエル・アルト国際空港付近からの撮影です。撮影場所自体が海抜4000mあります。中央左の三角形の白い山はワイナ・ポトシ(6088m)、中央右の黒っぽくて真ん中だけ白い山がチャカルタヤ山です。かなり山頂近くの車の中から撮影しました。これがチャカルタヤ山、ではなく正確にはその隣の山。位置関係の記憶が曖昧なので、何という山か分かりません。氷河があるのでジョッギングシューズでは登れそうにありません。チャカルタヤの山頂。山頂は正確には3つに分かれていて、中央が最高峰。この写真は3つの峰の(登山口から見て)一番手前の峰から中央峰と一番奥の峰を撮影したものです。右手前が一番高いの中央峰。一番奥の峰から下界を見下ろしました。下界と言ったって、遠くの湖でも4600m、J'anqu Quta(ハンク・クタ湖)という名前のようです。手前の湖は、手元の地図で名前の記載がありません。右奥はワイナ・ポトシの山麓。チャカルタヤから撮ったワイナ・ポトシの山影です、が、山頂が雲に隠れてしまいました。同じくチャカルタヤからハンク・クタ湖とワイナ・ポトシを撮影したのですが、組がどんどん上がってきました。雪が降り出す前に帰途につき、ラパスに戻ったら土砂降りの雨になっていました。その頃チャカルタヤの山頂はきっと猛吹雪だったに違いありません。
2010.06.28
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つい先日、「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という記事を書いたばかりですが、富士登山に関する新聞記事がありましたので、参考までに。http://www.asahi.com/health/news/TKY201006250567.html富士登山、健康状態にご注意を 5年で14人が心肺停止登山人気が続く富士山で夏山シーズン中に、この5年間で14人が体調が急変し心肺停止になり、このうち13人が死亡していたことが、朝日新聞の調べでわかった。大半が中高年で、持病の自覚がなかった。高山病でも年間に500人が手当てを受けていた。富士山の山開きは7月1日の予定。専門医は「高山は想像以上の負担が体にかかる。体力の過信は禁物」と警告している。2005年~09年の7、8月に登山中に救護された事例について、山梨、静岡両県警などに問い合わせた。最も登山者の多い山梨県側の吉田口(富士吉田市)では、落雷や滑落などの事故を除き、11人(男性10人、女性1人)が心肺停止になっていた。年齢は45~69歳(平均58歳)。富士吉田市立病院の前田宜包(よしかね)救急科診療部長の分析では、自覚はないが、隠れていた持病が悪化した疑いが多いという。静岡県側でも3人が心肺停止になっていた。56歳の男性は、登山道で倒れたが、近くを歩いていた医師が心臓マッサージをして、救護所にあった自動体外式除細動器(AED)で救命できた。後の検査で冠状動脈の詰まりが分かったが、自覚症状はなかったという。高山では体にかなりの負担がかかる。鹿屋体育大の山本正嘉教授らが登山経験が豊富な中高年7人の協力で富士登山中の健康状態を調べると、安静時でも血圧が高くなり、血液の酸素濃度は、慢性呼吸不全などの患者で在宅酸素療法の適用基準となる90%を大幅に下回り、山頂付近では平均で68%だったという。高山病の症状を訴える人も少なくない。昨夏は537人が救護所で頭痛、吐き気などを訴え、高山病と診断された。大半は軽症だが、脱水症状や呼吸困難などで危険な状態に陥った例もあるという。08年7月、9合目付近で高山病の症状を訴えた66歳の女性は山頂付近で呼吸困難になり、動けなくなった。20~30代の男性が寝不足や過労のままで山頂を目指し、過呼吸やけいれんを起こした例もある。富士山には五合目から山頂までに約40の山小屋があるが、8月半ばなどはほぼ満室になり、当日に飛び込みで泊まることは難しい。「宿泊客以外は小屋の中に入らないで」と掲げる小屋も多い。このため、山岳救助関係者は、体調が急変した登山者を見逃す危険があると心配する。環境省によると、富士山には、天候不順だった昨年も29万人以上が登り、5年で1.5倍に増えるなど、富士山ブームが続いている。日本登山医学会理事の増山茂医師は「初めての登山に富士山を選ぶ人も多いが、体力作りや健康チェックを受けてから慎重に登って欲しい」と話している。---------------おそらく、日本の主要山岳のなかで、富士山はもっとも登山者数の多い山です。年間30万人前後が登ると言われます。うろ覚えですが、夏期の富士山の山小屋総軒数は50軒以上、全部を合計すると収容能力1万人以上と聞いた記憶があります。私の知る限り、富士山に次ぐ収容能力の山小屋は北アルプス北部の白馬岳で、山頂付近に収容能力1000人を超える巨大山小屋が2軒、その他猿倉・白馬尻・鑓温泉・白馬大池・風吹大池・天狗山荘と栂池に山小屋がありますが、山頂の2軒以外はそれほど大規模ではないので、全部の収容能力を合計しても3~4000人というところでしょう。ということは、富士山には必然的に山登りについての知識も技術も体力もない人が、大勢登ってくる、ということです。技術的な難易度という意味では無雪期の富士山はごく平易な山です(と、自分自身は登ったことがないのに断定して良いのかどうか分かりませんが)。ただし、体力的には決して平易な山ではありません。もっとも標高の高い登山口の富士宮口(新五合目)から山頂までの標高差は1300m以上、富士吉田口(登山者が最も多い)からだと1400m以上あります。この標高差は、だいたい南北アルプスや八ヶ岳の主要ルートの一日行程と同じくらいです。たとえば北アルプスの猿倉から白馬岳山頂までの標高差は1800m近く、上高地から槍ヶ岳山頂までは1700m近く、南アルプスの広河原から北岳まで1600mあまりです。(いずれも、私は1日行程で登ったことがありますけど)それより標高差は多少小さいように見えますが、そのかわり全体の標高が南北アルプスの3000m峰より600mほど高い、つまりその分空気が薄いわけです。これは相当にキツイと思われます。しかも、富士山では何故か深夜に登る人が多い。どう考えたって寝不足で山登りはキツイだろうと思うのですが。ま、私も夜行で登山に行くことが多いので、寝不足は同じかな。でも私はいつでもどこでも寝られる特技があるので、夜行バスでもそこそこ寝てますけど。山登りの経験不足、体力も体力もなく、下手すると装備すらいい加減で、いきなり夜行登山など始めたら、体調が悪くなっても不思議ではありません。私自身、日本の山で高山病になったことはありませんが、ボリビアで一度ひどい高山病になったことがありました。ポトシ市の鉱山見学で、ほんの1時間か2時間ほど狭い坑道のなかを歩き回ったあとのことです。標高4400mの鉱山見学が終わり、その後4000mのポトシ市街地に戻ってきて1~2時間経ってから体調の異変を自覚しました。最初は異様な疲れです。ポトシに戻ってきて博物館の見学をしていたのですが、どんどん足取りが重くなってきて、立っているのが辛くなってきました。展示室一部屋ごとに座り込んでしまうような状態で、そのうちにだんだん頭痛も感じ初めて、そのとき初めて「あ、これは高山病だ」と気がつきました。そのときボリビアは2度目で、それまでに高山病になったことがなかったから、自分は高山病にはかなり耐性があると思っていたのですが、やっぱりダメなときはダメなんですね。とにかくよろめきながら宿に戻ったときには、耐え難いような頭痛。そのままベットにひっくり返って、食事もせずに丸々12時間以上寝込んでいましたが、寝ていても、途中何度か頭に痛さで目が覚めました。あんなひどい頭痛は、これまでの人生であのときしか経験したことがありません。結局、夕方3時か4時頃から翌朝7時過ぎまでひたすら寝込んでいたら頭痛は治ったのですが。その時の経験から考えると、空気の薄い場所に着いてすぐに高山病の症状が出るとは限らず、数時間の時間差がある場合もあるようです。それと、夜行バスでポトシに到着して(しかも、未舗装道路だったのでバスは猛烈に揺れ、あまりよく眠れなかった)、その足で鉱山見学に行ってしまったことによる疲れが、おそらく高山病の一因になったのでしょう。それより何年か後、やはりボリビアで標高5395mのチャカルタヤ山に登ったけど、このときは高山病(頭痛)は大丈夫でした。ただ、息のきついことといったらありませんでした。車道の終点から標高差たった100mの緩やかな登山道で、足下はランニングシューズで十分な程度に整備され、荷物もごく軽かったので、最初の半分は勢いでぱーっと歩けてしまうのですが、そこで足が止まったら、その先はもう10歩ごとに足が止まって肩で息をする状態。20kgの荷物を担いで日本アルプスを一日行程で登っているときを上回るつらさでした。標高5000mの空気の薄さを実感しました。でも、前夜よく寝て、体調万全で望めば、5000mでも高山病にはならないんですね。(標高5000mで丸一日行動したらどうだか分かりませんけれど)
2010.06.27
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試合内容で盛り上がるサッカーワールドカップとは裏腹に、別の方向で大いに盛り上がりつつあるのが大相撲。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100626-00000042-mai-soci「テレビで野球中継を見る力士の目が普通じゃなかった」。大関・琴光喜関(34)=佐渡ケ嶽部屋=に野球賭博を仲介していた床山(29)や元幕下力士(34)が所属し、力士の半数にあたる約10人が野球賭博への関与を自己申告した阿武松(おうのまつ)部屋。大相撲の賭博問題の震源となった同部屋に昨年まで所属していた30代の元幕内力士が、同部屋でまん延していた賭博の実態を証言した。元幕内力士が野球賭博を始めたのは08年5月。琴光喜関への恐喝容疑で逮捕された古市満朝容疑者(38)の弟の幕下力士(34)に「ちょっとやってみないか」と誘われたのがきっかけだった。弟も日本相撲協会に賭博への関与を申告している。力士たちの様子から「賭博をやっているんだな」とうすうす知っていたが、実際に参加してみると「これほど楽しい賭け事はない」と感じ、のめり込んでいった。最初は好きなチームに1万~2万円賭ける程度だったが、次第に賭け金が増えていったという。試合がある日は、試合開始2時間前になると、賭博の胴元から床山の携帯メールにセパ両リーグ6試合の「ハンデ」が送信された。ハンデはチームの戦力や先発投手を分析し、劣勢のチームに加点される点数や賭け率を示す数字だ。床山ら仲介役はハンデを書いたメモを力士らに示して予想を集計し、試合開始30分前に胴元に集計結果を伝えていた。勝ち負けの清算は翌週の月曜日のため、手元に現金がなくても賭博に参加できるのが魅力だった。ハンデは絶妙で、なかなか勝てない。週末の試合で負けを取り戻そうとして失敗し、負け金がかさんだ。負債は退職金で清算したという。佐渡ケ嶽部屋と阿武松部屋は同じ一門だった縁で、琴光喜関のまげをこの床山が担当していた。2人は仲が良く、床山がテレビで試合を観戦しながら「大関、やりましたね」「大関、調子いいですね」と携帯電話で話しているのを見て、琴光喜関の野球賭博に気付いていたという。花札賭博で一度に30万円が動くなど、角界の金銭感覚は異常だったと感じている。警視庁の聴取に応じ、すべてを明かしたという。元幕内力士は「賭博に関与した力士は申し出てほしい。隠してこの先、どうやって相撲を取っていくのか。名古屋場所が始まる前にすべて解決してほしい」と話した。------------------この記事では匿名になっていますが、別の記事では実名が出ており、片山伸次という方だそうです。しかし、一連の大相撲賭博騒動に関しては、たかが賭け事くらいで騒ぐな、という意見もあるようです。代表例がこれ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100623-00000248-yom-soci高知市議「私も経験ある」力士の賭博容認?発言高知市議会の21日の個人質問で、島崎利幸市議(自民みらいの会)が大相撲の野球賭博疑惑についての報道に関し、「力士がおいちょかぶ(賭け事)やったって、それほど大騒ぎして取り上げることはない」と述べ、力士の賭け事を認めるともとれる発言をしていたことが分かった。議長が発言の一部取り消しを求めたが、島崎市議は拒否している。島崎議員は21日、メディアに関する発言の中で、「ギャンブルがいいとは思わないが、マージャンは確実に(金を)かけてやる」「力士は外へもあんまり出ていかれないから、座布団ひいておいちょかぶやったって、内々でね。私もそういう経験ありますから」などと発言。そのうえで、「(報道を続けると)日本の伝統文化の相撲をつぶしますよ」と、報道の過熱ぶりを批判した。島崎議員は取材に対し、「賭博がよいと言うわけではないが、力士は賭け事をするもの。テレビも新聞も、毎日大きく報道するのは度が過ぎる」と話した。 -------------------そりゃもちろん、パチンコで賞金を取ったり、賭け麻雀などの(一応法律上は)非合法の賭け事をやったことのある人は、そんなにまれではないでしょう。が、それとこれとは話が別です。大関琴光喜の事例が何故問題になっているかと言えば、ヤクザの資金源と言われる胴元の野球賭博だったからです。決して「内々で」行った賭け事ではありません。また、その他の仲間内で行った賭け事にしても、最初の記事にあるような、一度に30万が動く花札とか、世間一般的に許容されている仲間内の賭け事とは、金額の桁があまりに違いすぎます。とても、世の一般市民のパチンコや賭け麻雀と同列において相対化できる話ではありません。仲間内だけの賭け事で何よりも問題なのは、同じ部屋の力士同士ならともかく、対戦相手の力士との間で金の貸し借りが生じているという事実です。それでなくとも、「無気力相撲」という名の八百長が常々疑われている大相撲です。対戦相手との間にこういう不鮮明な金のやり取りがあって、本当に真剣勝負が出来るのか、非常に疑問を感じます。それにしても、私は宝くじを除いて賭け事にまったく縁のない人間なので、賭け事の何が楽しいのか、どうもよく理解できません。というか、その楽しさを理解して、はまってしまっても怖いですけれど。私の父は、昔パチンコが好きで、時々パチンコ屋に行っていましたが、ある時期を境にして、あまり足を運ばなくなってしまいました。父は、パチンコで当てると、子どもたちにお土産(主にお菓子類でした)を持って帰るのが楽しかったのですが、あるとき、「ろくな景品がない」と不満そうに帰ってきたのです。近所のパチンコ屋が、景品より賞金に力を入れるようになり、景品の品揃えがおざなりになってしまったようです。父は自営業で、「金儲けのためにパチンコやるなら、家で仕事をしている方がよほど金になる」と、それ以来あまりパチンコに行かなくなりました。ひょっとしたら私もそのDNAを受け継いじゃったのかもしれません。それに、私にとっては音楽と山登りの方が楽しいですし。賭け事に手を染めたことがないので、音楽や山登りと賭け事と、どっちの方が楽しいかは比較できないですけど、多分音楽と山登りの方が楽しいだろうと、勝手にそう決めつけています。ま、でも世の常識的範囲内での賭け事であれば、そうそう目くじらを立てる気はないのですが、大相撲界で行われてきたことは、どう見ても世の常識的範囲内からは少々、いやかなり外れているようで。
2010.06.26
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デンマークに勝ちました。実は、日本戦の日程を1日勘違いしていて、昨日だと思っていたんですよ。朝、「寝過ごした!!」と思い、あわててネットの記事を探したけど、どこにも結果が載っていませんでした。で、よく考えたら、日程が一日違った。今日も、さすがに3時半からは見られませんでしたけど、何とか5時過ぎに起きて、後半35分頃からみてました。いきなりPK決められて、どうなるかと思ったけど・・・・・・。いやー、よかった。(終わった後、すぐにまた寝ましたけど。)が、しかし決勝トーナメントの対戦相手はパラグアイか。うーーーーーん、パラグアイを応援してしまいそうな私です。韓国対ウルグアイも、ウルグアイを応援してしまうかも。
2010.06.25
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さすがに朝3時半からの試合は見られませんでした。今晩(明日朝)の日本・デンマーク戦もちょっと・・・・・・・・それはともかくとして、前回ドイツ大会はアジア勢全滅でしたから、今回も全滅だったら次回はアジア枠削減は確実というところでした。まあ、何度か書いているように、削減されても仕方がないかなと思いますけど。でも、決勝トーナメント進出が1カ国だけだと、やっぱり削減されるかなあ。割合から見て、2カ国に1カ国は決勝トーナメントに行けるはずですからね。というわけで、運命の日本-デンマーク戦。しかし、やっぱり朝3時半。うーーーーーん、やっぱり見られないかも。ところで、決勝トーナメントで決まった組み合わせの一つにアルゼンチン対メキシコがあります。これは、どっちを応援したらいいのか迷います。有利なのはアルゼンチンでしょうが。
2010.06.23
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ケーナでもフルートでもリコーダーでも、いわゆる「笛」の仲間は、指穴を全部塞いだ状態がいちばん低い音になります。でも、それより低い音を出す方法があるのはご存じでしょうか。フルートは、通常最低音がドですが、それより1音低い最低音がシのフルートもあります。H足管と呼びますけれど、これは比較的高価なフルートに多く、洋銀製や頭部管銀製の安価なフルートではまず見かけません。そこで、誰が考えたか知りませんが、普通のフルート(C足管)をH足管にしてしまう裏技があるそうです。それは、管尻にテレフォンカードなどを丸めて突っ込むこと。なるほど、そうすると管全体の長さが伸びるので、最低音が低くなります。ただし、このやり方だと、全部のキーを塞いだ時の音がシになるので、その代わり本来の最低音であるドがでなくなります。シは出てくるけどドが出てこない曲なら使えるでしょうけれど・・・・・・ちなみに、全部の指穴を閉じた状態よりもっと低い音を出す方法は、もう一つあります。それは管尻を閉じて(あるいは狭めて)しまうことです。たとえば、フルートの場合で言うと、奏者が壁際などに立って吹いて、全部のキーを閉じた状態で管尻を壁に押し当てると、最低音より低い音が出ます。これなら、C足管でもドとシの両方の音が出せます。(正確な音程は難しいけど)ケーナの場合は、縦笛ですので、片膝を持ち上げて、管尻を塞いでしまえばいいのです。私はこの吹き方を使ったことはありませんが、「キラ・ウィルカ」の相方いとうさんは、このやり方を使いこなします。でも、最近もっとすごいやり方があることを知りました。右手小指で管尻を塞いでしまうのです。http://www.youtube.com/watch?v=apxEO5A3FOQ演奏しているのは、ムシカ・デ・マエストロス(アカパナ)のケーナ奏者、右がロランド・エンシーナス、左が菱本幸二さんですが、1:55あたりで、菱本さんがぐいっと小指を伸ばしています。うーーーん。私もまねをしてみましたが、できません。小指が届かないことはないのですが、そうすると薬指に隙間が出来てしまうのです。こりゃダメだ。ところで、彼らのグループ、「ムシカ・デ・マエストロス」は、6人くらいの縮小編成版が最近頻繁に来日公演を行っています。学校公演が中心で、一般公演はそれほどやりませんが。(今は、縮小編成の時は「アカパナ」というグループ名を名乗っています)しかし、本来ボリビアでは十数人の大編成のグループです。http://www.youtube.com/watch?v=uMuAPxw5Q5E↑カンシオン・デ・アモールという曲です。彼らの演奏の中でも私がもっとも好きな曲の一つです。見て分かるように、ケーナ・サンポーニャなどフォルクローレの楽器だけでなく、バイオリンやチェロ、ホルンも加わる、かなり特異な編成になっています。(来日公演では、バイオリンは入りますがホルンは入りません)で、映像をよく見ると分かるのですが、フォルクローレ系楽器の奏者の前にはほとんど譜面台がありません。一方、クラシック系の楽器の前には、みんな譜面台がある。実は、彼らの演奏を1994年ボリビアのラパスで見たことがあるのですが、一通り演奏が終わって、アンコールの嵐、そのとき、アンコール曲が、パッと始まったんですね。ケーナ・サンポーニャ・ギター・マンドリンは、そのままサッと演奏を始める、その間、バイオリンとチェロ、ホルンは慌てふためいて楽譜をめくっているのでした。フォルクローレは基本的に楽譜なしの音楽、クラシックは基本的に楽譜を使う音楽、その特徴が如実に表れていました。うちの子が生後半年くらいまでは、どんなに機嫌が悪くて泣いていても、私がこの曲を歌うと、ピタッと泣きやむ、魔法の呪文みたいな曲だったのですが、生後半年過ぎたら全然利き目がなくなってしまいました。(最近全然歌っていなかったので、歌詞を半分忘れているし)
2010.06.22
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昨日の記事に、パナマ運河返還について触れましたが、これについてもっと詳しく書きたいと思います。パナマ運河の両岸5マイルは1999年まで米国の租借地でした。つまり、パナマという国自体が租借地によって東西に分断されてたいたのです。歴史を遡ると、パナマという国そのものが、米国の干渉と介入による産物なのです。もともと、中南米の大部分は、かつてスペインの植民地でした。この地域が続々と独立したのは1810年代から20年代にかけてのことです。このうち、中米は1823年に「中米連合」として独立しますが、1838年から40年にかけて中米連合は瓦解し、グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・ニカラグア・コスタリカの5カ国に分裂して、現在に至ります。あれ、パナマの名がありませんね。パナマは中米連合には入っていませんでした。当時、パナマは中米ではなく、南米コロンビアの一部だったのです。コロンビアは、1819年に独立を達成しています。当時のコロンビア(グラン・コロンビアと呼ばれる)は現在のベネズエラとエクアドルを領土に含む広大な国でしたが、1831年にベネズエラとエクアドルが分裂し、その後国名が何度か変化し、最終的に1886年に現在のコロンビア共和国という国名になります。その間パナマは一貫してコロンビア領の一部でした。コロンビア領パナマに運河建設の話が持ち上がると、米国は運河を自国の勢力圏に置きたいと考え、コロンビアと運河建設権を認める条約を結びます。しかしその内容が屈辱的であったため、コロンビアの議会が批准を否決しました。1903年9月23日のことです。すると、米国は直ちにパナマの独立を支援、11月3日にパナマは独立を宣言します。その間わずか1ヶ月。独立運動の鎮圧に向かったコロンビア軍は、米軍に阻止されてパナマに上陸できなかったため、独立を妨害する者はありませんでした。パナマの独立運動家たちは、米国の属国になるつもりではありませんでしたが、独立に米国の手を借りたことから、結局は米国の手の上で踊らされることになってしまいました。11月18日、米国とパナマは運河条約を結びます。このとき、パナマ側の条約締結全権大使は、独立運動に協力したフランス人の運河建設技師長ビュノー・バリーヤでした。パナマ新政府は独立直後の混乱状態にあり、新政府の誰もが知らないうちに彼が「全権公使」として、勝手に米国との間で運河条約を調印してしまったのです。独立後わずか15日のパナマ新政府に外交や国際法の専門家はおらず、訳の分からないままこの条約を批准してしまいました。パナマの独立前にコロンビア議会が屈辱的と批准を拒否した運河条約では、運河地帯の租借期限は100年となっていました。パナマが結んでしまった運河条約では、運河地帯(付帯する水利、通信の利用権も含め)の租借期限は永久でした。更に、運河条約の第1条に「米国がパナマの独立を保証し保全する」と規定され、米国が運河地帯だけでなくパナマの内政に介入する権利を与えているのです。その代わり、条約締結時に1000万ドル、以降年25万ドルを米国がパナマに支払うことが規定されていました。このようなパナマの成立過程を見ると、ある国の成立過程と非常によく似ていることに気がつきます。日本が傀儡国家として中国から切り取った満州国です。パナマは米国にとっての満洲国なのです。ただ、満洲国は、宗主国である日本が太平洋戦争で破滅したため13年で姿を消しましたが、パナマの宗主国米国は今なお世界一の大国であるため、パナマという国も100年続いています。運河地帯には米軍基地が置かれていましたが、運河条約第1条の規定をたてに、米軍は何度となく運河地帯外のパナマ本土に海兵隊を送り込み、軍事介入しています。更に、条約の拡大解釈により、パナマはもう一つ大きな主権を制約されています。すなわち、通貨の発行権がないのです。パナマの通貨単位は「バルボア」と言いますが、この通貨単位は概念上のもので、実際には紙幣がありません。1バルボア=1米ドルとレートが固定されており、紙幣は米ドルが使用されているのです。(硬貨のみバルボア硬貨がある)パナマ人たちはもちろん、米国の属国として国土のど真ん中を米国の租借地として分断されている状況をよしとしていたわけではありません。独立後のパナマの歴史は、そのまま米国の干渉と、それに抗するパナマ人の歴史と言っても過言ではありません。1931年、右翼的な反米民族主義者のアリアス兄弟がクーデターによって政権を奪取します。大統領には兄のアルモディオ・アリアスが就任しますが、政権に就いてからはそれほど急進的な反米政策をとらなかったので、米国の介入を受けませんでした。運河条約はちょっと改正され、運河使用料が年間25万ドル45万ドルに引き上げられ、第1条の「米国がパナマの独立を保証し保全する」規定がなくなりました。もちろん、表向きこの規定がなくなっても、その後米国は何度となくパナマに介入しているのですが。1940年には、弟のアルヌルフォ・アリアスが大統領に当選。ちょうど第二次大戦中で、米国は運河地帯の租借地内の基地だけでなく、租借地外にも米軍基地を建設しようとしていましたが、アルヌルフォは兄と比べて一段と強硬な反米政策をとり、基地用地の貸与を拒否。しかしたちまち米国の介入を招き、クーデターで追放されます。このとき運河地帯の外に建設された米軍基地を、米軍は戦後も永続させようとしました。パナマ政府は米国に屈服して基地貸与期限延長に合意しましたが、パナマ国民の反応は強烈で、激しい抗議運動のため議会はこの合意を批准せず、運河地帯外の米軍基地は閉鎖されます。アルヌルフォ・アリアスは全部で5回大統領選に立候補します。ある時は、得票で勝利したにもかかわらず、国家警備隊(軍)のクーデターで追放され、あるときは裏で軍と密約を結んで大統領に当選し、強烈な反米主義と支配階層に対する強烈な敵意を見せつつ、ときには彼らと裏で手を結ぶという、矛盾に満ちたラテンアメリカのポプリスモ(ポピュリズム)政治家の典型的存在でした。しかし「運河をパナマに取り戻す」という信念だけは、曲げませんでした。結局、3回大統領を務めたのですが、いずれも任期途中で辞任あるいはクーデターで追われ、任期を勤め上げたことはありません。1960年代、パナマ全土で運河返還を求める反米運動が盛り上がります。運河使用料は更に引き上げられて190万ドルになりました。米国はパナマ人を刺激しないように、運河地帯における星条旗の掲揚場所を制約し、星条旗を掲揚するときは必ずパナマ国旗も一緒に掲揚するようパナマ政府と協定を結びますが、運河地帯に在住する米国人(ゾーニアン)のパナマ人蔑視感は強く、彼らはこの協定をしばしば無視しました。1964年、運河地帯内にあるバルボア高校で、協定を無視して星条旗を掲げようとする米国人の学生に対して、パナマ人が抗議に殺到、パナマ国旗も掲揚するよう要求するも、米国人が拒否して乱闘となる騒ぎが起こります。事件の報を聞いたパナマ人のデモ隊が抗議のため運河地帯に殺到、それに対して米軍が発砲し、死者20人以上を出す大惨事となります。当時のパナマの政権は反米的ではありませんでしたが、一時米国と国交断絶という事態に至ります。1965年、米国とパナマ政府は国交を回復し、同時に1903年の運河条約改定に合意しますが、その内容はパナマ人にとっては非常に不満足なもので、結局パナマ国会の批准は得られませんでした。1968年、アルヌルフォ・アリアスが大統領に当選しました。過去何度も国家警備隊のクーデターによって政権を追われたアリアスは、政権に就くと反乱を起こしそうな国家警備隊の幹部を次々と左遷したり遠方に異動させて、クーデターを防ごうとしました。が、結局はクーデターを防ぐことは出来ませんでした。大統領当選からわずか5ヶ月後、またまた国家警備隊のクーデターによってアリアスは政権を追われます。このクーデターによって政権を握ったのが、オマル・トリホス中佐(後に将軍)、運河返還をついに実現した人物です。クーデターで追放されたアリアスと、追放したトリホス、政治的主張はかなり似通っていました。何度か触れたように、アリアスは反米民族主義者でしたが、オマル・トリホスもまた反米民族主義者でした。ただし、アリアスはこの時期、すでに口先だけの反米主義者と化していました。その証拠に、クーデターで政権を追われて逃げ込んだ先は、なんと米国大使館だったのです。もう一つ、反米民族主義でも、アリアスは右翼的、対してトリホスは軍人ながら左翼的でした。アリアスは1930年代にはファシズムへ傾斜したのに対して、トリホスは政権を握るとキューバに急接近、更にニカラグア革命に際してはサンディニスタ民族解放戦線を支援しています。ただし、決定的に対立した2人の政治家ですが、運河返還に命をかけたという点にだけは共通していました。トリホスは1965年の条約改定合意を破棄して、米国に対して硬軟両様の態度で粘り強く交渉します。キューバとの友好関係で米国を刺激し、また「条約改定が実現しなかったら、ゲリラを組織して運河を妨害する」などと発言し、米国支配抜きの第二パナマ運河建設の観測気球を上げ、また中南米諸国の支持を集めて、パナマ運河返還を求める共同声明を取りまとめています。トリホスの政権獲得から9年後の1977年、ついに米国カーター政権との間で運河条約改正が合意し、1999年に運河地帯が返還されることになりました。ただし、返還後も有事の際に米国がパナマの防衛を受け持つ、という規定だけは新条約でも盛り込まれているのですが。1903年の運河条約から74年かかって、ついに運河返還を勝ち取ったのです(実際の返還は更に23年後ですが)。その直後、トリホス将軍はパナマの最高指導者の地位を降り、また自らが追放したアリアス前大統領の帰国を認めます。が、1981年、謎の飛行機事故によってトリホスは事故死します。実際には、トリホスの部下であったマヌエル・ノリエガが、CIAと協力して行ったテロと言われています。直接的証拠はともかく、状況から考えてこの説はまず間違いないだろうと思われます。ノリエガは、表向きは反米民族主義のトリホス将軍の「忠実な」部下でしたが、実は1960年代からCIAの協力者であったと言われています。当時、ノリエガと接触していたと言われる人物の一人に、CIA長官だったブッシュ(父親の方)がいます。トリホス暗殺の陰には、保守的なレーガン大統領の意向があったと思われますし、トリホスを消して運河返還を反古にという期待もあったかもしれません。その後、パナマで独裁的権力を握ったノリエガに対して、1989年、ブッシュ政権の米国が軍事侵攻しましたが、これもあわよくば運河返還を反古にする、あるいは少なくとも運河を返還する相手を「親米的パナマ」にする意図があったでしょう。しかし、その後パナマの政権は米国の思惑どおりには行かず、トリホスの創設した左派政党民主革命党が度々政権を握っています。ちなみに、パナマは二大政党制ですが、民主革命党と並ぶもう一つの有力政党はアルヌルフィスタ党と言います。その名から分かるように、これはアルヌルフォ・アリアスの政党。1999年、運河返還が実現したときのパナマの大統領はアルヌルフィスタ党のミレーヤ・モスコソ。彼女はパナマ史上初の女性大統領であり、またアルヌルフォ・アリアスの未亡人です。(1901年生まれのアリアスの未亡人って、いったい何歳かと思いきや、当選時に52歳。アリアスが73歳のときに27歳で結婚したんだそうで・・・・・・・・・)モスコソはトリホスのクーデターによって、夫共々亡命を余儀なくされ、今でもトリホスの創設した民主革命党とは対立する政党に所属して大統領に当選したわけですが、それでも彼女は運河返還式典の時、トリホスの名を挙げてその業績を絶賛しています。トリホスの墓に刻まれているのは生前のこんな言葉だそうです。「私は歴史書の中に入りたいのではなく、運河地帯の中に入りたい」
2010.06.20
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http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news1/20100616-OYT1T00068.htm民主党公約、外交・安保「現実主義」前面に民主党は17日に「参院選マニフェスト」(公約)を発表する。米軍普天間飛行場移設問題をめぐる迷走が鳩山前政権崩壊につながった外交・安全保障分野では、日米同盟重視を前面に打ち出す「現実主義」(党幹部)に転換するのが大きな特徴だ。国家の外交・安保政策は、政権交代があっても継続するという「鉄則」に民主党がようやく近づいてきたようだ。菅首相は15日、参院本会議での代表質問で、「日米安保体制を堅持し、適切な防衛力の整備に努める」などと繰り返した。自民党政権かと見まがうような答弁だった。民主党が今回まとめた参院選公約は「日米同盟の深化」を冒頭に打ち出した。前回衆院選の政権公約で柱だった「対等な日米関係」は、日米地位協定の改定を目指す項目でしか触れていない。普天間問題では、「日米合意に基づいて、沖縄の負担軽減に全力を尽くす」とし、5月28日の日米合意を履行する立場を明確にした。合意は、日米が2006年に合意した元々の計画と同じ沖縄県名護市辺野古に代替施設を建設する内容だ。これに伴い、衆院選公約で掲げた「米軍再編や在日米軍基地のあり方は見直しの方向で臨む」とした方針は消えた。今回、外交・安保の公約をまとめたのは、安住淳・前衆院安保委員長や細野豪志幹事長代理ら、日米関係を重視する党内の中堅議員だった。民主党は、衆院選公約では、米国軽視とも受け取られかねない主張を展開し、鳩山前政権もこれに縛られた。普天間問題では現実離れした「辺野古以外」の移設案を追求し、日米関係が極度に悪化、政権の命取りとなった。この教訓から、安住、細野両氏らが軌道修正を図った。安保政策にことごとく反発してブレーキ役となった社民党が連立政権を離脱したことも、前向きな公約作りを後押しした。対中外交でも、前回にない項目が入った。中国が詳細を公表せずに軍備拡張を進めていることについて、細野氏らの意向で、参院選公約に「中国の国防政策の透明性」を求めることが明記された。「中国にしっかりと言うべきことは言う姿勢を示す」(民主党幹部)狙いからだ。武器輸出3原則の見直しを念頭に置いた「防衛装備品の民間転用の推進」も、社民党が政権内にあれば、盛り込めなかった可能性が高い。ただ、民主党はもともと社民党に近い考えの議員もいる「寄り合い所帯」だ。「安保や防衛のあり方の基本的問題で、いささか議論が貧弱だった」(北沢防衛相)との指摘も根強い。復活する党政策調査会で議論が活発になれば、混乱が再燃することも予想される。---------------------米国べったり路線推進の読売新聞の喜びが記事の行間から溢れ出ているように感じられますが、私はがっくりです。菅直人には多少の期待を持っていたけれど、もはや何の期待ももてません。民主党政権になったからと言って、突然に全ての政策が変わって理想社会があっという間に実現する、なんてことはあり得ませんけれど、少なくとも指向する世界観の転換には期待していました。米国べったりの国際関係ではない、競争原理至上主義ではない、平和指向の国作りを目指すと。もちろん、明日米軍基地を全部撤去できるわけはないし、そんなことは期待していません。共産党と社民党が次回総選挙で過半数を制したとしても、そんなことは多分できない。普天間基地の国外移設を願う多くの人は、鳩山の設定した「5月末」の期限が守れるとも、守らなければならないとも思ってはいませんでした。5月末までにろくでもない決着をするくらいなら、何年かかろうと、粘り強く交渉すべきでした。かつて、パナマで運河返還を掲げてオマル・トリホス将軍が権を奪取したのは1968年のことでした。当時、パナマの前政権と米国の間では新しい運河条約が合意されていましたが、トリホスはこれを破棄、粘り強い交渉の結果、米国との間に新パナマ運河条約を締結したのが9年後の1977年、そこに規定された運河返還期限は1999年でした。運河返還が実現したとき、トリホスはすでにこの世にいなかった。(1981年に飛行機事故で死去、しかし実際はCIAによる暗殺で、裏で暗殺に協力したのが、トリホス亡き後パナマの最高権力者になったノリエガ将軍と言われる)実に31年かかって運河返還にこぎ着けたのです。それに比べて、鳩山はたった8ヶ月の交渉(どこまで真剣に交渉したかは疑わしい)で国外移設を放り投げ、政権も放り投げました。こんなものは交渉の名に値しません。菅に至っては、最初から国外移設の交渉を行おうとすらしない。もはや「民主党」という看板を掲げただけの、中身は自民党と何も変わらない政党としか言いようがありません。と言いたいところですが、その自民党はと言えば、政権から転落後、ひたすらネットウヨクに媚びを売る路線を邁進中。民主党が右に行った分、自民党はもっと右に行ってしまった。まあ、どちらの党に対してももはや何の期待ももてないというのが正直なところです。(いや、自民党には、もともと何の期待も抱いてはいませんでしたが)
2010.06.19
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富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿ということわざがありますが、実は、わたしはその「馬鹿」の一人でして、まだ富士山に登ったことはありません。五合目までは行ったことがあるのですが(高校生の頃、まだ山登りを始める前に一度と、もう一度仕事で行ったことがあります)、それより上には行ったことがありません。どうも心が動かないのです。写真などで見る富士山は真っ白な雪に覆われていますが、実際には夏山の登山シーズンには雪はほとんどありません。そしてもう一つ、富士山は日本一高い山ですが、日本一高山植物の乏しい山でもあります。富士山にはハイマツがない(代わりにカラマツがハイマツ状に低木化している)し、高山植物のいわゆるお花畑もありません。何故そうなのかというと、富士山が地質学的にはきわめて新しい山だからです。もともと、富士山の原型は先小御岳と呼ばれる火山で、数十万年前に誕生したと考えられています。その後、10万年前頃に、小御岳が、先小御岳の上に被さるようにして、積み重なります。その当時、小御岳がどのくらいの高さだったかは分かりませんが、現在は小御岳山頂部は富士山の五合目付近(標高2300m)に頭を出しています。更に、10万年前以降は、小御岳の上に古富士山が覆い被さるようにして形成されます。その高さは、だいたい3000mくらいだったと推定されています。小富士の活動期は最終氷期にあたります。だから、当時の富士山にはおそらくハイマツをはじめとした高山植物が分布していたでしょう。しかし、最終氷期が終わった1万年前以降、古富士の上に新富士(現在の富士山)が覆い被さるように活動を始め、現在の高さの山になります。小富士にあったかもしれない高山植物は、1万年前以降の火山活動によって破壊されほぼ消滅しました。富士山は、先小御岳・古御岳・小富士・新富士という4層構造になっているわけです。というわけで、富士山が現在の高さになり、その火山活動によって高山植物が消滅したときには、すでに最終氷期が終わり、それ以降新たに北方から高山植物が南下してくることはなかったので、富士山は、高山植物の乏しい山となりました。ただし、森林限界以下には、ブナやミズナラなどの落葉広葉樹林、その上部にシラビソやコメツガなどの亜高山帯針葉樹林の豊かな森が広がっています。だから、富士山全体としてみれば、決して緑の乏しい山ではないのですが、五合目より上は緑の乏しい山という印象は否めません。冬は雪山、春は新緑(高山では残雪)、夏はお花畑、秋は紅葉というのが山登りの魅力だと思っているので、どうも富士山には食指が動かないのです。では冬の富士山ならどうか。雪があるから魅力的ではあります。ところが、冬の富士山は第一級の難易度の山です。元F1レーサーの片山右京(現在は登山が活動の中心で、ヒマラヤの8000m峰チョ・オユーとマナスルに登頂経験がある)のパーティーが遭難し、2人が亡くなった事故は記憶に新しいところです。何しろ、ある意味で起伏が乏しく、滑らかな斜面、カチンカチンのアイスバーンとなった雪、そして人間の体が宙に浮くと言われる、凶暴な突風。冬の富士山は、とても私の技量で登れる山ではありません。でも、富士山は好きです。形容矛盾と思われるかもしれませんが、登る山としては食指が動きませんが、遠方から眺める山としては、とても美しい。というわけで、富士山の写真など。東京都の最高峰、雲取山から見た夜明けの富士山日本第二の高峰北岳山頂から最高峰富士山を望む。(夏の朝)南アルプス・農鳥岳と富士山奥多摩・三頭山から見た富士山雲取山から富士山 その2----------------ところで関東一円に広がる赤土、つまり関東ローム層は、富士山の火山灰が降り積もってできたものです(下の方には箱根山の噴火による部分もありますが)。その厚さは、場所によっても違いますが、東京の市部や川崎付近では10m近くになるところもあります。一度の噴火で積もったわけではありませんが、それにしたって10mです。それも、重みで圧縮された結果ですから、降り積もった時点ではそれより遙かに厚かったはずです。富士山までの距離は、50km以上はあります。火山噴火のエネルギーの巨大さが分かります。江戸時代の宝永噴火では、江戸にも数センチの降灰がありましたが、有史以前の巨大噴火に比べれば、宝永噴火など花火のようなものとすら言えます。300年前の宝永噴火以降噴火していませんけれど、富士山は立派に活火山ですから、いつ噴火しても不思議ではありません。有史以前の巨大噴火のような規模にはならないでしょうが。ただし、過去の歴史において、富士山は常に巨大地震と連動してきました。今後もそうなる可能性が高いと思われます。そういう意味では、富士山噴火「だけ」の対策は意味がないかもしれませんが。それにしても、一応は山登りをしている人間として、「日本一」の山に一度は登ってみるのも、悪くはないかな…・・・・。
2010.06.18
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http://www.asahi.com/international/update/0615/TKY201006150119.html南アフリカで開催中のサッカー・ワールドカップ(W杯)を観戦するのは、無政府状態のソマリアでは命がけの行為となる。首都モガディシオで12日、アルゼンチンとナイジェリアの試合をテレビで見ていた若者2人が、イスラム武装勢力に「サッカーはイスラムに反する」として射殺され、10人が逮捕された。ソマリアではサッカーは人気スポーツ。しかし首都モガディシオのうち、イスラム武装勢力が支配する大半の地域では、サッカーはキリスト教文化に属するとして、観戦やプレーが禁止されている。11日のW杯開幕直前、有力な武装勢力ヘズブ・イスラムは「国際サッカー連盟のW杯とかいうものを見るのは許されない」と警告していた。その恐怖にめげず、自宅でこっそり観戦していた若者らが、ヘズブ・イスラムの戦闘員の襲撃を受けて悲劇が起きた。逮捕された10人はイスラム法で近く裁かれる。今回の南アW杯では、モガディシオ出身のラップ歌手ケイナーンさんが、W杯公式スポンサーのコカ・コーラ社が催したトロフィー巡回ツアーにあわせて、「ウェイヴィン・フラッグ」を歌い、世界中で人気を集めている。------------------何というか、無茶苦茶な話ですけれど、「W杯は反イスラム」だとすると、イランやサウジアラビア(今回ワールドカップは予選敗退したけれど、西アジアのサッカー強豪国)も反イスラムなんでしょうか、と聞きたくなってしまいます。理論もへったくれもないって感じです。というか、君たちが使った鉄砲も、キリスト教文化の国々の製品でしょう。サッカーというのはイデオロギーの左右とか宗教とかを超越して世界的に人気のあるスポーツだと私は思っていたんですけどね。何しろ北朝鮮でも、イランでもサウジアラビアでも、ヨーロッパでも中南米でもでも人気のあるスポーツなんて、他にはないでしょう。唯一サッカーがあまり人気がない国は米国ですが、四大スポーツの人気に比べて相対的にマイナーに見えるだけで、絶対的な市場規模で言ったら決して小さくはないだろうと思います。かつて米国サッカーはどうしようもなく弱かったけれど、近年はかなり強くなってきていますし。でも、「米国が決勝トーナメント進出」というと、私なんかは「凄い」と思うけど、世界一にならないと満足しないようなお国柄では、それじゃダメなんでしょうね。そういえば、野球は米国が発祥の地かつ中心地であるスポーツですが、ラテンアメリカの中で野球が人気のある国というと、キューバとベネズエラ。そして何故かカストロもチャベスも野球大好きで選手経験もあり。つまりイデオロギーや宗教と、スポーツはごっちゃにしない方がよい、ということでしょう。チリ対ホンジュラスの試合を見ました。どちらもラテンアメリカですが、やっぱりチリを応援してしまいました。いやー、強いチーム、というか魅力的なチームだなという気がしました。
2010.06.16
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誰ですか、今回の日本代表はまったく期待できないなんて言っていたのは・・・・・・・・・私です、ごめんなさい。いやー、まさか勝つとは思わなかったので、夜ランニングに出て、帰ってきてテレビを付けたら「えっ、まだ0-0?!」と思った直後に得点。素晴らしい試合でした。
2010.06.14
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私がフォルクローレを始めたのは1986年のことですが、当時私は図書館で借りてきたLPレコードでしかフォルクローレを知らず、そのため完全に周回遅れの情報しか知りませんでした。その頃近所の図書館に措いてあったフォルクローレのLPレコードは、第1次フォルクローレブームと呼ばれる1970年代中頃(サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」のヒットがきっかけ)に発売されたものが大部分だったからです。その頃(1970年代中頃)にケーナ奏者として有名だった人が3人いました。筆頭は、なんと言ってもウニャ・ラモス。http://www.youtube.com/watch?v=uKWtw7RjNlIこの「灰色の瞳」という曲は、加藤登紀子と長谷川きよしがカバーして、日本語の歌詞を付けて歌っています。最近は、長谷川きよしと椎名林檎がデュオで歌っているようです。今は70歳をとうに超えているはずですが、少なくとも数年前までは新作のCDなども発表していました。もう一人、アントニオ・パントーハ。http://www.youtube.com/watch?v=YJaVeAn4tW0(ケーナは0:40から)この人は3オクターブを吹かないケーナ奏者だったのです。吹けなかったはずはありませんが、ステージや録音では3オクターブを使わなかった。すでに故人です。中学の時の音楽の教科書にケーナ奏者の写真が載っていたのですが、後で考えると、その写真がこの人でした。最後の一人がアルゼンチン、ロス・アンダリエゴスのケーナ奏者ラウル・メルカードhttp://www.youtube.com/watch?v=cx9F4lmkoRM(ケーナは1:00から)当時、日本に紹介されたフォルクローレのほとんどはアルゼンチン経由だったので、日本に紹介されたケーナ奏者もアルゼンチンの人が中心でした。(パントーハはペルー人ですがアルゼンチン在住)また、サンポーニャはまだあまり取り上げられていませんでした。本当にすごいケーナ奏者は、しかしボリビアに大勢いたのです。筆頭にあげるのは、「ロス・ハイラス」のヒルベルト・ファブレ。http://www.youtube.com/watch?v=HXaLOepBVS41960年代末から70年代にかけてヨーロッパで活躍し、ボリビアのフォルクローレに革命を起こしたグループであり、革命を起こしたケーナ奏者です。この人、実はスイス人です。だから、本当は名前もフランス語でジルベルト・ファーブルと読むんじゃないかと思います。ルーチョ・カブールhttp://www.youtube.com/watch?v=P8d9WOfAP38ロス・ハイラスのチャランゴ奏者エルネスト・カブールがボリビアに帰国して作ったグループ「グルーポ・ナイラ」のケーナ奏者で、エルネストの弟です。私のやっているグループ「キラ・ウィルカ」のケーナ奏者いとうさんはルーチョの影響をもろに受けています。使っているケーナ自体もそうです。とてつもなく太くて肉厚があり、私には吹けません。今も健在ですが、音楽活動からは足を洗ってしまったようです。ここまではケーナ奏者(サンポーニャはまったく、あるいはあまり吹かない)ですが、現在のケーナ奏者はほとんどケーナとサンポーニャの掛け持ちです。それに、どちらかというと、現在のボリビア音楽ではケーナよりサンポーニャの方がよく使われているような気がします。エディ・リマhttp://www.youtube.com/watch?v=Q0GqN2iPlccあちこちのグループを渡り歩いているケーナ奏者です。ラパス市内に楽器店を経営していました。私が現在使っているサンポーニャはその店で購入したものです。エディ・リマ本人は店にいませんでしたけど。良いサンポーニャで、9年経った今も愛用していますが、エディ・リマのシールは邪魔なんで剥がしてしまいました。(本人が作ったわけじゃないだろうし)マルセロ・ペーニャhttp://www.youtube.com/watch?v=uUE0-Aa11NAかつてホセ・ホセロ・マルセロ、現在はルス・デル・アンデのケーナ奏者です。左から2番目がマルセロ・ペーニャ。左端でケーナ副旋律を吹いているのは、フェルナンド・ヒメネス。サンポーニャ奏者として知られている人です。ロランド・エンシーナスhttp://www.youtube.com/watch?v=Sb8qJIgUDeU何人ものケーナ奏者を挙げてきましたが、多分今現在ボリビアでナンバーワンのケーナ奏者はこの人だろうと思いすます。アカパナ、ムシカ・デ・マエストロスのケーナ奏者ですが、もちろんサンポーニャも吹くし、コンセルティーナ(アコーディオンの一種)も弾く。実はバイオリンだって弾くのです。近年学校公演を中心に毎年のように来日公演を行っているので、日本でいちばん見る機会の多いケーナ奏者でもあります。左から2人目がロランド・エンシーナスです。左端でサンポーニャを吹いているのは菱本幸二さん。この人ももちろんケーナも吹きます。長くなるので、あとはささっと紹介。ボリビア、「カルカス」のガストン・グアルディア(右から3人目)http://www.youtube.com/watch?v=XMTtHfQ0CDIアルゼンチンのホルヘ・クンボhttp://www.youtube.com/watch?v=u3_aQP8CLm4同じくアルゼンチンのラウル・オラルテhttp://www.youtube.com/watch?v=FH3DN1j9L6Qボリビアのアドリアン・ビジャヌエバ・・・・・・残念ながら、この人はYouTubeに動画を発見できませんでした。日本のケーナ奏者は、また別の機会に紹介することにしましょう。
2010.06.13
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ワールドカップ、B組の初戦、韓国-ギリシャは2対0で韓国が勝ちましたね。いやー、強い。今回、残念ながら日本代表にはまったく期待が持てない状況ですが、何しろアジア勢からどこかが決勝トーナメントに進出できないと、アジアの代表枠が危ない。と、思う反面、でも現状の実力から考えると、アジア枠は減らされても仕方がないんじゃない?とも思うのです。日本は、98年のフランス大会でワールドカップに初出場して以来、連続出場しています(02年の日韓大会は開催国特権ですが)。でも、ヨーロッパや南米の出場国を見ると、こう言っては何ですが日本より強い国でも、この間予選敗退で本戦に出場できなかった国がゴロゴロしています。たとえば、スウェーデンは94年にベスト4、前回・前々回も決勝トーナメントに進んでいますが、98年と今回は予選敗退でワールドカップ本戦には出られませんでした。トルコも、2002年の日韓大会では決勝トーナメントで日本を破り、3位決定戦で韓国を破っていますが、それ以前もそれ以降もずっと予選敗退が続いています。ベルギーも本戦出場を果たしたときはだいたい決勝トーナメントに進んでいますが、前回今回と予選敗退です。チリ(98年ベスト16ですが02年・06年予選敗退)、ウルグアイ(第1回大会優勝、1994年ベスト16ですが98年と06年は予選敗退)、ナイジェリア(アトランタオリンピックで優勝、94・98年ベスト16、しかし前回は予選敗退)などなど。日本はというと、開催国だった02年のベスト16以外は予選敗退です。韓国もそうです。ワールドカップの開催国が決勝トーナメントに進めなかったことはありませんから、日韓大会の時の成績は実力のうちには入らない。こんな日本(韓国も)がこの間連続出場を続けられるというのは、アジアの出場枠が実力に比していかに優遇されているか、ということです。ワールドカップ出場権がアジアに対して安売りされていると言われても仕方がありません。それでも、韓国は前回1勝1分で、予選リーグ突破一歩手前まで行きましたが、日本は予選リーグ突破は遙かに遠かった。しかし、比べると、前回の日本代表の方が、今回よりまだしも強かったような気がするのですが、どうでしょう。(あくまでも私の主観ですが)そのせいでしょうか、日韓大会の時は言うに及ばず、フランス大会、ドイツ大会と比べても、今回ワールドカップの注目度が著しく低い気がするのです。少なくとも私の周囲ではまったく話題になっていません。ドーハの悲劇の落胆、フランス大会で初出場したときの熱狂はよく覚えていますが、その熱気は残念ながら今回はない。熱狂しようにも、直前の強化試合で冷や水を浴び続けてきましたから。韓国もギリシャに1勝はしましたが、残る相手はアルゼンチンとナイジェリア。まあ、かなり厳しいでしょうね。(というか、私はアルゼンチン対韓国の試合は、アルゼンチンを応援すると思います)
2010.06.12
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http://www.asahi.com/politics/update/0610/TKY201006090587.html参院選、7月11日投開票で最終調整 政府・民主党政府・民主党は9日、夏の参院選日程を「6月24日公示、7月11日投開票」とする方向で最終調整に入った。支持率の急激な回復で、参院民主党を中心に今月16日閉会の今国会の延長に慎重論が強まっているためだ。ただ、連立を組んでいる国民新党は郵政改革法案の今国会成立を主張しており、調整が難航する可能性もある。菅直人首相は9日夜、首相公邸で仙谷由人官房長官、民主党の枝野幸男幹事長、樽床伸二国会対策委員長、輿石東参院議員会長と終盤国会の運営をめぐり意見交換した。この日は最終結論を見送ったが、党内で7月11日投開票を求める声が大勢であることを確認した。党幹部の一人は9日、「会期延長はしない方向だ」と語った。民主、国民新両党は4日、郵政改革法案について「速やかに成立を期す」と明記した合意文書に調印。菅内閣は民主、国民新両党による連立政権として8日発足した。国民新党は、同法案の今国会成立が見送られれば連立離脱の構えを見せており、自見庄三郎幹事長は9日、記者団に「両党首の合意がほごにされれば、当然、連立離脱は選択肢だ」と語った。民主党は鳩山内閣時代には今国会の会期を延長せず、「7月11日投開票」とする方針を決めていたが、鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長が辞任。菅政権の発足に伴い、国会会期も約2週間延長させる案が浮上した。ただ、菅政権が「脱小沢」路線を掲げたこともあり、民主党や内閣の支持率が急激に回復していることから、党内には短期決戦で参院選に臨んだ方が得策との判断が強まっている。-------------私も郵政民営化は見直しに賛成です。でも、そのために会期を延長し、この期に及んで参議院選の投票日を変更するというのはやめるべきです。そのような前例は安倍内閣の時にありました。 強行採決を連発しまくった安倍内閣は、最後に残った法案を無理矢理通すために、直前になった国会の会期を延長し、参議院選の投票日も1週間遅らせました。そのために、全国の自治体は大混乱に陥ったのです。そして、そのことが主因ではないでしょうが、自民党は参議院選で大敗しました。今回の参議院選でも、7月11日投票というのは以前から既定の路線で、この日程に合わせて全国の自治体は準備を進めています。開票所というのはたいていの場合公共の体育館やホールなどですが、そういう施設が休日に利用者もなく空いている、なんてことは通常あり得ません。だから、選挙の開票用として事前に押さえておくわけですが、それが1ヶ月前になって「日程変更」なんてことになっても、会場なんか空いていません。そうすると、取るべき手段は二つ。公共施設ではなく、どこか適当な民間のホールか何かを探すこと(当然、お金がかかりますが)。そして、もう一つの手段は「強権発動」です。つまり、「選挙だ」という錦の御旗を掲げて、投票日の一般利用者の予約を取り消すのです。でも、それが利用者にとってどれほど迷惑を与えることかは、容易に想像が付くでしょう。投票所だってそうです。投票所は多くの場合小中学校です。7月頃の時期はそれほど学校行事は多くないと思われますが、それでも、全国にはいろいろな行事をこの時期の土日に予定している学校があるはずです。それらは、みんな選挙の日程とぶつからないように調整しているわけですが、それらの行事も変更を余儀なくされてしまいます。そろそろ投票所の入場券の印刷にかかっている自治体もあるかもしれません。予定どおりなら、投票日まであと1ヶ月ですからね。ポスター掲示板の製作も、始まっているかもしれません。それらも全て作り直しということになります。前回安倍内閣の時の投票日の突然変更で、いったいどれほどの公費が無駄になり、どれほどの混乱を生じさせたか、それと同じ愚を今回の選挙で繰り返すべきではないと私は思います。
2010.06.10
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前回の記事で、菅内閣を「極左」と言う石原都知事を批判したばかりですが、同類が続々と湧いてきました。http://www.asahi.com/politics/update/0608/TKY201006080380.html「菅内閣は左翼政権」 安倍・麻生両元首相が批判菅内閣が発足した8日、自民党の安倍晋三、麻生太郎両元首相から「左翼政権」との攻撃が相次いだ。自民党は民主党を「労組依存」と批判してきたが、市民運動出身の菅直人氏の首相就任で「左」批判をエスカレートさせた。ただ、自民党内からは「そんな論争に国民は関心がない」(中堅)と冷めた声も出ている。急先鋒(きゅうせんぽう)は安倍氏だ。8日の講演で、北朝鮮による拉致事件の実行犯とされる辛光洙(シン・グァンス)容疑者の釈放運動に菅氏が携わったとして「史上まれに見る陰湿な左翼政権」と主張。1999年の国旗国歌法成立に反対したことを取り上げ、「君が代、日の丸をおとしめてきた人物が首相になりおおせた」と述べた。麻生氏も自民党の参院選候補予定者の事務所開きで「市民運動と言えば聞こえはいいが、これだけの左翼政権は初めてだ。(自民党との)対立軸がはっきりした」と述べた。二人の元首相らには保守層を固めることで、自民党再生の足がかりにしたいとの狙いもあるようだ。ただ、自民党は前回07年の参院選で保守色の強い安倍政権が惨敗した。参院議員の1人は新政権批判について「争点設定が下手だ。生活の話をしないと」と手厳しい。(以下略)-----------------自民党は着実に自滅への道を歩んでいるなあと、改めて再認識しました。理論もへったくれもない。叫べば叫ぶほど、自分たちがいかに右翼かを自ら宣伝しているだけです。「北朝鮮による拉致事件の実行犯とされる辛光洙(シン・グァンス)容疑者の釈放運動に菅氏が携わったとして「史上まれに見る陰湿な左翼政権」と主張。」だそうですが、確か安倍内閣は自公連立政権で、連立与党だった公明党にも同じ要求をかげた議員がいたはずです。そんな党と連立を組むなんて、安倍内閣も立派に「史上まれに見る陰湿な左翼政権」だった、ということなんでしょうか。実際には、安倍政権も麻生政権も、「史上まれに見る陰湿な右翼政権」だったと私は思っています。前回総選挙で、麻生はひたすら民主党に対するイデオロギー的なネガティブキャンペーンを繰り広げて、めでたく大敗北を喫しました。そのことに、まったく学んでいないらしい。もっとネガティブキャンペーンを繰り広げて、もっともっとネットウヨクのあつい支持を集め、世間の一般有権者からは見放されてください。というか、こんな連中に政権を奪回なんか、絶対にしてほしくないです。記事によると、さすがにこんなやり方じゃダメだと思っている自民党の議員も多いようですが。
2010.06.08
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<石原都知事>菅新内閣を「極左」 外国人選挙権付与絡みで東京都の石原慎太郎知事は5日、都内で開かれた参院選自民党立候補予定者の総決起大会で「今度の菅内閣、あれも極左だから」と発言した。民主党が進める永住外国人への地方選挙権付与政策を批判する中で述べた。石原知事は来賓としてスピーチ。子ども手当など民主党政権の政策への批判を語る中で「極左だから同じこと言うし、もっとすごいことやるかもしらねえが、地方に限って参政権を与えるって。どうなんですかこれ」と批判した。石原知事は、新党「たちあがれ日本」の応援団長を自認し、民主党政権を批判する発言を繰り返している。--------------------国民新党の亀井静香もいれば、新自由主義者の前原誠二もいる、結局は米国べったりの北沢俊美や岡田克也もいる、民主党政権のどこをどう見れば「極左」になるんでしょうか。民主党が極左なら、そこから離脱した社民党は?極極左でしょうか。共産党は?極極極左?いわゆる新左翼過激派は?極極極極左でしょうか。これじゃ、言葉のインフレーションになってしまいます。永住外国人の地方参政権推進だから極左だというなら、もともと自民党内にも外国人地方参政権賛成派は数多くおりました。かつては少なからぬ地方議会が、自民党も賛成して外国人地方参政権推進の意見書を採択しています。(以前の記事参照)じゃあ自民党も極左ですか?それ以前に、去年11月の数字ですが毎日新聞の世論調査では外国人地方参政権付与に賛成59%反対31%フジテレビ系FNN世論調査永住外国人に地方参政権を実現すべきと思う53.9%思わない34.4%という数字が出ています。毎日新聞の調査によると、自民党支持層に限ってさえ賛成49%、反対42%と賛成多数です。ということは、日本国民の多数派も極左、ということになるのでしょう。(以前の記事参照)「民主党政権は極左だ」という類のレッテル貼りは、それを貼っている本人の立ち位置に対するレッテル貼りでもある、ということです。民主党程度が極左に見えるような立ち位置、つまり極右だということです。そりゃ、極右の立場から見れば、世の中の全てのものが左に見えることでしょう。国民も、主要政党も、なにもかも。そういえば、演説でやたらと「反日極左」を連呼する政治運動家がいます。先に紹介した「主権回復を目指す会」の西村修平。(もっとも本人自身が、かつて毛沢東派の「反日極左」だったことには口をつぐんでいるらしいですが)ま、民主党を批判するのは自由だし、というかここ1週間私も民主党を(左側の立ち位置から)批判しまくっていますけど、それでも一つだけ言えることがあります。それは、民主党が「極左」に見えるような人たちに、政権を取って欲しくないということ。私は民主党をもはやまったく支持しないけれど、極右路線まっしぐらの今の自民党や、たちがれ日本なんぞに比べれば、それでもまだマシか、と思ってしまいます。
2010.06.06
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http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20100605k0000m040090000c.html米映画:「ザ・コーヴ」都内上映館ゼロに イルカ漁批判和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に取り上げた米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」(ルイ・シホヨス監督)の上映中止問題で4日、東京と大阪の2館も中止を決め、東京都内での上映館はなくなった。2年前にドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が相次いだ際は、街宣活動実施後に中止が決定されたが、今回は抗議活動の予告だけで中止の動きが広がり、表現の自由の萎縮(いしゅく)を懸念する声が上がっている。「反日映画の上映は許せない。中止を求める」。今年3月、ザ・コーヴの配給会社「アンプラグド」(東京都目黒区)に、ある団体から電話が入った。この団体は、首相の靖国神社参拝を求める活動などをしている。1月に日本での公開を発表した際には特に反応はなかった。電話は、米アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞した時期に重なる。4月になると、社長の自宅前や事務所の周辺でマイクを使った抗議活動が早朝から行われるなど、抗議活動がエスカレート。同社は抗議活動の中止を求める仮処分を東京地裁に申請し、認められた。ただ、最近までは東京や大阪などの全26館での上映方針に変更はなかった。中止のきっかけは、この団体がホームページで今月2日、上映を予定していた「シアターN渋谷」や同館を運営する出版取り次ぎの日本出版販売(東京都千代田区)に対する街頭宣伝や抗議活動の実施を予告したことだった。3日に中止を決めた同社は「観客や近隣への迷惑がかかる可能性があり、上映を中止した」と理由を話す。また、4日に中止を決めた東京の「シネマート六本木」と大阪の「同心斎橋」を巡っては、両館を運営する「エスピーオー」の関連会社に対し、5日に街宣活動するとの予告があった。エ社は「関係各所に迷惑をかける可能性があるため」と中止を決めた。フリージャーナリストの綿井健陽さんは「こんなに簡単に中止が決まっていいのか。『面倒な映画の上映はやめておこう』という萎縮を生みかねず影響は大きい。上映を待ち望んでいる人もいるという声を関係者に伝えることが重要だ」と指摘する。シホヨス監督は4日、「一部の過激な人たちが東京の映画館を脅かしていることを知り大変残念だ」とのコメントを発表した。-------------最初にお断りしておきますと、私は捕鯨反対派の主張にはまったく賛同できません。(かといって、捕鯨賛成派の主張にも賛同できないのですが。詳細は過去の記事を参照してください。)だから、おそらく「ザ・コーヴ」の内容にも、あまり賛同は出来ないんじゃないかという気はします。まだ見ていないので、あくまでも「気がする」だけですけれど。それはともかくとして、内容に対する賛否は別にして、上映を許さない、というのはなんたることかと思います。記事では上映妨害を働いた団体名は明記されていませんが、その名をここにはっきりと書いておきましょう。西村修平が代表をつとめる「主権回復を目指す会」がその団体名です。http://www.shukenkaifuku.com/info/main.htm記事を見ると、「日本人蔑視を煽る映画に表現の自由を認めてはならない!」なんてタイトルが並んでいて、思わず笑ってしまいそうになるのですが、実際に彼らの思うとおり、映画の上映が中止に追い込まれているのですから、これは笑いごとではありません。昨年、「南京・史実を守る映画祭」を開催したとき、取り上げた映画には、南京大虐殺に真正面から切り込んだ作品もありましたが、南京大虐殺を映画の一場面として取り上げただけの娯楽作品もありました。ハリウッド製の映画と言えば、たいていは日本でも上映されるものですが、この作品は日本では上映されていません。とにかく南京事件にちょっとでもかかわる映画は、日本では上映されないのです。右翼が騒ぐから。同じことが、映画「靖国YASUKUNI」でも起こったけれど、幸いにしてこのときは、いくかの映画館が公開に踏み切りましたけれど。このままでは、「主権回復を目指す会」(あるいは右翼団体一般)の意に反する映画の言論の自由が失われる、というとんでもない事態になってしまいます。映画だけではありません。「主権回復を目指す会」と、その姉妹団体である「在特会」は、彼らの気に入らない集会やデモに対して、次々と妨害行為をかけている。(もっとも、連中は防備を固めているところには踏み込まないのです、南京映画祭にも、事前に挑発したにもかかわらず、姿を現さなかった)だから、内容に対する賛否はともかくとして、とにかくこの映画は是非上映して欲しい。「主権回復を目指す会」やら「在特会」やらの思うとおりの国にしてはいけない。
2010.06.04
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http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201006020114.html鳩山首相が辞任、小沢幹事長も 4日に新代表選出へ鳩山由紀夫首相は、2日午前に開かれた民主党の両院議員総会で辞任する意向を表明した。米軍普天間飛行場の移設問題で社民党の連立離脱を招いたこと、政治とカネの問題で民主党に迷惑をかけたことを理由として挙げた。首相は、民主党の小沢一郎幹事長にも辞任を促して了解を得たことを明らかにした。民主党は役員会で、4日に両院議員総会を開き、後継首相となる新代表を選ぶ方針を決めた。国会会期延長はせず、参院選は7月11日投開票となる方向だ。新代表が新幹事長を含む党人事を行い、首相就任後に組閣する運び。鳩山内閣は、8カ月あまりで幕となった。 (以下略)------------------まあ、そうなるだろうなと思いました。ただ、辞めるなら普天間基地移設の日米合意の前に辞めて欲しかったというのが正直なところです。後任は、今のところ菅直人が有力視されているようですね。対抗馬は岡田外相でしょうか。私は、今回の一連の普天間基地移設問題で、鳩山首相にも失望しましたが、岡田外相にも失望しました。(平野官房長官と北沢防衛相に対してもそうなのですが、彼らに対しては元々何の期待も抱いていなかったので、失望も少ない)菅直人が一連の問題について、どういう行動、どういう発言をしたかは知りません。以前は、私は菅直人に大いに期待していたことがありますが、今はあまり期待は持っていません。それでも、まあ自民党政権に戻るよりはマシと思いますが。鳩山政権に対しては愛想が尽きましたが、かといって、自民党政権に戻っては欲しくない、ということも言えます。結局のところ民主党は自民党の亜流政権に過ぎなかったわけですが、それでも、自民党を今政権に戻すべきではない、と私は思います。とは言え、まあ首相が変わって参議院選に民主党が勝てるかと言えば、まず無理でしょうね。私自身参議院選で民主党に入れる予定は(今のところは)ありませんし。もちろん、自民党やその亜流(みんなの党やらたちがれ日本やら)、公明党に投票する気は、それ以上にありませんけど。というか、これだけ鳩山の失策があり、鳩山も民主党の支持率も激減しているのに、自民党の支持率はあまり上がらない。国民に愛想を尽かされているのは鳩山だけではないようです。
2010.06.02
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