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昨日の勤務後、デパートで開催されているジミー大西の個展を観に行った。きっかけはテレビのコマーシャル。作品を観た限り、私が好きそうな画風ではなかったのだが、一体彼がどんな作品を描いているのか、自分の目で一度確かめておきたいと思ったのだ。 ジミー大西が元お笑い芸人であることは知っていた。それも恐ろしいくらい愚鈍なイメージを持った芸人だ。ある時彼は警察犬と競って女性の匂いが沁みたハンカチを嗅ぎ、誰のものかを当てるゲーム番組に出たことがあった。厳しい訓練を受けている警察犬と人間を比べる馬鹿さ加減にも驚いたが、何と彼は持ち主を特定することが出来た。異常なる「匂いフェチ」だったのだ。 その彼が美術家になるきっかけもやはりテレビの番組だった由。誰の絵に一番の高値が付くかを競う中、絵が得意な多くの芸能人を尻目に、33万円の高値がジミーの絵に付き優勝。1992年のことだ。翌年は初めての個展を開く急成長ぶり。岡本太郎などにも絶賛された彼は、1996年に芸能界を引退し勇躍スペインに向かった。憧れの画家ピカソの生まれ故郷で絵に専念するためだった。 彼の絵は抽象画。デッサン力が乏しいと嘆くが、それをカバーする先天的な直観力と、構成力が彼にはある。色づかいも含め、常人にはとても真似の出来ない感覚だ。長らくスペインで修業した後、彼は世界を旅しながら作品を創って行く。地中海のマルタ、インドでもジミーの絵の骨格は変わらない。 ブラジルでは子供たちと一緒に砂金採りに興じ、得られた金を用いて彫刻を創り寄付。博物館に展示された作品はたちまち大評判となり、彼はパラ州政府から文化功労賞を受賞。その副賞の金で再び作品を作り、それも寄付して来たと言う。彼の作品はキャンバスから様々な分野へと飛び出す。銀行のキャッシュカードや通帳のデザイン、ワインボトルのラベル、陶器の絵柄、車や大型タンカーの装飾を手がけ、公園のベンチや遊具にも姿を変え、靴のデザインを手がけたこともある。 専ら水彩画だが、中にはアクリル絵の具で描かれたものもあった。彼の絵は片岡鶴太郎の絵のように優雅でもなければ奥深くもない。ただただエネルギッシュで、ありったけの情熱をそのままキャンバスに注ぎ込むだけだ。自由奔放な空間分割と溢れる色彩、何の躊躇もない抽象画。鶴太郎が複雑な具象の眼を持つとすれば、ジミーのは単純な抽象の眼と言えようか。独特の世界を持つ画家ジミー大西の作品には、やがて国際的な評価を受ける予感が濃厚に漂っていた。今月のラン回数:15回(うちレース1回) 距離189km ウォーク回数:毎日 距離:149km 月間走行距離合計:338km 年間走行距離:189km 年間累計:338km これまでの総距離:65、760km
2009.01.31
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先だって海難審判所で一つの裁定が下った。自衛艦「あたご」が千葉の漁船と衝突した海難事故で、漁船は沈没し漁師の親子が行方不明になったあの一件だ。一部漁船側にも非を認めたものの、責任の大半は「あたご」側にあるとの結論に達した。船の往来が激しい現場で、見張りを疎かにしたと言うのが理由だった。 事故が起きた状況から見て、「あたご」側に非があるのは明白だったにも関わらず、自衛艦側は漁船の方に回避義務があったと主張し続けていた。漁船は沈没し、乗っていた親子は未だに行方不明だから、言わば「死人に口無し」状態だった訳だ。だが付近を航行し、咄嗟に事故を回避した漁師仲間の証言などで、当然とも言える結果を勝ち取ることが出来た。だが、不運な漁師親子の命はもう帰って来ないのだ。 東京地裁でも一つの判決が下りた。住民と漫画家楳図かずお氏がいわゆる「まことちゃんハウス」が景観を損ねるかどうかで争っていた事件だ。先に建築の差し止めを争って敗訴した住民側が、今度は建物の外壁を取り壊せと訴え、それが認められるまでの間、1日1万円を苦痛の代償として支払えとの訴訟に切り替えたのだとか。 自宅の壁を赤白のストライプにするのが長年の夢だった老漫画家。現場はきっと閑静な住宅地なのだろうが、特段その家が周囲の景観を損ね、迷惑を掛けるようには見えなかった。原告は2、3軒だけで、これまでの経緯から話がこじれてしまったのが原因のようだ。2件とも常識的な結果に治まったと私は思っている。 そんなことより、元プロ野球の桑田が早稲田大学大学院へ合格した話の方が明るくて良い。何でもスポーツ科学研究科のスポーツビジネス専修で1年のコースのようだ。40歳を過ぎてなお大学院で学ぼうとする桑田の向学心に敬意を表したいと思う。頑張れ桑田~ 長野県諏訪市の下水道処理施設で金が採れたと言うニュースにも驚いた。諏訪市にはメッキ工場が多く、その廃液に金が含まれていたのだろうと言う説に加え、近くの温泉から流れ込むお湯の中にも微量の金が含まれていたのではとの推定だ。何でも底に溜まった汚泥を焼却した灰の中に、金鉱山とは比較にならぬほどの高い含有率で金が含まれているらしい。新たな金鉱脈が、意外なところに潜んでいたわけだ。 さて、今日1月30日は四国に住む2人の孫娘の誕生日。上の孫娘は今日で8歳、下の孫娘は6歳になる。そして6歳の孫は4月から晴れて小学生になる予定。先日、早めの入学祝を送ったのだが、昨夜お礼の電話があった。お姉ちゃんの方は赤いランドセルだったのに、妹が選んだのは青のランドセルだったとか。 母親である我が娘は6年間青のランドセルで嫌にならないかと心配したようだ。姉妹でもそれぞれ個性が違う証なのだろう。遥か遠くで暮らす娘夫婦と孫達。電話を通じて聞く孫の声は明るく弾んでいた。孫娘達にとって私はたった一人の爺さんだから、何とか長生きして彼女達が成人する姿を見てみたい。4月には姉妹揃って小学校へ通う姿を思い描いている私だ。
2009.01.30
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夜明けが以前より早くなった。バスを待つ間も暗かったのが、今では周囲が明るいのが嬉しく感じる。そして夕暮れが遅くなった。どうやら確実に季節は動いているようだ。昼間の時間が長くなり、最近は暖かく感じる日さえある。今日の最高気温は10度を超えるらしい。そんな陽気の中を帰宅ランで帰る。 山中の歩道の雪は完全に融けた。工事中の動物園脇の山林が見事に切り開かれている。登り坂をほぼ登り終えた時、幽かにクラクションを鳴らす音。誰だろうと車中を覗くと、そこにO川さんの笑顔があった。仕事の途中だろうか。手を振って合図をしてくれた彼。私も手を振ってそれに応えた。ランニング中に走友と遭えるのはとても嬉しい。普段会えなくても、頑張っていることが分かれば互いの励みになると思うのだ。 地下鉄動物公園前駅の工事も順調に進んでいるようだ。足に違和感を覚えつつも、坂道を何とか走って下る。広いグリーンベルトの芝生にも道路工事の標識。いよいよ樹木を伐採して道路を広げるのか。その下に1軒だけ残っていた家もとうとう取り壊された。ここ6、7年かかって数百メートルしか進まない道路工事だがようやく急ピッチで進展するのだろうか。 話は変わって、走友会のHPに「宮古島100km遠足」の写真が載っていた。まだスタート前のようで、辺りはまだ暗い。だが、わが美女軍団の面々に全く不安の表情はなかった。M仙人が書いていた文章によれば、5人中4人が無事完走した模様。ふ~む。Y広さんは果たしてどこまで走れたのだろうか。 さて、大崎市のT田さんから送られたメールと写真、M井さんのHPに載った写真で、先日開催された「勝田マラソン」の雰囲気を感じることが出来たが、さらにM仙人の投書で走友達の様子が伝わった。本人は不満足ながら3時間44分19秒でゴールした由。先日185kmの「東京湾一周」を走破したばかりだと言うのに、この元気さはどこから来るのかと不思議でならない。 既に80歳を過ぎたK塚長老が6時間14分で完走されたことも立派の一語。だが、M仙人の書き込みによれば、長老はタイムオーバーしたことをとても残念がっておられた模様。これまで年齢別全国ランキングの1位を保っていたK塚さんにとっては、今回記録として残らなかったことが悔やまれるのだろうか。80歳を過ぎてなお記録に拘るこの執念は凄い。果たして自分が長老の歳まで生きていられるかすら疑問なのだから。 さらにM仙人の投稿で、わが走友会の駅伝グループが大挙「勝田」に参戦したことを知った。前夜は夜遅くまで飲み明かしたようだ。そうか。時代は確実に変わっている。昨年の「県下駅伝」で好記録を出した我らが若きホープ達が、いよいよ本領を発揮し始めたかと感慨にふける。 それにしても、レース後の報告を走友会の掲示板へ書かれる人が少ないのは何故だろう。名前を出すのが恥ずかしいのか、他の人への遠慮なのか、個人情報を気にしているのか。もっと「住吉台走友会」さんや「仙台明走会」さんのように気楽で活発な書き込みがあると嬉しいと思うのは、この爺だけだろうか。 レース後の報告は単なる自慢話とは違うし、たとえリタイヤしても私は決して恥だとは思わない。誰が何時間何分で走ったかもさることながら、それ以上に各人の感想を聞いてみたいのだ。参加していない他のメンバーの参考になると思うからだ。多士済々の我が走友会。折角の情報を埋もれたままにするのは実に惜しい。 M仙人のように勇気ある人がもっと出て来て欲しいと願う。同様に「宮城UMC」の掲示板へも大崎市のT田さんのように、どしどしウルトラマラソンの報告を載せてくれたら嬉しいしとても助かる。きっとそれが他のランナーの参考になり、刺激や励みになり、互いに切磋琢磨して力を伸ばす基になるだろう。「伝えることの意義」はそこにあると思うのだ。
2009.01.29
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先日の日曜日に妻とプチ旅行へ行った。最初の行き先は地元でジョウゲと呼んでる定義如来。仙台市内でも山に近いため、道路の両脇にはかなりの雪。妻は子供の頃から良く行っていたようで、しきりに懐かしがっていた。昨年泉ヶ岳の山麓からハイキングした時は、雨に降られて定義まで行けずに帰って来たのだが。 ここは昔平家の落ち武者が住んでいたところなのだとか。今では結構観光客で賑わっている。お店で名物の油揚げを食べる。製造元の豆腐屋さんで食べると最高なのだが、後になって急に食べたくなり、お寺に近い売店で買うことにした。一応「チン」してもらったが味付けもなく、冷たいところも残っていた。それでもまあまあ美味しかった。 次に向かったのが秋保温泉。初めて通る山越えの道が珍しい。着いたホテルで早速昼食。私達は六花亭弁当にしたのだが、特別料理を追加した何人かは別室へご案内。負け惜しみでもないけど、メタボになるより健康的な食事で十分。温泉は珍しく茶色に濁っている。掛りの人に訊ねたら、湧き出る湯元が幾つかあるとのこと。秋保と言えば透明でサラサラしたお湯だとばかり思っていたのだが、場所によって違うようだ。 大浴場も立派だったが、露天風呂はさらに豪華。夜はそこでかがり火を焚くそうだ。一層風情が出るだろうと想像する。サウナ、水風呂にも入り満足して休憩所に戻る。お腹も満腹の上に体も温まり、畳の上で暫し眠ってしまったようだ。その間に妻が3度目の入浴に行ったと聞いて驚く。どうも妻には「元を取る」みたいな考えが働くのだろうか。 その夜、お年玉つき年賀状の当選状態を確かめる。妻が4枚、私が5枚「切手シート」に当たっていた。翌日郵便局へ引き換えに行くと、妻宛の1枚を返却された。それは何と昨年の年賀状なのだとか。帰宅して妻にそのことを話すと、妻は気づいていた由。一瞬我が耳を疑い、思わず声が高くなる。例え数字が合っていても前年のものなら失格するくらいは常識だろうが、妻はそのことを知らなかったのだとか。 う~む。もしこれが高額な「宝くじ」ならひょっとして犯罪行為になるかもなあ。だが、騙そうとした訳ではなく、単に彼女の無知からだと果たしてどうだろう。先日は訪問先から大量の生ゴミを持ち帰ったホームヘルパーの妻。高齢でゴミ出しが出来ないお宅だったそうだ。まあ夫婦喧嘩に発展しなくて良かったと思うことにしよう。近所の紅梅が、ほんの少しだけほころび出した。そして我が家の裏庭のフキノトウがいつの間にか3つから5つに増えていた。
2009.01.28
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朝青龍のインタビューがあった。この初場所、久しぶりに優勝した翌日のことだ。彼は約束の時間に1時間20分ほど遅刻したようだ。前夜美酒に酔いしれ、とても腫れぼったい目をしていた。白鵬に勝って優勝を決めた土俵上で、思わず両手を広げて喜びを表したことに、異を唱える横綱審議委員会委員もいる一方、中には好意的に受け取った委員もいたようだ。 それは兎も角、場所前には引退を覚悟していたことを記者に語った。ただ、稽古総見の際白鵬に1勝6敗と全く歯が立たなかったことについては、あれでも本人にとっては「何とかやれる」と感じた由。「後何年ぐらいやれそうですか?」追い討ちを掛けるような記者の問いに対しては怒りを露わにした横綱だった。 確かに朝青龍の態度は悪い。日本の国技を背負うには相応しくないと感じる人も多いだろう。だが、マスコミの態度もどうかと思う。しつこい質問をした記者には全くと言って良いほど品格を感じなかった。年末年始の長々と続いた特別番組をはじめ、沢尻エリカ、皇太子妃の雅子様に対するバッシングなど一連の報道は、国民の総白痴化を感じさせられてならない。 まだ30歳にもなっていない朝青龍。あれだけ日本中を敵に廻しながら引退もせずに頑張れたのは、「何クソ!」と奮起した彼のど根性と、怪我さえ治れば十分戦える体が残っていたためだろう。これから先、彼がどんな相撲を取り続けるか注目したいと思う。 日曜日の「大阪国際女子マラソン」は、バス旅行に行っていたため観損ねた。報道によれば、「東京国際女子マラソン」で惨敗した渋井陽子が30km付近から抜け出し、そのまま優勝したとか。確か記録は2時間23分台だったと思う。その渋井と30km周辺まで競り合いながら、今回が初マラソンと経験が全く無かった赤羽がそれでも2位に食い込んだのは立派の一語。記録は確か2時間25分台だったはず。 日本では珍しいママさん選手。家庭と育児に追われながらも、日本の長距離界の第一人者として君臨して来た赤羽。夫君がコーチを務めていることを今回初めて知った。年齢は確か30歳を超えていたように記憶しているがどうだったか。子持ちで30歳を過ぎてからマラソンに初挑戦する選手はこれまで日本では存在しなかった。その勇気ある挑戦に心からの拍手を送りたいと思う。 先日走った「東北ブロック新春マラソン」の記録集が届いた。正式タイムは4時間35分26秒で、手押しのタイムより1秒速かった。さて、60歳代男子の部の29名中私は27位。60代のトップは千葉県から来られた66歳の方で、タイムは何と3時間13分06秒と言うから驚く。さらに驚くのは完走した70代男子選手のうち、私より記録が良かった人が6名中5人も居られることだった。 6名の中で地元選手は1名だけで、後は他県から来られた選手。あの寒さの中でもそんな速さで走れる自信があるからこそ、1月早々にも関わらずわざわざ遠くから参加されたのだろう。タオルと「ランニングハンドブック」が参加賞と言う質素な大会なのだが。 昨年11月に走った「つくばマラソン」のタイム4時間40分07秒(ネット:4時間36分50秒)と今回のタイムにはほとんど差がない。昨年2度の大怪我をして以来、今でも違和感と後遺症が残っている私の足。この状態がこれ以上良くなることは望めないだろう。 だが、今よりは速く走れた過去の栄光にしがみつき、「フルはもう4時間40分でしか走れない」と嘆くか、「いや、自分にはまだ4時間40分台でも走れる力が残っている」と考えるかは自由。私は迷わず後者を選びたい。それだけのスピードが最後まで保てれば、100kmのレースを完走することも決して夢ではない。いや、たとえ完走出来なくても良い。今の自分にとってはそんな状態でもウルトラマラソンへ挑戦し続けることこそが、もっとも大切なように思うのだ。
2009.01.27
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昨夜紹介したピロリ菌の比較による人類の移動ルートの研究だが、一つだけ書き忘れたことがある。それは韓国人と日本人のピロリ菌が極めて良く似ていると言うことだ。日本人の先祖が大昔にアジア大陸などから渡って来たことは誰でも知っていると思う。また、弥生時代になってから稲を携えた人々が日本列島へやって来たことも有名な事実。またそのルートは朝鮮半島経由が大半と言うのが最近の研究結果のようだ。 また、飛鳥時代頃だったと思うのだが、その前後2世紀ほどの間に朝鮮半島から我が国には約200万人が渡来したと言う研究もある。当時の日本列島の人口は1千万人に満たないため、渡来人の占める比率は大変高い。当時の朝鮮半島では高句麗、百済、新羅が絶えず争い、それに中国の派兵もあって大混乱し、我が国へ逃げて来た王族もいるくらいだ。 さて、今日の話題はスピード感について。2、3日前の報道で日本から送り返された中国の毒餃子が、その後河北省の指示により大量に横流しされたことが分かった。経営難に陥った天洋食品を救済するのが目的だったと言う。河北省の国有資産監視委員会が安全と判断し、同委員会の監督下にある複数の国営企業へ現物支給したことにより、中毒患者が数名発生したのが真相らしい。去年の6月のことだ。 その当時、日本での捜査結果と科学的な情報を中国の警察当局に提供しても反応が無く、逆に日本国内で毒物が混入されたと言い張る始末。事件発生後何日かしてから報道陣に工場内の様子を公開したが、私の目にはきれいに「始末」されたと言う風にしか見えなかった。きっと北京オリンピックを目前に控えていたため、中国政府としては世界に影響が及ぶことを怖れたのだろう。報道規制が厳しい国で初動捜査を間違えば、こんな結果になるのはごく当然なのかもしれない。 一方オバマ政権の動きが速い。大統領就任後の初仕事がガザ地区のハマス代表、イスラエル及びイラン政府の首脳へ立て続けに電話を入れたことだった。その後もイラクからの米軍撤退計画の立案とアフガニスタンへの派兵増強計画立案を指示し、グァンダナモ基地(キューバ)内など数箇所にある海兵隊のテロ容疑者収容所を閉鎖するよう指示したと伝えられている。 この基地では水責めなどの拷問をしていたことが報道され、世界の非難を浴びたのだが、釈放された容疑者がタリバンの幹部に復活したこともあって、賛否両論があるとも聞く。一方、中国との外交重視を懸念する日本政府に配慮したのか、知日派の研究者でかつて政府の要職にあったナン氏を次期駐日大使としてつい最近任命した。 これだけ迅速な対応を取る背景には、アメリカでは就任後100日以内に有効な政策を実施出来ない大統領は、選ばれた価値がないと国民から判断されるためのようだ。政治感覚の違いとは言え、何という厳しい判定だろう。十分な政策論争もなく、国会でもめている日本の政治家達に、オバマ大統領の「爪の垢」でも飲ませてやりたい気分だ。ギャラップ社の調査によれば、新大統領の支持率は68%でケネディに続いて戦後2位とか。誰です、「日本の総理と50%も違う!」なんて言ってるのは?
2009.01.26
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朝青龍が優勝した。確か23回目だったと思う。今回は引退してもおかしくない状況に追い込まれていたし、きっと彼も必死の思いで出場を決めたのだろう。事実、開幕後しばらくは調子が上がらなかったようだ。だが形は悪くても白星を挙げたことで、徐々にペースを取り戻して来た感があった。 白鵬が朝青龍よりも先に負けたが、私は白鵬は本割りで勝って優勝決定戦に持ち込み、その決定戦では朝青龍が勝つと予想していた。その理由は意地以外の何者でもない。白鵬はこのところずっと一人で場所を守って来た意地。そして朝青龍はあれだけバッシングを受けながら、数場所ぶりに出場した意地だ。意地と意地とのぶつかり合いは、たまたま朝青龍に軍配が上がっただけの話。これからもきっと面白い戦いが見られるだろう。 利き腕の左肘を傷めた朝青龍は、故国のモンゴルに帰国して治療に専念していたようだ。その第一は温泉治療。朝青龍が経営している温泉もあるらしい。治療の第二は食べ物。モンゴルで800年も昔から傷を治すと言われているのがキジの仲間のホイログと言う鳥の肉。これはとても貴重な鳥で原則として捕獲禁止。でも治療を理由としてなら許されるのだとか。 これが効いたかどうかは分からないが、兎も角朝青龍は優勝した。インタビューに答えて曰く。「ようやく帰って来ました」と。さらに久しぶりに優勝した感想を聞かれて曰く。「日本の横綱なんで」。敵役で横綱審議会委員の内舘牧子さんが心臓弁膜症の手術で入院中の今場所。これまでの鬱憤を晴らすような優勝だった。日本の横綱ならもっと謙虚になって、これからも日本の大相撲を支えて欲しいと思う。 去る23日に種子島から夢を乗せたH2Aロケット15号が打ち上げられた。ここには8つの人工衛星が積まれていた由。宇宙開発のため政府の援助があり、それらの衛星は無料で搭載されたのだとか。その中には東北大学の「雷神」もあったが、これは高層大気の発光現象を観測が目的のもの。 ユニークなのが東大阪宇宙開発協同組合が中心となった「まいど1号」。東大阪には多くの町工場があることで有名らしい。それも精密科学に寄与する本格的なもの。最近ジリ貧になりつつあることを何とかしたいと考えた工場主達が智慧を絞り、企画を練ったのが人工衛星の打ち上げと言うから驚く。大阪府立大学の協力は得たものの、ハンダづけなどを含め部品の製造は自分たちで手がけたとか。その衛星の主目的は雷の観測と言うから、大阪商人らしくて極めて実際的だと思う。 アジアからオセアニアに進出した人類がどんなルートを辿ったかの研究には色んな方法があるようだ。DNAを比較する方法はかなり前から試みられている。今回発表されたのは胃の中に棲むピロリ菌を比較するものと言うからユニーク。アメリカベイラー医大の山田準教授の研究によれば2つのルートがあるとか。 3万7千年前から3万1千年前の氷河期に陸続きとなったため、アジア→オーストラリア→パプアニューギニアと渡った最初のルート。次いで5千年前に台湾→フィリピン→ニューカレドニア→ニュージーランドと渡って来たルートだ。こちらは舟での移動だろうか。これとは別に400もの土着語を分析して解明した研究でも、ほとんど同様の結論が得られたとか。東アフリカで誕生した人類が、こうして太平洋の島々まで到達したのだろう。
2009.01.25
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< 表現する喜びと苦しみ > 私が初めて詩を書いたのは小学生の時、そして小説らしいものを書き短歌を詠んだのが中学生の時だった。退職間際に石川県の山中で勤務したことがあるが、この時は足の故障で走ることが出来なかったため散歩をしながら俳句を作っていた。その数1年間で約2千句。季語の知識も無く全く自己流のものではあったが、十分心の慰めになってくれた。考えてみるとずいぶん長い間、言葉を借りて様々な表現方法を試みて来たことが分かる。 さて、インターネットの楽しさを知ってから早14年になる。最初は掲示板に投稿するだけだったのだが、友人が私のために作ってくれたHPへ日記、エッセー、俳句、評論などを書いていた。前職を退職して以降は日記だけになり、やがてブログへと形を変えた。現在ではほぼ毎日約3千文字ほどの文章を書き、ブログで公開している。 書いたものをブログで公開する意味は何だろう。第一はやはり自分が何かを表現したいからだし、それを他の人にも見てもらいたいからだと思う。公開すれば当然恥を書くことも承知の上だ。自分の年齢を言い訳にしたくはないが、やはり加齢による衰えは隠せない。字を忘れる、言い回しを忘れる、事実を忘れる、毎日がそんなことの連続。 それに教養がないこともバレバレ。それでも毎日文章を書いて公開するのは、第一には楽しいからだし、第二には恥をかく以上に得られることがあると考えるからだ。だが文章を書く楽しみと同時に苦しみもある。何を書くか、どう表現するかと悩みは尽きない。文章を書くことを日課としているのだが、能力の限界を感じることも多い。 私にとって文章を書きそれを人目に曝すと言う行為は、自分の能力への挑戦であり、同時に忍び寄る老化への挑戦でもある。自分が楽しいと感じる事柄、面白いと感じる事柄、関心のある事柄を書いているが、内容が面白くなければいつか読者は去って行くのが道理。だが他人の評価をあまり気にせずに、飽くまでも自分の信念を貫く気持ちが大切だと思っている。 自分が楽しかったことや感動したことがそのまま読者に伝われば嬉しい。そのためにはどんな内容をどう表現すれば良いかと思いを巡らす。呆けて行く頭を何とか振り絞り、どんな構成でどんな言葉を用いるか格闘する日々だ。また公表した文章の中に間違いを後日発見し、慌てて訂正することも良くある。それが舞台裏の姿だ。 日々の暮らしを伝える単なる日記のこともあれば、エッセー風になることも評論風になることもある。また、ひょっこり着想が浮かんでたまには詩を書くこともある。それをブログと言う舞台の上で不特定多数の読者に見てもらう連日の作業。言ってみれば同人誌を一人で発行しているようなものか。 ネタ探しに苦労し、「失語症」やボケと戦いながらも自分なりに表現に心血を注いでいるこの趣味だが、何とか頑張ってこれからも出来るだけ長く継続して行きたいと願っている。内容の乏しい私のブログだが、この機会をお借りして読者の皆様に心からの感謝の意を表したい。これからもどうぞよろしくね~。 ランニング、散歩、自転車、園芸、家庭菜園、プロ野球(東北楽天)観戦、美術鑑賞、歴史研究、詩や文章の作成とブログ。5回にまたがって披露した趣味だが、例え中身は貧相でも私にとってはとても大切な生き甲斐。まだ健康で仕事をし、報酬でそれらの趣味を継続出来るのはとても幸せなことと感謝している。「芸は身を助く」でもないが、豊かな老後を過ごすためにも趣味は大事。まさに一生の友と言えよう。 <完>
2009.01.24
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< 謎を解く楽しみ > 古代史研究を趣味としてから結構長い。古いものが好きになったのは子供の頃に貝塚を見たのがきっかけだろうか。小学生の時分から古書店に出入りして、美術史などの本を見て興奮した記憶がある。私は長く大学図書館に勤務していたせいで、本に関する情報は早く入手することが出来た。歴史関係の図書を収集し始めたのは30歳過ぎの頃だから、もう35年ほど経つ。 転勤で全国を回ったことも歴史研究には大いに役立った。現場を訪れ自分の目で確かめることで、初めて理解出来たことが多かった。例えば縄文時代の遺跡では、青森県の三内丸山遺跡、宮城県の大木囲貝塚、西ノ浜貝塚、里浜貝塚、千葉県の加曾利貝塚、石川県の真脇遺跡、チカモリ遺跡などを、また、弥生時代の遺跡としては佐賀県の吉野ヶ里遺跡を訪れている。 古墳なら宮城県、福島県、奈良県、大阪府、兵庫県、岡山県、島根県、愛媛県、大分県などで見て来たし、奴国王金印が出た福岡県の志賀島、多賀城、平城京、大宰府などの都城も実際に訪れている。国府跡で見たのは陸奥国(宮城)、常陸国(茨城)、伊予国(愛媛)。城郭は北は青森県の弘前城から南は沖縄県の知念城まで70ほどは見ている。各地の主要な神社や博物館も結構訪れ、それぞれの地域の歴史を学ぶことが出来たと思う。 さて読書で新しい知識を得られるのは当然だが、歳を取るにつれて記憶力が薄れて来る。だから読んだ内容を忘れることが増えた。それでも重要だと感じることは案外忘れないものだ。そして何十年も同じテーマを追求していると、徐々に全貌が明らかになる。つまり、若い頃にはまだ理解出来なかったことが、その後の経験と知識の積み重ねのお陰で、長年の謎が解かれる喜びもたまにあるのだ。 歴史の専門家にとっては資料読解の積み重ねが重要だろうし、考古学ならそれに加えて発掘調査での確認が重要なのだろう。ところが歴史学や考古学の勉強を全然していない素人は、基礎的な知識が欠如しているのに加え、どんな本を読むべきかが分からない。つまり当てずっぽうに読んでいるだけの話。そして直ぐに忘れるとなれば、頭に残るものは少ない。それでも歴史研究(私の場合惹かれるのは主に日本古代史なのだが)の面白さは変わらないように思う。 大昔生きていた私達の先祖は、どんな気持ちでどんな暮らしをしていたのだろう。私は時々そんな想像をすることがある。信じられないかも知れないが、そんな時には先祖達の姿が目に浮かぶのだ。古代史はロマンそのもので、まだまだ謎が多い。その謎を少しずつ解いて行くのが歴史研究最大の楽しみでもある。ない頭を絞って考えることが、少しでも若さを保つことに役立つと思うのだが果たしてどうだろうか。 <続く> お断り:本日分の原稿量が意外に増えたため、「文章と詩」「ブログ」については明日書く予定です。
2009.01.23
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< 無心の境地で > プロ野球チーム東北楽天の応援を始めてから4年になる。実際に球場に行って応援したのが1年目は3回だけだったが、2年目に8回、3年目が23回、そして4年目の昨年は合わせて17回に及んだ。3年目からはファンクラブに入り、目下田中投手のレプリカユニフォームを着ながらの応援中だ。 ひいきのチームを応援する効用って一体何だろう。先ず気持ちを若く保てることは間違いない。一心不乱に応援していると、歳のことも忘れる。席はほとんどレフトの自由席。ここを前売りで買うと、料金はわずか1200円で済む。ところがここは「観覧席」と言うよりは応援席。従って楽天が攻撃中(つまり裏のイニング)は、ずっと立ちっ放しでの応援になる。 当然大声を上げる。手拍子もすれば、一部の選手には足踏みや体全体を動かして応援することもある。これは結構しんどい作業だ。だが、我が楽天が点を取った時の盛り上がりは凄いし、ましてや勝利した時の感激は応援席にいる人じゃなければ味わえない高揚感と一体感があるのだ。 私の場合、自宅と球場との往復の手段はほとんどが自転車。片道10kmを必死になってペダルを漕げば、相当の運動量になる。特に帰路は登り坂だからまさにトレーニングの延長と言えよう。時々は若い人とバトル状態になるが、ウルトラランナーは心肺機能が鍛えられているため、ほとんど負けたことがない。さすがに家に着くと疲れが出て、入浴後は直ぐに眠れる。これも効用の一つだろう。 ここまでに書いたランニング、散歩、自転車、プロ野球の応援は運動系の趣味で、すべて体を鍛えることにつながり、健康に役立つと考えている。これに対して精神的なもの、つまり心や気持ちに関係する部分が多い趣味を以下に紹介しよう。 先ずは美術鑑賞。これは私にとって最も静的な趣味だ。ほぼ毎年行くのが仙台のデパートで開催される「河北美術展」。これは主に東北の美術家の作品が出展されると見て良いだろう。この他に妻が出品する2つの美術展を始め、県内外の美術館を訪れることがある。難しい理屈は分からないため、自分の感性に従って鑑賞するのが常。言ってみれば心の栄養補充かも知れない。 次は園芸と家庭菜園。こちらは少々体を使う。春先から畑を耕して春野菜、夏野菜などの種を蒔き、苗を植える。畑は庭の一部なのでさほど広くはないが、智慧を絞って作物を育てる楽しみは格別のものがある。それに収穫の喜びも加わる。園芸と家庭菜園はすべて私の小遣いから費用を捻出しているが、良い作物が実れば妻も喜んでくれるので一石二鳥。夏の終わりには再び畑を耕し、秋野菜と冬野菜に取り組む。 園芸は野菜づくりほどの手間はかからない。狭い庭なのでもう植える場所が無くなったためだ。それでも毎年新しい仲間は増え、貧弱な庭が徐々に賑わって来た。庭や花壇に花が咲けば、妻が部屋に飾っては喜んでいる。季節を感じることが出来る安い楽しみだ。 夏の暑い盛りの雑草取りは結構きつい仕事だが、案外それも私の好きな作業。庭がきれいになるし、土と戯れることで無心になれる。これがストレス解消に大いに役立つ。いや、こんな生活のためほとんどストレスを感じてないのが真実かも知れない。園芸や家庭菜園で生命の不思議さ、逞しさを感じることも再々。まだまだ新発見することが多い。 <続く>
2009.01.22
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口元を歪めた日本の総理が国会で空疎な言葉を放っている間に地中海沿岸のガザ地区では砲火が止みアメリカでは新しい大統領が誕生した信じられるだろうか黒人の父と白人の母から生まれたまだ47歳の青年が大統領になったことを信じられるだろうか父と母はその後別れそれぞれ再婚したために彼には異父母の兄弟が8人もいることを信じられるだろうかアメリカの大統領がフセインというミドルネームを持ち祖母がケニアの貧しい村で暮らしていることを信じられるだろうかそんな訳で彼の親戚が一堂に会すると様々な宗教や文化や言語が飛び交うことを信じられるだろうか青年は貧しい母の元で育てられ奨学金で名門の大学院を修了したことを信じられるだろうか今やファーストレディとなった彼の妻が極貧のスラムで生まれ夫同様奨学金で名門の大学院を修了したことを信じられるだろうか彼にはほとんど目ぼしい実績も無く上院議員さえたった4年しか経験していないことを信じられるだろうかあの格調高い演説の草稿は弱冠27歳の白人の青年が書いていることを信じられるだろうかかつて大統領候補を争った論敵を要職に就けライバルである共和党員さえ閣僚に抜擢したことをそんな数々のエピソードを持つバラク・フセイン・オバマは長い戦いの末に奴隷解放を実現したエイブラハム・リンカーン愛用の聖書に手をかざして母国に対する永遠の忠誠を誓い第44代アメリカ合衆国大統領に就任した信じられるだろうか人口60万人の首都ワシントンに彼の就任式を一目見ようと全国から200万人もの国民が集まって来たことを信じられるだろうか彼が人種の壁、宗教の壁、貧困の壁、差別の壁などありとあらゆる壁を乗り越えて来たことをChange!だが人は今信じるだろうあれほど燃え盛った憎悪の炎は消え去り行く手に希望の星が輝き出したことをYes we can!そしてわたしたちの地球が新しい価値観の下に動き始めたことを yes we can
2009.01.21
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< 走ることって素晴らしい > 走り終わった時のあの清々しさは、他に例えようがないほどだ。1回について30分以上走ると、人間の脳からはアドレナリンやベータエンドロフィンとか言う興奮物質が分泌されるようだ。それが異常な高揚感を生むのだとか。ランナーはその時の気持ち良さを忘れられず、繰り返し走るようになるのだと思う。 ランニングによって得られる効用とは何だろう。簡単なのは足が丈夫になることか。長い間走っているうちに走るために必要な筋肉がつく。そしてそれに代わって脂肪が分解される。有酸素運動の代表であるランニングは、走ることで体内のエネルギーを大量に消費するからだ。従って自然に体重が落ち、体脂肪率が下がる。 また、呼吸数が増えることで気管支の繊毛が活発に動く。そのために肺や気管支に付着した有害物質が、痰と一緒に体外に排出される。最終的には肺もきれいになるだろう。また心肺機能が高まり心臓が強くなる。この結果心臓が普通の人よりも大きくなって脈拍数が減り、血圧も下がる傾向にある。 代謝機能が高まって血糖値が下がるために、メタボリックシンドロームの解消に役立つ。また一般的には骨密度が上がり、骨が丈夫になる。ケースによっては心臓に障害がある人もランニングすることで一定の効果を得られると、雑誌で読んだ記憶がある。 ウォーキングやサイクリングもランニング同様有酸素運動なので同じ効果がある由。私の場合はランよりウォークの距離の方が長い月もあるほどだ。毎日愛犬との散歩を欠かさないし、自転車に乗った距離の40%をウォークとして加えているせいもある。ウォーキングの消費エネルギーはランと同じで、自転車の場合はランの40%に相当するとか。警備員の仕事でも毎日の巡回を累計すれば、月に40kmは歩いているがこれは加えていない。 さて先日観たテレビで、ランニングやウォーキング、日記を書くこと、旅行をすること、簡単な計算をすることなどが認知症の予防にとても良いと言うことを聞いて驚いた。毎日日記を書くことや簡単な計算をすることはそうだろうと思っていたが、まさかランニングなどが認知症の予防に役立つとはビックリ。 そう言えば「ランナーは同じ年齢の人に比べて若い」との感想を良く聞くし、自分でもそう思う。またウルトラレースに参加するのは旅行そのもので、計画も自分で立てる必要がある。当然色んな計算もしなければならない。つまり私達ランナーは全く意識しないうちに、知らず知らず認知症の予防をしていたことになる訳だ。これはとても嬉しいニュースだった。 一方ランニングによる障害はどうだろう。走り過ぎれば足などに故障を起こす。年齢が上がれば、その傾向は一層高まる。加齢と共に関節や筋肉や靭帯などの機能が低下するからだ。また、赤血球数の減少もランナーの特徴だ。走っている時には体重の3倍が足にかかるため、赤血球が破壊されるからだとか聞いた。だからその対策さえ採れば、障害は防げると思う。 ランニングは万能ではないが、注意して取り組めば人生を豊かにし、健康な未来を約束してくれるように思う。適度の運動と十分な休養、それにバランスの良い栄養を心がけたいものだ。これからますます歳を取れば走る距離は短くなるだろう。それでも最後はウォークがある。最後の最後まで何とか自分の足で地上を歩きたいと願っている。 <続く>
2009.01.20
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< 長い距離を走る理由とは > 私の趣味の筆頭はランニングだ。他に趣味として挙げられるものは園芸、歴史研究、プロ野球観戦などだろうか。美術鑑賞もかなり好きな部類だ。趣味ではないが否応なしにしてるのが散歩と自転車。それらは全て仕事の合間にするのだが、毎日結構忙しいと言うのが私の実感。たまに趣味の無い人が定年後暇を持て余し、家でじっとしているなどと聞くことがあるが、私にはとても考えられない。 なぜ趣味に打ち込むのかと問われたら答は簡単、「単に好きだから」だ。元々不器用なので、とても「好きこそものの上手なれ」とは行かないけれど、そのうち少しずつコツらしいものが掴めてくる。フルマラソン以上の距離を走るウルトラマラソンだって最初から出来た訳ではない。ランニングを始めたのは35歳からだが、最初のフルマラソンを走ったのが45歳の時。そして目下の生き甲斐になっているウルトラマラソンを初めて走ったのが50歳の時だった。 ランニングを続けているうちにタバコは止めた。体調も良くなり、いつ風邪を引いたかすっかり忘れてしまった。何しろここ30年以上寝込んだ記憶がないのだ。今では好きなものを好きなだけ食べ、飲みたいだけ飲んでも体重や体脂肪率はほとんど変わらない。永年ウルトラマラソンを目指し続けたせいで、恐らくは無意識のうちに食べる量や飲む量をコントロールして、少しも苦にならなくなったのだろう。そして本来は年齢と共に低下するはずの代謝効率も、依然として良好なのだと思う。 ウルトラマラソンは案外お金がかかるスポーツだ。先ずエントリー料が普通のレースに比べて高いし、遠隔地で開催されるレースの場合は、旅費や宿泊費も必要になる。だがフルマラソン以下のレースと比べて決定的に違うのは、達成感の大きさだろうか。苦しい思いをしただけ、ゴール後の感激は一入なのだ。 まれに周回コースのウルトラマラソンもあるが、変化の多いコースであることもウルトラマラソンの特徴だろう。まさに山あり、谷あり、海あり、川あり。100kmも走れば天候も始終変化する。雨、風、暑さ、寒さ。道端での熱心な応援も受ければ、全くの無人の道で孤独と戦うこともある。10時間走、24時間走などの時間走大会、海抜0mから3000mまで登るなどの登山マラソン、山中がコースのトレイルマラソンなど、種類も実に多彩だ。 こんなレースの話を一般の人にしても、理解を得ることはなかなか容易ではない。例えば200km超級のレースで2昼夜寝ないで走っていると、幻覚や幻聴に襲われることがあるなどと話すと、「ええっ?」と仰天されるのは確実。そして、もしゴール直後に血液検査を受ければ、ドクターに直ちに入院せよと勧告されるのも確実だ。ウルトラはそれだけ身体には過酷なスポーツなのだ。 でも、レースに参加して走っている本人にとっては、単純に楽しいだけのこと。それに人体は実に良く出来ていて、数日すれば即入院状態の体調が再び元のように戻るのだから摩訶不思議。若い時のようなスピードが出なくなっても、ゆっくりと長い距離を走れる中年、老年ランナーは、むしろウルトラマラソン向きとも言える。だからこそ加齢と共にウルトラマラソンにはまる人が多いのだと思う。<続く>
2009.01.19
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宮城UMC掲示板へM仙人が書き込んでくれたお陰で、昨日行われた「宮古島100km遠足」への仲間の参加状況が分かった。我が走友会からはKさん、Y広さん、T脇さん、E名さんの4名と千葉へ転居した旧会員のT野さん。それに宮城UMCの3熟女K村さん、K藤さん、H多さん。合計8名のアマゾネス軍団だった。 昨日の宮古島の天候は最低気温が15度で最高気温は22度の晴れ模様。星峰さんのブログによれば、適当に風があってとても走りやすかったようだ。雲峰師匠の掲示板に「宮古島100km遠足は、ひょっとしたら今年が最後になるかも知れない」と書かれていた。寂しい話だが、海宝さんの事情もあり、止むを得ないのだろうか。 サトウキビの白い穂が風になびく道。風の強い池間大橋。絶景の西平安名岬と東平安名岬。岬の突端にある巨大な風車や灯台。アップダウンの多い坂道と珍しいアダンの実の並木道。昨年走った宮古島の風景をつい思い出す。そんなコースを星峰さんは13時間14分でゴールしたようだ。腰痛や膝痛で苦しんでいる彼女が良く最後まで頑張ったと思う。我が8名のアマゾネス軍団は果たしてどんな結果だったのだろう。 さて、昨夜「オーラの泉」と言う番組を観た。胡散臭いのでいつもは観ないのだが、昨夜は間寛平が出演すると言うのでチャンネルを切り替えた。番組は「アースマラソン」に出発する前に撮られたもので、江原某から寛平の挑戦に対する懸念も表明された。ヨットで海を渡る際、「霊がどうのこうので心配」とか言っていたが、この世界一周の旅ではヨットで航海する海が一番の弱点であることは誰が考えても明らかだろう。 寛平が走り始めたきっかけが、自分がイカンガーになって瀬古とレースで競った夢を見てからと言う話は面白かった。そして驚くことには、夢を見た翌日からタバコを止めて、早速走り始めた由。高校時代に野球をしていた彼は、先輩からバツとして良く走らせられたようだが、そんなこともランニングの素養を培ったのだろう。 若い時分「もし青梅マラソンを3時間以内で完走したら給料を倍にする」と言われ見事2時間20分で完走した話は有名だが、吉本の社長は寛平だけでなく当時の芸人全員の給料を上げてくれたそうだ。また、連日朝まで飲んだり、友人の保証人になって莫大な借金を作ったりしたそうだが、その借金を返済出来たのは当時のマネージャーだった比企さんのお陰。今回の「アースマラソン」の企画も全て彼が立案してくれたのだとか。まさに縁とは不思議なものだ。 さて、後輩のさんまのスターターで昨年12月17日に大阪の「なんばグランド花月」を出発し千葉の鴨川港までランニングした彼だが、今年の元旦に同港をヨットで出航し、時化のため3日千葉県内の港から再スタートしたようだ。現在は太平洋をロサンゼルスへ向かっている途中で、テレビには比企さんと2人ヨットを操縦する姿が写っていた。 その後のコースだが、ロスからニューヨークまでは北アメリカ大陸を横断してのラン。そして大西洋をヨットでポルトガルのリスボンへ。リスボンから地球上で最も大きいユーラシア大陸を一路中国の青島(チンタオ)まで気の遠くなるようなランニング。東シナ海をヨットで横断して鹿児島まで。そして大阪までは最後のラン。実に壮大な旅路だ。 江原某いわく。「今回のアースマラソンは延暦寺の「千日回峰」に似てる」と。走る距離もかかる日数もあまり変わらないらしい。ウルトラマラソンがある意味で修行に似てることについては、私自身もずいぶん前から気づいていた。だから江原某もそれくらいの知識は仕入れていたのだと思う。 大変なのは裏方の比企さん。例えば寛平がリスボンからチンタオ目指して走っている間に、ヨットをチンタオまで陸送して修理しておくのだそうだ。また、「24時間テレビ」で芸能人が100km走る時のトレーナーをしている宮本某が今回も陰で色々と協力し、寛平の様子を毎月ランナーズ誌上で紹介するとか。やはり偉業を達成するために色んな人の協力が必要なのは、当然のことと思うのだ。
2009.01.18
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今朝も道路は全面凍結状態で、家の階段も凍っていた。どうやら昨夜降った雪が一旦融け、朝方の寒さで凍結したようだ。転ばないよう細心の注意を払って愛犬と朝の散歩。先日は凍って水が出なかった屋外栓が今日は使えた。凍結防止装置がついているためこれまで一度も凍ったことは無かったのだが、最近の寒さはやはり異常だったのだろう。妻も用心して今日はバスで仕事へ行った。その寒さも明日辺りから緩むとの予報。 最近一日一食は餅。理由はお正月の「お供え」が大量にあるためだ。先ず職場の神棚に供えてあった大きな鏡餅。これは上等で十分食べ応えがあった。この他に小さいのがまだ8個も残っている。我が家の1個の他は全てホームヘルパーをしている妻が戴いて来たもの。本来「戴き物」は禁止されているのだが、老人達が堅いプラスチックに覆われた鏡餅を捨てるに捨てられないでいるため、止む無く持ち帰るとか。妻は食べず、結局私が一手に引き受けることになる。 先日観たテレビの番組で、いずれ九州や四国では桜が咲かなくなる日が来ると話していた。ご存知のように桜は冬の期間に寒さを感じないと咲かない植物だ。だがこのところ温暖化が進んだため、冬でも暖かい地方が出て来ているとか。日本のシンボルである桜が咲かないなどと言うのは、相当の異常事態だと思うのだがどうだろう。 一方、沖縄県久米島の方のブログによれば、久米島ではもう桜が咲いている由。沖縄の桜は台湾原産の緋寒桜(ヒカンザクラ)。本土のヒガンザクラ(彼岸桜)と区別するため、「寒緋桜」(カンヒザクラ)と言い換えるのが普通。これもソメイヨシノなど本土の桜同様に、一旦寒さを感じないと開花しない性質を持っている。そのため沖縄で最も早く咲くのは、沖縄本島の北部に在る標高453mの八重岳(やえだけ)の頂上部からなのだ。ここでは毎年1月15日から桜祭りが開かれているが、年によっては前年の12月中に咲き出すこともあると言うから、日本で一番早く(遅く?)桜が見られることになる。 その沖縄県宮古島では、今日海宝さんの主催する「宮古島遠足100km」が行われている。ネットの走友である高松のTANさん、東京の星峰さんらが既にこの時間は走っているはず。星峰さんのブログによれば、仙台から8名の女性ランナーが参加してる由。Y広さんが行くことは聞いたが、残りの7名は誰なのだろう。今日の宮古島は結構暑いらしい。皆暑さに負けずに島を一巡りし、無事ゴールして欲しいと思う。 先日覗いた雲峰師匠の掲示板によれば、3月に行われる「八丈島一周」には師匠も参加予定とのこと。これでまた楽しみが増えた。仲間と共に走る南の島は楽しいだろうなあ。また掲示板には、先日の「東京湾一周」185kmの初日に、M仙人が転んで怪我をし、眼鏡も壊れたとも書かれてあった。早速新しいフレームを購入してそのまま最後まで走ったと言う70歳間近のM仙人のファイトぶりには頭が下がる。畏るべしウルトラランナーの仲間達。
2009.01.17
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昨夜は目覚ましもかけず、8時間半以上眠った。いつもより1時間以上遅い起床で、空も少し明るくなっていた。いつものように愛犬と朝の散歩。交通量の多い道路には融雪剤が撒かれている。もうこれで4日連続だと思う。愛犬との散歩道は凍っている箇所があるので要注意だ。 今日は警備員の現任教育と言う研修があるためマウンテンバイクで出勤。道路の凍結状況を確かめながら慎重にペダルを踏む。いつも大型犬を連れて散歩をしてるお爺さんが、先日会った時に凍った道で転び骨折したと話していた。普段は大人しいゴールデンレトリバーなのだが、急にネコを追っかけたのが原因とか。片道10kmを約45分で到着。 研修会場で出席簿に記名捺印の後、時間に余裕があったためしばし読書。色んな現場から集まった警備員仲間は21名だった。講義前に先ず講師から、青色灯と犯罪抑制効果に関する最近の研究について説明。ほとんど因果関係は認められないが、「防犯には青色灯」と言うイメージが定着しつつあることからの効果はある由。 次いで今年の5月21日から開始される「裁判員制度」に関する説明。我が社の社員で候補者としての通知があった人はいなかったようだが、もし選ばれれば日当は1日8千円以内で交通費も支給される由。また現職の人が気兼ねなく裁判所に行けるよう、極力有給休暇を与える制度を確立してほしい旨、当該の事業所宛に依頼が来るようだ。 以後、テキストに基づき「警備業法」の解釈(基本原則、警備業の要件)、鍵の取り扱い、事故発生時の措置などについての講義。休憩時間を利用しての写真撮影(3年に1度撮り直し=警察も確認する由)。ビル火災への対応(ビデオ)。ごく短いビデオを見て犯人の特徴などを警察に通報する実習。犯罪に使用される凶器の例示。三角巾の使い方実習。AEDを用いた心肺蘇生法の実習などがあった。 この警備員の現任教育は、法律によって半年に1度必ず受講すべしと定められていることに基づくもの。確か少し前に仙台で、資格の無い人を警備員として派遣した人材派遣会社が法令違反で摘発された事件があったのは記憶に新しいところ。いつもながら最後まで緊張の連続だったが、無事終了してやれやれ。夕方の愛犬の散歩は妻が代行してくれたようで助かった。 話は変わって大相撲の初場所。朝青龍が引退に追い込まれそうな場所前の空気だったが、何と彼は白鵬と並んで全勝街道を突っ走り、逆に話題の新大関日馬富士がまだ1勝しか挙げてないと言う意外な展開になっている。元々強い横綱なので、やはり追い込まれたら実力を発揮すると言うことだろうか。
2009.01.16
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このところ仙台では寒い日が続いている。今日も朝から小雪がちらつき、現場のビルで巡回の時も立哨中も、気温はずっと零下だった。実はブログを書いている自分の部屋も寒い。足はコタツに入っているから良いが、手が冷たい。そのため薄手の手袋をして日記を書いている。そのパソコンが最近は不調。出来れば後1年は持って欲しいところなのだが。 昨日はどんと祭があった。地方によっては「とんど」とも「松焚き祭」とも言うようだ。お正月の飾りを神社の境内で燃やし、その火に当たると一年中健康で居られると信じられている年中行事。この日仙台では大崎八幡神社などで「裸参り」が行われる。上半身裸の男達が勇ましく神社にお参りするのだが、きっと相当寒かったはず。 私は近所の神社に松飾りなどを持参した。神社が近くなるにつれ、燃えた滓が空を飛んで来る。そして松やわらの焼ける独特の匂いも。懐かしいこの匂い。昔の農家は落ちた杉の葉やわらが燃料だったから、こんな匂いがしていたものだ。燃やすよう依頼されて妻が松飾りを持ち帰ったため、結局愛犬と2度神社に行くことになった。境内には寒そうに咲いているフユザクラも。 昨日は久しぶりに山越えの帰宅ラン。日陰の坂道は相変わらず凍っているが、その上に新雪が少し積もっているため滑ることはない。先日の初レースでクッションの利くシューズの底が磨り減ってしまった。止む無く古いシューズに切り替えてみたが、底が固いせいかどうも足が痛い。この痛みを我慢すべきか、それとも早く新しいシューズを買うべきか。 週初め、3月の予定レース「八丈島一周」の飛行機のチケットを、ツーリストで受け取った。そのこともあって財布がすっからかん。寒いのは気温だけではない。だから新しいシューズを買うのは、今月の給料が出てからになる。それにパソコンが不調になって買い換えれば、最低2回分のウルトラマラソンを我慢するしかなくなる。何とか今年いっぱい動いて欲しいのはそのため。来年はレースを減らそうと思う。 さて、今年の初レースの「東北ブロック新春マラソン」だが、帰宅してプログラムを良く見たら、フルにH口さんの名前があった。M井さんのHPによれば彼女も無事完走したみたい。そしてハーフには明走会のM井会長の他、山形勤務時代の走友であるS田さんの名前を見つけた。S田さんとは「長井マラソン」などを一緒に走ったっけ。 そうそう。新春マラソンの際、松の木に食べ物や飲み物を入れたビニール袋が吊るしてあるのを見つけた。偶然ゴール後に話を聞き、あれは「一関楽走会」メンバーのアイデアだと知った。地面に置くと屈んだ時に筋肉を傷める可能性があることを怖れたようだ。手が届くちょうど良い高さ、袋の口が大きく開いているため簡単に中の物が取れる工夫。ひょっとしたらあれで好記録が出たかもね。 今の私にとってフルを走るのは、ウルトラマラソンのための単なる練習台に過ぎない。だからタイムは度外視し、誰かと競う気持ちも全くない。フルの距離をある程度のペースで最後までしっかり走ることが出来れば、必ずウルトラの完走につながると思うのだ。春はまだまだ遠いけど、確実に日一日と近づいていることを信じよう。
2009.01.15
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< 鉄人達の新年会 > 強風に負けないよう思いっきりペダルを踏んだ途端に痙攣が。これはいけない。レース中にも起きなかった痙攣がこんなところで起きたら帰れなくなる。でも私が進むべき道は、この堤防しかないのだ。実は前回も全く同じ状況になり、慌てて堤防から降りて別の道を探しながら帰ったのだが、何度か道に迷って帰宅が遅れたことがあった。今は風に耐えてペダルを踏むのがトレーニングの一環。心にそう言い聞かせる。 レースは4時間35分余りだったが、完走出来て安心した。もし途中で足に痛みが出たり、走るのが苦しくなるようではとてもウルトラへの参加は無理。例えこんなペースでも最後まで行ければ、多分100kmを14時間以内では走れるはず。これで3月の「八丈島一周」が楽しみになった。距離は62km。果たして南の島にどんな風景が待っているか。 15kmほどの距離を1時間20分ほどかかって帰宅。家の近所まで来ると全然風が無い。ようやく風が治まったのか、それともこの辺ではさほど強い風が吹かなかったのか。急いで着替えを済ませ、荷物を片付ける。夕方6時までJunさんが泊まっている施設へ行くためだ。そしてO川さんも交え、今夜は3人で新年会の予定。 待ち合わせ場所にはずいぶん早く着いたため、テレビで大相撲観戦。話題沸騰中の朝青龍が逆転勝利して、初日を白星で飾った。6時前3人が揃い、O川さん推薦の居酒屋へ。JunさんにO川さんを紹介して早速ビールで乾杯。Junさんに会ったのは6月の「いわて銀河」以来のこと。4月の終わりから5月の初めに彼は522kmの「川の道」を完走している。私はそのお祝いも込めて乾杯をした。 3人の鉄人の話題はどうしてもウルトラマラソンが中心になる。三国峠で熊と遭遇した「川の道」の話。第2回の「いわて銀河」でも20km付近で熊がコースを横切った話。私が初めてJunさんと出会った「佐渡島一周」の話。その佐渡で夜中に走ってる途中、Junさんが女性の幽霊に会った話。「あれは単にタクシーがないから歩いていただけじゃないの」と私。彼の直ぐ後から歩いていた私も、実はその「幽霊」に遭遇しているのだ。 日頃から疑問に思っていたことを単刀直入にJunさんに訊ねた。彼の返答は私の予想した通りだった。出来れば彼の住む町にある「大湯ストーンサークル」を見たいと言うと、家の直ぐ近くでいつも走ってるところなのだとか。そうだったのか。だがそんな取り止めの無い話の後に、驚くべき言葉が彼の口から飛び出した。 何とJunさんは、今年の夏中国に赴任することが決定しているのだとか。そのため今年も何とか「川の道」に挑戦したいと彼は言う。次に私が彼に会えるのは「いわて銀河」。そしてそれがお別れだ。赴任期間は5年ぐらいの由。私はもう70歳になっている。息子ほどの年齢の彼とは、後どれくらいウルトラレースを共に出来るかなどと考えていたが、その目論見はあっさりと破れたようだ。 「中国に行ってもブログは続けますよ」。Junさんは温和な顔でそう話した。そうか。それなら互いの消息はネットで確かめられるはず。彼と知り合った「佐渡島一周」では、彼が苦しみながらレースを続ける光景を2回とも目の当たりにしている。本当に不思議な縁だった。 居酒屋を出て、O川さん推薦のラーメン屋へ向かう。ここで私は塩ラーメンの大盛りを注文した。日中のレースで塩分を失った体に、美味なラーメンが染み渡る。最後は3人で握手をしてお別れ。Junさん、わざわざ遠くからレースと新年会に来てくれて有難う そしてO川さん、いつも変わらぬ友情を有難う 帰宅後直ぐ、ブログにこの日の簡単な報告を書いた。そしてそのまま、こたつで一寝入りしたようだ。きっとマラソンの疲れもあって、かなり酔っ払っていたのだと思う。翌日確かめるといつもとは様子が異なる文章。それもまた良し。こうして今年の初レースは無事に終了したのだった。 <完>
2009.01.14
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< 暴風警報発令下のレース > 先ず850mほどコースを逆走。そして折り返し点からゴールラインに戻って来る。これで半端な2.195kmを走り終え、後は1周4kmの周回コースを反時計回りに10周するとフルマラソンの距離になる。1時間前にアーリースタートしたフルの選手の目印は、肩のたすきだ。 本部前を通過。ゴール地点の先にあるのがエードステーション(以下AS)。私の荷物はその中間地点に置いてある。ASを過ぎて暫く走ると急に視界が広がる。実はそこが風が吹き抜ける一番寒い場所。蔵王颪(おろし)の冷たい風が容赦なく体温を奪う。この日の最高気温は3度との予報だが、東部仙台地方には暴風警報が出ていて、体感温度は0度以下だろう。松林の中に入ると風が遮られるせいで、幾分暖かい。 仙台鉄人会のF田さんが後ろから抜いて行った。68歳の彼とコース上で会えたのはその時だけ。300mの差は最後まで縮まらなかった。さすが仙台国際ハーフマラソンに出場し続けたランナーは違う。1周目を走り終え、胸のナンバーカードの「1」の字をちぎる。これが9までちぎって1周すればようやくゴール。単調な戦いだ。1周走って体が温まったためウインドブレーカーと帽子を脱ぎ、手袋も1枚だけにした。 何周かするうちに速いランナーにどんどん抜かれる。一緒にハーフや10kmの選手も走っているため区別が判然としないのだが、あまり気にする必要はない。2周目までは水が入ったペットボトルを持ち、3周目にスポーツドリンクに切り替える。5周目を走り終え初めてASに寄ってバナナとビスケットを食べた。走った距離は22.195kmで、タイムは2時間20分ほど。秋田のJunさんには既に2回抜かれた。 風が通り抜ける地点。広浦の湖水が強風で繰り返し岸に打ち付けられている。遥か彼方の蔵王連峰はすっかり雪雲に隠れてしまって見えない。結局最後まで強風は治まらなかった。5km、10km、ハーフの大部分の選手が走り終えるとコースが空いて、急に寂しくなる。 あっという間に追い越して行ったハーフのH郷さん、明走会のAさんは、既にレースを終えたようだ。また、大崎グループとコース上で出会えたのは1回だけだった。そんな時にK村女史が歩くような速さで走っているのを発見。「足が痛いの」と彼女。レース後にプログラムを見たらエントリーはハーフの部。かなり辛い感じで気の毒だった。 後半もJunさんに1回抜かれたが、彼のゴールシーンを偶然見ることが出来た。タイムは3時間9分を切ったと思う。お正月には「腰が抜け」てコルセットをしていた彼。体調不良と練習不足なのにこのタイムは凄い。O川さんにも1回抜かれたが、その際Y田さんがアーリースタートしたことを聞いた。う~ん、会えなくて残念。 9周目を走っている途中、歩いている10周目のH景さん発見。昨年の「秋田内陸」では、プログラムで名前を見つけたのに私の姿がなかったため心配していたそうだ。長年秋田で一緒だった走友は有難いものだ。ナンバーカードの「9」をちぎって最後の1周。寒さに耐えて最後まで走れたことに感謝。4時間35分27秒の戦いは終わった。コンピュータの不調で、記録は後日送付とのこと。 センターの階段前で素早く着替えを済ませ、遅い昼食を摂る。目の前を通り過ぎるトライアスリートのT橋さん。彼女はもう1周残っているみたい。それを見届ける間もなく帰途に就く。本当に大変なのはこれからだ。荷台にバッグをくくりつけペダルを踏み出す。「これはマラソンよりも疲れるよ」。思わず飛び出した私の言葉に、周囲のランナーが振り返って笑った。名取川の堤防上は向かい風。諦めた老人が自転車を押して歩き出す。<続く>
2009.01.13
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< さ~て困った > 地下鉄を降りて広瀬橋を渡る。急いでバス停に向かっているとバスがやって来た。行く先は「ゆり上」。うひゃ~、何と言う偶然。私が乗ろうとしていたバスだった。だが距離が遠過ぎる。停留所の方向にバスが左折。それをスポーツバックを肩に掛けた私が必死に追う。タイミング良く乗客が1人降りようとしてバスが停まっていた。だが私がそこまで着く前に、バスは無情にも発車した。あちゃ~。 慌てて時刻表を眺める。何と次のバスが来るまで1時間もある。それだとスタートに間に合わないし、第一体が冷えてしまう。昔は相当の本数があったのだが、今では1時間に1本。すっかり乗客が減ってしまったのだろう。それはともかく、さて、どうやって会場まで行くか。タクシーで行けば4千円は取られるだろう。地下鉄で最寄のJRまで行き、名取市からバスに乗るか。でも都合の良いバスが果たして出ているかどうか。 迷った挙句に自転車を預けた地下鉄の駅まで戻り、ママチャリで会場を目指す方法を選んだ。実は自転車で行くのは今回で2回目。前回の時は北風ですっかり体が冷えてしまい、半分の距離だけ走って帰って来た苦い思い出がある。だからそれだけは避けたかったのだが、他に取るべき道はない。こうなったのも事前にバスの時間をちゃんと調べてなかった自分が悪いのだ。 名取川の堤防で必死にペダルを漕ぐ。意外に風の抵抗がない。それにそんなに寒くも感じなかった。前回に懲りて今日は厚着をして来たせいだ。楽なのはきっと風を背に受けているからだろう。ゆり上の海岸では名物の朝市が開かれていた。スタート時間の30分前に無事到着。急いで受付に行きゼッケンナンバーなどを受け取る。 サイクルスポーツセンターのメイン階段の最前列にバッグを置き、早速走る準備。既に膝などにはテーピングを済ませ、ロングタイツも履いている。長袖Tシャツの上からゼッケンを付けた「宮城UMC」の半袖Tシャツを重ね着し、さらに薄手のウインドブレーカーを羽織る。帽子は「立山登山マラニック」参加賞。手袋は毛糸製の上に別なのを二重に。これくらいじゃないと海辺のコースは寒いのだ。 ようやく身支度を整えてコースに出る。目の前を秋田のJunさんが通る。「Junさん」と呼びかけても振り返らない。今度は彼の本名を呼んでみた。それでも遠ざかる彼。別人かと近づいて顔を覗くと、やはりJunさんだった。耳にイヤホンを差し込んで音楽を聴き、リラックスしていたようだ。これで一安心。彼と無事会えた。今夜は予定通り新年会を開くことを伝えて堅い握手。 スタート地点が変わったようだ。コースは1周4kmの周回で、前回は2km以上先まで歩きそこからスタートしたのだが。仲間のO川さんとも直ぐに会えた。彼にも今夜の集合時間と場所を伝えた。同じ走友会の若手スプリンター3人衆とも遭遇。A部さん、D堂Jr、そして最近入会したH郷さん。大崎市の4人衆とも挨拶。早速T田氏が得意のカメラで記念撮影してくれた。 O川さんの話しによれば、M井さんはアーリースタートしたみたい。その時、力走する彼が偶然目の前を通りかかった。額には大量の汗。急いで今夜の集合場所を伝えたら、急用が出来たみたいで参加出来なくなった由。残念だが仕方がない。受付でもらったプログラムを見る余裕も無く、午前10時ちょうどにフル、ハーフ、10km、5kmの部が一斉スタートした。 <続く>
2009.01.12
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強い風が吹く中、今日は「東北ブロック新春マラソン」を完走して来ました。タイムは決して速くはありませんが、それでも4時間35分27秒で走り通すことが出来ました。感謝です♪完走記は明日以降に書きたいと思っています、どうぞよろしくね~!!ああ疲れた。夜は秋田のJunさんを囲んで新年会を行いました。
2009.01.11
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テレビの天気予報では関東地方に雪が降ったと言う。昨日のことだ。だが、それよりもずっと北にある仙台は昨夜半から大雨になった。今朝は愛犬の散歩を催促する声で目覚めた。玄関の扉を開けると雨は既に止んでいる。畑や庭の木々にとってはちょうど良いお湿りになったはず。散歩に出かけると空は雨雲。高い山には少し白いものが見えた。どうやら雪のところもあったみたいだ。 さて、どっちが正しかったのか。昨日まであった2通の電話のことだ。私はてっきり次男だとばかり思っていたのだが、妻は「オレオレ詐欺」だと喝破していた。私が息子だと信じたのは、彼が自分の名前を名乗り、実家の電話を知っていたこと。その声の調子と話し方も良く似ていたし、帰省中に寒い仙台で風邪を引いた状況もぴったり。何も疑う要素がなかったからだ。 いや、少し疑ったのは普段「親父」と私に呼びかけるところが「お父さん」で、「風邪を引いたの?」と聞いた時にわざとらしい咳をしたことぐらいか。だから興奮した妻から「あれは息子とは違う」と聞かされてもどっちが本当かと思い、ひょっとしたら息子もオレオレの仲間なのではなどと、疑念まで抱いていたのだ。 今日直接息子と連絡が取れたことで、あれがやはりオレオレだったことが判明した。次男の携帯電話はまだ生きていたし、風邪もさほど酷いものではなかった。それに「お金は振り込まないで良いよ」と、当然の話でも嬉しい表明。そうすると何故犯人達が息子の名前や自宅の電話番号を知っていたかが問題だ。ひょっとして卒業校の同窓会名簿が出回っているのだろうか。ともあれ、懸念の一つが解決して良かった。 2つ目の懸念は秋田の走友のこと。年末から風邪を引き、腰の調子も良くなかったようだ。きっと日頃の疲労も溜まっていたに違いない。そんな彼が雪道でも走り続け、年越しランも決行したのを知り、とても心配していた。実は彼とは明日のレース「東北ブロック新春マラソン」で一緒に走ることを約束し、レース後の夕刻からは新年会をする話をしていたからだ。天気予報によれば秋田は連日雪。今回の低気圧通過でも大雪が降るようで、それも心配の種だった。 だが、今朝彼のブログをチェックしたら、調子は万全ではないもののマラソンには出ると書いてあった。これで心配は少しだけ減った。今頃きっとこちらへ移動中だろう。今日の仙台は風が強いものの、青空が顔を覗かせるまでに回復した。明日は結構気温が低いようだ。海沿いのコースなので風が強く、とても寒く感じるはず。気合を入れて走ることにしよう。さて、そろそろマラソンの準備でもしておこうか。
2009.01.10
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前の町内会長が亡くなられお通夜へ行った。祭壇に飾られた遺影がとてもにこやか。何年前の写真なのか、頬がふっくらして若々しかった。私達がここへ家を建てて丸11年。写真の頃には、まだお目にかかってないと思う。思い出の写真が何枚か写し出された中に、息子さんがまだ子供だった頃のもあった。「家の歴史」を感じさせられた一時だった。 導師の経文を読む声や声明(しょうみょう)が心に沁みた。さらに素晴らしかったのは法話。人間に戒名が必要な理由や、日本が先の大戦で敗戦国になった時、当時のセイロンは国民の多くが仏教に帰依していると言う理由で、賠償金の受け取りを要求しなかった話などを、とても優しい口ぶりで話してくれた。あんな和尚様ならお寺で法話を聞いても良いと感じた。 だが、その後スリランカに名前を変えたあの国では、ヒンズー教徒のタミル族が仏教徒のシンハリ族からの分離独立を要求して約20年間に及ぶ暴動が起き、インド軍も鎮圧に加わって混乱した苦い過去が在る。多神教の温和な国が力で他民族を抑える事例としては、日本が近隣諸国に被害を与えた歴史を上げるまでもないだろう。 ごく最近生じたイスラエル軍によるガザ地区への攻撃は容赦が無かった。パレスチナのハマスの攻撃で1人の命が奪われたのに対し、イスラエル軍が奪った命は既に650人以上。犠牲者には全く罪の無い子供達や一般市民が数多く含まれていたとか。ユダヤ教とイスラム教の戦いは、どちらが正義であるか決着つくまで治まることはない。共に風土厳しい砂漠地帯で興った一神教の宿命だろうか。 厳しいと言えば「年越し派遣村」のニュースも実に悲惨だった。不景気を理由に解雇された非正規社員の数が急増し、仙台でもホームレスの人が増えているとか。中には好きで派遣社員になった若者もいるだろうが、こうしてみると、大量の非正規社員を景気の安全弁として確保する社会体制はやはり正常ではないし、2兆円のバラマキは無駄遣いとしか思えない。 そんな折、東京の次男から電話があった。携帯電話をトイレに落としたので番号が変わった由。確かに次男の名前だし、声もそのように聞こえた。だが凄い風邪声なので「それでは振り込み詐欺でも分からないね」と冗談を言って電話を切った。貧乏暮らしの我が息子達がとても心配だ。 ところが今日は妻に再び電話があり、「何故携帯から電話をくれないのか」と先方に詰問された由。良く確かめながら聞いていた妻は、「その声は違う」と言ったら、突然ガシャと電話が切れたとか。明日は「本物」の次男に電話して、事実を確認することになった。 さて「生きる」とは一体何だろう。何故人間は殺し合い、多くの嘘をつくのだろう。
2009.01.09
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冬になると思い出すシェリの詩の一節「冬来たりなば 春遠からじ」そして「春風や闘志抱きて丘に立つ」という虚子の句も「春風」は「はるかぜ」ではなく「しゅんぷう」新春のまだ冷たい風だ昨年末届いたシンガポールの走友Iさんからのメールには「亜熱帯のハーフマラソンを汗びしょになって完走した」と目下スペインで修行中のM青年のブログには「田舎の教会でギターを演奏していると指先がかじかむ」と年末から年始にかけて熊野古道を辿ったという東京の走友苔むした信仰の道を夫婦で歩けて良かったねCさん凍てついた雪道を年越しランした秋田の走友は今腰痛に苦しみ コルセットをしてるのだとか若いからと言ってあまり無理しちゃ駄目だよJさん時々冬日が差し込む室内でシンビジュームは古株から幾つかの花芽を伸ばし二鉢のシクラメンはそれぞれ赤と白の花を咲かせ暮れに買い求めた万両は今 零れるほどの実をつけている一方静謐な庭先には薄紅の花弁を散らしている山茶花や儚げに白い花を半開させた侘助椿やたくさんの蕾を膨らませ出番を待っている藪椿やほとんど色が薄れたムラサキシキブの実そして芝生では黒犬が惰眠を貪り裏庭には三つのフキノトウ妻は今日も風邪薬と神経痛の薬と胃腸薬とを飲んで仕事へ行った俺は今年も神経痛と腱鞘炎に苦しむ偏平足のこの二本の脚でいろんな道を走り続けたいと願う極寒の道熱射の道磯の香の道険しい山道今は厳しい冬の季節だからこそ待たれる穏やかな春の日差し
2009.01.08
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第1現場の遅番担当の同僚が、今月から勤務に復帰した。約1ヶ月に及んだ彼の休暇。きっと有給休暇もなくなり、欠勤扱いになったと思う。私と同い年の同僚は、昨年の12月初旬に胸の痛みを訴えて入院したのだ。かなり体調は戻ったようだが、医者からはタバコを止めるように厳命されたようだ。 確かタバコには300種類ほどの毒ガス成分が含まれているとか。血管を収縮させ、もろくするタバコの害。もちろん肺がんの第一の原因でもある。彼の場合は心臓に悪い影響があったのだろう。私はタバコを止めてからもう23年経つ。さらにランニングを続けているせいで、体調もすこぶる良好だ。長生きしようとするなら絶対にタバコは止めてランニングの習慣を持つことを勧めたい。 これまでに何度か書いている寛平のアースマラソンだが、3万6千kmをたった一人で走るわけではないと思うのだがどうだろう。きっと陸上ではサポートカーが付き添い、海上でも彼を助ける人がヨットに乗っているように思える。それは別として、海の上では走れずに足が弱るため、ロサンゼルスに着いたら先ず歩くことから始めるらしい。 宇宙船の場合も無重力状態で宙に浮いているために、骨が弱くなるとか。人間は地に足を着けていないと新しい骨が形成されないとも聞く。だから病気で伏せればどんどん骨からカルシウム分が失われ、弱ってしまうのだろう。結局健康と長生きの秘訣は、歳を取ってからも歩いたり走ったりすることにあるようだ。 「精力的な動静に感服しています。東海岸へのチャレンジ計画待っています。あそこ、西海岸よりきついですよ。綿密な計画が必要です」。沖縄勤務時代の部下からの年賀状には、私が11月に予定している沖縄本島東海岸縦断を危惧する言葉が書き込まれていた。だが私はさほど心配していない。今回走れるのは北端の辺戸岬から、せいぜい120から130kmくらいだろうと考えているからだ。 おそらく走れても沖縄市か、北中城村くらいまで。そこから知念半島を一周して摩文仁平和祈念公園まではどうもがいても無理。去年走ってない本部半島とセットにして来年に残すのもまた一興。きっと楽しいだろうね。だがそれより沖縄本島最北部ヤンバルでの坂道対策と食糧入手、より安いホテルの確保の方が先決だ。 いやいやもっと重要なのは、私が休暇を取るためにどうしても同僚に元気になってもらうことだ。何故なら彼が多分私の代務に就くはずだから。実は3月に予定している「八丈島一周」も警備員としての研修日とぶつかっている。レースで気持ち良く走るためには、先ずそれらの問題をクリヤーしないといけない。う~ん、さて一体どうなるか。
2009.01.07
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9連休の年末年始ではずいぶん睡眠時間が取れた。このうち走れたのはたった2日間だったが、暴飲暴食をしなかったせいか体重も体脂肪率もほとんど変わらずに済んだ。これもひとえに、ウルトラランナーとして耐乏生活に慣れているせいだと思う。 「A HAPPY NEW YEAR 今年で58歳。勤めていれば定年前で第二の人生に思いを馳せる頃だ。しかし皮肉なことに、私は生死のかかった戦争の真っ只中だ。ふと少し休みたいと思う時がある。最近、少し韓国の歴史ドラマにはまっている。政権交代のたまものか、国家権力のタブーも、個々人の深い葛藤も赤裸々に描いている。学ぶこと多し!」 これは徳島勤務時代の知人であるSさんから届いた年賀状。さる書店勤めを辞し、自分で古書店を開いてからかれこれ15年になるだろうか。古本屋さんCD屋さんなどが全国チェーンで展開する中で、きっと彼の店は苦戦を強いられているのだと思う。それでも心は自由そのもの。不安と戦う中での彼の精神構造が読み取れるような気がしている。 沖縄の走友Hさんからは、NAHAマラソンを24回連続で完走した旨の年賀状が届いた。今年は25回の記念大会だから是非来いと言うが、私はその代わり11月に沖縄本島の東海岸縦断に挑戦したいと思っている。同じく沖縄のTさんはドクターストップで目下ランニングを中止している由。NAHAでの連続完走記録も23回で途切れたようで、無念さが伝わる年賀状だった。 神戸の走友Nさんは「広島長崎ピースラン」と「スパルタスロン」を昨年も走った由。そのスパルタスロンにはポーランドの双子のランナーが参加したそうだが、何と彼らは手製のリアカーを引いて、ポーランドからギリシャまで走って来たようで、年賀状にはその写真と、「二人が引いたリヤカーを見ていたら、どんな完走記を読むよりも想像が膨らみました。凄い奴らです。世界は広い。本当に広いです。」との感想が書き込まれていた。 先だってのニューギニア島の地震による津波を心配する問い合わせが気象庁に集中したと聞いた。日本へは50cmほどの波が押し寄せた程度だったが、関心の対象は「アースマラソン」中の間寛平が操縦するヨットへの影響だったようだ。それだけ多くの人が寛平の一大事業に関心を寄せ、彼のことを心配していた証だろう。 ギリシャまで走って来たポーランドの双子のランナー。そして目下海の上をヨットで揺られている寛平。彼らは胸に過ぎる不安とどう戦い、それをどう乗り越えたのだろう。いや、寛平の場合はまだ戦いの緒に就いたばかり。これからも色んな不安と戦い続けなければならない立場だ。何とか不安に打ち克って希望へとつなげ、夢を実現して欲しい。ウルトラランナーの端くれとして、切にそう願っている。
2009.01.06
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昨日次男が東京へ帰った。暮れの30日の帰省だから5泊したことになる。彼が帰って来ると言うので急遽移動した植木鉢を、再び主の居なくなった部屋へ戻した。「何だか淋しいね」と妻。同い年の従兄弟が今年結婚することを話したら、次男は「ふ~ん」と言っただけだったとか。 今朝もおせち料理の残りをいただく。大晦日の早朝から妻が手早く作ったおせち料理だが、もう少し頑張って食べようと思う。戦後の食糧不足の時に少年時代を過ごした私には、食べ物を粗末にすることはとても考えられない話だ。出勤途中にコンビニに寄り、「アスリートソルト」の代金を振り込む。詰め替え用の袋が前より小さくなったため、今回は3袋を注文。色んな塩の小袋も溜まったし、これで今年の分は間に合うはず。 現場のビルに着くとビル内が冷え切っている。年末年始の期間は暖房が切られていたせいだろう。今年の休みは長かった。9日間連続の休暇なんて初めてのこと。体の疲労が抜けたのは良いが、パート職員の私としては休んだ分給料が減るのが痛い。 玄関で立哨していると、出勤して来た職員が次々に挨拶してくれる。中には「今年もよろしくお願いします」と丁寧な方も10名ほど。そして、わざわざ「明けましておめでとうございます♪」と言ってくれたのが笑顔が素敵な女性。警備員の爺さんでも3年目になると、こうして声を掛けてくれるのが嬉しい。 勤務後は山越えの帰宅ラン。青葉城から八木山までの坂道では、歩道が完全に凍っていて危ない。足元に注意しながら慎重に登る。一昨日の塩竃神社単独走の影響はさほどなさそうだ。昼食後、走友会のHPを見ると、3日の塩竃神社参拝走へは15名ほど参加したようだ。一体何人が往復50kmを走ったのかと驚く。 掲示板にM仙人の書き込み発見。2日に他の走友会の練習で50km走り、3日もまた50km走って、お正月早々合計100kmも走ったとある。180kmの「東京湾一周」参加のための練習だと言うが、とても今年70歳を迎える人とは思えない元気さ。まさに仙人だ。そして女性のY広さんが今月の宮古島で100kmを走るようだ。う~ん、これも嬉しいニュース。我が走友会もますます充実して来た感じ。新年会で報告を聞く楽しみが増えたなあ。
2009.01.05
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< う~ん腹が減った~の巻 > 走り出してから早3時間半。疲れはないが故障中の左足が痛み出す。仙台新港に沿って走っているが、その先が分からないので県道23号線方向へ左折。何度か走ったことのある道へ出て一安心。足のことが心配になり、多賀城市内から塩竃への最短コースを辿ろうとしたが、ここは何とかなるだろうと考え直して直進。念のため飴を1個口に入れる。 ソニー工場前通過。砂押川を渡って陸上自衛隊の基地前を通過。足の調子が良ければ七ヶ浜の海岸線を一周しようと考えていたのだが、この際あまり無理はしないことにした。大代で左折し、塩竃観光港方面に直進。やがて再び貞山堀が見えて来たため、堀に沿って北上する。係留されている船が多くて賑やか。そしてここでもたくさんのカモ達が羽を休めていた。 塩竃の港が遠く感じる。スピードもかなり落ちた。朝から4時間以上走っているのだから無理も無い。腹が空いているせいか、ラーメン屋の看板がやけに気になる。それでも我慢。先ずは塩竃神社へ着くのが先決だ。観光港手前の塩竃神社方面と書かれた標識のところから左折。この道は初めてだ。観光客を満載した東京のバスと併走。きっと塩竃神社へ参拝へ行くのだろう。 JR本塩釜駅の南側から神社のある方向へ走る。元旦に来たばかりなので、直ぐに道が分かった。午後1時、東参道の入り口に到着。4時間50分42秒の長旅がようやく終る。ランニングスタイルのまま階段を登り、途中の売店で仙台名物「松川だるま」を見物。全国でも青い色のだるまは仙台だけのようだ。正月に相応しく芽出たい達磨なのだとか。 境内の身障者トイレの中で着替えをし、天然記念物の塩竃桜を眺めながら「月餅」を食べる。そして博物館へ。ちょうど塩竃神社とこれを手厚く保護した伊達藩関係の特別展が開催中。空腹と戦いながらの2時間近い観覧は、東北の古代史に関心がある私にとってとても有意義な一時だった。平成19年に東北歴史博物館で塩竃神社に関する特別展が開催された際の資料を購入してようやく退館する。 遅い昼食を口にしたのは、帰りの電車の中。人目を気にせずに2個のお握りをあっという間に平らげた。残念ながら今年の走り始めで仲間と会うことは出来なかったが、5時間近く(長距離練習で途中休んだ際は時計を止めている)一人で走ることが出来た。遠回りをし、ジグザグに走ったため、多分距離は40km近いと思う。心配だった左足も何とか最後まで持ってくれた。この調子で今年1年走り続けることが出来たら嬉しいのだが。ちょっぴり安心して家路に着いた私だった。
2009.01.04
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< 残念ながら仲間と出会えずの巻 > 元旦、2日目と天気は良かった。それでも走りに行かなかったのは、朝から美味しいお酒を飲んでたためだ。それに早朝は道路が凍っているし、午後になると用事が出来た。まあ、そんなに無理することはない。「ウルトラレースのリタイヤを楽しむ」と言う今年の方針にも相通じると勝手に解釈した。 今日3日目には走友会の練習会があることは分かっていた。問題はいつ妻の実家に新年の挨拶をしに行くかだ。妻の姉達と一緒に行くのが恒例なのだが、それが3日の午後に決まった。念のため妻に練習会のことを話すと、参加して良いと言う。それに甘えて塩竃神社まで走ることにした。ただし、仲間達は名取市の温泉から8時にスタートし、そこまで戻る50kmのコースなのだ。 私にはちょっと無理な話。片道がせいぜいなので、着替えを入れたリュックを背負っての出発。家を出たのが7時43分。スタート地点へ行っても間に合わないのは確か。ザル川沿いに走って太白大橋に出、名取川の右岸を国道4号線のバイパスに向かう。そこでスタート地点から走って来る仲間と行き逢えば合流し、ダメな場合は単独で走ることに決めた。 だが残念ながら、幾ら探してもバイパスとの交差点に仲間の姿はない。スタート地点からの距離と時間が違うので、どんぴしゃと行くのはやはり無理だったのかも知れない。仕方なく堤防を直進してゆり上方面に向かう。ロードレーサーの人が3人堤防を走っていた。自転車族も正月から頑張るものだ。ゆり上大橋を渡り、藤塚からサイクリングロードへ入ったが水門の新設工事で通行止め。仕方なく県道まで戻って、強風の中を塩竃方面へひた走る。 途中乗馬クラブの看板を発見し、そこから右折。でも貞山堀の傍にあったのとは場所が違う。そのまま防風林に沿って北上し、右手に見えた水門からようやくサイクリングロードへ出た。松林の中に小さな神社。社名を見ると「汀沈稲荷」とある。江戸時代の運河工事の際に祀ったものだろうか。ペットボトルの水が無くなりかけたため深沼集落でスポーツドリンクを購入し、さらにサイクリングロードを北上。 枯れた松葉が小道に敷き詰められていて、走るととても良い気持ち。ここで出会った人のほとんどが挨拶をしてくれて清々しかった。また運河の海水が緑色に澄んで美しく、休んでいるカモの群れに心が和んだ。七北田川の河口から左折した途端、きつい北風。再び県道に出て、仙台港方面に向かう。新しいアウトレットモールには観覧車も出来ていてビックリだった。<続く>
2009.01.03
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元旦の昨日は少しだけニューイヤー駅伝を観た。新年早々から真剣勝負する選手達も大変だ。この日に向けて、相当前から準備して来たのだと思う。だからきっと彼らはレースが終わらないと正月が来たような気がしないはず。 昨日のブログで年越しランのことを書いたが、もう一人いることを忘れていた。愛知県のボウさんは、ランニング仲間と一緒に80kmもの年越しランをしたとブログに書かれていた。過食と嘔吐を繰り返す戦いの日々を彼女のブログで拝見して久しいが、今年こそ健康で充実した暮らしが出来るよう願っている。 お正月2日目の今日から、伝統の箱根駅伝が始まった。このレースに出るためには、前年のシード校の他は予選を勝ち抜く必要がある。33年前のレースでゴールのわずか数百m手前でリタイヤした青山大のOBが感慨深そうにその時の模様を話していた。青山大は今回33年ぶりに、その時以来の出場を果たしたのだ。 昨年の大会では確か3大学がレース途中で棄権したはず。今年の往路ではそんな劇的なドラマは起こらなかったが、小さなドラマは幾つか見られた。「箱根」にかける選手達には、きっと関係者じゃないと分からない深い思いがあるのだろう。苦労の末の区間新記録の達成。そして20人抜きと言う驚くべき記録など、「箱根」を毎年テレビでを観るだけの我々にも感動が伝わって来る。 5区、箱根への登りでの逆転劇も凄かった。抜く選手。抜かれる選手。どちらも必死の戦い。箱根を走るべく大学に入ったランナーの息詰まる戦い。路傍で応援するファンの声援も、選手達に負けぬほど真剣さが感じられる。やはり「箱根」にはドラマ性を感じてならない。最後の最後で東洋大がトップに立ったが、上位の大学にはさほど時間的な差がない。明日の復路がとても楽しみになった。 さて、年賀状の中に驚くべき1枚が混じっていた。四国の松山勤務時代の部下から届いた年賀状には、ここ10年間のテニスのことが記されていたが、そのうち7年はシニアの国際試合に日本代表として出場し、8年前のスペイン大会で3位(45歳+)、一昨年のチェコ大会で優勝(55歳+)、昨年のタイ大会で準優勝(55歳+)とあった。当時からテニスが好きで、その後愛媛県のシニアチャンピオンになったことは知っていたが、まさかここまで精進したとは驚きの一語。 彼とは当時の制限が3時間36分の「愛媛マラソン」も一緒に走ったことがあるが、10数年連続完走の彼に対し、3年間ずっと時間外の完走で終わった私だった。そして第1回「四万十川ウルトラマラソン」へも一緒に参加したが、彼は翌日にテニスの練習をするため、レース後も黙々と体を動かしていたのがとても印象的な思い出だ。あの彼がここまで打ち込んでいたとはねえ。だから人間は面白い。
2009.01.02
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明けましておめでとうございます。平成21年のお正月を皆様はどう過ごしておられますか? さて、ブログ仲間で一昨年の「佐渡島一周」を一緒に走った新潟の銀のねこさんが、昨年末めでたく男のお子さんを出産されたようです。母子共に健康とのことで、なんと彼女のブログには生まれたばかりの赤ちゃんの写真まで載っていました。重ね重ね本当におめでとうございま~す♪ 昨夜の大晦日はK-1と紅白歌合戦を交互に観ていました。上手な歌手の歌は聞いていてやはり素晴らしいと思いますね。氷川きよしが白組の「とり」とは時代が変わったと感じたものです。一方のK-1ですが、桜庭の試合は観られたもんじゃないですね。あんなファイトなら初めから戦わない方がマシ。お金の取れるプロの試合じゃないと感じたのですが、どうでしょうか。 その大晦日から新年にかけて年越しのランニングをした走友が2人います。秋田のJunさんと、千葉のボクシーさんです。Junさんは年末から風邪気味だったのですが、雪深い秋田での年越しのランはきっときつかったでしょうね。千葉のボクシーさんは日頃は仕事に忙殺される身。きっとそんなことで気分転換したかったのかな、なんて感じました。私は「行く年来る年」を観、0時過ぎたところでバタンキューでした。 元旦の今朝は、愛犬の声で起こされました。新年早々散歩の催促です。ワンちゃんは生理現象と餌がつきもの。人間様のお正月なんて関係ねえって調子でしょうか。早速凍った道を注意しながらの散歩でした。一方、元旦の今日も妻は仕事です。ホームヘルパーの仕事は、暮れも正月も休みなしなんですよ。 妻が仕事から帰宅したのを待って、次男と3人で塩竃神社へ参拝しに行きました。塩竃神社は奥州一ノ宮。平安時代から国府多賀城の鎮護に当たって来た由緒ある神社なんですよ。参拝客が多いため境内で1時間近く並び、すっかり足元から冷えました。帰路、塩竃市内の寿司店で特上の握りと散らしを注文。大間産マグロのトロは最高でした。またメヌケの味噌汁で、冷えた体も温まりました。でも代わりに私の懐はぐんと冷えましたがね。 帰宅して愛犬と散歩後、届いた年賀状をチェック。目が不自由になったため今回で年賀状を出すのは遠慮したいと言う方が3人もおられ、元旦早々淋しい気持ちになりました。中には来年から年賀状に代わってメールにすると書かれた方が1人、住所不明で返って来た方が3名、出してない方からのが1通ありました。 話は変わって、あの間寛平さん。12月17日に大阪をスタートして千葉県の鴨川港まで692kmほど走ってゴールし、今日家族の方などに見送られて同港からヨットでロサンゼルスへ旅立ったようです。これから2年半ノンストップのアースマラソン。陸上約2万km、海上約1万6千kmの大冒険です。命の危険もあるでしょうし、怪我や病気にもなるでしょう。過酷な長旅が無事であることをランナーの1人として祈っています。頑張れ~寛平ちゃ~ん!!
2009.01.01
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