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~新たなるスタート~ いやはや、たまげた。鼻血ブーである。これ本当の話アル。昨日の朝、ティッシュを鼻の穴に入れて掃除していたら、突然鼻血が出始めた。それも左右同時だから驚くのなんの。ティッシュを突っ込んだまま血圧を測定。上は170近い。これは大変とそのままの姿で耳鼻科へ行った。病院の前には既にたくさんの待ち行列。数えたら私は15番目。窓口で症状を話し、待合室で40分ほど待機。 診察の結果、鼻の粘膜が薄くなって血管が浮き出していた由。処置をして、飲み薬を処方された。霜焼けの薬は無関係とのこと。聞かなかったが、多分この所の血圧上昇は関係あったはず。1週間薬を飲んで様子を見るとドクター。その足で千円床屋へ行って散髪。ポイントが貯まって、その日はただ。身も心もさっぱりして帰宅。大きな病気でなさそうなので一安心。冬から春への転換期には、体にも異常が起こりがちだ。 一昨日の夕方は速足で3km歩いた。そして昨日は速足で4kmの散歩。朝は白菜の蕾菜を3本切り取ってお浸しに。これが結構食べ応えがあり、しかも美味しい。これで体重が落ちたらもっと嬉しいのだが。ブログ友のyorosiku!さんは、肉の摂取を勧め、にととらさんはダイエットし過ぎて栄養失調になる怖さを教えてくれた。なるほど、なるほど。皆さんどうもありがとうございます。💛 今年の春は早い。急に気温が上がって庭の花々が一斉に咲き始め、何と梅は散り始めたのだ。冬越し中の雲南百薬は、とっくに蔓を伸ばし葉が出て来た。もうそろそろ畑に移植しても良いのだが、遅霜を警戒し室内に取り込んだまま。花の写真も溜まったが、「ニュース」や生活の些細な出来事も書きたい。今はそんな気分。来週はいよいよ短歌の会が開かれる。 一昨日、気になっていたS高校の大寒桜を観に行った。今年は咲いたと言うニュースを耳にしてなかったのだが、この陽気ならきっと咲いたはず。そう思って出かけた。崖の上へよじ登って行くと、花の様子が少しおかしい。近づくと半分は既に散っていた。早咲きの系統なのでやはり咲いていた。何枚か証拠写真を撮って帰宅。今年の桜は特に早い。花見ツアーをキャンセルして正解だった。 吉本興業の歴史をテーマにした朝の連続ドラマ、「わろてんか」が今日で終わった。あっと言う間の半年間だったように思う。てんの一人息子は大阪に帰って来たと言う話になっているが、実際は何人か子供がいて、長男は20歳の時、9歳年上の笠置シズ子と同棲。彼女は若くして死んだ彼の子供を、その後も一人で育てたのが実話のようだ。 そしててんら夫妻と北村笑店を援助した伊能栞は、阪急、宝塚、東宝などの創始者である小林一三がそのモデルであることを最後に知った。関西企業の先駆者であった阪急と吉本興業。その涙ぐましい努力と気宇壮大な起業家魂は、観ていてとても面白かった。リリコ役広瀬アリスの好演が光った。 昨日からプロ野球が開幕した。また海の向こうでもメジャーが開幕した。エンゼルスの大谷翔平選手は、開幕戦を8番DHの野手として出場し、5打数1安打でのスタートとなった。投手としてのデビューはその4日後のようだ。二刀流大谷が、メジャーでも通用するのか見守りたいと思う。 世界のイチローは再びシアトルマリナーズに戻った。引退間近な主力選手の場合は、スタート時に活躍した球団が最後の面倒を見る暗黙の了解がメジャーには存在する。44歳のイチローが果たして往年の実力を発揮出来るかは不明だが、今年はその最後の姿を見守りたい。彼も9番レフト、開幕から一軍の先発出場となった。5年ぶりのことらしい。ヒットは出なかったがチームは勝った。
2018.03.31
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~世の中思うようには行かぬもの~ ツーリストに電話して、4月の旅行をキャンセルした。楽しみにしていた福島県で3か所のお花見だが、あんまり桜の開花が早過ぎて、指定日には散ってると判断したためだ。最初は21日だったが、今年の桜前線は早い。それで15日に変更したのだが何と宮城県内でも咲き出し、このままでは散った後の樹を眺めて帰って来る破目になる。こうなったらちょうど良さそうな日に、自分で行くしかないだろうなあ。 市民ランナーの川内優輝選手(埼玉県庁)がギネスの記録を更新した。フルマラソンで2時間20分を切っての完走回数が78回と言う物凄い内容。これは恐らく破れないだろう。さて写真の喜んでる選手は本人ではなく、良く似た芸能人。何とユニフォームはおろか、髪形までそっくりだ。で、右側の笑ってないのが本人。彼に言わせれば、「自分は公務員なので偽物は許せない」のだとか。アッパレな精神だ。 「貴乃乱」が終わった。相撲協会への全面降伏で白旗を掲げた。親方会の臨時総会で、かなりの追求にあった。中には「大相撲協会関係者数百名を路頭に迷わすつもりか」と激怒した親方もいたとか。日馬富士による暴力事件に対する抗議はまだしも、自分の部屋の力士が起こした暴力事件に関して、役員としての勤務を疎かにしたり、協会に無断でTVに出演した責任を問われたのだ。 今後も弟子を育成したいとの思いから、心を入れ替えて勤務すると懇願した親方。親方会が理事会へ厳罰を願うことはしなかったようだが、結果は2階級降格。これで理事から5階級下り、80人の親方衆に順位を抜かれた。そして弟子の貴公俊は、出場停止1場所の厳しい措置だった。 日馬富士の暴力事件に関する同親方の行動は間違ってなかったと思う。ただあのような封建的な世界では、口だけの改革や孤高は許されない。誇り高い元横綱が、果たしてどこまでこの屈辱に耐えられるかどうか。協会もここまで痛めつける必要があったのだろうか。 衆議院及び参議院での証人喚問で、新しい要素は何も出なかった。野党は政府の非を唱えるが、証人喚問こそが大事とし、拘留中の籠池氏から聞いた話を鵜呑みにして追求したものの、何も明らかにはならなかった。証人にも法で守られた権利があるからでもあるが、証人喚問の限界でもあろう。そもそも総理がこの問題に関係した証拠はどこにもないのに、昨年から国会で連綿と追求し続け、混乱を招いている。 事の発端は近畿財務局と大阪航空局のチョンボ(ミス)だと識者は指摘する。伊丹空港の航路直下にあり、騒音が酷い土地。元々は沼地で一旦宅地になったものを買い戻すことになった曰く付きの土地。そこからゴミが出て、籠池氏に足元を見られて安く売らざるを得なくなった。首相が出る幕などどこにもないのだ。 このほど来年度の政府予算が成立した。また尖閣列島近辺での偶発的な衝突を避けるため、このほど「日中海空連絡合意」が成立した。証人喚問のゴタゴタ騒ぎの中でも、重要事項は着々と決まって行く。 驚いたと言えばこの2人が北京で顔を合わせたことだ。金正恩が北朝鮮の統治者となって初めてで、外国訪問もこれが初めて。あれほど強硬姿勢を見せていたドンが、なぜ心変わりしたのだろう。経済制裁の影響がかなり厳しくなったのだろうし、アメリカとの協議を前に、中国の代表から知恵を借りる意味もあるのだろうし、中国の後ろ盾も欲しかったのだろう。核開発の放棄も匂わせているが、実態はどうか。 そっくりさん 一方のトランプ大統領も負けていない。北朝鮮包囲網を解く姿勢は全く見せず、さらに強硬な人物を国務長官に指名した。また韓国との貿易交渉では、アメリカの要求を全面的に飲ませた。中国に対しても強硬方針は変わらず、随一の同盟国日本に対しても、貿易戦争の矛先を納めてはいない。その意味では強いアメリカの姿勢を維持している。さて、北のドンが屈服する日が、果たして本当に来るのだろうか。
2018.03.30
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~わが日常の記~ 観葉植物の芽 思いついて庭へ出、雑草を取った。このところの暖かさで、急に伸び出したように感じたからだ。春先は芽が出てる物が少ないため、割と簡単な作業。軍手と稲刈り鎌、そして草を入れるためのバケツ。中腰での作業は辛いが、庭と畑がきれいになるのが嬉しい。ユリの芽が出て来た。クリスマスローズの茎がどんどん伸びる。ヒヤシンスが咲き出し、三つ葉も芽吹き出した。2時間ほどでバケツ2杯分の除草を終える。 葉ボタンの茎 大根を全部抜いた。と言っても小さいのが3本だ。1本は葉っぱごと刻んで漬物にし、1本はおでん用に圧力釜で煮、1本は冷蔵庫に保管。物置からジャガイモを3個と玉ネギ1個を出す。これもこれで終了。昨年の6月に収穫したのが今まで持ってくれた。何度か凍ったせいで、ジャガイモは柔らかくなって絞ると水が出るほど。これもおでんに入れて使い切った。 アオキの実 掛け布団、敷布団の布団カバーに続けて、台所、トイレ、ふろ場用の小さなマットレスを洗濯。どれも長い間使用したため、草臥れた感じ。たまには洗濯したらきれいになるだろうと思ってのこと。居間に掃除機をかけ、その他の部屋はドライのモップをかける。それだけでも埃が付着して、少しはきれいになるはず。干した布団は太陽の温もりでふかふか。これも安眠の材料だ。 葉ボタンの茎2 散歩に出かけた。M公園の十月桜とS高校の大寒桜を観に行こうと思ったのだ。歩きながら色んなお宅の庭を拝見。スイセンやクリスマスローズが咲き出している。椿は早くも枯れ始めた感じ。満開の梅、開き出したモクレンやコブシ。今年はかなり早い感じ。だがM公園の十月桜はほんの数輪しか開いていない。恐らく冬に咲いたのが散ったばかりなのだろう。A公園経由でそのまま帰宅。 オリヅルラン 午後から歩いて整形外科へ行った。肩はまだ痛みはあるが、日常生活には支障ないほどまでに回復した。だが足の治療に進むにはまだ早いとのこと。30分の治療時間では、片方しか不可能なのだとか。理学療法士には、5月のレースに参加する意向と、自分の考えを伝えた。自分でもまだ走れる状況でないことは分かるが、歩くだけでもしておかないとどんどん筋力が落ちると思うのだ。 蘭の蕾 その足で内科へも寄った。前もって診察券は出していた。この日も血糖値の測定。前回よりも0.1だが上昇している。「あと2kg体重が減ると良いのですが」。そう言いながらドクターは血糖値を下げる薬を処方した。数値が落ちたら服用を中止する由。霜焼けはもう大丈夫とのこと。整形外科のことも話す。血糖値や体重の上昇が、私の運動不足から来てることをドクターは良く知っているのだ。 ユリの芽 病院からの帰路、コンビニで雪菜2把を108円で購入。元は65円だったのが少し弱り、50円に値下げしたのだ。家に帰って鍋で茹でた。日頃から食べ過ぎには注意している積り。摂取カロリーもさほど多くはない。だがそれでも太るのは運動不足なのだろう。出来るだけ野菜を食べてカロリーを落とす。この日私が歩いた距離は7kmほど。体重が少し落ちたが、健康への道はなお遠そうだ。
2018.03.29
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~春の花を愛でる~ 急速に春になった仙台です。大事に取って置いた花の写真も、どんどん載せないと追いつかなくなる恐れがありそうです。間が開きましたが、今日は私がいつも行ってる園芸店で写した春の花の第2弾。お手軽ですが、少しでも目の保養になれば嬉しいです。 残念ながら花の名前は知りません。 花はガザニアに似ていますが、葉っぱが違いますよね。 これはヴィオラでしょうか。色の組み合わせが良いですね。 パンジーはヴィオラよりも花が大きいですね。 パンジーもこれだけ集まると壮観ですね。 こちらはちょっと角度を変えて。素敵な花の絨毯です。 ここからは優しい色合いのラナンキュロス。春らしい彩ですね。 色の組み合わせが可愛いでしょ? ヒナゲシにも似てるけど、やはりちょっと違いますね。 ピンク一色でバラみたい。 大輪で縁取りのある花、見応えがありますねえ。 白一色のラナンキュロスも素敵。 ダリアのようでもあり、バラのようにも見えるラナンキュロス。<続く>
2018.03.28
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~ブログ友ローズコーンさんを通じて~ 数少ないブログ友の1人に、長崎のローズコーンさんがおられます。毎朝お互いのブログを訪ねて、コメントを書くのが日課です。美しい長崎の風景が載せられた彼女のブログは、私の詩心を刺激することが多く、その時閃いた短歌を載せていただくことがあります。彼女の許しを得て写真をお借りし、歌を再掲しますのでご覧いただけたら幸いです。なお歌と写真はリンクせず、順不同であることを申し添えます。 青空にサクランボの花溶け込みて メジロヒヨドリ枝に集いぬ 爛漫の春は来にけりサクランボ 紅の花満開にして ひともとの玉之浦椿艶やかに われを招きぬ春の客として 楽し気に蘭を着生せし老人 確かなる技庭に溢れて 蒼穹にソメイヨシノの道続く 今年も生きて楽しむ桜 桜越しに臨むクイーンエリザベス 長崎は今春のさ中に 坂道や桜の影と照明の影映りけり長閑なる午後 花開く時にその音聞こえしと 長崎の友今朝のブログに 一面の黄の集団となりし花 収穫されざる冬の野菜は 春野菜鶏ガラを煮て大皿に 食欲あれば老いも楽しく ムスカリの和名はブドウヒヤシンス 花言葉は「通じ合う心」とか 水彩画筆一本で描きたる 淡き花の絵署名を添えて タガログ語飛び交う山の公園よ 若者たちは花見の宴 聞けばみなフィリピンよりの出稼ぎと どの青年も屈託のなし 車座になりてビールを傾ける 眸明るき異国の青年 テレビ局も取材の準備花の山 長崎は今春真っ盛り 花の下夫婦仲良く語らいぬ 港見下ろす丘の頂 老夫婦ともに白髪の花見かな 手と手取り合い肩を貸しつつ 紅に空染まりゆく稲佐山 塔のシルエット明らかにして のそのそとテントウ虫は這い出でぬ 春が来たかと畑の道に
2018.03.27
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~自らを信じて~ 白菜の蕾菜 白菜の蕾菜を何本か切ってお浸しにした。これがなかなかのご馳走なのだ。この厳しかった冬、白菜もヒヨドリに良く突かれていたのだ。掛布団と敷き布団の布団カバーを外した。ついでに襟元のバスタオルも。面倒なので放置していたが、いよいよ洗濯する時期が迫った。庭の梅がほころび出した。と思う間に3日目には満開になった。強めに剪定したため花は少ないが、梅干しを作るのが楽しみだ。 豊後梅 自転車に乗って兄宅へ行った。兄はショートステイで不在だったが義姉が富山のマス寿司をご馳走してくれた。お互いの健康の話、子供たちの話、今後のお墓の問題、離婚した前妻の話など、話題は気がかりなものばかり。結婚式以来会ってなかった姪にもたまたま会え、お互いの年齢を確認。甥の消息も知った。後何年健康年齢を維持出来るのか。義姉は早めに「要支援」の資格認定を受けるべきと言うのだが。 クリスマスローズ 先日アメリカで初優勝した女子テニスの大坂なおみ選手が、次の試合でも1回戦でセリナ・ビーナスを破った。これで新旧の世界ランク1位を連続で撃破したことになる。初優勝で賞金1億円以上を手にしただけでなく、ランキングが44位から22位に急上昇。今回も世界の強豪ビーナス妹を一方的に破ったのは、実力が本物である証。活躍が楽しみだが、今後の問題は日米どちらの国籍を選ぶかだ。 ホソバスイセン ドイツの大会で、女子ジャンプスキーの高梨沙羅選手が優勝した。これでワールドカップの優勝回数は54回目。男女を通じて新記録と言う。この記録は昨年来のもの。新記録達成を目前にして、なかなか優勝出来なかった彼女。だが平昌五輪で銅メダルを獲った辺りから、復調の兆しが見られるようになった。優勝した彼女を、日本の選手仲間が駆け寄って祝福した。何という麗しい光景だろう。 ヤブツバキ 大相撲春場所は横綱鶴竜が14日目に優勝を決めた。他の2横綱が休場した中で、良く横綱の意地を見せたと思う。彼自身も決して体調は良くなかったはずだ。貴乃花部屋の貴源治と貴ノ岩が共に千秋楽で勝ち越した。遠藤の技能賞獲得と三役昇格確定は立派。前場所優勝した栃ノ心の10勝も見事な成績だ。ただ場所後の親方会と理事会で、貴乃花親方への糾弾がどうなるかが心配だ。 雲南百薬 国会で「森友問題」が紛糾している。が、私はさほど問題視していない。確かに近畿財務局の忖度はあったかも知れない。そして首相の答弁に鑑みた公文書の手直しはあったかも知れない。だが、それを総理夫人の関与や総理の関与と言うのは無理。正すべきは正すとして、国会の審議を混乱させるのはどうかと思っている。あの「加計問題」も今では全く騒がれなくなった。あれほど総理が関与したと騒いでいたのにだ。 チオノドクサ 元々あの土地は沼だった。さらに大阪空港付近で、騒音が激しい地。一旦宅地として売られた後で問題となり、国が引き取った曰く付きの場所なのだ。その隣の野田中央公園も元沼地で、ゴミが出たため近畿財務局は98.5%も値引きして豊中市に売却した。実はそれを推進したのが立憲民主党政調会長の辻元清美議員なのだが新聞は全く報道せず、野党6党は拘束中の籠池氏を事情聴取する始末。 椿 財務省から近畿財務局へ公文書書き換えの依頼があり、その関係者が双方で自殺した。だからと言って安倍総理や総理夫人が関与したとは言えないだろう。でも財務大臣の任命責任はあると思う。それが27日衆参予算委員会の証人喚問でどんな結果になるのか注目だ。各党の議員は冷静に追求し、報道各社は客観的かつ正確に報道して欲しいと願う。
2018.03.26
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~変わり行く世界~ プーチン大統領の当選が決まった。大統領としては4度目の登板。この間首相としても1期務めており、政権に就いた期間はあのスターリンに次いで2番目の長さになるのだとか。野党は長期政権の弊害を説き、選挙放棄を訴えたが投票率は76%を超えた由。プーチン氏は平昌で金メダルを獲ったザギトワ選手などに高級乗用車を贈り、ロシア国歌を熱唱して愛国心を煽ったのだとか。そして不正投票も横行している由。 さて、トランプ大統領も反撃に出た。貿易赤字の原因である中国の鉄鋼品などに、高めの関税を掛けることを決定し、輸入制限も発動した。EU、カナダ、メキシコ、韓国に対しては当分静観するが、日本へも中国同様強硬措置を取り今後の交渉でFTAを持ちかける予定とか。なおEUなどへの対応は5月までの暫定措置。これは完全な貿易戦争で、かつての自由貿易はすっかり影を潜めた観がある。 李明博元大統領が逮捕された。「またか」と言うだけで驚きはない。朴槿恵さんは現役の時に逮捕されたが、韓国の大統領の多くは辞任後に逮捕されたり、政治的追及で自殺するケースがほとんどだ。身内に便宜を図り高額の収賄を受け取った大統領たち。国家の品格が問われるが、疑問の声が聞かれないのが不思議でならない。一方米国との協議が決まった北朝鮮だが、国内で報道されないのが魔訶不思議。 内閣府に対して告発があった女子レスリングの件だが、告発した側の田南部コーチ側にも問題ありとの指摘がある由。その一方、レスリング協会が強化費を恣意的に配分しているとも聞く。栄コーチの奥さんや、寮の栄養士にも配られているのだとか。どこまでが真実でどこからがフェイクかは分からないが、連日ワイドショウを賑わしている。こんなことで東京オリンピックは大丈夫なんだろうか。 同じく内閣府へ訴えた貴乃花親方が、告発を取り下げるようだ。あの後、弟子で新十両の貴公俊が場所中に付き人を殴打した事件が起きた。親方は元日馬富士の暴力事件騒動が祟り、理事選に落選。大阪の春場所では役員室へ出勤しないなど混乱が続いた。貴乃花一門の親方衆が相次いで離反し、今場所後は親方会で事情聴取を受け、理事会では再び処分検討予定となっていた。 貴公俊の暴力問題も、職務をないがしろにした自分の責任と親方は反省したようだ。一門での連合稽古は出来ず、付き人を一門の他の部屋から借りたくても相談出来ない状況だった由。女将さんもFBでそれとなくこぼしていたようで、協会への抵抗と非協力が歪んだ形で現出したのだろう。このため今回は潔く白旗を掲げ、協会への協力を言い出すしかなかったのだと思う。 今場所、幕の内の貴景勝は怪我で途中休場し、新十両の貴公俊は暴力事件のため途中休場。十両に降格した貴ノ岩と貴公俊の双子の弟である貴源治は7勝7敗の五分(14日目時点)。これらは全て自分の姿勢と関係があると親方は判断したようだ。厳しい状況は確かで、出直しも必要だ。指導者として成長するためにもこの経験を生かし、さらに前進して欲しいと願っている。
2018.03.25
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~74歳を迎えて~ 数日前のこと、雪が降るとの予報が外れみぞれになった。それでも寒くてストーブを点けた。石油はまだ18リットル以上残っていて、もう買わずに済むかも知れない。裏庭からフキノトウを3個摘み、その半分を刻んで味噌汁に入れた。少し苦味はあるが、爽やかな春の香りが体に沁み込む。ささやかな楽しみだが、私は十分満足出来る。堅かった畑の大根も、下ろし金で摺ったら瑞々しくて美味しかった。 かねて申し込み中の「俳句教室」の当選通知が届いた。あらまあ。籤に弱い私にしては珍しい出来事。会場が不便な場所なので自転車で行くつもりだが、雨の日は辛いだろうな。まあこちらは短歌と異なり、一受講生なので気が楽。持ち物は筆記用具だけで良い由。月1回2時間の開催で、来年の3月まで12回の開講。早速その日をカレンダーにメモ。きっと自分にとって良い刺激になるはずだ。 区役所から「高額医療費支給決定書」が届いた。一瞬何のことか分からず、面くらった。第一手続きをした覚えがなかったのだ。だが先日県民税市民税の申告をした際、係員に何か言われたような気がした。きっとあの時担当者は私が支払った医療費を確認し、申請手続きを取ったのだと思う。還付金はわずか6千円だが、熱心に通院したご褒美と考えれば嬉しい。😊 映画『北の桜守』を観た。吉永小百合主演で、監督は『送りびと』の滝田洋二郎。この映画のキーワードは、樺太からの帰還者、夫婦愛、親子愛、そして認知症とだけ書いておこう。要所で出た舞台劇のような場面が珍しかった。73歳の吉永小百合が20代の母親役を演じるには無理があったが、この映画の崇高さは損ねていない。悲惨な戦争とそれを乗り越えた人間愛に泣けた。今回もまた鶴瓶が出演だが、特に許そう。 春の彼岸の日、両親の墓参りに行った。元気なら自転車で行くところだが、いつ雨が降るか分からないこともあり、バスと地下鉄を乗り継いだ。駅から2km近く歩き、途中で花屋に寄る。兄夫婦と姪2人が既にお参りしたようだ。花立てに花を生け、線香に火を点ける。姉も含めて3人が眠るこの墓も、やがて兄は墓終いすると言う。私自身、後何回ここにお参り出来るかどうか。 ともあれ、私は今日74歳の誕生日を迎えた。厳しかったこの冬。血圧が200を超えた日が2回。血糖値の上昇、霜焼けの発症、動悸に息切れに目まい、胃の不調と不眠の症状も時々出た。我ながら良く春まで体が持ったと感心。そしてこれからも一人暮らしの不安と戦うことになるだろう。ブログ、短歌、俳句を友にし、少しでも健やかに生きたい。5月の仙台鉄人会は結局3時間走を申し込んだ。 あれほどの冬も峠を越えたるか 庭にひともと水仙の花 イヌフグリ、ナズナ花咲く春は来ぬ そを待つものにすべて等しく どちらも最近詠んだ歌の再掲。庭の梅がようやくほころび始めた。
2018.03.24
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~いよいよ最終回になりました~ <阿武隈急行車両:ネットから借用させていただきました。> 2月25日。私はJR槻木駅で阿武隈急行に乗り換え、宮城県最南端の地、丸森町へと向かった。ブログネタとして斎理屋敷の雛人形を撮るためだ。阿武隈急行は元国鉄の丸森線。それが国鉄解体で第三セクターに移譲。ところがこの路線では、私鉄となった後も苦戦が続いた。その後福島まで全線開通し30年経ったと知ったのは、つい最近のことだ。 <阿武隈川と丸森橋> 丸森駅で降り、斎理屋敷まで歩いた。約2kmの道のりを30分かけて。その途中にこの橋を渡った。下を流れるのは東北の大河阿武隈川で、源流は福島県の甲子高原。そして河口は宮城県亘理町の鳥の海付近。そこは藩政時代、江戸へ米を運ぶための中継港だった。石巻、寒風澤島、鳥の海を中継し、千葉の銚子から舟を変えて利根川を遡り、途中から運河で江戸へ到達する東回り航路は政宗が開いた。 <橋のたもとにあったお堂と大国主命の石碑> 斎理屋敷は2度目の探訪だが、丸森町を訪れるのは3回目。昨年の11月にもランニング仲間と福島県の伊達市から県境を越え、丸森町まで歩いている。今回は「まるもりふるさと館」にも寄って、この町の縄文時代から近代までの歴史を学んだ。郷土の歴史を知るのは嬉しい。私達東北人の祖先たちの暮らしぶりが分かるのだから。東北は未開の地だけでなく、豊かだったからこそ古来戦いの場となったのだ。 さて、斎藤家は江戸時代から7代続いた豪商。主人はいずれも「理」か「利」の名がついた由。それで屋敷の屋号も「斎理」とした。阿武隈川の舟運と、福島へ抜ける脇街道の往来によって、商売が成り立ったようだ。最初は太物(木綿)を商ったが、明治に入ると一時期銀行を持つほど繁栄した。 それだけではない。発電所や製陶会社も作り、広い敷地内にその工場があった。第2次世界大戦後は住宅工事まで行った由。いわゆる戸建て住宅の販売だ。それほど栄えた家業がなぜ7代で潰えたのだろう。何だかとても不思議な話だ。 その謎が解けたのは、本屋敷1階の広間の火鉢付近に座っていた「番頭さん」の話。彼によれば、7代目には息子がいなかったそうだ。養子を取ることも可能だったのだろうが、同時にこの土地柄で手広い商売はもう無理。そう判断したのではないのか。それが私の推察だ。仙台へ転居後、この地は荒れ果てた。建物と土地をそっくり町に譲ったのは7代目のかなり晩年のようだ。 豪商斎理の栄枯盛衰については、この説明資料をお読みいただきたい。つまるところ、阿武隈川の舟運も脇街道としての往来も、東北本線や国道4号線、6号線の開通によってすっかり廃れた。とうていこの地では商売が成り立たなかったのだろう。それが時代の趨勢。そう読んだ7代目は静かにこの地を去り、やがて広大な敷地と建物群を、そっくり丸森町に寄付する。そして博物館として生まれ変わった。 ご主人らと奉公人たち(昭和初期) <「時の蔵」に飾ってあった肖像画。7代目とその奥方だろうか。> 「番頭さん」によればお嬢さんは婿を取らず、すべて嫁に出した由。中には村田町の紅花問屋に嫁いだ方もおられた由。往時の村田では良質の紅花が生産され、紅は笹谷峠を越えて山形に運ばれたそうだ。山形の紅花は最上川を下り、酒田港から西廻り船で大坂に運ばれた。山形の紅花の大部分は京都で口紅や、腰巻の染料として重宝された。除菌効果が高かったのだ。まだ汽車が走ってなかった当時の話だ。 ピンボケになったが、「ダンボ」は当主を指した由。斎理屋敷の歴代の主人は、使用人にはとても優しい存在だったようだ。小僧さんも含めて、家族同様に接し、寝食を共にしていたのだろう。厳しい勤務の中にも親しい交流があったことが、壁の落書きなどでも見て取れる。 斎理屋敷の使用人たち。普通は使用人などの写真は撮らないだろう。少なくとも昭和初期くらいのものと見受けられる。当時写真撮影は贅沢だったはず。 説明によれば、「繭(まゆ)の輸送風景」らしい。繭は生糸の材料。そして絹織物は明治以降、日本の主要な貿易品であった。その繭玉を満載にした三輪車が屋敷内に3台も停まっている。どれだけ大規模に繭玉を扱っていたかが推察出来よう。かつての日本にこんな時代があり、地方の小さな町でも「絹」にまつわる商売が手広く繰り広げられていたことが分かる貴重な映像だ。 12回に亘って紹介した斎理屋敷の話はこれで終わる。東北の小さな町に栄えた豪商の歴史。その栄枯盛衰を、残された「物」から辿った。本来なら屋敷の歴史や由緒は冒頭に紹介すべきかも知れないが、あえて最後に持って来た。なおタイトルの「斎理屋敷さございん」の「ございん」は「いらっしゃい」の意味で、「さ」は「へ」の意味。最後になったが追補しておこう。 この日、私は斎理屋敷と「まるもりふるさと館」の2か所を訪ね、5時間ほどこの町に滞在した。撮影も編集も大変だったが、書き終えた今は楽しい思い出ばかりが蘇る。写真は阿武隈川の下流を眺めている。直ぐ隣の角田市では「あぶくまリバーサイドマラソン」(ハーフ)を3回ほど走ったことがあった。まだ十分体が動いた時の話だ。最後までお読み下さったことに感謝し、筆を置きたい。<完>
2018.03.23
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~斎理屋敷の飾り物~ このシリーズも今回で11回目を迎えました。今日は雛人形や置物を除く、屋敷の飾り物を紹介します。すべて手作りのもので、見事ですね。 これは本屋敷の入り口、階段の下に飾られていた木。枝に白梅と紅梅の飾り物がつけられています。 吊るし雛に扇子とは珍しいですね。私は初めて見ました。 額に入った椿の花ですね。純和風の美しさです。 本屋敷の大広間、雛壇の横に艶やかな着物が飾ってありました。 白の千羽鶴とは珍しいですね。 障子を背にした吊るし雛はモノクロ状態に。 扇子のコラージュの手前には椿の花の吊るし雛が。 羽二重のような白い椿の花。 春らしい色あいの千羽鶴が遊ぶ座敷です。 あらまあ。これはどうやら干し柿のようですよ。 可愛い花々の吊るし雛。珍しいですねえ。 テーマは藤娘みたいですね。 布に描かれた七福神が見事です。 雛壇の上には紙で折られた扇子が一面に。 新館の吊るし雛(再掲) 新館の吊るし雛と大きな椿の花。 最後は習蔵の啓翁桜でお別れです。いよいよ残りは後1回になりました。<続く>
2018.03.22
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~「時の蔵」にて~ さて少々間延びしたが、「斎理屋敷シリーズ」の再開だ。これは「時の蔵」(登録有形文化財指定)を連子塀越しに見ている。この蔵は明治の後期に建てられ、質草などを保管していたが、一時期銀行としても使われた重厚感溢れる蔵だ。 「時の蔵」の入り口の看板は時計の形をしていた。 蔵の中には看板の元になった古い柱時計が2つ、壁に掛けられていた。 「時の蔵」の名前が示すように、この蔵に収容しているものは歴史的な資料が多い。これは和歌が書かれた屏風だ。 見事な屏風の前には、立派な鎧と兜。と言っても斎理は武士だった訳ではない。明治になるとかつての階級は無くなった。仙台藩に仕える武士達は、食うために先祖から伝わった武具を質草として金子を借り受けたのだろう。それが「流れ」て、斎理に残ったのだと推察出来る。 これが何かお分かりだろうか。答えは大砲の筒と弾。筒は木製で、砲弾は陶製の切込焼き。現在の加美町宮崎の焼き物で、仙台藩御用達であった。実はこの粗末な武器で官軍と戦ったのだ。 これがその説明。丸森は伊達藩の最南端。ここで攻め入る官軍と戦ったのだが、最新鋭の軍備を持つ官軍の敵ではなかった。何しろ官軍は鋼鉄製の大砲と鉛の砲弾を持っていたのだ。ゲリラ部隊である鴉組の活躍も虚しく敗北して後退する。 明治になると刀は不要となり、質草となった。ただし日清、日露戦争に赴く兵士に、斎理は無償で刀を提供したようだ。これは後に残った刀の柄(つか)など。 これは刀の鍔(つば)。見事な工芸品だが、上の柄と共に明治の軍隊には相応しくないため残されたのだろう。 江戸時代の印籠。帯に止めるための根付けもセットになっている。左端には煙管(きせる)が見える。 上等な蒔絵が施された茶道具セット。斎理の奥方が嗜まれたのかも。 こちらには斎理の奥方が使った茶飲み茶碗と説明書きがある。 お茶と来ればお茶菓子が付き物。見事な漆器製の鯛の菓子器。 茶釜(左)は狸の形。これが本当の文福茶釜。右は家紋入りの茶箱で、見事な蒔絵だ。 蓋があるので花瓶ではなさそうだ。香料などを入れたのだろうか。 獅子頭の口が開かない所を見ると、獅子舞用の物ではなさそうだ。だがそれなりに威厳はある。<続く>
2018.03.21
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~春は一足飛びに~ 歯を抜いた。右上の奥歯を1本。ただし抜いたのは1本でも、一気に3本分が消えた。その3本は「ブリッジ」で繋がっていたのだ。脱脂綿を噛みしめているようドクターに言われ、夕方まで本気になって噛んでいた。それが良かったのか夕方には出血が止まった。その晩は風呂にも入らず、アルコールも飲まなかった。翌日消毒に行くとドクターが驚くほど状態は良好。だが義歯が入るまで、食事の際は難儀するだろう。 TV番組で血圧を下げる方法を知った。畳んだタオルを丸め、軽く2分間握るだけ。それを左右の手で持ち替え、2回ずつ握れば良いらしい。すると一時的に血圧が上がり、そのシグナルが脳に届けられる。その時「これはいけない」と脳が判断し、今度は血圧を下げるホルモンを分泌するのだとか。早速私も試してみたが、なるほどてきめんに下がるのが嬉しい。一日2回で良いらしいが、それがどこまで続くかどうか。 循環器内科から血液検査の結果が届いた。血糖値も肝機能検査もさほど心配する数値ではなく、尿蛋白と潜血は異常なし。やれやれだが油断は禁物。「糖尿病連結手帳」を歯科医にも見せたが、「大した数値ではないな」と小さな声で呟いていた。それは良いとして最近耳鳴りが気になる。以前は1日で消えた症状が、今回は数日間続く。「海鳴り」ならロマンチックなのだが、これもきっと老化の一現象なのだろうね。 この所仙台でも急速に春めいて来た。そこでツーリストに電話し、4月のお花見ツアーの参加日を5日前のに変更。ただし、ソメイヨシノは良いとして、エドヒガンの開花時期が問題だ。さらに6月のツアーの日時も変更。何と高校時代の恩師の米寿の祝賀会とブッキングしていたのだ。原因はカレンダーにメモしなかったこと。幸い別の日に1人分余っていた。これも梅雨の悪天候に当たらなければ良いのだが。 最近はとみにお金の減り方が早い。凡そ2万5千円くらいずつ引き出すのだが、あっという間にどこかへ消える。まさに「お足」だ。それで郵便局へ出かけた。その道すがら、白梅、紅梅が満開の木を見つけた。あれまあ、仙台もいつの間にか春になっていたんだねえ。梅の根元を見るとオオイヌノフグリとナズナが咲いていた。哀れな名前の野草だが、「星の瞳」とか「天人唐草」と言う洒落た別名もあるのだとか。 とまれ、オオイヌノフグリは牧野富太郎博士の命名の由。実の形から名付けたようだ。白い花はナズナだと思う。10年以上も前の朝ドラ「太陽」の中に、なずなと言う名前の女性が出た。その役を演じた女優が最近結婚したことを知った。この日郵便局では、いつもより1万円多く引き出した。果たして今度は何日で財布が空になるか。その前に「仙台鉄人会」のレース参加を決める必要があったね。 イヌフグリ、ナズナ花咲く春は来ぬ そを待つものにすべて等しく
2018.03.20
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~春の花1~ 平昌でのパラリンピックが昨日で終わりました。オリンピックほどは観戦しなかったけど、日本選手の活躍に胸が躍りましたね。特にスキーの村岡桃佳選手が凄かったです。何せ出場した5種目で全てメダルを取ったのですから。 テニスの大坂ナオミ選手もやりました。アメリカの大会で世界ランキング1位を破り、決勝進出とは見事です。将棋の藤井6段も負けてないですね。今年度の棋戦で、対戦数、勝利数、勝率、連続勝利数の4部門で1位だった由。やるなあ中学生棋士も!! ここからは私が良く行く園芸店で写した花の写真です。説明する必要もないと思いますので、ゆっくりご覧くださいね。 良いですねえ、チューリップの花は春らしい感じがして。 黄色い水仙が気持ちを明るくしてくれますね。💛 これはアネモネかな?花びらの形が面白いです。 これはサクラソウの仲間でしょうか。 これも含めて以下の花もサクラソウだと思うのですが。 サクラソウ、シクラメン、菜の花の寄せ植えですね。 こちらは観葉植物も入って、もっとたくさんの種類の寄せ植えですね。 これはマーガレットの変形種でしょうか。 名前を知らない白い花。輪郭がはっきりしてますね。 花は小菊に似ていますが、季節が合いませんね。 これはイベリスですね。花びらの形が特徴的です。<続く>
2018.03.19
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~忖度とは何か~ 雁戸山 中国の国家主席の任期が事実上なくなった。この度全人代で憲法を改正した結果だ。あのむっつりした習さんが、今後どれだけ長く国家主席の座に就くのだろう。また本来は定年だった政治局員が、副主席の座に就く由。さらに毛沢東の孫など、政府要人の子や孫のほとんどが中枢から追われた。これで習さんの独裁体制が続くのは明白だ。そんな中国に、果たして本当の自由があるのだろうか。 名取川 ロシアの大統領選では、プーチン氏の当選がほぼ確実。首相時代も含めれば、通算で20年以上も1人の政治家が権力を握る。前回敗れた候補は、今回立候補すら不可能になった。ロシアは最近イギリスに帰化した諜報員を襲った。使用した神経ガスは、ロシアでしか製造されていない。以前にもイギリスに逃亡した諜報員を放射性物質で暗殺。イギリスは今回23名のロシア大使館員を国外追放し、ロシアも対抗措置を取る予定とか。 大東岳 北朝鮮との協議を決めたアメリカだが、トランプ大統領は国務長官を突然解任した。自分と外交方針が異なり、北との関係についても異論を唱えていたと言うのがその理由。ついでと言って良いのかどうか、国務次官も罷免する由。一体何人政府高官の首を切ったら気が済むのだろう。娘婿クシュナー氏の権限が制限されたのに続き、長男のトランプジュニア氏が離婚。何とも落ち着きの悪い政府だ。 落ちた椿 谷岡志學館大学学長の記者会見を見た。女子レスリング問題に関してのものだが、聞いていて気分が悪くなった。曰く。「栄監督にはパワーはない。従ってパワハラは出来ない」。「そもそも伊調さんは選手なのか。東京オリンピックを目指しているのか」。何ともはや乱暴な意見。家庭環境、政治家としての経歴、現在の地位。何から何まで相撲協会の池坊議長と瓜二つ。物事の「決めつけ方」までそっくりだ。 フキノトウ 森友学園問題が思わぬ方向に進み出した。例の公文書書き換え問題だ。はっきり言って、私は近畿財務局の「忖度」は初めからあったと思っている。勿論総理夫人が財務局を動かしたのではなく、籠池氏が夫人や総理の後ろ盾をちらつかせ、府議会議員や国会議員の名を出して財務局を脅かした点においてだ。しかも敷地からゴミが出たことを逆手に取り、価格を下げさせようとしたのも極めて悪質。 クンシラン 財務局は彼の作戦に驚き評価額を下げたのだろう。ただ「妻も自分も一切関与していない」。総理の国会での答弁が佐川前国税庁長官を縛り、近畿財務局へ公文書の書き換え依頼へ繋がったのではないか。それが私の推理だ。本来「忖度」に悪い意味はなく、「その意を汲んで実践する」奥床しい行動だと思う。それがなぜ不正に繋がるのかが不思議。公文書の書き換えなどせず、堂々と反駁すれば良いのだ。 チオノドクサ 籠池氏が名前を出した自民党の鴻池氏がこう言っていた。「なぜ私の名前を公文書から消したのか。私は何も悪いことはしていない」。一切の関係を否定するから物事がおかしくなる。「それはこう言う意味だ」とはっきり説明すれば済む話。住民の要望を正当な政治活動で解決する=忖度と考えれば、何もやましいことはない。ただし、あくまでも社会的な要望の実現であることは論を俟(ま)たないが。クリスマスローズ それにしても最近の役人はお粗末過ぎる。佐川氏は自分の出世を優先したのだろうが、論理性の乏しい姑息な手段。前文科省の前川氏はもっとお粗末。事務次官でありながら週に3度も風俗街に出入りする神経が異常。また厚生労働省では、新法制定の根拠となるべきデータチェックに不備があり、論外だ。 今回の公文書書き換えに関する朝日新聞の特ダネは、大阪高検のリークとも言われている。そうでもしないと事件化出来ないと考えたのだろうか。機密漏洩は社会正義に繋がる反面、犯罪行為ともなり得る。日本の役人は優秀。そんな評価は今や過去のものとなったようだ。
2018.03.18
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~「嫁の蔵」と「習の蔵」~ 登録有形文化財指定の「嫁の蔵」(よめごのくら)は明治36年の築造。斎理屋敷の中では材料を吟味した最も立派な造りとのこと。貴重品を収納する宝蔵と呼ばれ、奉公人が立ち入ることは許されなかったそうだ。 「嫁の蔵」の看板は櫛(くし)の形をしていた。 展示品の中で真っ先に目についたのがこの水引(みずひき)だった。結納に添えられていたのだろうか。 扇型の重箱とは珍しい。お花見の時などには、わざわざこれを運んだのだろうか。 これも移動可能な重箱。上の2段が重箱で、下はひょっとして酒器かも知れない。 沈金の見事な菓子器。斎理の紋所である「三つ巴」が施されている。 蛤型(はまぐりがた)の菓子器とは珍しい。蓋に菊の花を散りばめた豪華な作りだ。 鉢と皿と徳利。 陶製のコップには平安貴族風の絵付けが施されている。 赤絵の大皿。 角皿の中に「乾山」の銘があることに気づいた。もしこれが尾形光琳の弟である尾形乾山(けんざん=江戸時代の著名な陶芸家)作の本物であれば大変なお宝だ。右は私が念のために乾山の署名を、他の作品から写し取ったもの。比べると本物のように見える。果たしてこの斎理屋敷にその認識があるかどうかと心配して電話したら、ちゃんと認識していた。やれやれ。他人事ではあるがこれで一安心だ。 火鉢と鉄瓶。共に金属製の堂々たる作品だ。 タンス類。桐材に鉄製の金具が施されている。 「習の蔵」(ならいのくら)の壺に活けられていた啓翁桜(けいおうざくら) 「蔵」と名がついていても、ここは新館と繋がった新しい建物の一室で、体験講座の時に使用出来る施設。この可愛らしい作品も、過去の体験講座で利用者が作ったもののようだ。単にかつてのお屋敷の品物を展示するだけでなく、こうした双方向性の活動が今後の地域活性化のために必要なのだろう。 これも体験講座受講者の作品だろうか。鯉のぼりの置物のようだ。 「座敷わらし」ではなく、れっきとした地元のお婆ちゃん。この日習の蔵では、地元の方が集まって昔話を聞かせていた。私が聞いたのがこのお婆ちゃんのお話。宮城の方言で訥々(とつとつ)と話す語り口がとても優しかった。庄屋のネズミと貧乏な百姓の家のネズミが相撲を取る話。優しくも貧しい爺婆に、やがて思いがけない財宝が運ばれると言うこの土地に伝わる心温まる民話だった。<続く>
2018.03.17
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~本屋敷にて~ ここは蔵ではなく本屋敷。その軒下に掛かっていたのがこの看板だ。祝いの酒とはまた縁起が良い。もともとここにあった斎理の木造の居宅(明治初期の建造物)は取り壊し、昭和63年に現在の建物を新築した由。斎理は蔵にこそお金をかけたが、居宅は至って粗末。それも臨時の増築で凌いでいたため、博物館としては危険と判断したようだ。その古い建造物のイメージを、出来るだけ再現したそうだ。 1階突き当り奥の大広間には、見事な雛人形が飾られていた。手前の火鉢の横に斎理の半纏を着た老人が座っているのが見える。後でこの人と斎理や丸森町の歴史について論議することになる。 大広間の上は巨大な吹き抜けの空間だ。天井は2階のもので、「明り取り」から自然光が差し込んでいる。 別の角度から見上げた吹き抜け。欄間も含めて、とても美しい構造だ。 逆に2階から1階の大広間を見下ろした図。頑丈な鴨居がこの巨大な空間を支えている。 大広間に飾られた人形たち。この右手奥の雛壇は隠れていて見えない。 古めかしい神棚。事代主神(左)と大国主神(右)のようだ。 上の神棚の右側。奥津彦神と奥津姫神の名が読める。二神は共に年神の子なので、紙に印刷されたのは年神だと思う。家、屋敷、竈(かまど)などの守り神。沖縄や奄美のヒヌカン(火の神)は本土のものと形は違うが、本質的には共通だろう。火を尊いものとする思想は、ゾロアスター教(拝火教)にまで至るのかも知れない。各蔵や屋敷内にはたくさんの神が祀られ、信仰心の深さを感じさせられた。 部屋の一角には小さな仏像や数珠などの仏具が置かれていた。古代に大陸から伝わった仏教もまた、屋敷の人々の心を癒してくれたに違いない。 たくさんの能面や伎楽面が見える。主人の嗜みだったのか、それとも質草だったのか。 説明板(右下)によれば、これが当屋敷の雑煮の材料とある。大根、三つ葉、するめ、昆布、蒟蒻などが見える。大富豪の割には至って質素だ。仙台の城下町の物とはかなり様相が違っている。内陸部の丸森とは事情が違っていたのだろうし、時代による相違もあろうか。 「斎理家紋入り金火鉢」とある。火鉢は当時数少ない暖房の手段だった。冬の早朝に先ず「消し炭」に火をつけて炭を熾(おこ)し、それを火鉢や炬燵(こたつ)に活けた。「消し炭」は木材の燃え殻で、火をつけるのに便利なため、「火消壺」に入れて常時保存して置いた。 薬草などを粉砕するための薬研(やげん)。薬は屋敷の者のためか、それとも商売用だったのか。 当時の枕。下の説明板には、「当主が留守の時は強盗に命を取られぬよう、店の女たちは鍵と言う鍵をかけ、店蔵の2階の荷物の隙間に布団を敷いて寝た」と書かれている。昭和20年代までの話だが、昭和も遠くなった。 1階大広間の千羽鶴。逆光のシルエットの美しさ。 番頭さんのように見えるが、この方は元会社員。町長に頼まれて、屋敷の説明役になった由。尋ねたらほとんどのことをすらすらと教えてくれた。かなり人の話を聞いたみたいだ。私も疑問点を幾つかこの方にぶつけた。古代史の専門的なことは不得意みたいだが、その他は良くご存知だった。やはり人の話を聞くことが大事なようだ。<続く>
2018.03.16
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~確実に近づいた春~ 20度を超える日が2日続いた。これでソメイヨシノの開花も早まりそうな気配。4月の花見ツアー。日の見通しが甘かったかも知れない。ついでにコタツ布団を除去。この冬は灯油ヒーターと空調機を使用していたためだ。そして外水道を開栓。もう凍る心配もないだろう。さて、来週の土曜日は私の74歳の誕生日。また春を迎えられることを良しとしたい。だがこの時期は、ホルモン分泌の変動に要注意だ。 畑にメイクインを植えた。ジャガイモの種イモだ。これだけ気温が上がれば、霜害の心配も減ったと判断したのだ。昨年植えた「キタアカリ」は堅くて味が今一だった。それで「男爵」を植えようと思っていたのだが、売っていた種芋が生憎小さ過ぎた。これでは大きな芋は育たないだろう。そう思ってメイクインに代えた。きっと柔らかさも味も良いはず。 メイクイン2kg始め果物や野菜、全部で1300円ほどのお買い物。支払い時に割引券を使った。3月は私の誕生月。そのお祝いに300円の割引が3回使えるこの葉書をこの日持参し、先ず1回目の特典を使用。大きな種イモは包丁で半分に切り、切った面に草木灰を付けて穴に埋める。東の畑全部と南の畑の一部に全部で40個ほどを植えた。収穫は6月。きっと1人では食べ切れないほど獲れるはずだ。 裏庭の一部をスコップで掘り返した。そこは以前堆肥を作るためのコンポスト容器3基を埋めていた場所。だが、堆肥を作るのは手間がかかり、悪臭など衛生面でもあまり好ましくない。そのため生ごみは、燃えるゴミの日に出すことに。独り暮らしで出る生ゴミの量など知れている。鶏糞、石灰、化学肥料を混ぜてすき込んだ。いずれここには三つ葉とニラの苗を移植する予定。さてどんな風に育つか楽しみだ。 畑の大根を1本抜いた。これは昨年の10月に種を蒔いた分。時期が遅かった分成長が悪く、そのままの姿で冬を越した。それでも食べられなくはない。ブリのあらと一緒に煮て「ブリ大根」にした。そのブリがなかなかの上物で、一部を刺身にした。これには参った。何ととろ状態だったのだ。臭みのあるハマチとは全く異なる代物。よくもまあ、あのケチな魚屋が「あら」にしたものだと一人ほくそ笑んだ。 高校時代の恩師の米寿の祝いの会が6月にある。会場は近郊の温泉地で1泊の予定。その案内が幹事から届いた。5月半ば、仙台鉄人会主催の5時間走大会の案内も来た。まだどちらも返事はしてないが、米寿の会は出席する予定でいる。5時間走は未定。まだ肩の治療中で、足の治療を受けてないためだ。こちらは定員に満ちたら受付終了。早く決める必要があるのだが、少々迷っている。さて、どうするか。
2018.03.15
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~「童の蔵」と新館~ 「童の蔵」(登録有形文化財指定)は大正時代の建築物で、斎理屋敷の中で最も新しく、最も小さな蔵であることは以前も書いた通りだ。 「童の蔵」の入り口にある看板。もっとも小さな蔵であることから、ここは子供の玩具を中心に配置したそうだ。この看板が「凧」の形をしていることに、皆さんは気づかれただろうか。 これは「字凧」。天にも昇る勢いの「龍」の文字。 こちらは絵凧。勇ましい武者が描かれている。川中島の上杉謙信と武田信玄のようだ。 左の凧には「義経八艘跳」と書かれている。壇ノ浦の戦いの様子だ。右は「奴凧」。 右の凧には「自来也」と書かれている。自来也(別名自雷也とも)は、江戸時代の怪奇小説に出て来る盗賊で妖術使い。義賊のようだが、その実態は知らない。子供時代の私は、あまり凧を上げたことがなかった。結局は凧を買うお金がなかったからだろう。野球、かくれんぼ、鬼ごっこ、木登り、チャンバラ、独楽回しなどが遊びの中心で、刀や「杉鉄砲」(杉の実を弾にする)なども全部自分で作った。 竹で作った玩具。上の段には竹トンボ(左端)や剣玉(右端)が見える。竹製の剣玉は仙台では「チャカポコ」と呼んだ。遊ぶとそのような音がしたからで、木製の剣玉よりもずっと単純な構造で、面白味に欠ける。上段の真ん中の玩具には「ハンドル」がついている。下段の玩具同様用途が分からない。縄文時代の火きり棒にも似ている不思議な形だ。 標準語で言う「めんこ」。仙台では円形の物を「パッタ」と呼び、大抵は武者絵が描かれていた。長方形のものは「スケッチ」と呼んだ。「パッタ」は打ちつける時の擬音から来たのだろうが、「スケッチ」は意味不明。この写真のような絵から来たのだろうか。ともあれ、私の少年時代は戦後間もなくの物が乏しい時代。食料にも事欠き、貧しかったが、案外楽しかった記憶が残っている。 お手玉は女の子の遊び道具。食糧難の時代には、小豆の代わりに何を入れていたのだろう。残念ながら私はお手玉で遊んだことはない。ただあるとすれば小学校の運動会の玉入れ。あれは紅白の玉だったが、大き目のお手玉と言えなくもない。 遊ぶ子供たちの人形。真ん中に鬼はいないが、これは「かごめかごめ」だろうか。屋敷での暮らしを表現したオリジナルの人形が各蔵ごとに置かれている。その数は30にも上るだろう。具象的で優れた人形だが、今回はこの1枚だけ撮影した。撮影時の姿勢が苦しいのと時間がかかるためだ。いがぐり頭の少年におかっぱ頭の少女。この屋敷でもこんな小さな子供が働いていたのだ。 新館。博物館事業を円滑化するため平成になって新築した建物。斎理屋敷が最も栄えていた大正時代の建築物を模した。2階には昭和初期の屋敷近辺の街並みがジオラマとして再現されていた。私は撮影しなかったが、古い街の様子を知る人たちが、懐かしそうに眺めていたのが印象的だった。 歴代当主の中には珍しい物を収集する人がいたようで、蔵には色んなものがあった由。これもその中の一つでアワビの貝殻みたいだが、ひょっとしたら細工物かも知れない。 これは真珠貝だろうか。真珠の養殖には普通アコヤガイ(阿古屋貝)を用いると聞くが、これにも貝の内側に真珠のような光沢がある。 燦燦と早春の光が差し込む室内には、吊るし雛が飾られていた。どうやら椿の花のようだ。 この日、新館の1階では講習会が開かれていた。どうやら地元のご婦人を対象にした、人形作りのようだ。斎理屋敷を全て見終えて「まるもりふるさと館」(博物館)に向かう途中、付近に「高齢者振興財団」のような名称の看板が見えた。恐らくは俗に言う「シルバーセンター」なのだろう。 そして「ふるさと館」には大根の飾り物があった。「何だ何だ。福島県会津地方の大内宿でお土産として売っていた野菜の飾り物がなぜここにあるんだ」と、一瞬混乱した。だがその謎が解けた。先ほど通った「高齢者」云々の団体が、実はこれらの細工物を作っていたのではないか。高齢のご婦人でも出来る内職として。 大内宿の土産店では「アルバイトに作らせています」と言っていたが、製造元の一つがここ丸森町だったのだろう。先ほど斎理屋敷の新館でやっていた「講習」も、ひょっとして土産物を作る技術の向上を図るものなのかも。そして吊るし雛はじめ各種の飾り物は全て、町の重要な収入源なのかも知れない。私の大胆な推理が、果たして当たっているかどうか。<続く>
2018.03.14
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<「業の蔵」と「住の蔵」> さて4日間中断していたこのシリーズを再開しようと思う。斎理屋敷の10以上ある蔵のうち、今日は「業の蔵(なりわいのくら)」と「住の蔵(すまいのくら)」を紹介したい。少しでも生きた博物館としての斎理屋敷の雰囲気を感じていただけたら嬉しい。 これが業(なりわい)の蔵<登録有形文化財指定>の入り口。見事な造りであると同時に、機能美を備えた建築物であることが分かる。明治初期の建物で柱を外壁に出し、漆喰で塗り固めている。当時は太物(木綿)やご祝儀用の組膳を収納していた。 軒先に掛かる看板は、大きな桝の中に米が入っている。 1階の奥に、たくさんの米俵が積んである。この斎理が米を扱う商売をしていたわけではなく、これは食料として蓄えていた物だろう。旦那衆だけでなく、番頭から丁稚に至るまで屋敷内には大勢の人が暮らしていた。当時は米が主食だから、毎日たくさんのご飯を食べたはずだ。 米俵の前に鎮座する釜。斎理屋敷では、朝昼晩それぞれに3升の米を炊いたようだ。1人1合としても、最低で30人分の食欲を満たしたわけだ。 これは菜切り包丁か。鉄製の包丁は使わずにいると、たちまち錆びてしまう。 伊達藤五郎は伊達政宗の家臣で従兄弟である伊達成実の仮名。亘理伊達氏の初代で領地は亘理(2万石余)だが、丸森にも領地があったため、この屋敷に泊ったのだろう。 住の蔵(すまいのくら=登録有形文化財指定)は明治初期の建築。柱と柱の間隔が狭く、栗や杉の材木で頑丈に造られていた。この蔵では客の質草を保管し、2階は使用人が起居していたせいで、たくさんの落書きが残されている。 軒先に掛かる看板の意匠は障子だった。 かつて暖房用の燃料の主役は炭だった。冬は炭を熾(おこ)して火鉢に生け、暖を取った。 かつての照明器具。照明はハゼの実の油で作るロウソクが一般的だった。これはそのロウソクを立てる燭台。行燈(あんどん)や灯篭(とうろう)にロウソクを入れる場合もあった。 手広く商売を行っていた斎理屋敷では、様々な形の引き出しがたくさん備わっていた。 左はかつての納屋(なや=作業小屋)の模型か。右の蓑(みの=合羽)は業の蔵にあったものだが、内容的にここが相応しいと考えて移動した。 2階へはこの箱階段(はこかいだん)で登る。これは収容能力を高めるためで、階段の下は引き出しになっている。全ての蔵の階段はこの箱階段だった。 これが奉公人たちが残した落書きの例。落書きとも思えない立派なものだ。江戸時代から「読み書き算盤」は町人たちの必須科目だった。屋敷の奉公人たちも習字や算盤(そろばん)の習得に精進したのだろう。この識字率の高さが明治の近代国家樹立後も大いに役立ち、日本が先進国の仲間入りを果たす原動力ともなった。<続く>
2018.03.13
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~春一番は終わったが~ パンチ器を買った。まさかとは思ったが、100円ショップでちゃんと売っていた。何に使うのかと言えば、短歌の会でもらった資料を閉じ込むためだ。それが不思議な縁なのだ。2年前のこと、私が「東日本大震災」の短歌を詠もうと思ったのは、歯医者に置いてあった大震災の歌集を読んだのがきっかけ。ところがその歌集を編集したのが、所属短歌会のわが師なのだとか。これには驚いた。 わが家のフキノトウ 実はもっと古い因縁がある。短歌会では有志がN病院の患者さんに作歌指導を行っている。病院はかつてN療養所と言い、病気療養中の子供達がいた。今は支援学校だが、昔はベッドスクールと言った。私は高校時代、入院中の子供たちに「読み聞かせ」をしていたのだ。何と言う偶然。その50数年後に、また関係が出来たとは。きっと赤い糸で結ばれていたのだろう。 女子レスリングの選手育成に関して、さる弁護士が内閣府公益認定等委員会に提訴した。オリンピック4連覇で国民栄誉賞受賞の伊調選手が、練習場所を締め出されていると言う内容。訴えの相手でもある栄監督は伊調姉妹や吉田沙保里選手ら世界チャンピオンを大勢育てた名伯楽。だが志學館大学副学長となった吉田選手に比し、伊調選手は同監督の許を去り、他のコーチについた。それがパワハラの原因と言うのだが。 貴乃花親方が相撲協会の処分に関し、内閣府に提訴した。協会が貴ノ岩の診断書を本人の承諾なしに公表したのは承服出来ないとし、相撲協会への査察を要請した。法的な見地からは当然だろう。隠蔽体質で、評議員会や理事会の運営は封建的そのもの。何の瑕疵もない被害者貴ノ岩が、幕下一歩手前まで陥落すること自体がおかしいのだ。貴ノ岩は昨日白星スタート。女子レスリング共々、今後事態はどう進展するのだろう。 佐川国税庁長官が辞任した。国会を混乱に陥れた責任を取ると言うもの。その日の朝、近畿財務局の職員が自殺した。籠池氏との学園敷地売却交渉の担当者だった由。朝日新聞の関係資料改ざんの報道が国会を疑惑に陥れたが、証拠は示していない。資料の修正を命じたのは佐川前長官のようだが、これが改ざんに当たるのかどうか。麻生財務大臣(副総理)の強気の国会答弁が、今後尾を引かないかが分かれ道になろう。 トランプ大統領が5月までに金正恩とトップ会談をすると公表した。韓国の高官が平壌で彼からトランプ氏への書状を預かり、過日大統領へ手渡したようだ。トランプ氏はそれを読んで、会談を決意したのだろう。だが国際世論は北朝鮮を信用しておらず、核兵器開発のための時間稼ぎとしか見ていない。平昌五輪を契機に、積極外交へと転じた北。今回もどこまで本気なのか。ただ、経済封鎖が効いてることは確かだが。
2018.03.12
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~わが貧しき鎮魂の歌~ あの東日本大震災から今日でまる7年を迎える。天地がひっくり返ると感じたほど、大地が揺れたあの日。仙台の我が家でも、大きな振動が連続して起きた。電線は波のように揺れ、地面からは地下水が湧いた。電気は4日間、水道が1週間、そしてガスは35日間も使えず、寒さに震え、余震に怯えた夜が続いた。 停電が治まった時、TVに流れた画像を見て驚いた。わが故郷東北は、これほどまでに被害を受けたのか。海では流れる油が炎を上げ、空港では練習機が津波に流されて行く。町に乗り上げた船、破壊されたビルや住宅。あれほどまでの地獄を私は知らない。 大津波と避難の在り方を巡って、いまだに裁判で争っているケースもある。両親が亡くなったのは、下校途中の自分を探したためだと思い込み、未だに笑わない子供の存在を、あるドキュメント番組で知った。原発事故で故郷を失った多数の町民。未だに仮設住宅に留まる町民や、孤独死もしばしば見られる。あれから7年。未曽有の大震災から今日でまる7年を迎えるが、被災地の復興はまだまだだ。 亡くなられた多くの犠牲者の冥福を祈り、今も苦しみ続けている被災者の皆様に、この拙い短歌を捧げる。 <白い山茶花の写真はネットから借用しました。この場を借りて御礼申し上げます。> この一年被災者に笑み戻りしか 未だに続く裁判もあると 新しき堤防道路避難所も されどこころの復興はいつ 笑わない子に育ちたる遺児ありし 父母(ちちはは)の死は自分のせいと 目に見ゆる地上の復興進みゆく 海底はまだ瓦礫の山か 美しき山河裂けたるあの地震(ない)を 思い出す日の少なかる現在(いま) 破れたる校舎は震災遺構なり 子らの声なき無人の校庭 わが親をわが子を飲みし大津波 降りしきる雪の記憶は消えず 眼底(まなそこ)に今もくっきり震災の映像残るあれから七年 故郷に二度と帰れぬ哀しみよ 原発災害の犯人は誰 震度五の余震の夜も幾たびか 止めようもなき記憶の風化 新しき街が出来ても忘れまじ 「津波てんでんこ」避難優先* 孤独死の現実仮設住宅地 いまだに続く震災の余波 *「津波てんでんこ」とは、被災地に昔から伝わる言葉。もし津波が来たら、家族がどこにいるかと探していないで、先ずは自分1人だけでも安全な場所に逃げなさいとの言い伝え。その方が助かる確率が高まるとの、体験から来た貴重な教訓だ。上の12首は昨日の朝に詠んだ作品です。合掌。
2018.03.11
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~異国情緒たっぷりのランタン祭~ 扁額にある「関聖帝君」とは、中国の漢末劉備に仕えた関羽の別名で尊称。お馴染み「三国志」にも登場する高名な豪傑だ。これは長崎ランタン祭の一こまで、もちろん像は作り物だ。だが、関羽の前に奉げられた豚の頭は本物。これも含めて以下に掲載する写真は、すべてブログ友のローズコーンさんが撮影されたもの。彼女にお断りして転載させていただいた。 <川を横切るランタンの灯りは、さながら龍のようだ。> 長崎にお住まいの彼女は、このようにして時々と言うか毎日のように長崎の街や歴史を紹介してくれる。私はそのブログで南国の風景や異国情緒たっぷりな街を知り、歴史を学ばせてもらっている。私が住む東北とは、気候も違えば文化も異なる。だからこそ心惹かれるのだと思っている。 <川面に映える鳥形のランタン。その鮮やかな明かりが幻想的だ。> ご存じの通り、長崎は江戸時代の鎖国の時代も、唯一外国との窓口として門戸を開いていた土地だ。その相手が出島でのオランダであり、平戸での中国だった。後に中国とも長崎で対応した。その交流の歴史から生まれた祭がこの「ランタン祭」で、50年の歴史を有すると言う。 <天に昇る金色の獅子の巨塔> 「ランタン祭」は中国の春節(旧正月)の期間に合わせて開催されるようだ。そして今年は17日に亘って開催されたと聞く。ローズコーンさんのブログに載った写真や説明文から、いかに賑やかな祭であるか、その雰囲気が伝わって来る。 <馬上の勇者も歴史上の人物だろうか。> 長崎港には連日のように大型の客船が入港する。時には数隻が同時に桟橋に横付けになることもあるようだ。そして乗客の大半は中国からの観光客らしい。大勢の中国人がバスを連ねて市内に繰り出し、大量の買い物をして再び船に乗って帰国する。出島の時代とは一味違った交流だが、これも時代の流れなのだろう。言い方を変えれば、それだけ中国国民の生活様式が変化した訳だ。 <御輿に載った中国皇帝と皇后。扮しているのは長崎市民だそうです。> 私はローズコーンさんのブログに触発されて、時々自作の短歌を詠ませていただいる。朝の短い時間に、その日初めて見た写真などの印象で歌を作るのはとても厳しい作業だが、それも良い訓練の場。ランタン祭に関しても、幾つかの歌を詠ませていただいた。ローズコーンさんにお断りし、ここに再掲したい。改めて、どうもありがとうございました。 <供え物の豚と線香> なお、歌は作った順番で掲載し、写真と連動しておりません。 街中の広場に集う恐竜も ランタン祭の出番待ちいる ランタンの龍も牡牛も天翔ける 祭を待ちし長崎の街 春節祭みやげの龍はガラス製 体くねらせ天へと昇る ギアマンとビードロの音懐かしき 春節近き長崎の街 玻璃の龍頑丈な脚つけられて 飛翔かなわず地上を守る ランタンの光煌く中華街 祭も既に半世紀経つと 鳥形のランタン中島川の中 水面に映ゆる鳥の王国 川またぐランタンは今龍と化し 光の橋を架けんとするか ランタンの灯りは明るく輝きて 馬上の勇者矛を振り上ぐ
2018.03.10
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<暮らしと短歌> <わがやの藪椿> 火災保険の契約に行った。1年で切れる掛け捨ての物。それ以前に入っていたのは地震保険までつき、満期に300万円返って来る内容だった。昨年それを解約し、返金分を家のリフォームに充てた。これから先何年生きるか分からない。そして家を売ることもあり得る。そうであれば1年ごとの保障で十分。地震保険が無い分安くて済む。もうあれほど大きな地震に遭遇することはあるまいと考えたのだ。 4月のツアーを申し込んだ。宮城県内と福島県の2か所での花見ツアーだ。日帰りだから料金は安い。3月のツアーは申込者が少なくて、催行中止となった。3か所の霊地を巡るものだっただけに、とても残念に思う。だが、花見なら大丈夫だろう。旅行日は3日あるが、一番遅い日を選んだ。花見だけは日を間違うと悲惨。早くてもダメだし、遅ければさらに最悪だが、果たして満開時の「読み」がどうか。 数日前、庭で水仙が咲いているのに気づいた。厳しかったこの冬。私の体にもこれまでにない異変が幾つか起きた。霜焼けに驚くほどの高血圧。きっと厳しい寒さが、その引き金になったのだろう。加えて目まいもあり、胃の調子も悪かった。だから、良くぞこの体調で冬を乗り切ったとの想いが強かった。水仙を見つけたのはそんな時。ことさら花が愛しく思えた。 短歌会の例会に行った。今月は見学者としてではなく、正式な会員としての参加。だから詠み合わせの中に、私の作品もちゃんと載っていた。予め私が送ったのは次のもの。 もしもしと風の電話で呼びかける 聴こへしものは風の聲(こえ)のみ 「風の電話」は被災地に建つ、電線がつながってない電話。震災で亡くなった犠牲者と遺族が、魂の交流をするための「装置」だ。 旧仮名遣いと旧字を使ったのは、震災後7年を経て大災害の記憶が風化して来つつあることの象徴だったが、この結社では推奨しない由。だが、言葉の選び方と感性には驚かれた。この歌は技巧を度外視した、いわば無防備な作品。だが、月に一作品の提出では何か物足らない。引き続き総会にも出席。2年後に合同歌集を上梓する計画とのこと。果たしてその歌集を手にすることが出来るかどうか。 帰宅後4月分を葉書に記し、郵送した作品は以下のもの。 死も生もいまだ答は見つからず木立に墜つる流星群は これは生活よりも感性を優先させた作品。わざわざこれを選んだのは、短歌とは何かを仲間たちに問うためだ。言葉を磨くこと。感覚を磨くこと。そして歌と生活の一体感。何を重視するかで、その結社の方向性が分かるのではと。新参者はそんな風にして周囲の様子を窺い、「歌とは何か」を知って行く。 庭のクリスマスローズに新芽が出ているのに気づいた。良く見ると花芽も出ている。その夜、トイレに起きた際、歌が浮かんだ。水仙の花の歌だ。 あれほどの冬も峠を越えたるか 庭にひともと水仙の花 ひともとは「一本」。一株なら「一許」を充てて良いかも知れない。他愛ない歌だが、ようやく冬を乗り越えた歓びがそこにある。良くぞ生き延び、再びこうして春を迎えられると。 <白菜の花の蕾> 発酵鶏糞を2袋買った。15kg入りなので、自転車で2往復。その翌日、空いている畝をスコップで起こした。先ずは第一にジャガイモを植えるための準備だ。鶏糞と粒状の石灰を撒き、鋤で均す。それから雑草の除去。雨が降る前に作業が終われば、肥料が溶けて十分土に沁み込むと考えてのこと。畑仕事を終えた途端、ポツポツ雨が降り出した。土を掘りながら作ったのが次の歌だ。 急げ急げほでなし寡畑を掘る 春来る前に雨降る前に 「ほでなし」は仙台弁で「馬鹿者」くらいか。寡は「やもめ」。滑稽で自虐的な歌だが、案外気に入っている。歌は上品で取り澄ましたものばかりとは限らないと言う見本になるかどうか。
2018.03.09
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~造形と意匠~ 斎理屋敷の雛人形は2回に亘って紹介した。次に町の歴史を紹介し、斎理屋敷の建物も蔵を中心に紹介した。今日は造形や意匠としての建物や庭の一部を紹介したい。どれも写真を見ていただければ分かるものばかり。その美しさを感じていただけたら、望外の幸せだ。 「時の蔵」入り口の軒下と連子塀。全て実用品でありながら、なぜこんなにも美しいのだろう。 軒の支柱の形、そしてなまこ壁との対比。 蔵の扉の内側の取っ手。そのシンプルな意匠美はどうだろう。 蔵の内側の鉄扉に施された意匠。丸に三つ巴は斎藤家の家紋だ。 これも蔵の扉の内側部分で、翁と媼の花見の見事な細工。角の💛も良いねえ。 蔵の窓の機能美と様式美。 蔵の窓その2。simple is best. 蔵の窓と壁の意匠。 本屋敷の囲炉裏と鉄瓶。「灰均し(はいならし)」で表面が丁寧に均されている。 新館(新屋敷)の模型。 新館(新屋敷)の照明。 敷地内にある2つ目の裏門。 かつて使用していた屋根瓦。 蔵の前に置かれた甕。屋敷で使用された水瓶か。 庭石代わりに置かれた石臼。 庭石A 庭石B 庭石C 庭石D 手水鉢と鳩の彫刻 その1 手水鉢と鳩の彫刻 その2(その3までありました) 大正モダンの照明塔。 少々お疲れモードのため短い説明になりましたが、どうぞお許しを。<続く>
2018.03.08
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~斎理屋敷の蔵など~ <屋敷内建物配置図> 昭和61年(1986年)斎理屋敷の当主から、江戸後期から7代続いた斎藤屋の屋敷跡をそっくり丸森町へ寄贈されたのです。その利用法を1年かけて検討し、その後整備を行い、蔵の郷土館「斎理屋敷」が開館しました。昭和63年のことでした。その後屋敷内の12の建造物が国の登録有形文化財に指定されています。今回は蔵を中心に、幾つかの建物を紹介しましょう。 1)これは店蔵で、県道45号線に面しています。斎理屋敷の入り口に当たり、店内は売店です。嘉永元年(1848年)建造で、屋敷内で一番古い蔵。当時1階では呉服太物(木綿)を販売し、2階は商品の収納に用いていました。1階入り口の鎧戸(よろいど)は用心のため、縦に下りる仕組みになっていたそうです。<登録有形文化財指定> 上の店蔵の裏側です。蔵の裏にも頑丈な扉が設けられているのが分かります。 2)表門です。 右隣は店蔵で、左隣は嫁の蔵になります。明治前期の建造で、門柱2本の後に控え柱2本を建て、切妻屋根をかけた「一薬医門」と呼ばれる形式です。<登録有形文化財指定> 3)嫁の蔵と呼んでいる建物で、県道に面しています。明治36年建造。屋敷内で最も立派な作りの蔵で、かつては宝蔵として用い、奉公人の出入りを許さなかった由。現在は嫁入り道具などを展示しています。<登録有形文化財指定> 嫁の蔵の裏面です。右下に一部分見えているのが石風呂で、独立した建物です。総石造りの堅牢な浴室は当時でもかなり珍しい物でした。これも登録有形文化財に指定されています。 4)童の蔵と呼ばれています。大正時代に造られた屋敷内で一番小さくて新しい蔵です。それに相応しい子供の玩具などを展示しています。<登録有形文化財指定> 5)住の蔵(すまいのくら=手前)と6)業の蔵(なりわいのくら=奥)です。共に明治初期の建築で登録有形文化財に指定されています。住の蔵は杉と栗の柱を交互に使用し、柱の間隔を狭くして頑丈に造ってあります。1階は質草の保管場所で、2階が使用人の寝床だったようで、たくさんの落書きが残されていました。 5)6)の蔵の裏面です。その中間に立つ避雷針は当時としては大変珍しいもので、高さが26mあります。当主が雷嫌いのため昭和5年に設置され、登録有形文化財指定ですが今も現役です。 業の蔵(左側)はかつて太物(木綿)やご祝儀用のお膳類を収容していました。柱を外壁に出し、その上から漆喰で塗り固めたことがはっきりと確認出来ます。 7)裏門です。屋敷の中を南北に道路が通っていました。そこで用心のために門を設けたのです。明治初期の丁寧な造りで、杮葺き(こけらぶき)の屋根で、軒下に「三つ巴」の家紋が入っています。<登録有形文化財指定> これが敷地内を通る道路です。左手奥が業の蔵の裏面で、右側が支の蔵(ささえのくら=収蔵庫で非公開)の側面です。なまこ壁の美しい蔵ですね。 上の通路を直進するとここに出ます。左は童の蔵の裏面で、右側に時の蔵の塀が続いています。南の方角を見ています。この先にもたくさんの蔵があるのですが、使用されてない模様です。 上の通路を逆方向から見ています。左側の建物は朽ち果てています。斎理屋敷の敷地内ですが、町も財政難で十分に管理し切れないのでしょうね。 8)時の蔵とその前門です。この蔵は明治後期に建築され、屋敷では質蔵、宝蔵と呼ばれて骨とう品などが納められ、微かに白檀の香りがした由。一時期は銀行としても使われ、用心のために門を設けたのでしょう。現在は歴史資料を展示しています。<登録有形文化財指定> 時の蔵2階の窓です。鉄格子を入れ、盗難を防いでいます。これなら耐火も大丈夫でしょうね。 9)中央部が納蔵(おさめのくら)です。左の守蔵(まもりのくら)奥の支蔵(ささえのくら)と共に、斎理屋敷の収蔵庫としての機能を果たしており、非公開です。 10)新館です。元々この場所にあった作業場は老朽化したために取り壊し、博物館機能充実のため平成10年にこの建物を新築しました。斎理がもっとも栄えていた大正時代の洋風建築を取り入れ、2階には昭和初期の屋敷近辺のジオラマを展示しています。また新館左手の習の蔵(ならいのくら)は、地域の催しや学習を支援する施設になっています。<続く>
2018.03.07
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~丸森町の歴史など~ ぼけているが、これは宮城県の地図。赤く塗られたところが、斎理屋敷がある丸森町だ。見て分かるように、町の半分が南隣の福島県に飛び出している。戦国時代はこの地を巡って、伊達と相馬が戦った。相馬が治めていた時は磐城国の伊達郡に編入され、伊達氏が奪還した後は陸奥国の伊具郡に入った。 さて現在は福島と県境を接しているため、東日本大震災の福島原発事故による放射能汚染問題も発生した。町の特産品であるタケノコが、あの事故以来数年間出荷停止となったのだ。除染が終了し、現在では再び出荷が可能となった。 今日は丸森町の歴史を探るため、「まるもりふるさと館」を案内したい。町立の小さな博物館で入場無料。町役場付近にあり、斎理屋敷から歩いて15分ほどだ。これは縄文時代の石器。左側と上部に見える石斧(せきふ=いしおの)は、丸太などを伐る際に使われた。右隣の石棒は男性のシンボルとも言われ、呪術的な意味合いが深い。いずれも良く磨かれ、技術性の高さが偲ばれる。 縄文土器の一部。破損したままなのが残念だが、縄文の息吹を感じることは出来るだろう。 複製品で、縄文人の勢いが感じられないのが残念。当時の東北は縄文文化の最先端地で、土器にもエネルギーが漲っていたのだが、これだと薄っぺらいものにしか見えない。 これらは土偶(どぐう)と呼ばれる土製の人形。人間に代わって穢れを祓うために破壊された。後世の流し雛(ながしびな)と全く同様の考え方だ。日本人の遠い祖先たちの長命と健康を願う気持ちが込められている。 土偶。当時の品ではなくレプリカだが、造形美と縄文人の精神性を知る上で貴重だ。 弥生式土器の複製。主に狩猟によって食料を確保した縄文時代と異なり、大陸から伝わった米を育てて食料とする弥生時代の土器は、意匠がより単純化する。生命の危険性が減ったからだろうか。東北への稲作はかなり早く伝わったものの、寒冷化によって一旦米作地が後退する。寒さに強い品種がまだ出来てなかったためだ。 複製にせよ、県下でこれだけ見事な埴輪が出土したとは驚きだ。古墳時代の東北に、大和朝廷の影響が出始める。稲作で力を蓄えた豪族たちが、中央の墓制を取り入れるのだ。東北には従来独自の墓制があったが、中央の権力者との協力関係によってさらに自己の権威を増すためその墓制を取り入れたのだろう。ここ丸森町にも前方後円墳を含む古墳群が造られる。 緑色の真っ直ぐなのが管玉(くだたま)で、カーブしたのが勾玉(まがたま)。縄文時代から伝わる勾玉は胎児を模したとも言われ、呪術性を有する。共にメノウ製だ。首飾りだろうが、それにしては部品が少ない。貴石で作られた飾りは、権力者の象徴だった。 これは釧(くしろ)で、腕にはめるブレスレット。やはり権力を表す道具だ。なお北海道の釧路はアイヌ語の地名を漢字で充てただけで、本来の意味ではない。 これは銅製の鈴釧(すずくしろ)。釧の周囲に5つの鈴型装飾が施されている。私は今回初めて実物を見た。 <阿武隈川の流れ=上方が下流側です> 奈良時代にはこの地に伊具郡の郡衙(ぐんが)が置かれたことだろう。平安時代には奥州藤原氏が陸奥守となって東北全体を治めた。だが源頼朝の40万騎が藤原氏を滅ぼすと、この地も鎌倉幕府の支配下となった。南北朝時代は付近の霊山などで戦乱が続き、戦国時代には鎌倉武士の末裔たちが、領地の拡大に奔走して戦いに明け暮れた。 親子同士での戦いもあった。政宗の祖父稙宗(たねむね)は、実子である政宗の父照宗と戦って敗れ、この丸森の小城で余生を送った。その面倒を見たのが相馬氏に嫁いだ照宗の姉妹。稙宗の死後、娘はこの領地を相馬氏のものとし、それを照宗が戦いで奪い返した。冒頭の領地の帰属と郡名の変更の話は、これによる。 <町内の蔵> 仙台藩は、領地のほとんどを家来に分け与えた。ここ丸森を治めていたのは佐々(さっさ)氏。城は設けず、街道筋の町として賑わっていたのだろう。ここは奥州街道から逸れた脇街道だが、並行して阿武隈川が流れており、江戸時代は舟運で上流の福島(幕府の天領)から米が運ばれるなどし、河口鳥の海にあった積出港への中継地としても栄えた。斎理屋敷の主は、舟運などでも大いに稼いだのだ。 <旧郵便局> 幕末の戊辰戦争で陸羽越列藩同盟の中心となった仙台藩は、ここ丸森でも官軍と戦った由。だが最新兵器を持つ官軍に対して、仙台藩の大砲の弾丸は陶器製で威力に欠けた。結果は火を見るよりも明らかで、列藩同盟は敗北。一部は最後の挑戦のため函館の五稜郭へと敗走した。明治初期、何度か混乱があった。一時期この地を南部藩に組み入れたのは、薩長主体の新政府の報復だったのだろう。 <町章が入ったマンホールのふた> 東北を冷遇した大久保利通がやがて反省する。江戸初期に政宗が遥かヨーロッパに使節を送り、通商を試みたことが明らかになったためだ。有為な人物が東北にいたことを知って政策を変え、現在の東松島市野蒜に近代的な新港を築いた。横浜港に先立つものだったが、外洋に面していたため波で堤防が破壊されて断念。しかし、仙台に第二高等学校、東北帝大、陸軍師団を置いて重視する。 <駅から斎理屋敷へ向かう途中の橋> 盛んだった阿武隈川の舟運に代わり、やがて沿線に鉄道が敷かれた。だが国鉄の民営化に伴って丸森線は民間の「阿武隈急行」となり、目下赤字で経営難。この沿線では過疎化が進んでいる。沿線の5市町は財政援助を行って、阿武隈急行の車両更新を図るなどしている。では明日から再び斎理屋敷の紹介に戻ろうと思う。どうぞお楽しみに。なおタイトルの一部を変更した。<続く>
2018.03.06
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<写真は人形店で許可を得て撮影したものです> ボクシングの山中が引退を表明した。過日のWBCバンタム級で、対戦相手のネリにKOを喫して敗れた彼。この前にも山中はネリに敗れてタイトルを失っている。ところが勝者が薬物を使用していたことが判明して再戦。この試合もネリは計量オーバーで、対戦前にチャンピオンをはく奪された。1.5kgも重い相手が楽勝。これに怒ったWBCは、彼のボクサーとしての資格を無期限に停止した。当然のことだろう。 突然美女が現れ、突然姿を消した。話は良く通じたし、字はきれい。だがなぜ私の前に現われたのかが分からない。制服を着てるので悪さは出来ないはず。3月の人事で他の部署に転勤になったとか。あれは幻で、私は夢を見ていたのか。事業所に顔を出すと、責任者に不思議な対応をされた。きっと彼女に不都合なことがあったような感じ。まるで春の嵐のような出来事だった。あ~あ。 youtubeで「空海」を観た。高野山が弘法大師の入定1150年を記念して作成した映画で、主演の北大路欣也はじめ錚々たるメンバー。先ごろ同名の不思議な映画を観て、物足らなく感じていた私。宗教者空海を描く作品があったと思い、探したのがこれ。3時間30分もの大作で、空海の人となりや中国での驚くべき精進ぶりが実感出来た。原作は司馬遼太郎著「空海の風景」ではないようで、早坂暁脚本とクレジットが出ていた。良心的な作品と言うのが正直な感想だ。 昨日の早朝に、このブログの100万件アクセスを達成した。開設は11年前の5月末だから、3934日目の快挙。開設から暫くの間は、1日に110件ほどのアクセスしかなかったが、現在では500件前後にまで増えた。搭載数は昨日までに3910件。日記の記入率は97.8%だが、件数から見た場合は99.4%。1日に複数の日記を書いたことも度々あった。 楽天ブログの以前に他の日記やブログも使用していたので、日記をネットで公開してからもう14年。これからもコツコツ書きたいと思う。ブロ友さんはじめご来訪下さる方々に、心から感謝したい。 さて市の広報を見て、最近2つの講座を申し込んだ。1つ目は老人大学の文化コースで、2つ目が俳句教室。どちらも往復はがきでの申し込みで、合否は抽選による。何分私は「くじ」に弱い方。かの「東京マラソン」の申し込みは6連敗で諦め、そのうち足が故障して走れない身と相なった。今回はどんな結果になるか楽しみだ。 寒波が続いたと思ったら、今日の(予約機能を使って書いているため、実際は昨日)最高気温は19度になるとか。これは仙台の場合、初夏の気温。室温は23度。もちろん暖房は入れていない。これだけ暖かいと、そろそろ畑の準備に取り掛かっても良さそう。先ずは堆肥でも買いに行こうかな。このまま春になることは絶対にないのだが。
2018.03.05
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~斎理屋敷のお雛様と人形 その2~ やあ、いらっしゃい。今日も爺が斎理屋敷のお雛様と人形を紹介しますぞ。ふぉっふぉっふぉ。斎理屋敷は江戸時代から昭和25年ごろまでに栄えた豪商での。今は丸森町立の博物館「蔵の郷土館」になっとるんじゃよ。堂々たる店構えで、見とっても実にほれぼれするのう。じゃあ早速ご案内進ぜよう。 今日も古典的なものから始めるとしようかのう。雛人形の美しい顔は胡粉(ごふん)と言うもので作られとるんじゃ。ハマグリなど、なるべく色の白い貝の貝殻を何年も天日に晒し、それを砕いて粉にし、加工して作るんじゃそうな。胡(こ=中国の西方の国)から製法が伝わったことから、胡粉と呼ばれたんじゃと。まあ言って見れば高級品の証じゃな。 お内裏様が着てらっしゃる着物も実に立派じゃのう。これを錦と呼ぶのかどうか。 いやいや。奥方の方も負けとらんのう。実に雅で艶やかじゃ。ふぉっふぉっふぉ。 あんまり美しいので拡大してみたぞ。「クローズアップ現代」じゃよ。今はのう。 あれまあ。奥方の宝冠が実に見事じゃ。これだけ立派なのは滅多に見かけないのう。 野次馬根性で宝冠部分を拡大したが、何ともはや見事な作りじゃのう。 ほれご覧。こっちの奥方の宝冠は普通のものじゃ。まあこれでも立派ではあるが。 ふ~む。こっちのお雛様はちと現代風かも知れんのう。 上のお雛様を拡大して見たんじゃ。凛々しいお顔立ちじゃのう。 ふ~む。奥方さまもなかなかのお顔じゃ。それに着物も立派じゃのう。 こちらの蔵では窓から光が差しての。ちょっと逆光気味なんじゃが。むにゃむにゃ。 現代風の立雛じゃの。まあ、これはこれで美しいのじゃが。 ここからは人形の紹介じゃ。これは仙台の城下に伝わる堤人形じゃろうの。 堤人形の勢揃いじゃ。堤町は仙台城下の北の外れにあって、昔から素朴な土人形を生業(なりわい)として来たんじゃよ。今でも続いておるが、江戸時代の物はとっても貴重なんじゃ。 戦前までの日本人形じゃ。中には友好の証としてアメリカに渡ったものもあったんじゃ。 はいはいする赤ちゃんの人形じゃよ。いつの時代も親と言う者は、我が子の成長を心から願っておるものなんじゃ。尊いのう。泣けるのう。 犬張子(いぬはりこ)じゃ。これも赤ちゃんに関係すると言ったら驚くかの。犬は人間に忠実で安産。昔は人間に代わって厄を祓う意味があったそうな。だから子供が生まれた時のお祝い品や、宮参りの際はお守りとなったんじゃな。それがやがて子供の玩具となったんじゃと。さて、今年は戌(いぬ)年。そんなこともあって飾ったのかものう。 さてと、人形の最後はブリキのピエロじゃ。何ともはや珍しいのう。斎理屋敷の主は、こんな物まで集めておったんじゃなあ。雛人形はこれでお終いじゃが、屋敷の紹介はまだまだ続くぞ。じゃあ、また後での。<続く>
2018.03.04
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~斎理屋敷のお雛様と人形 その1~ 皆さん、良うござったなあ。ここは斎理屋敷。江戸時代から続いた豪商じゃが、今では博物館になっとる。先日2年ぶりに訪ねてみたんじゃ。もちろん爺のブログの取材にの。おっほっほ。 店の前ではこんな石の像が出迎えてくれたんじゃ。なんだか大阪のビリケンと「仙台四郎」を足して2で割ったような顔をしとったがの。それはさておき爺が紹介したいのは、この屋敷に飾られていたお雛様と人形なんじゃ。今日は桃の節句、ひな祭りじゃからのう。ほっほっほ。では2回に分けての。 これは本屋敷の大広間に飾られていたもんじゃ。斎理屋敷には10を超える蔵があっての。そこにあったお雛さまや人形のうち、古そうなものや珍しいものをカメラで撮ったんじゃ。説明はこれくらいにして、後は勝手に眺めてくれんかの。ふぉっふぉっふぉ。 写真を載せながら見とったんじゃが、中には手作りのお雛さまや新しいのも混じっとった。まあ許してくれんかの。何せ爺はあまり目が見えんのでな。わっはっは。<続く>
2018.03.03
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~老化や病気との付き合い~ 整形外科へ通い出してから3か月が過ぎた。診てもらっているのは主に右肩。昨年の4月に庭で倒れて強打し、暫く整骨院で施術を受けていたのだが、なかなか良くならないため1か月もせずに通院を止めて放置していた。整形外科ではヒアルロン酸を右肩に8回ほど注射し、週1回理学療法を受けている。これはマッサージとは異なり、細かい筋肉の動きを確認しながら少しずつ傷んだ箇所を治して行く方法だ。 あまりの悠長さに呆れて診療を止めようと考えたこともあった。だが週に1度くらいの治療だと、金額的にも体調面でもさほど負担には感じないのが救い。そのうち肩の痛みもかなり薄れ、自宅でも体操が出来るようになった。そのせいもあって肩の関節が潤滑に動き、生活に支障を感じることがほとんどなくなった。肩の治療は3月一杯で、その後足の治療に入る予定。気長な治療計画だ。 その翌日、循環器内科の定期診断を受けた。血糖値が高いことが他の内科で判明し、この日は血液検査と尿検査を受けた。まだ薬を飲むほどではないが、血糖値は徐々に上昇している由。ドクターによれば、これまでランナーとして長い間して来た運動が、加齢で不能になったためではないかとのこと。もちろん遺伝的なこともあるだろうが、本人としては食事内容には注意している積り。 尿には若干の潜血が見られた由。原因として考えられるのは、泌尿器系統のがんだが、詳しく検査しないと判定は出来ない由。ただ血液検査ではがんの兆候はないそうだ。手足の先が冷たいのは、血流に障害があるためと判定し、脈波図、心機図、ポリグラフというのを測定。検査の結果、血管の若さは年齢相当とのこと。霜焼けの治療のため、引き続きビタミン剤を処方された。 糖尿病のための薬の服用は様子をみてから。年の初めは特に血糖値が高くなる傾向がある由。「無理にランニングなどをしてはいけませんよ」とドクター。寒い時期は逆効果にもなるらしい。そして「糖尿病連携手帳」を発行してくれた。これを眼科のドクターに提示するようにとのこと。帰宅後パラパラめくったら、歯科のページもあった。内科、眼科、歯科の連携作業が必要なようだ。 その翌日出来立てホヤホヤの「糖尿病連携手帳」と「お薬手帳」を持参して眼科へ。道路の雪はかなり融けて、まあまあ安全。この日は「眼圧測定」と「視力測定」。数値はあまり変化なし。診察時にドクターから目と糖尿病についての説明があり、その後「眼底撮影」をすることに。まず瞳を広げるための目薬。そして30分後、瞳が完全に開いたら暗室で撮影。その後2度目の診察室へ。 まだ糖尿病の影響が目に現われていることはない由。内科では毎月血糖値を測ることになり、眼科では次回に視野検査をするため予約を取った。瞳が開いて眩し過ぎ、良く見えないため歩き難い。隣の薬局で緑内障用の目薬2本をもらって帰宅。この日も往復3kmは歩き。景色が少し春めいて来たように感じる。 自宅付近で職場の先輩であるSさんにあった。今月ガンの手術で入院する由。これまで胃ガン、十二指腸ガン、すい臓ガンなどを手術で執ったが、さらなるガンが発見されたとのこと。「もう会えないかも知れないよ」。ニコニコ顔で先輩はそう言うが、奥様は軽い認知症があるとも聞く。私も同じだが、高齢者は入院時の保証人に困る。そして子供が遠くに住んでいると、こんな時は特に心細いものだ。
2018.03.02
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~終活と春の嵐~ 確定申告へ行った。午前中は循環器内科へ行き、午後から自転車で会場に。いつもなら2月15日の初日に済ませるのだが、今年はあまり乗り気がしなかった。出発前に念のため必要書類を確認。すると、国民年金の源泉徴収票が2枚出て来た。1枚は先日再発行した物。もう1枚同じ金額の書類があると思って見直すと、それがてっきり紛失したと思った「本物」だった。途中でお握りとお茶を買う。 会場で順番を待ちながらお握りを食べる。書類整理のコーナーで係員に尋ねると、離婚する前の3か月分の控除は、前妻の収入を確認出来る書類がないとダメらしい。まあそんなものかと諦める。パソコンによる清書を終えると、納付の必要性があるとの答え。改めて確認してもらうと、私の場合は年金分割で収入が減ったため、国税は納める必要がない由。いやはやビックリ。ようやくこれで確定申告とはおさらばだ。 次に区役所の税務担当の課を訪ねる。市民税、県民税の申告が必要なため。窓口に行くと5階に会場がある由。順番は10番目。確定申告よりもずっと人数が少なく、しかも手続きが簡単。何せ相談しながら全て区役所の係員がパソコンで入力してくれるのだから。やれやれ、これで手続きは終了。来年からはぐっと楽になる。今度はバスでも行けるし、ずっと近いし、気持ちまでが一気に楽になった。 古いカーペットを処分した。包丁で切って小さくし、指定のゴミ袋に詰める。もう20年以上使って、劣化が進んでいた。それを年末に帰省した次男に指摘されていたのだが、つい面倒で放置していたのだ。ガレージに吊るしていた日除け用の萱を編んだ簀子2本も鋸で切って処分。ただし、畑の支柱として使えそうな部分は、抜き取っておいた。不要になればいつでも捨てられるほどの量だ。 カーペットは新聞の折り込み広告に載っていた物を電話で頼んだ。いざ品物が届いて丁寧な梱包を解くと、中から出て来たのは少々想定外の品だった。3畳用とあったのに、実際のサイズはそれよりかなり小さい。慌てて広告を確認すると、外国製なので実物とサイズが異なる場合があると、小さな字で印刷してあった。返送しようにも、到底素人が梱包出来る物ではない。これはやられた。ベルギー製に騙された感じ。 畑からキャベツと白菜を収穫した。この冬、野菜が高い中、自分で作った野菜がとても役に立ってくれた。一応これが最後の収穫。一応と言うのは、葉が開いた白菜は後4株ほどある。だが、これは白菜としての利用は無理。春になって「トウ立ち」した茎と蕾を食べるのだ。これが実に美味。土に埋めた大根は残り2本。これもずいぶんと重宝した。後は種を蒔き遅れたへなちょこ大根が4本。これも当然食べる積り。 さて、残念な出来事が1つ。楽しみにしていた3月の旅行が、申込者が少なくて催行中止になったのだ。ツーリストには代わりのツアーを勧められたが、気乗りがしなかった。中止になったのは3か所の訪問地があったのに、代用のものは1か所だけ。それじゃほとんど魅力を感じないんだよなあ。他に適当な行き先もないため、ブログをどう切り盛りするかが悩みの種と相成った。<続く>
2018.03.01
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