全24件 (24件中 1-24件目)
1

自分の企画PAT.化した素材が印刷され、形となって、世の中に受け入れられると商売化抜きに嬉しいものだが画期的な必需品なれば兎も角、広告用等は、別のメディア類似品がこの世に沢山ある為、それをユーザーに採用決断させるには中々紆余曲折あって、難しい。一旦実現しても、それを継続反復させるのは、更に難しい。物事には自分のスケジュールや思い込みより、相手がそれを必要とし、相手のタイミングで事が進められる為・・エンドユーザーと直取引ではないので、概ねそれには介在商社の無理難題を一つ々々クリヤーして初めて実現する・・(例えば・コスト・納期・要求品質・要求経時耐久性・見栄え・媒体適合性etc.)この7月に、加工印刷メーカー先と長年の試作の後、本番生産にて、TAXI用、媒体として、オンデマンドで短納期で完成したのが、下記 ブラインドステッカー サイズ 250x800ミリ 恐らく神戸・明石地区で200台程度TAXIのバックウインドウに貼られて走っている筈だが・・わざわざ神戸迄見に行って確認はしていない・・いいものは必ず売れるとの自信作だけに、・・暫くリピートオーダーが来ないとあれこれ悩んで心配になる。客先でトラブルでも?、とか、他に嫌われる要因でもあったのかとか・・・そうなると、開き直るしかない・・「そのうち何とか成るだろう♪」とか・・結局は時間(タイムラグ)の問題で・・もっと大きなユーザーからの試作依頼があった。数量もそれなりに多い。ゴルフシーズンたけなわだが、奇しくもそのゴルフ用品メーカーからの引き合い・・試作中の為、詳しくは書けないがマークは下記ブランド blogランキングへ
September 30, 2006
コメント(0)

6時過ぎに起床、茨木カントリーゴルフ場に電話し、6時30分開場、と当時に当日券発売開始と、プロアマ120人の初組7時スタートを確認。自転車で3分程度の入り口に行き、当日券と組み合わせ表確保の上、一旦帰宅し、朝食。カミサン孝行で案内し、9時前に家から5分の徒歩で入場、最終18ホールから廻ると、丁度、横峯さくらちゃんとキャディのお父さんがINハーフのグリーン上。横峯のOUTスタートナイスショットを見送り後、主だった選手のそれぞれのショットを近場で見学する為、逆廻り。諸見里しのぶの18番スタイミーショットのナイスカバーに拍手、肥後かおりの、16番の元気の無いボギーパットに落胆、15番の李知姫の、長身のショットに見とれ、負けず劣らずの服部道子の長身に圧倒されつつ14、13番と遡り、INに並んで、池に囲まれた美景ポイントのショートOUT三番で、腰を据える。再度出合った、肥後かおりの、ナイスオン、バーディチャンスに目の前を通り過ぎる彼女に激励のエールを送ると、帽子に軽く手を添えて会釈。しかし、惜しくもバーディならず、余程不調とみえる・・遅出のOUTスタートの宮里 藍ちゃんをここで待つ事にし、早めの食事で、お茶におにぎりをほうばりつつ、見学。丁度食べ終わった頃、大勢のギャラリーを引き連れ、真打登場。黒い短パンに白地に赤の両脇ストライプのスタイルで藍ちゃんが目の前を闊歩。3番グリーンパーパットを見、4番ショットを傍で確認、5番ショートで見事なバーディを目に留め、6番で再び豪快なショットを見終えると、横に移動し、追っかけ・・7番打ち下ろしのロングホールナイスショットの正確な落とし処をバックから、見た後、更に移動し、8番打ち下ろしのツーオン待ち受け、9番も近くでナイスショットを見終えた後、10番はグリーンそばで待ち受け。勿体無い2オン後のボギーに落胆。ここ迄で、8ホール目の追っかけを止め、JGAギャラリープラザに移動し、休憩。この休憩場所からは撮影禁止でないのを幸い10番スタートの女子プロショットを本日やっと遠くから撮影・・ いや~、たっぷりと藍ちゃん追っかけをしましたが、小柄な割りに、肩幅広く、歩くリズムもテンポ良く、流石に目下女子ゴルフ界の女王の雰囲気を感じさせるオーラを振り撒いていましたね~!(一方・・不動裕理はかわいそうな位元気なし・・)茨木カントリーゴルフ場の真横の町に数十年住みながら、コースは初めてのヨメも流石にくたびれたのか、帰路に着く事とし、出口付近の練習場で、横峯さくらちゃんの練習を見学。 相手はキャディのお父さんではありませんでしたが、コーチの助言を真摯に聞きながら打つフェアウェイショットは、夕日に向かって正確無比。 さすがに当日2位グループのツーアンダーキープの実力をふりまいてましたね~わざと遠回りで競技に使っていない東コースを見学しつつ、家に帰りつくと、最終18番ホールに向かう藍ちゃんを今度は4時半迄、テレビ観戦どうも、この4ヶ日間の日本女子オープンの予想は、さくらちゃんと、藍ちゃんらの若手ギャル相手に、お姉さん役の大山志保さんの三つ巴の予感がした、今日の初日でしたね~!今夜はこれから阪神タイガースもテレビ応援せねばならず、何かと当分多忙な日々です!? blogランキングへ
September 28, 2006
コメント(4)

ここの処、久し振りにプロ野球が面白い、パリーグも日ハムが一位になったようだ。セリーグでは、今日も阪神が快勝し、2年ぶりの7連勝となった。4回にシーツと浜中の各2ランで4点。5回に金本の2塁打で5点リードし。井川は直球を低めに集め、6安打で8回にいつもの悪いくせが出掛かって1失点したがこの大事な折りに、何とか無四球完投で12勝目を挙げた。 9回マウンドに行く時も何か雰囲気が違ったが、ゲームセットの際、帽子を取り、天を見上げた後、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして泣いた・・井川もエースだけに、この一ヶ月、勝ち運がなく、今日に期するものがあったのだろう・・勿論テレビ観戦だが、ベンチに帰った野手の藤本と、関本?だったかの口元も、「えっ!井川、何で泣いてるんやろう?」とベンチ奥を覗き込んで不思議そうに話し合っていた・・様に見えた。思えば、中日に9ゲームも離された夏場、藤川球児投手が、『選手も悔しい。一生懸命やっている事を分かって下さい』と、涙で声を詰まらせながら、インタビューに答えてたが・・・あれ以来、阪神の野球が、投手・野手とも、何か一本筋が入ったように、気合が入った試合をしているのが・・隠れ阪神ファンのH氏ならずとも伝わってくる。乗り遅れ気味で、一人だけ疎外感を味わってた筈の井川も、これで皆と連帯できた喜びが、涙になったのだろう・・ここ数年、井川に何度も何度も裏切られてきたファンとしても、今日のチェンジアップは、昔の彼を久し振りに思い出すような投球だった。藤川投手の涙から伝わった井川投手の涙をみていると、他球場の結果はもうどうでもよく、今週の甲子園から目が話せない・・・。それは兎も角、明日から、日本女子オープンゴルフが茨木カントリーである。当日券売っていれば、見に行ってみようかな?? blogランキングへ
September 27, 2006
コメント(0)

半生を振り返って、取りとめもなく書き込みしているうち、その時期から、時折思い返し、何が残つて、何が変わってきたのか現代と比較検証してみようかと思う。とSeptember 10, 2006に書いたがH氏の世代は、最終の戦中派として戦後の最初の一から見聞きして来た訳で・・ないない尽くしの当時の世相は、敗戦と言う事実の前に社会の蓄積は0から始まっただけに、物質的な現在の贅沢さは勿論、想像もしなかった事・・・。しかし、矢折れ、刀尽き、一億総懺悔のしおれた一時期を過ぎると、反って精神的には自由に溢れ、元々の平和を好む民族に戻り、子供なりに意外に明るかった印象があるのは、決して過去を美化し過ぎだけとは思えない。庶民は苦労を苦と思わぬ忍耐と、持ち前の創意工夫の知恵を発揮し始め、一歩一歩前進し、そこには「努力すれば報われる」という希望と、少なくとも「何とか安寧な暮しに戻りたい」という意思が、国民全てに明日を目指す明るさをもたらしたのかも知れない・・・「ぬちどぅたから」・(いのちこそ宝)・生きてさえあれば・・沖縄に伝わるこの言葉に込められた、元来人間が生来持つ明るさ・・外見は悲惨でも、お互いの共生と心に希望の灯さえあれば、日本民族は立ち直れた訳で・・。 (写真はアフガニスタン難民キャンプ”平和を知らない子供達”より)その例として、貧困に喘ぐかにみえる、発展途上国の子供の、瞳の明るさに不思議な安堵感を覚えるし、たとえは悪いが、先の新潟中越地震や、阪神淡路大震災の折の、近隣住民の行動を見ると、それに似た、見るに忍びぬ惨状に善意で向かう人間本来の助け合う気持ち、が通じあう喜びとなって、心に明るさを見出したのだろうか・・。その意味では、都会は、当時も今も、富や欲望のまま、「生き馬の目を抜く」所業は多々見かけたが、その他大勢の庶民、分けても、田舎に暮らす人々は、最近まで鍵をかけずに出かけるのが当然の雰囲気であったと思うが、・・今や、或る意味、最近の田舎ほど、残虐且つ猟奇的な事件が多発しているのは・・一体どうした訳だろう・・あきらかに、日本人の底流意識が変化し、他人を意識し、尊重し、共生し、信頼する美徳が失われつつあり、「我欲」「物欲」「金欲」と「よそ者への人間不信」にまみれ、宗教で言う所の「末世思想」に近い、民族の末路が見え隠れし、鳥肌が立つほどの疎外感に襲われる・・。ここで一挙に結論を言えば、一体、我々世代は、先の大戦迄の、政治向きの過ちや、その悲惨な結果は数え切れないほど学んだ割りに、「御国の為に」という美名の下に、個々人として、我が身を犠牲にして戦時に明け暮れた先の世代から何を学び、その何かを伝えきれないでいるのか、自戒すべき世代ではなかろうか・・・後世の評価を恐れるなら、草木や牛馬でもあるまいに、我々世代は、「単にDNA媒体として、日本民族を絶やさず伝えただけの、役割しか果たさなかった」とでも、云われる世代だったのか?・ ・反省と、自戒と共に、或いは否とよ、とのプライドも込めて、最終の戦中派から現代の世代へ「思う処」を ポツリポツリでも述べてみたい・・、法定老人に近い世代の繰言といわれればそれまでだが、なるべく退屈にならぬ様に気をつけて書き込む積もりなので・・お立ち寄りの方、出来るなら、今後とも付合いの程を・・・ blogランキングへ
September 26, 2006
コメント(0)

仕事上では、この春先、花博から京滋バイパスに続く道路建築現場で見かけた、「西日本高速道路工事車両」と書いたダンプ用の分厚い布製の幌を車内に吊るした車。この写真は、現在同社への当方ブラインドステッカー売り込みに利用しています。 「同社トップ」の同期の友人に見せ、「これでは車の後方は見えないから危険だし、第一こんなみっともないバックウィンドウの車を走らせるのは御社のイメージダウン!」と意見具申すると早速、管理部窓口に連絡を取ってくれ、現在商談中・・・しかし、本社の管理機構は(相変わらず、)準役人さんなので、あっちこっちへ行けと、中々・・大変・・ちなみに、H氏の営業車のバックウィンドウは、気に入った風景の北海道、美瑛のカラフルなオリジナル・ブラインドステッカーを貼って走ってます・・(勿論車内からはバックは透けてみえます、売り品にする程印刷していないので・・このシーンでは全国唯一の装着車!・・。若いカーマニアにはダサいと思われてるかも知れませんね・・) 次は、(携帯電話カメラでは、ステッカーが小さくて判別不明ですが)、「住吉大社お札」で「あかちゃんが乗ってます」ステッカー。当方のPAT.素材採用してますので、貼った車をみかけると嬉しくて、ついストーカー的行為で、何箇所かの信号待ち時、バシャバシャ撮った一枚。(残念ながら、降車して近づいて撮る程の勇気なし・・) (最近の若い夫婦は、あかちゃん誕生のお礼参りに殆ど自家用車で行く為、通常のお札とともに、上記ステッカーを進呈する訳です・・)その他、近日開催される。「のじぎく兵庫国体」用車両ステッカーにも、当方のPAT.素材が使われています・ blogランキングへ
September 24, 2006
コメント(3)

白龍さんの撮った「秋の夕陽の写真」を見ていて、日にちこそ違え、H氏も夕日を撮っていた事にハッと気づきました。H氏は、車で出かける時は、仕事柄、街のショウウィンドウの装飾や、周りの車の、バックウィンドウのステッカー等をチェックしながら走っています。珍しい車や、たまに参考になるステッカー類を貼った車をみかけると、完全停車する信号待ちを利用して、携帯電話のカメラに収めます。・・従って、ベストアングルなんて贅沢はいえません これは伊丹駐屯地から、八尾駐屯地に向かう陸上自衛隊さんの最新型連絡業務用ジープ?です。イラクからでも、持って帰ったのでしょうか・・いかめしい印象です。平和ぼけしている日本で走るとやや異様な感じで・・似合いませんね。 仕事も終わり夕刻、帰宅時のラッシュで、淀川鳥飼大橋上で動かなくなり、待たされた車内から眺めた日没・・・。 橋梁の柱がかからぬ場所であれば、もう少しマシですが、贅沢は云えません。 ここから見ると流石に、日没地点は、夏場に比較して、かなり南に下がって、丁度 六甲山あたりでしょうか・・仕事上、参考にしている、車上からの写真は・・又後日でも・・ blogランキングへ
September 23, 2006
コメント(1)

今日は朝から、宝塚の山中で、同期生や、その奥様方併せて13名で、好天の元にゴルフコンペ。遠慮のない連中と、終日楽しく過ごして帰り着くと、流石に、見積もり依頼faxや郵便物の整理に追われたがその郵便物に混じり、普段みかけぬ、CD風透明封筒に入った郵便物。一段落して開けてみて、やっと納得したが、先日、NETに応募したJT生命誌研究館からの「創刊50号記念号誌」だった。きっかけは、毎日新聞9月12日朝刊の「発信箱」を読んで、JT生命誌を知り「チョウの味覚から種分化を探る」を興味深く読み、前足で味見してから産卵する仕組みに感歎!し、掲示板に質問・回答を頂いた折、「皆さまにお届けしている生命誌の魅力が詰まった読み物カードです。トーク、リサーチ、サイエンティストライブラリ-の3本立てに加え、新しい試みのポストカード、 BRHの日常の活動を取り上げた「写真この1枚」や、展示のエッセンスを盛り込んだポップアップのおまけなど。パラパラめくって眺めるだけではなくて、お気に入りの一枚を飾って楽しむことができます。 無料でご自宅までお届けします。是非お申し込み下さい!」とあり、申し込んでおいたのが届いたもの・・ 面白い装丁にしてあり、序に、写真に撮ってみたがその表紙にこんな一節が書いてあった「・・・・20世紀は科学技術がもたらす利便性で動いていた。しかし、出来るだけ手を抜いて、素早く、思い通りの事が出来る生活を求めて、科学技術を振興した結果、私たちは傲慢になったのではないだろうか。機械にかしづかれた王様になり、自然は利用する素材にしか見えなくなってきたのではないだろうか。しかも、王様のつもりでいるうちに、いつのまにか機械が王様かもしれない状態になっているような気がする。時間を紡ぎ、思いがけないことに出会うのが、生きる事であるのに、利便性はそれを否定するからである。・・・・」(BRH cards 2006 50号カード包装ケース表紙より・・)これは、少し真面目に読んでみようかな・・と言う気にさせる・・・あなたも一緒に参加してみませんか?H氏も喫煙しているメーカーの利益で運営されている訳だから、無償でも、堂々と送ってもらえる訳だし・・・(と、やや変な理屈・・)まずは JT生命誌研究館をクリックしてみませんか・・。 blogランキングへ
September 21, 2006
コメント(0)

強風吹きすさぶ十勝平野、お見舞い申し上げます。 最近の日本の気候風土も様変わりして、折々台風が其方まで襲うようになりましたがお宅の広いお庭の立ち木大丈夫ですか?九州門司の友人からは、庭木が東風に襲われ、概ね殆ど15度傾き、その補修に追われている旨でしたが・・ こちら関西は台風一過の冷風のもと、前の木立の柿の実も大分色づいてきました。 (もっとも・今や開発でその木立も風前の灯火ですが・・ )いま少し、秋深まれば、行きそびれている、秋寂の室生寺散策も、是非お供したく (晩秋の明日香村)紅葉の吉野・明日香も、花見に訪問したこの春とは、又違った風情があり、共々じっくり見て廻りたいものです・・・ blogランキングへ
September 20, 2006
コメント(0)

北国・札幌の友人より、同期会HP・ポータルサイト口絵用に、とれとれの 実りの秋の写真が届きました。早速、表紙を飾るべく、編集しUPしましたが、当ブログ、お出で頂いた方にも、おすそ分けしましょう・・札幌・藻岩山近くに住む彼の散歩コース、真駒内公園で犬の散歩がてら、撮ったものだろう・・・ ナナカマド、 やまぶどう、 姫りんご、 栗の実、「・・でナナカマドだけは厳冬にならないと甘くならない不思議な実です。小鳥たちの貴重な冬の餌でもあります。」とありました。ついでに、彼の洒脱な俳句?も、ご紹介しておきましょう・・「ワンどもの 夏ばても癒え 歩く秋」・・今夏、彼の案内で、同公園をヨメと三人で半周し、(・・・兎に角、広い・・)彼がこの夏中チェック送付してくれたコガモの巣立ちのレポ通りの公園内の川渕にも案内し、ついでに大倉山スキージャンプ場も案内見学しましたが・・本人は出身地、九州小倉を離れ、北大ボート部?卒業以来、ず~と北海道暮しなのに、 「北の旅人」を自称し、九州男児のアイデンティティを忘れていませんが我々は「北の快人(怪人?)」と呼んでいる、偉丈夫な良い奴・・・です。 blogランキングへ
September 18, 2006
コメント(4)

昨日、一周忌も仏式にて無事終了。 宝塚 ホテル若水にて、なごやかに会食ご家族、医院関係者、ご親族と、我々友人3名の前で喪主の奥様が気丈に、この一年の経過をお述べの後、献杯。H氏の出来る事と言えば、ウインドサーフィンに乗って彼が来世へ旅立った、福井敦賀の種が浜(いろがはま)の風光明媚さと、その場所、(Mr.H'sBLOG・・好日夢譚の口絵写真に掲載している場所・・)が、”おくのほそみち”で松尾芭蕉が・・「さびしさや須磨に勝ちたる浜の秋」・・と俳句にも読んだ、いかにも彼の冥土への旅立ちにふさわしい、白砂青松の処だった旨を御披露する事位しか出来なかったが・・ 友人家族連と奥様共々、敦賀、種が浜(いろがはま)海上献花の旅にて、見聞きした事を、精一杯ご親族に報告した事で、奥様から感謝され、もって瞑すべしだったが・・遺されたご家族中、インターン生のご子息も、見る々々頼もしさを増し、「早く一人前になって、わしら、同期の老後の面倒を頼むョ!」(・・これはマジ?宛にしている事!?・・)の問いに、笑って返事していたが、さぞかし奥様も頼りになさっている事だろう・・W君や奥様、それに中・高校時分のご子息や二人のお嬢様共々、毎年末恒例で青森、大鰐温泉スキー場へと賑やかに出かけ、家族同士で過ごしていた頃が懐かしい・・今後も楽しく終生過ごす処、それでも来し方、三分の一近く、供に過ごせた事には大いに感謝しなければ・・と、ご家族の明るさに気を取り直した・・。翌日の今日17日、台風の余波が来ぬ内にと、例により早朝練習ラウンド・・(晴天が保ってなにより・・)シングルだった彼には及びもつかぬが、21日の同期会ゴルフ大会では奥様のエスコートで同伴メンバー・・、せいぜい、恥をかかぬ様に・・・とは云え、このスコアじゃぁ・・・駄目じゃ こりゃ~~???? blogランキングへ
September 17, 2006
コメント(1)

あれはもう二十年近く前の事だが、夜遅めに電話がかかってきた。カミサンが出て応対してたが「・・・高校の時、同期だったWさんって方からよ!」と受話器を渡された。「オイ H君、オレオレ Wだよ・・覚えてるか、久し振り」「応~!W君か、如何してる?」聞けば、関西の近場で医院を開いて8年目の、バリバリの整形外科医だった。やや気後れして、「処で貴君はベンツなんかに乗ってないだろうな?」「いや、国産車だ、ニッサンの・・ アハハハ」「そうか、それじゃあ付き合おうか!」・・なんて格好をつけて、暫く話を弾ませた後、電話を切ったが、こちらは当時、独立したばかりの一人自営で、仕事の見通し以外にも、その他諸々で、悶々と悩み多き日々だったので、正直本当にうれしかった。思えば、全てがそれから始まり・・・それ以来二十年近くの付き合いがあり・・突然、永遠の別れが待っていた・・それから一年・・・。明日は奥様から主だった数人の友人と招かれて、ご親戚筋の方々とともに、御自宅での一周忌・・何を想ってこの一年を過ごし、その間の出来事の何を報告し、ご無沙汰を霊前に、どうお詫びすれば良いのだろう・・ 西村玉翠 書 blogランキングへ
September 15, 2006
コメント(2)

自治労・・地方公務員の産業別労働組合・・構成員101万人のHPに抗議が殺到しているそうで・・・その中の、自治労通信欄と言うページに、自治労組合員が「困ったときの法律相談所」があり建前は、「飲酒運転は許されるものではない」と述べつつ、酒気帯び運転で検挙されたその結果、懲戒免職や職員の氏名公表する事が「飲酒運転防止の行きすぎ」という記事だったそうだが・・これを見た一般人から「公務員は何を考えているのか甘すぎる!」旨の抗議メールが殺到し、慌てて自治労本部は、この記事をホームページ上から削除したらしい・・・(経緯は http://www.jichiro.gr.jp/topics/2006/0913.htm に詳しく書いている。)国民各位の皆々様も相当怒っている・・・・・率先模範実行すべき公務員が「飲酒運転」した犯罪者を守る組合活動をする場を設置すること自体が、常識がない・・と国民から怒られて当然の事・・・ついでに、自治労の声明・見解 というページも覗いてみると国民年金保険料の免除等に係る不適正な事務処理に関する処分に係る談話岐阜県裏金プール問題に係る談話その他 人事院勧告に関わる声明 などが 掲載されていた。どうせ、読む公務員からしても、「ふむふむワシなら、ばれぬ様、モット上手に立ち回るが・・」程度にしか参考にならず、長々と言い訳の後、「公共サービスに対する国民、地域住民の信頼を勝ち取り、暮らしに安心と安定をもたらすため、安心と信頼の年金制度実現にむけた取り組みの先頭に立ち、云々」とか「わたしたち公共サービスを担う労働者は、自ら襟を正し、仕事への誇りに基づき変革の先頭に立ち、公共サービスに対する国民、地域住民の信頼を勝ち取らなくてはならない。」とか尤もらしいが、読んでいて少しも心に伝わらないし、単なる字面の羅列に過ぎない。「先頭に立ち 」とか 「勝ち取る 」とか いう言葉使いは、まるで一般国民を相手に敵に廻してでも、有無を言わせず先頭に立って勝ち取るという意味にしか読み取れない・・大体詫び状のスタイルにもなってない、そんなに殺気立って「どうじゃ!恐れ入ったか!」如き声明・見解文書を書いてどうするのよ・・・「ははぁ!参りまして御座いまする」と国民は納得しないと思うよ? もう少し組合用語を離れて、美しい日本語を大事にして真摯な心を込めて欲しいもの・・公務員への信頼は、国民、地域住民側の周辺から醸成されてはじめて生まれる訳で、賃金闘争じゃあるまいし、勝ち取るものではありません・・、「先頭に立つ」のは公務員の職責上当たり前の事です■これじゃあ~ね~、・・♪これで日本も安心だ! てか?【作詞】青島幸男、【作曲】萩原哲晶、【編曲】宮川泰(1979年4月20日) ついでにこんな歌もクレージーキャッツは歌っていた。■馬鹿は死んでも直らない ♪ バカにバカたしゃ バカばかり バカからバカ引きゃ うすらバカ 【作詞】塚田茂、萩原哲晶(1963年6月20日) blogランキングへ
September 14, 2006
コメント(1)

11日(月) NHKFM 4:00から ”つのだひろ” 司会のポップスで”クレージーキャッツ”特集を懐かしく聞きながら車を走らせていた・・。その中でも 「まったく、世の中間違っとるよ!真に遺憾に存じます♪」 という台詞の歌が今更ながら同感の思いで聞きました。・・丁寧に歌詞を調べていずれ詳しく 検索検証して見たくも思いましたが・・・。それ以外にも、「サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ♪」とか色々・・・いい歌ありましたね!! 聞いていて懐かしかったが、この歌が当時流行った折、サラリーマンだったH氏は「・・そんな馬鹿な!」と思いながらも、「これは架空の人生で架空の人物」・・と勝手に解釈して、面白可笑しく聞いていたものだが・・・実経験上、元々バブルが弾ける以前から、・・・ましてや以降のサラリーマンは、決して気楽な稼業とはいえない。・・・H氏はたまたま、バブル期直前から、自営業なので、バブル期以降のサラリーマンのリストラや過重労働等は・・あくまで同期の友人の口や、サーヴィス残業続きの義理の息子の勤務振りから 想像するに・・超~厳しいのが現実・・公務員職に安住している人には永久に理解できないだろう・・。しかし、思うに、この「サラリーマンは」という台詞を「公務員は」と言い換えると、その歌詞をそのまま不言実行してきた公務員の現実・・例えば「安易に酒酔い運転を性懲りも無く 繰り返す」(念の為、全員が々々とは言いませんが・・)に・・ずばり、現代を予言していた唄では・・と思い至った次第。確かに、「近頃の若者は、返事はするが、云われた事をマトモにしないし、出来ない」とか、「常識がない」とか、色々云われていますが、それはそっくり現状の公務員の行動範疇に当てはまるのでは??教育制度が悪いのではなく、その安き見本が、イコール公務員(教職員を含めて)の、「酒酔い運転行為」に代表される有様で、見習うお手本がこれでは・・・、近頃の若者も自ずとそうなりますわな~・・・上は総理大臣から、下は木っ端役人まで、すべからく「ニッポン無責任時代」の到来を予言したクレージーキャッツの面々に改めて “恐れ入谷の 鬼子母神”・・参りました。さて、これからの日本はどうなると思われます?各々方? “ドヒャ~~”や”ガチョ~~ン”の台詞に隠れた解決への糸口の伏字を読み解くには、マスコミのマッチポンプで、お上におもねる存在や、それこそ馴れ合いの公務員の口先任せにせず、どうも我々、何の恩恵もなくジッと我慢している下々から、まずはできる範囲の改革の指弾の動きを口々に起こさないと、鞍馬天狗?云う所の「日本の夜明け」は、まだまだ遠いのでは??願いとしては先ずは公務員に限らず、共通のテーマである「酒酔い運転の撲滅を図るにはどうすればいいのか?」・・について・・。国民の職業人員の比率から見ても発生比率が格段に多過ぎる公務員から率先撲滅し、模範厳罰に処すべきではないかと思いますし、・・牽いては公僕精神の弛みを治す第一歩でもあり、一般国民にもその模範例となれば、改革意識が廻りまわって国民全体に反映されるのでは?・」・・というのが、H氏の意見です。公僕とは、元々その意識がないと出来ない大変な仕事だと理解しています。・・今の現実は全く逆のお気楽稼業は先に述べた通り・・先ずは、各人のブログ一つ一つから、真面目で真剣な賛否の意見を述べ合い,そのウェイヴを 大きくする事からでもできるのでは・・と思いますが・・・その波を、もっと素晴らしいアイデアのある方々の意見やグループと合従連衡 しつつ拡げられないものでしょうか?・・だれがどうとかの問題でなく、すべからく、たるみきった公務員に激しく怒っている国民の眼を意識した倫理感を公僕に求めたいからです。 国民のこの怒り・・判るかな~?判んね~だろうな~? ご意見賛成の方、ポチを押してみてね!
September 13, 2006
コメント(3)

高校同期会出席の際、大阪梅田地下道にて、「こんな勝手知ったる処で道に迷うなんて・・」と自分自身にショックでしたが・・・■ Re:此処はどこ?私は誰?(09/11) として、白龍216さん から「高校同期飲み会なんていいですね~直ぐに当時に戻れますものね~ 若返りの一番の薬かも…」と、書き込み頂き、ありがとうございます。 ・・返事を書いている内、悪い癖で、ついつい長文になってしまい、別途、一文書き込む事にしましたので、お付合い下さい。我が関西地区高校同期会(母校は九州ですが・・)は・・特に会則なんてありません。定例会は(奇数月) 隔月第一木曜開催+12月の忘年会で最低でも年7回 あります。・・関西には同期生で女性を含め三十数名いますが、概ね常連は半数程度・・日程が判っているので、遠地よりの出張時予定組み入れし易い為もあって・・他地区同期生も時折参加してくれても、・・今迄でMAX.20名強のこじんまりした会です・・このペースの例会が既にかれこれ十四年は続いており、例年、忘年会時に、企画幹事より来年度の予定表が配布され、、それに年2回のゴルフ会、+α小旅行に、年1回の関西地区での旧制中学含む全体の同窓会出席を加えると、ほぼ毎月会っている事になります・・だから、(電話番 兼 下足番)幹事のH氏の年間の生活リズムは、全て、この同期会予定がベースで組み立てられている訳でして・・・。当然、親兄弟より、付き合いは深く、長く、家族同士の付き合いは当然ながら、友人同士の慶弔事や体調を含め、喜び・楽しみ・悲しみ・悩みは殆ど自分自身と同じ位、分かり合っています。・・・あえて不明な点と言えば、各人のお財布に幾ら入っているのか不明?な事位でしょうか・・・・別途、H氏が引継ぎ管理人になってから足掛け5年+(引継ぎ前5年)と約10年来の同期会HPがあり、国内は北は札幌から南は沖縄迄に散らばっている同期生は元より、外地では欧州・米国・豪州在住の同期生から会員限定BBS(写真添付は4枚まで可)へ、常時書き込みがあり、それへの応答や、折々、当時の担任の先生の書き込みも加わると、概ね、各人が、今日何をし、何処へ行き、何を考えて日々過ごしているのか、全て分かり合える仕組みになっており、世界中何処へ居てもPC前で毎日クラス会をやっている様な具合で、お陰で、明日、遠地で出会っても、前日の話題から話が続けられます・・・「久し振り・・」という挨拶は不要です。同期生は400人強いますが、数の多い地元では高校13期卒に合せ、毎月13日に地元某所に屯している様で、そこまで連帯の強い同期会は、母校の他期にも皆無で、羨ましがられていますし、恐らく、余り例がないのでは??と思っています・・・それもこれも、皆いい奴ばかりだからでしょう・・・若い世代の同期会ではIT化は今や左程珍しい事ではないでしょうが・・団塊の世代の先行組の割りには、早くからIT化した訳ですが、宜しければHP表紙迄は自由にご覧頂けますので下記URLにお出で下さい・・http://www3.ocn.ne.jp/~pitack2/newkuratomikai/でも継続のコツは、Face to face が、長続きする基本に思えます。余程の天変地異でも起きない限り、このまま、こんなペースが一生、続く事になるでしょう・・・だから本当に幸せに思っています。 blogランキングへ
September 12, 2006
コメント(3)

先夜、高校同期飲み会に出席するべく大阪駅地下街に入り、堂島キタの例会会場に行くにはいつもの通りまっすぐ南に下れば良いものを・・・つい時間があるからと、途中の広場でジャズサックスとローランドピアノで"Take5"の生演奏に乗ってしまい、 更にピアノ演奏のキータッチを確認しようと近づき、適当な柱にもたれつつ聴いていたを忘れたのか??、「大人のための音楽教室」のパンフをデスクで貰って歩き出したのが、後で思うと東に向かって歩いて行った訳で・・・ そんな近場で一瞬 「ここは何処?わたしは誰?」状態・・・、時間には間に合いましたが・・勝手知ったる大阪市街に少々自信を消失・・・ 老人性痴呆症はこうして始まるのかも・・・ blogランキングへ
September 11, 2006
コメント(4)

半生を振り返って、取りとめもなく書き込みしているが、何となく、活気もあって懐かしく思えるのは、昭和20~30年代の事が主になるのは何故だろう・・勿論、各自の幼少から成人になる時期は誰でも、その時期に集中して記憶されるせいだろうが・・・総括は兎も角、その時期から、現代を時折思い返すコーナーを新設し、何が残つて、何が変わってきたのか検証してみようかなと思う。何が変わったかと言えば、当然、自分の体力的若さが無くなっているのは、当然として、そんな判りきった事ではなく・・もっと大切な何かが周りから消えていっている気がしてならない・・先ずは大上段に降り構えて、「世界平和と人類の幸福とは・・」この言葉は高校入学時、担任の世界史のE先生の担任受け持ちの初授業時に言う口癖とは後で知った事だが、新入生は代々同じ質問を受けていたのだろう。「お前達は何の為に勉強するのか?言ってみろ」から始まり、新入生のクラスの皆々は概ね口々に「・・良い大学に受かる為です・・」が平均的な答えで「良い大学に入るのは何の為か・・」迄追求されると、大体答えに窮した・・H氏も何と答えたか記憶にないから、似た程度のような答え方だったのだろう・・・そこで先生曰く、「いいかお前達、お前達が勉強するのは・・世界平和と人類の幸福の為に・・じゃ!」「ワシらが、君らの時分には・・天皇陛下と皇国の繁栄の為に勉強しろ・・と云われた・・結果、知っての通り、大勢の人命が失われ、そして現在がある・・」「ワシも、仏領インドシナ戦線からビルマ戦線に狩り出され、多くの戦友の悲惨な有様をまの当たりにしてきた・・それだけにそれは追々伝えておく・・・以上・・」、で、後は洒脱で男子ばかりのクラス故、折々脱線し、独特の飄々たる授業は人気があった。初授業後、口の悪い悪友は「E先生はああみえて、絶対、メコン川辺りに隠し子がいるのでは・・」とか「世の中、そんなモンじゃない・・虚虚実実 否 虚虚々実で行かなきゃ」等大人の誰から聞いたのか、馬鹿なはやし言葉で盛り上がった記憶がある。その程度の平和教育しか受けてはいないが・・、忸怩たる思いも込めて、現在を眺めると、世界平和と人類の幸福とは・・虹の如く、遠くへ々々押しやられ、不安と不自由さと不平等さが徐々に世界中にも、又日本にも蔓延し、5年前のニューヨーク911事件を境に、その分岐点すら越えてきてしまった気がしてならない
September 10, 2006
コメント(0)

猛暑もやっと峠を越えて、時々強いにわか雨の中を大阪堂島に早々と10人集合。今回はアフリカ帰朝報告のK氏の話に皆興味津々。BBSに載せてない事ももちろん多く驚きの嘆声。アフリカといえば猛暑と腹をすかせたライオンに睨まれて、と思っていたが高原で乾季とあって快適な環境だったとのこと。日本人もほとんど見かけることのないところで夫婦だけのツアーに運転手と日本語の堪能な通訳付で王様旅行。しかしランドクルーザーで悪路を毎日数時間走るのも若くなければできないこと。ワニがシマウマをくわえて身体をぐるぐる回して食いちぎる光景も現地ならではのことでテレビでは見たことがない。首が回らないから身体ごと回しているそうだ。ワニも人間も食うためには首が回らないと不便なものだ。悪路も一方では日本の援助で立派な舗装道路がアフリカ南端のケープタウンから北端のカイロまであって、雄大な景色を楽しみながらこれをドライブするのが次の夢だそうだ。はやくも次は同期会の海外旅行で行こうじゃないかと声が上がる。それまで若さを保てるよう気をつけなければ。TH氏の米州最後の空白訪問地だったラスベガス紀行、M氏のニュージーランド8日間訪問時、セスナに乗った話に、H氏の数年前の屋久島帰りに台風下、欠航便代替に同じくセスナで枕崎まで辿り着いた話や、飛び魚の話と話があちこちに飛び同期の僧職にあるM御上人の有難い御法話もあったが、凡人の悲しさ、店を出てプルプルと首を左右に振った際に、皆忘れてしまった・・・・友人との、BBSレポート合作加筆にて・・ blogランキングへ
September 9, 2006
コメント(2)

二本立て映画は「デボラ・カー」シリーズだったとは!・・そんなこんなもあって、かたやミュージカル、かたやシリアスな戦時映画と変な組み合わせ映画を同時に見た訳だが・・・。もう一本の「地上より永遠に」ご覧になった方はお分りの如く、中学生には、かなり難解な映画をよく見たものだ。1953(昭和28)年パラマウント映画配給だから、その時見たのは昭和32(1957)年・・発表後4年のリバイバル上映だった事になる 1941年夏のハワイ・ホノルル基地に赴任してきたラッパ手プルー(モンゴメリー・クリフト)は、上官に逆らったことから孤立無援となっていく。唯一彼をかばうアンジェロ(フランク・シナトラ)は営倉入りとなり、残忍な主任(アーネスト・ボーグナイン)に虐待される…。軍隊の非人間性を鋭く突いた名匠フレッド・ジンネマン監督の骨太の軍隊映画。クライマックスは日本軍の真珠湾奇襲・・・・何といっても、ラッパ手プルー(モンゴメリー・クリフト)の生き様が印象に残った・・小柄な印象だったが、苛められても殴られても敢然と自分を貫き通す不屈の男彼をかばった経緯が尾を引き、アンジェロ(フランク・シナトラ)が殺され、哀悼を込めて誰もいない教練場で吹く追悼ラッパの旋律が響き渡り・・(あのケネディ大統領葬儀の際も耳にしたが・・・)それとなく、彼の行く末を案じる、彼の上官のウォーデン曹長(バート・ランカスター)が下士官室で聞き入る、彫りの深い顔も渋かった・・ そのウォーデン曹長(バート・ランカスター)も中隊長の妻と不倫関係にあり、熱いキス・シーンを披露した有名な浜辺シーン・・。 当時、それぞれの役どころの 細かい心理描写まで完璧に理解できて見ていた訳ではないと思うが・・今にして思えば中学生にしては凄い映画を見たもので、刺激の多い場面の連続だった。そういえば、我々補習サボり組の前列にも、小学低学年生を連れた母子の観客がいて、この浜辺でのキスシーンの際、慌てて、男の子の眼をふさいでいたが、その時や遅く、可愛そうに、この男の子も一生忘れられない心の傷?を、この場面から受けた事だろう・・改めてwebで調べてみると、その中隊長の妻は、その折に、同時上映されたもう一本の映画 1956年製作 「王様と私」の主役の華麗な家庭教師を演じた女優「デボラ・カー」だった訳で・・今の今まで気がつかなかったが、・・当時は子供心に全然別な女性の、かなりな悪女に見えた・・ 思えば、この折の映画館「第三中央」の上映プロデューサーは、「デボラ・カー」シリーズと云う、かなり粋な組み合わせの二本立て上映をしたものだ・・と、今更やっと理解できた次第・・・「地上より永遠に」出演者: バート・ランカスター/モンゴメリー・クリフト/フランク・シナトラ/デボラ・カー/ドナ・リード 監督: フレッド・ジンネマン 原作: ジェームズ・ジョーンズ この年は今だに語り継がれる洋画の当り年のようで、第26回1953年度(昭和28年)のアカデミー賞は凄い映画ばかりがノミネートされ、あの「ローマの休日」 も対抗馬にあったが、結果は以下の通りだった。作品賞:「地上より永遠に」監督賞:フレッド・ジンネマン(地上より永遠に)主演男優賞:ウイリアム・ホールデン(第十七捕虜収容所)主演女優賞:オードリー・ヘップバーン(ローマの休日)助演男優賞:フランク・シナトラ(地上より永遠に)助演女優賞:ドナ・リード(地上より永遠に)助演男優賞:フランク・シナトラ(地上より永遠に)のアンジェロ(フランク・シナトラ)・・(・イタリア移民兵士)役は儲け役で、これで彼は一旦下がり気味だった人気を盛り返したそうだし、又どうしてもこの役をやりたくて、たった8000ドルで出演し、しかも、それでもOKを出さぬスタッフに、マフィアから圧力をかけて出演させてもらったらしく、その経緯は「ゴットファーザー」第一篇中、マーロンブランド演ずるゴットファーザーの誕生パーティの席上でたしなめられて、シナトラが恐れ入る場面にチラリと語られている。その折見た主演のモンゴメリー・クリフトにすっかりファンとなったH氏だったが・・結局彼はアカデミー賞には無縁で何回ノミネートされても受賞に至らなかった。 彼の第9作目にエリザベス・テイラーと共演した「愛情の花咲く樹」という大作があるが、その完成披露パーティーがエリザベス・テイラー邸で開かれた。終わった後、彼は自分で車を運転しての帰り道、大木に車が衝突。フロントガラスに顔をつっこみ顔はメチャメチャになってしまった。再三の形成手術をするが美貌と演技力まで喪失してしまったそうだ。・・・■写真は 地上(ここ)より永遠(とわ)に From Here to Eternity 他より借用させて頂きました。 blogランキングへ
September 7, 2006
コメント(2)

慶祝 秋篠宮妃殿下 親王 ご出産秋篠宮紀子妃殿下には本日9月6日午前8時27分 親王殿下をご出産 体重2558グラム母子ともにおすこやかとか・・・ 本当におめでとう御座います!! blogランキングへ
September 6, 2006
コメント(5)

「王様と私」と「此処より永遠に」リバイバルの二本立て映画館で「王様と私」と「此処より永遠に」を一日で一挙に見た。当時、小倉には洋画の封切り館が、中心街に2館あり、その系列でリバイバル上映館に「第三中央」が、金田の電車通りにあり、料金も学割だし手頃だった・中学三年の夏休み頃の事だが・・・正規の授業じゃないからと、甘く考え・・当然、夏季補習の午後の授業をさぼっていったのだろう・・ついでに誘って、その時のクラスの友人4~5人とぞろりと一緒に見に行ったのがまずかった。映画を見終わり、余韻に浸って帰宅すると、お袋から、大目玉を頂戴した。何でも夕刻、担任の英語教師の女先生が訪ねてきて、「クラスから、主だった生徒に、これだけ抜け出して補習を欠席されては、私の立場がない・・」と大泣きして帰られたそうで・・・尤もお袋は男の子ばかり4人も育ててきているので、「中学生位の年代の男の子が、映画を見に行く事は 当たり前!」で「担任の女先生は若いから、・・・アンタも良く、それぞれの人の立場を理解して、サボるなら人を誘わず、もっと要領よくサボりなさい」と怒った訳で・・・・。普通に「サボって映画を見に行った」と怒られるより、確かに、「他人の立場からみて、その行動がどう思われるか・・」と言われる方が良く、身に堪えた・・翌日、雁首そろえて、先生に謝りにいったのは言うまでもない・・・そんなこんなもあって、かたやミュージカル、かたやシリアスな戦時映画と変な組み合わせ映画を同時に見た割に、よく覚えている。 「王様と私」 1956年製作 米19世紀、シャム王国に家庭教師としてやってきた英国人女性のアンナ。尊大かつ頑固なシャム国王と衝突を繰り返すが…。 ミュージカル・ロマンスの傑作。アカデミー賞主演男優賞・ミュージカル音楽賞・衣装デザイン賞・美術監督賞・録音賞 ユル・ブリンナー の王様も尊大さがおおげさだが、それなりに味があり、デボラ・カーの家庭教師も品もあり、「シャルウイダンス」の主題歌とともに、ミュージカルとしては、最高に面白かった。 唯、タイ国内では、いまだに、上映禁止映画になっているそうで・・・或る意味、現存する王政国家タイからみれば、外人が国王をそれらしく演じるだけに、国辱映画と見えるのは、仮に明治期の日本皇室をこんな風に演じられたら・・・と思うと、判るような気もする blogランキングへ
September 5, 2006
コメント(0)

「自由学校」朝日新聞に1950年5月26日~12月11日迄連載された新聞小説に獅子文六の「自由学校」があった。 これも当時の一種の社会現象で、たちまち評判になり、確か、松竹と大映で映画が競作された覚えがある。H氏、小2~3生の時分に封切りされた映画だから、誰に連れていってもらって見たのか覚えないが、当時、小倉の三萩野交差点の裏にあった「三萩野劇場」で見た覚えがある・・そういえば、三萩野には、当時、母が、看護婦資格を生かして、「付き添い看護婦」をしていたので、その折の職業紹介所に連れられて行った記憶があるから・・おふくろと見たのかも・知れない・・。当時から ませていた?積りはないが、印象に残る場面が二三ある。気が強く、活発な妻・駒子は昼アンドンのようなノンビリ屋の夫を家から追いだしてしまう小暮実千代演ずる、内職でミシンを足踏みする、奥さんの駒子から、「出てゆきなさい!」と一喝された際、小暮実千代代が家の玄関を指差す右手の大写し・・やむなく、家出させられた夫役の”小野文春”(・・ずぶの素人配役だったそうです)が、浮浪者の大泉滉 演ずるルンペンから、道路上の”しけもく” を上手に長柄の針先に刺し、背中の籠に移し変え、「なっ!・・(判っただろう?)」と要領を教えてもらって納得する場面etc.・・ 子供心に「大人になると、男の人は色々大変だな~」とか「美人の奥さんは怖いな~」とか、そういえば今でも通用する、”当たらずとも遠からず・・”な 印象を持ったものだ。(注1・・ 大人にとって面白いストーリーをテレビ等でつい無用心に油断して、子供に見せていると、純粋な?子供心に一生忘れられぬストイックな心傷を与えてしまう??・・という例でもありまっせ!?)(注2・・検索で調べてみたが、大映製作分はほとんど出てこず、殆ど松竹製作分の資料ばかり・・興行的には松竹側の勝利だったからだろう・・・)それを頭に入れながら、兎も角、webで調べてみると。ストーリーは 「開巻、いきなり「自由…自由が欲しいよ…」とうわごとのように言う夫五百助(いおすけ)のセリフから始まり、続いてそれを「フンッ」と鼻でせせら笑うその妻、というオープニングに驚かされる。 ぐうたらなために妻に追い出された夫が、御茶ノ水の神田川沿いで、ホームレスとなって生活を始める。 戦前まで封建社会の中で威張ってきた夫が、戦後の民主主義の中で強くなった妻に束縛され、自由を求めるという皮肉な構図の中に、戦後の世相が皮肉たっぷりに描写されている。」http://allnightpress.com/main/movie/146.htm より■製作=松竹(大船撮影所)分は渋谷実監督で出演 ................ 佐分利信 高峰三枝子 淡島千景 佐田啓二 田村秋子 杉村春子 笠智衆 三津田健 中村伸郎 十朱久雄 龍岡晋 小沢栄 東野英治郎 高橋豊子 望月美恵子 (注3.、写真は「自由学校」松竹・・高峰美枝子・・こちらの松竹製作分を見た訳ではない)■製作=大映分は吉村公三郎監督・出演................ 木暮実千代/小野文春/藤田進/京マチ子/大泉滉/山村聡/徳川夢声/英百合子 webで(自由学校 獅子文六 小暮)で捜していると 小暮実千代の こんなwebもあった・「1951年には獅子文六原作「自由学校」(大映〉に出演、高峰三枝子の松竹版「自由学校」と競演、話題をまいた。この頃が小暮実千代のピ-クと言ってよく、「成熟しきった女の豊満な肉体」、「終戦後最も目立つ女優の一人」と評された。1956年には溝口健二監督「赤線地帯」で失業者の夫を持つ売春婦を見事に演じた。また日大OBの映画「夜間中学」に出演した。また舞台でも尾上松緑と共演。テレビでも、司会を務めたり、コマ-シャルに長期出演したりして活躍。自ら「小暮劇団」を率いて年三回地方公演を行い、社会福祉運動の資金集めに奔走した。小暮実千代は終戦直後、有楽町のガ-ド下で靴磨きをしていた戦災孤児に、[寒いでしょう。さあ、これでなにかあたたかいものでもおたべなさい。くつはみがかなくていいのよ。からだにきおつけてね。]と言って百円札を二枚渡したことがあった。その少年が後になって、アメリカに渡り、苦学して大学を卒業し、高校の教師となった。この少年は後年小暮実千代と交流があり、余命いくばくもない小暮実千代に会うためにアメリカから、帰国して再会を果たす。1957年には群馬県の「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長になり、1987に法務大臣認定の保護司になった。1980年には日本中国留学生研修生援護協会常任理事になり、中国留学生を自宅に寄宿させたりした。こうした一連のボランテア活動はどこからきているのであろうか、出生当時から、恵まれた環境に育ち、映画界に入っても下積みの経験がないのにこのヒュ-マニズムは、中国での異常な体験と生来の性格があいまっての事であろう。かっての映画界における「良きライバル」高峰三枝子の息子が1977年覚醒剤容疑で検挙されたことがあった。四面楚歌に立たされた高峰三枝子親子に暖かい手を差し伸べ、保護司として高峰三枝子の息子を監督下に置き、立ち直らせたこともあった。この二人は1918年の同年生まれ、小暮実千代が1月、高峰三枝子が12月で、死去したのも同じく1990年で、小暮が6月、高峰が5月でともに72歳の生涯であった。小暮実千代は、まだボランテイアという言葉も活動も一般化しないときから、地味なヒュ-マンな活動を女優業という多忙な仕事をしながら、死去するまで続けたことは称賛されていい。」 ”女優 ボランテイアの草分け=小暮実千代 ”より (注4 小暮実千代の写真画像は探してみたが、UPできそうなモノは見つからない。)・・がこんなwebを見つけると、ネットサーフで捜しがいがあったな~と思う。 blogランキングへ
September 4, 2006
コメント(2)

これも、「大洋劇場」で見た映画、確か中学生時分になぜか一人で見にいった。後で考えても、こんな小難しい映画を何故一人で見に行く気になったのか、良く判らないが、招待券でも手に入ったか、・・映画好きな次兄のお薦めでもあったのか・・??「十二人の怒れる男」 の印象は、引き込まれて、帰り道、ぼんやりしながら独り言をぶつぶつ云うほど、感激しました。 今考えると、中学の青臭い正義感と、その頃の、アメリカ民主主義は、確かに憧れであり、米国や米国市民の考え方は理想ですらあったからだと思います。(・・・正直、当時とはかなり印象が違ってみえる最近の米国に、最近大分 退いていますが・・ )1957(昭和32)年 製作 製作:ヘンリー・フォンダ 監督:シドニー・ルメット出演:ヘンリー・フォンダ・リー・J・コップ・エド・べグリー・E・G・マーシャルマーティン・バルサムジャック・ウォーデンストーリーは「懐かしの映画館」 中解説 「十二人の怒れる男達」 に詳しく書かれているので、省かせてもらいますが、米国の裁判での、陪審員制度をベースに真夏の法廷で、18才の少年が父親を刺殺した事件の裁判が行われ、検察側の証人尋問が終わり、これから選考された12人の市民陪審員12名が表決に入る所から始まります、たった一人無罪を主張したヘンリーフォンダ 演ずる陪審員が、自分の率直な疑問を全員に投げかけ、安直な有罪論者を序々に覆していく過程はまさにサスペンスフルで、感動的でした。それも室内だけの会議室での進行通り、95分の物語と上映時間が 一緒の展開だけに、余計に、一緒に傍聴している気分にさせられたからでしょう・・・最近まで、この映画が、H氏の見た映画でNO1と心酔しておりましたが・・、が・・しかし日本でも、それに良く似た制度で「裁判員制度」が、2004年5月に「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が成立、公布され、平成21年5月までにスタートすることになっているそうで・・。現実問題として日本にもこの制度がスタートした際、果たして、自分があのヘンリーフォンダ宜しく、冷静に判断できるだろうか?と考えてみて、考え込みました・・が、はっきりいって、自信がありませんですね・・・。「日本版十二人の怒れる男」それを「12人の優しい日本人」と言う舞台劇で1990年三谷幸喜が東京サンシャインボーイズの為にパロディ化して演じ、既に映画化してDVDでも販売しているらしく(■出演 ⇒相島一之、豊川悦司、塩見三省、梶原膳)遅ればせだが、一度是非 拝見してみたく思っている。 blogランキングへ
September 3, 2006
コメント(0)

小倉市街地の南はずれの馬借町の電停の帽子屋さんの隣筋にある、(現在はなくなっているだろうが・・)映画館「大洋劇場」には兄らに連れられて、何度も通った。あの「駅馬車」もここで見たし。普段は洋画を主に上映していた筈だが、前回書き込んだ「第五福竜丸」をここで母と見たのは、そういえば奇異な事で・・・恐らく、新藤兼人監督が近代映画協会という独立プロの作品で、配給ルートが違っていた為、普段洋画ばかりの、この「大洋劇場」で上映されたのだろう・・。それは兎も角、1952(昭和27)年製作・ 監督:フレッド・ジンネマンでここで上映された「真昼の決闘」も忘れられない。(この劇場は二番館故、新作封切ではなく、再演の筈・・だから一二年遅れの小5~6年頃見たのだろう・・)出演:ゲーリー・クーパー ・グレース・ケリー ・トーマス・ミッチェル ・リー・バン・クリーフ ・ロイド・ブリッジス全ては決闘が始まるまでの80分と劇中の経過時間をシンクロさせ、上映時間ぴったり、画面の時計の時刻通り進行する、筋立てはスリルがあったストーリーは、H氏も繁々と良く訪問させて頂く 大西俊郎さんのブログ ”シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出 ”中2006.08.25 「西部劇の定石を覆したエポックメーキングな傑作!! の想い出 」に詳しくお書きになっておられるので、ぜひご覧いただければ・・・初老の保安官ケイン役のゲーリークーパーの渋い演技が印象的だったし、この映画がデビュー作の保安官の新婚の妻グレースケリーも真摯だし、また可愛らしくて美人で素晴らしかった。時折、人生で、仕事や色々な計画に邪魔が入り、放り投げて逃げ出してしまいたい時・・この映画の主人公の保安官ケインを思い出し、自分を励ます動機付けにもしているが・・、実際はどうだったか、・・又今後もそんな場面に巡り合ったらどうするかは・・???。任期を立派に勤め、退職し、だれからも束縛されず、新婚の奥さんと立ち去っていっても別段後ろ指をさされる訳でもないのに・・・助太刀を頼みまわり、断られた折には心細さも かいま覗かせながらも、最後には敢然と、自分の信義に従って、たった一人で、4悪人に立ち向かおうとする保安官の姿は、人間として、共感し、感動を覚えた。 (画像クリックすると写真を引用させて頂いた解説webあります )この町の人達は今でも我々の住む一般の町の人々と同じ事で、4人の悪人を始末するや、保安官の元に大勢賞賛にあらわれるが、にこりともせず、バッジを地面に捨て、妻と馬車で立ち去るクーパーの、撃ち合いと、それより以前の人間不信に疲れ切った無表情な顔と、バックに流れる「ハイ・ヌーン」(歌 :テックス・リッター 作曲:ディミトリ・ティオムキン)の主題歌が忘れられない・・蛇足になるが、もし悪人どもに撃ち殺されていたら、人々はどういう振る舞いを見せていたのだろう?・・似たような事は生死 までは別にして、今時でも良くある事だろうが・・ blogランキングへ
September 2, 2006
コメント(0)

昭和20年代当時から、また現在でも、綿々と、核実験や原水爆の問題は、当時のH氏ら子供達を含めて日本人の意識にしっかり植え付けられていかなければならない・・。「原爆の子」という映画も1952(昭和27)年公開され、この映画は小学校からクラス単位で、行く時は遠足気分で歩いて街の映画館に見に行った・・・。舞台は同じ1952年の広島。原爆投下時広島におり、家族の中で一人だけ生き残った石川孝子(乙羽信子)は、瀬戸内海の小島で教員をしている。当時勤めていた幼稚園の園児達の消息が気にかかった孝子は、夏休みを利用して七年ぶりに広島を訪れた。あたり一面焼け野原であった広島の町は、恐るべき速度で復興しているかのようだ。孝子は、幼稚園での同僚、旧友の夏江から園児の住所を聞き、中学生になっている彼らを次々と訪問してゆく。 そんな 出だしから始まった映画だったが、モノクロ映画とはいえ、回想シーンの掛け時計の針の進行とともに、運命の昭和20(1945)年8月6日 時計が8時15分の時刻を示し、ピカドンの閃光が館内の全員の目をくらまし、その後の悲惨な光景は、すさまじかった・・・小4のH氏らにも、擬装体験・・というか、実体験に近いショックを与え、「嗚呼、原爆許すまじ」の精神全てはこの映画から受けた無残さに対する本能的なおののきと怒りから、始まっている。この意識は被爆国として次世代に伝えるべきことが山のようにあり、恐れずに云えば、その折に唯一度しか見た記憶がないが、この映画こそ風化させずに、ヒロシマ平和映画祭等でのローカル上映だけでなく、世界中で何度でも、幾たびでも、再上映し、再鑑賞すべき映画かも知れない・・。改めてWEBで復習してみると『原爆の子』は、いまだ原爆投下の記憶も生々しい1952年の広島をオールロケで描いた、新藤兼人の第二作目である。当時、敗戦国日本では、当然アメリカ批判に繋がる「原爆問題」はタブーであった。新藤は、誰に気兼ねするでもなく自由に映画制作をする為に、自主制作の道を選んだのであった。脚本も、本来シナリオ・ライターである新藤自身によるもので、原爆を被災した広島の子供達が綴った作文を元にしている。元宝塚で大映のスター、”百万ドルのえくぼ”と云われた乙羽信子の自主的参加や、広島市民からの盛大な応援の後押しを受けたこの低予算映画は、現在に於いても、「原爆」を知る上でかかせない重要な作品である。 中川敬のシネマは自由をめざす! より続いて、関連映画として「第五福竜丸」 1954(昭和29)年3月1日午前3時42分、静岡の焼津港を拠点とする遠洋マグロ漁船・第五福竜丸は、中部太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁付近で操業中に、アメリカの水爆実験による高濃度の放射性降下物(死の灰)を浴び、全乗組員二十三名が被爆した。夜明け前の暗闇の中に乗組員達が見たのは、天に立ちのぼる白黄色の大きな火柱。天空はやがて赤く染まり、船員の一人が叫ぶ。「太陽が西から出た!」。その数分後、大爆音による振動とともに、異様なキノコ雲が西方に浮かび上がる・・・。 この事件は、第五福竜丸が被爆の二週間後に焼津港へ帰港した際、当時、日本はもとより世界中の人々を震撼させる大ニュースとなった。同時期に出漁して帰港した、他の漁船の原爆マグロも問題になり、クレーンで吊り下げられたマグロをガイガーカウンターで調べているニュース写真が、連日続き、日本人の心を「またか!」の思いで、暗くした。 この映画は昭和34 (1959年 ) 年 「原爆の子」と同じく自主制作した監督 新藤兼人 にて封切され、小倉馬借町にあった「大洋映画館」に母と見に行った。日頃 「映画を見に行こう!」等と余り云わない多忙な母が、H氏をダシに誘って見に行った位だから、相当怒っていた訳で・・・映画で、水爆症の為、やせ衰えた最年長の乗組員の通信士 久保山愛吉氏を宇野重吉が演じ、病室で「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と口ごもりつつ、言葉を遺す演技は迫真に迫り、今思い出しても、胸を打つ・・。同じく 中川敬のシネマは自由をめざす! より 追記) 新藤兼人監督の 「映画 第五福竜丸 について語る!」 というWEBがありますので、H氏の舌足らずな話より、ずっと面白いので、ご興味あれば、是非ご覧下さい。 blogランキングへ
September 1, 2006
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1