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トカットから帰ってきてから、すっかり自分のイーネオヤコレクション選別の基準に迷い続ける日々を過ごしています。というのも私のコレクションの条件の大前提は古いオリジナル品であること。当然、商業ベースにのっていない生活必需品、嫁入り持参品であること、モチーフ、糸質、スカーフなどを含めてその土地の伝統の形式であることです。通常はオヤで選別します。糸は昔のシルク糸(ベルガマなど地域によってはコットン色)であることを条件に、エフェならケフィエ、アイドゥンならクレープ、ブルサなら古いヤズマもしくはシルクのクレープについていること・・・などなど。そうは言っても以前からハンドプリントの古いヤズマには興味がありましたから、自然と古いものが揃っています。ハンドプリントものを選んで取ってあったというのもあります。でもその中でも変わっているもの、地域の特別なもの・・・などは知らなかったわけです。昨年あたりからハンドプリントのヤズマの分別を地域、工房別に試みているものの、漠然とし過ぎてなかなか系統がつかめていませんでした。その前にハンドプリントのヤズマの作られ方もちゃんとは知らなかったですしね。今回、おかげさまで少しだけ見分ける力が付いたのだと思います。どれがトカットの特有のもので、どれがどの地域で好まれたもので、というのがなんとなくわかっただけでも大進歩。そうなると選別の目がヤズマに「強く」行ってしまうわけです。もちろんオヤのレベルとヤズマが一致して初めて、コレクション入りになるわけですが、オヤはいずれにしても選んでわけていますので、今回の選別ではヤズマしか見ていないんですよね。でもね、そうは言ってもヤズマでないクレープ地が基本のアイドゥンの骨董イーネオヤは素晴らししぎるし、ブルサやオデミシュのシルククレープ時代の超人的に細かいのも見とれてしまいます。ってことは単にヤズマで選別されるものが増えた。ってだけですかね。最近、家の戸棚からコレクションを出してきてみて選別しています。で素敵だなあと思うものがあるとインスタグラムに出しています。写真ではありますが、コレクションの大盤振る舞いしていますので、ぜひ興味がある方はご覧になってください。「mihri193」です。フォロー申請してくだされば特に問題がない限り認証しますのでご遠慮なく。(今まで老眼で字が見えずに間違って拒否ボタンを押したことが何度かあると思いますが、ごめんなさい、本当に間違っただけなのでもう一度試してみてください)トカットバスクの最大の特徴である色版(エルバン・テクニック)について書こうと思って写真を用意したのに、全く違うことを説明してしまいましたー。運転手兼荷物持ち、連絡係、ボディガード代わりに付いてきてくれたジヤも、型押しのときはあまり興味をしめさなかったのですが、木版作りになったとたん目がキラキラ・・・。工具などに男性脳が刺激されるんですね。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 29, 2016
私はトルコのアンタルヤというところに住んでいます。イスタンブールから南に約600km。地中海沿いの人口約140万人の都市です。温暖な気候で11月末になろうとしているのに、天気のよい日中は半袖で歩いている人もいます。ヨーロッパからの外国人はノースリーブ姿だったりして全く季節感がありません。その代わり、夏はうだるような暑さですけど・・・・。寒さが苦手な私としては住みやすいです。アンタルヤ・・・と私はカタカナ表記ではそう書きますが、人によってはアンタリアと言います。どちらも正解じゃないからお好みで呼んで構わないと思います。このアンタルヤという地名、アッタロス朝(ペルガモン王国)の第4代国王アッタロス2世によって名付けられた「アッタリア」が由来とされています。アッタロス2世は紀元前220年生まれ、61歳で王座に就き、紀元前158年に82歳で亡くなっています。勇敢な兵士としても知られていたアッタロス2世が王になる前に、条約によって譲渡されたパンフィリアの一部に海軍基地として都市を作り、それがアッタロス2世の名前にちなんでアッタリアと名付けられ後にアンタルヤとなったそうです。なんで急にそんなことを・・・・というと。カレイチの時計塔の向かいの広場にアッタロス2世の像が立っているのですが、最近よく見るもので、この人誰だろう・・・と調べてみたことからなんです。実は夕方からもしくは週末のお散歩コースで、ジェンギズやジヤたん、イルファン、アルマン、ハッワ、甥っ子、姪っ子たちと店から時計塔前までゆっくり寄り道しながら片道10-15分ぐらいの距離ですが歩いています。時にはそこから足を延ばしてウシュクラル通りをジェンデルホテルまで行ったりします。あまり歩きたくないときはイブリミナーレの近辺でお茶を濁すこともあります。ポケモンGOを口実にみんなでお散歩なんですけど・・・。30歳、40歳になっても兄弟、家族で仲良いっていいですね。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 28, 2016
オヤには「カイナナ」、つまりお姑さんを題材にしたものがあります。オヤは花嫁の持参品ですね。そして「嫁」といえば「姑」。サボテンのことも別名「カイナナ・ディリ」と言います。「お姑さんの舌」という意味です。トゲのある言葉を言ってくるから・・・ってことなんでしょう。(↑ わざわざ解説する必要なかったですね・・・)そしてトカットのヤズマの古いモチーフのひとつにも出てきました。「カイナナ・ユムルウ」。「お姑さんのゲンコツ」です。画像のヤズマは私のコレクションから。古いキャート・ヤズマです。オヤ自体は古いブルサのイーネオヤですが、ヤズマはトカットのもの・・・ってことですね。ヤズマの謎が少しずつ解けてきて、ヤズマ熱がますます上がってきてます。やっぱり知ると面白いよね・・・・って私だけか!?カイナナ・ユムルウのモチーフのヤズマは、その昔、特にジッレやアフィヨンで好まれて使われたそうです。実際は植物でゲンコツをモチーフにしたわけではありませんが、文献によると形が「お姑さんのゲンコツ」を想像させるから・・・なんだそうです。昔の嫁と姑の関係が垣間見える(?)表現です。さてこれはバスクの先生が彫った木版ですが、「カイナナ・ユムルウ」です。(上のヤズマのように色版を重ねる場合もありますが、黒字に白の色抜きでも使われたようです。)さて、私たちのカイナナ(バスクの先生のこと)は、私たちよりちょっとだけ年下ですが、作業を休んでいるとゲンコツが飛んできます。そして木版作りの授業で課せられたのが、「カイナナ・ユムルウ」。じゃ、これ一日で作ってね・・・って。作ってましたよ、さと子さん。やらないと「カイナナ・ユムルウ」が飛んでくるかもしれませんからね。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 27, 2016
トカットのシンボルと言えば、町の背後にそびえ立つト岩山とトカット城。町に入ったとたん、目の前に現れる。その風景はあまりにも強烈で、記憶に深く刻まれる。そして宿泊ホテルの部屋からの眺めもトカット城。毎朝、毎夕この風景を眺めながら過ごした。タシュハンの入り口からもトカット城が見える・・・。そして帰る前にあの頂上に登ろうね、と言いながらそんな時間も余裕もなかった・・・・。トカット滞在もあとわずか・・・という、ある日、強引に時間を作って登った。クルマで途中まで行ける。道端に停めて、200mほど岩道を歩かなければならないけど。ちょうどトカット城の発掘の最中で、入れないところがあったけど、展望台までは行けた。ここからの眺めは眼下にタシュハン。いつもここからこの岩山を眺めていたのに、今日は反対の立場。上から見てみるとタシュハンってこんなんだったのねー、って改めて思うわけで。下から見上げていたトカット城もそこに来てみたら、またどこか違うもので。どっちがいいとか、悪いとかじゃなくて、ただ見上げているときと、そこに立ったときと、違うんだなあ・・・・という単純な思い。毎日見ていたものでも、自分が立つ位置によって異なる風に見えるんだな、って当たり前のことを新たに確認する瞬間であった。記念写真も撮ってきましたよ。あれっ? いつの間にか日本人の数が増えているぞ・・・・・!?※トカットには「トカット城に登った者は7年間はトカットから離れられない」という言葉があるそうです。それだけ美しい町でありこの光景を見てしまうと居続けてしまうという意味だと想像します。幸い、なんとか町からそれぞれの住処に戻ることができましたが、また近い将来、行ってしまうのは確実でしょう。そして運命がもたらす何かがあれば、もちろん7年間居続けてしまうかもしれません・・・・。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 24, 2016
コンヤからカイセリへ行く途中々々、あのまっすぐな道でみかける甜菜(テンサイ)満載のトラックの大行列。砂糖工場に大量の甜菜が運ばれ、山というか砂漠のように積み上げられています。この時期、甜菜の収穫期真っ只中。甜菜といえば、サトウダイコンの名前でも知られていますが、甜菜糖の原料になる根菜ですよね。日本だと北海道で栽培されていることは知っています。でも実を言うと、私、甜菜そのものを間近で見たことないのです・・・・。いつもトラックに積んであるのとか、砂漠のようになっているのを遠目にとか・・・で。で、いつか甜菜に触れてみたい・・・ってずっと憧れていたのです。そして今回滞在したトカットも甜菜の産地。トラックやトラクターに積まれた甜菜を遠目に見ていました。でも最後には我慢ができなくなって、長年の夢を叶えるために、甜菜収集所にお邪魔してきました。畑から収穫してきた甜菜をトラクターごと計量した後、降ろしているところです。声をかけると、周囲からお兄さんたちやおじさんたちがわさわさ集まってきました。「写真撮っていいー!?」と聞くと、もちろんだよー。そして、いよいよ甜菜とのご対面~ん。おっ、結構でかい。想像していたのと違っていたわ・・・とか。そしたらどこからかこんな大きいのを持ってきてくれて渡された。はい。おかげさまで大満足です。人生のやり残していたことのひとつをクリアしました。日本は甜菜よりサトウキビで作る砂糖の方が主流なんだよーとか、話していると、地元出身の先生が「あらっ。私たちはこれを茹でて食べるのよー。今度お母さんに頼んで作ってもらうわね」と言うので、「絶対ね、絶対だからね」と約束しました。それからの日々は、甜菜がいつ食べられるのかだけが楽しみで・・・・。いったいどんな風になって、どんな味で、そしてうまいのか・・・・。とそればかり考えていました。ところが収集所でもらった甜菜が、いつになってもやってこない。「先生のお母さん、忙しいのだろうなあ・・・」甜菜の代わりにお母さん手作りの別の料理が届きます。「いや、きっと明日だ・・・」と首を長くしてお待ち申し上げておりました。トカット滞在の日も今日で終わり・・・って日。甜菜様のお姿が見えないので、ああ残念、今回は食べられなかったなあ・・・と思っていたところに、先生から差し入れが・・・。ああ、甜菜様・・・。甜菜は忘れた頃に(忘れてなかったけど)やってきました。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 22, 2016
ヤズマの故郷、トカットにも古く素晴らしいイーネオヤがあることは資料などで見て知っていた。ぜひ手に入れたいものだと、何度か行ったが思ったようなものは手に入らないままでいた。そんな中で私が「たった」1枚持っていたトカットの古いイーネオヤのヤズマ。なんの因果か、トカットに行く直前に、血迷って、うっかり、どういうわけか売ってしまった。(↑ 同じような単語が重なっているのはそれだけ後悔しているってこと)これは本当に「しまった!」の結果になったが、もう遅い・・・。古いトカットのハンドプリントのヤズマに、シルク糸でイーネオヤが施されたもの、誰がどう見たって、トカットですら貴重なのは重々承知。でなんで売ってしまったのか・・・と言えば、トカットで同じようなものが見つかるかもしれない・・・という根拠のない適当な期待。その瞬間、疲れていたせいもあるかも・・・・。で、当たり前なんだけど期待は見事に裏切られた。トカットの現役でイーネオヤを作る女性たちは50歳前後である。そうすると彼女たちの娘時代、もしくは彼女のお母さん世代が作ったものが残っている。それらはハンドプリントでないヤズマに、ブルサからイスタンブル経由で購入できたイブリシム(撚り済みの双糸)のシルク糸でイーネオヤを施したもの。私が探しているもの、収集しているものは、さらにその前の世代、またはその前の前の世代のものであるから、違うのである。つまり、古いイーネオヤというのはハンドプリントものに限らず「ヤズマ」に施されているシルク糸のものを指すことがわかる。新しいものは一色のクレープ布で作るからである。トカットなんだからヤズマの古いものに期待していたけど、それは自分が古いヤズマをたくさん持っているからそう思うだけで、一般的には世間にそうそう残っているものではないのである。今回の教訓を肝に銘じて、古いイーネオヤは簡単に手離すべきでないということを学んだ。(・・・・はずだったけど、実は学んでない。コレクションからカスタモヌ・トシヤ放出の準備中・・・・)さて愚痴はおいておいて。このトカットのイーネオヤは伝統的な古いモチーフで「ゼムビル」という。別の名を「カイナナオヤ」と言って、トルコ語で「お姑さんオヤ」。墓の形はしていないけど、シンプルなのはお姑さんの年齢を考えてのことなんでしょうか。ヤズマの色もほぼ決まっていてエンジ色に、白い(または薄いクリーム色)イーネオヤが基本だそう。嫁入りの際に、お嫁さんになる人がお姑さんに贈るもので、これがないと嫁にいけないと言われるモチーフのひとつである。それらの風習は薄れたとはいえ、まだまだ伝統の残るトカットでは必需品である。上が私の持っていた古いカイナナオヤ。下が現在作られているカイナナオヤ。細部や細かさには違いはありますが、現在も現役で頑張っているモチーフです。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 21, 2016
各地で市民や、特に女性を対象にした自立支援があります。市町村の公的な施設がメインですが、内容的には手芸、料理、芸術、語学などの講座を無料で受講できるというものです。もちろん作品を作り、展示会を催したり、販売の機会もあります。手に職をつけ、現金収入を得る、さらには自立する可能性も・・・・というのが目的ですが、必ずしも収入を得る道として捉えているわけではなく、通ってくる女性たちは趣味として、または外出する機会を得るため、お友達を作るため・・・と目的も様々です。トカット滞在中に、観光局からの紹介でお会いしたのが、トカットでイーネオヤに関しては知られる女性。市民講座などで講師もしているそうです。最初に会ったときに、事前に電話でお話してお願いしたら、自分が作ったイーネオヤなどを持ってきてくれて、見せてくれました。ただ私の本を見たり、活動目的を聞いて、トカット特有の古いものを知りたがっていることを理解してくれたようで、次の機会にはトカット市が運営している「女性たちの家」に招待してくれたので出かけてきました。女性たちの家というのも各地にありますが、受講生は女性に限られた自立支援の施設です。校長先生も女性、講師たちも女性です。これは地域によっては、男性のいる場所に自分の妻や娘を行かせたがらない家族や、もしくは本人が男性のいる場所に行きたがらないという女性たちに配慮したものです。(こういう調査や取材の場合、自分が外国人で女性であることがいかにプラスに働いているかということは十分感じています。もし男性だったらここまで女性たちの内部に入っていって知ることはできなかったと思います)ここにイーネオヤを習いに来ているのは若い女性から年配の女性まで様々。初めて習う人ばかりだそうです。先生はトカット特有のモチーフを伝統的な形で残すことも重視しているようですが、お金にするためには他地域同様、アクセサリ―なども作っていかなければならないことも踏まえていました。そこでトカット特有のイーネオヤモチーフを一つ一つ見せてもらいながら、解説してもらいました。スカーフを被ってみなさんで記念撮影したり、トルコでの「非公認・日本でトルコのイーネオヤを愛する人たちがたくさんいますPR担当」の役目も一生懸命こなしてます・・・!?(私の場合NG事項はほとんどありませんので、なんでも来い! です)日本のイーネオヤを取り巻く状況や、イーネオヤを愛する人たちのことを熱弁してきましたので、校長先生をはじめ、先生方もぜひ日本から来る人たちを受け入れたい、一緒にイーネオヤのイベントがきたらいいですね、と言ってくれました。途中、トカット県知事の奥様がいらっしゃって、トカットの観光について、女性たちの手芸の話などで盛り上がりました。とても気さくな方で、トカットでバスク修行中のさと子さんの話をしたら、「それはぜひ訪ねていかなくちゃね」と、女性のSP付きで実際に訪問してくれました。今回はトカット県知事の直接指示により、観光局がバックアップしてくれたことで、「県知事のお客さま」という肩書きをいただいて、各施設でいろんなことがスムーズでした。そうでなくても優しく、面倒見のよいトカットの人たちにずいぶん助けられました。一つのことからいろんなことが広がっていきそうです。まだやり残したこと、行きそびれたところ、会えなかった人、心残りがいくつかあります。それはまた来年にでも行く機会を作って解決していきたいと思います。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 20, 2016
私の記憶に間違いがなければ旅行以外の目的で初めてトカットに行ったのは1996年。(もしかしたら1995年かもしれない・・・。← すでに間違っている)そのときは現在改修中の「ヤズマジュラル・ハン」ことガジオール・ハン、が作業場として使用されていた。※ヤズマはモチーフのあるスカーフのこと。手で描いたこと(Yazmak, Yazma)からその名前がついたと言われている。ヤズマジュはヤズマ屋さんのこと。「トルコのヤズマ屋さん」ね。ラルで複数です。中に入って写真を撮らせてもらった覚えがある。上の写真は借り物だけど確かにこんな感じだった。なんだかよくわからなかったけど、その光景が強烈すぎて頭から離れなかった。それが2回目に行ったときには閉鎖されていて、二度と見ることができないのかと悲しくなった。その次に行ったときは別の場所にヤズマ職人たちのハンが新たに作られていると聞いた。時期にそこに集まるらしい・・・と。今回行って、ヤズマジュラル・ハンはほぼ改装が終わって、元の姿が想像できないほどきれいになっていた正面入り口のドアだけが残っていた・・・・。そして博物館そばに新しく作られたはずのもう1か所のハンは開店休業状態で、空き店舗しかなかった。では、ヤズマジュラル・ハンから消えたヤズマ職人たちは、いったいどこへ行ってしまったのだろう・・・・・。・・・・探して行ってきましたよん。古いヤズマの上におされている版の古参メーカー数社もここにいました。ここがあの版の、ああ、そしてこの人が(もしくはこの人の親父さんが)あの版をおした人・・・・とか興奮しました。といってもヤズマ自体はほとんど作られることがないので別のものを作っていますけど。もうすぐ完成するヤズマジュラル・ハンに再び活気が戻るのだろうか。ヤズマ職人たちはこれからどうするのだろうか・・・・。私が心配しても仕方がないことなのですが、それぞれの「企業」としての事情がありますから、いろんなことを含め、ヤズマジュラル・ハンに戻る人、戻らない人、別の場所へ行ってしまう人・・・道はいろいろのようです。県知事訪問の記事を見た地元の新聞、テレビ数社がその後さと子さんの様子を取材に来ました。慌ただしくてチェックできていないのですが、人に言われてTurkiyeの地方版ページほぼ全面に載っているのを見ることができました。他にも地方紙、ネットニュースに配信されたようです。これもトカット滞在の記念です。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 18, 2016
バスク修行の途中に立ち寄ったコンヤでは、トルコ人のお友達の実家(農業やってます)に遊びに行ったり、コンヤ名物エトゥリ・エキメッキ食べたりしていましたが、本当の目的はもちろん別です。(イーネオヤとかイーネオヤとかイーネオヤとか・・・かな)過去にもコンヤのお家などで古いイーネオヤを探したことがあります。でも当時はすでに女性たちの手芸パザールでは古いものなくなっていましたし、ほぼピンポイント攻撃ですから、本当に見られたのはわずかでした。さらにその以前はイーネオヤなんて知らなかったですから、コンヤでキリムにかまけている間に、大切なオヤスカーフを見過ごしていたという、いまだに後悔する出来事のひとつです。コンヤで見たいイーネオヤのトップは噂の「墓石」モチーフです。(ただし、シルクの古いの・・・)その意味はいろいろですが、いいじゃないですか・・・なんだって。で、墓石に似たモチーフに「芝生」があり、それはコンヤ以外の別の地域でも(特にアイドゥン、オデミシュ、マニサなど)見ていますし、コレクションとして持っています。よく「墓石は芝生の幅の太いものだよ」と言われてきたのですが、違う、絶対的な違いがあるはず・・・って、ひそかに思い続けてきました。そして見ることができたのがコレ。向かって左端が「墓石」(別名カイナナオヤ=お姑さんオヤ)、右端が芝生です。やっぱり紙の資料だけじゃわからない。知りたいものは現物見るのが一番・・って思います。疑問が解決されて満足したのでコンヤのイーネオヤはもういいや・・・じゃなくて、他にも特殊なモチーフ・モデルがたくさんありました。溜息ものなのですが、手が届かない範囲なので、かえって諦めがつきますが、チャンスがあったらご紹介したいと思います。あともう少し調べたいと思っているのはベルガマの幾何学モチーフの遊牧系のコットン糸のイーネオヤ。(個人的にはタイプじゃないのだけど、その背景には興味あり)以前行ったときにはお家などにもなくて、女性たちが大昔におばあちゃんの長持ちにあるのを見たことがあると言っていたぐらいなので、実際は出尽くしてしまって見れないのは想像できるけど、次回はベルガマに滞在して少しでも知っている人たちから話を聞いて、その歴史や背景を知りたい・・・・。というわけで先方からオファーがあったので時期については今調整中ですが、12月~1月にかけて2~3週間ほど出かける予定です。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 17, 2016
バスク修行の旅のはずなのに、いっこうにバスクの話が出てこないなあ・・・と思っているでしょう・・・。大人の事情もあるのですが、ではバスクのバ・・・(のさわり)を。バスクってトルコ語でプリント(印刷)のこと。木版プリントは「タフタ・バスク(ス)」。もしくはもっとわかりやすい単語を選べば「アフシャップ・バスクス」。木材によるプリントという直訳だけど、最近はトカットでは「タフタ・バスク」と言うらしい。ちょっと前までは木版プリントは「タシュ・バスクス」と言うのが普通であった。私もタシュ・バスクスの方が馴染みがある。ところでタシュとはトルコ語で「石」のこと。えーっ、木なのに、なんで石ーっ!? って。それは歴史を遡ること・・・約3500年ほど前の話。ヒッタイトの遺跡から土器で作られた版が出たそうです。石の版・・・それが由来となって「タシュ・バスクス」と言うらしいです。いつから木製の版になったかは知らないけれど、トカットでは約600年前からこの木版プリントが制作されているそうです。さて、バスクはまず木版を作ることからスタートします。そうなんです。用意された型に染料をつけて押すだけだと思ったでしょ?違うんですよ、奥さん。それは糸が用意された状態でキリムを織ると思っている感覚と一緒で、本来はキリムだって糸を作るところから始まるのです。羊を飼って、育て、毛を刈り取り、仕分けして、紡いで、染めて・・・・やっと糸になる。織るのはそのあとですからね。(えーっ・・・と、イーネオヤも蚕を飼って糸を引いて撚って染めてから・・・・とか)バスクもまず木材を見つける、使える状態になるまで保管する、切る、デザインを描いて彫る・・・そしてやっと木版ができ、押すのはそのあとです。細かい話はまたいずれにして、まずは木版作り。使用される木材はトルコでは「菩提樹」に限られているようです。菩提樹でないといけない理由は、縦に裂けやすいとか、ある程度の堅さがあるとか、水を吸収しにくいとかいろいろ考えられます。菩提樹を採取したら両サイドをカバ―して、陽の当たらない、湿度のない、風の通らない場所で1年半~2年ほど保管します。その後、使用できる状態になったら7cm幅にカットし、染料をつける片側をパラフィンで保護します。表面にデザインの反対側から写した形を描いて、それ以外の部分を縁を1mmほど残して彫っていきます。彫るための道具は上の1枚目の画像のもの。カマのような刃のものは上側が切れるようになっているので、慣れるまで扱いに要注意です。道具の使い方とコツを教わりながら、彫る、彫る、彫る・・・・ひたすら彫る・・・・。上から下に力をかける作業なので、椅子に座ってはいけません。(← 先生談)立ち仕事です。(それで2日間集中して立ち続けてぶっ倒れる・・・とか)比較的簡単なデザインでも最初は1日から2日ほどかかるかと思います。彫り終わった後は、型を切り出す大工仕事も待っています。これらの作業を見ていたら(もしくは体験したならば)、木版の値段を聞いてもびっくりしないと思いますが、知らないと腰を抜かします。バスクの「バ」のさわりはこれぐらいにしておきます。「バ」の続きと、バスクの「ス」と「ク」は、実際に修行に励んだ、さと子さんのブログやワークショップをお待ちください。私はそれ以外のバスクの四方山話とトカットのイーネオヤの話とその他の話を続けることにします。(やっぱり尻切れトンボで終わらせる気か・・・?)ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 16, 2016
トカットからの帰路、アマスヤ県内の市民講座から招待され、通り道でもあるので、立ち寄ることにしました。アマスヤはこんなところです。水面に映る伝統家屋が素敵です。しかも後ろには岩山にある王家の墓が見えます。この風景を見にいくだけでも価値があると思いませんか?そしてアマスヤと言えば「アマスヤ林檎」。トルコで誰に聞いてもそう答えるほど、ブランドとなっています。林檎の時期は少し過ぎていましたが、路肩で売っていましたので少しだけ買って、みんなでかぶりつきました。ピンクの小ぶりな林檎で、すっきりとした甘さの美味しい林檎です。(今日は臨時アマスヤ非公認観光大使・・・)さて、アマスヤに寄るのですから、イーネオヤを見せてもらわないとね、と事前にお願いしておきました。本来の目的は伝統の木版プリントの「バスク」なんですけどね。学校全体でいろいろ準備してくれていて、大歓待してくれました。本当にありがたいです。最後はイーネオヤ講座の生徒さんたちと一緒に、それぞれのお家から持ってきた古いイーネオヤや伝統の手芸品を見せてもらいました。現役世代の持っているものは、古いと言っても母親か自分たちの娘時代に作ったものですから、せいぜい40年もの。1980年前後に制作されたものになります。私の感覚では新しいものになるのですが、ここに限らず、最近は各地でお家にあったものを見せてもらう機会があっても、それ以上古いものは「ない」という事実を改めて感じさせられます。そういう意味では過大評価ではなく、自分が持っているものがいかに貴重であるかを再発見させられる日々です。(← すいませんね、自分で言うしかないもので・・・)それでも、その土地の風習とイーネオヤの関係、使い方、1980年以降の素材の変化などを、それらを体験してきた本人たちから直接聞くことができて面白かったです。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 16, 2016
全行程2週間に渡る、トカットのバスク修行からアンタルヤへ戻ってきました。毎日ブログを書くなんて言っておいて・・・途中で切れてしまいました。なんといっていいのか、めちゃくちゃ修行の日々でした。移動もないのに、ホテルに着いて、服を着替える間もなく、ベットに倒れこむ毎日。朝から晩まで新しいことが次から次へと。息抜きタイムがない緊張の連続でしたから、それも当然でした。トルコ・タイムでゆっくりのんびり・・・・なんて全くの妄想。さすがの私もアンタルヤに戻ってほっとした瞬間、息つきました。健康だけが取り柄で、私は大丈夫、なんて思っていても、自分が思っている以上に気が抜けない時間と日々だったのかもしれません。でもそれはつまり、この短期間にそれだけのことを吸収、得てきたことの証です。Facebookの方には先に書いたのですが、以下、今回の感想です。トカットに行ってわかったこと。。。。。ここでも伝統工芸の灯は消えかかっています。昔ながらに完全に手彫りで木版を作り、手作業でプリントをする職人さんはトルコ国内で11人。トカットにはそのうち4人がいます。今回はトカットの4人とアマスヤの1人に会ってきました。機械を取り入れた木版とプリント技術。それらも見てきました。それは時代の流れで決して悪いとは思いませんが近い将来、本来の仕事を知ることも見ることもできなっていくのは確かです。実際トカットでもフルハンドメイドの製品自体を見つけることは困難です。12人目の職人が日本で誕生することに期待しつつ、2週間に渡る今回のトカット滞在を終えたことを報告させていただきます。・・・・少しずつでも旅の続きを書いていきたいと思います。あまりにも書きたいことがたくさんありすぎて、何から書いていいのかわかりませんが、思いつくままに・・・・。トカットのバスクにもっともっと興味を持ってもらうこと。「本物」を知ってもらうこと。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 15, 2016
トカットに来て8日目。タフタ・バスク(伝統の木版プリント)修行は着々と進んでいます。昨日からは「オイマ・イシ」に入りました。木版の手彫り作業です。バスクと並んでトカットの重要な手工芸の伝統技術です。さてせっかくトカットにいるのですから、トカットの郷土料理を食べなくては・・・。先生の一家がトカット出身でお母さんの作る手料理はもちろんトカットの家庭料理。私たちのために、わざわざトカット独特のメニューを選んで作ってくれます。今日のランチはソラマメのサルマ。ソラマメの皮をむいたものと米などをぶどうの葉に包んで似たものです。ソラマメ大の小さな小さなサルマです。もう一品は麦とひよこ豆のヨーグルトスープ。濃厚なのにヨーグルトの癖がほとんどなく、麦とひよこ豆も柔らか過ぎず、硬すぎず、感触がおもしろいです。そしていつもは疲労困憊で夕食食べる気力もないのですが、今日はお客さんがありましたので名物の「トカット・ケバブ」を郊外まで食べに行きました。トカット・ケバブは「吊るすケバブ」です。串の一番上に牛の尻尾の脂身を付け、でも油が下に落ちるためくどくないという優れもの。骨付き肉とナス、じゃがいも、別個にビベルで、肉の油が浸みたナスが最高においしかったです。1kgのトカットケバブを頼みましたが、驚くほど安くて、しかも量もたっぷり。女性4人と、小食の男性1人で食べきれないほどでした。本日のメニュー。最後の収穫は「レタス」です。画像だとわかりにくいですが、ビラビラの大きな円形のイーネオヤです。レタスそのものの形状です。写真のものは1980年代に、当時高価だったシフィンに、イブリシムと呼ばれる撚り済みの双糸のシルク糸を使ったものです。モチーフ自体も新しいものではなく、古くからあるものだそうです。トカットの古いイーネオヤは噂に違わない、大きくて、でもシルクの特性を活かしたふわふわ感のあるものです。でも最近はシルク糸が手に入らないため、ポリエステル糸(アルトゥンバシャックかクスメット)か、オヤルの撚り済み4本人工シルク糸だそうです。ヤズマの故郷トカットなんですから、ハンドプリントのヤズマにイブリシムでいいからシルク糸で作ってもらいたいものですが、ヤズマも昔のようなハンドプリントものが手に入らないからそうしたくても無理なのよ・・・と言われました。そうは言っても、ハンドプリントのヤズマと伝統モチーフのぶりぶり、フリフリなトカットのイーネオヤの組み合わせは魅力的です。自分で作ったヤズマに、トカットのイーネオヤを作る体験しにトカットへ行きましょうね。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 10, 2016
今日はミフリ社長の自慢話を・・・・!?ミフリ社長はイーネオヤコレクションとともに、古いバスクのコレクションも一通りは持っています。それはボフチャやストールなどのバスク単体だったり、イーネオヤと一緒になっているヤズマだったりしますが、過去にトカットで手に入れたもの以外は、それらの正体が何であるのか、いったいどこのものなのか、今まではっきりしたことはわからないままでした。(イーネオヤとしてどこのものかはわかりますが、それに付随する古いヤズマはその地のものではないからです)ブルサやイスタンブル、エラズーなどにもバスク工房があったらしい話は聞いています。トカットが本場だったのももちろん知っています。でもどれがどこのもので、どういう背景があって、どういうモデルで・・・なんて話は知らないわけです。で、本場のトカットに行くのだから、自分が持っている古いバスクの正体も教えてもらおう・・・と、コレクションから数枚持参しました。トカットにはフル手作業によるバスク職人さんとして、古くから続く工房の師匠と跡継ぎたち、新たに学校などで習ってこの世界に入った先生たちが限られた数ですがいます。その一人の工房にお邪魔することになり、お友達が木版の手彫りを教えてもらっている間、先生たちに私のバスクを見てもらい、トカットのものか、そうでないものか、教えてもらいました。どこでこれだけのものをもの集めたのー?中には一度も見たことない古いモチーフもあって、資料提供したものもあります。もう少し早く見ていたら、○○○に載せたいものがある・・とも言われました。掲載されているものより古い時代のものだそうです。博物館や資料などを見て、ますます自分のコレクションの内容に自信と確信を持ちました。頑張って集めた甲斐があったわー、と大満足です。というわけでミフリ社長がトカットバスクの古いものをバラしてしまわないうちに、ぜひアンタルヤのミフリまで現物を見にいらしてくださいませ。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 9, 2016
ブログではまだ初日の話が終わっていないのですが、バスク修行は土日も関係なく今日で4日目です。状況的にはさと子さんは一色版、色版がだいたい終わったところ。5日目の明日に色版の続きをやって、手塗りに入ります。私はさと子さんの隣で作業の記録取りをしていますが、様子を見ながら合間合間に短時間のお出かけをしています。(残念ながらまだ放置タイムには至っていません)最初に訪れた20年前とは町の様子も、職人さんたちの姿もすっかり変わっていますが、人々の優しさや温かさは変わっていません。当時出会ったバスク職人さんや骨董家具屋さん(トカットは古い家具でも有名でしたから)の話をすると、それはきっと亡くなった自分の親父のことだろう・・と写真を見せてくれたり、そんなとき私のトルコで過ごした歳月を痛感させられます。わずか20年間ほどの話なのにね・・・・。あの時も、長いこと閉鎖中で現在改装中の古いヤズマジュハン(ガジオールハン)の作業風景なども(デジカメなかったからポジで)撮っているはずなんだけど、いったいどこにあるのだろう・・・とか。さて初日の話に戻ります。トカットに来たのですから、トカット県知事に表敬訪問して参りました。事前に内務省を通して面会予約を入れておきました。とても忙しい方で、面会のときもたくさんの訪問者がいましたが、私たちのために特別に時間を取ってくれ、個別面会になりました。何かお願いしようと思っていたわけではなく、シンプルにご挨拶して日本のシルクの染め物と私の本を贈呈するためだったのですが、話を聞いて県観光局に私たちの修行と取材の全面的なバックアップまで直接指示してくれました。実際は私の方でも滞在中のことについては手配済みでしたが、おかげさまで他の先生や関係者とも知り合う機会になりました。実は面会の直前にバスクのアトリエでもお会いしていました。要人3名を案内していらしたときのことです。そういうわけで私たちがバスクのアトリエにいたのをご覧になっていたので、県庁での面会もスムーズでした。トカットにはバスクを筆頭に様々な手工芸の伝統があります。最後の職人さんたちもいます。文化的にも面白い伝統的な建物など見るべき場所もたくさんあります。(特に博物館は地方でありながら内容も充実していて見応えありました。でもトカットの博物館がこんなに素晴らしいことは宣伝されきれていませんよねえ・・・)トカットについては私がしっかり取材しておきますので、いつになるかはわかりませんが、もし何か機会があればお披露目させていただきます。さて、さと子さんもバスク修行後には日本で報告会も兼ねて紹介のためのワークショップも計画されているようです。今回のことで私自身が身をもって体験しておりますが、バスクって思った以上に楽しく、しかも奥深い伝統手工芸です。オヤを作る人も作らない人も、この地を訪問して職人さんたちから木版作りと型押しを習いながら、自分オリジナルのヤズマを作るツアーなんてどうでしょう。その際はもちろん私が日本語解説員として同行しましょうー。(とりあえず今は非公認トカット県観光大使・・・・!?)ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 7, 2016
この地で唯一で最後のランタン職人の話をしたけれど、もう一人、唯一で最後の伝統手工芸の担い手がいる。キリムを織る女性。トカットではこの15~20年来、彼女以外のキリムの織り手はいないのだそう。講師として参加している地元の市民講座でキリムの織り手を増やす努力をしているものの、趣味で小さな作品を作る生徒たちはいるけれど職業として覚えようという人は皆無だという。正直言って、絨毯屋(知らない方やお忘れの方もいらっしゃるかと思いますが、私はれっきとしたトルコの絨毯屋でございます)として言わせてもらえば、トカットのキリムというのはあまりピンとこない。ここで有名な(だった)のはウールのへレケ絨毯。細かいモチーフで知られる高級絨毯である。ある時期、へレケ絨毯はへレケ以外の土地数か所で作られた。その一つがトカットである。へレケ絨毯を扱っていると、たまにトカット産のものが出てくる。1970~80年代の話である。トカットの村出身だという彼女とキリムについて話しているうちにわかったのは、私の想像通り、彼女のキリム人生は、やはりへレケ絨毯からスタートしたということだった。当時、トカット・へレケが作られていた別の村で絨毯の織り手の募集があった。12歳のときにそれに参加し、絨毯織りを覚えたという。そのころの地方の村では女子の教育は重視されず、学校へ行かせてもらえなかった代わりに絨毯修行に出された。結果的にはそれが学校代わりであり、その時覚えた技術のおかげで現在の自分があると言う。その絨毯織りの技術を基盤に、トカットのまた別の地域でかろうじて残っていたキリム織りを見よう見まねで覚えたのが20歳ころの話。キリム織りの技術を教えてくれる人がいなかったため、全て自分で調べて試行錯誤を繰り返した。現在、50歳。市民講座のキリム織りの講師をしながら、自分の小さなアトリエで細々であるがキリムを織り続けている。仕事柄、たくさんのキリムの織り手とかかわり、織られたキリムも見てきたが、彼女のキリムがとてもきれいなので興味を持った。それが絨毯織りが基盤にあるからだろうとわかったからである。絨毯は目を数えながら一段ずつ織っていく。最悪、方眼用紙に書いた目を見ながら作れば間違いがない。色の入れ間違いをするとモチーフが出てこない難しさがあるが、逆に言うと図面通りに作ればできる。それに対してキリムは目数とか段という感覚がない。方眼用紙上の図面がないからである。山を作り谷を埋める・・・糸の部分の太さで凸凹ができるらめ、見た目で調整していくので、段数を揃えることはまずない。ましてやモチーフの目数は重視されず、機の下のロールに巻いてしまった前に織った部分は見えないので、大きさや高さなどがマチマチになることが多い。モチーフが入る位置が一致していないのもそのせいである。(それらの歪みや不均一さが味になることもあるのもキリムの良さではあるが・・・。)それが一般的に絨毯はテクニックは難しいが織るのは簡単で、キリムはテクニックは簡単だが織るのが難しいと言われる所以である。彼女のキリム織りの特徴は、まず作るモチーフを絨毯と同じように方眼紙上に目数と段数として作図する。もちろん絨毯ではないので、経糸の本数は別にして、高さを調整する段数はきっちりといかない。それでも隣にあるモチーフの形に合わせて、色糸を変える場所を決めている。そのためモチーフがほぼ崩れなく現れるのである。絨毯織りの習慣がキリム織りにも続いているってことね・・・?と確認すると、彼女自身もうなづいて。「10代でやった絨毯織りの考え方でキリムも織っているから」と答えた。その彼女が作っているキリムは、私たち絨毯屋が村の女性たちに作らせている新作キリムとは別ものの、キリム作家作品としてとらえなければならないと思う。制作の姿勢も自分が納得する作品作りというのが伝わるもので、本人も好きでなければ続けられない状況・・・と。というのはまず価格の設定。絨毯業者が織ってもらう、村の女性たちの内職仕事は普通のトルコの人たちの賃金から比べた特別安い。それは例えば私が売っている2平方メートル超サイズの新作キリムが、織り手の工賃、ウール糸代、仕上げ代、クリー二ング代、運送費、点検経費、弊社の儲けを含めて24000円ということからも想像してもらえると思う。(とは言え、ここ数年は仕事のない農閑期の村ですら、この工賃では織ってくれる人がいないので作らせることもできないけど・・・・)しかし彼女の場合、そのキリムを織るのにかかった制作日数をトルコでの最低賃金で計算したとしても、2か月かかった場合は10万円になる。出来は確かに良いし、町に暮らす一人の女性の労力に対する報酬として当然のことだと思う。しかし、商売としては村の女性たちが作った同じぐらいのサイズのキリムがいろいろ込みで24000円で私が売れるのに対して、彼女のキリムを販売しようとすると10万円に弊社の儲けや送料などを加えなければならない。少なくとも5倍の価格差が生じることになる。その違いを理解してもらえない限り、商売としては難しい。でも出来がいいから何とかしたいなあ・・・と思って彼女のアトリエで見つけたのがコレです。キリムのバック。丁寧に時間をかけてほぼミスがない状態できっちり作られています。内側もトルコ製品としては十分にきれいです。男性の業者が手掛けたものでなく、女性の作品であることがわかるものです。大量に制作できるものではないので、1点1点しか作られません。2点しかありませんので、参考までにお見せしたいと思いました。もし興味がある業者様がいらっしゃいましたら、もしくは個人でオーダーしてみたいというのもありですが、ぜひご相談ください。現在、キリムとして出来上がっているものは以下の6点のみ。これらをバックに加工可能だそうです。(裏側は地の色の一色です)思ったけど、昨日のランタン職人さん同様、伝統文化が継続されていくか、途絶えてしまうかということは、見返りを求めない公的な支援がない限り、結局商売として成り立つか成り立たないかの一言だってこと。それが唯一の職人で最後の担い手であったとしても、続ければ続けるほど経済的に困窮するようであれば、もし本人は気持ちだけで頑張ったとしても、後継者が現れるわけないですよね。----------------------------------------------------------------------------バスク修行の話が出てこないなあ・・・・と思っていますよね。すごい過密スケジュールで、まさに修行という言葉がぴったりの状況です。予想していたトルコ・タイムの、のんびり滞在ではないことは確かです。まだ3日目というのが信じられないぐらい、中身濃くてついていけてません。毎日なんとか頑張って更新だけはしていきますので、見捨てずよろしくお願いいたします。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 6, 2016
トルコに8人しかいないランタン職人の一人がこの地にいる・・・・と教えられました。ランタンって何? って言われちゃうかな。持ち運びのできる角灯のこと。ろうそくなどを中に入れて携帯用や吊り下げ用の照明として使われたものです。すみません・・・・私、この手の昔の日用品もコレクションしているので興味あり、です。もちろん会いに行きましたよ。もともと電気屋さんなんだそうです。古い家電の修理などを扱っているうちに、ランタンの修理も手掛け、35歳のときにランタン制作もするようになったのだと。↓ 古いのってこんなやつね。(これは欲しい)前任のランタン職人の働く姿を子供のころに見ていて覚えていたことも、のちに影響を受ける理由になったと話していました。この道30年、現在65歳です。スズ加工された鋼を手作業でカットし細工していきます。昔はろうそくを使ったのですが、そののち、円錐形や円柱形の容器に入ったオイルに火を灯して使われました。今なら同じろうそくでも倒れにくい平たい円形のものなどでもいいですね。これがまた結構可愛いのですよ。師匠はいいます。「私がこの地での唯一で最後のランタン職人です。後継者は残念ながらいません。やりたいと手を挙げてくれる若者もいないです。周囲からは後継者を育てるように言われますが、そのためには商売として成り立つこと、もしくは公的なところから経済的なことも含めて支援を考えてもらわないと、後継者になりたいと思う若者を雇うことすら不可能です。伝統的な技術は残したい、でも経済的になりたたない職業だからやろうと思う人がいないんです」。ごもっともです。実はお値段も手間暇から想像していたよりずっと安い。そしてなんといっても手作り感がいっぱい。実用的だし。スズ加工が取れてきたころにはちょうどいい具合に錆も出てきて、私好みに素敵になるだろうな・・・とか。いろいろ考えるんですけどねえ・・・。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 5, 2016
本題に入らせていただきます。やってきたのは黒海地方のここ。オヤを作る人にも馴染みのある「ヤズマ」の故郷です。その昔、オスマン帝国時代にこの地に与えられたのがバスク(木版によるハンドプリント)の制作という特権。当時は門外不出の技術でした。一時廃れたものの、今でもその技術はこの地でも継承され、その数は限られてはいますが、職人さんや作家さんたちが制作を続けています。私はイーネオヤの収集とともに、手仕事によるバスクの古いヤズマも集めています。そのヤズマの何点かをインスタで公表したことでこの地の有名なヤズマ職人さんから連絡をいただき、また別のことがきっかけで今回お世話になるバスクの先生とも知り合いました。立て続けにだったので、これも何かの縁、彼の地が私を呼んでいる・・・。彼らを訪ねて行ってバスクを習うのは今しかない・・・というこの上ない機会が訪れたのです。ただ私の方針は何事も分業・・・ですので実技には手を出さないことに決めています。そこでネット上でお知らせした上で、何人かの日本のお友達にバスク修行の話をしたところ、オヤ仲間のさと子さんが手を挙げてくれましたので一緒に彼の地に向かうことになりました。期間も時間も限られているなかで、職人さんの技術を学ぶのは簡単なことではありません。本当は何年も弟子入りして修行するしかないのですが、短期間でもヤズマ作りがどんなもので、バスクの基本テクニックを知ることを目標に、初日がスタート。木版自体は難しいことではありません。染料つけて押すだけですから。でも手工芸をされる方はご存知のように、始まりから終わりまでの工程での作業内容は実際に体験してやってみて初めて理解できることが多いかと思います。頭で理解するより、作業工程で身体で覚えることが肝心かと思います。実際、やってみないとわからないことがたくさんありました。今日は作業に慣れるために、一色の型押しでのヤズマ作りをしました。私も一日中作業につきあって、取材と記録と先生の通訳をしていましたので、押すだけ・・・と思っていても、それだけではないこともよくわかりました。体力というより思考力と想像力と集中力がいる作業だということも理解しました。でもね、もちろんプロの技術には及ばないものの、自分のデザインの作品を手に取れる満足感があります。さと子さんの覚えの速さとセンスの良さも手伝って、先生が思っていた以上の進み具合。最初は今回の修行では一色で終わりかと思っていたところ、今日の様子を見て先生がこれなら色重ねも手塗りも、色抜きも全部できそうね・・・と。お客さんではなく、あくまで弟子入り修行ですから、アトリエを閉めるときはお片付けもします。明日からは先生より早く行って、まずはお掃除ですか・・・ね。今日はそれ以外にもいろいろあって、先生のアトリエの下にある私の行きつけの古物商にすら物色に行けなかったのが心残り・・・。一日が短すぎます。ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 4, 2016
どこでもドアでコンヤまで行けたのだから、次は気球にでも乗って空の旅・・・!?気球に乗って(?)着いた先はもちろん「カッパドキア」のギョレメです。ここでカッパに住んでいる日本人のお友達と待ち合わせしました。そしてカッパに来たらコレですかね・・・・。今回はシックな色で攻めてみましたが、揃えて並べてみると、なかなかいい感じです。ミフリ社長セレクトのカッパ発ボンジュクアクセサリーは近日中にサイト(下のショッピングサイト・・・ってやつです)に出しますので、どうぞご覧ください。そうそう、ギョレメの絨毯屋の店先で、呼び込まれて中に入ったら、なんと日本人ばかり3人いました。それに私たち3人が加わって6人。あとから1人来て7人。しかもトルコ語話す日本人が4人です。店主は日本語話す人で、日本語、英語、トルコ語がまじりあった不思議な会話が展開されました。ツアーは激減したかもしれないけど、個人旅行の日本人は結構いるようです。それに朝見た気球の群れを見る限り旅行者いますよね・・・。アンタルやのカレイチ周辺だって、夕方から19-21ごろ散歩することがあるのですが、外国人、トルコ人の観光客含めてとても賑やかです。人が多くてびっくりします。むしろ私がカレイチで店をやっていたころ(1995-2007年)の方が寂しかったかも・・・って思います。さてボンジュクアクセサリーを買って満足したので、カッパを離れて進路を東に・・・。道の途中、変わった形のパン。アイ・チョレッキです。月の形したパンの中にマッシュボテトが入っています。そしてチーズ。チーズを適当に5TL分(約170円)を買ったら、お皿に乗せてくれて、3人分のフォークとナイフまでつけて、さらに一緒に食べられるようにとカットした山盛りのパンまで出てきました。なんか申し訳ない・・・・。そして着いた先で食べたのは「シバス・タバーウ」。シバスの名物の盛り合わせです。(つまり、私たちは「シバス」にいるわけです。)マントゥとサルマが有名なんですね。左上からピラフの腸詰め、ピラフのブドウの葉詰め、三角形のマントゥ(ヨーグルトとトマトソース掛け)、左下はおはぎみたいな皮の中に味のついたひき肉、手前の三角形はつぶしたポテト入りの大きなマントゥです。私、マントゥもサルマも好きじゃないのですが、どれもおいしかったです。デザートにもミルク漬けのなんとか(女の人の名前)・・・っていうのをいただきました。そして腹ごなしにプチ観光。前に来たときは修復中だったチフト・ミナーレ。中も外も市民の憩いの場としてカフェテリアとして利用されています。歴史的建造物が市民のためにあることはとてもいいことだと思いますが、ビニール製の安っぽいテントが邪魔で写真が撮れないのが残念です。もう少し周囲を考えた色やデザインにしたら雰囲気も壊さず、人が集まるところになるのにね。こうして各地の美味しいモノを食す旅は続くのです。(・・・じゃなくて。)ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへ
November 3, 2016
アラチャトからどこでもドアを潜り抜けてやってきたのはコンヤ・・・・。コンヤにはいついくの? の関西のお友達の問いに、「今夜」って答えなければならないところを答えられなかったことを偉く後悔しているミフリ社長です。(関西人失格です・・・)コンヤに言って何してきたかというと・・・。かぼちゃと戯れたり。手作りほうきで落ち葉集めをしたり。トラクターを運転しているふりをしたり。・・・・じゃなくて、アレの現物をこの目で見てきました。そうです。コンヤで噂の例のアレ・・・です。「墓石モチーフ」または人によっては「カイナナ(お姑さん)オヤ」と呼ばれるもので、聞いた話によると「カイナナオヤ」としては、お嫁さんになる人がお姑さんになる人に贈るものらしいです。で、もちろん「墓石」な形をしている意味は何? って突っ込みました。ある人のお返事です。あくまで一例としてご理解ください。苦笑いしながら・・・。「それはねえ・・・・いずれ行く場所として・・・ごにょごにょ・・・」これ以外にもコンヤの本来のシルクの古いイーネオヤをたくさん見ました。それは見事としかいいようがないです。気が狂います。そしてコンヤといえば「エトゥリ・エキメッキ」。肉入りパンという直訳になりましが、ここではひき肉入りのトルコ風ピザのことをそう呼びます。そして1枚が1mもの長さ・・・・。そして場所によっては細長い板に乗せて長いまま出してくれたりするのですが。なんですが、食べたところがエトゥリ・エキメッキの有名店で、そんなことしている暇はないって感じでカットされた状態で提供されます。各地の美味しいものを訪ねる旅は続きます。(だから違うって・・)ミフリのショッピングサイトはコチラ↓ミフリ&アクチェにほんブログ村 手芸(その他・全般) ブログランキングへs
November 2, 2016
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