田崎正巳のモンゴル徒然日記

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2018.06.15
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カテゴリ: 世界とモンゴル
昨日、今日と「ウランバートル対話」という文字が何度か新聞やネットニュースに乗ってます。

注目が集まる理由は「日朝政府高官が接触するのでは?」というものですが、私が気になったのは「ところで、この国際会議みたいなのは何?」ということです。

まずこの「対話」という日本語(訳語)ですが、これは複数の報道機関が使っているようなので、一応公的な名称なのでしょう。

ちなみに英語名は「Ulaanbaatar Dialogue」ですから、確かに対話ですね。会議だと「何かを決める」という目的が必要ですが、北朝鮮も含めた場ですので「まずは、話し合いましょう」という意味なのかもしれません。

ちょっと調べてみました。

2013年に当時のエルベグドルジ大統領が提唱した「北東アジアすべての国と良好な関係を持つモンゴルが主催する、地域の安全保障を話し合う国際会議」が、2014年6月に実現したものです。これが第1回目。

ネットで過去の情報を調べてみましたが、第1回目の報道はそこそこあるものの、2015年(第2回)、2016年(第3回)の日本語での報道は非常に少なく、昨年2017年(第4回)のが多少ある程度です。

そういう意味では、今回の第5回が少なくとも日本で突然注目された感は、確かにあるでしょう。

実はエルベグドルジ大統領は、こうした外国に向けたモンゴルの役割というのを非常に意識していた人でした。こうした動きを私が最初に知ったのは、2015年5月に来日したときでした。

東京で開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、アジア全体が協調して行動する新たな国際組織の設立を提唱したのです。

講演後に応じた日本経済新聞とのインタビューでは、新組織は中東、ロシアを含む国連加盟48カ国を中心に構成し、領土問題の解決や貿易の自由化を推進する構想を明らかにしました。残念ながら、この構想はその後何も動きはありません。

当時のことは、2015年5月22日付け本ブログ「エルベグドルジ大統領、2時間も生番組に!」 (https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201505220000/ )をご覧ください。

この発言が2015年ですから、既にその前にこのウランバートル対話を提言し、2014年から実行していたということになります。もちろん、当時の私はこのウランバートル対話の存在は知りませんでした。

ハーバード大学院を出たこの大統領は、国内向けよりも対外向けの英語での発信が好きな大統領でした。

モンゴル人の友人らからは「確かに対外的には格好いいスピーチをするんだけど、国内の地方の人たちにはあまり人気がない」とか「若くして大統領になったから、大統領を終えたら次は国連の何かのポストを狙っているんじゃないかな?」などという声も聞きました。

このウランバートル対話がメジャーになれるチャンスが実はありました。それは2013年10月です。

安部首相と仲のいい大統領は、いかにも「よし、今度北朝鮮に行くから、その時にキム委員長に話をつけてやる」と言ったかどうかはわかりませんが、そうした期待を一身に集めて北朝鮮に乗り込んだのです。

確かにモンゴルは北東アジアすべての国と良好な関係を結んでおり、それはあの北朝鮮も例外ではありません。というより、北朝鮮にとっては数少ない「友好国」なのがモンゴルなのです。

はっきり言って、モンゴル人は北朝鮮を「上から目線」で見ている部分もあり、我らが大統領が訪問するんだからキム委員長に会えるのは当然であるけど、拉致の解決まではどうかな?という感じでした。

ところがなんと、結果は会うこともできずに帰ってきたのです。日本人的には「拉致問題の解決が遠のいた」ことで落胆しましたが、多くのモンゴル人は「うちの大統領がわざわざ出向いているのに、会わないとは何事だ!」「もう援助なんかやめちまえ」と北朝鮮に馬鹿にされたと感じ、ひどく立腹する雰囲気が多かったのを覚えています。

これが2013年ですから、ウランバートル対話を提唱してから4か月後、第1回ウランバートル対話の半年前です。安部さんも含めた日本側のモンゴル大統領への期待が急速に萎えていったような気がしました。

もしあの時、キム委員長と会えて第1回ウランバートル会議に引っ張り出せたら、そりゃあものすごく有名な会議になっていたでしょうね。


今回のシンガポール米朝会談について。

トランプ大統領が「キム委員長と会ってもいい」という報道が流れたのが3月9日。私は即刻「ウランバートルが立候補すべき」と政府関係者に連絡を入れました。

が、週末金曜日で反応は鈍く、そのまま土日になってしまいました。そうした経緯は、2018年3月10日付け、本ブログ「ウランバートル、立候補したら?」   (https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201803100000/ )に書きました。

その時、バトトルガ大統領はこの手の話に乗ってくるかはわかりませんが「エルベグドルジ前大統領なら、この提案に即乗ってくるでしょうね。こういう国際的に目立つこと好きですから。」と書きました。

そして今頃になって、その頃の様子がわかってきました。私からのメールとほぼ同時に、エルベグドルジ元大統領がウランバートルでの開催を提案したツイッターを発信したようです。やはりエルベグドルジ元大統領は、この手の話への反応は素早いです。

多分、バトトルガ大統領はこうした立候補の意義も理由もピンとこないんじゃないかと思います。基本的には国内派でしょうから。

第5回ウランバートル対話が思いもよらない形で注目を浴びましたが、長期的視野でエルベグドルジ元大統領が提唱した会議の存在意義が少しずつ広まりそうな感じです。





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Last updated  2018.06.16 08:26:34
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