田崎正巳のモンゴル徒然日記

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モンゴル2008

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2022.01.08
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カテゴリ: ユーラシアの歴史
年明けから、カザフスタンに関する情報が日本にも頻繁に入ってきています。

日本に入ってくる情報をまとめると、「年明けから市民のデモが続いている」「デモの拡大を防ぐため、トカエフ大統領はロシアを中心とするCSTO(集団安全保障条約)に支援を要請した」「デモの理由は、燃料費の高騰に対する市民の怒りである」そして、「今まで退任後も影響力を持っていたナザルバエフ前大統領を安全保障会議議長から解任した」というものです。

本ブログでもたびたびカザフスタンについてはお伝えしています。残念ながら私は一度も行ったことがないので、カザフについては書物、ニュースそしてモンゴル人の友人らからの情報程度しかわかりませんが、個人的にはかなり強い関心を持って見ています。

なので、その程度の立場から今回の騒動を考えてみたいと思います。本ブログの読者である「カザフ人さん」からのコメントもあることを期待しています。

まず言えるのは、今回のデモやそれに伴う暴動、鎮圧などが、単に燃料費が値上がりしただけが理由ではないだろうということです。カザフスタンは1991年以降2019年まで30年近くナザルバエフ前大統領が独裁的に支配していた国です。

良いも悪いも含めて民主主義が定着したモンゴルとは政治体制上大きな違いがあります。その後任であるトカエフ大統領も前大統領との関係でなったわけで、大きな意味での政治体制は独立後30年以上もの間、ほとんど変わっていないと言えるでしょう。

一部の報道で「カザフスタン、権威主義陣営へ」というものがありましたが、そもそもカザフスタンには西側諸国が言うところの民主主義になんかなったことは一度もないわけで、日本の報道機関がいかに中央アジア諸国に対して無知であるかを露呈したと思います。

私が今回「単なる燃料費の値上げデモ」ではなさそうだと思うのはここにあります。単なる値上げのデモ程度であれば、強権的なカザフ政府であれば自国の力で抑え込むことができるはずです。それが困難になったのはなぜか?それはやはり、このデモの裏には政治的な動きがあるからだと思います。

推測できる理由は二つ。一つは権力闘争、もう一つは民主化への流れ、です。この二つが合わさって、前大統領派、現大統領派そして第三の勢力(民主化勢力?)の政治家らによる権力闘争が根底にあるのかもしれません。更にはここに民族問題(カザフ人とロシア人)が複雑に絡み合います。

現大統領の権威が以前と同じであれば、市民のデモ程度は自国の軍をもってすれば抑えられるでしょう。日本などの民主主義国と違い、市民の命の重さは現政権にとって大したことはありませんから。ですが、自国内での権威低下、軍を動かす力、が低下あるいは分散していたら、大きなデモを自力で鎮圧することは困難になります。

最近やたらと「地政学」に関する本が出回っていますが、どれもこれも地政学を単なる「地理的要因で政治を考える」レベルでしか考えていないのが日本の現状です。

元々確かに地理的要因が政治に影響を与えるという意味での国家概念は研究されてきましたが、現在の地政学の実質的な開祖はイギリスのマッキンダーによる「ハートランド」の概念から始まっています。そしてそのハートランドとはユーラシア中央部のことであり、現在でいえばその中心はカザフスタン及びその周辺と言えるでしょう。

このハートランドに位置するカザフスタンは、独立後多面外交を続けてきました。旧ソ連であり、言葉や文化はすでにロシア化されていることから、ロシアの影響は免れません。ですが、ベラルーシのようにロシアべったりにはならず、常にロシアとは距離を保ってきました。

ナザルバエフ前大統領とプーチンはよく喧嘩をしていました。プーチンは「カザフ民族なんてない。カザフなんてつい最近できた国だ」と揶揄したりすると「カザフは2000年の歴史を持つ民族である」と反抗している。

恐らくカザフ人は突厥(テュルク)、更にはその前の柔然や匈奴などを念頭に民族の祖先として位置付けているのでしょう。ちなみに、モンゴル人の多くは匈奴(モンゴル語ではフンヌ)がモンゴルの原型だと捉えている人が多いです。

またソ連支配の象徴であったキリル文字も、ラテン文字(いわゆる英語のアルファベット)に切り替える決定をしており、この点からもロシア文化とは距離を取りたいという姿勢がうかがえます。

モンゴル的視点に立てば、「モンゴルもロシア、中国に囲まれているが、やはりモンゴル民族の文化、遊牧民の文化を大事にしたい。カザフのその流れは理解できる」となるでしょうが、カザフとモンゴルには決定的な違いがあるのです。

それはモンゴルがほぼモンゴル人、多少の部族の違いはあっても、ほぼ「もともと遊牧民だったモンゴル系民族」が90%以上を占めているのに対して、カザフスタンは、独立時にはカザフ人よりロシア人のほうが多かったという事実があります。

現在は、ロシア人のロシアへの帰国、中国からのカザフ人の帰国などにより、カザフ人が過半数を占めるようになりましたが、カザフの北部では今もロシア人のほうが多い地域があるのです。

当然、過去は距離を置いていた中国の経済性も無視できず、カザフはこの距離を保ちたい両大国と、もっと近づきたいと願っている欧米との距離感を図らないといけないのです。

このような構図の中で、トカエフ大統領は実質的にロシアにデモ鎮圧支援を要請した意味は大きいと思います。親ロシア勢力の台頭?、民主化勢力の意外な拡大などによって、自力では鎮圧できないと判断したのでしょう。もしこのまま放っておけば、ウクライナのような内戦状態に陥るかもしれないという危機感もあったのかもしれません。

プーチンにとっては、「要請されての出動」ですから、国際的にもメンツが立ちます。これを機に、独裁的ではあったが対ロシアにやや反抗的であったカザフの立ち位置が変わっていくのかもしれません。私としては個人的にはちょっと残念ですね。





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Last updated  2022.01.09 13:15:58
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