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意外と涼しいアンタルヤです。日中はそれなりに暑いです。でも夕方になると突然冷え込んだり、日中でも天気がコロコロ変わり、「アンタルヤの娘心と天気」とはよく言ったものでそれぐらい変化が激しいようです。アンタルヤ特有の天候らしく、それでこの暑い季節に風邪ひいたりするんですよね。何年住んでも慣れません。暑いなら暑い、寒いなら寒いで通してくれた方が対策立てやすいんです・・・・。さて、期日が迫ってきましたので、もう一度お知らせさせていただきたいと思います。実はあと1名様で催行の予定ということです。今月末ぐらいまでに人数が集まれば催行決定する可能性大です。ご検討中の方は是非ぜひよろしくお願いいたします。ムシュクレ村でじっくりゆっくり、村でのオヤ生活を楽しみましょう。各地でそれぞれのオヤ道のプロたち(作り手の女性たち、オヤ制作・販売業者、収集家、オヤ糸会社のオーナー)との交流など、普通のトルコツアーや個人ではありえない体験がたくさん待っています。オヤ好きさんの少人数旅行ですから(しかもツアー専用のトルコ・オヤ道の案内兼講師付き!?)、きっと中身の濃ーいオヤ旅になることでしょう。あとそれぞれの土地での郷土料理も楽しみにしていてください。------------------------------------詳しくは下のバナーをクリックして旅工房さんのサイトをご覧ください。サイトのフォームから、または電話でお申込みいただけます。【 野中幾美と巡る 】トルコの伝統手工芸<イーネオヤ>のルーツを辿る旅 7日間 また何かご質問ありましたら、ツアー行程は旅工房さんへ、また訪問先は私が何度も訪れているところですので現地の様子や何が見れるかなどの具体的なお話しのご質問でしたら私へメールくださってもお返事します。なんでもご質問くださいね。野中幾美のメールみなさまのご参加をお待ちしております。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
May 26, 2016
エフェに関しては、自分自身がエフェオヤのコレクションをするようになってから、その歴史的背景や、エフェオヤだけではなくエフェの戦闘服や小物などにも興味があったので自分なりに調べて、岡山や大阪の展示会で「エフェオヤ」をテーマにした講演で発表したことがある。ある程度はその中でまとめているのだけど、昔の話だし、ローカルイベントだったので、聞いたことない人の方が断然多いわけですよね・・・。まずはエフェの戦闘服。過去に何点か手に入れて、全て手放してしまったので、現在は1着も持っていません。写真としてはもっと適切でいいものがあるはずなんですが、写真を探すのがまず大変で、とりあえず、一番簡単なところから出てきたもので過去のコレクションからご紹介します。実際にエフェが着用していたものです。これに脛の部分に脛当てが付きます。フォークロワーなどで見かけるエフェのチズメリ(ブーツ)はかなり後の時代のものらしいです。青い服地はケチェ(羊毛フェルト)製。そこにシルク糸または、シルクに金属が巻かれた糸で細かい刺繍が施されています。背中、肩、太もも、脛部分などに特に集中してシルク糸での刺繍がある。あまりにもの高密度に思ったわけです。「まるで鎧みたいだな・・・・」。短パンにベストなんて、一見戦闘に向いていないような服装なのに、第一印象が「鎧」。でも実はほぼ正解。エフェたちが潜んでいたのはアイドゥンやオデミシュの山間部。彼らは山間部での戦闘を特に得意としていた。だから甲冑などの防御服に身を包むのではなく、動きやすく身軽な服装である必要があった。でも普通に拳銃が使用されている時代だったから、弾丸や刀から身を守らなければならない。鎧の代わりに、このシルク刺繍で固められた服があり、さらに頭を護るために、やはりケチェ(フェルト)で作られたフェスと呼ばれる帽子にシルク糸で作られたオヤがグルグル巻きにされていた・・・・。エフェから伝え聞いたという証言者の話ではこのケチェとシルクの組み合わせは刃を入れることができず、弾丸をも跳ね返すほど丈夫であったという。さらに山間部でのカモフラージュも兼ねていた・・・・。・・・・というのが、定説なんですが・・・・。エフェ同等の存在はオスマン帝国創設のころから、アンカラ、キュタフュヤなどに異なる名称で各地にいました。最初は地方の悪代官から自分たちを護るための自警団として。19世紀後半から20世紀初期の共和国建国までは一転してギリシャ軍と戦うために政府軍の一員として。ところで今ではエフェのシンボルとして捉えられているエフェオヤですが、実際にエフェのために作られた「エフェオヤ」の歴史はそれほど長くなく、残っているものや古い写真などで検証する限り、20世紀に入ってから20世紀半ばごろまでの話かと思われます。(ここで矛盾に気が付いた人もいるかな?)逆にいうと150年モノ、200年モノのエフェオヤ・・・というのはあり得ないってことなんです。(中途半端なまま、続きはそのうち・・・・)ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
May 25, 2016
毛糸だまの最新号が届きました。2010年・2011年の「イーネオヤ紀行」「トルコの伝統手編み靴下」「チャルパナ」の記事、2012年の「イーネオヤツアー」とお世話になりました。いつもありがとうございます。今号は夏らしく、お花のモチーフの編み物の特集です。あらっ、何か見たことあるような・・・と思ったら。トゥーオヤも基本は同じなのかなあ?7月8日(金)~14日(木)の「イーネオヤツアー」のお知らせを載せていただいています。ツアーの申し込みは6月17日が締め切りだそうです。何名かお申込みしていただいている方がいますので、それまでに催行人数達して実現するといいですね。今回はいろいろと状況が厳しいなか、お申込みしていただいた方がいたというだけで本当にうれしいです。別のタイミングだったら、もっと気軽に参加していただけたのだろうなとも思いますが、締め切りまであと1か月ほどありますので、ぜひぜひみなさまのご参加お待ちしております。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
May 20, 2016
オデミシュのオヤパザールは昨年からもうこれが最後、これが最後って本当に思いながら通っています。いい加減聞き飽きたよね・・・すみません。でも積極的に行こうと思わない理由は明らか。オヤパザールの内容が時代とともに変わってきたこと。オヤの世界の中心が、私の興味と違うところへ行ってしまった・・・・。もうここに来ても、私の心は満たされないの。と言いつつ、なぜか来続けている。確かに昔と見れるものが違う。売り手も変わった。ここに興味を持ったのは、オデミシュ近郊の古いものが安価に手に入るからだった。もしくは嫁入り持参品としての伝統的な手芸品が見られること。今と違って、元来トルコ人の母娘が嫁入り持参品を買いに来る場所であった。それがオヤパザールとして一般的にも知られるようになり、外国人、トルコ人の業者や観光客が多く訪れる。必然的に売られるものも、そういったメインのお客さんに合わせるように変わってきたし、誰かが〇〇人からオーダーを請けて卸売りしている・・・なんて聞いた日には似たようなものが店頭に並んだりする。現在、主流はトゥーオヤのついたフラルやアクセサリー。値段も安くて、トルコ人の観光客にもよく売れている。本来、オデミシュにあったものではなく、新たに作られるようになったもの。だから最近は村のおばちゃんたちだけではなく、アクセサリー作家さんたちが出店しているのが目立つ。売り手としてFacebookなどのネットを活用している若い女性たちも増えている。オデミシュは近くにエーゲ海のクシャダスやボドゥルム、ショケなどのリゾート観光地が控え、そういった場所のお土産モノとしてのオヤの需要も増えてきた。今回、もう行かないはずのオヤパザールに来たのは、アイドゥンでのエフェ・インタビューの待ち時間があって、ここまで来たからにはちょっと足をのばそうと思ったから。で、頼まれもののアクセサリーや実用できるオヤスカーフなどを見てきた。普段は見ることもないものだけど、実際は見てみるとそれはそれでなんだか楽しい。ただなんでもいいわけではなくて、残っても自分で売ってもいいものしか買わない。もし売れなくても最後は自分で使うつもりで選ぶ。また今回も最後の訪問だと思っていたから、可能な限り、みんなからまんべんなく買おうなんて考えて気が付いたら必要点数を上回っていたわけだけど、おかげさまで普段話すことない人とも話ができて面白かったです。でもやっぱり買う買わないは別にして、目がいってしまうのは古いもの。何かまかり間違って掘り出し物が出ていなかどうかのチェックは怠りなく・・・。アンティークキリムの世界でも同じ道をたどったのだけど、古いものは一度底をつきるときがくる。村や民家を訪ねても、もう何も出ない・・・と焦燥感を味わされる。ところが、面白いことにそれから何年も経ってから、いいモノが突然出る時期がある。数量こそ少ないけれど、常にアンテナを巡らせていれば情報が入ってくる。なぜ底をついたはずのいいモノが今になって出てくるの・・・・。これら古いものは元々、個人宅にあった個人所有のものである。最初はお金になるからと手放す。そのときに本当に良いものや思い出の品は隠して売らないでおく。しばらくして持ち主が亡くなって世代交代した際や、経済的に困窮することがあって、その最後の最後までとっておいたいいモノを放出する時がある。同様にオデミシュやアイドゥン、もしくは他の地域でもいったん底をついたはずのいいものが、えっ、まだこんなのがあったの!? という驚きとともに見つかることがある。それらのモノは普通に買えばそれなりにお高い。だからオヤパザールでは、あれっ、他のモノに紛れてこんな値段で出ているよー。ってモノを見つける楽しみがある。それにバザールの利は、一軒一軒お家を回らなくても、一所で効率良くたくさんのモノを見ることができること。これは本当に助かる。ただね。今回はお使いものばかりで、自分のものは何も買えなかった。何か、私の心をガツンと揺さぶるような刺激が欲しい・・・・・。というわけで再びアイドゥン・・・である。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
May 17, 2016
「エフェオヤ」という言葉が独り歩きしている昨今。エフェオヤの形をしているオヤは「エフェオヤ」と呼ばれる。ただ、私の中ではエフェオヤはあくまで「エフェ」のために作られた、「エフェ」が身に付けていたオヤのこと。そしてそれらはどこから手に入るかというと、すごく単純で当たり前のことなんだけど、先祖にエフェがいたお家から。である。私が個人コレクションしている「エフェオヤ」たちも、おじいさんがエフェだった、ひい爺さんがエフェだった・・・という家族が持っていたものが、お家の経済的理由から放出せざる負えなくなったときにのみ手に入る。そうじゃなかったら手放さなかったと思う。今も持っているけど手放さないお家もある。(アイドゥンの田舎町にて)ところで「エフェ」って何? って話になるとトルコの人でも意外とちゃんと知っている人は少ない。アイドゥン、ナージリリ、マニサ、オデミシュ、ムーラ辺りの私設軍隊のリーダー。そしてその地方の英雄。元々、地方の悪代官に苦しめられた遊牧民たちが抵抗する形で立ち上がり、その後19世紀後半から20世紀初頭にかけては政府軍が苦手だった山間部での戦いに優れていたとされ、一転して政府の正規軍として、当時エーゲ海地方、特にアイドゥンに侵攻してきたギリシャ軍と戦った。エフェたちがエフェオヤをつけたのは20世紀になってからと私は個人的に想像しているが、エフェオヤがなんだったのか、誰が作ってどうやってエフェに渡されたのか、そして本当にエフェはエフェオヤを付けていたのか・・・・。いろんな疑問が頭をよぎっていた。エフェオヤに関する記載のある資料を読んでも何かあとから作られた美談のようで、何か納得できずにいた。(写真は民俗学博物館のエフェオヤの展示)消化不良の状態。でもいったい誰に聞いたらいいのだろう・・・。エフェがたくさんいたのは、最も戦闘が激しかったアイドゥンである。アイドゥンで最後のエフェは、たしか6,7年前に亡くなっていると聞いている。事実、1920年代に戦闘が終結すると、軍人としてのエフェの任務はなくなったわけで、ただ慣習としてグループのリーダーとしてのエフェの引継ぎはあったらしい。今でもエフェの血筋をひくものはいるし、世襲制ではなかったようだけど、息子にその実力があって長老たちが認めれば代々引き継ぐ場合もあったという話。この辺りの話は大学の研究者もいるし、本や資料にもなっているから調べることは難しくない。でもエフェオヤのことはなんだかいつもよくわからない。すごく面白い話なんだけど、エフェオヤの最後の持ち主はほとんどが女性である。エフェオヤだから代々、それを引き継いだ男性が持っているものかと思っていたら、違うんだよね。管理していたり、それを実際に譲り受けたのは娘や孫娘だったり、お嫁さんだったり。もしかしたらあくまで所有者は男性かもしれないけど、父親や夫が亡くなったことで、それを女性たちが経済的理由で手放すことが許されるのかもしれないな、とも思う。それでもエフェオヤを売ったお金で子孫が助かることがあるわけだから、最後の最後までエフェに守られたって考えたらエフェは子孫にとっても本当の英雄だったんだなあ・・・・と。エフェオヤのことを知ったって、私が論文書くわけでも、どこぞで発表するわけでもなく、別にどうにもならないんだけど、実は今回、きっかけとなる出来事があった。その義務感がいつの間にか自分の興味と重なって、会うべく人たちに会っておかなければならないと思ったのである。みなさんご高齢だしね。次のタイミングはあるのかさえわからない。人に尋ねて、人を訪ねて、何も得られなかったり、何も得られなかったり・・・・。エフェの子孫たちを見つけて、彼らが子供の頃に見聞きしたエフェオヤの話を聞いているところです。連絡先がわかっているとか、電話してアポとるとか、って次元じゃないので本当に亀の歩み。待ち時間とか無駄な道のりとか。行っても留守とか、電話連絡しようがない相手とか、会えても70代、80代の年配の方たちでなんでここまでわざわざやってきて、そんなことを聞きたいんだと怪訝そうな顔されるとか・・・・。飽きたらやめちゃうかもしれないけど、まだ他にも会う予定の人たちがいるので、そのうち頭の中で整理してエフェオヤにまつわるお話ができたら、と思っています。そのうち・・・だからね。そのうち・・・・。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
May 10, 2016
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