全30件 (30件中 1-30件目)
1

~旅・そして帰宅~ 2泊3日の今回の旅で、心掛けたのは無事に帰宅することと、体重を増やさずに帰宅することだった。旅行前の体調は最悪で、果たしてこの状態で旅を無事終えられるかとの危惧が先立った。そのため、旅行保険にも入った。もし不幸なことが起きても、息子に保険金が入ったら少しは役立つかも知れないと。そして体重は少しだけ軽くなって戻って来た。出来るだけご馳走を食べないという試みは成功したようだ。 深夜に帰宅して荷物を整理し、シャワーを浴びた。その後は日本チームの応援だった。疲労困憊なのだから、さっさと就寝した方が良いのは分かっている。だが、日本も決勝トーナメントに進出するには、この日勝つか引き分けるしかなかった。もし負けたら、他の試合との兼ね合いになる。結果は敗戦。だが、これまでの試合内容で日本は辛うじて2位に留まり、決勝トーナメントへ進んだ。頑張ったね日本。 <内宮正殿> 今回の旅は紀伊半島を巡るもの。一人で行けば、地理的にも便利が悪い。それがツアーだと、楽に行ける。初日は伊勢神宮の内宮へ参拝。その後、お祓い町とおかげ横丁の自由散策。宿泊は志摩半島のホテルだった。2日目は伊勢神宮の外宮を参拝した後、一路和歌山へと向かう。三重、奈良、和歌山県境を流れる北山川の瀞八丁を上り下りする乗船ツアーを先ず体験。 <熊野速玉大社> 昼食後、熊野速玉大社で正式参拝。熊野那智大社、青岸渡寺参拝。那智の滝(飛瀧社)参拝。熊野古道のごく一部を散策し、勝浦市のホテルで宿泊。洞窟風呂2か所に入る。この日、石段を600段ほど登り、下った。中にはタクシーを使った人も何人かいたが、私は杖を使い自力で登った。この夜はアルコールも口にしないまま轟沈。普段の運動不足が祟った。 <高野山奥の院> 3日目は勝浦から一路高野山へと向かった。途中かつての熊野古道を通る。現在は県道や国道が拡張されて通行が便利になったと言うが、山また山で道は曲がりくねって揺れる。そんな車中でかなり早めに弁当を食べ、高野山へ。ベテランのガイドさんに奥の院を案内してもらった。その後付属寺院の一つ普賢院に参拝し帰途に。現地でのバスの走行距離は665km。往復は飛行機を使った。往き:セントレアへ。帰り:大阪(伊丹)から。 旅行中に撮った写真は460枚ほど。毎晩デジカメのバッテリーを補充。写真は昨日の1日で半分近く整理が終わった。これからも整理分類して明日からレポートを書く予定。今日の写真は全てネットから借用した。今はネットの写真借用で大抵間に合うが、自分の撮った写真はまた格別。次回は文章と共に楽しんでもらえたら嬉しい。
2018.06.30
コメント(6)

~いずれ菖蒲か杜若~ ええ、ええ。またまたアヤメの写真です。旅行からは昨夜遅く帰って来ました。だから今回の旅で撮った写真は、まだ1枚も整理していないんです。このため出発前に4日分をまとめて予約した次第。ゴメンナサ~イ。でもちょうど良いシリーズがあったでしょ? だからね、飽きたと言ってもダメですよ。今日も説明なしで、ただ撮影順に並べただけ。 でも書いてる方も大変なのよ。何せもう5時間以上アヤメと付き合ってるしねえ。 それに最初に断ったように、アヤメの名前をメモしてないのよ。 800種類ここにはあるようだけど、本当にそんなにあるの、一体? 朦朧とする意識の中で、ひたすら順番に載っけてるアヤメ。 たまには似たようなのが混じっていてもメンゴ。撮影も掲載も必死でやってますので。 しかし、日本人って言うのは本当に真面目。こんなにたくさんの品種を作るんだもんなあ。 その飽くなき追求心と、美的センスには脱帽ですね。ホント。 芭蕉が生きていた時代は、アヤメも単純な花だったんだろうけどね。 おっとっと。余計なことを考えちゃいけないよ。残りは後何枚だ~?? このアヤメ園の周辺は、奈良時代は陸奥国府の傍でね。役人たちの宿舎が建っていたのさ。 そして広い道路が東西南北に走っていたんだよ。その遺跡がいたる所にあってね。 だから土を掘れば、必ず何かが出る。ただし当時は湿地。土木工事も大変だったろうな。 学術的な発掘調査は、もう60回を超えたはず。そして古代の東北が次第に明らかになったのさ。 蝦夷(えみし)の恨みで国府が襲撃され、焼き落ちたこともあるんだよ。 そんなことを話しているうちに、とうとう最後の1枚になったよ。最後まで付き合ってくれてありがとうね。そして、旅の話は出来るだけ早く始めたいとおもってるんだが。<完> <参考> 国府多賀城推定復元図(政庁部分) 画像はネットから借用しました。 多賀城では、国府の南門を復元する計画があると聞きました。でも見られないだろうな。
2018.06.29
コメント(14)

~いずれ菖蒲か杜若~ アヤメの写真が続きました。「いずれアヤメかカキツバタ」。どちらが美しいかと言う譬(たと)えですが、続くと飽きますね。それで今日は別な角度からの紹介です。どうぞお付き合いくださいませ。 これはアヤメの花殻を取っている係の方の姿。きれいな花も咲き終わると枯れて汚くなります。それで係の方が、せっせと花殻を除去しているのです。大変な労働ですね。どうもお疲れ様です。 小さなカタツムリが葉っぱに引っ付いていました。最近はなかなかカタツムリにも出会いませんね。 カタツムリ俺が主役と言いたげに 園内ではこんな姿も見られました。ここは奈良時代、陸奥国府である多賀城があった場所。男性は当時の官人の姿でしょうか。着物の着付けは無料と書いてありましたが、着物もただで借りられるのかな? 男の子の着物姿も良いよね。 これこそ、いずれ菖蒲か杜若 ですかね。 アヤメと私、どっちがきれい?お母さん。 おそろいの着物が着られて良かったね。お姉ちゃん。 園内の所々に句碑が立っていました。毎年俳句のコンクールがあるようです。俳句ポストもあったので、私も投函しようとしたのですが止めました。その理由は入賞しても表彰が旅行中だったため。それでも私も負けずにヘボ俳句を詠んでみましたよ。 陸奥国府見上げて咲くや花アヤメ あやめ田に風吹き渡る国府かな あやめ草着物と競ふ風情かな なお「奥の細道」で芭蕉が仙台を発つ朝に詠んだ句が あやめ草足に結ん草鞋の緒 でした。 *むすばん *わらじ 芭蕉と弟子の曽良は、松島へ行く前にここ多賀城へも立ち寄っています。歌枕の「末の松山」や「沖の石」や「野田の玉川」を訪ねるためでした。主従二人はここから塩釜、松島へと向かいます。 帰り際、ステージではすずめ踊りのパフォーマンスがあり、賑やかでした。 若い男女の熱演をご覧あれ!! なかなかの踊りでしたよ。どこのチームでしょうか? 息がピッタリで素晴らしいですねえ。 暫しの間、若い人たちの踊りに見惚れていた私でした。 驚いたのは囃子方の大部分が女性だったことです。時代は変わりましたね。 囃子方すべて女性と言ふ時代 *はやしかた <続く> 旅の3日目は高野山参拝後、伊丹空港から帰途に就く予定です。帰宅は深夜になります。
2018.06.28
コメント(4)

~いずれ菖蒲か杜若~ 今日も引き続き多賀城跡あやめ園のアヤメの花の紹介です。説明抜きですが、楽しんでくださいませ。 連日アヤメの写真で飽きたでしょうが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。これでは品種名などを書き添えても、きっと覚えきれないでしょうね。 旅の2日目は伊勢神宮の外宮を参拝後熊野三社に向かい、勝浦温泉に宿泊予定です。<続く>
2018.06.27
コメント(6)

~いずれ菖蒲か杜若~ 「この電車、多賀城に停まりますか」。仙台駅のプラットホームで、小母ちゃんに聞かれた。「ええ、停まりますよ」。私はそう答えて電車に乗った。座席に落ち着いて考えた。咄嗟に停まると言ったけど、あの小母さん多賀城のどこへ行くんだろう。そう考えると、ちょっぴり不安になった。私も多賀城に行くのだが、降りるのは東北本線の国府多賀城駅。ところが仙石線にも多賀城駅があって、そっちの方が町中なのだ。 国府多賀城駅で乗客は二手に別れた。一方は駅の南側にある東北歴史博物館へ。ここでは『東大寺と東北展』があり、会期も残り1週間となっていた。テレビでも紹介していた秘宝を観ようとする人が大勢。もう一方は駅の北側にある多賀城跡あやめ園へ向かう人。この日が「あやめまつり」の初日。さて、さっきの小母さんはここで降りたのだろうか。特別展を観終えた私は、昼食後駅の北側へと向かった。 アヤメ園は多賀城市が管理する観光施設で、駅と史跡多賀城の中間地点にある。園内のアヤメは800種類で300万本と、パンフレットにある。そしてこの日は30周年記念でライトアップされ、特設ステージでは色んなイベントがある由。賑やかな音楽が流れ、立ち並ぶ出店を横目に、アヤメが咲く圃場へと向かった。これは予想外の人出。お客さんが結構来園していた。 800種に300万本ねえ。圃場の畝ごとに、アヤメの名札が立ててある。だが小さくて見難い上、中には水に隠れたものもあった。撮影するたびにメモすれば後で名前も確認も出来るのだろうが、私は諦めていた。観ただけでは種類も区別出来ないし、ここは自分の勘を頼りに撮るしかないな。そんな訳で、撮った順に掲載することにしますね。どうもスミマセン。 こんな風に、結構広いんですよ。しかも全部アヤメの花ですからねえ。 満開のアヤメの花をバックにしての記念撮影、良い思い出ですね。 さて、今日から旅行へ出かけます。今日は伊勢神宮の内宮を参拝し、志摩半島に宿泊の予定。説明が簡単ですが、どうぞお許しを~!!<続く>
2018.06.26
コメント(6)

~庭のドクダミに思う~ 青シソ 玉ネギとジャガイモを全て収穫した後、庭と畑の草取りをした。今の時期、雑草の勢いは凄いものがある。1日がかりで終えた後、ナスやゴーヤの苗に追肥を施した。生い茂るジャガイモに栄養を吸い取られていたと判断。ナスが1個隠れていた。シソが露わになった。裏庭のカボチャが大きくなり、花をつけ始めた。青梅はまだ様子を見ている。極力熟した実で、今年は梅干しを作る予定だ。 ドクダミ 苦労して草取りをしたものの、ドクダミは取り切れない。これはとても根が深い植物なのだ。家を建てた頃は、ドクダミ茶でも作ろうかなどと呑気なことを考えていたのだが、あれよあれよと言う間に庭や花壇を席巻し出した。今でも相当な厄介者なのだが、これからさらに歳を取ったら困ったことになりそうだ。 ドクダミの我が物顔となりし家 年経るや十薬はびこるままにして *じゅうやくはドクダミの別名 歯医者へ行った。部分入れ歯を作るための型取り。歯を抜いた跡が落ち着くまでと言うドクターの話だったが、今回はようやくここまで来た。取った型を見たら、左右上下で位置がずれている。普段物を噛む時にそんな意識はなかったのだが、これでは噛み合わせが悪かったはず。胃の調子にも影響するはずだ。「でもAさんはちゃんと使うかどうか」とドクター。面倒がって外すのではと言うのが彼の見立てだ。 別な日に循環器内科へ行った。いつもは歩くところ、自転車で。あまり体調は良くなかったのだろう。だが血糖値は前回同様下がったままで、薬は50日分の処方となった。実は心配事もあったのだが、ドクターには話さなかった。次回の診察はお盆の頃になる。休診日のメモを受け取ったが、薬局でも薬剤師からそのことの注意喚起があった。その帰り道、このカボチャを買った。1個150円で完熟なのだとか。 徳島のじゅんじゅんさんのブログに、たくさんの紫陽花の花が載っていた。いつものように見易く編集してあった。梅雨の合間を見て、散策しながら紫陽花を訪ねたとのこと。常日頃から忙しく活動されている彼女が、あまり訪問出来ないでいるブロ友さんへのお礼なのかも知れない。思わず一句浮かんだ。 あじさゐを訪ねし友のブログかな 先日の俳句教室では、紫陽花と七変化を一緒に入れ込んだ句があったが、どちらもアジサイのこと。別に「四葩」(よひら)と言う呼び方もあるが、これはアジサイの葉が4枚付いていることからの命名とか。私はイメージが浮かばないので、個人的には使いたくない言葉だが。 新潟の案山子さんのブログを拝見して驚いた。山の中の棚田のあまりの美しさに仰天したのが上の写真。青田に樹影がくっきりと写っている見事な光景だ。そして2枚目の写真は、その棚田を覆い尽くす雲海。つい俳句を詠みたくなる光景だ。案山子さんにお願いして写真をお借りすることにしたが、許可が出る前に載せてしまったことをお詫びしたい。 日は高し青田に落つる樹影かな 梅雨なかば限界集落五里霧中 朝霧は秋の季語で、雲海は夏の季語。重ねて使うことは出来ないためあえて「五里霧中」とした。山村の苦難を思わせる言葉。限界集落をここで使わせていただいたが、ご容赦あれ。 キンシバイ さて、明日から旅に出る。行き先は伊勢神宮(初日)、熊野大社(2日目)、高野山(3日目)と、いずれも日本を代表する聖地だ。気になっていた天候だが、当初の雨の予報から現在は曇りに変わっている。だが、山がちな箇所では雨もあるだろう。まだ準備はしておらず、デジカメを充電しただけ。ブログは予約機能で書いているが、W杯の対セネガル戦は、観ずに寝る予定。さて、結果はどうなるか。 黒南風を打ち払ふごと金枝梅 *くろはえ *キンシバイ
2018.06.25
コメント(8)

~6月の俳句教室にて~ 梅雨寒が一転して蒸し暑くなった日の午後、6月の俳句教室へ行った。前回と違った雰囲気を感じて、席を変えた。寝不足のせいか体調は今一。冷房などない部屋の窓が少し開いていて、講師の声が聞き取りにくい。これは意識を集中させる必要があるな。だがそんなことにはお構いなく、講師の声が小さい。耳鳴りがさらなる緊張を誘う。 話は「なれど」の用法から始まった。この場合は以後が否定される必要がある由。なぜそんな話をと訝しく感じたのだが、それは前回のある句の批判だった。確かにそうだ。なれどの後はそれを否定しないと意味は成り立たない。「季重なり」に関しても講師はシビア。論外と言ってそれ以上評価はしない。前回と全く同様の反応だ。有名な句を例に出した人がいたが、それでも良くないものは良くないと講師。 造語への戒めもあった。例えば「限界村」。本来は限界集落だが、字数の点からそんな風に詰めたのだ。「法被すずめ」。これは法被を着たすずめ踊りの踊り手の表現だが、勝手な造語は慎むべきとのこと。もっと違った言い方を探せと講師は言う。有名になったら許されるんじゃないのと受講生。だがそれも直ちに却下。より適切な言葉を探す努力を、さらに重ねよと師の指導はあくまで厳しい。 「一手打ち込む黒の石」。これは「一手打ち込む石の音」と直された。囲碁を嗜む講師ならではの指摘。石の音が効果を増すことを、彼は十分に理解している。そして与謝野晶子の短歌を俳句に直して言う。「こんなことは自分にしか出来ない」と。確かに31音が17音にはなった。だが歌に籠められた心情は、どこにも感じられない。17音に情感をどう詠むのかが勝負ではないのか。 私の提出した句は、「雷鳴ののちのしじまや夜半の雨」。先生は「後の静寂」と漢字の方が良いと一言。漢字は真名で男の字。ひらがなは仮名で女の字だからと。元の句は漢字だったのを、わざわざひらがなにしたのだ。俳句を始めて何年になるかとの質問には、歳時記を確認しながら作るのは初めてと答えた。もう一人同じ質問を受けた方がいた。確かに優れた表現だが、同時に出した別の1句は月並み。全ての作品のレベルを上げるのは大変なものだ。 その日の朝、ローズコーンさんの作られた俳句を私流に詠み替えたのが最初の句。その夜は気になる夏の季語を使って、作句の練習をした。つまり絵で言えば習作と言う訳だ。 白南風やバスを待つ間のひと眠り *しろはえ 黒南風や男やもめの弱り顔 *くろはえ 冷奴けふもやうやく終はりけり 梅の実のまだ青きまま笊ひとつ *ざる 夏蒲団いささか早き目覚めかな 行く雲や山裾までの遠青田 トマト熟れもぎ取る畑の朝の露 山鳩のくぐもる声やトマトもぐ 馬鈴薯を抜きて畑の清々し ドクダミや我が物顔の庭の主 おまけの一句 初物や安売りなれどサクランボ お後がよろしいようで。
2018.06.24
コメント(14)

~梅雨晴れの日~ トマト 区役所から通知が来た。1通は健康保険料の決定通知で、もう1通は介護保険料の決定通知。この手の通知は正直良く分からない。法律改正によって、しょっちゅう改訂があるからだ。介護保険など使ってもいないのに結構高額を引かれるのはどうも、とも思うのだが、高齢化社会では仕方がないことか。年金は昨年の途中から支給額が変わっていたが、これも正しいと思うしかないのだろうね。 収穫した雲南の葉 高校時代の恩師から葉書が届いた。先日開催した米寿祝を兼ねたクラス会の礼状だ。いつものことだが、万年筆で丁寧に書かれた恩師の字。88歳にもなるのに、整然として全く変わらない。おまけに離婚した私のことまで案じてくれていた。私など年賀状すら書く気力が無くなったのに、恩師の教え子は私達だけではないのだ、何百枚、ひょっとして千枚を超えているかも知れない。師とは有り難いものだ。 梅雨の晴れ間を選び、玉ネギを収穫。茎が倒れて、十分実った状態だった。少し青くなっていて、そのまま放置したら辛みが増すだけ。そう判断して全部抜いた。プラスチックの籠に入れ、家の裏側で丸1日陰干し。ただし雨が降ったら直ちに物置に入れる。数えたら全部で56個。駄目な苗は6本だけだった。結果は上等。今年一杯は楽に持つだろう。 その2日後、今度はジャガイモを掘り上げた。種イモは2kgの男爵。1個を2等分して土に埋めたのが3月中旬。玉ネギの収穫時に、土の表面に出ていた青いジャガイモを発見。本来は土寄せすべきなのだが、混み合って無理。そこで掘ることに決定。南の畑だけでなく、東の畑も全部掘った。3箱分の収穫と小芋がザルで2杯分。小さな物もいただくのが私の主義だが、青いのや小芋の皮には毒素が含まれているので要注意。 安物の方 労働のご褒美にサクランボを買った。1パック298円の見切り品。粒が小さい上に、少し日が経った物だが、私にはこれで十分。やはり初物は美味しい。味は薄いが贅沢は言えない。夕方PCに向かっていると、Kさんが来訪。手にはサクランボのパック。こちらはれっきとした「佐藤錦」。粒も大きくて立派だった。4本のキュウリがこんなものに大変身。エビで鯛を釣るとは、まさにこのことか。 ある日の収穫 モスクワW杯の緒戦。対コロンビア戦には驚いた。何と予想を覆して日本が勝利してしまったのだから。大会の2か月前に突然監督の解任劇があった。その前監督が裁判を起こすという事態もあり、チームも親善試合で負け続けで、全く期待はしていなかった。ランキングも61位対16位と歴然。アジアのチームが南アメリカの国に勝ったのは初めてと言う。ラッキーな面はあったが勝ちは勝ちだ。 ミニトマト 運動不足の割には、体重がまあまあ安定している。湿度が高い時期は、どうしても体調の維持に苦しむ。和歌山のドンファン爺の飼い犬からは、覚せい剤成分は出なかった由。すると週刊誌の記事はガセネタだったことになる。さて火曜日からは2泊3日の旅に出る。天気はいずれも雨の予報。暇を見つけて3日分のブログを予約しておこうと思うが、テーマは一体何が良いか。
2018.06.23
コメント(12)

~仏像を観ないとぶつぞう3~ 右は五劫思惟阿弥陀如来坐像で東大寺の所蔵。左は同じ名だが五劫院の所蔵。共に重源上人が宋から招来したと伝わっている。双方とも重文指定で、永遠に思惟する姿が尊い。私はどことなく童形と感じた。 なむあみだ如来は童子時は秋 金色の如来涼しき顔をして 地蔵菩薩立像 鎌倉時代の仏師快慶の作で重文に指定。爽やかで美しい立ち姿。地蔵尊と閻魔大王は表裏一体の関係にあるとされる。閻魔大王は地獄に落ちた亡者を裁き、お地蔵様はそれを救う存在だ。 手には薬りりしく蓮に立つ地蔵 重要文化財 四聖御影。四聖とは大仏殿建立を発願した聖武天皇、大仏開眼の導師を勤めた菩提僊那、大仏造立の勧進を行った行基菩薩、東大寺初代別当の良弁僧正を指す。いずれも東大寺の大恩人と言えよう。しかし聖武天皇の大発心がなければ、古代日本の各地に荘厳な国分寺が建つこともなかったのだ。寺院建築は当時最先端の技術を要した。東北の蝦夷たちは、どんな気持ちで美しい五重塔を見上げたのだろう。 弥勒仏坐像。9世紀平安時代の作。高さ1mにも満たない小像で、通称は「試みの大仏」。つまり大仏を造る際のひな型となったもののようだ。小さいながら国宝に指定されている。 国宝の坐像尊き若葉寒 伎楽面の酔胡従。8世紀奈良時代の作で重要文化財指定。東大寺大仏開眼供養時に用いられた伎楽用の面。伎楽は無言劇で仮面をつけ、伴奏に合わせて踊る。今回はこの面の他に、酔胡王、師子児の面も展示された。名前から推して、酔胡王の従者なのだろう。 伎楽面は古代の笑みを浮かべたり 天狗のような酔胡王まで <参考> 酔胡王伎楽面 正倉院御物 顔が赤いのは酔っていると往時の人は考えたのだろうが、顔立ちや服装から中央アジア以西の民族と考えられる。つまり胡(えびす)の人で、キュウリ(胡瓜)、クルミ(胡桃)などの渡来品にも同じ理由で「胡」の字を充てたのだろう。 二月堂御正躰 二月堂の秘仏本尊である十一面観音の「前立」の役割を果たす懸仏。江戸期の火災による大仏殿復興に寄与した徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院が元禄12年(1699年)に奉納したもの。 聖観音水瓶に蓮二つあり *すいびょう 私はこの小像を聖観音(しょうかんのん)と見たのだが。 その二月堂で毎年繰り広げられる伝統行事が「お水取り」。若狭井から若水を汲み上げて仏前に奉納し、衆生の無病息災を願い舞台の上で火のついた大松明を振り回す壮大な光景は、誰しも良く知るところ。この行事を迎えるに先立って、様々な準備をする。宮城県白石市の和紙で紙子の衣装を作り、紙の椿の花を飾ることもその一つ。お水取りは僧にとって「修二会」(しゅにえ)と呼ばれる修行でもある。 椿折りて修二会支度や二月堂 僧走り火ははぜ飛びし修二会かな 舞台より修二会の火の粉滝のごと 左側の写真は特別展会場前の壁に掲げられた「幡」。「ばん」と読み、本来は仏や菩薩を荘厳供養し、その威徳を標示するための旗。今回の特別展開催記念の紙製だが、参考のため掲載した。 右側の曼荼羅図は中尊寺所蔵。和紙に金泥で金光明最勝王経を多宝塔の形に書写したもの。平安時代の作で国宝に指定。奥州藤原氏の栄華を偲ばせる逸品だ。 東北の寺社も東大寺の復興に寄与した。また2度に亘る修復時、大仏を覆う純金はそのほとんどが東北から奉納された。中尊寺がある平泉は仙台藩の所領であり、寺社に対する伊達氏の庇護は特筆すべきものがあった。今回の特別展に寄せる東大寺の協力は、古よりの東北への恩義の表れとも言えよう。 <参考資料> 伎楽(ネットより借用) さて、パンフレットなどの写真で構成した本シリーズだが、結果には案外満足している。なお、特別展の出品点数は合計で113点、会期は6月24日(日)までであることを書き添えておく。<完>
2018.06.22
コメント(10)

~仏像観ないとぶつぞう2~ <東大寺と東北展>2018 ポスター 平城宮が奈良へ遷都するに先立って、土木工事が行われた。それまであった古墳などもかなり破壊され、街路や宮殿の敷地となった。東大寺も同様に、国分総寺としての機能を果たすため、より広大な敷地が必要となった。そのためそれまであった寺を壊し、谷を埋めて東大寺の境内とした。また大仏の鋳造も付近で行った。行基を中心とする工事の様は、さぞかし賑やかだったことだろう。 さて上のポスターの仏像は、誕生釈迦仏立像及び灌仏盤で、奈良時代の制作。とても小さな金銅仏で、誕生した釈迦が天と地を指さし「天にも地にも我一人」(天上天下唯我独尊)と唱えた姿を模した。灌仏会(かんぶつえ)は釈迦の誕生日を記念した花まつりで、これもその際に用いたのだろう。小さいけれど紛れもない国宝である。 釈迦立ちて挙げたる右手天を指し 下げし左手地を示したり ポスターの天人は大仏殿前の中庭に建立された灯篭の羽目板。正式名は金銅八角灯篭火袋羽目板で、国宝に指定されている。全体像は見えないが、楽器か水瓶を持っているのではないだろうか。 労しいことにこの羽目板は戦火に遭って損傷しているのだが、そんなことは微塵も感じさせない顔だ。穏やかな表情は観る者の心を癒して止まない。 出展目録の写真には立派な宝冠が写っていたので、参考までに掲載する。 ふくよかな天人の頬宝冠の飾り見事や調妙なり これはパンフレットに掲載された全身像。色調は異なるが、上と同一品のようだ。 大仏(廬舎那仏)の顔。半眼の顔はまるで異星人のようだ。天平4年(745年)に制作を開始し、天平勝宝4年(752年)に開眼供養。度重なる戦火や災害のため、当初の制作部分は少ないが彫刻部門として国宝の指定を受けている。昨日掲載の連弁部分を参照されたい。 大仏開眼供養図。元禄5年(1692年)公慶上人によって大仏の修復が完成し、開眼供養した際の様子を描いたもの。 供養図に描かれいたる鹿三頭 大仏開眼また蘇る 真筆の勧進帳は虫食いて 巻末に笑む上人の像 館内に流れる曲は「ジュピター」か 「東大寺展」閉幕迫る 曼荼羅やぽんと音して蓮の花 画像のない展示物を詠んだ歌や句は、便宜上ここに載せた。特別展示室に「ジュピター」が流れている。いつもは静かな博物館でBGMとは珍しく、強く印象に残った。<続く>
2018.06.21
コメント(16)

~仏像を観ないとぶつぞう~ 多賀城市にある東北歴史博物館に行って来た。特別展『東大寺と東北』を観るためだが、かなりの期間迷っていた。仏像を観ても写真は撮れないからだ。だが会期が残り1週間と迫ってから覚悟を決めた。もし東大寺に行っても拝観出来るとは限らない。そう思い直したのだ。それにその日から「あやめ祭」も始まるとのニュース。ブログネタ収集には恰好のチャンス。それでえっちらおっちら出かけた次第。 パンフレット この展示は「東日本大震災復興祈念特別展」であり、サブタイトルは「復興を支えた人々の祈り」とある。大震災もそうだが、実は東大寺も何度か焼失して、そこから復興した歴史がある。そこには心の底から復興を祈願した人々が存在したわけだ。今も昔も変わらない祈りの心。それを体感出来る絶好の機会ではないか。前回もらった割引券を使用し、1200円で入館出来た。 大きな伽藍は大仏殿だ。東大寺が官立の大寺であり、渡来僧の鑑真和上が初めてここで戒壇(正式の僧と認める儀式)を行ったことは知っていた。だが東大寺が大和国分寺だったことと、全国の国分寺の総寺だったことは今回初めて知った。源平の戦いや江戸期の火災で大仏殿が焼け落ち、大仏が野ざらしになっていた時期もあった由。何度かの受難を乗り越えて、今日に至っている。 南大門の金剛力士像(仁王様)の顔。巨大なレプリカが観覧者を迎えてくれた。左が「阿形」で快慶作。右が「吽形」で湛慶作。併せて「阿吽」。展示物の撮影は許可されていないが、ポスター、パンフレット、レプリカなどは大丈夫。このシリーズの写真はそれらから撮った。またネットから借用した写真も、一部参考のために使った。 私の手ではない。大仏の右手である。もちろん手だけを奈良から運ぶことは出来ず、これもレプリカ。右手は衆生(大衆)を招き、左手は衆生を救うとされているようだが、これはたくさんの入館者を招いているのだろう。逆光の中に立つ大仏の手は実に荘厳。さて、館内ではどんな展示が私を待ってるのだろうか。 手だけでは分かり難いので、上半身の図をネットから借用した。行基が苦労の末勧進し建立された大仏は、東北(宮城県涌谷の黄金山神社と伝わる)から初めて産出した金でその表面を飾られた。それが源平の戦いで南都(奈良)は焼かれ、大仏の上半身も損傷した歴史がある。 これは大仏の台座の連弁に刻まれた仏像。この部分は焼けず、創建時の姿がそのまま残った。折角の機会なので、ネットから借用して紹介した次第。勇躍特別展会場へと向かう。 国宝 重源上人坐像 鎌倉時代 治承4年(1180)の戦火によって、東大寺は大仏及び大仏殿など、伽藍の大部分を焼失した。この重源上人は大勧進を勤めて復興に尽力。ついにその念願を果たした。坐像は還暦時の姿。 ひたすらに背を丸めて数珠を繰る 還暦の上人姿尊し *せな 重文 公慶上人坐像 江戸時代 江戸時代にも東大寺は焼失する。その復興に尽力したのが公慶上人だ。寝食を忘れて復興に勤しみ、東北地方などを20年間に亘って勧進して資金を募った。入寂の直前までの苦労で目は落ち窪み、頭蓋骨の形がそのまま浮き出るほど痩せた由。 やせ細り眼はらんらんと上人の 不動の祈り大仏殿建つ 両上人の坐像を観た時、その気迫に打たれた私は思わず歌を詠んだ。暗い館内で即興の歌を書き記すのは至難の技。だがそんなことは彼らの苦難に比べたら些細な戯れだ。これ以降も仏像などを見ながら、作歌と作句に励んだ私だった。 今流行りの「うんこドリル」ではない。これは大仏の頭を飾る螺髪(らほつ)。つまり巻き毛なのだが本物ではない。大仏殿再建の資金を集めるため上人らが全国を歩いた際、人々に大仏を身近に感じてもらうために作ったレプリカだ。これで大仏の大きさと大仏殿建立の大変さを知ってもらう工夫だった。<続く> あらとうと螺髪の裾に金の蓮
2018.06.20
コメント(12)

~天災は忘れた頃にやって来る~ 群馬県で震度5の地震があった翌日、大阪で震度6弱の大地震が発生した。震源地は高槻市。4名の死者と多数の負傷者が出た今回の地震は、「有馬ー高槻断層帯」が原因の可能性が高いようだ。交通網や各種のインフラが寸断し、大混乱に陥った関西圏。私も高槻市に住んでいたことがあり、事故が起きた小学校の場所を確認した。阪神・淡路大震災でも大きな被害があったこの地区。被害が広がらないことを祈りたい。 <東京電力福島原発> 東京電力は福島第一原発および第二原発の10基を全て廃炉にすると表明した。東日本大震災による津波で電源を失い、メルトダウンによる放射能汚染で多数の住民が故郷を離れ、除染や補償や防災工事等で多額の社費を費やし、国家予算から多額の資金援助を得て、何とか社業を継続している同社。もし建設時に土地を10mも掘り下げなかったら、未曽有の災害は発生しなかったはず。同社の怠慢が甚大な原発被害を招いたのは明白だ。 死亡した野崎さんの胃から検出された覚せい剤の成分が、愛犬イブの遺体からも検出された由。同じ成分かどうかは別として、これで野崎さんの自殺説は消えた。何故なら彼は愛犬を子供以上に溺愛していたからだ。噂と違い50億円もの財産はなく、精力絶倫でもない由。また脳梗塞の後遺症でビールの栓は開けられず、味覚障害があった可能性が高いそうだ。さて、ビールの栓を開けたのは誰か。さらに謎が深まった。 東北楽天の梨田監督が成績不振の責任を取って辞任した。今シーズンは開幕から全く勝てなかったイーグルス。セパ交流戦でも負け続けて、とうとう借金が20に膨れ上がった所で突然の辞任。後任はまだ30代の若い平石ヘッドコーチが指揮を執ることに。オールスター前だけに、試合はたくさん残っている。ここは開き直って前進するしかない。一試合ごと何とか借金を返して欲しいものだ。 パワハラ問題で日本レスリング協会の全ての役職から外れた栄さん。過日女子レスリングの大会で、至学館大学の監督として試合に臨んだ。試合開始前には、短時間だが謝罪の表明も。だがその数日後、谷岡学長は彼の解任を公表した。理由は謝罪の意思が感じられず、選手の傍に行かず、途中で芸能人と食事に行ったことなどを解任の理由に上げた。当然だろう。本来は弱い人間が天狗になっていた。謙虚さが人を磨くのだが。 いやはや参った。先日水道の蛇口をひねったら、黒い物質が点々と浮かんでいる。これは水質がおかしいと、市の水道局に連絡。業者が来て点検したら、何とパッキングが劣化して水中に融け出した由。近所の業者の見積もりでは、パッキングと栓全体を交換して5万円かかる由。早い家では10年目で出る症状が、我が家は21年持った。昨年から次々に故障する器具類。人間も劣化するから仕方ないねえ。トホホ。
2018.06.19
コメント(8)

~雨の日の印象を中心に~ 梅雨のある日、バスに乗って街へ出かけた。写真はその時の印象だが、特に説明はしない。 前方で並んでいる人は宝くじを買う人。道路が雨で光っている。 あるホテルの前の像。昔は写真屋さんだったのだが。 ある有名ブランドの店頭。雨の日は誰も足早に通り過ぎる。 これもホテルの像。古代の騎士みたいで良い感じ。 敷居の高い建物の入り口。中の扉まで行くのも相当遠そうだが。 騎士よりもやはりこっちが良いよね。空は曇ってるけど。 裏通りの宝飾店。ちょうどうまい具合に、お店の人が商品を飾っていた。 ホテルの像。やっぱりブロンズは質感が違うよね。 裏通りのかばん屋さん。手ブレがなかなか良い感じを醸し出してる。と思う。 地下鉄の通路の壁画は長い長い星座。ボンヤリした感じが梅雨に合うかも。 4月に撮った写真の残り物。これで目が覚めたよね、きっと。 こんな風に安物のデジカメでも遊べるんだよ。少しは梅雨が楽しくなったかな。
2018.06.18
コメント(14)

~わが凡庸の道~ 走り梅雨クジャクサボテンに花ひとつ 鉢植えのクジャクサボテンが咲いた。いつもの年よりずっと早いせいか、色も淡くて小さな花だ。陰鬱な梅雨空を吹っ飛ばすため、夏の季語で句を詠もうと思う。何事も練習。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。それぞれの句に相応しい写真を選べば良いのだが、ここは最近撮ったアジサイを使おうか。撮った写真は極力生かす。それが私のブログの方針。駄句としばしお付き合いいただけたら嬉しい。 米買ひてつなぐ命やつゆ晴れ間 米を10kg買った。半年ぶりで、値段は3220円。一応2軒のスーパーで値段を比較した。一等米ではないが、米どころの銘柄米なのでそんなに不味くはないはず。一人暮らしは食欲があってなんぼ。工夫しながら健康を維持する日々だ。 梅雨晴れや美女と呼ばれし花ありぬ 長崎のブログ友ローズコーンさんのブログを拝見して詠んだ一句。バーベナには「美女桜」と呼ばれる種類があるらしい。またオトギリソウの仲間であるビヨウヤナギの別名は「美女柳」。あいにく美女とは縁のない男だが、せめて俳句の中では美女を詠みたい。 草むしり一雨ごとの難儀かな 雨後の竹の子ならぬ雨後の雑草は強い。この季節、庭と畑の雑草の勢いには凄いものがある。まあ彼らも生きているのだから当然だ。体調と相談しながらの草取り作業。だがこの時期は、取っても取っても草が生える。諦めがちなのが人間だが、これも人生修行。かくして連綿と修行続きの昨今だ。 トマトの実まだ青いのが二つ三つ トマトは雨を嫌う。あんまり雨が続くと水を吸い過ぎ、やがて茎が腐って来る。土に潜んでいるウイルスが悪さをするようだ。どれくらいの雨なら耐えられるのかを見極めるのも経験。ビニールを張るのが面倒な私は、支柱に何本かのビニール傘を結わえて凌ぐ。さて今年の梅雨はいかがなものか。 一匹の蚊に線香の臆病さ 先日台所の水道の調子が悪くなった。工事の人に来てもらったが、工具を持って出入りする際に蚊も一緒に侵入。腕が痒くて見たら、蚊に食われた痕がしっかり。慌てて蚊取り線香をつけた。21年前に家を建てた時に買った年代物。しかし日本製品の優秀さは、年月を経た今でも効き目があることで証明される。「日本の夏。金鳥の夏」。そんなコマーシャルも遠い思い出になった。 カタツムリ行方不明の妻に似て 幻想の句である。妻は去り、四国在住の娘一家と暮らしている。実父の死後、彼女は次第に精神のバランスを欠き、その13年後裁判所に離婚調停を訴えた。若き日の彼女は一体どこへ消えたのだろう。今ではカタツムリも妻も見当たらない家。わが結婚生活と家庭は、蜃気楼だったのだろうか。 梅雨寒や句も覚束ぬ手のふるへ 梅雨寒が続いている。鬱陶しいだけでなく、心までもが寒い。血行障害ぎみの私にとっては厳しい日々。ヒーターを点け、コーヒーを飲み、熱い風呂に入ってようやく暖まる。手の震えは梅雨寒のせいとしても、句が出来ない理由は何か。来週はいよいよ俳句教室。当日も雨の予報だ いざわれも紫陽花の句を詠まんかな 凡人の第5位の句。下手なりに自分の言葉で句を詠み、歌を詠む。乏しい語彙。貧弱なイメージ。だが文法を知らないせいで恥とも思わない。自分の世界が創れたら良い。他の人にじゃ詠めない世界を詠めたら良い。紫陽花の色は様々で、人生も多分一緒のはずだ。 紫陽花や母は木偶のごと死にゆける *でく あじさゐや幸薄き母しのばれて 4歳で生別した母が死んだのは私が54歳の時。まる50年別れて暮らしていたのに、病室に横たわっていた母は私のことを覚えていた。その3日後に死んだ母。幸薄い彼女は、敬虔なクリスチャンだったと聞く。紫陽花に、長い間一人で暮らした母の姿を重ねる。私も一人、梅雨寒に震える日々だ。 あじさゐに恥ずることなく生きゆかん この世に恥じることなどない。また人に恥じるような生き方もしてはいない。何とでも言わば言え。私は私らしく生きて行く。紫陽花にまだ色がついていないように、残された自分の人生も無色。はたしてこれからどんな花が咲きどんな彩がつくのか。 神奈川のTさん夫妻に手紙を書いた。第一子の誕生祝いにデパートの商品券も同封した。人生初めての「頼まれ仲人」をして17年。ようやく授かった彼らの赤ちゃんだが、わが暮しにも大きな変化があった。手紙にその経緯を記し、私のことはもう忘れて良いと書いた。おめでとうTさん、そしてH美さん。人生はドラマ。これだけは先輩として自信を持って言える。これからも仲良くね。 仲人の務め終えたる心地なり 子の誕生を祝ひし後は
2018.06.17
コメント(8)

~仙台市博物館2018~ あれからかなりの日が経ったが、4月末のある日私は仙台市博物館を訪れた。企画展『日本民芸館所蔵品による手仕事の日本 ~柳宗悦のまなざし~』を観るためだった。企画展のため65歳以上の市民は無料。さほど期待もしないで、ぶらりと出かけたのだった。 柳宗悦(1889-1961)は通常「やなぎ・そうえつ」と呼ばれるが、正確な読みは「むねよし」。東京の生まれで学習院高等科卒業の頃、志賀直哉、武者小路実篤と共に『白樺』創刊に参加し、宗教、哲学、西洋美術などの論文を発表。東京帝大哲学科卒業後、無名の職人が作る日常品に美を見出し、全国を旅して収集を開始。「民芸」の名を最初に唱え、1936年東京駒場に日本民芸館を設立し、初代館長となった。 <日本民芸館> この企画展は宮城県民芸協会の設立50周年記念行事で、柳宗悦が収集した日本民芸館の所蔵品の中から、東北に関係するものなど118点が展示された。展示物は撮影不許可のため、写真はパンフレットから借用した。このため数量が限定され、不鮮明な画像となったことをお断りしたい。なお私は大阪日本民芸館や国立民族学博物館でも関係資料を観覧している。以下に展示物の抜粋を紹介したい。 螺鈿丸散し菓子箱(18世紀) 漆工芸品の装飾技法の一つ。貝殻の真珠層を器物の表面に張り付け、漆で固定したもの。 文字入り小筥 1942年 秋田県角館町(当時)にて収集。樺桜(山桜の一種)の皮を使った木工品。仙北市角館で作られる。柳は皮の渋い赤紫の色調や、磨いた際の漆のような艶や強靭さを愛した。 大黒型自在鉤 19世紀 北陸地方にて収集。堂々たる造りで、下方中央部には実際に囲炉裏で使用された時に出来た、ロープの傷跡が残っている。 こぎん衣装 19世紀~20世紀初め 青森県津軽地方にて収集。こぎんは弘前地方を中心として作られた刺子(さしこ)。紺染の麻地の奇数の布目を拾って、白木綿の糸で背中と胸に模様を刺す。弘前の東と西とでは、模様の系統が分かれる。 椿紋様常盤紺型 1934年 仙台市にて収集。 緑黒釉掛分皿 1930年代 鳥取県牛戸にて収集。釉(うわぐすり)は陶磁器表面の装飾と吸水性をなくす目的で、ガラス質の層を溶融・密着させるもの。 緑釉雲助徳利 1930年代 福岡県西新町(当時)にて収集。 雲助とは道中の労力を提供する人足の総称。また雲助徳利とは、瓶や壺など大型の容器から小型の容器へ液体を移し替える際に媒介的に使用する中型の容器で、このため注口部を備えている。 堤人形 花魁(おいらん) 19世紀 仙台市にて収集。江戸時代から伝わる伝統的な泥人形。 鬼霰(おにあられ)鬼面付湯釜 20世紀前半 岩手県にて収集。 地肌に粒状の細かい突起を浮き出させた釜を霰釜(あられがま)と言い、その中で特に突起が大きいのを鬼霰と呼ぶ。 芹沢銈介作「日本民芸地図」の部分 1941年 柳宗悦著『手仕事の日本』1948年 靖文社刊 芹沢銈介装丁 芹沢銈介(1895-1984)は静岡市生まれの染色家で人間国宝。沖縄の紅型(びんがた)を最初に紹介した人。図案、型彫、染色まで一貫して行う。仙台市の東北福祉大学に付属の芹沢銈介美術工芸館がある。 過去に開催された関連する企画展のポスター3点。 特別展に比較して、企画展は規模も小さいため展示品が少ない。その分気楽に観覧出来るのが良いとも言える。さて、民芸品は単なる芸術品ではなく、生活の中で使われてこそ意味を持つ、実用品であることを忘れてはいけない。幕末に来日したシーボルトも多数の民芸品などを収集し、母国に持ち帰っている。なお、写真の大部分はパンフレットから借用した。改めて表記し、お礼を申し上げる。
2018.06.16
コメント(10)

~笑わば笑え~ 桑の実 今月の初めにブログの搭載件数が4千件に達した。搭載率は98%。楽天ブログに厄介になって11年と少々。よくも連日下らないことを書き続けたものだ。他社のも含めると14年。それだけ恥の垂れ流しをやって来た訳だが、公開はしても後悔はない。初めは1日100件未満のアクセス数。まあ字だけで1万字も書いていたのだから、読者も付き合うのが大変だったと思う。やはり写真の力は偉大だ。 柿の花と実 先日あるスーパーの前で、バッタリS先輩と会った。3月以来の出来事だ。その時彼は「会えるのはこれが最後かも」と言っていた。入院して手術を受ける由。それから2か月以上会わなかったので、あれは先輩の遺言だったのかと思っていたくらい。それまでは食道がんとすい臓がんの手術を受け、今回は胃のポリープを内視鏡で取った由。「次は本当に危ないよ」とS先輩。果たして本気なのか冗談なのか、その表情からは窺い知れない。 青梅 Kさんから「作並とお足」の案内が来た。これまでは「薬莱山とお足」と呼んでいた宮城UMCの恒例行事。これだと伴走車が複数台必要で、運転手役の仲間は走ることも飲むことも出来ないでいた。そのために新しいコースを設定した由。私も薬莱山へはここ数年参加出来ずにいた。8月に片道55kmは元気な時でないと無理。走れなくなってからは自転車で行ったが、往復110kmは目の悪い爺さんには危険だった。 ユズの赤ちゃん 今回のコースは仙台駅から30km。30kmは無理だが、JR熊ヶ根駅からだとゴールまで8km。多分走れるし、ダメでもウォークは可能。体調が良ければもう一つ手前の陸前白沢駅からも可か。その場合は約11km。真夏にリュックを背負って走るのは辛いが、ゴール後の達成感と仲間との再会は何物にも代え難い。参加の意思をメールで伝えたが、このまま体調を維持出来たら嬉しい。 ハナズオウ 11か国による新TPP関連法案が国会で通過したようだ。アメリカが離脱して以降、日本の奮戦が続いていた。自由貿易を守り、かつ自国の経済発展のためには不可欠の協定と考えての推進。今では中国や韓国も食指を伸ばしていると聞くが、何の苦労もしなかった国がただ自国の国益のために「後出しじゃんけん」とはおこがましい。野党もその労を取らず、ただ反対表明だけではねえ。 椿の実 シンガポールでの米朝首脳会談の評判が芳しくない。共同声明の内容があまりにも漠然としてるのではないか。核廃棄への方法や期限が明確でない等々。あれほど強気だったトランプさんが、なぜあそこまで譲歩したのかは不明。しかも「瀬取り方式」で、韓国側が北の船へ給油したとか、中国は既に制裁を解除し、北と通じる橋の工事を再開したとの情報もある。拉致問題も果たしてどう進展するのか。 だが決して結論は急ぐまい。何せトランプさんは政治の素人。そして北の刈上げ将軍は、国際政治に登場したばかり。言って見れば2人ともまだ「半分青い」んだよ。しかも追い込まれた同士が必死で交渉したのが今回の会談。ここは商人トランプさんの直感と経験に賭けるしかない。だって他の誰も、その立場に立っていないんだから。 今は半分青くても、そのうち全体が美しい色に染まることを祈る。そして北の将軍は、日本との直接交渉を受けると表明した模様。ほ~らね、天岩戸の扉は、今徐々に開かれようとしている。
2018.06.15
コメント(10)

~マックス爺の日常~ 誰かが敷地に入って来て、畑を見ていた。やがて玄関のチャイムが鳴る。出て見るとお向かいさんだった。そして私にずしりと重たい物を手渡した。袋を開けるとキャベツ。それもバックリと割れたヤツ。「雨が降って急に成長したんだね」。私が言うとKさんは頷いた。お礼を言ってありがたくいただく。ちょうどキャベツが無くなりかけていたのだ。 翌朝畑を見ると、ほど良いキュウリが2本獲れた。一旦は台所へ持ち運んだものの、お向かいさんへ届けた。Kさんの奥さんが驚いて「もう獲れたの?」と聞く。我が家は4月下旬に5本の苗を植えた。きっと彼の畑では種を蒔いたはず。「初物だね」と喜ぶ奥さん。家に帰った私は古いキュウリで酢の物を作り、さらにキャベツとキュウリの塩もみを作った。これでまた少しは食欲が出るはずだ。 久しぶりに晴上がった朝。早朝から洗濯機を回し、大掃除を始めた。2階はモップでフローリングと階段を掃除し、階段の手すりを化学雑巾で拭いた。1階の和室はこけしなどを移動して、はたきと掃除機をかける。脱衣所、トイレ、台所はモップ。その後トイレと台所を雑巾で水拭き。居間は植木などを移動して掃除機をかけ、モップで拭く。その後玄関、ガレージを掃き、掃除機と洗濯機のゴミを除去。 郵便局で電話会社から借用していた通信機器を郵送。回線変更によるものだ。先方からゆうパックのキッドが送られ、しかも送料は先方負担の着払い。これでソファーの背後がスッキリしたため、大掃除を始めた次第。ついでにATMで現金を下ろし記帳。これで引き落としの状況も確認出来る。布団と洗濯物を干し終えて、ようやくPC用のデスクへと向かった。 郵便物が届いた。1つ目は高校時代の恩師の米寿祝賀会の写真。幹事のAが丁寧な文章を書いていた。次回は2年後との由。2つ目は大学時代の学友との飲み会の写真。携帯で撮った照度の乏しい写真と共に、Iの手紙が入っていた。3つ目は山形勤務時代に仲人を頼まれた部下からのもの。あれから17年も経ったのだが、最近ようやく女児が誕生した由。奥さんと彼、そして赤ちゃんの写真も同封されていた。 仲人役を頼まれた上司がいずれも逃げ、仕方なく私が承知した経緯があった。その時私は密かに「仲人役が離婚したのではなあ」と心配していたのだ。それが現実になったのを、彼らは知らない。気が重い話だが、いずれは知らせる時が来る。郵便局で下ろしたお金で、デパートの商品券でも買って贈るつもり。もちろん驚きの手紙を添えてだが。それにしても妊活は大変な苦労の道のりだっただろうに。 組合の事務局から郵便が届いた。開封すると思いがけない通知。何と年金が増額してるではないか。昨年前妻と別れ、年金も分割支給となった。自宅なので暮らせないことはないが、厳しさに変わりはない。それが何故今回増額となったのか。きっと計算違いか、例の入力ミスだ。これを朗報と言えるかは微妙だが、私には有り難い話。そう言えば10kgで半年持った米が、そろそろ無くなるなあ。
2018.06.14
コメント(8)

~梅雨寒の頃~ 寒い。これをきっと梅雨寒とでも言うのだろう。太平洋の沖を台風の崩れたヤツが通り抜けるというので、夜はシャッターを閉めて寝た。それは良かったのだが、あまりにも寒かったので珈琲を飲んだ。その効果はてきめん。いや、これは被害と言った方が適切だったかも知れない。夜中に何度かトイレに起きる始末。そして肝心の雨と風の方は、案外大したことはなかった。 またまた映画を観た。阿部寛主演の『のみとり侍』。ある時代小説家が書いた原作を映画化した由。私が興味を持ったのは、奇抜なタイトルの映画が、歴史にどう関係するのかとの疑問から。だが本質的に歴史とは異なるものだった。おまけに仙台藩や長岡藩の悪口まで出て来る。奇抜で面白い映画だったが、奥羽越列藩同盟の地元として不満が残るのも事実。豊川悦司のニヒルな演技が何とも秀逸だ。 さて、注目の米朝会談がシンガポールで行われた。この文章は当日の朝に予約機能を使って書いている。だから実際のことはまだ何も分かってない。アメリカのトランプさんは大統領専用機で開催地に向かった。泊まったホテルは1泊70万円ほどらしい。強硬派の国務長官や補佐官を引き連れ、北朝鮮へは一歩も譲らない構えのようだ。安倍総理とは何度も作戦会議を行った。さて、拉致問題の首尾はどうだろうね。 一方の北朝鮮は3機で乗り込んだ由。1機は貨物用で、専用の警護車などを運んだ。2機目はロシア製で随行者用。3機目は何と中国機。刈上げ将軍らしく中国から借り上げたようだ。しかも3機は平壌からシンガポールへ直行したのではなく、中国の領空を飛行。これは撃墜でも恐れた結果だろうか。妹の金与正も同行し、早速シンガポールの夜の街を観光したと聞いた。 北朝鮮が宿泊費を払えないためノーベル平和賞を受賞した国際団体ICANが立て替えると言うのは、どうやらフェイクニュースだったみたいで、泊まるのは1泊100万円の超高級ホテル。アメリカ側のホテルとは直線で550mの至近距離。「ゴルゴ13」なら狙撃出来ると言う。悪い冗談はともかく、トランプさんは朝鮮戦争の終戦にまで踏み込むとも言われている。この予約原稿が果たして当たるかどうか。 暇に任せて『歳時記』から夏の季語を拾った。これはと思うものをざっと20ほどメモ。出来れば練習のためそれらの季語を用いて句を詠みたいと思う。そして今日は歯医者の日。歯周ポケットの測定、歯石の除去、部分入れ歯作成のための準備をした。このブログが公開された頃には、米朝首脳会談の結果は明らかになってるだろうが。 夏の海荒磯(ありそ)の波の静かなる 夏の潮子蟹の夢をさらひけり
2018.06.13
コメント(12)

~人間とは何か~ ユズの花 とうとう東北も梅雨入りした。朝から雨が降り続いて、しかも寒い。そろそろ布団を夏用に変えようと思ったが、とんでもない。まだ冬用で十分。これからの時期は体調に留意しないとねえ。少しでも異変を感じたら、頭部のCTを撮らないと。そのせいでもあるまいが、昨日は予約機能をせずに更新し、1日に2回もブログを公開してしまった。これは数年に1度のハプニングだった。 朝ドラ『半分、青い。』に変化があった。なんと幼馴染の鈴愛(すずめ)と律が別れてしまったのだ。生まれた日も一緒。生まれた場所も一緒の親友が、高卒後上京して間もなく別々の道を辿ることに。ついこの間まで青臭い高校生だった2人が上京と同時に恋する若者になって行く過程が、自分の若かったころに比べて何とも生々しい。これはドラマだと分かっていても、つい感情移入してしまう爺だ。 退屈紛れに映画を観に行く。1作目は『妻よ薔薇のように』。これは山田洋次監督による「家族はつらいよ」シリーズの第3作目。相変わらずのドタバタだ。すったもんだの大騒動の後、治まるべくして治まるというのがいつものシナリオ。馬鹿馬鹿しいけど、つい観てしまう山田作品。日本中どこにでもある家庭の痴話喧嘩。でもねえ喧嘩が出来るってのは平和な家庭だって言う何よりの証拠なんだよなあ。 観て来ました。是枝裕和監督の『万引き家族』。今年のカンヌ映画祭で大賞を受賞した話題作。受賞の有無を問わず、是非とも観たかったのがこの作品だった。彼の作品で私が唯一観たのが『そして父になる』。主演の福山雅治が超目立ってはいたけど、私はリリーフランキーの何気ない演技が心に響いて忘れられなかった。それに彼の風貌と雰囲気は私の弟にそっくりで、本当に驚いたのだ。 ここに出て来る人は血が繋がっておらず、言わば偽物の家族。それも社会の底辺でうごめぐどうしようもない人間だ。生きて行くために止む無く万引きをする。それも幼い子供を巻き込んで。そして風俗勤務も。そんな世界を描こうとした監督の思惑は、一体どこにあったのだろう。少子化、高齢化、核家族化など、崩壊した感が強い我が国の家庭像。だが、映画の中の「偽家族」は本物の家族よりも強く結ばれていた。 「妻」役の安藤サクラは俳優の奥田瑛二とエッセイスト安藤和津の長女で、夫は俳優の柄本祐。「祖母」役の樹木希林は、全身ガンと戦いながら女優業を続けている。まさに役者の手本だ。カンヌ映画祭では、この特殊な「家族」が、審査員の高い評価を得た。見方によれば犯罪の推奨とも取られかねないテーマが受け入れられたのは、人間にとって「絆」が不可欠なものであることの証明なのかも知れないねえ。
2018.06.12
コメント(12)

< 6月11日分を間違えて公開しましたので、11日分として読み替えてくださいませ。なお10日分は下↓にあります。> 水遣りをしようとして外へ出たら、小雨が降っていた。前日の予報だと夜に降り始める予定が、どうやら早まったみたい。台風5号が北上中。その動きに梅雨前線が刺激され、北上して来たのだろう。その影響で、太平洋側ではかなりの雨が連続して降るとか。大きな被害が出なければ良いが。そう思いつつ古新聞と古雑誌を、町内の集積所まで運んだ。第2日曜日は、資源ゴミの回収日なのだ。 その後、キュウリを2本収穫。これで早くも3本目となった。玉ネギは↑の通り。間もなく収穫の時期を迎える。そうなれば、玉ネギとジャガイモは買わなくて済むようになる。雲南百薬はかなり葉が大きくなり、これまでに2回収穫済み。問題は玉ネギとジャガイモの干し場と保管場所の確保。今年は収穫が多過ぎて、箱が足らなくなるはずだ。梅干しの作り方をネットで検索。今年は新方法で行く予定。 お笑い芸人の好感度1位は、サンドイッチマンなのだとか。へえ~っ、と思う。仙台出身の彼らが、さんまやタモリを抑えてのトップとは大したもの。先だっての高校のクラス会では、伊達みきおの父親が話してくれた。若くて売れなかった当時は苦労の連続で、借金をこしらえた由。親父は銀行マンなんだがねえ。そう言えば、最近彼らの姿をちょくちょくTVで見かけるね。 大リーグエンゼルスの大谷選手が故障者リスト入りをした。オールスター出場の前評判が高かっただけに、この時期の故障は残念だ。故障部位は右ひじの副靱帯損傷。最低でも3週間は戻って来れないようだ。打者と投手の二刀流だけに、チームの嘆きは深い。同じくNYヤンキースの田中投手も故障者リスト入りとなった。こちらはサードから本塁に突っ込む際、足に肉離れが起きた由。彼も好調だっただけに、チームの損失は計り知れない。 その一方、卓球の若き男女が、中国や韓国のライバルを次々に破っている。男子の張本選手に至っては、リオオリンピックの優勝者を破る殊勲。これは東京オリンピックに向けて、ますます楽しみが増えた。テニスのフランスオープンでは、日本の女子ダブルス選手が強敵を破って決勝進出。その決勝でも勝って、何と初優勝する始末。これは日本人初の快挙だったそうな。 ロシアのプーチン氏と会談した安倍首相。北方領土返還の明確な回答は今回もなかった。その北方領土4島へ、ロシアは近々光回線を設置する由。その工事を請け負ったのが、どうやら中国企業と言うから悲しい。領土は返還されず、平和条約も締結されず、ロシアの実効支配はますます強まる気配。おまけに経済援助だけ求められて、工事を施工するのはライバルの中国企業ではねえ。 カナダのケベック州で開催されていたG7が終了した。保護貿易を推進するアメリカへの抵抗は強く、困ったトランプさんは安倍総理へ後始末を頼んだ由。それを受けて、総理は共同声明をまとめ上げた。来年度はG20の年。海洋を汚染するプラスチック製品のマイクロチップ問題のまとめ役も、総理は担うことになるようだ。トランプ氏はG7の終了を待たず、慌ただしくシンガポールへと旅立った。 北の刈り上げ将軍も専用機でシンガポールへと向かった。おんぼろの年代物も、何とか4500kmを飛べるようだ。すったもんだの挙句、当初の予定通りの開催となった米朝のトップ会談。核の完全廃棄まではかなりの年数を要すると、ようやくトランプさんは理解したそうだ。どうなる、今後の東アジアは。どうなる、世界の情勢は。台風5号の進路と同様、会談の行方が気がかりでならない。
2018.06.10
コメント(6)

~秋保温泉の宿で~ 6月5日。仙台市郊外の秋保温泉にある某ホテル。ここを会場にして高校時代の恩師の米寿祝賀会を兼ねたクラス会が開かれました。1泊し、食事と温泉付きの会合は、久しぶりに心を癒すものでした。今日はその宿に飾られていた美術品などを紹介します。 奥床しいこんな照明も素敵ですね。 コーナーにしつらえられた石灯篭と照明のセットです。 古いタンスも置物として使われていました。部材は桐のようです。 飾り金具がたくさんついた仙台箪笥は、仙台の伝統工芸品です。 抽象的な絵のような、はたまた版画のような作品。 これはまた何とも渋い茶器をテーマにした日本画。 絵と生け花の組み合わせ。 舞姿を描いた日本画。 秋保温泉付近の名取川を描いたようです。 日本画の大作です。テーマは着物姿の女性と和傘。 蔵王連峰の屏風岳から不忘山の雄姿。麓の畑で咲いているのは梨の花か。 こちらは手前の青麻(あおそ)山付近から南蔵王方面を臨む風景。 山の上のあるこのホテルの中庭から見た図。 美の壺 その1 美の壺 その2 美の壺 その3 この仏像を勝手に持って行ったらぶつぞ~っ!! 中世のナイト? そうじゃナイト? オブジェ全体が顔のようにも見えるのですが・・。👀 天皇陛下、皇后陛下が宿泊された際の写真などの展示コーナー。 エレベーターの中から見える裏山。
2018.06.10
コメント(8)

☆写真と文章は無関係です。念のために。 久しぶりに朝の散歩をした。一番上の山にぶつかって戻って来る。坂の下の新道。中央分離帯の植木に芽が出ていた。今年の2月、そこを掘り返して植えた樹は、枝を伐られたみすぼらしい姿。この寒空で果たして生きるのだろうかと、私は本気で心配していた。しかし生命とは不思議なもので、今は短く切られた枝から精一杯の葉を出し、自分が生きていることを証明しているではないか。 前夜は飲んだ。大学の級友6人が街中の居酒屋に集まっての飲み会。1人は48年ぶりくらいの再会で、卒業後初めて会ったはず。この日も体調に不安があった。それでも級友と飲み、話しているうちに元気が戻った。私達の大学は二部。夜学ぶ勤労学生で、6人とも公務員だった。それでもそれぞれに道は違い、中には紆余曲折の人生を歩んだ友もいる。私は30年以上の転勤暮らしだった。 私はGさんの太い腕に触れた。彼は一時民間にもいた苦労人で、前妻との調停離婚でもお世話になった。調停員の経験があり、客観的に判断出来る相談相手と判断してのこと。間もなく80歳になる彼は、大学へも9年遅れで入学。私は4年遅れだったし、ストレート入学は6人の中には誰もいない。卒業から50年近く経ち風貌はかなり変わったが、私以外は今でも社会的な立場にある。 料理はどれも美味しかった。特にアユの塩焼きが最高。お造りも新鮮だったが、天ぷらと共に少し残し、野菜の煮物は全部食べた。生ビールは中ジョッキ1杯で、後は芋焼酎の水割りを5杯。それでも意外に最後までしゃんとしていた。年賀状を出さなかったことは最初に謝った。離婚以降、どうしても年賀状を書く気になれなかったのだ。皆は黙って許してくれた。 次回は少しメンバーを増やすことに。当時の住所録をコピーして来た人もいた。私などは古い物を少しずつ処理し始めているのに、几帳面な友もいるものだ。お開き後、私はTとコーヒーを飲みに行った。お互いの結婚式の司会をし合った同士で、前妻も良く知った仲。彼に離婚の真相を話すと驚いていた。人生には色んなことが起きる。たとえ一人でも真実を話せて、胸の支(つか)えが下りた。 帰宅して体重を測るととんでもない数字。料理はさほどボリュームがないとしても、ビール、焼酎、コーヒーが効いたか。PCを開けたらプログラムの更新で、驚くほど時間が取られた。そんなことで翌朝は体重減を目指して散歩し、朝食は野菜サラダ、果物、納豆、ヨーグルトだけ。PCは順調に動いてくれ、いつも通りブロ友にコメントを入れることが出来た。 それに気を良くし、続いてブロバイダーに電話。回線の変更による手続きだ。ブロバイダーは変わらなかったものの、メカに弱い私には悩み深い内容。8点ほどの事項全てを確認し、急に暗雲が晴れた感じ。もう金輪際回線やブロバイダーの変更はしないでおこう。頭が回転しなくなるこれからは、極力宿題を減らしておかないとねえ。こうしてヤモメの爺は、ホッと溜息をついたのだ。
2018.06.09
コメント(12)

~生の形~ 和歌山の大富豪が不審な死に方をした。胃と肝臓から大量の覚せい剤の成分が検出された由。年齢は77歳で資産は50億円とか。これまで4千人の美女に費やしたお金は30億円に上るという。そしてつい最近、55歳年下の女性と結婚したばかり。ほとんど親戚付き合いもなく、他の兄弟とも行き来がなかった彼。それだけお金を貯めても、強欲な人間に殺されてしまったんじゃねえ。 東京で5歳の女児が死に、その若い両親が逮捕された。あんなに可愛い自分たちの子供を、なぜ虐待して殺してしまうのか、その理由が全く分からない。朝の5時から女児にひらがなの練習をさせていたそうだ。ノートには必死に許しを請う女児の言葉が、びっしりと書かれていた由。何という残虐性。何という哀れさ。親に虐待されて死に行く子供は、どれだけ怖く、どれだけ不安だったことか。 ウルイとキュウリ 高校のクラス会に行く朝、畑でキュウリを1本収穫した。そして雲南百薬の葉を30枚ほど採った。どちらも初物だ。早速雲南百薬を茹でて、お浸しにして食べた。玉ネギは玉が太り、茎が倒れ出した。収穫は間近だ。トマトとミニトマトの茎の伸び方が早い。ナスも花が咲き出した。ゴーヤの成長も順調。関東地方まで梅雨入りをしたそうだが、東北はまだ。傘も持たずに郊外の温泉ホテルへと向かった。 恩師の祝賀会を終え、翌日自宅へ向かうバスの中で私は感慨にふけっていた。級友の老化をよそに、認知気味の老妻と共に暮らしている恩師の日常だ。まあ、息子さんも市内に住んでいるし、妹さんは直ぐ傍に住んでいるから、いざと言う時には頼りになるはず。それにしても「老々介護」がこんな身近にあったとはなあ。独り暮らしで不安な私だが、にこやかに語ってくれた恩師の心情は、果たしてどんなだろうか。 所属の短歌の会の例会には、悠々間に合った。今月は私の歌が最初に載っていた。自分では十分納得していたのに、作歌の作法にそぐわない点があるとして修正されたのが不満。先生からは歌風を変えようとしたのは無理があるのではなどとも。私も先生の歌に忌憚のない意見を述べた。会員同士の評価は楽しく、あっと言う間に2時間が経過した。前夜の酔いの影響は皆無。やれやれと胸を撫で下ろして家路に就いた。 翌日PCに向かっている時に、突然歌が浮かんだ。恩師のことだ。それを紙に書き、ノートに写し、ハガキに書いた。7月の歌会の詠草用だ。 にこやかに米寿の恩師語り出す 「老々介護」生きるとは何 歌の良し悪しや技術は問わない。年老いた恩師が私に本音を語ってくれたその心情が、ただ表現出来たらそれで嬉しい。師はいつまでも師。幾つになっても、人生の確かなる指針だと感じている。
2018.06.08
コメント(8)

~温泉1泊でのお祝い~ 仙台市郊外の秋保温泉にて、高校時代の恩師の米寿祝賀会を兼ねた同級会が開かれた。同級会は私達の古希祝以来で5年ぶりの開催。前回の会場は松島だった。この5年間がどれだけ長い期間であるかは、幹事が作成した名簿で一目瞭然だった。55名のクラスメイト中物故者は1名増えて9名になり、不明者が9名となり、老健施設入所者が1名。連絡が付いたのが36名で、うち18名が今回の参加者だった。 恩師への記念品目録贈呈式 連絡先が不明となったのは、きっと老化で転居したか、亡くなったかしたに違いない。幹事役のA君は続々返送されて来た転居先不明の封筒を見て、茫然とした由。それにしても恩師の元気なこと。私達が高校を卒業してから56年。その間、恩師からの年賀状は欠いたことがないのだ。それが教え子の方が早くから亡くなり始め、もう次は誰が欠席しても不思議ではない状態になった。 恩師 サンドイッチマンの父D 住職のM 幹事によれば、欠席者からの返事の中には、体調不良を理由にするものが多かった由。私も無事この日に出席出来るかどうかは予断を許さないものがあった。だから会には参加しても酒は飲まないという級友も中にはいた。ともあれ物故者の冥福を祈って黙とうするのが、私達のクラス会の恒例行事になった。そして懇親会へ突入。自重していたアルコールも、飲むほどに酔うほどに気分は高揚して行くのだった。 恩師と級友A 恩師には密かに前妻と離婚したことを告げた。恩師が仲人だったからだ。すると驚くべきことに、恩師も私に話してくれた。奥様が認知症気味になり、買い物から洗濯、炊事まですべて2人分行っている由。88歳目前の高齢者が語る「老々介護」の実態だ。今日は東京から娘さんに来てもらって、祝賀会に臨んだのだと言う。凄いねえ、この高齢化社会の現状は。私も自分の日常をありのままに話した。 幹事役のA 大阪から参加したTが一番遠い。彼は高校時代に兄を頼って鹿児島の屋久島から仙台へ来て、高校に入学した。それが入学後に兄が急死し、恩師には大変お世話になった由。次に遠い山形県鶴岡市在住のSは、今日も車で月山越えをして来た由。そして今や鶴岡市は合併に次ぐ合併で、日本一市域の広い都市になったのだとか。そこは奥さんの地元でもあるようだ。 クラスメイトの苦労話もたくさん聞いた。金儲けをしなくて済んだ私と異なり、企業戦士となった級友たちは、バブル期や不況期を命がけで乗り切り、その結果ヘトヘトになって老後を迎えた。皆の武勇伝も失敗談も聞いた。私も手短に離婚の内情を話した。9時でお開きとなったが、各部屋で懇談は続き、同じ部屋の級友が帰って来たのは12時過ぎだった。 記念撮影 私は後列の一番右側。 次の開催は私達の喜寿と恩師の卒寿祝いを兼ねたクラス会。後2年後ではあるが、首尾よく参加出来るかどうか。そして「東京オリンピック」を眺めることが出来るかどうか。翌朝は同室のIと歴史談義を早朝から始めた。彼は12年かけて調査した結果を、研究成果としてまとめた由。私も何とか頑張りたいものだ。朝食後は路線バスに乗って早めに帰宅し、短歌の会の会場へと向かった私だった。 温泉も良かったし、ご馳走も食べた。他人が作った料理を食べたのは久しぶりの出来事だった。命の洗濯が出来て良かった。そして今夜は大学時代の級友有志での飲み会。泥酔せずに無事帰宅出来ることを祈っている。
2018.06.07
コメント(10)

~心惹かれる島々~ <奄美の風景> あれは何年か前の大河ドラマだったが、突然聞きなれない調が流れた。独特の曲と発声。まるで魂の叫びのような初めて聞く響き。どうやら奄美の女性が歌っているようだ。今年の大河ドラマでも再び奄美の歌声を聞いた。以前と違った声だが歌い方は同じ。奄美では民謡歌手を唄者(うたしゃ)と呼ぶらしい。哀切に充ちた唄者の声が愛加那の西郷への想いと重なって、南島の郷愁を蘇らせた。 <斎場御嶽(せいふぁうたき)から久高島(平坦で見え難い)を遥拝する> YouTubeで偶然イザイホーの動画を見た。上下で1時間40分ほどの作品。撮影場所はは沖縄本島東南部の沖合5kmにある久高(くだか)島で、南城市の所属。私が沖縄に勤務していた時は、知念村に属していた。ここは神の島と呼ばれ、琉球王朝時代から神聖な島。男は海人(うみんちゅ)として貿易船の水夫となり、留守を守る女は神人(かみんちゅ)となって神行事を司った歴史がある。 イザイホーは12年に1度、午年の11月15日から5日間行われる神行事で、30歳以上の島の女性が神職に就くための儀式だ。久高祝女(くだかノロ)、外間(ほかま)祝女を頂点とする神職は普通の主婦で、5種ほどの歴然とした職階があり、男も一部役割がある。これが琉球王朝時代から500年以上継承されている。まさに卑弥呼時代を彷彿とさせる神行事だが、高齢化により役職者が欠落し、1978年(昭和53年)を最後に途絶えた。 私が沖縄に赴任したのが平成元年、翌年がイザイホーの年だったが不成立。資料を読んで興味を持ったが、実際の姿を見ることは出来なかった。初めてその姿を見たのは3年後。大阪の国立民族学博物館のビデオテークで14分ほどに編集された画像を観た。雰囲気は分かったが実態は不明。そしてそのまま20年が経過した。今回その実態を、映画会社が制作した記録でようやく知ることが出来た。 <フボー御嶽の入口。ここより先は祝女しか入れない> 久高島が神の島と呼ばれる理由は、沖縄人の祖先であるアマミキユ、シネリキユの男女神がこの島に漂着したこと、及び五穀の種がイシキ浜に漂着したことによる。どちらも沖縄の神話だ。祖先神は恐らく海人族で、九州南部から島を伝って来たのだろう。そして種は水と地味の乏しいこの島では育たず、対岸の海岸の小さな田、受水走水(うきんじゅ・はいんじゅ)で育ち、そこから島内に広がったとされている。 イザイホーに初参加の女性ナンチュたちは、祭に先立って決められた泉で斎戒沐浴する。そして5日間祭に出て、神職の資格を問われる。祈る場所は外間殿、久高殿だが、フボー御嶽(うたき)など島内7つの聖なる場所に連日お参りする。そこはクバが茂るだけで何もない御嶽。まさに日本の原始神道の姿そのものだが、祝女以外の立ち入りは許されていない。また島内の一木一石も持ち出し禁止とされている。 それが島の掟。畑も共用で、使用する畝は順番に交代する。狭く貧しい島では、原始共産制が最も公平な生活の仕組みだったのだろう。さて、男たちの長い航海の間、女たちは留守を守る。その間、貞操の保持のためにも神行事を頻繁に行った由。不貞を働いた女は恐怖のために地上に置かれた梯子すら渡れず、神職に就くことが許されなかった。古代日本の祭祀同様、沖縄の女は男の守り神だったのだ。 ここは知念半島にある斎場御嶽(せいふぁうたき)。琉球王朝随一の霊場で、神職の最高位である聞得大君(きこえおおぎみ=王の姉妹)がここで王の代わりに祈った。琉球を征服した薩摩藩によって、久高島での神行事が禁止されたためだ。三角岩の向こう側にある通し御嶽(とおしうたき=上から2番目の写真)から、5km先の久高島を遥拝した。琉球開闢の地に行けない無念さは、推して知るべしだ。 <宮古島=手前と池間島=前方を繋ぐ池間大橋> あれは10年ほど前のこと。私は「宮古島ワイドーマラソン」(100km)に出た。コースであるこの池間大橋も走って往復した。橋の上は北風が強く、吹き飛ばされるような勢い。それでも私は宮古島の民謡「なり山あやぐ」を口ずさんだ。先日YouTubeで歌詞の正確な意味を知って驚いた。そこには島の女の悲しみが潜んでいた。昔から奄美や沖縄の女は、絶えず祈り続けていたのだ。 沖縄勤務を解かれて早や27年。その後20回は沖縄の島々を訪れ、色んな箇所を走った。4年かけて沖縄本島を一人で走ったこともあった。懐かしい集落。懐かしい風景。懐かしい文化と歴史。恐らく死ぬまで忘れることはないだろう。いずれまた城(ぐすく)巡りをしたいものだ。たった1度だけ訪ねた久高島。白猫が港まで導いてくれたあの不思議な島は、私にとって幻の神の島だったのだろうか。 今日は短歌の会ですが、前夜の宿泊先から直接会場へ向かう予定です。コメントへの返事や訪問の遅れはお許しくださいね。では。
2018.06.06
コメント(11)

~春の白い花々 その2~ 白いバラです。滑らかなビロードのような花びらが素敵ですね。 白も気品がありますね。私はなぜか昔の「牛乳石鹸」を思い出すのですが。 白いアマリリスですが、花びらの縁に、赤い縁取りが見えます。 アマリリスと言えばやっぱりあの歌。「しらべはアマリリス♬」。 整った真っ白な花びらのこの花は、バイカウツギ(梅花空木)でしょうか。 これもバイカウツギ。ただし「ウツギ」と付いていても「科」が違うものがある由。 比較的大きく育ったカルミア。まるでレースのカーテンみたいです。 これはノバラ(野薔薇)でしょうか。「わらべは見たり♬」。 これはブラックベリーの花。もう花が散っていました。 ブラックベリーも熟すと美味しいですよ。あるアパートの垣根で。 あの毒々しい色の実が生るピラカンサスも、花は小さくて可憐ですね。 ハコネウツギ(箱根空木)の白花の部分だけを。 今年はホタルブクロ(蛍袋)が咲くのも早いですねえ。 昔は捕まえたホタルをこの花の中に入れて遊んだということからの命名とか。 イチハツか、それとも白花のジャーマンアイリスか。 葉陰で揺れているエゴの花。とっても小さくて可憐です。 油断していたらエゴも散り始め、小さな実が付いていました。季節の移ろいは早いですねえ。 さて今日は郊外の温泉で、高校の恩師の米寿祝があり1泊します。コメントへの返事や訪問が出来ない場合はどうぞお許しを。では行って来ますね~!!
2018.06.05
コメント(10)

~ニュースそして私~ タケノコ 日大学長の対応には首を傾げる。先日スポーツ庁に説明に行った際の会見には驚いた。まるで他人事のような口ぶり。以前は理事長より上の立場だったようだが、その後理事長よりも下に位置付けられた由。アメフト部の家族が立ち上がり、改革に乗り出した。今後は大学側と協力しながら、アメフト部の活動を再開出来るよう尽力する由。このままでは学生たちが気の毒。退部した学生もかなり多いようだが。 ブドウ 男子フィギュアスケート羽生結弦選手への国民栄誉賞授賞が決まった。大怪我に打ち克っての平昌五輪での2連勝は、世界に感銘を与えた。これまでの最も若い受賞年齢は、柔道の山下泰弘氏の27歳だったが、それを4歳更新した由。こんなに若い受賞者はもう出ないだろう。彼はIOCの要請により、平昌五輪で使用した手袋を、ローザンヌの五輪博物館に寄贈した由。もちろん永久保存になるだろう。 アカツメクサ 将棋の藤井7段が「棋王戦」予選8組の決勝で勝利し、34名で戦われる本戦への出場が決まった。実は「王座戦」も予選の決勝で勝ち、本戦出場が決定している。この他に「竜王戦」ランキング戦5組も決勝戦が残り、勝てば本戦出場となる。毎回10時間ほどかかる対戦は、高校の授業の合間を縫っての参戦。どれだけ厳しい時間や体力との戦いだろう。そんな中でもあの物静かな態度が不変であることに驚く。 山椒(サンショウ) トランプ氏が一度は撤回した北朝鮮との会談受け入れを表明した。目下当初の予定通り今月12日にシンガポールで開催予定らしい。ただし、今回北がアメリカへ持参した委員長の親書には目を通さなかった由。国務長官に代読させて北の真意を確かめたようだ。1回では結論を出さないこと。北の核兵器撤去は1度ではなく、期間をかけることも了承の意向らしいが、果たして現実はどう動くか注目だ。 カラスノエンドウ 病院へ行った。採血の結果血糖値はかなり下がって、ほとんど基準値に近づいた由。何か運動したかとドクターに問われて、3時間走やジョギングのことを話した。ただし定期的な運動ではなく、薬の影響も大きいのだろう。ドクターには「耳鳴り」を訴えたが、高血圧のせいではなさそう。薬の処方は遠慮し、様子を見ることに。加齢と共に体の不調がどうしても出て来る。特に独り暮らしであればなおさらだ。 イタドリの葉 ブログを読んでいても、最近は加齢と病気の話が目につく。脳梗塞でリハビリ中の友。ガンで入院中の友。胃潰瘍で入院した方などさまざま。中にはブログを休んだか止められた方も。さて今週は高校時代の恩師の米寿祝(1泊)と、大学時代の同級生との飲み会がある。体調が心配だったが、少し好転して来たようだ。それよりも東北楽天が勝てない。とうとう借金が16。交流戦も未勝利のままだ。
2018.06.04
コメント(8)

~春の白い花~ 昨日に続いて今日も花の写真です。ただし驚くなかれ、白い花ばかりなんですよね。色は付いてませんが、その分とっても清楚。好き嫌いはあるでしょうが、まあ見てやってくださいな。 4月末に撮ったムベの花。アケビに似ていますが、熟しても開かないのが特徴です。 5月中旬に撮ったマーガレット。とても大きな集団でした。(以下同様) 上の集団を徐々にズームアップして行きます。 あれまあ。急にズームアップしたら、ピンボケになりましたね。 わが家のシャラ(夏椿)も咲き出しました。 わが家のユズ(柚子)の花です。柑橘類の花はとても良く似ています。 近所のキウイの花です。葉が茂って少し暗いですが。 町内会の花壇のイベリスです。良く名前を忘れます。 白花のシャクヤク(芍薬)です。とっても清楚ですね。 これも見事な大輪のシャクヤク。上と同じお宅のものです。 ヤマボウシ(山法師)の花です。とても大きな木なんですよ。 これは別のお宅のを、比較的間近で撮影しました。 ハナミズキ(花水木)は親戚ですが、花の先端が丸いです。このヤマボウシは鋭角ですね。 とても珍しい、白花のムラサキツユクサ(紫露草)です。 サツキ(皐月)です。仙台ではちょうど今が花期に当たります。 テイカカズラ(定家葛)はとても良い匂いがします。スタージャスミンはこれを元に改良したと聞きました。<続く>
2018.06.03
コメント(8)

~過ぎ行く春と花々~ 早いもので、昨日から6月に入った。実は4月や5月に撮った花の中で、まだ使ってない写真が残されている。今日はそれを披露したい。言って見れば春の花の在庫一掃みたいなものだ。 4月末。国際センター構内の藤棚で。(以下同様) 藤棚の藤。マメ科の花であることが一目瞭然だ。 山藤。広瀬河畔の仲ノ瀬橋にて。(以下同様) こうして見ると園芸用の藤も、自然の山藤を改良したもののように思える。 街中の花屋の店頭。4月下旬はこんな花が売られていた。 4月下旬の街中の花壇。(以下同様) 冬の間は地味だった街も、春になると一気に華やかに変身する。 その中でもチューリップは、一際明るくて良く目立つ。 今年の冬は寒さが厳しかったけど、春になるのは結構早かった。 ここからは5月下旬の散歩時に撮った花々。クレマチス。 これはカンパニュラかな? わが町内会の花壇にて。 咲き終えたシバザクラの緑を背にしたヒナゲシ(ポピー)。 あるお宅の塀の上で咲いていた多肉植物の花が、珍しく感じられて。 可憐なピンク色のツルバラ。形も可愛いねえ。 今年もヒルザキツキミソウが咲き始めた。梅雨も近いのかな? この花を初めて見たのは沖縄の石垣島。仙台に帰って来たら、こちらでも咲いていたのだ。 月見草に似ているとも思えないが、人は時に思いがけない名前をつけるものだ。 時々名前を忘れるけど、これはアリッサム。オポッサムではないよね。 仙台のアジサイはまだこんな感じで、色がつくのはこれからだ。 堤防の土手を開墾して作った花壇のバラ。その人が引っ越して今は誰も世話をしていない。 高齢化で引っ越したのか、家も更地になった。それでも残された花々は無心に咲いている。 ハコネウツギには紅白の花が咲く。これからは晴れ間が特に貴重だ。
2018.06.02
コメント(12)

~仙台の街で~ 定禅寺通り 今日から6月。既に九州と四国も梅雨入りし、その他の地方も徐々にその影響を受けるようになるだろう。仙台の郊外で暮らしている私だが、ごくまれに街へ出かけることがある。日頃とは異なる景観は、とても新鮮に見える。今日はカメラのレンズを通して観た仙台の街を紹介しよう。 鬱蒼としたケヤキの大木が茂るここは、定禅寺通り。春は「青葉まつり」の会場や「仙台国際ハーフマラソン」のコースとなり、秋は「ジャズフェスティバル」、冬は「光のページェント」の会場でもある。グリーンベルトには花壇や彫刻やベンチなどが置かれ、市民の憩いの場となっている。 これは仙台メディアテークの建物。市立の中央図書館やギャラリーはじめ各メディアに対応する施設が設けられ、常時様々なイベントが開催されている。 全面ガラス張りの建物は、中のエレベーターまで素通しで見える超近代的なビルディングだ。 6回ホールから定禅寺通り方面を見た図。照明を落としているため、明暗の差が大きい。 これは窓側に近い位置。エレベーター用のスペースも透明で、むき出しの構造がユニーク。 まるで影絵のようなロビー。この日私が観たのは『トリックアート展』だった。 川内のメイン道路。付近には東北大学、宮城県美術館、仙台市博物館、国際センター、宮城県第二高等学校などがある文教地区。この道がハーフマラソンや日本女子大学駅伝などのコースでもあり、青葉城も近く、遊覧観光バス「るーぷる仙台」が低料金で巡回している。 ここは仙台市博物館の2階。ホールから外側を観た風景。 この日は企画展『手仕事の日本展』を観に来た。65歳以上の市民は無料。特別展の場合は割引あり。 常設展の展示は65歳以上の市民は無料。時々展示の入れ替えもあるようだ。 足腰が動くうちは、極力美術館や博物館に行きたいと思っているのだが。 博物館は旧仙台城(青葉城)の三の丸に当たり、外側の五色沼は三の丸を守る濠だった。ここは我が国のアイススケート発祥の地。それを記念してフィギュアスケートを模した彫刻がある。坂道は青葉城への道だ。 これは地下鉄南北線「台原駅」構内のレリーフ。5月下旬のある日、私はこの駅で下車し、仙台鉄人会主催の3時間走レースに出場した。 旭ヶ丘方面へ向かう出口。暗い構内から明るい外が見える。 こちらは台原森林公園方面の出口。階段を登れば目の前に公園が現れる。 公園側出口外部のレリーフ。 上のレリーフの一部分。 台原森林公園には仙台市出身の彫刻家である佐藤忠良や、彼の友人の作品が多数飾られている。仙台市は市内の美化を推進するため専門家の意見を参考に、芸術性の高い彫刻などを計画的に市内各所に配置した経緯がある。
2018.06.01
コメント(10)
全30件 (30件中 1-30件目)
1


