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主人公の女の子観終わったあとに、ちょっといろいろ考えてしまいましたが、あることに気づいてゾッとしてしまいました。原作より考えようによっちゃ「怖い」映画です。元々は押切蓮介による漫画です。連載は2007年頃からなのでもう10年前の作品になります。ジャンルはサスペンス、ホラーとなっていますが、内容は「いじめ」+「復讐」で構成されています。その殺戮シーンがホラーと解釈されてもおかしくないほど凄惨です。北国の田舎を舞台にしているので、キーアイテムはずばり「雪」です。冬の間に事件は起こるので、降り積もる「雪」が死体を隠すといったことで物語は進んでいきます。死体が見つからないのですが、春になったら・・・・ということで本来、物語はそこに向かって収束していくはずなんですけどね・・・・ここからストーリーをほぼ全て書きます。例によってネタバレありですので・・・・主人公は東京から北国に引っ越してきた中学3年生の女の子です。(原作の漫画は絵がかわいいので、後半の殺戮シーンでのギャップがもの凄いです。)転校当初はクラスメートに馴染んでいたようですが、突如としていじめが始まります。「無視」「靴隠し」からどんどんエスカレートし、机に「死ね」と彫刻刀で彫られたり、カラスの死骸を机に入れられたりと散々です。見て見ぬふりの担任や他のクラスメートたちがいる中で、主人公に特別な視線を向けている生徒が2人いました。一人は金髪の女の子で、彼女がいじめの首謀者でした。もう一人は主人公に心惹かれる男の子で、背の高いイケメンです。特にイケメンの方は主人公を陰ながら支え、主人公もいつしか彼に惹かれていきます。主人公は両親に相談し、担任に話をするものの担任は取り合ってくれません。さらに面談にきた主人公の父親はいじめを実行している男子生徒に階段で画鋲をしこんだシューズで蹴られたりもします。もう学校に行かなくてもいいと主人公の親もそう伝えるのですが、そこに一人の女生徒が主人公の家にいじめっ子の命令で様子をうかがいに来ます。彼女は主人公に学校にきてくれと懇願します。なぜなら主人公が学校に来ないと自分がいじめられるからです。実は彼女は主人公が転校してくる前までいじめられていたのですが、主人公にターゲットが変わったことで難を逃れていたのです。いじめが再開したことで彼女は精神的に追い詰められ、主人公の家に火を放つという暴挙に出ます。厳密に言うと、家に火をつけるのではなく、とんでもないことに主人公の家族(父、母、妹)に直接灯油をまき、火をつけます。事件当日主人公はイケメンと一緒に外出していました。そして帰宅したとき火事を目撃します。そしてそのとき、イケメンは火の中に飛び込み、全身やけどの妹を抱きかかえて救出します。妹だけはなんとか一命をとりとめたのです。てっきり火事は事故だと思って放心状態になった主人公は抜け殻のようになっていましたが、心配で同居するようになった祖父や思いを寄せるイケメンの励ましもあってなんとか自我を保ち、再び学校へ行こうとします。卒業まで残り数ヶ月なので我慢をしようと思うのですが・・・・火をつけた実行犯は7名。先の元いじめられっ子の女の子と、主人公を直接いじめていた女子3人、そして階段で父親を蹴った男の子とその取り巻き2名です。リーダー格の金髪の女の子は現場にはいませんでした。彼女が直接命令したわけではありませんでしたが、いじめられっ子は彼女に認めてもらい、いじめをやめてもらうために、ことを起こしたといってもいいと思います。そして再び学校に来るようになった主人公にいじめをしていた女子3人は放火の発覚を恐れ、なんと主人公に自殺するように迫ります。その際、実は火をつけて家族を焼き殺したことを主人公に伝えます。ここで主人公はぶち切れて雪の中から拾った釘(現場は穴を掘った粗大ゴミ捨て場)で女の子の目を刺します。主人公の女の子(最初のイラストと同一人物!)理性の「タガ」が外れ一線を越えてしまった主人公はその後そこにいた女子3人を撲殺します。降り積もる雪は死体を隠し、主人公はそのとき聞いた他の実行犯への復讐を誓います。その後の復讐劇については割愛しますが、主人公も含めてほぼ全員死亡です。担任も死にます。実はイケメンも例外ではありません。「人間・失格」の加勢大周のようなことを、しでかして(古すぎて何のことかわからないかもしれませんが)主人公の復讐の対象になります。「冬の散歩道」がかかると思い出します・・・しかし、1名だけ生き残ります。金髪の女の子です。彼女は物語の途中で主人公に許しをこうものの、元いじめられっ子の女の子の襲撃に遭い半死半生になります。(原作ではここで死亡します。)映画では回復した彼女は春になって卒業証書を受け取り新たな人生をスタートさせます・・・・・凄惨なシーンが連続し、救いがないように思えたところで彼女が生き残ったことで一見さわやかな(希望のある)終わり方をしたような気がします。金髪の女の子は自分の今までの行いを改め、まるで憑きものが落ちたように、彼女のバストショットで物語は閉じます。って、ちょっと待たんかい!そういう解釈でよいのでしょうか?私がゾッとしたのはこのラストです。結果からすると「直接手を下さなかった首謀者が生き残って、何事もなかったようにその後の人生を送る」という最も恐ろしい結末になってませんか?だいたい、あんなことがあったのに卒業式に出席できます?しかも金髪のままですよ。ラストシーンで少し微笑んでいるようにも見えました。すっげー、怖いです。直接手を下さない首謀者がおそらくこの物語の中で一番たちが悪い。この金髪の女の子の家庭の事情も多少描かれますが、そんなの知ったこっちゃない。こいつこそ最も凄惨な最期を迎えなくてはならないと思います。原作では、彼女がばかにしていた元いじめられっ子に殺されるという、本人にとって最も屈辱的な最期を迎えますが、映画では生還します。因果応報からは主人公も逃れられなかったのに、首謀者は助かるんですよ!ということは・・・「いじめはわからないようにやりましょうね~」「うまくいけば、免れることができますよ~」「そんでもって反省したら、赦されますよ~」っていう風に解釈できるラストになってませんか?反省しても髪は金髪のまま・・・人間はそう簡単には変われないことを表してませんか?彼女は高校生になっても同じことを繰り返すような気がして怖いです・・・・・・ということで、そういう解釈をすると、物語のようにここまで凄惨な事件は極端だとしても、いじめた張本人は基本的には「野放し」という現代社会の闇がとても深いということを痛感しました。いじめが発覚すると、すぐに学校の責任が問われますが、やっぱり法をもって、いじめた奴にきっちり制裁を加えないといじめはなくならないと私は思います。復讐はダメですけどね・・・・まぁ、ラストシーンをどう解釈するかによって印象は全く変わってくるんですけどね・・・・ちなみに彼女が着ている真っ赤なコートですが・・・・これこれ!このコートっす!真っ白い雪が画面を覆い尽くす中で赤のコートが美しく映えて見えますが、そういうことじゃないんです。赤のコートは「返り血」を目立たなくするんですね・・・・気づかなきゃよかった。うわぁ~ん・・・怖いよ~ミスミソウ 2018/04/07 公開 114 分 監督 内藤瑛亮出演 山田杏奈 清水尋也 大谷凜香 大塚れな 中田青渚 紺野彩夏 櫻愛里紗 遠藤健慎 大友一生 遠藤真人 森田亜紀 戸田昌宏 野咲祥子 寺田農
2018年10月27日
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それでは「スペクター」のレビューの続きです。ということで、ここからが、「ボンド24」にあたる「スペクター」のレビューになるわけですが、とにかくこの作品は私にとっては、どうしようもないくらい最悪のボンド映画なのです。ボンド映画が大好物でほぼ全ての作品が好きな私にとって、唯一嫌いな作品、もしくは百歩譲ってシリーズ最低作品と言えるでしょう。映画館に観に行って(だいたいボンドの新作は初日に観に行ってます。)あまりの酷さに帰りの車の中で悔しくて涙が出そうになりました。今回、レビューを書くために、もう一度見直しましたが、感想は変わりませんでした。基本、レビューで作品の悪口は書かないのですが、「ボンド25」の雲行きが怪しくなってきたので今のうちに書いとこうと思いました。はっきり言って今作は「女王陛下の007」のリメイク・・・なんでしょ?過去作品のオマージュが至る所にちりばめられているので、わかりにくいですが、ストーリーの大筋は「女王陛下の007」だと思います。このことが、そもそも私は気に入らなかったのですが・・・まぁこれはギリ許せます。「女王陛下の007」は傑作です。何故にそれをリメイクせねばならんかという疑問はあります。ボンドの結婚を扱った作品なのでシリーズ中最重要作品であることには違いないのですが・・・ダニエル=ボンドの集大成なので敢えてそのストーリーをなぞったのかもしれません。ギリ許せるのは、映画の作りは前述したようなガンバレルシークエンスから始まるおきまりのパターンにはなっているからです。許せないのは、そこに、妙な「スパイス」をぶち込んできてるからなんです。その妙な「スパイス」なんですが・・・まずは、タイトルにもなっている「スペクター」の話からしないといけません。「スペクター」という組織ですが、これはボンド映画にはかかせない「国際的テロ組織」です。しかし「ダイヤモンドは永遠に」以降は映画に出てきていません。これは以前にも書きましたが映画で登場させる権利をイーオン・プロダクションが失ったからです。使いたくても使えなかったのです。宿敵「ブロフェルド」も同様に映画に出演させることができませんでした。(ブロフェルドといえばこのお方 ドナルド・プレザンス!)しかし、今作ではこの問題をクリアし、ようやくボンド映画は本来の形に戻るはずでした。あの「ブロフェルド」が念願叶ってボンド映画に復帰!しかも演じるのはクリストフ・ヴァルツ!そりゃ期待しないわけがない。しかし、映画の中では「ブロフェルド」の正体がアホみたいな設定で、私は開いた口がふさがらず、観客をバカにしているのかと思えました。この部分で映画はすべてぶちこわしです。私があっけにとられた妙な「スパイス」とは・・・・ファンにとっては本当に久しぶりに(何十年ぶりだ?)ボンドの目の前に現れたブロフェルドが実はボンドがその昔引き取られた家の子供であり、お兄ちゃん的存在だったという設定です。オールドファンからすると「ハァ?なんすか、それ(怒)」ていう感じでしょうか?監督のサム・メンデスも含めてこの設定を真剣に話し合っていたかと思うとなんだか、ふざけているとしか思えませんでした。ボンド映画において「ブロフェルド」は、ただただ「怖い」悪の存在でいいんです。義兄弟という「サプライズ」なんて一切いりません。ボンドは世界最強の殺し屋です。時には愛した女も撃ち殺します。(「THE WORLD IS NOT ENOUGH」)引き金を引くことに躊躇はしません。だから、ブロフェルドに銃口を向けて撃たないわけないんです。(「ダイヤモンドは永遠に」)ところが今作の最後でボンドは彼を見逃します。なんで?お兄ちゃんだったから撃たなかったの?もう自分はエージェントを辞めるから撃たなかったの?次作につなぐために撃たなかったの?とにかく、この「スパイス」にはがっかりです。確かにスペクターの会合に潜入するまではよかった。そこからミスター・ホワイトの娘と行動しだしてからおかしくなっていきました。結局、最後に嫁が撃たれない「女王陛下の007」を作りたかったのでしょうか?嫁が死なない代わりにブロフェルドお兄ちゃんを撃てる状況に最後なったけど撃ちませんでした。みたいな・・・・いったい何を見せられているんだと映画を見ながら途方にくれてしまいました映画館を出た後、つらくて、悔しくて・・・そして最近の007しか見ていない人にとって、もし、ブロフェルド=お兄ちゃんが好意的に受け止められていたらと思うとゾッとしました。ということで、「ボンド25」がさらに「スペクター」に続くとなるとブロフェルドお兄ちゃんは出てきそうです。次作も兄弟喧嘩になっちゃうの?・・・・こんなもん見せられ続けるのなら、私としては早いことクリストファー・ノーラン監督に撮ってもらいたいです。そうなったら次のボンドは「ダンケルク」から出そうだな・・・・じゃなければマット・ボマーとかいいんだけどね・・・でもカミングアウトしちゃったからな・・・「My name is BOND,JAMES BOND」なんてね
2018年10月09日
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2018年10月現在、007の新作「ボンド25(仮)」は制作が滞っている状況にあります。ちょっと前にはボンド役を嫌がっていたダニエル・クレイグが続投となり監督もダニー・ボイルに決定して順調かと思われていましたが、つい先日クリエイティブ上の相違とやらで監督が降板してしまいました。新監督は「トゥルー・ディテクティブ」というTVシリーズを手がけたキャリー・フクナガです。ボンド映画において監督の交代は今までもよくあったのですが、この「クリエイティブ上の相違」というのが、どうもきな臭く、私のような007ファンにとって不安が募ります。というのも、制作陣はジェームズ・ボンドをアフリカ系の俳優にしようとしていると、もっぱらの噂があるからです。そのためには1度ボンドを作品の中で「殺害する」というプロットを採用し、次作からアフリカ系のボンドが主役をつとめるという噂まで出ていました。ダニー・ボイルがそれに反対したのか、制作陣がそれに反対したのかは定かではありませんが、そのことで「クリエイティブ上の相違」があったようです。そういえばイドニス・エルバがボンド役の最有力とのニュースが一時期駆け巡りファンを騒然とさせました。(今も継続中?)とにかく、ボンドを殺すこともアフリカ系にすることも私は大反対です。どんな危機に陥ってもスマートに任務を遂行するのがボンドであり、ファンは別にリアルさなんか求めていない・・・と少なくとも私にとってそうです。つまり、ある程度の荒唐無稽さがボンド映画の醍醐味じゃないかということです。そんでもって、アフリカ系にするなんてもってのほかです。とか言っちゃうと「やれ差別だ」とかなるんだろうけど、観客にとって(ここがポイント)、その必要はないのでやめて欲しいだけなのです。ジェームズ・ボンドはできあがったキャラなので、いじくる必要なんかまるでないと思います。しかし、制作陣は儲けるためにはなんだってやります。「ブラック・パンサー」の空前の大ヒットはヒーローをアフリカ系にしたことが最大の要因であるとするなら、今それに乗っかると大もうけに繋がると考えているからではないでしょうか。実は、ボンド役を誰にするかのゴタゴタは今回が初めてではなく、ダニエルのボンド役が決まったときもファンはかなりの拒否反応を示しました。中にはダニエルの当時のビジュアルを見て「KGB」のスパイにしか見えないという声もあり、「絶対に映画館に行くもんか」運動まで起こりました。ふたを開けたら、シリアスな雰囲気の「カジノロワイヤル」は絶賛の嵐でリブートした新ボンドは観客に受け入れられました。ダニエル=ボンドも定着し、計4作が制作され新作が公開される度に興行成績を伸ばしていきました。制作陣はこの一連の流れをいわゆる「宣伝」に盛り込むことに味をしめたのです。つまり、揉めれば揉めるほど、公開時の振り幅が大きくなり、そして大きな変革が興行成績に繋がると制作陣は考えるようになったのでしょう。ということは、設定が全てで内容はどうでもいいと制作陣は考えるようになったのではないでしょうか?ボンドを殺すことも、人種を変えることも「設定」であり、敢えて既存のボンドらしさを払拭することが興行成績に繋がるというシステムがイオン・プロダクション内にはできあがってしまったのかもしれません。違うんです。私が見たいのは「いつものボンド」なんです。ガンバレルシークエンスから派手なオープニングに始まり、「ボンドっぽいテーマ曲」に合わせてうごめく女性のシルエット。Mのオフィスで任務を受けてマネーペ二ーと話した後はQに会ってガジェット受け取る。任務先でボンドガールと絡みつつ、タキシードを着てボス役のサイコな大金持ちとパーティー。敵の目的を突き止めたら、ボンドガールの手引きで潜入。しかしバレバレでもろとも捕まる。そのあと敵の基地で脱出し、用心棒をなんとかやっつけてボスと最終決着。ボンドガールといちゃついてエンディング。しかし、このパターンは興行成績が伸びないみたいです。ジュディ・デンチ演じるM曰く「時代遅れ」だそうです。でもなぁ・・・それでいいんだけどなぁ・・・TO BE CONTINUED・・・
2018年10月08日
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一般的な解釈としてはこの映画におけるリボルバーとはおそらく多重人格のことで登場人物の何人かが主人公ジェイクの別人格ということになるのでしょう。物語の大筋は、主人公ジェイクがマフィアの小ボス(マカ)に復讐するという話なのでしょうが、そこで仕掛けた大きなトラップはマフィアの大ボス(ゴールドなる人物)の恐怖によってマカを追い詰めるというものです。しかしゴールドすらもおそらくはジェイクの別人格でそのことに気づかずにジェイクは行動をしていることになります。高利貸しの黒人と大男もジェイクの別人格で刑務所の独房の両サイドにはそんな人間はいなかったことになります。序盤の殺し屋が初めてミスったのは壁越しに3人の気配を感じたけどジェイク以外の2人は実在しないのでいるはずのない人間を撃ったことになります。そのことも多重人格であることを匂わせます。6連奏のリボルバーもジェイク、ゴールド、黒人、大男、最初にいた2人で合計6人です。しかし、私の解釈はちがいます。まず最初に大きなトラップが観客に仕掛けられています。ジェイクが出所するシーンですがおかしなことだらけです。ちなみにジェイソン・ステイサムはこの頃すでにハゲですのでおそらくカツラだと思います。土砂降りの雨の中、しかも夜に出所します。ジェイクは髭ボーボーです。確かに刑務所でも髭くらいは生やせるかもしれませんが・・・とにかくカツラをかぶったジェイソン・ステイサムが刑務所から髭ボーボーで土砂降りの雨の中、夜中に出所してくるところから物語は始まります。こんなことあります?まあカツラはともかく(笑)この時点で今から始まる物語は全てフェイクである可能性があるということなのです。ではジェイクは出所もしてなく全ては刑務所内でジェイクが妄想したことになるのかと言えば、それもまた違うと思います。妄想をしていたのはマカであり、彼がこの物語の真の主人公ではないでしょうか?どこまでが現実でどこからが彼の妄想かは定かではありません。しかし、これは映画としては反則です。この解釈だと映画として成立しないかもしれません。主観であるジェイクの姿や行動、多重人格であったかもしれないことすら、マカの妄想であったとすると、観客は騙されたというより、前提の段階で滅茶苦茶されているからです。ただ、監督のガイ・リッチーや制作のリュック・ベッソンは一時期ハリウッドに対して嫌悪感を持っていたと思われ、ちょうどその頃に作られた映画だということを考えると、ハリウッド映画そのものを否定するような映画と解釈してもおかしくないような気がします。この映画はエンドロールでクレジットが一切出てきません。映画として成立しないのでクレジットも流さなかったのではないでしょうか。ラストシーンでマカは何を見て恐怖していたのでしょうか?ジェイクは姪に言います。「おじさんの目を見ろ」しかし捕らわれの姪は一切ジェイクを見ません。なぜならジェイクはそこにいないからです。そしてマカは恐怖のあまり「死んでいる人間は殺せないはず」と自分自身で頭を打ち抜きます。物語は最初から最後までマカがおかしくなる過程を観ているだけというシンプルなものなのですが、それをここまで難解で複雑なものに仕上げているだけだと私は解釈しました。この物語には何の意味もありません。マフィアの小ボスが恐怖で自殺するしょうもない話です。起こっていることは全てが現実ではありません。もちろん現実に起こっていることもありますが、ジェイクが多重人格でタイトルも「リボルバー」などとつけていることすらミスディレクションだと感じました。そして、マカのイメージカラーは青、ジェイクは緑、中国マフィアは赤で、光の3原色は3つ合わせると白=空虚となります。意味ありげな途中でインサートする格言も全てが何の意味もないのです。深読みして物語の全てをつじつま合わせようとしても無駄だということじゃないでしょうか?ただそう考えると逆に興味深くなってきます。デビット・リンチが平行世界に魅せられたように、リュックベッソンは全く違った手法で非現実世界を構築したことになります。そういえばマカはちょっとだけリーランド(ローラパーマーの父)を彷彿しませんでした?これは考えすぎですね(笑)まてよ、人が狂っていく過程の話というのは「シャイニング」にも通じるな・・・・ジェイクとジャックか・・・・これも考えすぎです(笑)リボルバー 2008/06/07 公開 115 分 監督 ガイ・リッチー出演 ジェイソン・ステイサム レイ・リオッタ ヴィンセント・パストーレ
2018年10月07日
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何故に今更「タッチ」の実写化だったのでしょうか?このあと「ラフ」も映画化されました。どちらもあだち充の原作です。長澤まさみが引き続きヒロインを演じています。それにしても「タッチ」のアニメが大ヒットしたのはもうかなり以前のことですし、何だか「旬」では無いような気がします。しかし、この作品が「今」、映画化される「伏線」は結構あったと思います。まず、「H2」の実写化がありました。そこそこの視聴率だったそうです。(余談ですが「トリック」の監督の堤幸彦が数本演出をしていました。)あらためてあだち充作品が評価されるきっかけになりました。また、上戸彩主演の「エースをねらえ」や「アタックのNo1」も「タッチ」の実写化を後押ししたと思っています。誰もが知っているスポーツ漫画の実写化・・・という共通点ですね。しかも女の子が主役ということがポイントです。この手の企画は大コケはしないことが業界では認知されたのでしょう・・・まして当たれば儲け物だし・・・しかし、この作品が「今」映像化される最大のきっかけとなったのはその内容(ストーリー)だったと思います。そのストーリーというのは主要人物の「死」で、「タッチ」においては双子の弟、和也が物語の途中で死んでしまうことです。最近の映画やドラマでは「愛する者の死」をあつかった物が増えているように思います。病気や事故で近しい者が死んだとき、人はどう思い、どう行動するのか・・・・本当に似たような作品が多いと思います。全ては「世界の中心で愛を叫ぶ」から始まったムーブメントだと思いますが・・・(これまた余談ですが「世界の中心で愛を叫ぶ」というタイトルは「新世紀エヴァンゲリオン」のサブタイトルのパクリではないかと言われています。)「1リットルの涙」なんかもそうですし、「赤い疑惑」のリメイクもそうなのでしょうね・・・・「いま会いに行きます」などは同じカテゴリには入らないのかもしれませんが、近しい者の死ということでは同じ範囲で考えることができるかもしれません。「タッチ」はそういう意味では日本一有名な漫画の一つなのかもしれません。ただし、和也の「死」は物語には必要不可欠な要素であるが、そこから真の物語が始まるわけで、決してクライマックスではありません。ちなみにスポーツ物では「死」をあつかった物語は希です。古くは「あしたのジョー」もそうですし、「シュート」もそうです。奇しくも2作品とも実写化されていますが、主要人物の死が物語をより深みのあるものにしています。「タッチ」も含めてこれらの作品(原作&アニメ)は私の中では「殿堂入り」です。ただし、実写の方は・・・・かなり凄いことになってました(笑)「シュート」に関してはSMAP主演なのですが、まだそれぞれの役者としての才能が開花する前の作品なので昔の「アイドル映画」の出来です。「あしたのジョー」に関しては・・・・コメントできません(笑)スポーツ物で男の子が主役の原作を実写化するとなんだか滑稽なものになってしまうのはなぜでしょうか?このカテゴリで通用するのは女の子が主役の原作だけなのかも知れません・・・理由としては男の子が主役のスポーツ物は「必殺技」の存在があるからだと思います。「大リーグボール」や「ギャラクティカマグナム」(笑)など、とんでもない「必殺技」が存在します。その描写も尋常(笑)じゃないです。しかし女の子が主役のスポーツ物にはそれがあまり見られません。要するに女性の方が現実的なのでしょうか?、その分、物語としてはリアルだということなのだと思います。さて、本作品の出来ですが・・・・私としては悪くなかったです。いや、悪くなかったどころか素晴らしい出来だったと思います。この作品を制作するに当たって、まず最大の難関は上杉兄弟を演じるには双子の男の子が必要だということです。斉藤祥太、慶太の双子は本当によく演じていました。ぱっと見、主役としての華はないかもしれませんが・・・原作でも上杉兄弟は、ずば抜けたイケメンという設定ではないので(おっと!)この位がちょうどいいのです(笑)原作の設定としても誰もが好きになる南ちゃんと「つり合い」が取れるように達也が頑張るという姿があるのですからね・・・そんなにイケメンだったらだめなのです。しかし、映画の主役としては残念ながら斉藤兄弟は知名度がもう一つです。映画の「座長」というのは大変なことで、それは大作になるほどメジャーな配役が必要とされます。主役に起用されるというのはそういうことだと思います。かの「容疑者・室井慎次」では記者会見で柳葉さんが目に熱い物をためたほどですから・・・私としては斉藤兄弟はいいキャスティングだったと思いますが、映画会社がどう考えていたかは微妙だと思います。実際、全国でオーディションをしたとしても彼ら以上の「双子」が見つかる可能性は低かったと思います。そこで映画会社がとった苦肉の策は長澤まさみを主役にすることだったのでしょう。彼女が南ちゃんを演じるということで話題性は十分だし、「タッチ」を南ちゃん目線で描くのも1つの方法です。かくして、この企画はスタートし、実写不可能(上杉兄弟の件によること)だと思われていた作品が現実になることになりました。配給会社も新しい解釈の「タッチ」を世に送ることで、この難しい作品にGOサインを出したのでしょうが・・・・特に配給会社が「目玉」と考えていたのは長澤まさみ演じる南ちゃんのキャラクターでしょう!日本一恋人にしたい女子高生を題材にそれを全面に出せば話題性はもとよりドラマ、舞台など展開はいろいろ考えられます。下世話な言い方になるかもしれませんが最大の見所は長澤まさみのレオタード姿だったのではないでしょうか?南ちゃんといえば新体操ですからね・・・正直、配給会社もそれを期待したのでしょう・・・・しかし、制作サイドはそれを敢えてしませんでした。長澤まさみの運動神経がどれほどのものかはわかりませんが、彼女に新体操をさせなかったのは正解だった気がします。彼女に新体操をさせるとその話題が先行してしまいます。つまり、もし彼女がレオタードを着ていたら、その姿の方が話題になり、肝心の内容が飛んでしまう可能性が高かったと思います。しかし配給会社としては企画の段階から困惑したと思います。肝心の目玉がなければ話題性にかける。まして作品の内容も長澤まさみを等身大の女子高生とし、さらに単独の主演であることも押さえぎみに作ろうとしていたのでしょう。しかし、そこは監督を含むスタッフが筋金入りの「タッチ」ファンだったのではないでしょうか?私が思うにやはりタッチは「野球マンガ」であり、恋愛物であることはもちろんなんですが、大きな山場は上杉達也がマウンドでピッチングしているときだと思います。決して南ちゃんが新体操で輪っかを回しているときではありません(笑)そういう意味では長澤まさみのサービスカットを封印し、ドラマの部分を全面に出したことが私にはうれしかったです。ちなみに原作では描き切れていなかった上杉母の心理を表現していましたし、和也が助けた男の子も登場します。演じた風吹ジュンも素晴らしかったですが、この辺の演出は見事でした。まだまだ書き足りないですが、先に書いた「アイドル映画」とは一線を画す作品だったと私は思います。原作を越えることはなかなか難しいことですが、世界観を踏襲しつつ独特の「タッチ」になっていたと思います。これはこれでいい作品だったと思いました。私の友人が何かの雑誌で「この作品が好きな人は日本人じゃない」と書いてあった言ってました。このことは本当かどうか嘘っぽいですが・・・・とにかく、評価があまりよろしくないようですが、先入観なしで見てみると以外と楽しめる作品だと思います。特に、南ちゃんが急に思い立って達也の球場まで走り出すシーンではオリジナルではないけどあの曲(!)がかかります。私には鳥肌物でした!!!タッチ 2005/09/10 116 分 監督 犬童一心 出演 長澤まさみ 斉藤祥太 斉藤慶太 RIKIYA 風吹ジュン 若槻千夏 小日向文世 宅麻伸ちなみに「ラフ」では長澤まさみの水着姿が拝めるようですが・・・水着よりレオタードの方が「萌え」度は高い・・・・と思うのですが(笑)
2007年07月30日
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「ファイナル・ディスティネーション」「デッドコースター」と来て3作目の「ファイナル・デッドコースター」です。これはうまいこと邦題をつけてますよ。本作の英題は「FINAL DISTINATION 3(ファイナル・ディスティネーション3)」です。2作目で邦題がなぜか「デッドコースター」になりました。で、3作目なんですが、今作ではジェットコースターが関わってくるため、邦題の2作目と3作目を合わせたものになったのです。まるで3作目にジェットコースターが舞台になることがわかっていたかのような2作目の邦題なんです。これは偶然なんでしょうか?映画の内容から考えるとちょっと恐ろしくもあります。この作品は3部作ではありませんが、話は続いています。ちなみに2作目は直で続いていて、再登場する人物もいます。3作目では1作目の内容を登場人物が語るシーンがあります。よってシリーズは同一世界の中で時間の経過とともに起こっている話だということになります。それでは全体的な解説から始めます。まず、シリーズに共通しているのは「予知」です。主人公はある大惨事を「予知」します。その大惨事とは自分たちが数分後に遭遇するであろう事故です。1作目では乗るはずの飛行機が爆発する事故2作目は交通事故3作目はジェットコースターの事故です。それぞれの作品で事故は「予知」通り起こり、主人公を含めた数名の男女が命を取り留めます。しかし死ぬはずだった運命「ディスティニー」が変わったためにそれを修正するかのごとく生き残った者が次々に通常ならあり得ない事故に遭遇し死んでいくという内容です。奇しくも本来事故に遭う予定だった順番にそれが起こります。飛行機の時は座席順といった具合です。運命をもてあそぶのは死神の仕業かどうかは分かりませんが、事故は偶然に偶然が重なったように起きます。ほんのちょっとのことさえ何とかすれば事故は避けられるのですが、犠牲者は増えていきます。主人公達は自分たちに何が起こっていることが予想し、次が誰かまでは分かるのですが、やはりどうしようもなくどんどん自分の「番」が近づき恐怖します。果たして運命を変えることが出来るのか?といった内容です。いかにもうまく話を作っているような気がしますが、この話は既存の映画をつなぎ合わせたようなものです。そのことについて今回は解説したいと思います。まず、アメリカでは高校生の男女が連続殺人に遭遇する話が本当にたくさん作られています。「ワイルドシングス」、「ルール」、「ラストサマー」、「スクリーム」などシリーズになっているものも多いです。サンドラブロック主演の「完全犯罪クラブ」なんてのもありました。若い男女が旅行先で悲劇に遭うという観点でいくと「テキサスチェーンソー」や「クライモリ」、エリシャ・カスバート(「24」の娘役の女の子)主演の「蝋人形の館」などもあります。ちなみに「蝋人形の館」ではあのお騒がせセレブ、パリス・ヒルトンも出演しています。自身の裏ビデオが流出しているにもかかわらず、この映画でもそういう役をしています。この女は相当頭が悪いか、それともその真逆かどっちかなんでしょうけど・・・・やっぱり頭がいいようには思えません(笑)話がずれてきました。「ファイナル~」シリーズにはまず、この要素(若い男女が次々に死んでいく)が入っているということです。それに「オーメン」のテイストが加わったということでしょう。登場人物が死に至るのは殺人鬼の仕業ではなく、あくまで「事故」なんです。そのシーンは「オーメン」でダミアンの存在を暴こうとする者が偶然にも次々に死んでいくようすにそっくりです。「オーメン」はオカルト映画ですが、「ファイナル~」シリーズはそういう側面は描かれていません。まず、この2つのテイストを繋いだもの言えます。そしてもう一つ重要なことがあります。それは「対抗策」という点です。殺人鬼を止めるにはそれが誰かを突き止めて、逆にやっつけてしまえばいいわけです。また「オーメン」では悪魔の子の仕業だと分かるからダミアンを殺せば悲劇は止まるという「対抗策」がありました。しかしこの映画ではまったく対抗手段が見つかりません。順番が変われば運命も変わるというかなり消極的なものでしかないのです。しかし、運命はそれを許してはくれません。もちろん犯人を見つけだすなんてことは出来ないわけですから、主人公達は避けることができない「運命」にもてあそばれ、いつどうやって死ぬのかという「恐怖」にさいなまれます。アメリカ人(欧米人)の考え方は「どうしようもないこと」があるという概念が日本人(アジア人)より希薄です。自分の身に降りかかったことは何らかの形で解決できると考えています。この辺の考え方が違うので、「JUON」シリーズなんかはアメリカ人には理解しにくかったと思います。つまり、この手の映画は自分が殺されると分かってそれを防ぐ手だてを探すという展開になります。もちろんこの映画もそうなんですが、基本的に手段がないのです。どうしようもないということです。「JUON」がそうです。恨みの根元は分かっていても関係ない人まで巻き込まれていきます。そしてそれを絶つ方法はないのです。諸悪の根元は、殺人鬼(「テキサスチェーンソー」)か悪魔(「エクソシスト」)による仕業だという考えが欧米人にはしっくりくるわけです。恨みそのものが諸悪の根元であるというのは、「戦う」という手段を常に取ろうとする欧米人にはピンと来ないのでしょう。逆に考えると戦うことが出来ない物語は受け入れにくいということにもなります。そんな中「JUON」はサム・ライミ(「スパイダーマン」の監督)のバックアップもあって全米で大ヒットしました。日本人(アジア人)特有の恐怖が欧米人に伝わったということです。まとめます。「ファイナル・ディスティネーション」シリーズは若い男女が次々と死んでいき、それは偶然の事故によっておきます。そしてそれには対抗する手段がありません。確かに既存の映画を繋いだものですが、それでもアメリカ映画としては最後の1点については新しい試みといえたと思います。それはジャパニーズホラーの要素を盛り込んだということでもあり、そう考えると、心理的な部分で考えると革新的な作品であったかも知れません。大げさな言い回しになりましたが、そういう事を考えてしまいました。私はそう分析しました。ファイナル・デッドコースター 2006/09/09公開 93分監督 ジェームズ・ウォン 出演 メアリー・エリザベス・ウィンステッド ライアン・メリマン クリスタル・ロウ シャーラン・シモンズ
2007年07月29日
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難しいですよこの映画は・・・・大筋のストーリーもクライマックスで大人数の男女が青空の下で素っ裸で絡み合うシーンもネタバレしてます。この映画が気になっている人にとっての興味は、何でそんなことになってしまったのかという1点につきるのではないでしょうか?実は、映画を最後まで見ても、だからどうなんだっていう感想しかもてないかも知れません。しかし私にはとかなり深い映画なんだと感じました。クライマックスの素っ裸はひとまず置いといてとりあえず、ますストーリーの中で、処女の香りを香水にしたいということについて考えてみようと思います。常人より嗅覚が異常に発達した主人公は「処女の匂い」に魅せられその臭いを再現しようとします。この段階で、まず考えられるのは「処女の匂い」ってどんなんだ?ってことじゃないでしょうか?つまり普通の人間には分からないのです。これが分かるんだったら臭いだけでその女性が処女かどうか判別できるってことですからね。でも観ている者には主人公の「想い」は理解しがたいです。まず、処女の匂いが分かってなんかメリットあります?これは主人公の持ってしまった「悲劇の能力」なのでそこを責めてもしょうがないですけど・・・しかしそれを香水にしたいと思います?さらにその為に処女を殺しまくります。何で殺すかは、匂いのエキスを取るために「おとなしくさせる」為に「だけ」です。悲しいかな主人公グルヌイユは相手を気絶させる術を知りません。女性に頼んでエキスを取らせてもらうこともできません。実際は一度頼んで断られたのでおとなしくしてその作業をするために女性を撲殺するのですけど・・・決してエキスを取った女性を永遠に自分の物にしたいから殺したとか、そういう殺人者のストーカー的な感覚は持ち合わせていません。ただ、香水をつくるために、その作業のために殺すことは「必要だった」だけのようです。彼の最大の悲劇は、この世で彼にとって最も魅力的な人物=処女の匂いを持つ者=美しい女性に「愛して欲しい」「抱きしめて欲しい」と言えなかったことです。おそらく最初に出会った女性なら彼を受け止めてくれたかも知れません。ただ1点のみ、その気持ちだけは分かる気がします。愛情を表現することはどんな人間にもある悩みで、だから迷い苦しむけど、だからこそ人を好きになった喜びが分かるのかも知れません。本当に彼が欲していたのは香水を作ることではなく、「愛し、愛されること」だったのではないでしょうか?シンプルなことだけど、きっと彼には困難なことだったのでしょう。それは特殊能力をもったことではなく、彼の生い立ちに関わってきます。彼は母親から生まれた瞬間に捨てられ、ある人物に拾われるが、実はその人物は身よりのない子供を育てて奴隷として売ることを生業としていました。ある程度成長した段階で、彼は売られ、家畜のような生活を強いられました。そんな彼に「愛」なんて分かるわけもなく、表現することも出来なかったのでしょう。香水を完成させたが捕まり、いよいよ死刑が執行されようとしたとき、彼は香水を自分につけてその場所へ向かいます。おそらく自分のしたことに後悔はなく、最も自分が欲していた匂いに包まれて死刑になろうと思っていたのでしょう。その時ある奇跡が起こり、そのことで彼は取り返しがつかないことをしてしまったことに気がつきます。彼は全てを償うことを決意しますが・・・・その奇跡は彼にとってはさらなる悲劇となります。そして最終的には彼にとっては死よりも残酷な結末を迎えなければならなくなりました。そう考えると、あまりにも切なく悲しい物語というとらえ方もできます。グルヌイユがしたことは悪魔の所業であり、人を殺すことに何も感じていなかったことはもっと罪が増すと思います。だからこそ神は奇跡を起こし彼にさらなる苦しみを与えたのかもしれません。この映画は特異な能力を与えられた男の奇妙な半生を描いたものであるが、そこには悲しいほどの「愛」が満ちあふれていたと思います。単なる殺人鬼の映画として受け止めるか?それともあらためて人を愛することとはどういうことなのか考える映画なのか?もしくは愛されることのすばらしさを伝える映画と感じるか・・・とどう感じるかは本当に人それぞれでしょう。私は、ひょっとしたら全てが本当で全てが嘘なのかもしれないと思いました。確かに愛されることは素晴らしいことではあるが、そのためには自分の愛を押しつけてはいけないと思います。つまり愛されるためには自分自身の気持ちを抑えなくてはいけないということです。それは明らかに矛盾で結局彼は愛されるためには愛してはいけなかったという結論に達してしまったのかも知れません。彼の魂はその迷宮のような地獄に墜ちてしまったのでしょう。それは、家族愛のような無償の愛に出会えなかったからだと思います。先にも述べましたが本当は出会っていたのです。最初の女性に出会ったときに・・・・ひょっとしたらグルヌイユはその能力によりだれよりも愛に包まれるチャンスを与えられていたのかもしれません。しかし、一生彼は真の愛に包まれたことはなかったのです。そう考えると映画を見終わった後に本当に救われない気持ちに私はなりました。それを切ないと捉えることも出来るかも知れませんが・・・・私にはやりきれない感じがしました。この映画はいろんな考え方ができます。一つ言えるのはどんなに主人公が哀れでも殺人鬼はそれ以上でも以下でも無いのです。この映画のような内容で「愛」について考えてしまった自分自身に本当にやりきれなくなってしまったのです・・・・うーん・・・・たまに難しい映画を観るとこんなことを考えてしまうのか?病んでるのかな・・・・・?パフューム ある人殺しの物語2007/03/03公開 147分 監督 トム・ティクヴァ ナレーション ジョン・ハート 出演 ベン・ウィショー ダスティン・ホフマン アラン・リックマン レイチェル・ハード
2007年07月24日
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今回はネタバレ無しではまったくレビューにならないのでこれから観ようと思っている方は気をつけてください。どうやらこの作品には「もうひとつのエンディング」なるものがあるらしくネットで検索しているうちにさまざまな評を読みましたが・・・まぁ、たたかれてますね・・・リメイク作品なので前作と比べて・・・もしくは原作を読んで・・・「なんじゃこりゃ」という意見が大半です。私は前作は観ましたが、原作は読んでいません。そんでもってもうひとつのエンディングも観ていません。そしてコメンタリーも聞いていません。という状態でレビューしていますので・・・そのつもりで読んでいただけたらと思います。さて、リメイク版「日本沈没」ですが、最初に書きますが、私はかなりいい出来だったと思います。ただし、これは純粋に1本の映画としての評です。確かに「アルマゲドン」の要素を入れて、なおかつ大筋はラブストーリーに仕上がっていることは否定できません。「タイタニック」も入ってるかも?そして前作とラストも違います。ですけど、よく考えたら、そういう展開を盛り込んだこと、もしくはラストを変えたことは当然のことだと思います。この作品は2000年を越えた現代の日本における「日本沈没」なんです。前作は1970年代の日本における「日本沈没」なので根本的に時代背景が違うんです。何が違うというと前作当時は1999年に恐怖の大王が降臨し地球が滅亡するというノストラダムスの大予言が大流行していたということがあります。世紀末に向けて不安が募り、日本が沈没することもひょっとしたらあるんじゃないかということが、若干なりとも人々に信じられていた部分がありました。ちなみにノストラダムスが有名なのは日本だけで海外では知らない人が多いようです。当時1999年に何かが起きると一大ブームになっていたのは日本だけだったかも知れません。そして、前作ではそういう時代背景において「滅び行く祖国」が最大のテーマであり、避けられない最悪の未来をどう生き抜くのか、もしくはそれを敢えて受け入れるのか、日本人として考えさせられる内容でした。俳優の演技も素晴らしく、特に丹波哲郎の首相は本当に素晴らしかったです。日本のフィクサー的な人物が丹波哲郎演じる首相に日本人とはどういう民族であるべきなのか切々と語るシーンでは心が締め付けられる想いがしました。このシーンは今回も形を変えてあります。しかし、作品中での「重み」が全く違います。前作でクライマックスに持ってきたこのシーンは、前「日本沈没」では最大のテーマであり、このシーンでこの映画は単なるスペクタクル映画では無くなったと思います。リメイクでは比較的前半にこのシーンがあります。今作でのこのシーンの扱いにがっかりした人も多かったと思います。おそらくリメイク版がだめだというにはこのシーンが分岐点だった人も多かったのではないでしょうか?私はここで監督は前作のイメージを一度ぶっ壊しに行ったのだと思いました。これは相当思い切った演出だと思います。おそらくブーイング覚悟のことだったのでしょう。実際大ブーイングだったようですが(笑)しかし、このあとの展開を考えると、この時点でこのシーンをわざと持ってきたとしか思えません。リメイク版の最大のテーマは前作とは違います。「日本人とは?」というテーマを投げかけてきた前作は確かに素晴らしかったです。ではリメイク版のテーマはなんだったのでしょう?それはずばり1本の映画としての「完成度」だと思います。決して前作の完成度が低かったというわけではないです。ただ、今作はラブストーリーとスペクタクルの2つの柱を軸にして、映画として「見せる」ことに重点を置いたんだと思います。それを商業主義と捉えた感想もあるでしょうし、前作や原作を冒涜していると感じた人もいたと思います。非常に深く考えさせられた前作と比べて確かにハリウッド調のリメイク版は「日本人にしか分からない感覚」という大前提のテーマを無視した矛盾の作品であるという見方もあります。しかし、それはあくまでも「日本沈没」のリメイクとしての評でしょう。そのことについて私も否定はできません。では1本の映画としてはどうでだったのでしょう?最初に書きましたが、この映画だけ単独で考えたらそう悪く無いと思います。世紀末を越えた現代では数年のうちに日本が沈没するなんてまず、この先あり得ない未来と感じている人が多いです。少なくとも若い世代は「日本沈没」って・・・・みたいな感覚で映画を観ると思います。その世代に何かを感じ取って貰うにはこのような形になって当然だと思います。逆にそれを観客に媚びるつくりだと感じるかも知れませんが、1本の映画としては観客のことを考えてきちんと仕上がっていると思います。その辺も踏まえてラストの違いを比較してみましょう。ここからは本格的にネタバレになりますので本当に気をつけてください。大体ラストが違いすぎますよね。この辺も前作や原作のファンとしては許せなかったのかも知れません。ちなみに前作でもラブストーリーは描かれていました。ラストで日本は沈没し、移民した2人は離ればなれになってしまいますが生きています。今作ではそれが違います。しかし、どっちのラストに希望があって、どっちが悲劇なんでしょうか?これは判断に困ります。しかし何度も言うようですが、現代において時代背景も考えて、1本の映画の完成度として「なるほど」と言えるラストは今作だと思います。樋口監督は今まで述べたことを全てを飲み込んで、敢えてこういう展開とラストにしたのだと私は思いました。私は今作の「日本沈没」を高く評価します。前作をこよなく愛しているであろう樋口監督が勇気を持って挑戦したその心意気にも感じ入るところがありますが、純粋にこの手の映画として王道をいっていたとも思いました。映画とは恋人同士が見に行く物にあらず・・・でも映画をデートとして見る人も少なくないはず・・・・映画としてそういうことも考えて現代の日本人に「見せる」ことに重点をおけばこういう作品になっても全然おかしくないです。私はリメイク版「日本沈没」という作品を見事、現代版にアレンジした作品したと思います。ということは結論としてこの作品はリメイクではなく「カバー作品」として解釈した方がいいと思います。いろんな評を読みましたが、私はそう考えました。こんな感じ方があってもいいんじゃないでしょうか?賛否両論どころか、ワースト映画と評された今作ですが、私には違ってました。日本沈没(2006)2006/07/15公開 135分 監督 樋口真嗣 原作 小松左京 出演 草なぎ剛 柴咲コウ 豊川悦司 大地真央 及川光博 福田麻由子 吉田日出子 柄本明 國村隼 石坂浩二 六平直政 大倉孝二 和久井映見 長山藍子 加藤武 松尾貴史 ピエール瀧 佐藤江梨子 津田寛治 木村多江 前田愛 福井晴敏! 庵野秀明! 富野由悠季! 丹波哲郎!!!! すげぇキャスト(笑) おまけ1そういえば田所博士のキャラが違いすぎます。前作は小林桂樹、今作は豊川悦司です。日本人としての「わび・さび」を表現した前者と比較して、後者は全く違いました。この辺も突っ込まれるところなんだろうな・・・おまけ2そして最大の難点!ラストの演説のシーンはいかにもハリウッド的、もしくはアメリカ的でした。この映画は日本人による日本人のための映画なんだという「お約束」があるとしたら、これはきっとあってはならないシーンなんでしょうね・・・ちなみに私は「アルマゲドン」には感動できませんでしたし、「タイタニック」で泣く人の心理が分かりません。でも今作にはちょっと「くる」物がありました。それは彼女が命を犠牲にした若者の名前を言ったことです。おそらくここで名前を挙げることはリアルではありません。政府としては死ぬと分かっていた人間を犠牲にしたと、この先、責めかねられません。このシーンはいかにも映画的です。でも2人の名前を挙げたことはどうでしょう?2人の名前を挙げたことは映画的ではあるが日本人的であることを表現していたのかも知れません。なんだか、主人公だけを英雄扱いしなかったこのシーンにはなんとなくホッとしました。
2007年07月23日
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とりあえずよく3作も作りました。ウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンとストーム役のハル・ベリーが続投で出演してくれたのでなんとか3作まできましたがこの先は配役チェンジもありそうです。というわけで完結編ではありません。この物語はまだまだ続きそうです。3作目まで見てやっと気づいたのですが(笑)こういう話では、大概、地球の存亡がかかってくるのですが、なんだか合衆国の中だけの展開のような気がします。まぁ細かいことはおいときましょうか(笑)それにしても日本のヒーロー物と違いアメリカ産は設定がオープンなことが多いですよね。この作品もミュータントは物語の世界観において一般人にも認知されています。しかし、対人類という簡単な構図ではなく、ミュータント同士の対立もあり三つどもえの様相を呈しています。今回は人類サイドも決定的な、もしくは究極の兵器を開発しました。今まで無力だったミュータントに対して攻撃を加えることが出来るようになったということです。このような兵器が登場したとなるとこの先物語が続かなくなるんじゃ無いかと思えるくらいの代物です。この設定は原作にもあったのか?それともオリジナルなのか?いずれにせよ話を続けるためにはそれに対抗するもしくはワクチンのような物も開発されるんでしょう。何のことか分かりづらいですがもはや何でもありのようですからこの兵器に関してはおそらく次作から抗力を失うと思えます。で、話は続きます・・多分それに、これだけミュータントが次から次へと出てくると多少メンバーがいなくなってもどんどん話は出来そうです。でもウルヴァリンだけは画面からは消えないでしょう。なんせ、先日行われたアンケートで最も人気があるアメコミヒーローの称号を得ましたので・・・でもどうしてこいつはこんなに人気があるのでしょう?アメコミ3大ヒーローのスーパーマン、バットマン、スパイダーマンを抑えての堂々の1位ですのでアメリカでは相当認知されているようです。それは日本ならシャア・アズナブルが絶大な人気を未だに持っている感覚に近いのかも知れないですね・・・いずれにせよ彼の魅力は今作のクライマックスに集約されます。ウルヴァリンはラストに究極の選択をしなくてはならなくなるのですが、彼の「想い」はなかなか切ない物があります。ミュータントや人類の未来なんてどうでもいいんですが、ただある人物の「心」を救うために自ら最もつらい選択をします。それは単なるヒーロー物の枠を越えていると思います。アンケートはこの映画の公開後に行われたので、ウルヴァリンが1位になったのかも知れません。とにかくヒュー・ジャックマンがこの称号を手放すかどうかで今後の映画化は左右されるでしょう。一応ウルヴァリン主役のスピンオフが企画進行中だとか・・・もちろん主役はヒュー・ジャックマンらしいです。うわさではマグニートゥ主役の企画も出てるらしいですが・・・「ハンニバル・ライジング」みたいになるんじゃないでしょうか?分かりませんけど・・・話は少しずれますが、ミュータントといえば最近再度アニメ化された竹宮恵子原作の「地球へ・・・」を思い出します。私は原作を読んでませんが、現在アニメは続けて見ています。もともと少女漫画なんですが、ストーリーは相当クオリティが高いと思います。このような物語の展開は少女漫画独自の物で絶対に少年漫画ではあり得ないでしょう。少年漫画のエスパー物の典型は「バトル」です。で、肉体を駆使して戦わないエスパー戦は分かりにくいので、少年漫画ではやりにくい題材なのです。少年漫画、アニメも含めてエスパー物の代表作と言えば・・・・何でしょうか?「幻魔大戦」くらいかな?しかしこれは小説と同時進行とも言えるので完全に漫画、アニメオリジナルとは言えません。思いつきません。あぁ「AKIRA」があった・・・けどこれはエスパー物といえるかどうか・・・?物語の形態でしいてあげるなら「サイボーグ009」ですかね?まぁ確かにエスパーも出ますけど・・・サイボーグか・・・(笑)日本の少年漫画で代表作がないということは、つまり純粋なエスパーのヒーロー物は日本人には馴染みが薄いのではないでしょうか?。最近アメリカでは「HEROS」というドラマがものすごい人気だそうです。ふとしたことから特殊能力に目覚めた主人公達が世界平和に立ち上がるという物らしいのですが、「24」や「LOST」を越えたと絶賛されているようです。これを日本のドラマでゴールデンでやったらどうなるんでしょう?「西遊記」・・・・?いやいや現代劇だったらどうなるんでしょう?どうもイマジネーションがわきにくいです。エスパーをアメリカ人が求める深層心理の奥底にはアメリカが銃社会であることが関係があるのかも知れません。つまり銃を越える能力をアメリカ人は欲しているのではないでしょうか?護身のために銃が日常生活に入り込み、しかしそれに怯えているという矛盾した感覚が、人智を越えた力を求めているのかも知れません。日本は隣人が銃を持っているわけではないし(最近はそうとも言えませんが)テロが起こる国でもありません。日本は人々がエスパーを求めている国では無いと言うことですね。よって国民性の違いから日本人にはピンとこないということかも・・・?私腹を肥やしている悪人を時代劇という舞台で殺してしまう「仕事人」がしっくりくるわけです。そう言えば「仕事人」もさまざまな特殊能力を持ったヒーロー物といえるのかも知れません。「X-MEN」と「仕事人」を比較するのはあまりにも飛躍しすぎですが(笑)でも、テレキネキスや腕から刃物が出てくるヒーローが組織を作って他のエスパーの悪巧みを防ぐなんてストーリーが現代の日本を舞台に展開するなんて話はあり得ます?しかも日本国民はその存在を知っていて、政府も認めているんですよ・・・ちょっと無理矢理にでも考えてみましょうか?ウルヴァリン(拳から刃物が生えて、不死身の肉体を持つ)=ヒュー・ジャックマン→坂口憲二ジーン(テレキネシスを使う最強のエスパー)=ファムケ・ヤンセン→米倉涼子ストーム(天候を操り電気を放出できる)=ハル・ベリー→鈴木京香サイクロップス(目からレーザー)=ジェームズ・マースデン→妻不木聡プロフェッサーX(X-MEN達の父親的存在)=パトリック・スチュアート→渡辺謙マグニートゥ(金属を操るX-MENの宿敵)=イアン・マッケラン→竹中直人うーん・・・ちょっと面白そうだけど凄いことになりそうです(笑)イメージは私の独断ですけど、「X-MEN」という映画は日本だったらこれくらいの豪華キャストで大まじめでやってるんですよ。やっぱりあり得ません(笑)X-MEN:ファイナル ディシジョン2006/09/09公開 105分監督 ブレット・ラトナー 出演 ヒュー・ジャックマン ファムケ・ヤンセン ハル・ベリー ジェームズ・マースデン パトリック・スチュワート イアン・マッケラン
2007年07月16日
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とりあえず一応3部作は完結したのでしょう。本当に3部作と言えるのかどうか怪しいもんですが・・・(笑)まぁ当初の予定通りウィルとエリザベスの物語にケリがつきました。前回のレビューでも述べたように、元々2人が主役の物語だったので、流れは元に戻りました。とうことは「4」があるなら、次回からは別エピソードになるわけで、主役は完全にジャックスパロウになるということでしょうね。ちなみにもし4作目があるならジョニー・デップは出演したいとインタビューで答えたようです。このシリーズは1作目で予定外だったジャック・スパロウの人気が爆発してしまったので2作目「deadman's chest」3作目「at world's end」と続きましたが・・・とにかくジャックが見たいという観客の期待に応えるべく・・いやこの場合「需要」でしょうか?脚本もそこそこの状態で続編を制作したもんだから、ストーリーがとっちらかって非常に分かりにくい展開でした。ですから「deadman's chest」=「2」で、「クラーケン」ことタコの化け物が出てくるようなアトラクション的な内容になってしまうし・・・結局「at world's end」ではその軌道修正で説明不足の部分が多くて大変でした。本来最初から3作全ての脚本があったなら、今回の作品のみどころはジャックの救出になるはずでしょ?でも「2」のラストでクラーケンに喰われてしまったジャックは思いも寄らぬ「復活」を遂げます。正直「劇的な復活」を期待していた私には肩すかしでした。肩すかしというか、説明不足でよく分かりませんでした。そりゃ、ジャックが復活しないと話は進まないのでしょうけど、はしょりすぎです(笑)この部分をはしょったら「2」のクライマックスのジャックの勇姿がなんだか否定されるような感じがします。いろいろ書きましたが結局商業主義に走りすぎてとにかく早く撮っちゃえ感が見え見えで内容が伴ってないということです。最近「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を久しぶりに見ましたが、このシリーズは3部作の見本ですね。あまりの完成度の高さにめまいさえ感じます(笑)脚本の練り方が半端じゃありません。このクオリティーのものを作れとは言いませんがもう少し伏線を含めて観客がうなるくらいの物は作って欲しかったです。それでは本作のレビューです。ここからはネタバレを含むのでお気をつけください。見事復活を遂げたジャックは他の海賊たちと共にその存亡をかけて戦いを挑みます。その時フライングダッチマンのデイビージョーンズ(イカ)は政府(実際は貿易会社)と同盟関係になりジャック達と敵対します。デイビージョーンズは箱に入った心臓を押さえられていたのでそうせざるおえませんでした。実は彼にも悲しい過去があり、かつて愛したカリプソという女性に想いをはせて海を彷徨っていたのだった。ここのエピソードは分かりにくい上に中途半端です。デイビーを完全な悪役にしたくなかっただけのことなのかどうか知りませんけど、正直余計でした。実はこの辺のくだりはウィルとエリザベスの関係に関わってくるので余計とも言い難いのですが・・・・・・で、最後の戦闘になだれ込むんですが、このときウィルとエリザベスの心は離れかけていました。独立心が強く断固たる信念のもと行動するエリザベスはジャックを「2」で犠牲にしたことを気に病んでいましたが、そのことをウィルは知ってしまいます。ウィル自身も父親を助けるためにいろいろと画策するわけで、そのことをエリザベスに相談するわけでもありませんでした。互いに信じられなくなった2人の溝は深まるのですがこの辺は本来メインになるべきエピソードなので必要です。そしてなんだかんだで仲直りするのですが、2人の最終的な愛は意外な形で結末を迎えます。この結末に関してはおそらくブーイングかもしれません。内容は書けませんが、とにかくこの物語の世界観は「死」が軽く扱われていることがヒントです。だいたい初回からジャックをゾンビにしたところから始まっているので簡単に死者が生き返る世界観なのです。ジャックは本来脇役だったのですがこの設定があとあとまで響いてしまったのです。最終的にどうなれば物語が終焉を迎えるのかが主役の交代で曖昧になり、ウィルとエリザベスの物語もやはり中途半端でした。やっぱりジャックを脇役のままにしておいたほうが物語は締まったのではないでしょうか?ちなみに前回のレビューでの私の予想はほぼ当たっていました。最後、ジャックは一人になるというところですね。私は大団円を期待していました。その上でジャックが一人立ち去るような・・・・それとは少し違っていました。これが、物語を続けるための脚本なら、ディズニーの商業主義にも困った物だと言う他無いでしょう。1作目で見切りをつけて、2作目からジャック主演のスピンオフを作った方がよかったと思います。本来オーランド主演の物語にしたためにいろいろな「大人の事情」でそれが出来なかったのでしょう。てなわけでもし「4」があるなら、次回こそ、いろんな制約から(「大人の事情」も含めて)解放されたジャックが大暴れする本当にシンプルな「カリブの海賊」が見れるかも知れません。ここまできたらそれに期待しましょう。個人的にはやっぱり宝探しがいいです。本当にシンプルですけど(笑)でもその方が血湧き肉躍ります。そう思いませんか?そう言えばキース・リチャーズは最高でした。ジャックと親子であることに全く違和感がありません。しかしこの御大を引っ張り出したことにおいてはディズニー恐るべしと言えるでしょうね(笑)だってこんなことする人じゃないもん・・・このおっさん(笑)パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド 2007/05/25 170分 監督 ゴア・ヴァービンスキー 出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ ジェフリー・ラッシュ ジョナサン・プライス チョウ・ユンファ キース・リチャーズ
2007年07月14日
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この映画はどうでしょう?全体的なテイストは伊丹十三監督作品です。でも「社会派」ではありません。かといってエンターテインメント性には欠けます。本広監督が「うどん」を題材にして何か映画を撮りたかった・・・だけのような気がします。大体見る前からストーリーが予測できます。実家が老舗のうどん屋の放蕩息子が、実家に帰ってくる。で、親父が病気か何かになってその放蕩息子が臨時にうどんを作ることになり・・・そこで初めて親父の偉大さがわかる。なんとか店を存続したものの、やはり自分の夢を追って再び旅立つ・・・みたいな?そのままとは言いませんが、そこからさらに深読みするようなストーリーが盛り込まれていたとも思えません。なぜ本広監督はこんな「ベタ」で新鮮みのかける映画を撮ったのでしょうか?おそらくそれは先に述べたように、撮りたかった「だけ」だからのような気がします。意外性が全くなくって、本広監督らしくも無いような気がします。しかし、これぞ本来の「本広節」なんでしょう。きっと、彼はこの作品を撮るとき(正確には企画の段階では)すごく「自由」だったに違いありません。おそらく彼は「踊る」のヒット以降かなりのプレッシャーのなかで仕事をしてきたと思います。だからこの映画は彼へのご褒美だったのだと思います。「好きな物撮っていいよ」ってな感じですかね?だとしたら、納得もいくのですが、いかんせん連続でユースケを主役にしたあたり(前作は「交渉人真下正義」になります)ファンは期待してしまいます。それにこうも考えるでしょう。このキャストで「交渉人2」は作れなかったのか?つまり、完全な消化不良です。本広監督の思い出に付き合わされた感は否めません。それは主演の小西真奈美にとってもそうかもしれません。彼女はドラマ「きらきら研修医」で主役を務める女優にはなりましたが、今回が大作映画での初ヒロインだったのです。「大作」というところがポイントです。あの「踊る」の本広監督が大ヒット「交渉人」の次に撮る映画です。本広監督の「想い」とは裏腹に周囲は俄然盛り上がってしまいました。それは、勝手に期待した私たちも悪いのでしょうけど、軽い気持ちで撮った作品なのにメディアが「おおごと」にしてしまったのです。おそらく出演者達も気軽に参加したのだと思います。脚本の段階でそれは分かると思います。この映画は「大作」ではないと・・・・ところが、公開を前にしてどんどん周りは騒ぎだしました。これに関しては本広監督はそうとう困ったと思います。小振りな作品を撮っているつもりなのになんだか大変なことになってしまっている。「やばい」今更、方向性も変えれないし、そのまま撮るしかないし・・・そんなに期待しないで欲しいのに・・・・この映画はご存じの方も多いと思いますが「サマータイムマシンブルース」とリンクしています。ですから、あまりプレッシャーに感じない小降りの作品「サマー~」ヒットを約束された大作「交渉人」また、力を抜いて好きに撮れる「UDON」という流れが彼の中にはあったのでしょう。ところが周りはそうは思わなかったというだけのことなのだと思います。そして大騒ぎの結果、映画はとてもヒットしたとは言えませんでした。なんだか劇中の「うどん祭り」のような感じがしますけど・・・で、小西真奈美にとってはどうだったのでしょうか?少なくとも女優としての知名度が上がったとは思えません。小振りな作品という認識があれば、「いい味出していたな・・・」という印象も与えたかも知れません。しかし、そういう風にとらえない「前フリ」のような物があったために彼女にとっては今後の仕事に影響が出るかも知れません・・・でも本広監督を責める気は一切しません。だって彼は楽しく撮りたかっただけなんだもん(笑)今までの彼の活躍ぶりから考えると彼にはそれが許されるはずなんですそう思ってみるとなかなか味のある作品なのですが・・・・でも物足りないのも事実です。この気持ちをどこに持って行ったらいいのでしょうか?と思っていたら「トリビアの泉」で「踊る」の新作(?)「内田晋三」を見ることが出来ました。なんだか、ものすごく興奮しました(笑)「UDON」で消化不良を起こしてしまった私にはものすごく痺れました。もしかして、この消化不良すら「踊る」の新作への布石なのか?ということを考えてしまいそうですが・・・・おそらくそれは見当違いも医甚だしいのでしょう(笑)とにかく、この作品は本広監督にとってはかなり「辛い」結果の映画になったと思います。作品自体もう少し脚本を練るべきだったし、最も悪かったのは「タイミング」です。少なくとも「交渉人」という傑作のあとに持ってくるべき映画ではなかったです。巡り合わせの悪さはいかんせんこの業界には致命的です。宣伝費をかけすぎたために(本広監督は意図してなかったが)次回作がどうなるのか不安です。で・・・・それが「踊る」の新作もしくは「スピンオフ」に降りかかってくるとなると・・・・「大丈夫でしょうか?」とそればかりを考えてしまうのです・・・・UDON 2006/08/26公開 134分 監督 本広克行 製作 亀山千広 出演 ユースケ・サンタマリア 小西真奈美 トータス松本 鈴木京香 木場勝己 升毅 要潤 小日向文世 江守徹 中野英樹 ムロツヨシ 与座嘉秋おまけもし本当に本広監督が最初から大作を撮るつもりだったら、ユースケの親父役はものすごい人をキャスティングしたと思います。映画の中での親父役、木場勝己も非常にいい役者さんですが、最重要ポイントですからここに(申し訳ないですが)知名度のあるキャスティングをするはずなんです。それをしていないということは・・・・そこまで考えてもっと軽い気持ちで見ればよかったと少し後悔しています。
2007年05月16日
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本当に3部作かどうか怪しいけど、おそらくもうすぐ公開の「ワールド・エンド」で完結するらしい、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の2作目です。前作の「呪われた海賊たち」という作品は制作会社(ディズニー)とプロデューサー(ジェリー・ブラッカイマー )にはヒット間違い無しという勝算はあったでしょうけど、配給会社は「海賊物」ということでヒヤヒヤしていたに違いない。などというレビューを書きましたが、今作では配給会社も安心していたでしょうね。でも、「呪われた~」・・・めんどくさいので「1」とします。「1」は主役が本来オーランド・ブルームだったはずなのにいつの間にかジョニーになっていたかのような展開でした。つまり私にはジャック・スパロウというあまりに魅力的なキャラが作品の方向性まで変えてしまったような気がしました。本来ウィルとエリザベスの物語でしょう。観客の視点も「海賊」ではなく「海賊と出会った人」なんでしょうから、ジャックが話の中心にいるのはおかしいのです。今作「デッドマンズ・チェスト」(「2」)は本来の方向性に戻すための物語だったのかも知れません。もちろん話はジャック中心に進んでいきますがあのラストから想像すると「3」では物語の大半でジャックが登場しないような気がします。多くのレビューでまるで「スター・ウォーズ」の展開と同じじゃないの?などという声が聞けます。なるほど、それは確かにそうです。ラストシーンでのジャックは「帝国の逆襲」で固められたハン=ソロと同じというわけですね。エリザベスとキスもしたし・・・まぁ「I Know」とは言わなかったとは思いますが・・・(ハン=ソロのこの台詞好きなんです(笑))これでウィルとエリザベスが兄妹だったら完璧ですけどね(笑)そう言えば「ジェダイの復讐(帰還)」で登場したアリジゴクのような化け物の口とクラーケンも似ていたような・・・まぁ突っ込めばきりがないんですけど・・・実際は「1」と「2」ではあまりにも物語の設定が違いすぎますよね。うまく表現できませんが「1」は不思議なことが世の中にはあるのかも知れない・・・というテンションでした。「呪われた海賊」=「ゾンビ」のような存在が話の中心になるわけです。だいたい、海賊という物自体が特殊ですので、そのくらいの「不思議」は遙か海の彼方にはあってもおかしくはないという認識ですね。観ている者も「許せる範囲」だったのですが・・・・「2」は違います。「世にも不思議な物」は「当然あってしかるべき物」に変わっていました。「フライング・ダッチマン」という幽霊船にデイヴィ・ジョーンズ というイカの化け物とその配下の気味が悪い船員が乗っていて・・・なおかつクラーケンという超巨大なタコの怪物が「いる」世界になってしまっていました。ですから、「1」と「2」ではパラレルワールドの作品のように感じてしまうのです。これはやはりすべてジャックのせいでしょう。彼のキャラが「1」で「立ちすぎた」からなんでしょうね・・・・人間同士のいざこざだけの世界はジャックには狭すぎるのです。ジャックには人知を越えたとんでもない敵じゃないともう盛り上がらないと製作サイドは判断したのでしょう。おそらく「1」「2」「3」と最初から脚本があったとは思えません。「2」の製作が決まった段階で、ジャックを中心に展開して、彼をハン=ソロにしてしまうことにしたのでしょう。よってその舞台は「超派手」はないといけなかったのではないでしょうか?しかし、さすがにここまでくると「やりすぎ」感は否めません。もちろん低い年齢層にも合わせたかったんでしょうけど、いっそのこと割り切ってアダルト対象の渋い展開にしてもよかったと思います。だったらウィルとの三角関係も、もう少しうまく描けたでしょうし・・・とにかく世界観が違う作品を同じように評価するのは難しいです。ヒットしたからといって・・・「3」の製作が決まっているからといって・・・「なんでもあり」にしてしまったのは少しもったいないような気がしました。そんでもって、先に述べたように「ハチャメチャ」な展開のくせに「流れ」は元に戻そうとしているのです。次作は、ウィルとエリザベスの物語になるのでしょう・・・ただし前半だけ・・・後半「ワールド・エンド(世界の果て)」でジャックは二人のお陰で華麗に復活し、7つの海の海賊と協力して「政府」と闘って・・・そして形は勝利する物の、やはり最後は海賊が全ての海から居なくなるのでしょう。でもジャックは海賊はやめない・・・たとえ一人になっても・・・みたいな展開が読めてしまいます。違うかも知れないけど(笑)そこにクラーケンはいるのかい?っちゅうー話ですよ(笑)出てこないんだったら「2」はなんだったの?ってなわけです。イカは出てきそうですけど(笑)最後はこれぞアメリカみたいな話の展開になるのはちょっとどうかと思いますが・・・・とにかく「1」と「2」を見た限りでは「三部作」かどうかすでに怪しいので・・・この展開を裏切る物語を期待します。それから「3」でキース・リチャーズは出てるようですね。それは結構楽しみなんですけど(笑)パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト 2006/07/22公開 151分 監督 ゴア・ヴァービンスキー 製作 ジェリー・ブラッカイマー 出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ ビル・ナイ ジョナサン・プライスおまけ水車のシーンは結構好きです。タコの化け物と闘うよりよっぽどいいですね。でも「カリオストロ」のルパンと伯爵の時計塔での決闘を思い出してしまいました(笑)関係ないでしょうけど(笑)
2007年05月09日
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「花嫁を強奪!って、こんなシーンあったけ?」アニメのルパン三世はもう原作とは全く違う物になっていますよね。原作のルパンはもっとハードボイルド色が強いです。しかももっとエロティックです。平気で人を殺すわ、女は抱くわ・・・・近年、山上正月という人がモンキーパンチの承諾を得て「アクション」でルパン三世を描いていました。他にも二人ほど手がけている人がいますが、山上版ルパンは限りなくアニメのルパンに近い仕上がりになっていました。コミックを読んでいたら山田康雄もしくはクリカンの声やあのテーマ曲が聞こえてきそうな感じです。青年誌なので、若干のエロティックな描写もありますが、かなり抑えて描かれていました。これは、私たちが持っているルパン三世のイメージ・・・つまりTV版第二期のイメージによって形成されているからだと思います。山上版ルパンもそうだし、今のルパン(先日新作が放映されました)もそうだと思います。しかし、アニメ版の第一期TVシリーズは別物です。やや原作に近い内容ですね・・・五右衛門の初登場なんて、えらいことになってますから・・・ちなみにテーマ曲も唯一このシリーズのみ違います。このシリーズは、明らかに子供向けのアニメではありません。当時としては画期的だったのでしょうね・・・実は放映時はあまりに時代を先取りしすぎて打ちきりになっています。今でこそ「カウボーイビバップ」のような作品が世に受け入れられていますが、ルパンの第一期はかなりの冒険だったのではないでしょうか?スポンサーが難色を示したという話もありますが、数年後に復活したルパン三世(第二期)はそう言った意味ではハードボイルド色を消して、よりポップな仕上がりになっていました。原作とは一線を画すことになったということです。それはジャケットの色や峰不二子のキャラデザインを全く変えたことでモンキーパンチと合意したのではないでしょうか?「一度でいいから食べてみたい。あのスパゲッティ(笑)」つまり、ルパンであってルパンでない作品にしたという事です。あくまでTVアニメのルパンはそこだけの世界観であって、マンガとは別物だと言うことです。ところが、この第二期のTVシリーズは爆発的にヒットしました。ルパンの本家フランスでも放映され凄まじい視聴率をたたき出したようです。シリーズ最長の3年にも渡って放映も続きました。ちなみにこの第二期放映時に劇場用第一作「ルパンvs複製人間」が公開されました。(のちにウッチャンがマモーをパクリます)この作品は興行的には成功したようですが、実はやや原作に近いルパンに仕上がっていました。不二子のキャラデザインが第二期とは異なります。第一期や原作に近いと私は思います。で・・・当時の(第二期しか知らない)子供達は困惑したと思います。「なんだか・・・・話が難しくてよくわかんない・・・・」みたいな(笑)しかし、興行的には成功していましたので劇場用第二作が制作されることになります。それが「カリオストロの城」です。ジャケットのデザインは第一期のグリーンに戻され、不二子のデザインもまた変わりました。ルパンのイメージもハードさはなくなりやさしい「おじさま」になっていました。さらに困惑です(笑)こうまで翻弄されると、やはりファンは論争したくなります。「どれが正当ルパンなのか?」・・・・と「カリオストロの城」は公開当時(今でも?)は賛否両論でした。映画としての出来は認めるが、これは本当にルパンなのか?・・・とか次元のハードボイルドさもまったく出てこないし・・・とか五右衛門はなんだかコメディタッチだし・・・・とか不二子ちゃんもおばさんみたいでちっともエロってないぞ・・・とか(笑)しかし、見直してみて改めて思いました。この作品は一本の映画としても、ルパンの作品としても「傑作」です。ただし、原作ではなくアニメのルパンとして・・・・です。興行的にも成功して、後にTVシリーズの最終回を含む三話を宮崎駿は任されることになります。ちなみにその時のルパンのジャケットはグリーンでした。「カリオストロの城」でのルパンは原作はもちろん、第一期とも第二期とも違うルパンでした。つまりこの時点でルパンは4つの「顔」を持っていることになります。そしてしばらくして始まった第三期シリーズではルパンのジャケットはピンクになりました。そして不二子ちゃんのデザインは(TVシリーズでは)もっとも原作に近い(私の個人的な意見ですが)ものになりました。これで五つ目の「顔」です・・・・そして、現在年に一回新作が制作されているルパンは・・・・やはり第二期のルパンがベースでしょうね・・・多少第一期のテイストが見え隠れしますが・・・ということはさらにルパンは違う「顔」を持っていることになる?結局どれも本当のルパンなんでしょう。ただ一つ言えるのはアニメのルパンの中でやはり宮崎駿が手がけたルパンだけが「異質」だと私は思います。しかし、最も愛すべきルパンであるかも知れません。つまり、宮崎駿は独自の解釈で唯一ルパンのそれまで見えなかった一面を見せたのかも知れません。未だに「カリオストロの城」はルパンファンの中では論争の的なのではないでしょうか?実は私も不二子ちゃんのデザインや役まわりには不満をもっていますが・・・(笑)しかしそれでもこの作品は「ルパン三世」の最高傑作と言わざる終えませんそれは最後の銭形の言葉に集約されていると思います。「あなたの心です!」くぅ~しびれるぜ とっつぁん!本来の「ルパン三世」の世界観にはなかった台詞でしょう・・・・しかし、あの言葉でこの映画は完璧な物になりました。最高でした!宮崎駿のとっつぁん!ルパンじゃなくてもいいからこういう台詞が出てくる映画をまた作ってもらえませんかね・・・お願いします・・・ルパン三世 カリオストロの城 1979/12/15公開(28年前!)100分 監督 宮崎駿 声の出演 山田康雄 小林清志 増山江威子 井上真樹夫 納谷悟郎 島本須美 石田太郎 宮内幸平 永井一郎おまけ藤原紀香が大の不二子ちゃんファンだということは有名です。なんせ彼女の理想の女性像が不二子ちゃんらしいので・・・それを聞きつけたモンキーパンチはイラストの不二子を藤原紀香の写真を見ながら描いたところすっかり癖になって、現在の不二子のモデルは藤原紀香になったそうです。というわけのわからないことになっているようです(笑)で・・・ハリウッド実写映画化にあたって彼女を不二子役で推薦したとかしないとか・・・それで映画化が頓挫したとかしないとか・・・・まぁこれは噂ですけど・・・・私だったらキャスティングはルパン・・・・クエンティン・タランティーノ(兼監督)次元・・・・アンディ・ガルシア五右衛門・・・・加藤雅也不二子・・・・藤原紀香銭形・・・ジャン・レノかな?ちなみに藤原紀香が加藤雅也と付き合っていた頃に考えたキャスティングです(笑)実際、ルパンはジム・キャリーが候補に挙がっていたそうです。
2007年05月08日
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<ユニバーサル・ザ・ベスト \1,800>[DVDソフト] マイアミ・バイス海外ドラマ「マイアミ・ヴァイス」のリメイクですけど・・・もちろん役名はそのままなんですがこれは果たしてリメイクといえるかどうか?映画版の監督はドラマ版の総指揮者マイケル・マンですから別物ではないはずです。でも、別物のように感じた方も多かったかも知れません。まぁ私にとっては別物であって別物じゃないということなんですけど・・・とりあえずそのことを説明してみようと思います。そのことにはまずドラマ版について書きます。ドラマ版「マイアミ・ヴァイス」はアルマーニなどのスーツを着てフェラーリのデイトナやテスタロッサを乗り回す、現実感のない刑事が売春や麻薬などの組織に立ち向かう姿を描いた物でした。超有名ゲストや挿入歌に当時のヒット曲を使うなどまるでMTVのロングバージョンを観ているような作りだったんですが、実は展開や結末は大団円になることは少なく、どんなに頑張っても犯罪が無くならないはかなさを表現していたように思います。そういった部分が一見派手に見えるところと対照的であり、その世界観は実はリアル感にあふれていていました。つまり制作者のマイケル・マンは派手な部分で視聴者を引きつけ、常にアメリカの現実の問題点を投げかけていたのでしょう。現実感のない刑事が実はリアルな犯罪を追うという対比した構図は一部のファンには未だに最高の刑事ドラマと絶賛されていますが、実際は、その「現実感のない部分」ばかりの話題が先行し、日本でもバブル時代に大ヒットしました。その部分とはズバリ主役のソニイ・クロケットでありそれを演じたドン・ジョンソンその人のことです。彼のスタイルは当時本当にかっこよかったし、セクシーでした。ブランドのジャケットをカジュアルに着こなし素足にスリップオンという石田純一のルーツはおそらくここでしょうね(笑)そしてなにより渋かったのは「無精ヒゲ」です。今でこそチョイ悪だなんだともてはやされてますが、当時ヒゲは野暮ったい物だったのです。まして「無精」なんてものはもってのほかでした。しかし、彼がそのスタイルで無精ヒゲを生やして画面を駆けめぐる姿は当時の女性から絶大に支持されました。よってこのドラマの人気はドン・ジョンソンのセクシーな無精ヒゲに集約されるというわけです。(私の分析では(笑))作品のクオリティの高さとはうらはらに、彼の人気ばかりが話題になったということです。ドラマは当時シーズン5まで製作され、スペシャル版も放送されましたが何故か映画化はされませんでした。このことについては理由が分かりません。当時TV→映画という流れが無かったわけではありませんので、未だに謎です。これは私の推測ですが、おそらくそういう話は、あったと思います。しかし配給会社の意向がいわゆる「派手な部分」だけをクローズアップした作品を期待したのだと思います。先から述べているように視聴者が観たがっているのはそこだと思っていたと思うし、映画をビジネスと考えるならそれは当たり前のことです。で・・・制作者のマイケル・マンが猛反対したのではないでしょうか?自分が創りたかったのは単なるエンターテインメントではなく、リアルな世界観で華やかさとエグイ部分の対比こそが「マイアミ・ヴァイス」の世界観だったからです。かくして、物別れをしてしまい、シリーズも終わってしまったのではないでしょうか?その一番のあおりをくっったのがドン・ジョンソンでした。栄華の極みだった彼はしかし映画には全く「コネ」がなかったのです。ドラマも終わったし、刑事役も二番煎じになるのでなかなか回ってこない、ロマンティック・コメディっぽい恋愛物に数度出演したがパッとしませんでした。そんなときに彼は運命の作品に出会います。「ハーレー・ダビッドソン AND マルボロマン」です。当時、映画界では最もセクシーだった俳優の一人ミッキー・ロークとのダブル主演でした。この映画が残念なことにとてつもなくけなされました。事実上主演の2人はほとんど映画にもテレビにも出演しなくなりました。ミッキー・ロークに関してはそのあとボクシングに転向などというわけのわからない事になってしまい東京まで来て伝説の「ネコパンチ」をする始末で・・・まぁ彼に関しては、最近「デスペラード」でアントニオ・バンデラスとジョニー・デップと共演して復活の兆しが見えてきました。でもドン・ジョンソンは苦肉の策で始めた「刑事ナッシュ・ブリッジス」という作品でかろうじて人気を保つだけでした。この作品は2001年のシーズン6まで放送されましたが、正直ソニー・クロケットのキャラを踏襲していたと思います。彼の作品はこれ以降見ていません。つまり彼の役者人生はソニイ・クロケットに捧げたことになるのかも知れません。私としては、映画でドン・ジョンソン版「マイアミ・ヴァイス」が観たかったのですが、齢60を前にしてそれはもうないでしょう。「あぶない刑事」の2人はやはり例外なんでしょうね(笑)という経緯があった「マイアミ・ヴァイス」という作品ですが、急にリメイクされることが決まりました。しかも本家のマイケル・マンが監督をするということでした。主演の2人はこれまたとんでもないところを引っ張り出してきました。ソニイ役には今最も乗っているコリン・ファレルを、そして相棒のリカルドには「コラテラル」のコネを利用してアカデミー俳優ジェイミー・フォックスです。おそらく、考えられる最高のキャスティングでしょう。そして描いたその世界観はまさにマイケル・マンの理想とするハードな世界観でした。私が、興味があったのは先にも述べた「無精ヒゲ」をどうするかの一点でした(笑)これはネットでトレイラーが配信されていたときから気づいていたのですが今回のソニイに「無精ヒゲ」はありません。「モロヒゲ」です。(笑)この時点でこの作品が単なるリメイクではなく新生「マイアミ・ヴァイス」だと分かりました。だから観るときも、華やかなシーンには、ほとんど期待しませんでした。つまり新生「マイアミ・ヴァイス」として観るとかなりいい出来だったと思います。おそらくドラマ版の「マイアミ・ヴァイス」の派手なところが好きだった人には不評だったように思います。それからストーリーはシンプルです。結末もあやふやなのでその点で消化不良という意見もあるようです。しかし私にとっては満足の作品でした。それは今回の作品では究極のダンディズムというか男の美学のような物もフューチャーされてたからです。それは「愛する女のためには何が出来る?」ということであり、ソニイとリカルドはその点で対照的です。どちらの「美学」も結構痺れます。特にソニイの振る舞いはなかなかできることじゃないです。このあと(物語の中で)彼がどうなるか考えるとやはりダンディズムと言わざる終えません。この映画はストーリーは大して複雑ではなく「意外性」がありません。「華やかさ」も抑え気味です。そして事件の結末もなんだかぼやけています。観るべきポイントがそこなら退屈かも知れません。しかし、観るべきは「マイアミ・ヴァイス」の真の世界観と究極のダンディズムなんです。単なるチョイ悪オヤジのお洒落映画と思って観たら・・・・コリンとジェイミーはがっかりするでしょうね(笑)マイアミ・バイス2006/09/02公開監督 マイケル・マン 出演 コリン・ファレル ジェイミー・フォックス コン・リーおまけキアヌの映画「ハート・ブルー(BREAK POINT)」が好きな人にはお勧めかも?
2007年05月07日
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「アンフェア」の原作の題名は「推理小説」です。「アンフェア」はドラマ化されるにあたってつけられたタイトルです。確かにドラマのタイトルが「推理小説」ではインパクトに欠けます。原作者の秦建日子は脚本家でもあります。コミックをドラマ化することが多いようです。「編集王」とか「鉄板少女アカネ」とか「ドラゴン桜」とか最近はオリジナルで「花嫁は厄年」も手がけていました。「アンフェア」については当初からドラマ化は考えて書いた物であるかも知れませんが、小説のタイトルとしては「推理小説」としたかったのでしょう。それにしても「推理小説」という題名はなかなか勇気がいるネーミングです。でも、秦建日子は「これぞ推理小説!」という意味でつけた訳ではないと思います。実は作品中に殺人予告として登場する小説のタイトルが「推理小説」なんです。だからそれをそのまま使用したということでしょう。ここまでドラマがヒットするなら最初から「アンフェア」にしといてもよかったかも知れません。では「アンフェア」というネーミングはどこからきたかというと、この小説を含むこのシリーズのテーマだからです。ちなみに小説として続編が出版されています。2作目はまだ読んでませんがタイトルは「アンフェアな月」です。テレビや映画とは別のエピソードらしいです。で、シリーズで「アンフェア」というのはフェアではないというくらいの意味で、卑怯という意味ではありません。まず、推理物でありながら、犯人が「それはないだろ」的な意外な人物であることから、「アンフェア」な物語だという意味があると思います。これはシリーズとしては最低必要条件だと思います。「それはないだろ」的な犯人というのは味方だと思っていた人物が犯人ということです。物語としてこのことを含まないと成立しないのです。もう一つ意味があります。作品ではこのことを全面に出しています。つまりは「表のテーマ」でになるのでしょうか?テレビシリーズでは「目には目を、アンフェアにはアンフェアを」というフレーズがあります。主人公雪平は刑事ですので犯人を捕まえるためには「卑怯なこともいとわない」というようにもとれますが、そうでは無いと思います。確かに主人公雪平は無茶はしますが、決して卑怯な手を使ったりはしません。そのやり方は「型破り」なだけで時には合法的でないかもしれません。そういう意味で「アンフェア」なだけです。つまり型どおりの方法では捕まえられない犯人を単独行動で無茶をして犯人を追い込むということです。以上2つの意味で「アンフェア」という物語は成立しています。整理します。この物語はおそらくは「味方」であろうはずの人物が真犯人で、なおかつ一見無鉄砲に見えて実は緻密に犯人を追いつめていく雪平という刑事が主役のドラマです。このパターンは・・・ある海外ドラマのパターンにそっくりです。「24」ですね・・・・警察内部に内通者もしくは犯人がいるという最低必要な条件もそっくりだし、主人公の無茶ぶりも似ています。「ツインピークス」以来社会現象にまでなった作品ですのでクリエイターが模倣したくなるのはよく分かります。しかし、これはあくまでもTV版「アンフェア」でのことで、原作の「推理小説」はそこまで意識はしていなかったと思います。ちなみに「24」をオマージュにした日本での作品の決定版は江口洋介主演の「逃亡者」でしょうね。その時の阿部寛が凄まじくかっこよかったんですが・・・・話がずれてきました。さてそれでは映画のレビューです。ここからはネタバレを含みますので気をつけてください。まず、この「the movie」が完結編であることをよく番宣していましたが、おそらく「NO」です。まぁ、そう言っておけば客も入るだろう位のことで実際はいわゆる「宣伝用コピー」ってやつでしょう。謎は残っています。しかもかなり・・・おそらくTVから見ていた観客は消化不良を起こしていると思います。結論から言いますと、わざと決着をつけない終わらせ方をしたことこそがひょっとしたら「アンフェア」なんじゃないかということです。で・・・・そこはやはり制作者の「思うつぼ」なんでしょうね。よく考えたら、CXとしては、いや業界全体からしても「踊る大捜査線」以来の「刑事物」のヒットです。そうやすやすと完結させるはずがありません。おそらくは話は続きます。私は最終的に話が全て繋がっているような無理矢理なこじつけを半ば期待していました。TV版での犯人はエピソードごとにたくさんいましたが元締めは安藤(瑛太)で、スペシャル版では安本(志賀廣太郎)、どちらとも雪平に近しい人物でした。で今回は・・・・私は予想を大きく外したのですが、結論から言うとこの物語は三上(加藤雅也)が全ての事件の黒幕だった・・・という結末まで話は続くような気がします。(読みたい方は反転させてください)ちなみに娘の美央ちゃんが成長してでかくなるといけないので早く本当の完結編を作ってもらいたいものです。肝心の物語ですが、今回の事件は「テロ」です。スペシャル版から話がでかくなってきましたが、もはや一介の刑事ごときが解決できるような事件ではありません。よくよく考えると設定が「ダイハード」なんです。しかし「アンフェア」での犯人像は復讐目的もしくは思想犯であることが多いのです。物語の中で金目当てで動いている人物も若干1名いますが、多くのテロ作品の犯人の目的は思想犯を装って実は金だったりするのが王道ですので、「アンフェア」は「ダイハード」を目標にしてはいけないのです。鬱積した思いを殺人という形でしか解消できない犯人とそれを利用する黒幕の構図が「アンフェア」という物語を構築していると私は勝手に解釈しています。よって今回の映画は私にとっては「アンフェア」的な物語ではなかった・・・ということですね。「テロ」の設定自体は悪くなかったのですが、最後の最後で先の人物が大ボスだったら・・・・きれいに幕は閉じていたと思います。まぁでもまた続編が見れるんだったらいいか・・・・ってこれが思うつぼなんですよね・・亀P!(笑)アンフェア the movie監督 小林義則 製作 亀山千広(制作者の一人) 出演 篠原涼子 椎名桔平 成宮寛貴 阿部サダヲ 濱田マリ 加藤ローサ 向井地美音 加藤雅也 大杉漣 寺島進 江口洋介おまけ加藤ローサの扱いにびっくりです。事務所はよくこんな役でOKしたな・・・・(笑)
2007年05月04日
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おそらく3部作は完結しました。サム・ライミなりの決着はついたのでしょう。ですから続編の製作は無いかも知れません。しかし、なんだろうこの物足りなさは・・・・思えばこのシリーズは「2」がピークだったのかも知れません。てなわけでいままでの作品のおさらいです。まず、「1」では「スパイダーマン」という作品を最新のCGで復活させることで話題十分でした。ちなみに「スパイダーマン」はアメコミ3大ヒーローの一作品です。あとの2人は「スーパーマン」と「バットマン」ですね。この2作品との決定的な違いは草なぎ君もSMAP×SMAPで演じていたときに言っていた通り「俺じゃなくてもいいじゃないの?」ということです。つまり顔まで隠した全身タイツなのでスパイダーマンになっているときは全く誰だか分かりません。サム・ライミのシリーズではそこを完全に割り切って制作されました。つまりアクションシーンでほぼスパイダーマン自体をCGで表現したのです。マスクを着けて闘っているときの役者の演技は敢えて割愛したのでしょう。その分、マスクを着けていないときの人間ドラマの部分を大きくクローズアップしました。「1」ではトビー・マグワイヤ演じるピーターの苦悩を大きく取り上げました。目立たない存在だった主人公がふとしたことから超人的な能力を持ってしまい、それによって悩む姿です。おまけにいじめられっ子で貧乏ですから、その力を金儲けや名声の為に使う事も出来たのですが、父親代わりのおじさんの死によって「正義の味方」として生きていくことを決意するまでの物語です。勧善懲悪の物語ではありません。ピーターの苦悩はそれだけではありません。愛と友情の狭間でも揺れます。親友ハリーの父親と闘わなくてならなくなり、正義の味方であるためには愛するメリージェーンと決別しなくてはならない。己の運命を受け入れるためには最も大切な物を捨てなくてはいけなかったということです。ピーターは敢えてその道を選びました。ピーターとしてメリージェーンとのたった一度のキスと引き替えにして・・・この作品が多くの支持を得たのはこの「人間ドラマ」の部分がメインになっていたところだったと思います。ヒーロー物なのにあまりに哀しい結末です。しかし、その切なさは観ている者の胸に迫るものがありました。そして続く「2」は最高の仕上がりだったと思います。アクションシーンも見事でしたが、先の「人間ドラマ」の部分もきっちり描かれていました。そしてよく考えたら、「2」ではヒーローの正体が、最も知られたくはないメリージェーンにばれてしまいます。作品としてはピークですよね。そして、メリージェーン(めんどくさいのでMJとします)は自身の結婚式を抜け出してピーターの元にウェディングドレスのまま走っていきます。恋愛物の王道を・・・言い換えれば「ベタ」をやってしまったのです。窓から飛び出すピーターを見送るMJの表情は幸せだけど・・・不安げでもあり、それは映画「卒業」でのキャサリン・ロスを彷彿させていました。正体がばれて、恋愛に決着が付いたのですからこれ以上の展開はあり得ないのです。私も「2」を観たときに大満足でした。ヒーロー物でこれ以上の作品にはこれ以降おそらく出会えないのではないかと思ったくらいです。それくらいの完成度だと思いました。「2」での私の好きなシーンは他にもあります。途中で電車を止めるシーンでもスパイダーマンはマスクが取れてピーターの顔がむき出しになり、乗客に正体がばれます。その時その顔をたくさんの人が見るのですが、2人の少年が「誰にも言わないよ」と言います。人知れず人命を救助している英雄の功績を讃える、いかにも「アメリカ」的なシーンなのですが、思わず涙しそうになりました。そしてその2人の少年はピーターことトビー・マグワイヤの実の弟だそうです。なんとも憎い演出です!それはさておき、スパイダーマンの正体がMJにばれるシーンなんか歴代の名シーンに入るんじゃないかと思うほど素敵でした。特にMJがスパイダーマンがあなたでよかった・・・とは言いませんが、実はキスで確信していた「くだり」がありましたので、ばれた瞬間になんだか安堵した表情でした。そのときのキルスティンダンストの演技は先のラストの不安げな表情と同じくらい見事でした。ストーリー展開と贅沢なCGシーン、そして素晴らしい人間ドラマと役者の演技力で「2」は1本の映画としても最高だったと私は思いました。だから「これ以上」のものは作れないはずなんです・・・・そして公開になった「3」ですが・・・・ここからはネタバレがありますので気を付けて下さい!当初から黒いスーツのスパイダーマンがネットでも話題になっていました。映像がモノクロではなくそれがカラーであることも分かっていたので、どうやら、スパイダーマンが悪に染まる可能性があるんじゃないか?という予想は容易に出来ました。ということはMJとうまくいってないことも予想が付きます。加えて、ハリーがゴブリンになること、新たな敵におじさんを殺した本当の犯人サンドマンの出現、そして原作「スパイダーマン」で最も人気がある敵ヴェノムの登場と、ほぼ情報は揃っていました。ということは展開も大体分かります。で・・・・実際はある一つのことを除いてほぼ「そのまま」でした。まぁ、そのある一つのことでこの作品で完結ではないかと決定づけるのですが・・・・とにかく、予想が付く展開は「ベタ」であり、観ている方は安心するのですが、どうしても物足りなさを感じてしまいます。内容を詰め込みすぎて焦点が定まらなかったということでしょうか?要は「2」で全てのことに決着が付いているのですからそれを超える何かが必要でした。先に述べた「ある一つ」のことがそれに相当するのでしょうけど、果たしてそれは必要だったのかが疑問なんです。なんのことを言ってるのかよく分からないと思いますが、さすがにそれは書けませんので・・・・あとはもう観てもらうしかありません・・・って、これじゃレビューにならないな(笑)ということで見所を一つ・・・・悪に染まりそうになったピーターは何故か「男」としても自信満々になります。さながらその様子は「MASK」をつけたジムキャリーです。JAZZバーで踊るシーンはまさに「MASK」さながらなのですが、そのときのトビーが誰かに似ています。ちなみに私には唐沢寿明に見えました(笑)よく考えたら結構この2人似てませんか?そう思ってみると割と興味深いシーンですよ(笑)監督 サム・ライミ 出演 トビー・マグワイア キルステン・ダンスト ジェームズ・フランコ トーマス・ヘイデン・チャーチ トファー・グレイス ブライス・ダラス・ハワードよく考えると主演の若手3人以外有名どころが出演していないですね。大体この手の作品は敵役に超有名大物俳優を起用するんですが・・・「1」ではウィリアム・デフォーが出演しました。「2」ではトビーとキルスティンがメジャーになったので敵役は抑え気味にアルフレッド・モリナでした。それでも制作費が200億円以上かかったんですが・・・「3」はさらに節約したのでしょうか・・・?それでも360億円もかかったそうです。何がそんなにかかったってスパイダーマンのスーツに1着1300万円でそれを65着もつくったらしいのですけど、CGシーンが多いのになんでそんなにつくっちゃったのでしょう?そんなものにお金をかけるんだったらいっそのことサンドマンあたり豪華なキャスティングをしてもよかったんじゃないでしょうか?ということで「3」の感想の結論!シリーズ完結なのに「華」がない・・・・ということでした(笑)
2007年05月03日
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私が予想していたものとは全然違う仕上がりでした。まずは歴代の「犬神家の一族」を「獄門島」のときと同様にまとめました。1954年 映画 片岡千恵蔵1970年 ドラマ 片岡千恵蔵1976年 映画 石坂浩二1977年 ドラマ 古谷一行 1990年 SPドラマ 中井貴一1994年 SPドラマ 片岡鶴太郎2004年 SPドラマ 稲垣吾郎2006年 映画 石坂浩二ということでやはり今回で8回目ですね・・・・ん?8回目?まぁいいか・・・(笑)金田一の事件の中ではもっともスタンダードな気がしますが一番映像化が多いのは「八つ墓村」の9回です。「犬神家の一族」はそれに次いでの作品ということになります・・・・それではレビューをしたいと思います。パンフレットを読んでわかったのですが、今回の作品はリメイクというより、舞台で言うところの「再演」なんだそうです。そんでもってシナリオが同じなので、カット割りもほぼ同じです。ほんの少しばかりの違いはあります。全作からカットされたシーンもあるし、変更になった部分もあります。でもストーリーについては全く同じなので前回のレビューで私が期待したようなったことは一切ありませんでした(笑)しかし、期待はずれだったわけではありません。むしろ安心しました。ストーリーは知っている訳なので、それを変えてくれるんじゃないかという期待は私に限らず多くの人が持っていたかもしれません。でもよく考えると、味わいたかったのはその「世界観」です。つまり、観客が観たいのは横溝正史の世界であって結末や事件の経緯なんかはどうでもいいのです。まぁ、どうでもいいってことはないかもしれませんが・・・・(笑)要するに、顛末はわかっているので、誰がどう演じるかということが問題なのです。よく考えたら世界観が決まっているので設定を大きく変えることはもともとNGでしょう・・・同じ時期に作家として活躍していた江戸川乱歩とは「いじられ方」が大きく異なります。江戸川乱歩の作品は時代や設定を大きく変えて多くのクリエイターがリメイクしています。猟奇的やサディスティックな雰囲気がその世界観ではメインになりひょっとしたらその時代でなくてもいいのかもしれません。しかし、横溝正史の場合は終戦直後でないとどうしてもその雰囲気がでません。だから現代劇にした渥美清版「八つ墓村」はもう一つの評価だったのでしょう。私にとっては渥美版「八つ墓村」は傑作なのですが、評価はいまいちだったようです。よって、今回の「犬神家の一族」は「そのまんま」だったので、横溝正史の世界観を味わうにはすべての要素が凝縮されていると言っても過言ではありません。だからファンなら文句の付けようが・・・基本的にはないのです。演出から脚本までほぼ前回と同じだし、時代背景も同じで、しかもキャストも豪華で・・・・だから完璧な仕上がりなので私も満足だったのです。そのなかでも石坂浩二が走るシーンでは涙が出そうでした。金田一の世界観でどうしても必要不可欠なシーンで金田一が意味なく走るシーンがあります。走ったから事件が解決するわけではないのですが(笑)それでも金田一は走るんです。片岡千恵蔵は知りませんが、石坂金田一をはじめとして歴代の金田一はとにかく走ります。それを齢65の石坂浩二には無理かもしれないと感じていましたが・・・・見事な走りっぷりでした!それで十分です。確かに前作と比べて、どうのこうの言いたくなりますが、この石坂浩二の姿を見て、横溝正史ファンなら・・・少なくとも前作の「犬神家の一族」が好きな人なら、今作の文句は言えないような気がしました。私にとってはそうでした。てなわけで、大満足の1本だったのですが・・・・・難点が何カ所か・・・・(笑)まず、珠世役の松嶋菜々子ですが、「年をとりすぎ」だとか、「デカイ」とかいろいろ言われているようですが・・・・確かに奥菜恵とのツーショットはとんでもないことに(笑)なっていました。奥菜恵が松嶋を従えて廊下を歩いているシーンでなんか遠近感がおかしくなってしまったような錯覚に陥ってしまいます(笑)このシーンは座って話すシーンに差し替えてもよかったのでは?と思いました。まぁそれはどうでもいいんですが(笑)それよりも冒頭で犬神佐兵衛が死ぬシーンで松嶋菜々子の顔が2度インサートするんですが・・・・1度目に少しだけ笑っているように見えたんです。気のせいかもしれませんし、かなり微妙なのでそういえばそういう風に見えるかもしれない・・・位なんですが・・・よく考えたら、「犬神家の一族」という作品は犬神佐兵衛の情念が引き起こした物語であり、人には言えないが、彼がもっとも愛した女性の子供に財産を継がせようとした話です。つまりは、すべては「珠世のために」犬神佐兵衛が起こした事件とも考えられるし、解釈の仕方によっては「珠世がいたから」起こった惨劇とも言えるのです。物語の中心はやはり珠世であり、もしこの事件が彼女が仕組んだことであったら・・・・・なんて考え方も面白いとはおもったので珠世犯人説を公開前から唱えてましたので・・・・そう(笑っているように)見えただけかもしれませんが・・・・実際のところどうだったのか気になるところではあります。あのほんのわずかに微かに笑ったように見えたのは・・・・単なる気のせいだったのかどうか・・・・DVDが出たらもう一度確認してみようと思います。で・・・もし本当に笑っていたとしたら・・・・・かなり意味深なシーンであったように感じます。全編を通じてヒロインであり、宣伝ではかなり露出の高かった珠世・・・先に述べたように事件の中心であるとも言えるのですが、映画の中での扱いはいまいちです。ちなみに前作では襲われるシーンでは島田陽子のバストトップ(吹き替えのような気もしますが・・・)が一瞬映りますが、今回は無しです(当たり前か)前評判通り「なぜ松嶋菜々子が演じたのか?」という疑問は確かにそのままなら残ります・・・でもあの「笑み」があったとしたら・・・・今回と前作との違いはそこにあったのかもしれません。つまりこういうことです・・・あの遺言状を聞いた時点で珠世にとってはラッキーだったのです。今までは犬神家の人々(松子・竹子・梅子)に引け目を感じて生きてきた珠世。しかし、助清のことが好きだったので、一緒になれば、財産のすべてを手中に出来る。佐清を選択することで松子にも恩を着せることも出来る。彼が生きて帰ってくれば問題ないのです。で・・・結局なんだかんだでその通りになりました。小うるさい姑もいなくなったんですからこれ以上のことはありません(笑)途中、金田一のセリフにもあります。「被害者を装って加害者の場合もある」・・・とこの事件は、すべて珠世の存在そのものが引き起こしたことであったと考えるとその「笑み」が生きてくると思います。ひょっとしたら、「そういう風にもとれる」という部分をあえて差し込んだのかもしれない・・・・なんてかなり強引な解釈をしてみました。市川監督の意図は本当のところはどうだったのでしょうか・・・・?ていうか本当に私の思い過ごしかも?犬神家の一族(2006) 2006/12/16公開 135分 監督 市川崑 出演 石坂浩二 松嶋菜々子 尾上菊之助 富司純子 松坂慶子 萬田久子 葛山信吾 池内万作 螢雪次朗 永澤俊矢 石倉三郎 尾藤イサオ 三條美紀 林家木久蔵 三谷幸喜 深田恭子 奥菜恵 岸部一徳 大滝秀治 草笛光子 中村玉緒 加藤武 中村敦夫 仲代達矢おまけ1俳優陣の感想深田恭子=はる(前作は坂口良子)事件には関わってこないが、この作品ではかなり重要な役だと私は思っています。深田恭子の派手な顔立ちは、はる役に合わないなんて声もありましたが・・・なかなかどうして!極力抑えたメイクにすっとんきょうな演技・・・すべて計算された物だとしたらやはり彼女はただ者ではない!なんせ、東京国際映画祭のプレミアではほぼ主役のようなドレスをまとい登場してましたので(笑)ある意味松嶋は完全に「喰われた」かも? 三谷幸喜=那須ホテルの主人動きが喜劇なんですよね・・・・この人(笑)尾上菊之助=犬神佐清(前作はあおい輝彦)お顔が美しすぎてとても復員兵に見えません(笑)泣き崩れる演技はあおい輝彦の勝ちかな?松坂慶子=犬神竹子(前作は三條美紀)実は今回の松子役は発表前、彼女ではないかと予想しました。名実ともに大女優ですからね・・・しかし彼女を上回る女優が富司純子だったというわけです。松坂慶子は変に女優ぶらないいい役者になったと思います。「マザー&ラバー」で岩下志摩の代役をしたときから何か変わってきたと思います。現在はバラエティにも出演しているし・・・お金のために何でもするようになったという人もいるけど・・・私は素直に女優としての幅を広げていると思いたいです。今回、竹子役に甘んじているわけではなく、むしろこの役を楽しんでいるように思いました。 最後にもう一つ・・・・珠世を佐智が迎えにいくボート・・・やけに新しく見えてとても終戦直後のものには見えないのですが・・・よく見るとボートの横に「犬神家マーク」が・・・(笑)このマークを実際に犬神家が当時デザインして使用していたかと思うと笑えます。もちろんこれはスタッフの遊び心なので突っ込むところとは違いますけど(笑)
2007年01月27日
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ザ・有頂天ホテルです。母音の「ウ」なのでジ・有頂天ホテルになりそうですが、実は英語表記では「THE WOW-CHOTEN HOTEL」と書くらしいので「ザ」のままでいいようです・・・って、どうでもいいようなことなのですが・・・(笑)この映画はいわゆる「群像劇」というやつで、ホテル内で様々な登場人物が、互いに影響を(本人は無意識で)及ぼしあい、物語が進行します。その偶然性(あるいは必然なのか?)があたかも「奇蹟」を起こしてるように見えるわけです。こういったストーリー展開は1930年代の映画「グランドホテル」にちなんで「グランドホテル形式」とも呼ばれ、業界ではスタンダードな設定なのです。ちなみに「グランドホテル」について、役所宏司の台詞の中で説明があります。三谷監督もセットの大階段はこの映画に似せて作ったと言っています。要は日本版「グランドホテル」なんですね・・・この映画・・・それにフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演した「有頂天時代」というミュージカルのテイストをを加えているようです。オープニングやエンディングの雰囲気など結構似ています。・・・・というわけでこの映画は「有頂天ホテル」というネーミングなんだそうです・・・さてストーリーですが、総勢23名の出演者ということですが、実際はもっと多いと思います。その人々が複数の事件で絡み合っていくわけですが、そう複雑ではありません。これは、やはりストーリーボードがしっかりしているからで、その辺が三谷監督の才能なのでしょう。結局のところ「いろいろあったけど大晦日で昨日までの自分が終わって、今日から新しい自分になった。」ということにつきるわけで、全ての登場人物がそれを感じ、(一部そうでない人もいますが・・・)新年を迎えるということ「だけ」なんです。YOUが歌う「If My Friends Could See Me Now!」の訳がエンディングでみれますが、まぁ上記のようなことなんですね・・・だから、殺人が起こるわけでもなく、あくまでもコメディタッチなので、ノリが「軽い」です。出演者も役所宏司の他に佐藤浩市、唐沢寿明、津川雅彦、西田敏行など、重厚な演技もできるけど、コメディもこなす俳優陣で固めています。そんななか、一応ヒロインは松たか子と篠原凉子なんですが、三谷監督が絶大な信頼を置いているのは戸田恵子だと思いました。彼女と三谷監督は、かなり「はまった」組み合わせだと思います。よって三谷監督と一緒の仕事も少なくないです。最近では「新撰組」の旅館の女将が印象に残っていますが、その他、映画では「ラヂオの時間」、「みんなのいえ」、テレビでは古畑のゲスト(VS SMAPの時)、「総理と呼ばないで」のレギュラーなどがあります。今回の彼女の役はホテル全体のマネージメントを取り仕切っています。一応、副支配人の役所宏司のアシスタントということにはなっていますが、彼女の仕事ぶりはかなりのもので、途中とっちらかってしまう役所宏司に変わって映画そのものをしっかり「仕切って」いるように見えました。思えば、彼女の演技は三谷作品のイメージにぴったりのような気がします。私は「総理と呼ばないで」のクライマックスでの彼女の台詞を今でも覚えています。戸田恵子の役は秘書かなんかだったと思います。入れ替わり立ち替わり総理に使える仕事です。物語では暴力団との関与を現役の総理(田村正和)が認めるという大スキャンダルが起きます。総理自ら記者会見した後、(実際は首相は関係してなかったのだが側近をかばうためにあえて自分が犠牲になった)官邸を去っていく総理に対しての言葉です。彼女は涙ながらに、でも笑顔で総理にこういいました。「ご立派!」途中、どうしようもないダメ総理で、世間からは最後まで暴力団との関わりのあるろくでもない総理と認識されたが、総理の周りの人々だけは彼が人間味のある素晴らしい総理であったことを認めた瞬間でした。なんだか、彼女の一言がこの作品全てをまとめたような気がしていました。つまりは彼女が脚本家三谷幸喜の代弁者だったのかも知れません・・・ちなみに今回の映画でも戸田恵子は全編を通して登場します。物語のメインは役所宏司ですし、ヒロインは別にいますが、全ての中心にいるのは戸田恵子であったように思いました。それほど彼女のウェイトは大きいです。元々、ガンダムで声優デビューした彼女はアンパンマンや銀河鉄道999の鉄郎などの役を経て、いつの間にか女優になっていました。声優は劇団で活動しているので舞台では役者として活躍していますが、声優出身でこれほどTVや映画に出演している俳優を他に私は知りません。女優となると唯一無二の存在かも知れません。まして、今をときめくヒットメイカー三谷幸喜から絶大な信頼をおかれているなんて、本当に希有な存在ではないでしょうか?ひょっとしたら、23人の出演陣に埋もれているものの、彼女が真の主役であったのかもしれません。そういう風にみてみるとまた違った映画に見えてくるかもしれませんね・・・・それにしても汚職の疑惑をかけられた国会議員(佐藤浩市)とホテルの客室係(松たか子)が昔、不倫関係であったという設定がかなり無理があったような・・・(笑)しかも、かなり重要な役なのに2人のからみは2分くらいなんです。「自分の好きなように生きよう!」みたいな、映画でもっとも重要なテーマを語る2人のエピソードがたった絡み2分なんて!この辺を「さらっ」とやってのけることが三谷幸喜が天才たる所以なんでしょうか?こうもあっさり見せられると設定がおかしいことも忘れてしまいそうです。それともう一つ・・・・おそらく香取慎吾、松たか子、麻生久美子、オダギリジョーあたりがこの映画の中で一番若い世代だと思います。30前というところでしょうか?ということはこれより若い世代の俳優はほぼ出演していません。(エキストラは別ですが・・・)なんて偏っているんでしょう!今でこそ20代後半はまだ「若い」とされていますが、ちょっと前なら完全に「おっさん、おばさん」です。映画の中で、「若さ」を担う役の登場人物が若干高年齢であるということ・・・・これはこの映画のかなり核心をついているのではないかと思いました・・・つまり、大人になれない年齢がかなり昔に比べて上がったことを表現しているのではないでしょうか?明日を夢見たりすることは・・・それすなわち、現実から逃避していることでもあり・・・でもやはり理想を追いかける・・・・そんなことを深く考えたり、気づいたりする年齢が30前になっているような気がします。もちろんいい年こいて未だにそんなことに気づいていないいわゆる世間的にはダメな「大人」もたくさんいます。この映画は理想と現実の狭間に揺れる大人になり切れていないくせに、世間的には「大人」と認められている人々の群像劇といえるのではないでしょうか?興味本位で白塗りを顔にしてしまって、ホテル中を隠れて逃げる総支配人なんて・・・・まともな「大人」のすることじゃありません(笑)以下全ての登場人物がそうなんです・・・「大人」になれない人たち・・・・でも素敵な人たちなんですね・・・そんな中唯一「大人」らしく振る舞っていたのが戸田恵子であったことも併せてみていただたい!彼女の存在は本当に重要なんです・・・・私には映画における「母」なる存在に思えました・・・果たして三谷監督の真意はどうなんでしょうね・・・最後にもう一つ・・・アヒルの声は・・・あの山寺宏一です。そういえば声優出身で現在もっとも戸田恵子に近い存在は・・・彼かもしれませんね・・・THE 有頂天ホテル2006/1/14公開 136分監督 三谷幸喜 製作 亀山千広 島谷能成出演 役所広司 松たか子 佐藤浩市 香取慎吾 篠原涼子 戸田恵子 生瀬勝久 麻生久美子 YOU オダギリジョー 角野卓造 寺島進 浅野和之 近藤芳正 川平慈英 堀内敬子 梶原善 石井正則 榎木兵衛 奈良崎まどか 田中直樹 八木亜希子 原田美枝子 唐沢寿明 津川雅彦 伊東四朗 西田敏行声の出演: 山寺宏一 ダブダブ おまけ・・・これだけの出演陣にどうして西村雅彦が入っていないのか私は不思議です・・・(笑)
2006年11月18日
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遂に一ヶ月後に公開になる、「犬神家の一族」!今回は公開に先駆けて30年前の作品を振り返りたいと思います。まず、この作品は日本映画の歴史を変えた作品と言っても過言では無いでしょう!それはこの作品を制作した角川春樹氏について述べることから始めたいと思います。近年、「角川映画」としてその手腕を復活させた氏ですが、一時期は物議をかもすような事件を起こしていた時期もありました。しかし、製作第1作目として「犬神家の一族」を空前のヒットにした後の氏の活躍ぶりは凄まじかったです。制作した代表作をあげますと人間の証明 (1977) 野性の証明 (1978) 蘇える金狼 (1979) 白昼の死角 (1979) 戦国自衛隊 (1979) 復活の日 (1980) セーラー服と機関銃(1981) スローなブギにしてくれ(1981) 魔界転生 (1981) 汚れた英雄 (1982) 蒲田行進曲 (1982)麻雀放浪記 (1984)です。1本の映画としては「?」な作品もありますが、これらの作品は記憶に残る映画でした。そして「蒲田行進曲」など話題だけでなく、日本アカデミー賞に輝き、名実ともに日本のトップ・プロデューサーに上り詰めたと思います。この後、先ほど述べた事件に至るまでアニメの作品ばかり製作してしまう混迷の時期を迎えますが、彼の功績は認めざるおえません。明らかに犬神家の一族「後」と呼べる時期が映画界にはあったと思います。それまで、「邦画」は割と地味な作品が多かったのです。別にそれが悪いわけではないし、もちろん優れた作品も多くありますが、「犬神家の一族」はある意味それまでと一線を画す仕上がりでした。では何故この作品によって邦画は変わったと私が感じたのか?そのことについては、映画は豪華なものであるという考え方が浸透するきっかけになったのではないかと言うことです。エキストラを多く使ったり、セットに金をかけたりと「豪華」という意味ではいろいろな考え方があると思いますが、この作品が既存の作品と違うのは出演陣が凄いのです。それまでの映画は主役一人を立ててその役者を中心に見せる映画が多かったです。多くは日活映画の流れがあると思いますが、とにかく役者先行の映画の方がよくお客さんが来たということで、映画とはそういうものであるという認識が強かったです。先に述べた通り優れた作品もありましたが、年間に同じ主役の似た映画が何本も撮られるというスタイルの方が多かったです。脇にはいわゆるレギュラーとゲストのような形式で、今でいう時代劇のようなのりですね。それにはそれの良さがあるわけで、その最たるものが「男はつらいよ」です。しかし、「犬神家の一族」は若手、ベテラン、新人、大物の役者を一堂に会し、一大絵巻を作り上げました。実は昭和29年に映画「犬神家の謎 悪魔は踊る」(金田一=片岡千恵蔵)昭和45年ドラマ「蒼いけものたち」(金田一=片岡千恵蔵)で「犬神家の一族」は映像化されています。(タイトルは違いますが・・・)その後に片岡千恵蔵が最初に金田一を演じた昭和22年から約30年の時を経て石坂浩二+市川崑で制作されたのが「犬神家の一族」というわけです。もちろんこの30年の間にも「金田一」作品は撮影されています。ちなみに昭和36年の高倉健=金田一で区切りがつくまで何本も撮られてきました。そして昭和50年に「本陣殺人事件」が公開になりました。このときは金田一=中尾彬だったのですが、それまでの金田一はスーツ姿に帽子(紳士的な)というスタイルでした。中尾金田一はヒッピー風という斬新なスタイルでジーパン姿でした。今見ても演技、世界観ともになかなかの秀作ですが、その翌年公開された「犬神家の一族」はさらに斬新な作りでした。当時の観客には衝撃的だったと思います。映画界のタブーを実行したからです。映画界の暗黙の了解・・・それは大物は絶対に悪役をしないということです。犬神家の一族はそのタブーを破りました。豪華な出演陣のなかでひときわ輝きを放っている大俳優を犯人にしたのです。もちろんこれは原作通りなので、知っている人には知っていることだったのですが・・・・前回映像化されてかなりの年月がたっているので、片岡金田一の「犬神家の一族」を観ている人は少なかったはずです。そこへ来て、まさかの犯人!「映画」・・・特に「邦画」のスタイルを解放し、より斬新で、よりスタイリッシュにしたと言えると思います。これには当時の観客はもちろん、当時のクリエイター達にもかなりの衝撃を与えたと思います。日本映画の新たな扉が開いた作品だったのかもしれません・・・そして、その「作り」以外にも優れた点は多々あります。まず、金田一演じる石坂浩二が本当に素晴らしい!ふけを落として頭をかきむしり、着物に下駄で走り回る探偵・・・どう考えても「映像向き」ではありません。実際、原作でも金田一は最初はもう少しエレガントでした。現在の稲垣演じる金田一も、もう少し小綺麗でしょう(笑)でも、石坂金田一は徹底的に野暮ったさを前に出しました。稀代の二枚目俳優石坂浩二にそれをさせるのは「冒険」どころか「ギャンブル」だったに違いありません。しかし、そのイメージで、今なお石坂金田一を支持するファンは多いと思います。古谷一行の金田一も根強いファンがいますが、これは石坂金田一をアレンジしたと言わざる終えないし、それを古谷一行もデディケイトしていると思います。だからこそパロディで金田一を演じた以外「映画」で金田一を一切演じていません。絶対にオファーはあったと思いますが、彼はおそらく断ったのだと思います・・・また、原作者の横溝正史は渥美清(「八つ墓村」)の金田一がイメージに近いと発言したこともあります。私は恥ずかしながら原作を読んだことはないのですが、石坂金田一が大好きなのです。作品その物、シリーズその物を愛していますので例え誰が演じても「ケチ」をつけたりはしません。先の古谷一行や渥美清、片岡鶴太郎の金田一もそれぞれ愛すべき金田一だと思います。また、最初に見たのが石坂金田一だからというイメージの固定ということは正直否定はできませんが・・・・それでも、やはり・・・・特別なんです。彼が演じる金田一は・・・・彼が金田一をあのスタイルで演じる・・・もうそれだけでたまりません!それがまた見れるなんて!そして、監督の市川崑!氏の演出は本当に凄まじかった。それは「獄門島」で極まりますが、その片鱗が「犬神家の一族」ではかいま見えます。カットの多様や絶妙のインサートの応酬!そしてクレジットの明朝体は独特で「エヴァンゲリオン」にまで影響を及ぼすほどです。(その「エヴァ」の影響を受けたのが「踊る大捜査線」であることはあまりにも有名)氏の演出は後に続くクリエイターに多大な影響を与えたといえます。市川崑の最初の作品は実はアニメというのも驚きで実は今、何かと話題の「銀河鉄道999」も監修しています。「犬神家の一族」は氏の中期の作品で、それまでも、もちろん優れた作品を撮っていますが、この映画の氏の演出は独特の物だったように思います。現にその後、誰が撮っても市川崑のスタイルを無視できないですし、観客もそれを知らず知らず望んでしまうと思います。唯一それを払拭すべく望んだ野村芳太郎監督の「八つ墓村」の出来も素晴らしかったですが、監督以下スタッフが同じ「砂の器」と比べられたり、市川監督の作品を「本家」と考える当時の風潮もあって評価はさんざんだったようです。故に唯一大作であった「八つ墓村」ですら、市川崑の演出は超えられなかった・・・という評価もあると言えるかも知れません。また、氏や角川氏が日本人の感じる「戦争」に新たな切り口で取り組んだ作品でもあるといえます。それまでの邦画は純和風の時代劇か、欧米文化への憧れで制作される物が多かったです。しかし、戦争の爪痕をミステリーという切り口で見せました。もちろんこれは原作が優れた作品であるのですが、高度経済成長を遂げた日本にとっては、絶妙のタイミングで映画化されたと言えると思います。そして、作品の本当のテーマは「情念の世界」であるということ・・・・「親と子」、そして「家」というものに対する日本人本来が持っている考え方・・・・それは、「愛情」というものをねじ曲げてしまうものでもあり、人の道を外させる物でもあります。恐ろしきは「情念」・・・・さまざまなことが重なり合い、「情念」という鎖が全てを繋ぎ、そのことがたまらなく切なく胸に迫り、「犬神家の一族」は、ひょっとしたら日本人にしか理解できない映画としては一つの完成形であったのかもしれませんこんな素晴らしい映画が30年ぶりに同じキャスト・スタッフでリメイクされることは、本当に意味のあることなのでしょうか?そんな疑問を持っている人は少なくないと思います。しかし私は敢えて言いたい。30年という歳月にこそ意味があるのではないでしょうか?もうおわかりの方もいらっしゃると思いますが、市川監督は、最初に金田一が映画としてスクリーンに登場してほぼ30年経って、日本映画史に燦然と輝く名作を世に出しました。さらに30年経った現代、もう一度そのことに挑戦しようとしているのではないでしょうか?普通に考えたら絶対にこんなことしません・・・当然、過去の作品と比較されるわけだし、過去の作品のクオリティーから考えても、いくら本人でもこれを超えるのは「不可能」・・・でしょう。先に述べた「時期」のこともあるわけですし、いろんな意味で無謀です。しかし、それに挑戦する齢90才のしかも巨匠に・・・ともに挑む石坂浩二以下俳優陣にそしてスタッフに私は拍手を送りたい!あと1ヶ月・・・・心して公開を待ちたいと思います。犬神家の一族(1976)1976/10/16公開 146分監督 市川崑 製作 角川春樹 原作 横溝正史 出演 石坂浩二 高峰三枝子 三条美紀 草笛光子 あおい輝彦 地井武男 金田龍之介 小林昭二 島田陽子 坂口良子 加藤武 大滝秀治 三木のり平 横溝正史 角川春樹 岸田今日子 三谷昇 三国連太郎おまけ・・・大胆予想!今回の犯人は「松子」ではないと私は思っています。犯人は松嶋菜々子演じる「珠代」ではないか・・・・?「獄門島」でラストを変えた市川崑ならやりかねない・・・なんて事考えてたら・・・・早く見たいです!
2006年11月17日
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この冬、いよいよハリウッドリメイクが公開になりますね。過去最高額でリメイク件を買い取ったという話です。タイトルは「ディパーテッド」です。スタッフ、キャストも凄いですよ。レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソン、マーティン・シーン、マーク・ウォールバーグ、アレック・ボールドウィン監督はマーティン・スコセッシそして製作には ブラッド・ピットの名前が!実はジェニファー・アニストンも本来なら製作にクレジットが入るはずだったのが・・・・オフィシャルサイトを除くと掲載されていないところが涙を誘います(笑)とにかく、超大作になってます。しかし「インファナルアフェア」の名前を付けなかったところを見ると、脚本にはアレンジが加わっていると思われます。あんまり書くと、映画を観たときに書くことが無くなってしまいそうなので本家の「インファナルアフェア」に話を戻します。この作品は3部作・・・と言うことになっていますが、どう考えても2と3は「後付け」のような気がします。確かにヤン(トニー・レオン)のギプスなど、さも、あらかじめ脚本があったように思えますが、なんだか無理矢理な感じも否めません。ということで、結論からいうと、かなりトーンダウンしているような気がしました。物語の作りは全て「1」に集約されています。身元が悪く、警官になりそびれた、ヤンが、善人でいたいがために潜入捜査官になり、いつか表の世界にいけることを夢見て最後に殺されてしまうという内容です。この話だけだったら、今までにもありそうな内容なのですが、そこにまさに光と影のような人物が存在していたところが、この作品の絶妙なところでした。実はマフィアからも警察に潜入していた人物がいて、それがラウ(アンディ・ラウ)でした。そして、ラウは根っからの悪党ではなく、善人である警官に憧れていたという設定も切なかったです。ビルの屋上で拳銃をお互いの額に押し当てて、激突するシーンは香港映画のみならず、最近見た映画の中では「名シーン」と言えます。そして、その過程の中で、物語の重要人物もほぼ死んでしまいます。ですから「1」ですでに完結した話なのです。確かにいくつかの謎が残っていましたが、「1」の説明をするだけの内容なら、完結編といえるかどうか・・・・で・・・「2」は2人が潜入するまでの話です。なんだか、テンションが上がりませんでした。確かに若手2人はいい演技をしていましたが・・・・そして「3」です・・・・「1」で死んだ人物も懐古的にスクリーンに登場します。過去と現在を意図的に同じシーンに繋いだりする手法はなかなか興味深いですが、その分話も分かりにくくなっています。まして、主要人物が死んだからこそ「1」の衝撃は強かったのに、それがなんか、ぼやけるような感じがして・・・「あぁそうだったのか!」的なことも「ふ~ん」程度のことなので、もう一つと言わざる終えませんでした。やはり、「3」でトニーレオンなどを出演させたのはどうかと思います。「3」は残されたラウが苦悩する物語なのですから、彼を主役としてやるべきでした。いや、確かに主役なんですけど・・・なんて言いますか、もっと彼のみにスポットを当ててよかったと思います。他の主要人物が出演しないと興行的にも問題があったのか?いずれにせよ、商業主義に走りすぎて柳の下のどじょうを捕まえようとした感が見え隠れして、1本の作品としては・・・・どうでしょう?香港映画はこういう映画の作り方を度々します。「1」が売れたら「2」も作れ!みたいな・・・(笑)「インファナルアフェア」は実はそうじゃなくて、最初から緻密に計算された物語であることを期待したのですが・・・期待が大きすぎたのでしょうか?まぁ、唯一救われるのはケリーチャンでしょうか?この人、日本の映画やドラマに出演しているのでなじみがありますが、ますます美しくなっているように思いました。男ばかりのむさい映画だから余計にそう感じたのかもしれませんけど(笑)インファナル・アフェア3 終極無間2005/04/16 118分監督 アンドリュー・ラウ 出演 アンディ・ラウ トニー・レオン レオン・ライ ケリー・チャン アンソニー・ウォン エリック・ツァンおまけ潜入捜査官=トニー・レオン=レオナルド・ディカプリオマフィアからの潜入刑事=アンディ・ラウ=マット・デイモンマフィアのボス=エリック・ツァン=ジャック・ニコルソン潜入捜査官を派遣した警部=アンソニー・ウォン=マーク・ウォールバーグ・・・で合っているのか?いずれにせよ、潜入捜査官視線がメインの映画になるに違いない・・・
2006年11月16日
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原作は花くまゆうさくのマンガです。主演を浅野忠信と哀川翔が演じているということを除けば、完全にB級映画です。B級どころかC級かも知れませんが、ひょっとしたら「カルトムービー」と言われるようになるのかも知れません。しかし、センスはいいと思います。映画の出来その物も悪くは無いと思います。デティールもわざといい加減に作っているのだと思います。主題歌も世界観を踏襲してかなりイカスのですが・・・なんだろう・・・なんか人には勧めにくいようなこの感じ・・・この映画を好きというと自分が「変態」だと勘違いされるんじゃないか・・・みたいな・・・そんな感じの映画です(どんな感じだ(笑))まぁとにかくストーリーを・・・ほとんど書いてしまうのでこれから観る人は読まない方がいいかもしれません。近未来の東京の片隅でアフロヘアのフジオ(浅野忠信)とハゲ頭のミツオ(哀川翔)が消化器工場で働いた。なぜかミツオは柔術(おそらくグレイシーに近いとおもいますが・・・)の使い手であり、フジオとは師弟関係であった。いつものように昼休みに、2人が柔術の練習をしているところに本社の社員、藤本が現われ、自分のストレスを解消するためにミツオをいたぶり始める。柔術で使っていたマットでミツオを簀巻きにして頭をしばくのであった。それを見ていたフジオは衝動的に藤本を消化器で殴り殺してしまう。(この辺の展開が急なんですが・・・)2人は死体を産業廃棄物のゴミ山「黒富士」に捨てにいくのだった。この「黒富士」は東京近郊にあり、生活ゴミはもちろん死体や産業廃棄物(放射能を含む)も埋められていた。この時代の人たちは殺人に対する罪の意識が希薄になっているのか、結構な人数が死体を埋めに来ていた。そして、ミツオ達が死体を埋め終わって帰ろうとしたとき、おびただしい数の死体が突然次々とゾンビ化して復活するのであった。ゾンビは瞬く間に東京を埋め尽くしゾンビから逃れるため、ミツオの提案で北へと車を走らせる2人だったが、ある日コンビニで食料を調達しているときにミツオはゾンビにかまれてしまう。ミツオはフジオに別れを告げて川に身を投げるのだった。そして5年の月日が流れた。フジオはミツオと別れた日にたまたま助けた一人の女とその間に出来た喋ることの出来ない娘と3人で貧しくも生活をしていた。フジオはミツオに教わった柔術でゾンビファイトを行っていた。そこは高い城壁で囲まれた安全な場所であったが、貧富の差が激しく、フジオのような人物はほぼ奴隷同然に扱われていたのだった・・・数々のゾンビファイトを繰り返す後、ゾンビとして、ミツオがフジオの前に現れるのだった・・・基本的には友情と家族愛をテーマに描かれています。設定と展開のばかばかしさとのギャップで、ひょっとしたら、哲学的な内容に思えるかも知れませんが、あまり深く考えない方がいいと思います。作者や制作者達はそこまで思って作っていないからだと思います。人間が生きていく上で大切な物はなにか?映画のテーマ、そしてメッセージとして最もポピュラーな題材であり、この映画もそれを伝えていると思います。ゾンビが蔓延する究極の状況の中、人々はあきらめ、暴力と権力だけが支配してしまい、それに従わざる終えない・・・ただ、息を吸っているだけの毎日にフジオは生きる目標を見いだします。それが、友情であり、家族を思うこころであったりするのですが・・・・そんなことを力説していると制作者に笑われそうです(笑)あくまでもこの作品は「シャレ」であり、そういった哲学的な部分は「テイスト」として加えられているんじゃないかと思います。ゾンビを撃退する方法はいろいろあるけど、それに対抗する手段として「柔術」を用いたという「だけ」の作品かもしれません。核戦争後の荒廃した都市で特権階級の人間だけがいい生活をして、のし上がるには自ら「見せ物」になって、闘技場で闘うという設定は物語としては「ベタ」です。この映画核戦争ではなくそれが「ゾンビ」であり、北斗神拳(笑)ではなく「柔術」であったという設定から全ての物語が出来上がったのでしょう。つまり、その設定こそがすべてて、あとは「後付け」のような気がします。軽い気持ちで見る方が作った方も安心するでしょう。・・・と思いました。さて、浅野忠信と哀川翔ですが、割といい感じの演技をそれぞれがしています。浅野忠信は「不条理」が設定の映画に出演するのはよく分かりますが、果たして、哀川翔がハゲのメイクをして大丈夫なのかと思いましたが、なんか吹っ切れた感じでやってます。なんか、その思い切りの良さが、映画のテンションを表しています。おそらくジャンルとしては「真夜中の弥次さん喜多さん」に近いのかもしれません。そう言えばあの作品もヘタウマ漫画家しりあがり寿が原作でした。あの映画を見終わった後に妙に思い出してしまう人にはお勧めの映画かも知れません。私にとっては・・・・「うーん・・・・」という感じでした。ただしTHE HOMESICSの主題歌「心かよわせて」は最高です。それだけは自信を持って言えます(笑)東京ゾンビ2005/12/10公開 103分 監督 佐藤佐吉 出演 浅野忠信 哀川翔 奥田恵梨華 古田新太
2006年11月15日
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☆おすすめ品☆ピーナッツ プレミアム エディション 型番:GNBD-7337芸人で役者もやって監督になって・・・・しかも成功した人・・・・といえば竹中直人、ビートたけしぐらいかな?で、ウッチャンがそれに続いたわけです。実はウッチャンは監督は今作で3作目だと思います。ただし前2作はTVの単発ドラマです。一つは「彼女との時代」という作品、水野美紀主演のタイムトラベル物です。もう1作はタイトルは忘れたけど、カンフー物?だったような気がします。こんぼうだかハンガーだか持って悪を懲らしめる・・・・みたいな・・・・もともとウッチャンは映画監督志望だったので、今作にてようやく夢が叶ったようですね。(実は「恋人はスナイパー」でも若干の演出協力をしているようなのですが・・・)この映画はウッチャンが自ら企画した初監督作品というわけですが・・・・いかんせん「内村プロデュース」の延長戦のような仕上がりになっています。てなわけで長いコントを見せられているようなんですね・・・おそらくは彼はかなりの小心者で、自分の演出を「言いやすい」人間で脇を固めたのではないでしょうか?さまぁ~ず、ふかわ、TIMは「NO PLAN」のメンバーだし・・・・ちなみに恋人役の桜井幸子はウッチャンナンチャンのバラエティ番組「やるならやらねば」でまだデビューして間もない頃、準レギュラーとして出演していました。小木茂光と松村雄基が出演していますが、ほぼウッチャンとの絡みはないし・・・・入江雅人は劇団「シャララ」のメンバーだし・・・その他お笑い芸人もほぼウッチャンと親交があって・・・・竹中直人は「恋人はスナイパー」で共演しているし・・・・出川は出演していたらしいけどどこにいたかわかんないし(笑)だから・・・・私が言いたいのは「もったいない」ということなんです。おそらくウッチャンはこんなハートフルな作品を自分が出演せず、しかもちゃんとした役者を起用したら照れくさくてしょうがなかったんじゃないでしょうか?ギリギリのところで我慢したのはナンチャンを出演させなかったことくらいで、もしガチンコで作っていたら、それは1監督作品として「まとも」に評価されてしまいます。半分「シャレ」のような作品にわざと仕上げて、いろいろ言われるのを免れようとしたんだと思います。つまりこうです。自ら映画通をかねてから公表し、しかもいずれは監督をしてみたいと言っていたウッチャン。満を持して「映画」の監督作を撮る決意(オファーがあった?)をした。最初は「内村プロデュース」の企画から始まったのかも知れないが、やはりいい加減な物はつくれない。でもガチンコで撮って酷評されるのは「怖い」「ご大層なことを言ってた割には大した作品じゃない」なんて言われようものならたまらない・・・・というわけで、出演者を身の回りにいる物で固めて、しかも役者経験がほとんど無い芸人「だけ」で映画を撮れば・・・「まぁ仕方がない」もしくは「よくやった」くらいの評価は得られるかも知れない・・・・脚本もハリウッド映画のいろんなところをコラージュしたかのような感じなので、ある意味オリジナリティに欠けます。そしていわゆる、ダメ人間達が集まってスポーツをするというストーリーはハートフルな作品としては「鉄板」なので無難でした。よくあるエピソードを繋いだ作品ということです。私が「もったいない」と言ったのは、もう少し「抑えて」撮った方がよかったのではないかということです。芸人の出演者をもう少し控えて、ちゃんとした(笑)役者を出演させて欲しかったです。竹中直人はいいんですが、同じような役所に有田(くりぃむしちゅー)も出演させています。竹中直人が居るんだったら有田はいらなかったと思います。全体的に欲張りすぎた感はいなめません。でもね・・・ちょっと感動するんですよ(笑)三村の演技に至っては本当に「どうしようもない」んですけど・・・・(笑)レッドなんて、見てて「ハラハラ」するんですけど・・・・(笑)でも、なんかみんな・・・・いい味出してるんです・・・私はウッチャンが好きです。そのなんていうか「インドア」的な「おたく」な感じだけど、結構運動神経がよくて「動ける」ところとか(笑)結婚もなんだか「略奪愛」みたいでしたけどなんか私は徳ちゃんと結婚して本当によかったと思いました。これからも応援したいので、本作品に関しては、「まぁ、とりあえず1作目という事で・・・」くらいに考えることにします(笑)内村監督の次回作に期待です!ちなみにストーリーは多分想像通りなので今回は書きません(笑)ピーナッツ2006/01/28公開 115分監督 内村光良 出演 内村光良 三村マサカズ 大竹一樹 ゴルゴ松本 レッド吉田 ふかわりょう 佐藤めぐみ 飯尾和樹 中島ひろ子 奥貫薫 小木茂光 松村雄基 有田哲平 入江雅人 中島知子 原田泰造 ウド鈴木 出川哲朗 竹中直人 桜井幸子 ベンガル
2006年11月14日
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デスノートの発想ってもともとドラえもんの道具でしょ?違うのかな~?ドラえもんって意外と「怖い」道具も持ってるんですよね。悪魔のパスポートとか悪魔のイジワールとか・・・いずれにしてもデスノートは究極の「アイテム」といえます。そう感じるのは、この物語が絶大な人気があるからです。これは現代人の抱える病床心理を浮き彫りにしているということなのでしょうか?マンガなり、映画なりを見てこのノートを「夢のアイテム」と考える人が少なくない・・・・と私は思います。でも、もしこのアイテムがあったとしても、主人公ライトと、読者や観客とは使い方が決定的に異なるでしょう。おそらく、観客は読者は手に入れたら・・・・自分の気に入らない人間の名前を真っ先に書き込むことを想像するのではないでしょうか?ライトは違いました。実はこの相違点こそ、この物語の根幹にあるものであり、また、最も重要な部分ではないかと思います。物語の「核」の部分を考えるに当たって、まず何故ライトがデスノートの使い手として選ばれたかということを考えなくてはいけないと思います。デスノートは人間の主観的な時間で考えても、ライトが存在する時代に出来た物ではないはずです。おそらく古より存在する物なのでしょう。死神の存在自体の定義はひとまずおいといて・・・・実際は人類が存在するから死神も存在するのかも知れませんが・・・とにかく、ライトより以前にデスノートを手にした者がいるはずです。その者たちはいったい何に使用したのでしょう?おそらく、自分が嫌いな人間、もしくは自分にとって都合の悪い人間を「数人」殺すために使用したと思います。しかし、ライトはどうでしょう?彼はモラルを重んじる性格故に「こいつ殺してやる」などと日常生活の中で思ったりするような人物では無かったと思います。つまり、そんな人間にデスノートを渡したらどうするんだろうという興味本位で死神は彼を選んだのだと思います。なにしろ死神とはいえ、「神」ですから、とかく気まぐれなのです。案の定ライトは法では裁ききれない犯罪者に「死」を与えます。ちょっと話はずれますが、「必殺仕事人」は現代劇ではTV放送できません。「ハングマン」というシリーズがありました。(ちなみに「吊す人」と言う意味です・・・)現代版仕事人です。しかし、決して殺人はせず、「お仕置き」にとどまっていました。現代劇でこれをやると必ず「模倣」する人間が出てくるからです。現代劇において、殺人を犯した者を「正義」として扱うことはTV業界ではタブーなのです。で・・・ライトがやっていることはまさにこれです。しかも直接手を下さず名前をノートに書くだけというこれ以上ないという方法で事を遂行できます。犯罪者をバンバン殺していたまではよかったのですが、Lの捜査が始まって事態は一変します。ここでライトには2つの道が選択できました。つまり、「前編」でLがTV放映をした時です。彼は画面に映った外国人がLだと思い、ノートに名前を書きました。実際はその人間はLではなく司法取引をした死刑囚でした。かろうじて犯罪者のみを殺しているというライトの犯行は保たれましたが、実はライトはこのときLを殺そうとしたと言うことなんです。Lは犯罪者ではありません。このときライトは道を踏み外してしまったのです。ここで手を引くという手もあったはずですが、Lにはめられたことで深くプライドを傷つけられたライトは、クールに装ってじつはかなりヒートアップしてしまいました。その後はゆっくりとしかし確実にライトはサイコキラーになっていきます。FBIの捜査官を皆殺しにして、なおかつ最愛の恋人まで殺します。一応、「保身」のためのように動いていますが、実際ライトはゲームを楽しんでいます。もう完全に犯罪者になってしまったというわけですね・・・・後編にあたる「the Last name」ではLとライトの心理戦がますますヒートアップしますが、ライトの目的はただ一つ・・・・Lを殺すことです。父親が理想にしている新世界を創るという目的はどこへやらで、完全に自分自身を見失ってしまいました。そして計り知れない2重3重のトラップを仕掛けLを追い込みますが・・・・原作とラストが異なる(?)ようなのですが、私は原作を読んでいないのでわかりません。ただし、主人公ライトの運命は、先の分岐点のところで決まっていたような物だと思います。ですから、想像通りでした。映画の顛末については文句ありません。きちんと完結していて、作りもしっかりとしていたと思います。問題は、全編を通じての観客の視点が気になります。というか観客の心理ですね・・・・物語ですから、観客は主人公目線になっていると思います。私が上記に書いたことを踏まえて映画を観ているなら問題ないのですが・・・・実はロードショーでは小中学生が大半でした。彼らや彼女たちはおそらくライトがLに勝つように応援していたと思います。もちろん、完結している物語ですからラストは知っているのでしょうけど・・・でもシーンごとにはライト側で物語を見ているはずです。その感情は「気に入らない奴はノートに書いて殺してしまえ」という心理に共感しているということかもしれません。恐ろしいです・・・・私が言いたいのはこの物語がそういう共感できる感情を増幅した物では無いと言うことです。むしろ、その逆です。たしかに、この物語は命の大切さをストレートに説いた物語では無いかも知れません。しかし、敢えて人の命を軽んじることで、実はいろいろなことが見えてくることも事実です。生きるとはどういうことなのか?人の死とはどういう事なのか?そして人間とはなんなのか?この後、私たちはどこに行こうとしているのか?明日を担う子供達には是非、そういう視線でこの物語をとらえて欲しいです・・・・そういえば、こういう感想を持った映画が近年ありました・・・「バトル・ロワイヤル」です。奇しくも主演が藤原竜也だったのはやはり単なる偶然だったのか?それとも制作者の意図だったのか?ひょっとしたら「必然」という名の「偶然」だったのかも知れません・・・・DEATH NOTE デスノート the Last name 監督 金子修介 出演 藤原竜也 松山ケンイチ 戸田恵梨香 片瀬那奈 マギー 上原さくら 前田愛 津川雅彦 藤村俊二 鹿賀丈史声の出演 中村獅童 池畑慎之介(ピーター)
2006年11月13日
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ピンクパンサー コレクターズ・エディションついに21世紀に戻ってきた「ピンクパンサー」・・・ですが・・・これは本当に「ピンクパンサー」なのか?とりあえず今までに製作された作品を整理してみます。ピンクの豹 (1963) 暗闇でドッキリ (1964) ピンク・パンサー2 (1975) ピンク・パンサー3 (1976) ピンク・パンサー4 (1978) ピンク・パンサー5/クルーゾーは二度死ぬ (1983) ピンク・パンサーの息子 (1993) と、この7作がブレイクエドワーズ監督の作品です。他にもトレイル・オブ・ザ・ピンクパンサー (1982)と言う作品がありますがこれは総集編ですので正式なシリーズとしては除外していいかと・・・で今年公開されたピンクパンサー (2006)ということです。しかし、肝心のピーター・セラーズが出演したのは「4」までです。1980年に亡くなったので以降2作には出演していません。「5」では整形した後の姿として超有名俳優がクルーゾーになりますが、かなり強引に映画を作ってしまったわけですから・・・でピンクパンサーの息子ではロベルト・ベリーニが主演をつとめます。ちなみにこの作品だけ私は観ていません。ビデオ屋さんになかったんですよね・・・・ということで、私にとってはほぼ23年ぶりのピンクパンサーです。しかもクルーゾー役を私が最も好きな俳優のスティーブ・マーチンが演じるとなったら期待しないわけにはいきません・・・・・・・・が・・・・・冒頭にも書きましたが過去の作品とは違うような気がします。なんなんだろうこの違和感・・・と思ってDVDに収録してあった未公開シーンを見て納得しました。やはり、ピンクパンサーという作品はブレイク・エドワーズ+ピーター・セラーズでしかあり得ない映画なんだと思いました。少し表現が難しいですが、ブレイクが監督して、ピーターが演じたらそれだけで「ピンクパンサー」の世界になると言うことです。これを他の監督がメガホンを取って、他の役者が演じると、どうしてもその世界観に近づける作業になってしまい、本来のおもしろみがでないんです。だから、監督のショーン・レヴィはその作業に没頭するあまり、当初の脚本にあったシーンを撮影するものの大幅にカットしてしまいました。つまり撮影したはいいが、デディケイトする作品とは違うものになってはいけないとノイローゼ気味の編集をしたに違いありません。それは冒頭のアニメシーンにも伺えます。ピンクのダイヤからアニメシーンにかわる「お約束」のオープニングも実は当初は21世紀らしく3Dでした。これは特典映像で全て見ることが出来ますが恐ろしいことに全編カットです(笑)で・・・昔なじみのアニメに差し変えたようです。というか、競作させておいて結局、いつも通りの作品を使用したようです。さらに、先のも述べたように本編も大幅カット!だから作品も93分という短かくなっています。どう考えても試行錯誤のしすぎで迷路に迷い込んでしまったしかおもえません。てなわけで、なんだか中途半端のような気がします。こまった物です。どうせやるなら徹底的に無茶してもよかったと思いますが・・・・やはり往年のファンはそれはそれで文句を付けたと思います。じゃあどうすればよかったのか?まず、必須条件としてファントムは登場させるべきだったでしょう。そしてクルーゾーのアシスタントは無名の東洋人にすべきでした。さらに、クルーゾーが普通に事件を解決してしまったことも私にとっては不満足です。偶然に解決してしまった・・・・ならいいのですが、推理してきちんと(?)犯人を捕まえてはもはやクルーゾーとは言えないような気がします。この映画は最初から最後までドタバタしても許される映画だと思います。ただし「オースティン・パワーズ」のように下品になってはいけません。あくまでエレガントに大騒ぎしてほしいものです。かなり大変な注文でしょうが、それこそが「ピンクパンサー」だと言えます。結局世界に一つしかないピンクのダイヤを巡って人間が右往左往するのが作品のコンセプトなんじゃないでしょうか?それが、連続殺人事件の犯人捜しになってはなんだかもう別の作品になってしまったような気がします。実は大幅にカットされたシーンは全て「ナンセンスで大げさな笑いのシーン」です。例えばクルーゾーが飛行機に乗って移動するシーンでは飛行機が無駄に長くて、サービスで注文した寿司がキャビンアテンダントが持ってくるまでにカビがはえてしまい、それでお腹を壊してしまう・・・なんてシーンがあります。確かにちょっとオーバーですし、このシーンは「フライング・ハイ」やそれこそ「オースティン」の世界観です。このシーンがあったら確かに映画がさらにぐだぐだになっていたかも知れません。だから、カットになってしまったんでしょうけど・・・残ったシーンが比較的「まとも」すぎて・・・・なんだか物足りません。まじめなストーリー展開はおバカなシーンありきのものだから大幅なカットでバランスがおかしくなってしまったのだと思います。やはり、ブレイク+ピーターの作品はその辺の絶妙なバランスが全て計算され尽くしていたのだと今になって思いました。もしかしたら、いきあたりばったりで撮っていたのかも知れませんが(笑)それでもその世界観は見事と言わざる終えません。いろいろ、考えてはみたものの・・・・これは正当な後継作と認めるわけには・・・いけないような気がしました。俳優陣の演技は素晴らしかったです。スティーブだけでなくジャン・レノの演技もよかったです。特にケビン・クラインの演技は本当に最高(笑)でした。監督の熱意も伝わりました。ただ、過去の作品のイメージにこだわりすぎたのかも知れません。興行収入もイマイチだったようなので続編ができるかは微妙です・・・・冒頭のサッカーのシーンで結構、制作費がかかっているような気がしますので・・・おそらく大コケでしょう・・・・私としては本当に残念な作品でした。もし、キャストをそのままに続編を制作するならば・・・・かならずファントムを登場させるべし・・・・唯一の救いはヘンリー・マンシーニの曲を使ったことか・・・・?ってこれがないと「ピンクパンサー」とはいえないんだけどね(笑)それからビヨンセが出演していましたが・・・・どうでもいいですね(笑)ピンクパンサー2006/05/13公開 93分 監督 ショーン・レヴィ 出演 スティーヴ・マーティン ケヴィン・クライン ビヨンセ・ノウルズ ジャン・レノ
2006年11月12日
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オーメン666この作品はリメイクです。正当なリメイクですね。ですから新たにアレンジを加えて別の作品になっているなんてことはありません。キャストを代えて作り直しただけです。結構大々的に宣伝してましたが、この作品における6月6日6時という有名なキーワードを2006年6月6日全世界同時公開という一大キャンペーンに合わせてイベントのように行っただけで新作品自体は新鮮味がありません。てなわけで、ストーリーは全く同じです。前作はシリーズ化されて結局「4」まで続きましたが、ダミアンが主役なのは「3」までです。今作は前シリーズの「1」の完全リメイクというわけです。最近はホラーブームに乗っかる感じでホラー映画がよく制作されるようになりました。これはやはりジャパニーズホラーがハリウッドでリメイクされたことと無関係ではないと思います。「リング」「JUON」「ダークウォーター」などはまぁまぁ興行収入がよかったようなので、ハリウッドもそのヒットにあやかったというわけでしょう。しかし、日本のホラー映画のような独特な「怖さ」はアメリカ人にはどうも創作できないようです。ちなみに日本人の想像する「わけのわからない恐怖」というものがいまいち理解できてないからではないでしょうか?つまり欧米人には恐怖の源は全て「悪魔」の仕業によるものだという考え方がどうも頭から離れないようなのです。日本のホラーの場合は「恐怖」は「霊」によることが多く、その「霊」の持っている「恨み」こそが恐怖の根元のようです。しかし、欧米人には死んだ人が現世で悪さをする感覚がわからないようで、人を恐怖に陥れるのは「霊」の元締めの「悪魔」がすることのようです。ですから、ホラー映画というのとは違い、オカルト映画というジャンルが存在します。つまりジェイソンが出てくるのがホラー映画で、これは人体に肉体的な恐怖を与えるようなジャンルと認識しているようです。で、オカルト映画というのは精神的に恐怖を感じるジャンルと言うことになります。つまり「エクソシスト」や「オーメン」のような映画ですね。ちょっと表現しにくいですが、得体の知れない物に追いかけられ血がドバドバでるのがホラー映画で、日常的な生活の中で突然声が低音になって脅してくるような映像がオカルト映画です。決定的な違いは後者には必ず「悪魔」の存在がくっついてくるということです。で、日本のホラー映画はと言うと、基本的に神や悪魔という考え方が民族的に定着してないので(少なくとも悪魔は定着していない)オカルトというジャンルが逆にピンと来ません。しかし、「リング」や「呪怨」などは映画の作りから言うとオカルト映画に近い内容です。血がドバドバでるのではなく、むしろ精神的な恐怖を煽るような作りになっています。「リング」や「JUON」はホラー映画ながら、オカルト的な要素を含む内容がアメリカ人にとっては新鮮だったと言うことでしょう・・・・そんなヒットを踏まえてハリウッドは新たにオカルト映画を製作するようになりました。しかし、「ネタ」がありません。よって過去のヒット作をリメイクすることで「様子」をうかがったのではないでしょうか?「エクソシストビギニング」という作品が製作されました。これが意外と興行収入がよかったようです。実際、これはリメイクではなく、エピソード0的な作品でした。ちなみに「エクソシスト」シリーズは「3」まで制作されています。傑作の「1」に比べて続編の「2」は凡庸でした。しかし作者自らメガホンをとった「3」はなかなかの出来でした。視覚的に悪魔を映像でみせることなく観客を「恐怖」させる手腕はかなりのものでした。満を持して制作された「ビギニング」は正直私にとってはいまいちのできでしたが、まぁこれはこれでよしとします。話はかなりずれてきましたが、肝心の「オーメン」のことを・・・まず、前作のことを述べますが、この映画は76年に大ヒットした映画です。ちなみに「エクソシスト」は73年に公開された映画でしたが、ブームに乗ったことも事実でしょう。しかし、「オーメン」という映画の「恐怖」は底知れぬ物がありました。悪魔の子の復活というセンセーショナルな内容はこれから世紀末を迎えようとする時世に見事にはまり、当時の観客は大絶賛したのです。この映画によって「666」という数字と「ダミアン」という子の持つイメージは定着しました。ちなみに「エクソシスト」で悪魔に乗り移られた少女の名前(リーガンですけど・・・)は覚えていなくても「ダミアン」は覚えている人は多いと思います。それほど印象深かったのです。それは、やはり小さい愛くるしい男の子が悪魔の子であるという事もあったと思います。また、その子の謎を探ろうとした者が不可解な死をとげるといった映画のストーリー展開も恐怖を煽りました。これは「ダミアン」が念じて起こったことではなく、彼が邪魔だと思った人間、もしくは、彼の存在を否定しようと思った人間に「災難」として降りかかります。「ファイナルディスティネーション」や「デッドコースター」はこの部分だけをフューチャーして制作された映画なんでしょう。「オーメン」より先にこれらを観ていた人はこの映画をまず連想するかも知れません・・・しかしこの映画の「恐怖」は映画の中にあるのではないと思います。映画の中では、怖い映像はあまり無いのです。確かにイメージ映像をカットインさせる手法は今回は取っていましたが、それは重要な演出ではないとおもいます。真の恐怖は映画が終わった後にじわりと来ます。つまり、悪魔の子の復活をくい止められなかったことが真の「恐怖」なのではないでしょうか?前シリーズの「1」のラストで墓の前で「ダミアン」が無垢に微笑みますが、この時点で本人に自覚はなかったという解釈を「2」ではとったようです。実際、前シリーズでは「2」で自分が「悪魔の子」と知った「ダミアン」は苦悩をします。しかし、「1」を見終わった後はそうは思いませんでした。全ては彼の手の上で起こっていたことではなかったか?と思い背筋が凍りました。これは今作でも忠実に描かれていました。やはりこのラストじゃないと「オーメン」じゃありません。この映画の素晴らしさは悪魔に乗っとられた映像もなければ、突然声音が変わってしまうような演出がないところです。分かりやすい演出無しで見事に「恐怖」を表現したと言えると思います。そしてもう一つ・・・・前作で主人公である「ダミアン」の父を演じたのは名優グレゴリー・ペックでした。このような映画に本来は出るような俳優では無かったかも知れませんが、彼のおかげ映画が一級になったと思います。今作ではリーヴ・シュレイバー が演じていますが、なんかもう一つ残念な気がします。妻役のジュリア・スタイルズ、乳母役のミア・ファローやその他マイケル・ガンボンなんか有名どころも出ていますが肝心の主役にあまり知名度がないともうひとつ締まった感じがしませんでした。完全リメイクなのでそんなこと言っても仕方ないのですが・・・・どうせなら、そこにこだわって欲しかったです。オーメン(2006)2006/06/06公開 108分 監督 ジョン・ムーア 出演 リーヴ・シュレイバー ジュリア・スタイルズ ミア・ファロー マイケル・ガンボン シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック おまけ1前作のアカデミー賞を受賞したジュリー・ゴールドスミス作曲のメインテーマは使われていました。ちょっと嬉しかったです(笑)おまけ2前作の監督はリチャード・ドナーです。実は「オーメン」の直後、撮った映画は・・・・なんと「スーパーマン」です・・・・びっくりでしょ(笑)
2006年11月11日
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てなわけで、Review3(完結編)です。Review1と2で「スーパーマン」が映画向きでないということや、クリストファーリーヴについて述べ、この先のシリーズ化が危ぶまれていることを考察しました。しかし、それらを踏まえると本作品がいかに傑作であるかが分かると思います。本日はReviewの完結編としてそのことを述べたいと思います。実は「スーパーマン」の映画か復活にはいろいろ企画が上がっていました。まずVS物です。「エイリアンVSプレデター」とか「フレディVSジェイソン」とか・・・あの辺の企画に似た・・・「バットマンVSスーパーマン」という企画です。まぁ、バットマン人気にあやかろうということだったのでしょうか?どう考えてもゴッサムシティにデイリープラネット社があるのは無理な設定です(笑)世界観が違いすぎるヒーローをくっつけることは困難だったのでしょう・・・「スパイダーマン」なら世界観も似ていますが、いかんせん彼は「MARVEL」出身のヒーローなので競作は無理だったようです。大人の事情というやつですかね(笑)どっちにしろ、そんなふざけた企画物で復活はしてほしくなかったのでそれはそれでよしとしますが・・・実は、誰が新スーパーマンを演じるかでも難航しました。クリストファー・リーヴの時は無名の俳優を起用して、結果としてシリーズは打ち切りになりました。脇を超有名俳優で固めた「1」は空前の大ヒットとなりましたが尻すぼみのシリーズでしたということは有名俳優にスーパーマン役をさせればいいのでは・・・と一時期ニコラス・ケイジに猛アタックをしていたようです。いい俳優ですよ彼は・・・でもスーパーマンとは違うでしょ・・・(笑)当人も笑い飛ばしたようです・・・ということでニコラス・ケイジ主演、「バットマンVSスーパーマン」などという明らかに後世に物議を残すような映画は完全にお蔵入りとなりました。正直、ファンとしてはほっとしました(笑)そして、製作サイドは王道で行くことを決めました。主役は誰が見てもスーパーマンに見える新人を起用すること。ロイス役も有名女優ではなく主演とバランスがとれるようにあまり知られていない女優。敵役にはレックスルーサーを登場させ、知名度も演技力もある大俳優を起用すること。まず、この3点は絶対です。過去のシリーズの「1」の成功をなぞったわけです。そして、違和感のないように、前シリーズの続編という設定にしました。これはもともと企画の段階では「5」であった事からも分かりますが・・・おそらくクリストファーが生きていたらこのままだったと思いますが、続編ではあるが新シリーズということを強調して「リターンズ」と変更たようです。また、その設定を裏付けるように、マーロンブランドをフィルム出演させました。「1」の時に恐ろしい額のギャラをもらったようですが、故人ですのでこの辺はクリアしたのでしょう・・・さらに曲は当然「1」で使用したジョン・ウィアムズの定番の曲です。とんでもないことにその曲がかかるオープニングは「1」とうり二つです!つまり、過去のシリーズにそしてクリストファーに敬意を表して作品は製作されました。気になるストーリーですが・・・・ここからはネタバレになりますのでお気を付けて・・・スーパーマンことクラークはクリプトン星の生き残りが宇宙にはいるんじゃないかという手がかりを掴み宇宙へ旅に出ます。(だからスーパーガールはどうなるんだ!・・・ってことはおいといて・・・(笑))で5年間の旅を経て地球に戻ってきます。(だからウラシマ効果はどうなるんだ!・・・ってことはまたまたおいといて(笑))久しぶりに地球に「リターン」した彼はそうそうにスペースシャトル事故を未然に防ぎます。結果、ロイスが搭乗していた飛行機が墜落しそうになるのを助けます。翼が折れたジャンボジェットを支えて、野球場に不時着させたときスタンドからは「お帰り!スーパーマン!」の拍手に包まれます・・・この辺がいかにもアメリカ的なのですが、私は不覚にもちょっと涙ぐんでしまいました・・・だってクリストファーのことを思うと・・・・話を戻します・・・そして、またなにげなく日常が始まるんですが、実はロイスには子供が生まれていました。当然父親なる人物も居て、それが同じデイリープラネット社の社員でした。そして、クラークではなくスーパーマンが自分のもとを突然さってしまい、失意の彼女は「アメリカにスーパーマンが必要ない理由」なる記事までかいて、ピュリッツァー賞までもらっていました。すこしがっかりしたクラークはそれでもまた、地球の民を守る日々に戻ります。それは亡き父(マーロンブランド)の言葉を思い出したからです。「人類は発展途上の生物だから、お前がそれを見守るのだ・・・・そしていつか息子は父となり、父は息子となるだろう・・・」後半の言葉は謎だったが、宇宙に独りという孤独を胸にスーパーマンは地球を、そしてロイス親子を密かに見守ろうと決意します。実はこれは1978年度版のスーパーマンで実際に使われた言葉です!新しい作品のためにアテレコしたものじゃありません!そんなある日、脱獄後に莫大な資金を得たレックスルーサーが再び悪巧みを始めます。スーパーマンが帰ってきたことも当然考慮に入れ、クリプトナイトを手に、そしてクリプトン星の科学力まで手に入れて、人類の大半を死滅させ、地球を我が物にしようとしました。ちなみにそのアイディアはスーパーマンに近しいロイスから得た物だった。彼女と息子を誘拐し、その情報を得たのだった。ロイスの息子は身体が弱く、誘拐で彼の体調が変化することを彼女は心配する。何とか脱出を試みようとするが、失敗しロイスは乱暴を受けようとしたとき・・・・息子が超人的な力を発揮し、彼女を助けるのだった。実は彼はスーパーマンとの間に出来た子だったのだ!(実際にそれを言うシーンはないけど・・・・)スーパーマンはロイスのことが心配で必死に捜索を続けるが、同時に多発的に天変地異がおこり(実はレックスが仕組んだことなのだが)「人命救助」に追われる。その間ロイスの夫なる人物がロイスを見つけ救出しようとするも船もろとも海に沈みかける。そこへ間一髪間に合ったスーパーマンが船ごと海から持ち上げ、3人を助ける。スーパーマンはその後レックスとの対決に向かいますがロイスはスーパーマンがやられることを確信していた。何故ならレックスがクリプトナイトを持っていたからだ。よってスーパーマンを救いに飛行機をUターンさせ今度は彼を救出しに行く。案の定ぼろぼろにされた彼を洋上見つける。ちなみに砂漠で針を見つけるかのごとき状況で彼を見つけたのはロイスの息子だった・・・・脇腹に刺されたクリプトナイトを取り除くとなんとか彼は蘇生し、レックスの計画を阻止すべく孤軍奮闘する。そしてその目的を達したとき体内に残っていたクリプトナイトのせいで彼は生死の境をさまようことになる。・・・・で病院!に運び込まれ治療を受けるのだった!一時は心臓も止まっていた?ようなのですが、クリプトナイトを全て取り除くと回復した彼は人知れずどこかへ立ち去ってしまった。そして再び現れたのはロイスの息子の部屋でした・・・彼はすやすや寝ている彼の枕元でこう言う。「息子は父となり、父は息子となる」彼には自分の息子であることがわかったのだった。・・・で、自分が父親であることは告げず、そっと窓から出て行こうとしたとき、ベランダでロイスに会う。彼女は「これからも見守ってくれる?」と聞き・・・彼はこう答える。「いつまでも君たちを見守るよ・・・」その言葉を残し彼は夜空に飛び去るのだった・・・・・・つまり・・・・・彼の父親(マーロンブランド)がなぜ息子を地球に送ったかがはっきりしたわけです。地球人と彼らは子孫が残せたからなのです。彼は地球人とは能力が違い、孤独だが「愛」は共通だった・・・息子が父親になったとき(クラークが父親になったとき)クリプト星の血は再び復活する・・・つまり彼を地球に送った彼の父親(マーロンブランド)の魂も復活するということです・・・スーパーマンは宇宙でただ独りではなくなるということだった・・・私は胸が熱くなりました・・・・このストーリー展開はもしかしたら「反則」かもしれません。でも一つだけ言えます。もし、続編が出来ないとしたらこれ以上ないラストシーンです!監督以下スタッフもブーイング覚悟でこの結末を選択したのでしょう!もし、続編が作れないならこれが最後でもしかたのないフィナーレにしようと・・・・永遠のヒーロー、スーパーマンの孤独を無くしたのです。これ以上「愛」に満ちたラストは無いと思いました・・・ラストにジョンウィリアムズのテーマにのって飛び去るスーパーマンの表情は明るく、それは明日という希望に満ちていました・・・賛否両論はあるとは思いますが、少なくとも私にとってはブラボーでした。157分長丁場も全く気になりませんでした!そして・・・・このラストに、天国でクリストファーもきっと満足して微笑んでいると・・・私は思いたいです・・・・スーパーマン リターンズ2006/08/19公開 157分 監督 ブライアン・シンガー テーマ音楽 ジョン・ウィリアムズ 出演 ブランドン・ラウス ケヴィン・スペイシー ケイト・ボスワース ジェームズ・マースデン フランク・ランジェラ サム・ハンティントン エヴァ・マリー・セイント マーロン・ブランド (アーカイヴ映像)
2006年11月10日
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ということでReview2となります。スーパーマン映画化にいたる「紆余曲折」についてですが・・・やはり、クリストファー・リーヴについては語らなければならないと思います。先に「スーパーマン」の印象はアメリカでは映画よりTVの方が上だと述べました。それは実際、映画化されたことが少ないからです。Review1でも述べたようにスーパーマンは映画向きでないので、TVでの映像化の方が多いのです。近年でも「新・スーパーマン ロイス&クラーク」や「ヤングスーパーマン(こちらは現在も放映中)」という形でTV放映されています。しかし、「新・スーパーマン」ではスーパーマンことクラーク・ケントとロイス・レーンが高校の同級生という設定のいわば「新説」のストーリーで実際のストーリーとは枝分かれした内容になります。「ヤング・スーパーマン」に至ってはクラークと宿敵レックス・ルーサーが高校の同級生というこれまた「新説」です。どちらも学園物の要素を取り入れてますが、私たちが知っているスーパーマンの世界観に至るまでの物語・・・のはずですが、先の新説によりパラレルワールド的な作品だと言えます。本来の展開でいくとクラークとロイスのラブストーリーが一向に先に進みません。しかし高校生となればそのもどかしさもまた「あり」でしょう。(アメリカの高校生は実際にはかなり進んでいますが・・・一応未成年ということで・・・)そして、なおかつ敵とバトルしないですむという点もクリアできるのではないでしょうか?「主人公を高校生にする」ことで、レックスの悪巧みも比較的小規模になり、毎回それをスーパーマンが人知れず解決するといった内容ですね・・・これならば、飽きられずシリーズを続けていくことも可能かもしれません。もはや「暴れん坊将軍門」のようなノリですが・・・(笑)「ヤング・スーパーマン」は現在season6になるようです。あの「24」より長寿番組ということですね・・・やはりスーパーマンの「人命救助」をメインとしたストーリーは映画より1話完結のTV向けであるので、アメリカではなじみ深いということなのでしょう。ましてや、学園物なので、往年のファンだけでなく、ティーン層も受けがいいということです。枝分かれしたパラレルワールドのスーパーマンの方がアメリカでは認知度が高いというのもおかしな話です・・・しかし、映画(シリーズ)向けでない作品ですが、クリストファー・リーヴが主演した第1作は空前のヒットとなりました。これは当時の特撮技術が飛躍的に向上したことが大きな要因であったように思います。それまでは、空を飛ぶシーンはよくてピアノ線・・・悪けりゃ、上を向いて風を上方から送り、カメラを寝かせて、飛んだように見せかける・・・とか・・・日本のウルトラマンはさらに模型を使っていましたね・・・しかし、1978年の「スーパーマン」ではコンピューターでピアノ線を消すという当時としては画期的なシステムが用いられました。これはジョージルーカス率いるILM(インダストリアル・ライト・マジック)という最先端の会社が用いた技術で、これによって、町を走っていたクラークがいきなり空に浮いてしまうという映像がかなりスムーズに見えるようになりました。この映像は観客に相当のインパクトを与え、自分も空を飛べるんじゃないかと勘違いした人がでるくらいで、ビルから飛び降りてしまう(自殺ではなく・・・)ような事故も多発したと聞きます。大スクリーンをスーパーマンが飛ぶシーンは本当に素晴らしく度肝を抜かれました・・・加えて、ジョン・ウィリアムズの音楽も最高でした。同時期に発表された、「スターウォーズ」や「スタートレック」とごっちゃになりそうですが(実際にてるんですが・・・)やはり、それぞれに合ってます。音楽を入れ替えると、てんで雰囲気がでないんですよね・・・不思議なことに・・・・そして、クリストファー・リーヴ!・・・彼なしではここまでのヒットにならなかったように思いました。体格(身長や筋肉の付き具合)はもちろん、その風貌・・・眼鏡をかけたときの表情など、まさに完璧でした。私を含め、全世界の人々が太鼓判を押したんじゃないかと思います。おそらく彼のスーパーマンのイメージにケチをつける人はいなかったと思います。それほど、適役でした。その後、映画シリーズの人気がなくなっても、TV版のパラレルな話があっても、彼のスーパーマンは「特別」な存在でした。実はシリーズ4作目では彼は「原案」として映画に参加していますが、興行的に失敗しました。そして、このまま役者として続けていくのであれば、スーパーマンのイメージを払拭するか、もしくはそのままやり通すかで彼は苦悩します。しかし、そんな彼を悲劇の事故が襲います。1995年に乗馬中に落馬してしまい、首から下が麻痺してしまいました。当然、役者としては再起不能とまでいわれましたが、懸命のリハビリを行い、なんとか車椅子で生活できるようになりました。そしていくつかの映画やTVでの仕事を重ね、ついに「ヤング・スーパーマン」でゲスト出演をしました。彼の役は、SFマニアだか、天文マニアだか忘れましたが、スーパーマン役のトム・ウェリングに、「君は宇宙に独りの存在じゃないんだよ」と優しく語りかける超重要な役を演じました。自分が演じることはもうないが、いつかはスクリーンに「スーパーマン」が復活することを・・・もしくはさせることを夢見ていたのかもしれません。しかし、配給会社は冷静でした。まず、ビジネスとしてもとがとれないということがあったと思います。簡単には復活できない企画だということです。もちろん、クリストファー・リーヴにも敬意を表していたと思います。つまり、彼抜きにはこの作品の復活はありえない・・・としかし、不吉でもあります。このシリーズの主役は落馬して下半身不随になったのですから・・・新シリーズの映画化については、企画が上がっては消えの繰り返しでした。そして、ワーナーが重い腰を上げてついに「スーパーマン5」として制作することを発表しました。クリストファー・リーヴにとっては嬉しいニュースだったに違いありません。しかし、制作は難航します。配役も監督も、まして脚本もまったく決まらない状況で数年の月日が流れてしまいます。そして2004年、クリストファーは自宅で心臓麻痺になり帰らぬ人となってしまいました。自身の52歳の誕生日のすぐ後でした。そして彼の死のほぼ10日後に新スーパーマン役がブランドン・ラウスに決定しました。それからは怒濤の勢いでいろんなことが決まり、それから約1年半で公開になったわけです。ファンはもちろん、スタッフ、キャストも彼に死には心痛めたと思います。その思いがエネルギーになってこの作品に注ぎ込まれたのでしょう次回のReview3ではその辺のところをストーリーを交えて述べたいと思います・・・TO BE CONTINUED・・・・
2006年11月09日
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いろいろと紆余曲折はありましたが遂にスクリーンに復活しました。嬉しい限りですが・・・・続編は配給会社が難色を示している様子です。どうやら制作費が恐ろしくかかったようです。また製作日数もえらく長かったようです。よって、もとがとれない・・・っていうことでしょうか?映画というのはビジネスなのでそれは当然のことなのかもしれません。しかし、私は強く言いたい!少なくとももう1作は作って欲しい!サブタイトルはズバリ「SUPERMAN FOREVER」ですね(笑)これじゃまるで「BATMAN」のパクリのようですが、同じDC COMICで配給も同じワーナーなので許されるでしょう(笑)それでは、最初に述べた「紆余曲折」に関して少し説明をします。アメリカの象徴とも言えるヒーロー像のスーパーマン・・・今までに何度も映像化されています。もちろんアニメにもなっています。しかし、アメリカでの印象は映画ではなくTVドラマの方が強いようです。実際、1978年にクリストファー・リーヴ主演で公開された「スーパーマン」が最もメジャーな作品といえますが、盛り上がったのは2作目までで、事実上4作で打ち切りになっています。これは少し複雑な事情があるのです。まず、「スーパーマン」というキャラクターですが、ヒーロー物としてはほぼ隙がない完璧な能力を持っています。銃弾を跳ね返すだけでなく、目からレーザーまで出します。パワーは半端なく、空も飛んでしまう・・・・ということは・・・・地球上にガチンコで喧嘩して勝てる奴がいるわけありません(笑)この辺が「バットマン」や「スパイダーマン」と違うところです。ちなみにバットマンは生身の人間です。スパイダーマンも強靱な肉体と糸を出す能力は持っていますがピストルで頭を撃たれたらやばいです。よって、「人間」が闘ってもそこそこ勝負になるということです。ですから、「新たな敵」を登場させ、様々な展開が出来ます。しかし、「スーパーマン」は宇宙に一人しかいない、「絶対的な存在」ですから、それに匹敵する(もしくは上回る)敵を作るとなんだか、しらけてしまいます。(「スーパーガール」のことはおいといて(笑))ちなみに「スーパーマン2」ではクリプトン星の生き残りを相手に闘いました。能力的には同じなのですが、「北斗の拳」よろしく、「達人同士の闘いは単なる殴り合い」・・・になるらしい(笑)ので、どうもアクションシーンがイマイチ、ピンと来ませんでした。「3」では、今見ると「んなアホな」(笑)くらい大げさなコンピューターが相手でした。闘う敵が機械というのもなんだか味気なかったです。「4」では確かクローンをつくったんじゃなかったけ?もう何がなんだか(笑)で・・・私たちがこの作品に求めている物は何かと言いますと・・・・「圧倒的な強さのヒーロー」なんじゃないかと・・・・「クリプトナイト」で苦戦するスーパーマンは納得いくのですが、それ以外ではやはり圧倒的な強さを求めます。敵と殴り合いをするスーパーマンは見たくないと言うことです。どんな兵器を持ってしても彼を屈服させることはできない。そして、そんな敵を決して彼は殺めることなく・・・「いさめる」姿が見たいのです。例えば、敵が仕掛けた罠を軽々とかわしてしまい・・・・敵を殴るんじゃなくて捕まえて警察に引き渡す・・・・くらいの感じですかね?そして、もっと期待するのはその能力を生かした「人命救助」だと思います。人間では不可能な「人命救助」です。本作品も、翼が折れてしまい、墜落しかけたジャンボジェットを受け止めて着地させます。(この描写は某事故を連想させますので見ていて辛くなる方もいるかも知れません・・・)シリーズでもこれらのシーンは数多く描かれています。湖を「息」で凍らせて運び火事を鎮火するとか・・・地球の自転を逆回転させて時間を戻してロイスを生き返らせたのはどうかと思いましたが(笑)まぁ、SF的には矛盾だらけなのでツっこんでもしょうがないですが・・・(笑)とにかく、そういう意味ではヒーロー物としては非常に希有な作品だと思います。つまり、敵とのバトルをみてもしょうがないヒーロー物ということであり、ヒーローに求めるのは悪人をやっつけることではなく「人命救助」なのだということなのでしょうか・・・?ちなみに「バットマン」も「スパイダーマン」も基本的には敵の悪巧みを阻止するという点では同じです。ただし、阻止をするには彼らは「直接対決」をします。スーパーマンの場合はそれが出来ないのです。なぜなら敵より「強すぎる」からです。それを縮める唯一のアイテムが「クリプトナイト」なんですが・・・・常にこれが登場する展開もどうかと思いますしね・・・で・・・・ということは映画として成立しないのです。観客が見たいのは彼が圧倒的な能力を生かして人命救助をするシーンなら、それだけを繋いでも物語としては不完全です。てなわけで、シリーズ化はかなり困難になります。つまり、何本作っても同じ作りになってしまうからです。シリーズ化してもいずれ「飽きられてしまう」ことは前シリーズで立証済みです。無理に「新たな敵」を作っても観客はそれを求めていないなら正直「作りようがない」というのが実際のところでしょう・・・・「スーパーマン」は映画としてはおよそ20年ぶりに復活しましたが今後また「映画」として見ることが出来るかは難しいかも知れません。実は監督以下スタッフはそのことをよく考えてこの作品を作ったんじゃないかと思いました。「リターンズ」は一つの可能性で、もし、次回作が出来なくてもこの1作にすべてを注ぎ込むべく渾身の物語を構築したようです。まだまだ書き足りないのでこのレビューは「1」として近々続きを書きます。今日はここまで・・・TO BE CONTINUED・・・・・
2006年11月08日
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ダイヤモンド・イン・パラダイス ◆20%OFF!原題は「After The Sunset」です。映画の内容とかなりリンクしていますので、原題のままの方が私はいいと思いましたが・・・「ダイヤモンド・イン・パラダイス」のほうが、興味を引くような気もします。この映画は、いわば古き良き時代の(設定は現代ですが)泥棒の話で、ターゲットもリアルに現金・・・ではなく、ダイヤモンドです。ロバート・レッドフォード主演の「ホット・ロック」あたりに作りはちょっと似てますかね?「ホット・ロック」は1971年の映画ですからね・・・・映画の題材としては少し古い感じがします。そういえば「ピンクパンサー」という映画は本来ダイヤモンドを狙う怪盗「ファントム」の話なんです。決してクルーゾー警部が主役の話ではなかったようです。しかし、その強烈なキャラのために主役に格上げになり、以来、ピンクパンサー=クルーゾーのイメージが定着した・・・んじゃないかと思ってます。ちなみに新クルーゾーを演じたスティーブ・マーティンは私のもっとも好きな俳優の一人ですので、早くDVDがリリースされないかと待っています。話がずれてきましたが、「ピンクパンサー」はさておき、60年代後半から70年代にかけてのスタイリッシュな泥棒映画が好きな人にとってはたまらない映画かもしれません。それではストーリーを・・・映画はいきなり計画を遂行するところから始まる。FBIが厳重に護送しているダイヤモンドを見事な手口で盗み出すマックス(ピアーズ・ブロスナン)とローラ(サルマ・ハエック )はそのまま泥棒稼業を引退してバハマへ行くことに・・・その時盗んだのは皇帝ナポレオンが所持していたとされる、この世に3つだけ存在する財宝「ナポレオン・ダイヤモンド」の一つであった。実はマックスはそのうちの2つ目を盗み出したのだった。その後、バハマで優雅な暮らしをしていた2人だったがそこへ2人を追い続けるFBI捜査官スタンがやってくる。彼は2つ目のダイヤモンドを盗んだときの護衛だった捜査官だった。そしてスタンはバハマに一時停泊している豪華客船にナポレオン・ダイヤモンドの最後の1つが展示されていることをマックスに教える。マックスをたきつけて今度こそ彼を逮捕するつもりだった。やがてそのダイヤモンドを狙うギャングもマックスに接近してくる。マックスとの平穏な生活を願い、マックスに再び昔の仕事に戻らぬよう懇願するローラだったが彼は刺激無しでは生きていけない根っからの「泥棒」だった・・・「誰が最後に笑うのか?」という要素も若干はあります。しかしそれはストーリー上すこし脚本に付け足した程度で、本来の展開はやはり主人公の「一人勝ち」です。ということでこの映画ではチョイ悪オヤジの究極の夢を全てかなえてくれます。「自分の肩書きはダイヤモンドだけを狙う怪盗」「セクシーな若い美女(しかも死ぬほど愛されている)がいつもそばにいる」「一生使い切れないほどの財産」「引退して南の島へ」この時点でうらやましすぎて、現実感がありません。しかし、ピアーズ・ブロスナンのかっこよさは尋常じゃありません。だから、なんか許せるんです(笑)ちなみに彼は5代目の007ですが、いかんせんそのイメージは残ったままです。スーツを着るともうジェームズボンドにしか見えないので、今回はピシッとした姿は封印しています。まぁ、舞台がバハマなのでかなりラフな格好でも違和感はありません。物語の最初の方では無精ヒゲもはやし放題です。イメージを払拭するのはやはり大変だということでしょうね・・・・ちなみに泥棒役は007の合間にも「トーマス・クラウン・アフェア」(スティーブマックィーンの「華麗なる賭け」のリメイク)でも演じていますが・・・なんだか、どちらの作品も趣味で泥棒している感はいなめません(笑)貧乏感がないんです・・・ハングリー感というか・・・・(笑)スクリーンに登場した瞬間に金に不自由していない余裕のような物が感じられるんですよ(笑)本作品でも完璧な「男」なので無理して泥棒何かしなくてもいいのに・・・と考えてしまいますが、それこそがこの物語の主人公に必要不可欠なものなのです。有り余る金と美女を手に入れても、ダイヤモンドに恋いこがれてしまう・・・そんな身勝手な欲求のせいで、本当に大事な物を失いかけてしまう・・・最後にバハマの夕日を改めて見たときにその事に気づくんです。ここで「After The Sunset」という原題が生きてくるんですけどね・・・まぁ、映画はそれだけでは終わらないんですが・・・なんだか、ピアーズ本人も007を降りて、のんびりとしたい・・・なんて事を今思っているんじゃないかな?と思わせるような感じの映画でした。007ファンの私としてはバハマの夕日を見ながら「お疲れ様ピアーズ!今までありがとう!」なんて感慨にふけってしまいました。ちなみに、新しいボンドのダニエル・クエイグですが、新たな映像が見て、「なかなかいいじゃないか!」と唸ってしまいました。歴代ボンドのなかでそれぞれが演じる上で最も困難を極めたのはボンドというスパイが持っている「非情さ」だったらしいです。原作でのジェームズ・ボンドの肩書きは「世界で最も女たらしなスパイ」・・・じゃなくて、「世界最高の殺し屋}なのです。コネリーボンドが今も高く評価されているのは、最初にボンドを演じた、と言うことだけではなくその辺の雰囲気を出していたからでしょう。このことは、この冬公開の「カジノ・ロワイヤル」を見たときに詳しく書こうと思っていますが、つまりピアーズボンドはその辺が、マイルドでした。要はあんまり必要以上に「殺し」をしそうにないボンドのイメージがありました。本作「ダイヤモンド・イン・パラダイス」でもやはりそういう感じはしました。悪役を演じても悪役になれないような・・・・役者としては幅が狭いと言われそうですが、それもピアーズ・ブロスナンという俳優の魅力なんだと思いました・・・最後にヒロインのサルマ・ハエックですが、全編エッチな感じがたまりません(笑)彼女はやはり、泥棒なんですが、世界最高の大泥棒マックスをなんとかカタギにしようと(実際は本当に愛しているからなんですが)してる姿がけなげ・・・なんですが・・・いかんせんその方法は峰不二子ばりのフェロモンとすんごいボディで、つまり「身体」でつなぎ止めようとしているように見えて・・・・R指定になりそうなシーンは全くないのですが、2人でキスするシーンもほぼ彼女からなので、何ともエロティックです。「フリーダ」の女優にここまでやらせるか・・・てな印象を受けちゃいましたね・・・って「フリーダ」ってどんな映画だったっけ?(笑)ダイヤモンド・イン・パラダイス 2006/02/25公開 98分 監督 ブレット・ラトナー 出演 ピアース・ブロスナン サルマ・ハエック ウディ・ハレルソン ドン・チードル
2006年11月07日
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Mr.&Mrsスミス プレミアム・エディション(メイキングオブ“Mr.&Mrs.スミス等の特典映像が付い...この映画を機に急速に接近したブラッドピットとアンジェリーナジョリー・・・ついに彼女は彼の子供を出産しました。久しぶりの大物カップルです。ハリウッド俳優の気まぐれかもしれませんが、このカップルには個人的には長続きして欲しいですね・・・さて映画の方ですが、倦怠期の夫婦がベースになっているので特にアメリカ人にとっては親しみやすい(?)テーマだったのではないでしょうか?そこから一気に「非日常」に飛び込んでいくのですが、最初は設定がどうもイマイチのように思えました。まず、2人はプロの「暗殺者」なのですが基本的にフリーランスではありません。ブラッドピットの方は一応独立しているようですが、しかしギルドのような物に所属しているみたいです。暗殺者と言えば眉毛の濃い「あの男」を連想してしまいますが、彼は確かにフリーランスです。とかく暗殺者というのは群れたがらないイメージがありますが、この映画の世界観は違います。おそらく暗殺「組織」が存在し、それはおそらくマフィアのような物なのでしょう。時には政府からの依頼も来るのでしょう・・・・怖い話ですが・・・・とにかくそういった「組織」は複数存在し、まるで企業のように経営をしているようです。ですからブラッド・ピットは映画の中では暗殺者というよりフリーのルポライターのようであり、アンジェリーナ・ジョリーもキャリアウーマンのようです。だいたい暗殺者なのですからどう考えても2人とも正義の味方ではないわけで、その辺がもう一つ物足りないような気がするんですが・・・・だまされちゃダメです(笑)もともとブラッド・ピットという人はハリウッドを小バカにしているようなところがあるので、今回も「まともな」映画と受け取ってはいけないと思います。「トロイ」はともかく「スナッチ」や「オーシャンズ」シリーズなんて適当にやっているように見えます。おそらく全ては計算ずくなのでしょうが・・・なんせ「12モンキース」の演技見たらただ者ではないですからね・・・この男・・・とにかく、インタビューしても質問がしょぼければまともに取り合ってくれそうもないくらい頭がいい人なのだと思います。その辺が映画の中でもカウンセリングという形でみれますが・・・とにかく、映画自体は設定の段階でおかしいことだらけなのでその辺のダメだしをしてもおそらく彼に鼻で笑われそうです。だいたい世界的に有名な暗殺者2人がろくに互いのことを知らないまま結婚して夫婦生活を送っているという設定自体がもう無理です(笑)こんな無防備なことしてたら殺し屋として命がいくつあっても足りません(笑)「俺の後ろに立つな」と常に壁に背を向けているくらいの慎重さがないと・・・(笑)私が言いたいのは、そんなこと(設定がおかしいこと)はどうでもいいということなんです(笑)いかに設定に無理があろうがブラピとアンジーが暗殺者で夫婦!ということから全ては始まっているわけですからこれに文句を付けても仕方ないのです。実は殺し屋とは仮の姿で・・・2人とも政府が極秘に育てたエージェントで・・・なんて事になるとそれこそ話がとっちらかってしまいます。2人はシンプルに殺し屋以上でも以下でもない存在でした。そこに妙な期待をすると肩すかしにあったように感じるかも知れません。本来のこの映画の見せ場は2人が悪に立ち向かう姿ではなく「壮絶な夫婦喧嘩」(笑)なので、細かい設定やストーリーを気にしちゃダメです(笑)とにかくブラッド・ピッドはかっこよくそしてアンジェリーナ・ジョリーは美しくこれぞハリウッド!で、いいんじゃないでしょうか?でも、オマージュはいろいろとあったと思います。クライマックスは「明日に向かって撃て」だし・・・最期はそう・・・「アイズ・ワイド・シャット」なのでしょうね・・・この先トムとニコールのようにならないように祈ります(笑)ちなみにブラピの次回作は「バベル」です。大阪(?)も映画の舞台になり役所広司も出演するようです。予告編を観る限りは「絡み」が無いように思えますが・・・この映画予告編を観るだけではどんな映画かさっぱり分からないです。話を戻します。「Mr.&Mrs. スミス」で一番私が気になったのは、クレジットの順番です。実際のところ知名度ではアンジーの方が今や「上」ですからね・・・・・・・でブラピが、若干左寄りで、アンジーの方が中央寄りで読みやすくなっていましたが、トップに名前が出てくるのはブラピでした。カミさんがダンナをたてたのか?アンジーって意外と貞淑なのかな(笑)Mr.&Mrs. スミス 2005/12/03公開 118 分 監督 ダグ・リーマン出演 ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー
2006年07月28日
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☆おすすめ特価DVD☆パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち コレクターズ・エディション現在(2006/7)絶好調上映中「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」のシリーズ第1弾です。海賊物は「コケる」というのは実は業界では有名な話で結構金がかかる割には元が取れない事が多いようです。理由は分かりませんが、実際そのようです。しかし、この映画は違いました。映画界の常識をひっくり返したというわけです。レンタルビデオショップに行くと分かりますが、かなりの「パチモン」が並んでいます。いわゆる便乗作品ってやつですよね。ところがどさくさ紛れに造った作品はどれも「大コケ」だったようです。そして、この作品以前に海賊物の映画が話題になった記憶が・・・全くございません(笑)例を挙げます。「ピーターパン」は海賊物・・・では無いかもしれませんがその世界観には海賊が深く関わってきます。しかし、今まで実写映画化されたのは3回しかありません。記憶に新しいのは「フック」です。監督、スティーヴン・スピルバーグ 主演ロビン・ウィリアムス、ダスティン・ホフマン、ジュリア・ロバーツ、音楽ジョン・ウィリアムスという最強の布陣で制作されるも、「大コケ」どころか「非難」されました。もっとも、主人公のピーターパンがおっさんだという設定自体に問題があったのですが・・・(笑)しかし、これによって「海賊物」には手を出すなという暗黙の了解は確実になりました。上記の布陣でこけたら、誰が造っても「無理」だということでしょう・・・最近「ピーターパン」という映画も公開されました。しかし、これがいわく付きでして・・・・実は「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「ピーターパン」は、ほぼ近い時期(2003年)に全米公開でした。圧倒的な興行成績を収めた前者とは裏腹に後者は「コケた」ようです。ちなみに日本での公開は前者は2003年、後者は2004年でした。時期をずらせて公開してみた物のやはり「ダメ」だったようです(笑)・・・ということは、どうしてこの映画「だけ」がヒットしたのか?それはズバリ「ディズニー」だからだと思います。実は「ピーターパン」の実写はディズニーではないのです。アニメはそうなんですが・・・結局、この手の作品で観客を喜ばせる技術というのは、会社独自が持っているもので、おいそれと模倣できる物ではないと言うことなのでしょう。ディズニーはアニメで完璧な物を作り上げてしまったので(フック船長と言えばすぐにイメージがわくくらい・・・)これ以上の物を実写で造っても無意味だと考えているのかも知れませんが・・・とにかく、「ピーターパン」を実写化するのはディズニーとしては「あり得ない」ことなのかもしれません。ということで、他のクリエイターが挑戦したようですが・・・結果はさんざんです。「カリブの海賊」というのはご存じ、ディズニーランドでのアトラクションの1つです。私はそのクルーズに参加したことがないのでよく知りませんが、実際は海賊がいるような雰囲気が味わえる・・・というもので、映画と何にも関連がないのではないでしょうか?しかしそこにはフック船長のような人物も登場するんじゃないでしょうか?つまり「パイレーツ・オブ・カリビアン」でのディズニーの成功はこうです。・・・・「ピーターパン」はイギリスに古くから伝わるおとぎ話です。それを題材にその昔(50年以上前)ディズニーはアニメを製作した。アニメは大ヒットし、全世界の人々にはスタンダードな海賊のイメージが具体的な「映像」として刷り込まれた。「ピーターパン」と平行して、ディズニーは「カリブの海賊」をディズニーランドでスタートさせた。おそらく、「ピーターパン」はディズニーオリジナルキャラではないので自由に使用できなかったのかも知れません。で、これが先の「ピーターパン」の海賊のイメージが刷り込まれて大ヒット。そして、満を持して「カリブの海賊」という名前だけ使用して映画を製作した。ディズニーが「カリブの海賊」で映画を製作するということだけでヒットする基盤はできていて・・・・当然(ディズニーにすれば)大ヒットってなわけでしょう。ちなみに製作はヒットメイカーのジェリー・ブラッカイマーです。まぁ、彼のことですから勝算のないことはしないと思いますが・・・・監督はゴア・ヴァービンスキーです。「リング」のハリウッドリメイクの監督なので、なんとなく日本になじみがある・・・と考えるのは私だけでしょうか?ちなみに「デッドマンズチェスト」も彼がメガホンを握っています。しかし・・・ですよ。たとえそう(勝算があったとしても)だったとしても映画界の常識としては危険きわまりないのです・・・「海賊物」は・・・それを覆したのはジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイの3人でしょう。特に、ジャック・スパロウを演じたジョニー・デップですが、かっこいいんだか、かっこわるいんだか分からないですよね。物語はオーランド・ブルームが中心なんでしょうけど、主役はやっぱりジョニーなのか?海賊物だけに・・・?キーラナイトレイが実は主役だったという解釈も出来なくはないですよね・・・・しかし映画のラストショット(本当は猿なんだけど)がジョニーだったのでやはり主役は彼だったと思います。ひょっとしたら、途中で主役のオーランドを喰ってしまったのでそんな「シナリオ」になったのかもしれませんね。よく考えたら、映像に出てくるのは途中だし、最初から海賊が主人公だなんてね・・・・でも、ジョニーがジャック・スパロウを演じたことで大正解だったと思います。「チャーリーとチョコレート工場」でもウィリー・ウォンカはともすれば、ジム・キャリーでもよかったかもしれませんが、ジャック・スパロウはだめです。ジョニーじゃないと・・・本作で曖昧だった「誰が主役なのか?」ということは、公開中の「デッドマンズ・チェスト」では、はっきりジョニーになったようで・・・今回はジャック・スパロウが全編を通じて大暴れするんでしょうか?ちなみに3部作のようで、次回も当然ジョニーにオファーがあったようです。それはそうと、一時期話題になった、ジャックの父親役にキース・リチャーズという話・・・・3作目こそは実現させていただきたい!60歳を越えて現役バリバリでギターを弾きまくるキース・・・・先日ヤシの木に登っていたところ落下して頭を打ち、再起不能か?なんていわれてましたが、事なきを得たようです。そのやんちゃぶりはジャックの父親の資格十分でしょう(笑)ストーンズファンの私としては別の意味で次回作が楽しみです。・・・・ってその前に「デッドマンズチェスト」見てからレビューしないとね(笑)パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち2003/8/2公開 143分 監督 ゴア・ヴァービンスキー 製作 ジェリー・ブラッカイマー 出演 ジョニー・デップ オーランド・ブルーム キーラ・ナイトレイ ジェフリー・ラッシュ ジョナサン・プライス
2006年07月27日
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ジョディ・フォスターはアカデミー最優秀主演女優賞を2度受賞した数少ない女優です。しかし、「羊たちの沈黙」からもう16年も経つんですね・・・その間、彼女も母になりましたが、その出演映画は、話題にはなるもののいまいちインパクトのない映画ばかりです。おそらく、休養をとりたかったこと、母になって子供と過ごしたかったこと・・・まぁいろいろあると思います。ちなみに2人の子供の父親は公表されていないそうです。シングルマザーってやつですね・・・・女優として一番脂がのっている時期を母として過ごすことを決意したのは、おそらくそれが「女」としてもっとも輝いているときとたまたま重なったからなのでしょうけど・・・おそらく、1990年代後半から約10年近く、相当オファーを断っていると思いますよ・・・この人要は自分にとって(時間的なことなど)ほぼ都合のいい作品しか出演していないと思います。監督をした「ネル」以降の出演作を挙げてみますと1997「コンタクト」1999「ハンナと王様」2002「パニック・ルーム」他にも数本製作したりカメオ出演していますが、まぁ~自由に出来ますよね、これらの作品なら・・・だって出演者ははっきり言ってジョディより格下だし、製作や監督なら、自分の好き勝手出来るわけだし・・・別に彼女がわがままだからと言ってるわけではありません。むしろその逆です。要は子供と一緒の時間を大切にしたかったんだけど、製作会社や配給会社に気を遣ったのだと思います。仕事は続けながら、その時間も確保する・・・このことには、かつてのレーガン大統領暗殺未遂事件が絡んでくると思います。当時、犯人の男がジョディフォスターの熱狂的なファンだと言うことがすっぱ抜かれ彼女は業界を干されかかったことがあります。無論、犯人と何ら関わり合いはないのですが、そのことで本人の人格とは別にイメージが下がりました。彼女はいったん女優業をやめて学業に専念することになります。1981年からの数年は彼女にとっては辛かった時代だったのかも知れません。「ホテル・ニューハンプシャー」という傑作が撮られたのはこの時期ですが、その他の作品は日本未公開だったりテレビスペシャルだったりぱっとしない物が多かったです。「告発の行方」での体当たり演技は「そこまでしないともうこの業界では脚光を浴びないのでは?」という彼女の不安がそうさせたような気がしました。この演技により彼女はオスカーを受賞し、見事トップ女優に返り咲きました。そのときの苦い思いが「本当は休みたいが、とりあえずコンスタントに仕事は続けていこう・・・でないと・・・」と彼女に思わせていたのではないのでしょうか?で、おそらく自分の自由が利かない「ハンニバル」は断ったのでしょう。どう考えても、断る理由なんか無かったはずです。真相はそういうことだったのではないか・・・あたかも妊娠の時期が重なっていたように思えますが・・・・さてどうなんでしょうね?ということでおそらく本作「フライトプラン」は彼女にとっての自由が利く作品だったと思います。ちなみに現在公開中の「インサイド・マン」は自由が利かない作品です。監督はスパイク・リーだし、デイゼル・ワシントン主演だし・・・いくら大女優のジョディでも気を遣わなければならないはずです。いろいろと制約があるでしょうけど、敢えて、この作品に出演したのだと思います。というのも、「フライトプラン」の演技を見て貰えれば分かりますが、なんだか「女優魂」みたいなものに再び火が付いたように感じました。娘を想うジョディの激しい演技は、一見一人芝居のようにも見えますが、人からは「狂気」と思われているかも知れない・・・・というような本人の微妙な心理状態も見事に演じられていました。つまり「羊たちの沈黙」以来の演技が「インサイド・マン」で見られるのではないかという期待を込めて・・・本作品で、「女優」ジョディフォスターが再び本腰を入れ始めてのではないかということを匂わす感じがしました。さて、それではストーリーですが・・・カイル(ジョディ・フォスター)は夫を亡くし悲しみに暮れていた。彼女の仕事は航空機設計士だった。夫の遺体を引き取り、6歳の娘ジュリアと共に最新型のジャンボジェット機でニューヨークに向かおうとしていた。彼女の職業柄、飛行機には一般客と一緒に並ばないで乗れる特権があり、今回もそれを使ってかなり早い時間から飛行機に乗っていた。そして、フライトから3時間した頃ふと、目をさました彼女はジュリアがいないことに気づいた。必死でジュリアを探すが乗客はおろか乗務員の誰一人としてジュリアを見た者はいなかった。奇妙なことに搭乗記録すらも存在しなかったことが判明する。それでもジュリアの行方を捜すカイルに対し、乗務員がFAXで送られてきた情報を伝える。それによると、ジュリアは夫と一緒に亡くなっていたのだった。精神的なショックが原因でカイルは妄想をしていただけだったのか? ぼろぼろに傷つき、同乗していた警察に手錠まではめられ、ぐったりとしたカイルはぼんやりとジュリアが座って外を眺めていた窓をみた。するとその窓ガラスにはジュリアが指で書いたハートが残っていたのだった。カイルはジュリアがいたことを改めて確信し彼女を取り戻すため立ち上がるのだった。ここからはネタバレを含みますので気を付けてくださいジュリアがいなくなった理由というのが途中までよくわからないのです。だから、本当は最初から乗ってないんじゃないかとも思えます。つまり、もしカイル(ジョディ)が言ってることが本当だとしても、さらっていった犯人の目的が分からないのでサスペンスというよりアメージングな感じがします。ところが、物語はきちんと全てのことにつじつまが合い、綺麗に環を閉じます。(多少強引ですが(笑))脚本がしっかりしているからなのでしょうけど、それをきちんと完結させた、ドイツ人監督のロベルト・シュヴェンケの手腕は見事だったと思います。そして、機長役にショーン・ビーンを起用したのも見事です。「アイランド」でも説明しましたが、今や名脇役の彼が映画を引き締めています。まぁ女の子を「見た」「見ない」や、搭乗手続きがされてないなどいろいろと突っ込むところはあるかも知れませんが・・・いくらバカにされても「愛する人への気持ちは揺るがない」という強いジョディの姿はなかなか、見応えがありました。それにしても「この映画は空のダイハードだ」なんて宣伝する配給会社はわけのわからない宣伝をしないでいただきたい!空のダイハードといえば「エアフォースワン」か「エグゼクティブディシジョン」なので、そのような映画とは全く違います。まぁそれにしてもこの手の映画は宣伝の段階で「娘」はどこへ?本当に乗っていたのか?までバラしてるもんだからさっきも述べたアメージング的な予想をした人も多かったと思います。うーん、なんか「シックスセンス」的なオチが付くと予想した人が多かったのではないかということです。そういう予想(期待?)を人にとっては物足りない映画だったのではないかと思いました。私は、おそらくそうじゃないと思っていましたので(超自然的なことや夢オチなどはない)割と素直に受け入れることが出来ました。まぁ、予想してそうじゃなかったらがっかり・・・なんてことは私も結構ありますので・・・・確かにこの映画はなにかの「大オチ」を期待させますよね・・・ちなみにそんなんじゃないです。下手すれば○○サスペンス劇場並かもしれませんが・・・・そこはそれ・・・まぁいいんじゃないでしょうか?そのためにも、ショーン・ビーンが出演しているのかも?・・・と思ってしましました。結構これには「深い」意味があるんだけど・・・・さすがにそこまでは書けないかな?(笑)見た人には私が何を言いたいか、分かるかもしれませんね・・・・フライトプラン 2006/01/28公開 98分 監督 ロベルト・シュヴェンケ出演 ジョディ・フォスター ピーター・サースガード ショーン・ビーン
2006年07月26日
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◆◆“シン・シティ スタンダード・エディション ”DVD(2006/6/23)いいなぁ~ジェシカ・アルバ!って・・・このところ立て続けに見てしまった(笑)しかし、この映画では彼女は主役というわけではないのです。でもオープニングクレジットはなんと彼女がトップです。並み居る豪華キャスト陣のトップを飾って名前が出てくるのは、スタッフの洒落とも言えますが・・・・この映画の舞台のシン・シティは暴力が蔓延する凄惨な都市です。ヴァイオレンスな映像のオンパレードのなかで、彼女の笑顔は爽やかな一陣の風のようでした。つまり、唯一心癒されるのが、ジェシカ演じるナンシーだったということです。彼女の存在は本作を象徴するわけではないのですが、それでも彼女がいないとこの映画は成立しません。まして、ジェシカがナンシーを演じたことで、映画のテンションはかなり上がったと思います。よって、おそらくはそのことで、クレジットを最初にしたのだと思います。私が彼女のファンだから褒めちぎっているように思われるかも知れませんが・・・・でもやはりこのキャストでクレジットトップは異例です。異常と言ってもいいくらいです。それはハリウッドでの彼女の「扱い」と同じかも知れません。今もっとも期待しされている若手女優の一人・・・・になるのでしょうね。とりあえず今までは、メジャー映画ではピンで主役の物はありませんので、どんな映画に主役になるか今から楽しみです。ちなみに今回彼女の役もかわいいですよ!しびれるほどに(笑)さて、ストーリーですが3部構成になっています。若干込み入ってますのが、簡単に説明します。まず、舞台となるのは罪の街=シン・シティです。「バットマン」のゴッサムシティのような架空の都市です。そこで繰り広げられる3人の男たちの物語です。まず、オープニングのエピソードは物語とは直接関係ないはず・・・・シンシティとはこういう都市だ・・・的なエピソードを見せてるんだと思います。オープニングタイトルはアメコミがバックになります。よくある手法ですが、かなりスタイリッシュです。そしてまずは、episode0的な話からスタートします。ブルース・ウィリス演じる、老刑事ハーディガンが誘拐された11歳の少女ナンシーを救うシーンから始まります。彼女を助け、犯人の上院議員の息子を半殺しにするものの、相棒の裏切りで、撃たれてしまい気を失いここで暗転します。暗転した後はepisode1がスタートします。主演はミッキー・ローク演じるマーヴですが・・・・・特殊メイクを施しミッキー・ロークに見えません。容姿は醜くいが屈強な肉体を持っている彼は仮出所中だった。自分は誰からも愛されないと思っていたところ、ある晩、ゴールディという女性に出会う。彼女と一夜を共にするが、起きたら彼女は死んでいた。警官が来る前に逃げ出したマーヴは復讐の鬼と化し、犯人を突き止めようとする。ついには実行した犯人と黒幕を見つけるが、そのときゴールディに生き写しの女性をマーヴは見かける。彼女はマーヴを殺そうとするのだった・・・・続くepisode2の主演はクライブ・オーウェンです。ドワイト(クライブ・オーウエン)はあるバーで働くシェリーの部屋に「間男」としてたまたま居合わせたのだが、そこへ彼氏と称する男がやってくる。あまり、「過去」を知られたくなかった彼はトラブルは避けた方がいいと考え、多少なりとも彼を脅すもそのままにしておこうと考えたが、何故か胸騒ぎがしてその男の後を付けた。娼婦街に進入したその男はベッキーという娼婦を脅すが、ミホ(デヴォン青木)に日本刀で切られてしまう。この辺は「キル・ビル」テイストですね・・・しかしその男ジャッキー(ベニチオ・デル・トロ)は警官だった。シン・シティでは娼婦と警察では協定があった。互いに危害を及ぼさなければ干渉しないという協定は警官を殺したことで破棄される。かつての恋人の娼婦の元締めゲイルのためにもジャッキーの死体を隠すべくドワイドは一肌脱ぐことになるのだが・・・・そして最後のepisode3は最初に戻ってブルース・ウィリスが主役です。物語は続きから始まります。ナンシーを助けたハーディガンは病院のベッドで目を覚ます。そこには息子を酷い目に遭わされた上院議員がいた。彼は全ての罪をハーティガンになすりつけ、このまま生かして彼を監獄にぶち込むのだった。町の権力者の彼に警察も裁判官もいいなりだった。ハーテイガンは敢えてそれに従った。彼はナンシーをレイプした罪まで着せられていた。ナンシーは自分がヴァージンであることを証言しようとしたが、それをよしとしないハーティガンは全ての罪を被って監獄に入った。彼女は毎週名前を変えて手紙を書くと言い残し彼の元を去った。以来約7年以上毎週木曜日に彼女はペンネームを使って手紙をよこしたが、ある日を境に手紙が届かなくなった。そしてイエローバスタードなる人物が若い女性の「指」とおぼしきものを持ってくるのだった。遂に仮出所を迎えたハーティガンは心配でナンシーを探す。彼はシェリーが働いていてマーヴやジャッキーが行きつけのバーにたどり着く、ナンシー(ジェシカ・アルバ)はそこでセクシーな衣装を身につけダンサーとして働いていた。しかしそれはイエローバスタードの罠だった。長い間ハーティガンに手紙を送り続けた女性を見つけるためにあとを付けていたのだった。彼はかつて半殺しにされた上院議員の息子の変わり果てた姿だった・・・複雑に絡み合う3つのepisodeはどうやら3人の監督によって撮影されたようです。総監督はロバート・ロドリゲス「デスペラード」などのハードな作風とは別に「スパイキッズ」なんかも手がけている異才です。それに原作者のフランク・ミラーがメガホンを握っています。そして、なんとロバートの盟友クエンティン・タランティーノが1ドルのギャラで監督を引き受けたそうです。原作者が撮影しているだけあって、その独特の世界観は見事に再現されているようです。しかし、それ以上にロドリゲスとタランティーノの才能はずば抜けています。基本的にモノクロの映像に時々挿入されるビビットなアクセントカラーが美しいです。物語自体はアメコミなのですが、かなり「過激」な内容を含みます。それは、エロティックなシーンではなくヴァイオレンスの部分です。モノクロでなかったら大変です(笑)多少、血に色が付くシーンもありますが・・・・それにしてもこのハードボイルドな世界観は何なんでしょう?よくあるような気がしますが・・・なんだか久しぶりに見るような気がします。確かにジェシカのかわゆさもいいですが、この映画は「漢」(おとこと呼びます(笑))の1本といえると思います。全編を通して言えるのは「チョイ悪オヤジ」の妄想の世界なのです。顔は不細工でも筋骨隆々の不死身の男・・・・マーヴ娼婦に顔が利くプレイボーイ・・・・ドワイド19歳のナンシーに恋い焦がれられる老刑事・・・・ハーティガンそれぞれが自らの意志を貫き通したタフな「漢」(しつこいですがおとこと読んで下さい(笑))を描いています。そしてその引き際も鮮やかです。字数が足りなくなるのでこの辺にしておきますが、おっさん限定の映画のような気がします。若い女の子が見たらどう思うんだろ?この映画って・・・なんせイライジャ・ウッドが冷血な殺し屋を演じてますからね・・・・ケヴィンというその役はほぼセリフなしで女性を殺して首から上を剥製にし、そして下半身は・・・・よく、こんな役引き受けたな・・・彼も・・・まぁ「パラサイト」でロドリゲス監督への恩返しってとこかな?他にも豪華出演陣がいますのでおみのがしなく・・・・お約束1それぞれのエピソードはかならずバックが黒、人のシルエットが白・・・になる「かまいたちの夜」みたいなシーンが挿入されます。ってなんのことかわかんないかな?(笑)お約束2ハードボイルドならではの「独り言」の連続です。会話ではなく独り言で物語が進行するきわめてコミュニケーションの希薄な構成になっています。まぁ、人前ではべらべらとしゃべらないのが「漢」なんですけどね・・・(笑)シン・シティ2005/10/1公開 124分監督 フランク・ミラー ロバート・ロドリゲス クエンティン・タランティーノ出演 ブルース・ウィリス ミッキー・ローク クライヴ・オーウェン ジェシカ・アルバ ベニチオ・デル・トロ イライジャ・ウッド ブリタニー・マーフィ デヴォン青木 ジョシュ・ハートネット ロザリオ・ドーソン マイケル・クラーク・ダンカン ニック・スタール アレクシス・ブレーデル ルトガー・ハウアー フランク・ミラー
2006年07月25日
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イントゥ・ザ・ブルー【TSDD-41703】=>20%OFF!イントゥ・ザ・ブルーいいなぁ~ジェシカ・アルバ!以前「ファンタスティックフォー」のレビューの時に「神田うの」みたいって書きましたが、あれ以来、「神田うの」もいい女に見えてくるから不思議です(笑)さて、本作はジェシカ・アルバの映画での出世作と言っていいと思います。「ダークエンジェル」は一応TVなので(スケールは映画並みですが)スクリーンで主役クラスのキャスティングは実質この映画が「初」なのではないでしょうか?とにかく彼女がかわいいです。スタイルも抜群なので水着も似合ってます。舞台もカリブ海バハマなので青い海、空・・・ってなわけで、カリブの海にジェシカ・アルバのブルーのビキニがまぶしすぎます(笑)ストーリーはおそらく「ザ・ディープ」をモチーフにしていると思います。私は当初リメイクじゃないかと思っていました。「ザ・デイープ」はロバート・ショウ、ジャクリーン・ビセット、ニック・ノルティが出演した、「お宝探し海洋物」というカテゴリの傑作です。公開は1977年でしたが、当時「JAWS」の公開の若干後だったので、同じような映像を期待して見に行った人からはあまり評価が高くなかったようですが、映画の出来はまずまずだと思います。「イントゥ・ザ・ブルー」は「ザ・ディープ」の後継作といってもいいと思います。一応ジェシカは主役の一人ですが、本来の主役は ポール・ウォーカー です。彼は「ワイルドスピード」や、「南極物語」に出演しています。ただ、本作に関してはジェシカの一人勝ちのような気がします。この映画でジェシカは「お金より愛」だとはっきり言い切ります。その、けなげな姿は観ていた野郎どもを全て虜にするんじゃないでしょうか?まったくもって可愛らしいことこの上ないです(笑)それではストーリーを・・・カリブ海のバハマでダイビング・インストラクターをしているジャレッド(ポール・ウォーカー)は貧乏ながらも恋人のサム(ジェシカ・アルバ)と幸せな日々を送っていた。いつか沈没船を見つけてお宝を手に入れたいと夢見る彼は、ハリケーンが通り過ぎた海で、ついに沈没船の一部を発見した。その沈没船は何百万ドルもの金塊を積んだまま難破したと伝えられる「ゼフィア号」と確信したジャレッドは、幼なじみの金持ちのブライス(スコット・カーン )らとともに自分たちだけで引き上げようとするのだった。ところが、その沈没船のすぐそばには麻薬を積んだ密輸飛行機も墜落していた。ジャレッドはすぐにでも警察に届けようと言うサムの言葉を聞き入れなかった。なぜなら、せっかく見つけた沈没船の存在を隠しておきたかったからだ。沈没船を引き上げるには十分な資金が必要だったが、それをあてにしていたブライスは実は借金だらけだった。ブライスと恋人のアマンダは麻薬を引き上げ金にしようとするが、それが裏目に出てしまう。麻薬の密輸をしていた地元のギャングに命を狙われてしまうのだった。ギャングは命が惜しくば、麻薬を全て引き上げろと条件を出してきた。サムは元々麻薬に関わるのをすごく嫌っていたので、ギャングの手先になって麻薬を運び出すことには反対だった。ジャレッドは恋人のサムに危害が及ぶのを恐れ一度は取引に応じるが、やはり犯罪に手を貸してはいけないと考え、「ゼフィア号」の財宝をくれてやるから見逃せと申し出にギャングの船に向かった。するとそこはギャング達の死体が多数ころがっていた。麻薬の密売にはまだ他にも関与している人物がいたのだった・・・・なんだか途中から麻薬の話がメインになってきているので、宝探しと言うよりクライムサスペンスじみてきます。この辺の感じも「ザ・ディープ」と似ているような気がします。ちなみに、「ザ・ディープ」は巨大ウツボが登場しますが、本作はサメが大暴れします。麻薬を積んだ飛行機の周辺は巨大ザメがうようよしています。まぁ、設定としても、だから今まで発見されなかった・・・なんてことにもなりますのでね。全体的な雰囲気は手に汗を握ったり、宝探しのドキドキ感もあまりしません。結局中途半端な作りになっているのだと思います。やはり、テーマをきちんと絞ることでしょうね。じゃないと、映画自体のテンションが下がるような気がします。・・・・だからジェシカに釘付けになってしまうのかも知れません(笑)途中から、ストーリーそっちのけで彼女ばかり観てたような気がします(笑)とにかく、「お宝探し海洋物」としては今ひとつの仕上がりでしたが、ジェシカの魅力に触れたければ観た方がいい・・・てな感じですかね?今日はレビューになってないような気がする(笑)イントゥ・ザ・ブルー2005/11/05公開 111分 監督 ジョン・ストックウェル 出演 ポール・ウォーカー ジェシカ・アルバ スコット・カーン アシュレイ・スコット ジョシュ・ブローリン
2006年07月24日
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ヴィレッジマイケル・ナイト・シャマラン監督、脚本の作品です。シャマランをシャラマンと間違えてしまいそうです・・・どうでもいいですが(笑)本作品は「シックスセンス」「アンブレイカブル」「サイン」に続いての作品になります。もともと「翼のない天使」という日本未公開の作品でデビューしました。内容的にはミステリーというよりハートフルドラマのような内容だったようです。(私は見てませんが・・・)その後はネズミCG映画「スチュアート・リトル」の1作目の脚本を手がけました。今の活躍ぶりから考えてこの作品の経歴は意外です。「スチュアート・リトル」は「2」、「3」とシリーズ化されましたが、関わったのは最初の1本だけのようです。ちなみに「スチュアート・リトル」と「シックスセンス」は、ほぼ同時期に公開されています。同じ時期に全くジャンルの違う2作品に関わっていたことは非常に興味深いです。ご存じの通り彼の名を世に知らしめたのは「シックスセンス」です。この作品で興行的に大成功を収め、その後、彼の脚本作品は常に「あっと驚く結末」があるということになってしまいました。いわゆる「大オチ」です。実際「翼のない天使」もどんでん返しのようなものがあるらしいのですが・・・・彼の作品の特徴といえますね。でも、そうそうアイディアがあるわけではないと思いますので、何作品も「シックスセンス」のクオリティを保つことは難しいです。しかし配給会社の意向としては似たような作品を制作することで儲けるだけ儲けようとしたのでしょう・・・残念ながら「アンブレイカブル」や「サイン」は「シックスセンス」に比べると遙かに凡庸です。どんどんクオリティが下がっていると思います。ただしこれは「より以上」のもとを求めてしまう観客の勝手な見解であり、映画そのものの出来は決して悪くはないと・・・・思うのですが・・・・本作品に関しても、もともと「大オチ」があるもんだと思ってみていますから・・・そういう見方も良くないんでしょうが、とにかく最後の「大オチ」はイマイチでした。なんていうか・・・「へぇ~」っていうより、「どういうこと?」と聞きたくなるようなラストでした。やはり「シックスセンス」のようなラストの「サプライズ」はそうそう簡単に脚本にはできないということなのでしょう。それではストーリーを・・・大きな家族のように強い絆で結ばれて共同生活をして、周囲から隔離された村があった。その村には昔から掟が存在し、人々はそれを忠実に守ってきた。掟とは村の外にいる「何か」との「契約」であった。中でも最も重要なことは「掟」を破るとその「何か」に襲われるということであった。村から出ることも「掟」では禁じられていた。ある日、ルシアス(ホアキン・フェニックス)が友人ノア(エイドリアン・ブロディ)に刺され、大ケガを負ってしまう。基本的に自給自足の生活をしている彼らには薬がない。簡単な医者の心得はあっても薬がない限り、ルシアスの死は必至であった。盲目の少女(ここがポイントなんですが・・・)アイヴィー(ブライス・ダラス・ハワード)はルシアスの命を救うため、薬を手に入れようと村の外に出ることを決意する。彼女は掟を破って禁断の森に足を踏み入れるのだった。この話は、アーミッシュと呼ばれる、ペンシルバニア州やオハイオ州に居住するドイツ系住民の一派の人たちがベースになっています。アーミッシュは電気、電話などの、現代技術機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を営んでいます。子供は多少色のあるものを着るが、成人は決められた色のものしか着ない。「刑事ジョン・ブック/目撃者」でも取り上げられました。ハリソン・フォード主演でした。その村での質素な暮らしは文明を拒絶しているようにも思えますが、実際のところまったく外界と遮断してはいけないでしょうね。ただ、外の世界を知らないということは、ある意味幸せな事なのかも知れません。「刑事ジョン・ブック/目撃者」を見たときもそのことを感じましたが今作品でもやはり同じような印象を受けました・・・ところで、出演陣が結構豪華です。「シックスセンス」、「アンブレイカブル」ではブルース・ウィリス「サイン」ではメルギブソン「ヴィレッジ」では2人のアカデミー賞俳優、エイドリアン・ブロディ、ウィリアム・ハート「サイン」に引き続きホアキン・フェニックス(リバー・フェニックスの弟)、「エイリアン」シリーズのシガニー・ウィーバーそして主演のブライス・ダラス・ハワードは「24」の製作や「ダヴィンチ・コード」「シンデレラマン」の監督であるロン・ハワードの娘です。本作品がシャラマン監督作品としてはもっとも豪華なんではないでしょうか?ただし、画面が地味なだけに残念ながら豪華な雰囲気が伝わりません(笑)で、最新作「レディ・イン・ザ・ウォーター」ではポール・ジアマッティと引き続きブライス・ダラス・ハワードが主演のようです。確かにポールはいい俳優ですが、今までのキャリアから考えると大作の主役クラスの俳優とは言えません。出演陣のグレードが下がっているということは、やはり本作「ヴィレッジ」は「コケた」と考えるのが妥当でしょう。製作会社も柳の下のなんとやらが2匹も3匹もいるわけないと考え始めたのでしょう。作品の宣伝も今までと違って凄く地味な気がします。つまりはシャマラン監督にとっては最新作「レディ・イン・ザ・ウォーター」が「勝負」の作品なのかも知れません。あんまり過剰な期待は禁物ですが・・・でも・・・・「今度は面白いんじゃないか」と思わせるんですよね・・・シャラマン・・・じゃなくてシャマランの作品って・・・(笑)ヴィレッジ2004/9/11公開 108分監督 マイケル・ナイト・シャマラン出演 ブライス・ダラス・ハワード ホアキン・フェニックス エイドリアン・ブロディ ウィリアム・ハート シガニー・ウィーバー
2006年07月23日
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SHALL WE DANCE?日本映画のリメイクと言えばホラー映画・・・ですがそればかりではありません。本日はハリウッド版をレビューする前に日本版をおさらいします。いわずとしれた日本映画史を代表する名作「Shall We ダンス?」ですが、実際この映画は当初「企画物」っぽかったです。監督の周防正行はもともとポルノ映画(なんか言い方が古いですが(笑))の監督として世に知られるようになりました。しかし、その独特のタッチは小津安二郎を彷彿させたり(ポルノなのに!)当時から異彩をはなっていたようです。でもって「ファンシイダンス」の監督に抜擢され、「シコふんじゃった。」を経て「Shall We ダンス?」に至ったわけです。当時、デティールを追求するために本物のダンサーの草刈民代を起用しました。本来は有名女優にダンスレッスンをしてもらい、主演してもらう方が話題性はあったかも知れませんが、それは監督としてはめんどうくさいことだったのかもしれません。その後2人は結婚しますが、彼女を起用したのは大正解だったと思います。その年のアカデミー最優秀主演女優賞を獲得したのはちょっと「やりすぎ」だったような気がしますけど・・・しかし、幼い頃からダンスをしている「オーラ」みたいなものが映像を通して伝わって見ていて安心できました。まぁ安心できたという理由は他にもあったのですが・・・・彼女のキャラは必要以上にフェロモンを出していません。だから映画の中で主役の2人の間には心惹かれる物があっても決して結ばれることはないんだろうな・・・と思いました。彼女の存在は切なさと安堵の絶妙のバランスを醸し出していました。この映画の主演として欲しかったのはまさにその雰囲気で、周防正行が表現したかったことを見事に彼女がやって見せたということだったのでしょう。「企画物」と言ったのは主演を女優にしなかったことからです。演技経験がない、いわゆる素人を映画の中心に持ってくることはかなり「冒険」です。まして相手は稀代の名優役所広司です。この映画をハートフルコメディというカテゴリに分類するなら企画当初はこれほどまでに日本映画史に残る名作になるとは配給会社や製作会社は考えていなかったと思います。とりあえず、面白そうだから周防正行にやらせてみよう。くらいの感じで企画がスタートしたのじゃないでしょうか?だいたい出演者もさえないおっさんとおばさんばかりで(役の上のことです(笑))こんな映画はビジュアル的にも華やかさに欠けますからね(笑)そこそこヒットしてくれたらいい・・・なんて上層部は考えていたのではないでしょうか?ところがふたを開けたら空前の大ヒット!それはやはりこの作品が単なる「企画物」ではなかったことを証明して見せました。物語の基盤となっているのは「中年男の哀愁」なのですが敢えて付け加えるなら「日本の中間管理職の」でしょう。映画がヒットしたのは日本人にしか分からないかも知れない現代社会におけるおじさんのストレスを、絶妙のストーリー運びで映像化したところだったように思います。会社と家の往復「だけ」の毎日。郊外の家。良妻と可愛い娘。でも家ではちょっと疎んじられた存在。幸せといえば「幸せ」刺激はほしいが、冒険する勇気はない。という設定が前提としてあったように思えます。これはひょっとしたらアメリカ人にも共感できることだったかもしれませんが・・・・やはり日本独自の生活に根付いている物のような気がします。役所広司のキャスティングも素晴らしかったです。実際、彼は二枚目ではありません・・・・と私は思います(笑)俳優としてもどちらかと言えば性格俳優になるとおもいます。ただ、結構「シュっ」としてます。身長もあります。まさにこの役のはまり役だったと思います。上記のような日本のサラリーマンを演じる資格十分で、なおかつ、ダンス映えもする人物だったということですね。てなわけで様々な立場の日本人にとってオリジナル版「Shall We ダンス?」は非常に心に染みいる映画に仕上がっていました。繰り返すようですが「日本人にとって」・・・です。確かに「いい話」ではありますが、日本人にしか分からない部分「ありき」の映画ですのではたしてこれがハリウッドリメイクできるのか不安でした。で、ここからがハリウッド版のレビューになります。まずストーリーですが、全体的な流れはほぼ同じです。ラストが若干異なります。ハリウッド版は日本版より「妻」への想いが強かったということですね。ただ、本当にストーリーはほぼ同じです。オリジナル版に敬意を表してところでしょうか?とにかく電車でビルを見上げるシーンから始まってかなり忠実です。ただし、キャストの設定がかなり変わっていました。まず主演のリチャード・ギアですが・・・かっこよすぎです(笑)しかも中間管理職ではなく弁護士です。生活はかなりいいようです。ただし、遺言書専門弁護士のようで、決して仕事に生き甲斐を感じているようではない・・・というストレスはあるようです。にしても・・・かつては「ギヤ様」などと呼ばれ、「プリティウーマン」では特に日本人女性を魅了した彼ですから・・・設定としては、二枚目ではなんだか話の軸がぶれるような気がします。相手役はジェニファー・ロペスです。彼女については、ダンスをあきらめている(という物語の中での設定)にもかかわらずフェロモンが出まくってます(笑)スタンダードやワルツを得意とするというより思い切りラテンな感じがして、あきらかに肉食動物です(笑)ちなみに草刈民代は私には草食動物のイメージでした。女優のチョイスで肉食と草食では全然違いますよね(笑)これは2人が夕日をバックにダンスの練習をするシーンでよく分かりますが、役所+草刈ではちっともいやらしくありませんでした。ところが、リチャード+ジェニファーになるとなんだか妙にエロティックに見えました(笑)なんなんでしょう?基本的にいい男といい女が踊っている映像ですから、そう見えても仕方ありませんが、あのシーンのイメージだけで映画の印象はずいぶん変わる物だと思いました。そして最も重要な役・・・竹中直人が演じた役は・・・知らない俳優でした。ちなみに渡辺えり子が演じた役も同じく私は知りませんでした。私の認識不足かも知れませんが、この2人の役はもう少し知名度のある俳優にして欲しかったです。特に竹中直人の役は映画のキーマンと言っても過言ではありません。ところがハリウッドでだったらこの人が・・・という例をなかなか挙げることが出来ません。ということはやはり竹中直人という俳優はかなり特異な存在だと言うことだと思います。ある程度知名度があって彼の代わりができる俳優がいなかったことも、この映画の印象を変えているかも知れません。最後は妻役のスーザン・サランドンです。日本版は原日出子が演じていました。この「妻」の映画の中でのウェイトの差が2本の映画の決定的な違いではないでしょうか?夫は外で仕事をして、たまには楽しそうに飲んで帰ってくる・・・家に閉じこもっている主婦としてはさらに夫がダンスに興味を持ったことが許せなかった日本版の妻。自分自身も自立した女性であり、妻として愛されていると分かっていながら、どこか寂しげな表情をしている夫に不安を抱くハリウッド版の妻。夫をダンスに送り出すシチュエーションもそれぞれ異なりました。しかし、確かに言えるのは夫がタキシードにバラの花を持って現れるのはやはり「アメリカ」です。日本じゃ考えられないということでしょう。国民性の違いはあれど、2作品とも中年男の哀愁は漂っていたと思います。でも・・・・私はオリジナルの方が遙かに好きです。それはやっぱり私が日本人だからなのでしょうか?Shall we Dance?2005/4/23 公開 106分 監督 ピーター・チェルソム 原作 周防正行 出演 リチャード・ギア ジェニファー・ロペス スーザン・サランドンおまけ11937年に「Shall we Dance?」という映画が製作されています。フレッド・アステア主演ですからこちらはミュージカルだと思います。おまけ2タイトルにもなった「Shall we Dance?」という曲は「王様と私」で使われていた曲ですね。おそらくこれがオリジナル・・・かな?
2006年07月21日
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コラテラル スペシャル・コレクターズ・エディション ◆20%OFF!トム・クルーズが悪役・・・・しかも殺し屋を演じています。ハリウッドのスーパースターと言われる人たちはあまり悪役を演じたがりません。若手で名前を売りだしている頃はそういう仕事もしますが、メジャー映画の主演になったらなおさらそういう役はしません。特に「殺し屋」のような役をすることはあまりありません。「テロリスト」の役なんてもってのほかです。ただし、誰かが演じないとその手の映画は成立しないのですが・・・繰り返しますがスーパースターと言われている俳優にとっては・・・ということです。アメリカは「正義」という言葉にこだわる国です。特にヒーロー的なイメージが定着している俳優はそのイメージを大切にします。よって大物俳優が悪役をするだけで結構話題になります。しかし、スーパースターが悪役を演じるということでその出演料はべらぼうな金額になるために制作サイドとしてもかなりリスキーになります。ある程度の「見込み」つまり興行収入のことですが、それがなければ・・・もしくは本人が強く望まなければなかなか実演しない企画だと思います。例を挙げます。アーノルド・シュワルツネッガーを名実共にスターにした作品は「ターミネーター」です。シリーズ第1作のこの作品では彼は悪役でした。ところが、その後の主演作ではヒーローしか演じなくなりました。コメディにも出演するようになり、イメージ的には心優しい力持ち・・・まさにアメリカの英雄になっていきました。その人気は絶大で「ターミネーター2」ではついには味方役になってしまうというストーリー的にもウルトラC並の展開にしてしまうほどでした。現在は知事になり、映画はほとんど主演しなくなりましたが・・・最後に見たのはジャッキー・チェン主演の「80デイズ」だったかな?ほぼカメオ出演のような感じでしたが・・・そのシュワちゃんが全盛期に悪役を引き受けました。「バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲」です。Mr.フリーズ(シュワちゃんの役)が物語において最終的にまんま悪役だったかどうかの定義はひとまずおいといて・・・・当時のギャラは主演のジョージ・クルーニーよりも大幅に多かったそうです。ちなみに実はジョージも主演することに乗り気ではなかったようです。まぁいい歳してゴムスーツもないでしょうからね・・・・しかしこの作品1本に出演したら、「今後は映画を選んで出演できる」ということらしく・・・つまり破格のギャラのようで、マネージャーが必至でジョージを説得して引き受けさせたようです。・・・・ということは、シュワちゃんのギャラはいくらだったのでしょう?「バットマン」という作品は映画単体にあらず、DVDやグッズなどの販売もあり先に述べた「見込み」が十分にある作品です。このような作品だからシュワちゃんにオファーできたという事なんでしょう・・・・それこそ○○億円も出演料を取られては製作しても赤字ですからね・・・ということなのですが、「コラテラル」に関してはそういう類の作品ではないと思います。先に述べた後者の例、つまり本人が強く望んだ場合のようです。つまり、この作品はアメリカの英雄的俳優トムクルーズが自ら望んで殺し屋という悪役を演じた作品・・・という認識で見た方がより興味深いと思います。それではストーリーを・・・ロサンゼルスでタクシーの運転手マックス(ジェイミーフォックス)はある晩、アニーという名の美人女性検事を乗せる。12年間タクシーを運転手をしていたマックスはその腕と経験で目的地までの時間を短縮しその女性検事を満足させる。その後、その女性検事から名刺をもらったマックスは上機嫌だった。次に乗せたのはアタッシュケースを持った紳士であった。ヴィンセント(トムクルーズ)と名乗ったその男は、多額のチップと引き換えに一晩の専属ドライバーとなり、今夜中に5箇所を回るようマックスに依頼した。多額のチップと美人の名刺を手に入れて自分にもつきが回ってきたのだと思ったマックスだった。最初の目的地に着いた後もそのまま彼の帰りを待つマックスだったが、待っていたタクシーの上に死体が振ってきたのだった。ヴィンセントの正体はプロの殺し屋で麻薬組織から5名の殺害を請け負っていたのだった・・・だんだんとヴィンセントの計画が破綻して行くにつれて、彼の正体が明らかになり、実は政府の極秘機関の命令で動いていたエージェントだった・・・なんていう話ではありません(笑)私はそういうのを期待していたのですが・・・・トム・クルーズは最後まで「殺し屋」でした。しかも、本当に単なる「殺し屋」です。よってこの映画、物語自体は「意外性」がありません。要はトム・クルーズが「悪」を演じきったということだけのような気がしています。トム・クルーズの演技力は確かです。かつて「7月4日に生まれて」という映画でオスカー受賞候補にもあがったわけですから・・・最優秀アカデミー主演男優賞を受賞したジェイミーフォックスを相手にその存在感は圧倒的です。髪を銀色に染めたトム・クルーズは確かに威圧感があり、その風貌はコヨーテのように見えてかっこいいのですが・・・いかんせん今までの彼の主演作品から「正義の味方」のイメージが強すぎて、どこか「本当はいい奴」というオーラがにじみ出ています。存在感のありすぎる「殺し屋」・・・これってやっぱりリアル感には欠けるのかな?と思ってしまいました。コラテラル2004/10/30公開 120分 監督 マイケル・マン出演 トム・クルーズ ジェイミー・フォックス ジェイダ・ピンケット=スミス
2006年07月20日
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ワイルドシングスおそらく作品の完成度だけで言うとかなりの出来ではないかと思います。企画の段階で、かなり脚本を練ったのだと考えられます。キャスティングも絶妙です。マット・ディロンとケヴィン・ベーコンはもちろん「スクリーム」シリーズのネーヴ・キャンベルとこの作品の後に「007ワールド・イズ・ナット・イナフ」でボンドガールを演じたデニス・リチャーズの2人がヒロインをつとめます。ちなみにデニスは現在チャーリー・シーンと離婚についてもめているとか・・・旦那(チャーリー)のDVが原因らしいのですが真相はどうなのでしょうね・・・その他、脇にはビル・マーレイとロバート・ワグナーが固めています。1本の映画としては割と贅沢なキャスティングのようですが作品が製作された頃はネーブとデニスがまだあまり世に知られてませんでした。特にデニスに関してはこの作品が契機になってメジャーになったと考えられなくもないです。さて、肝心のストーリーですが「氷の微笑」にみられる、「エロティックサスペンス」のようなカテゴリになるのでしょうか?卒業を控えたデニスは教師のマットにご執心だった。(役名を忘れたので俳優の名前で説明します。)彼の恋人になりたいと思っていたのでなんとか2人きりになるために画策する。ある日デニスはボランティアとしてマットの車の洗浄を申し出る。どうやら向こうの高校は「ボランティアポイント」のようなものがあって、それが単位に関係してくるらしい。で、休日にマットの家を訪ね、ビショ濡れのTシャツ姿でマットを誘惑します。その家で何が起こったかは分からないが、後日デニスは「レイプされた」とマットを告発します。どう考えてもそれは彼女の虚言であり、捜査官もそう判断した。しかし、そこに彼女と同じことをされたと証言する女生徒があらわれた。ネーヴだった。彼女は法廷で自分もセクハラを受けたと証言をすることになった。マットは町の権力者の娘であるデニスを敵に回したことでどんどん窮地に追い込まれていく。実は町の権力者とはデニスの母親で、彼女とマットは昔「できて」いたのだった。デニスの母親はマットに捨てられたことを根に持っていて、娘を毒牙にかけたマットを許さないとマスコミを巻き込んで事件を大きくしていく。八方ふさがりになったマットは弁護士のビルに相談した。ビルはネーブが昔コカインの常習犯だったことから、証言が嘘であることを推測し、半分脅しをかけて、法廷でネーブを追いつめた。すると彼女はデニスに頼まれたと述べるのだった。結局、デニスもネーブも虚言である事が証明され、マットはデニスの母親からかなりの大金を受け取ることになるのだった。マットは金を手にしたもののデニスに悪態をつかれ、そして職を無くし、町を出ようとするのだった。家を引き払ったマットはとりあえず安モーテルに身を寄せるのだったが、そこにデニスとネーヴが現れる。実は、3人はグルだったのだ。デニスの母親から大金をせしめるために一芝居打ったのだった。ちなみにここで3人の「絡み」があります。このシリーズの「お約束」のようですが・・・・多分、デニスとネーヴの「ヌード」は吹き替えだと思います。うまく顔と身体が同時に写らないようにしているので・・・・てなわけで、計画は順調だと思われたが、事件の顛末を最初から見ていた刑事ケヴィンは不審に感じていた。彼は3人がグルだと考え、なんとか証拠を掴もうとする。そして、もっとも「ボロ」を出しそうなネーヴを脅す。ケヴィンの執拗な責めにうろたえたネーヴはデニスに接触する。そして、デニスはマットとネーヴを殺害しようとするのだった・・・・ここからはもう書かない方がいいと思いますが、さらに二転三転します。最後10分くらいはどんでん返しの連続です。で、私が考えるにこのドラマのおうな内容は映画ではなくドラマ向けです。海外のドラマはおよそ2クールなので22話から24話くらいです。確かにその長丁場を引っ張るほどの内容は難しいでしょうけど・・・それに海外のドラマはパイロット版の出来によって放送が決定するのですからそう考えると起承転結の「起」の部分があまりに退屈かも知れません。途中からジェットコースターのようになる展開は・・・やはり映画向きなのか?でも「サプライズ」の要素がふんだんにちりばめられているので、それは毎回の放送の最後に持ってくると毎週の話題にはことかかないとも思われます。正直、私は映画ではなくドラマだったらかなり「はまっていた」と思います。なんだか映画なので物足りなく感じてしまいました。でも「企画」そのものはかなりいけてると感じています。ちなみにこの作品はシリーズ化され「2」「3」と続きます。しかし、あからさまにグレードが落ちています。出演者の知名度も下がってますし・・・しかも「2」はOVAで、「3」はTVでのスペシャル(単発)ドラマです。ということで、作品的にはもっとも「1」がいい仕上がりになっています。ていうか他はかなり凡庸です(笑)それにしても、デニスはともかくネーヴキャンベルって、もう、この手の作品以外からは声がかからないのではないでしょうか?関係ないですが髪が茶色になってるネーヴって元モー娘の中澤裕子に見えてしまいました・・・(笑)豆知識1ケヴィン・ベーコンのクレジットが最初なのは彼が製作に関わっているからです。企画の段階から携わっていたのでしょう。ですからケヴィンの映画と言ってもいいと思います。豆知識2タイトルは「ワイルドシングス」ですがメジャーリーグを彷彿させる「あの」曲とは全く関係ありません。いつまで待ってもかかりません(笑)ミラクルズ(もしかしてワム?)の「ラヴマシーン」はかかりますが・・・豆知識3ちなみにエンドクレジットでは「事件の裏側」がフィードバックするかのごとく映像で流れます。これもこのシリーズの「お約束」のようです。エンドクレジットもきちんと観た方がいいですね・・・・ワイルドシングス 1999/01公開 108 分 監督 ジョン・マクノートン出演 ケヴィン・ベーコン マット・ディロン ネーヴ・キャンベル テレサ・ラッセル デニス・リチャーズ ロバート・ワグナー ビル・マーレイおまけこの映画は再編集した「エロティックバージョン」ってのがあるらしいです。うーん、気になる(笑)どこがどう「エロティック」になるんだろう?ひょっとしてデニスの・・・・・?ちなみにこちらワイルドシングス-エロティック・バージョン-
2006年07月13日
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最近、日本を題材にした映画が流行ってるんでしょうけど・・・やっぱり、どこかしら「勘違い」したものに仕上げてしまうようです。欧米人にとっての「和」のイメージはあいかわらず「ヤクザ」「入れ墨」「芸者」のようです。てなわけで、この「イントゥ・ザ・サン」もデティールがおかしいです。基本的に映画を観ているのは欧米人ということで制作しているので、英語が主体になっています。まぁ、日本人にはなるべく日本語を喋らすようにしているのですが、肝心な部分は英語です。日本人同士のシーンでも英語を使うような場面があるので、なんかやっぱり違和感があります。いっそのこと徹底的に日本語でやってもいいと思うのですが、やはり、欧米人向けに制作しているのでそれは難しかったようです。主役のセガールが使う関西弁もなんだかちょっと「トーン」が違うのですけど、これは彼なりに頑張っていたのではないかと思います。しかし全体的な雰囲気は「なんちゃってブラックレイン」のようです。松田優作の遺作のあの映画ですね・・・・「イントゥ・ザ・サン」は限りなく「ブラックレイン」に近い設定ですがそのクオリティは全く違います。それは「ブラックレイン」という映画が戦争で負けた日本人のアメリカに抑圧された部分をベースにしていたストーリーであったからかもしれません日本人の根底にあるいわゆるアメリカに対する「卑屈さ」のような物を逆手に取ってあえてハリウッドで映画化された傑作です。その世界観も見事でした。監督は「ブレードランナー」のリドリースコットですから、デティールも恐ろしく緻密でした。そして、その世界観には言語が重要視されていました。松田優作扮する佐藤と高倉健扮する松本刑事以外は英語があまり喋れないという徹底した設定がよかったです。もちろん松田優作の鬼気迫る演技も凄かったですが・・・健さんがサングラスをしてレイチャールズを歌うシーンは凄まじくかっこよかったです。あくまで日本を舞台にしていたので、主演以外は日本語を喋るようにしたのだと思います。この映画はハリウッド映画史上、最も素晴らしい「日本を題材にした映画」だと今でも私は思っています。トム・クルーズの「ラスト・サムライ」も悪くはなかったですが、時代劇ですから・・・現代物としては「ブラックレイン」は「日本を勘違いしていない作品」だったと思います。もっとも「キル・ビル」くらい、「わざと勘違い」してみせるのも一つの手法ではあると思いますが・・・「イントゥ・ザ・サン」は日本在住が長いセガールの映画なのに「何故?」感は否めません。なんとも中途半端な仕上がりは、やはり監督やプロデューサーの勝手なイメージなんでしょう・・・海外の観客が求めている物が「それ」ならば、仕方のないことかも知れません・・・日本から参加した役者は大沢たかお、豊原功補、寺尾聰、伊武雅刀、山口佳奈子そして栗山千明です。ここからは主役のセガールそっちのけで日本人俳優を解説します。大沢たかおのイメージはモロ「ブラックレイン」の松田優作です。若いヤクザで、義理や人情を無視して、麻薬の利権を独り占めしようとします。大沢たかおのシャープな演技は、松田優作ほど「力強さ」はないですが、うちに秘めた「怖さ」のようなものはよく出していたと思います。ただし、セガールとの対決シーンではいかんせんその「線の細さ」でどう考えてもセガールに勝てそうもないところが残念でした(笑)でも頑張っていたと思います。なんせ「世界の中心で愛を叫ぶ」と同じ役者ですからね・・・続きましてかなり重要な役だった豊原功補ですが、彼は「彫り師」の役でした。刺青を彫る仕事をしている人です。しかし、役名が「不動明王」ですよ・・・・なんか、ちゃんとしろよって感じです。鈴木でも山田でもいいから・・・(笑)なんか、この辺ハリウッドは勘違いしてます。その方がインパクトあるから・・・みたいな感じでネーミングしたんでしょう・・・寺尾聰と伊武雅刀はヤクザの親分の役でした。それぞれ、いい味出してました。特に情婦のベッドで電話で起こされる伊武雅刀のシーンはまるで「Vシネマ」を観ているみたいでした。次長課長も喜びそうです(笑)問題は山口佳奈子という女優です。国内外含めて、彼女が出演した映画はこの1本です。しかも、セガールの相手役であり、映画のヒロインです・何故、彼女が抜擢されたのか?謎です・・・・不可解極まりありません。しかも、この映画に出演したことで彼女の知名度が上がったとも思えません。多少きわどいシーンもありましたが、バストトップは見えてませんので、他にも候補はあったろうに・・・どうも不謹慎なことを考えてしまいそうです(笑)最後に栗山千明ですが、これはカメオ出演みたいな物です。しかも、頑張って英語を喋ってたシーンがカットになっていました。父親に声をかけるシーンで英語を使っていたからだと思います。そんなもん脚本の時点で気づけってーの(笑)でも一番可哀想だったのは・・・ジュリエット・マーキスという女優です。この人、捜査官役だったんですが、未公開シーンを観ると、ほとんどこの人の出演するシーンでした。ほぼ出演シーンがすべてカットだったみたいです。なにかセガールの逆鱗にでも触れたのでしょうか?また不謹慎なことを考えてしまいそうです(笑)ストーリーは・・・どうでもいいか、今回は(笑)イントゥ・ザ・サン 2005/11/26公開 94分 監督 ミンク出演 スティーヴン・セガール マシュー・デイヴィス 大沢たかお ジュリエット・マーキス 豊原功補 寺尾聰 伊武雅刀 栗山千明 山口佳奈子
2006年07月03日
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コンスタンティン(期間限定) ◆20%OFF!原作はアメコミ「ヘルブレイザー」です。「ヘルレイザー」(顔に針が一杯刺さってるやつ)という映画もありましたが全くの別物です。ではストーリーから・・・主人公ジョン・コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は小さい頃から「異界の者」を見ることが出来た。現在、へピースモーカーであることより肺ガンを患い余命は少なくなっていた。彼は昔に、やってしまった「あること」から地獄行きが決まっていた。それを変えようと(天国行きにしてもらおうと)人間界に来ていた「悪魔」を地獄へ送り返すために闘っていた。いつものように「悪魔払い」を行っていたが少し勝手が違っていた。なにか、人間界に異常なことが起こっている胸騒ぎを感じていたのだった。そんな中イザベル(レイチェル・ワイズ)という一人の女性が飛び降り自殺をする。彼女の双子の姉でロサンジェルス市警の女刑事アンジェラ(レイチェル・ワイズ二役)は真相を究明するために捜査をしていた。アンジェラはイザベラが飛び降りる直前に写っていた監視カメラの映像から、イザベラが言った言葉が「コンスタンティン」であったことを知り、彼に会おうとするのだった・・・まず、この映画の世界観において「神」と「悪魔」というものが人間の魂を奪い合っているという考え方を知っている必要があります。これは「神」と「悪魔」の勢力において重要なことでより「上質な」魂を有する方がその勢力を増すということのようです。基本的に「神」と「悪魔」はその勢力にバランスがとれていて、それで世界は成り立っているようなのです。これは人間界にもいえて、それぞれの影響力が、同等に働いていることよりやはりバランスがとれていることらしいです。しかしそのバランスを崩そうとしている者が現れたということで物語は展開していきます。そして、「悪魔」は基本的には人間界には実体を持つことが難しいという設定もあります。「悪魔付き」という現象は、それらが人間界に現れようとして起こるようです。「悪魔付き」が完全に悪魔の支配下になったら「ハーフブリード」という存在になるようです。ちなみに「天使付き」という存在もあるようです。総じて「ハーフブリード」というようです。コンスタンティンは人間です。「悪魔払い」ができたりその逆に「神」や「悪魔」を「降臨」させることも出来るようですが、稲妻を起こしたりするような力は持っていません。なにやら原作では「魔術師」という設定のようですが、映画は違うようです。映画を観ていて思い出したのですが「サタン」と呼ばれる悪魔の大ボスは「ルシファー」と呼ばれかつては神だったのです。「堕天使」ということですね。ということは「神」と「悪魔」は元々は同じ存在だったということです。映画の中でも「神」が味方で「悪魔」が敵であるとは限らないということなのです・・・映画の冒頭は女の子にとりついた下級悪魔を「エクソシスト」するコンスタンティンの颯爽とした姿から始まります。あまり話を大きくせず、このシーンを延長したような内容であったほうが面白かったのではないかと思います。そしてコンスタンティンはある方法で地獄と現世を行き来することができます。魂だけ飛ばすというような感じなんですが・・・なんか「マトリックス」のようですね・・・キアヌ・リーブスの格好もダーク系のスーツに身をかためていたし、CGを多用した映画なので「マトリックス」的な作品を期待したかも知れませんが、ちょっと「ノリ」が違うようです。そういえば「ディアボロス」という作品でもキアヌ・リーブスは「神」やら「悪魔」といった世界観で翻弄される主人公を演じていました。なんだか数年経ったら「ごちゃごちゃ」になりそうです・・・(笑)私はこの世界観もキアヌ・リーブス演じるコンスタンティンというキャラクターも結構好きですが・・・映画の中である決定的なことが彼の身に起こるので、ひょっとしたら次回作は出来ないのかも知れません。ちなみにエンドロールが終わったあとにも映像があるのでお見逃し無く・・・それとヒロイン役のレイチェル・ワイズは「ナイロビの蜂」でオスカーを受賞した女優です。撮影した順番は「ナイロビの蜂」の方が先のようです。公開は「コンスタンティン」の方が先です。なんだかややこしいですが・・・そういえば「ハムナプトラ」にも出演していました。この映画でのインパクトが一番強かったかもしれませんね・・・実は彼女とキアヌの共演はこれが初めてではありません。「チェーン・リアクション」でも共演しています。彼女って、映画によって表情が随分違いますよね・・・うーん・・・それが「演技」ってやつなのかもしれませんね・・・・コンスタンティン2005/04/16公開 121分 監督 フランシス・ローレンス 出演 キアヌ・リーブス レイチェル・ワイズ ティルダ・スウィントン ピーター・ストーメア
2006年07月02日
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テイキング・ライブス ディレクターズカット 特別版 ◆20%OFF!この映画における「テイキング・ライブス」とは「被害者の人生を乗っ取り本人になりすます」ことを指します。翻訳サイトで訳すと「殺します」と出ます。何ともストレートな題名です。映画のタイトルが「殺します」ですよ・・・(笑)英語の響きと日本語ってやっぱなんか違いますよね・・・それではストーリーを工事現場で白骨化した死体が発見される。捜査がうまくいかないことを予想した警察はFBIに捜査協力を要請する。そして女性特別捜査官イリアナ・スコット(アンジェリーナ・ジョリー)がやって来る。彼女は現場や死体の状況から情報を読み取り、犯人像を鮮やかに分析する天才プロファイラーであった。この事件についても彼女の分析で捜査は進展を見せ始めた。そして新たな殺人事件が発生する。しかし今回はコスタ(イーサン・ホーク)という目撃者がいた。彼の情報から犯人がある男であることを突き止める。そして、捜査の影でハート(キーファー・サザーランド)という人物が暗躍を始めるのだった・・・プロファイリングというのは「心の闇の部分」を覗く仕事で、ともすればその作業をしているとその闇にひきずり込まれる可能性があります。殺人事件の慰留物から犯人の姿を想像していく作業は、「自分が殺人犯なら・・・・」ということを考えながらの作業です。結局それは、非日常的な行為であり、表面上は普通を取り繕っても普通の生活や感覚からは逸脱していきます。主人公イリアナも、優秀であるということは犯人の心理が分かるということです。彼女の捜査におけるインスピレーションの方法は独特で自宅の部屋中に死体や遺留品の写真やその注意書きを貼り付けていくことです。部屋中に貼られた写真は、24時間犯人像を想像することだけに集中するたまにあります。ということで彼女は湯船でもその写真を見ながら入るし、料理をするときや食事をするときも凄惨な死体を写真で見ながら・・・・ということです。そういう点では彼女は一流ではありながら、完璧に常軌を逸した面を持っています。むしろ、そういう犯人たちの心理に近い部分があるということです。そしてそれは彼女の恋愛観にも影響を及ぼしているようです。危険な臭いのする男に惹かれてしまうという事ですね。目撃者のコスタとイリアナはある種の感覚で同調し、身体を重ねることになります。ひょっとしたらこの映画はこのシーンでR-15指定になったのかも知れません。確かにちょっと○○ロードショーなどのゴールデンで放映がある場合はカット対象のシーンでしょうね・・・かなり過激なシーンになっています。こういう思い切りのいいところがアンジーの魅力の1つなんでしょうね。あっぱれ!です(笑)物語は「テイキング・ライブス」である人物が誰なのか?ということで進んでいきます。つまり、誰が他人のふりをしているか映画のポイントのような気がしますが、実際は謎解きの要素は少なく展開は読めてしまいます。「リプリー」(「太陽がいっぱい」のリメイク)における「入れ替わり」が破綻していく様子はその行き当たりばったりの感覚をうまく演出し、スリリングな感じがしましたがこの映画に関してはそれがありませんでした。ストーリーの核心に触れてくるのでこれ以上は言えませんが(もう言っているような物ですが(笑))誰が「テイキング・ライブス」かということを「サプライズ」にするのならばもう少し登場人物を増やしたほうがいいと思います。「リプリー」は「入れ替わり」を主人公がしていることを観客が知っているからこそドキドキしながら見るわけで、今回のように誰がそうなのかわからない「つくり」にして「実は・・・」という展開にするのであればきちんと「読めないように」つくるべきです。誰が「テイキング・ライブス」なのか「バレバレ」であるということが、緊張感がないことに繋がっていたと思います。そういえばジャック・バウワーじゃなくて(笑)キーファー・サザーランドが途中出場します。映画版「24」も製作が決定したようで、久しぶりに映画づいているキーファーです。近日公開の「ザ・センチネル/陰謀の星条旗」でも、大統領を護衛するSP役でスクリーンに登場します。まぁ、すっかりジャック・バウワーでついたイメージの定着を避けるためにキーファーは敢えて「テイキング・ライブス」での役を引き受けたと思うのですが・・・だめだ・・・私には彼はもうジャックにしか見えない・・・・(笑)本人も開き直ったのではないでしょうか?今回の「24season5」では今後3作(season8まで)契約したそうですし、この作品に役者人生のほとんどを費やす覚悟をしたんでしょう。ギャラも破格だし、イメージがどうのこうの言うほど役者としての知名度は高くありません。実際「24」をやり続ける限り彼は主役だし、映画ではそうも言ってられませんからね・・・自分の商品価値をきっちり計算している頭のいい人なんだと思います・・・最後に1つだけ・・・「グロリア」で颯爽としたかっこいい女を演じたジーナ・ローランズがすっかりおばあちゃんになっていました。これはねぇ~・・・ちょっとショックでしたよ・・・(笑)テイキング・ライブス 2004/09/11公開 103 分 監督 D・J・カルーソー出演 アンジェリーナ・ジョリー イーサン・ホーク キーファー・サザーランド ジーナ・ローランズ
2006年07月01日
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今作が最後なのかどうか分かりませんが、一応整理してみました。1986「あぶない刑事」TVドラマ全51話(4クール放送)1987「あぶない刑事」(劇場版第1作)1988「またまたあぶない刑事」(劇場版第2作)1988「もっとあぶない刑事」TVドラマ全25話(2クール放送)1989「もっともあぶない刑事」(劇場版第3作)1995「あぶない刑事リターンズ」(劇場版第4作)1998「あぶない刑事フォーエヴァー TVスペシャル'98」(TVスペシャル)1998「あぶない刑事フォーエヴァー」(劇場版第5作)2005「まだまだあぶない刑事」(劇場版第6作)ということですね。劇場版だけでもう6作も製作されていたんですね。刑事物のTVドラマでは日本でも海外でも2人組が1つのパターンですね。本来は「署」自体が舞台になる場合が多いです。「太陽にほえろ」「西部警察」「○○刑事○○派」なんかもそうですね。それ以外の刑事物では意外と主人公が2人組のパターンが多いです。「あぶない刑事」の同じ帯に直前まで放送があった「誇りの報酬」という刑事ドラマ(中村雅俊+根津甚八)もそうですし・・・「俺たちの勲章」(中村雅俊+松田優作)「華麗なる刑事」(草刈正雄+田中邦衛)「相棒」、「ダブルスコア」なんてのもありましたし・・・「うわさの刑事トミーとマツ」なんてのもありましたよね(笑)そんな作品の中で「コンビ物の日本の刑事ドラマと言えば・・・」という質問で、かなりの人が「あぶない刑事」と答えるのではないでしょうか?「あぶない刑事」はおそらく、このジャンルの決定版だと思います。舘ひろしと柴田恭平のコンビは日本で考えられる最高で最強の組み合わせであったので、今なおコアなファンがいるのではないかと思います。しかし、これが完全にオリジナルかといえばどうしても「マイアミヴァイス」の影響がなかったとは言い切れない部分もあります。今年、コリン・ファレル+ジェイミー・フォックスでリメイクされますが、「あぶない刑事」は当時のキャストで続編が製作されたわけです。考えてみると19年の歳月が経ってほぼ同じキャストというのはある意味とんでもないことですが、逆にいうと「あぶない刑事」はこの2人以外考えられないということなのでしょう。今回の映画ではっきりそれが分かりました。2代目タカと2代目ユージは、誰も演じることが出来ないと思います。ちなみに彼ら2人がこの役を演じ始めたのは30代半ばです。あれから20年近く経って、50代半ばになりました。はっきり言って「定年間近」です(笑)でも見た目は若い!若すぎる!(笑)なんでこんなに若いんだ!この2人!さすがに60才を過ぎては考えられませんが、それにはもう、5年くらいしかないんです。今後、続編がさらに製作されるかも知れませんが、年齢のことを考えるとあと1,2作が限界でしょう。実質、この作品がラストになる可能性も十分にあるわけ、・・・だとしたらこの映画のクライマックスはちょっとどうかとも思いました。いずれにせよ、いいかげんでかっこいい刑事像をそれこそ「ノリ」でドラマにしてみたら、意外とはまりまくってしまった。もう少し早い段階で、似たような作品を制作すればよかったのだが、同ジャンルでこのコンビにかなう人選はいない。しかも見た目に「若い」ので・・・なんとなくズルズルここまで来ちゃったのでしょう(笑)一応「フォーエバー」でケリが付いたはずでした。あれが完結編だったのですが・・・・実際、「完結?」という「含み」を持たせて終了してましたので、ひょっとしたら製作されるのでは?なんて思っていましたがやっぱり、そうなったということでしょう・・・「もっとも」と「リターンズ」が6年そして「フォーエヴァー」から「まだまだ」まで7年・・・次は本当の完結編かも知れませんね・・・だって7年後は先にも述べましたが60歳を過ぎてますので・・・(笑)それではストーリーを・・・「フォーエヴァー」以来生存不明となっていたタカとユージは、韓国で小型核兵器の闇取引をめぐる潜入捜査を行なっていた。どうしてこんなことになったかは一切説明ありません。そこで爆発事故に見せかけて2人は7年ぶりに横浜へ帰ってくるのだった。インターポールにも所属していない所轄の刑事が、韓国でこういう事件に関わっていたこと自体すでにあり得ない展開ですが・・・とにもかくにも、帰国したものの、2人は若手刑事の水嶋(佐藤隆太)と鹿沼(窪塚俊介)によって港署へと連行されるはめになってしまう。港署はかつての後輩トオル(仲村トオル)が捜査課課長となり、少年課課長にカオル(浅野温子)、そして署長には松村優子(木の実ナナ)と、すっかり様変わりしていた。ちなみに水嶋と鹿沼はタカとユージに代わって港署のエースとなり、抜群の検挙率を誇っていた。さじずめ新しい時代の「アブデカ」の二人といえた。そして現在、港署では脱獄した尾藤の捜査が行なわれていたのだった。尾藤は7年前にタカとユージが逮捕した凶悪犯だった。凄腕のライフル技術を持った尾藤はかつて自分を裏切った仲間を殺害し、ターゲットをタカとユージに向けてきた。尾藤に殺害された大手IT企業の社長秘書、美咲(原沙知絵)にタカは接近し情報を得ようとするが・・・そこにかつての上司、深町(小林稔侍)が2人を逮捕しにやってくる・・・とまぁ、こんな感じです。7年も間があくと、やはり「同窓会」のような仕上がりになってしまうのは仕方ないのかも知れませんね。どうしてもストーリーよりも「懐かしさ」の方が優先してしまいます。しかし、この「アブデカ」の世界では時が無情に流れていますので、かつて港署に勤務して退職してしまった人も当然いるわけで、その面々が警備会社等で働いているという一見どうでもいいようなエピソードも「おまけ」としてついてきます。ストーリーはハチャメチャでもこういうところはなぜかデティールにこだわってるんですね・・・さて、最後になりましたが、やはり一番とんでもないのは、カオルこと浅野温子かもしれません。そのコスプレぶりたるや、いったい何がここまで彼女をそうさせるのか?メイドの格好はまだしも忍者って・・・・あっ「くの一」か・・・どっちでもいいですが・・・(笑)この人も尋常じゃないくらい・・・若いです(笑)結論として、さっきも述べましたが「同窓会」映画のような域は脱していません。ラストに「オチ」がつきますが、なんだかタモリがコメントしそうな感じの終わり方です。・・・・・これってどうなんでしょ?まぁ、久しぶりにタカとユージに逢いたいなら見るべし!ってところでしょうかね・・・まだまだあぶない刑事 2005/10/22 公開 108 分監督 鳥井邦男 出演 舘ひろし 柴田恭兵 浅野温子 仲村トオル 佐藤隆太 窪塚俊介 水川あさみ 原沙知絵 ベンガル 山西道広 木の実ナナ 小林稔侍
2006年06月30日
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カジノ・ロワイヤル007も遂に原作1作目の「カジノロワイヤル」が正式に映画化になります。今回映画化になる「カジノロワイヤル」はジェームズ・ボンドが誕生した物語になるようです。つまりエピソード1的な作品で、主役のボンドも交代しました。しかし「カジノロワイヤル」という作品はご存じの通り一度映画化されています。これにはちょっと込み入った事情があります。実はジェームズボンドの映画化権はイオンプロダクションという会社が獲得しました。しかし「カジノロワイヤル」の映画化権だけは取れませでした。理由はよく分かりませんが、それを今回正式にイオンプロダクションが買い取ったということで、晴れて、映画化になったのでしょう。ちなみに、その昔、長い間この権利については争われ、結果、イオンプロは負けてしまい、同時に「スペクター」「ブロフェルド」という名前も使えなくなってしまいました。「スペクター」というのは国際犯罪組織で、そのボスが「ブロフェルド」です。猫を膝の上にのせて喋るあの男です。ブロフェルドというキャラは、スパイアクション物の敵役としては定番になり、コネリーボンドの宿敵として初期のボンド作品には欠かせない存在でした。ジョージ・レイゼンビーが唯一演じた「女王陛下の007」ではテリー・サバラスがブロフェルドを演じ、ラストシーンでボンドの妻を殺すというシリーズ上、重要な役でもありました。そのすぐ後の作品でコネリーが復帰した「ダイアモンドは永遠に」で、ブロフェルドは死んだかも知れない・・・という最期を迎え、以後本シリーズでは姿を見せていません。「ユア・アイズ・オンリー」でハゲ頭の車いすに座ったブロフェルド・・・のような人物は登場しますが明言されてはいません。ちなみにこれは「女王陛下の007」の本来次の作品だったのが「ユア・アイズ・オンリー」だったから(間に数本作品が入ったけど)ちょっと続きっぽく見せたということなのです。オープニングでボンドが墓参りをする人物はテレサ・ボンド(殺されたボンドの妻)です。実はこのとき、コネリーが復帰して、「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」という作品が他のプロダクションで製作されることが決定していたようです。そのプロダクションは、先のイオンプロと争った権利を使用することができました。つまり「スペクター」と「ブロフェルド」を物語に使えました。しかも、公開はイオンプロの次回作「オクトパシー」に時期を合わせてきていたのです。イオンプロは「本家はうちだ!」という「意地」を見せるためにオープニングにこのエピソードを急遽差し込んだのではないかと言われています。実際、「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」と「オクトパシー」はかち合うことになりましたが、本家「オクトパシー」の圧勝だったようです。確かに「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」もボンド映画としていい仕上がりでした。しかし、時期があきすぎてしまったこと(コネリーは10年ぶり)や、「ネバー・セイ・ネバーアゲイン」が「サンダーボール」のリメイクであったこと・・・・そしてなによりあの有名なモンティ・ノーマンの「ジェームズ・ボンドのテーマ」という曲が使用できなかったことが敗因であったようです。私はイオンプロが雪辱を果たしたことで、もう「カジノロワイヤル」イオンプロ版はもう見れないと思っていました。ところが、ここに来て降ってわいたような映画化の話です。何があったかは分かりませんがファンとしては嬉しい限りです。主役のボンドがダニエル・クエイグということなのですが・・・・これは実際に見てから評価したいと思います。だいぶ脱線しましたが、実はその昔にも「ネバー・セイ・ネバーアゲイン」と同じような経緯でイオンプロ以外で「カジノロワイヤル」が製作されていたということです。当時、ファンの誰もが期待をしました。「本家以外に誰がボンドを演じるのか?」という興味だけでなく、やはり「カジノロワイヤル」という作品には特別な思いがあったようです。(それは現代でも同じようなので、ダニエル=ボンドに文句をもの申したいファンが多いようですが・・・)しかし、公開された作品は・・・・とんでもない物でした。パロディで、しかもコメディだったのです!主役のボンドは現役を引退していて、007というコードネームを複数が名乗っているというファンにとってはあってはならない設定でした。全編を通してのドタバタ感は、単に内容がコメディということだけではなく、5人の監督が撮影したということもあって、全体的にしまりのない仕上がりでした。キャストは凄いですよ。しかし、もうメチャクチャなんです。007映画としては成立してないばかりか、パロディ映画としても、コメディ映画としても中途半端なんです。製作の段階で疑問に感じた人はいなかったんでしょうか?それとも、確信犯的にこういう作品を製作したのでしょうか?確かに、ウディ・アレン、ピーターセラーズ、そしてオーソン・ウェルズの名前がクレジットにあると、一概にこの作品は「駄作だ!」と言い切れない何かがあるような気がします。当時の評価はどうだったのでしょう?しかし、この映画は少なくとも本家の007を観た人が対象に製作されていることは間違いありません。007(本家)のようなリアリティのないスパイ映画なんてナンセンスだ!ということが言いたかったのでしょうか?今回、敢えてこの作品をレビューしたのは、公開を控えたイオンプロの「カジノロワイヤル」の予習としては見てはいけない・・・ということを言いたかったからです。でも、このジャンルの映画が、近年爆発的なヒットを記録しました。「オースティン・パワーズ」シリーズです。ということは結果として、30年以上も「先取り」していたことになるのかもしれません・・・・結局、「オースティン・パワーズ」のような映画を当時撮りたかったけど、まったく関連のない新しいキャラ(オースティンのような)を主役にしても、興行的には難しいのでボンドの名前を使って「オースティン・パワーズ」のような映画を撮ってみたかった・・・だけ?なのかも知れませんね・・・ちなみに元祖「オースティン・パワーズ」として見ると・・・・なかなか味のある作品です。007/カジノ・ロワイヤル(1967) 1967/12公開 134 分監督 ジョン・ヒューストン ケン・ヒューズ ロバート・パリッシュ ジョセフ・マクグラス ヴァル・ゲスト 出演 ピーター・セラーズ デヴィッド・ニーヴン デボラ・カー ウィリアム・ホールデン ウディ・アレン ウルスラ・アンドレス シャルル・ボワイエ オーソン・ウェルズ ジャン=ポール・ベルモンド ジャクリーン・ビセット
2006年06月29日
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● Pizzicato Five ”Singles” CDdisc101.スウィート・ソウル・レビュー02.東京は夜の七時03.ハッピー・サッド04.スーパースター05.陽の当たる大通り06.悲しい歌07.ベイビィ・ポータブル・ロック08.メッセージ・ソング09.イッツ・ア・ビューティフル・デイ10.モナムール東京disc201.大都会交響楽02.恋のルール・新しいルール03.きみみたいにきれいな女の子04.ウィークエンド05.プレイボーイ・プレイガール06.ダーリン・オブ・ザ・ディスコティック07.ノンストップ・トゥ・トーキョー08.パーフェクト・ワールド09.東京の合唱~午後のカフェで10.12月24日いったい何枚のアルバムを発表しているのか?この人達のディスクをコンプリートしている人がいったい何人いるのか?(そりゃファンだったらいるでしょうけど・・・・)とにかく、凄まじい数、リリースしています。もともと、細野晴臣のプロデュースによりデビューした、小西康陽と高浪敬太郎のユニットだったのですが1990年に野宮真貴が3代目のヴォーカリストとして正式加入してブレイクしました。その、エレクトリックな音に独特の野宮真貴の声をのせた極上のポップチューンで、日本よりも海外で多くの評価を受けました。パリコレでも多分曲が使われたように記憶していますが・・・・どうだったっけ?そんな彼ら(彼女ら?)の代表曲は「ウゴウゴ・ルーガ2号」というフジテレビの子供向け番組のオープニング「東京は夜の七時」で間違いないでしょう!ちなみに「ウゴウゴルーガ」に出演していたルーガちゃんこと小出由華は、すっかり大人になって、今は峰不二子みたいになってますけど・・・って、そんなことはどうでもいいのですが・・・(笑)とにかくこの「東京は夜の七時」は東京都の「都歌」にしてもらいたいくらい素晴らしいです。野宮真貴の声って本当に独特ですよね・・・・私の周りの人は曲調と声質が「かわいいすぎる」ので、あんまり聴かないんだ・・・なんて言う人も少なくなかったです。確かに分からなくもないですが、そう考えると日本ほど音楽に関して、「ジャンル」にこだわる国民性はないんじゃないかと思います。大体「歌謡曲」ってジャンルは何ですか?私は未だにその定義がわかりません。「演歌」っていったいどうやって生まれたんでしょう?欧米諸国では、曲のジャンルにこだわらずに「音」を素直に「楽」しんでいるように思えます。それに妙に歌詞にこだわるのも日本人独特の感性かも知れませんね・・・ちなみに私は洋楽好きですが、声も音の一部、すなわち「楽器」だと思っていますので、あんまり歌詞にはこだわりません。内容を知ってがっかりなんてこともありますが、要は、私にとって音楽とは意味よりも、響きなんじゃないかと思ってます。それが人に言わすと「音楽を聴く姿勢として本当じゃない」らしいのですが、私はそれでいいと思っています。そういう意味では日本人に生まれてよかったです。話を戻します。「ピチカートファイブ」の音楽は明らかに外国向けです。おそらく日本語が分からない海外の人が聴いた方が彼女たちの理想である「ポップでキャッチー」に聞こえるんだと思います。私が海外のアーティストの曲を聴いてお洒落だと思う感覚をこの人達は逆に欧米人に感じさせることが出来る日本で唯一のアーティストだった・・・ということになるのでしょうか?現在「パフィー」がアメリカで活躍していたり、「少年ナイフ」なんてバンドもいました。先に紹介したLove Psychedelicoなんかも海外で評価されそうですけど、それらのバンドの音とは本質的に何かが違うような気がします。ちなみに、「東京は夜の7時」が最初にアルバムに収録された「overdose」というアルバムですが・・・・本当にそうなのかあんまり自信がありません(笑)実際、「東京は夜の7時」という曲はいろんなアルバムに収録されています。リミックスを含めてベスト版も山ほど発売されているようなので、どこから始めたらいいか分からない人のために・・・・紹介するのは最後に発表されたベストアルバム「singles」です。「東京は夜の7時」の他に珠玉の作品が収録されています。「モナムール東京」「プレイボーイ・プレイガール」なんて最高です。Love PsychedelicoのKUMIは日本語を英語のように歌うようですが、野宮真貴の歌は思いっきり日本語なのにフレンチポップに聞こえてしまう(笑)何故だか分からないけど・・・このグループもやっぱり奇跡の組み合わせだったのかも知れない・・・・残念ながら解散してしまいましたが小西康陽はゆうこりんの曲をプロデュースしたりと、相変わらずとんでもないことしてくれちゃってます(笑)公式ページでラケットを持った人が小西康陽で、バナナマンの日村ではありません・・・・(笑)こりゃ失敬!レコード会社による公式ホームページはコチラsingles / pizzicato five2001
2006年06月28日
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スミス/ザ・スミス01. Reel around the fountain 02. You've got everything now 03. Miserable lie 04. Pretty girls make graves 05. Hand that rocks the cradle 06. This charming man 07. Still ill 08. Hand in glove 09. What difference does it make 10. I don't owe you anything 11. Suffer little children 「ロックが死んだ」と言われた80年代、イギリスはNEW WAVE全盛期でした。コマーシャリズムが前面に押し出され、お洒落でポップなサウンドばかりがもてはやされました。それはそれで一時代であることには間違いないのですが、基本的には感情を封印し、スタイルにこだわった感があることは間違いないと思います。NEW WAVEの少し前はパンクが全盛期だっただけにこの「軽い」ノリにはついて行けない人も多かったようです。ところが、メディアもセンセーショナルにNEW WAVEにのっかり、MTVでプロモーションビデオを昼夜関わらず流しまくったものだから、日本でも最も洋楽がポピュラーになった時代でもありました。さらにとどめは「ライブエイド」です。アフリカの子供達を救おうの声に集まったイギリスとアメリカのアーティスト達によって大チャリティーイベントが行われました。イギリスではBANDAIDによる「DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS」アメリカではU.S.A FOR AFRICAによる「WE ARE THE WORLD」その昔ウッドストックというイベントもありましたし、先頃ライブエイドも復活しましたが、これほど大がかりなイベントは過去に例がありません。このイベントは確かに世界を動かしました。それが、今は「ロックが死んだ」と言われている時代に起こったことはある意味わからなくもないです。ロックという音楽は、反社会的な物である側面があります。特に、メッセージ色の強い曲はそういう意味合いを「前」に出していることが少なくないです。つまり、80年代は表面だけをお洒落に着飾って、みんなで「ピース」と言えた時代だったのかも知れません。日本でもバブル景気に向かってどんどん加速していた時代です。ハングリーな時代にこれほど大がかりなイベントが行われるはずもなかったということです・・・そんな中、イギリスでとんでもないバンドが誕生しました。正確には誕生していました。ポップ全盛期に、まるでそれに背くように切れ味の鋭いギターリフと、反社会的な歌詞をけだるく歌い上げるバンドが登場したのです。それが、THE SMITHSです。このアルバムの6曲目「This charming man」のイントロを初めて聴いたとき私は何かで頭をぶん殴られたかのように感じました。衝撃的でした!私はジャンルにこだわらず様々な音楽を聴きます。倖田來未からフランクシナトラまで・・・(笑)敢えて聴かないのはクラッシックと演歌ですかね・・・偏見はないのですがクラッシックを聴くほど「音質」とかにはこだわらないし、演歌は・・・・ちょっとね(笑)でもやっぱり好きな音があってラテンやジャズを取り入れたポップが好きです。ボサノバなんかもかなり好きですね・・・だから、実はギターの音があんまり好きではなかったのです。一部の人には人間の感情を最も表現しやすい楽器はギターだというようなことを聞いたことがありますが、人それぞれですからね・・・私にはサックスやピアノの方がそれには近いような気がします・・・しかし、このバンドのギターの音があまりに素晴らしく、それこそ涙が出そうになりました・・・どうしてなんでしょう?未だに分かりませんが、ギターのJohnny MarrとヴォーカルのMorrisseyの組み合わせは今となっては「奇跡」としか言いようがありません。「This charming man」を聞いた瞬間にもう2度と出会えない唯一無二の「音」に出会ってしまったような感覚にとらわれたのかもしれません・・・誤解を招くかも知れませんが、私は80年代のポップな音も大好きです。WHAM!とか未だによく聴きます。しかしTHE SMITHSだけはなんだか、「別格」なんです。単なる懐古趣味ではなく、Morrisseyの声も含めて純粋に「音」が胸に染みるバンドだったのではないかと今でもそう思います・・・私にとっては・・・ですけどね・・・THE SMITHS / THE SMITHS1984
2006年06月27日
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姑獲鳥の夏 プレミアム・エディション昭和27年東京久遠寺医院(産婦人科)について奇妙な噂が広まっていた。それは、院長の娘である梗子(原田知世)が20ヶ月も身籠もったままであるということであった。私立探偵の榎木津(阿部寛)の事務所にたまたま居合わせた小説家の関口(永瀬正敏)は久遠寺梗子の双子の姉妹、涼子(原田知世・二役)の依頼を聞き雑誌の取材ということで捜査に乗り出す。彼女の依頼は何故か1年半前に失踪していた梗子の夫の牧朗(恵俊彰)の捜索だった。涼子の今にも倒れそうなそのたたずまいに惹かれた関口は何とかしてやりたかったがいかんせん自分の力ではどうすることも出来ない。そこで友人の古書店主である京極堂こと中禅寺秋彦(堤真一)に相談を持ちかけるのだった。彼は全く久遠寺家に行くこともなく関口の話だけで事件を見通すのだが、その上でこれ以上関わりにならないよう関口に言う。そして事件は、榎木津や木場刑事(宮迫博之)の捜査を巻き込んで、意外な展開を見せるのだった・・・榎木津は他人の顔を見るだけで、その物の過去の記憶を映像として見ることが出来る特殊能力の持ち主だった。彼もまた事件をある程度見通しているようだった。彼は涼子の顔を最初に見たときに「カエルの顔をした胎児」を「見た」のであった・・・・そして実際に久遠寺家を訪れてあるものを「見て」事件は「もう終わっている」と言うのであった。木場の捜査によると事件には双子の姉妹の母親菊乃(いしだあゆみ)の過去が大きく関わっていたと思われた。幽鬼漂う久遠寺家の秘密とは?妊娠した梗子は何を身籠もったのか?失踪した牧朗の行方は?関口にせがまれて、ついに京極堂は彼のもう一つの顔である陰陽師(憑き物落とし)としてさっそうと久遠寺家に参上するのであった・・・・この作品は京極夏彦のデビュー作であり、「超絶ミステリー」と呼ばれている氏の代表作です。世界観は(横溝正史+江戸川乱歩+夢枕獏)÷3といったところでしょうか?戦後の昭和のノスタルジックな雰囲気の中、猟奇的な事件が起こり、それを解決するのが探偵と陰陽師という作品です。このシリーズは氏のライフワークでもあり番外編を含め、現在までに10冊ほど出版されています。前半のストーリー紹介からこの手の作品が好きな人にはたまらないないようだと思いますが、いかんせん評判がすこぶる悪かったようです。いわゆる「大コケ」というやつです。まず作品を見た方が満足しなかった理由を考えてみました。ここからはネタバレてんこ盛りなので見ようかと想っている人は気を付けて下さい。ただし「犯人」が誰かはさすがに書いてませんが・・・・(笑)1 犯人がいしだあゆみじゃなかった。おそらく予想される犯人役はいしだあゆみだったのでしょう・・・金田一シリーズに見られる「大物女優犯人の法則」とでも申しましょうか、この手の作品の犯人役はキャスティングでほぼ決まったも同然だと思っている人も多いはずです。まぁ、全く関係がなかった訳ではありませんが、その分なんか想像していた物と違う感は否めません。でも、あまりにそれじゃ「そのまんま」だし・・・原作段階で、その辺のことはわざと作者は「外し」てるんじゃないかとも思います。2 殺人が連続ではなかった。これは致命的かも知れませんね・・・実際、殺人が連続で起きることも推理物では「王道」ですから・・・しかも、厳密に言うと行方不明者を捜索するのがメインなストーリーなわけで、推理物としてはいったい何の推理をしているのやら的な方向性が物語を迷宮に入れてしまっているような気もします。「京極」ワールドそのものを楽しめないとちょっと題材がとっつきにくいかもしれません。3 死体の行方のトリックが「そりゃないだろ」的な内容だった。これはねぇ~・・・核心に触れますのであまり書けませんが、トリックとして不完全極まりないのです。ここまで、緻密にストーリーが進んでおきながら、「なんじゃそりゃ!」といいたくなった人も多かったのではないでしょうか?分からなくもないですが・・・・(笑)でもよく観ると・・・・伏線があるんですよ・・・光ってるんです・・・「あれ」が・・・4 多重人格というちょっと前にはやった設定プロファイリングが世間で大流行していた頃に書かれた物ですからね・・・今思うと少し「古い」題材でしょう・・・しかも、それで「動機」をすましてしまうあたりが、ちょっとお粗末と感じた人もいたかも知れませんね・・・5 結局「想像妊娠」だったということ20ヶ月の妊娠の「大オチ」がそれではあまりにも・・・ですよね。しかも、産婦人科の娘なんですから何でそれが分からなかったのか?いくら昭和初期の設定でもそれはないと思われます。なんとも言い訳できない感じですよね・・・等でしょうか?ですが、私はこの作品を大プッシュします。それは単にこの世界観が好きだからという理由もあるのですが、原作にかなり忠実だからです。しかし、未だ続編のニュースを聞かないところをみると、今後は続かないような気がします。非常に残念です。おそらく1作目にこの作品を映像化したことが失敗だったのではないでしょうか?原作第2弾の「魍魎の匣」(もうりょうのはこ)を先に映像化しておけば、シリーズ化間違いなしだったと思います。この作品はもし映像化されれば、映画でも「ポスト金田一」間違いなしだったと思います。ラストも小説よりは映像向けだし・・・・今更ながら、この作品が先に映画化されなかったことが非常に残念です。何年かかってもいいから是非映像化して欲しいです。さて話を戻しますが、私は、この作品(「姑獲鳥の夏」)を最も楽しんだのは「今回映画化が決まって初めて小説を読んだ人」だと思います。つまり、全く小説を読まずに見たら、細かな描写に気づかなかったでしょうし、また、小説をずっと以前に読んでからの京極夏彦ファンだった人は、映像化そのものに批判的であったと思えるからです。特に後者の熱狂的なファンは自分のイメージと違うことを批判理由としているようです。もっとも、それも意見の一つなのでしょうが、私はそのようなことでこの作品を批判するのはあまりに作品のことを理解してなさ過ぎではないかと考えています。 さらに私はこの作品はある意味、原作を越えたと思いました。それは関口と涼子の関係性が原作よりも明確に描かれ、その描写がとても切なく胸に迫ったからです。涼子は10年以上前に出会った関口こそが唯一自分を「涼子」という一人の女性として見てくれたことを覚えていたのです。だからこそ、彼女から赤ん坊を取り返す事が出来たのは関口だけだったのですね・・・・ちなみに「悪戯」はしてないと思いますよ関口は・・・(笑)あれは彼の妄想なんだと思います。そして関口の奥さん役を(原作ではほとんど登場しない)篠原「涼子」が演じていたのはスタッフの遊び心であり、「救い」にも繋がっていると感じました。これは映画ならではの「見せ方」でしょう!事件は一片の曇りもなく、全て京極堂の理詰めで解決し、「この世に不思議なことなど何もない」と言い切っておきながら他人の過去の記憶が見えてしまう榎木津という探偵が登場する・・・この「大いなる矛盾」こそがこのシリーズの本当の楽しみ方であり、そのことは、この作品について「こうあるべきだ」と主張することがいかに愚かな事であるかを示唆しています。私のレビューで京極作品に興味を持った方は是非読んでいただきたい・・・・ただし「姑獲鳥の夏」だけでなく「魍魎の匣」までは絶対に読んで欲しいですね・・・・本の厚さは半端じゃなくぶ厚いですけど(笑)文庫本にもなってますが、あまりに厚すぎてサイコロみたいですけどね(笑)姑獲鳥の夏2005/07/16公開 123分 監督 実相寺昭雄出演 堤真一 永瀬正敏 阿部寛 宮迫博之 原田知世 田中麗奈 清水美砂 篠原涼子 松尾スズキ 恵俊彰 寺島進 京極夏彦 すまけい いしだあゆみ
2006年06月26日
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【J-POP/歌謡曲:ら】LOVE PSYCHEDELICO / THE GREATEST HITS (CD) (Aポイント付)01. LADY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~ 02. Your Song 03. Last Smile(extension mix) 04. I mean love me 05. Moonly 06. Are you still dreaming ever free? 07. I miss you 08. ノスタルジック’69 09. These days 10. LOW(ver.1.1) 11. A DAY FOR YOU このバンドはほとんどテレビに出演しないアーティストだと思います。結成時は2人とも大学生だったようです。青山学院大学というくらいですから、なんとなく品のいい感じをうけるのは貧乏人のやっかみだとは思いますが・・・(笑)1997年に同大学の音楽サークルで結成されたらしいのですが詳細は不明です。今はどうか知りませんが付き合ってたんじゃないかと思うのは私だけでしょうか? 1999年に某FM局で彼女たちの楽曲が番組でオンエアされました。その後問い合わせが殺到し、それが音楽関係者の目に止まったようです。 その後、タワーレコードでカセットを発売したようです。レジのところにたまに置いてますよね。100円で売っているカセット・・・今持ってたらプレミアもん何じゃないでしょうか?とにかく完売したそうです。そんでもって2000年の4月に「LADDY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~」でメジャーデビューしました。その後は1stアルバム「THE GREATEST HITS」、2nd アルバム「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」、3rdアルバム「LOVE PSYCHEDELICO III」と3枚のオリジナルアルバムを発表しました。ポカリスエットのCM等でもよくON AIRされたりドラマの主題歌として起用されたり・・・中でも「ホテル・ビーナス」の主題歌として起用された「Everybody needs somebody」は記憶に新しいと思います。今回紹介するのは彼らの1stアルバム「THE GREATEST HITS」です。「DELICO SOUNDS」などと言われているようですが、ギターのNAOKIのリフと、日本語が英語のように聞こえる独特なKUMIのヴォーカルスタイルにあるようです。・・・・が!実はこのアルバムに関してはシェリルクロウのパクリと言われても仕方がないと思います。彼女のデビューアルバム「TUESDAY NIGHIT MUSIC CLUB」を聴いたらうなずけると思います。ヴォーカルのKUMIも好きなアーテイストにシェリルクロウの名前を挙げていますので、これはおそらく間違いないでしょう。ですが、私としては「だからどうした!」として敢えてこのアルバムを推薦します。もともと大学のサークルでシェリルクロウが好きで意気投合した2人がコピーするところから始まったユニットなんでしょうが・・・書きためた曲はシェリルクロウのアルバムに酷似していたとしても、やはりオリジナルであることには違いありません。じゃあ誰がこのクオリティのアルバムを今の日本で製作できるか?ということです。日本人で(KUMIは長い間父親の仕事の都合でアメリカにいたようですが・・・・)この歌い方が出来るのは彼女しか居ないし、彼女の歌い方に最もフィットする曲を書けるのもNAOKIしかいないと思います。KUMIの英語の発音は完璧のようですが、それよりも英語の詩に合わせた曲を書けるNAOKIが素晴らしいと思います。彼の才能はさらに日本語も英語の歌詞のように音符にのせることができることなのではないでしょうか?KUMIの特異なヴォーカルに隠れていますが、彼の才能もかなりの物だと思います。そして現在の彼女たちの楽曲はシェリルクロウを離れ、それこそ「DELICO SOUNDS」と呼ばれている独特な物になり、さらに進化しているといえます。やはりLOVE PSYCHEDELICOは2人の才能が引き寄せ合って出来上がった奇跡のバンドだと言えると思います。その出発点が「TUESDAY NIGHIT MUSIC CLUB」であったことは非常に興味深いことです。そろそろNEWS SINGLEが発売になるので活動再開でしょうか?しかし、これ以上メジャーになって欲しくない気もします・・・マイナーなお気に入りのアーティストって見つけて人に紹介し、それがどんどん売れていってるとき最高に嬉しいもんですが、あまり有名になると・・・・なんかつまらなくなってしまいます。自分が育てたわけでもないのに(笑)LOVE PSYCHEDELICOの人気は今くらいがちょうどいいかも知れませんね・・・テレビに出演したら爆発的に売れるんじゃないかな?見てみたい気もするけど「うたばん」とか「HEY HEY HEY」で・・・・(笑)あっ・・・でもちょっとやっぱり見たくないかも・・・・(笑)●LOVE PSYCHEDELICO(ラブサイケデリコ)“Aha!(All We Want)”<初回限定盤>CD+CD-ROM...2006/6/28発売のNEW SINGLE!初回限定版でPCでピンボールゲームが出来るようです・・・公式ホームページはコチラThe Greatest Hits / Love Psychedelico2000年
2006年06月25日
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「M:I:3」はご存じ「ミッション・インポッシブル」すなわち「スパイ大作戦」のリメイク第3弾になります。しかし、ここに来てようやく理解しましたが、トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」はリメイクではないですね。過去のテレビシリーズとはもはや別物になっています。その辺を踏まえて作品を見た方が、エンターテインメント作品として素直に楽しめると思います。そのことを述べるにはまず、トム・クルーズが「ミッション・インポッシブル」という作品に出演するに至った経緯から若干の説明をするところから始めようと思います。実はこのシリーズはトムは出演者でもありますが製作者です。つまり、彼がこのシリーズを復活させたわけです。おそらく、作品の権利の一部を買って製作したのでしょう。この後、いくつかの作品を手がけることになるのですが、実質的な製作はこの作品が最初です。ちなみに共同製作としてポーラ・ワグナーという女性がいます。この人物はトムと数本共同製作していて、何者なのかはよく分かりませんが、「ミッション・インポッシブル」に関しては全て2人の共同製作です。話を戻しますが、トムは何故この作品を初製作の作品に選んだのでしょうか?もちろん過去の「スパイ大作戦」にかなりの思い入れがあったに違いないのですが、同じような物を作るつもりはなかったようです。それには、どうやら理由があったようです。それはスパイやエージェント、そして007への憧れだったようです。しかし、トムは007を自分が演じるにはあまりにイメージが違うと感じていたのではないでしょうか?もしくは007をやってはみたいが、そのままやるのはどうかとも思っていたかも知れません。役者はイメージが固定してしまうのを嫌うので、既存の役(原作があったり、イメージが定着している)を演じ続けることをあまりよしとしません。タキシードを着て拳銃を身構えるだけで、誰もが連想してしまう役をすることは、すでにスーパースターになった人物にとっては余計なイメージです。でも、007並のスパイアクション映画に主演したい!と考えてなんらかの作品を製作したいと考えていたようです。だったら、ジェームズ・ボンドに匹敵するスパイキャラを作って、それを自分のイメージにしてしまえばいいのではないか?そう考えたのだと思います。つまり、トムが演じるイーサン・ハントは彼にとってはジェームズ・ボンドであり、そしてこの役を自分のはまり役にしてしまったということです。しかし、いきなり何の予備知識もなくいきなりイーサン・ハントなる新時代のスパイヒーローをスクリーンに持ってきても観客が受け入ることはなかなか出来ないと思います。だから、敢えて「ミッション・インポシッブル」という作品の中での一人物という設定で自分しかできない新たなヒーローを作り上げたということなのではないでしょうか?かくして、3作目にしてその答えは出たと思います。トムはイーサン・ハントを演じ続けて、「ミッション・インポシッブル」ならぬ「イーサン・ハント」シリーズを作り上げたように思います。ということは、かつての「スパイ大作戦」とはもはや異質の物になっているということなのです・・・・では「スパイ大作戦」とはどういうドラマだったのでしょう?ここで、そのドラマの「形態」についてのべます。まず、このドラマは主役不在のドラマです。物語は民間企業に政府から依頼があるところから始まります。「おはようフェルプス君」でCIAなどから指令が来るところから物語がスタートします。指令を受けたチームは変装や爆発物などの各分野の様々なスペシャリストを揃えて、依頼を遂行します。ですから、ドラマの回によって、中心となる人物が代わります。いつも、前線で大暴れするようなイーサン・ハントのような特定の「ヒーロー」はいないということです。そして基本的には敵を「トラップ」にかけて、だますことが「ミッション」の中心になります。民間企業なので殺人は犯しません。盗んだり、自白させたりということがメインですね。しかし、その「トラップ」はかなり大がかりで、時には見ている物も騙されます。特にラストには「サプライズ」があり、その爽快感がこの作品の醍醐味でもありました。ですから派手なアクションより巧妙なミスディレクションがテイストになっていた作品です。ここでトムの今までの「ミッション・インポシッブル」を簡単に振り返ってみます。トム主演の「ミッション・インポシッブル」の1作目は確かにかつてのテイストを十分に含んでいました。映画のオープニングでは大がかりなだましで自白をさせたり、CIAに潜入してデータを盗んだり・・・しかし、ストーリーの主軸は、仲間同士のだましあいだったので、「スパイ大作戦」とは言えない作りだったように感じました。「スパイ大作戦」という作品は敵との様々なだまし合いが交錯しますが、決して仲間が裏切ったりするような内容ではありませんでした。よって、トムは一度この作品で「スパイ大作戦」のイメージをわざと壊したのだと思いました。続く「M:I:2」ではイーサン・ハントはほぼ単独行動でした。途中で仲間とチームを作ることはありましたが、愛する女性をウィルスから救うために孤軍奮闘するイメージが強かったです。単独行動の「スパイ大作戦」なんて私にとってはもはや、「スパイ大作戦」ではありません。しかし、イーサン・ハントシリーズの1作品として見ると評価は変わります。なにより、この作品でイーサン・ハントは敵を殺します。ここが大きな違いでもありました。ただし、スパイアクション映画としての出来はますます磨きがかかってきました。そして今作「M:I:3」ですが、もはや完全にそのスタイルは確立されていると思いました。チームでのミッションがあり、そしてイーサン・ハントが個人的な理由で立ち回る姿ありと、完全にイーサン・ハントシリーズが完成されていました。つまりトム版「ミッション・インポシッブル」の完成形といえると思います。ここからが実質的な今作の感想になります。ネタバレを含みますのでまだ観ていない人はお気を付け下さい。今作ではイーサン・ハントの結婚というサイド・ストーリーが物語の一つの軸になります。より、人間味のあるヒーロー像にはなっていますが・・・この先「M:I:4」があるとしたら、のちのち邪魔になってくるのではないかと思いました。そして、話は「Mr.& Mrs.スミス」のように、トムが身分を偽って結婚しようとするところから始まります。実質的には3部作の完結編のようにも思えました。愛する者を守るために闘うのは確かにアメリカが望むヒーロー像で、既存の「スパイ」にもあまりなかった姿です。しかし、イーサン・ハントにこの生活が続くとなると次回作が危ぶまれるような気がしないでもないです。そして、敵役のデイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)との決着が最後、単なる殴り合いになるところが前作に引き続き同じなのが残念でした。やはり、最後は実は騙されているようで、騙していた的な「大逆転の構図」が欲しかったです。もっとも何度も言うようですが「スパイ大作戦」と別物と考えるならこれも致し方ないことなのですが・・・・チームの「ミッション」は結構凄いです。特にヴァチカンに潜入する「くだり」は往年の「スパイ大作戦」ファンにはたまらないシーンになっています。この辺をメインにやってくれた方が私にとっては嬉しいのですが・・・アクションも凄まじいです。橋の上でのミサイル攻撃や、ヘリ同士の攻防、カーチェイス・・・そしてビルからビルへ飛び移るなど、かなりど派手な物になっています。シリーズ屈指のアクションシーンの連続です。まぁこのアクションを見るだけでも価値はあるかも知れません。しかし、先にも述べましたが「スパイ大作戦」ではあまり過激なアクションシーンは無かったのも事実です・・・かくして、一級のエンターテインメント作品ではあるが「スパイ大作戦」では無くなってしまったところが少し物足りなさを感じます。結論として今作品もスパイアクション物としては相当いい出来です。だからもう「スパイ大作戦」のリメイクとして見ない方がいいと思います。ちなみにあの有名なテーマ曲は今回ほとんどかかりません。このことも「計算」かもしれませんね・・・・余談ですが、過去のトム自身の出演作のオマージュが数カ所出てきます。監督の遊び心なのか、それともトム自身が今作をいろんな意味で集大成と考えたのか分かりませんが・・・私が気づいたのは「カクテル」「トップガン」「バニラスカイ」「ミッションインポッシブル(1作目)」「アイズ・ワイド・シャット」の5作です。ひょっとしたらまだあるかも知れませんね・・・分かった方は教えて頂けると嬉しいです・・・ミッションインポッシブル3 M:I:32006/7/8公開 126 分 監督 J・J・エイブラムス 製作 トム・クルーズ ポーラ・ワグナー出演 トム・クルーズ フィリップ・シーモア・ホフマン ヴィング・レイムス マギー・Q ジョナサン・リス=マイヤーズ ミシェル・モナハン ローレンス・フィッシュバーン
2006年06月24日
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ギミー・ヘブン スタンダード版この映画は、割と興味があったので速攻レンタルして見たのですが・・・・ストーリーの前にまず、この映画で最も重要なキーワードになる「共感覚」というものに触れておきます。「共感覚」とは五感に「ずれ」が生じることだそうです。例えば、文字に色や臭いや音が感じられるといった具合に視覚や他の感覚が別の感覚にずれることらしいのです。これはかなり珍しい現象らしいのですが、ある日突然その症状が出るのではなく先天的な物のようです。また、これはその人達にとっては「常」に起こっていることではなく、何かのきっかけでそう感じることがあるということのようです。実際には正確に物事を捉えることが出来なければ生活その物に支障をきたすでしょうし、また、他人とコミュニケーションもとれません。有名なトランペット奏者のマイルスデイビスが「共感覚」の持ち主だったそうです・・・・しかし、頭では理解できても実際にはその人達が見ていることや感じていることを想像するのは容易ではありません。そして、その人達にとってはそのことがかなりの「恐怖」に感じるかも知れないし、耐えられない孤独に思えるかも知れません。また、そのことが全く信じることが出来ずに、そういう人達に対して蔑んだ目で見る人がいるかも知れません。でも「共感覚」は実際に存在します。この映画は「共感覚」を持つ人が初めて同じ感覚を持っている人に会うという過程の中で起こる悲劇を描いた物です。その悲劇は「殺人」という形で描かれます。これは、ともすれば、非常に悪質な「差別」に繋がる可能性があるわけで、そうではないということをしっかり理解して見ないと非常に危険な作品だと思います。それではストーリーを・・・ヤクザの下請け仕事としてインターネット上で盗撮サイトを運営する新介(江口洋介)は、「共感覚」の持ち主だった。実際、他の人とは昔から何か違うと感じていた。恋人(小島聖)には何と説明していいか分からないので医者から説明してもらった。彼女は、新介を受け入れてくれたしかし、本当は誰にも理解されないゆえの孤独を抱えていることに代わりはなかった。そんな折、都内で殺人事件が起こる。邸宅で、ある富豪が殺害されたのだった。生き残った娘、麻里(宮崎あおい)はこれで両親が亡くなったことが3回目であった。不審に感じた刑事柴田(石田ゆりこ)は捜査を彼女に向けて開始するが、麻里は姿をけしてしまう。手がかりがないままに捜査は行き詰まりをみせるが、そこで柴田はあることを思い出す。その殺害現場にはまるで何かで描かれたような模様が残っていた。それは自分たちには分からないが何かのメッセージではなかったのか?そこで柴田は「共感覚」の持ち主にその模様を見せてヒントをもらう方向で捜査を始めるのだった。一方、新介と相棒の貴史(安藤政信)は盗撮のカメラの一つに死体のように横たわる少女を見つける。その少女は麻里だった。彼女を保護して自宅に連れてきたのだが、そこから、彼らの人生は思わぬ方向に転がり始めた。まず、盗撮サイトで契約していた女性が目の前で自殺をした。彼女は「マリオネット」というゲームの先に行き着いた「ピカソ」という人物の暗示にかかり自殺をしたかも知れなかったことがわかる。「ピカソ」とはネットの奥に存在する実在の人物で数々の犯罪に関わっている伝説的な犯罪者だった。彼は自殺や殺人の現場をカメラで録画し、それをネットに有料で配信し、莫大な利益を上げている「モンスター」だった。実は新介達のカメラも彼の手の中にあり、新介達の雇い主のヤクザも一目置いている存在だった。新介は数年前に「ピカソ」の動画を見たことがあり、その時に感じた感覚を覚えていた。実は殺人事件に残っていた模様は「ピカソ」を表すものであり、それは「共感覚」を持っている物にしか分からないことであった。新介はどうにかして「ピカソ」に接触しようと試み、それに成功するが、実は彼の方からすでに新介達にネットを通じて接触してきていたのだった。「ピカソ」の手の上で翻弄される新介は思いもかけないことで貴史を死なせてしまう。哀しみにくれる新介は、「ピカソ」に直接会うことを決める。そして、「ピカソ」は彼の前に現れた。その帆村(松田龍平)という青年は顔色を変えずに自分のことを話し始めるのだった。そして「自分を殺してくれ」と新介に頼む。新介にはある確信のような物があった。確かに「ピカソ」は彼だろう・・・しかし・・・・そこへ麻里が現れるのだった・・・内容のほとんどを書いてしまいましたが・・・・(笑)こうやって書いてみると割と面白そうですが、実際はかなり退屈な映画です。内容が内容だけにとても「ポップ」には出来ないですが、とにかく「暗い」のです。登場人物の一人、ヤクザのコンちゃんが唯一、そう言う意味ではメリハリをみせてくれますが、全体的になんだか「どうしようもない」感じが漂ってます。おそらく昔から「共感覚」をもっていたことで差別を受けてきた、もしくはこの広い世界で自分はたった一人かもしれないという例えようもない哀しみが、この映画の世界観を構築しています。監督や製作者がその「痛み」を何とか表現しようとしたのは分かるのですが・・・・ラストシーンで大粒の雨がガーベラに見えるということを2人の共感覚保持者が同時に感じ取ります。その非常に美しいファンタジックな映像を私たちも「見る」ことができ、そのまま救いようのないラストになります。結局「共感覚」というものを2時間近くにわたって刷り込まれ、ラストに唯一共有することが出来るそのシーンが「撮りたかった」だけなのかもしれないと思いました。確かに伏線から考えると哀しく切ないシーンには違いないのですが・・・・なんだか物足りなさを感じてしまうのです・・・理由は・・・・「○○ヘブン」というタイトル+江口洋介+殺人事件で何を連想するかと申しますと・・・・私には「アナザヘブン」なんですね・・・内容も割と近いのかも知れないんだけど・・・・でも全然別物だったりするので・・・なんだか、不完全燃焼なんですよね・・・・勝手な言い分ですが・・・・(笑)それにしても殺人現場をビデオに収めて人に見せるなんて・・・「人間・失格」の加勢大周を思い出してしまった・・・ってもう、覚えてる人少ないかな?ギミー・ヘブン 2006/01/14公開 121 分 監督 松浦徹 出演 江口洋介 安藤政信 宮崎あおい 小島聖 石田ゆり子 松田龍平
2006年06月23日
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獄門島石坂金田一+市川崑で「犬神家の一族」のリメイクで一部のファンが盛り上がっています。現在、撮影絶好調というところでしょうか?でも今回紹介するのは「獄門島」です(笑)ちなみ現在までになんと6回も映像化されています。こういう作品は珍しい・・・と思ったら他の金田一作品も同じくらい映像化されていました。「犬神家の一族」や「八つ墓村」は8回も映像化されていました・・・ん?8回?・・・・まぁいいか(笑)本日記事にする「獄門島」は昭和52年に映画化されたものについてです。私は邦画のなかで最も好きな作品の一つでもあります。他の作品についても書いておきます。俳優名は金田一を演じた人物です。1949 映画 片岡千恵蔵1977 連続ドラマ 古谷一行1977 映画 石坂浩二1990 SPドラマ 片岡鶴太郎1997 SPドラマ 古谷一行2003 SPドラマ 上川隆也興味深いのは1977年の古谷版がドラマで放映された後に石坂版が上映されたことです。私はてっきり逆だと思っていました。そして古谷一行は「獄門島」を2回演じていることになります。このことも知りませんでした・・・・そして、最初に金田一が違和感を覚えるある重要な台詞がありますが・・・現在は放送禁止用語なので2003年の上川版ではどう描かれたのでしょうか?今後、稲垣吾郎版で製作されるかも知れませんが、その辺も気になるところです・・・それではストーリーから・・・・終戦直後の引き上げ船で鬼頭千万太(きとうちまた)という人物が力尽き死んでしまう。彼はある人物に「自分が島に戻らなければ妹たちが殺される」という謎の言葉を残していた。ある経緯から遺書を預かった金田一は、その人物に代わって獄門島と呼ばれる島を訪れる。金田一が島を訪れた直後、千万太の遺言通り3姉妹の一人が殺されてしまう。その死体は木に逆さづりされるという異様な姿で発見されたのだった。事件の解明すべく、また次なる殺人を予期した金田一は捜査を始めるのだったが・・・・続いて第2の殺人事件が起こってしまうのだった・・・・この作品については、殺人を犯す理由がひょっとしたら「不可解」であったかも知れません。その辺のことに関しては映画の中でも「この世にはあなたが知らない恐ろしいことがある。」という台詞で表現されていますがひょっとしたら「探偵小説」としては「不完全」なのかもしれません。しかし、石坂版の「獄門島」はラストが原作と違います。斬新な解釈をしたことで当時賛否両論があったようですが、私はこの作品に関しては原作を超えたと思っています。そしてそのことで物語としては完成度を増したと思います。横溝正史が生きているころに制作された映画でしたが、氏はこのことをどう思ったのでしょう・・・今となっては分かりませんが・・・・きっと満足してくれたと・・・私は思いたいです・・・また、「横溝正史が書く物語は、死体の描き方が素晴らしく美しい」と、されているということを以前何かで読んだことがあります。この作品に関してもかなりこだわって作られていたと思います。「獄門島」は「悪魔の手鞠唄」の次に製作された作品です。「悪魔の手鞠唄」も同じような「異様」な殺害現場が描かれていますので「ごっちゃ」になると思います。演出やその辺のことについては「悪魔の手鞠唄」の方が「上」かもしれませんが、私が「獄門島」の方が好きな理由は別にあります。まず、最初の殺人における犯人の「アリバイ」です。正直最初に見たときかなり驚きました・・・それは、とても「恐ろしいアリバイ」です。私は「アリバイ」に関してこれ以上のことは未だ読んだことも観たこともありません。これはとてつもないです・・・ぞっとしました・・・そして私が石坂版「獄門島」が最高だと思っている理由はまだあります。まさに円熟期を迎えた市川崑の秀逸の演出が細部に冴え渡っているからです。それは物語を大きく左右する人物「お小夜」(草笛光子)の登場シーンに集約されています。彼女は「旅役者」なのですが、その舞台の風景がところどころにカットインします。素早いカットインを使うのは市川崑が得意とする手法ですが、これがサブリミナル的に事件の「恐ろしさ」を増幅します。一見きらびやかな、そして特に何でもないその舞台風景が映画を観ていると、「気持ちの悪い」ものに見えてくるのです。なんという演出!物語そのものを楽しむのもいいですし・・・こういったところに着目してみるのもまた一興かと思います・・・ちなみに犯人は・・・・初めて観る方にはそう簡単にはわからないと思いますよ・・・獄門島1977/8/27公開 141 分 監督 市川崑 出演 石坂浩二 司葉子 大原麗子 草笛光子 東野英治郎 浅野ゆう子 佐分利信 加藤武 大滝秀治 ピーター 三木のり平 坂口良子 池田秀一(シャア・アズナブル!(笑))
2006年06月22日
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