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今朝早く出かけて参加した「第58回勝田全国マラソン」(フルマラソンの部)ですが、一緒に行った仲間ともども無事帰宅しました。 結果は4時間25分13秒(ネットタイム:4時間23分41秒)で、マラソン男子総合4180位、男子60歳代289位でした。最高気温13度。フルマラソンの出場者が初めて1万人を突破し、文字通りビッグな大会になって来たようです。 レースの詳細と、留守中にコメントくださった方への返事は、明日書かせていただきますね。朝が早いのでそろそろ失礼させていただきます♪
2010.01.31
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月末になって勝手に引き出された楽天球団の会費がやっと戻った。これで昨秋から借りていた本の代金などを、ようやくSパパ宛に送金出来た。次に会った時に返せば良いとメールして来た彼だが、それでは申し訳ないとの気持があった。長い間お借りして済みませんでしたねパパさん。 書店で「ランナーズ」を買ったついでに、安住洋子著「いさご波」と新田次郎著「アラスカ物語」を発注。前者はしぃさんが薦めてくれた時代小説。後者は新聞記事を読んで興味を引かれたのだが、石巻出身の日本人が主人公の話みたいだ。こちらは文庫本で在庫があった。今後時間をかけてじっくり読むつもり。 今月の給料明細の中には源泉徴収票が入っていた。これは確定申告に欠かせない書類で、来月になったら直ぐに手続きしようと思う。今月は手取り額が少ない。年末年始など休暇が多く、時間単価も引き下げられたせいだ。今回も結構辛抱をしたが、早速乏しいお金を下ろして目的地に向かう。 最初はツーリスト。3月のレース「伊豆大島ウルトラランニング」の船のチケットを購入するためだ。東京竹芝から伊豆大島までのジェット船で、早期購入割引が適用。残るのは新幹線の切符だけになった。その後大会本部から送られて来た資料と比較したら、自分で手配したホテルの方がずっと安い。今年から地元の団体が運営の中心になったせいか、どうも手配が遅いように感じる。そして肝心の「大会要綱」がなぜか入ってない。 次に明日走る「勝田マラソン」のチケットを買いに駅へ。JRいわき駅往復のダブル切符が4000円とお得。そこから勝田までの往復と、帰路の特急券は当日買えば良い。後はレースの準備をする必要がある。明日の現地の気温は12度ほどで天気も良さそう。さて、どんな服装で走るか。そして朝早い出発のため、今日は早めの就寝を心がけよう。 2月のレース「いわきサンシャインマラソン」への足についても何とかなりそうだ。いわき駅到着からスタート時間まで30分ほどしかなく、どうしたら良いかと悩んでいたのだが、M井さん、Y田さん達の骨折りでY田さんの車へ同乗出来ることになった。これで一安心だ。皆さんご迷惑をお掛けしますが、よろしくね~。 今月は今日まで22日間走った。距離は234kmだから1回平均で10kmちょっとの計算。自分としてはまあまあ良く走った方だろう。併せてウォークは毎日で111km。今月は天候にも恵まれたし、体調も悪くはない。明日の目標は先ず完走することだ。そして2週間後にも再びフルマラソンを走る。1年の良いスタートが切れることを祈りたい。
2010.01.30
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昨年の暮れのこと。新聞に載っていた週刊誌の広告には、鳩山内閣は1月中には瓦解するだろうとのショッキングな見出しが載っていた。まさかそんなことはないだろう。私はそう思っていたのだが、報道されるニュースはあまり良くないものばかりだ。いや、日を追って新たな事実が出て来る。小沢幹事長に関することだ。 私が疑問に思うのは、何故彼が先人と同じ轍を踏むのかと言うことだ。彼の師であった田中角栄や、金丸信。彼らは逮捕、起訴され有罪となって政界から去った。それを最も身近で見て来た人物が、同じことを繰り返す理由がどうしても理解出来ないのだ。実力があるのは間違いない。民主党を躍進させたのは偏に彼の指導によるところが大きかったとも思う。その彼が今後、起訴されるようなことになれば、折角の新政権にとって大きな痛手になることは間違いない。 方や鳩山総理の言動も頼りない。お母ちゃまから巨額の資金をもらっていたのを全く知らずにいたことや、沖縄の基地問題に関する見解も茫洋として、国民には一体何を考えているのか分からない。総理が「宇宙人」では困るのだよ。ちゃんと意思が伝わらないと方向性も見えて来ない。誰にでも良い格好をしていると、結局自分の首を絞めることになる。だが良家の坊ちゃんは、そんなことすら気づかないようだ。 国民期待の新政権誕生だったため、現実との落差があまりにも大きく感じるのだろう。健全な政党政治が日本に息づくためにも、今ここでへたばってもらっては困るのだよねえ。海の向こうではオバマ政権も苦労しているみたいだ。景気はなかなか回復せず、失業率は増している。だが相変わらず演説だけは上手いと感心している。 一体トヨタはどうしたのだろう。世界一の自動車生産台数を誇った会社が、今アメリカや中国で大量のリコールを始めたようだ。それも死亡事故を頻発させた原因が部品の不良とは、全くもって論外と言うしかない。これで一段と業績が悪化するのは明白。まさに身から出た錆。日本の技術力も地に落ちたものだ。 話は変わるが、今アフリカのアンゴラでは、荒地に人口20万人の都市造りを推し進めている由。その担い手は中国。建設資金は全て中国が提供し、工事に携わるのもほとんどが中国人とか。その代償に受け取るのは石油。内戦が治まったアンゴラでは、今後豊かな石油資源開発に手をつけることになり、中国はその利権を狙っているみたい。 一党独裁の中国だから可能な投資なのだろうが、民主国家の日本では法手続きも難しく、とてもそんな芸当は不可能。巨大な人口を抱える中国は、鉱物資源や食料を何としても世界的な規模で確保する必要がある。日本を追い抜くのは時間の問題で、いずれアメリカをも追い抜く時が来るのだろう。アメリカが頭越し外交を進めるのを、わが国は指を咥えてじっと見てるしかないかも知れない。 初場所で優勝し、優勝回数が史上3位になった横綱の朝青龍だが、場所中に起こした傷害事件には驚いた。殴られたのがマネージャーではなく、一般の方。そして怪我の程度は鼻骨骨折で全治1ヶ月の重症とのこと。これまでしばしば内館委員に警告されていたが、不祥事が再び起きてしまった。特に品格を求められる横綱だけに、引退勧告も止むを得ない。たとえ示談が成立しても、この汚点は消えないと思うのだが。
2010.01.29
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M井さんは昨年の暮れに足首を痛め、暫く走れなかったようだ。走友会の練習に顔を出してない私は、この文集を読んで初めて知った。走り始めてから10年になる彼だが、故障は初めてだった由。暫く走れなかったため、きっと不安が募ったことだろう。でも約3週間治療と休養したお陰で、見事フルマラソンを完走するまでに復帰。良かったねM井さん。 昨年は100km以上4回、50km以上4回、フルマラソン5回、そしてハーフを1回と、参加レースは全て完走出来たようだ。それでもあまり納得出来ない1年だった由。理由は記録が伸びなくなったことと、漫然とレースに出てると感じたこととか。年齢を重ねても健康で楽しく走れることが大事であることを痛感した彼は、70歳までは走り続けたいと書いている。 K合さんの「インドヒマラヤ100マイル」はA4判18枚に亘る大作で、39枚もの写真が臨場感を醸し出している。彼がリフレッシュ休暇を利用して臨んだこのレースは、インドのバグドグラからさらに奥まったヒマラヤの山麓をスタートし、5日間で100マイル(160km)の山道を走るもの。走った日本人は彼1人で、あとは全て外国人だけ。このためレースの説明も英語だった由。 文章から想像すると、徐々に体を高度に慣らして高山病を防いだのだと思う。目の前に広がるヒマラヤの気高き峰々。そして無邪気に応援する村の子供達。文中に現れるコースの最高地点は3636m。世界一の高峰エベレストも望めたようだ。写真を見ても、彼がいかにこのレースを楽しみ、各国の選手達と交流したかが分かる。「宮城UMC」のランニングシャツがヒマラヤを駆け抜けたと思うと、私たちまでが嬉しく、また誇らしい気分になる。 私がこのレースを知ったのは「立山登山マラニック」でのこと。ここでお会いした香川県のランナーから、このレースに出たと聞いたのが最初だった。「へえ~っ、世の中にはそんな高地を走るレースもあるんだ」とビックリしたが、もっと驚いたのは彼がガンと闘病中だったこと。ヒマラヤの神々しい姿は、きっと彼に生きる勇気を与えたことだろう。 文集の最後を締めるのがU海さんの文章だ。中学校時代以来55年間続けて来たランニング生活を、病気のために昨年から中断している由。そして残念ながらこれまで手伝って来た2つの障害者のスポーツ活動も、中断せざるを得なかった由。それでも彼の文章には全く暗さがない。そして事情が許す限り宮城UMCのデスクワークを手伝い、家庭菜園も続けたいとあくまでも前向きだ。頑張れ~っ、U海さん。みんな応援してますからね~。 人間なら時には怪我や病気になることもある。そして誰しも老化から逃れることは出来ない。だが、トレーニングを重ねて走り続け、若々しい心を保つことは可能。今年も一年練習やレースで、大勢の仲間と喜びを共有したいものだ。9人の仲間が書いた文章から、大きな勇気をもらった私だった。<完>
2010.01.28
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O川さんが書いたのは昨年走った3度目の「佐渡島一周」の完走記。私もそうだが初めて経験する「逆廻り」コースだった。結果は33時間01分の自己新記録。必死になって走った私とは大違いで、あれだけのスピードで駆け抜けてもガス欠した様子は全くない。月間300km以上の練習が、実力発揮の原動力だろう。文体にも滲み出ている彼の優しい人柄。「次は30時間を切るようにね!」。K彦さんからのエールにも、きっと応えてくれるはずだ。 Kさんのテーマは「日本山岳耐久レース」へのリベンジ。24時間以内に標高1000m以上の山を10座以上踏破する過酷な、通称「ハセツネカップ」は、わが国山岳マラソンのトップレースだ。前回負傷のため途中リタイヤしたため、今回は何としても完走したかったと言う彼女の心の強さを知らされる内容だ。夏場からトレーニングのために山を走り、走友から受けたアドバイスを守ってついに成し遂げた快挙。凄いよ~Kさん。見事なチャレンジ精神に拍手!!。 T田さんは昨年26のレースを走ったという。内訳はウルトラ10回、フル8回、ハーフ5回、10km以下3回と実に多彩だ。それに彼は走るカメラマンでもある。距離の長いレースだと200枚もの写真を撮りながら完走してしまうのだから恐ろしい。そしてさらに恐ろしいのは滅法酒に強いことで、NAHAマラソンの前日はほぼ半日間飲んでいたとか。そのエネルギーが文章にも表れ、今回は1人で10ページも書いた。北海道から沖縄に至るまで全国に走友がいるのも人情家である彼の人柄を物語る。 いつも明るく元気なK村さんが「大人になってからの喘息」と診断されたのが昨年の2月。それから彼女の長い戦いが始まったことを今回の文集で初めて知った。ドクターの指示で運動は散歩だけとなり、ひたすら治療と休養に努めておられた由。体力と筋力が落ち、その後出場したレースもほとんどが途中リタイヤに終わったと苦しかった1年を振り返っている。それでも婆ちゃんと一緒に走ろうと練習を始めたお孫さんら家族の応援を励みに、「東京マラソン」に臨むとのこと。真面目な彼女なら、きっと試練を乗り越えるだろう。頑張れ~K村さ~ん!! ところでO川さんの文章にもT田さんの文章にも、K藤さんの名前が出て来る。共に「佐渡島一周」の時の話だ。彼女は第4ASのノートに通過したはずのO川さんの名前がスタッフのミスで載ってなかったことをゴール後に教え、O川さんがすぐさま大会本部に通告したことで完走が認められた由。そしてほとんど一緒に走ったT田さんに対しては、疲労のため姿勢が曲がって来ていることなどを教えた由。彼女の冷静な判断が2人を助けた。2人は当分、この女神に頭が上がらないはずだ。やはり持つべきものは仲間だね。<続く>
2010.01.27
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Eちゃんが「八丈島一周」への同行者を募集していたが、結果はどうだったのだろう。後日、走友会のHPでKさんEちゃんと共に、熟女3人組が「宮古島遠足」100kmを走ったことを知った。H多夫人の復活、K村さんの健闘が嬉しい。もしあの時に知っていたら、「良かったね、オメデトウ♪」と言って上げられたのに、残念なことをした。 古川支部のK彦さんが、今年は「川の道」520kmに初挑戦するとのこと。「走れるうちに走っておかないと後悔するからね。温厚な表情でそう語っていた彼。先駆者DさんがK彦さんに近づいてエールを送っていた。今年はどうやら2人の激走を見せてもらえそうだ。270kmの「さくら道」にもM会長はじめ何人かの仲間が挑戦すると思う。そしてO川さんは今年も「佐渡島一周」へ参加するみたい。 我が宮城UMC軍団はますます強い絆で結ばれるようになったし、会員1人1人も相当強くなったと思う。きっと仲間からたくさんの刺激を受けたせいだろう。挑戦する心や切磋琢磨はウルトラマラソンにとってとても大切なことだ。席を離れて飲んでいるうちに、相当に酔った。飲んだのはビールをコップで6杯ほどと、ワインをグラスで2杯だけなのだが、食べ物が少なかったせいかも知れない。 楽しかった新年会もお開きの時が来た。帰宅した私はうどんを2玉食べ、ブログを開いて1件だけ返事を書いた。だが、それが限界。もう1件の長文のコメントについては、酔って論旨がまとまらないため翌日回しにした。入浴後は布団の中に轟沈。直ちに夢の世界へ入った。 翌日から宮城UMCの「文集」を読み出した。U海さん達が頑張って作ってくれた文集を、落とさず持ち帰れて良かった。文集は今回で11号。U海さんの原稿も入れて、9名の会員が所感を書いていた。1人の会員の想いは小さくても、それが9名分集まると物凄い「重み」になるのが実感出来た文集だった。きっとそれほどの歴史がこの会に備わったのと同時に、個々のランナーが成長した表れだと思う。以下に概要を紹介したい。 M会長の所感には「歴史」を感じた。走り始めて40年。最初の頃はシューズすら満足なものではなかった由。そして「市民ランナー」もいなければ、出場できる「レース」もほとんどなかったとのこと。そんな凄まじい条件の中で、彼は強くなるために必死で練習を重ねて来たのだ。初期の頃のレースの模様を興味深く読ませてもらった。仙台の市民ランナーの先駆けだったAさんの話には特に驚いた。 Dさんは昨年初挑戦した「川の道フットレース」を紹介している。あの時私は走友を応援する目的で主催者のHPを見ていたのだが、出場者としての彼の名前を発見してビックリしたものだ。腰やアキレス腱の痛みと戦いながらのレースだったとの報告で、520kmもの超長距離レースの過酷さを改めて知らされる。 最後に彼はこう結ぶ。「ウルトラマラソン完走には、走力(スピード)よりも走法(無理、無駄が無い省エネ走法)、頑張ることよりレースや景色を楽しむ余裕が大事だということが良くわかった辛くて楽しいチャレンジであった」。どうやら極意をつかんだようだ。かつて「佐渡島一周」を走った時にニセコさんが言った言葉を思い出す。「川の道は楽ですよ。だってゆっくり走れば良いんですから」。そんな達観の境地に辿り着くことは、私にはとても無理な話だが。<続く>
2010.01.26
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先週の土曜日は夕方から宮城UMCの新年会があった。このため午前中にはブログを書き終え、午後から走りに行く。時間的にみて23kmのコースが適当と判断。薄手の長袖シャツと薄手のタイツ。そして手袋と帽子。水が入ったペットボトルは持たずに出かけてみた。ちょっと涼しい服装だが、走り出せばそう寒くは感じない。 隣の市の坂道を登っていると、坂の上から走って来た女性ランナーが私に声をかけた。何と同じ走友会のT脇さん。これから練習会のスタート地点である体育館まで走って行くとのこと。へえ~。彼女はいつも練習会へ走って行ってたのか。そして今夜の新年会にも出るようだ。「また後でね~!!」。さわやかな笑顔で彼女は去って行った。 山を下り名取川の堤防を北上し、再び左岸に出る。すると前方から4人の集団。何と偶然にも我が走友会のメンバーに会ってしまった。F会長、Dさん、先ほど会ったT脇さんにY広さん。「また会ったね!」。「また後で!」手を振ってにこやかに別れる。寒い道だが心が温まる。2時間半ほどで帰宅すると、家には鍵がかかり愛犬の姿も無い。どうやら私の留守中に妻が帰宅し、全て鍵をかけて散歩に出かけたようだ。 うひゃ~。これはピンチ。風邪を引くのも心配だが、果たして新年会へ行くのが間に合うか。まだ寒さは感じないが、薄手のシャツ1枚ではそれも時間の問題だ。そこへお向かいさんが買い物から帰宅。私のただならぬ様子を観て、事情を察したようだ。急いでストーブを点け、私を招いてくれた。これはありがたい。暖かいコーヒーとバームクーヘンで一息つく。 「奥さんが帰ったようですよ」とお向かいさんの奥様が教えてくれたのはそれから間もなくのこと。丁重にお礼を述べて帰宅し、大慌てで着替えバス停まで急いだ。危ない危ない。何とか時間前に会場へ辿り着く。入口付近で長老のO原さんとバッタリ。多分1年ぶりの再会だ。中に入ると既に半数ほどの会員が揃っていた。まず会費を支払い、「文集」を受け取って席に落ち着いた。 顔見知りの会員がほとんどだが、中には全く新しい方も何人か混じっていた。その分懐かしい顔が幾つか見当たらない。怪我をしたと聞いたH夫人も元気な顔を見せた。これは嬉しい。昨年暮れ、我が走友会に入会したばかりのS田夫妻は初参加。仙台明走会や住吉台走友会の方々、さらに古川支部の強力メンバーも揃った。T田さんと男同士の熱い抱擁。 Kさんから「秋保夢舞マラニック」の申込書を受け取り、記入後S間さんに提出。これで4月の参加レースは決まった。次にM仙人に2月にある「いわきサンシャインマラソン」について聞いてみた。仙人の車は8人乗りだが、空席はあと1つ。それもA山さんが乗る可能性があるとのこと。これは困った。その時「Y田さんも車で行くはずよ」と誰かが教えてくれた。そうだ帰ったらY田さんにメールしてみるか。 ここで突然のハプニング。何と福岡に赴任中のK合さんが新年会の会場へ現れたのにはビックリ。奥様が1泊旅行に行ったため、愛犬の世話係として急遽帰宅した由。それが新年会と同じ日とはまさに奇遇。 M会長の挨拶の中で事務局長のU海さんが目下闘病中であることが紹介された。ここには来れないが、今回も頑張って「文集」をまとめてくれた由。U海さん本当にありがとうございま~す。そして、病気に負けずに頑張ってくださ~い!! 機知に富んだK合さんの乾杯の音頭を皮切りに、一気に懇親会に突入した。<続く>
2010.01.25
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5月か6月に「エンジョイジョガーinみちのく」が仙台近辺で開かれるはず。30km程度のマラニックだが、例年楽しいコースが選ばれるのでぜひ参加したい。 7月 釜石市~遠野市~北上市単独マラニック(岩手県:75km程度) 7月はレースに出ず、リュックを背負ってのジャーニーランを楽しむ予定。釜石市は太平洋に面した港町で製鉄の街でもある。前夜に1泊し、海抜数mの海岸から標高1000m近い仙人トンネルを越えて民話の街遠野市へ出る。ここでも1泊する予定。翌日は山道を北上市に向けてラン。北上からはJRで帰宅。コースは厳しいようだが景色は素晴らしいと思う。 8月7日(土)薬莱山とお足マラニック(宮城県:55km) 宮城UMCの合同練習会。深夜3時に仙台市体育館を出発し、ゴールの薬莱山薬師の湯まで練習で走る。ゴール後は温泉と懇親会が待っている。40名以上参加する楽しいマラニックだ。出来れば蔵王エコーラインの練習会や蔵王連峰林道練習会へも参加したいが、無理な場合は単独での長距離練習走を予定。 9月 秋田内陸ウルトラマラソン(秋田県:100km) 昨年は「佐渡島一周」、また一昨年は直前の怪我で不参加だったため、今年は実に5年ぶりの参加だ。標高700mほどの大覚野峠を越えれば美しい渓谷が楽しめ、お年寄り達の熱い声援が待っている。制限は13時間なので完走は難しそうだが、行けるところまで行く作戦。夏場の厳しい練習は全てこのレースに向けてのもの。 10月 未定 候補レースは「湯のまち飯坂ふくしまマラソン」(福島県:フル)、東山温泉もみじランニング(福島県:50km)、「いわて北上24時間走」(岩手県)。このうちどこを選ぶかはその時の体調と予算次第だが、12月の沖縄行きに向けてあまり無理は出来ないかも。 11月は参加レースなしで、練習だけの予定。理由は悪友達との麻雀大会があるのと、翌月のNAHAマラソンの経費を蓄えるためだ。 12月5日(日) NAHAマラソン(沖縄県:フル) 昨年は出走者が3万人を超えたというマンモス大会で、沿道には応援の人と私設エードステーションがずらりと並ぶ楽しい大会。私は過去10回参加し、9回完走している。(1回は疲労骨折のため、中間地点でリタイヤ)今回は前日に南部を30kmほど走り、3年越しの沖縄本島一周を達成させる予定。気温が高くなる可能性もあり、6時間15分の制限時間を目一杯楽しもうと思っている。 まあこんな具合で、今年のレースは最高で100kmまで。数度試みるジャーニーランと併せてじっくり走り込みたいと思っている。ともあれ元気で一年間を過ごしたいものだ。
2010.01.24
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今夜は宮城UMC(ウルトラマラソン・チャレンジクラブ)の新年会がある。そろそろ今年のランニング計画について記すころかも知れない。先ず今年のモットーだが、「ペースを守り、自分なりのジャーニーランを楽しむ」ことを目指そうと思っている。 ウルトラマラソンには幾つかの条件がある。走力(長い距離を走るため)、経済力(遠くまで出かけるとお金がかかる)、家庭内の理解(長い間家を留守にするため)、職場の理解(休暇をもらうため)などがそうだ。そして何よりも、自分自身のチャレンジ精神が無くなったら走ることは不可能だ。 基本的にはレースを少なめにし、ジャーニーランを増やそうと思っている。また極力お金のかからないレースを選び、資金を蓄えてパソコンを買う準備をしようとも。それらのことを考えた結果以下の計画になった。もちろんこれは予定であり、若干の変更はあるかも知れない。 1月31日(日)勝田マラソン(茨城県:フル) 昨年の1月は「東北ブロック新春マラソン」(フル)に、また一昨年は「宮古島ワイドー」(100km)に出た。今年は仲間が大勢参加する勝田へ3年ぶりに出ることにした。会場へはJRの各駅停車を乗り継いで向かう。スピード練習を全くしてないため、記録は期待しておらず、サブ5で完走出来れば十分。4回目の参加。 2月14日(日)いわきサンシャインマラソン(福島県:フル) 今回が第1回の大会で、フルの参加者は3千名に限定とか。熱望している「東京マラソン」が4年連続で落選したための代用。これもJRの各駅停車で会場へ向かうが、いわき駅で下りてからスタート時間の9時に間に合うかどうかが問題点。駅からタクシーになるか、それとも連絡バスでも大丈夫か?走る前にそれでハラハラするだろう。初参加。 3月27日(土)伊豆大島ウルトラランニング(東京都:100km) 標高764mの三原山へ登り島を1周する、結構厳しいコースのようだ。制限時間は14時間なので、私の場合はギリギリかも。レースのエントリー料は払った。旅館へ2泊する予約も済んだ。残るのは東京竹芝桟橋から伊豆大島へのフェリーの乗船予約。伊豆大島では椿がまだ咲いているか。そして三原山のご神火はどうか。いずれにしても楽しみな初参加だ。 4月25日(日)秋保夢舞マラニック(宮城県:31km) 仙台明走会と仙台郊外にある秋保温泉のホテルとのコラボレーションで実現したマラニック。コースは高台にあるホテルから秋保大滝を往復する31km。途中何箇所かに給水所があるとか。ゴール後は温泉にも入れるし飲み放題のビールもあるみたい。レースではなくレジャー感覚の練習会と思って大いに楽しむつもり。初参加。 5月16日(日)仙台鉄人会10時間走(宮城県:10時間走) 台原森林公園が会場で、1周3kmのアップダウンのきついコース。地下鉄の始発で行っても10分ちょっとスタート時間に遅れるのが私にとっては玉に瑕。エントリー料金も安く、アットホームな雰囲気で楽しめ、しかもウルトラの練習には最適の時間走。ここで10時間走り切れれば100kmの完走は間違いないはず。ボランティアも含め、今回で8回目の参加。また5月は連休を利用して、少し長めのマラニックを予定している。 6月13日(日)いわて銀河(岩手県:100km) 岩手県の山間を走るコースの途中には、花巻温泉街、ダム湖、5つのトンネル、ビール工場などがあって楽しめる。ゴールでは岩手山の雄大な眺めが待っている。制限時間が昨年から14時間に延びたため、私のように遅いランナーでも完走が望める大会になった。前年中にエントリーすると、ゴール後に2千円が戻る制度も嬉しい。大自然と付き合う一日。4回目の参加。<続く>
2010.01.23
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いやはや参った。天気は一変して冬に逆戻り。仙台では昨夜から猛烈な風が吹いている。風の音が物凄く、かつ体感温度はかなり低く感じる。今朝の巡回では屋上で帽子を飛ばされそうになったし、帰宅ランでは何度もトイレに行きたくなって困った。だが愛犬の様子に変化は無く、嬉々として散歩について来る。 その強い風に乗ってサルが島に渡ったと聞いたら驚くだろうか。科学雑誌ネーチャーの電子版に面白い論文が載ったそうだ。アフリカの東部、インド洋上に浮かぶマダガスカル島の動物達は、これまで太古アフリカから「陸橋」を渡ってやって来たと考えられていた。だが、もしそうだとするとこの島に4種の哺乳類しかいないのは変だと考える研究者が出た。 新しい学説は動物達が嵐の時に丸太などの漂流物に乗ってこの島に辿り着いたというもの。風は現在東から西、つまり島から大陸に向かって吹いている。だが5千万年前はアフリカ大陸もマダガスカル島も1600km南に位置し、海流は西から東に向かっていた由。その海流と風に乗れば、約3週間かかって430km離れた島に上陸出来たそうだ。 5千万年前に先ずキツネザルの仲間が到着し、その後数百万年の間隔でハリネズミの仲間、マングースの仲間、ネズミやリスの仲間が次々に到着したと考えると、遺伝学的にも生態学的にも理屈に合うらしい。小型の哺乳類は代謝が低く、さほど多くの食べ物や真水が無くても、数週間は生存出来るのが理由の一つ。 マダガスカル島にやって来た動物達は、どんな思いで漂流していたのだろう。「針の山」を飛び跳ねたり、横っ飛びで移動するマダガスカル島の愉快な原猿類達。まさか彼らの先祖が遠い昔、遥々海を渡って来たとは意外だった。南アメリカ大陸のサルについても同様の立証が可能か研究するのが今後の課題とか。 さて、’09年の中国のGDP(国内総生産)総額が約460兆元(33兆5300億円)となり、間もなく日本を抜いて世界2位になるとか。対前年比は8.7%も伸びている。先日の発表では自動車の生産台数が世界一になった。まさに風に乗る勢いとはこのこと。だが、同時に中国は国際社会から様々な要求を突きつけられている。 中国元の切り上げ然り。温室ガス削減の国際的検証然り。レアメタル輸出制限の緩和然り。最近ではGoogleが中国政府のネット監視政策に反発して撤退の動きを見せた。日本で問題になった「毒餃子問題」はいつの間にかうやむやになったし、共同開発が提案された東シナ海の石油発掘もなしのつぶてのまま。巨大国家中国の行く末が恐ろしい。 昨年の参議院選挙では風に乗って大躍進を遂げた民主党だが、目下鳩山総理と小沢幹事長の政治資金疑惑で開会されたばかりの国会はもめている。明日23日はようやく小沢氏が東京地検の事情聴取に応じるようだが、その結果次第では政局が大混乱に陥る可能性がある。風は順風から逆風になり、やがて嵐にならないことを祈りたい。
2010.01.22
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昨日の「大寒」は全国的に暖かかったようだ。夏日だった石垣島は別としても、北国の仙台では夜の8時で13度以上あったみたいだ。そして今朝の4時現在でも、まだ気温は11度以上あったとか。これは5月の陽気。異常とも言える温度のせいか、はたまた老化によるボケが始まったか、愛犬が時ならぬ時間帯に吠え出した。 そのボケで思い出すのが昨年大晦日の紅白歌合戦。たまたま観たのだが、司会の仲間由紀恵と審査員の森光子の会話がまるでかみ合っておらずゾッとした。舞台俳優の森は89歳。当たり役の「放浪記」への連続出演記録が話題になっているが、あの時の表情と会話はボケ老人そのもの。はっきり言えば人様からお金をもらうにはかなり無理がある。 昨日久しぶりに学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏をテレビで見かけた。かつての名番組「クイズダービー」では、さっぱり当たらない回答者として有名だった彼も現在76歳。目下ALSと闘病中のようだ。「筋萎縮性側索硬化症」と訳されるその病気は進行性の神経変性疾患で、全身の筋肉が衰え、最後は呼吸筋の麻痺によって死に至るとか。 この病気の特徴は体が異常な状態でも脳の働きは正常であること。篠沢先生も会話は出来ないが、奥様との意思疎通は出来ていて本の執筆中だった。イギリスの天文学者ホーキング博士も確かこの病気だと記憶している。彼の場合は僅かに残ったまぶたの筋肉を動かすことで、自分の意思を伝えていたはずだ。 今日本では頭の中で念じただけで動かせるロボットを開発中とか。これは微弱な脳波を感知してコンピュータを搭載したロボットを操作する仕組みのようだ。もし体に障害があっても脳の機能が正常の場合、その力を最大限に引き出せれば生活にも役立てることが可能になる。 昔イエス・キリストの弟子の1人にパウロと言う人がいた。彼はイエスの死後キリスト教の伝道者となるのだが、一説ではてんかんの患者ではないかと言われている。てんかんは脳の器質的な障害が原因で発作を起こすが、彼が何度か見たという超常現象は発作の際の幻覚と考えられる由。つまり脳波の異常が幻覚を引き起こしたわけだ。難病と考えられていたてんかんも、今では薬で簡単に発作を抑え、正常な生活が可能になった。 最近女性問題が話題になったばかりのタイガーウッズだが、彼が病気だったと聞いて驚いた。病名はセッ○ス依存症。依存症の対象としてニコチン、アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲームなどがあるのは知っていたが、まさか女性好きが病気だったとは。目下ミシシッピ州の病院で治療中のようで、医者からは自ら慰める行為も含め一切の行為を止められているとか。 病気の原因は過度のストレスみたいだ。セッ○スにはストレスを和らげる効果があるのだろうが、彼の場合はきっとストレスが尋常のものではなかったのだろう。人間とは不可思議な生物。正常と異常の間には、とてつもない広さがあるのだと思う。どこまでが正常でどこからが異常かは、神ならぬ身にはとても判断することが困難だ。
2010.01.21
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トイレの夢を見つつ朝方目が覚めるこの頃だが、今朝は窓ガラスが凍ってなかった。仙台は昨日も今日も最高気温が10度以上だった。これは3月下旬の暖かさとのこと。第1現場では防寒着を着ずに立哨した。手は冷たかったが、体全体が冷えることはなかった。第2現場でもジャンバーを着ることなく、公園の掃き掃除をした。 帰宅ランでは、久しぶりに汗をかいた。山道の雪もほとんど解けていた。ただ、博物館前の池には青々とした氷。ここはわが国のアイススケートの発祥地と伝えられる場所。他に凍結した箇所が無いのに、ここだけ分厚い氷が張っているのが不思議でならない。帰宅後、畑から大根を掘り出す。これは妻が酢漬けにするとか。白菜も1株採ったが、これはどんな料理になるのだろう。 この暖かさにつられたのか、珍客が現れた。先ず県北部へは丹頂鶴。これは数十年ぶりの来訪らしい。市内には「鶴が谷」とか「小鶴新田」の地名があり、かつては鶴の姿も良く見られたのだろう。そして岩手県の宮古市にはアザラシの赤ちゃん。田老川にいたためタロちゃんと名づけらたこの子は群れからはぐれ、少し衰弱してたため専門家のいる松島水族館に移送された。体力回復後は再び海に戻されるとか。 一変して次は冷戦の話。大相撲二所ノ関一門から破門された貴乃花親方だが、彼を支持した6人の親方衆も昨日一門から破門同然で追い出されたようだ。現役の四股名は大関の貴ノ浪、関脇貴闘力、小結隆三杉、関脇益荒雄、横綱二代目若乃花、十両大竜。皆懐かしい力士ばかりだ。 貴乃花親方の父だった大関初代貴ノ花は各界では有名なガチンコ相撲だった。つまり唯一八百長をやらなかった力士で、親方になってもそれを守った。貴乃花親方が掲げる改革案がどんな内容かは知らないが、そのことと関係があるような気がしてならない。 理事に当選するには10票必要なため、極めて困難な見通しのようだ。それに、かつて一門から破門されながら理事に当選した大関前の山に与えられたポストは閑職だったとか。たとえ貴乃花が当選しても冷遇されるのは目に見えており、改革に結びつくかは不明だ。「波紋」が「破門」につながった今回の事件だが、今後事態がどう推移するのか。 冷戦と言えば東京地検特捜部と民主党の駆け引きも風雲急を告げている。同党では「石川議員の逮捕を考える会」が開かれる一方、「捜査情報漏洩問題対策チーム」が設置されたとか。これは特捜部に対する政治的な圧力になり得ると思う。小沢幹事長には公務員改革の一環として特捜部の組織を解体する意向もあるようだ。 千葉法務大臣は明確に「指揮権発動」を否定してないようだし、民主党内の女性議員が中心となって、法務大臣に不当逮捕を訴える動きも出ているとも聞いた。「おいおい大丈夫かよ」。「偽メール事件」では永田議員が自殺し、当時の前原代表は責任をとってその職を辞した。小沢氏の無実を信じたい気持は分かるが、捜査に影響を及ぼすような暴挙は厳に慎むべきだと思うがいかがか。 もし「幹事長逮捕」や「指揮権発動」の事態になれば、民主党から民意が離れるのは必定。自民党に代わる清新な政治を期待された民主党だが、今の状態はやはり異常だと思うし、危機管理能力が乏しいように感じてならない。貴乃花親方も民主党も折角振り上げた拳を下ろすような事態にならないないことを切に祈る。
2010.01.20
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元プロ野球のピッチャーだった小林繁氏が亡くなった。江川卓の巨人入りにからんで、電撃的に阪神へトレードされた「空白の一日」はあまりにも有名な史実だ。「何も自分が阪神へトレードされる筋合いは無い」。本来ならそう訴えることも出来たろうし、世間の同情を一身に受けた彼だが、あの件について一切愚痴を言わなかったとか。 そして、その年は22勝の最多勝を挙げ、かつ自分を江川の身代わりとして放出した巨人には8勝0敗の成績だった。黙ってはいたが、彼にも意地があったのだろう。そしてその数年後に31歳の若さで引退した。そのシーズンでさえ13勝を挙げたと言うから、何も辞める必要はなかったと思うのだが、きっと彼のプライドが引退の道を選ばせたのだろう。 さて、今日の本題はそのことではなく、彼の死についてだ。死因は心不全。享年57歳とはあまりにも若過ぎる死だった。その前日、彼は福井の自宅で背中が苦しいと訴え、奥様が背中をマッサージした由。だが翌日彼は帰らぬ人となった。近年は日ハムの2軍ピッチングコーチを務め、今シーズンからは1軍のピッチングコーチに昇格したばかりと言う。頑健な身体を持った彼が、どうして死んでしまったのか。 話は変わるが、昨年の東京マラソンのレース中に、お笑い芸人の松村邦洋が11km地点付近で倒れた。心肺停止状態だったと言う。だが幸運なことには医師団が近くにいて、直ちにAEDを使用して心肺蘇生を受けると共に救急車で病院に運ばれた。結局はこの素早い処置が良くて、彼は死の入口から舞い戻ることが出来た。彼の場合は肥満が心臓に極度の負担をかけたのが原因のようだ。 AEDとは「自動体外式除細動器」と訳され、停止した心肺機能を電気ショックで復活させる装置のことで、最近は結構多くの建物に備えられるようになった。もしもの話だが、小林氏が倒れた自宅の近辺にこの装置があり、直ちに起動させられたら助かる可能性があったかも知れない。 私達は警備員としての半年に1度の研修で、しょっちゅうこの装置の使い方を実習する。先日私達の上司が街中で倒れている人を発見してAEDを操作し、救助したと研修で聞いた。大勢の人が見ている中で正しく装置を操作し、かつ人工呼吸や胸骨圧迫を施すのは大変な勇気が要ると思う。冷静な判断と適切な処置が、1人の人を死から救うことになるのだ。 そのAEDが私が勤務するビルにも昨日設置された。本当はこの装置が使用されない方が良いのだが、万が一ビルの内外で倒れた人が出た場合は、臆することなく救助に向かいたいと思っている。そのためには装置に習熟することが必要で、今日は早速新しいAEDを開いて説明書を読み、実物を手にとって見た。 先日の研修では地震対策関係の映像も観た。実はこれは私の要望だった。30数年に1度の周期で繰り返される「宮城県沖地震」の発生が、今後確実視されるからだ。AEDの操作もそうだが、常に災害を意識し、自分がどう行動するかをシュミレーションしておく必要がある。死も災害も、案外私達の身近で待機していることを忘れてはならない。備えあれば憂い無しだ。
2010.01.19
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高校生の頃だったと思うが、「エジプト人」と言う映画を観たことがあった。覚えているのは奴隷がピラミッドを造る工事に駆り出されているところと、ピラミッドが完成した時に内部の構造がばれないよう、工事の関係者をピラミッド内に閉じ込めるシーンだった。砂がまかれた斜面を大きな石が滑り落ちて入口を閉める際の恐怖は、相当なものがあった。 長い間奴隷が築いたとされたピラミッドが、農民を主体とする労働者によって造られたとの説を打ち出したのが早稲田大学の吉村先生だった。土曜日の夜に放送される「世界不思議発見」は私が好きな番組だが、先生がその証拠に挙げたのがビール。何と工事に携わっていた人々がビールを飲んでいたことが確かめられたとのこと。奴隷ならビールを与えられるはずはない。 「へえ~」、と言うのがその時の感想だが、最近になって新たな証拠が発見された由。それは「労働者の墓」と記された標識と墓で、ピラミッドからさほど離れてない場所に墓があったようだ。もし奴隷ならわざわざ墓を造ることもしないだろう。そして今回は「パン工場」も見つかった由。ピラミッドからさほど離れて無い場所に集落を作って、労働者達は家族と暮らしていたのだ。 王の命令でピラミッド建設に従事していた労働者は、案外安定した生活を送っていたのかも知れない。そうでなければ「パン工場」があったり、労働の後でビールを飲み、家族と過ごすことも出来なかったと思う。過酷な条件で奴隷によって造られたと思われて来たピラミッドが、王のために喜んで造られたとなれば古代エジプトのイメージは相当変わってこよう。 国内では、奈良県桜井市の茶臼山古墳から大量の銅鏡の破片が出土した。分析の結果少なくとも13種81面分の鏡に相当するとか。同古墳は3世紀末から4世紀初めにかけて築造されたと考えられる前方後円墳で、注目されるのは魏の皇帝から卑弥呼が贈られたとされる「三角縁神獣鏡」が多数混じっていることだ。 この古墳は卑弥呼の墓とされる箸墓古墳にも近く、かなりの権力者がこの周辺に存在したことは確か。卑弥呼が鏡をもらった魏の年号正始元年(西暦240年)銘の銅鏡も出ていることから、墓の主が倭の国王に相応しいと考える研究者も多く、今後邪馬台国と大和王権の関係を解き明かす鍵となる可能性が高いようだ。 巨大な前方後円墳を造営するには相当の労働力を必要としただろうが、当時そんな大勢の奴隷がいたとは考え難い。工事に従事したの人は、果たしてどんな暮らしをしていたのだろうか。きっと辛い作業だったのだろう。ともあれ、奈良盆地の場合は地面を掘れば、必ずと言って良いほど遺跡が現れると言うのが凄い。 それにしても奈良県は不思議だ。平地は奈良盆地を中心にしたほんの僅かばかりで、東西には山が聳え、南部には広大な紀伊山地が横たわっている。良くそんな地形の場所に都が置かれたと思うのだが、百済や新羅からわが国にやって来た朝鮮半島の渡来人にとって、明日香周辺は故郷に良く似た地形だったそうだ。 エジプトでも日本でも、墓に眠る主の敵は墓盗人。彼らによって荒らされた墓は多数に上る。きっと墓の内部に立派な宝物が副葬されていたことを知っていたのだ。そのことも含め、往時の暮らしぶりを科学的な見地から再現する考古学とは、何と面白い学問なのだろう。
2010.01.18
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元第2現場のビルが取り壊されてから既に3ヶ月が経過した。今は地下2階部分を壊している途中だ。それもダンプカーが駐車するスペースを除いてのものだから、当分工事は続きそうだ。そんな頑丈なビルを取り壊すのは、耐震の基準が古いからだそうだ。へえ~っと思う。確かに壁からの雨漏りなどはあったが、鉄骨や鉄筋が入った躯体は、とても丈夫そうに見えるからだ。 高層ビルを建てる時に使うクレーンは、一体どんな風にして上に伸びて行くのだろう。話によれば少しずつ継ぎ足して伸ばすみたいだが、メカに弱い私にはなかなか理解出来ない。そのクレーンを建物完成時にどうやって下まで下ろすのかも疑問。もちろん少しずつ分解して下ろすのだろうが、それにもクレーンが必要だろうに。 アラブ首長国連邦のドバイに完成した世界一高いビルは800数十米。エレベーターの速さは時速40kmと言う猛スピードとか。それはともかく、元々砂漠で砂地のところにそんな高層ビルを建てられることが、ど素人には不思議でならない。800mを超える高さのビルなら相当の基礎工事が必要だろうが、砂地でも大丈夫なのかと素人はここでも余計な心配。 15年前の阪神淡路大震災の時は驚いた。大きなビルが倒れ、高速道路が波打って、途中から破壊されていた。その先端に辛うじて停まっていたバスの映像を、今でも思い出す。当時私は四国の松山にいた。それでもかなりの振動を感じた。犠牲者は6434人だった由。そして4月に転勤した大阪の職場でも、かなりの被害が出たことを知った。 典型的な地震国の日本では、地震に対する備えが万全だとばかり思っていたのだが、直下型地震の前では一たまりもなかった。あれが元になってビルの耐震基準が見直された。我が家を建てる時もそのことを意識し、木造から軽量鉄骨プレハブ構造へ変更した。ここ仙台はほぼ30年毎に発生を繰り返す「宮城県沖地震」の震源地に近いからだ。前回の地震当時私達は沖縄にいたため本当の怖さを知らないが、果たしてどれだけ被害が出るか心配している。先日起きたハイチの大地震では、死者が約20万人に達する見込みとのこと。大統領府の建物が破壊し、大統領すら住む家がないとの報道には驚いた。さらに驚いたのが賄賂の常習化によって、建築工事の手抜きが長年看過ごされて来たことだ。満足な建物がないほど破壊尽くされた首都ポルトープランスの街。 郊外の住宅地はさらに悲惨で、谷あいの急斜面に建てられた住宅のほとんどが谷底に落下した由。ハイチも地下で2つのプレートがぶつかるところのようだが、被害が出てない隣国のドミニカとの相違点は、首都の傍に大きな断層があることだそうだ。今回の地震は阪神淡路と同様の直下型地震。それが手抜き建築の建物に大きな被害をもたらしたのだ。天災と人災が合わさった複合災害と言えようか。 中国が早速救援隊を派遣した。ハイチはこれまで中国との外交関係が無く、台湾を承認して来た。中国のいち早い対応は、ハイチの信用を勝ち取るための戦略とか。インド洋での海上自衛隊による給油活動中止後に中国海軍が引継ぎを検討しているのも、重要な海上交通路を抑え影響力を強めるためとも聞く。地震国日本がこれまで培ったノウハウを、他の被災国で生かす手立てを早急に執る必要があるように思うのだが、対応の遅れが目に付いてならない。
2010.01.17
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民主党小沢幹事長の元秘書ら3人が逮捕された。うち1人は現職の代議士だから大問題。それも民主党の党大会の前日の逮捕劇に驚く。容疑は政治資金規制法違反。今後の取調べに伴って事実が解明されると思うが、民主党の方は全面対決の姿勢を打ち出した。鳩山総理が小沢幹事長の主張を信用し、強行突破を図るようだ。 東京地検特捜部は幾つかの証拠を握っているみたいだ。だが3人の秘書、元秘書らは罪のすべてを認めてはいない感じ。今後事件がどう展開するかは全く不明。民主党が言うように、今回の逮捕劇が民主党を押さえ込むための暴挙なのか、それとも検察が確信する重大犯罪が立証されるのか。 総理が幹事長を庇って強行姿勢を打ち出したからには、もし容疑が事実となった際の民主党の打撃は相当なものだろう。それにしても自民党の旧弊を嫌って飛び出し、新党を結成した彼らがこのような状況ではどうしようもない。田中角栄の政治団体越山会と小沢氏の政治団体「陸山会」は、名前の付け方からして良く似ている。かつての親分の手法を真似た子分まで捕まらないことを祈る。 どろどろした政治の世界に比べて、スポーツ界の話題は爽やかだ。大相撲では大関を史上最多の65場所勤め上げた千代大海が引退した。今場所陥落して関脇に落ちたが、10勝を挙げれば再び大関にカムバック出来るルールだったのだが、大関魁皇に破れて3連敗したところで引退を決意。突っ張りが得意の押し相撲も、とうとう力尽きたようだ。長い間ご苦労さんと言って上げたい。 その大関魁皇は幕の内勝利回数の新記録を作った。これまでの記録は千代の富士の807勝。千代大海に勝ってこの記録に並び、翌日あっさり記録を更新して単独1位となった。37歳の高齢だが、良く頑張ったと思う。別な意味で頑張っているのが元横綱の三代目貴乃花。二所の関一門を離脱しての協会理事への立候補とか。相当の決意で選挙に臨むようだが、果たして大相撲界の旧弊を絶つことが出来るだろうか。 アースマラソン中の寛平ちゃんがお正月にイスタンブールでメディカルチェックを受けていたことは前にも記した。検査の結果、前立腺がんに罹っていたことが判ったようだ。実は太平洋をヨットで横断しロサンゼルスに上陸した後のチェックで、異常値が出ていたようだが癌と断定出来なかったのだとか。今回の検査結果を受けて、トルコ、アメリカ、日本の医者が意見を交換し、薬の服用で癌を抑え、このままマラソンを続けることになった由。 寛平ちゃんは、まだアジアに入ったばかり。これからが本当の辛い旅になると思う。薬を飲みながらでもまた走ることが出来ると聞いて、寛平ちゃんは大いに喜んでいるそうだ。何と言うランナー魂の持ち主。こうなったら是非とも地球一周を達成して欲しいと願っている。頑張れ~寛平ちゃ~ん!! ランニングで4世代が頑張っているお家がある。大阪の増田さんは87歳の現役ランナー。その娘さん夫妻が共にランナーで、そのお子さん達(増田さんの孫)もランナー。そしてひ孫で8歳の伸太郎君もひいお爺ちゃんと一緒に福知山マラソンに出場したとか。年の差79歳のペアは見事に3kmを走り切った由。この増田さんは今でもフルマラソンを完走し、87歳の部の日本一の記録保持者。いつまでも仲良く4世代でランニングして欲しいものだ。
2010.01.16
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お正月、朝夕美味しい酒を飲んだのは三が日だけだった。そして毎朝餅を食べたのも3日間だけ。中にはお正月の日数が3日間と言う最短のところもあるようだ。7日の七草粥は食べなかった。もっとも日ごろから節制をしているため、そんなもののお世話になる必要もないのだ。食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでも、体重も体脂肪率もほとんど変化が無い。長年ランニングを続けていることでストレスが少なく、自ずから暴飲暴食に歯止めが掛かっているのだろう。 10日は鏡開き。「鏡」は重ねて飾りにする「鏡餅」のこと。「開き」は、めでたい餅を「切る」とか、「壊す」とかの忌み言葉を嫌って言い換えた言葉。つまり鏡開きは、それまで飾っていた餅を切って食べ始めることを意味している。防腐剤を使ったり、プラスチックで被うことの無かった昔は、餅にもカビが生えたものだ。あまり長く置いておくとひび割れし、カビが生えて来るから、その前に食べようとしたのだろうか。 今はプラスチックに包まれた鏡餅が安く売られている。餅を搗く手間も要らないし、第一衛生的だ。だが実際にこれを食べようとする家はそう多くは無いかも知れない。妻は小さな鏡餅を8個ほどもらって来た。私も大きなのを1個職場からもらって来た。プラスチックを壊しながら、目下一生懸命食べている最中だ。余っているアンコや黄な粉があるからだが、食べ物を粗末にしたくないとの気持も大きい。戦後直ぐの子供の頃、食べ物が無くて飢えた経験がそうさせるのだと思う。 昨日の14日は「どんと祭」。ところによっては「とんど」とか「松焚き祭」とか呼ぶ地方もある。お正月に飾った松飾や注連飾りを神社などに持ち寄って焼く年中行事だ。仙台ではこの日に「裸参り」をする。白い下帯姿の男が鐘を鳴らしながら神社まで歩く。そして火に当たりながら1年間の健康を祈るのだ。昨日の仙台の最高気温は0度。裸の男達にとっては、きっと肌を刺すような寒さだったことだろう。 今朝の最低気温はマイナス5度ほど。私の部屋も窓ガラスがほぼ全面凍っていた。こんなことは初めてのことだった。そして今日は現任教育の日。私達警備員は半年に1度定期的に研修を受けることが関係法律で義務付けられている。心肺蘇生やADSの使用方法など人命救助を含む各種の実務研修は、きっといずれの日か役に立つことと思う。元旦から早半月が過ぎた。お正月気分を一掃し、今年も新たな気持で頑張って行きたい。
2010.01.15
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私はてっきり3人のうち1人が運転手になって伴走したのだと思った。そうすれば食べ物、飲み物を心配することもないし、荷物の運搬も解決するからだ。だが返って来た返事は極力荷物を減らし、背負って走ったとのこと。暖かいうちならそれも可能。だが1月と言えば南国の沖縄でも寒い日があり、結構荷物が増えるようにも思うのだ。 ところがジャーニーランに慣れている彼らは、最小限の荷物で13日間の沖縄本島一周を果たした。ひょっとしたらスタート時とゴール時の宿泊施設が一緒なので、内地から着て行った冬用の衣類などは預けてスタートした可能性があるが、それについて確かめてはいない。 次にどのようにして宿泊施設を探したかだが、この担当はCさんだった由。Sパパの話だと、彼女は市町村の観光課に電話して聞いたのではないかとのこと。大きな市、例えば那覇市や名護市などにはビジネスホテルがあり、ネットでも検索が出来る。しかし、本島北部の国頭村辺りだと、村役場に直接電話して聞かないと結局情報は得られないだろう。 彼らが14泊した中で、名護市東海岸のリゾートホテル、名護市西海岸のビジネスホテル以外は、ほとんどが民宿だった。良くそこまで調べ上げたと感心したが、きっとそれも市町村に確認した成果だと思う。2つのホテルは私も利用した。特に名護市の東海岸はそこしか無かったからだ。私が1泊7万円余り支払ったリゾートホテルだが、彼らは1人1万7千円で済んでいる。 彼らのジャーニーランは1日の行程を約40kmと設定してその日のゴール地周辺で予め宿泊施設を探しておき、宿まで走るのを繰り返したようだ。1日の距離を短くしたのは観光しながら走るためで、中には泳いだ日もあったとか。いくら南の島と言っても1月の沖縄の海水温は20度以下で、少々寒かったと思うのだが。 Sパパからのメールで、Cさんがランニングでの日本一周を目指していることを知った。たまたま雲峰師匠のHPのリンク先でCさんのHPを見つけた。早速訪れると、彼女が「極力海岸線に沿って」走っていることが分かった。彼女とは昨年の「八丈島一周」や「佐渡島一周」で一緒だった。2つともSパパがボランティアとして関わっているレースだ。 地図はSパパが得意な分野。「佐渡島一周」では、彼から縮尺2万5千分の1の地図を26枚も渡された。そしてコースは極力海岸に近い道を選んでいる。それはCさんの考え方とも共通だ。私の場合、沖縄本島は国道や県道の幹線を走った。だが彼らはそれよりも海岸に近い道路を見つけて走っている。そのような箇所が10箇所以上あるのが、送られた地図を見て分かった。 また、私が走らなかった勝連半島と海中道路、屋我地島や本部半島を彼らは走っている。海岸線に沿った徹底した沖縄本島一周。走った距離が長くなるのは当然の結果だ。やはりヨーロッパ大陸を縦断、横断したり、日本一周を目指すランナーの考えることはどこかが違う。それでも私は自分が走ったコースに何ら恥じるところはない。 走力、使える予算、取れる休暇日数がそれぞれ違うのは当然。自分が挑戦出来る範囲で頑張れば十分なのではないか。ただ、Sパパから送られて来た詳しい地図を見て、私の胸の中に新しい夢が湧いて来た。いつか西表島を訪れてみたい。そして日本最西端の与那国島や、果てのウルマ(沖縄の最果て)である波照間島へも行って見たい。果たしてそれが本当に実現出来るのか、それともただの夢に終わるのかは分からない。
2010.01.14
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暫く前のこと、Sパパから大量の地図が送られて来た。すべて沖縄のものだ。内容は沖縄本島が47枚、石垣島が12枚、そして西表島が7枚の合計66枚。それは数年前に彼とCさんとYさんの3人で沖縄の島を走った際の関係資料だった。地図を見て驚いた。1枚毎に走ったコースと1km毎の印しが表示されている。そして極力海岸線に近い道が選ばれていたのだ。昨年の11月。私は沖縄本島の東海岸をたった1人で縦断した。その完走記を読んだちっちさんが、かつてCさんが沖縄本島を1周したことを教えてくれた。それが私のように3年もかけるのではなく、一気に走ったとのこと。私は彼女がどんなコースを選び、どんな日程で走ったのかどうしても知りたくなった。そこでCさんから詳細を聞いて欲しい旨、ちっちさんにお願いしてみた。 だが、なかなか返事が来ない。ようやく来た返事は、走った後整理をしてないので、詳しい日程は一緒に走ったSパパに尋ねて欲しいと言うものだった。それでも彼女が単独ではなく、3人で走ったこと。そして沖縄本島の前に宮古島で100kmのレースを走り、西表島や石垣島も併せて走ったことが分かった。いやはや凄い人達がいたもんだ。 早速Sパパにメールしてみたところ、地図を取り出さないと詳細が分からないとのこと。私としては日程さえ分かればそれで十分と返事したのだが。そのうちに日が経ち、年が改まった。Sパパも忙しいのだろう。そう思って、私もそのことをすっかり忘れていた。地図が届いたのはそんな時。私は膨大な資料に驚ろくと共に、沖縄を走ろうとする際の彼らの想いの深さを知ったのだった。 ざっと計算してみよう。先ず宮古島で出たレースが「ワイドーマラソン」か「宮古島遠足」かは分からないが、どちらの距離も100kmある。レース当日と往復に3日間は必要だ。次に沖縄本島では13日間で442km走ったみたい。これも前後で15日間は必要。石垣島は1周133kmで、移動も含め日数は3日間か。西表島は1周道路が無く半周で54kmだから2日間と計算。この合計が23日間で729kmとなる。 ごく簡単に考えていた私はこの数字に驚いた。それだけ長い期間家を空けること。それだけ長い距離を連続で走り続けること。掛かった費用も膨大だと思うし、コースや宿泊施設を調べるのも大変な手間だろう。だが彼らは執念でそれをやり遂げたのだ。地図が届いた後私は何度かSパパにメールし、疑問をぶつけた。荷物はどうして運んだのか。車での伴走はつけなかったのか。そして宿泊施設をどうやって見つけたのか等々。それは私が沖縄本島縦断を試みた時に悩んだ問題だった。彼らはその難問を、一体どうやってクリヤーしたのだろう。<続く>
2010.01.13
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< 定年後の仕事と趣味編 > 滋賀のHさんは定年まで後1年を残すだけ。「残り1年を悔いの無いよう送りたいと思っています」とあった。徳島のAさんはこの3月に定年を迎える。最後は故郷の徳島で仕事が出来たようで何よりだった。同じく徳島のSさんも3月で定年。「卒業後に何をすべきか、色々教えて下さい」とあった。そこで既に定年を迎えた先輩達の生き方を紹介しよう。 昨年定年を迎えたばかりの茨城のJさんは4番目の職場の後輩だが、定年後早速長女の留学先であるドイツと長男夫婦が住むカナダへ旅行した由。高校の同級生のA君は元銀行員だが、昨年から特老ホームの事務を始めた由。京都のKさんは4番目の職場で知り合った方。目下京都岩手県人会の事務局長をされており、昨年末の高校駅伝全国大会では、地元岩手チームの応援に当たった由。 7番目の職場の同僚だった山口のKさんは、趣味の弓道、古文書解読、家庭菜園を楽しむほか、民生委員、自治会長、自治会連合会長を務めている由。5番目の職場の後輩だった徳島のMさんは、定年後米作り農家やニンジン栽培農家の手伝いをしながら、少年野球の審判をしている由。茨城のYさんは筑波山観光ボランティアを始めた由。彼女は4番目の職場の先輩だ。 最初の職場の先輩だったSさんは、昨年中部地方105箇所、近畿地方99箇所、中国地方79箇所、九州地方99箇所、沖縄7箇所の道の駅を訪れ、これで全国の道の駅を全て踏破した由。癌との闘病から復帰しての快挙には驚いた。東京のTさんは3番目の職場の同僚だが、江戸文化歴史検定1級へ挑戦中で、目下図書館通いの最中とか。 大学の先輩だったTさんは教会での役員に加えて、児童館での囲碁や卓球の指導に当たっているほか、バウンドテニスを楽しんでいるようだ。また大学の後輩だったT君は未だに合唱を続けていて、年末にはプロのオーケストラと一緒に「第九」を歌った由。4番目の職場の後輩だったT君は養子に入った先で、果樹栽培に専念してる由。初めて知ったが、頑張ってるねえ。 2番目の職場の学生だったSさんは、昨年スミソニアン博物館などアメリカ東海岸の博物館を20館、韓国の美術館を2館見学した由。彼はある博物館の副館長で定年を迎えた専門家。ある講習会で一緒だったKさんは目下国際交流協会の事務局を担当し、草の根サミットでは米国の市民100名を迎え入れた由。 走友Aさんはフルマラソン、J2ベガルタの応援、トライアスロンの審判の合間に釣りを堪能。カレイ8回、メバル2回、ヒラメ4回、ハゼ3回の船釣りの釣果は572匹だった由。8番目の職場の同僚だった広島のIさんは、瀬戸内海で76cmのハマチや63cmの真鯛を釣ったみたいで、年賀状には巨大な魚を持った彼自身が写っている。ボランティア活動でも活躍中のようだ。 2番目の職場で美術を教えていたW先生は県美術界の大御所だが、今でも年6回の展覧会に出品し、カルチャーセンターでは70名の方に絵を教えている由。同じく2番目の職場の先輩だったOさんは、途中で仕事を辞め書道家になった人。昨年の全国展で2位になったことを新聞で知った。引首印(作品の前に押す印)が何と「楽天」。彼は熱烈な東北楽天のファンでもある。最後の2人はプロだが、彼らにはきっと「定年」はないのだろう。
2010.01.12
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芭蕉が出羽三山を訪れた江戸時代はまだ神仏混淆の時代で、神社にはそれぞれ神護寺が付随していた。ところが湯殿山と羽黒山の僧侶は対立していたのだと言う。羽黒山が天台宗へ改宗したのに対し、湯殿山はそのまま真言宗を守っていたのが原因のようだ。そのような背景からものの本によれば、芭蕉は隠れるように三山をお参りしたのだとか。 雪深い羽黒山を後に、バスは平野部に向かった。窓ガラスが曇って外の様子が良く分からないが、「赤川」を渡ったことから酒田方面ではなく、鶴岡方面に向かったことが分かった。やがてとある物産館でバスは停まった。昨年ツアーで酒田の山居倉庫などを見学した際に寄ったところだった。奥のレストランで昼食を摂る。 予めテーブルの上には刺身の盛り合わせ、しゃぶしゃぶの材料、漬物などが置かれていた。豚肉は4切れしかないが、野菜たっぷりのしゃぶしゃぶ。刺身は5種類ほど入っているし、暖かいタラ汁も運ばれて来た。そして山形の漬物は色んな種類があって、しかも美味と来ている。皆さんまあ良く食べること。妻もいつもと違い、貪欲な獣と化していた。そして、ついにおひつが空になる騒ぎに。 腹が満たされた後は温泉へ。着いたのは海岸に程近い湯野浜温泉だった。しかも以前泊まったことのあるホテルだったのが興ざめ。無論天然温泉には違いないのだが、ここの温泉は趣が乏しいのが難点だ。先ず5階の展望風呂へ。男湯はあまり展望が良くなく、日本海がわずかに見えるだけだった。お湯の温度はぬる目だが、じっくりと湯船に浸る間に次第に体が温まって来る。 次に1階まで下りて露天風呂へ向かう。ここは本当の露天で、何も遮るものが無い。冷たい風が吹き抜けて、直ぐに体が冷える。慌てて無人の湯船に飛び込むと、こちらの湯温は高めに設定してあった。目の前にひょろりと背の高い松林。そのうち10本ほどが途中から折れている。強い風のせいか、それとも雪の重さによるものか。湯船の底に沈んでいる松葉と、お湯の中に浮かぶ紅葉。濡れた頭は寒いが、冬の露天風呂も風情があって良かった。 次の楽しみは日本酒の試飲。山形は美味しい日本酒の産地でもある。15分ほどで酒造会社に着き、先ずは資料館を見学。これが意外に良かった。代々酒造りに用いて来た道具には趣があるし、酒を入れた容器も素晴らしい美術品だ。やはり日本の生活において、古来酒は欠かすことの出来ないものだったのだろう。 職人達の技や伝統ある美意識に酔いしれているうちに、私が一番最後になってしまった。慌てて試飲コーナーに行ったが、ほとんどの人が飲み終えていた。自分で注ごうとすると、係の女性がぐい飲みの6分目くらいしか入れてくれない。他所を向いているうちに自分で注いで飲んだ。新しい酒は少々きつい感じだが、年代物の酒は独特の色と深い味わいがした。 最後に寄った物産館では科織りで作った袋物などを見た。科(しな)は昔から長野県に多く生えていた樹木で、後に「信濃」と改められるが本来は「科野」だった由。科の樹の外皮を削り、その内側にある甘皮から繊維を取り出して布地に加工するようだ。初めて実物に出会えて良かった。 全く雪の無い海岸部から再び雪の月山道路を経て帰路へ。仙台駅で渡されたトロ箱を家で開けると、立派な干物がぎっしり。それも妻と2人分だからウハウハだ。待ち兼ねていた愛犬と散歩後の遅い夕食では、早速お土産にいただいた立派な鮭のカマを焼いて食べた。少しもミステリーツアーらしくはなかったが、満足出来たから許すとしよう。
2010.01.11
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「ミステリーツアー」に申し込んだのは昨年の12月上旬。旅行会社から送られて来たパンフレットには、1)魚の干物のお土産つき 2)海鮮舟盛りと豚シャブの昼食 3)多くの人で賑わう神社初詣 4)海の眺めが美しい温泉の入浴 5)380余年の歴史ある銘酒資料館見学とあった。う~む、これはなかなか魅力的。特にお土産の干物はイカ2枚、アジ2枚、ホッケ2枚、カレイ1枚、鮭のカマ2個。行かない手は無いだろう。 だが、ミステリーツアーと言っても、場所は何となく特定出来る。4)海の眺めが美しい温泉は、多分山形県鶴岡市の湯の浜温泉だろう。そして3)の神社は羽黒山神社だと思う。あの辺なら魚も獲れるし、酒造りも盛んだ。そう思い、旅行が近づくと妻にインターネットで確認した山形県庄内地方の天気を教えた。当日の予報は雪。これは暖かい服装をして行く必要がある。 ツアー前日、旅行会社から確認の連絡があった。雪や雨が降るので雨具を用意して欲しいこと。仙台より寒いので暖かい服装をすること。これでほぼ行き先は特定出来た。12時間以上かかるため県内ではない。行くとしたら岩手、山形、福島だが、福島の海岸で温泉がある所は寒くない。岩手には海岸部に温泉も有名な神社も無いはず。 仙台駅東口でバスに乗り込んでビックリ。何と2軒隣のご近所の方が居られた。バスは東北道乗ったがICで決定。北へは向かわず南へ向かったからだ。案の定村田ジャンクションから山形道へ。だから今回の旅は最初から「ミステリー」ではなかった。でも、それに勝る魅力があればこそ、バスも満員になったわけだ。 川崎町へ入ると周囲は雪景色に変わった。笹谷トンネルを抜けて山形へ入ると、そこはもう雪国。山形を過ぎて月山道路へ。やっぱりねえ。月山神社や湯殿山神社は雪が深くてバスは行けない。出羽三山で唯一行けるのは羽黒山だけ。鶴岡市からバスは羽黒山方向に進む。平野から再び山道と入り、やがて大きな鳥居が見えて来た。 そこからさらに進んで山道の有料道路を登る。周囲は深い雪だ。太い木の枝には白い雪が積もり、幹の北側にも強い風で張り付いた雪。山頂の出羽(いでは)神社には月山神社と湯殿山神社が合祭された出羽三山神社があった。ここに参拝すれば3つの神社にお参りしたことになるとのこと。雪道を踏みしめて参拝殿へ向かう。驚いたことに、神社の屋根には1m近い雪。それが時々音を立てて落ちて来る。ここは途轍もない豪雪地帯のようだ。 巨大な建物に入って祭殿へと向かう。やがて神職が現れ、厳かな祝詞(のりと)が朗々と響いた。月山神社では過去の浄正を祈り、出羽神社では現世の繁栄を祈り、そして湯殿山神社ではあの世での再生を祈るのだとか。出羽神社の石段は2400段ほどもあるようだが、張られていたポスターには長い歳月人に踏まれ、すっかり磨り減った石段が写っていた。人々の篤い信仰心を知る。<続く>
2010.01.10
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今日金曜日は2つの現場から洗濯物を持ち帰る日。このため帰宅ランは出来ない。バス停で下りて家に向かうと、道路が濡れている。どうやら雨が降ったみたいだ。愛犬が日向ぼっこをしているが、敷かれたカーペットは濡れてない。不思議に思っていると妻から電話。布団を干していらたら雨で濡れたので、もう一度干してほしいとのこと。 昼食後自転車に乗り、HCへ愛犬の餌を買いに行く。ついでに「ニホンスイセン」の球根を買った。帰宅途中、パラパラとにわか雨。慌てて家に戻り、布団を取り込む。スイセンを植えたのはそれから。香りの強いニホンスイセンは前から欲しかったもの。根付いて毎年花を楽しめれば嬉しいのだが。 今日の年賀状は< ランナー編 >です。 走友Yさんからの年賀状には「怪我なくマイペースでゆっくり長く走ります」とある。これは私も全く同感。出来れば怪我はしたくない。人と競わずマイペースで走るのは、とても大切なこと。そしてもう速くは走れないので必然的にゆっくり走ることになる。でも長年の経験で、長く走ることは何とか可能だ。まあ、今年もボツボツ行こうか。 愛媛のKさんは松山勤務時代の走友。もう70歳はとっくに超えたが、今でも現役の大工さんだ。そしてトライアスロンも現役の選手。彼の黒光りした温和な顔を懐かしく思い出す。私へのコメントは「歳とってからも頑張っていますね」だって。自分の方がよほど年上なのにね。 東京のSさんは幾つかレースを主催している。年賀状の写真は昨年4月開催の「12時間走」のようだ。その写真で先頭を走っているのが千葉県のTさん。彼からの年賀状には、昨年一緒に走った「佐渡島一周」の結果と、今年復活する「さくら道270km」に懸ける夢が記してあった。「さくら道」では、何とか故郷の金沢へゴール出来ると良いのだが。 高松のYさんの年賀状には1月の「宮古島遠足」など、出場した13レースの記録が詳細に記載。昨年は特に好調だったようだ。その他ハンドベルの会の演奏5回、ハーモニカの演奏会9回、ナースセミナーへ模擬患者として出演、8日間のエジプト旅行なども記されていた。 奈良のIさんの年賀状は彼と奥様の2枚の写真入。共にレース中のものだ。フルマラソンは彼が4回、奥様が2回参加で共にサブフォーだが、奥様の方が彼よりも速いのにはビックリ。参加レース数も奥様の方が14回で1回多いし、中にはウルトラの大会もあった。今月末にはテレビ放送にも出るようだ。 名古屋のTさん夫妻もスピードランナーで、共に何度か国際レースへの出場を果たしている。ご主人の初の「福岡」は残念ながら途中リタイヤだったようだが、奥様は「東京」と「名古屋」を完走した由。その後妊娠が判明し、もうそろそろ出産予定日のはず。2人から生まれる子供もやはり足が速いんだろうなあ。今年は二重の意味でオメデトウ。 神戸のNさんの年賀状には長崎の平和公園で撮った写真が。昨年彼が走ったのは、「さくら道ネイチャーラン」、「広島~長崎ピースラン」、「スパルタスロン」と250km以上のレースばかり。「ますます厳しい時代。いつまで走ることを続けていけるのだろうか。どんなことになっても走れるだけの気力、体力は持ち続けたいと思う」とあった。これからも頑張ってね~ 埼玉のSさんの年賀状には、昨年完走した「トランスヨーロッパ」の3枚の写真と、その時の思い出が綴られている。’03年のリスボン~モスクワ間、そして昨年のイタリア~ノルウエー間と、2回出場して2回とも完走出来たことでとても満足していると記されていた。同郷で同学年の彼に追い着くのはとても無理だが、一緒に楽しい夢を見ることくらいは出来そうだ。頑張れパパ~< お断り > 明日は今年最初のバスツアーで朝早くから出かけ、帰宅は夜遅くなります。多分日記はお休みになる公算が強いと思います。悪しからずご了承のほど。
2010.01.08
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朝5時の散歩時には、風も無く暖かく感じた。それが6時過ぎの出勤時には気温が下がり、道路が凍っていた。それでも冬至から半月が過ぎ、夜明けも夕暮れも少しだけ遅くなった。たったそれだけでも、春が近づいているようで嬉しい。第1現場のビルの屋上からは、青空に映える奥羽山脈が一望出来た。 昨日書いた藤井財務大臣の後任には、結局菅副総理が就任することになった。そして豪腕幹事長に対しては、彼の資金管理団体による土地購入疑惑問題に関して東京地検特捜部が事情聴取の意向があるようで、小沢氏も出頭する意向のようだ。一方来る国会で反撃する立場の自民党では、舛添前厚生労働大臣が近い将来の政界再編を見据えた発言をしており、今後の政局が注目される。 さて、楽天球団から今日メールが届いた。昨年の10月に私が送ったファンクラブ退会届の書類は見つからないが、まだ新年度の送付手続きに入ってないため今回に限って退会を認めるとのこと。継続会員の場合、次年度の会費を口座から自動的に引き去ると言うシステムは今回が初めての適用。もし私のような齟齬が生じた場合、このシステムは極めて危険だと思うのだが。 さて、今年届いた年賀状の話を、今日も続けて書きたい。< 健康編 > 4番目の職場で一緒だったSさんは79歳。「認知症の宣言を受けた」と震える字で書いてある。「いつまでも頑張ってください」の字は辛うじて読めるが、昨年の11月に17針縫ったのが「どこ」なのかが分からない。頑張って~っ、Sさん 和歌山県で教師をしているNさんは、5番目の職場の大学院生だった。「元気にマラソンしてますか。私はあまり運動が出来なくて糖尿の数値が上がりました」とある。紅顔の美青年も、今や糖尿病の予備軍とはねえ。頑張れ~Nさん。 合唱団の先輩だったSさんは、「3年前に発症した腰痛が昨年の夏ごろから軽快し、ようやく起きられるようになった」由。「目下整骨院に通い、プールで泳いで体力回復に努めている」ようだ。人間寝ているようになったら大変だもんね。頑張れ~S先輩 9番目の職場の部下だったHさんは定年後大学院で歴史史料の解読を学んでいたのだが、大動脈剥離で入院したと聞いていた。それがようやく病が癒えて、無事大学院も修了出来たと書いてある。年数を数えると、彼女は博士課程まで進んだのかも。良く頑張ったねHさん。 最後の勤務地の走友だったKさんは、踵(かかと)の痛みが再発した由。落ち込んでいた私を救ってくれた彼女には、今でも感謝している。「昨年はゆっくりですが「かすみがうらマラソン」を完走しました」とあり、何とか元気回復して欲しいと願っている。Kさんファイト~ 15年前の「第1回四万十川100km」で一緒だったIさんは、かつて「トランス・エゾ」や「関西周遊」を走破した強者。今はお父様の介護の日々で、全く走れてないそうだ。彼女自身も何年か前に大病を患っている。長い人生、時には辛い時期もあるんだよね。ただただ仙台の空から「頑張れ~っ!」と応援しよう。
2010.01.07
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昨夜は猛烈な風が吹いた。最大瞬間風速は27mほどだったとか。発達した低気圧の通過が原因だ。真夜中に突然妻が起きて、物干し竿を片付けた。風で飛ぶのを心配したのだろう。朝起きたらガレージがゴミの山。何処からか飛んで来た枯葉、ビニール袋などが固まっている。風が治まらないため、帰宅するまでそのまま放置する。 今日は山越えでの帰宅ランだった。昨日は残っていた山道の雪が、今日はほとんど解けている。風が強くて体感温度は低く感じるのだが、気温は高いためだ。ただ、強風で落ちた枯れ枝が歩道の上に散乱し、とても走り難かった。夕方、ようやくガレージに溜まったゴミを片付ける。 今日も楽天球団から返事は来なかった。多分このまま「なしのつぶて」だろう。となると、今年もゴールド会員としてユニフォームが送られて来るはず。既に2着あって要らないんだけどねえ。球団のフォームに従って退会手続きをしたのに、会費が自動的に引き去られてしまうシステムはとても不条理だと思うのだが。 まだ今日も届いているが、印象に残った今年の年賀状を幾つか紹介したい。<沖縄関係> 沖縄の走友Hさんからの年賀状には何のコメントもない。だが、NAHAマラソンの時に撮った写真が大きく写っている。それがレース途中のもので、奥さん、お嬢さん、2人のお孫さんと一緒のもの。一昨年まで第1回から第24回まで全て完走している彼だが、多分昨年も連続完走記録を更新したと思う。 同じく沖縄の走友Tさんからの年賀状には、「ランは長期休養中で、今はウォーキングと超スロージョグで我慢中」とあった。彼も一昨年まではNAHAマラソン連続完走を果たしていた鉄人なのだが、「年金だけでは生活成り立たず、夜の仕事継続中(6年目)」とも。私より年長なのにお子さんがまだ学生のため、頑張って働いているのだと思う。頑張れTさ~ん 沖縄時代に同じ職場だったHさんは奄美の出身だが、昨年4月に退職をした由。3月に受けた手術のリハビリと家事に勤しんでいるとのことなので、定年前に辞めたのかも。数年前に職場に寄った際、彼が宮古島で採取した花の種をもらったことがあったっけ。 2番目の職場で学長を務めていたY先生は確か70代後半だと思うのだが、今も埼玉の女子大で教鞭を執っている由。さすが研究者は頭が軟らかい。沖縄とは何のつながりもないのだが、年賀状の写真が菊池契月と言う画家が描いた「南波照間」(はえはてるま)の絵だった。「はえはてるま」は波照間島の南方にあるとされる幻の国=ユートピア。琉装(沖縄の服装)をした2人の美女が寛いでいる珍しい姿だ。
2010.01.06
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昨年の暮れ、これまで走った距離が7万kmを超えた。地球1周と4分の3に相当する。このまま元気に走り続ければ、後3年後には地球2周に達する。35歳の元旦に走り始めてから30年が経過し、今年の元旦で31年目に突入した。忙しくてほとんど走れなかった年もあったが、今振り返って見るといつの間にか大変な記録になっている。 昨年暮れに黙って引き落とされた楽天ファンクラブの会費だが、電話が通じないため球団宛にメールを出した。届いた返事によれば、一度入金したお金は返せない由。そこで再び「球団指定の方法で退会を通知したので再調査を依頼する」旨メールした。多分らちが明かないだろうが、新年早々愉快な出来事ではない。 世界一高いビルがドバイに完成したそうだ。数年前まで驚くほどの繁栄を続けていたドバイだが、不況のため各国が資本を引き上げたらたちまち行き詰まってしまったみたいだ。その中で竣工に持ち込んだ828mのビルの名称を、わずか数日で資本提供してくれたアブダビの首脳の名前に変えた由。果たして世界一の高層ビルが経済復興の起爆剤になるかどうか。 男子プロゴルフの石川遼選手がわずか18歳にして、日本ゴルフツアー選手会の副会長に選出された。将来は会長と目されているとも。副会長職は遼君を含めて5人いるようだが、それにしてもあの若さでプロスポーツ界をリードする立場になるとは凄い若者だ。あのタイガーウッズにも遼君みたいにひたむきな時期があったのだろうが。 JALとANAが今年の1月から、機内における新聞配布を止めたようだ。昼食時などに機内食がサービスされなくなってから久しい。つい数年前に週刊誌の配布が無くなったばかりなのに、今度は新聞までもかと驚く。JALがアメリカのデルタ航空から資金提供を受ける話がまとまりつつあるようだが、日本の航空会社がここまで危機に瀕しているとは。 藤井財務大臣の健康があまり優れないみたいだ。来年度予算の原案を作り終え、年末から検査入院をしていた大臣は77歳。一旦は議員辞職を決意していた彼を、鳩山総理が無理やり財務大臣として表舞台に引き出したのだが、やはり歳には勝てないようだ。診断結果によっては大臣辞職もありそう。それでなくてもガタついている鳩山内閣だが、これが崩壊のきっかけにならなければ良いのだが。 「京都シティマラソン」が再来年の3月に復活する可能性があるようだ。かつてあった「京都シティハーフマラソン」は市内の中心部を走るために人気が高く、申し込んでも抽選漏れが多かったのだが、今度は都市型のフルマラソンとして生まれ変わるとか。目下コースの選定を急いでいるようで、そのうちスポンサー探しが始まるだろう。 市民に開放された「東京マラソン」が生まれてから、一気にマラソン熱が高まった感がある。制限4時間と厳しい条件の「北海道マラソン」も制限時間を緩和し、コースも変えて生まれ変わった。京都がそれに続けば、ランナーにとってはまたとない朗報になるだろう。古い歴史と伝統の残る京都の町並みを観ながら走れるなんて、考えてみただけでも最高だよね。
2010.01.05
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箱根駅伝を制した東洋大学の酒井監督がテレビに映った。まだ33歳の若さ。インタビューを聞いたが、最初学生と間違えたほどだ。福島の学法石川高校で教師をしながら陸上部の監督をしていたが、昨年川島前監督が辞任する際に後任の要請があった由。わずか2年目で栄冠をつかむとはかなりの強運の持ち主だが、きっと人には知られぬ苦労と努力があったのだろう。 6日間の年末年始の休暇中に走った距離は、69km止まりだった。そして歩いた距離は20km。走らない日も2日あったので、まあまあの運動量かも知れない。暴飲暴食をしなかったのも良かった。夜更かしが続いたがいよいよ今日から仕事が始まる。 バス停までの裏道が凍っていた。その上に新雪がわずかに積もっていて、とても滑り易い。駅前でバスを降りると、道路に出されたゴミの袋に20羽ほどのカラスが群がっている。近くの樹の枝にも30羽。きっと年末年始の休みのため餌が獲れなかったのだろう。飢えたカラスの集団はとても不気味。ヒッチコック監督の映画「鳥」を思い出した。 歳末商戦と初売りを終えたアーケード街は静まっていた。第1現場のビルの屋上は雪と氷で凍結状態。年末に枯死寸前で気がかりだったエントランスホールのタブノキは、依然状態が思わしくない。給水設備の電池切れで暫く給水が出来なかったのが原因だが、以前にも同じ理由で植え替えているとか。今後責任問題に発展しないか気がかりだ。 玄関に立つと、「今年もよろしくお願いします」。「新年おめでとうございます」の声。挨拶しても返事をしない社員が多い中で、何人かの人がわざわざ挨拶してくれたのが嬉しい。役員車の運転手さん達、70歳を過ぎたお掃除の小母ちゃんも全員元気で今日から仕事始め。新年の挨拶がある会議室に、花屋から大きな花が2度届く。 第2現場でもいつも通りの清掃作業を開始。同僚達も皆元気そうな笑顔。作業の最後に掃き掃除のために公園に行くと、居ついているネコが夢中になって餌を食べていた。丸々と太った野良猫。休みの間も誰かが餌をやっていたのだろう。勤務後、今年最初の帰宅ラン。雪の状態が心配な山道は止めて、街中を走って帰る。気温が上がったせいか、歩道の雪はほとんど解けていた。 帰宅すると、妻が雪道で2回転んだと話す。やはり朝の裏道は危険だ。クリスマスとお正月で変えていたブログのデザインを、いつものに戻す。新しい年も気合を入れて行こう。
2010.01.04
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正月3日目の朝も愛犬との散歩から始まる。妻も同じような時間に目覚め、一緒に朝食を摂る。正月3が日の朝は餅が普通。今朝はアンコのほか、納豆に大根おろしを入れ、納豆餅にして食べた。お雑煮は餅抜きとなる。年末に買った「菊水」の4合ビンがちょうど良い具合に減る。朝から美味しい酒が飲めるのも今日まで。明日からはいよいよ仕事が始まる。 今日は走友会の走り始め。隣の市にある温泉に朝の8時に集合し、塩竃神社まで往復50kmを走るのだ。幸い天気が良いので、きっと走り易いだろう。だが私はパスすることに決めていた。先ず「箱根駅伝」をじっくり観て、午後から妻と近所の温泉へ行こうと考えていたのだ。 妻が買い物に行った間に布団を干し、その後はじっくり駅伝を観戦した。6区も往路優勝の東洋大学がトップを守った。居間から自室へと場所を移動し、パソコンのエラーチェックと最適化を図りながら観戦。最終区間に入っても東洋大の首位は揺るがず、シード権争いも目鼻がついた頃妻が帰宅。寒気がするため温泉には行かないとのこと。風邪気味で薬を服用していた妻だが、奥羽山脈から吹き降ろす風が冷たかったのだろう。 私は着替えて走りに行くことにした。これも予め決めていたことだ。確かに風は冷たいが、ウインドブレーカーを着るほどではない。手袋を二重にして帽子を被る。これでかなり寒さを防げるはず。後は走友会の練習コースの坂道が、凍結していて滑らないかが問題だ。日陰に雪が残っていたが滑るほど固まっておらず、さほど心配はないようだ。 今年はまだ栓を止めてないのか公園のトイレでは水が出た。山の上でも風はほとんど無く、4人ほどのランナーに出会う。麓の神社にほとんど人影がないのに、駐車場には結構車が停まっているのが不思議。名取川の堤防まで来ると、さすがに風がきつい。右岸から左岸に渡り、少しだけスピードを上げて走った。23kmを2時間21分ほどで帰還。 今日も年賀状が届いた。その中に四国の孫からのもあった。上の孫娘(小3)からは「遠いけど遊びに行くね」とあり、下の孫娘(小1)からは「いつもありがとう」とあった。夫君の実家に泊まった時、下の孫娘がお婆ちゃんに「お年玉ちょうだい」と請求して怒られ、大泣きしたと長女が妻に話したそうだ。孫娘にすればきっと「お年玉がもらえるよ」と聞いて喜んだだけなのだろうが。 次男からの年賀状には「今年は背水の陣の覚悟で臨みます。あまり心配しないで下さい」とあった。子供のことを心配しないで済む親は幸せだと思うが、子供の心配が無くなったら親の仕事がなくなるようにも思う。離れて暮らしている3人の子供達が今年も健康に恵まれ、充実した生活を送れることが親の願いだ。 今日から新しい大河ドラマが始まる。福山雅治主演の「竜馬伝」がそれ。坂本竜馬の話はこれまでも何度かドラマになっているが、今回はどんな展開になるのだろう。早めに風呂に入り、妻と2人ゆっくり観ようと思う。さて6日間の休暇中、体重や体脂肪率にほとんど変化が無かった。こんなことでも結構嬉しい。
2010.01.03
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秋田のJunさんは大晦日の夜から新年にかけて、今年も年越しランを決行したようだ。雪深い秋田の道路は圧雪状態とのこと。それでもきっと30cmほどの厚さにはなっているだろう。距離は7kmほどだったようだが、新年にかける意気込みが伝わって来る。 今日届いたT田さんからのメールには、数枚の写真が添付してあった。彼ら宮城UMC古川支部の有志が元旦の5時に集合し、吹雪の中を走った由。写真には舞い散る雪が写っていた。まだ暗い元旦の雪の道を仲間と走るのは、やはりランニングに賭けている表れだろう。 アースマラソン中の寛平ちゃんは、115日間で4177kmのヨーロッパの道を駆け抜けた。イスタンブールからボスポラス海峡を渡り、目下トルコの首都アンカラへ向かう途中のようだが、ここで一旦イスタンブールへ戻ってメディカルチェックを受けるようだ。既に陸路を1万km走破しており、今後のためにも是非じっくり休んでチェックして欲しい。 昨日はちらっとだが「ニューイヤー駅伝」を観た。今日からは正月名物「箱根駅伝」が始まる。今朝もいつも通り愛犬との散歩。昨夜は足元が寒くて夜中に何度か目覚めた。今朝起きるとまたもや吹雪。これで3日連続だ。帰宅後はまだ眠っている妻を起こさず、朝食の準備をして1人で食べる。 それからおもむろに「箱根駅伝」を観出す。どうしたことか明治大学が4区までトップを譲らない。おやおや、これはどんな展開になるのだろうと思って観ていたが、妻に用事を頼まれた。今日は仙台名物の初売り。眼鏡店まで行って商品券を買って来て欲しいとのこと。ついでに郵便局に寄り、お金を下ろすことも。 「う~む。折角良いところなのになあ」。心の中でそう思いつつランニングスタイルに着替え、寒風の中を走り出す。これが今年の走り初め。距離は短いけど、ランニングが何かの役に立つのも良いことだ。30分ほど走る間に2つの用件を済ませて無事帰宅。眼鏡店では初売りの景品をもらった。5kmほどのランでも結構気持の良い汗をかいた。真新しいランニングダイアリーに、今年初めてランの記録を記載。 引き続き駅伝を観戦中に再び妻の声。今度は彼女の実家に年始の挨拶に行くと言う。これも年頭の儀式で謝絶の理由がない。いつもならビールを勧める義兄なのだが、今年はお茶。どうした訳かと帰り道に妻に聞いたら、昨秋に一時体調を崩したとのこと。そう言えば義兄も義姉も、何だか歳を感じさせる顔になっていた。 結局「箱根」は、5区で東洋大の柏原選手が昨年同様トップに躍り出て往路優勝を果たした。それも昨年自らが作った記録を更新しての区間新とは凄い選手だ。まだ2年生と言うから末恐ろしい傑物。 高校サッカーは東北高校が福島の尚志高校にPK戦の末に敗れ去った。折角前半リードしていたのに、後半になって追い着かれたとは残念だ。大学ラグビーは確か東海大と帝京大が勝って決勝進出を果たしたようだ。慶応も明治も、早稲田に続いて敗退とはねえ。 さて、昨夜のテレビは「世界で一番大きい地下の村」を観た。ヤオトンと呼ばれる中国の地下式住宅での生活ぶりだった。日本と朝鮮半島の交流史に関する番組は布団に入って観ていたが、残念ながらそのほとんどは眠っていたようだ。今夜も観たい番組があるのだが、果たして眠らずに最後まで観ることが出来るだろうか。
2010.01.02
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年末年始の休みに入ってから、毎日出来るだけ有意義なことをしようと心がけていた。自分の体のために役立つこと。自分の心のために役立つこと。そして家のために役立つこと。つまりなるべく時間を有効に使おうと言う考えだ。 新しいシューズの履き心地を確かめたこともその一つ。同じメーカーの同じシリーズのものでも、モデルが変わると履き心地が全然違うことがある。だから足への負担がどうなるか、確かめる必要があるのだ。実際に走った感想は、さほど悪くはない。ただ、左足のシューズに医療用インソールを入れることをすっかり忘れていて、少し窮屈なのが気になる。 大晦日の夕食はすき焼きだった。畑の白菜を初めて使ってみたが、なかなかの出来映えだったのが嬉しい。14個育った白菜のうち残りは12個。何とか暫くの間、寒さに耐えて欲しいと願う。夜、妻は居間で「紅白歌合戦」を観、私は自室で「ダイナマイト」を観た。 一旦は格闘技から身を引く予定だった「戦うフリーター」こと所選手のケレン味の無いファイト。柔道の金メダリストから総合格闘技入りを果たした石井彗選手と柔道界の先輩吉田秀彦選手との対決は注目されたが、結果は吉田選手の貫禄勝ちで、石井選手は若さを暴露した感じだった。そして、今回が引退試合となる魔裟斗選手とオランダのアンディ・サワー選手とのファイトは、スピードが速くて目が離せなかった。 「紅白」は格闘技の合間に小林幸子の豪華な衣装をちらっと観ただけで、結果がどうなったかは知らない。素晴らしい歌声のイギリスの「小母さん」は残念ながら見逃した。風呂の後、「行く年来る年」を少しだけ観、新年に入ったのを確かめてテレビのスイッチを消した。 今朝起きると、外は一面の雪。窓も内側から凍っている。愛犬との散歩の前に、玄関付近と階段の雪を竹箒で除雪。帰宅すると妻がお節料理の準備をしていた。今年は子供達が誰も帰省しないため、お節は作らないと話していたのだが。お猪口に日本酒を注ぎ、ささやかに新年を祝う。お雑煮には1個、アンコには2個の餅を入れる。 年末年始はさほど体を動かさない。そのくせご馳走を食べたり、アルコールも多目に摂取する。そして、味付けが濃い上に、果物やお菓子も食べる。これではカロリーオーバーだし、糖分や塩分も摂り過ぎだ。自分で良くコントロールしないと、後で後悔することになる。 今日は妻が金華山へお参りに行こうと言うのを断った。今日は大荒れとの予報だったし、海上はことさら風が強いはず。それに年末年始で元旦だけが休暇の妻にとっては、この日こそ体を休める好機と私なりに考えてのことだ。私が20ほどのブログやHPや掲示板に新年の挨拶を書き込んでいる間に、妻は愛犬と散歩に行ったようだ。そのことを知らずに、私も吹雪の中を再び愛犬と散歩に行った。 出来れば今日も走りたいと思っていた。そしてその後、近所の温泉に行こうと思っていた。だが、思わぬ吹雪を理由に2つとも中止した。新年早々、あまり無理をすることはない。今年のモットーは「マイペース」。ランニングに関しては、「自分なりのジャーニーランを楽しむ」ことが目標だ。それは年賀状の話と併せて、明日記すことにしたい。何はともあれ、今年も一年間健康で過ごしたいと願っている。
2010.01.01
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