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来る日も来る日も、グランドの片隅でカニの横ばいのような動作を繰り返していたあの頃。高校1年の初夏、級友に無理やり連れて行かれたのがハンドボール部の部室だった。サッカー部はコート全面を使って練習していた。硬式野球部は狭いながらも独自の練習場があった。だがハンドボール部のコートはサッカーコートと直角に交わっており、部員が少ないために片隅に押し寄せられていたのだ。 それにしてもカニの横ばいのような動作。腰を落として手を横に突き出し、前後左右にすり足で動く変な姿勢は何のためだろう。これが敵の攻撃を食い止める「バックス」の練習風景だった。余りの運動量と過激さに入部したばかりの新入部員は、空が黄色く見えるほど疲労した。 時にはフォワードつまり攻撃のための練習もあった。当時のハンドボールのコートは広いため、ボールを遠くに投げる練習、パスをつなぐ練習、そしてシュートの練習。一番格好が良いのはジャンピングシュートだ。先輩達のシュートは観ていてもさすがに美しかった。 校庭での練習だけでなく、たまにはロードに出て走ることもあった。隊列を組み、声を出す。「S高ファイトゴー、ファイトゴー、ファイトゴー」。女子高の傍ではその声がさらに高くなった。行き先は折立橋。往復で15kmもあったろうか。帰路の途中からは自由走になり、必死になって走った。そのお陰で青葉城往復の校内マラソンでは9位になり、高校駅伝の補欠にもなった。 部員数がギリギリのため、直ぐに試合にも出られた。だがルールも良く分からず、弱いチームだけにフォーメーションもバラバラだった。相手の攻撃を防ぐための防御でもホールディング(相手を抱える)、ハッキング(叩く)、プッシング(押す)など、現在のルールより遥かに厳しく直ぐにファールを取られた。 出ると負けの試合が続いたが、ある時F商業との試合中に好機が訪れた。味方がボールを奪って敵陣深く攻め入っている。思わずバックスの私も攻撃に加わって前進し、運良くボールを受け取った。敵のゴールは間近にある。「しめた。シュートチャンス!」私は素早くシュート体制に入ったが敵の方が一枚上。何人かの選手が手を広げてシュートコースを狭めた。放ったシュートは相手のキーパーに楽々とキャッチされた。人生でたった一度だけのシュートが点に結びつくことはなかった。 さて、昨夜の日韓男子戦は急いで夜勤から戻り、最後の2分間だけ観戦することが出来た。結果はご存知の通り3点差の惜敗だった。韓国選手の中には、ヨーロッパリーグに参加している選手も何人かいるようだ。それに先日女子が韓国に勝ったのは、サウジアラビアを上位にさせるための「中東の笛」によるものだったようだ。世界への壁はまだまだ厚い。 確か昭和34年だと思うが、宮城野原陸上競技場で当時世界第3位のルーマニアと、私達の先輩も出た全日本チームとの試合を観たことがある。当時の先輩達は優秀で強かったのだ。でも、さすがに世界の3位は強く、全日本チームは相手にならなかった。記念に泥だらけのルーマニアチームのストッキングを拾って来たのを覚えている。日本のハンドボールの行く手は厳しいが、これを機に少しでも前進することを願っている。 ☆1月のレース1回 走った回数14回 走った距離247km 歩いた距離168km(自転車走行距離の40%を含む) 合計415km 年計も同じ 走行距離累計61、937km
2008.01.31
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今日の仙台は少し風があるものの、とても良い天気です。今日は遅番の人に用事が出来たみたいで、早番と遅番勤務を交代することになりました。それでいつもと違ってゆっくり起き、愛犬と遅めの散歩をして来ました。 いつもなら暗いうちの散歩で、つま先がかじかみます。それが今日は空が明るくなってからの散歩だし、さほど寒くもなくて助かりました。朝食は妻と一緒に食べられ、目を通すことなく出勤している新聞もゆっくり読むことが出来ます。暖かい太陽が顔を出したのを見計らって、布団と枕も干しました。 いつもの朝は霜柱が立っている我が家の庭と畑も、燦燦と冬の日を浴びて黒い土に戻っています。凍りついているはずの京水菜や雪菜が、今日は生き生きとしています。昼食時には畑からネギでも抜いて見ましょうか。 日差しが部屋の中まで差し込むため、居間は暖房なしでも暖かいくらいです。シクラメン、ワイルドキャット、シンビジウム、シャコバサボテンの花々にとっても暖かい日差しは嬉しいことでしょう。こんな風にのんびり、ゆったりした気分で、午前中から日記を書くなんて珍しいこと。出来れば日中に少し走れると最高なのですが。(笑) 昨夜の日韓両チームによるハンドボールのやり直し試合は残念な結果になりましたね。韓国の女子はバルセロナオリンピックでは金メダル、アテネオリンピックでも銀メダルを取るほどの強豪とのこと。敗戦はやむを得ないことでしょうが、試合開始直後の怒涛のような韓国の攻撃で、早々と勝利を諦めてしまいました。 でも結果はどうでも良いんです。たとえ負けても、正しいルールの下に正々堂々と戦ったわけですから、恥じる必要はありません。今夜の男子の方は、もっと接戦が期待されそうなのですが、私は残念ながら夜勤なのでほとんど観る時間がないでしょう。 イスラムの世界では、自分が有利になるためには不正なことも辞さないのが普通とか。それが砂漠地帯で起こった一神教の厳しさなのでしょうか。私達東洋人にはとても理解が出来ない世界です。やり直し戦に出場した日韓両国に対して、アジアハンドボール連盟は除名することが既に臨時理事会で決まっています。一方国際ハンドボール連盟では、今回の試合を含めすべての予選は今後同連盟の指示の下に行うことを決定していますから、どう収集されるか気になりますね。 そうそう。実は私も高校時代にハンドボール部に所属していたことがあります。ただし試合ではたった1回も勝ったことはなかったのですが。(笑)当時はサッカーと同じ広さのコートで屋外で戦っていました。ボールの大きさもサッカー用と同じです。今行われているルールのものは冬季限定で、室内ハンドボールと呼ばれていました。高校卒業後46年。もう遥か昔の思い出になりました。
2008.01.30
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昨日は待ちに待った給料日。10時の休憩に銀行に行き残高を確認し、そのまま全額を下ろす。帰宅してから愛犬と郵便局へ行き、今度は懸案の振込みをする。一番気になっていた6月の「いわて銀河」のアーリーエントリー。首尾よく完走出来れば2千円が返って来る。(笑)4月の「エコジャーニー12時間走」は、主催者のS木氏から既に大会要項が送られていた。これも出場を約束していたので、少し気が楽になった。(笑) 3つ目が東北楽天ファンクラブの会費。本当は素敵なユニフォームがもらえるゴールド会員になりたかったのだが、資金不足で止む無くこれまでと同じレギュラー会員になった。(悲)これだともらえるのは「バッジホルダー」とか。そんなものなど要らないのだが、会員登録をしておかないとチケットの先行予約が出来ないシステムなのだ。さすがは商売上手の楽天のことだけある。会員になるともらえる品物が年々「渋く」なって来た。 さらに妻から借りていた借金などを返す。給料の明細書を良く見たら、今月分から所得税がさらに上がっていた。安いパートの賃金からも容赦なく税金をむさぼり取るこの国。果たしてこの調子だと7月の「ちんすこう中作戦」までに軍資金が用意できるか心配になって来た。 さて借金と言えば、大阪府の借金が3兆円にも上ると言うニュースには魂消(タマゲ)てしまった。まさに借金王国だ。先日行われた大阪府知事選挙には話題になった橋下弁護士が出馬し、見事に当選を果たしている。その彼が、今後真剣に取り組まざるを得ないのが、この「借金問題」をどう解決するかのようだ。 「行列の多い法律相談所」などで名を売った橋下弁護士の年間所得は約3億円らしい。もちろん本業だけでなく、タレント活動をも含めてのものだろうが、それが府知事になると15分の1ほどに減るらしい。そんなになってまでも、彼は府知事になって大改革したかったのだろう。 本来ならば立候補した大阪大学の現職教授が有利だと思ったのだが、大阪府民の選択は、そうではなかった。彼の2倍もの票を集めるほど橋下氏は人気があった。テレビで名前が売れていたのに加え、大阪人の好みにあったのだろう。それにしてもあの番組からは丸山弁護士も参院選に打って出、見事に当選している。2人の弁護士が共に自民党の推薦を受けたのは、偶然なのだろうか。 海の向こうのアメリカでは、目下大統領選出の予備選挙が行われている。民主党は黒人のオバマ氏と女性候補者のヒラリーさんががっぷり四つに組み合っての大勝負を展開している。これまでの結果は2勝2敗。全くの五分だ。もし彼らが最終的に選ばれれば、黒人として、あるいは女性として初めての大統領になるようだ。 アメリカの場合は国の首脳が選ばれる過程が明らかで分かりやすい。それに2大政党が政策を戦わせる訳だから、より良い政治を実行しないと、ただちに国民の支持が得られなくなる。これも分かり易くて良いシステムだと思うのだが、日本がここまで進むにはまだまだ時間がかかりそうだ。 さて、国民から深い関心が寄せられている「ガソリンの暫定税制問題」の行方は、今後どうなるのだろう。その前に今夜と明日の夜行われる日韓だけでのハンドボールアジア地区予選のやり直し試合。こちらの方も気がかりだ。
2008.01.29
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昨日の「大阪国際女子マラソン」、凄いドラマでしたね。福士加代子(ワコール)の独走だとばかり思っていたら30km過ぎから失速し、34kmで抜かれた後はメロメロ。結局2時間40分54秒第19位でのゴールでした。一時は2位グループに600m以上の差をつけていましたよね。あの時は優勝間違いないし、初マラソンと言ってもさすが役者は違うと思っていました。 それが失速しただけでなく、フラフラになって道路に倒れ、競技場に帰って来てからも場内で3度倒れ、観覧席で見ていたお母さんには気の毒なシーンでした。あれがマラソンの怖さでしょうか。 去年の春、福士はエチオピアで合宿したようです。その時一緒に走ったエチオピアの選手の潜在能力の高さに驚き、トラック競技ではとても勝てないと感じたそうです。国の代表選手とほとんど差が無いランナーがたくさんいたと言うのです。それでオリンピックへはマラソンで出たいと考えたのでしょうか。 それにしても今回出場した大阪への準備期間はわずか1ヶ月だけで、その時に走ったもっとも長い距離が30kmまでだとのことですから、土台無理があったのかもしれません。福士は1万mやハーフマラソンの日本記録保持者で、トラック種目で鍛えられたスピードランナーです。永山監督は20km地点付近で、あのままのスピードで最後まで押し切れると判断したようです。 それが福士の話によれば、30km過ぎから目の前が真っ暗になったとのこと。気温は相当低かったにも関わらず、脱水症状になったみたいです。フルマラソンは単純にハーフマラソンの倍の距離とは行かないのですよね。最後まで走りぬくためのスピード+スタミナ。それに給水や自分の体調を整えるためのスペシャルドリンクの摂取など、経験が必要なスポーツです。 ほぼ北京オリンピックの代表に内定した土佐礼子や野口みずき、それにこの後「名古屋国際女子マラソン」へ出場予定の高橋尚子、弘山晴美、原裕美子などがオリンピック代表を目指して何年間も準備していることを考えると、今回の挑戦は結果的に無謀だったと言えそうです。 倒れても倒れても前へ向かおうとした福士。ひょっとしたらアスリートとしての将来性にまで影響を及ぼしかねないほどのアクシデントだったと思うのですが、最後まで走りたいと言うのが福士自身の願いだったようです。ただ、競技場内では頭の中が真っ白になり、全く記憶がないとのことです。 そんな状態でも、彼女の頬には笑みが浮かび、レース後に初マラソンの感想を聞かれた時も、「楽しかったですよ」と答えていたのが逆に痛々しく感じました。若いし、精神力の強いランナーなので今回のことも成長のための一助になってくれればと思っています。まあ、永山監督としては、悔いの残るレースだったことは間違いないでしょうが。 さて、大相撲は白鵬が朝青龍を破って3連覇達成でした。すっかり悪者扱いされた朝青龍も先輩横綱の意地を見せたと思います。でもやはり横綱には品格が必要だと私は思います。「朝青龍は私の中では既に過去の人」と公言して憚らなかった横綱審議会の内館牧子委員ですが、朝青龍が復活した今、あの発言はどうなるのでしょう。 もう一つ気になるのが「ハンドボールアジア予選」の行方です。アジアハンドボール連盟と国際ハンドボール連盟の意見が真っ二つに分かれました。アジアハンドボール連盟が国際スポーツ裁判所へ提訴すれば、上位団体である国際ハンドボール連盟の方は、国際オリンピック委員会と共同歩調を取っているようで、今後の成り行きがますます注目されますね。
2008.01.28
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現地説明会へ行って来ました。発掘調査をしている古墳から珍しい革製の盾が出土したため、現地で説明会を開くというニュースを、つい先日聞いたばかりでした。寒さが厳しい朝は、とても風が冷たく感じられます。久しぶりに通った小川では、大きな白いサギが小魚をついばんでいました。 地下鉄の終着駅周辺にある発掘現場では1年ほど前にも現地調査があり、私はそれにも参加していました。今回の現場はその直ぐ傍でした。ネットの隙間から発掘現場の古墳が見えると、とても興奮しますね。集まった歴史好きの観衆は120名ほどでしょうか。配布資料を受け取り、係員の説明を待ちます。 この大野田古墳群ではこれまでに41基の古墳が発見されているけど、現存しているのは「王ノ壇古墳」ただ一つだけで、現在発掘中の「春日社古墳」も調査が終われば壊されて新しい道路が出来る予定とか。残りの古墳はどのような事情からかすべて破壊されているのですから残念なことです。 この春日社古墳の2つの埋葬施設から出土したのは、13個の鉄製のやじり、革製の盾、盾の上に置かれた矛(ほこ)の先頭部と言うことです。古墳は5世紀後半のもので、直径が46.6mの円墳。仙台市内では最大級のもののようで、その周囲には浅い溝が掘られています。 今回発見された革製の盾は長年土の中に埋もれていたために腐り、残っていません。ただし、その上に塗られた漆が土の重みで圧迫痕として残っているのです。形は台形。盾の裏側で6本の横木が支えていた構造のようです。大きさは縦が120cm、上部が60cm、下部が72cmです。ここに赤と黒の漆で綾杉紋(あやすぎもん)、鋸歯紋(きょしもん)、菱形紋の3種類の文様が描かれていたようです。 このくらい保存状態の良い革製盾は全国で3例目の貴重なもので、東北地方での出土は初めてのことのようです。この盾は首長クラスの墓から副葬品として出土するのが一般的で、当時近畿地方にあったヤマト政権から友好の証として送られたものと考えられるとのことでした。 5世紀後半と言えば紀元450年以降のこと。その時代には既に東北地方にも稲作が伝わり、富を集中した権力者が支配していたのでしょう。その権力者が中央の豪族と深いつながりがあった訳ですから、後世に都人から「蝦夷」(えみし)として蔑まれる謂れはないですね。 この周辺からは後世に陸奥国府のさきがけとなる施設(「郡山遺跡」のほかに)も発掘されており、東北地方では最先端の文化を有する土地だったのでしょう。都へと通じる官道らしい遺構も見つかっているとも聞きました。つまり中央政府が東北への足がかりとするために、ここを治めていた首長と、かなり古い時代から友好を結んでいたとも考えられます。 日本武尊(やまとたける)の東征神話では、宮城県南部の刈田郡まで訪れた武尊が、やがて白鳥になって都へ飛び去ったと言う話が残っているようですが、今回の発見でそれに「近い事実」(?)があったことが考古学的に確認されたと言えるでしょうか。「革製盾の圧迫痕」は、今後掘り上げ2年間以上かけて化学的な処置が施され、永久保存されるようです。 春日社古墳の発掘は今後もまだ続く由。ただ、市の文化財保護課長の話では、こんな貴重な出土品があった古墳でも都市計画のために保存は不可能なのだとか。たとえ立派な道路が出来て便利になっても、私達東北人の祖先が眠る貴重な古墳を破壊して、文化都市と呼べるのでしょうか。古墳公園として後世に残すことが出来れば、古代東北に対する理解と誇りを持つ助けになると思うのですが。とても複雑な気持ちで帰途に着いた私でした。
2008.01.27
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宮城UMC(ウルトラマラソン・チャレンジ・クラブ)が今年で創立10周年を迎える運びになりましたこと、まことにおめでとうございます。私は記念文集に原稿を出すことが出来ませんでしたので、この場をお借りして感想などを書かせていただきます。 宮城UMCは「秋田内陸ウルトラ」の出場者に対して呼びかけがあり、創設されたと記憶しています。当時の私は山形に勤務し、仙台の自宅から通勤していました。そのため仙台に知り合いのランナーはほとんどいなかったのですが、一度にたくさんの仲間が増えました。そしてM会長やU海事務局長の熱心な働きかけで、今では60名以上の会友を有する立派な会に育ちました。会の中心になったお二人には心から御礼申し上げます。 私はその後山形から石川、茨城と転勤し、前職を退職して再び仙台に帰って来たのは5年前のことです。その間、疲労骨折や老化に伴う膝の不調などが重なり、約5年ほど十分走れない期間がありました。ですから10年間の宮城UMCの歴史の中で満足な活動が出来たのは、まだ半分ほどでしょうか。 会創設のきっかけになった「秋田内陸」への参加は、平成9年の第9回が最初です。以来第10回、第11回、第14回、第15回、第16回、第17回と参加しています。このうち第14回、第15回は疲労骨折の影響が残っていていずれも80km付近でリタイヤでしたし、第16回は50kmの部でした。ですから100kmの完走はまだ4回だけに終わっています。その意味でもクリスタルランナーへの道は遥かに遠いんですよ。 さて、私の初ウルトラは平成6年の「第1回四万十川」でした。50歳の時です。たまたま勤務地が四国で、当時は制限時間が3時間36分の「愛媛マラソン」の完走を目指して、月に300kmほど走っていました。第1回の四万十はASの内容も不十分で、遅いランナーには食べ物が残ってなかったなどと言う、今では信じられない事態も生じました。 あれから「武庫川ユリカモメ」、「和歌山城ー高野山往復」、「阿蘇カルデラ」、「飛翔千葉」、「しまなみ海道」、「越後くびきの」、「いわて銀河」、「磐梯高原」、「佐渡島一周」、「奥武蔵」、「立山登山マラニック」など全国のレースや幾つかの時間走大会に出場し、今回走った「宮古島ワイドー」で26回目のウルトラレースになりました。 そして最初のうちは年1回だけだったウルトラ参加が、去年は年4回も走れるまで「進化」し、62歳で200km超級の「佐渡島一周」を完走出来たことも大きな自信になっています。まさにウルトラマラソンは自分自身の可能性への挑戦です。今年はウルトラ集大成の年として、様々な内容のウルトラを8回ほど楽しもうと計画しています。 ただ心配なことがあります。先日参加した新年会で数人の会員の方が、怪我で走れない状況にあることを伺いました。皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。加齢は誰にでも平等に訪れ避けられないものですが、普段から運動だけでなく十分な栄養の補給や休養に努め、一日でも長くランニング人生を楽しみたいものです。私自身も目下サメの軟骨から作られた錠剤や血圧降下剤のお世話になっています。 健康でなければ、レースのスタートラインに立つことは出来ません。私は走り始めてから今年で29年になり、この間に全都道府県走破や地球一周(約4万km)を達成しました(今日現在の累計距離は61、885km)。この一年もさらに健康に留意し、宮城UMCのオレンジ色のランニングシャツと帽子を身につけて、大勢の仲間と共にウルトラマラソンを謳歌したいと思っています。
2008.01.26
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宮古島から帰った翌日職場に行くと、遅番の人が風邪を引いたので代わってくれないかと上司から連絡が入った。宮古島へ行く週も用事が生じた遅番の人の勤務を2回とも代わった。朝早く起きる必要がある早番と、どうしても寝るのが遅くなる遅番を1日のうちに勤めるのはとても体の負担になる。宮古島でも余り良く眠れず疲れが残っていた私は、その日の遅番勤務を断った。 どんなに疲れていても、自分の勤務は責任をもって果たす。それが私の信条だ。有給休暇もかなりあるのだが、1人勤務の私の現場では自分が休めば誰かが代行しなければいけなくなる。それが心苦しいから出来るだけ休暇を取らないようにしている。私が「宮古島遠足」ではなく「ワイドー」を走ったのは、休暇を取らずに済むと言う単純な理由からだった。3連休の後に風邪を引いたから代わってくれなんてのは、健康管理が出来てない証拠だろう。 ともあれ、いつものことながらレース後の強い疲労感が残る中で完走記を書き出した。今回も延べ10回、約3万2千字にも及ぶ大作になった。書き残したことや補足したいことも少しはあるが、まああんなものか。折角もらった完走メダルは帰宅したその日のうちにゴミに出した。完走証、大会プログラム、買って来た宮古島の新聞なども、完走記を書き終えると同時に捨てた。 フルマラソンとウルトラマラソンを併せると今回で69回目になる私に、そのような「もの」に拘る気持ちは全く無い。折角苦労して書いた完走記すら、自分のパソコンには残していない。レースの思い出を全て保存することは困難だし、いつか記憶が薄れるのも仕方がないことだ。思い出はやがて自分の死と共に消え去るだろう。ただ、レース結果(タイム)だけは、事後のためにメモしている。 さて、ネットの走友であるぼくし~さんの掲示板に宮古島で走ったことを書いたら、これまでの経験では何故か「遠足」の日は暑く、翌日の「ワイドー」は涼しいことの方が多いとのコメントがあった。不思議な話だ。また直前まで頑張り、さぞ苦しげな表情でのゴールと自分では思っていたのだが、「オールスポーツ」が撮った写真を見たらとてもにこやかな笑顔でのゴールだった。 嬉しそうなのは自己ベストを出したと思い込んでいたからだろう。ところが帰宅して過去の記録を見てみたら、38秒ほどオーバーしていた。もしレースの途中で「人頭石」や「苧麻」や「マムヤの墓」などを見に行かなければ新記録達成だったと思うが、あれはあれで勉強になったし、そのお陰で深みのある(?)完走記が書けたと思っている。 完走記を書いている10日間のうちには最低気温がマイナス4度ほどになる日が多かった。それだと畑の大根が凍ってしまうため、残った20本ほどを抜いて穴に埋めた。また玄関に入れている愛犬のマックスが夜中に寝ぼけて唸り声を上げたり、うなされた妻の声で眠れなくなった夜もあった。 宮古島から帰宅すると、エコジャーニーラン主催者のS木さんから、4月の12時間走大会の要項が届いていた。直ぐにでもエントリーしたいのだが、今は「先立つもの」がない。6月の「いわて銀河」のアーリーエントリーの期日も迫り、東北楽天のファンクラブの継続手続きもしたい。それ以上に底が薄くなったランニングシューズも買い換えたい。でも今はじっと我慢だ。「佐渡島一周」はいつもより日程を1週間早めたようだ。距離は220kmほどにする案もあるようだが、果たしてどうなるだろう。
2008.01.25
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<再び空港にて> タクシーに乗って宮古空港へ行こうとしたところでY川さんに会った。何と彼も同じホテルに泊まっていたのだ。そのまま2人でタクシーに乗り込み、話をする。「宮古島遠足」は制限時間が16時間と長かったためついのんびりし、東平安名岬の灯台で暫く眠っていたと彼。そして「ワードー」と違って、歩道を走らなければいけないなど、制約がきつかったそうだ。きっと海宝さんに対する地元警察の「締め付け」だったのだろう。 その海宝さんが主催するウルトラレースを徐々に縮小する方向らしい。何でもレースを行う毎に「持ち出し」が増え、奥様に叱られているようだ。そのためか今夏は「栗山」を開催しないのだとか。これは困ったことになった。年老いてさらにスピードが落ちて来たら、制限時間の長い海宝さん主催のウルトラをゆっくり走ろうと考えていたのだが、さて、これからどうなるのだろう。 宮古空港へ行くと走友会の仲間がいた。「Aさん、宮古はやはり暑い時に走らなくちゃダメだよ」とニコニコ顔のKさん。彼女が4人の中では最初にゴールしたと聞いたが、やはり元気そのものだ。Y川さんからもらった割引券で、宮古ソバ、かまぼこ、ピーナツ味噌などのお土産を買う。 待合室で待っていた時に、偶然高松のTANさんと遭遇。彼は昨日レンタカーで観光しながら、ずっと私を捜してくれていたそうだ。仲間にも私のゼッケンを教えて、捜してもらっていた由。私が「自己ベストが出たかも」と話すと、とても喜んでくれた。猛暑の「遠足」を走った彼は、体調を崩し15時間台でのゴールだったとか。 そこへUMMLの主催者であるS石氏が来られて握手。TANさん達と「宮古100の会」を結成して毎年宮古島を走っているとか。私が大阪から山形へ転勤する時にわざわざ高松から駆けつけ、送別会を開いてくれたのはもう10年前のことだ。風雨は強かったが、那覇空港への便は定時に宮古空港を飛び立った。厚い雨雲の中から一瞬だけ伊良部島が見えた。かつての走友S田さんが生まれた島だ。 那覇空港で仙台行きの便を待つ間、Eちゃんから初ウルトラの感想を聞いた。仲間からは「暑いので絶対に無理しないように」と散々言い聞かされたこと。仲間へは「遠慮しないで自分のペースで走って」とお願いしたけど、10km付近までS氏が伴走してくれたこと。東平安名岬の70km地点まで走り、残り30kmは鹿児島のランナーと一緒に歩いたこと。それでも何とかゴールしようと考え、時計を見ながら時々走ったようだ。 私はかつて彼女に「フルマラソンを楽しく走れたら100kmも走れる」と話したことがあるが、彼女によれば「ウルトラは最後まで食べられなくちゃいけない」とも話していたようだ。初ウルトラを古傷のくるぶしを痛めながら耐え抜いた彼女。「色んな失敗を重ねてウルトラのレースを覚えて行くんだよ」と言うと、ゴールまで付き合ってくれた鹿児島のランナーにも全く同じことを言われたらしい。Eちゃん完走おめでとう。本当に良かったね。 最後にEちゃんの予算を聞いて驚いた。私が12月のNAHAマラソンと今回かかった経費を足したよりまだ多いではないか。そう言えばY川さんからEちゃん達が泊まったリゾートホテルの写真をデジカメで見せてもらったが、そこにはまるで絵葉書のような風景が写っていた。 さて、私はここ当分経済的に困窮する日が続くだろう。そして、あのアダンの実が実る島を再び訪れる日が来るかどうかは分からない。でもたった2泊3日の貧しい旅ではあったが、「ぱいぬすま・みゃーく」を走ると言う長年の夢を果たすことが出来たことに、心から満足している私だった。<完>
2008.01.24
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<宮古島の歴史を訪ねて> 朝6時、外は雨。ロビーのソファーで地元の新聞を読む。昨日走った「ワイドーマラソン」が特集記事になっている。最高気温は20.8度で最低が19.2度。曇り時々雨で最大風速は8mだったとか。(ただし、池間大橋は別)100kmの出場者は295名で、うち232名が時間内完走。完走率は78.6%。 完走者リストの中に神奈川のS潟さんの名前を発見。彼は小、中学校の後輩で昨年の「佐渡島一周」で一緒だった。タイムは13時間21分49秒。だが、50km地点の手前ですれ違ったR子さんの名前はない。最後尾に近かった彼女はきっと前日も100kmを走った疲れが出て、途中の関門に捕まったのだろう。 ついでに前日の「宮古島遠足」の記事も読む。宮古の気温26.4度は1月としては75年ぶりの猛暑となったが、隣の伊良部島ではさらに高い27.8度だった由。こちらの完走率は62%台の模様。2日連続のウルトラマラソンだったが、宮古島市の主催事業である「ワイドー」関係の記事の扱いは、海宝さん個人が主催・運営する「遠足」とは完全に異なっていた。 朝食後宮古島の歴史を訪ねて雨の中に飛び出す。最初に寄ったのが宮古神社。沖縄に神社が置かれたのは明治期に入って日本帝国に組み入れられてからのこと。祭神はイザナギノミコトなどの内地の神と併せて宮古島の祖神として仲宗根氏、与那覇氏、目黒氏が祀られていた。目黒姓は内地系か。1609年の島津藩による琉球王国侵入以降、内地と共通する沖縄の姓は字を変えるよう命令されているが仲宗根も元々は中曽根かも知れない。 次に海岸の漲水御嶽(はりみずうたき)へ。この御嶽や拝所(うがんじゅ)などが沖縄本来の原始神道の姿だ。宮古島を統一した仲宗根豊見親(とゆみやー)が首里王府の命を受け、石垣島で蜂起したオヤケアカハチの反乱を治めるために出陣する際に戦勝祈願をしたのがこの聖地で、戦いに勝った豊見親はそのお礼に石垣を寄進した由。500年前の石垣は重要文化財指定。境内には6本の大きなガジュマルの木が生い茂り、ちょうど2人の老女が祈願中だった。沖縄では御香(うこう)と呼ばれる匂いのない線香を焚き、泡盛を供えるのが一般的。 3番目に訪れたのが仲宗根豊見親の墓。宮古方式の石積みと首里方式の石積みを組み併せた見事な造りで、これも重要文化財。広大な墓域の一部に降り井戸があり、海老が泳いでいた。この右隣の奥まった箇所に4番目のアトンマの墓がある。アトンマは宮古の言葉で後妻を意味する。宮古島の慣習では、後妻は死後も夫とは別の墓に収められるのがしきたりだった。ここには仲宗根一族代々の後妻達が眠っている。 5番目が知里真良豊見親の墓。知里真良(ちりまら)豊見親は仲宗根豊見親の三男で、首里王府から八重山頭職を命じられた人。やがて石垣島の蜂起が完全に治まると、八重山頭職は石垣島の旧家である宮良家が継ぐことになる。墓はアトンマの墓と良く似た石造りで、父親の墓よりやや質素な感を受けるがそれでも堂々とした巨大なものだ。 6番目に訪れたのが真玉御嶽(まだんうたき)。真玉は水晶玉のことで、祝女(のろ)と呼ばれる神職はじめ、琉球王国時代の高貴な女性がアクセサリーとして身に着けた。水晶は日本との交易でもたらされる貴重なものだった。この御嶽は参拝者が少ないのか、かなり寂れていた。 御嶽の近くに恩河里之子親正雲(おんがさとぬしペーチン)の墓の標識があった。「里之子親正雲」は琉球王朝の位の一つで三司官(さんしかん)と呼ばれる宰相クラスに継ぐ、次官クラスの地位。恐らく宮古島への赴任中に亡くなったのだろう。土地の人に尋ねても名前も墓の場所も知らなかった。きっと400年も昔のよそ者の墓には関心がないのだろう。 7番目に訪れた「人頭石」にはレースの途中でも寄った。案内板の説明によれば王朝時代の宮古島では15歳になると男子は「アワ」、女子は「宮古上布」を税金として納めたとある。高さ143cmのこの石を、王朝時代に集落毎に頭数で税を納めるための人頭石だろうとしたのが民俗学者の柳田國男だが、男性のシンボルなど色んな説があるようだ。 8番目に訪れたのが「大和ガー」。これは王朝時代の降り井戸。「大和」(やまと)とは、1609年に王朝に侵入して事実上支配下に置いた薩摩藩に対する呼び名。飲み水が貴重だった宮古島では、水量の多いこの井戸を支配者の専用として扉を設け、水番を置いて管理していたようだ。50mほどの距離にある天然の洞窟内には島民用の泉があり、道路の向かい側には家畜専用の水飲み場があったようだ。 雨の中を濡れながら訪ねて歩いた宮古島の歴史だが、100kmマラソンのコース途中、宮古養護学校付近にあった「四島の主の墓」が一体何なのか、宿題として残った。帰路、お土産の「マンゴーケーキ」と、「ワイドー」の関係記事が掲載された新聞を買ってホテルに戻る。<続く>
2008.01.23
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<ゴールへの赤い道> 車の中からこの日3回目の応援を受けたのは、確か坂道をヨタヨタ走っていた時だと思う。「頑張って~!」。走友会の仲間が手を振って去って行った。ありがとうみんな、俺も俺なりにベストを尽くしてるよ。後はこの足がどこまで持ってくれるかだ。坂の頂上から次の坂が見える。そしてその先には海に突き出した崖も。 家を出る前、「宮古島ワイドー」ではひょっとしたら自己ベストが出るかもと思っていた。レース当日の気温がさほど高くなく、コースの高低も他の大会に比べれば楽に見えたからだ。だが残り10kmになってからのアップダウンは意外に堪えた。まさか遠くに見えるあの坂を登るのではないだろうな。ところがコースはその「まさか」の方へと向かうのだった。 そんな時は歌を歌って自らを励ます。この日歌ったのは「ざわわ」、「涙そうそう」、「島唄」、それに宮古民謡の「なりやまあやぐ」など皆沖縄の歌ばかり。でもメロディーや歌詞を良く知らないので、途中でちょん切れるのだけど。(笑) 94.5km地点のイムギャー・マリンガーデンに到達。ここには小さな入江に沿った砂浜があった。確か宮古のCちゃん♪お気に入りのビーチで、トライアスロンのスイムの練習場所にしていると言ってたところだ。道はその海沿いには行かず右に折れて急な登りになった。どうやらここが最後の坂道のようだ。 坂道を登ると国道390号線に出、さらに登りが続いた。残り3km地点から左折し、ようやく下りになる。ブーゲンビレアが美しい庭。昨日聞いた喫茶店「ぬーじ」(虹)の看板を見つけた。この道を行けばきっとおばーの店の前に出るはず。私の読みは当たった。だがおばーの小さな店は閉まっている。「おばー、ありがとう。おばーが話してくれた「ぶー」(苧麻:ちょま)を見たよ~。それに昨日は何も買わずにゴメンね~!」。私は心の中で叫んだ。 いよいよドイツ文化村の赤い建物が目の前に見えて来た。道はそこへ真っ直ぐ向かい、ランナーは転がるように下り坂を駆け下りる。「ランナーの皆さんは、にっこり笑ってゴールしましょう」。アナウンスの声が聞こえる。「でもそんなの関係ね~」俺は最後まで俺らしく走る。赤いゴムマットが敷かれたゴール直前で1人のランナーを抜く。これでようやく100kmに及ぶ我が戦いは終わった。 待っていた仙台明走会のノリピーさんやY田さんが駆け寄り、握手を求めて来た。2人は東平安名岬からのハーフマラソンを走り終えたばかりだった。Y田さんは女子の部の3位入賞とのこと。「わざわざ宮古島まで来てハーフなんて」と私は思っていたのだが、人それぞれにレースに対する思い入れが違うのだろう。Y田さんは1時間46分20秒で、ノリピーさんは2時間15分30秒でのゴールだったようだ。 完走証を受け取るとタイムは12時間02分45秒で107位。やはり11時間台は無理だったが自己ベストは確実だろう。直ちに荷物を取りに行く。スタッフの説明ではシャワーはない由。仕方なく身障者用のトイレに入り、濡れタオルで全身を拭く。汗と被り水でビショビショになったシャツやタイツが重い。タオルハンカチはどこかで落としたようだ。まあ良いや。今回の目的は何とか果たした。 ノリピーさん達に断って、平良のホテルに帰ることにする。何せ半袖の上に雨まで降って来て、レースを終えた身には寒いのだ。懇親会まで1時間以上も待つのは嫌だし、弱った胃が揚げ物のオードブルは受け付けないだろう。1時間後、私はホテルに帰って熱いシャワーを浴び、隣の食堂で「焼き魚定食」を食べた。野菜たっぷりで熱々のトン汁が美味しい。でも体の回復のために、アルコールは自重した。 翌朝の新聞によれば90km地点で抜いた横浜のT下さんは、12時間12分19秒で私より約10分後のゴール。またその手前で立ち止まり、苦しんでいた明走会のI藤さんは12時間41分44秒でのゴールだった。同じく明走会の若手ホープT橋さんはT中さんに次いで、10時間16分44秒でのゴール、宮城UMC群馬支部のT松さんは11時間57分40秒だった。 そして前日100kmを走り、この日も50kmを走った東京のT本さんは6時間45分20秒と、最後はかなり苦戦したようだ。そう言えば東平安名岬ですれ違った時に、T本さんの手とタッチしたっけ。T下さんもT本さんも私より3学年上の先輩だが、2日間にまたがる彼らの力走ぶりが今も脳裏に浮かぶ。その夜もレースの興奮がなかなか収まらず、5時間ほどしか眠れない私だった。<続く>
2008.01.22
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<東平安名岬にて> 三角形の右端、東平安名岬の折り返し点から大勢の選手が戻って来る。その大半はスタートしたばかりのハーフマラソンの部の選手達だ。多分トップグループは既に去って、遅い人達のようだ。中には1.5mほどの巨大なゴーヤを頭から被っている仮装ランナーがいた。風が強いために頭を抑えながら走っているゴーヤマン。あれで本当にゴール出来るのだろうか。 あのうちの相当数を後で抜けるのではないか。そんなことを密かに考える私。帰って来るランナーの中に、60km付近で抜かれたストロングウーマンが居た。差は往復で2kmほどか。「ワイドー!」私のエールに先方も「ワイドー」と返す。結構ノリの良い人だった。彼女の姿を見たのはそれが最後になった。きっとあのままのスピードを維持しながらゴールしたのだろう。 行く手に巨大な岩があり、何か看板が出ている。わざわざ見に行くと「マムヤの墓」とある。琉球王朝時代、城辺(ぐすくべ)で一番の美女マムヤが首里から監督に来た役人を好きになった。だが役人には首里に奥方がいる。夢破れたマムヤはついに東平安名岬から身を投げ、哀れに思った村人はマムヤを岩窟に葬ったとある。宮古島の民謡「なりやまあやぐ」の中でも歌われた話だろうか。 ようやく灯台まで到達。この付近に老夫婦が立っていた。観光客だろうと気にも留めなかったのだが、ここでおばさんランナーさんご夫妻が応援のために待っていてくださったことを、後になって知った。ナンバーは知らせていたが、お会いしたのは5年前の「しまなみ海道」のレース中で、十分顔が分からなかったのだ。 少し行くと走友会の仲間が3人車から降りて道端に立っており、Y川さんが写真を撮ってくれた。厚かましくも食べかけのソフトクリームを無理やりもらう。「私のソフトクリーム!」。Eちゃんが叫ぶ。だがそうではなくY川さんのソフトクリームはほとんどがコーンだったのが残念。岬の入り口までは往復で4kmほどか。ここが結構長く感じた。コスモスの咲く入り口を左折して、いよいよ三角形の底辺に突入する。 緩い坂を登り、歩いているブラインドランナーに追い着く。1対1の組と1人で2人の伴走をしてる組。「ファイト~!」声を掛けながら抜き去る。「100kmの人?」ブラインドランナーの質問に「しっかり走ってますよ」と伴走者。実はもうヨレヨレなんだけどねえ。この後も歩き出したハーフや50kmの部の選手を次々と抜いて行く。 85km付近の保良(ぼら)ガービーチ通過。ここには昔倭寇(わこう)の基地があったと、先日読み終えた本に書かれていた。字は忘れたが、中国の史書に<ボラ・ミヤク>の名があるようだ。宮古島に内地の地名や人名が結構多いのはそのせいだろうか。90kmのASでバナナを2切れ食べ、ボトルにヴァームと塩を補充。ここで10時間57分。11時間台でのゴールはかなり難しくなった。 それでもひたすら前進あるのみ。坂道でも決して歩かない。坂道の途中で女性ランナーが立ち止まっている。50km手前で抜かれた仙台明走会のI藤さんだった。顔色が青い。「行くぞ!」一声かけて前へ出る。ゴール後に聞いたら途中で何度か吐いたとか。経験が浅いためにオーバーペースとなり、さらに暑さで水を飲み過ぎ胃の機能が低下したのだと思う。 坂の頂上には60km過ぎに抜かれた140番台のランナーがいた。「ついに捕まったか」彼が一言。前日も100kmを走ったのだから疲れるのは無理も無い。彼を抜いた後で必死に名前を思い出す。ゼッケンナンバーから東京か神奈川辺りかも知れないと思い直す。そうなると横浜のT下さんしかいない。そうだ「秋田内陸」で4度ほど同じ宿になり、その後も「しまなみ海道」や「奥武蔵」で会ったT下さんだ。彼なら何度かレースで抜きつ抜かれつしてるので、私の走り方を知ってるはずだ。<続く>
2008.01.21
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<水は命の源> 「やっぱりそうだ」。後ろから声がする。55km辺りを走っていた時だ。「朝もそう思ったんだけど、確信が持てなくてね」。声が続く。誰だろう私のことを知ってる人って。そう言えば来間島の真っ暗な道で、私のことを気にしていた人がいた。いつもペットボトルを持ちながら走っている私は、きっと覚え易いのだと思う。ゼッケンナンバーは140番台。静岡辺りの人だろうか。確かに顔には見覚えがあるが思い出せない。 60km地点を7時間と18秒ほどで通過。残り40kmを5時間以内で走れば、ひょっとして11時間台でのゴールも夢じゃない。これは良いぞ。だが浮き浮きした気分は直ぐに終わった。めまいだ。朝から軽いめまいはあったが本格的なのは初めて。血糖値が下がったのか、はたまた貧血か。兎も角道端に座ろう。140番台のランナーとストロングウーマンが颯爽と走り去って行った。 ポシェットからカロリーメートを取り出して食べる。まだ60kmを過ぎたばかりなのに、いざと言う場合に備えての「非常食」に手をつけてしまった。立ち上がってサングラスをする。だが、暗くて良く見えない。やはり曇天にサングラスは不要のようだ。ノロノロと再び走り出す。道路の右側に熱帯植物園と市立の総合博物館への標識。ここは10年前に訪れたことがあった。 徐々に緩い登り坂になる。周囲は一面のサトウキビ畑。そして所々に牛舎。やはり宮古島は農業の島だ。宮古農林高校の生徒達が長年土壌の研究を続けた結果、化学肥料の使用が地下水を汚染していることが判明した。そこで牛糞などの堆肥を用いた有機農業に切り替え、飲み水の水質改善を果たした。その業績に対して農林水産大臣賞が授与されている。もう数年前のことだ。 長年の詩友M氏や走友Y彦君が生まれたこの島を、今私は走っている。海岸部に「カー」の標識発見。カーは沖縄の言葉で井戸や泉水の意味。降った雨は直ぐに隆起石灰岩に浸み込むため宮古島には川はなく、飲み水は深い降り井戸を掘るか崖の下から湧き出る泉水に頼るしかない。昔は遠くから水を運ぶのが大変だったが、現在では巨大な地下ダムで貯水している。その大切な水を守ったのが島の若い高校生達だったのだ。 70km地点の比嘉ロードパークが標高100m近くでコースの最高地点。ここまでずっと登り続きだったがさほど疲労は感じなかった。タイムは7時間0分18秒。まだ11時間台のチャンスはあるかも。左足底に張っていたテープが汗で剥がれたみたい。一旦休んでそれを取る。5km付近では右膝の裏に痛みが走った。18km辺りでは右膝に鈍痛も。だが11月末から痛みが続き、一番心配していた左足の足底部の痛みは今のところさほどでもない。これなら何とか最後まで持ってくれるだろう。 「わいどー」のASには大した食べ物はない。それでもその中から食べられるものを見つけて食べないと最後まで走れない。給水所には大量の冷たい水があった。北国のランナーにとっては気温20度でも暑過ぎ、ここで冷たい水を飲め、頭から水を被れるのが嬉しかった。それに給水所が確実に2.5km毎に設置されていると、走った距離と自分のペースが分かってとても助かった。 80km地点の手前にハーフマラソンのスタート地点があった。選手は既にスタートしたようだ。追い抜かれた50kmの部の選手を、この辺りから徐々に抜き返す。東平安名岬への入り口の80km地点でお汁粉やオレンジなどをいただき、再び灯台目指して走っていた時に後ろから声。 走友会の仲間が乗った車だった。思わず駆け寄りEちゃんにゴールタイムを訊ねた。答えは「制限時間の20分前」だった。何とあの暑さの中をEちゃんは15時間40分もかかって走り切ったのだ。凄いぞEちゃん!<続く>
2008.01.20
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<何十年ぶりで対面したものは・・> これでもう仲間の心配をする必要はなくなった。後は自分のレースに専念すれば良い。それにしても最高気温が26度を超える中でのレースは、さぞ辛かったことだろう。それに比べれば今日は天国みたいなものだ。間もなく50km地点に到着。ここまでのタイムは5時間36分。これは上出来と言うか私にしては少し速過ぎるペースだ。 ここは50kmの部のスタート地点でもあるため、周囲には大勢の選手が集まっていて大変な混雑ぶり。その人混みを掻き分けてASにたどり着く。後ろのテントでお椀を配っている。何だろうと思って近づくと沖縄名物の「ゆし豆腐」だ。「にがり」を入れないために柔らかいままの豆腐でとても美味しい。私は少量の味噌を薬味に入れた。もう一つのお汁粉ももらい、アイスボックスの上に腰掛けていただく。これまでのASには無かった味に満足。ふう~っ。 最後にクリームパンを掴み、走りながら食べる。見ろ50kmの部の選手諸君。これが100km選手の走り方だ~っ。(笑)さて、ここに宮古のCちゃん♪夫妻がいたことを翌日の新聞で知った。ご主人は5時間11分台で、彼女は6時間22分台で無事完走出来た由。そしてご主人の方はゴール後にインタビューを受けたみたいで、「いつかは憧れの白ゼッケン(100kmの部)をつけて走りたい」と書かれていた。 さらに翌朝の新聞によれば、この日の朝3時半集合のバスに乗ってなかった宜野湾市のA里夫妻もそれぞれ100kmと50kmの初ウルトラを完走出来たみたいだ。きっと慌ててタクシーでスタート地点に来たのだと思う。そしてここから一緒に走ると話していた那覇市のA垣氏が私よりもかなり遅れてゴールしたものの、50kmの部に夫人らしき人の名前は載ってなかった。あの人混みの中には色んな人が紛れ、色んなドラマがあったのだが、その時は全く気づいていなかった。 コースは宮古養護学校付近から左折して海沿いの道になった。沖合いのリーフに白い波。道端の人にあれが八重干瀬(やえびし)か訊ねて見た。だが答えはそこではなく、約10kmの沖合いにあるとのこと。八重干瀬は春の大潮の時に現れる、東西10km、南北12kmにも及ぶ巨大なさんご礁で、大小100ほどの岩礁にはそれぞれ固有の名前が付いているのだとか。その1つにだけ上陸を許されるものがあり、逃げ遅れたタコや魚やナマコなどが手づかみで捕れるとか聞いたことがある。その沖合いを眺めながら私は走った。 その時誰かが後ろから追い駆けて来た。顔を見ると東京のT本さんだ。今年67歳の彼が昨日の「遠足」でも100kmを走ったと言う。そして私達の仲間の様子も話してくれた。やはり想像どおり苦戦したようだ。これだけ走れるのだから一昨々年骨折した肩の調子は良いのだろうと思って訊ねると、手術した方の肩は上がらないのだとか。 暫く併走した後、彼はペースを落とした。「U師匠に会ったらよろしく伝えてね~」。別れ際に大声で叫ぶ。膀胱がんが再発した師匠とT本さんが近々飲むと聞いたからだ。70歳近くなっても2日連続で走るとはT本さんも凄いランナーだったんだ。それに少し前までは100kmの連チャンだった由。 暫く走ると畑の間に少し人家が見えて来た。左手に何か病院のような建物がある。看板を見ると、そこがM精神病院だった。「この辺に苧麻の畑がありますか~?」。思わず応援してくれていた地区の人に尋ねる。「もうちょっと先にあるよ」との答え。あったあった苧麻の植物園が。黙って園内に入ると目の前にその植物が植えられていた。 色は赤紫で赤シソに似てる。丈は1mちょっとほどで、形は野草の「ミズ」や「タデ」に似ている感じ。これが何十年も謎だった苧麻(ちょま)だったのか。たしかに宮古の方言で「ぶー」と書いた看板が立っている。旧上野村のおばーと平良の料理店主に聞いて知った苧麻と、今ようやく対面することが出来た。満足して再び道路へと飛び出す。<続く>
2008.01.19
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<突然聞こえた声の主は?> 宮古島はほぼ三角形の島。左の角に当たるのが来間大橋で、上の角に当たるのが西平安名岬から池間島だ。今は岬の付け根にある狩俣の集落を目指している。この道は10年前にも走った。仕事で宮古島へ来た時に練習で狩俣方面に向かったのだが、途中で腹痛を起こした。所々風景に覚えがあり、あの時用を足した浜辺も分かった。だが、擁壁で海が見えにくくなっていた。 県立宮古養護学校前を通過。道路の左側にハイビスカスの生垣が続く。そしてその隙間からサンニン(月桃)の花が咲いているのが見えた。ゼッケンナンバー300番台の沖縄のランナーと話す。那覇市のA垣さんでNAHAマラソンは連続23回完走の強者のようだ。腰の調子が悪いので50kmの部に出場する奥様とゆっくり走る予定とか。 だが2人で走るとペースが上がり、朝一緒だったストロングウーマンを抜かしてしまった。A垣氏はさらにペースを上げ、私は再び1人になった。後ろから「頑張って~!」の声。ドクターgonの診療車が追い抜いて行った。あれは宮古のトライスリートCちゃん♪が勤めている病院だ。今日はワイドーの選手の診療に当たるのだろうか。 長い狩俣への道もとうとう尽き、岬が近くなったせいで風が強まる。左手に巨大な風車が3基。ゆっくり回転するプロペラ。その向こうには西平安名岬が見え、手前には「雪塩」の工場。コースは右手の橋に向かう。ようやく池間大橋だ。橋の上は強烈な横風。風速20mはあるだろう。 右手の海上には三角形の島。折り返して来た地元のランナーに尋ねると「大神島」とのこと。あれが気高い神が棲むと言う大神島か。確かCちゃん♪が、ドクターGonは日曜日は医者のいない大神島へ診療に行くと話していたことがあった。さっき追い越して行った車は島尻港から大神島へ向かったのだろうか。 橋の上から海を見ると案外浅い。その昔、潮が引いた時は池間島へ竹馬で渡っていたと聞いたことがある。その池間島からT中さんが戻って来た。順位は女子の4位くらい。「T中さん頑張って~!」とエールを送る。結局彼女は9時間34分台でゴールしたようだ。順位は総合18位で女子の4位。年齢別なら堂々の1位だったろう。 2千m近い橋を渡り切ると給水所。スタッフの人に尋ねると、昔竹馬で渡ったのは湿地帯の入口付近からのよう。島には大きな池と湿地帯があり、それが名前の由来なのだろう。人影の少ない島を一周する。道端にはギンネムや朝顔に似た花。島内3箇所でサトウキビ刈りの風景を見た。沖縄の方言でサトウキビ刈りを「ウジトーシ」と言う。ウジは荻(おぎ)、トーシは倒し。中国から渡って来たサトウキビを島の人は、同じ白い穂をつける「荻」と間違えたのがそのまま今まで使われている。 再び橋を渡って狩俣集落へ向かう途中、後ろから肩を叩いて走り去った女性ランナーがいた。「元気で走るぞ~!」。仙台明走会のI藤さんだ。彼女も今回が初ウルトラのはずだが、若いだけに元気の良いレースをしている。しばらく行くと前方から見覚えのある顔が近づく。兵庫のR子さんだ。 「R子ちゃんも出てたの~。頑張って~!」。とエール。「はーい」と、まるで天女のような彼女の声が返って来た。それにしてもどこかおかしい。私との差は既に10km近く、彼女の後ろにはもう2人しかランナーがいなかった。昨年は1ヶ月に200kmのレースを4回走った彼女がこんなに遅い訳がない。ひょっとして前日は猛暑の「宮古島遠足」を走り、体力を使い果たしたのかも。 我が走友会のS氏の姿が見えなかった理由も同じかも知れない。昨日のレースで疲労し、今日は棄権したのかも。そうなると今回が初ウルトラだったEちゃんの結果が心配だ。そんなことを考えていると、突然私の名前を呼ぶ声が聞こえた。何とY川さんが運転する車に走友会の仲間が4人乗ってる。「Aさん頑張って~!。こっちも全員完走出来たよ~」。なになに~っ。Y川さんが「遠足」に出てたのも初めて知ったし、Eちゃんが無事完走出来たのにも驚いた。彼女は2ヶ月前に初めてフルを走ったばかりなのだ。さて、そうなると一体誰が最後までEちゃんの伴走をしたんだろう?<続く>
2008.01.18
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<宮古島一番の聖地前を通過する> 道路の両側に続くサトウキビ畑では、白い穂が暗がりの中で揺れている。思わず口から飛び出す「ざわわ」のメロディー。直ぐ目の前には背中が広く開いた女性ランナーが颯爽と走っている。きっとトライアスリートだと思い話をしてビックリ。何と前日の「宮古島遠足」では、10時間台で完走したと言うからまさにストロングウーマンだ。 4kmほど走ったところで入江橋を渡る。入江湾に架かる橋だが、暗くて何も見えないのが残念。8km過ぎに今度は大きな橋があった。宮古島から来間島へ架かる来間大橋だ。歩道から海を覗くと案外水深は浅く、所々に白い砂が見えた。来間島の急な坂道を登っていると、誰か「似てるなあ」とつぶやく人がいたがそのまま気にせずに走った。 来間島から戻って与那覇へ。ここの前浜はとてもきれいな海だと聞いたことがある。15km地点の下地まで来ると、前方の建物から甘い匂いが漂って来た。製糖工場だ。糖度が上がってサトウキビの刈り取り時期である今頃は、夜通し操業しているようだ。サトウキビを満載したトラックが工場へ入る。そう言えば昨日はおばーの店の前で車から落ちたサトウキビを齧ったっけ。 国道390号線から宮古空港への分岐点を通過する頃には、空が白んで来た。20km地点の久松で給水。ここには「久松五勇士」の記念碑があるはず。明治30年代の日露戦争当時、海峡を通過したロシア艦隊を見つけた島の青年5人が通信施設のある石垣島まで刳り舟を漕いで通報し、そのお陰で日本艦隊が勝利した話だ。宮古島は標高100m程度の低島のため電波が沖縄本島まで届きにくかったようだ。 平松から平良方面への曲がり角に仙台明走会のノリピーさんや、昨日お世話になった宮古島の方がいて応援してくれた。だが、前後して走っていた明走会のS岩さんが「もうダメだ~!」と叫ぶ。冗談だろうとその時は思ったのだが、初ウルトラの彼は本当にゴール出来なかったようだ。 コースはやがて下りになり平良港へ出た。道路の右手には宮古島一番の聖地漲水御嶽(はりみずうたき)や琉球王朝時代の豪族である仲宗根豊見親(なかそねとゆみやー)の墓があるのだが、港に気を取られているうちに通過してしまった。その前方に「人頭石」の標識を発見。沖縄には明治後期の「琉球処分」まで「人頭税」が残ったが、宮古島ではこの石の高さ143cmまで背丈が伸びると一人前と見做されて税金を取られた曰くつきのものだ。 道路を横切って10年ぶりに人頭石を見に行く。だが、石組みの立派な掘り井戸である大和ガーはコースから外れているようで見えないのが残念だった。コースは国道390号線から県道83号線へ変わり、さらにそこから左折して県道230号線へ。いよいよ最大の難所である池間大橋へと向かう。<続く>
2008.01.17
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<深夜の幻覚と闇夜のスタート> その夜は何度か目覚めた。部屋の暑さと旅先であることに加え、ウルトラ前夜の緊張感があったのだろう。何度目かの目覚めで時計を見ると2時35分になっている。「これはしまった!」。慌てて飛び起き、早速両膝などにテーピングを施す。 それにしてもおかしい。フロントには2時半に起こすよう頼んでおいたのだが、沖縄のテーゲー(大概=いい加減)さがこんな大事な時に出たのだろうか。ハーフタイツを穿き、ゼッケンナンバーを張ったランシャツを着、冷蔵庫の中から弁当を取り出して食べようとして、念のために再度時計を確認して驚いた。何と腕時計はまだ0時2分だった。 じゃあ、さっき見たのは幻覚?それとも疲れからの単なる錯覚だろうか。次に目覚めたのは2時20分過ぎ。2時30分にはフロントからも電話が来、32分にはアラームも鳴った。良かった。これでバスに間に合う。冷たい弁当も結構美味しい。ところがヨーグルトだとばかり思っていたカップがプリンではないか。昨夜酔っ払って買い間違えたようだ。でも栄養になるからこれもまた良いだろう。(笑) トレパンに半袖Tシャツを羽織り、市役所へ向かう。星の無い空。天候は悪そうだ。3時過ぎと言うのに若者は町をうろつき、タクシーが客待ちをしている。沖縄は夜更かしの島なのだ。市役所前に行くと、まだ誰も来ていない。ザワザワと風が木の葉を揺する。これはしまった。暖かいとばかり思っていたのだが、風が吹くと肌寒く感じる。 やがて選手が集まりバスも着いた。席に落ち着くと前日の「宮古島遠足」を走ったランナー達の話し声が聞こえた。昨日は26度を越える暑さで1人はリタイヤし、1人は何度か吐いたようだ。これまでも何度か翌日の「ワイドー」とダブルエントリーしている強者ですらあの暑さで参ったのだから、沖縄のレースが初めての走友会の仲間はさぞかし苦戦したことだろう。 そう言えば昨夜コンビニで出会ったランナーも、エイドの距離が離れ過ぎていたことや、飲み水が少ないため頭から水を被ることが出来ずにリタイヤしたと話していた。それが今日は肌寒く感じるほどの低温なのだから皮肉なものだ。それは兎も角、昨日平良までバスで一緒だったA里夫妻の姿が見えない。初めてのウルトラレースで慣れずに寝過ごしたのだろうか。 ドイツ文化村に着くと色とりどりの電球が明滅して、まるで絵のような美しさだった。受付を済ませ、タグがついたテープを腕に填められる。風が強く、雨も降って来た会場。慌ててテントに駆け込み、風雨を避ける。と、隣席の人が突然話しかけて来た。岩手県人のご主人と宮古出身の奥さんのご夫婦で、北上市で琉球料理店を開いているとのこと。これも不思議な縁と言うべきか。 スタート時間が迫り、ゲートに向かうと仙台明走会のメンバーと再会する。T中女史はいつもながらのランシャツ姿で、既に気合十分の感じ。さすがに四万十100kmで年代別1位だけのことはある。だが名簿に載っていた我が走友会のS氏の姿がどこにも見当たらない。そのうちにスタートの合図がなり、選手達は一斉に暗い道へと飛び出して行った。要所要所に照明灯を積んだ車が待機し、足元を照らしてくれるのが有難い。さて、今日はどんなレースになるのだろう。<続く>(注)「ぱいぬすま・みゃーく」は、<南の島・宮古>を意味する宮古島地方の方言
2008.01.16
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<様々な出会い> 那覇空港でのトランジットは28番。そこから宮古島への飛行機に乗り継ぐのだが、まだ時間は十分にある。仙台からの機内では既に「甦る海上の道・日本と琉球」谷川健一著を読み終え、2冊目の「おもろさうし・沖縄の文化と歴史」波照間永吉編を読み始めていた。かなり難解なので暇はつぶせそうだ。 朝、家を出る時は雪が舞っていた。だが40日ぶりの那覇空港では、26度の気温と美しい洋ランが迎えてくれた。そんなことを思っているうちに仙台明走会のメンバーがやって来た。T中さんは「飯坂ふくしまマラソン」以来、幹事役のノリピーさんは「エンジョグinみちのく」以来の再会。そして一番若そうなY田さんまでが、何故か握手を求めて来た。 仙台から那覇までの3時間20分もの空の旅では、厚い雲に覆われ途中の島影はまったく見えなかった。沖縄本島から約300km離れている宮古へ向かう機内からは、着陸態勢に入ってからようやく白い波が立つリーフが見えた。ブーゲンビレアの鮮やかな宮古空港にノリピーさんの知り合いが迎えに来てくれていた。一昨年のNAHAマラソンでお会いした人達だ。彼らの車に便乗して、受付会場のドイツ文化村へ向かう。受付を済ませると明走会のメンバーは観光へ、私は1人残って翌日の交通手段を記した資料をもらう。 宿のある旧平良市内へは、もう路線バスしかない。停留所まで20分ほど歩き1時間以上待つのだが、徹底した節約旅行の今回はそれも仕方が無い。小さな店の前にバス停があり、夫婦のランナーが待っていた。沖縄県宜野湾市の方だった。2人は今回が初ウルトラで、ご主人は100km、奥様は50kmの部に出場する由。散々マラソンの話をした後、退屈しのぎに店内に入る。 おばーが店番をしながら糸を紡いでいた。「何の糸?」と訊ねると、宮古上布を織るための苧麻(ちょま)との返事。これには驚いた。実は苧麻は日本のかなり古い文献にも出てくるもので別名「からむし」、宮古の方言では「ぶー」と言うらしい。きっと布(ふ)から変化した言葉だと思うが、果たしてどんな植物なのだろうか。宮古上布は、琉球王朝時代には税金代わりに宮古島から王府へ納められたものなのだが、おばーはそのことは知らなかったようだ。 さて、平良の終点まではバスで30分以上かかり、そこから小雨の中をさらに30分歩いてホテルに着いた。A里夫妻とは市役所前で別れた。そこから明日の早朝、スター地点に向かうバスが出る。ホテルに荷物を置いて、早速夕食へ。夫妻に会えるかもと思い、市役所の裏手の路地にある居酒屋へ入った。 だが店には誰も客がいない。アルバイトの若い女性にゴーヤチャンプルー、宮古ソバ、ご飯、そして宮古島の泡盛「菊の露」を注文。容貌と言葉から宮古の人でないことを確信して訊ねると、3ヶ月前に京都から来たばかりとの由。こんな風に南の島に憧れて住み着く内地の人が結構多いのだ。でも「何を目的に?」と言う私の質問には笑って答えなかった。 店内に珍しい暖簾が飾られている。店主の話によれば琉球織とのこと。つい先刻おばーから教わった苧麻のことを訊ねると、明日走るコースの途中にそれが植えられた専用の畑がある由。場所は西里のM精神病院の直ぐ傍らしい。何となく分かりそうだが果たしてどうか。 15年ぶりに飲む「菊の露」は美味く、腸に沁み込んだ。今日は2000km以上旅し、色んな人と出会った。こうして「ぱいぬすま・みゃーく」での第一夜は更けて行った。<続く>(注)ぱい=はえ=南風または南 ぬ=の すま=しま みゃーく=宮古
2008.01.15
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今朝の宮古島は雨。おまけに強い風も吹いていました。その中を少しだけ宮古島の古い歴史を訪ねて歩きました。おかげでびしょ濡れでした。(笑)空港までタクシーに乗ろうとしたら、なんと同じホテルに仲間が泊まっていたんですよ。それでタクシー代も半額で済みました。今回は終始ケチケチ旅行に徹しましたが、最後までそのルール(?)が守れて良かったです。(笑) 那覇空港経由で仙台空港へ。初夏の南の島から寒い北国に帰ったら、体もさすがにシャンとしましたね。明日からはまた仕事が始まります。その合間を縫って完走記を書く予定です。どうぞお楽しみに~♪
2008.01.14
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午前5時にドイツ文化村スタート。真っ暗な道を2時間走ってるうちに夜が明けました。来間大橋を渡って来間島へ、また池間大橋を渡って池間島一周。この日は前日と打って変わっての曇天。途中からは雨になり気温も20度と低く、とても走りやすい天気になりました。 70km周辺までは快調で初の11時間台も目指せるほどだったのですが、東平安名岬を過ぎて85km周辺からの連続する坂道に失速し、12時間02分45秒でのゴールでした。僅か37秒差で残念ながら自己ベストは成りませんでしたが、十分手ごたえを感じたレースでした。 途中所属する南仙台走友会の仲間が車から応援してくれたのが、とても良い励みになりました。応援してくれた皆さんに感謝です!!
2008.01.13
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仙台から那覇経由で宮古島へ向かいました。途中の那覇空港では26度Cと言う大変な暑さ。宮古島へ着いてもこの日は26度を超える暑さのようでした。その中を海宝さん主催の「宮古島遠足」100kmが行われていましたが、制限時間が16時間と緩いレースにも関わらず、暑さのせいで完走率は62%に留まったようでした。南仙台走友会の仲間が4人走ったのですが、全員無事完走できたようです。
2008.01.12
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最近色んな人のブログを覗いています。私のブログを覗きに来られた方のブログです。私が借りている楽天のブログは、何か日記も書かないで「商売」をしてるようなのが多いのですが(また、そのために下らない「宣伝」のようなのが書き込まれて迷惑してるのですが)、中には真面目に日記などを書かれている人もいます。 訳あってバツ1になられた男の方の日記はなかなか面白いです。私ならば暗くなるところなのに、明るく前向きに生きていてスポーツなども何種類か楽しんでおられるようで、見ている方が何故か元気になりそうです。そして思わず「頑張れ~!」と言いたくなる雰囲気なのですよ。 一日に一つお話を書かれている女性の方もおられます。とても愉快なお話で私のように実際に起きたことをリアルに書くと言うよりは、ほんわかとした実に温かみのあるお話にしています。そして時々は詩も書かれます。その詩がまた素直な表現で、しかもファンタスティックな詩なのです。 あまりにも素敵な文章と詩だったので、つい私もコメントを書かせていただきました。その返事もとても優しい表現で、その方の人柄が偲ばれました。ところがそれを見た男の人が「そんなものは資源の無駄遣いだ」みたいなコメントを書いていたのです。そんな心無い言葉に対してすら「貴重なご意見をありがとうございました」と丁寧に返事されていました。 私ならそんな暴言はさっさと消しちゃいますがね。それから2日ほどしてそれを見に行ったら、やはり消されていましたよ。あれは顔の見えないネットの欠点ですね。誰だか分からないから平気で人を傷つけるようなことも書いちゃうのでしょうか。 美しい写真と詩を組み合わせたものを毎日ブログに載せてくれる方、愉快な絵を描かれる方、愉快な実話を書かれる方などブログの世界も様々ですね。ランナーの書かれる日記も面白いのですが、たまにはランナー以外の方のブログを覗くのも変化があって楽しいものです。まあ自分の息抜きでしょうか。あんまり真面目にばかり考えていると肩が凝りますからねえ。 今日は疲れました。今週は早番と遅番の連チャンを2回したものだから、特に疲れます。今日は金曜日。一週間の疲れがどっと出たのでしょう。それにも関わらずこんな遅い時間に(私にしてはですよ)日記を書くなんてのは珍しいのです。折角私のブログを覗きに来てくださったのに、何も書かれて無いと寂しいでしょ。だからどんなつまらない文章でも許してくださいね。 さて、明日はいよいよ宮古島へ出発します。そして明後日には初めて宮古島で100kmを走る予定です。帰って来るのは月曜日の夜になります。それまでこのブログもお休みします。でも、ひょっとしたら明日も書けるかな?いやいや、そんな約束は止めておきましょう。(笑)皆様、そんなわけでしばらく留守にします。ではまたお目にかかる(?)日まで、ご機嫌よう♪
2008.01.11
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何はともあれ今年のレース予定は決まった。果たしてこの3月で64歳になる私が、これだけの数のウルトラを無事乗り切れるかどうかは分からない。ともかくそれぞれのレースの完走目指して全力を尽くすだけだ。体調の維持はもちろんだが、参加するための費用をどう工面するかでもきっと苦労するだろう。その意味で今年は耐乏の年でもある。 さて、この週末には宮古島へ向かう。今年初のレースである「宮古島ワイドーウルトラマラソン」100kmの部へ参加するためだ。少し前にナンバー通知書が送られて来たが、それを見ていて驚いた。受付時間が前日の14時から16時までとなっており、遅れる人は連絡するようにとのこと。確か大会要項には受付は18時までとなっていたにも関わらずだ。 これは何かの間違いだろう。それに聞きたいこともあったので、ワイドーの事務局へ電話した。電話を受け取ったのは宮古島市の職員の人だろうか。始めは尊大な態度のような「声」が次第に小さくなった。先ずは葉書と大会要項の矛盾点を質す。相手は口ごもっていたが、明らかなミスだ。 次に交通のことを訊ねる。先ず飛行場から受付会場への足。ついで受付会場からホテルのある平良方面に向かうバスの存在。そして大会当日の平良からスタート地点へ向かうバスの存在。最後がゴールしてから平良へ向かうバスのこと。何故訊ねたかと言うと、それらのことが大会要項に載っていないためだ。普通なら受付会場への交通機関が大会要項か関係資料に載ってるはずだ。それが全くどこにも記されてないのだ。 大体にしてエントリー料や交通費を含めれば10万円以上もかかる遠方なのに、そんなことを載せない大会要項などあるだろうか。いずれも何らかの交通手段があることが確認できて、私の心配は少しだけ軽くなった。 宮古島ワイドーに参加すべくツーリストを訪れた時に聞いたのは、受付会場付近のリゾートホテルはシングルで4,5万円すると言うことだった。それで旧平良市内のビジネスホテルに決め、受付会場やスタート地点まではタクシーを利用しようとしていた。それでもその方が安いとツーリストの人が言うからだ。このタクシー代がいくらかかるかが私の心配でもあった。 宮古島へ行くために既に妻から1万円を借金している。(笑)それにその後のレース参加料や、新年会参加費やシューズの購入など次々に費用がかかるため少しでも節約しておく必要があるのだが、宮古島の島内で何度もタクシーを利用したら果たして所持金で間に合うのか心配になったのだ。タクシーに乗らなければいけないのは2回くらいで済みそうなのが分かって一安心。これでようやく走れそうな感じがする。 それでもまだ油断はしていない。ここ1週間以上前から宮古島の天気予報を見ているが、気温が仙台よりかなり高めだ。今日現在の天気予報ではレース当日の天気は曇り時々雨。最高22度、最低18度になるみたいだ。2箇所ある橋の上は風が強いと聞いている。その上に雨が降れば体は冷えるだろう。それでも南の島だから凍えることはあるまい。暑がりで汗っかきの私はランニングシャツか半袖Tシャツで十分だと思っている。 用心のため、塩、アスリートソルト、ヴァームの粉末をポシェットに忍ばせる積り。それと穴を開けたビニール袋も。天気が悪いのでサングラスは要らないと思うけど、念のために持参はする。今日はテーピング用のテープを買いに行って来た。出発日の土曜日まで、さらに天気予報は見ておきたいと思っている。 後の問題は体調。今週は火曜日に早番と遅番の連チャンをやった。同僚が急遽恩人の葬儀に参列するためだ。明日も同僚が研修を受けるため早番と遅番の連チャンになる。このため疲労が重なり寝不足にもなる。まあ仙台~那覇とそこから宮古島への乗り継ぎで長い旅になり、体を休める時間は取れると思う。 話は前後するが宮古島のスタート時間は5時。少なくても2時間以上は真っ暗な道を走ることになりそうだ。宮古島の夜明けや橋の上から見える海の色はどんなだろう。また東平安名岬の灯台周辺の風景は果たしてどんなものか。左足足底筋の痛みが長引いているのが気がかりだが、ゆっくり楽しんで走ろうと思う。 昨日書いた今年のレース予定に関して、走友からメールやブログへの書き込みがあった。3月の「24時間チャリティーラン」には古川のS藤さんとT田さんも参加予定とのこと。初めて走る24時間走で不安だったが、仲間が増えたので心強い。また6月の「いわて銀河」では、秋田のF原さんと再会出来そうだ。レースで走友と会えるのは何よりも嬉しい。そのためにも元気な姿でスタートラインに立てるようにしたいと願っている。
2008.01.10
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今年はウルトラ集大成の年にしたい。そう書けばいかにも立派そうだが、実態は私もかなり草臥れが目立って来たため今年辺りを境にして、徐々にウルトラから撤退しようと言う魂胆。このため、今年は目一杯色んな形のウルトラを楽しもうと言うのが真相だ。(笑) 昨年の暮れ、突然思いついた「ちんすこう作戦」。そして「いわて銀河」の開催月日の変更。過去2年間開催されなかった「秋田内陸」の3年ぶりの開催。そんなこともあって、今年予定していたレースをもう一度見直す必要性に迫られた。 秋田のJUNさんの書き込みによれば、9月の「佐渡島一周」も開催日が変更されるみたい。確かに気持ちは揺れるが、自分としてもそろそろ目標を決めておく必要がある。以下に今年参加予定のレースを参考までに記しておきたい。(☆はエントリー済み)○1月13日(日)「宮古島ワイドー」100km☆ ドイツ文化村をスタートして宮古島内を時計回りに廻るコースで、途中橋を渡って来間島、池間島へも立ち寄るみたい。橋の上から見える海や東平安名岬の景色がきれいとの評判を聞いている。仙台明走会の方も何人か参加されるようで楽しみ。○3月1日(土)~2日(日)「24時間チャリーティーラン」(東京お台場)☆ 海宝さんが主催する大会で、お台場の「船の科学館」前を1日の15時にスタートし、お台場の中をグルグル走るみたい。昨年は暖かかったようだが、今年はどうか。ちっちさん、星峰さんがボランティアをされると聞いているので、お会いできるのが楽しみ♪○4月13日(日)「エコ・ジャーニー12時間走」(東京葛西臨海公園) エコ・ジャーニークラブの鈴木さんが主催。夜中の0時にスタートし、葛西臨海公園内をグルグル廻る大会。「佐渡」にも「屋久島」にも行けないので、ここでじっと我慢。(笑)○5月18日(日)「仙台鉄人会10時間走」 仙台市内「台原森林公園」をコースにした仙台鉄人会のレース。一応10時間走にエントリーはするが、スタート時間(5時)までには行けないので、7~8時間ほど走れれば良いかと考えている。自称「勝手に7時間走」。コースは一周3kmの間に50mの標高差があり、かなりきつい。他に5時間走、フルマラソン、団体の部あり。当日エントリー可能!!○6月8日(日)「いわて銀河ウルトラ」100km 岩手県北上市の総合運動公園がスタート地点で、ゴールは岩手山麓の雫石町。最高地点周辺のトンネル内は寒い風が吹き抜ける難所。コースの途中にはダム湖や温泉宿があり、のどかな景色が続く。秋田のJUNさん(F原さん)ともお会い出来そう。○7月18日(金)~21日(月)「沖縄本島単独縦断」約185km 名づけて「ちんすこう中作戦」。沖縄銘菓の「ちんすこう」をエネルギー源とし、同島南端の具志頭から北端の辺戸岬まで、島の西海岸をひたすら北上して強い太陽と戦いながら走り切る。成功の鍵は台風が来襲しないことと、熱中症に罹らないことだろうか。○8月23日(土)「立山登山マラニック」65km=高低差3003m 海抜0mの浜黒崎(富山市)から標高3003mの立山連峰雄山山頂まで一気に登る山岳レース。参加希望者多数のため「厳重なる書類選考」がある。頂上からの眺望は圧巻。走友会のY田さんも参加希望で、彼共々何とか選考に受かるよう願っている。○9月21日(日)「秋田内陸」100km 秋田内陸部の山地を駆け抜けるウルトラで、今年は3年ぶりの復活大会。人情味が篤く、エードの食べ物が美味く、風光明媚なこの大会は、今回逃したら今度はいつ走れるか全く分からない。今年は「佐渡」を断念し「秋田」に賭けたい。○10月19日(日)「いわて北上マラソン」フル 今年初めてのフル。北上川に沿った閑静なコース。応援者も少ないけど東北の田舎の秋景色を堪能して来たい。○11月9日(日)「湯のまち飯坂ふくしまマラソン」フル 昨年が第1回の新しい大会。飯坂温泉郊外のダム湖周辺を走るアップダウンの厳しいレース。風が強いのも特徴。今年はゴール後温泉に入れるか? 以上ウルトラ8回、フル2回に参加予定。開催日は昨年の月日からの予想です。今年の参加予定が決まったので併せて来年の予定も考えていますが、それは後日にでも改めて。
2008.01.09
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<真夏の太陽より怖いもの> 書き忘れたがMさんはこの年末年始の休みを利用して、私が走ろうとしていたコースの一部を、既に車に乗って実測してくれていたようだ。それだけ私のことを心配し、手伝おうとしてくれたのだろう。さらに走友会のM井さんからも、メールで地図上の距離を測定するシステムがあることを教えてもらった。ただし、私はメカに弱くてどう使ったら良いのかちんぷんかんぷんなのだが。(笑) つい先ほどブログを開くと新潟の銀のねこさんが書き込みをしてくれていて、M井さんとは異なる方式で走った距離や消費したカロリーまで計算してくれるシステムがあることを教えてもらった。ただし、まだそのHPへ訪ねて行ってはいない。私は昨夜H氏が送ってくれた沖縄の道路地図で距離を出していた。沖縄本島の西海岸を南端から北端まで駆け抜ける「中作戦」のものだ。それを以下に記しておこう。○第1日目:<仙台=那覇>那覇到着後 具志頭三叉路~那覇市旭橋=25.2km<那覇1泊> 少し前に各市町村の地図を目測して算出した距離とはわずか700mしか違ってなかったのにはびっくり。ここはNAHAマラソンで何度も走ってるのでほとんど心配ない。到着したその夜に、翌日からの「訓練」の意味で走ろうと思う。走る前には翌日の食料調達を忘れずに!○第2日目:那覇市旭橋~名護市中心街=68.7km<名護1泊> 同じくこの間の誤差は7.2kmだった。私の目も案外正確なんだねえ。ここは国道58号線をひたすら北上するだけ。宜野湾周辺までは市街地が続き、排気ガスが凄いと予想。恩納村からは左手に東シナ海が見え出す。暑いけど景色を楽しみながら走りたい。食料、飲料の調達は比較的容易のはず。○第3日目:名護市中心街~辺戸岬往復=91km<名護1泊> 大宜味村辺りから良い景色が続く。小さな集落が何箇所かあり、そこでは食料などが調達出来ると思う。岬の手前の「茅打ちバンダ」辺りから登り坂。岬にも売店があるはず。岬までだと45.5kmだがバスも無く、復路も同じ道を走るしかないのが辛い。きっと強い西日に苦しむだろう。復路にヒッチハイク出来れば楽だけどねえ♪ <以上の合計184.9km>○第4日目:名護=高速バス=那覇空港=仙台空港 先日リゾートホテルの料金を書いたが、正確には奥間が一泊37900円でカヌチャベイが48800円だった。これがビジネスホテルだと7千円程度で済む。那覇と名護のビジネスホテルに合計3泊した時の総計は10万円程度の間違いだった。航空運賃も年末ではなく7月だともう少し安くなるはず。 さて、沖縄では真夏の太陽よりもっと怖いものは台風だ。沖縄周辺の海水温はかなり高いため、エネルギーがさらに補充され猛烈な風が吹く。運転中の車は風でハンドルを取られ、弱い街路樹などは真っ二つになる。沖縄の民家が瓦を漆喰で塗り固めているのは、瓦が飛ばないための防御策で、決して観光客が喜ぶからではない。でもその台風も、沖縄の人々にとっては飲み水を確保するためにとても重要なものなのだ。 もし台風が来て走れなかったら、その時は缶詰になったホテルで沖縄の歴史や文化に関する本でも読もうか。もちろん「ちんすこう」を食べながら。(笑)そしてNAHAマラソン10回目の完走を目指す「小作戦」の決行は来年辺りか。もし今年西海岸の縦断が成功すれば、次は東海岸の縦断も試みてみたい。まあ、その実現のためには、母ちゃん、経費、体力、宿泊場所、天候などと言う難関を幾つも乗り越えなければならず、かなり難しいだろうが。 ともあれ「作戦」の内容はかなり具体的になった。今後の私の任務はせっせと節約に励んで資金を貯め、沖縄の暑さに負けない頑丈な体と心を作ることだろうか。夢を夢で終わらせないために、これからも仲間と心を合わせて頑張ろうと思う。皆さんよろしくお願いしますね~!!<完>
2008.01.08
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<女房の壁より高いものは・・> 確か暮れの30日の夜、ほろ酔い気分で妻に話しかけた。自分が高潮していたものだから、ひょっとして妻も機嫌が良いのだろうと錯覚していたのかもしれない。(笑)兎も角「自分のウルトラマラソンもそろそろ潮時が近づいたので、最後のチャンスとして来年の暮れに沖縄へ行って走りたい」と正直に告げた。もうこの時は沖縄本島一周の「大作戦」を諦め、目標を本島単独縦断の「中作戦」に切り替えていたのだ。 ところが妻の反応は厳しく、呆れ果てて物が言えないと言った感じだった。妻の仕事はホームヘルパー。まあ体の良い肉体労働者のようなものだ。最近1級から2級に格下げしてもらってパートタイマー扱いになったにも関わらず受け持ち件数はさほど減らず、年末年始は却って忙しいくらいのようだ。そんな状況の中で、自分の家の大掃除や正月のお節の準備をするのだから「猫の手」も借りたいほどなのだろう。 そんな時に旦那一人がのうのうと沖縄まで出かけ、自分の趣味であるウルトラ三昧にふけるなんてとても許せる心境ではなかったのだろう。私は既に失念していたのだが、実はこの数日前に夫婦喧嘩をし、妻はまだそのことでも怒っていたのだ。それに輪をかけた私の能天気ぶりに妻の怒りが再発したようだった。 私が家を空ければ愛犬の散歩もまた彼女の仕事に加わることになるが、冬の朝の散歩はとても寒さが堪えるのだ。腰の状態があまり良くない彼女にとって、それは大きな負担になるのだろう。 「4泊5日の旅行なんてとんでもない。許しても3泊4日まで。それも秋から冬の間は困る」。それが彼女が出した結論だった。彼女にしてみればそれでも譲歩した積りだったのだろう。表情はかなり硬く、もうそれ以上の進展は望めなかった。 「そうか。折角のチャンスだと思った年末の長期休暇には結局沖縄行きはダメだったか」。長い間心の中で暖めていた沖縄本島をいつかは一周すると言う夢は、ついに潰えた。だが待てよ。単独縦断の夢ならまだ可能性は残っている。晩秋から冬季はダメでも、それ以外の季節で3泊4日の日程を取るのは無理だろうか。 正月の3が日が過ぎるのを待って、沖縄のM氏にメールを出した。「大作戦」は夢と消えたが「中作戦」を7月に決行する予定だと。折角私の夢を実現すべく骨を折ってくれたM氏には、せめて正月の3が日くらいは夢を持ったままでいて欲しいと思ったのだ。 何日か後、彼から返事があった。「どんなことになっても応援します」と、力強い言葉が書かれていた。だが「7月はあまりにも暑さが厳しくて体が持つかどうか心配だ。10月くらいにしては」。と私の体調を気遣う言葉もそこには記されていた。 同じ走友会のM川さんが、かつてNAHAマラソンの際に乗った沖縄のタクシーの運転手さんから、「同マラソンでは毎年何人か死者が出るけど、イメージダウンになることを恐れて表ざたにしないんだ」と聞いたと話していた。私が参加したNAHAマラソンでも最高気温が26.6度に達し、優勝した富士通の選手(内地の人)がゴール後意識を失いそのまま入院したことがあった。 それが真夏の7月ともなれば最低気温が28度以上、最高気温は33度ほどになり、舗装道路の直ぐ上なら35度は越えるだろう。それに具志頭から辺戸岬まで、ほとんど日陰はないはず。海べりの道では容赦なく強烈な太陽光と紫外線が襲い掛かって来る。沖縄の人が海水浴をする時は、夕方になってからTシャツを着たまま海に入るのが普通。さもないと大火傷をするのを知っているからだ。 女房の壁よりさらに高い夏の沖縄の道。沖縄では真夏の日中に運動する人はほとんどいない。沖縄在住時に染み付いた皮膚の「シミ」が取れるまで、私の場合3年以上かかっている。<続く>
2008.01.07
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<先ずはリゾートホテルの壁> 間もなく沖縄の走友H氏からも便りがあった。封筒に入っていたのは沖縄県の道路地図のコピーと、何年か前に走った「沖縄本島縦断駅伝」の資料だった。H氏曰く。「年末に走られるとのことですが、忙しいので皆伴走するのは難しいと思いますよ」。さらに「ただし、来年(つまり今年)の良い時期なら一部一緒に走っても良いです」と。 道路地図には主な箇所の距離数が書かれていた。これは助かる。きっとより正確な距離を算出することが出来るだろう。だが、残念ながらヤンバルの東海岸の距離は分からない。国道でなくあまり利用されない県道のため距離が載っていないのだ。これはやはりM氏に車で実測してもらうしかない。 ところが地図を見ていて驚いた。何と名護市の東海岸にホテルの名前がある。小さな字で「カヌチャベイホテル」と書かれている。いつの間にこんな不便な場所にホテルが出来たのだろう。それもゴルフ場付きの高級リゾートホテルのようだ。 これまで開発が遅れていた本島北部振興のために、国立高専や大学院大学などが設立されたことはかつての商売柄知っていた。さらに米軍基地の一部を名護の東海岸に移設する計画があることも知っている。私が沖縄を去ってから早16年。その間に本島北部にも大きな変化が生じていたとしてもおかしくない。 これは嬉しい。3日目の夜にそのホテルに泊まれたら、ほとんどの問題はクリヤー出来そうだ。私はH氏にお礼の手紙を書こうとして便箋を開き、「あっ!」と声を上げた。何とそこには前回彼宛てに書いた手紙の第1ページがそのまま残っていたのだ。あんまり「ちんすこう作戦」のことに夢中になり過ぎ、便箋の枚数を良く確かめないで投函してしまったようだ。それで彼の文章に合点が行った。彼は私が走るのを去年の年末と勘違いしていたのだ。 暮れの28日、私は給料のほとんど全てを引き出して国民健康保険を支払い、書店で「ランナーズ」と波照間永吉著「琉球の歴史と文化」(角川選書)を購入し、最後にツーリストへ急いだ。「宮古島ワイドー」へ行くための残金を支払うためだった。そして全てが終わってから係員に「ちんすこう作戦」の概要を説明し、凡その経費を訊ねた。暫く陰の部屋へ引きこもって計算していた彼の説明を聞いて驚いた。 自分でも覚悟はしていたが、先ず航空運賃が年末はかなり高めになる由。次に国頭村奥間にあるJAL系のリゾートホテルとカヌチャベイホテルは、1泊朝食付きのシングルでそれぞれ4万円ほどになり、総額は18万円余とのこと。ざっと計算しても走りながらの食料や飲料、その他を加えれば楽に20万円は越すだろう。たかが「遊び」のマラニックに20万円を注ぎ込む余裕が私にはない。これで「大作戦」は敢え無く霧散した。 落胆はしたが次に沖縄本島を縦断する「中作戦」の幾つかのパターンで料金を訊ねて見た。那覇のビジネスホテル1泊、名護のビジネスホテルに2泊で13万円余り。う~ん、これでも少なめに見て総額15万円ほどにはなるだろう。残念だが折角考えた我が「ちんすこう作戦」も「中」止まりか。<続く>
2008.01.06
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<「ちんすこう作戦」って何?> やがて元の職場のMさんからメールが来た。返事が遅れたのは何かと忙しかったからのようだ。彼は沖縄を代表する詩人で、仕事の傍ら色んな会合にも出ている。また、この3月末には定年を控えている。忙しい中で私の愚行に付き合わせるのは申し訳ない気もする。だが、彼は私の計画をことのほか喜んでくれた。心から応援し、いずれ自分の車を走らせて実際の距離を測ってくれるとのこと。 その一方で心配もしていた。果たして60歳を過ぎた老人が250kmもの道のりを走り続けることが出来るのかと。そして沖縄本島北部のヤンバル路は日中でも人気が無く、夜は照明すらない暗く厳しい道が続くことも。さらに、私が勝手に思い描いていた3日目に泊まる予定の東村にはホテルはなく、その昔民宿があったようだが今も開いているかどうかは分からないとのことだった。これは作戦を変更せざるを得ないかも。そこでさらに幾つかのプランを立てて見た。最終的な案としたのは次のようなものだった。○第1日目 <仙台空港ー那覇空港> ホテルは那覇市の旭橋周辺を想定 荷物を置き バスで具志頭へ 具志頭三叉路~那覇市旭橋:約24.5km 那覇1泊○第2日目 那覇市旭橋~国道58号線経由で国頭村奥間:約92.5km 奥間1泊○第3日目 国頭村奥間~辺戸岬~東村平良:約77km 宜野座村惣慶だと115km 東村か宜野座村に1泊○第4日目 東村平良~与那原町与那原:89km 宜野座村惣慶からだと51km 那覇1泊○第5日目 バスで具志頭へ移動 具志頭三叉路~知念半島経由~与那原:23km この後バスで那覇へ移動 那覇空港ー仙台空港 <走行距離合計:約306km> 目下この案を考えていることをM氏にメールで伝えた。ただし問題は3日目。東村平良周辺に民宿がないとすれば宜野座村まで走るしかない。それだとヤンバルの厳しい山道(ちょうど「越後くびきの100km」の山道に似てるかも)を越えてさらに走ることになる。暑い中で走り続けて3日目に115kmはきつい。 M氏には実際に車で走ってもらって特に東海岸の正確な距離を測定すると共に、今でも東村の民宿が営業しているか調べてもらいたいことも伝えた。東村に泊まるところが無ければ、もうこの「ちんすこう作戦」を諦めるしかない。でも「作戦」には色んなレベルがあっても良いのではないかと、執念深い私は考え直すことにした。☆「ちんすこう大作戦」:これは当初の考えどおりに沖縄本島を一周する。<約310km=4泊5日>☆「ちんすこう中作戦」:沖縄本島縦断 具志頭三叉路(NAHAマラソン17km地点)~国頭村の辺戸岬 <色んなバリエーションがあるが取りあえず約170kmと計算=3泊4日>☆「ちんすこう小作戦」:10回目のNAHAマラソン完走を目指す。<42.195km=2泊3日> ところで「ちんすこう」とは何か。これは沖縄を代表するお菓子で、観光で沖縄に行った人がお土産に買うもっともポピュラーなもの。空港の売店だと500円ほど。国際通りの土産物店の安いところなら380円ほどでも買える。ラード、卵、小麦粉、砂糖が原料で、元々は中国から伝わったものだ。 ところがこのお菓子を買って帰ってもあまり喜ばれないことが多い。「ええっ、またちんすこう?」ってな具合だ。私は沖縄の名誉回復のため(?)にも、この美味しくて栄養のあるお菓子を食べながらマジで沖縄本島を走り抜きたいのだ。<続く>
2008.01.05
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<突然の思いつき> 昨年の暮れ、11回目のNAHAマラソンから帰った後、私は急にあることを思いついた。それは2008年のカレンダーを見た時のことだった。何気なく12月のところを見てビックリ。何故なら12月27日(土)から翌年1月4日(日)までの9連休になっていたからだ。 年末の何日かを使って沖縄本島を一周することは出来ないだろうか。突然そんな考えがひらめき、居ても立ってもいられなくなった。おまけに28日の給料日が26日になる。それなら沖縄に行く前に何がしかの軍資金も手に入る。体はまだ何とか動く。有給休暇が年に4日しかない私に、これだけまとまった休みはなかなか取れない。こんなチャンスはもう2度とないだろう。 問題は第一に妻の許可が降りるかどうかだ。まだ現役で働いている妻は肉体労働者みたいなもので、毎日疲れて帰宅する。4泊5日の長期にわたって家を空ければ、私が担当している愛犬の朝夕2回の散歩も彼女の仕事に加わることになる。 問題の第二は経費。2泊3日のNAHAマラソンだと合計で7万5千円ほどになる。それが年末の4泊5日では、果たしてどれだけになるのだろう。でも1年間、計画実現に向けて節約に継ぐ節約を重ねたらきっと何とかなるだろう。 問題の第三は自分の体力と走力。勝連半島と本部半島を省略しても、ざっと250kmほどにはなるだろう。果たしてそれだけの距離を自分が走り切ることが出来るのだろうか。それにヤンバル(沖縄本島北部の山地)の東海岸は山また山でアップダウンが厳しく、ほとんど集落もない。従って食べものや飲み物を入手することも容易ではなく、リュックを背負って走り続けることになる。その間一体荷物はどこに預けたら良いのか。そんな問題はあるが、何とか来年実行することが出来ないだろうか。 かつて私は沖縄に勤務したことがある。平成元年4月から平成4年3月までの3年間だ。その間に職場の走友達と色んなレースを楽しんだし、一度はそのメンバーで沖縄本島縦断駅伝も試みた。暑さの厳しい沖縄で250km以上の距離を、冬季以外にサポートもなしに走るのはとても危険だと分かっている。だからこそ来年の暮れが最後のチャンスになるだろう。あの懐かしい南の島をまだ元気なうちに何とか走って廻りたい。 頭に血が上った私は、早速沖縄の走友に手紙を書いた。私が沖縄を去った後、彼らは本島一周駅伝を試みたことがある。その資料をコピーしてもらえないかと言うことと、主な地区間の距離が書かれた道路地図がないかを問うものだった。併せて元の職場の仲間にもメールして関係資料の送付を頼んだ。こちらはメールのアドレスを知っており、今後随時メールで情報交換が出来ればありがたいと考えてのことだった。 その一方、自分が持ってる沖縄の地図でコースを確認することにした。幸いなことに各市町村毎の地図には縮尺が掲載されており、大雑把な距離を掴むことが出来た。それによれば総延長はざっと315kmほど、予想外の距離になっていた。それに不便で険しい本島北部のコースをどう攻略するかが、大きな課題として残った。何故ならそれらの地区にはホテルや旅館がほとんどないからだ。私の計画は早々につまづいたかに見えた。<続く>
2008.01.04
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お正月に入って3日目の今日も、ボチボチ年賀状が届きます。今年いただいた年賀状で嬉しかったのは、同じ走友会のM仙人からのもの。昨年私が毎月フル以上のレースに出て完走したことを祝って、「有言実行でしたね」と書かれていました。自分では大したことをした実感はないのだけど、一年間怪我をせずに良いコンディションを保ち続けなくちゃいけないし、お金もかかるし、家庭内での理解を得なくちゃいけないし、いざ実行するとなると結構大変だと思います。そしてM仙人の故障が少しずつ癒えて来たと書かれていたのも、私にとっては嬉しいことでした。 9番目の職場の上司だった方からいただいた年賀状も嬉しいものでした。実は現職の時はあまり良い関係ではなかったのですが、彼と勤務地が別れ、さらに私が辞めた後になって私の性格が少し分かって来たのでしょうか。京都で最後の仕事を終えた後、彼は神奈川の小田原市に転居したとか。その自宅の近くに箱根駅伝の4区から5区への中継地点がある由。早大の活躍はOBの彼にとってきっと嬉しかったはずです。 8番目の職場の同僚はつい最近ボランティア活動を始めるに際して、カウンセリングの講習会を受講したとか。仕事を辞めた後は釣りなどの趣味に没頭していた彼が、いよいよ社会への奉仕活動に目覚めたと思うと感無量です。その彼始め何人かの人から、私の年賀状を毎年楽しみにしている旨の書き込みをもらいました。 きっと走ってない人は、この歳で未だにフルマラソン以上の長い距離を走り続けていることに驚くのでしょうね。別段人を驚かせようと思って走っている訳でなく、自分が楽しいから走っているだけなんですが、それでも「挑戦してる」と感じる何かがあるのでしょう。今年は私にとってウルトラマラソンの集大成の年だと思い、色んなレースを楽しもうと考えています。 さて、昨日今日と話題の「箱根駅伝」ですが、昨日の5区の順大に続いて、今日も9区の大東大、10区の東海大と3校が途中リタイヤで記録なしに終わりました。往路ゴールの500m手前でリタイヤした順大の選手は脱水症状で血糖値が急激に下がったとか。今日は急遽レース中の給水回数を増やすことになったようですが、たすきをつなぐために緊張感が高まる駅伝では、どうしてもマイペースを貫けずに無理をするのでしょうね。 元旦の夜に帰宅した次男は、今日の午後早く東京へ帰って行きました。寒い仙台で風邪を悪化させることになったのではと心配しています。彼の持ち帰ったウイルスに私も感染したのか、午前中は激しい腹痛、午後からは急に熱が出たりしました。早めに風邪薬を飲んだので、きっと大事には至らないでしょうが。 今日は走友会の有志達で往復50kmの塩釜神社参拝ランが敢行されたはずです。明日から仕事が始まる私は、次男の顔を出来るだけ長く見たかったこともあって参加せずに休養に努めました。今日のタイトル「あまり頑張らない程度に頑張る」ですが、これは今年の自分のモットーでもあります。仕事やレースでは、状況に応じてどうしても無理をすることがありますが、他人の評価をあまり気にせずマイペースを貫く所存です。その方が結果的に長続きするのではと思っています。 常日頃から鍛えられた駅伝選手がレース当日になって倒れるのは、きっと気持ちが追い込まれて結果的にオーバーペース、オーバーユースになるからでしょうね。私のような爺さんは長い経験で自分の限界を知っている強みがあるんです。「遅いけど粘り強い」。今年も私はそんなランナーを目指します。(笑)
2008.01.03
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昨夜遅くなって次男が東京から帰って来ました。大晦日の夜に仕事が終わってから元旦の朝まで店の仕事仲間と飲み続け、帰省が遅くなった由。おまけに仙台に着いてからバス停を間違えたとかで、すっかり体が冷えてしまったようです。東京に比べたら仙台はかなり寒いのでしょう。おまけに子供達は長い間暖かい地方で暮らしたものだから、冬の東北の寒さは苦手なようです。 そんな彼と、元旦の夜は色んなことを話しました。大昔に彼がした借金のこと。現在の仕事と東京での暮らしぶりのこと。将来は家に帰って欲しいと私自身が希望していることなどです。でも若い彼にとって東京での暮らしは苦しくても、今すぐ仙台に帰る気持ちは全く無いようでした。そんな中で、彼が最近日本の歴史や文化について関心を抱いていることを知り、深夜まで夢中になって話し合った親子でした。 妻は今日から仕事始め。妻が仕事へ出かけた後、箱根駅伝を観ていたのですが、その合間に自転車でコンビニへ出かけ、レースのエントリー料金を振込み。3月は東京お台場の24時間チャリーティーランを走ります。実は宮古島への旅行代金をツーリストへ支払ったばかりで、妻に借金をしての支払いでした。先着順で締め切られるため少し焦っていたのですが、やれやれこれで一安心です。 次に自転車屋さんへ。パンクした妻の自転車が直すために、開店してるかを確認するためでした。大丈夫と分かって向かった先がスーパー。ここでは食料品を買い、くじを引きました。残念ながらくじ運の弱い私は外れ、小さなバケツをもらっての帰宅です。 今度は妻の自転車を押して再び自転車屋へ。片道3km歩けば、朝に食べたお節の消化を助けるでしょう。結局パンクの程度が酷く、チューブを交換する羽目になりました。ガラスの破片が刺さった状態で乗り続けていたために、裂けていたようです。 昼食後は午後も仕事が入っている妻の代わりに、義兄宅へ新年の挨拶へ向かいました。本当は早く帰って走りたいところなのですが、ビール好きの義兄は飲み出したら止まらなくなるのですよ。結局は3時間ほどお付き合いしてしまいました。 その時テレビの画面では「箱根駅伝」第5区の模様を放送中。第1区から出遅れていた順天堂大学の選手が突然よろめいて道路に突っ伏し、必死になって立ち上がろうとしていました。でも激しい痙攣で体をコントロール出来ない状態に。役員と順大の監督が選手の体に接触し、ついに昨年の優勝校である順大は棄権することになりました。往路優勝の早稲田とは対照的に、涙を流す順大の部員達。突然のアクシデントは駅伝の怖さを如実に示しました。 帰りは義兄の畑に寄り、白菜、ネギ、大根、ニンジンなどの野菜をもらいました。今夜はすき焼きだったのでちょうど良かったかな。いよいよ明日は次男が東京へ帰り、また夫婦2人だけの生活に戻ります。そして明日の「箱根」の復路には果たしてどんなドラマが待っているのでしょうか。
2008.01.02
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしま~す!! さて、大晦日の夜、妻は居間で「紅白歌合戦」を観、私は「ダイナマイト」とか言う格闘技を自室で観てました。つい2年ほど前は大晦日の格闘技は3局ほど放送があったのですが、今年は1局だけ。どの世界にもはやり廃りがあるんですねえ。 その「ダイナマイト」では元千葉ロッテの4番打者だった立川とか言う選手がK-1に転向していました。野球選手が格闘技などでどれだけ力を発揮できるのか疑問でしたが、彼は何と「蹴り」で相手をノックアウト。どの世界でも生き延びて「飯を食う」のは大変なことですよね。 コマーシャルの合間に「紅白」を観たら、コブクロと言うデュオが歌っていました。名前は聞いたことがありましたが歌を聴くのは今回が初めて。なかなか良い歌だし良い歌手だと思ったら、レコード大賞を取っていたことを今日知りました。そのことを妻に話したら、妻も良い歌だと言ってました。 元日の朝は7時過ぎに起床し、愛犬と散歩。天気予報では仙台は曇りとか聞いてたのに、何と青空から太陽の明るい光が差し込んでいました。期待してなかった今年の初日の出を愛犬と一緒に仰ぎました。新年早々これは縁起が良いぞ~♪ 起きて来た妻に、「お節」の料理は少なめにしてと注文。お正月からご馳走を食べたり酒を飲んでばかりだとどうしても太って、その「後始末」に困るんですよね。もちろん妻も了解し少し質素なお節になりました。そして妻からの注文は、「今年はお互いに心で思っても口に出さないこと」だそうです。 昨年も何回か夫婦喧嘩をしましたからねえ。その原因は他愛の無いものですが、結婚してから40年近く、付き合いだしてから40年以上になっても、男と女の相互理解はなかなか難しいものです。妻はまだ現役で働いていますが、元々体力不足の上歳を取って疲れやすくなったのでしょう。それに腰などにも持病があるので、比較的体力に勝る私が何かと手伝いをする必要があるのだろうと、最近になって少し反省した次第です。(笑) さて、年末に妻が「ハゼ」をもらって来ました。それを焼いて干していたのですが、仙台地方の昔ながらの雑煮はそれで出汁を取るのです。もちろん食べても良いのですがね。今日は何十年ぶりかで、ハゼ入りの雑煮を食べました。 午後からは走友会の練習コースに走りに行ったのですが、30分ほど経ったら急に雪が降り出しました。雪で思い出しましたが、昨年の「佐渡島一周」で一緒だった新潟の銀のねこさんは今日は大雪の中、「元旦マラソン」を走っているはずです。それに秋田の豪雪地帯に住むJUNさんは、年末も連日雪道を走ったとか。日本海側のランナーの苦労に比べれば、こんなのは雪の内に入らないのでしょうね。 夕方の散歩後は、住所の変わった人、出さなかったのに年賀状をもらった人など、届いた年賀状を念入りにチェックです。今夜は東京から次男が帰省する予定。久しぶりに元気な顔を見、一緒に杯を傾けるのが楽しみです。
2008.01.01
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