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~1年の終わりに~ 師走も下旬になって、いろんな人がやって来た。先ずは新聞の集金人。大抵は月の最終日曜日に来るのだが、今回は少しずれた。まあ相手にも都合があるのだから仕方がない。そして来月から値上げするとのこと。月300円ほどだが、申し訳なさそうにカレンダーをくれた。こんなのは初めてだが、直ちに「資源ごみ」の仲間入り。必要以上に飾っても仕方がないもんねえ。 電気屋の息子が急いでやって来た。ウイルス対策用ソフトの有効期限が迫ったため、連絡したのだ。確か期限はもう少し先だと思ったのだが、先日修理に出した後、彼がインストールするのを忘れたみたい。「料金は」と尋ねると、「無料で良い」と急いで帰って行った。これは儲けたと一瞬ほくそ笑んだのだが、彼の店のPCはかなり高いので当然とも思う。 「ピンポーン」とチャイムが鳴った。出ると近所の人。こちらもカレンダーとあいさつ用のタオル持参。それだけなら良いのだが、なんと請求書付き。夏ごろ給湯器が水漏れし、彼女が勤める店で修繕してもらったのだ。いつまでも請求がないため、あれはてっきり無料のサービスだと思っていた。年末になっため請求しに来たのか。もらったカレンダーは即資源ごみとなった。 「ピンポーン」。来たのは保険の外交員。こちらはカレンダーとティッシュペーパーとメモ帳持参。「お変わりありませんか」と聞くので、「何とか生きてます」と返事。彼女の会社を一番活用したのは前妻。私が知らないうちに保険に入り、かつ満期になれば全部自分の名義に書き換えて貯金。調停でも一切自分名義の預貯金額は明かさなかった。最後まで金の亡者だった。 何日か前に松前漬けを作り、仙台風お雑煮の具を作った。大根とニンジンを千切りにして茹で、一晩外で干す。昔は「焼いたハゼ」を干したのを出汁にするのだが、今は鶏肉が普通か。具は他に「鳴門巻き」と刻んだセリを載せるのが仙台流。そのセリもまだ安いうちに買った。大晦日ともなれば、刺身や年越し用の「ナメタガレイ」やセリが、目玉が飛び出るほど高くなる。 さて、今年も良くブログを書いた。PC修理と旅行中も、15日分を予約したほど。かなりのブログ中毒だが、老後一番の楽しみであり、張り合いでもある。無事大晦日を迎えたことに感謝し、足繁く通ってくださったブロ友さんや読者の皆様に御礼申し上げる。1年間ありがとうございました。そして来年もどうぞよろしくお願いします。皆様も良いお年をお迎えくださいませ。 西郷どんも竜馬も走る年の暮 どうもお粗末でした。
2018.12.31
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~わが人生の旅路~ 伊勢 内宮 今年も何度か旅へ出た。と言っても年金暮らしの爺が行ける範囲は限られる。6月は紀伊半島へ。伊勢神宮、瀞峡、熊野速玉大社、熊野那智大社、高野山の奥の院などを訪ねた。以前から行きたかった場所だけに心に沁みるものがあり、かつ日本の歴史誕生に思いを馳せることが出来た。歴史の勉強はやはり現地に立つことが一番。自分なりに感触が得られて有益な旅となった。 岩手浄土ヶ浜 7月は1泊で岩手の陸中海岸を旅した。ここは交通が不便で、かつ「東日本大震災」で大きな被害を受けたところ。以前から行きたいと願っていた思いが、今回叶った。写真は美しい「浄土ヶ浜」。舟にも乗ったし、三陸鉄道北リアス線にも乗って、震災からの復興ぶりを目の当たりにした。岩だらけの厳しい環境に咲く可憐な「スカシユリ」にも出会い、良い思い出となった。 千葉 香取神宮 11月末から「大人の休日倶楽部」パスを使って旅した。初日と2日目は愛知県蒲郡市で筑波時代の悪友達との会合。東京駅からは別に切符を買った。毎年恒例の麻雀大会だ。3日目は千葉の香取神宮と茨城の鹿島神宮に参拝。ともに国内有数の神社で蝦夷征伐の聖地だけに、征伐された東北人としても知っておきたかったのだ。4日目は皇居の一般公開と浅草寺への参拝。実に安上がりで有益な旅となった。 アイヌ民族博物館 今後行きたいのは北海道の白老にある「アイヌ民族博物館」。これまでも大阪の国立民族学博物館や青森の「郷土資料館」で見、北海道平取町では2つのアイヌ資料館を見学したが、本格的なのは白老の施設ではないか。北海道なら「知床五湖」も訪ねたいが、これは夢に終わるかも知れない。船でしか行けない小笠原諸島もその類か。 九州国立博物館 博物館で他に見たいのは九州国立。他の国立博物館はすべて見ており、最後に出来た「九州」だけがまだ。出来れば付近の太宰府や宗像大社へもぜひ寄りたい。そして九州なら、宮崎の高千穂峡や西都原(さいとばる)の古墳群も。理由は国造り伝説との関わりを、自分の目で確かめるため。ただし、太宰府、宗像大社、宇佐神宮へは以前にも寄っている。 出雲大社十九社 鳥取の足立美術館へも一度は行きたい。広大な庭がとても美しいそうだ。今回そこを含めたツアーを申し込んだのだが、冬季は雪が多くて申込者が少ないとのことで断念。残念ながら来年の秋を待つか。出雲大社へも寄りたい。一度は訪れているがゆっくり見学し、自らの古代史研究につなげてみたいのだ。いずれにせよ旅は元気でないと始まらない。先ずは健康保持が最優先。旅は良い。そして温泉もまた。
2018.12.30
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~イメージと創作~ 俳句は単純なようで難解。わずか17音の中に自然観や独特の世界が展開し、厳しい約束事もある。また芭蕉につながる伝統を貴ぶ派もあれば、表現方法や詠む対象が異なる現代俳句もある。俳句作り1年生は、諸先輩の句を参考にしつつ頭をひねる日々だ。今日は空想の句を試みたい。 年の果狂女の旅のはるかなる 一人の女が家を出た。夫が他に女をこしらえ、自分の金を盗んだと家庭裁判所に調停を訴えた末のこと。その言を信じ、「あなたとは縁を切った」と父親に宣言した娘。娘は今、母親と新しい家に住み、やもめ男は2度目の暮れを迎えた。連絡もしない息子たちと老後の不安。そんな中でも男は、去った女の安否を思う。高齢化社会の日本では、これもさほど珍しくなくなった光景か。 筋塀や北山寺町しぐれ過ぐ 格式が高いお寺の塀に白線が入っていることは知っていたが、それを筋塀(すじべい)と呼ぶことは知らなった。そこで早速その言葉を使って俳句を詠んでみる。仙台で筋塀の寺と言えば、北山付近に何か所かあったはず。その光景を頭に思い浮かべつつ詠んだのが揚句。「時雨」(しぐれ)が冬の季語。実際に見た風景だと良いのだが、年寄りが冬出かけることは滅多にない。 雪おんな星ふる夜ぞ眠れかし 雪女は妖怪で実在のものではないため、句に取り上げない派もある由。もちろん私もまだ出会ったことはない。冬の夜、凍てつく寒さの中で「おいでおいで」と人を誘う雪女。だが暖冬続きの昨今では、あまり出番は多くなさそうだ。雪が降らず、星が美しい夜はせめて「仕事」を休み、ぐっすり眠ればと、お節介な爺さんは思うのだ。 冬ざれや縁切寺の塀の穴 「駆け込み寺」と言うのがある。別名「縁切寺」。住職は尼僧で、ここに逃げ込んだ女性は、一定期間後に世俗の婚姻関係が解消されたと言う。女性の人権が軽視された時代の特例だった。だが女を守るべき寺の塀にも穴が開いて、そこから世俗の風が入って来るという想定。人間は一人では生きて行けない動物。句はそれをユーモラスに描いて見たが、今や女性と靴下の強さは格別。時代は変わった。 鳴れよかし旗巻峠の虎落笛 虎落笛(もがりぶえ)は切った竹などに北風が当たって鳴り響く音で、冬の季語。旗巻(はたまき)峠は宮城県丸森町と福島県相馬市の境にある峠。「鳴れよかし」は鳴ってくださいほどの意味だが、「もがり=殯」には、死者を悼む意もある。私は現地を訪れたことはなく、これは想像上の句だ。 幕末、この地で官軍と仙台藩の戦いがあった。強力な官軍の大砲に対して、仙台藩の大砲は木製で弾丸は陶製。結果は火を見るよりも明らかで仙台藩は敗走。だが、討ち死にした薩摩の兵士の遺体をねんごろに葬ったと聞く。今でも虎落笛の嫋々たる音色が聞こえて来そうな峠道。今年はあたかも「戊辰戦争」から150年目。その後明治、大正、昭和、平成と続いた御代から、新たな時代を迎える今。
2018.12.29
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~最近の習作より~ 戌年のなほ咳はおさまらず *いぬどし *しわぶき 長らへて月冴へ冴へと黄泉の声 *よみ=あの世 野ざらしと見紛ふ今朝の雪の色 野ざらし=白骨 野ざらしの夢捨てかねて除夜の鐘 オリオン座句に呻吟し去年今年 *こぞ 冬ざれやいまだ闘志は失はず 冬ざれや闘志ひとつを友として 冬ざれややもめ温めし夢のあり 冬ざれや大長考の一手かな 鳥の影過りし庭や冬紅葉 *よぎり 庭石の静もりし日や藪柑子 *やぶこうじ 鳥の声居間で聞きゐる冬至かな 冬至かな書斎にとどく鳥の声 冬ざれや庭を過りし鳥の影 雪虫や息子に嫁の来ざるまま 雪虫や平成の御代終へむとす 雪虫や土寄せ終へて啜るお茶 *すする 雪虫や土寄せ終へしお茶の味 北国の雪にまみれし一日かな *ひとひ 今年から区の俳句教室に通ってヘボ俳句をひねっているど素人です。「歳時記」で時々季語を眺めたり、ブログ友さんの作品を参考にさせてもらっています。諸先輩、どうもありがとうございます。
2018.12.28
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~わが日常の些事~ 香取の水仙 ようやく年賀状を書いて出した。3年ぶりのことだ。3度目の不整脈の手術、前妻との離婚、硬膜下血腫などによる体調不良もあって、どうしても出す気になれなかった賀状。出さないでいるうちに、届く枚数がガタ減り。それは良いのだが、どうしても無沙汰を詫びたい人や、これが最後の賀状とお断りすべき人もいた。それも終活の一部。決着を着けるべき時と考え、勇気を奮った。鹿島のツルウメモドキ 長男への賀状へは本音も書いた。前妻との離婚、現在の健康状態と今後への対応など、長男と次男へ伝えておきたいので一度会って話をしたいと。果たして彼にどこまで父の気持ちが伝わるかどうか。大晦日に帰省する次男用の布団やかいまきなどを、何度か干した。東京と仙台とでは気温がかなり違う。少しでも温かく寝てもらい、東京での疲れを取ってもらうためだ。 我が家のミニバラ 年末年始用のアルコールも買った。普段は飲まない日本酒やビール。それも次男と飲めば美味しいはず。「松前漬けの素」や正月飾りも買ったが、細かい準備はこれから。お雑煮の具も時期を見て作る予定。それとは別に天気の良い日には洗濯し、おかずが乏しくなれば台所に立つ。ガラス窓も一応拭いたし、庭やガレージの掃き掃除も必要に応じて実行。植木鉢への水やり、居間の保湿は日常時。 皇居の冬桜 愛知県蒲郡市の宿泊施設で私は酔い、「俺は生きている」と何度も口にして悪友に笑われた。だがそれが実感。良くぞ元気で恒例の会に参加出来たとの思いが強かったのだ。猛暑の頃に語り合った方2人は「良く冬が乗り切れた」と話していたが、私も全く同感。初めて霜焼けになるほど体調が悪かったし、これは危ないと感じたこともしばしば。加えて夏の猛暑も相当に堪えた。 皇居のツワブキ 今は自分の生活と健康が第一。だから時間も暮らし方もマイペースだ。良く眠れなかった際は意識して寝坊し、可能なら温かい日中に昼寝も。迷惑電話は毅然として切り、相手の脅しにも屈しない。後は自分の判断力がいつまで正常でいられるかが勝負。独居老人の覚悟など大したことでもないが、こうして毎日ブログを更新出来ることに、改めて感謝したい。
2018.12.27
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~最近世界で起きたこと~ 日産カルロス・ゴーン前会長らの逮捕には驚いた。容疑は「金融商品取引法」違反。本来記載すべき事項を記載しなかったとか。拘留期限が切れたため再逮捕したが、さらなる拘留は裁判所が認めず、保釈目前が濃厚だった。外国による日本の司法制度非難も影響したのか。そこで東京地検は強硬策に出、「特別背任」容疑で再逮捕した。一方のケリー氏は保釈請求予定とか。 容疑は個人的な債務の日産への付け替えで、国内外に6か所の自宅が日産の経費で保有中。ブラジルの自宅からは現金や文書が持ち去られたが、東京の自宅は家宅捜査の対象となった。価格700万円のヨットも会社の経費で落とした由。彼はルノー、日産、三菱自動車の会長で、フランス政府はルノーの経営権を有し、ルノーは日産の大株主。ルノーの収益の半分は日産が稼ぐと言う「三すくみ」の関係だ。 韓国の「元徴用工」が戦争時の補償を韓国政府が行うよう裁判所に訴えた。千人規模での訴訟と言う。先に韓国の裁判所は「元徴用工」の訴えを入れ、新日鉄住金に対する補償を裁定した。既にそれらの補償は韓国政府が責任を持つと、日韓で合意しているにも関わらずだ。今回は日本の主張に沿う形の訴訟。過去の3件の事例では、いずれも韓国政府が支払ったそうだ。果たして文政権は今回どう対処するのか。 中国の通信機器大手「華為(ハーウェイ)技術」の孟副会長がカナダ政府に身柄を拘束された。アメリカ政府の要請によるもので、イランへの制裁違反が嫌疑の由。中国政府は早速抗議し、中国内のカナダ人3名を拘束した。これは米中の関税・貿易戦争が形を変えたもので、その背景には近年中国が制定した「国家情報法」が深く関与していると考えられるそうだ。 この法は、民間企業も軍に協力する義務があると規定されている。つまりIT機器などを通じて情報収集を求めるもので、簡単に言えばスパイ活動の強制だ。中国製の安価なIT機器は大量に輸出され、中にはスパイ機能が仕込まれた部品がある由。中国はネットを通じ、簡単に最新技術や軍事機密を盗むとアメリカが警告。そして今回、同社を含む中国のIT企業2社を取引停止にした。 恐ろしいのは世界の通信ケーブルの約2割を、同社が占有していること。同社の排除が困難な理由はそこにある。また中国は外国の大学に設置した「孔子学院」や文化団体を通じて、中国の方針を流布。つまりマインドコントロールにより心まで盗むのだ。「一帯一路」の経済援助では後進国をがんじがらめにし、やがて港湾施設や道路までをも自国の支配下に置く。まあ大変な謀略だ。 中国は宇宙ステーションを攻撃する実験まで行っている。「宇宙ゴミ」の相当のパーセンテージを、中国製ロケットの残骸が占める由。最近トランプ氏が「宇宙軍」の創設を宣言したのも、危機感の表れのはず。ハーウエイ技術は今期、博士課程修了者8千人と修士課程修了者千人を世界各国で採用した。企図は一体何なのだろう。中華思想恐るべし。昔から交易して来た沖縄を騙すのなど、中国はお手の物だ。
2018.12.26
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~今年もいろいろあったけど・・~ スポーツ界では実力のある新人が現れたねえ。女子フィギュアスケートでは紀平選手など。卓球では張本選手や伊藤美誠選手など。そしてスキーのジャンプでも有望な選手が現れた。レジェンド葛西選手が監督を務めるチームの小林選手がそうだ。今年はワールドカップで既に4勝を挙げ、これまでの記録保持者葛西の年間6勝に迫り、抜くのは確実と言われている。 その一方で、パワハラなどの不祥事もたくさん出て来たねえ。アマチュアボクシングの山根前会長は辞任だけでなく、永久追放措置を受けた。協会の金を私用に使っていたのだから当然。体操の笠原夫妻のパワハラが認定されなかったのが残念だ。大学アメフトの加害者被害者共に、その後試合に復帰出来たのは幸いだった。だが一番揺れたのが、大相撲界だったのではないか。 特に貴乃花部屋の興廃が酷かった。貴ノ岩の暴力事件で親方は理事から降格され、弟子が引き起こした暴力事件で、角界からも引退する羽目になった。移籍した千賀の浦部屋で貴景勝が幕内優勝して歓喜に沸いたのもつかの間、貴ノ岩まで暴力事件で引退。元貴乃花親方の離婚に続き、長男優一氏の離婚と泥沼のような転落ぶり。きっとどこかに無理があったのだろうが、大相撲界の汚点もさらけ出た。 秋田の「なまはげ」など各地の伝統行事である「来訪神」のユネスコ無形文化遺産指定が決まった。大阪万博の決定と共に、日本にとっては喜ぶべき事案だろう。その一方で、IWC(国際捕鯨委員会)から脱退することも決まった。ノルウェー、アイスランドに続く脱退で、約30年ぶりの商業捕鯨への道が開けるかどうか。捕鯨基地鮎川を抱える宮城県民としては嬉しいが、国内の鯨肉文化はかなり低下した由。 沖縄県辺野古米軍基地での海面埋め立て工事が始まった。当初予定した本部港からの土砂運搬が不許可となったため、防衛庁は急遽セメント工場の港からの積み出しに変更。今後県は国との紛争解決を関係委員会に提訴し、それが認められなかった場合は裁判に訴える予定。いずれも前回は国の訴えが通っているが、来年2月の住民投票に関し、幾つかの市はこれに協力しない旨。20年以上も遅れた辺野古移転。その間に普天間基地は老朽化し、返還も遅れた。果たしてどんな選択が賢いのだろうか。<続く>
2018.12.25
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~イブを祝って~ クリスマスだというのに、今年は何の取材もしていないのです。せめてそれらしい雰囲気の写真をのせることにしましょう。最初は仙台駅の東西連絡通路です。こんなものでスミマセンね。 今年も地震、水害、台風と災害に悩まされた年でした。そして夏はとても厳しい暑さでしたね。それらを乗り切って年末を迎えたのです。良く頑張りましたね。皆さんも、そして私も。 次は東京駅構内のクリスマスツリーです。何もないよりはマシでしょう。どれ、どこにしまったかな?ああ、あったあった。こちらも旅の途中でしたもんね。 東京駅旧駅舎に飾られていたツリーです。JRもなかなか粋なことをやりますね。 次はネットの無料アプリから借用したクリスマスカードです。 どうぞ今夜は楽しいイブでありますよう。 そして最後は各地のイルミネーションです。 「なばなの里」(三重県)です。 神戸の「ルミナリエ」です。今年も無事開催でした。 長崎県諫早市の「ハウステンボス」です。 最後はわが仙台の「光のページェント」。ケヤキの木にLEDを取り付けた単純な仕掛けです。 では皆様、メリークリスマス。どうぞ素敵なイブでありますよう。
2018.12.24
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~わが日常~ 残菊 旅から帰った数日後、行きつけの内科へ行った。薬が幾つか切れていた。服用時期の相違で数がそろっておらず、飲み忘れかの判断がし難いため、数がそろうのを待っていたのだ。血液検査の結果は良。耳鳴りとめまいの薬は卒業。血圧、脈拍、血糖値も安定。薬局がくれた説明書によれば、めまいの副作用が出る薬が3点も。これも一因だったかと、今さらながら納得。 散った山茶花 大河ドラマ『西郷どん』が終わった。改めて知る西郷隆盛の人柄だった。明治維新の原動力となりながら、最後は不満武士に寄り添う形で、賊となった彼。幕末の日本を動かし、誰からも愛された彼。その死の1年後、かつての朋輩である大久保が暴漢に襲われて死んだ。最後こそ歩む道が違ったが、共に新しい国づくりを目指した壮士だった。先月末に読み始めた『竜馬がゆく』は今、第3巻の終わりへ。 ブロッコリーの花 育ち過ぎたブロッコリーやカリフラワーを大量処理するため、シチューにすることを思いついた。少し硬くなってきた茎などは、予め圧力鍋で煮る。ニンジンや玉ねぎ、ジャガイモなど、余った野菜を手あたり次第鍋に入れ、牛肉、豚肉、鶏肉、ソーセージや時たま牛乳も加える。体が温まって栄養満点だ。お浸しや麺類に入れて食べたりと、実に重宝。 蔵王の樹氷 4日間の旅から案外元気で帰れたのに気を良くし、次の旅行を申し込んだ。1つは山形蔵王で樹氷を見、温泉に入る日帰りツアー。2つ目は「なまはげ」など秋田の民俗芸能を楽しむ、2泊のバスツアー。共に豪雪地帯だけに、寒さが心配。手袋は暖かそうなのを買ったが、ブーツはどんなのが適切か検討中。いずれにしても旅は体が元気なうちが勝負。出来るだけ長く楽しみたいものだ。 土寄せした大根 ここのところ寒さが厳しくなり、最高気温が6度に満たない日も出て来た。朝から暖房を入れてると、室内の空気が乾燥して困る。そこで濡れタオルを干したり、湯気の立つ鍋を置いたり、時々扉を開けたりと工夫。さて今月の俳句教室用に詠んだ中から、次の句を提出。 雪虫や土寄せ終へて啜るお茶 *すする これが講師には不興で、「寄せ」、「終へ」、「啜る」と動詞が3つ続くのはどうかとの意見。私は「土寄せ」は名詞と理解したのだが。そのうち俳句の話も書いてみたい。
2018.12.23
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~皇居の紅葉など~<御幸通り> 御幸通り(みゆきどおり)は東京駅も丸の内口から皇居方面に真っ直ぐ伸びる道です。皇居「乾通り」(いぬいどおり)の一般公開があった期間、12月3日に訪れた皇居およびその周辺紅葉・黄葉です。皇居方面から東京駅方面を見て、徐々に駅に近づいて行きます。(以下同様) 同時期、仙台の落葉樹はすっかり葉が散っていますが、こちらは黄葉の真っ盛りでした。 東京駅が突き当りにかすかに見えて来ました。 丸の内周辺もすっかり整備されましたね。東京駅の改修も済みましたし。 元々あったイチョウ並木が再現されたとか。見事なものですね。<大手町> 大手町ビル街の街路樹も、どうやら銀杏(イチョウ)みたいですね。<皇居内 「乾通り」を中心に> 普段皇居内に入ることなどありません。だから一般公開には大勢の方が訪れます。 皇居内の植栽は、どれも良く手入れされています。色合いの美しいモミジです。 まだまだ色づきが不十分な樹もありますね。これは日当たりのせいでしょうか。 皇居の紅葉が珍しいのか、盛んにシャッターを押しています。 それにしても見事な大木。皇居が空襲に遭わなかったからこその「遺産」ですね。 乾通は一方通行なので、これは後方を振り返ったところです。 桜の木の向こうには、高い石垣の上に白壁の旧本丸跡が見えました。 それほどの混雑でもなく、私にはとても歩きやすく感じた直線道路でした。 嬉しいな。まだこんな見事な紅葉が残っていましたよ。 曇りの日だし、逆光で色がさえないのが残念です。 これが最後の1枚です。すべて公開された乾通のものでした。途中左手には太田道灌の居城当時の濠跡である「道灌濠」が残っているみたいですよ。<完>
2018.12.22
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~近所の雪景色2~ 紅葉の次はまたまた雪景色じゃ。仙台の初雪だけど、今回は少し色を添えてみたんじゃが。 これはアケビの葉かのう。まだ散らずに残っておったが、気の毒にのう。 我が家の枯れアジサイ。淡い色が付いとるが、これは本来の色じゃないんじゃ。 雪を被ったバラの実も、こうして見ると案外一興じゃのう。ふぉっふぉっふぉ。 元気に咲いとる山茶花も雪には勝てんのう。でも頑張って咲いとるぞ~。 タチアオイのようじゃが、まだ咲いとったかな。ここは町内会の花壇じゃよ。 ご近所さんが小鳥のために残しておいたキウイじゃ。凍らねば良いんじゃが。 我が家のユズの実も寒そうじゃのう。そろそろ採ってやるかな。 こう見えてもヴィオラは案外寒さに強い。春までこのまま頑張るじゃろうて。 これも山茶花。確かバラではなかったはずじゃが。 これは皇帝ダリア。可哀そうだがこの後切られてしまったよ。根っこだけで越冬じゃ。 雪の中から顔を出した南天。和室の外側で倒れておったわ。 郵便受けの下の葉ボタンじゃ。雪に立つ姿も凛々しいのう。 裏のアパートの柿の木じゃ。誰も取らないとはもったいないのう。
2018.12.21
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~二つの神宮にて~ 香取神宮への道で 仙台では丸裸になった落葉樹だが、旅先の関東地方ではきれいな紅葉・黄葉が見られた。雪景色の翌日に紅葉では違和感もあるだろうが、地域差を実感するのも一興と言えようか。今回は香取神宮(千葉)と鹿島神宮(茨城)の境内を中心に紹介したい。楽しんでいただけたら幸いだ。<香取神宮> 今回は境内の紅葉のみを掲載する。参詣者も少なく、とても静かな境内だった。 人間の目にはとてもきれいに見える紅葉も、デジカメのレンズを通すとさほどでもないのが残念です。 暗い樹幹を通して見える紅葉が何とも素敵。 伐られないまま大きく育った樹木を背景に。 摂社と「要石」への小径 鮮やかな紅葉 まだまだ淡い色の紅葉と石灯篭。 帰路の神道山古墳ではボランティアの方が、落ち葉焚きをしていた。<鹿島神宮> 楼門を通して見た境内の紅葉。 「鹿苑」付近の大イチョウ。 境内の色鮮やかなモミジ。 紅葉越しに見る本殿は重要文化財に指定されている。<不定期に続く>
2018.12.20
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<お手軽写真 その1> 12月7日(金)の深夜の雪が、今年の仙台での初雪だったそうです。そして9日(日)の朝には、積雪4cmに。未明には雪が降ってることに気づきました。トイレの外の「桟」に白いものが積もっているのが見えたからです。朝一番に撮ったのがこの写真。昔と違って仙台も雪の日がめっきり減って、初雪が降ると嬉しい気持ちが先に立つのです。これはブログのネタにピッタリだよ。 2階のベランダから畑をパチリ。これはかなり明るくなってからの写真。 庭の照明灯に積もった雪で、これも明るくなった後。 これは結構朝早い時間の近所の風景です。 まだちょっぴり薄暗い感じがしますよね。 近所の小川の土手 その1です。 似たような写真で済みませんがが、その2です。 町内会の花壇のコスモスです。 同じく、雪を被った水仙の葉。 赤い葉っぱが見えるけど、これはニシキギかなあ? 分かりにくいけど、これは桜の幹に張り付いた雪ですよ。 垣根の黄葉してる葉っぱにも雪が。 雪の中に立つボロギクの姿が、なんだか神々しく見えますねえ。 再び家に戻って来て、庭のヤブランをパチリ。 そして和室から庭の南天を1枚。 <不定期に続きます>
2018.12.19
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<旅から帰って> ヤブランの実 旅から帰った翌日、修理に出していたPCが届いた。買ってから3年以内だったため、修理費は無料。原因は断線による表示の障害。以前も同じ原因の故障だったが、かなりの金額を要求された。製品の品質が落ちたのだろうが、今回は無料なので我慢。立ち上がりの機能回復のため初期化したとかで、操作方法が数年前に戻ってまごついている。 ヤブコウジ 小菊は全部刈り、枯れてみすぼらしかったシュウメイギクの茎も全て切り倒した。これでかなりすっきりし、冬の庭らしくなった。小菊を刈った花壇に、小さくて赤い藪柑子(やぶこうじ)の実が現れた。寒さで萎れた雲南百薬の畝を始末し、切った茎は裏庭に積んだ。根をそのまま残して土寄せ。畑で越冬させるのは初めてだが、果たして無事に春を迎えられるかどうか。 白菜 葉が開いて来た白菜は、ビニールひもで縛った。少し遅めだが、これでも大丈夫なはず。既に2株と半分を漬物にして食べた。大根は抜かずに土寄せ。いつもは春まで土に埋めるのだが、多分これでも大丈夫だろう。巨大なカリフラワーは畑で生かしたまま、必要な分だけ包丁で切り取っている。寒さが強まれば凍るかも知れないが。ブロッコリーには一部花が咲き始めた。温かかった秋の影響だ。 自家製の干し柿 宮崎の弟から電話があった。送ったリンゴとラフランスのお礼だったが、私がいつ旅から帰ったのか、ブログを見ても良く分からなかった由。自分としてはちゃんと書き足した積りだったのだが。次男からは帰省の連絡。大晦日に来て、新年の2日には東京に戻る由。何よりも嬉しい知らせだ。自分でもその積りで、少しずつ準備をしていたのだ。干し柿が良い色になって来た。 バラの実 さて、「年越し」用のナメタガレイは煮物にして冷凍。刺身、牛肉、海老、中華クラゲも冷凍。御節は昨年より高級なものを発注済み。粒あんと切り餅も買ったし、簡単だが私なりに大掃除をし、レンジフードの「覆い」を交換。これは換気扇の油汚れ防止のため、レンジの天井に張る化学繊維。それを磁石で止めた。掃除業者からの注文取りは、そんな事情であっさり断った。 年賀状 ここ数年間出してなかった年賀状を買った。枚数はかつての8分の1ほど。体調不良と熟年離婚とで、とても出す気分になれなかった賀状。最低限度の枚数を「けじめ」として出そうと思うのだが、まだ手付かず状態。ひょっとしたら正月になるかも。そして来年はいよいよ後期高齢者。今後年賀状はギリギリの枚数で済ませ、「生存証明」はブログに頼ろうと思う。 外は雪 旅から帰った数日後初雪が降り、4cmほどの積雪となった。例年より2週間ほど遅れた由。最低気温が零下になる日も増え、雲南百薬が凍った。庭や畑の始末をしたのは、そのせいもあった。旅の写真を整理して紀行文を書き始めて10回の連載に。たくさん残っている写真をどう使うかが今後の課題。加えてブログに書きたいニュースもあるのだが、果たしてどうなるか。
2018.12.18
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<お上りさん浅草寺へ行く> 皇居の見学を終え、東京駅へと向かった。折しも御幸通りは銀杏の葉がすっかり黄葉してとてもきれい。仙台では既に落葉したが、温かい関東ではまだ紅葉の真っ盛り。新しくなった東京駅を外側から見るのも今回の旅の目的の一つ。地下へ潜って丸ノ内線に乗り、途中で銀座線に乗り換えた。目的地は浅草。師走の浅草寺界隈を見るのも悪くない。 地上へ出て雷門に近づくと大変な賑わい。歳の市も開かれているようだが、外国人の旅行者がやたらと多い。それも着物姿での散策だ。うわさには聞いていたが、まさかこれほどまでとはねえ。 普通の仁王様かと思ったら、どうやら風神(左)と雷神(右)みたい。そうか。それで「雷門」と言うんだねえ。大提灯は松下幸之助氏の寄贈。それを毎年補修しながら使っているとTVで聞いたことがある。 こちらは仏像ではなく、雷神風神と背中合わせに立っている竜神で水の神様。左が男の竜神で、右が女の竜神。HPによれば、共に尻尾がついてるそうだ。 ほらほら暮れというのに、仲見世はこんなに賑わっているよ。すりにはご用心だね。 仲見世通りを真っ直ぐ行くとこの宝蔵門にぶつかる。ここにも大きな提灯が。 「小舟町」の奉納だってさ。平安時代くらいまで、この付近は海だったそうだ。だから当時は本当に「浅草ノリ」が採れたんだねえ。 宝蔵門の裏側には、山形県から奉納された「大わらじ」が下がっていたよ。そして線香の煙が立ち込める香炉の付近には仏像が「線香を上げないとぶつぞう」と立っていた。 金龍山浅草寺の本堂。ご本尊の聖観音(しょうかんのん)は、海に流れていたのを拾ったと伝わる。やっぱり海の傍だったんだねえ昔は。それにしても仏像が流れて来るなんてことが、本当にあるんだろうか。 浅草寺の法会(ほうえ)掲示板 浄財で建立された五重塔 五重塔から引き返し、仲見世の横丁越しに「スカイツリー」を撮ろうとした途端、デジカメのバッテリー切れ。この後、スカイツリーに行こうとしていたのだが止めた。写真が摂れないんじゃ行っても無駄。またの機会にしようと諦め、再び東京駅に向かった。「フリーチケット」での旅の話の第1弾は一旦打ち切り、残りの写真を使い改めてシリーズを組む予定でいる。ではまたね。<完>
2018.12.17
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<皇居散策> 那須連山 12月3日(月)旅の4日目で最終日。この朝も目覚ましはならなかった。前日同様に最寄り駅まで自転車で行き、コンビニ弁当を東北新幹線内で食べた。「やまびこ」の自由席で新聞と「竜馬がゆく」を読む。栃木県に入ると那須連山が右手に見えて来る。以前に那須高原へ行ったのと、那須岳にロープウェイで登ったのを思い出す。 筑波山 埼玉県に入ると遥か東方に、特徴ある山容が見えた。関東平野には邪魔するものがないため、遠くの筑波山までも見える。あの山には子供達を前後に乗せて自転車で行ったこともあった。この山を見ながら10年間暮らした私には、とても懐かしい風景。右の女体山が左の男体山よりもわずかに高い。大らかな古代は、2つの峰の真ん中で年に一度歌垣があった由。男女の自由恋愛が特別に許された日だ。 皇居の地図 東京駅から地下鉄を乗り継ぎ、竹橋へ行く。そこから近代美術館方面へと向かった。皇居の一般公開が今年も始まった。ところがその入り口が良くわからない。報道では乾門(いぬいもん)と聞き、蒲郡で筑波時代の同僚からは坂下門と聞いた。迷いながら乾門へ行くと、そこは出口とのこと。慌てて入り口の坂下門へと戻る。それが分かっていたら、東京駅から真っ直ぐ行けば早かったのだが。 コース図 これが公開されたコースなのだが、地図をもらったのは出口の外側。何と言う不親切さなのだろう。もし東京駅付近で配られていたら、どれだけ助かったか。まあ旅に手違いはつきもの。まだ元気で歩けるのだ。感謝感謝。 皇居の濠 皇居を周回するランニングコースは1周5km。元気だった頃は2周した。結構アップダウンがある良いコースだが、田舎者には空気が悪いのが気になった。極力衝突事故を防ぐため、反時計回りが一応のルール。付近にはシャワー付きの着替え施設が何か所かある由。 公開の表示 「一般公開」の表示があったのは検問の内側。おかしいねえ。これが最初にあるべきなんだけどなあ。しかも分かりやすい場所に。 チェックポイント チェックポイントでは、皇宮警察の警察官がずらりと並んで荷物の検査を実施。バッグを開くだけでなく、飲み物を入場者自身に飲ませるのだ。お茶と牛乳のボトルを出すと、「ここで全部飲め」と厳命。「それは無理だよ」と言うと、「一口で良いから」と変更。両方を一口ずつ飲んで、ようやく入場が許された。やれやれ疲れるねえ、全く。 「宮殿」とは恐らく、皇室や国の公式行事が行われる場所。見えている部分は「北車寄せ」と言う玄関のようだ。 厳めしいこの建物は宮内庁。宮中に関わる事務の取りまとめをするお役所だが、皇室関係の史料や陵墓の管理を司る「書陵部」は別の場所にある。きっとたくさんの史料(資料)を保存する書庫があるはず。旧幕府史料である「紅葉山文庫」はその後国立国会図書館に移管され、現在は公開されている由。 フユザクラ(冬桜) 苑内は紅葉の真っ盛りだった。前日は香取、鹿島両神宮でも見事な紅葉を見たばかりだが、やはり重要な施設では植栽も手入れが行き届いている。1本だけ冬桜が花を咲かせていた。皇居で見る紅葉と冬桜は、きっと良い思い出になることだろう。 乾門 これが出口の乾門(いぬいもん)で、重厚な感じの立派な門だった。 芝生広場 この後「東御苑」で江戸城の旧本丸と天守閣跡を見学し、大手門付近の芝生広場で遅い昼食を摂った。皇居の外側が大手町だが、うかつにもその名前の由来にまでは思いが至らない私だった。昼食後は御幸通りを経由し、東京駅まで歩いた。<続く>
2018.12.16
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<鹿島神宮にて> 前方に見えるのが大鳥居。北浦に立つ一の鳥居から数えて、ここは三の鳥居なのだろう。香取神宮に比べて人出がある。ここで結婚式を挙げたのか、新婚の夫婦が境内で仲良くカメラに収まっていた。 堂々たる造りの楼門は初代水戸藩主徳川頼房公の奉納によるもので、重要文化財に指定されている。 寄進されたお神酒(薦被り)がずらりと並ぶ、良く見かける風景だ。 これは本殿で徳川二代将軍秀忠公の奉納によるもので、重要文化財指定。自分が撮った写真があまりにも暗く、本物と似つかわしくないためパンフレットから借用した。人間の目には鮮やかに見えたのだが、レンズを通すとあまりの違いに驚く。別の機会に比較してみたい。 専用施設で飼われていた鹿の群れ。藤原氏の氏神である春日大社の縁起によれば、ここ鹿島の鹿が奈良の神鹿となった由。春日大社及び鹿島神宮の祭神「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)は藤原氏(中臣氏)の祖とされるが、藤原氏の強大な権力が逆にこの地方にも影響を与えたとする考えが妥当ではないか。理由は中臣氏が古来より宮中で神事を司った豪族だったためだ。 裏側から見た「奥宮」。これは慶長10年(1605年)徳川家康が、「本殿」として奉納したものを元和の本宮造営時に奥宮としたもの。当時は定期的な遷宮があった由。重要文化財指定。 上は要石と「鯰封じ」のレリーフだ。香取神宮の要石が凸型だったのに比し、こちらは凹型。大きさは上に載っている5円玉と比較されたい。一説によれば天下の副将軍、水戸(徳川)光圀が土を掘って地中の石の大きさを確かめたと言うが、そんな「罰当たり」なことはしないはず。それに彼は「大日本史」の編纂で忙しかった。なお右の「鯰封じ」の石像は、第6回掲載の「鯰絵」と同じ構図みたいだ。 「要石」の近くに芭蕉の句碑があった。だが風雪に曝されて字が読めない。横の木札に「枯枝に鴉のとまりけり穐の暮」(かれえだに からすのとまりけり あきのくれ)とある。「中七」が9音とは珍しい。「穐」は秋の「本字」。何ということもない平凡な句のように思えるのは、私が「凡人の第5位」のせいか。 一茶の句もあった。大地震は「だいじしん」ではなく「おおなえ」と読む。なお「松の花」は春の季語。芭蕉の句よりも現実味を感じるのは私だけか。 鹿島神宮のポスター 夕暮れが迫る中、駅へ向かった。駅員によれば私の切符では「鹿島臨海鉄道」には乗れず、かつ東北新幹線の最速車両には空きがない由。仕方なく往路と同じ経路で帰り、東京から「やまびこ」に乗車。帰宅したのは家を出てから16時間後。本当に忙しい1日だった。いよいよ翌日は旅の最終日。この夜も目覚まし時計をセットしたのだが、結局役立たなかった。<続く>
2018.12.15
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<香取神宮から鹿島神宮へ> 香取駅へ向かう途中、ここへ立ち寄った。電車にはまだ間がある。興味のある場所はなるべく見ておくのが私の主義。古墳群の案内の横には、稲荷神社への参道と鳥居。私は迷わず細い山道を登って古墳を見に行った。この山もすべてが香取神宮の所領地のようだ。古代の豪族が眠る古墳と、その跡地に立つ稲荷神社。そしてこの地の大部分を所有していた香取神宮との関係を垣間見る思いだった。 途中で道に迷った。どうやら神社への参道を行った方が分かりやすかったようだ。前方後円墳は6世紀後半の築造で、ごく小規模のもの。古代の豪族はこの丘から、「香取の海」を行き交う舟を眺めたことだろう。付近には小型の円墳が数基あり、ボランティアの老人が落ち葉焚きをしていた。未だに活動を続けているのは彼だけとか。私と同じ年齢の方に礼を言い、参道経由で駅へ向かった。 これが私が3時間も待っていた「鹿島神宮線」の電車。佐原駅がスタート地点だが、ここ香取駅から分岐する。無人駅のためか専用機器を操作して乗車証明を発行してもらう仕組みのようだ。佐倉から先は、すべてが初めての風景だ。 駅を幾つか通過した後、大河を渡った。「坂東太郎」こと日本一の流域面積を誇る利根川だった。これがかつては江戸(東京)湾に流れ込んで、大きな災害をもたらした。江戸時代の工事で、南下していた川を東行させ、銚子から太平洋に注ぐように改修。それでも低湿地が多くて、大変な苦労をして来たはず。間もなく「北浦」を渡った。これも利根川同様に、大きな水の塊だった。 鹿島神宮駅で帰りの時間をメモ。場合によっては「鹿島臨海鉄道」経由で水戸へ出、そこから上野まで特急に乗るのも良し。タクシーが客待ちしていたが、歩いて8分みたいなので当然歩き出す。 途中の公園に塚原卜伝の立像と看板。鹿島は戦国時代の剣豪である卜伝の誕生地。「鹿島古流」を学び、武者修行のため全国へと旅立ち、晩年「鹿島新当流」を編み出す。宮本武蔵は卜伝死後の誕生で、実際に2人が戦ったことはない。卜伝が鍋の蓋で武蔵の剣を受けたとの逸話は、「作り話」である。 <「卜伝の鹿島立ち」セット(左)とポスター> <門前の巨大な鹿のモニュメント> 鹿は鹿島の神の使いで、神鹿(しんろく)でもあった。春日大社の由縁に縁れば、奈良公園の鹿はここから移ったとされる。サンタのトナカイ同様、空を飛んだのかどうかはシカと分からない。 ここは二の鳥居。広大な境内の入り口だ。鳥居の傍に「鹿島アントラーズ優勝祈願」の横断幕があった。鹿島はAFCで見事初優勝を果たしたが、先日の「天皇杯」では準決勝で敗れている。因みに初の決勝戦だったわがベガルタ仙台は、浦和レッズに敗れて準優勝に終わった。嗚呼。<続く>
2018.12.14
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<香取神宮にて> 香取駅から神宮まで30分は歩くはず。途中には緩い坂道があった。その道路を小学生が走っている。「香取マラソン」のポスターを見たので、その練習だろう。そう考えて「何km走るの?」と尋ねると2kmの部らしい。そしてマラソンは2週間後とのこと。帰路も親子で走っている姿を見かけた。もうランニングは無理だが、元ランナーとしてはとても嬉しい光景だ。 ここが神宮の入り口。参拝者の姿は思ったほど多くはない。佐原駅からの循環バスの本数はかなり少なく、大半の人たちは車で来ていた。土産店の人影も少ない。さすがに大晦日や元朝参りの際は混むのだろうが、日曜日と言うのに何だか寂しい印象を受けた。これは時代の趨勢なのか、それとも地の利なのか。 境内の略図 これは単純な図だが実際の境内は広く、拝殿まではかなり遠かった。総門の手前左手に神池があり、その奥に「要石」(かなめいし)があるようだ。そこは最後に寄ることにし、先ずは参道を真っ直ぐ進んだ。 両脇の石灯篭が見事。さすがは下総国(現在の千葉県北部)一之宮だけのことはある。ちょうど紅葉が見ごろで、今シーズン中に見た中でも最高の部類。美しくかつ奥行きのある境内で、日ごろの運動不足が解消出来た。幸い懸念していた足の痛みが、全く出ないのが予想外で嬉しい。 ここは総門。この先に楼門や拝殿と本殿がある。鹿島神宮の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。由緒によれば、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と共に出雲に出向き、国譲りを受けた由。その後は関東に鎮座して、東国制定の拠点になった。まさに建国の立役者そのもので、古代から人々に尊崇された理由もそこにあるのだろう。 これは楼門で、徳川5代将軍綱吉が元禄13年(1700年)に建立した由。昭和58年に重要文化財の指定を受け、門の両脇には神像が安置されている。 そしてこれが拝殿。総門と共に昭和15年の「皇紀2600年」を記念して建立され、平成13年に国の登録文化財に指定。香取神宮は蝦夷征伐にも神威を発揮し、鹿島神宮と共に戦勝祈願地かつ出発地となった。「武運長久」を願って出陣する、いわゆる「鹿島立ち」の言葉はここから生まれた。 時間が十分にあったため宝物館に入館。古代の「神獣葡萄鏡」(しんじゅうぶどうきょう)が一番のお宝だろうか。館内は撮影禁止なので、ネットから神輿の画像を借用。海上自衛隊の艦船「かとり」の名に因み、自衛隊関係の寄贈品が目についた。 さて、境内の摂社、末社は30を超える由。これは帰路に寄った境外末社の押手神社に祀られていた稲荷。祭神の宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)は食べ物を司る神であり、字が異なる宇賀神も同一神でサッカーJ1に同名の選手がいる。「稲荷」の名は、稲作儀礼と深い関係があったためだろうか。 押手神社の傍、囲いの中にあったのが左の「要石」(かなめいし)。私たちの祖先は地震の原因を地中の鯰が暴れるためと考え、要石はその鯰を封じると信じて来た。地表に見えるのは直径30cmほどだが、地中にはこの数百倍が埋まっている由。到底信じられないが、鹿島神宮にも同じような要石が祀られている。香取のは凸で陽、鹿島のは凹で陰。つまり一対で陰陽を表すと私は考えたがどうだろう。 右は江戸時代の浮世絵の一種で、「鯰絵」(なまずえ)と呼ばれるもの。地震の源である大鯰を抑えているのが「要石」。迷信だが庶民は本気でそう信じた。この周辺は現在でも地震の多い土地柄であり、当時の思考や信仰を、現代のわれわれが非科学的と笑うことは出来ないだろう。<続く>
2018.12.13
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<霞ヶ浦の変遷と二つの神宮> <今回4日間使った切符> 12月2日(日)旅の3日目。目覚まし時計はなぜか鳴らなかったが、幸い5時半には起きていた。この日は東京駅から成田空港への電車に乗る。そのため仙台駅を7時21分発の新幹線に乗る必要があった。函館北斗から来る全席指定だ。コンビニで朝食を購入。その「ホイホーロー弁当」を座席で食す。昼食のパン、牛乳、ミカンは予めリュックに入れていた。 両神宮への交通 東京駅から乗った成田空港行きは快速。成田で銚子行きに乗り換え、香取駅で下車。時刻表を確認すると鹿島神宮線への接続は約1時間後。それでは香取神宮への参拝は無理。その後はさらに2時間後。3時間での香取神宮参拝を即決。鹿島神宮はその後夕方近くの参拝になる。まさかこれほどまで不便な場所だったとは。無人駅でタクシーもおらず、神宮までの2kmは歩くしかなさそうだ。 駅付近の踏切の名が「津の宮」。これでピンと来た。香取神宮の鳥居が霞ヶ浦の湖畔にあり、それに因む名前と判断。たまたまJRのPR誌に両神宮の特集記事があり、その名前も載っていた。少し歩くと、付近には稲荷神社と古墳があった。古墳時代には有力な豪族が住むほど、周辺は拓けていたのだろう。因みに霞ヶ浦付近の地図を載せておく。1)縄文時代 縄文時代の関東地方は気温上昇による「縄文海進」でかなり内陸部まで海水が侵入し、房総半島が当時は島だったことが分かる。2)平安以前 上の図に比較し、かなり水面が後退した。当時の両神宮は「香取の海」の両岸に位置。飛鳥時代は両神宮に戦勝祈願後、船で蝦夷征伐に向かう一群もあり、その途中大洗海岸(茨城)の磯前神社へも寄っている。 藤原氏の氏神である春日大社(奈良)の神鹿は、この鹿島神宮から渡ったとの社伝がある。祭神は藤原氏(中臣氏)の祖と共通。平将門の乱では、この海を舟で渡ったことだろう。なお、鹿島神宮は常陸国の一之宮であり、香取神宮は下総国の一之宮である。3)現代の姿 東京湾に注いでいた利根川が改修工事で銚子へと注ぎ、排水と干拓が進んで現在の地形に変化。昭和40年代まであった土浦ー潮来間の観光航路が姿を消したのが残念だ。 <参考1>香取神宮、津の宮の鳥居と神幸祭。神輿はこの鳥居から出発して神宮へと向かう。あの「踏切」にあった名だ。 <参考2>鹿島神宮の一の鳥居は北浦の中に立っている。香取神宮もそうだが、祭神あるいはこの地の祖先が海(現在は湖)から上陸したことが連想される。今回は歴史と地理の話になったが、私自身の勉強なのでお許しあれ。<続く>
2018.12.12
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<久しぶりの徹夜麻雀> 全員の集合後に改めて乾杯。わずか9人のささやかな集まりだが、気を遣わず楽なのが助かる。幹事部屋で飲んだ酒もわずかな上に下戸なので、泥酔はしなかった。ただし料理は普段と違った内容で量も多く、刺身や絶品のオコゼのから揚げを大半残してしまった。一見勿体ないが、無駄なエネルギーを摂取せずに済んだとも言える。 蒲郡の伝統行事「手筒花火」 懇親会と夕食を終えると、いよいよ主目的の麻雀大会。9人のうち2人は麻雀が出来ず、残り7人のうち3人はメンバーから外れて、半荘が終わるまで待つ。私は最初から抜け、その間に展望風呂へ行った。残念ながらほとんど真っ暗で海は見えなかった。まあ旅の疲れが取れて、体を洗えただけでも有難く思おう。ところが風呂から上がって娯楽室に行っても、ゲームはまだ始まってない。こんなことは初めてだ。 電動卓内に牌(ぱい)以外の物が紛れ込み、それを除去するのに四苦八苦したのが原因の由。それよりもさらなる災難が襲った。なんと他のグループが娯楽室内で煙草を吸い始めたのだ。禁煙なのを無視して4人名ほどがプカプカ。禁煙後30年以上経つ私には嫌いな臭い。それに健康にも良くないと思いつつ、じっと我慢の子だった。 あまり酔ってなかったことや、入浴で余裕があったためか、その夜の私は案外冷静に麻雀が打てた。前年は良く牌が見えずにチョンボ(ミス)をしたこともあって心配したのだが、今回は案外はっきりと見えたせいか徐々に調子が上がり、一時はトップに。このままだと来年は幹事と言われてしまった。これは困った。もうそんな俊敏さはなくなったんだけどねえ。 深夜の2時半過ぎ。他グループの姿は既にない。そこから最後の半荘をやろうという話になり、私も最後の戦いに加わった。これがボロ負けで2位に後退。全体でマイナスにもならず、幹事役も免除。これで来年も気楽に参加出来そう。遅い眠りに就いたのは、朝の4時半ごろのはず。それから2時間半ほど眠って第2日目を迎えた。 朝食を摂り終わると、米寿の長老Sさんは早めに駅に向かった。清算の結果経費は1万2千円ほど。1泊して飲み食いと麻雀を楽しんでそれだけなら安いもの。帰りもバラバラになった。再度竹島へ行った人。蒲郡から各駅停車で帰る人。私はK村さんと豊橋から新幹線の自由席。ずっと話をしていて眠れなかった。彼は老人性の病に冒され、私が昨年離婚したことも忘れていた。 宿の絵 本来第2日目は、埼玉県行田市の博物館見学を予定。さきたま古墳群は数年前に訪れたが、生憎月曜日で博物館が休館していたのだ。だが今回も行くのを止めた。翌朝は早いし、寝不足では危険と判断。ここは自重して一旦家へ戻ろう。そう決めて東北新幹線に乗った。昼食後は大宮から福島まで眠ったまま。やはり正解で、少しは元気を取り戻した感じ。 そうそう、東海道新幹線では、前日観られなかった富士山が車中からはっきり。ほとんど雪がなかったが、きれいな富士で本望。さて仙台駅に着いたその足で量販店に向かい、腕時計のベルトを買い変えた。帰宅後目覚まし時計をセット。翌日の3日目こそ、今回の旅のメインになるはず。その夜は温かくしてぐっすりと眠った私だった。<続く>
2018.12.11
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<蒲郡到着> 豊橋で新幹線を降り、快速で蒲郡へ向かった。愛知県は馴染みがなく、名古屋へ2度、豊橋へ1度行っただけ。走ったのは豊田市の競技場周辺での駅伝のみ。蒲郡は青の丸印。東の渥美半島と西の知多半島に抱かれた三河湾のやや東寄りにある。旧国名は「三河国」で家康の出身地。山岡荘八の大著『徳川家康』は面白かったが、宮城谷昌光の『風は山河より』は途中で読むのを止めた。 蒲郡で降りると駅前広場に巨大なヨットが置かれていた。建造費は数億円もする最新艇で、有名なヨットレースの「アメリカズカップ」に出た本物のようだ。どうやらこの三河湾を練習の拠点にしていたみたい。駅から真っ直ぐ湾に向かって歩いた。「生命の海科学館」や「竹島水族館」があるのは、幹事のHさんが送ってくれた宿のパンフで分かったが、ただ海だけを見に行った。 岸壁から三河湾のごく一部が見えた。写真は右側が蒲郡港で、左側が竹島。何の変哲もない風景だ。ここは工業港なのか、他県ナンバーの大型トラックが何台も駐車していた。引き返す途中に、駅から歩いて来たNさんと遭遇。彼は竹島へ行くと言う。私はそのまま宿へ直行した。これから飲み会とと麻雀大会があり、翌日から3日間旅が続く。ここは体力温存。そして足に痛みが出ないためにも自重だ。 三々五々、仲間が集まって来た。幹事のHさんは岡山から。茨城のTさんは故郷の高知からの帰り。Kさんは東京から。最長老のSさんは、東京から名古屋までバスで来て逆行した由。竹島を見学した富山のTさん、茨城のNさんとFさんも戻って来た。千葉のKさんは第2東名を使って車で来るとかで、1人だけ遅れた。三重のF氏は体調不良で、埼玉のK君はお母様の介護のため欠席とのこと。 それにしても1年ぶりの再会は嬉しいものだ。何とか体調を整え、この日に備えて来た甲斐があったと言うもの。だが、何の予告もなく突然腕時計が外れた。どうやらベルトの付け根から切れたみたい。今日は良いとして、このままでは明日からの旅に支障を来す。その心配を他所に、早速幹事の部屋で飲み会が始まった。酒は岡山の銘酒。私はつまみに買った「笹かまぼこ」を提供した。 夕暮れが近づいたころ、ようやくKさんの車が着いた。朝の8時に千葉の家を出たとか。ゆっくり来たとは言うが、82歳の彼が10時間近くも運転して来たことに驚く。さらに驚いたのは彼の装備。ここ蒲郡の宿が海岸近くだと知って、脱出用のロープなど「避難の準備」をして来たのだ。東海トラフ地震が起きた際の津波に対する備えらしいが、あまりの用心深さに驚く前に呆れてしまった。 5時半、大広間で懇親会開始。ご馳走が並んだお膳が目の前にあった。早速ビールで乾杯し、1人ずつ近況の報告。私が筑波を離れてから既に35年近く。その間に麻雀大会は20回以上開かれ、私も10回近く幹事をやった。北は宮城から南は岡山までを会場とした悪友達の集まり。よくぞこうして会が続いたもの。当時はそれぞれ良きライバルではあったが、利害関係がなかったせいだと思う。<続く>
2018.12.10
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<旅の初日:愛知県蒲郡市へ向かう> <最寄り駅付近の眺め> 11月30日金曜日。旅の初日。この日は愛知県蒲郡市に向かう。目的は筑波勤務時代の悪友達との麻雀大会。宿へは4時半集合のためゆっくりと起き、自宅で朝食。旅の準備は前日のうちに済ませてある。と言っても雨傘、手帳とボールペン、洗面具、その日の新聞、文庫本程度。着替えは靴下1足のみ。翌日には一旦帰宅するため、気楽なものだ。 仙台駅 駅に向かう途中のコンビニでお握りを3個購入。朝はしっかり食べたので、昼は質素で良い。駅への階段で足の痛みを確認。これなら何とか行けるはず。新幹線の車中で新聞の連載小説とめぼしい記事を読了。蔵王連峰に雪はほとんどなかった。県境のトンネルを抜けると福島盆地。吾妻山、一切経山なども雪は少ない。それにしても陰鬱な空。そろそろ東北も本格的な冬の到来か。 福島駅 福島から読書。『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の名著で、大河ドラマ『竜馬伝』の原作。ドラマがあったその年に埼玉のブロ友Cさんから譲ってもらった。不要になったと言う大量の本の中から選んだ一つがこのシリーズ。だが私が読み始めたのは『新平家物語』や『太平記』だった。竜馬はとりあえず大河ドラマを観れば良い。そんな思いでその時はいたのだ。 雲の吾妻山 司馬遼太郎は好きな作家の一人。「街道をゆく」シリーズはかなり読み、それに触発されて旅へも出た。歴史小説、なかんづく幕末期がテーマのものは、彼の作品も含めて熱中して読んだ。本来日本古代史や考古学などの専門書を読んで来た私が幕末に惹かれたのは、幾冊かの漂流記を読んでから。新たな興味をその時期に見出し、正確無比なアーネスト・サトウの滞日記では外国人の観方を知った。 東北新幹線 ただし、司馬の理屈っぽさに辟易するケースもある。直前まで手にした『空海の風景』などはその典型。彼自身仏教関係新聞社の記者だったことや、専攻が蒙古語で東洋史や地誌に明るいことから、表現がくどく、「街道をゆく」シリーズの軽妙さは微塵もない。だがこの『竜馬がゆく』の面白さはどうだろう。幕末期の激動と武士が置かれた状況が生き生きと描かれ、竜馬の人間性と行動が実に愉快。 東海道新幹線 東京駅からは東海道新幹線。途中の豊橋で乗り換えるため、どれが便利かを駅員に尋ね、自由席で行った。重たい東北の空模様に比べ、関東の空はやけに明るい。さて、東海道新幹線の各駅停車に乗るなんて、いつ以来だろう。やけにトンネルの多さが目についた。私が初めて乗ったのは昭和39年。新横浜の西側は田んぼや畑だった。読書に夢中になってるうちに、小田原、熱海、三島などは通過したようだ。 浜名湖 静岡に入っても富士山は雲で見えず、頂上付近の雪が一瞬見えただけ。やがて浜名湖。ここは6年ほど前に湖畔を70km走った。途中の舘山寺で船に乗り、30kmほどワープ。それも大会のルール上許されていたのだが、下船した途端に軽い不整脈。結局ゴールまで走ったが、あれが最後のウルトラレースになった。愛知県に入ると鈴なりの柑橘類。やはり東海地区は温かさが違うみたいだ。<続く>
2018.12.09
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<もろもろの準備> 旅に出る前、いろんな準備をした。中には直接旅と関係ないものもあったが、暮らすためには必要不可欠なものだ。靴下、ヒートティックの下着、手袋、そして冬用のシャツ。それらは来るべき冬に備えてのもの。切符、電池などは旅に出るための準備。電池は目覚まし時計用の「単2」が切れていた。早朝に起きるためにも、普段は使わない「目覚まし」を念のために作動させる必要があったのだ。 週末には大量の食料品を買い込んだ。旅といっても今回は「行きっ放し」ではない。行っては帰り、また出て行っては帰る。そんな繰り返しのもの。だから家に帰った際に、食料がないと困るのだ。カツオの「あら」は塩とレモン汁を振って焼いた。マグロの「あら」は2回分を刺身にし、残りは煮物に。サバは味噌煮にし、ニシンは一夜干しにした。そうそう、まだ年号が定まらない、翌年の手帳も買ったっけ。 一番の準備は留守中のブログを予約機能を使って書くことだった。旅行で家を空けるほか、不調極まりないPCを修理に出すと決めていた。それでPCが戻って来るまでを2週間と計算し、その分のブログを書いたのだ。ひょっとして中のデータが壊れてしまう恐れもあった。それでこの際、PC中の写真の「在庫一掃」を企てたのだった。PCのない日常はのんびりし、案外心地良かったとも言える。 困ったことに予想外の出来事もあった。ある温かい日の午前中、座椅子で転寝をしているうちに変な感触を受け、座布団を枕にしてカーペットに横たわった。ひょっとして強烈な太陽熱で、軽い熱中症になっていたのかも知れない。目覚めた後、眼科へ。「視野検査」の予約日だった。最初の「眼圧検査」の際、技師さんに指で瞼を持ち上げられた。それも左右とも。初めての事態だった。 「視野検査」では瞼にセロテープを張られた。これは変。眼瞼下垂なんて初めてだし、第一原因が不明。だが目はしっかり見えており、ドクターから何の指摘もなかった。問題はその夜。旅行に備えて体操しようとし、無理な体勢を取った際左足に激痛。これは30年ぶりの「肉離れ」か、それとも靱帯を損傷したか。出発まで後3日。「好事魔多し」とはこのこと。これで本当に旅に行けるのだろうか。 極力足に負担をかけないよう注意し、エアサロンパスで患部を冷やし続けた。それが良かったか、痛みはありながらも何とか歩けるほどまで回復。これだと愛知県の蒲郡市に行けるかも知れない。何しろ恒例行事の麻雀大会。かつての悪友たちとの年に1度の再会が、一人暮らしの慰めになっていたのだ。明日はゆっくりの起床で良い。そう思い、安心して床に就いた私だった。<続く>
2018.12.08
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~小さなコレクションから~ パソコン修理用に書いた最後の予約日記です。明日からはいよいよ新シリーズが始まりますよ。どうぞお楽しみに~!! 1)沖縄の泡盛を入れるお銚子カラカラと御猪口(おちょこ)です。デイゴの花が描かれています。なお泡盛は温めて飲むことはなく、コップに氷を入れて割って飲むのが通常です。 2)シーサーのミニチュアです。と言っても第二琉球王朝の王陵である玉陵(たまうどん)の屋根を飾るものの模造で、ずっしりとした重さがあります。自分で買ったのですが、結構高価でした。 3)琉球漆器の茶たくで、月桃の花が描かれています。薬臭い葉っぱですが、私は大好き。 4)琉球漆器のお盆。デイゴの花が描かれています。餞別にいただきました。 5)琉球漆器のお盆です。黄色のハイビスカスが描かれています。 5)の細部です。琉球漆器の赤は豚の新鮮な血を漆に混ぜて出します。 6)沖縄の焼き物で壺屋焼きの抱き瓶(だちびん)。本来は農民が腰に下げた水筒です。 7)韓国の紙箱です。中には布製の鮮やかなコースターが入っていました。 8)インドネシアの人形でヒンズー教の神様みたいです。 9)これもインドネシア製の仮面。ヒンズー教の神像でしょうか。 10)インドの布製のポシェットです。白い象が刺繍されています。 11)オーストラリアの壁掛けです。国立美術館で買いました。 12)オーストラリアの原住民アボリジニの彫刻です。「レントゲン画法」と呼ばれ、体の中の骨まで描かれています。 13)カンガルーの置物(ミニチュア)です。交通事故で死んだ本物の皮で 作られています。シドニーで自分の土産として買いました。 14)ルーマニアの彫刻家が彫った水芭蕉。直接本人から購入しました。 15)オランダの木靴のミニチュア。小さくて軽いのですが、良く出来ています。 16)アフリカの金属製の人形。2体とも農作業をしている感じがします。 17)「マヤ文化展」を観た時に購入したメキシコの布製のポシェットです。 18)これも上と同じ時に買った現地人のお面かな。 <仮面=国立民族学博物館収蔵品> 私は一時博物館に勤務していたこともあり、このような民芸品にはとても心惹かれるものがあります。長期間にわたって予約日記にお付き合いいただき、ありがとうございました。心から感謝しています。
2018.12.07
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~自然の美術館~ お陰様で旅行から無事に帰宅しました。またパソコンも修理を終えて帰って来ました。この分は出かける前に、そそくさと載せたもので何の説明もありませんが、無言の写真館をご覧いただけたら幸いです。 以上、なんにも言わない自然の美術館でした。これで今年の秋ともお別れ。仙台も今ではすっかり寒くなって来ましたよ。皆様もどうぞ風邪など引かれませんようにね。
2018.12.06
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~小さなコレクションから2~ 1)これは金属製のお盆です。銀ではなくきっと錫(すず)だと思うのですが。 2)上のお盆をズームしました。こんな絵が彫ってあります。 3)金属製の容器。きっと上のお盆と対になってるのでしょうね。 4)堆朱(ついしゅ)の菓子皿です。これを入れる堆朱の箱もあるのですが。 5)埋もれ木製の茶たくと茶さじ。仙台の名産でしたが、今は掘ることが出来ない貴重品です。 6)安物のこけしです。 7)こちらのこけしは鳴子温泉系統でしょうか。 8)餞別にいただいた絵皿です。 9)こちらも餞別としていただいた阿波の浄瑠璃人形です。 10)餞別としていただいた色紙です。 11)色紙に布製の人形が張り付けてあります。 12)メノコと水芭蕉がテーマのアイヌ彫刻。台座は屋久杉の根っこです。 13)アイヌ彫刻の定番で、鮭を獲るヒグマです。 14)餞別で頂いた山形の平清水焼の壺です。 15)民芸品の剣玉です。子供の頃は良く遊びました。 16)沖縄で買ったお土産の貝の皿と沖縄の海で拾った貝殻です。 17)これも沖縄で買ったお土産。わらで編んだ財布です。 18)今日の最後は金属製の彫刻。異国情緒たっぷりです。<不定期に続く>皆様お早うございます。旅行から無事帰宅しました。また修理中のパソコンも昨日戻って参りました。留守中のたくさんのコメントありがとうございました。昨日すべて読ませていただきました。新装なった(?)パソコンに戸惑いながら、ぼちぼち復帰してまいりたいと思っています。目下旅行中に撮った写真の整理を急いでいるところです。どうぞこれまでどおりよろしくお願いいたしますね。まずは復帰のご挨拶まで。なお、7日までは予約機能であらかじめ書いていたものです。
2018.12.05
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~在庫一掃の写真展から~ ごめんくださ~い。どなたかおられますか~? は~い、どなたです。いま立て込んでいるんですけどねえ。 それもそのはず、家のなかでは人形たちが相談していたんだよ。 わいわいガヤガヤ。どこへ行こうか、そうだねえ、どこがいいんだろう。 結局はバスに乗って海に行くことにしたんだよ。発車オーライ。 ああお腹がすいた。んんん、それならボクを食べてもいいよ。気の良いアンパンマン。 甘いのがきらいなら、しょっぱいボクでも良いよ。とむすび丸。 海では船に乗ってね、こんな洞窟にも入ったのさ。 そうそう海ではねえ、こんな魚もおよいでいたんだよ。 ほらお土産だよ。ほんとうに美味しそうなクッキーでしょ? ダメだよボクをだましちゃ。それって木のおもちゃでしょ? そこで急に目が覚めたんだ。やっぱり鏡には何も写ってないもんねえ。 これで第1回目のお話はおしまい。パソコンはまだ帰って来ないけど、写真はだいぶ減ったね。 <不定期に続く>
2018.12.04
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~小さなコレクションですが~ 白樺のコースター パソコンを修理に出して久しいのですが、まだ帰って来てません。そこで予約機能を使ってブログを書き、旅に出ました。今日も東京、関東地区に出かけています。ブログは在庫写真を使っていますが、それにも限界があります。そこで今日はわが家にある民芸品などを紹介することにします。貧しいコレクションですが、どうぞご笑覧くださいませ。<亭主敬白> 1)カンボジアの水牛の角で作った彫刻。ヒンズー教の神様です。 2)アフリカの黒檀(こくたん)を彫った彫刻です。ケニアだったかザンビアだったか。 3)インドの黒檀で彫ったインド象です。本来は小さな象牙も付いていたのですが。 4)鬼の顔をした土鈴(どれい)ですが、産地は不明です。 5)福島県二本松市の民芸品で、旅人を襲って食べる「安達ケ原の鬼婆」です。 6)アフリカの民芸品ですが、産地は不明です。左側に長く髪の毛が伸びています。 7)ブラジル産のメノウの台に載った小さな石のウサギです。 8)これがメノウの灰皿の全容です。中に座っているのは中国製のカモの木彫です。 9)アイヌの木彫りです。北海道旅行で買いました。 10)前妻が作ったニワトリの人形。可愛いので捨てずに飾っています。 11)堆朱(ついしゅ)の小箱ですが、材質は木ではないような感じです。 12)単身赴任先の100円ショップで買ったネコ。きっと淋しかったのでしょうね。 13)木の小箱に宝石は入ってません。 14)西洋の古城(左)と沖縄の星砂(右)です。 15)タイ旅行のお土産の錫製のコップ(後ろ)と5円玉で作った亀さん。 17)錫(すず)製のコップのアップです。細かい細工が施されています。 18)こちらは渋い色合いのガラス製コップです。<不定期に続く>
2018.12.03
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~この秋もありがとう~ 仙台の最低気温が4度を下回る日が出て来ました。もう霜が降りる季節です。 11月初めにはまだこんな色だったツタの葉も、今では全部散ってしまいました。 ここは町内会の花壇。11月17日今年も皇帝ダリアが咲いてくれました。 寒かった去年の秋はたった1個咲いただけで、霜にやられて萎れてしまいした。 今年は冬を上手に乗り切ったせいか、成長が早かったんですよ。 お世話してくださったKさん、どうもありがとうございます。でもねえ、残念ながら撮影した翌朝、霜にやられて萎れてしまったんですよ。ここらはきっと地植え皇帝ダリアの北限地なのかもね。 11月初旬、空き家の軒先にノブドウがぶら下がっているのを見つけました。 同じ日、近所の庭で口を開けたアケビを発見。どうも食べないみたいだなあ。 11月初旬の柿の木です。今ではすっかり葉が落ちたことでしょうね。 11月中旬、庭でリンゴを育てている方を訪問。 お願いしたら、庭に入っての撮影を許可してくれました。これは黄色いリンゴ。 小さな苗木を購入し、大事に育てたようですよ。今年で4年目の樹で鈴生り状態です。 砂利を退け、腐葉土や肥料を入れて土を改良し、枝をきちんと剪定して管理。 そんなご主人の愛情があればこそ、こんなに見事に実ったのでしょう。 ほらね。重さで枝が折れないよう、ちゃんと紐で縛って固定しています。 道路の直ぐ傍ですが、誰も悪さをする人はいないみたい。今年は青森で「リンゴ泥棒」が横行してますものねえ。困ったもんだ。 因みにこれはわが家のユズ。実に可愛いもんですよ。 本日は東京、関東へ出かける予定でいます。PCはまだ帰って来ないのですよねえ。
2018.12.02
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~花を育て、植物を育て~ あるところに1人のじいさんが住んでおったんだと。そのじいさんは陰気臭くてのう。めったに笑わないと言う評判じゃったんじゃよ。 家の中も暗くてのう。よくもそんなところで暮らしていて、息が詰まらないもんだともっぱらのうわさじゃったんじゃ。 だがじいさんはそんなうわさなどまったく気にしておらんのじゃよ。 そうしてせっせと世話をしてたのが植木鉢じゃったんだと。 あれほど暖かかった秋も終わりに近づいたころ、じいさんは植木鉢を家の中に取り込んだのじゃ。 そろそろ霜が降りるころ。もしそうなったら寒さに弱い植木はたちまち萎れてしまう。 それでじいさん、あわてふためいて植木鉢を運んだんだと。 良く見えない目をしょぼつかせて、せっせとのう。 弱った足もよろけたようじゃが、それでもなんとか全部の鉢を取り込んだんじゃと。 ある日じいさんは気がついた。シャコバサボテンに蕾がついたのを。 そこでそれらを居間に運んだんじゃと。ケチなじいさんも今年は暖房をつけたようじゃ。そしたら咲いたんじゃよ。こんな風にシャコバがのう。じんさんの喜びようと言ったら、それは大変なもの。 それからというものは、じいさんやたらと写真を撮りおったわ。 安物じゃし、元々大したことない花なんじゃが、じいさんは嬉しかったんじゃなあ。 なにせ前のかみさんが捨てて行った花。じいさんはそれを大事に育てていたようなんじゃ。これでもじいさんの慰めになれば良いんじゃが。 本日は旅行の2日目。愛知県の蒲郡から仙台に向かいます。途中東京で下車するかも。なおPCはまだ入院中です。
2018.12.01
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